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  8月29日(金)
集中豪雨の災害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。普段はおとなしい川が突然暴れ川へと豹変するわけですから、夜通し本当に生きた心地もしなかったのではないかと思います。まだ気圧配置がほとんど変わっていないので今後どれだけの雨が降るのか心配です。
池田町は幸い二つの雨雲の通り道の狭間にあたっているためか、昨日隣の大町で30分ほど激しい雨があった程度でそれほどではありませんでした。今日も午前中から午後早い時間までは晴れ間がのぞいて暑い日になっています。それでも午後3時頃からはまた少し降り出してぐずついた天気にもどってしまいました。

またまた長く中断してしまいましたね。そもそもニュースを作るなどの必要な作業を除いてはパソコンに向かう時間がほとんどなくなってしまっているため、勢い日記の更新もままならずというわけ。今日などはEメールチェックするとドオ〜とEメールがなだれ込んで来る始末。しばらく前までは考えられないような生活です。
どうしてこんなことになったのかといえば、理由は簡単で農作業量が半端ではなくなってしまったこと。晴れていれば、起きるとすぐに畑に出て秋と来年のための畝作りや草取り。重機を持っているわけではないので、草を取るにも根っこから起こすために力と時間が必要だし、土にかなりの礫が混じっているので、一つ一つ取り除いているとそれだけであっという間に午前中が過ぎていきます。シャワーを浴びて昼食をとり、ちょっと休憩していると睡魔におそわれてうとうとしているうちに今度は仕事に出かける時間。仕事を終えて家に帰ると夜10時半。それから食事をして・・・。そんな繰り返しですから、まあ時期的に仕方がないですね。言い訳をしても仕方がありませんから、今は書けるときに書いていくという程度でのんびりいくことにしましょう。

それにしても、手作業で畑をするというのは本当に大変なことだと実感しています。わずか120〜130坪ほどの土地なのに、能率が悪いこともあって、やってもやっても作業がわいてくるという感じ。
今日は、午後からイチゴの苗を植えるための畝を4本整備してようやくマルチをかけました。あとは草だらけの未耕作の部分の草をとって畝を一つだけ作りました。そうしているうちに雨が降ってきたので作業終了。
このあとは引き続き未耕作の部分の耕作と畝作り、いちごの苗のうえつけ、ダイコンや白菜、ホウレンソウなどの秋から冬の野菜の種まきが待っています。9月から10月にかけてはサツマイモの取り入れ、玉葱、ニンニクの植え付けなどが日程に。いやはや、農作業とは永久運動ですね。
今後の課題は、いかに作業を合理化するかということと、いかに金をかけないようにするかです。今まではどうしても肥料(とくに有機肥料)を購入して畑に入れていましたが、これからはそんなわけにはいきません。何とか自分で肥料をつくって畑にもどすことを考えること。マルチなどを利用してできるだけ草取りの労力を減らし、さらに手持ちの耕耘機を活用すること、種をとって来年それから育てることなど。そうしてみると農作業日誌が必要になってきそうです。
いまとれているものは、カボチャ、オクラ、冬瓜、ゴーヤ、モロヘイヤ、ピーマン。トマトは6段目から10段目くらいまで色づく間、ちょっと一段落です。新鮮なモロヘイヤは実にうまい。オクラはとれすぎて困るほどで、毎日食べていたらちょっと飽きてきました。食べる程度に作ればいいものを、つい作りすぎてしまうし、実るときは一気に来るので調節が本当にむずかしい。せいぜい、畑をしていない知人に食べてもらうことにしましょう。

今日は午前中、大北地区年金者組合の総会に妻とともに出席しました。会場は松川村の老人福祉センター。「老人」という字を見て何となくガックリ。総会の発言でも「老後」などという言い方はやめようという意見も出ていたくらいですから他の人もきっとそう思ったことでしょう。
総会では県年金者組合の山口副執行委員長が講師として招かれ講演を行いました。20年ぶり(それ以上かな)くらいの再会で、懐かしくお話をききました。あまりにも時間が短かったためにもっと話を聞きたいと思ったことに触れられずに終了。
夜はたまたま生徒が文化祭で塾もお休みだったので、夕食は妻といっしょに豊科の食堂へ。1人分500円也。


