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4月28日(月) |
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クラブツーリズム名古屋のお客さんの訪問が相次いだのですが、今日は中休みでちょっと一息ついています。昨日・一昨日はほぼ500人。ものすごい人数が一挙に押し寄せるので、まあ大変でした。 家の前は通り道、しかも横の空き地には仮設トイレがある休憩所なので、超満員の盛況です。あしたは1100人という信じられない人数になるので、いったいどうなるのか。ただ救いはお天気。晴れの安定した空模様なので大きなトラブルはないように思えます。 何しろこのイベントだけはお天気次第。一昨日のウオーキングは雨のなかだったので、みじめ。参加者も対応するメンバーも気持ちは「どんより」で、多分参加者は「いったい何のためにこんなところまで来たのか」と思ったことでしょう。それに比べて昨日はよいお天気にめぐまれて「こんなにいいところがあるなんて知らなかった」「すばらしいところに住んでいますねえ〜〜」と評価は180度違います。他県からのこうしたイベントの危うさのひとつです。 ただそれにしても一日の人数が多すぎる。一回の人数はどうみても200人くらいが限度でしょう。ただ歩くだけならまだしも、観光気分で来る人にとってはトイレや休憩所や道案内は死活問題。ただ大人数で歩けば住むという問題ではありません。 このイベントを催した会社はかなりぎりぎりの予算での企画だったようで収支にはきわめてシビア。トイレさえ休憩所の5基が多すぎると言ったということですから、果たして参加者の健康や安全をしっかり考えているのだろうか。トイレの行列をみるにつけても、大いに疑問です。1000人を超える人たちが押し寄せた場合、トイレがパンクすることも考えられます。会社の添乗員はその場にいるわけではない。どうなっているかは現地まかせ。私に「トイレはこれだけしかないのですか」と聞かれても返事のしようがありません。観光客が来てくれることはいいが、そうしたきめ細かい対応がきちんと取られてはじめてイベント会社の信頼が保たれるというものでしょう。従って、対応する池田町としても一日の受け入れ人数に制限を設けることも検討すべきではないかと思わされました。 |
4月24日(木) |
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全く目の回るような忙しさです。昨日は愛知近辺からのウオーキングのお客さんが約100名。3000人の第一陣です。明日から5日間にわたって続々とやってくるので、その対応に追われているという毎日。 私の役目は、隣の家との間の空き地が休憩地点になっているため、そこでの「おもてなし」。ハーブティーの販売を中心にお客さんの対応を取り仕切っているというわけです。 お昼頃から三々五々「北アルプス展望のみち」をたどってきた参加者が、ちょうどコースの中間点であるこの休憩所でちょっと一休みをする絶好点になっているため、約2時間はネコの手もかりたいほどの忙しさになります。100人の対応でもそうなので、明日からの数百名規模の参加者にどう対応するか、頭を痛めています。あちこち手を回してお手伝いをたのみ、ミネラルウオーターを汲んできてハーブティーを作り、掲示などの準備をする。ある意味ではよい勉強になります。やってきた参加者のみなさんとお話しするのも楽しいことですしね。 何とか天気がもって、気持ちのよいウオーキングになるように願うばかりです。 ところで、地方紙の「大糸タイムス」が「池田町の課題」と題して2回にわたって記事を載せました。第1回目の財政問題中心の記事に続いて、第2回目では「観光振興策さらに一歩を」と題して、観光面での現状や課題を「分析」しています。 そのトップやそれにつづく記事の中に次のような「意見」を載せていることからわかるように、その「分析」は観光推進に力をいれてはきているが経済効果が薄い、これを解決するのが課題だ、という一点に集約されます。 「観光振興に向けた活発な動きは感じるが、地域の潤いにはつながっていないような気がする」 「観光とはどういう意味か、人が来るだけでは損、地域が潤わなければ意味がない」 こうした意見はよく耳にするし、池田町では言い古された言葉に属する。もちろん言った人に他意はないのだろうけれど、私から言わせれば「それでは誰がどのように観光推進をするのか」「誰かが考えやってくれることに乗っかって儲ければそれでよいのか」と、ただそれだけです。 