数日前に、大阪府での「教育基本条例(案)」について、9条(教員及び職員)まで見てきました。
今日は、そのあとの条文について見てみることにしましょう。
橋下市長とその「腹心」の松井知事の登場で、いよいよ現実味を帯びてきたこの条例案です。
選挙中は、まるでこれに触れなかった「維新の会」ですが、「民意はこの条例案にある」とばかり、このあと当然のように押しつけてくるのでしょう。
さて、第十条は「保護者」について定めています。保護者が学校教育にかかわるのは悪いことではないし、その関わり方によっては重要な役割を果たすことになりますが、条文ではまず次のように書いています。
保護者は、学校の運営に主体的に参画し、より良い教育の実現に貢献するよう努めなければならない。
2 保護者は、教育委員会、学校、校長、副校長、教員及び職員に対し、社会通念上不当な態様で要求等をしてはならない。
上の条文中の「学校運営に主体的に参画し」とは、主に次の「学校協議会」への参加を意味します。
第十一条では府立高校に「保護者及び教育関係者(当該学校の教員及び職員を除く)の中から校長が委嘱した委員で構成される学校協議会を設置しなければならない」と定め、その役割を部活動の運営への助言や教科書の推薦に関する協議などとともに、「校長の評価」「教員評価」についての意見交換や提言の権限までも与えているのです。
保護者が学校運営に参加するといっても結局校長が選んだもので学校協議会を構成するわけですから、その実態が「校長親衛隊」になるのは目に見えています。「校長の評価」が議論になるはずもなく、「教員の評価」を行う監視機関になる恐れが大いにあります。一体教育現場にいない者が、たとえば生徒の「評判」や風評のみを手がかりに評価して一体どんな評価を下せるのでしょうか。
続いて第十二条では「教育委員の罷免」について定めています。
「知事は学校目標を定める」というのが第六章の内容でしたが、ここでそれを「規則により定める」とし、教育委員が「目標を実現する責務を果たさない場合」や本来処分しなければならないのにそれをしなかったなどで、「その職務上の義務を果たしていないと認められる場合は罷免事由に該当する」としています。いつでも気に入らない教育委員を追い出すことができるというわけです。
おまけに第十三条では、議会が教育委員会への監視機能を持ち、教育委員会に報告を求めたり、知事に是正をするように求めることができるという役割を持たせています。これらの条項は橋下「維新の会」が「教育委員会」制度をどう見ているのかを端的に示す条項です。
そもそも「教育委員会」は戦後の公選制にしろ、その後改悪された「任命制」にしろ、一般行政からは独立した一部局を構成し、教育委員長は首長と同等の立場で地域に責任を負うように制度化されてきました。これは、首長などの執行部や議会から直接に不当な圧力がかからないようにする教育独自の役割を重視する戦後教育の理念から来ている制度であって、大阪の条例案はこれを真っ向からつき崩そうとするものです。
このように首長や議会から口出しされることになれば、教育の独立性と公平・公正は守られようもありません。しかし、まあ、これこそが橋下「維新の会」のねらいなんですけど。
続いて第四章「校長及び副校長の人事」です。
第十四条では、校長の登用基準は「マネジメント能力(組織を通じて運営方針を有効に実施させる能力)の高さ」にあるのだと規定、そのために、「府教育委員会が指名した外部有識者(産業界、法曹界、労働界、教育界など)による面接を実施し、その結果を尊重しなければならない。」としています。
さらに校長には第十六条で「兼職規制の緩和」を盛り込み、たとえば企業の役員と兼務できるようなシステムを導入しようとしているのです。もはやどこにねらいがあるかは明白でしょう。
そして、いよいよ「第五章 教員の人事」です。
第二節「人事評価」では、悪名高いあの「五段階相対評価」があらわれます。条文を見てみましょう。
第十九条 校長は、授業、生活指導及び学校運営等への貢献を基準に、教員及び職員の人事評価を行う。
人事評価はSを最上位とする五段階評価で行い、概ね次に掲げる分布となるよう評価を行わなければならない。
一 S 五パーセント
二 A 二十パーセント
三 B 六十パーセント
四 C 十パーセント
五 D 五パーセント
2 教員の評価に当たっては、学校協議会による教員評価の結果も参照しなければならない。
3 府教育委員会は、第一項に定める校長による人事評価の結果を尊重しつつ、学校間の格差にも配慮して、教員及び職員の人事評価を行う。人事評価はSを最上位とする五段階評価で行い、概ね第一項に掲げる分布となるよう評価を行わなければならない。
