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  12月26日(月)    
一昨日から雪。大町では20センチほど積もっていましたが、池田は例によって2,3センチだけ。昼頃には道路は乾燥していました。雲が多いと寒さはそれほどでもないので、室内では沢山着込んで暖房なしでも何とかしのげます。

今日高文研からきた新書案内メールには次の一文が添えられていました。

(北朝鮮の金正日死去の報道について)ただ、大手マスコミの報道にしても、一部の国会議員にしても「有事」ありきの論調に相変わらず呆れてしまいます。
北朝鮮の今後も確かに気になりますが、先日の福島第一原発「収束」という頓珍漢な首相の宣言や、普天間問題に対する一連の問題がうやむやにされてしまいました。
この隣国のニュースにこれ幸いとほくそ笑む政府の横っ面をはたいてやりたい心境です。


全くその通りですね。

普天間問題といえば、元琉球新報社長の高嶺朝一さんが雑誌世界1月号で、あるアメリカの識者の書いた小論を紹介しています。
その識者とは、マイク・モチヅキさん(ジョージワシントン大学副学長)、マイケル・オハンロンさん(ブルッキングス研究所上級研究員)で、小論とは2人の共同執筆でCNNウエブサイトに特別寄稿された一文を指します。

その要点は「沖縄の世論の動向から言っても、現在米国内で緊縮財政の流れが加速していることから言っても、海兵隊の移転先をグアムではなく米西海岸の既設基地に移すべきだ」というものです。

Keeping 5,000 to 10,000 Marines on Okinawa while relocating the rest makes the most strategic sense. Right now, Japanese and American officials in Tokyo and Washington agree; and they have a plan to relocate about 8,000 of the Marines to Guam in the coming years. But a better approach would be to bring those Marines home to California where the inevitable downsizing of the broader U.S. Marine Corps will create space for them at existing bases.

これを紹介した高嶺さんは、11月7日付け琉球新報社説を引用して、この小論の意義を強調しています。

野田佳彦首相や関係閣僚はこの論文を読むべきだ。外務・防衛官僚ら『安保マフィア』の振り付け通りの『思考停止』から脱し、こうした合理的思考を取り戻してもらいたい

本当にそう思いますね。

さて、話は全く変わります。寒さで家にこもっていることが多くなったので、いくつか本も読む時間が取れました。といっても相変わらず文学とはほど遠いヤツばかりですけど・・・。
まず、「もったいない学会」会長の「石油ピークが来た」(日刊工業新聞社)を読んだあと、いまワールドウオッチ研究所前所長のレスターブラウンさんの書いた「プランB4.0」(ワールドウオッチ・ジャパン)を読んでいます。どちらもとても怖い本です。
最近あることを考えるようになっていたのですが、これらの本を読みながらいよいよその感を強くしました。それは、レスター・ブラウンさんが言う「次世代の人々への誠実さ」ということです。
つまり私たちは、未来の世代の人たちの使うべき資源を先食いし、食い尽くしているのではないのか。これほどまでに過酷な状況を作り出して、我々に続く世代に何を残すのかという問題意識です。それも100年後、200年後ではない。10年、20年先のことなのですね。
レスター・ブラウンさんは相当前から、地球環境、とりわけ水資源の枯渇と土壌喪失による食糧問題、それと密接にかかわっている地球温暖化問題、さらには発展途上国での人口問題にとりくんで、毎年「State of the World 地球白書」を世に問うてきました。
そのレスター・ブラウンさんは「プランB」の中で、このまま推移すれば(プランA)、人口増加、地下水の枯渇、氷河の消滅、温暖化の加速、資源の浪費などが限界点を超えるのは時間の問題だろうし、すでに地球上のあらゆるところでそれは現実に進行している。その結果、近い将来私たちは世界的な食料の不足に陥って恐るべき事態(人類文明の崩壊)に遭遇せざるをえないだろうと警告。もちろんいま、プランBに移行すれば希望はあると、様々な実践例を挙げて私たちに方向を示唆しています。それらを例証し方向を指し示す口調は鋭く説得力があります。

これを読みながら、私は次のようなことを考えてしまいます。いま、この瞬間の私たちの生活は100年後のことを確かに考えていない。石油があと数十年でなくなると言われても、それでも無尽蔵にあるように石油を掘り出し続け、石炭を掘り、あらゆる鉱物を掘り尽くそうとしている。温暖化物質を出し続け、エネルギーを浪費し、「グリーンランド、西南極の氷床の融解で、2100年までの海面上昇は0.8〜2メートル」になろうと、それは未来の問題だとして解決を先送りしている。
世界中でそれらとたたかっているではないかという反論もあろうかと思いますが、こと日本の動きを見ている限り、まるでその気配は感じられない。その良い例が自公民などのTPPと原発への対応です。ものごとを世界レベルで見ることも考えることもできず、ただアメリカの言うままに「思考停止」状態になっている現状では、効果的な解決の道は見えるはずもありません。

