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  2月25日(木)
2月もあとわずか。オリンピックも残りも数日となりました。
民放のオリンピックの報道の異常さが目に余ります。カーリングの選手団をクリスタル・ジャパンのように命名するのはまだしも、スキー・ジャンプの選手を「カミカゼ飛行隊」などと大声で叫んでいる様は全く異様。こうした放送を垂れ流している局の見識を疑ってしまいます。
どの国でも「国威発揚」的な色彩の強いオリンピック、ここらでその精神をいまいちど考え直してみる必要があるのではないでしょうか。磨いた技を発揮する選手達の努力にそって、客観的に誠実に成果をたたえる姿勢が、とりわけ報道には求められると私は思います。

暖かい日が続いたここ数日。今晩から天気が崩れてくるらしいですが、春の近さをいろんなところで実感させられます。
例年より寒さが厳しく雪も多かった12月、1月にくらべて、2月はすでに早春です。1か月ほど早く春になるのでしょうか。それともまた冬に逆戻りの日々がやってくるのでしょうか。

私は、このところ膝に強い痛みがあって、階段の登り下りに支障がある、正座ができないなど老化現象に直面しています。先日医者に見てもらったら、いつものようにカレイなる変形です。確かに関節の軟骨が少なくなり多少狭くなっているが、レントゲンだけではどこに障害があるかわからないので、3月にMRIをやって詳しく見てみようということになりました。骨なのか腱なのか靱帯なのか、いずれにせよどこかに損傷があるのは事実なので、よく見てもらって早くきちんと歩けるようにならないと。せっかく室内歩行機を買ったのに、さっぱり利用できず残念です。

今日は何にもないのんびりした1日。午前中は二個目のランプシェードをつくりはじめ、最もむずかしい最初のまき付けをようやく終了。このあとは根気強く緑の一年蔓をひたすら巻き付ける作業だけ。3時間ほどもするともういやになって、あとは映画をみたり、本を読んだりしてひまつぶしをしていました。時間があると、結局アタマがお留守になってしまいますね。いかんいかん。



  2月24日(水)
つる細工の続き。一昨日とってきた青い蔓を、昨夜仕事から帰ってからまきつけてようやく一個目のボールが完成です。ふー。
見た目は前の最後のものと余り変わらないように見えますが、結構緻密に蔓が絡んでいます。
続けてこれから2個目に挑戦です。今年は、より球形にちかいものを簡単に作成する方法を編み出しました(これは企業秘密)。ヒマと根気のある方、一緒に作成しませんか。いいアルバイトになると思いますよ!!・・・と言っても、時給200円くらいにしかならないけど・・・








  2月23日(火)
昨日は午前中から、一昨日のファンクラブ講演会のテープ起こしをしていました。午後から3時間ほど外に出て、蔓採取。良い天気で、気持ちがよかった。
夜遅くに講演のほぼ全容を紹介できるようになりました。次のリンクをたどると読むことができます。

田中町長講演記録

さて、講演の記録をとりながら、あらためて田中町長の実績に驚嘆しておりました。一度聞いただけでは、頭の中を通り過ぎていくたくさんのことが、こうして記録に残しておけば何度でも読み返し、考える素材にすることができます。
田中町長は、講演の中で「自分の頭で考え知恵を出し、みんなで議論し合え」ということを繰り返し強調していました。田中町長の指摘は余りにも当然なのですが、現在の行政のしくみの中では、惰性に流されたり安住したり、新しい試みにしりごみしたりすることが常態になっていますから、最も重要な点を突いていたと私には思えました。
町づくりについての考え方、進め方はすべて大変刺激的で、考えさせる内容を多く含んでおり、これをもとに池田町でも大いに議論を起こすすべきです。一人一人がどんな町に住みたいか、どんな町になってほしいかを語り合うところからしか新しい風は起こりませんね。

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さて、今日になって、我が町の町長が昨日の女団連との懇談会の席上で、ひとつの文書を示して池田町の町づくりのイメージを伝えたという話を参加者の一人から聞き、さっそくその文書を見せてもらいました。
題して”まちづくりを池田鉄道にたとえて”。

その冒頭、「町づくりは未開の地に鉄道を敷設するようなものだと思っている」と書いていることからわかるように、町づくりを「枕木やレールを敷き、そこに鉄道を走らせ、駅づくりや景観の保全をすること」にたとえています。
今日ここにこの文書のことを書いたのは、勝山町長を揶揄しようとか、非難しようとかということではさらさらなく、その考え方の根本にある「行政の長としての考え方」を問題にしたいと思ったからです。つまり、田中町長が力説するように、正面から意見をたたかわせ、議論することによってよりよい合意点を目指すということに多少とも資することになるだろうというそのような意味からに他なりません。

