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  6月29日(火)
高校生たちはまもなく文化祭で、一人の男の子が髪の毛を完全に脱色して金髪になって塾に来ていました。びっくり仰天。「おいおい、そんなカッコウで学校にいっているのかい」と言うと「黙認ですかね」という返事。まいったね、こりゃ。文化祭とは「文化」にはとても縁遠い存在で単なるお祭りなのだと了解。「頭の中まで脱色するなよ」と皮肉を一発かまして、授業に入ったことでした。

文化祭といえば、かつて私が高校生だった頃、やはり文化祭というのがあったらしい。大きなホールでいろいろなグループの演じるものは、とても荒んでいて、この高校の生徒たちの水準はこんなもんかと暗澹たる気持ちになったことを昨日のように思い出します。
それに対して、私が初めて教師になった名古屋市立の定時制高校では、少ない時間にもかかわらず各クラスの自作演劇コンクールなど、信じられないほど高い水準の文化活動を作り上げていました。教師たちもまた、生徒たちといっしょになって学校改革にとりくみ、生徒の中に飛び込んで優れた芸術とのかかわりかたを模索していたのです。
数年後、赴任した進学校でも文化行事の改革にとりくんで、それなりの成果=文化に正面から向き合う=をあげていきました。要は教師たちの構想と熱意、そして生徒たちの心への働きかけ次第だということです。
しかし、一面、生徒の側からは、年に一度の息抜きの場としての文化祭というとらえかたも根強いのです。高校が息抜きをしなければならないほど「息苦しい」としたら、その学校に自由や未来への問いかけなどはどこにもないということなのではないでしょうか。現役の高校の教師たちはこれをどう考えているのですかね。そして「文化祭」がその役割を果たしているとすれば、名前を変えた方がよろしい・・・と私は思うのですが。

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さて、話は変わりますが、先日回覧で「『美しい町づくりワークショップ』開催のお知らせ」という文書が届きました。7月7日、七夕に会議を開くのだといいます。この種の会議をひらくのは大いに結構なのですが、議会を傍聴していても「美しい村連合」への加盟をきっかけに「美しい町・村」をめざすというだけで、具体的な構想は何一つ示されない。ただ会議をひらいて提案をしてもらうと言っても、それは提案のしっぱなしにおわることになるのではないでしょうか。予算を伴わないことについては提案を受け入れたとしてもです。私は仕事があるので、休んで参加できるかどうか・・・。

このワークショップ、行政の側が「美しい村」の機運を高め、町民のさまざまな活動を支援し、「美しい町づくり」にふさわしい行動をしたうえで連合に加盟をしたのとは訳が違いますから、そもそもの出発点が問題です。
その点はおいておくとしましょう。ともあれ、これからそれにふさわしい行動をしていけばいいのです。だとすれば、どのようにして。町は、町としての考え方を示す必要があるでしょう。それは細部にわたる提案ではなく、こんな町づくりをしたいという構想であるべきです。つまり、手の問題ではなく、頭の問題です。それがない。
それもまた置くとしましょう。だとすれば、もはや個人の、あるいはグループの町づくりの提案しか残りませんから、これからは私の個人的見解、個人的提案です。

「美しい里づくり」と言う場合、何をさして美しいというのかということが当然問題になります。「お知らせ」では「『北アルプスの眺望と田園里山文化』『てるてる坊主のふるさと』この二つをメインとし・・・」と書いてある。いずれも「与えられたもの」であって、自ら作り出したものではありませんからますますよくわからなくなります。
その町の美しさとは、一つは当然のことながら「自然」(人間が手を加えたもの)と「人のつながり」ということになります。北海道の美瑛町の美しさは広い耕作地の持つ空間とその造形の妙なのであり、人々が手を加えて守ってきたものでしょう。池田町ではそれに類するのは、北アルプスを背景とした田園風景ということになりますね。
では、池田町では意識的にその「美しさ」を守ろうとしてきたのか、また、今後も守り続けようという決意に満ちているのか。まずそれが問われなければなりません。
この点では、「土地利用計画」づくりが一つの焦点です。(もちろんそれだけではありえません)。これについては、単に線引きで終わらないように十分町民の意見を吸収することが必要だと思われます。それだけではない、というのは、農業をどう守り育てるかという町独自の考え方、ビジョンが必要だからです。
次に、町民の自覚のもとに、町づくりへの参画が大きく進んでいるのか。現状はようやく著についたばかりです。さまざまな町民グループがゆるやかな結合体をつくり、交流し、そこでさまざまな刺激を受け、アイディアを醸成していくという手法は、この町では全く存在しません。そもそもの出発点はそこにあると私は思うのです。
意欲ある町民はたくさんいるし、何らかの貢献をしたいと願う人々はその出番をまっている。残念ながらそれはばらばらで何も連携がとれていない。サポートセンターはそうした町民のグループを束ね、交流を促進し、情報を伝えるべきでしょう。早急にポータルサイトをつくることを提案します。そこでは、福祉関係のグループ、文化活動のグループ、地域活動のグループ、自治会のグループなど多様なグループを紹介するとともに、それぞれのホームページへのリンクや全国の活動の紹介などを旺盛にすることが望まれます。

