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  11月29日(日)                        
一昨日は富山へ出かけました。出産のために帰国していた姪(妹の娘)が、連れ合いの赴任先であるアフリカ・ベナン共和国へ子どもとともに旅立つというので、会いに行ってきたのです。それには母親(妹)も同行する予定になっています。
3ヶ月ほど前には生まれたてだった赤ちゃんも、すっかり大きくなり、丸々太ってかわいらしくなっていました。一人こうした赤ん坊がいるだけで、家族はその子中心に動かざるを得なくなりますが、それがまた楽しいのですね。子どもは日一日と成長し変化しますから、「笑った、泣いた」と一喜一憂。
出産・育児のために半年近く滞在していた実家も、二人が帰ってしまえばそれはそれは淋しくなるでしょうね。それでも、今はインターネットの時代。映像を見ながら会話もできるのですから、どうしているかと気をもむ昔とは大違い。日一日と成長する子どもの姿もリアルタイムで見られますから楽しみですね。ベナンはあと一年だということですが、元気で過ごしてくれるように願っています。




その後は、娘の嫁ぎ先に行き、二人とも髪を切ったりセットしたりしてもらいスッキリ。いつも「申し訳ない」と思いながら、ついつい甘えています。孫たちも学校や保育所ではインフルエンザが流行中ということのようですが、二人とも至って元気。今日も二人からファクスが届いていました。
帰りがけに義妹(弟のつれ合い)の家に寄ってきました。その息子は現在は東京在住、娘と二人暮らし。こっちの姪の方は仕事が結構忙しくなっており結婚もままならない(?)という様子。私の予想ではそれほど遠くない時期に招待状が来るのではないんですかね。こちらも元気で過ごして欲しいと願って夜9時頃帰路につきました。
その帰り、糸魚川から大町までは前後に全く車がいないという前例のない単独走行。大町から池田までもちょっとだけタクシーが前を走っていたくらいでこれも前後に車がいない状態。一体どういう日だったんですかねえ。気味が悪いくらいでした。ともかく無事家にたどり着いて一仕事を終えました。

富山で21度まで気温が上昇した一昨日とは打って変わって、昨日も今朝も寒い寒い。夕べは仕事から帰る頃には車の窓がガチガチに凍り付くほどでした。インフルエンザもまだ中学・高校では猛威をふるっているようで、生徒の中にも感染する者が出てきているらしかった。高校はまもなく期末考査の時期で、仕事も勢い質問ぜめになって結構「充実」しています。



  11月23日(月)
昨夜はしとしと雨になったので、今日も雨かと心配していたところ、くっきりと晴れ上がって気持ちのよい日になりました。北アルプスも白い頭を雲間からのぞかせていました。


何となく気ぜわしい毎日です。今日は午前中から、集落の神社の新穀祭の神事があり、そのお手伝いに近所の方々と出かけました。直接神事にでるわけではなく、氏子総代の諸氏が参列して式が行われる前後に会場設営や後片付けをやるという当番の仕事です。
農村では集落ごとに神社があり、季節ごとに節目の祭礼を行っているわけで、勢い集落の面々はその氏子として何かと関わりを持つことになるのです。
昔と違って神社は集落のほとんどシンボル的な役割を果たしているだけです。しかし、行われる行事も簡素化されているとはいえ、神事となると結構しきたりもあり、細々とした世話が必要になるのです。
午前と午後2回出かけて帰ったのが午後4時。そのあとすぐに塾に出かけましたから、結局今日はこれだけで一日が終了してしまいました。
明日は明日で、午前中観光協会でホームページの講習、午後は例の「生活・介護サポーター養成講座」の前期最終回。夜は塾とフル回転。忙しいときは集中するものですね。


池田町ウオーキングのホームページで、昨日のウオーキングの様子をアップしました。どうです?みなさん元気いっぱいでしょ?みんなすごいパワーです!!負けソーですが、しかし負けていられませんね。



  11月22日(日)
朝ちょっと外にでて近くの家の人と話をしていたら、そこに折良く通りかかったガイドマスターの仲間が「今日昼頃岡崎からウオーキングの一行が来るのでその下見をしているところ。時間があったら来ませんか」と、突然のお誘い。彼らにとっても急な話だったようで、ガイドできるスタッフも今日は二人だけだということでした。
午後仕事に行くまでは少し時間があったので、ちょっと無理をしてカメラマンとして参加することにして、とりあえず出発地点のクラフトパークに向かいました。そこにはすでにバスが3台。バスから降りた参加者たちが思い思いのところでお弁当を食べているところでした。
聞くと、愛知県岡崎市の岡崎市ウオーキング協会の「11月例会」の一行120名で、月一回様々な場所でウオーキングを行っているとのこと。日本中出かけており、海外にも足を伸ばすことがあるという話も聞きました。会報を見せてもらったら、詳しいコースの案内が書き込まれており、相当に旅慣れていることが伺われました。
一昨年もそうでしたが、ウオーキングの参加者の多くは50代、60代のご婦人方が中心。大したエネルギーで圧倒されそう。
一行は2グループに分かれて「歩きたくなる道500選」のコースを中心に我が家の前も通過してハーブセンターまで約10キロの道を歩きました。私は、我が家まで歩いてあとは車で二つのグループを交互に追いかけて写真を撮りました。
たわわに実った柿の実や遠くの北アルプスを眺めながら秋の終わりを楽しむウオーキングの一行。実に楽しそうです。都会を中心として、こうしたイベントに参加する人たちはたくさんいるのですね。池田町に来て初めてそうした人たちとの交流もできるようになって、得難い体験ができています。
以前3000人ほど愛知県から来てくれたことがありましたが、その中の何人かもまた訪れてくれたみたいです。ハーブセンターから出発するバスの中からみなさん手を振ってくれたし、うれしい一日でした。
今日一日の反省をして今後の案内に生かすことはもちろん大切ですが、たとえばイベントに合わせて町の特産品(新しい町の特産品・・・腹案がありますよ!)を効果的に販売したり、沿道で他にはない何かを見てもらうようなものを作るとか、各方面が連携した総合的な取り組みが必要になっていると思います。
そしてまた、町の決まったイベントだけではなく、こうした外から来てくれる方々を案内する機会をもっと増やしてこそガイドマスターの役割が発揮できるし、こうした地道な積み重ねが町の「観光」を支えていくのだと思います。













