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  7月28日(月)
今日届いたIT関係のメルマガに、日経コンピュータとITproとが共同で実施した「心の病に関する調査」の結果、回答者1421人のうち3割が「心の病と診断されたことがある」、5割弱が「診断されたことはないが、不安を感じたことがある」と答えたという記事が載っていました。
この記事の筆者は次のようにコメントしています。
Webで不特定多数に向けて実施した調査なので、このテーマに関心を持っていたり、身近に感じたりしている人が回答する。数字は実態よりも上ブレする可能性はある。それでも、3割、5割という数に『ここまで多いのか』と驚きを隠せなかった。さらに『勤務先で心の病にかかっている人はいますか』の問いに対しては68.9%が「いる」と答えた(総回答数は1375人)。残りがすべ「いない」ではない。20%以上が「わからない」と答えており、「いない」と明確に回答したのは7.1%にすぎなかった。
最近では派遣労働やパートなどの不安定雇用労働に注目が集まっていますが、それはそれとしてもちろん重要な問題ですが、IT関係や教育現場で働く人たちの心の健康の問題は猛烈に重要な課題になっていると思うのです。
ストレスの原因は多様で、一つの問題を解決すればすむような問題ではないのでしょうが、私の甥たちの労働の姿をかいま見ている限り、まず果てしのない長時間労働。家庭や自分の生活を犠牲にしての過酷な勤務実態があります。IT関連では絶え間のない技術「革新」と差別化・高性能化にさらされ、同時に能力主義の労務管理がいっそう進められながら、その防波堤が何もない。「労働組合」などはほとんど死語と化していますから相談のしようもない。結局仕事の出来不出来はすべて個人の能力の問題に置き換えられ、ストレスは内へ内へと蓄積されていく。
事実、先の調査では1421人の回答者のうち、自由記入欄に意見のあった人が実に53.9%にのぼるという。内なる声をはき出したいということなのでしょう。有料記事なのでこの回答を転載することはできないけれど、いくつかの意見をよんでも戦慄を覚えます。とにかく一日も早くこうした深刻な事態を解決できるようにしなければと強く思います。



  7月27日(日)
もう日記をやめたのかと言われそうなほどの長い長いブランクになってしまいました。1ヶ月にわずか2日の日記なんてかつてなかったことですね。沖縄から帰ってすぐ法事の準備があり、それが終わると今度は塾の夏の講座がはじまり、それと並行してほとんど毎日畑仕事に追われ・・・そうこうしているうちにとうとう7月も終わりになってしまったという次第。心を入れ替えてまた少しずつ近況を書いていくことにします。

7月中旬からずっと日中は30度を超える暑さが続いて、今日まとまった雨が降ってようやく一息。夜になってかなり気温が下がりました。夕方になると西の空がすっきりと晴れて北アルプスのシルエットがくっきりと浮かんでいました。


この暑さでよろこんでいるのは畑のゴーヤとオクラくらいで、ランナーを育てているイチゴなどは息も絶え絶え。
この暑さのせいかどうかわかりませんが、今年は「テントウムシダマシ」の異常発生でジャガイモの葉がほとんど食いちぎられ、ナス、トマトも被害に遭ってとうとう殺虫剤を使用する羽目になってしまいました。
水遣りは欠かさずやっているので、トマト、キュウリは大量に収穫できて毎日キュウリ責め。夏野菜が必要な方はぜひご連絡を。

昨年までの生活と変わったことは畑が極端に広くなったこと。隣の140坪ほどの土地を借りてその全面を畑にしたので作業が半端ではありません。そのために、朝から午前中一杯をかけて草取りやら水遣りやら収穫やら、この炎天下でやっていると午後はぐったりしてなんにも手がつかない。夕方からは連日仕事があるので落ち着いてパソコンに向かうという時間がほとんどとれなくなってしまいました。おかげで、いろんな作物を作ることができて食べるものには事欠かないのですが、頭の方はまるっきりお留守になるという状態がずっと続いています。8月に入ればお盆過ぎまで数回の仕事があるだけなので、この時期が私の夏休みということになりそう。ただし8月16日からはまた連日夕方仕事になりますから、つかの間の休日です。

