end

azumino.jpg


  3月29日(土)
ちょっと寒さが残りますが比較的よい天気だったので、午後から外に出て庭の畑を耕していました。庭の畑は狭いので機械は使えず、スコップで土を掘り起こし堆肥を撒いてまた土を撹拌。終わり頃、腰が「グリッ!」、またまた軽いぎっくり腰か。ここしばらくずっと調子がよかったので(実は何にもしていなかったので調子よく思えた・・・だけ)、調子に乗って一生懸命土いじりをしていたら、案の定です。

大阪地裁での「沖縄戦訴訟」での判決がでましたね。大江さん側の勝訴はあまりにも当然でしょう。
数々の証言や歴史的な研究があるという意味では「わかりやすい」にもかかわらず、集団自決への日本軍の関与がなかったとする勢力がこれほど強い背景とは何か。それは歴史的な研究とは別の次元で、「現在の状況」(平和的、民主主義的)から過去を見るという「歴史の視座の逆転」が意識するしないにかかわらず思考パターン化して、容易に人々の中に入っていくことによるのではないかと私には思えます。
たとえば稲田朋美著「百人斬り裁判から南京へ」を読むと著者の思考パターンが実に容易にすけてみえる。この本には彼女の思考形式としては「死を覚悟してこのような遺書が書けるものであろうか」という推論しかない。そして、彼女が得たという証言をもとに「皇軍の名に恥じないようにしていた」日本軍が「中国の一般市民を虐殺することはなかった」と結論づけることになります。
郵政選挙の「刺客」として送り込まれた弁護士であり、筋金入りの「靖国応援団」の一員ですから何をかいわんやですが、彼女の推論からいけば、旧日本軍の多くは皇軍の名に恥じない人間の集まりであり、戦闘中はともかく平時においては住民への虐殺はおろか住民に危害を加える行動など考えられないということになってしまいます。
沖縄での集団自決への関与だけが旧日本軍の行為だったわけではありません。方言を使ったという理由だけでスパイ扱いされ日本軍によって殺された多数の沖縄の人々の無念を晴らすためにも、当時の状況に即して旧日本軍の実態をさらにくわしく解明していくことがどうしても必要だし、いまだに日本人の意識の深部でひきずっている戦前の残滓を徹底的に洗い出すことが求められていると思います。


  3月27日(木)
ここ一年ほどの「しんぶん赤旗」を読んでいて、思わず私の大学時代を思い出してしまいました。
私が社会問題とかかわるようになったきっかけは、大学の教育系サークルに入ったことでした。地域で子ども会活動など地道な取り組みをしながら、気がつくと社会の様々な矛盾がたくさん見えてきたというありふれた経験からの社会問題への開眼でした。
私はその頃からの日刊「赤旗」の読者でしたが、当時最も心を打たれたのは、厳しくつらい生活を送っている人たちがどれほどたくさんいるのかということでした。新聞は連日のように各地で高度成長から見放され、その日の暮らしもままならないお年寄りがいるかを報道していました。
ひるがえって今日、連日の紙面にはお年寄りの医療・年金をめぐる厳しさはもとより、青壮年の不安的雇用(パート・派遣など)からくる恐ろしいほどの貧困の拡がりが紹介されています。社会の矛盾の最前線からのレポートを生々しく、しかもそれらの人々に寄り添って記事を書き続けることのできる全国紙はほかにはありません。
通常のサラリーマンよりははるかに安い年金とアルバイト収入でそれなりの生活を維持できている現在の私ですから、想像もできないような苦しい日々を余儀なくされている人たちのことを言う資格もありませんが、それでもいつ自分がそうした生活に陥るかわからない時代。少しでもそうした人々の願いや要求に心をくだくことが出来ればうれしいと思いつつ新聞に目を通しています。

「誰かを殺したかった」「殺す相手は誰でもよかった」という殺人事件がこのところ連続して引き起こされて世の中を震撼させています。列車への突き落とし事件を引き起こした少年の父親は、「小学校からずっといじめを受けていた」と語っていました。新聞報道によれば、神戸での大震災の被害に遭い、最近では経済的な事情から進学を断念、就職先も決まらず1人妄想の世界に踏み込んでいったのではないかと思われます。ここには生活の貧困だけではなく、現代社会の闇が投影された精神の貧困・退廃がある。少年をこうした行動に踏み込ませた心性を、精神科医、社会心理学者のみなさんにほ是非とも明らかにしてほしいと思います。
一方の被害者は新しい家を建てようと一生懸命働いていた2児の父親。突然襲った不条理な暴力に死んでも死にきれない無念さがあったことでしょう。ただただ冥福を祈るほかありません。


