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  11月30日(金)    
昨夜8時過ぎに隣の家まで届け物に行った母が、庭へ帰ってきて杖で何かたたいている。聞くと、シークワーサーにコウモリが下がっていて追い払ったのだという。暗くてどんなものかはわからなかったけれど、たたいたら逃げていったと母。
私の頭のなかには、小さい頃夕暮れ時になるとたくさん飛んでいたコウモリしかありませんでしたから、あんな小さなコウモリがどうしてシークワーサーを食べるのだろうと不思議でしようがなかった。
半信半疑、しばらくして懐中電灯を持って見に行って驚いた。なんじゃ〜〜これは!!何か大きな”動物”が木にぶら下がっています。でかい!!
ちょうどネズミかタヌキの顔をした子犬くらいの大きさの薄茶色の物体です。照らしても逃げないで赤い小さい目が見えます。照らしたためにまぶしくてこちらが見えなかったのかも。




すぐに母と妻を呼んで確認。二人ともびっくりしていました。いままで見たこともない巨大なコウモリだったのですから。夜しか出てこないので実際の姿をみることはありませんし。棒で追い払うとバザバサと翼の音をたてて逃げていきました。
しばらくして見に行くと、また来ている。2匹か3匹か。1匹は手を大きく伸ばしてシークワーサーを掴んで取ろうとしていました。このコウモリ、翼を広げると1メートルにもなろうかという巨大なやつ。海岸の壕あたりに住んでいて夜な夜な出てくるのでしょうか。いやはや驚いた。
あとでネットで調べると、「オキナワオオコウモリ」というのだそう。たとえばこちらのサイトでもっと鮮明な画像で見ることができます。
母は「やっと犯人がわかったね」だって。毎日シークワーサーを食い散らした「犯人」のことです。今年は台風の当たり年でしたから、餌がなくなって人里に出没して食べ物を食いあさっているのでしょう。

母はデイサービスで9時頃出かけていきました。私たちは午前中は荷物をまとめて送ったり、近くの奥武島を一回りしたりしてゆっくり過ごしました。
庭を一回りすると、ドラゴンフルーツの木の上にでかいカタツムリが2匹仲むつまじく寄り添っていました。


私が滞在した26日から30日までは空港近くの店でレンタカーを借りました。借りたのは三菱コルト。5日間で1万4千円ですよ。信じられますか。まさか1日の値段じゃないだろうねと思ったほどでした。
沖縄では、車の半分ほどがレンタカーと言われるほど「わ」ナンバーが多い。ただこの時期は感顧客も少ないので、値引き合戦をしているのでしょうか。

妻はここ数日風邪気味のようで、鼻をすすっていました。私ものどをやられたのか朝方はのどがヒリヒリする。帰るまで何とかひどくならないでほしいと願いつつ、レンタカーを返すためにちょっと早めに家を出ました。
早く着きすぎて空港では2時間ほども待ち時間があったため、レストランでゆっくりして離発着する航空機をながめて過ごしました。時折スクランブルなのか練習なのか飛び立つ自衛隊のジェット機が。


空港では修学旅行の女子高生たちが200人ほど。何のことはない、私たちが乗る飛行機のほとんどはこれらの生徒たちで占められていたのでした。離陸時の加速したりふわりと浮き上がるときにはキャーキャーうるさいこと。
それはともかく、しっかり沖縄の現状を見て、考えて、いずれ平和な沖縄の実現のために行動に立ち上がってほしいと思わずにはいられません。教師たちの奮闘を願いましょう。

午後10時。無事池田町の我が家に到着。ハルちゃんが出迎えてくれました。
こちらは思ったほど寒くはありませんでしたが、夜半からかなり気温が下がってきた様子。妻は風邪を悪くしないようにすぐに寝てしまいました。



  11月29日(木)    
天気予報によると、長野では相変わらず最高気温10度。ところが、いま沖縄では室温23度です。外はもっとあるでしょう。ずっとTシャツのまま過ごしています。
母は、現在92歳。妻は多少物忘れが出ていると言っていますが、ちゃんと新聞は読むし、クロスワード・クイズもやっているし、なかなかどうして。テレビの番組では「相棒」が好きで、いつもは9時頃寝るのに、この日だけは終わってから10時に寝るのだとか。


今日は朝から荒れ模様。前線の通過に伴ってかなり激しい雨風になっています。午後には雨もあがって夕方には晴れて来るという天気予報なので、そうあってほしいところ。
午前中、地元の直売所「軽便かりゆし」に行って野菜などを買い込んできました。「かりゆし」ではほうれん草、キュウリ、ピーマン、ゴーヤその他野菜が山積みでした。しかし、夏とはやはり違って果物はほとんどなく、品数もそれほどでもありません。ともあれ、長野では新鮮な野菜が不足していますから、安いほうれん草やゴーヤを買って送ることにしました。


予報通り、午後には雨も完全にあがり、蒸し暑い日に。室温は24度くらいですが、外は日差しが強いためか27,8度くらいあるのでは。
裏庭にあるシークワーサーを母と妻と3人で収穫していたら汗びっしょり。上からは木にたまった水滴が落ちてきて水浸しに。かなり甘くなったシークワーサーをどっさり収穫して段ボールいっぱいに梱包しました。