池田町商工会がガイドマスター会を設立、民間ボランティアの力で里山ウオーキングの振興に力をいれ、その中心人物であるAさんが「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に応募して見事長野県一位で日本ウオーキング協会の認定コースに選ばれ、以前から営々と積み重ねてきた里山ウオーキングを新しい地平に引き上げたのはわずか2年前のことでした。 観光推進本部のSさんやガイドマスターのみなさんの手によって、陸郷の山桜や大峰高原の大カエデに注目を集め、さらに「てるてる坊主の里」としてイベントを企画してきたのはこれもここ2年くらいのこと。 その推進力となって先行したのは地域に住んで池田町を愛する普通の人たちであり、続いて行政から派遣され、ただいま孤軍奮闘中のSさんや観光協会の職員であるという事実をまずとらえておくべきでしょう。無欲に献身的に里山の整備をしたり、ガイドしたりしてきた人たちが引き金になって現在の「経済効果」を生み出しているのです。 今回のクラブ・ツーリズムのウオーキング企画は池田町の観光を、あらゆる意味で新しい地平に引き上げることになるはずです。なぜなら今日の池田町の力量では、晴れた日はすばらしい評価を得るし、雨の日はその正反対の評価を受けることになることははっきりしているからです。お天気次第の「イベント観光」は長続きするはずがありません。飽きられれば潮が引くように忘れられていく。 つまり、ウオーキングやトレッキングを中心とした観光は、イベントではなく持続的なものにしていくことがまず第一の課題だろうと私は思います。そして、同時にイベントにも対応した、雨の日でも喜んでもらえる地域作りへと目標を引き上げていくことです。それが副次的にかつ必然的に経済効果に波及していく。大糸タイムスの記事はその点を見落とすか、忘れています。 経済効果を直接ねらった観光はろくな結果をもたらさない。池田町は素朴で里山の魅力にあふれているから集客力があるというコンセプトを忘れたとき、観光資源も宿も乏しい町としてはさらに魅力をなくしていくことにつながっていくでしょう。 昨日名古屋から来た人たちと話をしていて、何人もの方から「家々の周りは本当に(花や木々でかざって)きれいにしていますね」といわれたことが印象的でした。「ウオーキングのコース」になっているから気をつかうでしょうね」などと言う人もいましたけれど、家々の周りに花がたくさん植えられているのは、何も人の目を気にするからではなく池田の人たちの心意気です。自分の楽しみであり、それを共有したいという気持ちの表れのはずです。 また、宿がなければ大型のホテルや旅館を作ればいいのかといえば、全く正反対です。そんなことをして採算がとれると思う人はまず皆無。だとすれば、現在の収容力を保ちつつ、民泊(営業としての民宿ではなく個人の家に泊まること)を組織してかなりの人数でも収容できるシステムをつくることです。 今回のような大規模なイベントでは、「もてなす」ことを第一義に、各種の模擬店を多数組織すること、宿泊については近隣の市町村との連携で対応することです。宿泊の斡旋にまで踏み込めればなおよい。 私は、ガイドマスターの一員としていろいろ関わってくる中で、”ウオーキングに関しては”(限定しておきます)この2年はいろんな仕掛けをする時期、しばらくはイベント中心でも、とにかく知名度を上げることだろうと思ってきました。それはまだしばらく続けなければなりません。 それと並行して、あるいはそのあとの課題として提起されてくるのが「持続的な観光」「イベントに頼らない観光」「雨にもつよい観光」ということになるでしょう。たとえば、「花とハーブ」にふさわしいメイン広場と、沿道の多種多様な池田ならではの木と花の自然な演出(もちろん過度の演出は逆効果です)は緊急の課題だろうと私は思っています。雨が降っていれば、晴れたときにまた来ようと思う美しい町づくりこそ池田がめざすべきことです。 記事ではハーブセンターの運営について「年間約23万6千人が訪れた平成9年に比べると平成18年には年間約10万6千人と半分以下となった」と書いて、文脈ではあたかも池田町の運営だけに問題があるかのような書き方をしています。 この施設の運営と方向性には大きな問題があることは周知の事実であり、議論も盛んにされています。民間の手法で再生を図るべきだという意見も根強いものがあります。 この施設のあり方についてはもっと議論を深めるべきだろうと思いますが、事実として池田町の観光の窓口であることは論をまたない。