5 府教育委員会は、第三項の人事評価の結果を教員及び職員の直近の期末手当及び勤勉手当に適切に反映して、明確な差異が生じるように措置を講じなければならない。
さて、いかがですか学校での生徒への五段階評価がいかに不合理で非教育的か、。今日ではすでにはっきりと決着がついているのに、今度は教員への「五段階相対評価」ですよ。しかも、この比率は誰が決めたんですかねえ。
一世を風靡した成績評価の相対五段階評価とは、「人数が多くなれば成績分布は正規分布に近づく」という迷信(精密機械の誤差分布といっしょくたにしている)に基づいて、偏差値で区分する方法のことです。それでも「科学的なよそおい」のもとに、5…7%、4…24%、3…38%、2…24%、1…7%などと決めたわけで、大阪の区分とはかなり異なりますね。この人事評価がいかにでたらめなものであるかを示す証拠です。
橋下だか誰だか知りませんが、これを考え出した人間は教育のイロハさえわかっていないということです。一事が万事、条例案の非教育性が浮き彫りになってしまいました。こんな評価をされたら、先生たちたまったものではありません。Dなんてつけて欲しくないから(でも必ず誰かにつくのだから)、それこそ必死で校長にいい顔をしようとする。成績(点数)をあげるために血道をあげる。犠牲となって苦しむのは生徒です。そしてその苦しむ生徒の親たちです。
こうしたことをうまくやるのが校長の役割であり、「マネジメント」なのですから、大阪教育の未来像は「真っ暗闇」でしかない。
今回の選挙で橋下に投票した人は、この条文を知らない。まともな感覚の親で、自分の子の担任たちがこのような評価を受け常時上から管理・監視されていると知ってなお支持し続ける人がいるのでしょうか。
そして、さらに恐ろしい条文が次に続きます。「第六章 懲戒・分限処分に関する運用」です。
ここは、さまざまな事例が起こりうることを想定して微に入り細に入り、おそろしく長く数多い規定からなっていて、力の入れようがわかるところです。
要は、「違法行為や非行」を行った教員に対して、戒告から懲戒免職までの懲戒処分を行うことができるとするもので、ホームページでの公開なども定めています。
一例ですが、「日の丸・君が代」問題で異論を持ち、自己の信念に基づいて行動しようとする教員は、当然「職務命令違反」となりますから、1回目で「減給・戒告」、研修の後2回目の違反で「停職」、「五回目の職務命令違反又は同一の職務命令に対する三回目の違反を行った教員等に対する標準的な分限処分は、免職とする」というわけです。大阪の府立高校では(いやいや、これからは大阪市立の義務制、高校でも)、「日本国憲法は学校の外に置いてこい」という事態になるということです。
ちょっと飛ばしますが、「第九章」ではこの条例の「最高規範性」について定めています。
第四十八条 この条例は、府の教育に関する条例のうち最高規範となる条例である。
府の条例の中で最高のものだというのですが、日本国憲法をねじ曲げたり無視したりする橋下「維新の会」にとって、日本国憲法、教育基本法の上にこの条例を置こうとしていることは明白です。
前回も見たように、前文付則で「教育の政治的中立性とは、本来、教育基本法第十四条に規定されているとおり、『特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育』などを行ってはならないとの趣旨であって、教員組織と教育行政に政治が関与できない、すなわち住民が一切の影響力を行使できないということではない」と、教育学者も真っ青な恣意的な解釈を押しつけ、「大阪府の教育は、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できるものでなければならない」と教育の目的を完全に書き換えています。そして、教育基本法第二条に掲げる目標にいくつも「目標」を付け加え、これを「知事の定める教育目標」だというのです。
いまさらという気がしますし、当然と言えば当然なのですが、「日本国憲法」について触れたところはどこにもない。いやはや、読めば読むほど恐ろしい条例案です。
これまで戦後教育がどんどん歪められてきたのを、教師たちが必死で現場から食い止めてきた。それもまだ教育の現場には民主主義の学校としての気風があったからです。その意味で、この条例案は学校現場への「民主主義の死亡宣告」みたいなものですよ。
以上のことも、橋下に投票した人はほとんど知らない。そして「現状を変えたい。改革に期待したい!!」とおっしゃる。大阪府民、市民のみなさん、本当にいいんですか。何度でもいいますよ。本当にこれでいいんですか。
私はいいですよ〜〜。学校が大変なことになれば、繁盛するのは塾なんだし、塾だからこそ困った生徒を何とかしてやりたいと思いますしね・・・。でも、みなさんはホントにそれでいいのかなあ??