この文書の中で町長は、自らを列車の「運転手」、教育長や課長、池田町の全職員は「車掌」、住民は「お客さん」だと述べています。
一見もっともなたとえといえるでしょう。しかし、よく考えてみれば実におかしなたとえです。このままでは住民は列車を動かすことには一切かかわりのない、単なるお客になってしまいます。しかも町長は本当に運転手なのでしょうか。
一昨日の田中町長の講演では、木曽町では町長の執行権限さえも束縛する自治機関を設置したことをあきらかにしました。ここでは町長はあくまで住民に奉仕するリーダーに過ぎません。どちらに向かうかは、住民が知恵を出し、考えに考えて決める。住民自治とは、本来そのようなものです。
列車に乗ったが最後、降りるところまであなた任せになって、せいぜい美しい景色だねという感想を抱く程度の、何にも考えない乗客を町長は考えているのでしょうか。
もっとも、町長は後段で、「池田鉄道の汽車に乗れば間違いないという信頼の確立に努めなければならない。そのためには住民のみなさんとの対話が必要になってきます。住民のみなさんの声がまちをつくると言っても過言ではない」とも書いています。その限りでは、汽車の行き先、駅やその周辺の町の建設に「ともに考え、お互いが知恵を出し合う」という考えが念頭にあることは救いです。
また、鉄道の行き先は「希望」だと書き、「一緒に町づくりの列車に乗ってください。みんなで快適な旅を、またすばらしい知恵を出し合ってよりよい町づくりへと出発しましょう」と呼びかけていますから、最初の懸念は多少は打ち消されています。
とはいえ、列車の運転手と乗客とのかかわり、車掌や駅長と乗客とのかかわりは一切示されていませんから、「乗ってください」といわれても、どうも二の足を踏みそうです。

「住民が主人公」という現代の民主主義の基本原則は、戦後一貫して空洞化され、利益誘導型の行政が日本中を覆い、地方は中央の意向に沿う形でしか生き残れない仕組みが形成されてきました。
国民が自分たちの手で政治を動かすことが出来るという自信を深め、地方自治を自分たちの手にとりもどす体験を長い苦闘をへて積み重ねてきた現在、「住民が主人公」という原則を今一度確認してみる必要があるでしょう。
人間が「人」として輝くのは、他から認められ尊重されることを通してです。その対極にあったのがこれまでの政治でした。
その意味で、日本国憲法の精神を本当の意味で地方自治体に根付かせるかどうか、真の民主主義を体現するかどうかが、地方自治に最も問われていることだと私は考えています。
徹底して住民自治を尊重し、知りうることを隠すことなく伝え、住民の意見をよく聞き、対立を恐れず徹底した議論を通じて合意を形成する、その先頭に立つリーダーこそ首長ということになります。首長や役場職員への信頼は、そうした姿勢そのものの中に培われていくのです。
結局、レールを敷くのも、列車を走らせるのも、駅をつくるのもすべて地域の住民なのです。



  2月21日(日)
共産党ファンクラブ主催、ニュース100号記念イベントとして開催した木曽町の田中町長講演会が成功裏に終わりました。
講演会には約110名が参加、田中町長のなつっこい話しぶりと人柄に触れて「町づくり」の神髄を教わったようで、みんな満足そうな顔でした。

共産党のファンクラブの集会に、町長、商工会長、議員、役場の課長はじめ池田町を代表するような人たちが勢揃いするというのは画期的なこと。町長、商工会長は来賓席を準備しましたが、あとは課長も議員もファンクラブ会員もすべてフロアに座ったり椅子にかけたりの平等で和気藹々の集会。こんな雰囲気は小さい町だからこそ出来るもので、実に気持ちがよかった。

田中町長は、自らの町長生活を振り返りながらどのように町づくりを進めてきたのか、またどんな問題があったのか、何が要となったのかということを具体的な実践例をあげて話してくれました。
中でも印象的だったコトバは、「町づくりにはその理念・哲学が必要であること」。それは「それぞれの町や村ごとに理にかなったやり方があること」、そして、「自分の頭で考え、みんなで納得できるまで討論して町づくりをすすめること」などでした。
講演会後は、町役場や商工会の主な人たちとファンクラブ役員とが田中町長をかこんで短時間の交流会。いろんな話題が尽きず、あっという間に予定の時間を迎えてしまいました。

今後の私の仕事は、田中町長の講演をまとめて次号に載せること、アンケートの結果をまとめて記事にすることなど。これからが一仕事です。ぼちぼちやることにいたします。参加されたみなさん、お疲れ様でした。


池田町勝山町長のあいさつ


木曽町田中町長


木曽町田中町長


田中町長の話に耳を傾ける参加者


田中町長を囲む懇談会
手前左から田中町長、勝山町長、平林教育長、相馬福祉課長
右手前、矢崎商工会長、服部町議、山本町議(カメラを持っている)
その他はファンクラブ役員・会員




  2月17日(水)
冬期オリンピックの熱戦が地デジでくっきりと送られてくるのはなかなかの見応え。しかしメディアが「メダル、メダル」と大合唱している様はどこか興ざめです。昨日のアイススケート500bでも、長島選手や加藤選手の実況報道では、メダルに手が届いたとき選手名ではなく「日本が・・日本が」と絶叫するアナウンサー。選手がより高いレベルを目指して努力する姿は素晴らしいものがありますが、結果についてはそれがどうであれ、彼らと彼らにつながる人々のそれまでの努力を賞賛すべきでしょう。