ところで、池田町は「花とハーブの里」だったのではないですか。これが「美しい里」から完全に抜け落ちてしまっています。私は、池田町が「世界に誇る」といえるには、町民の過半数がかかわるほどの「花とハーブの里」づくりだろうと思っています。この考え方は、ますます強固なものになりつつあります。自然のすばらしさは、それは所与のもの。どうやって里山らしさを保ちつつ、町民が誇りに思える里に作りかえていけるのか。ここに知恵を絞るべき一つの焦点があると私は考えます。私がかつて提案していたバラ園はあくまで花を全町に広げていく一つの拠点だと言うこと、そして、プランターに花を植えて「花いっぱい」と称する「花作りごっこ」は卒業すべきだということ。
今はこれ以上は書けません。ビジョン無き町政のもとでは、下から作り上げるしかないとだけ言っておきましょう。



  6月28日(月)
選挙期間中、候補者がウエブ上で投票依頼を行えば選挙違反になるというのは公選法の解釈ですが、個人が特定政党の批判、評価をすることまで禁止しているとすれば、これは憲法の思想信条の自由と表現の自由に反しますから、これをたてにとって闘うことができます。よって、これまでどおり、私は好きに書かせてもらうことにします。

さて、この選挙で気になることは、あれほど鳩山内閣が国民の支持を失ったにもかかわらず、菅内閣への期待がまだ大きいという不思議。普天間基地問題は何も変わっていない。まして消費税を10%にすると言っているのに。
民主党のマニフェストによれば、強い経済、強い財政・・・と「強い」を連発。マニフェストづくりの専門家がデザインをふくめて作っているのでしょうが、この通りに「予算の削減」を実行すれば、国民への大きな負担増と犠牲を生み出さざるをえない仕組みになっていることが簡単に見破れます。
さらに性悪なのは議員定数の削減。「身を削る」というのは聞こえのいい言葉ですが、本当に身を削りたいなら、共産党の議員が言うように政党助成金を返上して支持する国民の募金や事業収入でですべて選挙すればよろしい。その自信がないから、少数政党を閉め出す議員定数の削減に簡単に手をつけようとする。これはまさしくファシズムの手法です。
みんなの党などは国会議員を大幅に削減、参議院にいたっては100人にするのだという。自分で自分のクビを締め、大政党の支配に手を貸そうというのですから何を考えているんだか。「期待感」を表明する人はこの党の公約やマニフェストを読んでいるのかしらね。「みんなの党」なんて実にばかばかしい名前です。この党の言うとおりにやったら完全に日本沈没でしょう。
ちょっと横道にいっちゃいましたが、政党助成金を返上するという政党が共産党以外どこにもないというこの事実こそ、どんなに「クリーンな政治」と力んでみたところで、信用するに値しないと私は断言できます。
民主党の考え方の基本は「大企業への減税→経済の拡大→強い経済」「アメリカとの軍事同盟の強化→抑止力→日本の平和と安全」という図式です。第1の図式は、不況下でも大企業が空前の利益をあげ内部留保を積み増しているにもかかわらず、労働分配率は低下、国民の所得は横ばいまたは漸減、とりわけ不安定雇用労働者の増加で年収200万円以下の労働者が1千万人を超えるという貧困の拡大こそがその誤りを雄弁に物語っています。民主党のこのマニフェストのもとでは、さらにその傾向は深まるでしょう。
第2の図式はどうか。マニフェストでは沖縄について「東アジアの経済・文化交流の拠点と位置づけ、地域の特性を活かせる施策の先行実施や、地域独自の施策の支援を行います」から基地を受け入れよとばかりの書き方。1年前のマニフェストにあった「基地を見直す」という文言は片鱗すらみせない。
「日米合意」とは、沖縄への基地の永久押しつけの合意であり、沖縄の負担軽減を口実とした全国への米軍基地機能の拡散の合意にほかなりません。そしてこれは沖縄県民の総意で完全に葬り去られたものです。沖縄県民は「合意」などしていない。ですから、これは自民党時代より悪質な日米軍事同盟体制強化策といえるでしょう。
菅首相のマニフェストになって、民主党は一年と立たずに先祖返りを果たしたと私には思えます。つまり、かつて民社党が果たしていたあの役割、第2自民党としての政党です。しかし、今回は単なる先祖返りではない。新しい装いをこらし、新しい仮面をつけて、それなりに「現代的」に国民の前で立ち振る舞おうとしていますから、顔だけ見ていれば結構だまされる。しかし中身は何のことはない、旧態依然たる構造改革路線への回帰であり、国民犠牲で当面の危機をしのごうという自民党時代の手法と何も変わっていないではありませんか。

