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  5月31日(日)
今日は朝から雨。町民体育大会の日でしたが、あいにくの雨で外の競技は中止になったようで残念でした。一生懸命練習したチームはがっかりですね。
ただ、植え替えたトウモロコシやカボチャなどの夏野菜や、妻が昨日植えていたヒマワリにとってはほどよい雨です。

このごろはイチゴをとらないと毎日どんどん赤くなっていきます。昨日は友人のRくんとその息子さんを呼んでイチゴ摘みを楽しみました。
一歳半の息子のWくん、赤い大きいイチゴを手にとって開口一番「大きい」。次に茂った葉をみて「グリーン」、それから青い小さいイチゴを見て「小さい」。いやはや日本語と英語が入り交じっています。まだこのくらいの子にはイチゴ積みの実感はわかないのでしょうが、親にいろいろ教えてもらいながら、赤いイチゴを一つ一つ摘んでいました。






イチゴ摘みは今が旬。しかし、あと2,3週間もして実を取り終える頃にはランナーがどんどん伸びてくるので、来年のために子や孫をポットで受け取る作業が待っています。これが大変。ものすごい量の土がいるので、一ヶ月ぐらい毎日毎日この作業が続きます。来年おいしいイチゴを食べられるように準備するのですから、それもまた楽しですけどね。来年は今年の2倍くらいの収量になるように研究することにしましょう。

以下、ウエブ情報を参考に、来年のためにメモしたもの。自分にとって大切だと思われることだけを載せました。調べてみると、知らないことや間違った知識が結構あることに気づかされます。冷や汗ものです。

<土>ややアルカリ性の土が適している。地植えする場合は植え付ける場所に堆肥や石灰をあらかじめ混ぜておくようにする。鉢植えにする場合は赤玉土(小粒)5:鹿沼土3:腐葉土3の割合で混ぜた土を使用する。

<苗の育て方>
@親株から一番目の子株は大きくなりすぎていることと親株の病気が移っていることもあるので苗として使うのは2番目以降の子株にする。
A子株が大きく育ってきたら8月頃にランナーを切り離し他の場所に仮植えする。
B10月頃に定植を行う。

<植え付け>
@株元のクラウン(短い茎の部分)を土に埋めてしまわないように浅植えする。
(この部分を埋めてしまうと実のできる生長点を埋めてしまうことになり最悪の場合生長が止まってしまうことがある)
A根が詰まっているポット苗は根をほぐしてから植え付ける。
B植付け方法は、実のなる方向が畝の外側になるようにし、株間は25〜30センチが良い。いちごの花芽は矢印の方向に出る性質を持っているので、株元を確認しながら植えていく。

<管理>
@定植後に発生したランナーは早めに摘み取って株の充実を図る。また、古くなった下葉は摘み取り、常に展開葉が5〜8枚の状態にしておく。
A冬には葉が茶色く枯れてしまい、新しい葉が数枚だけ残る。枯れた葉は葉柄ごと取り除いてしまう。このころに出るランナーもすべて取り除く。
B風よけや雪よけを行い、株元にはワラを敷くか、凍結が予想されるときはワラなどを乗せて防寒対策をとる。
C花が咲き終わったら、適当に間引く。

<水・肥料>
@イチゴは大変水を好む。過度の水やりは過湿になり根ぐされをおこしてしまうし、乾燥させてしまうと根傷みをおこしてよく生長しないので、乾いてきたらたっぷりと与える。
A窒素分が多いと葉や茎はとても大きくなるが、肝心の実の太り方が悪くなるので、肥料は植えつけ3週間後と2月の下旬に1回ずつ化成肥料を株元に少量与えるだけにする。有機肥料を与える場合は骨粉や米ぬかをバランスよく与える。



  5月29日(金)
今日は定期検査の日です。予定通り大町病院に出かけて組織検査のための採尿を行いました。
その際に主治医の口からまたまた気になることが・・。この前の尿検査では異常細胞(異型細胞)のレベルが「3」だったというのです。「悪いとも良いともいえない」というわけで、全くのグレーゾーンだと告げられました。レベル5ではなかっただけ一安心でしたけれど、何ともビミョーな結果にどう対応したらいいのか一瞬戸惑いを隠せませんでした。
ちなみにWikipediaによれば、ClassT、Uを「陰性」、Vを「疑陽性」、W、Xを「陽性」と評価することになっている( 膀胱癌取扱い規約(2001年11月 第3版)、腎盂・尿管癌取扱い規約(2002年10月第2版) )のだそうで、私の場合は「擬陽性」というわけ。
これまでの様々な検査から類推すれば、今回の異形細胞の診断は剥離細胞診の結果であり、直接組織をとって調べた結果では変形は認められるがガンではないという診断やまだ傷が治っていない状態から判断すると異形細胞があることはまちがいないわけで、それに細菌がついてガン化細胞の疑いがあるという判断に傾くということは十分考えられることです。
とりあえず、予定通り当面剥離細胞の検査を続けることになるのですが、これ以上悪い結果がでないことを願うのみです。
最近、ちょっと畑に出て仕事をしていると下腹部が痛みを感じるので、まだ傷が治っていないのだろうといやになってしまいます。医者に言わせると、管を入れているのでどうしてもそんな状態が続くのだそうです。しばらく横になっているとかなり改善されるので、やはりまだ力を入れた仕事は無理のようです。

ところで、今年もアンネのバラがいろいろな障害を乗り越えて咲き始めました。咲き始めの今がやはり一番美しくみずみずしい。
鉢植えなのでなかなか大きくなれないのでしょうね。それでもこんなに花をたくさんつけている様子は健気です。花が咲き終わったら、今年こそは地面に植えてやろうと考えています。
家の前の庭にあるバラもいくつかつぼみを持ってきました。家の道路側は庭なのか畑なのかさっぱりわからない状態で雑然としているし、野菜を植えても虫がついてさっぱりだめなので、来年にかけてバラを中心としたお花畑にしていこうと思っているところ。そうすれば、ベランダからの眺めはもっとよくなるはずですし。