ところで、あのスノボーの国母選手の服装やインタビューの態度について、高校生たちがどう思っているのか知りたくて、昨日何人かに聞いてみました。
私としては、それなりに寛容な態度を取るのかと思ったら、全員私より遙かに厳しい目を注いでいることが判りました。「あんなのが選手だなんてはずかしい」とか「出場剥奪もかまわない」という激しい意見も。「スポーツマンシップに反する」というのが、一様に指摘した理由。学校で一生懸命部活に専念している生徒達らしい評価です。
ただ、学校が違えば見方もまた変わってくるのかも。ネットでも「スノボはストリート系ファッションと密接に結びついたスポーツで、国母選手にとっては自然な着こなしだったと思う」(岸田一郎さん)のような見方もあるし、「JOCは校則にうるさい学校」「国母選手は個性的な着こなしでかっこよかった」という意見も紹介されていますから。

私自身は、選手として出場しているのだから、事前にきちんとした指導を行き届かせるべきだったという見方です。つまり問題が発生する前に、彼に厳重注意をしていればよかった。残念ながら、そうできなかったのは選手を率いているリーダーにも問題があったわけだし、一通りの指導の意味を理解できなかった彼にも大きな問題がある。
反省を促されたときでさえ、彼自身が問題の所在を判っていなかった(謝罪会見ですら、「チッ、るせーな」「反省してま〜す」と言っていた)わけですから根は深い。予想以上の反応に一番驚いているのは国母選手自身でしょう。帰国してますますそうした環境に置かれることになるのでしょうか。
私が質問した生徒達、授業中うるさいときがあって「静かにやりなさい」と注意すると「反省してま〜〜す」という返事が返ってくるようになって、この「流行語」にはいささか参りましたよ。思わぬオマケでした。

「公式ウエアをきていなかったわけではない」とか、「個性的でかっこいい」などという意見にはもちろん与することはできませんけれど、国母バッシングで問題が片付くほど簡単な問題でもない。これらは日々学校の内外で教師達がぶつかっている問題だからです。
「個性的でかっこいい」などと言っている若者達は、就職試験や面接に行くときにそうした服装をするかというと「絶対に」しません。もちろん「意に反して」リクルートスーツを着るのかもしれませんけど。
要するに、現代の一部の若者の中では、プライベートな空間でのラフな服装と公共の空間でのフォーマルな身なりとの区別が出来ていない、あるいは出来ないということに問題があるのです。プライベート空間をただだらしなく公共の空間に広げているという点に問題がある。
身だしなみは長い「公共」の歴史のなかで、培われてきたものですから、ある意味で国際的な規範があるわけで、それらを子どもの世代に教えていくのは大人の役割でしょう。そんなことを感じながら、この一件を興味をもって見ておりました。

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さて、今日は夢農場(水野建設)の事務所で、つる細工の講習会。社長ご夫妻の娘さんの保育所仲間が集まって、カゴ編みのレッスンです。
私はこれにご招待を受けて、コーチを務めたというわけです。
例によって最初はなかなか巻き方の要領がつかめなくて苦労もあったようでしたが、しだいにコツをつかんで、思い思いの形に仕上がっていきました。「無心に夢中になってツルと格闘している時間っていいね」みんなそう言ってくれてよかった。ただの蔓から一つの造形が生まれていくというのは楽しいもの、何が楽しいのかと言われてもなかなか形容しがたいものがありますが、実際にやってみるとよくわかります。私のように、はまりこんでしまう人もでてくるかも。
作品を展示して、あとは「お焼き」や豚汁をごちそうになって半日の講習を終わりました。







さて、次の写真は12日のつづきのランプシェードつくり。ぼちぼち毎日蔓を巻き付けて、写真3のようになりました。緑の蔓がたくさん必要です。それに台座をつけてほぼ完成。ランプシェードは7割くらいまでできています。あと少し緑のつるをまきつけ完成です。


写真3


写真4





  2月12日(金)
実に一年ぶりに囲碁の会に出ました。昨年は前半は病気で、それ以後もなかなか都合が合わずに出られなかったので、そうこうしているうちに一年が過ぎてしまったことになります。
今日の結果は1勝2敗。コンピュータ相手にやっているのとは訳が違います。それでも、内容は結構充実した勝負だったし、どれも熱戦だったので悔いはなし。1か月に1回というのは、いかにも間延びしていますが、楽しみでやっているので出ることに意義がある。ボチボチやっていくことにしましょう。

その後は雪の中、今日も蔓取りに出かけました。下にも木の上にも一面の雪で、結構大変でしたが、比較的いい蔓がとれたので、さっそく夜ランプシェード作りにとりかかりました。作るのは2年ぶりくらいになります。
1個作るのに、何度も蔓取りに行かなくてはならないし、1日2,3時間かけるとしても完成まで延々1週間ほどかかるので、本当に根気がいります。いつでもうまくいくとはかぎりません。きれいで素直な蔓でないと思うようなカーブが出ないし、完全な球体にならないので、作業は想像よりはるかに難しい。何年やってもうまくいきません。