  11月21日(土)
今日は朝から松本大学で開かれた「自治・自立のための信州地域づくりフォーラム」に参加。今年で第4回目にあたるこのフォーラムは、北信・南信の町村長ら14人が呼びかけ人となって実行委員会形式で開かれ、長野県下の自治体関係者や地域活動を行っている人たち135人が集まりました。
私にとってはこうした学習・研究集会は初めて。池田町に来てから地域づくりという問題に少しずつ関心をもちはじめたこともあって、3人の村長の報告に注目していました。
報告したのは中川村の曽我村長、南牧村の菊池村長、問題提起は阿智村の岡庭村長。Iターンで中川村に住むことになったという曽我氏は、村の将来像と理念を紹介しながら、「日本で最も美しい村連合」に加盟して地域の内発的な発展を目指す道すじを語り、農業を基幹産業としつつ生産から流通までを一貫して考えることの必要性を強調していました。
南牧村の菊池村長は、町の職員が作ってくれたという詳細なレポート「南牧村の村づくり」をもとに、農業立村の歴史と村の政策、今後の課題をくわしく語りました。中でも野菜農家に対する所得保障政策を村独自で実施。それ以外にも様々な農業・畜産振興策を行っていることを紹介していました。
最後の阿智村長は「定住自立圏構想」について報告。自民党政権の末期から打ち出されたこの構想は、全国的にもすでにかなりの市町村を巻きこんで先行的に推進されているようで、阿智村もそれに名乗りをあげた飯田市を中心市としてスタートしたとのこと。ただしこれには賛否両論があるようで、このフォーラムでも「道州制をにらんだ姿を変えた合併」と見る批判的見解が会場から出されていました。阿智村長も、自身の立場としては「広域連合を補完するもの」としか見ていないと強調していました。
これ以上の詳しい内容はここでは割愛しますが、最も感銘したことは参加した村長のみなさんの率直な語り口。実直に真摯に村づくり町づくりにとりくむその姿勢が何と言ってもさわやかでした。どこかの町長とは大分ちがうみたいですね。同時に皆さん研究熱心。自らの実践を総括しながら、次年度以降への課題を明確にしています。長野県にこうした自治体がいくつもあることは本当に心強いことです。
写真は上から開会挨拶をする原村長の清水さん、基調講演の二宮厚美神戸大学教授、三枚目は左から曽我さん、菊池さん、岡庭さん






今日の信濃毎日によると、ハーブセンターの指定管理者の候補として町内の団体が選考されたことを報じていました。町外の企業に丸投げするのではなく、町の有志による管理団体になることが事実上きまったことは一つの前進です。しかし、これまでのハーブセンターの運営から見れば、新しい経営陣で運営していくことはかなりの困難をともなうことですから、果たしてこの団体が町民にどのようなアピールを行い、どのような発展の道筋を示すのかが注目されるところ。何よりも町の財産であるという自覚と町民に開かれた運営を望みたいと思います。




  11月20日(金)
連日遅くまで隣の工事が進められていると思っていたら、今日が棟上げ式の日になっていて、それで急いでいたのでした。
朝、建設会社の社長さんが11時半から餅を投げるから来てほしいと案内してくれ、まもなく横浜からかけつけた家主のFさん夫妻が到着。棟上げ式が近づくと近所の方々も三々五々集まってきて、柱だけの2回で儀式がはじまりました。
それからいよいよ餅投げ。我が家ではこうした儀式は一切やらなかったので、興味津々。見ていると2階から餅やらお菓子やら5円玉やらをバラバラと投げ、下にいる人たちがそれを拾うというもの。いやはや、何というか、それらを拾うおばさん方のすごい熱気に圧倒されてしまいましたよ。これは近所の人にお披露目を行うとともに、工事の中間的な区切りとなる儀式、それなりに意味があるのだと思わされました。
いままで二つの家の間が開いていたのに、真ん中にドカンとでかい家が建って両隣りを従えている構図。来年になれば、すっかり雰囲気が変わってしまっていることでしょう。










  11月19日(木)
民主党の予算編成作業の一つ、「行政刷新会議」による「事業仕分け」が様々な波紋を広げています。とりわけ事業の「縮小・廃止」などをかなり乱暴なやり方で処理をしていく様子がテレビで映し出されるにつけ、民主党が「マニフェスト」を錦の御旗に掲げれば掲げるほど国民との矛盾がひろがっていることを実感します。
税収が少なくなることが予想される中で、子ども手当などの見直しすら話題にせざるをえないほど。それにもかかわらず、国民の批判の強い政策を強引に進めようとすれば、どこかで「強引に」予算を圧縮しなければならないことは目に見えています。民主党が公約に掲げ、かつ国民が最ものぞんでいることをあとにまわし、国民生活に密着した要求に背を向けるなら民主党の崩壊も時間の問題ということになるでしょう。沖縄県ではすでに民主党への幻滅の声があふれているし、小沢幹事長の新たな献金疑惑もそう。その「疑惑隠し」という声がさっそくでる中で、「あの方」の一声で自民党も真っ青の「金融法案の強行採決」という動き。来年の参議院選挙までに民主党の本質がいよいよ明らかになってくるのでしょう。

