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  6月30日(木)    
朝、食事をしていたらグラッときた。「いよいよか」と思って、外へ出る覚悟を決めて様子を見ていたら、それほど揺れも長く続かず、すぐにおさまったのでまずは一安心。東北のときと同じくらいの揺れ方だったので、また東日本で大きな地震かと思ったら、松本が震源地でした。
公式発表では池田は震度3でしたが、体感では震度4くらいあったのでは。家がミシミシ音を立てていました。

松本では昨日から規模の小さい地震が重なっており、そこへ今日の強い揺れ。東北沖の地震と連動して、断層が滑りやすくなっているのではないかという気がします。とにかく地震の活動期であることは間違いない。直下型地震を想定して、ともかく対策を早急にたてて実行に移すことが必要でしょう。
午後さっそく、帰国間もない妹と東京のSさんからお見舞いの電話。ありがとうございました。

全国的に熱波が襲っていますが、池田町も例外ではありません。昼はなにしろ暑い。沖縄の方が31度とかえって涼しいくらいで、妻と「沖縄に避暑に行きますか」と話しているくらいです。
これまでずっと家のまわりの草取りをサボっていたので、ひどい状態になっています。今日も、午前中と夕方、ずっと外に出て、草取りと清掃に精を出していました。力を入れた作業をすると、もう汗だく。暑いときは汗を出して、さっぱりするのがいいのでしょうが、それにしてもこの暑さ。バラ園の作業でかなり慣れたとはいえ、腰は痛くなるし、なかなか思い通りに行かないのはやはり年のせいです。
それでも、遅ればせながら植えた夏野菜がようやく大きくなり始め、キュウリはすでに10本ほど収穫。これからキュウリとトマト、レタスなど野菜ばっかりの生活になってきます。身体が緑になってしまいそうです。

そうそう、地震の直前、NHKの「おひさま」を見ていたら、ちょうど終戦直後の教科書「墨塗り」のシーンが出てきました。主人公は「間違っていたことを教えていたこんな自分に教師を続ける資格があるのか」と思い詰めるのですが、さて、どれほどの教師が当時「思い詰め」ていたのでしょうか。
20代はじめに終戦を教壇で迎えた私の母もちょうど「おひさま」と同じ年頃で同じ境遇だったと思われます。戦艦に乗っていた連れ合いが無事戻ってくるのかどうか、子どもの世話をしつつ生活することに追われていただろう母にとって、終戦で激変する教育の内容とはいかなるものであったのか。それにどのように対応したのか。残念ながら母の存命中についぞ聞くことはありませんでした。

しかし、話を「おひさま」にもどしてよく考えてみると、いままでの教育が「間違っていた」と誰が言ったのか、またそれまでの間、天皇を中心とする軍国主義教育が正しいと誰が言ったのか。政府や文部省が「間違っていた」と言ったから、教師である私は「いままで間違っていたことを教えていました」となるのか。
ここには教師個人の主体性はみじんもありません。「おひさま」の主人公にしても同じです。なぜ間違っていたのか、何が間違っていたのか・・・それを主体的に捉えきれず、かつ天皇の戦争責任を問うことなしに、なしくずしに「一億総懺悔」に傾斜していく戦後の日本の中に、今日なお主体的にあの戦争を見ることができない弱さ、もろさが沈殿していく姿を垣間見た気がしました。
横浜市での教科書採択の問題=2012年度から中学で使われる歴史、公民の教科書採択で、自由社・育鵬社の教科書を採択しようという動きが強まっている=はまさにその沈殿物が腐敗し腐臭を放っているという出来事です。たとえばドイツなら、この種の著作物は犯罪ということになるでしょう。あの戦争を「自存自衛の正義の戦争」と見るこの手の動きを止められないとすれば、それはなぜ間違っていたのか、何が間違っていたのかを問うことなく戦後をつくり、亡霊の住処を守り続けてきた証に他ならない。
もはやこの手の亡霊には、出てくる墓所はないのです。かつて「存在」した者として、それが亡霊であることすら忘れ去られるまで、過去の責任を負い続け「コトバ」を通して徹底的に批判され続けられなければならないのです。

私はこの「墨塗り教科書」の話を耳にするにつけても、思い出す一冊の本があります。それは村山俊太郎著作集第一巻。ここで言いたいのは、このような教師が戦前にいたという事実。世の中が軍国主義に染め抜かれていく日本において、教育のあるべき姿を考察し実践し続けた人間がいたという事実です。教員の中でも軍国主義教育を批判し続け、さらに民主的な教育運動をめざす人たちがいたことを忘れてはなりますまい。
ここに、在りし日の矢川徳光氏が1968年1月に「赤旗」に寄せた一文があります。色あせたこの切り抜きは、第一巻からこぼれ落ちたもの。「おひさま」と重ねて読んで見るのもいいのではないでしょうか。

「荒木ひでへの手紙」の感銘

そして現代の教師への熱い激励の文(ふみ)ともいえる一文「石をしょわずに」ももっと知られてよい。

石をしょわずに――わかい女教師の自殺 村山俊太郎



  6月29日(水)    
大町市内のある高校ではまもなく文化祭。文化部を中心とするたいていの生徒はその準備で結構忙しい日々を過ごしているのですが、運動部とりわけ野球部は別格。午後からずっと練習していたと言っていました。
富山のある高校でもそうでしたが、野球部は「文化」とは無縁の存在なのでしょうか。文化部の発表準備とは直接関係はないにしても、クラスでの発表とかいろんな役割分担とかそれなりにあるはずですが、野球部だけは聖域扱いというのはどうにも解せないことです。このようなところに高校での部活動の非教育的な一面が顔をのぞかせているように思えてなりません。もちろん個々の生徒に責任があるわけではなく、これはむしろその学校の方針や教育活動としての部活動のとらえ方の問題ですから、現在の教育の質を物語っている一面なのです。

今日、生徒が来るのを待ちながらMNEMOさんのブログを読んでいたら、東電の会長の「ものいい」に関して「なんというか、やっぱり古典を読まない人はダメです」という一節がありました。本当にその通りだと思います。
「古典」=「人間理解に関する(集積された)深い知性と教養」とでもいった意味で私は読んでいましたが、とりわけ世の中のリーダーを自認する人たちにとってはそれは不可欠なものだと思われます。
政治家はもとより、大企業を率いるリーダーたちの劣化は今に始まったことではありませんが、単に「存在が思考を決定する」といった単純な意味合いではない、人間に対する関わり方がまるで過去の文化と断絶しているような愚劣さ・浅薄さを感じてしまうのは何故なのでしょう。
歴史への謙虚な態度、分析的にものごとを見る習慣、人間の生活に対する共感力、それらすべてが希薄になり、かつ腐食がすすんでいるということなのでしょうか。この国のリーダーたちのそうした言動は原発と震災からの復興への態度に最もよく現れています。