総選挙では「未来の党」が台風の目になってきています。有権者受けのいい、反原発、増税反対、子育て支援という方針を掲げたこの党は、小沢さんを重要な役職にはつけさせないのだという。国民向けのパフォーマンスとしては当然なのだろうけれど、議員の8割が小沢派だから、実際の政策決定では無視することは出来ないのは当然です。
今日、自民・民主をはじめとする保守政党の最も重要なアキレス腱である財界・大企業の要求とアメリカの政治的・顕在的・軍事的要求をほとんど受け入れるという態度にどのような対応ができるかで、「新しい」時代の政策たり得るかどうかが試されます。これまでのところ、「未来の党」はこの点ではいささか疑問ですが、政策の詳細ではまだ未知数。
ただ、自民、維新などが右寄りを競う中では、そうした動きを牽制する多少ともリベラルな潮流の表れとしては注目できる存在です。東京都知事選挙でも宇都宮さんを支持するというのですから、なかなか面白い。
この「未来の党」に対して、「維新の会」の焦り、いらだちは見ていてかわいそう。この党は、いずれ自民党と手を組み、保守回帰の世論を手繰り寄せて、右翼的な路線をより鮮明にしていくのでしょうが、これには選挙前に決着をつけてしまわなければなりません。
民主党については、現実政治の動きの中で、そのよって立つ基盤はすでに崩壊し、あとは消滅の道をたどるだけです。なぜなら、もっとも民主党的であったはずの鳩山は引退に追い込まれ、管の存在も希薄となり、小沢は抜けて、残るのは「自民党野田派」にすぎないからです。私には、かつて自民党よりも右翼的な立場で自民を支えていた民社党の存在を想起させるものがあります。

この選挙戦では、原発や消費税、社会保障の問題では少しずつ立場がわかってきていますが、日米安保条約についてはどうか。沖縄の基地問題についてはどうか。
普天間の即時閉鎖を訴えているのは共産党、社民党、沖縄社会大衆党くらいでしょう。無条件閉鎖となれば共産党ぐらいしかない。自民・民主・公明・維新などは日米同盟強化ですから、何も解決することはできません。出来るはずがないのです。
ところが不思議なことに沖縄では自民党の候補者まで沖縄の負担軽減、辺野古への移設反対を言う。
沖縄の矛盾がそれだけ激しいといえばそうなのですが、こと選挙ということになれば「本部とのねじれ」などということが許されるはずがないではありませんか。「本部に沖縄の声を伝える役割を果たす」というのですが、それなら自民党なり自分の所属している政党から出るべきですよね。
結局は、本土側からの「差別構造」を容認し、それを固定化する役割を果たしているだけです。これでは有権者を愚弄するだけのパフォーマンスなのに、それすらわからない。
12月1日、沖縄では地元のテレビ局が作った特別番組がある予定。オスプレイ基地反対で基地前に座り込む東村高江住民を国が訴えるという恐るべき実態を告発したものです。見られないのが残念です。
ひるがえって「本土側」の番組はどうか。もうこのごろのテレビは見る価値もなく、愚民化政策の最先端を走っているようにしか思えません。
明日の夜は我が家へ。



  11月28日(水)    
夜、何かの鳥がシークワーサーを食べて騒々しい。最初コウモリではないかと言っていた母も、どうも普通の鳥らしいと言うと、台湾からやってきた白ガラスではないかという。早朝に木の下を見ると、熟れた実の皮だけが一面に散乱。ひどい状態になっていました。


午前9時頃、母は迎えに来てくれた車でデイサービスへ。ほとんど同じ時刻に、私たちは東村高江のヘリパッド(現在はオスプレイパッド)反対闘争の団結テントへ向かいました。
現地は相変わらず遠く、昼頃到着。昼食をごちそうになりながら、テントに詰めている地元住民や支援の方々と交流。春にきたときよりは遙かにテントの規模も大きくなり、支援の横断幕もあちこちに張り巡らせて緊迫した様子を反映していました。




数日前には真上をオスプレイが何度か飛び、すぐ近くのメインゲート付近に着陸したと話す住民。今日は20人近くの人たちが小屋の周辺に集まり、情報交換などをしていました。
テントの後ろには深い谷と起伏の大きな山々が背丈の低い独特の木を茂らせて広がっています。山原の豊かさを感じさせる風景です。


これらのヤンバルの森はいうに及ばず、沖縄の上空を我が物顔に飛び回り、耐えられないほどの騒音をまき散らすオスプレイの危険度はこれまでのヘリとは比べものになりません(26日、着陸時に配備後最大の101.3デシベルを記録)。
普天間基地への配備だけではなく、高江の演習場の実態を国民のなかにもっと明らかにしなければならないと強く印象づけられました。



  11月27日(火)    
午前中はちょっとゆっくりして、母を病院に連れて行くためによってくれた兄と会うことができました。結石があって破砕する治療をしているとか。それでも毎日のように畑に来て、キビやバナナの世話をしているようでした。

10時半頃から宜野湾市へ向かいました。目的は二つ。ひとつはオスプレイの実態の見学。もうひとつはおみやげの買い物です。
朝はまだ雲が多かったけれど、午後からは晴れ間がでて気温も23度ぐらい。車の中では暑いくらいの日になりました。

まず普天間第2小学校の近くへ。閑静な住宅街ではとくにオスプレイの動きはなく、時折輸送機が通り過ぎる程度。近くの住民に聞いても、オスプレイの姿は見ないと話していました。鉄条網で覆われた基地のすぐわきの幼稚園では子どもたちが庭先で遊んでいました。
続いて、すぐ近くの佐喜真美術館へ。丸木俊・位里夫妻の沖縄戦の図を見てきました。美術館は定休日でしたが、ちょうど長野から高校生の修学旅行なのかバス一台が来ていて、都合よく入ることができました。佐喜真美術館は普天間基地と隣り合わせ。ヘリが飛び交う危険な場所にあります。