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家から歩いて5分くらいの隣の集落で、いまホタル祭りの真っ最中です。久しぶりに休みだったので、妻と9時頃からぶらぶら見物に出かけました。
去年は無数のホタルがでていたのに、時間がおそかったからかチラホラ。仮設テントに寄ってみると町長、教育長、町づくり推進課長が「美しい村連合」の役員を前に杯を傾けていました。
教育長が私に「その後どうですか」と聞くので「万事うまく進行していますよ」となぞなぞみたいなやりとりをかわして帰ってきました。要するに「ガーデン作り」がうまくいっているかどうかを聞いていたのです。
そのガーデン作りですが、今日も大きな進展がひとつ。同じ集落でバラづくりをなりわいとしているEさんという人がいて、夕方ガーデン作りへの協力依頼に行ってきたのです。
玄関で名乗りながらよびかけると、「滝沢にそんな人間がいたかい」と皮肉っぽいごあいさつ。かつて一度バラを中心とした大規模な公園の構想を持って相談に行ったことがあったので、話はトントンと進んで、「そんなことなら協力させてもらうよ」と気持ちよく援助を申し出てくれました。専門家の助力ですからこれは心強い。話は、前の私の構想にもひろがって、結構大きな風呂敷を二人でひろげ語り合ってきたのでした。一人の人間の執念が町をうごかし、町民を動かし、町づくりへと発展させることは決して夢物語ではない、と思わされたひとときでありました。



  6月24日(木)
梅雨の晴れ間にしては朝晩涼しすぎるお天気。日差しは強いものの風がさわやかで、夜にはまるで秋のような冷え方です。
妻の日記にもちょっと触れられていましたが、いま私と仲間たちが準備しているのは、東山の裾の一角にバラを中心とした小さいガーデンをつくろうという取り組みです。
予定地は、我が家から車で5分ほど。歩いてもすぐそこで、北アルプスの眺望が素晴らしい約300坪の場所で、今日はそのオーナーと土地の借用契約を交わしました。とくに何を作る予定もなく、一部には木が生い茂っていたので、それらを取り払い、整地して花を植えようということにしたのです。
オーナーも喜んでくれて賃貸料は実質的に無料。これまで仲間をさそって、10人くらいが参加する目途がたったところです。来月には発足会を開いて、方針や役員体制について検討する予定です。
写真上は予定地です。


かつて、桑畑だった広大な農地にバラ園をつくろうという構想を町長に提案したことがありましたが、そこでは現在、莫大な国の予算をつかって結局そば畑をつくるだけの空疎な工事が進行中。もっともその土地を何とかすることは現状では非現実的なので、その土地の直下に位置する100分の1くらいのささやかな土地で、かつての構想にまけないくらいのガーデン作りをやろうというのが我がプランなのです。そうはいえ、バラについては全くの素人の集まり。ガーデン作りと言っても専門的な知識を持っているわけでもありませんから、みんなの知恵と力を集めてやろうというだけ。
年内は、敷地の整備とガーデニングのお勉強やプラン作り、腐葉土づくりなど基礎のとりくみが中心です。なにしろ予算もゼロからのスタートなので、心細いこと限りなしです。「心意気」さえあれば、何とかなるだろうと私たちはいたって楽観的。
東山山麓が乱開発されたり、無秩序に宅地になったり、荒廃地がそのままになったりするのを避けるには、ボランティアのこうした取り組みがおそらくかなり有効でしょうし、何より町民のみなさんの心をなごませ、ガーデン作りをやる方もいろんな知識を身につけられるので、一つの生き甲斐にもなるはずです。「花とハーブ」にふさわしい町づくりの一つのモデルケースとして、いずれは規模を数倍にしたいと私は密かに思い定めています。必ず賛同者はあらわれるし、年代を越えて支持してもらえると思ってもいます。
契約書の期間は10年。息の長いとりくみになりますから、これをお読みのみなさんで、お手伝いいただける方はぜひご連絡を。
まだ正式発足していないので、具体的で細かいことは書けませんが、呼びかけ人としては、バラのオーナーをたくさん募って小さいながら見事な花を集めた心和む自然園を作り上げていきたいと願っています。オーナーになってくださる方も是非ご連絡を。楽しみながら、のんびりと美しいガーデン作りをすすめていけたらいいですね。


