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  4月30日(木)
28日の午前中から点滴を開始し、午後2時過ぎから前と同じように手術室へ。半身麻酔での手術は経験済みとはいえ、気持ちのいいものではありませんね。
今回の手術は膀胱内の組織検査と腎臓の造影検査。麻酔をかけたといえ尿管内に管を入れ造影剤を注入するときは相当に痛い。どうやらここに異常があるらしく、手術開始から終わりまで一時間近くかかってしまいました。
軽い手術だという当初の見込みははずれて、前回よりはるかにしんどく、終わってからもそのままぐったり。翌朝までぼんやりしていました。
次の日までオシッコは真っ赤っか。ただ救いは思いの外早く血尿は引いて、昨日の午後からはわりときれいな状態に戻ってきたので一安心でした。

今回の検査について現在までわかったことは次のようなことでした。
腎臓内造影検査の結果、片方の腎臓内(腎盂)に何らかの異状が認められる(腫瘍らしきものが認められ、かつ造影剤が散ってきれいな像にならない)。
そこで今後、今回の検査の目的であった膀胱内の組織の検査は当然として、異状の認められる腎臓内から無菌の尿を採取してガン細胞がでているかどうか調べ、さらにMRIを行う。また採尿バッグ内の尿を詳しく検査する、ということになりました。この結果は5月15日にわかります。

腎臓内で採取した尿からガン細胞が見つかれば腎盂ガンということで治療法は片方の腎臓摘出ということになるのでしょう。もしそうでないなら治療方針はまるで異なってくるわけで、なんだか複雑でどんどん深刻な事態になっていくようで対応に苦慮しています。
もともとオシッコがでにくく、残尿感があるということで診察してもらったことが発端だったのが、最悪の場合腎臓や膀胱摘出などという恐ろしいことになりつつあるのは予想外で、全治まで相当期間かかりそうな気配。もっとも、そうでない可能性もまだ否定できないわけですから、いざとなればセカンドオピニオンの権利行使も含めて納得できる対応を求めていかなければと思っています。

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というわけで、今日30日午前中に退院してきました。もともと3日くらいの入院予定でしたから、ほぼ予定通り。昨夜はちょっと熱が出て心配しましたが、今朝には下がっていたので無事退院許可が下りました。
きのう今日と最高の行楽日和。家に着くとまわりの田にはすっかり水がはいり田植えを待つばかり。あたりの木々もいよいよ新緑に包まれはじめました。今年は畑仕事は妻や子どもたち家族にまかせて私は監督業に専念しましょうかね。よろしく。



  4月27日(月)
今日から4,5日検査入院します。これで病気の部位がはっきりすればいいのですが。
手術の内容は腎臓、尿管の造影検査と膀胱内で何か所かの組織を取ることです。前回の膀胱出口の組織検査と違って、比較的小さな組織を取るので退院も早いと説明されました。とにかく早く検査結果が出て問題の所在を突き止めてほしいものです。というわけで、しばらく更新をおやすみします。

昨日は午前中は妻の味噌造りの付き添い。午後からは友人宅でパソコンの設定におつきあいしました。
午前中の味噌造りは昨年と全く同じ場所、同じ流れ。ただ一つ違うのは、10キロの大豆のうち5キロは我が家でとれた大豆を使ったということです。
味噌造りを行う場所は大町市八坂の人里離れた小さな加工場。まわりは新緑に包まれ始めた山の中。近くではコゴミ、フキ、ワサビなどの山菜がとれ、野鳥がさえずっています。
味噌造りについては妻がくわしく書くでしょうから私は省略。私はちょっと味噌に触っただけで、あとはカメラを向けたり見学していただけでした。

午後からは友人が新たに購入したデスクトップ機の新規設定をお手伝いしていました。ドライバを入れたり、登録したり、新しくソフトを入れたりしないといけないので結構時間がかかりましたが、無事終了。すばらしい一台ができあがりました。これからはこれを使って、大いに仕事をし、楽しむことができます。期待しています。



  4月24日(金)
夕方の「必殺・・」を見ていて最後のオチでは笑っちゃいました。「定額給付金」=「ご公儀振る舞い金」という世相をうまくとらえた設定もなかなかだし、最後に「振る舞い金のあとに『あきない税』があるなんて・・」と「こう」と「ふく」の会話で言わせ、定額給付金が消費税増税とセットであることを皮肉っているところはさすがでした。
「殺人」という方法でしか恨みを解決できない限界はもっているとはいえ、この番組に根強い人気があるのは、現在人々が抱える言うに言われぬ怨念や怒り・哀しみをベースにしているからなのでしょう。
たしかに警察に不祥事が相次ぎ、検察も権力よりの行動を強め、巨大資本の強欲さ・身勝手さが庶民の暮らしやいのちを根底から揺さぶっているという現状のなかでは、願望として「仕置き人」に登場してほしいとさえ思うのは私だけではないでしょう。
もちろん今日では非合法のこうした裏稼業が成立するはずもなく、当然ながら現在それを果たすべきなのは庶民のための政党であり、労働者や農業者のための労働組合・農民組合であり、生活者のための協同組合です。そして、庶民向けの顔をしつつやることは大企業・アメリカ向けというろくでもない政治家のみなさんに「選挙」という最大の力で「仕置き」をするのは、現代の仕置き人=選挙人であることもまた忘れてならないことです。

ところで草薙くんの酒の不始末でマスコミは大騒ぎ。もう少しマスコミも「大人」の対応ができないもんですかね。「容疑者」よばわりが釈放されると一転「さん」づけに。確かに酔っぱらって夜中に素っ裸は恥ずかしいことだけれど、「公然わいせつ」とはちょっと違うんじゃないんですか。
それよりも、自分の娘をじゃまになったからといとも簡単に殺すような親がもう2度と出ないように、幼児虐待問題や老人虐待問題に喰らいついていく姿勢がマスコミには必要です。

今日は妻が休みだったこともあって一日中畑の手入れをしていました。私は午前中一時間ほど外に出ていたら何となく身体がだるく感じて午後はずっと休んでいて、気がついたら妻はまだ外に。昨年植えたニンニクやラッキョウのまわりもようやくきれいになりました。少しずつ、草取りも進行中。
私の方は、畑仕事は今日は無理だったので、夕方から5月16,17日に行われる「北アルプス展望ウオーク」のマップづくりをしておりました。今年は2日かけて行うので、両日で昨年を上回る人たちが参加してくれるといいのですが。季節もいいし、ウオーキングにはまたとないチャンス。
どれほど役に立つかはわからないけれど、あった方が良いだろうというくらいのマップですが、作業が細かいので結構大変。昨年基本はつくってあったので、割と早く何とか校正用のものができあがりました。



  4月23日(木)
つがいのツバメが我が家の玄関の真上(昨年と同じ場所)に巣作りをはじめ、頻繁に行き来しています。今年はもう初めから巣作りを断念させる気力もなく、彼らに家の新築を許して見守っています。
ネコのハルちゃんは昨日は雨の中ちょっと外に出て行ったと思ったら小さいネズミを捕まえてきてペロリ。今日はまた朝からスズメを捕まえてきてこれもペロリ。いやはや春は花だけではありませんね。


