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  6月30日(月)
先日ハワイで結婚式を挙げた姪からその第一報がとどきました。快晴のエンジェルズベイ(砂浜)での挙式で、純白のウエディングドレスがまぶしい。ハレクラニホテルでのレセプションでは私の娘の着付けで振り袖姿を披露できたようだし、最高の式になったとよろこんでいました。本当によかった。




昨日は一日雨。今日は朝のうち雨が残っていましたが昼頃からものすごく暑い日になってきました。
今朝は8時から前に植えた道路わき法面のシートはがしと芝の手入れ。明日の予定が急遽今日になって朝6時半頃に電話がありました。寝込みを襲われて仕方なく出て行きました。
もっとも今日の作業は芝を覆っていたマルチ・シートをはがして草を取るだけでしたから割と早く終わり、あとは畑の手入れ。3日から沖縄に出かけるのでいろいろとやることがあります。
そうそう、法面の草取りをしていましたら、ネズミのような小動物がチョロチョロと前を横切って土に潜ろうとしている。あまりに小さいので何かと思って捕まえてみたら何と「モグラ」。まだ子どもなのでしょう。マルチをはがしたので、つい地面に出てしまってあわてて土に潜ろうとしているところだったのです。
モグラのトンネルはしょっちゅう見るし、悪さをして困るという話はよく聞きますが、実物を見るのは小学校以来。体つきはネズミそっくりですが、鼻が異様に長く、歯はなかなか鋭い。それにトレードマークの土掻き専用の前足がユニーク。孫に見せたら喜ぶだろうなと思いながら、家で飼って置くわけにもいかず、さてどうしたものか。明日写真にとって山の中にでも離してくるかなと思っています。ウエブで調べると、モグラは大食漢で「胃の中に12時間以上食物が無いと死ぬ」のだそうですから、早く野に帰すのが一番ですね。捕まえて一番の感想は何と暖かい動物だろうということ。土を掘るという重労働のために大量の熱が発生するのだともいいます。




>話は前後しますが、一昨日池田の大峰高原にある大カエデ周辺の整備作業があり、ボランティアで参加しました。草刈りと大カエデからの実生の苗の植樹が主な仕事です。
すぐ近くに少し小振りですが大カエデの木がみつかったというので、その周辺の整備作業もありました。何度も通っている場所なので勝手はわかっているものの、草刈りとなると話が違います。結構大変な作業で午前中一杯かかって何とかまわりは観光客が来てもいいようにきれいになりました。
この大木は最近とみに脚光をあび、いろんな機会にテレビでも取り上げられるようになってきているのです。「この木何の木」にはおよびませんが、ゆったりと枝を広げている大木を見るのはなかなか気持ちがいいものですね。


それはそうと、今日も東京のウオーキング客が100人ほどぞろぞろと我が家の前を歩いていきました。先頭と末尾には「e-旅専科」という旗を掲げたバスの添乗員と思しき人が。ガイドマスターはついていなかったので、自分たちで好きに歩いているのでしょう。私が庭先で見送っているのに、暑かったせいもあるのでしょうが、参加者はほとんどあいさつもしない。黙々と歩いているという感じでした。聞くと東京から来たという。先日も同じ団体のウオーキングが組まれていましたから、このウオーキング・ロードは結構首都圏や中部圏からも認知度を高めているらしい。
今日のウオーキングは、「歩きたくなる道」から何コースかを選んで企画したコースの一つで、「バスdeウオーク」というイベントとして組まれているものだとあとから知りました。池田の観光協会との連携をもっと密にして町の人たちにもこうしたイベントが紹介されたり、参加者に池田のよさをもっと知ってもらったりできるように今後働きかけていくべきでしょうね。