この日記をつけはじめて、6年半が経過しました。6年と2ヶ月前に東京から池田町に引っ越してきたので、この日記は池田町での全生活の記録ともなっています。この6年でなしえたこと、まだできていないこと、したいこと・・・いろいろ。



  6月22日(火)
私がまだ20代のころでしたか、数学教育の分野では遠山啓ひきいる「数学教育協議会」が先進的なさまざまな実践をひっさげて数学教育をリードしていました。それから40年近くたって、いまでは教科書でも(本質は別として)あたりまえのように、それらの成果の一部がとりこまれているのを見ることができます。
当時遠山先生の本に「現代数学対話」というのがあり、いたく影響を受けた記憶があります。その中の一節に、「数学はある理論をめぐって長い間霧がかかったように見通しが悪い時期があるけれど、おの発展過程のなかで突然視界が晴れすっきりとすべてが見通せる瞬間がある」というようなことを書いていたように思います。(手元に本がなく、記憶が定かでないので、多分記述は正確ではありません)。その例証として微分・積分法をあげていたような・・・。
実数の世界では漠然としてよくみえなかったことが複素数の世界で見事な本質を表してくるというのが、あの「博士の愛した数式」、オイラーの公式「」でしょう。何しろ自然対数の底eと円周率πという無関係な定数が虚数単位iを介して一つにまとまるのですから。古来「数学的美」の典型例としてあげられてきたこともうなずけます。
こんなことを書き出したのは、今日のしんぶん赤旗に載っていた作家「あさのあつこ」さんの「発言」をよんでふと感ずることがあったからです。
彼女は、「人が幸せに暮らすために国があるはずなのに、国のために人がいる政治になっている」といいます。確かに形を変えて、さんざん言い古されてきた言葉ではありますが、今日はことさらに新鮮に響きました。政治は「人のためにある」。その原理を徹底すればいいのだと彼女はさらりと言ってのけたのでした。そして、「日本共産党は、一番、人のそばにいてくれる政党だと思います」とも。

国家のために「自らの国を守ることを決意し実行」せよと一人で進軍ラッパを吹いている時代錯誤的妄想癖の藤原先生は後者。「国のために尽くせ(死ね)」というのは過去の日本の姿でしょう。これが形を変えていまなおタケノコのように顔を出してくるっていうのは異様ですね。根っこは深く、かつ腐っていないのです!!
かつて特攻隊員や学徒動員された学生たちは「国家のために死ぬ」「天皇のために死ぬ」という行為に懐疑心を持ち不安に駆られながらも、「これは父母・妻・恋人などを守るためにやむを得ぬ行動なのだ」と言い聞かせ、行為に意味をもたせる「解釈」をして戦地に赴いた。
それを180度ひっくりかえしたのが、敗戦後にできた日本国憲法です。主権は国民にある=「国民が主人公」を高らかに宣言したのですから、これは日本の歴史上オイラーの公式以上に美しい公式であったといえるでしょう。もっともアメリカの思いをくんで天皇条項は巧みに残されてしまいましたが。
あさのあつこさんの一文を読んでいて、政治の根本をすっきりさせ、「人のために国がある」という視点で曇りなく政治を見れば、たとえば今度の参議院選挙であまたの政党がいても、どの党がこれを実行しようとしているのか実に簡単に見えてくると私は思うのです。
「消費税10%は公約と考えていい」と菅さんはおっしゃる。同時に法人税は高すぎるから30%にして強い経済をつくるのだとおっしゃる。これで財源は差し引きゼロ、いやいや消費税の11兆円(5%引き上げたとき財源として使える分)のうち9兆円(法人3税の税率15%に引き下げ)は大企業の減税にまわりますが、そのことには口をつむぐのですけど。庶民は年16.5万円(4人家族)の負担増になりますよ。
巨大な累積債務を放っておけば国家の明日が危ないから、負担を平等にして痛みをわかちあうのだとおっしゃる。まさに共同幻想としての国家。実態は、大企業は泣いてよろこび、庶民は地獄を見るという構図です。
「さまざまな国際不安の一つの焦点にある東北アジアにおいて他国からの侵略行為に対処するためには米軍の「抑止力」が不可欠であり、よって普天間基地は沖縄辺野古に移設する以外にない」という論法もスパイラルで危機を深める「死の論理」です。ちっとも暗雲や霧は晴れてこない。中国などが不安を募らせるのは、目と鼻の先に米軍基地が網の目のように張られ、かつての戦争への謝罪も反省も十分にできない国があるということでしょう。それを180度ひっくり返せばいいだけの話です。