冬型の気圧配置が強まって、北アルプスの山々はまたまた麓まで白くなり、里では今朝も霜がおりました。どんどん冬が迫ってきます。
昨日は、例の「生活・介護サポーター養成講座」の日。この日はいつもの講義ではなく、近くの公民館で開かれている「ふれあいサロン」活動に一緒に参加し、見学・研修することが中心でした。
到着してまもなく始まったのが、包装紙を利用した花の「ブローチづくり」。
これがなかなか。侮るなかれ結構楽しいのでした。もちろん回り中ご婦人方で私は幸せ。男性はというと年配の方があと一人だけというこの「環境」もさることながら、仕上がったブローチは紙で作られたとは思われないほどきれいなフォルムで、一同感嘆の声を上げるほど。会場の様子や、皆さんの作品をご覧ください。(上の段の緑色の花が私の「作品」。妻へのプレゼントです)。
花の作り方はこちらです。






その作業の途中で飛び入りで地元の「商工会」の方のコマーシャルタイム。商工会が購入した物品販売車「ハレルヤ号」の紹介や商店の紹介がありました。
その後みんなでお食事。ボランティアの方たちが作ってくれたボリュームいっぱいのお昼ごはんに舌鼓を打ちました。

この「ふれあいサロン」というのは高齢者を主な対象としたコミュニティ活動です。自治体と社会福祉協議会が力をいれる地域活動の一つで、生活支援と介護を補完するものとして位置づけられています。これは、実際参加してみればわかるようにいろんな人と話もできるし仲良くもなれる人間関係づくりの場です。
「男性が少ないのはどうしてですか」と聞いてみると世話役の一人は「男性はどうしても話についていけない。女性はおしゃべりが好きだけど男性はあまり話に乗っていけない」とのこと。そんな人ばかりではないでしょうし、工夫の仕方によっては男性にも魅力のある活動もできるでしょうが、結局集まって話をして手作業をして、食事を作って食べて・・・となるとお年寄りの趣味の会のような印象を与えてしまいます。ボランティアの方々は献身的に世話をしているのですが、集まってくる人も固定され、参加者もきわめて限定され広がりに欠ける問題点は大きい。今後こうした地域づくりの場をどう充実させるかさらに知恵を集めることが大切だと思いました。



  11月17日(火)
公孫樹が箒になり、柿の木に橙色の実だけがたわわに群れ、あたりを深い霧が埋め尽くす頃、安曇平に冬はすぐそこです・・・と、ちょっぴり感傷的になってみたくなるこのごろ。何を隠そう私はあいかわらず大豆の皮むきと選別に明け暮れています。

今年は一袋100円(200円だったかな?)で買ってきた国産大豆一袋と、もらった大量の苗のおかげで結構豆が収穫できました。これまでのところ半分ほど処理が終わって、すでに8キロ以上の大豆が取れましたよ。たぶん来年の味噌づくり用にはこれで十分間に合うでしょう。ちなみに昨年は5キロでした。作ってみて、これほど安上がりにできる食品はないと思えます。

妻からは、「枝を広げて『ポンポン』とたたいて豆を落とすんだよ」と言われていながら、私のやり方は一本一本手でもれなく豆を取りだし、さらに取り出して集めた豆を自分の目でしっかり見て選別し、完全な豆だけを収穫するという徹底した「完璧主義」。ですから時間がかかるのです。そのぶん良い豆だけを味噌にできるので、仕上がりはきっとおいしいでしょう。

一本一本鞘から豆を手で取り出すには訳があります。鞘がよくそろい、たたけばすぐに鞘がはじけて豆が出てくるのであればその方がよほど能率的です。しかし我が家の豆はそれが十分に通用しないのです。理由は簡単、育ちが安定せずそろった鞘になっていないからです。
だから、豆を育てるときに木が倒れないようにすることが来年の課題。育っている間に倒れると実の入りが少なくなったり虫に食われたりします。豆はとにかく土寄せしてしっかり根を張らせることが大切だということが収穫時になるとわかります。我が家の豆はたいてい斜めになったり倒伏して育っていますから。これじゃ遅いんですね。
豆は空中の窒素を固定するので窒素分はそれほど必要なくやせた土地でも育つ植物。そうはいっても他の肥料分がいらないわけではないはずですから、肥料の問題も来年の課題です。確かに放っておいても育つので気楽に考えていますが、良い豆をたくさん収穫したいと思ったら手をかけないといけないんですね。あたりまえか。

農文協で出している「現代農業」によれば、「日本の年間の大豆消費量はおよそ530万トンで、6割以上はアメリカ産。国産大豆の生産量は約20万トンで、自給率はわずか4%」なのだそうです。味噌・醤油・豆腐・納豆など日常生活に不可欠なこの大豆がほとんど輸入に頼っているという構図はどう見てもおかしい。米・麦・大豆あたりはしっかりと自給できるような農業政策が必要だし、学校などでも大豆を育てることを通して大人もこどもも日本の食料事情を考えていくことが大切だと思わされます。