今日は、完成までの作業を紹介することにしましょうか。
1.まず、お好みの大きさのボール(弾力があるもの)を準備してしっかり膨らませておきます。

2.太めの蔓を3回ほどねじりながらぐるぐる巻いて球の土台(あとからこの穴からボールを取り出すとともに、中から手を入れて整形の作業をします)をつくります。(写真1の手前右側の円形の部分)それをボールの空気穴が見えるところにおいて、やや太めの蔓をボールにしっかり巻き付けていきます。巻き付け方は円の部分をくぐらせながら、同時にボールの周りに均等に巻き付けられるように調節。

3.続いて同じやや太めの蔓をどんどん巻き付け、写真のようになるまで根気強く繰り返します。その際に、写真2のように、前に巻いた蔓に対して、後からの蔓が上、下、上となるようにカーブをかけながら蔓同士がしっかり絡み合うようにします。これが基本の作業。最初のうちは、かなりおおざっぱでいいのですが、しだいに目が込んでくると、このカーブをいかにきれいに絡ませるかが仕上がりに影響してきます。
本日の作業はここまでです。このあと、しばらく蔓を乾燥させ、全体が堅くなってきたころを見計らってボールを取り出し、あとの作業にうつります。

4.ここまでは3.4年の茶白色の蔓をつかいますが、これからは緑色の1年目の蔓を大量に使って、それこそ根気強く、忍耐強く、だいたい3層くらいになるまで蔓を巻き続けます。その際のポイントは2つ。
1つは、カーブをつくる際に、前の蔓と常に直角になるように後からの蔓をからませること。2つは、完全な球体になるように常に気をつけて形を整えていくこと。穴の中から腕を入れて内と外から力をかけて、形を整えることが大切です。目の荒い細かいができないようにしていくことも重要。
4の作業はこのあと。時間をみてゆっくりやることにします。


写真1


写真2


ハルちゃんがさっそく邪魔しにきました。





  2月11日(木)
昼前までポツポツだった雨が、午後にはかなり強くなり夕方からは雪に。先日来の気温上昇で雪が全くなくなったのに、外はまた一面の雪。夜9時頃には10センチ近くの積雪です。うんざり。
午前中は、近くの山林に「つる」を取りにでかけました。この17日に、カゴ編みの講習をやってほしいと頼まれているので、その材料集めです。ここ2年ほど全く蔓にはさわっていなかったので、本当に久しぶり。なかなかいい蔓はみつかりませんが、それでも2時間ほど木々の間を歩き回っているとそれなりに集めることができます。
講習は初心者向きの簡単なカゴにするつもりですが、自分でも改めてカゴやランプシェードを作ってみようという気になっていて、ここしばらくは蔓集めと蔓細工に時間をとられそうな気配です。

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さて、話題は変わりますが、神社本庁のホームページを見ると、今日「建国記念の日」について次のような記述があります。

建国をしのび、国を愛する心を養う。神武天皇が橿原の宮に即位された日(日本書紀)を太陽暦に換算し建国の日と定めました。
明治6年に「紀元節」として祝日になりましたが、戦後は一旦廃止されました。
その後多くの国民の声により、昭和41年にあらためて国民の祝日に加えられました。
この日は大日本帝国憲法が発布された日(明治22年)でもあります。


いまもって、こうした見解が堂々とまかり通り、相変わらず右派潮流の連中を集めて「祝う会」などをやっているのを見るにつけ、「国体=天皇制」に固執する潮流を依然として克服できないばかりか、再生産しつづけていると思わないわけにはいきません。

この日が「建国記念の日」とされてから10年余りが過ぎた1981年に発行されたある本の中で、いまは亡き歴史学者の高橋しん(石真)一さんがこの日のことについて次のように書いています。少し長いのですが、いつも私が読み返している一節ですので紹介しておきます。(「新版 日の丸・君が代 紀元節・教育勅語」歴史教育者協議会編)

「紀元節」にはどんな問題があるのでしょうか。すでにこれは「建国記念の日」として定められて、もはや議論済みだと思われているかもしれませんが、「紀元節」復活運動が「建国記念日」を設けよという運動になり、さらに「建国記念の日」と「の」の字を入れなければ国会を通過しなかったという過程はきわめて印象的なものがあります。
建国記念日などというものが学問的に求め得られぬことは、歴史学の初歩的な常識であります。かつて、故和歌森太郎氏と私が日本歴史学協会を代表して文部省大臣室で当時の天野貞祐文相にお会いしたとき、天野文相が建国の日などとそんな日がわかるはずがないではありませんかと呵々大笑いされたのを思い出します。
建国記念日が科学的に論証しようもなく、また論理的に組み立てようがないにもかかわらず、なぜあれほどに「建国記念日」が政治的にもとめられたのでしょうか。答えはきわめて簡単です。手短に述べれば、その旧「紀元節」2月11日こそ、1889(明治22年)2月11日、大日本帝国憲法が発布された日だからです。つまり、「建国記念の日」をつくるということは、実は歴史的に明らかにできる筈もない「神武天皇即位云々」ではなくて、大日本帝国憲法の記念日を確立することにほかならなかったのです。これはまごう方ない事実であります。
今日「建国記念の日」が果たしてどのような思想的効果を持っているかは十分検討しておく必要があります。大日本帝国憲法発布の1年後の、その憲法に基づく第一回の通常議会のいまや開かれようとするとき、1980年(明治23年)10月30日に、睦仁すなわち明治天皇の名において、「教育勅語」が発布され日本の教育方針が出されました。ということは、大日本帝国と教育勅語は不可分のものといわなければなりません。