次に、そこからすぐ近い嘉数高台へ向かい、もう通い慣れた塔の上へ。普天間基地はと見ると、いたいた。あのオスプレイが8台ほど2列に並んでいました。


昨日は新聞やテレビでの報道の通り、昼から夜まで飛び回っていたようでしたが、今日は全く動きなし。高台では琉球新報の記者も待機していて取材活動をしていました。聞くと、昨日は那覇上空まで飛んでいたようす。今日は電気もついておらず、当面飛ぶ様子はないと話していました。
m始終プロペラ音がしていたので、オスプレイなのかと思って記者に聞くと、オスプレイの向こうで駐機しているCH46だと双眼鏡をのぞきながら説明してくれました。「仕事ですか?」と聞くと「そうだ」という返事。あちこちに記者を貼り付けているようです。高台には弁当持ちでずっと居座っている人も見られました。
今日の琉球新報の記事では、CH46ヘリ4機をオスプレイに役を譲って退役させるために別の基地に移したこと、さらにあと2機も今日中に移動させる予定であることが記されていました。今日見た2機のヘリはどうやらそれらしい。
風が強く帽子も飛ばされそう。全く動きがないので、また来ることにして、那覇へ買い物に向かいました。途中の基地ゲート前では、座り込みの人たちの姿も見られました。

買い物では、まず壺屋焼きで有名な陶芸街にいき、茶碗などを買ったあと、那覇の平和通りにある公設市場で肉をたっぷり買いこみました。ここは相変わらずのにぎわい。そこから国際通りに出てお酒やお菓子などのお土産を買い、スターバックスで一休みした後、帰路につきました。
昨日は雲が垂れ雨が降っていたため午後5時にはもう真っ暗。しかし今日は青空も見えてずいぶん明るさが違いました。







  11月26日(月) 沖縄にて    
「特急しなの」が約20分遅れて名古屋に到着、ゆっくり昼食をとるひまもなく名鉄に飛び乗って中部国際空港へ。
明科では気温は3,4度で雨。名古屋でも小雨がぱらついていましたが、こちらはさすがに暖かい。空港でようやく「きしめん」にありついてホッとしたら暑くなって沖縄用の薄い上着に着替えてしまいました。
天気はますます悪くなり、厚い雨雲にさえぎられ薄暗いほど。それでも空の便は定刻に搭乗開始、沖縄にむけて飛び立ちました。小さい飛行機なので何となくスピードがでないように感じました。

那覇空港には妻が出迎えに来てくれていました。那覇は名古屋よりも1時間ほど日没が遅いはずなのに、すでに薄暗く風が強い。しかしTシャツでもいいくらいの気温です。
すぐにレンタカーの手続きをして、母の家へ向かいました。「沖縄では雨の日は道路が滑るので気をつけてください」とレンタカーの事務員。確かに上り坂で発進しようとしてタイヤが空回り。なんでしょうね、これは。雨脚は強くなったり弱くなったり。那覇の街は車で混雑。

南城市の妻の実家に着いて一休み。母は思ったより元気で安心しました。よくしゃべり、頭の回転はすごくいい。90歳を過ぎているとはとても思えません。

普天間基地に配備されたオスプレイは浦添市の上空をヘリモードで何度も飛び回り、日米合意などなかったかのような振る舞いだと夕方のニュースで報じていました。
また、新聞紙面の「本土」と何と違うこと。今日の琉球新報では、文化欄に沖縄大学教授の桜井国俊さんが「時評2012」として、復帰40年の新たな屈辱と題する一文を寄せていました。

沖縄はオスプレイの普天間基地配備にこぞって反対を表明してきた。にもかかわらず本土政府、本土マスコミ、そして多くの本土国民は、数の暴力で沖縄の民意を無視し続けてきた。その背景には「日米安保は不可欠」「沖縄には地理的優位性がある」との盲信に基づく思考停止がある。

2012年の沖縄の顕著な特徴は、抗議の声を無視し続ける本土について、「これは沖縄に対する構造的な差別である」との認識を多くの人々が共有することになったことだ。・・・(このことばが)かくも頻繁に語られるようになったことは、沖縄の置かれた矛盾の深刻さがそこまで広く、かつ深くなり、人々の怒りのマグマが爆発寸前であることを意味する。

(尖閣国有化以来)がぜん東シナ海はきな臭くなり、那覇空港での自衛隊機のスクランブル発進が増加している。・・・東京の政治家たちが排外主義を無責任に煽り立て、そのとばっちりを沖縄が被るという構造を座視しているわけにはいかない。




  11月26日(月)    
沖縄は暑くなったり涼しくなったりだそうで、暑いときは27度だと妻が報告していました。こちらは朝は零下、日中でも10度にならないのだから、旅装がなかなかむずかしい。

昨日夕方、被災地ネットの会合を行いました。それぞれ掴んだ状況を報告し合いながら、今後の取り組みを決めるのが目的です。
協議の結果、12月はじめまでに小中学生用に給食用のリンゴを200個送付。それに続いて学校関係、高齢者施設用のみなさんのクリスマスプレゼント(?)として1100個のリンゴを送付。これについては12月20日、21日あたりに直接現地に赴いて学校ごとに届けて挨拶をしてくることにしました。
私が行けるかどうかは、仕事の関係もあって微妙ですが、ネットワークと商工会から代表を派遣することは決定しました。
年内のとりくみは以上ですが、あとは3月11日前後に何らかのイベントもしくは支援活動を行うことでも一致、今後詰めの協議を行うことにしました。