  3月25日(火)
明け方は真冬、昼は初夏という典型的な春の一日。朝はびっしり霜が降り、霧が立ちこめて寒い寒い。日が昇るにつれて霧はすっかり晴れてすばらしいお天気になりました。


昼過ぎにはTシャツ一枚でもいいほどの汗ばむ陽気になって車もエアコンがいるほどです。穂高では外気温17℃を記録していました。
今日は午後から冬タイヤをノーマルに交換して、そのあと買い物に出かけました。明日から妻が富山にでかけるため、おみやげを買いに出たのです。長芋とイチゴとトマトを仕入れ、ついでに山に登ってフキノトウを探しに。収穫はほとんどなかったのですが、道路脇にはもう檀香梅(ダンコウバイ)があちこちに黄色い花を咲かせていました。春の山では真っ先に咲く花。
家々の軒先では梅の花も咲き始めていよいよ春本番です。






  3月23日(日)
北谷町では大雨の中、約6000人が参加して県民集会が開かれたと報じられました。沖縄タイムス、琉球新報各社は号外を出してこの模様を伝えています。

沖縄タイムス号外(1) (2)
琉球新報号外

特異なのは産経WEB版。この集会は全く無視しているのに対して、先の11万人(主催者発表)が集まった「教科書検定に抗議する県民集会」の参加者数についての記事が大きく掲げられていること。航空写真をつぶさに調べてみたらどう見ても2万人だという「調査結果」をでかでかと報道しているのです。「11万人ねつ造」を鬼の首でも取ったように言いふらすねらいは見え見えです。
集団自決についての軍命令はなかったとのキャンペーンの最右翼を形成している産経ですが、それを主張する紙上の人物たちを集めてみると大月驫ー、藤岡信勝、八木秀次、櫻井よしこ・・・よりによって右派「知識人」勢揃いの観があります。あまりのひどさにもう絶句です。
こうした人物が大手をふって「論陣」を張り、それを看板にする新聞などがメディアの一角を占めていること自体、今日の日本の特異な姿を示していると私には思えてなりません。
どのような主張であろうが言論の自由は保障されるべきですが、学問的にはすでに決着がついている(たとえば南京事件)のに、知らんふりをして政治的なプロパガンダを展開したり、様々な証言があるにもかかわらず、沖縄「集団自決」の軍命令や関与はなかったというようは主張を繰り返す彼らの背景に、戦前を連綿とひきつぎその悪しき遺産を拡大再生産しているこうした勢力があることを十分警戒すべきでしょう。こうした「知識人」はその先兵にすぎない。
先に挙げた人物たちの主張は、単にそうした過去の史実を修正するだけではなく、未来に一つの収束点を持っていることです。むしろ警戒すべきはその点です。歴史修正主義は単に過去の修正を試みているのではなく、むしろこれからの進む道=これからつくられる歴史=について、特定の方向(天皇元首化、軍国主義化・・など)へ国民を動員することをねらっているということです。

「世界」4月号では中村政則さんが「沖縄戦とオーラルヒストリー」という論文を書いています。歴史認識の視点、沖縄戦の実相を明らかにする歴史学の方法などについて明確にしながら、実証的な立場で集団自決問題を詳細に論じています。こうした作業は地味で光があたらない仕事であることが多いのですが、南京事件にしろ、沖縄戦にしろ、こうした血のにじむ仕事を通して中国での大量虐殺や、沖縄での「集団自決=強制集団死」の実相が明らかにされつつあることは心強いことです。


  3月22日(土)
今日は塾の中3最後の日。全員高校への合格を決めて晴れやかな顔で現れてくれました。最後まで気をもませた生徒たちも合格してみれば、もう気分は高校生なのでしょう。入学式までの幾日かをゆっくり過ごして、これまでの猛勉強の疲れをいやしてほしいものです。
最後の日ということもあって、塾のオーナーからお別れパーティーの準備があり、楽しいひとときを過ごしました。
ただ心残りは、私としたことがカメラを持って行かなかった!そのため、画素数の乏しい携帯のカメラでやむなく雰囲気のみ撮影。生徒・教師合わせて15名のアットホームなパーティー風景は見ていただけるでしょう。