しかし経済効果という視点からのみ、この施設の方向性を議論しても発展性は望めないでしょう。 経済効果はあとからついてくるものです。経済効果むき出しの観光地に行きたい人がいるでしょうか。むしろ今知恵を出さなければならないのは経済効果ではなく、”どんな町をつくっていくのか、どんな観光を生み出していくのか、誰がそれをになっていくのか”だと思います。そして、観光の基本は住民同士が気持ちよく住みたいという願い、つまりよそから来てくれる人とも同じように接したいというホスピタリティの精神です。 住民自身がどんな町に住みたいのか、どんな人間関係を築きたいのかを忘れた観光など何の魅力もありません。それゆえ、知恵を出すのは行政よりも、住民一人一人であるということが大前提となります。 確かに同記事では第一回目に「財政 住民の”やる気”鍵」として、住民の手によるさまざまな事業が池田で生まれていることをわずかですが紹介しています。ならば、観光という側面で何故にそうした視点での掘り下げがないのか。それがないばかりか、「ウオーキングは全国的なコースとして知られ始めたが、並行して費用対効果を疑問視する声が少なくない」などと書く始末。いったい実態を知って書いているのか。誰に取材をして書いているのかと問いたくなります。 今年度からは多少は予算もつきはじめましたが、これまでウオーキングにかけている費用はほとんどゼロに近い。携わっているガイドマスターは全員無償ボランティアです。それに対する効果を即効的に問題にするのだから現状を知らなさすぎる。 書きたくはありませんけど、ウオーキングガイドのホームページ作成運営を業者に頼むとすれば年間数十万円でも足りないでしょう。これも現在はタダ以下です。タダのボランティア精神が3000人のお客を呼んでいることをこそ評価すべきではないのですか。私自身は、もっとこうした精神のもとで、情報発信にたくさんの人の知識と時間(カネではない!)を提供してほしいと願っています。 第2回目では、池田町の財政の決算状況を報告し、その「厳しさ」についてあれこれ指摘。最後に「観光は今後の地域振興の柱のひとつとなりうる産業だけに、農業とも施策をつなげ、将来を見据え、民間の感覚と観光客側の目線をとりいれた具体策が求められそうだ」と結んでいます。 「民間の感覚」とはいったい何なのでしょうか。民間企業という意味で、経費をできるだけ削減し、観光事業の対費用効果を最大限にすべきだとでもいうのか。サービス精神をもっと発揮すべきだとでもいうのか。それとも文字通り、「一般町民の間」という意味なのか。きわめてあいまいで俗っぽい結論です。 前者の意味だとすれば、「民間の感覚的観光」など現在の池田では無用です。大勢のボランティアがさまざまな知恵と力を出して地域と観光を下支えし、行政がそれらをひとつのビジョンのもとに束ね、大きなうねりに高めていくこと、つまり行政の方向性と”やる気”が観光面では問われているのではないでしょうか。観光とはホスピタリティに始まりホスピタリティに終わる。それに尽きると思うのですね。 大糸タイムスには、そうした視点から取材内容を再検討し、より踏み込んだ分析をしてほしいものです。 |
4月16日(水) |
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4月14日(月) |
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毎日ウオーキングのページの「ブログ風季節のお便り」を書いているものだから、ついこっちの更新が遅れがちになってしまいます。 昨日は母がなくなってから9ヶ月目でした。父の命日ともほとんど重なるのでいっしょに花を飾っておまいり。妹からも花が届けられて、遺影の周りは華やかになりました。 仏壇の周りには母の写真がまだたくさんかけてあるのですが、どれも最晩年のものばかり。一周忌にむけて、あらためて写真を整理して一冊の小さいアルバムにまとめようかと思っています。 母の思い出はこれまで折に触れて書いてきましたが、父の思い出となるとあまりにも前のことになってしまうので、書く機会がありませんでした。たまにはいくつかのエピソードをつづっておくことにしましょう。 父が婿として入籍したのはまだ太平洋戦争の最中。尋常小学校しか出てはおらず、無口であまり人付き合いも得意ではなかった父でしたから。小さいころの私にはほとんど陰の薄い存在でした。しかし、そんな父も実は意外な面をたくさん持っていたことを子ども心にも次第に知ることになります。 まず、小さい頃ときどき絵を描きに外につれていってくれました。