  6月21日(月)
今日はめずらしく妻と二人で遠出です。出不精の私としては珍しいことですね。
行き先は中野一本木公園のバラ園と小布施です。前からここのバラ園は行ってみたいと思っていたし、小布施も町づくりでは全国的にも優れた実績を持つ町なので、どのようなものなのかを見ておきたいと思っていたのです。そこで今回思い切って出かけることにしました。
まず、高速で中野インターまで行き、そこから栗畑をぬって一本木公園まで。昨日までバラ祭りが行われていたらしく、バラは今がちょうど見頃。公園の入り口に車を停めることもできたし、晴れ間も出てきてラッキーでした。
このバラ園は市民の多数の有志(180名ほど)がボランティア組織「一本木公園バラの会」をつくって運営しているユニークな公園で、おそらくこれだけの広さの公園を管理運営するには大変な努力が必要だろうと思わされました。何より「バラによる町づくり」にとりくむ姿勢が重要です。
どこかの企業の徹底的に管理されたイングリッシュガーデンのような行き届いた美しさはなく、むしろもっと手をかければ素晴らしくなるのにとおもわれるところが散見されましたが、それを上回ってみんなで育てていこうという気合いが各所に見られて、見応えのあるバラ園だと思わされました。つるバラの迫力はなかなかのもの。数とボリューム満点の公園です。








遅い昼食後、今度は小布施へ。川向正人さんの「小布施、まちづくりの奇跡」(新潮社新書)で、かなりの知識を得ていたので、相当な期待をもってまちづくりの模様をみたいと意気込んでいたのですが、具体的な町のポイントをもう少し事前に調べておくべきで下見程度に終わってしまったのが残念でした。
修景による「町づくり」の成果は大変素晴らしいものがある反面、これが町の一区画の作業に終わってしまっては全体的な統一感が失われてしまいます。今後の課題なのだと思われました。さらに観光客がおしよせていること(私たちもその一人ですけど・・)が、町づくりの中にどう位置づけられているのか、それを飲み込んでなお静かなたたずまいを見せる町であればそれはすごいことだろうと思います。




小布施をひとまわりしたあと、近くの「フローラルガーデンおぶせ」に。ここは「小布施町振興公社」が運営するガーデンとレストランがあり、バラだけではなく多種多様な花がきれいに植えられて、手入れも行き届いていました。ガーデンの真ん中に水があるのが何ともいえない。レストランもきれいに管理され、中野とはひと味違ったガーデンで、いろいろと参考になることがありました。振興公社のあり方も考えさせられるものがあります。
帰りがけにいろいろ花を買い込んで5時頃に帰宅。我が家も最近ちょっとバラづいています。












  6月19日(土)
このところ雨の晴れ間を見て、畑に出る時間が多くなったので、またまた日記に向かう時間がほとんどなくなってしまいました。
世の中は、サッカーと参議院選挙の話題が中心。サッカーオランダ戦は高一の授業の途中から始まりました。生徒たちはもう少し熱中しているかとおもったら意外とそうでもなく、休憩時間中に携帯で結果をチェックするくらい。どうやら数学もすこしずつ難しくなってきていると感じるらしく、「わからない」を連発する子がいて閉口しています。家でもう少ししっかりやってほしいのに・・・。

ところで、一昨日、昨日と町議会の傍聴に出かけてきました。一般質問者が少ないのに2日間の日程で行われていたので、割と聞く方も楽でした。
6月議会は、予算、決算と直接関係のない時期ということも影響しているのか、比較的のんびりムード。
予算をともなう議員からの提案についての町長答弁にはみるべきものはほとんどなかったとはいえ、これまでより若干踏み込んだ答弁もありました。たとえば、サポートセンターの開設については、昨年の町長の「ボランティアバンク」構想からずいぶん発展したシステムであり、町民の自主的主体的なボランティア活動のコーディネーター役として今後の調整機能が注目されます。ただ残念ながら、どのような町づくりりをすすめるためにこんな組織が必要なのかという「そもそも」論が土台にないために、やはり思いつきの取り組みで終わる危険性を秘めている。そこが問題です。
新聞記者が注目していたのは「副町長」問題でした。2日目の質疑のあと、町長に前議会との考え方の違いについて食い下がっていましたっけ。
副町長を置かずに来たことについて、それは対外的にも庁内の問題としてもきわめて異常だと追及したのは、2日目の桂川議員。
それは、まさしく正論であり、それを「副町長を置かなくても、総務部長・教育長を中心にうまくまわっており問題がない。財政上もメリットがある」と強弁するのは、それは町長の思い込み。町長に何かあったときに、誰が町政に責任を持つのでしょうか。
公務員と民間企業の職場組織を同等にならべて、人員が多すぎるという議論が保守政党やマスメディアなどで当たり前のように行われていますが、公務労働の性格と守備範囲をよく検討すれば、それらのまやかしがはっきりしてくるでしょう。町政の執行にはそれにふさわしいレベルと数の人員が必要なのです。副町長についても同じことがいえます。