今日が「ハーブセンターについての意見」の締め切りだったので、昼頃役場に行って私の意見を提出してきました。例によって長大な「論文」になってしまいましたが、言いたいことを書くにはそれなりの長さが必要。それでも、意見の集約したものをネットで公開されることを考え、要点と主な意見をゴチックにしてわかりやすいものにしたつもりです。
私の意見は以下のとおり。

ハーブセンターについて

ハーブセンターがなぜこの時期に問題になったかといえば、国の公益法人に関する法律改正によって、収益事業の多い公益法人は公益性が乏しいと見なされ、そのままの形では運営できなくなったことに直接の理由があります。しかし、池田町の場合は委託事業を含めて町財政から約3000万円ほどの持ち出しがあり、「ハーブセンターなどを民営化する」というのが現町長の公約の一つともなっていました。
前にも書いたように、ハーブセンターは池田町の観光・物産の顔としての役割を果たしており、完全な民間への売り渡しは初めから選択肢に入ることはあり得ません。とすれば、これを機会にハーブセンターをどうするか町民の意見を集約して、もっとも現実的でかつ将来展望を踏まえた改革に乗り出す以外にないわけです。
その意味で今回の町からの問いかけ、意見集約は一定の積極面を持つものといえます。
しかし、問題はそのあとです。町民からどのような意見がどれだけ寄せられ、それらについて町としてどのように議論を重ねたかを明らかにさせる必要があります。必要に応じて「ハーブセンター改革委員会(仮称)」のようなものを町に設置、町当局と議員、町民による方向性を打ち出していくことも考える時に来ているといえます。
もし、意見集約したということを「既成事実」として粗末に扱うようなことがあれば、それはそれで大きな問題ですから、今後の注視が大事でしょう。私なりに意見を出したのですから、それがどう扱われたかをいずれ聞くつもりでいます。


  5月28日(木)
木島平に小さなマンションの一室を購入してを、ときどき田舎暮らしを楽しんでいる妹夫婦が、富山への帰り我が家に私のお見舞いをかねて寄ってくれました。
かつては私の方が富山に行った折頻繁に寄っていたのですが、最近はなかなか行く機会もなくなってご無沙汰でしたから、お互いの健康やいなかぐらしなどの話題であっという間に時間が経過しました。

ちょうど昼時だったので、まず近くのそば屋にでかけました。ご主人は例の「エビの食べ方」の蘊蓄・講釈をひとくさり。アカシアの花や山菜の天ぷらと新そばをいっぱい楽しんできました。
家にもどってからは我が家の「イチゴ園」でのイチゴ狩りです。一人一つずつ入れ物をもって、いざ裏の畑へ。
2,3日前からイチゴが急に大きく色づき始めていたので、今日はとれたとれた!!最高のイチゴ狩りになりましたよ。写真でお見せできないのが残念。店で買うパックに入れれば5箱分くらいとれたかな。さっそくミルクをかけてたっぷりいただきました。
今年の苗は失敗作ながら、摘果などをしたおかげでようやくそれなりに収穫できるようになりました。これから約一週間ほどがピークになりそうです。イチゴ狩りにおいでの際はお早めに。
木島平のマンション近くのスキー場では「ワラビ」がたくさんとれます。今日はお土産にそのワラビを持ってきてくれました。ワラビの酢の物は私の好物の一つ。これからしばらく食卓が賑やかになりそうです。





  5月27日(水)
庭の草取りをしていたら、おやおや、一台の大型バスが我が家の前に横付け。見ると懐かしい多摩ナンバーです。
中からカメラを持ったおばさん(圧倒的)、おじさんが約20人ほど。聞くと横浜から池田にスケッチ旅行に来ているのだそうです。昨日はクラフトパーク内の美術館付近で絵を描き、今日はその美術館所蔵の山下大五郎さんが書いた場所を訪ねてみようというのでここに立ち寄ったということでした。
口々に「いいところに住んでいらっしゃるんですねえ」。そう言われるとやっぱりここはいいところなんですね。あらためて外から来た人たちに言われてそう思います。そういえば、私も池田に来たての頃は四季の一つ一つのできごと、花開く一つ一つが新鮮でしたものね。

都会から来れば、池田町のような割と素朴なたたずまいの田舎は、とりわけこの季節は、何ともいえず気持ちが和む穏やかな心地よさを与えてくれますから。
しかし今は少し違った印象を持っています。たぶんそれは毎日見慣れているという以上に、どうにもしようのない時期を含めていろいろに移ろっていく季節をそれぞれに知っており、さらに今日よりもはるかにすばらしい一日を知っているために、無意識に今日の一日をそれらと比べてみることから生まれる感慨かもしれません。また、毎日毎日手入れをし、あるいは手入れができず今日を迎えた過去の日々が今日に重なってしまうために起こる感慨なのかもしれません。ともかくこうした里山は大切にしないとあらためて思わされました。





  5月26日(火)
いよいよイチゴの季節ですよ。プランターの方は一足早く色づいて、道行く人を楽しませて(?)います。裏の畑の地植えは失敗試作品ながら、少しずつとれ始めています。これはあと一週間ほどしないとまとまってはとれなさそう。少しずつでも毎日食べられるというのは「贅沢」ですね。すべてランナーから増やしたものですから、苗そのものはタダだし肥料とかマルチとかもたいしたことはありませんが、手間を考えるとそれなりの価値が出てくるということですね。味わって食することにしましょう。


昨日今日といい天気になって、これから一週間は晴れ続きという天気予報。先日は久しぶりに少しまとまった雨が降ったので、トウモロコシを植えるためにマルチをかけました。まだ苗は小さいのでしばらく間がありますけれど早めの準備。これだけやってもこの頃は汗が流れます。体をいたわりつつやっているので、時間のかかることこのうえなし。