6月も今日で終わり。庭先では青ガエルが至るところで寝そべっています。中には写真のようにアクロバットをやっているものも。

沖縄から帰るまで更新をお休みします。


  6月26日(木)
最近いろんな蝶が庭を飛び交っています。じっくり観察すればもっとたくさんの蝶がみられるのでしょうが、これまでさして興味がなかったので何でもかんでも一括りに「蝶」としか見てきませんでした。ところが、最近蝶にも実にいろんな種類があるのだと、だんだんわかってきたのです。あたりまえの話ですけど。友人のTさんや小学生のシャクガくんの影響かな・・・・。
というわけで、今日何気なく庭を見ていたら鮮やかな蝶が2匹とびかっていました。なかなか写真に納めるのがむずかしい。悪戦苦闘して接写したのがこれ。あとで調べたら「ヒオドシチョウ」というのだそうです。注ェを閉じたところは木の皮のようです。注ェを広げたときのまわりの青い縁取りがきれいですね。写真で見てあらためて感心しました。





昨日は久しぶりに一本映画をDVDで見ました。「パンズ・ラビリンス」。昨年、アカデミー撮影賞、アカデミー美術賞、アカデミーメイクアップ賞などに輝いた2006年メキシコ・スペイン・アメリカ合作映画です。映画はDVDくらいでしかみないので、どうしても当たり外れがありますが、これは出色の映画。
内戦下のスペインを舞台にフランコ軍とレジスタンスとのたたかいの狭間で不幸な運命をたどる母子の姿を描きます。リアリズムとファンタジーがみごとに融合して深い感銘を与えます。とりわけ、幸せになるべき少女の心の軌跡は、ファンタジーの手法によっていっそう悲しく美しく浮き彫りにされいます。
少女だけでなく、登場するレジスタンスの人々の姿からも、「人間の尊厳」とはいかなるものかが香り立つ。
レジスタンスに協力した医者が、殺害される直前に言い放った一言や、少女への3つの試練の結末は心に深い余韻を残す。まだ見ておられない方には必見の作品だと思われました。




  6月24日(火)
きのう妻が「どうにかなってしまったらしい。ボケのはじまりかしら」と言っていました。事情をきくと、車や自宅のカギをコンビニのトイレに置いたまま出てきて、車に乗ろうとして気がつきあわてて取りにもどったというのです。「このままどうにかなってしまうのではないか」というのが心配の種らしいのですが、私は「よくあること。心配ない」とほとんど取り合いませんでした。実際、たいしたことではありませんからね。
実は何をかくそう、私自身もしょちゅうそんなことがあるからです。つい2,3日前に雨の中車で帰宅したとき、さておりようと車のエンジンを切る前に「あれ、ワイパーをどうやって止める?」と一瞬焦ったり、その前は大町の交差点の青信号で「あ、赤信号だ」と次の信号をみてその青信号で止まったり・・・妻よりもよっぽど重症なのです。
妻は先日「明日への記憶」を見ていたからよけいにそう思ったのかもしれませんね。ま、ふたりとも年相応(私のほうがひどい)だということでしょう。早くボケたほうが勝ちですかね。

今日は久しぶりの晴れ間になり暑くなりました。昨日は玄関軒先のつばめのことを書きましたが、今日それを見ていた妻が「3つ」と私に教えてくれました。3つくちばしが見えたというのです。表にいつも顔を出しているのは二羽なので、あと一羽はまだ力もないのでしょうか。
親鳥が頻繁にエサを運んでいます。「感心だねえ」と妻。私はもっぱらどんなエサを運んでくるのかに関心があり、ときどき見ておりました。
たいていは小さい虫をくわえて来るのですが、ときおり大きなトンボをまるごと与えている。そんなものが雛に食べられるのかと思う先から、雛にしてはでっかい口でバリバリ食べているらしい。瞬く間にトンボは見えなくなってしまいます。雛の食欲にはものすごいものがあります。始終口をあけているんですからね。
今はまだか細い小さい声で鳴いていますが、まもなく親が来ると自分にエサをくれと言ってぎゃーぎゃーうるさく鳴き叫ぶのでしょう。