水彩で風景をかくのですが、私がだいたい描き終わると最後にちょっと手を加えてくれる。平面的な絵に効果的な深度を与える陰影を付け加えるのですが、不思議な絵の才能を持っていると感心させられたものでした。 続いて、中学生だったか高校生だったか、レコードをはじめて買いに行ったことがあります。父に何か一枚買ってこようということになって、何がいいかを聞いたところ即座にリクエストしたのがベートーベンの「スプリングソナタ」でした。実は若い頃父はいわゆる「音楽喫茶」に入り浸っていて、クラシック音楽はかなり聞き込んでいたらしい。 家では山の雑誌くらいしか読んでいない父がこうした曲を聴いていたなどと想像していなかっただけに、カルチャー・ショックは大きかった。 さらに、将棋が得意だった父はよく勤め先で優勝して賞品を持ち帰っていました。家ではいっさい将棋の話はしたこともなく、私に教えるでもなく、いったいどこでどのように覚えたのでしょうか。これまた不思議な才能でした。 高校生の頃だったでしょうか、教えてもらおうと思って何局か指したことがありましたが、教えるというわけでもなくただ相手をするだけ。それっきりになってしまったのが残念でした。 父と母が小学生あたりからの私たち兄弟にしてくれたことは本を買うこと。しかし「読みなさい」とは決して言わなかった。ただ買って置いてあるだけ。それでも私はほとんどすべて読んでいた記憶があります。特別に好きだったのは「少年ケニア」と少年少女向け「SF」。それに世界文学全集からのいくつかの物語でした。 テレビもない時代ですから、本を読むことくらいしか楽しみはなかったとしても、これは私にとって本当に貴重な財産でした。 そのSFの中でもとびきりのお気に入りが「AERITA」(邦名「火星に行った地球人」)・・・多分、美しい火星の女王アエリータと主人公ローシとの恋物語というストーリーとその挿絵によるものだったのでしょうか。トルストイ(レフではなくアレクセイ)の原作を少年少女向けに翻訳(原作はかなりおどろおどろしい内容も入っているようですが)したもので、革命直後のソ連の息吹を強く持った小説でしたが、なぜかいくつかのシーンが今も新鮮によみがえってくるのは不思議というほかありません。 そんな本を次から次へと父は買ってきては置いておいてあり、そのうち私は大きくなったら天文学者になるのだという夢をふくらませるに至った(もちろんすぐに破れてしまったけど・・・)大本はといえば、これらの本だったという懐かしい思い出。父には今も感謝しています。 |
4月10日(木) |
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私が働いている大町の塾では新年度がはじまりまって新しい生徒たちとのご対面です。昨日は中学2年生。何となく緊張感がありながらも、全員なかなかやる気があるので、いままでとはちょっと違った雰囲気でした。 3時間の長丁場なので途中2回ほど休憩をとるのですが、その間にお菓子パーティが始まるのにはびっくりした。それぞれ持ってきているスナック類を自分でたべるだけではなく、みんなにも配るのです。私も結構買収されて、ほんのわずかの休憩時間がつい長くなってしまった。まんまと彼らの作戦に乗せられてしまって・・・これはイカン。 昨日まで3日間ほど家に缶詰状態でクラブツーリズム(株)から依頼されたウオーキングのガイドマップ作りをやっておりました。A4裏表程度の小さいものですが、作業は地図と写真が中心なので作業は細かく結構疲れます。 それにしてもデザインの難しいこと。プロのデザイナーの作ったものを見ると実に垢抜けしているのに、どうしてこうもダサイものしかできないんでしょう。要するにワンパターンなのです。私の持っている技量の範囲内でしか作れないということなのでしょうが、あと一回り脱皮できるといいんですけどね。あと一つ5月17日のガイドマップもつくることになっているので、頑張ってみますか。 昨日まで雨模様でしたが、今日は昼近くから晴れ間が見えてきました。そこで、今年から耕作を頼まれて畑をすることになった近くの土地に耕耘機を持って妻とでかけました。 もともと畑でよく耕してあるところなので2時間ほど耕耘機を動かしたり、草取りをしたりしてすっかり植え付けが出来る状態になりました。周りの田んぼから見るとネコの額ほどに見えますが、いざ耕してみると結構広いので、今後はいろんなものが植えられそうです。 さしあたりの目標はダイコン、ジャガイモ、カボチャ、トマト、ナス、あとは葉物。 ところで、我が家の後ろにはまだ売れ残っている造成地があります。そこを売りに出している建設会社の社長から、「そこは売れそうにもないので当分畑にしてくれ」と頼まれています。明日か明後日大型耕耘機で耕すということなので、そこには大豆(国産!)をたくさん植えようと妻と話し合っています。いよいよ農業者になりましたね。出来たものを出荷しないといけなくなりそうです。 |