おとといは姨捨に住む親戚ご夫婦がやってきてくれて、久しぶりにハーブティーを入れ、おしゃべりの時間を持ったことでした。お互いに年をとってからの田舎暮らしで、花や作物の情報交換をしながら行き来をしている同好の間柄、たまにこうしておしゃべりのひとときを過ごせるのは楽しいものです。



  5月23日(土)
妻は東京へ「蟹工船」の芝居を見に行きました。そのバイタリティには感心します。私はといえば、夕方から仕事があるだけで、一日ぐうたら。朝は庭に出て「ゾウムシ」と遊んでいました。

庭にはとにかくいろんな虫が寄ってきて、ただうろうろするだけのものから野菜を食べていくもの、花の蜜に寄ってくるもの、飛んでくるもの、毛虫、土に潜るものなどいろいろ。
ふと地面を見ると鼻の長い見慣れない虫が一匹。ここでは初めて見る昆虫です。たくさんいるのに気が付かなかっただけなのかな・・・。
ちょっとさわると、とたんに死んだふりです。固まって裏返してもそのまま。動き出したやつをつまんで石の上に置くと、これまた「降参!!」というのか、不自然な形で固まってしまいます。とにかく「ゾウムシ」っていうやつは身を守るために「死んだふり」をするのが上手。特技ですね。鎧をまとっている(甲虫の仲間です)のに気が弱いらしい。
「今から約1億5千万年前のジュラ紀に,この(ゾウのような)口吻を獲得した」(ゾウムシデータベース:小島さん)といいますから、「死んだふり」もこの長い進化の過程で身につけたんですかねえ。

写真上は普通の格好で。真ん中と下は無防備な「死んだふり」。いずれも画像をクリックすると拡大します。







ネット上で検索してもなかなか名前がわかりません。何しろ日本にいるゾウムシ1229種(「日本産ゾウムシデータベース」)。名前の付いていない種類も多いらしいし、あるサイトの記述によると「2000年代はゾウムシ・ブームの時代」なんだそう。ちなみに、70年代は「オサムシ」、80年代は「カミキリ」、90年代は「クワガタ」。で、2000年代はゾウムシ・・・・。
「 ゾウムシの魅力は,その特徴である口吻に秘められているといっても過言ではなく、『他の虫より頭が前に伸びた分だけ面白みが詰まっている』とはゾウムシ研究の大家、森本桂博士の格言である」(同上データベース解説)だといいますから、マニアにはたまらない姿・格好なのでしょう。私には「死んだふり」の格好のほうがおもしろかったけど。
米を食べる「コクゾウムシ(コクゾウ)」も昔から有名。稲を食い荒らすイネゾウムシもたくさん生息するので、ひょっとしたらこれはその一種かもしれませんね。
下戸の私にはうらやましい限りだけど、大酒飲みのゾウムシ(オオゾウムシ)もいるらしいですよ。こいつはビールが大好きで、とくに黒ビールに目がないらしい。(あるナチュラリストの「つれづれ虫日記」より)



  5月22日(金)
今週末から塾の仕事を本格的に再開します。週4日に限定ですから、昨年度までの週6というハードスケジュールではないので、まあ何とか続けていけるでしょう。ただ、7月初旬には問題がなければ元々必要だった手術が待っており、1,2週間は授業ができませんけれど、今度はいつ開始できるかわからないというものではないので、対策もとりやすい。
ただ体調は昨日書いたような不安定さがまだありますから、その他の時間はあまり無理しないでじっとしていようと思っています。なんだか「引きこもり」が習性になってしまいそうです。

昨夜から今日の午後にかけて「ハーブセンター」の改革問題についていろいろ調べたり考えたりしていました。ハーブセンターというのは池田町の南の入り口近くにある道の駅に隣接した観光・物産の建物とハーブ園で、ここ10年ほど入場者が減少して経営が行き詰まり、民営化するという方向が打ち出されてきたのです。
町では、このハーブセンターを町民の意見も聞いて今後の運営に当たりたいとして、意見公募をはじめました。締め切りは今月の29日。
第5次総合計画の審議に関係した私としては黙っているわけにもいかないだろうというわけで、いろいろ考えてはいるのですが、今後の運営については結構難しい問題が山積みです。別に放漫経営をして破綻したというわけではないので、責任追及をすることが目的ではありません。むしろ、今後の運営については町の観光や商工業の発展という視点から建設的な意見を述べることが大切なので、いろいろと考えているわけです。
もちろん現在のハーブセンターの運営をめぐっては、客観的に見ても不合理で無責任な面がないわけではありません。そうした点もしっかり押さえた上で、もっとも町民の福利や町の発展につながる道を考えないといけません。

まず客観的な状況としては、池田と松川の境界を流れる高瀬川沿いにできたバイパスのために池田町を通過する交通量が激減、従ってハーブセンターに寄る観光バスなどもほとんどなくなってしまったという問題があります。最近では経済不況による消費の低迷という問題が追い打ちをかけている。
しかし反面、健康志向、ウオーキングブームの波に乗って池田町の里山が見直されているというのは肯定面で、昨年度は若干の回復の兆しが見えました。
次に、そうした客観状況の悪化にともなってあつかう商品の品揃えや新規開発に十分な時間と体制をとることができずに、経費はかさむ一方で販売量も伸び悩んでいるという問題。また、農場でもハーブにかかわる専門スタッフがおらず、ただ栽培して販売するという程度の経営ですから、見るべきものもなく販売も伸び悩むという問題点がある。
第3に、これまで池田町は公益法人としてのハーブセンターという位置づけで、年間2500万円ほどの補助を行ってきていますが、これがまた町の財政を圧迫しているという問題。むしろ、これを見直すためにハーブセンターの民営化という方向が打ち出されてきたといってもいいのです。政府の方針もこれに追い打ちをかけている。
さて、そうしてみると一体改革の方向はどうなのか。現在私の考えていることは、大前提としての町の観光・商業戦略が必要で、それぬきに単にハーブセンターの機構をいじっても、結果としていままでとはさほど変わらないし、むしろさらに縮小していかざるをえないのではないかということです。
そうした観点をぬきに、ただハーブセンターをどうしたらいいのかというだけなら、施設や土地を売却すれば済む話しです。
町が意見公募をするという姿勢には、少なくとも町おこしをどうすすめるかという問題意識があるわけで、私もまたその観点から意見を述べようと思っています。まあ、自分が責任者になったつもりで考えないといけないんですかね。