まとまった雨が降ったせいか野菜は元気。とくにカブは急に大きくなっているみたいだし、ゴーヤもキュウリもトマトも生き生きしています。今年は南側には昨年同様ゴーヤのカーテン、西側には西日対策でフーセンカズラを大量にうえカーテン代わりにしました。今はまだ庭も隙間だらけですが、そのうち野菜やカーテンの植物たちが茂って向こうも見えなくなるのでしょう。
ごちゃごちゃになっている庭ではいろんな花や実が見られます。いよいよ夏です











  6月23日(月)
2,3日前から断続的に激しい雨模様。朝のうち少し晴れ間があったかと思ったら、昼前からまた梅雨空です。
雨が降ってくれないと作物が育たないのでうれしい雨なのですが、降りすぎるのも問題、ほどほどにやんでほしいものですね。
さて、我が家に巣作りをしていたツバメの雛がかえって時々小さいくちばしが見えるようになりました。写真を撮ろうと梯子をかけて登っていったら、どこにいたのか親鳥がぎゃーぎゃー鳴きながら周りを飛んで抗議されてしまい、すごすごと降りてしまった。そのうちかわいい雛たちが目に入るようになるでしょう。

今日は、妹夫婦の娘(私の姪・・・以前バヌアツだよりのホームページを作ったことがある)のハワイでの結婚式の日です。両親はもちろん、その息子、私の娘夫婦、義妹とその娘たちが結婚式場のハワイに出かけて式に参列しています。姪はアメリカ人と結婚、しばらく前からアメリカに行って語学研修や車の免許の取得・・・その他いろいろ準備をしてきた様子。籍はもう入れてしまってあるので、今回はお披露目の結婚式と披露宴。親戚のみんなが参加しやすいようにハワイで式を挙げることにしたものです。本当は私たち夫婦も参列すべきだったのですが、沖縄行きを昨年から決めて予定していたのでやむなく欠席。いずれアメリカに行ってお祝いをすることにしましょう。
二人はかなり以前から愛をあたためてきたわけでようやくゴールインし、新しい生活を落ち着いて始められることになったわけです。幸せな家庭を築いてくれるように心から願っています。