今日もまたポカポカ陽気のすばらしい一日でした。昼過ぎに北アルプスを見ながら庭先でネコと遊んでいましたら、一台の車が止まり中から60近くの夫婦連れが。あいさつをしながら聞くと栃木から来たということでした。絵を描くのが趣味でよく白馬まで行き、その行き帰りによく我が家の前の道を通るのだということ。北アルプスの景観に見とれて思わず車を止めて絵の構図をとっていたんだと話していました。暇そうにしている私を見て、「こちらに引っ越していらっしゃったんですか?」と聞かれてしまいました。そんな顔をしていたんですかねえ。
それにしても、いろんな人がこの道を通り、我が家の前で足を止めます。小さい喫茶店でもやりますかね。


      *********************************

話は全く変わりますが、明日沖縄では先の米兵による少女暴行事件を含め米兵による犯罪に抗議する「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」が北谷町で開かれます。米軍幹部が軍紀の粛正を誓う先から、あちこちで米兵の犯罪が多発する沖縄ですから、もう我慢の限界さえ超えているというのが沖縄県民の正直な気持ちのはず。大会の成功を願わずにおられません。
もちろんこの集会の意義は、この米兵による犯罪をめぐる問題が沖縄だけの問題ではなく、すべての日本人にとって突きつけられている問題なのだということを忘れてはならないでしょう。

先日沖縄から届いた果物を包んでいた沖縄タイムス(くしゃくしゃの新聞を広げて見るのが楽しみの一つ・・・)で、ある人の投書が目にとまりました。その中に、”在沖海兵隊を取材した本土の記者に対して海兵隊報道官が「彼ら(米兵)は給料をもらってメシを食い、楽しい時間を過ごすために沖縄にいる」と答えた”という話が載っていました。”ファミレスで会ったマリーンの1人が「沖縄は最高だ。イラクには行きたくない」と悲しそうに話した”という逸話も紹介されています。
米兵にとって沖縄は軍事訓練の場であるとともに、海外侵略の出撃基地であり、やり場のない恐怖のつかの間のはけ口の場でもあるということ。確かに「軍事植民地」(吉田健正)なのですから、犯罪が起こらない方がおかしい。それを防ぐには米軍に出て行ってもらうしかない。その前に、少なくとも地位協定の抜本的な改定と犯罪に対する厳しい対応がとられてしかるべきです。
しかし、日本政府の対応はまるでアメリカのしもべ。唯々諾々とアメリカのいうがままになっている様は愚劣というほかありません。


  3月19日(水)
畑の手入れをする季節。苗を植えるにはまだ早いとはいえ、畑を耕し肥料をやり・・というのは今から少しずつ準備しなければなりません。
昨日は念願の小型耕耘機が到着しました。妻とともに早速試運転。我が家から少し登った畑に持って行って運転をしてみました。
マシンの運転はたいしたことはないのですが、残念なことにこの畑は石ころだらけ。耕耘機の歯にがたがたあたるので歯が欠けはしないかと気が気ではありません。というわけで早々に引き上げて、新しく借りたすぐ近くの畑であらためて耕してみることにしました。小さいだけに馬力も足りませんが、ま、何とかなるでしょう。




  3月15日(土)
昨日は一日雨。今日は一転朝から暖かい好天に恵まれています。私は午前中うとうととして、午後からようやく活動開始でした。いろいろと家のこともやろうと思いながら身体がなかなか動こうとしません・・・。
午後はいつものファンクラブニュースの校正をほぼ終えて、役員に再校を頼みに行き、その後はちょっとだけ畑の手入れをし、それから洗濯、家の掃除。
・・・と思ったら、ハルちゃん、何かいつもより大きなものをくわえて誇らしげに帰ってきた。見ると大きな鳥をくわえている。いつものように居間の真ん中まで持ってきて、まずじゃれ合って注ェをむしっています。鳥を取り上げて外に出してもまたくわえて持ち帰る。
取り上げるのもかわいそうなので、やむなく出入り口を塞いで様子を見ることにしました。仕方がないと思ったのか、縁側でバリバリ骨を砕いて食べ始めました。
一部始終を観察していると、上手に身体の中央から食べ始めて注ェと頭だけ残してペロリ。食べているときの顔は、いやいやなかなか野生的です。たくましい。