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長野県の木曽町で田中町長が圧勝しましたね。これはうれしいニュースです。勝因は何と言っても住民自治を柱にしたきめこまかい政策に貫かれる住民奉仕の姿勢と誠実な人柄ということに尽きるでしょう。長野県のあちこちで、地域密着型の新世代「革新町政・村政」が実現していることは、これからの政治のあり方にとって重要な意義をもっています。単にそこに住む人たちに恩恵があるというだけではなく、全国の地域の先進例として様々な教訓を残してくれているわけですから、私たちはその経験からたくさんのことを学ぶことができます。
この池田町という小さい町のことを考えても、町長という一人の人間の持つ権限は予想を超えて大きい。アホなことをすれば次の選挙で落選するだけですが、逆にいえば、その実践がすぐれていればものすごい大きな力を持つということです。おそらく全国で共産党籍をもつ首長が実績を重ねることができ、根強い反共攻撃を打ち破れるのはまさにその「住民奉仕」の姿勢と着実な実践によるものです。来年は、実際に木曽町にでかけて町政を学んでくることにしましょうか。



  11月12日(木)
昨日午後、町役場振興課の係長が訪れて、先に提出していたハーブセンターに関する「質問状」に対する回答を持ってきてくれました。
先の質問というのは9月15日に町長宛に提出していたもので、次の3点について町の考えをただしていました。
第1は、町民からの意見書や審議会の経過などについて情報公開がないことについて。第2は、「町としての総括や責任、それらを踏まえた町としての観光政策の一貫性、そしてそれをハーブセンターにどう生かしていくのか」について私が意見書で述べたことについて、何ら責任ある対応がされていないことについて。第3は、今後の町の方針について。

回答の内容は、これまで議会などで町長が表明していたことから一歩も出ないもので、とりわけ情報公開や町の総括や責任という問題については回答をさけ、通り一遍の内容になっています。
まあ、現在の町の動きからすれば、それ以上のものを期待する方が無理なのかもしれませんし、正式に回答を届けてくれたことだけでもよしとしなければならないのですかね。
それにしても、この質問を出したのが9月15日、回答が届いたのが11月11日。実に2ヶ月もかかっており、その間、2度にわたってどうなっているのか役場まで出向いて聞かなければならないというお粗末さ。審議中であるとか、まだ町の態度が決まっていないとかという理由でしたが、それならそれで、中間的な回答もあり得るわけで、これほど遅いとは信じがたい。これについては担当係長に厳しく指摘しておきました。

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さて、昨日妻が「友達からこんなものが送られてきた」と言って見せてくれたのが、沖縄で11月8日に開かれた大会についての沖縄タイムスの「速報」と琉球新報の「号外」。
これらが発行されていることは新聞などで知っていましたが、実物に接するとこれはまたすごい。



各新聞社で発表されている正式な新聞紙面(PDF)は以下の通りです。

沖縄タイムス速報
琉球新報号外

表紙は、当日の写真が主ですが、どの新聞も2,3面は見開きで基地の現状と、それが県民にとって耐え難い苦痛になっていることがデータで示され、基地の撤去以外に選択肢がないことが強調されています。ここにいくつかのデータを紹介しましょう。(すべて拡大版がリンクされています)


沖縄タイムス号外


琉球新報号外


琉球新報号外


琉球新報号外


沖縄タイムス号外


沖縄タイムス号外

これらの地元紙の報道と、こちらの全国紙や地方紙の扱いとを比べると、余りにも違いすぎることに絶望的な気持ちにすらなります。もし、たとえば神奈川でも東京でも、同じようなことが起こって県民大・都民大会が開かれたとしましょう。神奈川新聞や東京新聞が速報・号外を出して基地撤去を訴えたとする。全国紙の扱いは当然一面トップ、政治の動きに重大な影響を与えることは必至でしょう。それが福岡であれ、北海道であれ同じことです。北海道には広大な土地があり、沖縄の基地を移転しても問題ないのではないかと言ったとすれば、猛烈な反対が起こり絶対に実現しないことは明らか(実際、SACO当時「北海道苫東」に移設する案が検討された)。「国民感情」としてもそれを許さないはずです。
しかし、それが沖縄になると、なぜこれほどの温度差になるのか。また民主党政権幹部もまたこれほど冷淡になれるのか。主要なマスメディアもそうなのか。きっとアメリカに絶大な配慮をしているからなのでしょう。このことはヨーロッパ各国やアジアの国々からは、「日本の従属度の深さ」としかうつっていないことはよく知られた事実。
もっとも、沖縄の実態が、皮膚感覚としてほとんどこちらの人たちには知らされていないことも大きい。だからもっともっと、メディアは知らせる努力をしなければいけないし、私たちもまた直接現地を訪れて基地の実態や住民の生活を見るといいと思います。



  11月9日(月)
11月8日には沖縄と東京の2カ所で大きな集会・大会が開かれました。東京の集会は全労連や民主団体など実行委員会が主催する代々木公園での3万1千人の大集会。もう一方は沖縄の「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」です。

11月8日の沖縄県民大会は、主催者発表で2万1千人の参加で成功裏に終わったことが沖縄タイムス琉球新報などで報じられていました。
当日の集会の一端は琉球新報の小さな動画で見ることができます。
沖縄タイムスは社説に見出しとして「首相は民意受け止めよ」と掲げ、次のように書いています。