母が亡くなってからもう一年。20日には家族・親戚が集まって富山の菩提寺で法要を行いました。こうしたことでもなければみんながそろって顔をそろえることもないというほどにあちこちに散らばって生活をしているわけで、故人が家族・親戚を引き合わせているようにさえ思えてきます。
この日のために小さな母のアルバムを用意したのですが、それをあらためて見ていると、いろんなことが思い出されてきます。同じ写真を見ていてもそれぞれ思い出すことはまるで違うはず。私の場合、白黒の写真を見ていると、小さい頃のことが強烈な記憶となっていくつもよみがえってきます。目の前のアルバムから頭の中の写真が引き出されてくるという感じです。当然のこととして、だいたいほとんどが静止画で同じシーンなのです。なぜそうなのか、なぜその前後の写真が出てこないのか、これは不思議です。
沖縄で戦争中の母の体験を聞くと話し出して止まらないというのも多分、無数のそうした写真や音、におい等が引き出されてくるからなのでしょう。

子どもの頃のこうした静止画・写真を多く持っている人は、それだけ人間同士の関わりもまた深いということになるのでしょうか。
私がまだ小学校の低学年の頃、父母が共働きであったため、私と弟は学校のあと知り合いの家に預けられていました。学校から帰ると母はかならずおやつを用意してくれていた。小皿にスルメが2,3本、豆が5,6粒。それだけ。棚の中にそれが置かれているシーンがなぜか記憶に刻まれています。寂しかったからなのか、嬉しかったからなのかそれはわかりませんが。
こうして時系列をたどっていけば沢山の写真がでてくるでしょうが、特別に印象深いのは、石川県にあった母と祖母の実家へつれられていったときのいろんな体験です。子どもの頃のこうした異次元ともいえる見聞は強烈です。駅から降りて「お里」へ続く長い長いたんぼ道の風景。馬小屋と藁のにおい。朝の静寂とそれを破って聞こえる不思議な鳥や動物の鳴き声。明日這い出る蝉の穴。真っ暗な土蔵の中の古い蓄音機。父や母が残してくれたものは、子どもの頃のこうした沢山の思い出でもありました。
若い人には、子どもたちにできるだけこうした印象深い場面を刻み込む機会を用意してやってほしいと伝えたい。強いられた悲しい経験であっては困りますが、自分の目で見た新鮮な驚きや感動、生活の悲しみや喜びは必ずどこかで生きてくるだろうから。


  7月13日(日)
沖縄から帰ったのが11日の午後。この時期に10日ほども家を空けているとまあ大変です。
第1。草がこんなになるかというほど伸びていました。第2。沖縄のあちこちからから送った荷物が届くので、梱包を解いて整理する時間が馬鹿にならない。
第3。沖縄で携帯が壊れて、こちらに帰って一番にしたことはショップに行って修理を依頼すること。
第4。膨大な写真を整理・加工するのに結構時間が取られる。

夏の沖縄の第一印象は、「何と明るいのだろう」ということでした。空の青さが違う。雲の白さが違う。海の色、建物の白さ。このまえ11月に行ったときとはまるで違うまわりのたたずまいでした。

写真は母の願いで訪れた本島南端の喜屋武岬。
沖縄戦が南部に及び始めてから、住民たちはこの海岸線にそって摩文仁の方に逃げていったという話をしてくれました。しかしその先は米軍による地形を変えるほどの艦砲射撃のど真ん中。

妻の母は足がまだ全快していないために多少歩くのに支障があることをのぞけば元気だったので安心しました。記憶力抜群で、とくに沖縄戦のころの話になると話が止まらなくなります。ただ、かなり方言がまじるので私にはほとんど聞き取れない。来年はきっと長野に来てほしいと約束して体力作りに励むようにたのんできました。
昼夜関係なく30度を上回っているような環境ですから、夜でも汗がにじんできます。今日長野はさっぱりとした青空で室温は24度ですからそれと比べると天国。
沖縄でのこの暑さは「例年とは違う、異常だ」と出会った誰もが言っていました。時々は通り雨のようなものはあるもののずっと33度くらいのかんかん照り。気温はそうでも太陽の照り方はこちらとは全く違うのですから、まだこの暑さが続くとすれば水不足や作物の生育に問題が生じる恐れが多分にあるので心配です。