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昨日は池田町の町長選挙でした。4選をめざす現職に対して新人がいどんだ選挙。前回はわずかの差で現職が当選したものの、今回は200票差で新人が新町長に当選です。
新町長の勝山氏、私自身は全く面識もなく政治的基盤もわかりませんから、どんな町政をめざすのか未知数の部分が多いので、さしあたってはお手並み拝見というところ。ただし、すでに本人が言明していることについては今後十分注意すべきだろうと思います。
まず、今回の町長選挙にあたって、街頭で訴えていたのは「池田町は財政危機で一人あたり120万円程度の負債をかかえて、大変なことになっている。前町長はそれに対して何もしてこなかった。町政を圧迫している施設の民営化をはじめとして、財政再建にとりくむ」という町の財政問題についての態度。ここでは町の財政問題をどう見るかという問題と、これに対応して民営化という手法が果たしてその再建策になりうるのかという二つの問題があります。
また、前回の町長選挙から訴えていたことでもあり、また町長に当選してからのインタビューでも言明しているとおり、「町の発展には近隣の町村との合併はさけられない」という持論が問題です。「先に合併あり」といってもいいほどのこの立場がどこから来るのか、何故に合併で町の発展が得られるのか、合併問題にどう対応するのかというのが重大な争点として浮上しています。
まず、財政問題については、勝山氏の誇大宣伝または明白なウソがある。それは池田町がいまにも財政再建団体になってしまうかのように過度な財政危機をあおりたてていることと、前町政がそれに対して何もしてこなかったという言い方に見られます。
前者については、今回の選挙でもしきりに「一人あたりにすると大阪の2倍ほどの借金がある」と述べていましたが、超大型都市の大阪の一人あたりと比べていったいどうするつもりのか。むしろこの財政危機の正体は放漫財政とか、町長の個人的な資質とかとは全くかかわりのないところで生まれたものです。国の自治体いじめの三位一体改革が主要な原因だということに目をつむり、個人攻撃の材料にするとすればこれは為にする議論と言うほかないでしょう。
確かにバブル期に池田町ではクラフトパーク、創造館、美術館、ハーブセンターなどの施設を建設、その償還が現在の負債の大きな部分を占めています。加えて美術館やハーブセンターの運営と売り上げ減少が財政問題に負担を強いていることも周知の事実。早期に十分な対応を進めてこなかった問題は指摘されても仕方のないところです。その限りでは、財政再建問題が待ったなしの町政の課題であることは誰の目にも明らか。それ故に前町長は今後の負債償還の見通しについてかなり詳細な見取り図を議会でも示していたのでした。
問題は、これに対してどう臨むのかということです。果たして民営化という手法が池田町のこれらの施設になじむ方法なのか。勝山氏の「民営」という際の民間は一体何をさしているのかを聞かなければならないでしょう。何でもかんでも民営化すれば収益が改善するという「民営化神話」が一部に残っています。しかし、文化・芸術、教育などの公的な投資部門に民営化を持ち込むことがどんな結果をもたらすかは全国のさまざまな例が示しています。民営化とは最新の経営知識で活性化するというものではなく、経営をスリム化しそこに働く人たちに低賃金をおしつけ、労働を過酷なものにするということと裏腹であれば、およそ町の文化や観光や教育を代表する施設とはなり得ない。収益優先の金儲け施設に過ぎないということになるでしょう。人が来ない施設を莫大な金をかけてつくり、それで財政を破綻に導いたというものであれば、そんなものは取り壊す他ありません。そうではなく、池田町を代表する施設であるならば、町民のすみずみから意見を聴取して、町民納得の改善策をまとめるべきです。
観光について、例の「人は来ても金をおとさないイベントなど無意味だ」というたぐいの低レベルの「観光=金儲け」主義で、池田町の再生が図れるとはとても思えません。そう言うのなら、人が来て金を落とすイベントを自らやってみせるべきでしょう。もっとも誰もそんなものを手伝おうとは思わないでしょうけれど。果たして勝山氏は観光ということについてどのような意見をお持ちなのか。これもじっくり聞いてみたいものです。

さて、つづく争点は「合併」問題。ずっと言い続けてきたことのようですからかなりご執心の様子。合併して企業の流通をしやすくするというのは「企業の論理」。大都市周辺部では通用する言い方だとしても池田町が他の近隣市町村と合併するメリットはどこにあるのか。何よりも小泉内閣以来の「平成の大合併」のめざすものが、いかに地方自治体の財政を縮小し国からの補助金や交付金を減らすかという一点にあったことを考えれば、合併して得られるものは何もない。むしろ、合併による施設・設備の再統合や教育・医療の質の低下という問題の方が大きいのではないのか。もし、合併をいうなら、そのメリットは何なのかを明確にし、税府の進める合併とは切り離して町政の問題として議論すべきでしょう。この問題でも小川村のように町民合意の方向が何よりも重要です。果たして議会でどのような所信を表明されるのか、じっくり聞かせていただくことにしましょう。
住民の意思はアメリのカ民主党大統領候補よろしく「何らかの変革を求める」というものだったのでしょう。勝山氏に何を託したいと願っのかはまだ定かではありません。ともあれ、「自治体はそこに住む住民のいのちと生活を守る最後の砦である」という自治体の役割を守れるのかどうか、いよいよ池田町の町政も一つの転機を迎えているようでです。町政ウオッチングの仕事も面白くなってきました。