4月8日(火) |
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4月7日(月) |
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保健センター「ステップアップ教室」担当者様 なぜ私があれほど怒り心頭に達して、教室に参加しないでそのまま帰ってしまったかについて、説明をしておかなければならないでしょう。 是非とも今後の運営に役立ててくださることを願いますが、別に回答を期待しているわけではありませんので、念のため。 保健センターで「ステップ台を使ったエクササイズ教室ーーステップアップ教室」があることを知り申し込んだのはずいぶん前のことでした。今日がその第一回目で、案内書には次のようにありました。 開校式 H20・4・7 午後2:30〜4:30 身体計測、体力測定、教室の説明など、必ず参加してください 場所 やすらぎの郷大会議室(場所変更あり) 私が「やすらぎの郷」についたのは2時15分頃。まず案内掲示を見て、2階大会議室に行きました。そこではおばさんたちがステップ台に向かってすでに説明を聞き教室が開かれているところで、どうも様子が違う。怪訝そうに中をのぞき込んでいると、インストラクターから「保健センターに行ってください」と指示されました。これがまず第一の問題。あとから来た人も同様でした。 さて、1階の保健センターに行きましたら、すでにいくつかの部屋で体力測定や検診らしきことがおこなわれています。私が時間を間違えたのかと思い、また何が行われているのかを聞こうと思っても担当者がだれなのか、どこにいるのかさっぱり分かりません。 そのうち、その場にいた参加者の一人の男性が「○○さんですか」と違う人の名前を言うので、「違いますけど・・」と答えて、そばを見ると何か書類がおいてあります。参加者の「カルテ」でした。いすの上に無造作に散乱したそのカルテの一枚には確かに私の名前が。 (蛇足ですが、病気でもないのに「カルテ」はないでしょう) 受付が置かれ、2時半から開校式が開かれて説明が行われるとばかり思って参加した私にとっては、「先に来た者から勝手に何かやっている」というこの初日の有様は不可解きわまるものでした。 「担当者が誰なのか」と社協の事務所で問い合わせたところ、呼んで来てくれた方は「失礼にあたることがありましたらお詫びしますが」とは言ってくれたものの、「いったいどうなっているのか」という私の問いに「今までの流れで・・・」と答えるだけ。その答えに私は参加する意欲を一挙になくしてしまいました。 これまで参加していた人にとってはあるいは事情は分かったかもしれませんが、初めて参加する私にとっては全く事情がわかりません。 私が今日感じた問題点はつぎのようなものです。 第1 初めて参加する者がいるのに受付が置かれていなかったのはなぜか。 第2 当日になっても部屋が2階会議室になっていたのはなぜか。 第3 2時半から「開校式」が行われるのではなかったのか。 第4 にもかかわらず、事前の説明やことわりもなしに、何故に2時半のはるか前から測定などが行われていたのか。 第5 何故カルテがいすの上に無造作におかれ、何の説明もなかったのか。 「慣れ」「流れ」でこうした行事が行われていることに大変な危惧を感じます。なぜなら、沢山の人に参加をよびかけ、健康を維持増進しようという目標からはこうしたずさんな運営は生まれないからです。 ともかく、私は今回の教室には参加しないことを決めました。むしろ、今回のことは私に、健康を他人任せにしてはならないこと、自分自身でもっと積極的に取り組むべきだということを自覚する一つのきっかけになったことをお知らせしておきましょう。 私の行動を、大人げないと受け取られるか、気が短いと受け取られるか、理屈っぽいと言われるか、それはどうでもいいことです。教室運営側の人で不足やこれまでの流れをあげて説明されようが、もはや過ぎてしまったことです。ただ、今日の教室開催の模様について、このように受け止めた町民が一人いたことだけはお知らせしておきたいと考え筆をとりました。(以上) ******************************** 昼過ぎ、上の畑に行こうとしてふと脇を見ると、一匹の大きなヘビが寝ていました。 