「古典」には様々なジャンルがありますから、こと「古典文学」というくくりでは、私自身はまことに心許ない。若い頃はともあれ、このん十年新書版が関の山の生活になっていましたから、MNEMOさんの前ではかなり小さくなっていないといけませんが・・・。

東電の会長までいかなくても、人の心をつかめない、人と人との関係を結べない人が多くなっていないでしょうか。最近しきりにそんなことを考えるのです。
沖縄の母をみていると、沖縄戦を生き延び、たくさんの子育てをし、苦労の中で生きてきた人の持つ優しさとか他人への思いやりという側面がある。齢を重ねた人の多くは、そうした心根を大切に守っているような気がします。
しかし、人を思いやるとか世話をするとか、かつてはふつうにできていたことが、現代ではむしろ人間の中からそれらが破壊され、人と人との関係が結べなくなっている。重要なのは、それだけにとどまらず、むしろそれに気がつかない。それは、私たちの人間としての関係性の劣化の表れに他ならず、私自身の中でも少なからず進行しつつあることなのではないのか・・・・。



  6月27日(月)    
東京で知り合ったMikeのときもそうでしたが、海外の人たちの考え方や生活の仕方に触れることはかなり刺激的です。もちろんそのように生活するという意味ではありませんけど。
今はもう帰ってしまった中国人の研修生の女の子は実につつましく生活していましたし、学習の意欲は凄まじいものがありました。そしていま、ときどき連絡を取り合っているカナダ人のRくんは、「池田人」にない何かを感じさせてくれます。
彼とその家族をバラ園のオープニングイベントに招待したのですが、今日メールが届いて、しっかりと私たちの労をねぎらってくれました。

You did a fantastic job, and I can't imagine how many hours it took you to get everything completed. My wife and I were very impressed. Congratulations.

こんな表現をもし仲間内でしてくれたら苦労もふっとぶんですけどね。メールでそう言ってくれたのは彼のほかに約1名だけでした・・・。

さて、それはともかくとして、当日彼から一つの相談を受けました。マウンテンバイクが生活の一部になっている彼にとって、いま一番の課題は池田町のどこかに「pump track」のコースを作ることです。
これはマウンテンバイクのミニコースとでもいうべき凹凸のある短いコースのことで、そこでのバイク乗りは若い人からそれなりの年配まで家族で楽しめるスポーツになっているのです。
私自身はいままでマウンテンバイクとは縁のない生活をしていたけれど、ある日、彼から次のようなことを言われてなるほどと思ったことがありました。
それは、「池田(池田だけではない)の人はちょっとそこまで行くのに車を使っている。歩くことも自転車に乗ることもあまりない。カナダでは考えられない」という感想です。これって私のことではないですか。よくよく考えてみれば、これほどエコで健康な乗り物はないわけだし、昔はほとんど移動手段は自転車でした。べつにマウンテンバイクではなくても、もっと自転車を見直してもいいのではないか・・・。安い自転車を買ってはみたけれど、坂道が上れずいつのまにかまた車に頼る私にしてみれば、頭でわかっても身体がついて行かないのです。
しかし、彼の言うことはたいへんよくわかる。その町が町民の健康にとって真面目にとりくんでいる町かどうかは、一つには生活弱者への配慮がどこまで行き届いているかだし、もう一つは自転車を含めて歩くことにどれだけ気配りをしているかということでしょう。エネルギー問題をもちだすまでもなく、彼のような考え方は、もっと市民権を得てもいいのではないか。そのように思わされて聞いていました。

その延長線上に今回の提案です。実は、バラ園に接して将来のバラ園拡大の一つの候補地があって、当面何にも使わない絶好のpump track候補地にもなり得るところがあるのです。おそらく彼にとっては大変魅力的な土地なのだと思われますが、最大の難点はそこが「農地」であること。スポーツに利用できるかどうかは単に土地所有者の思いだけでは動かないものがありますから、知恵をしぼって彼の構想を実現したいものです。
彼が送ってくれた海外のpump trackは、まるで公園。これならバラ園と全く違和感なく隣り合えるでしょう。彼によれば25b四方で十分だというので、コースづくり自身がバラ園づくりと相通じるものがあります。仮にこの場所がうまくいかなくても、他に何らかの方法でそれが実現できるように手をつくしてみることにしましょう。なにしろ池田の将来を担う若い人たちとその家族を仲間の輪に加えることができるのですから。彼らの要求を実現することは、「池田人」のつとめともいえるのではないでしょうか。





  6月26日(日)    
政治の世界では、ただ日本共産党だけが、未来を見据えた本格的な政策を提起し、国民的な議論をよびかけています。被災地でも女川の高野さんのように私心なくひたすらに地域の人々のために尽くそうと努力している共産党員がいます。
しかし、残念ながらというべきか、いまだにというべきか、すべての地域でそうであるわけではありません。地域のすみずみでなぜ共産党がまだ大きな支持を得られていないのか、そこにはさまざまな要因があるのでしょうが、一つには、地域で活動する党員の生身の姿が日々それに反映されているからでしょう。
私が言うのもおこがましいと言われるかもしれませんが、党の外からみるともっとよく見えることがあるのではないか。日本共産党には、党外の人たちの意見にもっと耳をかたむけ、初心にもどって1人ひとりの生き方を検証して欲しい。最近強くそのことを思います。

テントを片付けて、ようやく一つの区切り。昨日開いたバラ園のオープニング・パーティーの後始末が少し残っていたのです。

一つの事業をなしとげる難しさ、苦労、喜びなどをすべて包み込んで、月日が流れていきました。
このバラ園の事業は、ようやく始まったばかり。被災地支援も同様ですが、長い道のりのほんの一歩を踏み出したにすぎません。しかし、その一歩こそ、細心の注意を払って確実に、同時に勇気をもって踏み出すべき一歩です。
最近、何故私がと考えることはあまりありません。私でなければ、と考えることもありません。むしろ、他人から否定されないことであれば、喜んでもらえる人が多いのであれば、私に何ができるのだろう、できることを全力でやり遂げようと考えることの方が多い。どれだけの足跡を残せるのか、今の私にもわかりません。それでも、少しでもよい未来につながる何らかのことが私に求められているのであれば、ただ最善を尽くすだけ。
もちろん、あまりに活動領域を広げすぎて身動きできなくなるようなことは避けなければなりません。やれる範囲でやれることに力を注ぐこと。今はそれだけを考えて自分の進む道を作っていこうと思います。
以下は、昨日のパーティーの模様。たくさんの人がこの事業を支えています。これからもその「心意気」を受け継ぐ人が必ず出てくると確信します。