2,3日前、松本で支援活動をしているIさん(今年の3.11集会に参加してくれた人)が石巻の主婦の方とつくった被災体験談の冊子を持って、普及して欲しいと要請に来訪。原稿段階から内容は知らせてくれていて、池田町のネットワークとの連携を求めていたのです。
冊子はきれいなカラー印刷で、13人の女性の体験談が収録されています。そのほかには女性の立場から災害時に同対処するかを記した「災害時の妊産婦マニュアル」、避難所となったある中学校長の経験をつづった「被災地からの復興宣言」など豊富な資料を掲載し、震災時に役立つさまざまな情報を収録しています。
記事は現地石巻の主婦の方があつめ、レイアウトやイラストは松本の大学生たちが協力、製本までの作業はIさんがほぼ一人で担当、かなり時間をかけてようやく完成した者です。
1000部印刷し、一冊500円で販売。これだけのものを500円は安いのではないかとさえ思います。協力していただける方はぜひご一報ください。

総選挙も告示まであとわずか。今日の信濃毎日新聞は、維新の会の支持率が民主を抜いて第2位だと報じていました。第2位とはいっても、自民党が18.7%、維新が10.3%にすぎません。圧倒的多数はどこに投票するか決めかねているし、どこも信用できないとして棄権する人も無視できない状況ですから、これからの選挙情勢は極めて流動的。野田と安部のどちらが首相にふさわしいかという質問には、安部33.9%、野田30.0%と拮抗(わからないが36%)。どちらも不適切という質問がないのだから質問自体がおかしい。
また同紙は、自民党が他国と戦争する際の「交戦規定」の整備を打ち出したとも報じていました。国防軍には戦争規定がないとおかしいという論理なのでしょうが、本当に戦争したい面々です。
維新の会が、TPP、原発をめぐって混迷を深めているとの記事もありました。自民党、民主党、維新の会が大日本帝国憲法下での時代から、庶民の生活や心情に深く根を張り、今なお消えていない保守的、地域閉鎖的な感覚に訴えかけ、現代的装いで覚醒させ、再生させようとしていることには最大限の警戒を払う必要があります。あの戦争で「負けた」ことから庶民レベルでどのような教訓を引き出せたのか。それが今日にどのように受け継がれているのか、または受け継がれていないのか、それが試される選挙戦となるでしょう。
巨大に見える右翼的潮流も歴史の流れの中では一瞬という局面がいくらもあります。今日の日本で、よりどころとなりうる政党がただ1つだけあること、全国津津浦々の地域に根を下ろし、スジを通すことができる政党があることが、数十年の未来を見通したとき、私には希望であり光明に思われます。
生活感覚としても、心情としても、理論的にもその真価を多くの人たちに伝え、理解されるようにしないといけませんね。世界史の逆流を断じて認めるわけにはいきません。



  11月25日(日)    
沖縄行きが明日に迫った今日、いろいろ準備しなければなりません。もっとも、暖かいところへ行くので、衣類は脱げばいいから荷物はそれほどありませんけど。

今朝は放射冷却で今年一番の冷え込み。多分マイナス2,3度まで下がったのではないでしょうか。まわりはびっしり霜でおおわれていました。
北アルプスはこれも今年最高の輝き。快晴の空に白い稜線をくっきりと見せて眼前に迫ります。




飼い猫のハルちゃんは、主のいない妻の布団に潜り込み朝まで熟睡。朝エアコンをかけると、その下に行って暖をとっていました。私もいなくなる明日から数日は、どうしているんでしょうね。その間は、お隣に家の管理、餌やその他を頼んであるので、きっと隣に遊びに行ってそのまま住みついてしまうのかも。


「このようにして戦争は始まる」・・・・数日前から、斎藤貴男さんの「ルポ改憲潮流」(岩波新書)を読み直していてこの思いを強くしています。
誰も、この国が、この土地が戦争に巻き込まれるなどとは思っていません。若い人たちにとっては、頭の片隅にも無いかもしれません。戦争を知らない世代の私が言うのだから、さしたる信憑性はないのですが、知らないからこそ言えることもある。
「戦後」ではない、すでに「戦前」なのだというのは相当前から言われてきたことですが、全くその通りです。

まず第1に、すでに有事の法制化が基本的に終わっていること。
自民・公明・民主の今後の思惑としては、とりあえずは集団的自衛権の行使に踏み切り、選挙結果によっては憲法の改定まで一気に踏み込むことにあります。それで完成。
これからそれが始まるのではなく、その土台はすでにできあがっているということが重要です。民主党などは小党乱立にかこつけ「政党法」の制定まで言及し始めているではありませんか。

日米新ガイドラインに基づいて1998年に成立した「周辺事態法」はその画期となり、それ以後、小泉内閣のもと民主党も賛成して2003年「武力攻撃事態法」が成立しました。
2004年には極めつけの有事法制「国民保護法」が成立。自治体に「国民保護条例」の策定を義務付けたのです。
「武力攻撃事態対処関連3法」についてはWikipediaに次の記載があります(番号などは一部変更)。

1.安全保障会議設置法の一部を改正する法律
2.武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律
・2003年6月13日に公布・施行された。
・武力攻撃事態など、いわゆる有事となる事態を定義している。
・有事において国や地方公共団体が必要な措置を取ることを明記している。また、国(内閣総理大臣)が地方公共団体(の長)に対して、必要な措置を取らせることができることも明記している。
・国や地方公共団体が取る措置に対し、国民は協力をするよう「努める」としている。
・憲法で保障される国民の自由と人権は尊重されるべきとする一方で、それに制限が加えられうることも示されている。
・武力攻撃を排除するために必要限度の武力を行使することが示されている。
3.自衛隊法及び防衛庁の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律