身近なところでは、息子の嫁さんのお母さんが膵臓ガンの手術を乗り越えて退院、順調に快復しつつあります。電話では「手術をした直後はこれでもうダメだと思った」と述懐されていました。
先日の友人からのメールによれば、あの七生擁護学校(東京日野市)の性教育について、民主・自民の都議や都教育委員会からの乱暴で理不尽極まる攻撃に敢然と裁判でたたかった金崎満元校長もまた胃ガンや肝臓ガンと闘いそれを乗り越えての勝利だったとのこと。彼にして「ガンで手術したときはもうダメかと思いました」と言わせるほどの病状だったといいますから、病魔との闘いの壮絶さがわかります。
私の父はもうずいぶん昔に胃ガンで亡くなり、弟が数年前に中皮腫で死去、続いて私にガンが発見されたのですから、私でなくとも深刻に受け止めざるをえません。ただ、幸いに私の場合は内臓のガンではなく泌尿器関係ですから、まだ軽いほうなのでしょう。もちろん病状を甘く見ることは絶対にできませんけれど、病巣さえ特定できれば治療の方向ははっきりしています。
ガンと真正面から向き合い、つきあい、たたかい、克服しつつある人たちは全国に無数にいて、その人ごとにその人らしい人生をつくっているのですね。
私自身はこの日記でも書いているとおり、悲観も楽観もしていません。病人らしくしようとも、無理に元気に装おうとも思いません。辛いときは辛いと言い、楽なときはそう告げ、外に出たいときは体調と相談して外に出る。普通に生活して、病気のことは医者を信頼して任せる。それがいちばんだと思っているのです。よく「気持ちの持ちよう」という言い方をしますが、苦しいときは頭も苦しいわけで、無理に楽観的になるなんてやはり変です。そうではなく、ありのままを受け入れることで、自分の中の生きる力を引き出していくことができれば、そのうち必ず方向が見えてくるのではないでしょうか。
もちろん最悪の場合は、ガンの転移で思いがけない展開になることもあるかもしれない。たとえそうであっても、一日一日をとにかく自然に生きていることが大事なのではないかと思えます。

さて、昨日私が教えている塾の生徒(高校生)の一人に電話をして、事実を伝えました。隠している方が不自然だし、できるだけ事実を正しく伝えて協力を求めた方が素直に話ができます。彼ら彼女らもきっと同じ思いでしょう。私としては早く全快して、仕事に復帰したいのは当然で、もちろんその気持ちも伝えました。私にとって、高校生・中学生の彼ら彼女らは私に元気エネルギーを注いでくれる原動力みたいなものですから。

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NZから帰って政治ボケしていた私の頭の中はまだそのままですが、そのボケた頭でも3月末から今までの間でほとんど変化がないことにびっくり。民主党は相変わらずだし、大型補正予算で少しでも支持をつなぎたい自民も同じ。
その民主党が「企業・団体献金全面禁止」を選挙公約に入れるというニュースを聞いたり同党のホームページでの記述見たりしていると、その実効性はゼロに等しいと思ってしまいます。過去にも同じような場面が幾度もありましたけれど、企業団体献金は一向になくなりはしませんでした。
そもそもそれをなくするために政党助成金制度を強引につくったのではなかったのでしょうかね。自民も民主も企業や団体からも金をもらい、国民の税金からも政党活動の資金をかすめ取り、個人献金に至ってはほとんどゼロに等しい。それが完全に体質になってしまっている政党がどうやって企業・団体献金を禁止できるのでしょうか。もし、企業献金をやめるなら政党助成金もやめるのがスジ。文面で約束したとしても、自民・民主のみなさんは実際には必ず抜け道を見つけ出してせっせと献金先を探すことでしょう。
政党はその政党を支持する個人が拠金したり、政党自らの努力で資金をつくるべきもの。この一事だけで、どれほど耳障りのいい選挙公約を並べようが、全く信用することはできません。
こうした報道をするマスコミは、企業・団体献金とは無縁で個人献金と党費、政党の出版活動などだけで活動を活発に行っている日本共産党の存在についてハナから無視です。私にいわせれば、この一事だけでこの政党が信頼するに足る資質を持っていると思うのですが。
ひところ共産党が「潤沢な」資金を持っているのはソ連や中国から金が流れているからだというようなデマがまことしやかに流された。さすがに最近は見られなくなりましたが、そのかわり無視です。なぜこの政党がそのようにできるのかを追求しようとしているのはむしろ海外のメディアだというのはこの国のマスメディアの現状を逆照射しているようなもので興味深い。



  4月22日(水)
「バイ菌だらけですね」
「やっぱり膀胱炎ですか」
「ずっと栓をしていたでしょう。そうすると細菌が入りやすいし、膀胱の中で菌を培養しているようなものです」
「バッグをつけていた方がいいんですか」
「とにかく尿をためないこと。水分をたくさん取って洗い流すことだね」
「寝ている間も?」
「そう。菌を退治する薬をだしておくか飲んでください。Mさんはどんな薬でも効くようだし・・」
「わかりました。ところで先生、PETってどんな方法なんですか?」
「ペット?」
「ピーイーティーっていうんですか。組織を検査する方法があるって聞いたんですけど」
「放射線を含んだ液を注入して悪い組織に集中させる方法ね。泌尿器には無力だよ」
「どんな悪い組織でも対応できるってことではないですか」
「何でも対応できるように思わされているのは製薬メーカーとマスコミの宣伝」
「そうなんですか」
「やりたいんですか。保険ききませんよ」
「いや、どんな方法なのかを知りたいと思いまして」
「そんなうまい万能の方法があるのなら、とっくにやっているよ。Mさんのような症状には全く使えません」
「はあ・・・」
「検査まで5日あるから、その間にしっかり薬を飲んでください」
「わかりました。ありがとうございました」

昨日から、下腹に痛みを感じる症状がさらに深刻になって、今日は朝一番に病院に出かけました。その結果が上のような会話。結局家にいる間はバッグをつけておかなくても必要に応じてトイレにいけばいいかと簡単に考えていたのですが、それが悪かったようで、先日管を交換したときから今日までの間に膀胱に尿をずっとためていたために膀胱炎が発生してしまったというのが事の真相。
抗生剤を処方してもらって今日の午前中から飲みましたら夕方にはかなり症状が緩和しました。抗生剤の効き目はやはりすごい。

午後には、ガンの手術をして2ヶ月以上闘病生活を強いられていた息子の嫁さんのお母さんから元気な声で「退院した」という連絡がありました。私の症状も気遣いつつ、まだ歩行も満足にできずこれからリハビリにもとりくまなければならないが、「順調に快復している」と医者から告げられたと状況を話してくれていました。よかったです。
お見舞いに行った頃には私がこうした状態になるなんて思っても見ませんでしたが、「お互いにしっかり治療して元気にならないといけませんね」と話し合ったことでした。

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昨日の雨がウソのように気持ちのいい晴天になり、とくに午後からは日向にいると本当にウラウラと夢の世界に誘われるような陽気。少しだけ外にでて草取りをしました。
一日の作業量が限られているので、まだ庭は草の中。それでもそれをおしのけてアスパラが大きく旨そうな芽を出し、ハスカップの花が満開。ニラの葉が茂ってこれもうまそう。我が家の庭は食料の宝庫です。今年はあまり大がかりに畑ができそうにないので、妻と相談して重点的にやらざるをえません。体力づくりを兼ねて無理せず楽しみながら畑仕事をしていこうと思っています。









  4月21日(火)
朝から曇り空で、どうやら雨になりそうな雲行き。できるだけ雨の前に草取りをしたり、イチゴの植え替えをしようと思って朝から外に出て少しずつ仕事をしていました。しかし、一昨日のカテーテル騒ぎのあと、どうも調子がよくなく、膀胱炎ではないかと思われる症状に悩まされていました。今日一日は何とかしのぎましたが、明日は医者に行って見てもらおうと思っています。

午後から妻と携帯の機種変更にでかけ、新しい携帯に変えました。いままでのものが使い勝手がよく手放したくはなかったのですが、いかんせんすぐにバッテリー切れになっていたしジョグダイヤルの壊れるのも時間の問題と思われたので、私のものも思い切って変えることにしました。慣れるまでがまた大変です。よけいな機能もついているし。ついていてほしいものがついていないし。

夕方からは、旅行中に日本語入力がうまくいかなくなってしまったEeePCのOSの入れ替えをやっていました。完全にリカバリーしてまっさらにしてしまうことに。入院時にまた持っていきたいので、必要なソフトだけ入れることにしたつもりが、いつものクセで結構な容量になってしまいました。リカバリーCD-ROMに入っているものは、WiondowsXPそのものではなくて、付属ソフトも含めてインストールしたものをGhostで保存し、それを再度入れ直すという簡便なものです。こんなやりかたもあるんかいなと思いました。従ってOSの認証などは不要で、その意味では簡単に購入時の状態に戻せるので便利です。
この10数年来、元々のOSからいつもやり直すことしかやったことがなかったので、ちょっとびっくりでした。たいていのリカバリーソフトはそうなっているのかな。旅行に持っていくことが目的で買ったとはいえ、これからもいろんな機会に使えるマシン(おもちゃかな)ですから、使い切るようにしないといけませんね。