  8月12日(火)
世の中はオリンピック一色。今年はどの種目も日本選手のレベルが上がって見応えがあり、ワクワク、ドキドキさせてくれます。確かに日本の選手やいろいろな国も選手の活躍を見るのは楽しみではありますが、テレビでの報道はなんだかヘンです。
日本の選手の活躍を報道することに専念するあまり外国選手の優れたプレーに無関心になったり、失敗を期待さえする傾向がみられませんか。私にはとても気になるのです。
たとえばバドミントン女子ダブルス準々決勝で小椋・潮田組とたたかった中国2選手(Jing DU、Yang Yu)のプレーのすごさ、その技量。体操男子の中国勢のパーフェクトな演技。確かに折りに触れてその高度な技量や精神力にそれなりに触れてはいたけれど、あくまで日本選手と対比してのそれ。結局のところ最後には「国家の威信をかけて選手を強化してきた中国」と一括りで言って終わり。
バレーボール女子でも相手のチームの優れたプレーにはもっと評価を与えていいはず。サッカーでも同じ。文句なしに素晴らしい演技、プレーには賞賛の拍手を送る、負けた選手のプレーにも敬意を表する、それがオリンピックというものではないのでしょうか。
開会式では、2人、3人で出場した国だってあり、名前すら満足に覚えていない国も多いということに今更ながら気づかせてくれました。どんな国がどのようにしてオリンピックに選手を送っているのかを紹介することだってオリンピックだからできることです。
個人で出場している選手に「ガンバレニッポン」では、選手に「国家」の重圧をかけ続けることにおいて、中国も日本も変わらないということになるでしょう。
水泳の水着の素材が話題になったのも今回の特徴ですが、このままオリンピックに商業主義をますます蔓延させ、アマチュアリズムを薄れさせ、さらに「国家」対「国家」のイベントとして肥大化させていいのでしょうか。おおいに疑問です。東京都知事が東京オリンピックにことのほかこだわりを見せるのは実はこの点に深く関わっているからじゃないんですかね。


  8月7日(木)
今日もまたジリジリと暑い一日でした。全国的に「ゲリラ豪雨」という耳慣れない現象が多発、一昨日はこちらでも短い時間でしたが集中豪雨に近い降雨がありました。熱帯のスコールに近い降り方だといいますから、日本もいよいよ熱帯に近くなってきたんでしょうかね。安曇野でさえ、35度近くの気温がめずらしくないのですから確実に気候が変わりつつあると実感されます。
現在はこうした「チマチマ」とした「異常気象」が形を変えて起こっているので、それが過ぎれば何ともなかったと忘れることも多いのですが、何か大きな現象の予兆のような気がして仕方がありません。雨ならまだしも、大地が割れ天が落ちてこないかと心配します。まさに杞憂であればいいのですが。

6月末に姪の結婚式のことについて書きましたが、その後彼の仕事(大使館)の関係で、懸案だった赴任先がようやく決まったと知らせてきました。アフリカのとある小国だそう。初任の頃はアフリカとか中南米とか、あるいは割と危険な地域とかになるそうで下積みの生活を強いられるのでしょうが、そうした中でも割と安全な国に決まったようで喜んでいました。元気で彼の活躍を支えてくれることを期待していましょう。

塾の夏期講習前半が一段落してここしばらくは比較的余裕のある生活になっています。とはいえ、畑は相変わらず草が茂り放題です。取っても取っても生えてくる雑草には本当にまいってしまう。すごい生命力です。
最近の収穫は、トマトとオクラが主力。キュウリはほとんど終わりに近くなり、カボチャがボチボチ。
トウモロコシも比較的よく生長してかなり立派な実をつけています。今日はたくさん収穫できましたよ。先日動物よけのネットを張ったので多分今年は最後まで大丈夫でしょう。いや大丈夫であってほしいですね。
というわけで、毎日トマトとキュウリとオクラとトウモロコシの生活です。これらはいくら食べても飽きがこないし、トマトはジュースにしても美味しいので夏野菜を堪能しています。
今日からイチゴの苗のランナーを切り離して独立。親を片付けてプランターの土を入れ替え、苗を新しく植え替える作業に取りかかりました。いったいいくつ苗があるのか見当もつきません。多分、植え替えるには約1ヶ月くらいかかるんじゃないかなあ。気が遠くなるような大変な労働です。苗がうまく育って来年沢山のイチゴが収穫出来るとうれしいですね。
これまではコガネムシの幼虫に苗を食われるためにプランターで育てていましたが、畑が広くなったので今回は直植えにも挑戦してみる予定。裏の畑にマルチをして、200株ほど育ててみようかと思っています。うまくいけば出荷できるかもしれませんね。来年はイチゴつみ取り体験ができるようにしますから、ぜひその時期に採りに来てください!!
これからの野菜は「ゴーヤ」と野菜の王様・優秀緑黄色野菜と言われる「モロヘイヤ」、それに「冬瓜」。
南側に一列に植えた「ゴーヤ」はようやく日よけのカーテンらしくなってきました。モロヘイヤはまだほんの苗状態。富山から買ってきて植えた冬瓜はいったいいくつなっているのか見当がつきません。これはそんなにたくさん食べられるものではありませんが、保存がきくので重宝します。
その他、ジャガイモはまだ収穫の残りがあるし、そのうちサツマイモがとれ始めるので食べるのが間に合わない。全体に素人の畑ですからうらなりみたいなものも結構あります。そんなでよければいくらでも差し上げますよ。ご一報を。