だとすれば、以前にも書いたように、下から地方からそれを変えていくしかないのです。それも都会ではなく農村から。大きな自治体ではなく池田町のような小さな自治体から。つまり食料を生産し、エネルギーを生み出し、水を供給できる農山村の力をつけ、問題意識を広げるしかないのではないか。もっとも、そのような問題意識を持たずに情勢に流されていけば、農村にも未来はありませんけれど。
現在日本の農山漁村は都会に従属したり、身売りすることによってしか生き残れていない。それを逆転すべきなのです。その道筋をこれから考え抜いていかなければいけない時代なのだと・・・レスター・ブラウンさんに教えてもらったような気がします。



  12月23日(金)    
身の回りにはいろいろと雑用の多い年末。まもなく冬の講習も始まるし、気ぜわしいことこの上なしなのですが、ただいまやり始めたらやってしまわないと締まりがつかないというやっかいな仕事をしています。
もう今から2年も前に、町の財政を調べて「財政白書(準備資料)」をいうものをつくりました。この改訂版を編集しているのです。町長が代わってからの町の財政がようやく少しずつデータで見られるようになってきたのと、前の資料は勉強のための資料だったので、今度は贅肉を落としてできるだけ財政が概観できるようなものにしたいと考え、章立ても変えて少しずつ書きためているというわけです。
少しずつといっても、パソコンに向かいっぱなしの細かい仕事なのでなかなかはかどらない。今日も朝から一日やっていましたが、それでもまだ1/3くらいしかできませんでした。まあ、冬の宿題といったところです。2年も前の仕事だと、かなり忘れていて、思い出すことからはじめないといけないし・・・。

明日から全国的に大荒れの天気のようで憂鬱です。これから雪深い大町まで毎日通わなければならないので、早めにタイヤ交換を済ませました。年賀状、畑の大根、家の掃除・・・。何とかなりますかね。



  12月15日(木)    
昨日、今日と池田町の12月議会に出かけました。傍聴席は議場2階でちょっと暖房しても上が暑くなるので頭がボーッとしてきます。上から扇風機が髪の毛を撫でていくので、それも具合悪い。何とか効果的なサーキュレータを導入してもらいたいもの。
さて、メディア流の関心では今回の議会の焦点は町長の再出馬が表明されるかどうかでしたが、「残念」ながら正式表明はなし。しかし、「いくつもまだやり残していることがある。さらに良い町にしていきたい」という意欲が示されたことは再出馬表明とほとんど同じことですかね。
12人中議長を除いて10人が一般質問に立ちました。そのうち何人かは町長の政治姿勢を問いただしていました。しかし個々の政策ではいろんな観点から町民要求を実現しようとする意欲は感じられたものの、政治姿勢では全く不十分で、とくに財政問題についてデータを示して追及する質問はなく残念でした。

町長は議会だけではなくいろんな場で、「実質公債費比率」を就任時の18.6%から13.2%まで減らしたことを大きな成果として自賛しています。減らすこと自体は悪いことではありません。ただ、中身を見ないで数字だけを追っても正確な評価はできないでしょう。町長の政治姿勢を質すのであれば、下に示すような「数字のトリック」を突いてほしかったと思います。

下の図は過去10年の、新規発行分の「地方債(臨時財政対策債含む」)、返済にあてる「公債費」、累積の債務である「地方債現在高」、および平成17年からの「実質公債費比率」(通常前3カ年平均)です。
これを見ると山ア町政時代と、2008年7月からの勝山町政時代での「ある違い」に気がつきます。
町の借金の返済に回すお金が前町長時代に比べて2億円近くも減少。従って地方債の現在高の減少カーブが急に緩やかになっています。それに加えて国からの地方交付税の穴埋めに使う臨時財政対策債が増加し(今年度予算ではやや減少)、全体として町債の発行高が増加に転じています。