実は一昨日も妻と同じところでこのヘビを見たのですが、そのときは全く動く様子がなかったので、てっきり死んでいるか怪我をして弱っているとばかり思っていました。ところが少し後で見てみるともう姿がみえません。そして、今日ふたたび同じところに姿を現して、前と同じように寝ています。 今日はちょっとツンツンとしてみましたら、鎌首をもちあげて「何だ?」とうるさそうにしていました。多分、冬眠から覚めたばかりで身体の動きも鈍く、ひなたぼっこをしながら体温を上げているのでしょうか、ほとんど動きません。 ヘビを見るのはたいてい5月連休明け頃からと相場がきまっていたのですが、今年はやけに早い。別に悪さをするわけでなく、むしろ田んぼや畑を守っているので、この主は大事にしてやらないといけませんね。 もっとも見た瞬間、足が1メートルほど下がりました。 |
4月2日(水) |
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今から20日ほど前(3月11日)の読売新聞に、糸魚川−静岡構造線上での地震による断層のずれについての記事がのりました。Web上でもあちこちに引用されているようなので知っている人も多いのではないかと思いますが、あらためてその記事の要旨を転載しておきます。(読売のサイトではすでにアーカイブ入りしており読むことはできません) 国内最大級の活断層である糸魚川―静岡構造線断層帯(全長約150キロ)のうち、北部の約50キロ(長野県小谷村〜松本市に至る)の断層がずれただけでもマグニチュード(M)8級の地震を起こす可能性が高いことが名古屋大学などの解析で分かった。 政府の地震調査委員会は同断層帯についてM8級の地震を予測していたが、ずれる範囲は特定していなかった。 同大は北部と残りの区間が連動した場合には、さらに規模の大きな地震となる恐れがあると指摘する。 同断層帯では巨大地震が1000〜2000年前に発生した。研究チームは北部の55キロを歩き、地形を観察し、巨大地震1回における土地の隆起量を1キロ弱おきに調べた。 その結果、隆起は約0.5〜5メートル強の幅で確認されたが、特に長野県白馬村や池田町の周辺は5メートル前後と大きく隆起していた。これは地下の断層のずれの量で見ると12メートルに達する。 各地点のずれ量から、北部の断層が一気にずれた場合の地震の規模はM8.3程度と推定した。 とんでもなく恐ろしい記事です。私たち夫婦はまさしくこの断層帯の真上に住んでいるのですから、しばらくはこの記事のことが頭から離れませんでしたよ。これを知っていたら家を建てるんじゃなかったかなあ〜〜〜。 もちろん明日、明後日に大震災がやってくるわけではないでしょうが、東海沖地震と同じように、いずれ必ず直下型地震が襲ってくると見込んでおかなければなりません。 この記事についてその後いろいろ検索しているのですが、報道は読売だけだったようで、引用はこれ以外はみつかりませんでした。 研究報告として、2006年に同様な報告をしたファイルをみつけましたので、参考までに以下に添付しておきました。どこにどのような断層があり、過去の地震での隆起・下降がどのような規模であったかを調べたものです。 活断層についての研究報告 参考までに我が家はこのファイル第3図、P68の右端に位置します。ゾ〜〜〜! また次のサイトは、東京大学、名古屋大学などのプロジェクト調査観測をあつかっています。 糸魚川−静岡構造線断層帯における重点的調査観測 将来の地震が過去と同じような規模で、同じような隆起や変化をもたらすかどうかは定かではありませんけれど、地盤のもろさとか断層の性質とかは変わっていないはずですから、備えとしてはこれくらいの規模が想定されると考えるのが順当なところ。だとすれば、これに対して現在地域や自治体で進められているような防災対策で果たしていいのかどうか。 阪神・淡路大震災をもたらした1995年の兵庫県南部地震ではM7.3、最強で震度7という規模でしたから、M8.3となれば、これとほぼ同じかそれをはるかに上回る直下型地震ということになります。 実際あまり考えたくもないことですが、それでも事態を直視して今後行動に移すべきことは、まずこのような研究報告をきちんと受け止めること。そしてこの報告に即して防災対策を練り直すことでしょう。 第2は個々人の防災に対する心構えと震災時への備え。防災グッズ(衣類、食料品、防寒具、医薬品など)、避難ルート、地震保険、避難訓練・・・。やはり日頃からの周到な備えが何よりの対策になるはずです。 |
4月1日(火) |