神社本庁が最後にさりげなく「この日は・・・」と書いていることの意味を、高橋さんはこれ以上ないくらい明瞭に語っています。しかしながら、戦前の亡霊が日中もはばかりなく出歩いている現状をみるとき、あらためてこの日の意味を根源から問うことが必要なのではないでしょうか。


  2月10日(水)
茂木健一郎さんのブログを見ていたら、Appleから発売されたiPadについて次のように書かれた一文が目に留まりました。

東浩紀さんが、

hazuma やっぱりAppleとかGoogleって「思想」なんだよなあ。商品を売っているのではなく「生の新しい様式」を売っている。そして夢を売っている。それができなければ技術者も経営者も思想家もだめだ。

とつぶやいていた。全面的に共感する。日本のGDPのかくも長き不調は、つまりは思想の不在に起因すると私は考える。

同じアメリカでAppleとMicrosoftが、なぜこれほどまでにデザインでも使い勝手でも異質なOSを作っているのかと私はずっと思っていたんですが、スティーブ・ジョブスがAppleのCEOになってからの差は歴然としています。洗練されたスタイリッシュでシンプルなデバイスの造形やソフトのデザインはMicrosoftといえど足下に及ばない。まるで子どもと大人の違い。茂木さん、東さん流にいえば、「思想」の相違なのでしょうかね。
Appleは創立以来、コンピュータは使う人間にとって、取説が必要ではないほどに判りやすく親しみやすい操作、判りやすいシンプルな画面にこだわってきました。その精神は少しも衰えることなく、現在なおさらに洗練された形で様々なデバイスを提供し続けていますから、これは驚異的なことです。

今日午前中、ジョブスの基調講演の録画を見ていて、プレゼンの仕方も世界一流というのに違わず、なかなか見せてくれます。
ただ、アップルのiPhoneでもiPadでもブラウザでフラッシュをサポートしないという姿勢には賛否両論があります。世界のブラウザでフラッシュはほとんど100%サポートされているにもかかわらず、現在は1社(Adobe)だけがその技術を独占。その技術が近いうちに世界標準のHTML5の中で置き換えられていくのではないかという展望がすでに示されており、アップルはその流れの中で10年、20年先を読んで短期の損得にはこだわらないという立場を鮮明にしたともいえます。しかし、ここ数年の問題でいえば、フラッシュがサポートされないのはいかにも不便で、Adobeが今後どう出るのか注目されるところです。

iPadの日本での発売は通信技術の問題もあって春以降と言われていますが、さて、これを手に入れるかどうかについてはまだ???です。すべてタッチパネルで操作できる、すぐれたデバイスであることは間違いありませんし、タブレットとして使用する方向も示唆されているとはいえ、日本語の環境での操作や閲覧となると、ちょっと足踏みしてしまいますね。私としては今のところモバイルPCで満足しているし、タッチパネルよりキーボード、マウスの操作の方がなじみが深いのでしばらく様子見かな。iPadより、i5,i7CPUのiMacの方が魅力的です。

何度も書きますが、こうした機器は単にモノだけがあっても役にたたない。ソフトが必要です。むしろそれらをいかに使いこなし優れた仕事に結びつけていくかが大切ですから、遊びの道具として高価なソフトを次々と買い求めさせるようなこれまでのPCの流れをどこかで断ち切らないといけない。
お金持ちの遊びの道具から、実際に仕事に有益な道具に変える革新こそ、21世紀の技術であり思想なのだと私は思います。



  2月8日(月)
夕方は雨がふるほどまでに気温が上昇、ちょっと暖かくなりました。
写真は昨日の朝。隣の家もほぼ外観が完成し、急ピッチで内装工事が行われています。3月中旬には引き渡しと引っ越しが行われるようで、お隣さんとの近所づきあいがあと少しで開始となります。新築の家は大きな邸宅で、両隣の家が小さく見えま〜す。




週3日の勤務となると、ちょっとこれまでとは勝手が違い、本当に休みだったかしらんと思ってしまいます。つかの間のゆっくり週休4日のスケジュール。3月の末からはまた週5日か週6日の勤務に逆戻りです。