実質公債費比率の計算式は次の通りです。

【計算式】 実質公債費比率 = {(A+B)−(C+D)} ÷ (E+F−D) × 100

A: 地方債の元利償還金(公営企業分、繰上償還等を除く)
B: 地方債の元利償還金に準ずるもの(「準元利償還金」)
C: 元利償還金または準元利償還金に充てられる特定財源
D: 地方債に係る元利償還金に要する経費として普通交付税の額の算定に用いる基準財政需要額に算入された額および準元利償還金に要する経費として普通交付税の額の算定に用いる基準財政需要額に算入された額
E: 標準財政規模
F: 臨時財政対策債発行可能額


実質公債費比率を下げるには、分母を大きくするか、分子を小さくすればいいわけで、一番簡単なのは分子のAの部分を減らせばよい。分母では、標準財政規模はほとんど変わりませんから、余り影響はないとはいえFを増やせばよい。事実、勝山さんはそのようにして実質公債費比率を「めざましく減らした」のです。要するに当座の数値あわせのためにこれまでのツケをあとにまわしただけです。

山ア町長時代は、相当に大きな債務残高を何とかして減らそうとしてかなり無理をした形跡があります。それは新規発行の町債を減らして8億円強の借金返済を続けたことでもわかります。そのために残高は毎年4億円(平均)くらいずつ、ほぼ直線的に減少してきたのです。そのままいけばあと15年程度で借金は完済できると見通せる状況にまでなっていた。
ところが勝山町政になって事情が変わってきました。借金をなくすことより、毎年の返済を少なくし、その分積み立てなどに回すというやり方になったのです。従って、数値だけを見て「財政健全化」がすすんだなどとは決して言えないことがこれでわかると思います。むしろ、後年度にツケをまわしていくことや、地方交付税の穴埋めである臨時財政対策債(後年度に地方交付税で措置すると言われているが,地方債であることは変わりがない)を増やしていくのは、「財政健全化」に反すると思うのですがどうでしょうか。
このままでは、全部返済するまでに40年くらいかかる計算になります。

積立金も、自由に使える財政調整基金を増やしているのであって、将来何かをするために目的を決めて計画的に積み立てる特定目的基金は変化していません(これが松川村との大きな違いであることは以前発表した「町政白書の準備資料」でも明らかにしました)。

ここで言いたかったことは、一つの数字だけを取り出して、それが町の財政の健全化になっていると短絡的に見てはならないということです。仮に多少財政指標が悪化しても、そのときどきの課題でどうしても支出しなければならないこともあるし、思い切って借金を返済してしまわなければならないときもある。財政を全体として経年的に見ることが必要だということを言いたかっただけです。

町の財政がどうなっているのかは今後の池田町の将来を考える上で大事なことですから、平成22年度の決算カードおよび23年度の決算を見ながら、「準備資料」の改訂版に取りかかろうと思っています。それを見ながら、あらためて池田町の財政問題を考えてみたいと思います。



  12月13日(火)    
午前中は、「バラの会」の定例作業日で、これから植えるバラのために穴掘りをしてきました。今日は女性たちは別の会の忘年会らしく男3人だけ。
直径50センチ、深さ50センチほどの大きな穴を掘るので、1つ掘るともう汗が流れてきます。毎回のノルマは1人3穴。1ヶ月前あたりから掘り始めていますから、すでに結構な数。今日は、それに肥料(牛糞、堆肥、腐葉土)を入れました。まだ30個くらい掘らないといけないので、気の長い仕事です。

家に帰ってからは一つ洋画を見て、あとはセンター試験の過去問解き。それぞれの年度ごとに工夫をしている努力のあとはよくうかがえます。数年前の出題の方がはるかに素直で良い問題が多い。追試がマニアックで極端にむずかしくなる傾向は例年ありましたが、それでも数年前まではそうでもなかった。
来年度の出題がどうなるのか、出題者しか知らないわけですが、工夫次第で高校生の実力をそれなりに判断できる出題にできるわけで、センター入試を続ける限りはその努力を続けてほしいものです。

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3日前のことですが、富山の友人から氷見産の寒ブリが半身ド〜ンと送られてきた。それを私がさばいて(と言ってもブロックにするだけですけど)、それ以来ブリ漬けの毎日。いや〜〜〜生まれて初めてこんなにいただきました。まず、ブリ大根。その次は,当然刺身。それも一切れが口に入らないくらいの大きさ。アブラが載って実においしい。妻はビールに刺身。私とネコのハルちゃんはブリだけ。
ただし、写真のものが送られてきたわけではありませんので念のため。


いつもは、ブリを横目で見ながら、出世前のハマチ程度の刺身を少し買って食べるのが関の山。しかも池田に来てからは、赤身が多いので滅多に白身はたべられません。それが、何と何と、1メートル以上もある寒ブリですよ。本当に生まれて初めてです。
刺身はぺろっと食べてもうなくなった。あとは塩焼きが待っています。富山のHさん、ごちそうさまでした。