  5月21日(木)
まだときどき下っ腹が急に収縮したような急激な痛みがあって、手術の際の傷が治っていないのだろうと予想されます。これも波があって、うんと調子のよいときと朝から連続的に痛みがくる場合とがあるけれど、それがなぜなのかはわからないので困ります。時間が解決してくれるのでしょうけれど。

テレビをみていると、新型インフルエンザ一色。東京でも患者が発生したというのでテレビ局は病院、学校、都庁などに殺到し、繰り返しセンセーショナルに報道を繰り返しています。
見過ごすことができないのは、まるでウイルスに感染した高校生が犯罪者であるかのような報道姿勢。学校当局もまた「ご迷惑をおかけした」と陳謝する始末。それを見て、恐る恐る(?)「謝らなくていいのに」と言っていたのは鳥越さんだけでしたね。
思い返せば神戸の高校生がウイルスに感染していることがわかったとき、個人を特定したうえでその高校生や学校に「嫌がらせ」「脅迫」の電話やメールが押し寄せたという情けないこの国の悲しくも異様な状況。だれもが感染し感染させる可能性をもっているということに想像力が及ばない。論理的に考えられない。報道メディアは、そうした人間内部の暗い側面を煽りただ情感に訴えて危機感をまきちらしていく。何度も繰り返してきたパターンですね。
つい最近では「北朝鮮のミサイル」問題が好例でしょう。これについては「世界」6月号で神保太郎さんが的確な「メディア批評」を行っています。一連の指摘の中で大切だと思われるのは、単に「狂乱報道」にとどまらず、その扇情的な報道を通して政府のねらう「有事の体験」が期せずしてバーチャルに行われ、まさに「『有事』のシミュレーションだった」と述べているところです。報道内容・報道姿勢が国民をミスリードし国民を思考停止状態に追い込んでいくとしたら、その先にあるのは「翼賛」(神保太郎)しかない。

話は変わりますが、私が「手塩にかけて」育てているイチゴのことです。”裏の畑”には4つの畝に大量の苗が育っており、寒さにもまけず勢いよく葉をのばしていたので、「これは豊作に違いない」と喜んで追肥などをしていたのです。ところが数日前に実を確認して愕然!着果がものすごく悪いのです。ガックリ。
一方、ここから4月はじめ頃プランターに移し替えた株では、葉は貧相なのに結構実がついています。いったいこれは!!まあ、土の研究もせず、「植えて肥料をやれば実がなるだろう」程度のぐうたら菜園ですから、それも必然なのでしょうが、植物は正直ですね。肥料(とくに窒素分)が多ければ葉に栄養が行って実をつけようという意欲がわかない。ところがあんまり栄養が豊富でないところや葉が貧相な場合は、早く実をつけて子孫を残そうとする。トマトもキュウリもそうなのです。もちろん肥料が足りなければ全体に弱々しくなりますから、水、太陽に加え、バランスのとれた肥料分が必要だということなんですね。
来年は窒素分をまず他の植物に吸わせ、リン酸・カリウムを加えて、さらにpH濃度を調節して・・・とにかく土壌改良をしないと同じことになってしまう。これは農協に行って指導員にきちんと聞いてこないといけません。もっと勉強しなければ、おいしい果物もつくれないということですね。



昨日、一昨日と連続して高校2年生の授業(とくに今回はテスト対策が中心)に出ました。久しぶりの塾です。みんなニコニコと迎えてくれて、何ともいえないほのぼのとした気持ちになりました。
過去からずっと変わらない考査期間の風景ではあるのですが、塾に求められるものは「聞かれたことに対する対応の完璧度、それに対する生徒の満足度」しかありません。「対応の完璧度」とは、聞かれた内容に的確に答えられるということ。「対応の満足度」とは単に聞かれたことに対してのみ答えるというのではなく、その問題の背景や本質を簡潔に説明し理解を促して、なるほどと彼らの胸の支えをのりのぞいてやること。塾の教師にはある意味そうした学問の根っこにかかわる「ワザ」が求められると常々私は思っているのです。そうでなければ学習は学校で十分のはずで、塾などという場は生徒にとって自己満足の場にしか過ぎなくなってしまいます。学校から本物の学びの機会が奪われていくなら、どこかでそれを補わなければならない。受験対策の塾がそれを担うという役割を果たささざるを得なくなっているのは皮肉です。
学問について「熱く語る」という場が学校で失われていくならば、学ぶという意欲はいよいよ失われていくことになってしまいます。日本では「テスト」がなければ生徒・学生は間違いなく勉強しなくなる。なぜなら勉強とは文字通り「強いる」という意味だから。かろうじて「テスト」で水準を維持しているこの国は、やはり他から何かを強制されることを待ち、そうしてはじめて何か意欲を発揮することになるのでしょうか。高校受験も大学受験も、従って日本のような塾もないフィンランドがなぜ学力世界一を維持できるのか、この国とかの国にはあまりに大きな思想・制度の断裂が横たわっています。

またまた話は変わりますが、天気がいいと外に出たくなるのですが、調子がいまいちなので家の中で本を読んだり「囲碁ソフト」と遊んだりしています。
世界最強といううたい文句の「銀星囲碁9」ってどのくらい強いのか弱いのかをいろいろ検索してみると、「弱い初段くらい」という評価ですかね。私に言わせると絶対に初段はなくて、3級くらいですね。私はいま銀星囲碁に3子か4子置かせて打って、たいてい勝ちますから、初段ということは絶対にないですよ。だいたい私自身が初段までまだ到達していませんから、それから行っても3〜4級というのが相場でしょう。だいたい打ち方が決まっているのがつまらない。ただ、ちょっと気を緩めると中盤に結構「狙ってくる」ので、大石をとられてしまうことがあります。
このソフト北朝鮮で開発されたものだそうですよ。ホントですか?