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今日は松川村の鈴の音ホールで「池田・松川の観光を語る集い」が開かれ出席しました。これは大糸線沿線の自治体とJR東日本などでつくる「ゆう浪漫委員会」と池田町・松川村の共催で開かれたもので、「ゆう浪漫委員会」の今後の取り組みの紹介、「有明山語りの会」によるアトラクション、松本大学教授の山根先生の講演が主な内容でした。
「進化する観光を支える5つのおもてなし」と題する山根先生の基調講演は、例によってパワーポイントを使って全国の事例を紹介しながらのわかりやすいものでした。
そのエッセンスは、「池田町や松川村が魅力ある観光地になるには、単に観光資源があるからということではなく、ハード面でもソフト面でも町全体に溢れるホスピタリティをまちの資産にしなければならない」し、「住民、施設、食、景観と歩きやすさ、地域の生活文化などの全体が地域でのおもてなしの内容を形成する」というものでした。
この限りでは、これまで様々に試みられ、経験をつみ、あらたな発展段階に入っている全国の先進地の総括であり、そこからの教訓をまとめたものといえます。また、私自身がこれまで池田町の今後について提言を試みてきた内容と重なるところが多くあったので、それほどの新味があったわけではありません。むしろ、池田、松川が連携してこうした観光の取り組みを進めようとする点に新たな前進面が見られると感じたことでした。

講演でも強調されていたし、私自身も繰り返して主張していたように、観光戦略が「住民自身が生き生きと生活できる、住みやすく美しい町を作ろうとすることを土台として形成されるべきだ」という点は、大変重要なことだと思います。
観光は、町づくりの一側面にすぎませんし、町づくりの大きなビジョンの中にしっかり位置づけられはじめて他の商工業や農林業の振興、地域生活の活性化につながってきます。講演ではこの点はそれなりに指摘されていたと思います。
第2に、そうだとすれば、町づくりにかかわる住民がどのような役割を果たすべきかということが自ずと明らかになります。当然ながら住民は行政の下請けではありません。また、単に「おもてなしのこころ」を持てばすむ問題でもありません。住民自治の主体として、町づくりの計画や立案・実行にいたるまで、地域生活者の主人公としてどうかかわるかという視点が不可欠です。このことは現在の池田町でもっとも欠如していることで、講演でも残念ながらそこまで踏み込んだ指摘はありませんでした。それぞれの住民の中で、さらに深めるべき点であると思われます。




  2月7日(日)
今日の信濃毎日一面にジョセフ・ナイ・ハーバード大教授の寄稿「ワールドインサイド」が載っていました。月一回の寄稿文だそうで、教授はカーター大統領時代の国務次官補、クリントン政権時の国防次官補を歴任、「日米間をはじめ国際的な課題に精通」と紹介されていました。
タイトルは、「普天間移設問題、同盟の危機にするな」。そして、その書き出しはこうです。

ワシントンの米政権は現在、鳩山首相の対応に一種のいらだちを示している

いらだちの原因は、普天間の移設を約束したのに後退続きだからだというのです。この書き出し、実は後の文章から推測できるようにジョセフ・ナイさんのいらだちそのものであるようです。
彼は次のように結論を先に提示します。

いまこの状況下で日米両国はより戦略的なアプローチをとる必要がある。普天間のような二次的な、しかも短期的な問題に策略を弄すれば、東アジア全体の長期的戦略自体が危うくなる

東アジアにおける日米同盟の「戦略的視点」とは、冷戦の遺物ではなく「東アジア地域の安定と繁栄の基礎となるもの」なのだと彼は指摘します。そして、この機会に「日米同盟のスピリットを再確認しなければ、重要な好機を逸することになる」し、アメリカが短気をおこして報復的に「在日米軍の削減につながるようなことにでもなれば、両国にとって多大の損失となる」と続けます。
彼の日本に対する認識は次の一文でよくわかります。

日本には、北朝鮮あるいは中国の核による恐喝の標的にされるのではないか、との懸念がある。こうした中で日本は、米国の東アジアを含む拡大的な核抑止力に依存している。一方で日本は非核世界の実現という願望を持っている。だが同時に米国がはたして日本を核の脅威から守ってくれるのか、さもなくば日本自身が核開発を選ばざるを得なくなるのではないか。日本は迷っている

いやはや「日本通」というのはこの程度、米政権のフィルターをかけた彼の現状認識にはただ驚くばかりです。そしてとうとうナイさんは次のように本音を打ち明けます。

米国による拡大的抑止力を保障する最善の道は、(日本が思いやり予算で支援している)4万7千人の米軍駐留の続行を日本が認めることである。同様に重要なのは米政府の態度である。米国側が日米同盟こそすべてに優先する関係だ、と日本側に納得させることである。

とんでもナイ暴論です。こんな論文のせて平気なんですかねえ。信毎さん。まあ、言論は自由だけど。
このあと、ナイさんの主張は、日米が協力して今日的な課題に「協力体制を再確認」し、国家の枠をこえた新しい分野で「日本が米国のより平等なパートナー」としての役割を果たすべきだと続きます。
かいつまんでいえば、日本はアメリカの拡大的核抑止力に依存し、基地をそのまま思いやり予算で提供し、そのもとで新時代のパートナーシップを築け、ということです。
この種の「日米同盟論」には、前にも紹介した寺島実郎さんの「脳力のレッスン(特別編)」(世界2月号)からの一文を紹介すれば足りるでしょう。