  8月6日(水)
かつて神奈川・東京でつとめていた塾の生徒であった二人(現在は大学生)がはるばる訪ねてくれました。あちこちの観光地やら体験教室やらを訪問したりで、2日から5日までがあっという間に過ぎてしまいました。
知ってはいてもまだ行ったことのない場所も結構あって、いっしょにまわりながら私も妻もよい体験になりました。折しも野菜がどんどんとれるので、たくさん食事をつくるのと食べ過ぎるのとで身体が重たくなってしまいました。
数年前のことを思い出して、こうしてわざわざ訪問してくれるのは嬉しいものです。愉快な二人とのおつきあいで、久しぶりに楽しいひとときを過ごすことができました。


       穂高温泉郷はずれにある「八面大王モニュメント」のある温泉足湯にて。タダです。
       この写真のあとお客さんがどっと来て、結構人気のスポットであることがうかがわれました。



       大峰高原にて。後の掲示に注目。(パロディですよ、モチロン)


       穂高のガラス工芸館。
       マイグラス作りに挑戦中です。



       ワサビ田にて。冷たい湧水の流れに足を冷やしているところ。


       白馬飯盛ゲレンデでパラグライダーに挑戦するYさん。
       この日、広いゲレンデを独り占め。都会では考えられない豪華な体験です。
       彼女、「飛んだ、飛んだ」と大はしゃぎでした。



       我が家の前で記念撮影。

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今日は広島原爆忌。「降伏しない日本に原爆を投下したのは、より多くの人命が失われないためだった」というシーファー駐日米大使の発言は詭弁であるというより全くのウソ。戦後になって原爆の被害の大きさにアメリカが原爆投下を合理化するためにつくった口実にすぎない。
こうした発言に抗議すらできない日本政府の態度を見れば、いくら「核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます」(6日、広島市原爆死没者慰霊式での福田首相あいさつ)と言ってみたところで、その本音が見えてくる。アメリカの核戦略を容認しその戦略のもとで自衛隊を強化、海外恒久派兵をもくろむ政府の方針は変わっておらず、いっそう危険性を増しているとさえいえます。

昨日は、大町市文化会館で行われたの「月光の夏」を鑑賞しました。下北沢に本拠地を持つ劇団東演の地方公演の一つで、一台のグランドピアノを弾くピアニストを背に4人の劇団員が朗読するという朗読劇。「太平洋戦争時に出撃を控えた2人の特攻隊員と、小学校のピアノにまつわる実話をベースにした」お話です。
二人の人物、とりわけ戦死した音楽学校出の少尉が実在の人物であるかどうかをめぐっては、映画「月光の夏」の当時から実話であるかどうかをめぐっては強い異論があるようで、「真実を伝えるべきだと言いながらウソで固めた作品ではないか」という批判ももっともに聞こえます。
しかし、よく考えてみれば、これは歴史の証言として史実を伝える報告ではなく、あくまで演劇ですから実話からヒントを得て作者が創作した舞台という見方をすべきでしょう。これらの映画や演劇を通して「特攻」という自爆攻撃とは何だったのかを深く考える糸口になれば私はよいと思います。
東演の「月光の夏」は、芝居ではなくメリハリのきいた朗読劇と月光ソナタの生演奏を絡み合わせることで、あの戦争の持つ愚かさを鑑賞者に訴えかけ想像力を様々に刺激する強い力を与ええてくれたと思いました。
私自身は「特攻」などという作戦は負け戦の果てに青年を根こそぎ動員し、「皇国」を守るという美名のもとに未来ある若者を無理矢理死地に赴かせた愚かな作戦だとしか思えません。しかし、「祖国と愛する者を守るために命を捨てた犠牲的な崇高な死」あるいはそれに類した見方がどうしてこうも根強く残っているのか。これを払拭できない限り日本はアジアの孤児であり外国から信用される国とはなりえないだろうとますます強く思わされています。


  8月1日(金)
ほとんど日記を書かないうちに、もう8月になってしまったという感じです。
ここしばらくは暑さも和らいで幾分過ごしやすくなりました。昨夜夏の講座の前半を終えて、今日は妻も私も一日ゆっくり家事をいろいろとやることができました。
夜は久しぶりに二人で外食。わざわざ豊科まで行ってトンカツを腹一杯食べてきましたよ。満足です。妻もジョッキを傾けてさぞ満足だったでしょう!!
明日からはかつての塾生二人が我が家にはるばる東京から遊びに来てくれることになっていて再会が楽しみです。私がその塾を去るときに生徒たちがいろいろと寄せ書きを書いてくれました。ちょうど私がホームページを作り始めたころでもあり、そこには当時のことがそれなりに正直に記録されています。それらも読み返しながら当時のことをしばしあれこれと思い出しておりました。あしたからはそうした思い出話もたくさん語り合えることでしょう。