私たちは鳩山首相が「少なくとも県外」と公約したことを忘れていない。
県民からは「民主党が普天間県外移設をマニフェスト(政権公約)に明記しなかったのが、計画的に思えてならない。もう選挙にも行く気がしない」(本紙6日付オピニオン)と疑問を呈する声が出はじめている。
民主党政権になれば政治が変わるのではと期待が高かった分、米国の「恫喝(どうかつ)」に唯々諾々と従うようであれば失望は何倍にもなってはね返ってくるに違いない。
沖縄4選挙区では辺野古移設反対を表明した候補者がすべて当選した。政権交代に込めた有権者の意向を軽く見てはいけない。
(中略)
連日の町民、県民大会開催で県内移設を認めない県民意思ははっきりしたはずである。鳩山首相、オバマ大統領も沖縄の民意をしっかり受け止め、頭越しで押しつけることがあってはならない。 (写真は琉球新報11月8日付)


琉球新報は、「普天間飛行場移設問題」特集のページで、最近の政府内の動きについて注目すべき動きを書いています。

県民大会に対する政府内の受け止め方は冷淡だ。防衛省首脳は当初から「主催者は誰か」「知事は出席するのか」と、大会が超党派でないことを強調するかのように問い返してきた。
幹部の1人は「県民大会を気にする人は誰もいない。人数が少し気になるくらいだ」と素っ気なく話した。大会を県民総意とは受け取らず、インパクトをできるだけ、矮小(わいしょう)化しようとする意図が透けて見える。
平野博文官房長官は6日の記者会見で「(県民大会の)中身は承知しないが、そういう趣旨でされるということは承知している」と他人事のように語った。
県民大会では「県内移設反対」の明確な民意が示された。「民意」を政権運営のよりどころとするはずの鳩山内閣の対応が問われる。


これらの記事に見られるように現地のメディアの態度はきわめて明快。民主党の本質を的確に突いています。
一方、朝日新聞はこの集会について紹介記事を掲載。「『県外移設』を掲げてきた民主党が政権についたことで、沖縄ではその実現への期待感が高まっている一方、政権の迷走ぶりに反発する声も強まりつつある。」とあいまいな態度です。その一方で、神奈川県知事が訪米の際に「現行の辺野古案でやっていくしかない」と述べたと報じて、どっちつかず。
毎日は簡単な記事を載せていますが、ただ通り一遍の紹介のみです。

沖縄県内と沖縄県以外との温度差は救いようがないほど深いものがあると感じます。
地理的に離れているという以上に、おそらく基地問題は自衛隊や米軍の基地が近くにある地域を除いてはほとんど問題にならないし実感として脅威を感じないことからくるものでしょう。しかし、沖縄では米軍基地問題は生活権・生存権・環境権などすべてにわたる死活問題なのです。
問題は基地があるかどうかだけにとどまらず、実は沖縄県の基地問題は一見基地に関係がないと思われる地域や分野にこそ大きな陰を落としているということを見過ごしてはなりません。それはアメリカの軍事戦略に深く組み込まれたこの国の姿が政治や経済、農業などあらゆる面にわたってマイナスの影響を与え続けているからであり、沖縄県の基地問題はその一つの象徴ともいえるものだからです。
日本の外交が外国からバカにされるほど軽いものとして見られてきた背景には、沖縄に基地を存続させ続けて何ら痛痒を感じない歴代自民党政権とそれを外交面では引き継ごうとしている民主党政権の対米追随の姿勢がある。「財界にもアメリカにもモノが言えない」というここにこそ、日本の経済や外交をここまで劣化させてきた根源があることを、沖縄の問題を発光点にして照らし出してみることが必要ではないでしょうか。

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さて、話題は変わりますが、昨日の午前中は、今年最後のウオーキングイベント「ぶらっと池田、街中ウオーキング」が開催されました。池田の町をぶらぶら歩きながら歴史探訪しようという趣向です。これは昨年に続いて2回目。
今年は、30数名の参加(ガイドマスターや事務局の方が目立つほど)とちょっと淋しい人数でしたが、好天にも恵まれ、解説の二人も昨年の経験を生かしてうまく一行をリードしてスムーズにイベントを終了することができました。
私は写真を撮るのに忙しく、解説を聞いている暇もなく、しかもイベントが終わってからそれらを整理したりウエブ上にアップする仕事があるので、因果な担当です。
池田の町並みをただ写真で残すだけではなく、由来や故事、当時の生活などをできる限り詳しく残せるようにしていくことがこれからの課題ではないかと感じさせられました。










  11月7日(土)
今日もうららかな良いお天気。にもかかわらず私は、後から書くようなことを少しはやったとはいえ、夕方仕事にでかけるまではどこにも行かず、ぐーたら。
昨日も同じようなお天気で、いつものように縁側でタバコをふかしていたら、前とはちょっと違う大きな蝶がヒラヒラと舞っていました。急いでカメラを取りに戻り、”何とかましな写真を撮れないものか”と30分ほど蝶を追っかけ回していました。この蝶、いま盛りの菊の花が好きなようで、行ったかと思うとまた戻ってきて花の間に長い口吻を差し込んでいました。しかしよい場所になかなかとまってくれません。結局粘って粘って、たったこれだけ。