  4月20日(月)
家を空けている間に、庭や畑は草ボウボウ。普通に生活する分には全く問題がないので、ここ2,3日は庭に出て2,3時間草取りとイチゴの世話をしています。
とくにプランターに植えたイチゴがほとんどダメで、裏の畑に大量に植えた苗を移植する必要があり、その作業も日課の一つになっています。昨年ならば2,3日くらいで一気にやっていた作業も、今年は一日プランター3,4個くらいとのんびり。もうイチゴの花はずいぶん咲いてしまっているのでうまくいくかどうか。家の前を通りがかる人に自由にとって食べてほしいと願って植えています。
今日もある方がお見舞いに来てくださったのですが、私と来たらイチゴの手入れの真っ最中。「どこか悪いと聞いて来てみたが、もう元気になったのか」と言われてしまいました。病人らしく青い顔をしているわけにもいかないし、いちいち説明をしないといけないので大変です。

ところでそのイチゴ、今年は裏の畑に、それこそイチゴ狩りができるほど苗が育っているので、我が家で食べるイチゴはジャムも含めて十分すぎるくらいありますから、プランターは昨年通り鑑賞とお客様用。何とかうまく育ってほしいですね。季節になったらどうぞイチゴ狩りに来てください。


また、ラズベリーがこれまた大量に芽をだして、今年も豊作の予感。土地と気候にあった木は放っておいてもどんどん育っていくものですね。草と同じですごい生命力です。
このラズベリーをあちこちで育ててそのまま冷凍したりジャムをつくったりして商品化することが私の狙い。いずれは我が家の前に小さい茶店をひらいてチーズケーキとコーヒーを提供できたらいいねと妻と話しています。

夕方になると毎日のように大町まで仕事に出かけていたのに、今は代理の人にしばらく替わってもらって塾はお休み。生徒たちからはいつから出てくるのかと催促されているようですが、とにかく手術が終わって全快するまで待ってほしいと伝えてあります。
したがって一日時間的な余裕はあるのですが、体のどこかに支障があると一日の使い方がうまくいきません。ある意味仕方がないわけで、これを機会にむしろ体作りを中心にした生活をするように考えないといけませんね。
いろいろな方からお見舞い、激励をいただいて感謝しています。本当にありがたいことです。


  4月18日(土)
田んぼに水が入り始め、蛙の鳴き声があちこちから聞こえてきます。今日は朝から好天にめぐまれて、気持ちのいい春の一日になりました。
例年より早く新芽が芽吹き始め、桜がちょうど見頃。桃の花も今が盛りです。色とりどりの花が一斉に開花して、池田は春爛漫。






今日は私の義妹(弟[故人]の妻)家族が、私の見舞いに訪問してくれました。
弟が5年間前にガンで亡くなっているため私の症状を気にしてくれたことと、7月に予定していた弟と母の法事のことを相談する目的もあって、甥は東京から、義妹と姪は富山から、わざわざ来てくれたのでした。
しばらくの時間でしたが、一緒に近くのレストランに食事に行ったり、陸郷桜仙峡まで桜を見に行ったりして、楽しく過ごすことができました。






さて、検査結果がわかってから一日。実は昨日から今日にかけてちょっとした異変がありました。
検査結果を聞いた折に、いままでつけていた導尿の管を抜いてもらったのです。旅行ではかなり負担だったし、出血もほとんど止まっていたために、外しても大丈夫ではないかと私自身が判断し、医者に話してそうしてもらったのでした。
家に帰ってしばらくは、かなり大変ではあってもそれなりにでていたオシッコが、夜に入ると次第に出にくくなり、そのままでは朝までほとんど出なくなるのではないかと思われるような状態に陥ってしまったのです。
やむなく夜の10時頃病院に連絡を入れ、事情を話して緊急に対応をお願いしました。その結果、何とか事情を察して対応してくれ、再びカテーテルを入れて導尿。やっと安心して寝ることができるようになったという次第。ヒヤヒヤものでした。結局次回の検査まで、またそのままの状態です。



  4月17日(金)
今日医者から聞いてきた検査結果は、実に微妙で複雑。安心できるのかそうでないかもまだわからない。結果は次のようなものでした。

「当初疑われた部位の組織検査からはガン細胞は発見されなかった(組織変形は認められる)。しかし、それ以前の尿検査でははっきりとガン細胞が検出されている。したがって、腎臓、尿管、膀胱内、前回の部位の他の部分など、どこかにガン組織が存在する可能性が高い。もう一度それらの検査を行って部位の特定をする必要が出てきた」

エ〜〜あんなにひどい思いをして組織をとって、そこがガンでなかった!!喜んでいいのか悲しんでいいのか・・・妻も私も、てっきりすぐに入院してさらに大きな手術をするものだと「覚悟」を決めて医者の前に神妙に座ったのですが、検査部位の組織からは「ガンが見つからなかった」と聞いて拍子抜け。
しかし・・・です。話を聞いていくうちに、なんだか前より一層大変なことになっているのではないかと思えるようになってきました。
というのは、もしそこにガン細胞がないのだとしたらどこに潜んでいるのか。今後考えられる可能性の高いのは「膀胱」です。膀胱は前回内視鏡で問題となる組織異変は認められないはずだった。しかし・・・「膀胱ガン」のうちでも「上皮内癌(CIS)」というのがあって、これは膀胱内の皮膚にガンが平たく張り付いて散らばっているような状態のガンで、内視鏡で見てもわからないのだそうです。つまり、内視鏡検査でも異常は発見できなかったということは、このガンの可能性も否定できないということなのです。
これはあくまで一つの仮説。いずれにせよ「どの部位に問題があるのかは再度検査しないとわからない」というわけで、4月28日(27日入院)に再度組織検査をすることになりました。今度は3,4日で退院できるだろうと言っていましたから、それほど難しい検査ではありません。

今日は、検査結果を聞いた上で、旅行中にずっとつけていた導尿のための管とレッグパックを外して「フリー」になりました! それはいいのですが、長い間管を入れていた後遺症と、これまでの症状である「頻尿状態と大量の残尿」という状態は基本的に変わっていないわけで、どこかに長い時間を取って出かけることができず、しばらくはじっと家で静養です。もっとも、「都合がわるければいつでもまた導尿管を入れることができる」と言ってもらっているので、しばらくは様子を見ることにします。

ふ〜〜えらいことですね。妻や家族・知人にもたくさん心配をかけるし、私も事あるごとに「覚悟」を決めなければいけないし。
以上、とりあえずのご報告です。

ところでネコのハルちゃん、朝から私の横を離れません。トイレの中までついてきます。姿がちょっとでも見えないと不安そうに鳴いて私を捜しています。20日くらいの私たちの不在がよほど堪えたのでしょうね。ここ2,3日は甘えさせてやりますか。


  4月16日(木)
午後8時頃、予定通り我が家に戻ってきました。まず留守の間の家やネコのハルちゃんの面倒を見ていただいていたお隣にご挨拶をして、その後いくつか電話。遅い夕食をとってちょっと落ち着きました。
姿を見せなかったハルちゃんもまもなく現れ、はじめは落ち着きのない様子だったのに、すぐにベタベタしはじめてようやく安心した様子でした。20日も主がいなくなってしまったのですから不安だったのでしょう。