それにしても、日米安保にまつわりつく人たちの腐臭はすさまじい。私はワシントンの中で通常「知日派・親日派」といわれ、「日米安保で飯をたべている人たち」から距離を取る必要を痛感する。これらの人たちは、日本からの来訪者を笑顔で迎え、しばしば日本でのシンポジウムにも参加して「日米同盟は永遠の基礎」というエールを交換していく。常に基地を受け入れる日本側の「責任」に言及し、より大きな「国際貢献」という名の対米協力を求める。

ナイさんのような見方は取り立てて新しいものではありません。北朝鮮、中国の核の脅威をことさらにあおり、それに対する米軍の核抑止力を対置、グローバルな視点で日米同盟の戦略を打ち立てていこうというのは冷戦の終結以降、とりわけ9.11以降のアメリカの一貫した対応だし、そのもとで首都圏に米軍の司令部を集中させ、自衛隊と米軍との軍事的緊密化をすすめるなどの再編をすすめてきたことは既知のこと。これに完全に追随して集団的自衛権の行使に踏み出そうとしてきたのが歴代の自民党政権であり、その危険な道を踏襲しようとするのが現在の民主党を中心とする鳩山政権です。
この時期のこのような寄稿は、混迷・迷走をつづける鳩山政権への一つの圧力であり、国民の誘導という色彩が濃いと私には思えます。

世界2月号で、カリフォルニア大学院、サンディエゴ大学で教鞭をとるダスティン・ライトさんは次のように書いています。

米軍が沖縄にとどまるのは日米両国を北朝鮮と中国から防衛するためだと語られてきた。だが、米国と東アジアの経済が密接に結びつき、また北朝鮮は破綻国家に向けて衰退しているのだから、この説明はますます根拠を失っている。過去を振り返って見れば、米軍の存在そのものが北朝鮮や中国よりも沖縄にとって危険であるという事実が明らかになるのだ。

米軍の存在は、沖縄だけでなく、日本全体にとっての危険だと読み替えることができます。このあとに展開される、彼の冷静な分析の方が正鵠を射ています。
ライトさんの論文を紹介する余裕はありませんが、「普天間飛行場が沖縄県民に重くのしかかっているのは、軍事的な理由ではなくワシントンの政治的な事情からなのだ」と指摘しているところは半分はあたっており、なかなか面白い。つまり、核の抑止力とか北朝鮮、中国の脅威という名目で軍事予算をいかに獲得するか(いかに多国籍軍事企業のもうけをあげるか)に狂奔している米国議会や政府内の利害関係という経済的・政治的な側面を無視してはこの問題は見えてこないということです。
核抑止力という言い古された概念は、日本共産党流にいえば「抑止力」などでは全くなく、まさにアメリカの「戦争力」「侵略力」になってきたという事実によって、とっくの昔に破綻してしまっているのです。
ナイさんの主張は米政府の「公式的」な主張のオウム返しですから、説得力は全然ナイ。むしろ、「日本通」の底の浅さを暴露する軽薄なもの。沖縄の普天間基地問題は日本にとっては2次的な問題どころか、日米安保の危険性にかかわる本質的で第一義的な問題です。ジョーダンじゃ・ナイ。



  2月6日(土)
かなり強いカンパが襲来して、今日一日雪模様。ときどき吹雪いていました。昼も零下で寒いこと、道路は真っ白です。
夜は大町で仕事ですから、ちょっと早めにでかけました。冬型の気圧配置になると、大町は富山と同じくらいの雪国。今日も池田5センチ、大町30センチくらいの差があります。
途中の国道では、スリップしたのか乗用車がまともに電柱にぶつかって救急車やパトカーが来ていました。仕事中もずっと積もっていましたから、明日までまだ2,30センチは積もるのでしょう。

さて、私が編集責任者をしている池田町の共産党ファンクラブのニュースが、2月に100号を迎えました。今日ようやくほぼ校正を終えてまもなく印刷にかかれる運びになりました。
今月の21日は木曽町の田中町長を招いて記念講演会を行うので、その案内もあって、いつもより急いでつくったのです。
何度も何度も校正出しをして、たくさんの人の目と手を煩わせているだけあって、かなり充実した紙面を作ることができるようになっています。ただ、共産党のファンクラブのニュースだし、私が作っているということもあって、まだまだ「お堅い」紙面。今後はもう少しファミリーな内容にして、これまでにない層にも広げていかなければと思っているところです。
私が編集を引き受けたのは55号からですから、作り始めてから46号目。果たしていつまで作り続けなければいけないのやら。そろそろ解放して欲しいんですけど・・・。
特定の個人が長すぎると、どうしてもマンネリになってしまい、おもしろみがなくなってしまいますから。

ファンクラブニュース100号



  2月5日(金)
西アフリカベナン共和国に住む姪のMakiちゃんから嬉しいバースデーメッセージが送られてきました。出産のために半年ほど日本に来ていた彼女は、子どもとともに1月始めに現地に戻り、現在はアメリカ大使館に勤める夫君とともに暮らしています。


現地に戻る彼女に会うために11月末に富山に行ってきたことを前に書きましたが、赤ちゃん赤ちゃんしていた息子のたっくんは今(4ヶ月半)では体重が9キロにもなったとか。

体重はもうすぐ9キロになります。お、おもい。
服もおむつカバーも、みんな1歳用を使っています。
あまりに拓海が大きいので、4カ月だよと言うと、みんなに笑われます。