次は、今日の大糸タイムスの記事。昨日きちんと取材してくれました。





  6月23日(木)    
今日6月23日は旧安保条約発効の日でもあり、沖縄戦没者慰霊の日でもあります。
「安保破棄」など死語になったかのようなこのごろ、沖縄の2つのローカル紙はともにPDFの特別版(号外)を発行、慰霊式典の模様を伝え辺野古への米軍基地移設反対を訴えていました。
この日に込められた沖縄県民の気持ちを私たちはほんのちょっとでも共有することができるでしょうか。また近づこうとする気持ちが育まれているのでしょうか。

琉球新報
沖縄タイムス


風邪はまだ尾を引いており、ついに妻にうつしてしまいました。妻は今朝病院に行って結局私と同じ薬をもらってきました。笑い話にもなりません。明日から長野市でのボーリングの大会に参加するので、風邪をこじらせなければいいのですが。

女川町議の高野さんが、私たちが訪れたあとも各地で精力的に原発の危険を訴えています。彼ブログで次のように書いていました。

6月18日
原発問題運動宮城県連絡センター主催で古川Fプラザを会場に原発問題学習会が開かれました。
講師は中島廉さんと私、高野博です。会場にやっと着くと、そこには150人以上の人たちが・・・
私は女川原発で3月11日も4月7日も外部電源が5系統のうちたった1系統しか使えなかったこと、2号機では海水が1900トンも入って熱交換器が2台使用不能になったこと。1号機では火災が発生していたことなどを話し、紙一重で助かったと訴えました。

6月13日
オーストリアの記者が取材に来ました。小屋取の浜で取材を受けました。
安住町長は再開容認ですが・・・。
なぜ原発反対が勝てないのですか。あなたはなぜ反対している二ですか。ストレートに質問してくるので、戸惑いました。
悲惨な被害を見て、被災者へのインタビューも申し込まれました。そして、夕方遅くまでカメラを回し続けたようです。その誠実さに打たれました。


あの地震と大津波で、女川原発は本当に危機一髪だった。高野さんが言うように、「外部電源が5系統のうちたったの1系統しか使えなかったこと、地震で高圧配電盤が焼け焦げたこと、津波で熱交換器が水没し使えなくなったこと、首の皮1枚で安全が確保された」ことはもっと知られていい。そしてその危機から女川町民と宮城・岩手県民を救ったのは他ならぬ日本共産党議員だったことはさらに知られていい。
そして、オーストリア記者の「なぜ原発反対が勝てないのですか」という率直な疑問に正面から向き合わなければならないでしょう。

この根っこには、中央も地方もどっぷりと浸かり込み、骨がらみになっている「利益誘導型政治」があります。原発立地は、貧しい農村県に莫大なカネをつぎこむことで「豊かさ」と引き替えになってきたものです。福島県は東北電力の配電を受ける地域だが、そこに立地する東電福島原発で発電された電気は首都圏に送られる。この構図は、沖縄に米軍基地を押しつけている構図と全く同じです。結局平均的国民レベルでは、それで何の痛みもなく不思議とも思わない。利益があるのだからいいのではないかという水準。
そこに目が向かない限り、それを自分自身の問題ととらえられない限り、日本において原発はなくならない。総論賛成、各論反対で終わります。

現在明白になったことは、沖縄では米軍基地があるから地域が潤うのではなく、基地があるから潤わないということであり、原発立地に関しては清水修二福島大学副学長が言うように「電源立地効果の一過性問題」によって、決して地域が潤うのではないということです。民主党、自民公明の政治が、財界の思惑通り好きなように「幻想」を振りまき続けてきたその根源にメスを入れる必要があるということです。「幻想の日常」に浸かりこんだ私たちは、果たして原発からの本当の離脱を果たすことができるのでしょうか。その根は意外と深いところにあるのではないでしょうか。

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さて、話はまたバラ園のことになります。今日観光協会のメンバーから、ある人が撮ったというバラ園の写真を見せてくれました。かなり高いところにカメラをセットして上空から見たような次の写真。


いかがです?なかなかのものですね。ちょっとしたイングリッシュガーデン風??まあ、私としてはあんまり幾何学的な形は好きではないのですが、会員の一人が提案したものだし、さらにはうんと田舎っぽい素材で作られているので、素朴で手作りという実感がこもっていますから、まんざらでもない。
あさって25日、完成パーティーを行います。各方面に申し入れをしてきましたが、現在までのところ、池田町町長、観光協会会長(商工会長)、議員などそうそうたるメンバーが来てくれそうですよ。本当に小さいながらも、池田町の観光の1つのスポットとして少しずつ充実させて行けたらいいなと思います。友達のRくんも心から「Congratulations!」と言ってくれました。その一言がうれしいですね。

そうそう、今日午後、親戚のTさん夫妻から、「『兄弟会』の帰りにちょっと寄りたい」と急に連絡がありました。しばらくぶりだったので、お互いの情報交換をしたあとバラ園にご招待。とは名ばかりで、結局オーナー会員になってもらいました。そのオーナーのバラの前で記念撮影。ありがとうございました!!




  6月21日(火)    
抗生物質のせいか、お腹の調子がおかしくなり、しかも昨日は少し身体を動かしただけでも辛くなり最悪。幸い1日ゆっくり休んだら今日はかなり調子がもどったので、あとは快復は速いだろうと思われるまでになりました。咳はまだでますが、あと1日・・・くらいかな。

先日、といってもずいぶんたってしまいましたが、15,16日の両日町議会の一般質問がありました。2日とも傍聴していての感想を書く暇がなかったので、今日はそのことについて。

町議会選挙後初の一般質問ということもあって、沢山傍聴に来ているのだろうなと思ったら、拍子抜け。まるで無関心というような感じの傍聴席でした。勝山町長初の議会にはあれほど超満員の傍聴だったことに比べるとどういうことなんでしょうね。新人議員も傍聴に来ようという支持者もいないということでしょうか。それとも町の対応はもう分かっているから、聞く必要もないということなのか。一般質問のことを書く前に、まずこのことが大変気がかりでした。