ブリの効用はと思って調べて(「魚介類の栄養価と薬効」より)みると、こんなに。

@脂には不飽和脂肪酸のEPA・DHAが豊富に含まれて血中コレステロールを下げる・動脈硬化を防ぐ・脳の活性化をはかり痴呆を防ぐなど中高年にとっては大切な栄養素である。
A強肝作用や脱コレステロールに役立つ、話題のタウリンも豊富。タウリンは血合いに多く含まれ肉の3倍。
Bさらに、ビタミンB群の含有量が多く、特記すべきものにパミルトオレイン酸の豊富さ。脳の血管に栄養を補い、血管壁を丈夫にする。


今度は私が一生懸命働いて、富山から直接取り寄せて「ブリ」パーティーでもしましょうかね。中高年のみなさんお楽しみに。



  12月12日(月)    
共産党池田ファンクラブニュースに連載中の、全障研薗部事務局長による「見た・聞いた・考えた=北欧の福祉・教育を考える旅から=」がこの12月で終了します。終わるのは何とも惜しいのですが、何しろ超多忙な方ですからやむをえません。来年すぐにまた北欧を視察に行くということなので、新しい情報を含めてまたいずれ続編をお願いすることもあるでしょう(・・・とプッシュ!)。
ファンクラブニュースに先立って、第1回から第5回までの分を一挙公開します。まとめて読んで見ると、日本の教育・福祉を考えるうえでさまざまなヒントを受け取ることができます。

最終回のテーマは「自治と民主主義」。とくに興味深いのは、デンマークのある町【ejby(エイビュー)コムーン】での議会の模様です。まず、日本で言えば「紅葉」みたいな歌を全員で歌ってから議会がはじまる。しかも、夜に開催、無給。自治の姿勢が住民の中にすっかり定着し、それなくしては町はなりゆかないという民主主義の基本がすわっているからできることなのでしょう。こうした住民自治がどのようにして定着したのか、無給で矛盾はないのか、行政とのかかわりはどうなのか・・など聞きたいことはありますが、薗部さんには新年のデンマーク旅行の課題としてまたレポートしてもらうことにしましょう。よろしくお願いします。
写真は、池田町とさして変わらない小さな町での議会の模様。みんな輪になって議論していますね。この後ろには、議員よりも多い傍聴者がいるそうです。


北欧だより 第1回(pdf)
北欧だより 第2回(pdf)
北欧だより 第3回(pdf)
北欧だより 第4回(pdf)
北欧だより 第5回(pdf)

北欧だより 第1回〜第5回 まとめたもの(pdf)




  12月11日(日)    
ナオミ・クラインさんはカナダ生まれの著名なジャーナリスト。「世界」12月号で、彼女が「ウオール街を占拠せよ」で行った集会演説の内容が紹介されていました。その模様はYouTubeで見ることができますし、英文ですが、全文を次のページで読むことができます。
彼女のメッセージは、次のような発言に集中されています。

If there is one thing I know, it is that the 1 percent loves a crisis. When people are panicked and desperate and no one seems to know what to do, that is the ideal time to push through their wish list of pro-corporate policies.

私が確信を持って言えること、それは世の中の1%の人は危機を望んでいるということです。人々がパニックや絶望に陥り、どうしたらいいか誰にもわからない、そのときこそ、彼らにとっては自分たちの望む企業優先の政策を強行するまさに絶好のチャンスとなります。・・・

And there is only one thing that can block this tactic, and fortunately, it’s a very big thing: the 99 percent. And that 99 percent is taking to the streets from Madison to Madrid to say “No. We will not pay for your crisis.”

この企みを阻止できるものがひとつだけあります。幸いなことにそれはとても大きなものーー99%の人々です。その99%の人々が今まさに、マディソン街からマドリードにいたる街頭に操り出し、「ノー」と声を上げているのです。「お前たちのつくった危機のツケは払わない」と。


彼女はこの演説の中で、1%の人々が支配しようとしているシステムは、誰もが知っているように「きわめて不公正で、しかも急速に制御不能の状態になりつつある」として、「今を生きる私たちの課題はそれをひっくり返すこと(The task of our time is to turn this around.)」だと強調します。そして、それを実現するには「この社会の底に流れている価値観を変えること(changing the underlying values that govern our society.)」だと力をこめて訴えています。