  6月19日(木)
岩手・宮城をおそった強烈な地震。被災者の方にはお見舞い申し上げます。一日も早い復興を願わずにはおられません。
今日何気なくテレビを見ていたら、被災地を訪問した福田首相の映像が映し出されました。そのときの首相と被災者との会話を聞いて唖然。
(被災者)「上流にダムが出来たので、早く対策をとってほしい」
(首相)「ダムって工事?」
(付き人)「先ほど説明したあれです」
(首相)「ああ、あれね」
だいたいこんなやりとりだったでしょうか。何のために被災地を訪れたのか、常識外れもいいところ。これでは被災者の感情を逆撫でするのも当然です。
その首相が消費税の引き上げを不可避とする決意をまず海外メディアに披露し、自民党内からさえ批判(「これではますます選挙がたたかえないではないか」という低レベルですが・・)を受けるしまつ。
世界有数の高齢化社会である日本が「(消費税)5%でやっている。だからこれだけ財政赤字を背負っている。その辺のところを決断しないといけない。大事な時期だ」というのがその発言の大要。大企業に大もうけをさせる大型公共投資に国家財政をつぎ込むために赤字国債を乱発してきた歴代の政権の責任をを、あろうことか高齢化社会と社会保障にすりかえるこの論理もまた唖然とするほかありません。
ここまで来れば野党としては「内閣打倒・国会解散・総選挙」というスローガンが現実味をおびても全く不思議でないのに、福田首相をしていまだにこんな物言いを許している野党とりわけ民主党の責任は重いと言わなければならないでしょう。
「後期高齢者医療制度」の廃止を要求する法案を出し参院通過をはかりながら福田首相の問責決議を参院で可決、それを口実に衆議院で自らが出した法案の審議を拒否するというとんでもないやり方をこの党は何の痛痒もなくやってのける。福田も福田なら民主も民主。これでは内閣打倒どころか延命に積極的に手を貸していると言われても仕方がないでしょう。
問題はこうした政治を生み出している根源。国民の政治的成熟の問題が大きい。
大阪で例の橋本知事の新たな言動がまたまた波紋を広げています。府の中堅職員を自衛隊で研修させるという、これまたとんでもない発言です。テレビで見るが切り、府職員との確執や溝の深まりとい「知事対職員」の問題のように描いていましたが、問題の本質はそんなところにはないでしょう。調子に乗ってやりたい放題の橋本知事。東と西の都で独断・専制の自治体の長を抱いているこの国の不思議。
「自治体職員はぬるま湯につかっている。民間企業ではどれほど骨身を削って仕事をしているのか」という官の親方日の丸体質攻撃にあいからわらずうつつをぬかす橋本知事とマスメディア。「橋本対府職員」のけんかと描くメディアは、自衛隊へ職員を研修に出すということの本質をまともに批判する力も能力も欠いてしまっているということでしょう。私は、橋本のこの一言で知事罷免に値すると思います。公務員の日本国憲法遵守義務違反。おまけに弁護士としても失格。もっとも、東も西も日本国憲法は「あんなものは守るほどのものではない」という程度の意識でしょうけど。
だとすれば、そうした連中を知事に押し上げている都民、府民の責任も実は問われている。彼らを選んだ人たちは「こんなはずじゃなかった」「ちょっとはしゃいでいるだけで、言っていることはそう違っているわけではない」と言い訳されるのでしょうか・・・・。
民主主義のありよう、国民主権の具体的姿を次々と失って、目の前の凶悪犯罪や自然災害に押し流されていくように見えるこの国の未来。それをいったい誰が憤り、誰が正し、誰が作り替えていくのでしょうか。