今日は昼からずっと内閣改造のニュースばっかり。今日からまたガソリンやいろんな食品が値上がりしているのを尻目に「17閣僚中13閣僚を入れ替え、清新なイメージを印象づけ政権不要(まちがい。浮揚だった)をはかる」もないでしょう。派閥均衡に加え、消費税引き上げととイラク・アフガン関係の特措法をにらんだ布陣という点では、前よりいっそう危険な政権になりうると私は思います。
先のサミットでもCO2削減の具体的な目標を設定することさえ出来ず全く存在感のない政権であると同時に、決裂したWTOでも結局アメリカの要求の前に国内の農業を犠牲にして恥じない政権であることがあまりにも明白になってきているわけで、それが内閣を改造したから「清新」になるはずがない。おそらくこの「清新」政権はますます舵取りの方向を見失い、国民に痛みをおしつけ、あらゆる分野での矛盾を広げざるをえないことでしょう。
「国際競争力を増すためにいっっそうの減税・優遇策を」という大企業・財界からの圧力とイラク・アフガンへの派兵を恒常化するというアメリカの要求の前に、彼らがどうしてもやらなければならないことは消費税の引き上げです。高齢者医療、社会福祉、年金という国民にとって生活のもっとも深い部分での「何とかしなければ」という意識を逆手に、消費税引き上げの口実づくりをあらゆる手を使ってやってくるでしょう。そしておそらくは、自公政権最後のあがきという構図も見えてきます。これから半年間が勝負どころ。タイミングを見て福田政権が仕掛ける総選挙を、国民の側からは願ってもない変革のチャンスとしなければなりませんね。怒りを!もっと怒りを!です。

コンピュータを終了しようとして最後にメールチェックをしていましたら、参議院議員の井上さとしさんからのメルマガが届いていました。今回はすばやい記事です。内閣改造に関するものなので一部を転載しますね。

井上さとしです。

今日、福田内閣の改造が行われました。「国民の目線」を重視し、「福田カラー」を打ち出す大幅改造になるとの前宣伝でしたが、ふたを開けてみると……。

たしかに閣僚の留任は4人だけでしたが、自民党の4役から派閥領袖クラス3人を入閣させたうえに麻生氏を幹事長に当てて派閥のバランスをとり、ベテラン議員の再入閣も多く、まったく新味がありません。さらに郵政造反組も入閣させ、「総選挙に向けた挙党一致」が何よりも優先されたという印象です。「国民の目線」よりも「自民党の目線」しか見えてきません。
しかも経済閣僚には消費税増税論者をあてました。「自民党の目線」の先には庶民増税が見てきます。結局、国民の目線から見ればお先真っ暗。福田カラーといいますが、見えてくるのは漆黒の闇です。

いくつか感じたこと。事前報道で目玉といわれていた野田聖子氏の消費者担当相としての入閣が唯一の話題となっています。振り返れば、郵政選挙のときは野田氏に刺客として佐藤めぐみ氏を当てて「女の闘い」として話題を作り、自民党に有利な選挙キャンペーンに利用したのが自民党です。その野田氏が復党すると、今度は改造の目玉として話題づくりに使う。

その一方で農水大臣に太田誠一氏を当てたことに驚きました。
太田氏は、かつて早稲田大学のサークル「スーパーフリー」を舞台にした集団レイプ事件の際に、あるシンポで、「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」というような発言をして厳しい批判を浴び、直後の選挙で落選した経験のある政治家です。こんな人物わ入閣させながら、野田氏を話題づくりに使う―この党の体質が見えてきます。

もう一つ。麻生氏が最初の4役の記者会見で発言した内容です。麻生氏は自民党については「結党以来最大の危機」と具体的に述べました。一方で、「国民には暮らしや社会になんとなく閉塞感がある。それに対し、明るさを示さなくてはならない」と述べました。しかし、国民の閉塞感は「なんとなく」ではなく、きわめて具体的なのです。ガソリンを初めとして物価の高騰。一方で、負担は増えるばかり。社会保障も年金も切り下げばかり…。

言葉尻をとらえるな、といわれるかも知れませんが、私はこの発言にはこだわりたい。国民の悲鳴を「なんとなく閉塞感を感じている」という程度の認識でしか捕らえられないのでは、抜本的打開策が打ち出せるわけがありません。
組閣後の夜のニュース番組を見ていても期待をする街の声はほとんどありませんでした。国民はすっかり見抜いています。

「政治の中身の転換」へ。早期の解散に追い込み、日本共産党の躍進で新しい政治の流れを!


(注)井上さんからは、転載については趣旨を生かせる場であれば「大いに利用してもらってよい」という趣旨の連絡をいただいています。




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