それはそれで、重要なことなのですが、この演説で私が注目したのは、この運動に参加している若者たちの掲げている標語をとりあげて共感を示している部分です。
彼女は、ある労働者が「We found each other.(私たちはここで仲間に出会った)」と発言したことを引いて、「ここに生まれつつある素晴らしいもの、それを見事にとらえた言葉だ。よりよい世界を望むすべての人々が互いに出会える、開かれた大きな空間がここにある」と指摘。
さらに、「I care about you.(あなたのことを気遣っています)」と書かれたプラカードを紹介し、次のように言っているんですね。

My favorite sign here says, “I care about you.” In a culture that trains people to avoid each other’s gaze, to say, “Let them die,” that is a deeply radical statement.

私がここで気に入ったプラカードは、「I care about you.(私はあなたのことを気遣っています)」というものです。互いの視線を避けることを教える文化、「あいつらなんか死んじまえ」と平気で言うような文化にあって、このスローガンは真の意味でラディカルなものです。


多分、世界中で民主主義を求める運動が高揚するときは、多かれ少なかれこうした気分は高揚します。しかし、ここで彼女が指摘しているのは、かつてよりもはるかに個人が孤立させられ互いに競争させられ人間として貶められている今日において、アメリカのど真ん中で始まった非暴力で規律ある99%運動が、この精神だからこそひろがりをみせ、若者の心をとらえ、世界の希望にまっすぐ繋がっているということを訴えたかったのではないかと思うのです。
“I care about you.”はまさしく被災地で私心なく活動する無数の人々の気持ちであり、同時に私たちの被災地支援ネットワークの気持ちそのものであって、言ってみれば私たちの活動も99%運動の一翼をになっているということですよね。

彼女は、こうした運動においては、服装がどうだとか、どうアピールするかだとか、メディアをどう使うかなどというのはたいしたことではない、大事なのは次のことだと言って言っています。

・勇気を持つこと
・道徳的基準を持つこと
・お互いをどう受け止め、どう接するか


それは、「私たちは地球上でもっとも強力な経済的・政治的な力にいわばケンカを吹っかけた」からだと参加者に助言する彼女。演説する彼女の顔は輝いています。
日本においては、残念ながら被災地で発揮される「We care about you」は、今のところ1%に立ち向かう人々に対しての気持ちではありませんから、生活苦や原発被害の根本矛盾に向かって議論を高めることがいま求められていると思います。

Let’s treat this beautiful movement as if it is most important thing in the world. Because it is. It really is.

この素晴らしい運動を、世界でいちばん重要なことだと受け止めようではありませんか。実際、そうなのですから。本当にそうなのですから。


彼女の結びの言葉です。

注:翻訳文は「世界」12月号の文中(幾島幸子さん訳)のものです。



  12月10日(土)    
夜仕事から帰る10時頃、車のガラスには氷が張るほどの寒気の中、お月さまが1/3ほど欠けて見えました。家について食事を済ませて一休みしたあと11時半頃にはオリオンの肩ごしに皆既月食。赤い小さな月が浮かんでいました。久しぶりです。

朝はうっすらとですが、今年はじめての積雪。白い景色にびっくりしてしまいました。そろそろタイヤを変えなければいけなくなりましたね。
妻の行動力は衰えることを知りませんが、寒がりの私は、相変わらずネコを抱いて家に閉じこもっています。寒い寒い。






とはいえ、何もしないで寝てばかりいたわけではありません。実は二つのことをやっておりました。一つは第2次女川支援に行ったネットワークのみなさんのレポートを集めて、レポート集を作っていました。11月一杯には刊行したかったのですが、なかなか原稿が集まらず、ずれにずれて今なお数名の原稿待ち。まもなく届く予定なので、年内には何とかなるでしょう。
届いた原稿を整理して冊子にしてみるとなかなか貴重な資料集になっています。ネット上でも紹介できると思う(みなさんの了解を得ないといけませんが)ので、ご期待ください。

二つ目は、これも遅れに遅れている「池田町町政研究会」の「私たちのめざす町づくり=町政ビジョン2012」の原稿書きです。
被災地支援の取り組みなどでしばらく開店休業だったこの会も、そろそろ再開して来年の町長選挙に向け、本格的に論議をすすめなければなりません。
それにつけても、たたき台がないといけませんので、これまでの議論を踏まえてそれなりにまとめてみているのです。
これは、草案の段階といえども、協議もしていませんからここで公開するわけにはいきません。いずれ、成案を見たら、当然公開して議論を巻き起こさなければならないので、しばらくお預けです。
あんまり長い間パソコンに向かっていたので、私の目が月食になってしまいそうです。