今日は朝7時過ぎに起床。本当は横浜まで行く予定でしたが、先方の申し出もあって親戚訪問はとりやめて、東京駅でいとこのTさんと待ち合わせてひとときを過ごしました。
あとは4時新宿発の「スーパーあずさ」で松本まで乗り明科まで乗り継いで我が家に到着。
東京ではたくさん時間があったけれど、Tさんと会う以外は喫茶店でコーヒーを飲んだりちょっと散歩したりした程度。むしろ、いつも見慣れた光景であるはずなのに昨日までとはあまりにも様子が違うことに戸惑いつつ、人の流れや様子、町のたたずまいをしっかり観察していました。


東京の町を歩くサラリーマンたちがどことなく暗い顔をして背を丸めて急ぎ足に歩いているのがまず気がかり。新宿のとあるパチンコ店の前に開店を待つ(?)たくさんの人だかりができていることやマスクをしている人が多いことにあらためて驚きました。また旅行中の人がみんなほとんど同じ黒い旅行鞄を引いていることがどうにも引っかかりを感じました。これって流行なんですかねえ。


電車の中ではあいかわらず携帯をいじっている若い人たち。漫画雑誌を読みふけっている高校生。居眠りをするサラリーマン。べつに悪いことばかりを書くつもりはないのですが、久しぶりに東京カオス(MNEMOさんの表現)の中に身をおいて、やはり気になることも多かった。
しかし、東京駅の中の店をまわりながら、何とまあ有り余るような商品の数々。しかも繊細を極めた一つひとつの商品。飲食店やホテルの細かい気配り。これは外国ではまねができない。
電車が東京を離れるにつれて目を引く山々の姿。これはまた何と美しい新緑でしょう。山里の姿は繊細で優雅。あらためて私たちの住む地域の形に目を奪われていました。桜や桃、こぶしの花たちがそれに彩りを添えるこの季節。こうしたたたずまいは人々の生活や精神のありかたに根本的な影響を与えずにはおかないはずです。しかしそれはまた海外の様々な形と意識的に対応させてはじめて、より意識的に内在化させることができるのでしょう。今回の旅行はそうしたことも考えさせるものとなりました。

さて、明日は10時に妻といっしょに病院に行き、検査の結果と今後の方針を聞いてきます。どんな話になるのか全くわかりませんが、どのような検査結果にも対応できるよう心の準備をして出かけてきます。


  4月15日(水)
無事成田に到着。成田エキスプレスで新宿まででてホテルにたどり着きました。まず、元気で帰国したことをご報告。成田に着陸した瞬間「生きて帰ってこられた」という実感がわきましたよ。

今日は朝5時ちょっと前に起きて荷物の最後の点検をし、頼んであったタクシーに乗ってオークランド空港へ。心配していた出国手続きもほとんど問題なく済んでニュージーランド航空の機内に乗り込みました。
日本との時差が3時間あるので、私たちの一日は27時間。約11時間かけて日本に戻ってきたという次第です。
いや〜〜飛行機は長かった。じっと座っているのが私も妻も苦手だし、しかもニュージーランド航空の飛行機は座席にゆとりがなくものすごく狭いので、きゅうくつ。よくデカイからだのKIWIたちから文句がでないものだと思います。
オークランド空港では40人くらいの日本の団体と出会いました。まとまって会ったのはこれがはじめて。結構たくさんこうやってきているはずなのに、あちこち旅行している間はほとんど出会わなかったのは不思議です。

とにかく英語漬けの日々から開放されてうれしいですねえ。ホテルの従業員からも、飲食店のショップからも話していることを聞き取ることは本当にむずかしいです。中学・高校の英語程度の勉強では初歩的な会話でさえ、やりとりを継続することさえ無理。学校では、もっと実用的な会話を重点にした英語の学習をきちんとやっておくべきだとつくづく思いました。学校では受験英語、実用会話は英会話教室なんてのはやはりヘンです。今頃になって英語を多少かじって外国に行っても、英語については得るところはほとんどなかったような・・・。
ただ、臆せずに相手に向かっていけば、普通の人ならちゃんとわかるまで応えようとしてくれることは間違いありませんけど。旅行中にうけたいくつかの親切はそれを物語っています。若い間にこそ海外で英語の力を確かめることを含め、見聞を広める経験を積むことが大事だと思われました。

さて、旅行中いろいろ気遣いいただいてメールをくださったみなさんにはお礼申し上げます。残念ながら送信がうまくいかなかったために返事を書くことができませんでした。

新宿に着くと、昔と変わらず人の多いことに辟易。大きな荷物を引っ張ってホテルまで行くのが一苦労でした。
明日は横浜の親戚まで足をのばすので、池田にもどるのは夜8時近くになります。というわけで今日はとりあえず帰国の報告まで。(新宿のホテルにて)


  4月14日(火)
予定通りというわけには行きませんでしたが、それでもとにかく空港近くのホテルまで到着。明日のタクシーも予約してあとは空港でのチェックインを待つだけとなりました。
10時半ごろMercure Windsorをチェックアウトして、まず向かった先が鉄道の始発駅ブリトマート駅。列車の体験もして見ようと、大雑把な計画をたててオークランド郊外の動物園に行こうとして6つほど先の駅で降りました。これが大きな間違い。何にもない。駅舎もない。人もいない。




朝の牛乳があたったのか、おなかの調子も悪くてスゴスゴとまたもとの駅に戻ってきて、次に映画にでも行こうとクインズ通りを一キロほど散歩。しかし映画の時間が合わなくてこれまたスカ。結局オークランドで初めて入ったラーメン屋でおいしいラーメンを食べて、そのまま空港行きのバスにのり最後のホテルへ。
ここがまたぶっきら棒の女将さんが一人で受付にいて、なんとも雑なあつかい。まあ、素泊まりだから寝られればいいけど。
空港までオークランド中心地からは25キロほどあるので、明日朝出発していては時間がないので、空港から5キロほど先にホテルをとったのでした。
予想通り、この近辺はただホテルやモーテルがいくつかある宿泊基地で他は民家があるだけのところ。店らしいものは何もありません。ちょっと外にでてみましたが、そうそうに引き上げあとは寝るだけ。
ともかく無事にここまでやってきました。

今日は父の命日。昔の写真をかかげて、二人でささやかにお参りをいたしました。


ニュージーランドに来て日記をつけるのはこれが最後です。
40代に2週間ほどヨーロッパに行った他はこれが2回目の海外旅行。前回はガイド、添乗員付きの何にも心配の要らない旅行でしたが、今回は二人だけの完全に自己責任の旅行ですから、何が起こるか全く見当もつきませんでした。
よくどうしてニュージーランドを選んだかと聞かれるのですが、あまり文化や歴史といったことに関係なく、単純に安全に楽しみたいという理由が最も大きなものでした。妻とはちゃんとした旅行もしたこともなく、ここまで来たので、せめてふだん出来ない経験を二人でして見ようという気持ちもありました。そして最後にかつての友人との再会を果たしたいということ。
行動の細部まであらかじめ決められた旅行者のツアーではどうしても表面的な観光に終わってしまいがちです。今回は英語圏ですから、そうした旅行では体験できないこともできるのではないかという冒険心もありました。
これまでの日程や経験をまとめてみると、ほぼ目的は達成できたのではないかと思っています。
あとは日本にもどってからまたゆっくり振り返って見ることにします。


  4月13日(月)
今日は月違いの母の命日。明日は父の命日です。こちらでは花も何にもないので、せめてスーパーで買ってきた果物やジュースを供えてお参りしました。


オークランドは20度位あるので、Tシャツだけでも過ごせるほど。町を歩いている人をみると実にさまざまで、Tシャツだけの人から南から来たような厚着をしている人、ブーツを履いている人、ほんとうにいろいろです。
あいにくはっきりしない空模様でしたが、雨はなし。ニュージーランドについてから本格的な雨だったのは一日か二日夜だけで、日中に行動している間雨はなく、本当にラッキーでした。

さて、今日の行動については妻がくわしく書いているので、今回も私は省略。ニュージーランド滞在も大詰めに近づき、帰国の日が近づきました。今日はネットに接続して一気にアップします。