今回の一般質問は12名中9名が質問。議長を除けば2名が質問をしなかったということです。
9名の中で、防災関係について質問したのは5名。自然エネルギーの利用まで含めると7名が何らかの形で震災関連の質問をしているわけで、それはまず当然のなりゆきといえるでしょう。
何人かが太陽光発電についての町のとりくみやソフトバンクのメガ・ソーラーシステムについて質問していましたが、町のとりくみはどうか、どのように節電を行っていくのかという程度の低レベルのものだったし、町の答弁もメガソーラーについては立候補している、自宅に発電装置を取り付ける際の補助はしてきているという調子で、町の将来構想としてのエネルギー自給という「思想」からはほど遠い、現状追認の認識しか感じ取れませんでした。私が一昨日紹介したNERCの考え方の片鱗すら感じ取れないようなエネルギー対策では、おそらく何ものも生み出すことはできない。説得力のある政策に結びつくものはありません。
防災対策では、矢口新平議員、薄井孝彦議員、宮崎康次議員、矢口稔議員、立野泰議員がそれぞれ質問していました。いずれも町の防災対策は東日本震災よりはるか前のものであり、見直しが必要だという点では一致。しかし、薄井議員の具体的で根本的な対策の要求の右に出るものはありませんでした。とはいえ、緊急時の具体的な対策を求めた矢口新平議員や、消防団の経験から「自主防災会」の現状や後方支援活動の対策の必要性を訴えた矢口稔議員の質問は聞くべき内容を持っていたと思われます。
これに対する町の答弁は何ともお粗末。薄井議員が「町としてもっと被災地支援に積極的に取り組むべきではないか」と質したのに対して、「社会福祉協議会で救援ボランティアをやっている。サポートセンターでも周知するようスタートしているので、輪をひろげていきたい」と答えてくれました。ではお聞きしますが、現(!)サポートセンターは、どのようにボランティアを集めどのように被災地支援の取り組みを開始しているのでしょうか。旧サポートセンターメンバーが中心になって震災直後から不眠不休の活動を続けて、女川まで支援活動にでかけたことをどのように評価しているのでしょうか。「町は自治体としての独自のやりかたがある」という答弁を何度か聞きましたが、それはないでしょう。
矢口稔議員が、「マニフェストの実行率はどのくらいか」と質したのに対して、延々と「実績」を紹介した上で、70%くらいと答えました。その中には、「美しい村」連合への加盟や、ボランティアバンク、ハーブセンターの指定管理者制度、実質公債費比率の低下なども含まれているのでしょう。
それぞれについては過去にいやほど書いてきましたから、ここでは何も書きませんが、もうすこし中身のある70%にしてほしいものです。無い物ねだりですかね、町長さん。



  6月19日(日)    
息子と娘から「父の日」のメッセージ。父らしい父ではないのに忘れずに送ってくれるのは恥ずかしい反面、とてもうれしいことです。
「健康管理を忘れずに」と息子。しばらく前から風邪引きでのどが痛く咳がとまらない今の私としては、ちょっと耳がいたい。
娘は、妻にたのんでバラをプレゼント。妻は今日黄色いバラを選んできてくれました。大切に育てることにしましょう。

今朝、近くの町医者に行って風邪を見てもらいました。たいしたことはないということで、抗生剤や咳止めを処方してもらい、今日は1日おとなしくしていました。とはいえ、昼過ぎにはちょっと畑に行ってイモなどの苗を植えてきましたけど。
熱がないだけ身体は楽なので、あとはぐっすり休んでウイルスをやっつけること。多少時間がかかりますね。

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ちょっと本屋から遠ざかっていたら、雑誌「世界」が2ヶ月分たまってしまっていた。いずれも震災問題や原発問題を真剣に特集しているので読み応えがあります。
しかし、いま私が最も注目しているのは「住民と自治」(自治体問題研究所)7月号の大友詔雄さんの小論。「自然エネルギーの全面的利用による災害復興を」というタイトルだけでは、さまざまに論じられている自然エネルギー利用論と同列になってしまいますが、この人の注目すべきところは、自然エネルギー研究センター(ベンチャー企業NERC)を自ら設立し、自然エネルギーを利用する技術をさまざまに開発、地域と産業の活性化・再構築の具体策を提案しているところです。

災害からの復興については、「そこに今後も居住して生活する人々の力とそこの『自然の回復力』とに依拠すること無くしてあり得ない」とその視点は極めて明快です。
そして、「(株)NERCでは、『地域に人が住み続けるには、そこに仕事がなければならない』というあまりにも『単純な』答えを求めて、ここ十数年道内の自治体を中心に、それぞれの地域の自然エネルギーによる基本計画づくりを行うとともに、自然エネルギー技術の開発も行い、その成果を地域社会・地域産業の再構築に活かすことを目指してきた」と述べています。
そして、ここからが彼の実践の注目すべきところなのですが、
「自然エネルギーを利用するためには、必ず技術手段を通さなければならないということを踏まえ、地域の地場技術としての実現に際しては、@地域固有の特性を生かした取り組み、地域の困難の解決に役立つ取り組みを基底にすすめ、Aローテク技術で作れるもので、B小型分散型にして、数多く設置することを考え、C開発・製造、保守・管理の産業を幅広くかかえるようにし、D地場産育成・振興を念頭にすすめる、ということを考えた」
「地域社会・地域産業の再構築を考える場合、もう一つの重要な観点として、『地域内経済効果』、とくに、エネルギーについて限定すれば『エネルギーの地産地消』の実現ということがある」

と続けています。

以上のことについてはこのあと、オーストリア・ギュッシング市(4000人)での実践、北海道A市でのとりくみを紹介しています。

NERCが所有する産業財産権は、バイオマスの活用から太陽エネルギーの利用、水力・風力などのエネルギーを利用する技術など10数項目にのぼっていること自体すごいことですが、巨大な投資と人材が必要になるようなプロジェクトを要求するのではなく、上の強調部分のようにどこでも誰でも実践できる視点がとくに重要だと思われるのです。そしてその技術が、北海道大学との提携によって現実のものとして稼働していることです。
これは災害からの復興のみならず、衰退著しい地方を再生させる取り組みの視点・実践例として十分検討されなければならないでしょう。私としては、池田町における町づくりを方向付ける待ちに待った論文と受け止めました。

マスメディアは、原発推進にどれほど手を貸してきたかには全く口をつぐんで、「どれだけ節電するか」という庶民への犠牲の押しつけに躍起になっていますが、私から言わせれば滑稽です。
読売・朝日・毎日・日経の各新聞は紙面のページ数を半分にしましょう。テレビは午前零時で終わりにしましょう。資源はそれだけ使わなくて済む。もっと役に立つことをしっかり記事にすることを心がければ、発行部数も視聴者も増えるでしょうに。
それはともかくとして、「自然エネルギーへの移行」自体は間違いではないとしても、日本では原発からの脱却についてはいささかハギレが悪い。悪いだけではなく、まだ積極的に推進しようという勢力が強いのです。そりゃ、原発で飯をくってきた多くの企業やお役人にとっては、原発がなくなるということは「おまんまの食い上げ」ということでしょうから、切実です。軍事産業と全く同じ・・・あ、いや原発って軍事産業でしたよね。
それに、「低線量の放射線体にいい」という東電の顧問の方もいらっしゃるようだし、時がすぎればこの国ではまだ原発病菌(金)が触手を伸ばしてくるのでしょう。