  12月4日(日)    
すっかり雨が上がって、北アルプスはかつて無いほどすっきり見えました。気持ちのよい一日の予感です。


午前中から午後にかけて、共産党ファンクラブの総会・懇親会が開かれ、はじめて執行部席に座らずに楽な気持ちで会議に臨みました。予定のある人が多く、いつもよりは少ない30人弱の参加でしたが、活発に意見も出されて意義ある総会になったと思いました。
その後はテーブル一杯の持ち寄りの料理を前にして恒例の忘年会。芸達者な人も多く踊りあり歌ありの楽しいひとときでした。


午後からは、観光協会・商工会の依頼でパンフ「塩の道浪漫ウオーク」に載せる地図を作成。池田町のウオーキングコースを紹介する1ページのうち、一部に入れるマップを作る作業です。詳しい地図ではないので、それほど時間をとらずにスピード仕上げであした出稿。

夜はテレビで映画「Knowing」を見て終わり。妻は「テレビばかり見ている私をバカにしている」と書いていましたが、そんなことないんですよ。私も結構見ているんですから。
ニコラス・ケージの出演する映画はよく見ているのですが、今日の映画は、数字に隠された謎という点が目新しいだけで、宇宙人の出現も唐突だしメガフレアの出現も唐突、B級SF映画に近い。

しかし、なぜ主題曲にベートーベンの第7番第2楽章が選ばれていたんでしょうね。
この曲は「2001年宇宙の旅」や最近の「英国王のスピーチ」はじめ、いろんな映画に使われているようです。「運命的な」あれこれをイメージする人が多いからですかね。
私も以前は、そんなイメージを抱いていたのですが、これをアレンジしたAmici Foreverの歌(Land and Freedom)を聴いてびっくりしてから、見方(聴き方?)が変わりましたっけ。私が言うとまるで軽くなっちゃんですが・・「心に秘めた自由あるいは人間回復へのあこがれ」というような感じに。
「神の言葉を譜面に写す」ことを使命としたベートーベンにとっての「神の言葉」とは「人間存在そのものに対する信頼・希望」と裏表であったような気がします。
前者のような解釈をすると、ニコニコ動画のイライラするほど遅いアンセルメさんのように、テンポはかなり遅く荘重になるし、後者のような解釈では、それなりに力強く早くなるのではないのでしょうか。カラヤンさん指揮はどちらかというとこっちに近いかな。ベートーベン自身だって、Allegrettoという指示をしてたんでしょ。
以上は全く素人考えでありいい加減です。好きに聞けばいいんです。
そういえば、「のだめ」ではこの第7番が大きなウエイトを占めていましたけれど、この第2楽章だけは全く避けていましたね。「のだめ」にはこれは合わないと判断されたんでしょうか。そんなことはどうでもいい・・・とにかく第7番はぜんぶ素晴らしいんだから。



  12月3日(土)    
寒い寒い。冷たい雨が昨夜半から降り始め、いまもずっと降り続いて雪に変わりそうな気配。こんな日は何にもする元気がなくて、うずくまっているだけです。でも、今日は夜に高3生の授業があるから、また例のセンター過去問を解いておかないといけないか。ふ〜〜。

昨夜塾帰りに、TSUTAYAに寄って本を2,3冊買いました。そのうちの一冊は、あの森巣博さんの「日本を滅ぼす<世間の常識>、嘘つきメディア、舐めた政府、踊る国民 そろそろ現実をみないか?」(講談社現代新書)という本です。
相変わらずの森巣節で、ちょっと辟易するところがないわけでもないけれど、言いたいことを言ってくれるという爽快感もある。とりわけ、権力の監視役をすべき大メディアがことごとく忠犬ハチ公になりさがっていることをこっぴどく批判しまくっているので、まあ楽しい本です。ただ、ちょっと時間がなかったためか、雑誌に連載した分量の制約のためか、森巣節が前面に出すぎて、論考が粗雑になるきらいがある。だから、かつての対談のような詳細な議論にならないのはいささか残念です。

ところで、残念なことに文章中1つだけ明らかに誤りと思われる記述がありました。編集部に連絡しようと思ったけれど今日は土曜日、電話してもつながらないので、来週でも連絡することにしましょうかね。