  5月18日(月)
今日はまた昨日とは打って変わって朝からすばらしい天気。皮肉なものですね。ほんの一日の違いでこうも変わってしまうのですから。なにしろ、昨日は横殴りの雨、今日は雲一つない快晴です。

新型インフルエンザが本格的に日本上陸、関西方面から東海、関東へと広がっていくのは時間の問題のように思えます。
症状からいえば普通の季節型インフルエンザとあまり変わらないものとはいえ、新型であることから特別な対策と心構えが必要な気がします。もしこれがきわめて強力な感染力と毒性の強いものであったなら、経済や生活にとてつもない破壊力を及ぼすことは必死だからです。そうならない先に、今回の新型インフルエンザに対してもあらゆる対策を講じておく必要なのですが、とくに患者が殺到する窓口や医者・看護師・検査技師の不足が大きなネックになっているのは大きな問題。
毒性の強い新型鳥インフルエンザでなかったことを一つの幸いとして、政府・自治体は指導性を十分に発揮すべきでしょう。

今週から塾での仕事も少しずつ再開することにしました。生徒たちには2ヶ月もブランクの時期を過ごさせてしまってずいぶん心配もかけたようです。リリーフの教師にきてもらっていたとはいえ、いろいろ問題も生じており、「とにかく早く復帰してほしい」と言われていました。そうですね。・・・・「もうこなくていいよ」と言われなくてよかった。
塾のみなさん、私もネジを巻き直してしっかりやりますから、どうかよろしく。




今日の夕方にはパソコン復帰しました。よかった。何しろ丸一日がかりで元の状態にするわけですから大変。WindowsXPにいろんなソフトをインストールすると再起動だけで50回ほどやらないといけない。システムにかかわるソフトをインストールするたびに「再起動」を要求されるので暇のかかること。
問題の「音無し」の原因は、CreativeのPCI-Expressカードの接触不良(というより、しっかりマザーボードに取り付けられない)だったようで、新しいPCIカード(Onkyo)に変えたら、しっかり音が出てくれました。しかもこのカードは一番人気だけに大変いい音を出してくれます。満足。


  5月17日(日)
昨日、今日と町のウオーキング行事の日でした。私はガイドマスターの一員で、ガイドというより地図をつくったり、ホームページを作成したりという裏方の仕事をしているのですが、イベントがあると写真を撮る係になります。
「ほぼ問題なし」の医者の診断がでたので、久しぶりにほとんどフル出場で、参加者の写真を撮りまくりました。車で移動して先回りしてはスナップを撮っていくのです。車で移動とは言っても歩く場所も結構あって、さすがに家に帰るとぐったりとなり2日ともちょっと横になってしまいました。
久しぶりにガイドマスターの仲間たちに会ったので、昨日今日も「どうだった」とか「心配したぞ」という声をかけてもらって、仲間のありがたさをまたまた痛感させられました。
昨日は薄曇りながらアルプスも見えてウオーキング日和だったのに、今日はまた朝から小雨が降る肌寒い一日。とくに歩き始めてから風雨が強くなって最悪のコンディション。カメラを構えるのが一苦労でレンズを拭き拭き参加者にカメラを向けていました。おかげで傘が一本風で壊れてしまった。
行事の様子は次の「ウオーキング」のサイトを見てください。

第2回池田町 北アルプス展望ウオーク






  5月15日(金)
主治医の診断結果は「限りなくシロに近い灰色」(医者のコトバ)ということでした。そうすると、最初のガンの診断はいったい何だったんだ!ということになります。
今日は妻と二人で検査の結果を聞きに行きました。すでに概要はわかっていたので落ち着いて話を聞くことができました。
「尿中の剥離組織がガン化している」という診断は初めの一回だけ。それ以後の5回ほどの尿検査では全くそのような組織は見られないし、また「もうこれ以上の検査はない」というくらい行った各種の検査でも「軽度の組織変異の疑いはあるものの特異な変異は認められない」という所見でしたから、私がまず指摘したのは、そもそもの「ガン」と診断した細胞診断に間違いがあったのではないかということでした。これに対して医者も「ここまで検査結果で異常がみられないとすれば、最初の尿中の傷んだ組織が細菌の作用であたかもガン化したもののようになった可能性もあり得る」と認め、「100%とはいえないが、ガンではないだろう」という診断結果になりました。いやはや、これまでの長い検査期間はいったい何だったんだよお。
問題は、まだ解決されているわけではなく振り出しに戻っただけで、「早く尿路障害を取り除いて気持ちよくオシッコがしたい!」 そう言うと「もしガンがあれば尿路の手術をして血液中にガンが体中に拡散する危険性があったので、尿路確保の手術はできなかった。もちろん100%ではないので、どうするかは患者の意志と判断だ」と医者。そこで妻とも話をして「6月一杯までこのまま管をつけて尿検査を定期的に行い、もしその間全く問題がなければ尿路を確保する手術を行う」ということで合意しました。ちょっと不自由な生活が続きますが、たぶん今後はそのように事が運んでいくことになるでしょう。まずはめでたし。
みなさまに、このようにご報告できるのは素直にうれしいことです。たくさんの方からご心配をいただき、励ましを受けました。心からお礼を申し上げます。

ところで昨日からメイン・パソコンの音がでなくなり、ほかの調子も変になってきたため、いろいろ調べていて、結局音響関係の大本から調べる必要がでてきたため、メインのパソコンは一時休止。そのためにニュージーランドと同じように小さな携帯用パソコンでこれを送信する羽目になっています。小さい以外は特に支障はないので、これからもちゃんと更新していくつもりです。