さて、これまでいろいろニュージーランドを観察してきましたが、やはり若い国という印象。第一に国土が広いけれど、それらはほとんど牧場に開拓され、小高い山の上もすべて牧草で覆われています。その分、公園や家々の周りには想像を超える木々で覆われ、それもみんなでかい。日本とは桁違いにみんな大きいのです。それらは意識的に植えられたものですから、自然に対する意識は日本とは相当に違うと感じます。

次に、人口が少なく道が広いので、郊外の道路は大体制限速度100キロになっています。ものすごいスピードで走るので、すべて高速道路並です。市街地に近いところではほとんどロータリー式の交差点になっていて、信号がなく右方車優先。合理的に通行が出来るように配慮されています。市街地でも住宅地に入ると道路のところどころに小さい突起が設けられてスピードが出せないようになっていることも驚き。そのままスピードを出して走ると車が壊れるほどですから。これは参考になっても、道路でのスピードや交通ルールなどは人口に応じたものですから、あまり参考にはなりません。ただ、公園や緑を大切にし、休日には子どもづれでそこにでかけてゆっくり過ごすというアウトドアの思想は行き届いているようで、どこの公園でも沢山の家族連れに出会いました。

第3に、どの都市にも海外からの移民、労働者がいて、飲食店などの従業員をつとめています。一番目立つのは中国。続いて韓国、トルコなど。これは東京などとも同じ構造になっているのでしょうか。これはあくまで都会の話で、古くからの町では、今日訪問した港町のように昔からの古い町並みが続いているところも多く見られました。土地の広い分、まだまだ他民族の流入する余地がある国だと思われました。
ただ、見習うべきは、これだけの広い国を少ない人口でやっていけるということ。つまりさまざまなインフラに十分投資できる力をこの国はもっていること。財政的な困難はどこの資本主義でも同様でしょうが、巨大資本が巨額の内部留保をためこみ政治に介入し、住民本位のインフラや公共投資に背をむけているような日本の腐敗した資本主義とはあり方がまるで異なる。

ニュージーランド人はさほど綺麗好きとは思えないけれど、町は全体に綺麗です。タバコを吸う人が極端に少ない。ほとんどどこからも喫煙を駆逐しているという感じがします。環境や健康にはかなり力をいれているのでしょうが、食事に関してはそうもいえない。スーパーに行くと肉や乳製品などがうずたかく積まれています。
ただ、健康にはものすごく意識が高まっているようで、走っている人の多いこと。若い人はマウンテンバイクなどに力を入れている人もたくさんいる。若い人たちが携帯をいつまでもいじっているとか、コンビニの前にたむろしているとか、そんな雰囲気はオークランドには全くありません。

若い人たちの服装は概してシンプル。長い足ですっきり着こなして歩いている姿に見とれてしまいます。前にも書きましたが、18を過ぎるとひとり立ちせざるをえない国民性からなのか、自らの責任で行動する姿勢が町を歩姿にも表れているのでしょうか。
もう少し内部から若い人たちの姿を見る機会があればもっと違った姿も見えてくるのでしょうが、街角から見た限りではそう。日本の若い人がもっと海外にでかけて、同世代の若者の姿と接することが必要だと思われたことでした。

さて、これがニュージーランドから送信する記事の最後になります。英語については聞き取りができないので、ほとんど収穫はありませんでしたが、まあ、行って帰るくらいは出来るという点では一つの経験になりました。なにしろ言葉の壁は厚い。

4月13日(月) オークランド対岸のデヴォンポートへ



  4月12日(日)
無事オークランドに到着しました。途中クインズタウンで乗り継ぎがあったので、その搭乗券がちょっと不安でかなり早く空港に向かいましたが、空港はガランガラン。すぐに手続きは出来たものの、拍子抜けするほど簡単に2,3分で終了しました。あとは搭乗まで1時間ほど手持ち無沙汰。
相変わらずクインズタウンからクライストチャーチへの双発機はローカル色まるだし。搭乗にはセキュリティチェックなし。今日誕生日の男性が乗客の「ハッピーバースデー」の大声ににぎやかに送られて操縦席にご招待。乗客の子どもがキャンデーを配るお手伝い。これはいったい何事でしょうか。
ところがクライストチャーチでは、例のごとく隅々までボディチェックされるという厳重な審査です。同じ航空会社なのに、全くわけがわかりません。
飛行機からの見晴らしは行くときよりも雲が多かったためにあまりよくは見えませんでしたが、それでもマウントクックや富士によく似たマウント・タラナキなどの山々が見えて飽きずにオークランドに到着です。

長い外国の旅もそろそろ終わりに近づきました。ゆっくり我が家の風呂に入りたいという気持ちがそろそろ。英語漬けにも飽きてきたし・・・。明日は近くの島にちょっと出かけてあとはお土産を買ったり休養したりして過ごすつもりです。次第に報告することもなくなるでしょうから、あとは日本に帰ってからということになりそう。

4月12日(日) クインズタウンからオークランドへ



  4月11日(土)
クインズタウン3日目。ニュージーランドの始めての都市を訪れる最後の夜です。妻との二人だけの旅でここまで無事来られたのも奇跡のようなものですね。


今日は午前中に近くのクインズタウン公園に散歩にでかけ、その足で隣町のアロータウンにでかけました。
この町は、1,860年代にゴールドラッシュが起こり、それをきっかけに栄えた町だということで、町並みにも当時の面影を色濃く残しています。町の繁華街は全体にレトロで、観光馬車などもあって、のんびりしたもの。並木や近くの山は紅葉がすすんで、とても綺麗でした。

行きも帰りも、クインズタウンのたたずまいを再度みているのですが、日の光によってその見え方がぜんぜん違います。今日は晴れ間が時折見えるものの雲が多く、湖面にも波があって昨日の美しさはどこへやら。妻とも「今日ここに来たらきっと『クインズタウンって何て寒い風の冷たいところだろう』とか、『うわさに聞いてきた綺麗な町とはぜんぜん違っているね』という感想を持っただろうね」と話し合ったことでした。それくらい光の具合で山の輝きや木々の色合いが異なってきます。昨日は、最高のコンディションだったわけで、ものすごくラッキーでした。




今日は私がアロータウンにいたころから頭痛に悩まされ、早々にホテルに帰って痛み止めを飲んで少し休みました。6時過ぎにはほぼ元通りになったので、本当は映画にでも行こうかと言っていたのですが、行っても意味はわかないし、まあゆっくり休むことにしましょうと話し合って、いつものレストラン街に行き、インド料理のコーナーでカレーを食べてきました。
夕食は時々レストランを利用しますが、いつもは簡単なものを買ってきてホテルで安上がりの食事。節約につとめています。何だかんだと結構出費がかさむので、トータルでいったいどれだけになることやら。しかし、あとはオークランドでお土産を買って帰るだけですから、だいたい考えていた予算内でおさまりそう。

ところで、昨日は池田のITさんから「いっしょに旅行をしているようだ」というメールをいただきました。返事を書こうにも、送信サーバーが言うことを聞いてくれないので、この画面上を借りてお礼申し上げます。池田のことは完全に忘れて(何しろガイジン・・ここでは私たちがガイジンですけど・・・に囲まれているので、気が抜けないんです・・・)遊びほうけております。帰ったらまたウオーキングなどについて出来る限りのことをしますね。(もっともすぐに入院と言う事態になりそうですが)
ともかく、二人とも元気で約2週間の日程を終え明日オークランドにもどります。

4月11日(土) クインズタウン、アロータウン



  4月10日(金)
ホテルでは全国共通のネット接続業者に加盟しているらしく、どこでも同じ課金の接続となります。部屋からは無料のネット接続はできません。2時間でだいたい10ドル。それもメガバイトあたりいくらというふうになっているので、毎日接続していると金額がばかになりません。しかも、クライストチャーチのホテルは接続できず、こちらでもメールのやり取りができなかったりと結構トラブルが起こります。
しかもこっちのミニPCの調子もあまりよくないとあって、毎日の様子を書いてまとめて送信するのも結構大変です。それでも、だいたい4時ごろに一日の行動が終わり、それから夕食まで休憩しながら写真の整理などをやっています。
移動日はたいしたことはないのですが、今日のように集中してまとまった行動をすると、写真だらけ。あとが大変です。