後から調べてみたら、この蝶はどうやら「アサギマダラ」のようですね。「渡り」をするあの有名な蝶です。名前だけはよく聞いていたし、過去にどこかでみかけたことはあったのかも知れませんが、何しろこれまでいろんな蝶は全部ひとくくりの「チョウ」でしたから・・・。名前に少し興味を持ち始めたのは、ここ1年ほどのことにすぎません。
というわけで、先輩のTさんの導きで調べてみました。何と二つ目に載っているじゃありませんか。このリンク先の蝶の一覧を見ると、池田にもこんなにもたくさんの種類の蝶がいるのかと、つくづく感心。
さて、今日追っかけた蝶「アサギマダラ」は全くの単独行動です。ゆったりとあっちにヒラヒラ、こっちにヒラヒラ。いったいどこから渡ってきたのでしょうか。来年は、花をたくさん植えたらもっとたくさんの仲間が来てくれるかもしれませんね。

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さて、2,3日前から時間を見つけて、町の「財政分析」のための基礎的なお勉強をしていました。テキストは、この分野では結構有名な大和田一紘さんの「市町村財政分析」(自治体研究所)です。
主に自治体の「決算カード」を用いて経年的に財政の状況を把握し問題点を明らかにすることが目的なので、テキストに沿ってデータを書き込んで表にまとめ・・・という作業を延々と行うのです。もっともこの作業自体は、昨年何回かやった勉強会の時に別の人がパソコンで打ち込んでおいてくれていたので助かりました。
ところがこの本を読み進めるにつれてイライラがどんどん募っていきます。用語やその内容が難しいのに加えて、著者の文章がかなりいい加減。誤字はさすがにないのですが、どうやらどこかでの講義を元に本を作成しているらしく、口語体のところや講義をそのまま収録したような部分が見られます。文法的に誤っていたり、指示代名詞が何を指すのか分からなかったり・・・要するに日本語になっていないのです。
たとえば33ページ左側やや下。

図表V-1のA「決算額」は「一般財源+特定財源」。B「経常一般財源(等)」を主としています。もう一度「地方税」をみると、地方税の「決算額」は264億7648万2000円、その右の「経常一般財源」は245億2653万3000円です。これはA「市町村税」を見ると、「目的税」のC「決算額」と同じ額となります。「目的税」の内訳を詳しく見ますと、ここはすべて「都市計画税」です。つまり19億4994万9000円が「特定財源」です。つまり、多摩市民が支払った市町村民税の7.4%が「特定財源」で、残り92.6%が「一般財源」なのです。
このように「歳入」の「合計」をみると「経常一般財源(等)」が「一般財源」の額となります。・・・


さっぱり訳がわからん。??? さらに36ページ右側中程。

・・・次にその中からみなさんのまちの普通地方交付税がどんな減り方をしてきているのか。「三位一体改革」の1つは普通地方交付税の「見直し」です。政府の大義名分は2001〜2005年までの基準財政需要額の算定を見ると、地方税の収入(基準財政収入額)が増えていないにもかかわらず、毎年普通地方交付税額が減少しています。

こりゃ日本語かいな。
扱う内容自体はきわめて重要で積極的な意義を持っていますから、この「文章問題」は大変残念。私も自慢できるほどいい文を書くわけでは全然ないので、大目に見て何とか先へ読み進めたいと思うのですが、その先から訳のわからない文が出てきていやんなっちゃいます。イッコーせんせ〜〜、何とかしてくださいよ。



  11月5日(木)
いま短い会期の国会では衆議院の予算委員会が今日で終わったところ。テレビを見たり新聞を読んだりしていると、民主党政権のいろんな問題が浮き彫りになってきていると感じます。とくに沖縄普天間基地の移転問題では、鳩山首相や岡田外相の答弁を聞けば聞くほどあきれるばかり。
まず次の民主党のサイト内のニュースを見てみましょうか。岡田さん拳をふりあげていますね。

2005年5月15日の記事

「民主党はマニフェストには国外とか県外移設とかは書いていない」とこの方たちは言いつくろっていますが、党首討論や街頭演説で「国外・県外移設が望ましい」と公約していたことは天下周知の事実。質問でこの点を突かれた岡田外相は、「公約と選挙中の発言とはイコールではない」と言うのですからどうしようもありません。
当たり前のことですが、沖縄県民の総意は「普天間基地の無条件撤去」です。「辺野古沖ではなく沖縄以外の国内へ」という要求をしているわけでも、「国外でもどこかに決まらなければそのままでもやむを得ない」と主張しているわけでもありません。いまの民主党政権のやり方は、結局結論を永久に先送りするか、または辺野古沖案を沖縄住民に飲ませるということにしかなりません。

現地沖縄ではこの8日に「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が予定され準備が進められています。宜野湾市自身がこの集会への参加呼びかけを行っているのですから、どれほど県民の基地撤去の意志が固いかを示しているといえるでしょう。 また沖縄以外でも各地で呼応した集会などが計画されているようです。
以前の教科書検定問題での大集会のように、無料バスを提供する市町村が増えるなど文字通り県民的な広がりをみせている(沖縄タイムス)この集会、民主党の腰砕けにどのような要求を突きつけるのでしょうか。


集会への参加呼びかけチラシ(PDF)