  6月15日(火)
昨日から今日にかけて久しぶりに雨。昼過ぎまで日差しが見えていましたが、夕方からまた雨になって、今度はかなり強く降っています。畑の作物には本当に待望の恵みの雨です。

昨日は午後から妻と松本まででかけて「のだめカンタービレ(後編)」を見てきましたよ。ロングランですから、劇場内は若い人を中心にほんのパラパラ。こんなので劇場がやっていけるのかと思わず心配に・・・。
「のだめ」の心理の激しい浮き沈みを絶妙に描いて、しかも音楽の持つ普遍性を楽しくわかりやすく伝えて脚本や監督の並々ならぬ実力を感じました。「物事に本気で向き合う」ということの意味を問うことにおいて、一人の才能が開花するのにどれだけの努力が必要なのか、またどれだけの周りの大人たちや友人たちの支えが必要なのかをさりげなく描いて、これらはすべて若い人たちへの熱いメッセージになっていることがさわやか。悩みは悩み抜くことを通してしか解決できないことを「のだめ」の苦悶を通して教えてくれています。
さまざまな楽曲や作曲家が「千秋」のナレーションで解説されていることや、曲そのものの「いいとこ取り」も実に見事。楽器の演奏や指揮に少しも違和感を感じさせないであきさせません。

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ところで、今月号の「文春」の巻頭寄稿文は、あの藤原せんせいの「日本国民に告ぐ(一学究の救国論)」。井上ひさしさんの「絶筆ノート」全文が読みたくて買ったのですが、先に読んだのは藤原の方。
かつて「国家の品格」で展開した俗論をさらに極端に右に押し広げて、もはやこれは「日本人優越論」「皇国史観」「アジア太平洋戦争美化論」などがないまぜになった妄想としかいいようのない駄文です。私に言わせれば、超右派「知識人」の焦り・いらだちを表現しているだけです。こんなものを巻頭にもってくる文春もその意図があけすけだし、何より文春自体の程度の低さを露呈しているだけ。

まず彼は、「うちひしがれた国民に祖国再生の熱いメッセージを送る」のだとしてフィヒテにならって「柄でもなく」「日本国民に告ぐ」などという一文をしたためたのだと断ります。まずこの滑稽な思い上がりに注目しておくことにしましょう。
そこで彼は、日本を覆っている閉塞感、誰もがモラルを失いつつある現状を憂え、憤りを募らせます。いわく、「日本が危機に立たされている。何もかもがうまくいかなくなっている」・・経済は、「バブル崩壊後20年近くにもなり、その間ありとあらゆる改革がなされてきたがどれもうまくいかない。グローバル化に沿った構造改革も社会を荒廃させただけで、デフレ不況はいっこうに直らない」「失業率は増え続け、自殺者はここ12年間3万人以上」「政治に目をむければ相変わらずの『政治とカネ』ばかり。自国の防衛さえ自らしようとせず、アメリカへの屈従と引き替えに防衛を請う」「集団的自衛権を行使しないという片務的状況を恥ずべき姿とも思わない」「選挙の半年前までは国政など考えたこともないような素人が登場し、質は低下するばかり」「日米関係を傷つけた普天間基地問題の無意味な迷走なども、外務省や防衛省の官僚を外し政治主導で突っ走ったあげくのことだ」「人権をはじめとしてやたらと権利を振りかざす人間が多くなった」・・・おいおい、経済的な危機を打開するためにありとあらゆる改革がなされてきたって?知ってて言っているなら悪質だよ。また、普天間問題は日米関係ではなく沖縄県民を傷つけたんじゃなかったのかい。まるで論旨がめちゃくちゃ。
そしてそのハチャメチャな「分析」から次のように問題をたてます。「漂流し沈下しつつある日本はどうなるのか」「古くより偉大なる文学芸術を生み、明治以降に偉大なる経済発展をなしとげ、5大列強の一つともなった優秀で覇気に富んだ日本民族は一体どうなったのだろうか。祖国再生の鍵はどこにあるのだろうか」・・
さらに次のように「論理」を展開します。困難解決にはそれらを貫く「原理」を変えることが必要であり、そのために「日本人とはどういう民族であったか」から始めなければならない・・・。