  5月13日(水)
見ましたよ、「ナニコレ珍百景」に取り上げられた池田町「ままこ落とし」。残念ながら登録ならずでしたが、紹介される時間はいちばん長かった。確かに伝説は「恐ろしい」印象を与えたし、画像のアングルもいまいちだったので、登録されるにはちょっとインパクト不足だったかな。しかしいい宣伝にはなりましたね。解説にあたったSさん、Mさんお疲れ様でした。

数日前の血尿も収まって比較的体調もいいので、2,3日前から畑の整備に2,3時間汗を流しています。昨年苦労して石を取り除き耕作してあったので、今年は割とスムーズに耕すことができています。何より耕耘機が実力を発揮してくれて助かっています。整備した畝に妻がさっそくいろんな種をまいて、畑らしくなってきました。


イチゴ畑では小さいけれど赤いイチゴが1個だけ採れました。初物。これからしばらくするとどんどん収穫できるでしょう。毎日どんぶり一杯のイチゴに、甘いミルクをかけて食べるのが楽しみです。家の前のプランターでも次第に実が大きくなっていますから、あと1,2週間もするとイチゴ三昧の日々がやってきます。5月下旬から6月上旬の2週間ほどがピークです。摘み取り自由ですので、皆さんのお宅でもどうぞカレンダーに印をつけておいてくださいね。
もっともこのイチゴの手入れには相当手間暇かかるので、お手伝いしてくれる人がいたら大歓迎なのですが。今年も、ランナーを取って来年に備えることが必要ですから。
また、昨年秋に大豊作だったラズベリーは今年もたくさん花をつけていますから、春秋2回たくさん収穫できそうな勢い。


今年も夏野菜をたくさん植えて、毎日野菜づくしの食卓になりそうです。元手がかからないようにと思っても、なかなかそうもいきません。妻に渋い顔をされながらもついつい苗や肥料を買ってきてしまいます。ま、元が取れればよしとしましょうか。


今日はお昼から大町病院にMRI検査に行ってきました。造影剤を入れて腎臓の核磁気共鳴画像を撮影するのがMRI。X線CTとは異なる詳しい情報が得られるのはいいとしても、これがまた結構高額で、前回の入院費とあわせて数万円の支払いになってしまいました。
画像解析には専門家の知見が必要で3,4日かかるらしく、15日の説明に間に合うのかどうか。ともかく、これまで相当多面的な検査をしたはずなので、しっかりした検査結果を聞かせてほしいものです。


  5月12日(火)
民主党の小沢代表の辞任とそれに続く代表選びの報道を聞いていると、この政党は自民党と何ら変わるところがないと思わされます。
ダミーの政治団体を通した巨額の企業献金について「何らやましいことはない」と言い切って国民の疑惑解明を求める声には一切答えないというこの前近代的な体質はもちろん、代表選挙を国会議員だけでやろうという政党ともいえないお粗末さにも驚きです。地方の党組織から異論や批判がでないのですかねえ。
派閥がらみ選挙で岡田になろうが、鳩山になろうが、この政党の体質は小沢時代と少しも変わらないことになるでしょう。
そんな政党ですから、企業・団体からの献金にしても、個人への献金は禁止したとしても政党そのものへの献金には必ず抜け道をつくるはずです。彼らの政治基盤が企業や関連団体にあるわけですから全面禁止などやれるわけがない。仮に国民の批判の前に企業献金を全面禁止したとして、政党助成金を引き上げるのは必至。まあとにかくお手並み拝見です。
こうした問題を取り上げるマスメディアは相も変わらず「自民・民主の政権交代」を軸とした報道姿勢だけだし、自民・民主の金権体質を根本から批判することもない。政党助成金の違憲性について論究することなど思いもつかないのでしょう。

このごろは派遣切りや不安定雇用労働者の首切りについての報道は見かけなくなっていますが、実態はますます深刻です。しかし日本のテレビや新聞・雑誌などが日本共産党の地域や大企業での活動について報道するなど皆無に近い。
ところが海外のメディアはこの一年ほどはかなりの頻度で派遣切りの問題やこれとたたかう共産党の活動について報道してきています。最近では5月4日のBBCニュース(web版)もその一つです。日本の労働者の実態が先進国からみればほとんど信じられない状態であることも一つでしょうが、若い労働者たちの意識が一部ではあるにせよこれまで考えられなかった規模で日本共産党に向かっていることへの驚きが見て取れます。
海外では多かれ少なかれ旧ソ連共産党の影響が大きかっただけに現在では共産主義は低調を極めているし、組織そのものが解体状態にあるほどですから、40万人以上もの共産党員がいる日本はある意味特別な存在なのかもしれませんが。
そうした事情を考えるとよけいに日本での共産党の活動が国際的にも大きな意味を持っていると思わされます。
先日病院で、待ち時間にしばらく前の「週刊新潮」を読んでいたら、「共産党は月千人規模で党員を増やしているというが、実態は幽霊党員ばかりで、党費は払わない、会議にも出ない。幹部も困り果てている・・・」というような内容の記事をのせていました。札付きの反共主義者のコメントをそのまま載せているのですから、この雑誌ならではの取扱いといえばそれまでですが、海外のメディアと比べて編集者の「おつむの程度の低さ」が際立っています。このたぐいの反共記事には事実で粉砕していくしかないでしょうね。


  5月11日(月)
組織検査の仮報告・・・腎臓内尿検査、膀胱組織検査いずれも「異常は認められない」!!