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私の生まれ故郷は富山。私の祖父の出身は城端(じょうはな)だと聞いていました。ただそれだけのことで、とくにつながりが深かったわけではありません。なぜこんなことを思い出したかといえば、最近次のようなことがあったからです。
先日、富山の南砺市の「(株)知能システム」という会社が開発している「メンタルコミットロボット パロ」が結構な人気だというヘッドラインニュースが流れていたのが目にとまりました。この会社のある場所が例の「城端」だったので、ちょっと興味を引かれ、サイトを検索してみました。すると、確かに可愛いアザラシのロボット人形が出てきたというわけです。
この「パロ」という名前の動物ロボはかなり前から開発が進んでいたらしく、富山ではたぶん有名なのでしょうが、東京・長野では全く情報なし。
サイトの紹介では、「パロ」は2002年には「最もセラピー効果があるロボット」の発明、ギネス世界記録 、2005年には文部科学大臣賞を受賞し、さらに2007年には、ロボット専門サイト「robonable」と「gooリサーチ」による「抱きしめたいロボットコンテスト2007」で1位になるなど数々の受賞に輝いています。
画像もあるので、どんなロボットなのかよくわかります。私が注目しているのは、今後の可能性。実際日本だけではなく海外でも教育や高齢者介護の分野でセラピーを目的に使われているからです。おそらく今後ますますこの分野での需要は増えていくのではないでしょうか。
子どもたちは、こうした動物ぬいぐるみが大好きだし、お年寄りも実際に動いて学習していく可愛い動物には大いに癒されるでしょうし。良いところに注目し、開発を進めてきたと感心しています。ただし現在のところはお値段も高額で約35万円。個人でペットにするにはちょっと・・・。







  11月4日(水)
夕べ仕事から帰ってくるときは、すでに車のガラスが凍り付き、満月が冴え渡っていました。
予想に違わず今朝は一年に何日しかないような素晴らしい晴天。まわりは真っ白に霜で覆われ、空は澄み渡り、北アルプスの峰にかぶった新雪がチカチカするほどの輝き。しかし、寒い。カメラを持って外に出たものの、すぐに引っ込んでしまいました。






午後は、社会福祉協議会主催の「生活介護サポーター養成講座」の第3回目に出席。今日は「高齢者体験」です。耳が聞こえず、目がよく見えず、足腰の悪い80歳の高齢者という想定で車いすの体験をしたり、ゴーグル・耳当てなど様々な装備をして歩いたりという、よくある体験実習。確かに小さい字などはまったく見えず、これでバスの時刻表を見たり、計算したりしろというのですから、どだい無理。耳がよく聞こえないので、私は本当に年寄りになってしまったかと錯覚して、話すことばも超高齢者になってしまい、自分ながらおかしかった。
車いすは長期間母の介護で使用していたので、これはそう問題ではなくクリア。ただ、実際に乗って体験してみると、押しているだけでは気が付かないことがあるものだと思われました。とくに下り坂は要注意。乗っている方はずり落ちないかととても怖い。
今日の体験を通して思うことは、こうした体験を室内で行うのも大事ではあるのですが、実際に車いすで外に出ようとすると障害物が多すぎるし、そもそも障害者の立場でしっかりと歩行や安全の対策をしているとはとうてい言えない町の現状があるということです。まず、そうした実情をしっかり点検することからはじめなければいけないと痛感したことでした。



  11月3日(火)
休みというのに、朝からお隣さんの工事現場では朝早くからコンクリート打ち。その物音で目が覚めて外に出てみると、空はすっかり晴れて、植木の葉の上にはうっすらと雪。北アルプス上空には分厚い雪雲がかかって、その下には麓近くまで白いもので一面に覆われていました。麓近くまでというのは真冬でもときどきしか見られないこと。かなりの寒波がおしよせてきたのでしょう。


天気図を見るともう完全に冬型。大陸からの強い寒気の吹き出しが見られます。(ここに天気図をよく載せるのは、気象の記録という意味の他に、中3理科「天気」の勉強をしているつもり。悪しからず・・・)
ただ、冬型が強くなると池田は晴れで町・市の境界を境にして天気が変わり、隣の大町市は曇りまたは雪という現象は今回も同じ。北を見るとどんより冬空で、南を見ると晴天の青空が広がっているという面白い空の模様が観察できます。
写真下はラズベリーの葉と野沢菜に降りかかった雪。ラズベリーは春秋の2回収穫ができ、今年もたくさんジャムをつくりました。この秋のものはほとんど実は採り尽くして、ここに写っているのは名残の実。
野沢菜は初めて栽培したものです。結構大きく育つので、あとしばらくしたら収穫して野沢菜漬けにする予定。大きいものでは1bほどにも育つようですが、我が家の野沢菜はまだ30pくらいで、余り大きくなることは期待できません。それでもときどき取ってきては漬け物にして食べています。
「お菜」というだけあって、それだけで野沢菜を意味するのですからすごい。信州ではこれがなくては冬が越せないというくらい愛されている漬け物ですもんね。それにあやかって今年は我が家でも・・・というわけです。














  11月2日(月)
予想通り夕方からぐっと冷え込んで、夜塾から帰るときは大町ではチラホラ小雪が舞っていました。屋根に少し雪を積んで走っている車も。たぶん白馬方面から来たのでしょうか。いよいよ雪の季節も近いことを感じさせます。