また、「国民保護法」についてはこちら

全国には、防犯を「目的」に監視カメラが張り巡らされ、共産党、労働組合の個別チラシ配布にも監視と逮捕・長期拘留が相次いでいることは斎藤さんが執拗に追跡してきたことです。
東日本大震災などをきっかけに災害出動する自衛隊への垣根はなくなり、自治体と自衛隊の親密が関係が抵抗なくつくられています。

第2に、戦争現場への自衛隊の派遣(戦争参加)はすでに実績となっていること。イラク戦争への参加は外国から見れば参戦に他なりません。
斎藤さんは、イラク戦争当時、小泉首相がイラクに駐留する多国籍軍に自衛隊を派遣しながらその指揮下には入らないことについて、憲法学者(改憲論者)の小林教授の次の言葉を紹介しています。これはおもしろい。

小林節ゼミに入ります。でも、あんたの指導は受けませんって言ってる学生のようなものです。出ていけー!ですよね。
私は森派の夏の軽井沢研修会に招かれて、憲法のフルコースをお教えしたことがあります。小泉さんもいましたよ。でも、いったいあれは何だったのか。いや、小泉さんだけじゃない。私にはこの流れで、第1自民党と第2自民党(民主党)とによって憲法改正案ができあがり、そこに公明党がついてくるという構図が見えたのです。


昔も今も改憲論者である小林教授が、改憲への動きに警鐘をならしているのは「彼(小泉)は、言葉を、法律というものを徹底的に軽視している」「小泉政治の傲慢さと軽さに耐えられなくなった」からだそうですが、石原・橋下軍団の動きをどう見ていらっしゃるのでしょうか。聞きたいところです。

第3に、企業の「グローバル化」にともなって、多国籍化した大企業から国際貢献と称して「日本の権益を守る」ための軍事力を求める動きがかつてなく高まっていること。最近の財界トップの言動を見れば、これはきわめて明瞭。しかも、「不況にあえぐ」(=がっぽりため込みながら、一方でもうけ先が少なくなった)大企業、とりわけ、軍事産業にとって戦争ほどもうかるものはないのですから。
ちなみに、今からほぼ6年前の2007年1月1日に日本経団連が発表した「希望の国、日本」では、現在自民党安倍総裁らが叫んでいる改憲構想のすべてが書き込まれています。こうしてみると安部さんは財界の優良スピーカーということがよくわかります。

自民党、民主党、維新の会などが憲法改正をいうとき、実は重大な問題があるのですが、それはあまり表に出てきません。一般国民からすれば、ああそうかな、なるほどというくらいごく普通に説得されそうな論点が実は一つあるのです。それは現代の世界の憲法がとる立憲主義にかかわる問題です。
ただ、これを書くと長くなるので日をあらためて。



  11月22日(木)    
早朝、妻が沖縄に里帰り。私はあとから追いかけるので、今日は明科駅まで送っていきました。夕方無事ついたとの連絡があり、ほっとしました。
当日その便だけの航空機指定切符なので、何かあるとそれでアウト。多少安いけれど、そうした問題と隣り合わせですから現地に着くまでヒヤヒヤものです。でも何事もなく到着できてよかった。今頃は母親とゆっくり過ごしていることでしょう。

妻を送った後は、朝ご飯を準備してMNEMOさんとゆっくりおしゃべりをしながら朝食。9時過ぎにMNEMOさんは岐路につき、私はバラの会の定例作業に参加しました。
今日の作業はバラの苗10数本(枯れたものを植え替えたり、空きスペースに追加したりするため)を植えるための穴掘りと、前回の残りの肥料入れ。これも11時過ぎには終えて恒例のおしゃべり会。四方山話に花を咲かせました。
一昨日紹介したニュースを配り、これからの予定も確認し合って散会。天気にも恵まれ、私などはTシャツ一枚での作業。ただ、虫に食われて早々に長袖にもどりました。

早起きしたので、夕方眠くなり2時間ほどウトウト。起き出して朝の残りをもとに夕食を早めにすませ、風呂にはいってゆっくり。今日から25日までの3日間は一人暮らし。いや、、、ハルちゃんと二人暮らし。やることは結構あって、それほどゆっくりもできないかな。
1つは被災地支援。今日夕方女川町教育委員会から連絡があり、先日要望していたリンゴ贈呈について「ありがたくお受けしたい」との返事をしてくれました。
給食用に提供して貰えるなら、12月6日までに送付して欲しいこと。または別途一個ずつということならそれも可能だという返事でした。こちらからは、可能な限り送りたいと考えていること、場合によっては給食と一個ずつの両方の提供も可能だということを伝え、25日の会議を経て連絡すると伝えました。
池田町商工会も連携を強めていることもあって、12月の中旬には現地に代表を派遣することを考えた方がいいかもしれませんね。
2つ目は高3の授業準備。沖縄から帰ってすぐに授業があるので、その準備もしなければならないし。何しろ、あらためてセンター2年分を解いておかないといけないので、ちょっと気が重い。すべては明日です。