一方で、世の中原発には風当たりは強いけれど、ピークオイルについてはひと言も触れない。日本共産党も触れない。これって不思議ですね。影響は原発をどうするかにとどまらない恐ろしい広がりをもっているのに、まだまだ先の事だという認識でしょうかね。「何パーセント節電すればいい」というレベルの問題ではない。国の在り方、都市と農村のありかた、生活の仕方そのもの激変・・・とくに都市部で・・を余儀なくされる事態を将来するのが、このピークオイル。
改めて、この議論に戻る必要を感じます。



  6月14日(火)    
何でこんなことで連日熱中しているのだろうと自分で思うくらいバラ園がよい。1つの課題をクリアすると連動してまた次の課題が出てくる。ほとんど際限がないほどの仕事量があり、同時にそれをやりきるメンバーがとても少ないという事情から、勢い私の出番が多くなるというわけです。
「請負とお任せ」の弊害はいやほど知っていますから、とにかく沢山のメンバーの力を借りなければなりません。しかし、いざという局面では”誰か”が全体を引っ張る必要もあるのです。この一週間はそれを承知で、ほとんど終日ガーデン通いをしていたというわけ。

おかげで、今月の25日に総会とオープニング・パーティをひらく目途が立ち、現在はそれにむけて精力的に整備の作業を進めているところです。
今日はYさんと、テーブルを据え付けたり堆肥をバラの周りに入れる作業に専念。美しく咲き誇るバラの花を見ていると、どんなきつい作業でも疲れはどこかにいってしまいます。
ただし、堆肥のニオイがまだ鼻について、これはちょっと想定外。ニオイに敏感なバラ園のお隣のロッジの主は鼻をつまんで辟易していることでしょう。ごめんなさい。しばらく我慢です。


ところで、身体を酷使しているためか、このところ眠りについてしばらくすると太ももが痙攣するようになって、困っています。以前にもそうなった経験があったので、とくに疲れだけが原因ではないようなのです。
どうもベッドがだんだん沈み込んでそこへネコがのしかかってきたりすると身体がゆがんで、そのはずみで足が攣ったりするようなので、今日は妻にたのんで「コンパネ」を一枚買ってきてもらいました。敷き布団の下に敷いて、真っ直ぐに寝ようという目論見。果たしてうまくいきますか・・・。

明日、明後日は議会の傍聴があるので、作業はお休みです。ゆっくり静養して終末の作業に備えることにしましょう。













  6月12日(日)    
妻はボーリングの大会で富山へ。朝早く起きて妻を送り出し、二度寝していたら8時頃電話がかかってきて、バラ園で椅子として使う丸太が手に入ったので来て欲しいという連絡。さっそくバラ園に急行して結局夕方まで作業することになってしまいました。
友人のTさんがクヌギ(?)の太い大木を入手し、それを切ってくれるというので、その高さや位置を確認。彼のおかげで素晴らしい椅子ができあがりました。ラッキーです。
バラ園も基本的な部分は完成したし、周りの整備も着々とすすんでいるので、あとは月末の総会とオープニング・パーティー。
2000本のバラが見事な坂城町中之条の「さかき千曲川バラ公園」や、今年5月にオープンした飯田市、南信州四季彩の丘「スイートガーデン」にはとても及びませんけれど、池田町の住民が力を合わせてささやかなバラ園をオープンするというのは、それでも画期的なこと。将来、これらのバラ園にもひけをとらないガーデンができるかもしれないわけで、ともかく夢は大きく、規模は小さく。


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昨日の信濃毎日をはじめ、各紙で報道されたニュースのうち、目を引いたのは「長野牛伏寺断層を含む3断層が動いてマグニチュード(M)6.8〜7.5程度の地震が起きる確率が高まった」という記事。

すでに平成12〜13年度にはいろいろな地震を想定して長野県が被害予測(池田町分)を出していますが、巨大地震の切迫度が高まった今回の地震調査委員会の見解を受けて早急に見直しをすすめ、万全の対策を講じなければならないことは明らかです。

以下は関連記事。

信毎web
asahi.com
ちょっと古い東京大学の資料
松本市の資料

朝日新聞4月15日によれば、「現在が巨大地震の活動期にあたる」ことがアメリカの学会で報告(活動期はないとする見解も)されており、報告者のアスター教授の「東日本大震災の震源域に隣接する地域(の巨大地震発生)を強く懸念している」というコメントが載っていました。東日本での巨大地震の影響で、長野県の牛伏寺断層に働く力の方向が変わったという今回の地震調査委員会の見解は、アメリカ学会での報告と符合するもので、注目に値するでしょう。
地震に対する備えはどうあるべきか、池田町の場合はいろんな角度から考えておかなければならないと思います。

まず第1は、個人としての備え。
木造家屋の場合は全・半壊合わせて50%強、非木造の場合でも35%ですから、まず家屋に重大な損害があると考えなければなりません。従って、大きな揺れが来た場合は立っていられない可能性がありますから、まず堅牢な机などの下にもぐり込むこと。しかし、2階建ての1階にいるような場合は、ともかく何も持たずに外に出ることが必要です。後ろに山や崖がある場合は、できるだけそれから遠いところから出ること。
その際には、おそらく家屋の倒壊が先か、避難が先かということになるでしょう。
そこから第2の課題、耐震構造化という問題が出てきます。

ここでは災害情報サイト「住宅があぶない」から、建築物についての基本的なデータを集めてみました。
まず家屋について。
木造家屋の場合は、「柱が適切な金物で接合されているか」「耐震壁で適切な釘が使用されているか」「南に壁面が少なく強度不足になるなどの家屋のバランスはとれているか」が指標となるということです。
これまでの大規模地震の経験から、「木造家屋の場合は1階の柱が引き抜け、1階部分が横倒しになる」ことが指摘されています。圧死者の大部分はこれによって生じます。耐震化がすぐにできない場合は「せめて2階で寝起きすることが賢明」とのアドバイスも書かれています。
また耐震改修する場合は、「壁量のバランスに加えて、腐朽部分の交換」が必要であること、耐震改修によって、30年以上も前の木造で崩壊を免れるとのデータもあります。規模は大きくなりますが、古い家屋では「屋根の軽量化」も課題になると述べられています。
次にコンクリートの場合。第1は「欠陥マンション」で指摘された、コンクリートの水増し問題。
07年のデータですが、長野県生コンクリート工業組合の注目すべきアンケート結果が紹介されています。
それによると、工事関係者823人への調査で、「過去3年以内に生コンへの加水行為を経験するか、目撃・伝聞した」(44%、364人)、「自分の判断でコンクリートに加水した経験を持つ」(22%、183人)、「他人の指示による加水の経験者」(18%、152人)というデータです。これは驚くべき結果です。「正規のスランプ(コンクリートの硬さの基準)では施工困難」というのが圧倒的な理由のようですが、納期を早めなくてはならないとか、下請け単価が安いとかということがあるのかもしれません。いずれにせよ、自宅のコンクリートはまず疑ってかかり、ひび割れや空洞がないかどうかを確かめる検査が必要になります。とくにマンションなどの学校や集合住宅では必須の耐震検査ということになるでしょう。
資料では、このほかに、「型枠の在置期間」「鉄筋のかぶりの厚さ」「養生期間」「コンクリートの劣化」「コンクリートに混ぜる砂(海の砂)による塩害」など検査すべき指標が示されています。いずれも重要な問題です。