それは172ページの次のような説明についてです。

巨大地震の発生は、しっかりと充分に予測されていた。だから「想定外」の出来事にあらず。この際「想定外」という言い訳は通用しないはずだ。現に同震災で、福島第1原発から北に約120キロ離れた太平洋岸にある東北電力・女川原発の被害は、軽微で済んでいる。これは津波の高低による被害の差ではなかった。福島第1原発を襲った津波の高さは14メートル前後だったが、女川原発ではそれが17メートルにも達したと推定されている。
従って、福島第1原発で起きたことは、まがうかたなき人災だった。


また、219ページの「あとがき」には、つぎの記述があります。

東日本大震災では、青森の東通原発から女川、福島第1、第2、東海第2原発まで、程度の差こそあれ華々しく壊れた。専門家によれば、震度6以上の地震に事故なしで耐えうる原発は、まだ存在しないそうです。・・・

私が問題にしたいのは、赤字の部分。一番最後の赤字部分は(表現はともかく)基本的に正しい。だとすると被害が「軽微」であったはずの原発が「華々しく壊れた」ということになり、整合性がない。
さらに、知らない人がこの文を読むと、「女川原発は津波にも襲われたが、被害はそれほどでもなかった」というように読めてしまいます。これは明らかに間違い。
とすると、森巣さんは、女川原発で何が起こったかを充分に調べずにこう書いているのではないかという疑問が起こります。これは表現はともかく事実を事実として正確に述べることを信条とする森巣さんとしてはかなりマズイのではないですか。
女川のHiroshiさんも安曇野のHiroshiさんもこれだけは納得しません。
ただし、私は森巣さんの昔からのファンでありまして、著書は欠かさず読んで溜飲を下げてきたので、揚げ足取りで言っているわけでは決してありません!!念のため。

では、あの日、女川原発で何があったのか。まず、「原発問題住民運動宮城県連絡センター」のパンフレットや高野博さんのホームページ、その他ウェブ上での情報をもとに、見てみることにします。

第1は津波の高さです。女川原発が立地しているのは、公表で14.8メートルの高さの高台。津波の高さは、潮位計の観測で15時30分に最大値13.0メートルでした。しかし、3.11大地震によって、約1メートルの地盤沈下がありましたから、冠水まで差し引きわずか0.8メートル
津波で約16メートル(駐車場)の高台にあった女川町立病院の1階がほぼ水没しているので、町を襲った津波の高さはおそらく18メートル程度だったと思われます。それだけの津波が女川原発を襲っていたら、かなりの部分が水没していたと予想されるのです。本当に奇跡的にそれだけは免れたのでした。

第2に、原発の外部電源の問題。3月11日、女川原発での震度は6弱。5系統あった外部電源は石巻変電所の2系統が遮断、女川変電所の1系統も遮断、2系統あった宮城中央開閉所のうち1系統が遮断。結局5系統のうち1系統のみが実際に冷却用に使えたのでした(生きていたのは松島幹線2号)。
さらに、M7.1、震度5強を記録した4月7日の余震でも、やはり5系統のうち4系統までがダウン、しかも3.11で使えた外部電源が4月7日では使えなかったというオチがつく(生きていたのは松島幹線1号)。まさに紙一重、「綱渡り」の電源確保だったことが明らかになっています。

第3は、1号タービン建屋での火災の発生です。原子炉が自動停止したのは午後2時46分。火災報知器が動作したのは、午後2時56分。実際に消火活動に入れたのは午後8時23分。
高圧電源板が地震でショートして火災が発生したのでした。

第4は、2号機の原子炉建屋地下3階にある2台の熱交換機とポンプ室の水没
です。津波が原子炉本体のある敷地まで到達しないのに、海水取水口から逆流した海水が建屋の地下に浸入。海水の量は1900キロリットル、高さ2.5メートルまで達したと報告されています。これで非常用ディーゼル発電機も起動しなくなったと報じられました。
これ以外にも、放射能漏れの疑惑や様々な故障の発生などがあり、とても「軽微」ではすまされない状態だったことがわかります。

以上例証したように、「事故はきわめて重大で、福島原発と紙一重であった」というのが正しい。同時に、女川原発では、地震そのもので外部電源を喪失しているわけですから、もしこれに大津波の被害が重なったら、福島原発と同程度の被害になった可能性が高いのです。
その意味では、森巣さんも言うように「震度6以上の地震に事故なしで耐えうる原発は、まだ存在しない」はまったく正しい。