  11月21日(水)    
自民党の政権公約なるものが仰々しく発表されました。夕方のNHKニュースでもパンフレットを持った安倍総裁を写しながら、その概要を説明。キャッチフレーズは「日本を取り戻す」だそうですね。
誰が、誰から、どのように取り戻すのか??へそ曲がりの私などは、「自民党は戦前の日本を取り戻します」と言いたいのだろうと思ってしまいます。
大企業には法人税率の大幅引き下げを約束し、公共事業・軍事費などで国家財政をがっぽりと提供すると約束しているのですから、そりゃ財界はもろ手をあげて喜びますわね。「日本を我々のものに!!」
教育についても「学制の見直し」も盛り込み、憲法を改正し、自衛隊を「国防軍」にし集団的自衛権でアメリカといっしょに堂々と海外で戦争できる国にしようというわけですから、これまで自民党が果たそうとして果たせなかった道を一気に突き進もうということでしょう。
テレビにうつる安部さん、国民の冷ややかな目線に気がついているのかいないのか、ずいぶんはしゃいでいましたね。

自民党のホームページを見ましたら、安部総裁と石破幹事長のキャラ、似顔絵、イラストを募集していました。
かつて安部さんが総理大臣をしていたころから、ネット上ではいろんな「似顔絵」が登場していましたっけ。中でも一番多かったのは、「ちょびヒゲをつけたら●●●●総統にうり二つじゃないか」というもの。当時ずいぶんみかけたものでした。

人の顔をあげつらうのは私の趣味ではありませんし、自分自身も姿格好のことは言われたくないけど、特徴を生かして書いてくれるぶんには愛情を感じて悪い気はしない。
ちなみに、次の似顔絵は現役教師であった30代の私を、ある生徒が密かに描いて私のつくっていた学級通信に発表したものです。ひどい姿ですが、まっ、いいかと放置したら、以来この似顔絵はクラスでの私の定番となったのでした。今となってはなつかしい。当時、こんな顔をしていたんでしたかねえ。

いまでは、似顔絵というと、コミックのキャラっぽいものしか目にしませんが、当時の生徒たちは似顔絵がものすごくうまかった。実に特徴をとらえて描くのですね。
全国の中高生諸君、自民党の求めに応じて、安倍総統、じゃなかった安倍総裁(どっちだかわかんなくなっちゃった)の似顔絵をどんどん応募しましょう。

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先日、友人が事務局長を担当している富山の「憲法9条ファンクラブ」から、ニュース第101号が送られてきました。
そのトップ記事には、「憲法をめぐる情勢は新たな重大局面を迎えている」と題する、自民党憲法改正草案の批判記事が載っていました。
いずれ了解をえて全文を紹介できればいいなと思っていますが、今日はその骨子について触れておこうと思います。

まず憲法をとりまく状況の重大さです。保守各党が改憲草案、あるいはその方向を打ち出し、「明文改憲の策動が強められている」とのべ、さらに、次のように指摘しています。

これらに加えて、民主、自民、公明、みんなの党などの議員らでつくる「衆参対等統合一院制国会実現議員連盟」は、「現行憲法第42条の二院政の規定を改定し、2017年から国会を定数500人以内の一院制とする」内容の憲法改正原案を衆院議長に提出しました。改憲原案が初めて国会に提出されるという、今までにはなかった危険な事態がおこっているのです。

次に、明文改憲前にも集団的自衛権の行使などで解釈改憲を大きく進めようという動きも強まっていることを指摘し、次のように書いています。

自民党は国会に提出した「国家安全保障基本法」の中で、集団的自衛権の行使をはじめ、幅広く海外での武力行使を容認する方向を打ち出しています。また野田首相は集団的自衛権の行使を容認する方向・・・橋本維新の会代表(現代表代行)も「集団的自衛権について基本的に行使を求めるべきだ」と述べました。

この点では、民主、自民、維新では全く相違はありません。総選挙の結果次第で「大連合」を組めば、すぐにやっちゃうでしょうね。これは。

ニュースは次に、なぜいまこのような動きが強まっているのかについて、6つの理由を挙げています。

1.国民投票法(改憲手続き法)に基づく憲法審査会が昨年10月に始動、憲法改定原案を審査できるようになった。
2.サンフランシスコ条約で日本が「独立」してから60年の節目に、タブー視されていた改憲案を出しやすくなった。
3.東日本大震災・原発事故の復旧、復興がすすまないことを口実に「非常事態への対応条項」を憲法に挿入しようという思惑がある。
4.消費税増税と社会保障切り下げの「一体改革」を民自公の密室談合で強行できたことに味をしめ、一気に改憲を実現してしまおうともくろんでいる。
5.尖閣や竹島など「領土紛争」をテコに、自衛隊の増強、国軍化、日米軍事強化にむけ世論を誘導し、改憲に結びつけようとしている。
6.財界やアメリカから、「憲法9条が日米軍事同盟強化の妨げになっている、今が改憲のチャンスだ」との強い圧力がある。


改憲草案は、直接ごらんになるといいでしょう。もう今では驚きもしませんが、その天皇元首、国家主義といった時代錯誤はもとより、国民への強権支配の欲望が肥大化した内容で、戦前の大日本帝国憲法も真っ青な内容です。アジアの「盟主」だったあの時代がよほどなつかしいらしい。
これではアジア各国から危険視されるだけではなく、相手にもされなくなる(もうほとんど相手にされていなんだった・・・)ことは必定。
12月総選挙では、まさにこの憲法問題が大きな争点として突きつけられていると覚悟しなければならないんですねえ。みなさん。