さて、今日の行程については妻がくわしく書いているので、私からはほとんど報告することがありません。ただ、ここクイーンズタウンという町はどこからどう切り取っても絵になるような、それはそれは別世界に来たようなところです。こんな町があるんですねえ。




そうそう、夕食に入った「南十字星」という日本料理店。ここはニュージーランドでも一押しの日本料理店です。現地の人や他の国の人にそれほど媚をうらないで、きちんと日本料理を紹介しようとする姿勢や、料理そのものの味もよく、なかなかのものでした。ただウドンだけは手打ちのようなわけにはいかず、乾麺を戻したようだったと妻の話。
ちなみに妻は「天ぷらうどん」、私は「天ぷら定食」と「たこ刺」。料理を目の前にしていると、いったいここはどこなのだという不思議な感覚に襲われます。気がつくと店内には旅行者がたくさん。常連の現地の人たちを思しき人たちも沢山来ていて、結構にぎわっていました。
船の中で出会った日本人の若い女性たちは、どうやら大学を休学するか、卒業後すぐにこちらに語学研修に来ているらしい。夜はこのレストランでアルバイトをしているのでしょう。「まだこちらにいて、がんばります」と言っていました。

4月10日(金) クインズタウンにて



  4月9日(木)
ようやく最後の目的地クインズタウンにたどり着きましたよ。空港でのチェックインやホテルのチェックインも無事終わり、二人で町を散策にでかけました。私としては、何より無事到着したことが何よりで、ほっとしています。
飛行機は小型で双発のプロペラ機。空港も小さければ飛行機も小型。タラップまで歩いていかないといけません。とにかく乗るのに全くセキュリティのチェックがないし、しかも操縦席に息子と思われる子どもを乗せているという破天荒ぶり。いやいや、どうなっているんでしょうね。
機内サービスはいたって親切。たった一時間の飛行なのに一人一人に水、クッキー、コーヒー、飴などをくばり一人一人に目を行き届かせています。
さて、その機内からみたサザンアルプスの美しいこと。白く雪をいただいた山々がずっと連なっています。ロードオブザリングの舞台かなと思いながら見とれているうちにクインズタウンに到着しました。


クインズタウンはワカティプ湖のほとりにある、美しい小さな町。繁華街も100メートル四方にすっぽりと収まるほどの規模なのでゆっくり歩いてもすぐ一周してしまいます。こじんまりとしたレークサイドの保養地という趣です。
湖ではクルーズの大きな船が出入りし、ボートのアクティビティやパラグライダーなどがあちこちに見られ、活気に満ちていました。


夕方6時過ぎ食事に出て、町の中央にあるいろんな国の料理が集まっているセンターに行き、軽い夕食をとることにしました。昼食がちょっと遅く、しかも大盛りパスタを平らげたのであまり食欲がすすまず、結局マックに。ところがマックの若い店員の言うことのわかないこと。全く食事にありつくにも一苦労です。
何とか注文して食事を終え、あしたの朝食の食料を仕入れてホテルに帰る道すがら、気温のなんと低いこと。体感で5,6度という感じでした。これでは池田と何にも変わらない。たくさん着込んで行ったのに、ぶるぶる震えながらホテルに帰りついたことでした。
8時前だというのに、店はもうかなり閉まっていて、ここでも9時ごろにはもう夜のしじまに包まれるのでしょうか。

4月9日(木) クインズタウンに到着



  4月8日(水)
クライストチャーチ2日目。昨日は迷いに迷って歩き回り、結局目的地につかないまま引き返したので、今日こそはとタクシーで目的地の大聖堂まで行きました。ところが実はすぐそこ。結局昨日はどちらも道をまちがえて違った方向にどんどんすすんでいたことが判明、二人で苦笑いでした。
クライストチャーチはさすがに日本人の顔と声によく出会います。日本人にはこちらの都市の方が親しみやすいんですかね。日本レストランでの夕食の時には、退職後に二人で旅行に来ているらしい夫婦にも何組か出会いましたし、町でも若い人たちのグループとも会いましたから。

夕べ深夜から朝方にかけて結構まとまった雨が降り、今日は一日ホテルで寝ていようかと二人で話していたところ、朝食後にはもう晴れ間がでて、外に出ることができました。
さて外に出てみると、いやいや寒いこと。昨日までの半袖生活がうそみたいに風が冷たく休憩のたびに持っていた服を着ていかなければなりません。晴れ間が見えているときはまだいいのですが、そうでないときはますます寒くなるので、結局洋品店で二人ともジャケットを買うはめに。おかげでかなり暖かく過ごすことができました。一つ荷物が増えてしまった。


大聖堂前で暫く過ごした後、トラムという電車に乗って、お目当てのクライストチャーチ、ボタニック・ガーデン(植物園)に行きました。
市内を巡回するこのトラムというレトロな電車は人間のジョギングするくらいの速さでゆっくりのんびり走っていて、何だか市内全体が大きな公園になっているようです。


植物園もその公園の一角を占めているという趣です。
どこの都市でも広大な公園がその都市が管理して無料で市民に開放されています。たいていその中央には、だれか過去の金持ちなのかどうか、その名前を冠したローズガーデンがあります。この公園も例外ではなく、こじんまりとしたローズガーデンがありました。


全体としては期待したほどの公園ではありませんでしたが、その規模と歴史には舌を巻きます。木の大きさが桁違い。日本で商売をすれば一つ1000円位もするような松ぽっくりが至る所にありますし・・・クラフトをやっている人には羨ましい限りでしょう。(ちなみに子どもの顔ほどの松ポックリは一つ3000円くらいで売られていました)。
どの公園も市民の憩いの場としてしっかり管理され、散歩、ジョギング、読書、スポーツなどに利用されています。この公園でも走っている人が実に多い。


さらにクライストチャーチはさすがにイギリス仕込みの建物が至る所にあり、それらに関した展示物はここが一番充実していると思われました。

明日は最後の訪問地クイーンズタウンに移動。また飛行機です。ここはあしかけ4日。いままでよりちょっとのんびり過ごせます。

4月8日(水) クライストチャーチ



  4月7日(火)
こちらでテレビを見ても日本語は全くない。適当にテレビをつけて映像だけを見ていることが多いのですが、子守唄に聞こえてきます。ただ、BBCニュースを見ていたらイタリア・ラクイラ地方の地震やオバマのイスタンブール訪問、北朝鮮のロケット発射のニュースを流していました。
中でもイタリアでの地震についてライブで報道、180人ほどが亡くなり2000人近くが重軽傷、その他家を失った人が数万人にものぼることを絶えず報じていました。
北朝鮮のニュースはほんのちょっとだけ。日本上空で問題が生じれば打ち落とすなどと準備していた政府はどうしたのでしょうか。気になるところです。(ネットで調べればできるのですが、接続が高いので明日にします)

町のたたずまいはどこの都市でもほとんど同じ。道は広く、郊外の交差点はほとんどロータリーになっていて、速度が出せないようになっています。道を歩く若い人たちはみんな個性的に見えるのは思い違いか。日本のように携帯を持っている人は多いけれど、電話をするのが目的で用事がすめばさっさとしまってしまう。日本の若者のようにいつでもメールをしたりいじったりしている様子はありません。むしろ、アウトドアのスポーツなどで汗を流す人が多いように思えました。
マイクの言うには、18歳以上になると家を出て自立した生活をするようになるということ。自分の力で生活していかなければならないので、勢い自立心が養われるのでしょう。

さて、飛行機での島渡りは無事成功。いよいよ南の島の生活が始まります。ここクライストチャーチは散歩した限りではとにかく緑と花が多く、ホテルの前を流れるエイボン川は両側がずっと緑地帯になっていて、さすがガーデンシティの名をとるだけのことはあります。
川の両側の木は見上げる程に大きく高く、どれだけの年月ここに立っているのかと思わせます。1800年代の半ばにイギリスから渡った人たちが町を作り始めたといいますから、木が植えられてから100年以上はゆうにたっているのでしょう。