  6月11日(水)
朝起きて畑の手入れをしたり道ばたの草取りをして汗を流しているうちに昼過ぎ。ちょっと昼寝をして夕方から仕事に出かけ、帰るともう眠くなるというお決まりの単調な生活が続いています。
まとまってパソコンに向かっているという時間がほとんどなくなって、この生活が一体いつまで続くのか。畑が昨年の3倍くらいに増えたことと夜の仕事が週6になったことがものを考えたり本を読んだりする時間の減少に輪をかけています。こっちの畑の草取りが終わったと思ったら、もうあっちの畑は草だらけ。庭の手入れもしなければならないし、毎日毎日本当に大変。農作業は格闘技だと気づくこのごろです。
そうこうするうちに世の中ではさまざまな問題が。
何と言っても秋葉原での無差別殺傷事件のショックが大きい。秋葉原といえば、私もかつて何度もパソコンのバーツを買いに足を運んだところ。以前のパソコン・電気街というイメージから、次第にアニメ、ゲームなどを中心としたサブカルチャーの聖地になっていった秋葉原ですが、私の目から見ると、心優しい青年たちがそれぞれの好きな趣味をふくらませるために集まるところです。
そんな場所をことさらに選んで無差別な殺人を実行するなどというのは常識的には考えられなしどう理屈をつけても許せない。犠牲になった人の無念、家族の悲しみを思うと、どんな言葉も無力にしか思えません。
すでに加害者の行動や背景などについての断片は多数マスコミなどで報道されています。どれも加害者の一面をとらえているのでしょうが、簡単に個人的な挫折感やいらだちが人を殺すところまで短絡する精神的な病理をもっと解明すべきだと思います。
子どもたちが差別・選別教育の中で健全な成長を阻害され、いじめやひきこもりの増加につながったり暴力・薬物といった犯罪に結びついたりしたことはこれまでも無数にあったことです。しかし、今回の事件はそれらとは質的に異なる側面を持っている。それは格差社会の「負け組」意識の行き着く果てという面と、ネット社会の危うさという面。他人はもはや自分につながる暖かい血の通った人間ではなく殺人ゲームの中のキャラという対象物に過ぎない。
たいていは、友人関係や職場での人間関係の中で、「人間らしさ」を獲得していくものです。そうさせてくれない現代社会の底知れない恐ろしさと人間関係をむしばむ社会構造。この事件の再発を防ぐためには、単に凶器になるナイフを規制するとか防犯カメラを増設するとかということではなくて、そうした社会構造そのものを変えていくことしかないのではありませんか。
お隣の韓国では米国産牛肉の輸入問題をめぐって政府批判が高まり未曾有の抗議行動が。中でも小中校生が多数街頭に出て政府の政策批判を展開しており、今後の抗議行動の鍵を彼らが握っていると昨夜の報道。日本とはえらい違いです。

そして今日はまた、福田首相への問責決議の参議院通過。何と軽い決議でしょうか。提出した民主党は、結局これによって自縄自縛。むしろ福田政権の延命を助けているとしか思えない。
私自身は福田政権は早く倒して、国民の要求に応えられる政権をめざすべきだとは思うけれど、そうするには国民の中で韓国並みの抗議行動を起こしていくくらいの覚悟がいるでしょう。自・公・民いっしょになって現行憲法改正に動く議員連盟を立ち上げたり、消費税を導入しようと画策する民主党が問責決議を出したところで、自民党はへとも思わないはず。むしろ民主党の弱みを突いて彼らの立て直しのチャンスとするのがオチ。大政翼賛的な国会を生み出している社会構造 もまた現代史のなかで解明すべき一つなのではないでしょうか。


  6月5日(木)
今日は初の「味噌造り」に挑戦しました!!
人手が足りないから手伝ってほしいということだったのですが、結局書く各家々の味噌をみんなで協力してつくるということになりました。そこで、3日ほど前から豆を水に浸して仕込みを開始、それをもって今日大町市八坂の加工場にでかけたというわけです。
いざ加工場に出かけてみるとそこは山の中のまた山の中。こんなところにという場所にぽつんと建った小さい一軒家。一通りの設備が整って、味噌造りの最盛期には連日にぎわうそうです。
味噌造りといえば、私がまだ子どもの頃、祖母たちが家で豆を手で挽いて麹と塩を入れて樽に仕込んでいたのを覚えています。手作りの味噌はそれ以来です。
指導に当たってくれたのは知り合いの青年。手際よく道具を準備し、手順やポイントを説明してくれたので、豆を蒸すところから始まって樽に仕込むまで割とスムーズに運ぶことができました。
我が家の分は豆5キロ、麹、塩それぞれ2キロ、それに水が加わって、計10キロほどの味噌ができあがりました。蒸し上がった豆に麹と塩をまぜ、こね合わせ固め、団子にして樽に投げ込む・・・などの作業には結構力がいります。考えてみれば、田舎では昔も今もこうして自分たちで大豆を育て、麹をつくり、お好みの塩で味噌をつくってきたのですね。あらためて食の基本の部分を考えさせられたひとときでした。