池田町では、家屋でも人の住まない土蔵などの家屋や寺社・文化財など家屋に準ずる建物がありますし、ブロック塀などの問題もあります。道路が狭い場合は、これらの倒壊によって道がふさがれ、避難経路が断たれたり緊急自動車が通れなかったりすることがかなり生じる危険があります。
個人としては、可能な限り最大震度を想定して対策を講じることが必要なのですが、実際には予算面や忙しさのためになかなか手が出ないものです。そこから地域や自治体による対策。こうしたケースを含め、池田町全域でしっかりした震災被害予測をたてることや耐震化についての補助などが重要となります。この部分はまた後日。



  6月10日(金)    
今日明日とバラ園の大詰め。今日は10人近くが集まって、草取りと区画の整備作業に精を出しました。
最近は、昼ともなると真夏並みに暑くなるので汗びっしょり。よくまあ続くものだと我ながら感心しながら、それでもできあがったバラ園を想像するのは楽しみで、作業にとりくんでいます。日一日と形ができあがっていきます。
今日はバラ園顧問のEさんに来てもらって、いろいろアドバイスを受けました。新苗については、接いだ部分のカバーを秋までは取ってはだめだと言われ、再びテープを巻き直す一コマも。
「アンネのバラ」は、うどんこ病にかかってどうもうまくない。その他のバラは比較的元気でたくさん花を咲かせています。病気や虫の対策がこれから重要になります。
その他のメモ・・・咲いた花は、すぐに取ったほうがよいこと。その際は葉が5枚ある上で切ること。するとそこから新芽がでて花が咲くということです。また、堆肥は根の周りだけは避けて、全体に入れ込んでも良いこと・・・
明日晴れれば、ほとんどすべての造園作業を終えて、あとは微調整の段階。とはいえ、細部にわたってきちんとしようとするといろんなことが出てきます。まだバラが土地全体に植えられているわけではなく、空いた土地が半分ほどあるのでこれをどうするかが1つの課題です。コスモスを植えたりして当座をしのごうと話し合ってはいるのですが、果たしてどうなるか。








ところで、壊れた私のカメラ「ニコン・クールピクス5700」、修理の見積もりに出したら「部品がもうないので修理できない」という連絡。
以前もカメラキャップをなくして取り寄せしようとしたら、数年もしないのにもう生産停止という話で困ったことがありました。10年くらい部品を管理してもよさそうなのに、ここはニコンのよろしくないところ。
これではカメラがどんなに良くても消費者から愛想づかしをされてしまうでしょう。つい先日は高い電池のスペアを買ったばかりなので何とも腹立たしいことです。
やむなく、新しいカメラを買う羽目に。当然ニコンは選択肢から外れましたよ。購入したのはオリンパスXZ-1。まさしくコンパクトカメラで手のひらサイズ。まだ慣れないので戸惑うことも多くマニュアルが手放せない。
というわけで、今日の写真はこのカメラで撮ったものです。レンズは明るいのですが、色味がちょっと気になるところ。いろいろ研究しなければならないことが増えてしまいました。



  6月7日(火)    
このところ連日のバラ園がよい。整備作業が佳境に入っているのです。メンバーのみなさんもそれが分かっているので勢い力が入って、朝早くから夕方まで根を詰めた作業に熱中。「もう限界」とギブアップする会員もいて、それはもう大変な力仕事です。

今日は朝9時に集合して松のチップをもらいに軽トラ4台に分乗して山の中へ。池田町は松の間伐作業があちこちで行われているために、かなりチップが作られているのです。許可を得て1トントラック1台分くらいをもらってきました。
袋詰めして運ぶのですから、相当に力も要るし時間もかかります。それでも7人の男たちが力を合わせて11時頃にガーデンに運ぶことができました。


今日の作業は予定ではここまでだったのですが、時間の余裕のある人が結構いたので、結局昼を挟んで夕方までの長い作業になってしまいました。
まず、当面の課題であった中央のサークルの仕切り作り。木の枠を組んで土を止めようというわけです。そのためにメンバーの1人はヘルメット姿でチェンソーを使って適当な大きさの木を切り出します。その他のメンバーはくい打ち。私の設計図にしたがって手際よく枠を組んでいきました。
チップを運ぶときも、木を切り出すときも、杭を打つときも道具はちゃんとそろっているし、要領は心得ているし、多士済々。さすがに田舎ですね。都会でガーデンを作ろうと思ってもそんなわけにはいきません。




もう辞めようと言いながらも、前が見えているのでついつい手が出てしまって、チップを敷いたり水を撒いたりして結局仕事を終えたのが午後4時。本当に見違えるように素晴らしいガーデンの一部が仕上がりました。写真で見ているよりはるかにすてきです。都会にあるガーデンとは違って、見栄えもよくない素材を使っていますから、素朴で田舎。それでもホッとする空間です。
総会と合わせてガーデンのオープニング・パーティーをやろうと何人かで話し合ったことでした。




私はそのあと畑に行って3畝ほどを作ってきました。さすがに疲れた。こんなに朝から夕方まで労働したことはありませんでしたから。それでも毎日作業をしていると、結構慣れるものですね。腰は痛いけれど、それほどぐったりということはありませんから。
この作業は、今週の金曜、土曜で一応の総仕上げをすることにしました。今年度のガーデンの完成です。ただ、それまで少し準備もあるし、いやはや小さな集団でもまとめていくのは大変なことです。

それでも、多くの人たちがガーデンづくりに集うのは、自分たちで「素敵なもの」を作ろうというロマンがあるからなのでしょうね。それをみんなで共有したいという、とても人間的な希望。
休憩しながら、こもごも語り合ったのは、「お金まで出して、こんなことやっているんだから。(物好きだね!!)」。しかし、これこそ「にんげん」である証拠でしょう。疲れたら、このガーデンまでやってきて一休み。そんな憩えるガーデンにしたいものです。