沖縄訪問の目的はもちろん母に会うためですが、せっかくの旅行ですから今回は八重山・宮古に行ってきました。それぞれ現地でレンタカーでの一泊ずつの駆け足旅行だったので、下見程度にしかならなかったのが残念。事前にもう少しデータを集めて周到な準備をしておくのでした。とはいえ、そうなれば必然的に時間も必要になるので、今回はやむを得なかった面の方が大きい。次回は現地の友達などから情報を仕入れてじっくり回ってみることにしましょう。
宮古でも石垣島でも道を走っていて出会う車のほとんどがレンタカー。島の半分はレンタカーではないかと思うほどの多さです。学生と思われるような若者であふれています。大体がマリンスポーツ目的でしょうから、彼らの行き先はビーチ。こんなところにもと思うような辺鄙なところにもレンタカーが駐車してありました。
今回の旅行でも妻の兄が、娘の車を貸してくれたり空港まで迎え、送りに来てくれたり、畑からバナナを取ってきてくれたり・・いろいろと世話をしてくれました。その兄の一言。「八重山へはヤマトからたくさん移住してきているが、好き勝手にいろんな形の家をつくっている。つくっちゃいけないという法律はないがね」
沖縄には沖縄の気候・風土・景観にあった建築物があります。沖縄の家並みは概して白いコンクリートの平屋根。ギリシャで見たあの風景を彷彿とさせます。もちろん沖縄の赤瓦の家もところどころに残っていて、いかにも沖縄の風情。そうした景観を一切無視して我が家を作るという本土の人間の感覚を慨嘆しての一言なのでしょう。心に残りました。

私の沖縄でのお目当てはもう一つ。果物です。パッション・フルーツとマンゴー。マンゴーは聞きしにまさる値段の高さにびっくり。観光客用の立派なものは一個5000円くらいもするので全く手がでません。これはもう直売所か農園で掘り出し物を見つけるに限ります。
マンゴーについて今回あった収穫は、摘果しないで小さいまま育てたミニマンゴー。小さいと言えば直径3センチにも満たないほどだけれど、それでもマンゴー。5,6個入って300円〜400円ほどなので、普段食べるマンゴーはこれに限りますね。マンゴーを買ってきてくれとおねだりしていた中学生へのおみやげは文句なしにこの「一個丸ごとマンゴー」で決まり。
続いてのパッション・フルーツは今やトロピカルテイストの沖縄の代表的な果物。3年前におみやげでいただいてからやみつきになり、今回も大量に買ったり、もらったりしてきました。毎日1〜2個味わっています。
沖縄には2,30年前には想像もできなかったような南国の果物や野菜が作られて店頭に並んでいます。家の庭でもバナナ、グワバ、ドラゴンフルーツ、シークワーサー、シャカトウ、みかんなどが所狭しと植えられて一年中何かとれている。米軍さえいなければ、広大な農地をこうした作物を計画的につくって一大産業にできるのにと思います。
今回は、ひめゆり資料館に出かけたことを除けばほとんど観光目的になってしまいましたから、次回は沖縄戦戦跡と米軍基地を中心にまわってみようと計画しています。

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今日13日は亡き母の一周忌。妻はまだ東京にいるので、今日は一人でお参り。朝花を飾り、線香をあげてしばらく母の遺影と対面していました。
思えばちょうど一年前、横浜の母の姉のところに101歳のお祝いに出かけていてその帰りに訃報を聞いたのでした。
10日には沖縄からの帰りに横浜のいとこのところによって一泊、102歳になった姉の顔を見てきました。「母のぶんまで長生きしてほしいね」といとこに伝えると、「肺も心臓も70歳台と医者が言っているので驚き。まだまだ長生きするわよ」という返事。110歳が当面の目標だそうです。
20日には一周忌の法事を富山で行います。せめて、普段見ることのない写真を何枚か集めて小さいアルバムを作ろうかと今準備中。





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