  6月1日(日)
ここ3日ほどは毎日道路脇の斜面に芝を植える集落の作業があり、午前中全部を使ってかなりの重労働でした。除草剤をまいた上で草を焼き、きれいに整地してからマルチをして、その上から穴をあけて芝の苗を植え込んでいくという仕事です。昨日は20名、今日は10名ほどが出ていっせいに作業をしたので、何とか予定通りに終えることができました。あとは芝が根付いて雑草が生えないように管理するだけです。
午後からは少し時間があるとはいえ、夕方からは塾の仕事があるし、その合間をぬって作物の植え付けもやらなければならないので、結構余裕のない状態がつづきました。というわけで、なかなかパソコンの前にも座れなくてこの日記もいきおい間遠になってしまったと、言い訳を少し。


さて、先月の終わりに富山・金沢に行った話です。第一の目的は叔母のお見舞いです。母の妹でとても母に似ているものだから、小さい頃から親しみを感じて何度も遊びに行ったりしていたその叔母が1ヶ月ほど前に軽い脳梗塞で入院したという話を聞いたために、急遽入院先の白山市に車を走らせたという次第でした。
病院で顔を見た限りでは色つやもよく普通に話も出来るようになっていたので一安心。このあとはリハビリ専門の病院に移って快復に努めるということのようでしたので、一日も早い全快を願うばかりです。
母の兄弟姉妹の中では唯一「まとも」に会話をしたり相談したりできる叔母なので、母が亡くなった今となっては、何としても元気で長生きしてほしい。「また近いうちに来るよ」と約束して病院をあとにしました。

二つ目の目的は、かつての同僚Hさんを訪問することでした。Hさんには高校の教師時代に大変お世話になりながら、不本意な別れ方をして心配もかけたことがずっと気がかりだったのですが、ようやく20年ぶりに再会が実現しました。
お互いに年を重ねていても、会ってしまえば年月はどこかに行ってしまいます。奥さん共々歓待をしてくれて、積もる話に時間を忘れほんのちょっとの予定が3時間ほどもおじゃましてしまうことになりました。そして、かつての友人の多くと疎遠にしていた罪滅ぼしをこれから少しずつでもしていかなければならないと実感させられたひとときでもありました。近くそうした方々に直接会ってお詫びをしたいと思っています。そうする上でも、現在の私の生き方そのものが問われているし、一日一日の過ごし方が大事なのだと思わされてもいます。

第三の目的は、いとこのFさんに目の診察をしてもらい、パソコン仕様の眼鏡を処方してもらうことでした。併せてその眼科のホームページの更新についての援助をしてくることも。
このFさんご夫妻にはかねてからずいぶんお世話になっていて、今回も身に余る歓待をしてもらいました。金沢に着くやホテルに直行して豪華な食事、そのままそのホテルに予約を入れてくれていてゆっくり休むことができ、ただただ感謝。かくなる上は、次回のホームページ講習の際には、その分しっかりコーチをしますからね。

塾での授業の帰りには、昼の暑さから一転、ずいぶん肌寒い気温になっていました。あしたからまた天気は下り坂のようです。夜半からは雨の予報、とすれば、明日はまた農作業に追われます。明日の課題はサツマイモを植える畝をつくって植えてしまうこと。それで大きな作業は一段落です。



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