  11月20日(火)    
明後日木曜日に予定している定例バラ園作業の下準備を午前中から午後にかけて行いました。
第1は肥料の購入。新たに何本かのバラを植えるので、そのための牛糞や堆肥、腐葉土などを準備したのです。
第2は、先日買っておいたコンパネと支柱を造成地に運んで、堆肥作りの枠をつくる作業。電動ねじ回しのバッテリーが切れてこれは途中で中断。続きは木曜日に行うことにしました。
バラ園では、まばらではあるけれどバラがまだ咲いています。昨年も12月中旬まで咲いていましたから、寒さにも結構強い品種のようです。午後からは日差しもあたたかく、作業をしていたら汗ばむほどでした。










そのあとは、畑に行って乾燥してあった落花生をの取り入れ。実だけを大きな桶に集める作業です。これは結構大変。土ほこりや葉のくずが舞い上がって身体がジャリジャリ。あまりにも大量で、全部は取り切れず、明日また続きをやることにしました。
ピーナッツは乾燥の状態でも味が変わるので、このあとはベランダでまた干して、揚げるのは沖縄から帰ってからになります。どれくらいの収穫量になるか楽しみではありますが、全部食べたら身体がメタボになるのは間違いなし。正月の白和えの材料にしたり、ジマミドーフにして食べられたら最高ですね。うまくできたら、お裾分けしますよ!

総選挙に向けて、野田首相の方針に従わないものは公認しないという立候補申請書を書かされるために、TPPに反対する鳩山前首相が出馬しないというニュースが飛び込んできました。ちょっとマユツバのところもありますが、野田さんはどうもホンキらしい。消費税増税、TPP参加、原発推進、日米同盟強化という自らの方針で民主党を「純化」しようということらしいのですが、さて、そうなると自民党とどこが違うのか。
今日のニュースでは、デフレを脱却するために、日銀法を改正しても無制限の金融緩和政策をとるべきだとする安部自民党総裁の発言に、当の日銀が反論、民主党も財政規律上問題があるとして慎重論をとると伝えられていました。
消費税を増税すれば、景気の底が抜けてしまうだろうことは容易に予測できることですから、民主党とすればそれに対する対策はとらなければならない。TPPで輸出関連産業にてこ入れしその対策にしようというのがその1つの目論見でしょう。
一方の自民党は大枠で民主党と同じ土俵に立ちながら、10年間で200兆円規模の公共投資で「国土強靱(きょうじん)化計画」を進めようとし、そのための財源として消費税増税、社会保障水準の引き下げなどを強行しようというわけです。誰が儲かるのでしょうか。
同時に、憲法改正を視野に、日米同盟をいっそう強化していくわけですから、基地問題にしろ、原発問題にしろ、TPPにしろ、結局はアメリカいいなりという姿勢にならざるをえない。犠牲はすべて庶民におおいかぶさってきます。
「再生」したポーズをふりまく自民党が何かをしてくれるなどというのは全くの幻想に過ぎません。むしろ、石破幹事長が秋波を送るように、民主党、維新の会の「同志」たちと深い連携を築いて1つの勢力を形成しようという動きになると見た方がよい。
こうした動きを是とせず、あるいは乾されて飛び出した人たちが小党を結成し、どんなにがんばってみても土俵が同じであれば結局は進め方の違いが多少あるということにすぎません。いずれは吸収されるか、消滅するかが関の山です。

維新の会に至っては、石原代表が今日行われた日本外国特派員協会での講演でまたもや「日本は核兵器に関するシミュレーションぐらいやったらいい。これも一つの抑止力になる。持つ、持たないは先の話だ」と自説を展開。「個人」的見解などと言い逃れできないことは明白にもかかわらずです。いい気なもんですね。
さらに、今度は橋本代表代行が今日、記者団に「企業・団体献金の全面禁止」を撤回する方針を示し、「上限を設ける」などと言い逃れをし始めました。
おやまあ、1つの目玉政策だったんじゃないんですかねえ。政党助成金についても全く同じで、勇ましいことを言ってみても、結局は自民、民主と同じ土俵でしょうが。欲しいモノは欲しいとはっきり言った方がよっぽど潔いのにね。あっけにとられてモノも言えません。

それでも自民、民主、維新を支持したいとする皆さんにちょっと聞いてみましょう。
まず、高齢者のみなさん、医療費は自由診療の導入でべらぼうに高くなりますよ。年金なんてスズメの涙。たっぷり蓄えがあるからいい?そりゃよかった。
農業従事者のみなさん、米を作っても売れません。外国のおいしい米にどうやったら太刀打ちできるのでしょう。大規模化?そうでしたね。70を超えてもがんばっていらっしゃるあなたなら出来るかもしれません。あるいは米なんてやめて先祖伝来の土地を売っちゃったほうが早いのかもって?
青少年のみなさん、尖閣列島で日本と中国の紛争が重大かしたら、ひょっとしてあなたの頭上にミサイルが飛んでくるかもしれません。そのときは自衛隊やアメリカが守ってくれる?あなたはどうするんですか?逃げる?どこへ?いや、断固戦わなくては。たとえ一人になろうと、その命国家にささげなければだめですよ。それでこそサムライニッポンです。ナデシコジャパンです。



  11月19日(月)    
昨日のネットワークの会議をうけて、今日女川町の教育委員会に電話しました。教育現場でいま何が必要とされているのか聞きたいということと、リンゴを子どもたちと先生方に贈りたいのだがどうかという2点を聞いたのです。
委員会からは、学校では各方面から文房具などの提供があり現在は供給過剰気味であること、何らかの支援行事などを組むことについても学校の日々の営みを妨げる場合があるということで遠慮してもらっているという返事がありました。
こちらからは、事情はよくわかるので、たとえば給食にリンゴを一個つけてもらうとか、クリスマスプレゼントにするとか、やりかたは問わないので、リンゴを贈ることについて了解が得られるかどうかだけ、返答を聞かせてほしいと伝えました。
主事のUさんはきわめて丁寧に対応してくれ、庁内・学校現場で調整のうえ数日内に私宛に連絡をすると約束してくれました。
この形での支援ができるできないは別として、少しずつですが再び支援の形が整い始めたという実感がします。