昨日から真夏の暑さ。おかげで太陽熱温水器が65度くらいまで上がって、灯油いらずの時期になってきました。これからはほとんどシャワーなので、9月頃までは灯油代はほぼゼロ。これは助かります。

今朝妻が病院に出かけたので、その間に私は外で畑仕事をしようと思って、いつもの「レッグバッグ」(採尿袋)を空にしようとしたら、袋の中が真っ赤。どうやら突然血尿になってしまったようでした。たぶん朝トイレに行って頑張ったのが原因らしく一時的な出血だろうとは思いましたが、念のためと思い病院に電話をして急遽診察してもらうことにしました。
病院はさほど混んでいる様子はありませんでしたが、予約先行のために1時間半ほども待たされ、ようやく診察に。その間血尿はだいぶ収まったようでした。
尿検査の結果は出血がある他はほとんど問題なし。腎臓のエコーでも腫れているようなこともなく、止血剤をもらって終わり。一安心でした。
診察の際に、前回行った入院検査の結果が出ており、概要を説明してくれました。それによれば、「腎臓内の尿検査、膀胱の組織検査いずれからもガン細胞はみつからない」という所見でした。今回は検査結果を聞くことが目的ではなく、また主治医でもなかったので、データを示しての説明は15日に受けるとして、ひとまず安心ということです。どうやら腎臓や膀胱を取らずに済みそうです。
ただ今回の検査では異常は見られなくても完全にシロということではないとその先生。前の検査時に予告されていたMRIを明後日に受ける予約を入れてきました。いずれにせよ、ここ一週間ほどで、ガン騒ぎのひとまずの結論がでそうです。
私としてはいつまでも管を入れっぱなしの生活は辛いものがあるので、早くオシッコの状態改善に着手してほしいところ。それも近々治療に入れる見通しが出てきました。とりあえず仮の報告まで。

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NHKの朝の番組でシンガーソングライター樋口了一さんのヒット曲「手紙」を放映していました。介護の現場で静かな共感と感動を呼んでいるこの歌に初めて接しましたが、確かに「介護のこころ」を呼び起こす力があると感じました。YouTubeでもすでに12万回以上も再生。静かなブームを呼んでいる味わい深い曲です。
これは介護をする方ではなく、される側からの子どもたちへのメッセージです。親を介護した経験があるなら、その一言一言に思い当たる節もあれば、かつての日々がよみがえってきます。
私の場合も例に漏れず、今から10数年ほど前からの母親の介護の毎日が否応なしに呼び覚まされてしまいます。
母の世話をしながら思い通りにいかない苛立ちや焦燥感は今更ながら情けない。どう言い訳しようが、そのときはそうだったのですね。しかし、そんな私に対しても、何のわだかまりもなく優しいまなざしを向けてくれる母の顔を思い浮かべて今も涙がこぼれます。そのときの母の気持ちをこの歌は代弁してくれているのでしょうか。

樋口了一「手紙」(YouTube)
樋口了一「手紙」(歌詞)

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我が家の前では「アイリス」が一斉に紫の花を咲かせ始めました。大輪のこの花、昔はそれほど好きではなかったのですが、この紺色とも紫ともつかない色はなかなか趣があり、最近はけっこう気に入っています。
隣の家では大輪のボタン、ツツジが満開。花もまた初夏の装い。






夕方から割と調子がよかったので、5月16,17日両日開かれるウオーキングイベントの実行委員会に出かけました。久しぶりにガイドマスターの面々にお会いするので、みんな心配そうに私の体調を聞いてくれました。有り難い仲間たちです。
今日の会合では、当日の運営の詳しい内容を決めることでした。実行委員会のあとはガイドマスターの打ち合わせ会。私は調子がよければ昨年同様カメラマンとして車で取材にあたることになりました。
この場で、池田町の名物土柱がテレ朝「ナニコレ珍百景」で5月13日(水)午後7時から全国放映されることが報告されました。取材からずいぶんになりますし、取材を待っていたかのように翌日土柱の頭が崩落してしまったので、どうなることかと思っていましたが、放送にこぎ着けられてよかった。果たして登録されるのか?
地元の我が自治会でも案内掲示などを準備しなければならないのではないかという話もあるそうで、にわかに脚光をあびそうな気配。それにしても、てっぺんの松の木の崩落が返す返す惜しいことです。




  5月9日(土)
検査結果がわかる15日まで長いこと。こんなに時間がかかるもんでしょうかね。とにかく早く結果がわかって治療の方針を定めてほしいものです。
このところ2,3日ちょっと身体がだるくて何かをする気力が減退していました。妻はそれが気になって私がちょっと沈んでいると思っているようですが、そうではなく、検査の際の膀胱内の傷がまだ十分治らないで、膀胱炎になっているような倦怠感です。熱はないし痛みもないのでそれほど深刻ではないのですが、連休の疲れも混じってちょっと憂鬱な状態だったというわけ。
それも昨日の午後からはほぼ元にもどって、今日もかなりの時間外にでて畑仕事をしていました。昨年は、今頃から夏中、ほとんど毎日半日は畑に出て汗びっしょりでしたが、今年はさすがにそのような働き方はできません。せいぜい2時間くらいで、それも休み休み。それでも、毎日少しずつやれば、何日かすると畑も見違えるようになりますから、楽しみです。

昨日は午後からずっと寝転んで国会中継を見ておりました。民主党の細野・馬淵議員の追求は結構おもしろかった。企業・団体献金を受け取っていないめずらしい議員ですから、その裏付けもあってその追求には迫力があります。民主党ではまともに追求できるのはこの二人くらいでしょうか。しかし、小沢代表の献金問題に話しが及ぶととたんにトーンダウンするのですから、自分の追求と民主党のありかたとの矛盾を感じないんですかねえ。
その点は共産党の笠井議員の追求は違う意味で説得力と迫力があります。
馬淵議員、笠井議員の追及点は論点は異なるものの補正予算に盛り込まれた高速道路予算について。
これらのやりとりを見ていると、道路を造り続けるこの国の保守政権の利権体質が何も変わっていないことを印象づけます。国民の税金を食い物に、ゼネコンと癒着して利権あさりをしている政治家たちの姿はもはや醜悪以外の何ものでもない。この点はもっともっとメスを入れて実態をはっきりさせなければなりませんし、これらに何らの批判もできない議員のみなさんには総選挙でことごとくご退陣願いましょう。