ところで、空港では日本人の団体をちょっと見かけましたが、それ以外では全くといいほど見かけません。だいたい個人の日本人観光客がフラフラと歩き回ることはないのかもしれません。
それでも私たちが日本人とわかるのか、ときどき片言の日本語で挨拶してくれるので妻は大喜び。こちらの車の9割は日本製なのですが、日本人やその文化はどのように受け入れられているのか、さっぱりわかりません。いずれにせよ、国として親近感はあっても、あくまで単なる小国のひとつにすぎないのでしょうか。自立した個人を尊重する欧米型の国民性からすれば、日本がかなりの相違を持った国であることは間違いないのですが、日本の人たちもまた異なる文化・国民性が数多く存在することをもっと深く理解する必要があるように思われます。
ここニュージーランドでもマオリの他、アジア、中東、アフリカなど多数の人種・民族の混在した国になっており、サービス業、清掃、交通などの職業を支えているのはそれらの人たちが多い。その意味で、ニュージーランドに来ていろいろな人と交わりを持つのもなかなか興味深い体験になります。
英語がストレスであるのは妻同様私も同じ。相手と話をするのは私の役目ですが、買い物をしたり道を聞いたりして結構わからないことが多いのです。適当に相槌を打ったりすることもあります。妻は「道を聞いたら」とか、「・・・したら」とよく言うのですが、私にすると「さて、どう聞いたらいいのか・・・」とまず構えてしまいます。頭の中でいろいろと考えて、それから実行に移すまで結構勇気がいるのです。
ただ、私が我ながら感心するのは「開き直り」でしょうね。おんなじ人間、とにかく何とかなるという信念みたいなものがあるのです。ですから、わからなくても恥をかいても、とにかく前にでるというそれだけで今日までやってきました。たいていの人はそれがわかりますから、親身になってくれます。その点はグループでのツアーではなく、妻と二人だけの旅行にして、辛い中にも面白いことがたくさんあるのです。

今日は距離感がつかめなくてとにかく歩き回るだけになってしまいました。ちょっと体調にも違和感があって、途中で切り上げましたが、明日はタクシー、トラム、バスなどでできるだけ体力を使わないように移動し、あちこちを見学しようと思っています。

4月7日(火) ウエリントンからクライストチャーチへ



  4月6日(月)
ウエリントンでの二日目。昨日からずっと強風が吹いて雲の動きがめまぐるしい。そんな中でも空港ではひっきりなしに飛行機が離発着しているから、ここのパイロットは慣れているのでしょうか。
今日は、朝は昨日前の店で買ってきたカップめんを食べただけ。ロトルアで結構お金を使ったので、これからは節約なのです。

午前中は、歩いてケーブルカーの乗り場まで行き、そこからウエリントン植物園へ。小高い丘の上につくられたこの植物園は25万平方キロメートルという広大なもので、まわるだけでたっぷり半日かかってしまいます。
私たちはそのコースの約半分、レディ・ノーウッドバラ園まで歩き、そこから折り返してまたケーブルカーに乗って市内に戻りました。




この植物園はうっそうと茂る高い木々に囲まれたところが多く、沢山の市民が走ったり子ども連れできていたり、どこかの幼稚園や学校の生徒たちも訪れて結構にぎわっていました。上り下りの起伏に富んでウオーキングを楽しむには最適の場所です。そうした道をぬって歩くと植物園の真ん中ほどにバラ園が現れます。それほど大きなものではありませんが、ちょうど円形の形をして、休憩地点にもなっています。たくさんのお年寄りが休憩所でゆっくりお茶をのんだり話したりして、ここはまたひとつの社交場。そばには大きなベゴニアのハウスがあって、これまた綺麗に整備されパーマストンノースと同じような雰囲気で植物をいろいろ楽しむことができました。




ケーブルカーは上の町と下の町をつなぐ乗り物にもなっていて、数分の車中、前にすわったおばあさんが「どのくらいここにいるの。グループで来たの、それとも二人で?」とかと話しかけてきてくれました。
下の市内に降りてから、向かったところはテ・パパというウエリントン博物館。ここにはマウイの風俗や歴史、動植物の剥製や模型、地質学的なニュージーランドの位置などが多面的に展示されていました。ただ、広さのわりに興味深さはいまいち。これまでいろいろと見てきたかっらなのかもしれませんね。今日もまた歩いた歩いた。


宿にもどって一休みしてから5時ごろ食事に出かけました。7時に会うと言っていたマイクがどうやら早めに来てしまったようで、すれ違ってもおかしくないのに歩いている途中で偶然出会ってびっくり。食事の店がある通りまで車で送ってくれました。そこで再会を誓ってお別れ。ともかくマイクやその家族と会うことができてよかった。よくしてくれたマイク、ヘジョンに感謝あるのみです。

さて、あしたはウエリントンからクライスト・チャーチへ飛行機で向かいます。フロントでモーニングコールとタクシーの予約を頼んで、明日はまた移動日。南に向かうのでだんだん気温も下がってきます。

4月6日(月) ウエリントン



  4月5日(日)
パソコンの調子が悪くなり、私の側のログインでは漢字入力がまったく効かなくなってしまい、もうこれで入力ができないのかとあきらめていましたが、念のためと妻の方のログインでやってみたら、うまくいきました。両方のログイン名を作っていて助かりました。ただ、こちらのほうもいつどうなるかわからないので、そうなったらそのときまで。正常に動くことを願っていましょう。

さて、マイクの家での最終日です。今日も朝からマイク夫妻があれこれともてなしをしてくれ、貴重な体験をいろいろすることができました。
自分たちだけで行動していたのではどうしても行動半径が小さくなってしまいますが、車での移動ですからいろんなところに行けます。しかも地元。
今日は朝からめずらしい朝市や、パーマストンノースの中心にある公園に連れて行ってもらいました。
その後、奥さんや子どもたちと別れてマイクの車で次の訪問地であるウエリントンまで移動。途中海岸で海を眺めながら休憩をとり、ほどなく北東最南端のウエリントンに到着しました。


マイクは次の日のためにといって、国会議事堂やその他の観光スポット前をいくつか紹介してくれ、ホテルのチェックインまで付き合ってくれました。受付の女性がまたまた早口でしゃべるのでマイクが仲介してくれて助かりました。全くマイクさまさま。最後に一緒に日本食堂にいきそこでお別れ。
明日も夕方、私たちの一日の行動がどうだったかを聞きに来るといっていました。正確には明日お別れになります。

ウエリントンは海峡に面しているからなのか、ものすごい風。折から前線の通過で天気は下り坂なので、あしたからの行程がちょっと心配です。いずれにしても、一週間かけて、北島の南端までやってきました。後半はマイクのおかげで楽しく過ごせましたが、これからはまた二人での度胸旅。ま、何とかなるでしょう。しかも、ほとんど航空機での移動なので、搭乗手続きさえうまくいけばあとはどうにかなります。

4月5日(日) パーマストンノースからウエリントンへ



  4月4日(土)
マイクの家でゆっくり休んで、そのあとパーマストン・ノースの見学にでかけました。
最初は小高い山の上の風力発電用の風車までドライブしました。こちらの道路は制限速度100キロといいますから、日本の高速道路並み。道が整備されていて信号がないことと、車が少ないために、まあ、飛ばすこと。
山の上に着くとそこにはいたるところにでかい羽根をつけた風車がまわっています。聞くと55基もあるのだそうです。風の通り道にあたるようで、あたりはものすごい風。かなりの発電量が見込めると聞きました。

その帰途、マイクのご両親の自宅によって昼食。お母さんがスコーンを焼いて待っていてくれ、みんなでわいわいお昼のひと時を楽しみました。
まわりは閑静な美しい住宅地で、とくに街路樹が町並みの気品をかもし出しています。