と、メールにありました。毎日毎日の成長が楽しみな時期ですね。元気で何よりです。


二人のブログをみると、普段知ることも見ることもできないアフリカ、ベナン共和国の一面が伺えて興味がわきます。日本ではゾマホンさんの故国として知られていますかね。
アフリカギニア湾に面するベナンはその昔、アメリカに向けて奴隷が運び出されていったところ。憲法上の首都はポルトノボ、事実上の首都はコトヌー、人口は約900万人です。公用語はフランス語であるため、姪は目下フランス語を特訓中。
Hunger Free Worldのサイトによると、「40以上の部族が存在していながら、部族間の争いがない非常に治安の良い国です。特に政治面は、複数政党による民主政治を行うなどアフリカの他の国でも類を見ないほど安定しており、アフリカにおける民主主義の手本として評価されるほどです。また、南部の商業都市コトヌーは、アフリカで最も活気がある港のひとつにあげられます。
ただ、人々の生活に目を向けると、干ばつなどが原因で多発する飢饉や食糧不足によって多くの人々が命を落としていたり、多くの子どもたちが、下痢や栄養不良など予防可能な病気で命を落としているなど、問題を抱えているのもまた、この国の一面です。」とありました。
まきちゃんと彼のブログでは、最近港町ウィダに立ち寄ってブードゥー教の偶像や、不帰の門(The Gate of No Return 95年ユネスコの協力で建立)を見てきたことが書いてありました。別の日には、写真を写してくれと寄ってくる近くの村の子どもたちの様子や海岸の風景が載っています。








奴隷貿易については、1999年になってようやくユネスコ、アメリカ、西アフリカ諸国の間で「和解決議」が採択されます。
The Gate of No Returnを紹介したあるスライドには、この決議の精神は次の3つだと書かれていました。
1.歴史上の事実を思い出す
2.誤りを認める
3.赦しあい、怒りの歴史を逆転させる

横浜中区でとりくまれている「なかアフリカンウイーク」のある資料では、オーストラリアのアポリジニに対する過去の非人間的行為への謝罪、イギリスリバプール市議会での決議なども紹介され、民族和解、平和共存の一つの到達点であることが強調されています。私もその通りだと思います。
日本に即していえば、中国・韓国、そのたアジア諸国に対してアジア・太平洋戦争に引き起こした侵略行為による加害について、「事実を認め」、認識を共有し、未来社会への共存の意思を固める必要があります。これについては、日本は全くの未開国家。 国際的な経験から謙虚にもっともっと学ぶべきではないのでしょうか。

紙上を借りて、MakiちゃんとJoeさんにメッセージのお礼を伝えます。あと1年でまた別の任地に転勤とのこと。残された日々を思い出深いものにしてくださいね。元気で。



  2月1日(月)
先月の終わり近くにまたひとつ年を重ねてしまいました。息子・娘や妹夫婦から誕生日を祝うメッセージが送られて来て、感激でした。
次は息子からのメッセージ。うれしかった。

お父さん、お誕生日おめでとう。
またひとつ歳をとったね。自分もそうだけど、もう決して嬉しくはないのかな。
でもまだまだ働くこと、勉強すること、チャレンジすることを続けているお父さんはすごいと思います。
自分もいつまでもそうありたいと思います。
毎年きちんと健康診断を受けて、適度に運動して、まだまだ健康でいてください。


書いてくれているほどにチャレンジしているわけではないけれど、そうありたいと自分自身でも強く思います。家族の絆、ありがたさを感じます。
人生のかなりの部分、「一度きりの人生だから」=「自分が、自分が」を通してきた私にとって、今は、これからの残された人生は「回りの人たちの幸せにどれだけ関われるのか」しかありません。ひとつ年をとって、孫達も大きくなるのを見るにつけても、その思いを強くしています。子ども達の期待に応えられるかどうか自信はありませんけれど、一歩でもそれに近づくことができるように精進しましょうね。

次は妹夫婦からのカード。ジグソーパズル付きです。



直後に次のようなメッセージが。

「ジグゾー」何分でできた? 浩ちゃん半日掛けてやればいいがよ。
だってゆっくりとした時間が我々には流れているんですもの。
じゃ元気でね


いくら何でも半日はないでしょう。けど、気持ちはしっかり受け止めましたよ。
確かにスローライフ、スローフードなどの「スロー」は現在の「ナノ」単位の人間管理や世相へのアンチテーゼですから、そうしたスタイルは生活理念としても哲学としても確立すべきであることは間違いないことです。
とはいえ、秒単位で労働が管理され、かつ非人間的な生活環境が政治の問題として日々再生産されている現状や、自殺者3万人に象徴される格差と貧困の社会への関わりは、迅速で相手を凌駕するものでなくてはならないでしょう。両面を統一した生活スタイルをつくることがこれからの課題ですね。

娘夫婦の子どもたち(孫)からのメッセージは次の通り。ファックスでバースデイ・ケーキを送ってくれました。ケーキの色は私が勝手につけて、美味しくいただきましたよ。








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