これからネズミや鳥を捕まえてきては家に持ち帰る可能性が高くなるので、要注意です。何しろ鳥の場合は家中注ェだらけにされてしまいますから。それにしても、いつもはぐうたら寝てばかりいるハルちゃん、どうやってこんな鳥を上手に捕まえるんですかねえ。
かつて、茂みに隠れていたハルちゃんが、近くに来た雀が飛び上がる寸前のところを、目にもとまらぬ速さでネコパンチ一発、捕まえるのを目撃したことがありますから、それと同じようにやったんでしょうか。いざとなると実力を発揮するもんですねえ。感心。


  3月13日(木)
今日から4日間、妻は愛知県稲沢市で開かれるボーリングの全国大会に出場のため不在。朝松本まで車で送ってきました。
そのあとすぐに私の普段乗っているジープの車検。車を取りに来てもらったあとは、税金の確定申告に大町の税務署へ。そのあとは畑を耕して・・・と、時間刻みの一日でした。

この一週間は、すっかり春らしい日よりの毎日。昨日あたりから畑の手入れも少しずつ始めています。というのも、先日大枚をはたいて小さい畑の管理機(耕耘機)を購入したからでした。機械そのものはまだ到着していないのですが、倉庫に入れるには道をつくらなければならず、そのために庭の畑のうねをちょっと変えて機械を出し入れできるようにしているというわけです。
機械の到着は17日。農耕機具フェアで購入した際、すぐに運んでくれるのかと思ったら「17日にしましょう」というので、不思議に思って訳を聞くと、その日が「大安」なのだそうです。「結婚式じゃあるまいし・・」と思わず笑っちゃいましたが、機械の搬入にも結構そのような縁起があるのだとか。そこはさからわず、17日にお願いすることにしました。
これからはその機械をつかって借りている二つの畑の耕作にとりかかります。腰が痛くなることからは解放されるので有難い。

        ***************************

今日は母が亡くなってから8ヶ月目。もうそんなにも過ぎてしまったのですね。ちょっと春らしい花を沢山買ってきて写真の周りを飾りました。そのあと、古いパソコンの中に入っていた写真をコピーして現在使っているPCに移しました。埋もれたままになっている写真が結構たくさんありますので、少しずつ整理をしないといけません。
このごろよく母が夢に出てきます。あまり古い記憶ではないここ数年の間の姿で。例によって目が覚めるとたいていはどんな夢だったかはほとんど忘れてしまいますが、潜在意識には深く母の姿が刻み込まれているらしい。
古いマックのパソコンに一通の覚え書きが残っていました。2003年の9月の母との会話の記録です。弟がその年の7月に亡くなって母といっしょに葬儀に参列し、その直後の記録ということになります。
当時は母もボケボケながら、私との会話もある程度成立しており、まとまって会話ができる最後の時期だったように思えます。全編富山弁で、きったない話も出てきますが、母との貴重な会話の思い出でもあるので、ここに収録しました。
下の写真は東京で散歩中の母。会話の中で出てくる名前は、母がその、私がひろし。なくなった弟はあきら、妹はみつこ(みっちゃん)、妻がのりこ、義理の妹がまさこです。[ ]は翻訳。