というわけで、オーストラリアの博さん、事実に即して適切に訂正くださいますようにお願いいたします。



  12月2日(金)    
ここ2,3日中野剛志さんの「TPP亡国論」を読んでいて、「日本刀」というYouTubeのある見出しの表現がもっともだと思いましたね。「日本刀」がたとえとしていいのかどうかは脇に置くとしても、いまこの日本で現役の官僚(現在は京都大学准教授として出向)である彼は、経産省からAKB48に天下って大島優子に化け(?意味不明?)、原発に賛成、TPPに反対と自称している(ウソだと思う人は下の最後のYouTube画像をごらんあれ)「経歴」から言ってもなかなかユニークで、確かにTPPに限って(!)はオピニオン・リーダーとしての素質充分です。外交問題や経済問題では、経産省時代からのキャリアや大学での研究がものを言っていると納得させられます。
上に紹介した本を読んでいて感じたのですが、自公から民主に移って進行している日本の政治をまともに∞ふつうに′ゥて考えたら「おかしい」ということを彼は言っているわけでしょ。まともな考え方が通らないところにTPPの異常さがあるんじゃないですかね。
ふつう∞あたりまえ≠フ感覚が自公民、大メディアによって全く麻痺させられ、そこへ日米同盟から離れたら危ないぞ∞中国・ロシア・韓国にやられるぞ§_がすり込まれ、まともな感覚でものごとをみられなくさせられているというのが今の日本の状態じゃないんですか。

しかし、ですね、中野さんも万能ではない。「戦後のショックドクトリンで日本の教育も改造された」とか、急に粗雑になる「国家安全保障」という立場からの脱原発反対など(左翼は国家が嫌だから反原発になっているとか・・YouTubeはこちら)というところは、専門外というより「国家としての独立」「エネルギー戦略」という持論からのきわめて一面的で現実的な解釈と、「左翼」に対する思い込みがそうさせているのではないかと思われます。TPP反対とは全く別人のような顔ですもんね。
たとえば、「放射性廃棄物を処理する技術がない」という問題では、地震大国である日本の地質構造を全く無視して「地下埋設という方法で可能」と言い切るところなどは議論がいい加減すぎます。核物質の問題では原子力工学、核物理学の専門家の提言や地震・地質学の専門家の警告に虚心に耳を傾けるべきだし、いかに原子力ムラが日本のすみずみまで食い物にしてきたかを知ってから言うべきでしょうね(京大には反原発の研究者もいることだし)。
反原発派がいますぐに太陽光などの自然エネルギーへの転換を求めているなどというのも短絡的で為にする議論。原発にたよらないエネルギー政策をどのように進めるかこそが問われていることを踏み外しては、原発問題を深めることはできないでしょう。
「反原発」は決して「左翼」が「国家に反対する」ために言っているわけでないことは、そうした運動をしている人たち自身が一番よく知っていることです。福島原発事故の教訓とは、日本の原子力政策が「科学的にも政策的にも破綻した」ところにあるのではないですか。
これらは現在のところ、若い官僚、その出自の限界なのかな。







  12月1日(木)    
今日は朝から人間ドック入り。1〜2年に1回は検査しておかないと、いつどのような病気に襲われるかわからない年ですからね。
人間ドックですから、ありとあらゆる検査をするのですが、とりわけ私の頭痛のタネは「胃カメラ」。過去に何度もやっているのですが、だんだんきつくなって今年などはまさしく「釣りバカ日誌19」状態。
「19」では浜ちゃんが胃カメラを飲む直前に、前に診察し終わった患者(海原はるか)が髪を振り乱し疲れ切って出てくるシーンがありましたね。浜ちゃんはそれを見ていっそう恐怖に駆られるのですが、今日の私はあの「海原はるかさん」「浜ちゃん」状態でした。(妻は付き添っていませんでしたけど・・・)
妻は胃カメラはそれほど苦痛ではないと言いますが、私は今にも窒息死するかと思うほど苦しくて、次回からやるときはこれは上半身麻酔でやってもらうしかなさそうですね。よろしくお願いします。
ところで・・・今日のカメラ操作の医師、誰かがそばで「いやいや、そのようなときはこんな風にやるんだよ」と言いつつカメラの操作を代わって教えていましたから、当のお医者さんカメラは初心者だったのかいな。この前に比べて、入れてから出すまでの時間、ちょっと長すぎましたよ・・・。

帰ってきたら、もうぐったりして、妻に畑に行こうとさそわれていたのに、すぐに布団にもぐり込んで夕方まで熟睡。起きてもまだ胃袋に違和感がありました。
くわしい結果は10日後改めて聞きにいくことになりますが、とりあえずの胃の診断では、軽度の「逆流性食道炎」が見られるが、それ以外はとくに問題がないとのこと。胃袋の中も結構きれいでした。




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