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一昨日の商業新聞で小さく報道された、大阪府での議員定数削減条例の強行。教職員に対する「国歌」斉唱時の起立条例とあわせてファシスト橋下の本質を遺憾なく発揮した事件です。
「公約」という切り札に加えて「(大幅な議員削減を)府民は理解してくれると思う」という橋下知事のコメントはその手法を明快に語っています。
この受けねらいの「わかりやすさ」という手法は、日本の政治のあちこちで顔を出しています。大阪都構想への第一歩としての「自ら身を切る覚悟」という職員の3割削減もその1つですし、今回の議員定数の削減と小選挙区の拡大という選挙制度の改悪も同様。
ひとたび大震災に襲われたとき、市町村合併をした旧市町村の職員はどうなったのか。そして、職員数を減らし続けてきた東北各県の自治体職員はいまどうしているのか。住民が不満のはけ口を自治体職員にぶつけることはよく理解はできますが、結局自治体がその機能を次第に低下させ、機敏な動きを取れなくしてきたのは、それ以前に問題があるわけで、そのつけが回ってきていることはほとんど語られません。
職員の数や賃金を減らして、そのあとに来るのは、民間でのいっそうの過酷な現実でしょう。民間労働者と公務労働者との賃金の引き下げ合戦の果てに利益をあげるのは庶民では決してありません。税金が下がるわけでも、日々の糧が増えるわけでもなく、押しつけられるのは消費税であり、年金の切り下げであり、福祉の低下なのですから。
「厳しい財政事情」に陥れたり、民間の賃金をここまで低下させたのは、歴代の保守政党であり政府だという冷厳な事実に目をむけ、見当違いなところへ矛先を向けさせられて、お互いに足の引っ張り合いをさせられていることに、そろそろ気がついても良さそうなものですが・・・。
事は大阪にとどまらない。「8月(その前もありかも)辞任」を前提に民自の「大連立」=大政翼賛会的野合=に雪崩を打つ様を見ていると、かれらのやろうとしていることはまさしく橋下の全国版でしょう。そんなことをそのまま許していいのか。許せないとすればどうすればいいのか。
ドイツで原発からの脱却を決定というニュース、ペルーでの左派の勝利、などのニュースを見るにつけ、日本の立ち位置は、世界の趨勢から100年も遅れたところにあるのかもしれません。

今はなつかしいあの詩(高知の中学教師、竹本源治)の精神を、これほど切実に取り戻さなければならない時もないと思われます。

戦死せる教え児よ
竹本源治

逝いて還らぬ教え児よ
私の手は血まみれだ!
君を縊(くび)ったその綱の
端を私も持っていた
しかも人の子の師の名において

嗚呼!
『お互いだまされていた』の言訳が
なんでできよう
慙愧(ざんき)、悔恨、懺悔(ざんげ)を重ねても
それが何の償いになろう
逝った君はもう帰らない
今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
涙をはらって君の墓標に誓う
『繰り返さぬぞ絶対に!』

反歌

送らじな この身裂くとも 教え児を
理(ことわり)もなき 戦(いくさ)の庭に




  6月4日(土)    
予定通り今日の朝刊に女川支援行動の報告チラシが入りました。いっしょに行ったメンバーからも「区切りがつきましたね」というメールが。確かにひとつの区切りではあるけれど、逆にこのあとがむずかしい。
「ネット」の倉庫にはまだ冬用の布団や食器などが一山残っていて、夏が過ぎてからの行動を待っている状態。救援が必要なのは女川だけではなく東北全域にあるわけですから、どこにどのように支援の手をさしのべるか、研究していかなければなりません。
今回はたまたま高野さんという友人がいたことがきっかけになって支援行動が具体化しましたが、新しいところへ出向くときは現地とよほど綿密な連絡がとれていないとうまくいかないことは明らかです。それと同時に、誰がどのように計画を立てて準備するかという問題がおおきい。ものすごいエネルギーと時間が必要になります。しかしそれをいとわずに実行することこそ本当の支援の心というものでしょう。さて、次はどのように準備するのか。

高野さんのいろんな記録(ネット上にはいろいろと散乱している)をネットで探していたら、たまたま彼が撮った20日の写真が見つかりました。高野さんの側からの写真だったので、ちょうど私たちの写真の「隙間」(不足していた部分)を埋めてもらえて有り難かった。そのサイトから写真を頂いて何枚か転載します。高野さんご了解下さい。

次は、写真やそのほか被災地の情報が載せられている彼のホームページです。
高野博の緊急仮設サイト

写真は上から順に、教育長に義援金を渡す矢口団長、その下は体育館で物資(米、車いす、マスク)を登録しているところ。次が、宅配中の倉科さん。犬がいるので金網越しに袋を手渡しています。最後が青空市での一コマ。











  6月3日(金)    
仕事帰り、本当に久しぶりに「TSUTAYA」に行ってみました。お目当てはDVD化された「仁ーJIN」だったのですが、何故かワンセットしか置いてなく、当然のように借りられていてスカ。やむなく「ロビンフッド」を借りて、あとはパソコン用の「LINUXの教科書(改訂版)」と「HTML5+CSS3」という雑誌を買って帰りました。衝動買いに近い。そんなにちゃんと読むわけではないのに・・・。
パソコンの世界は相変わらず「秒進分歩」(日進月歩の数百倍、数千倍という勝手な造語)。もはやほとんどついて行けないので、せめて雰囲気だけでもという気持ちがそうさせているのだと自分なりに解釈しています。1年前くらいには、一時期XHTMLでサイトを作ってみようとしたことがありましたけど、サポートセンターがポシャったのと同時にトップページだけで終わってしまった。あのまま、うまく行っていれば今頃はかなりの力を身につけられたのにと残念至極です。サポートセンターの精神と仲間はのこったけれど、さまざまな副産物がたくさんあり得たのにそれらをすべて葬り去ってしまったのです。罪深いことですよ。ほんとうに。

ようやく天気が回復したので、昨日と今日は「バラ園」に行って作業をしました。もっぱら草刈りと仕切り、通路の整地。バラがかなり勢いよく伸びて花もたくさんつけています。新苗でなければ咲かせてもよいということなので、あと数日もすればかなりにぎやかにバラが咲きそうです。
仕事をしていると、隣のロッジに集っていた女性のみなさんが見に来て、一生懸命に働いている私に「バラ爺」と呼ぶ。「そっちは何なの」と言いたい気持ちをぐっと抑えて、ひろい心でにこやかに対応しておりました。通路にチップを敷き詰めたら、見違えるようにきれいになりました。バラがきれいに咲きそろったら、かつてニュージーランドで見たように「バラ園で結婚式」というイメージもあながち空想ではなくなるかも。そんな時を夢見て、ひたすら整備に力を注ぎましょう。
下の写真はPalmerston Northのバラ園での結婚式(2009年4月)。





  6月2日(木)    
最近気味の悪い言葉・・・・「がんばろう、ニッポン」。誰がつくりだしたんですかね、この標語。Tシャツにもシールにも、おまけに民主党も、何でもかんでもこれがでてくる異様さ。真ん中の「絆」は自民党です。やっぱりね。まあ国際試合に臨むサッカー選手に言うくらいならまだしも。





頑張るのは誰なのか?「善意」に解釈して、「震災から復興するために日本人みんなが力を合わせよう」という意味なのか。それとも東日本の被災地の人たちに頑張れと言っているのか。これほどわからない日本語もない。
東日本がこんな悲惨な状態になっているのだから、1人ひとりの日本人が頑張らなければという気持ちになろうと自分で言い聞かせる標語なのか、だとしたらその頑張る方向はどこ?自民党も民主党も、東電のお偉いさんも、原発で死にものぐるいでたたかっている技術者たちも、みい〜〜〜んないっしょ??さあ、手をつないで頑張ろう、ですか?