2003年9月12日夜

母:みっちゃんちゃ、親おられんがかねえ。
 ・・・いるよ。
母:あんたに親おんがけ。[いるの?]
 ・・・いるよ。
母:いかったねえ。おらんもんは私だけか。お父さん、お母さん何人おんがけ?
 ・・・一人だよ。
母:私もそいが。
 ・・・いまいないといったよ。
母:うわさでは。実はおるはずなが。さがさんなんが。その子さんきまっし[金沢弁で「その子さん、来なさいよ」]、という声がしたから。あんたのうちはここだというもんがおるけど、それはほんとうけ。
 ・・・そうだよ
母:ほんながけ。だれがつくってくれたのかねえ。
 ・・・わしや。
母:ありがと。あんたはわしの何にあたるんけ。ゆめみたいや。
 ・・・なんで。
母:私にあなたみたいな人がおられるとは。
 ・・・わしはあんたの息子や。
母:我慢して息子になってくれる?あした私の兄弟にひきあわせるから。
 ・・・兄弟?だれや?
母:いいがに知らんが[よくは知らないよ]。あんたに親がおるということを知っとんがあ?[知っているの?]
 ・・・知ってるよ。
母:果報もんだねえ。何度か会(おお)たがあ。
 ・・・会ったよ。年とって、しわしわでウンコたれだった。
母:だいぶ年なんかねえ。あんた拭いてやらんなんねえ。
 ・・・そうだねえ。
母:あんたがいやなら私がふいてやっちゃ。[拭いてあげます]
 ・・・ウンコたれるだけ。
母:あれ弱るねえ。びちょびちょけ。
 ・・・パンツはいてるよ。
母:ふいてあげたりせんにゃ[しなければ]。暴れられるといやだねえ。
 ・・・そんなことないから。ちゃんと始末してやってるから。
母:自分の親をちゃんと知っとんがだ。それはおめでと。やさしいさんけ。まあ。なんちゅうさんけ。[何という人なの]
 ・・・おそのちゅう人。
母:うそつかれ。私がおその。
 ・・・だからあんたがウンコたれ。
母:わし、ウンコたれんよ。それは作り事だ。
 ・・・そうか。わしの大きな間違いだったか。あんたが私のかあちゃん。
母:へえ、誰がきめたが。
 ・・・そんなことしらん。
母:えらいことになったのお。だいぶくさいけ。
 ・・・そりゃもう。でも心配いらんよ。ちゃんとやってるから。
母:親孝行だねえ。私、何人子どもおるがかねえ。
 ・・・そんなこと知るか。長男は?
母:私にご挨拶も何もないから知らん。
 ・・・長男、ひろし。次男 あきら、こないだ[この前]死んでしもた。
母:死んだらどうしたがけ。
 ・・・あんたといっしょに葬式に行って来たよ。
母:へえ。
 ・・・骨をひろったのを忘れたのか。骨かかえて泣いていたのを忘れたかい。
母:頭混乱してきた。
 ・・・あんたは3人子どもがいるの。一人は、ここ。ひろし。もう一人は高岡。みつこ。もうひとりはあきらで死んだ。
母:なんで死んだか。
 ・・・ガン。
母:なんちゅうこというがあ。供養してあるがかのお。
 ・・・ちゃんとしてある。もうすぐ49日。だからあんたが親。
母:なんかあやしいなあ。
 ・・・なんで。
母:そうすりゃ、あんたわしの何け。
 ・・・親。
母:おやおや。あんたがわしの親け。
 ・・・まちがった。反対。あんたがわしの親。おかあさま。母上。くそばば。
母:わし、そんなくそババいらんわ。あしたみつこくるから、炊事場だけでも掃除しておかれ。
 ・・・みっちゃんちゃだれ。
母:みつこはわしの子ども。
 ・・・どこに住んどんが。明日くるがけ。
母:そうだろわいと思とんが。
 ・・・みつこはあんたの子ども?
母:わからんが。子どもだろわいと思うけど。
 ・・・あんた、まさこさん知ってる?
母:ちごた子どもやわ。
 ・・・のりこ知ってる?
母:また別の子どもやわ。いっしょに生活しとらんからよくわからん。
 ・・・今は誰とすんどるが。
母:あんたは私とどんな関係ながけ。
 ・・・自分で考えてみられ。
母:わからんが。あんた毛がうすいし、私より年いっとんがかと思うし。
 ・・・よけいなお世話だ。
母:あんたいくつけ。
 ・・・57。