何のことはない、これまで言い古された「日本人論」のむしかえし、これから展開される彼なりの「分析」(実は独断と偏見、歴史の偽造と歪曲)や提言はファシズムへの宣言文とさえ読めてしまうコワ〜イしろものです。
彼が導く結論だけ見ておきましょう。「日本人が祖国への誇りを取り戻すための具体的道筋」です。
第1。「日本人は『敗戦国』をいまだにひきずり小さくなっている」から、戦勝国の報復劇にすぎない東京裁判の断固たる否定。
第2。アメリカに押しつけられた、日本弱体化のための憲法を廃棄し、新たに、日本人の日本人による日本人のための憲法を作り上げる。
第3。自らの国を自らで守ることを決意し実行する。
そしてそれらを支える精神的な基盤として、「日本人の、個より公、金より徳、競争より和、主張するより察する、惻隠や「もののあわれ」などを美しいと感ずる」「倫理道徳」と「美的感覚」を「誇りと自信をもって取り戻すことだ」とおっしゃる。

ふつう数学者というのはもう少し論理的で整理された文章を書くべきはずなんですけどねえ。ベトナム戦争の頃から日本の数学者は反戦平和のために結集して意見を述べたりしてきた伝統を持っているんですが、藤原先生だけは違うらしい。最近は数学研究者より「憂国の士」におなりの様子で、それも年ごとにエスカレート。妄想の世界にあそぶこのような藤原せんせいを利用するだけ利用しようというセコイ連中もたくさんいるからなおこわい。そうそう、あのタモガミさんも同類ですね。ま、是非ご一読を。アホらしくて死にそうになること請け合い。



  6月12日(土)
暑い日が続いていますね。池田でも30度近くあるんじゃないかな。家の中でじっとしていても汗が出てきます。
明日午後からは待望の雨が降りそうな予報で、何しろカラカラの畑はとにかくほしい。もっとも梅雨入りとなれば、今度は雨ばかりということになりかねませんから、限度がありますけど。
膝の手術から2ヶ月あまりが経過。一週間に一度ずつリハビリに通っています。一昨日は整形外科の診察の日でした。経過を見るだけですから、「だいぶよくなりました」「それはよかったです」「適度に運動した方がいいですかね」「どんどんやっていいですよ」というだけで、その間3,4分。このところ外に出ていても、それほど痛みが感じられなくなって、正座こそできませんが、階段を上がるのも普通にできるようになりましたから、順調に回復しているのでしょう。次回の診察は9月。それまではもうすこしリハビリをつづけることになります。

さて、サッカーのワールドカップが始まり、このところ国会の模様よりもそっちの方に熱が奪われているようす。
今日はゆっくり菅さんの所信表明演説を新聞で読みました。誰がこんな作文を書くんですかねえ。野党の一部では「官僚の書いた作文だ」という批判もあったようですが、もし事実だとすれば官僚主導の政治打破という民主党の沽券にかかわるんじゃないでしょうか。
「はじめに」で菅さんは、「信頼回復による再出発」ということを口にしています。「政治と金」の問題、さらに普天間基地移設をめぐる混乱により当初いただいた政権への期待が大きくゆらぎました」「鳩山前総理は・・・辞任という形で自らけじめをつけられました」とのべ、「歴史的な政権交代の原点に立ち返って、この挫折を乗り越え、国民のみなさまの信頼を回復する」のだと述べています。異なる政党ならいざ知らず、同じ民主党の政治家とは思えない、しかも「私も、前内閣の一員」であったという自覚も何も感じられない「所信」です。
「はじめに」の中の「■真の国民主権の実現」では次のように言っています。「私の基本的な政治理念は、国民が政治に参加する真の国民主権の実現です」これは要注意で、重要な点です。なぜなら、沖縄県民の圧倒的多数が普天間基地の撤去、あるいは国外・県外移設を望んでいることに即した政治的解決を目指すことが、「国民主権の実現」かというと、そうではないのです。
彼の言う国民主権とは「国会内閣制」であり、「多数の国民に支持された政党が、内閣と一体になって国政を担っていくことを意味する」というわけで、普天間基地問題も「民主党という国民から支持された政党が、国民の負託を受けて政策を実行する」ことが「国民主権」ということなのです。「広く開かれた政党を介して、国民が積極的に参加し、国民の統治による国政を実現する」というところに彼の真骨頂が現れています。ですから、このあとの所信もどんな展開になるか容易に想像できるというものです。