「がんばろう」とは誰が誰に言っているのでしょうか。自民党や民主党が日本の国民に対してがんばろうと呼びかけているのですか?次に「何をがんばろう」といっているのでしょうね。復興?消費税を上げるからそれにも我慢して苦しい生活を「がんばろう」とでも言うのかな。そして「どのようにがんばろう」というのでしょうか。原発は福島以外にもたくさんあって、そっちは大丈夫だから、これからも原発にエネルギーを託して毎日の生活を快適にするようがんばろう・・・ですか。それとも、「もっと募金に応じて義援金を出して、被災地にも出かけていってボランティアなどをしっかりやるようにしましょう」と自民党や民主党が国民に呼びかけているのでしょうかね。それなら受け取っている政党助成金を全部拠出して下さいね。それなら少しだけ納得します。

ことほどさように、全くイライラするくらい気色悪い言い方です。そんな風にうけとる私がヘンなのでしょうか。

最近、読み直している本、辺見庸さんの「しのびよる破局」。かなり辺見さんの具合が悪いと信濃毎日紙上でも自ら語っていたので気にしつつ、かつての論考をたどっていました。

きれいで、円滑で、快適で、善に見えるようなこと。スムーズに流れていくようなこと。あるいは和やかなこと。そこに潜む無意識の荒み。それをわれわれは体内にふくみもつのです。(p87)

悪が悪として見えない。悪はおそらくもっとも善のかたちをとって立ち現れているのだとおもう。とくにメディア。その集団性のなかにぼくたちは隠れることができる。わかりやすいメッセージだけを探ろうとして、ものごとを単純化する。(p93)




昼過ぎからの内閣不信任案は菅首相が期限付き辞任を表明したことで小沢派は腰砕け、自公はピエロの役割を果たしただけで大差で否決という幕引きになりました。「そんなことをしている場合か」という空気は全国に蔓延し、国民は冷ややかな目でこの「騒動」を見ているのは間違いのないこと。こんなときこそ、見通しを持ち、地域での地道な取り組みが必要となる。それを担うものだけが、次代の扉を開けることになるのでしょう。


  6月1日(水)    
朝早くから、共産党ファンクラブ主催のマレットゴルフ大会。私はマレットをしたこともなく、したいとも思わないので、本部の番をしたり写真を写したりする係でした。
回を重ねて今年は5回目。好きな人が大勢いるので、いつも盛況です。妻はこのところボーリングに加えてマレットにもはまっているので、かつてから見るとなかなか様になっていました。
その後は会場を移して懇親会。先の町議選で当選した議員のお祝いと引退した山本議員の慰労などもかねて、これも結構盛り上がりました。なにしろ一品持ちよりなので、机の上は所狭しといろんな料理が並び壮観。腹一杯食べてもまだ残るくらいでした。
それぞれ挨拶や意見も活発に交わされて、楽しいひとときを過ごすことができました。




忙しかった5月が終わって月が改まりました。被災地支援のニュースも再校を終えて明日印刷。これが終われば本当に一段落ということになります。もちろん、活動自体は終わったわけではないし、このあと報告会とか今後の予定も決めなければならず、それに独自の政策課題もあるので、忙しいことに変わりはありません。

ところで、明日の菅内閣「不信任案」の採決どうなるのでしょう。野次馬根性丸出して、明日の成り行きを見てみたい。小沢さんの「壊し屋」的手法で民主党を割り、自民と大連立を組んで「日本再生」をすすめようというのでしょうか。それともそれが不発に終わるのか。何となく前者のような気がするのですけど。どっちにしても「再生」どころか、すでに泥舟に乗っているのですからあとは「沈没」するだけ。

それはともかく、菅内閣の震災への対応を中心に「追及」する自民党も、民主党の中で「不信任案」に賛成するかどうかを巡って続けられている「駆け引き」を見ても、原発事故の責任の所在や収束の仕方、さらには今後のエネルギー政策の根幹をどうするかなどについて、まともに考えているとは到底思われない。このうごめきを説明する語句は「党利党略」の四字熟語ぐらいしか思いつかないですよね。
そもそも原発は自民党政権の時代から、この国のエネルギーの基幹として位置づけられ、増設に次ぐ増設。「安全」などどうでもいいことで、それは「儲かる」からでした。この利権に群がる集団は枚挙にいとまがありません。そしてこの国の不幸は、その「利権」構造から全く手が切れていないことです。

菅さんは、国民の大きな批判にさらされて浜岡の期限付き停止を、さも勇断であるかのように宣言して見せたけれど、これとてエネルギー政策の確たる方針があってそうしたわけでも、原発脱却を指向してそう行ったわけではない。
この世は「省エネ」ばやりでテレビをつければ、この夏をどう「省エネ」で乗り切るかと言ったたぐいの話ばかり。何かヘンです。冷蔵庫の温度やクーラーの温度設定をを何度にしましょうとか、会社でパソコンの電源をこまめに落としたり、バッテリーをつかいましょうとかという報道を見ると、かつて、鉛筆を何センチまで使いましょうとか、紙の裏側も全部使いましょうという程度の節約がオフィスで流行したのを思い出します。(今もそうなのだろうけど)。その一方で、以前よりはるかに紙を使わざるを得なくしているコピー機の存在やファックス機の存在などは決してなくしはしない。
「省エネ」をしないよりはした方が家計にとっていいことは間違いがないけれど、杓子定規に決めつけてやるものではないでしょう。モノを大事にするとか、節約するとかというモラルがあたりまえのように身についているべきなのであって、これを上から統制的におしつければ、そんなものは早晩破綻するに違いありません。

大事なことは、どんな社会にしていくかという理念にこそあるのです。つまり、脱原発と脱オイルの社会とはどんな社会なのか、それを準備するために社会の基本をどうするべきなのかということが大切です。そこが抜けていては今の「ジャブジャブ・ガバガバ」エネルギー使い放題の社会は決して変わらない。
テレビも政治家の多くも、もっと恐ろしいエネルギー危機がやってくるなどということはまるで無頓着に、福島原発の危機を電気の供給が少なくなるからという程度の理解で「省エネ」を語っている。これって、犯罪的ですらありませんか。




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