母:えらい年だのお。私まだ50になっとらんがに。
 ・・・あんた、いま82歳。
母:いや、驚くねえ。わし、いいがに知らなんだが。82歳?親がなんにもいうてくれなんだ。あんたいくつけ。
 ・・・わしは57。みつこ53。
母:いい年やのう。
 ・・・あんた、親なんだから、もっとしっかりせにゃ。
母:仲良くしていかんなんねえ。
 ・・・あんた、みつこの名前しかでてこんねえ。
母:みつこは早くからばあちゃんというてくれるが。それは親が言わせたのかもしれんけど。
 ・・・あんたはいまひろしといっしょに住んどんが。
母:ひろしちゃだれ。
 ・・・わしや。
母:あああ、頭が混乱しておる。3人も子どもがおりゃいいわ。
 ・・・あきらは死んだ。
母:あっれ〜〜。かわいやの。供養してやらんと。
 ・・・そうだねえ。
母:一人で死んでいったがかねえ。なんであんたいっしょに行ってやらなんだが。
 ・・・ ・・・
母:わたしが親といえるのは他にだれや。
 ・・・ひろしとみつこ。
母:ひろしちゃあんたけ。
 ・・・ビンゴ。よくできた。ご長男でございます。
母:あんたたちはどうしておったがかのお。親おったがけ。
 ・・・あんたは、長いことあきらとまさこさんといっしょにおったが。そして、あんたは自分で富田町に家を自分でつくったが。
母:そんなきかんこと[気の強いこと]したが。
 ・・・そこでしばらく一人で住んでいたが・・・。
母:かわいさげに。[かわいそうに]
 ・・・だんだん不安になってきた?
母:そうかもしれん。あきらやまさこさんと別居したがか。
 ・・・そうだよ。そうして、だんだん自分のことができんがになってきたが。ウンコたれになってしまった。
母:かいしょないの。
 ・・・しかたがないから、あんたと、子ども3人が寄ってどうするか決めた。あんたが決めたんだよ。
母:だって生活する能力ないわいね。収入もなにもないがに。
 ・・・それは大丈夫。年金ちゅうもんがあるから。
母:ウンコたれになってだれが世話してくれとったがけ。
 ・・・みつこ。毎日のように来ては世話してくれていた。
母:あんたが来いといったのか。
 ・・・みっちゃんが一生懸命世話してたの。
母:そんなときあったがか。
 ・・・みんなで集まって、相談して、はじめはあんたはみつこに世話になりたかったが。
母:それもだめで・・みつこがいやいうたがか。
 ・・・そんなことないよ。近くで一人で住めないかと考えたけど。
母:わしもいやちゃ。一人で生活するなんて。
 ・・・また寄って相談したが。そしたら、あんたは、わしに世話して欲しいというたが。
母:なるほど。あんたによしかかったのは成功したけど・・
 ・・・まんまと。結局東京で生活することになった。
母:めんどうみてほしいというたがけ。虫がいいねえ。あんたが世話してくれるいうたがけ。
 ・・・そうだよ。だから安心してここにおればいいの。
母:まだ他に誰がおるが。
 ・・・だれもおらん。もうすぐ長野に行くよ。
母:なんで。
 ・・・あんたの世話をする。畑をしたり、散歩したり。
母:あんたが決めたが。まだほかになにか「たり」があるがか。
 ・・・あんたの世話をしたり。だからもっと長生きせんにゃだめだよ。(わしより長生きするかな、こりゃ・・)
母:あんたも長生きせんにゃ。
 ・・・そろそろ寝んまいけ。[寝ましょう]
母:わし、心配や。
 ・・・なにが。
母:わしの上に姉ちゃんがいるだろ。
 ・・・おるよ。ちづ。いまヒロコの世話になっている。でもテツオは死んでしまった。
母:何で、待っておってくれたらいいがに。
 ・・・ノブちゃんもいるし。ノブちゃんにこの間あったんだよ。しっかりしていたよ。また会いにいけるよ。どこにでも連れていってやるから。会いたい人はだれ。
母:ノブちゃんかな。
 ・・・友達にも会いたいでしょ。
母:友達には落ち着いてからだ。
 ・・・いつの話。さあ、寝るよ。
母:あんたと私はどんな関係。
 ・・・親子。
母:親らしい親でなくて堪忍してください。
 ・・・しおらしいねえ。もう寝るぞ。