そのあとは、パーマストン・ノースで一番の公園に行き、まず公園を一周するミニ鉄道を体験。たくさんの子連れの家族が来ており、乗客も多い。しかも一周20分ほどかけて森の中や公園のあちこちをゆっくり走ります。昔からあるミニ鉄道で、市民にはずいぶん親しまれている様子でした。鉄道を降りてから、近くのバラ園へ。ちょうど折りしも結婚式の新婦が到着したところで、今からこのバラ園の一角で結婚式が挙式されるようでした。
オークランドのバラ園よりはるかに規模が大きく変化があり、たくさんのバラがまだ咲き誇っていてすばらしい。バラ園で結婚式をあげるなんてなかなか粋なことです。
その公園には熱帯植物がハウス栽培されていて、これもものすごく手入れがゆきとどき、楽しめる趣向が随所にこらされていました。規模が同じくらいの池田のハーブガーデンとは雲泥の差。しっかり見習ってほしいと思われました。

その夜はマイクのお父さん、お母さんも訪問してのディナー。バーベキューのラム肉をメインにしたたくさんの料理でもてなしてくれ、楽しいひと時を過ごすことができました。





4月4日(土) パーマストンノース 1

4月4日(土) パーマストンノース 2


  4月3日(金)
日本を出発してから6日目、ニュージーランドに着いてから5日目です。ずいぶん長いこといるような気になっていますが、先はまだ長い。
夜ねて朝起きるときにふつうに日本の我が家で寝ていて、起きれば普段の生活が待っているかのような奇妙な錯覚に陥るのです。しかし、ちょっと考えるとまわりは英語だらけのニュージーランド。テレビをつければ字幕もなんにもない世界。言葉というのは実に大切なコミュニケーションの手段だとつくづく思います。
簡単な言葉ならわかっても、長い内容を立て続けに言われると全くわからない。そのイライラ感は大変なものです。ま、割り切ってしまえばいいのでしょうが、生活の中ではそう簡単には割り切れない場面がでてきますものね。たとえばホテルで支払いに絡んで重要な内容を確認したい場合とか。
そうした場面もいくつかくぐり抜けてきて、ようやく安心して言葉を使えるマイクの家にたどり着きました。

東京で知り合ったときはまだ青年だったマイクも今ではすっかり貫禄が出てきて、父親らしくなっていました。そして、子どもたちが3人。上の女の子はさすがにお姉さんらしく静かでしたが、真ん中の男の子は構ってほしくてぐずりまくり。下の子は天井から下げた手作りのミニ・バンジーに乗ってご機嫌でした。とにかくにぎやか。
明日はマイクが街や近くの観光名所を案内してくれるということなので楽しみにしていましょう。

4月3日(金) ロトルアからパーマストンノースへ

夜はさすがに冷え込んできます。外に出ると満天の星。オリオンが綺麗に西の空に見えましたが、南十字星はどれかと探してみてもよくわからない。こちらでは年中見えるというから、きっとどれかでしょう。


  4月2日(木)
4日目。今日はロトルアの見学を予定している日です。7時半頃に起き出して食堂へ。オークランドと違って周りは広い道路があるだけで閑散としてなんにもなし。結局すべてホテルのレストランで食事をとることになりました。
バイキング形式なので、比較的好みに合わせて食べられるので安心です。妻も食べること。二人ともこれだけ食欲があれば長い旅行日程も大丈夫でしょう。
さて、最初はテ・プイアという火山性の熱泉、泥泉、間歇泉がある観光地が目当てです。地図によれば、ぐるっと街を迂回して山道を通らないと行けないようになっていたのですが、実は入り口がホテルのすぐ近く。こんな失敗も結構やらかしています。
富山でいえば、さしずめ立山の地獄谷というところ。しかし、こんな片田舎に突然火山性の間歇泉が現れるとは不思議。ロトルア湖の近くでもところどころに蒸気のあがっているところがあるので、きっとこの下はマグマがたまっているのでしょうか。地質学的には日本と非常によく似たところがあります。
結構高い入場料を払って入ってからはただ綺麗に舗装された道をたどって見学をするだけ。回り終えると、一日3回の予定でマオリ・コンサートが開かれており、それに参加。
マオリ族の踊りや儀式は「鯨の島の少女」で一通りは知っていましたが、あの「ハカ」という踊りは迫力があります。今でも単なるショーではなく、見学者にきちんと儀式への参加を要請するところなどは伝統を守っていこうとする強い意志が見られました。


午後からは、反対方向のロトルア湖畔へ。湖畔の近くの広くてよく整備されたガバメント・ガーデンを巡って一日の行程を終えました。いや〜〜とにかくよく歩いた。
帰ってから7時頃夕食。またまたよく食べて、日記に向かっている次第。ともかく今日も一日無事に終えました。




4月2日(木) ロトルア見学



  4月1日(水)
3日目。何とか次の訪問地ロトルアにたどり着きました。何とかというのは、何しろ相手の言っていることが分からないことが多いので毎日が結構綱渡りなんです。妻は、全然そんな風には見えないと言うのですが、こっちは冷や冷やものです。
11時15分にオークランドのバス停を低次に出発。火山性の硫黄の噴出口や温泉で有名なロトルアに到着したのが午後5時過ぎ。途中ハミルトンで15分ほど休憩しただけで昼はずっとバスの中でした。
途中は何処まで行っても牧場だけの同じような景色で、ところどころ牛や羊の群れが見えました。ニュージーランドの中部はあまり高い山がないけれど、大きな木々に覆われ、とにかく一面の緑。木々の間は芝か牧草で覆われているので、雑草と格闘している日本の農村から見ると全くそのたたずまいが違います。どちらかというと北海道の牧場を走っている感じです。
ところどころに現れる町並みはほとんどが平屋で木立の間に埋もれているので、とても美しい。

ロトルアについてから、観光案内所でまずあさってのパーマストーン行きバスの切符を入手。それからタクシーでホテルまで。田舎にあるのんびりとしたたたずまいのホテルという感じで、エレベーターもギシギシと壊れそう。
部屋に着いてから少し休んで、ホテルの食堂でバイキング形式の夕食をとりました。今日はこれで終わり。




ニュージーランドでは、建物という建物の中はすべて禁煙ですから、たばこを吸う人は驚くほど少ないのです。入院していた時には全く吸わなかった私も、旅行中は一日何本か。ただ、とにかく外に出ないと吸われないので勢い少なくなります。ニュージーランドにずっといるとだんだん吸うことがアホらしくなってくるかもしれませんね。
こちらで気がついたことの一つは、妻も書いていたように街は9時をすぎるともうお休みタイム。店は閉まり人影もまばらになってきます。人口の多いはずのオークランドでそうですから、ほかの町でもきっとそうなのでしよう。それは人々が家庭を大切にして、労働時間が終われば家庭に戻るということ。不夜城の東京などはオークランドから見ればまさに異常としかいいようがありません。
オークランドをはじめとしてその他の都市も鉄道が発達していないので、乗り物はほとんどバス。とにかくバスがでかい。バスの運転手も概してのんびりとしていて、切符がなければその場で発行してくれるし、長距離バスの場合はお年寄りの荷物も運んでくれる。
また、ニュージーランドには自動販売機というものがない。日本ほど便利なようで環境を汚しているところはないと思えます。ペットボトルを持って歩いている人には何人も出会いましたが、町にはゴミ箱がいたるところにおかれていて、不要なものはそこに捨てる。ATMなどはほとんど壁に埋め込まれているので、日本のように壊されることもない。
ただ、トイレはウオッシュレット式ではないし、ファーストフードの店などは雑という感じで日本のように細かいところまで行き届いてはいない。そうした生活様式の違いを考慮にいれても、毎日の生活について考えさせられることは多くあります。
もう一つ気が付くことは、マオリの人たちの多いこと。ホテルやショップなど至るところで働いており、その存在の大きさには圧倒されます。先住民族の権利がしっかり守っているのかどうか気になるところです。

4月1日(水) オークランドからロトルアへ




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