  5月7日(木)
まだ雨が残って肌寒い朝です。妻は週一のプールに出かけ、ハルちゃんもどこかに行ってガランとして寂しくなった家。まだ耳の底に孫たちの笑い声や泣き声が残っているからよけいにそう感じるのかもしれません。
過去のある時期、妻だけではなく子どもたちにも辛く悲しい思いをさせたことのある私ですのに、こうして家族そろって顔を見に来てくれるのは本当にうれしい限りです。子どもたちには感謝以外の何ものもありません。
保守政治家の一部が主張するような時代錯誤の家族形態は論外としても、家族の大切さはここで言うまでもないことでしょう。家族の形はそれぞれですし、結婚の形態は(当然離婚の形態も)今日の社会の中でそれぞれに尊重されなければなりません。そうであればこそ、たとえどのようないきさつがあるにせよ、父母とは異なる生活を営む子どもたちが年に何度か親と一緒に集まって気持ちを通い合わせるというのは心休まるものです。
かつて、若い私たち兄弟が子どもたちをつれて盆やクリスマス・正月に親のもとに集い、にぎやかに遊んだときに両親がどのように感じていたか、今にしてわかる気がします。今から20数年前の下の写真と比べるとちょうど父母が私たちの年で孫たちが私たちの子どもたちの世代にあたります。なつかしいの一言です。きっとわが子たちもいずれ同じように感じるのでしょうか。





  5月6日(水)
昨日今日と梅雨空のような空模様。こんな悪天候でも、予定が決まっているのでしょうか、田植えをしている農家の方がいるのですね。

さて、我が家といえばこの連休中は超過密人口密度になってたいへんな賑わいでした。これも、私が病に罹ったこともあってお見舞いかたがた息子・娘の家族をはじめ親戚の人たちがたくさん訪問してくれたからです。
日頃遠くにいて会えない家族がこうしていっしょに数日を過ごせるというのはうれしいものです。小さい子どもたちもいるために保育所みたいな観もなきにしもあらず。泣き声あり奇声ありの数日でもありました。法事や結婚式でもない限りめったにない集まることのない家族の大集合。病気のこともしばし忘れて子守に「アブラ汗」を流したことでした。
そういえば、今から20数年前には私の兄弟姉妹が集まって、その子どもたちを含めて父母の実家は同じように賑わっていたのですから、世代がこうして一巡したともいえます。






それにしても息子や娘、甥の子どもたちの成長の速さには目をみはるものがあります。またそれぞれの性格や環境の違いから来る態度なども観察しているとなかなかおもしろい。もちろん子どもは大人の言うなりになるはずもなく、子どもの論理にそって行動しますから、対応が本当にむずかしいですね。「孫がかわいい」のは当然としても、普段そばにいるわけではないので世間で言われるような「じいちゃん、ばあちゃん」の対応のようにはいきません。
それでも時間がたつとなじんできて、そばに来てはいたずらしていく。次の写真などは最たるモノ。こっちは楽しくツーショットのつもりでも孫はそうでもない。孫の足に注目。


子どもたちにとっては、池田の田園の環境は自然観察にうってつけ。大人が畑仕事をしているあいだに、娘は子どもたちにカタツムリをつかまえて見せたり、蛙を追っかけたり、トカゲを観察させたりして楽しそうでした。どうやら子どもと生き物との関係は親と生き物との関係の反映で、どれほど自然に親しんでいるかに左右されるのでしょうね。これからも機会を見て、いろんな生き物に親しんでほしいものです。


人手が増えたおかげで、畑の手入れが一挙に進んで有り難かった。慣れない労働で疲れたでしょうが、これも経験のうちですね。というわけで、これからもよろしく。きっとおいしい野菜が食べられるようになりますよ。


  5月1日(金)
メーデー。残念ながら今年は地元のメーデーにも参加できませんでした。メーデーの意義も次第に薄れていくようなご時世ですが、実際にはいよいよその意義が問われるべきなのだと思います。3月末で派遣切りにあった人たちが全国にあふれ、再雇用の道も閉ざされて路頭に迷うような「先進国」では考えられないようなことが実際に起こっているこの国の現状をみれば明らかでしょう。

ニュージーランドから15日に帰国し、それからまもなく新型インフルエンザがニュージーランドにも上陸。ぎりぎりセーフという感じでラッキーでした。もう少し遅かったら成田で足止めをされていたかもしれないと考えるとゾッとします。
政府の発表では日本にこのインフルエンザが入ったときは、行事や大会などの自粛も弾力的に要請していくようですから、仕事もさることながら、いろんな場面で思いもよらない影響が出てくるでしょう。修学旅行の行き先を変更せざるをえない高校も出ているという報道もありました。
今回のインフルエンザは、当初考えられていたような爆発的な流行とは少し様相を異にしていますから、これを一つの大きな教訓として毒性の強い新型の大流行に備えることが必要でだとつくづく思わされます。

田んぼをわたる風は、インフルエンザなどとはまるで無関係のようにやわらかく、風景を見ると出てくる言葉はただ一つ「5月」です。日差しはうらうらと田の面にゆらめき、畦の雑草の中に消え、木々の梢には若葉が出そろって新緑がしたたり落ちそう。夕焼けの北アルプスも心なしかかすんで、まさしく安曇野の田園風景ですね。いい季節です。


5月の日差しを浴びながら、病気のことも忘れて、しばらく庭に出て草取りをしました。もちろん力仕事はできませんので、のんびりゆっくり。畑は息子、娘にまかせることにして、私は庭の手入れだけです。
5月15日の検査結果がわかるまでは、じたばたしても仕方がありませんから、できるだけ体力を落とさないようにやれるだけのことをするまで。まだ膀胱内の炎症が治まっていないので、立っている以外は横になっている方が楽です。日が経つにつれて検査のときの傷も治るでしょうから、外で普通に生活できるようにもなるだろうと思います。






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