  3月6日(木)
日差しがとても暖かい日が多くなりました。うれしいことです。ひなたぼっこをしてゆっくり寝ていたい。
今日はウオーキングの宣伝を一つ。いままで1ヶ月ほどかかって作成していた、日本ウオーキング協会公認の公式イベント「北アルプス展望ウオーク」の案内サイトが完成しました。5月17日に全国規模で行われるもので、参加者総数は約500人ほど。
日本ウオーキング協会の公式行事となると、どこでも1000〜2000人くらいが参加するという大変な行事になるようなのですが、今回は第一回目ということで人数を抑えたのだそうです。
長野県でも屈指の展望コースなので、お天気さえ良ければ最高のウオーキングが楽しめるはずです。サイトはこちらですよ〜〜〜。
北アルプス展望ウオーク2008 公式サイト

私のホームページをご覧いただいている方々にも、是非このイベントに参加していただけたら嬉しいと思って紹介しました。
サイトができあがってみて思うのですが、ホームページ作りとしてはあんまり進歩がないなという感じ。デザインが旧態依然で、しかもHTML中心の古いやり方なので、最近の洗練されたホームページから見るとかなり見劣りがします。でも、ウオーキングイベントですから、素朴で暖かみがあって心休まる気持ちが伝わればいいかなと、ま、これでいちおう満足。
ちょっとずつはweb2.0の勉強も始めているんですが、その技術をマスターするまでには数年かかりそう。その間にはweb3.0になっているんかいな。

昨日は中学2年生の数・理の授業の日でした。このクラスに最近入ってきた男の子がいます。何かを聞かないと返事もしないちょっと変わった子ですが、数学は異常に好きらしい。いま確率を勉強していて、たいていは私が始めに必要な事柄を板書してそれをメモさせることから始めます。「これは大事なことだから、メモするように」と念を押すことがしばしば。しかし、その子はほとんどメモをとろうとしません。よーするにメモをとらないでも話したことがぜ〜〜んぶ頭に入ってしまっている「らしい」のです。その証拠に、問題をやらせると、ろくに経過を書きもしないで正解を次々と書き込んでいく。ほかの子より10倍も速い。なにやら書いていると思ったら頭の中を整理するためのちょっとしたメモをグジャグジャと書く程度。あわてて答えを出した私の方が間違っているというお粗末もありました。あまりに速くやってしまうので、難しい問題をやらせてみても、ちょっとほかの生徒の相手をしているうちにもう終わっている。しかも全部○。
そのくせ国語とか英語とかは時間をかけない分、成績はかんばしくないと聞きました。いやはや、こうした子の頭の中ってどうなっているんでしょうね。家系には東大出身者が結構いるらしいから、スジはいいのでしょうね。しかしその子とほとんど会話らしい会話ができないというのもつらい。数学については末恐ろしい子ですから、私も鍛えがいがあるというもの。数学そのものへの興味が持続するように私もしっかり対応を考えておかないと・・・。


  3月3日(月)
昨日からとても暖かくなって、ひと頃の寒さがウソのよう。といっても、夜の外気温は2,3度ですから、寒い、暖かいは実に相対的なものです。2,3度でも暖かく感じるのは、長く続いた寒さに身体が慣れてきたからなのでしょう。
我が家の飼い猫「ハルちゃん」の家出事件については妻が詳しく書くでしょうから、それはさておいて、今日妻と「里親」について少し話す機会がありました。
私自身が東京から長野に引っ越した頃のこと、これから妻と長野でずっと生活をしていくわけだから、社会に貢献する一つの選択肢として里親になることも考えていいかなと思ったことがありました。もっともかなりその制度もよくわからず、漠然とそう思っただけですから、いつか忘れてしまっていました。思いがけず今日妻から話があったので、少しまじめにこのことを考えてみてもいいかなと思っているところです。
里親といっても、数ヶ月〜1年の短期里親からある程度長い期間養育する養育里親などがあるようで、養子をもらうということとは話が違います。子どももかなり大きくなってからの親代わりですから、それなりの問題もあるでしょう。
ネット上には犬猫の「里親」情報があふれています。「里親」で検索するとヒットするのは人間より動物。「里親制度」と検索しなければだめでした。
下で紹介する「シドさんのホームページ」には、犬猫の「里親」という言い方に強く抵抗を感じる旨の記述がありました。確かに育てていれば犬やネコも家族の一員ではあるけれど、コトバの持つ意味と現実の里子の立場からみたこのコトバの使い方を再考すべきだろうと私も思います。
我が家の歴史のなかで、この里親制度が果たして本物になるのかどうかはまだわからないし、妻と二人でよく研究し相談もしていかなければならないでしょうが、真剣に考えてみてもいい妻からの問題提起でした。

長野市里親会
シドさんの里親のホームページ



top