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池田は早朝からまた雪。ここしばらく寒い日になっています。これまでの暖かさがウソのよう。 朝、写真をとりにドライブに出かけていたときのこと、とある養殖場で一羽の白鳥が寝ているのを発見。もうほとんどの白鳥は北に旅立っているのに、たった一羽だけこれままたどうしたこと。・・・アヒルじゃないよね。これ。住み心地がよくて居着いてしまったのかしらん・・・・。 道ばたではようやく水仙が咲き始めました。これは昨日の夕方のもの。 さて、死に体福田政権のもとで、ガソリンの値段が下がったことは何よりです。買いだめしておくことができないのは残念ですが。 自民党がずっと固執してきた道路特定財源について一般財源化を言わざるをえなくなったのは世論の勝利ですが、にもかかわらず暫定税率は維持したいという自公政権。59兆円の道路建設10カ年計画は5年に短縮しても道路建設をやるというのですから、よほどこの道路には莫大な利権がつきまとっているらしい。 口をひらけば国民生活に重大な支障がでる。自治体の道路整備がすすまないなどとさもこれらの財源がすべて生活道路に使われるかのような言い方をしていますけれど、そうでないことはあまりにも明白。 しかも、ガソリン税などはまだ本則の25%が生きているわけで、これを一般財源化することで「カラオケセット」や「啓発ミュージカル」などというアホなこともできなくなります。。 地方のためにというなら、生活優先でもっとやらなければならないことがありすぎるし、そうであればこそいままで削り続けてきた地方交付税を復活させることの方が大事ではないんでしょうかね。道路建設財源もそれに加えればいいことです。 非正規雇用の拡大で、労働者を無権利状態におきつつ絞れるだけ絞るような「実に古典的なプロレタリアートの姿」(佐藤優さん)をつくりだし、空前のもうけをため込んでいる日本の大企業も、こうした事態に対しては応分の負担をすべきではないのですか。 「底なしの貧困」「社会の崩壊」などという言葉はつい10年前までは聞かれなかったことです。小泉政権が露骨な弱肉強食政策を打ち出し始めてから、猛烈な勢いで進み始めた格差社会化。今日から始まる「後期高齢者医療制度」の中でいっそうそれは明白な姿をとりはじめるのでしょうか。 ************************** ふと過去の日記なるものを見てみることがありました。まる4年何かしら書き続けてすでに5年目に入っているんですね。よく書いてきました。 書いていることといえば政治問題が圧倒的に多くて6割くらいでしょうか。しかし、これは私としては外すことができない内容。 以前にも書いたかもしれませんが、自分自身の生きてきた歳月と戦後の歴史がそのまま重なっていることが一番。つまり戦争をしないと決めた歴史を、自らの中にどれだけとりこめるかという問題意識から、現在の様々な問題を見据えていかなければという思いが日増しに強まっているからでもあります。できるだけ切って捨てるような書き方にはしたくないとは思っているのですが、相手があまりに拙劣であると掃き捨てたくもなりますけど・・・。できるだけ、直接的な言い方にならないように、もっと生活の襞に目を凝らしていくことが大切ですね。以上、新年度の決意でした。 ************************** 先日来、cssやJavaScriptのお勉強をしようと思いつつなかなかすすんでいません。でもいろいろサイトを検索している中で、なかなか使えそうな新しい技術をみつけさっそく応用してみました。主として写真を公開する際の手動式スライドショーの技術です。背景が暗転しその中に見たい写真がクリックごとに浮かび上がってくるというやつ。見せたい写真の説明をいっしょに載せることは今のところ出来ませんが、ま、かっこいい技術なので使えるところは多いかも。ただし、JavaScriptが有効になっていないと見られません。 たとえば次の4つの画像に応用してみますので、画像をクリックしてみてくださいね。うまくいくかどうか。 私のサイトでは過去のトップページの画像集(第4集)に使ってみました。この技術に興味をお持ちの方はLightboxのサイトへ。 なお、iFrame(インラインフレーム)に対応したLiteboxバージョンも公開されています。こちらでは画像の下にコメントを入れたり、自動スライドショーも可能であるようです。 |
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