塾では、中3生たちが「眠い眠い」を連発。そりゃ寒いところから暖かい部屋に入って数学の教科書を広げたら一挙に眠気が襲ってくるのは当然・・・。一人の女の子などは、ソファに横になって30分ほどぐっすり。「さあ、やるぞ」という私の声にむっくりと起き出して「雪だるまが押しくらまんじゅうしている夢を見た」と寝ぼけ声。一体これが受験生なんですかねえ。別の子も「家でも『おまえは受験生か』と言われている」と平然と言っていましたから・・・トホホです。休み時間になると女の子達は学校の先生の悪口やゴシップを語り合って大いに盛り上がっている。
授業中はしょんぼりしていた彼女たちも、休み時間になるとパッチリ目があくんですね。これは学校でも塾でも同じか。まな板にのせられる先生達はたまりません。
怒る気もしなくて、「じゃ今日はこの問題が解けるまでは返しませんからね」と宣言したところ、一人の子は「じゃ永久に帰れないじゃん。あした学校に行けなくなるよ。・・・あ、あした休みだった。悔しい!!」「いいんだよ、ゆっくりやってくれれば。迎えにきたお父さん、お母さんには私からじっくり事情を説明するから、今日は心ゆくまで数学を勉強してください」と私。
「私の脳細胞は壊れている」「弟と姉にぜんぶいいところが遺伝して私にはカスばっかり」という彼女ら。なんで、そんな劣等感のかたまりになっているんだ?「いちばん目が冴えている場所は?」と聞くと、「家」と答えるある子。「何でも好きなことができるから」ということらしい。それはそれでいいことですね。でも好きなことには「家庭での学習」はどうやら含まれていない。まあ、そのくらいのんびりしていた方が高校に行って伸びるのかも。
授業の最後には「ちょっと図形の証明が好きになったかも」と言う一人の子。これはうれしい一言。願わくば、もうちょっと緊張感が欲しい・・・かな。これは私の欲張りな要求??



  11月1日(日)
11月。この日記もあと1ヶ月でまる6年間続いたことになります。6年前の最初の記録を見ると、母の介護を通じて「人間は一人では生きられない」というようなことを書いていました。いま、社会福祉協議会の主催で「生活・介護サポーター養成講座」なるものを受講しているところで、母の亡くなった今でもこのことを痛感させられています。
このところずっと深い霧の中の朝でしたが、昨日からかなり気温が高く塾でも暖房をつけなかったほど。しかし、今日の昼過ぎから寒冷前線の通過に伴って冬型の気圧配置になるという予報。外に置いてある耐寒性でない植物をそろそろ中に入れてやらないといけなくなりました。初霜の降りるのも時間の問題ですから。








妻は昨日早朝から栃木の息子夫婦のところにお出かけ。孫が気管支炎で一週間ほど入院したのです。ちょうど昨日は退院の日だったので、いっしょに病院から帰ってきたと言っていました。たいしたことがなくてよかった。もうそろそろこちらに向かって車を走らせている時間でしょう。関越道と東北道の間の高速が開通したので、行き帰りにずいぶん時間が節約できてすみます。こんなときは高速道路のありがたさを感じるとき。

民主党政権ができ国会での代表質問が終わってみると、「早くも」というか「やはり」というか、ともかくその限界がモロに出てきているような気がします。
最も急がれるはずの「後期高齢者医療制度」の廃止や非正規切りを阻止して安定雇用を実現するための緊急施策があとまわしにされ、機械的で硬直したマニフェスト絶対主義(実は郵政関連の人事にみられるように「抜け穴だらけ」)がはびこって、あちこちで矛盾が吹き出しているという様相。
結局この根本には「財界にものが言えない」「アメリカにものが言えない」という最も肝心要のところで底が抜けているために、何をやろうとしてもうまくいかないということです。
普天間基地の移設問題でも、これまでの経緯を見れば、当初民主党が主張していたように「県外か国外」以外に解決策はない(より根本的には基地閉鎖、日本の負担なしの国外移設)にもかかわらず、アメリカの恫喝一つでコロッと態度が変わる腰砕けの外交。その底には何と言っても民主党のアメリカに弱い立場が横たわっています。
農業問題でもまったく同じ構図。「FTA推進のために『所得保障制度』を導入する」という支離滅裂な政策となっているわけですから、財源がなければFTA推進だけが先走って尻つぼみでなけなしの「所得保障制度」でお茶を濁すということになりかねません。
あちこち切り刻んだり増税と抱き合わせて莫大な額の「子ども手当」や「高速道路無料化」の財源をつくり、いよいよ強行実施となれば、おそらく様々な分野で必ず深刻な矛盾が露呈してくることになるでしょう。

すでに沖縄では、普天間基地の移設問題をめぐって民主党への失望感が広がっています。次は10月29日の沖縄タイムスの社説の冒頭。

防衛省ではまだ政権交代が実現していないようだ。民主党のマニフェスト(政権公約)は、衆院選期間中に限定された人気を得るための甘い言葉だったのだろうか。

琉球新報も同日の社説で次のように書いています。

嘉手納統合案は県内移設ありきの発想を出ない。「県外・国外移転」を明記した民主党の公約を裏切るものだ。県民の声に真摯(しんし)に耳を傾けるなら「県外・国外移転」の初志を貫くべきだ。
民主党が掲げる「対等な日米関係」、連立3党合意の「米軍再編見直し」は、沖縄に犠牲を強いる日米安保を見直すものと考える。


池田町で見ればどうか。町は中山間地交付金を使って確たる見通しもなく荒廃桑畑の開拓がすすめられ、それにあわせて東山中腹を「北アルプス展望」と称してコンクリート道路を作ろうと作業が進められています。ほとんど車が通らないことが予想されるのに、ただ予算をつけてもらったというだけで、大切な里山をコンクリート道路で固める愚策が進行中なのですからどうしようもありません。これなどは直ちに凍結し、どのような道路整備がいいのかあらために検討しなおすことが必要でしょう。補助金行政のひとつの典型的な悪です。

昼前妻が無事到着。「暑い暑い」と言いながら部屋に入ってきました。確かに、フェーン現象のような汗ばむ暑さ。今晩からは天気も急速に悪くなりそうなので、お昼頃には冬越しの植木を部屋に入れてしまいました。書斎はまるで温室のようになってしまいました。まあ冬のうちはしかたないか。







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