  6月7日(月)
菅政権の閣僚と民主党人事がほぼ固まったようす。民主党の支持率がV字回復していると報道され、民主党の枝野幹事長があちこちに顔を出しています。「仕分け」の「実績」にたよった人事であることは間違いないし、「クリーン」なイメージという点では、当座の「しのぎ」には一定の成功を収めた人事といえるでしょう。
NHKなどの報道を見ていると、単なる期待感でしか報道できず、鳩山政権が「民主党」の政権であったことへの切り込みはまるで乏しいのが特徴です。鳩山政権と菅政権で何がどう変わるのかさっぱり伝わってきません。
それもそのはずで、菅さんもこれまで鳩山政権下で進めてきた政策は基本はすべて踏襲すると言っているし、おそらく2,3ヶ月もたたずに菅政権の化けの皮ははがれてしまうでしょう。なにしろ、鳩山・小沢の政治資金問題はますます闇のなかに閉じ込められるし、普天間問題も何ら変わらないんですから。
民主党の本質が国民の目にあらわになってきたときに、小沢さんはどう動くのか。民主党は民主党でいられるのか・・・。ますます政治の動きは激しくなる時代、面白い時代です。



  6月3日(木)
晴れの日が続いて、少しずつ暑さが増してきています。温水器も70度近くあり、太陽発電も今のところ順調。しかし、畑はカラカラで水遣りが欠かせません。
今日は、離れの畑に豆を植える準備。耕耘機で耕していましたが、土が硬いのと石が多いのとで難儀しました。もしずっと雨が降らなかったら水を取るところがないので大変です。そのあとは、断続的に裏の畑の畝作りと水遣り。毎日毎日、畑に出ているので、足の痛みも忘れていることが多くなりました。
さて、先に書いた太陽光発電ですが、ここしばらくの晴天で結構な伸びを示しています。月あたりで約1万円くらいの売電になっているので、このあと6〜9月くらいまでそのくらいになるのでしょうか。10日刻みでの発電量を調べてみたのが次の表です。


3月に入って急速に伸びが見られます。夏場の発電はまだ未経験ですので、晴れてくれさえすれば10日で150kwhはこえそうなのですが。お日様の恵みが実感できる統計ですね。



  6月2日(水)
テレビやラジオはすべて鳩山さんの辞任の報道で一色。まあ、辞任は当然ですが、小躍りして喜んでいるのは自公の面々。財界、官僚の諸君ですかね。

鳩山さんの辞任の弁を聞いていて、「国民聞く耳を持たなくなってきてしまった」という一言にはたまげた。おいおい、「自分正しいけれど、国民それを理解しなかった」とでも言いたいのですかね。「国民に政策が聞いてもらえなくなってしまった」というのがスジというものでしょう。なぜ聞いてもらえなくなったのかを考えることこそ再出発の原点のはずなのに、この一言には全くそれが伺えない。
政治資金問題、普天間問題、高齢者医療制度問題、郵政民営化見直し問題・・・これらは自民党、公明党の政治の延長線上にあるもので、政策も政治手法も自公政治と何ら変わりがない。むしろ強引な国会運営や普天間問題での官僚主導など自民党政治より危険という側面もあるから始末が悪いのです。
いずれにせよ鳩山辞任は避けられない事態で驚くほどのこともない。それより、国民の怒りや要求が政治を動かしていることの方が重要で、「本当に自分の願いを叶えてくれる政党はどこか」を求める長い模索の過程が続くのでしょう。
自民党や公明党の面々の話を聞いていると、過去に自分たちのやってきたことはまるで忘れたよう。ぜ〜〜んぶ、自分のやってきたことにはね返ってきているのに「どこ吹く風」ですから、何と面の皮の厚いこと。
このあと、自民、公明、民主、みんなの党などの誰がやろうと、その政策の本質に「財界・大企業」「アメリカ」の二つが張り付いている限り、同じことが続くでしょう。
社民党はどうですか。党首の福島さんは勇ましい発言が多いですが、その陰で照屋国対委員長は山岡民主党国対委員長に対して選挙協力、政策提携を確認しているというのですから、何やってんですかね。山岡さんは「各委員会等においては、普天間の問題は別として、その他のことはまったく今までと変わらない。連立の与党と同じ友党ということで・・」と自党議員に指示したといいます。(6/1赤旗報道)。

2,3日良い天気が続いています。これから一週間はずっと晴れが続く予報で、ちょっと心配。あと一週間もすれば「トウモロコシ」「サツマイモ」「豆」などを定植しなければならないので、その頃には何とか雨が降ってほしいものです。




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