高野さんにも電話したら、どうも元気の無い声。風邪で寝ていたというので、悪いことしたと早々に電話を切りました。
短い会話の中でも、生活が苦しい人たちの中では、依然として米や野菜が喜ばれるということや、仮設住宅自治会に先日「柿」が届けられてみんな喜んでいた、単品で自治会を通して支援するのも1つの形だと話してくれました。
議員個人として地域の人々にさまざまな支援を続けている高野さんにとっては、身体が休まる暇もない年月がまだまだ続きます。支援の形態は本当に様々です。池田のネットワークとしても、私個人としても、できる限りの支援活動を粘り強く続けていかなければならないと改めて思わされました。

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先日バラの会の役員会を開いて今後のスケジュールなどを計画したのですが、それを会員のみなさんに伝えなければなりません。12月には枯れ葉集めと堆肥づくり、1月末には総会・学習会と、被災地支援と重なる予定にもなりつつあり、ちょっと思案のしどころ。
夕方から夜にかけて、久々のニュースを作成しました。まだ案の段階ですが、役員会の決定を記載しただけなので、変更があっても微調整。できるだけ早くお知らせしたいのでここに掲示することとしました。


昼前は、種から芽を出させたタマネギの残りを植え付けに行ってきました。なかなか大きくならず、まだヒゲみたいな長さですので、春になって育ってくれるのかどうか。小さければ小さいなりに、シチューにでも入れると最高なので、植えられるだけ植えておきました。
このあとの畑の作業は、豆の取り入れだけ。豆の選別がやっかいで、これは冬の仕事。刈り取ったあとを耕そうと思ったら耕耘機の片方の刃が外れて修理に出さなければならない羽目に。よって、耕すのは春の仕事ということになります。
あとは白菜・キャベツ・ダイコン・ネギを収穫しつつ、来春まで畑はお休みです。



  11月18日(日)    
それほど寒くはないけれど、西の空が暗く重たい朝。東の空には少し日差しがあったせいか、有明山(2,268 m)の手前に虹の端っこが見えました。私が見たのは午前8時。それから10分もたたないうちに薄くなりやがて儚く消えていきました。


沖縄行きの日が近づいてきました。春に出かけたばかりでしたが、母が健在のときに行けるだけ行こうと妻と話し合ってきめたもの。季節もちょうどいいし、オスプレイの実態も見ておきたいし・・・。
総選挙ではオスプレイをはじめ、沖縄の基地問題、日米安保の問題が当然大きな争点になります。日本を守るためにはオスプレイ配備が必要だなどと宣伝する政党があれば、それらの候補者には全員落選していただきましょう。

沖縄ではあいかわらず協定違反の午後10時を過ぎての飛行を続け、県民の安眠を妨害。また、13日には米軍が「米国内法(治安維持法)に基づいて基地への立ち入りを禁ずる」という看板を取り付けたことが明るみに出て(琉球新報)市民の抗議を受け撤去するという事件も起こっています。
空には飛ぶ凶器、陸には県民のいのちを蹂躙する歩く凶器という状態に、県民の怒りはもう引き返すことができないような地点に来てしまっています。自民党も民主党も石原維新の会も、もちろん公明党も、何ら解決する手だてを持たないどころか、日米同盟強化を呼号して基地強化に道をひらき、県民にいっそうの苦痛をあたえることしかできない。

これをお読みの皆さんには、ぜひ沖縄平和ツアーを企画し、基地をめぐる実態をじかに見たり聞いたりしてほしいと願います。

夕方久しぶりに被災地支援ネットワークの会合を行いました。私が働きかけしないのでしびれをきらした会員の一人がみんなによびかけはじめたのです。
私が動かなければ何も進まないのでは困ります。実は、そのことを待っていたというところもあって、私からも他の事務局メンバーに声をかけ、半年ぶりに会議をおこなったのです。
みんなの気持ちは当時からいささかも衰えておらず、いろいろ情報交換をしながら、無理のないように活動をすすめていくことを確認しました。
とりあえずは現地の様子、ニーズを聞くことからはじめ、それにそって義援金の使い方などを考えていくことになりました。その手始めに、小中学校の生徒、幼稚園園児に長野のリンゴを一個ずつプレゼントすることにしました。
商工会からも集まった義援金を届けたいのでいっしょに現地に行きたいという申し入れがありました。商工会では現地の海産物を大量に購入してこちらで販売する取り組みも進行中ということなので、被災地支援の流れがしっかり根付いていることが感じられました。
総選挙が終わった次の週に現地に行けるかどうか、また、3月11日震災2周年にあわせて、去年とはまた違った取り組みができるかどうか、これからまた頭を絞らないといけません。

石巻の知人に電話で話を聞いていましたら、女川ではほとんどの家が流され、高齢者が多い仮設住宅では今なお食料品が喜ばれると話していました。家計の苦しさから、できるだけ支出を控える傾向が強いためだそうです。
また人口流出も深刻な課題で、町の再建に重くのしかかっているとも語っていました。
石巻では、地域によって住民のニーズが様々で、どんな支援が求められているかと聞かれても即答はできない。ボランティアの活動も様々だから、もし支援活動を行うなら、地域を限定してリサーチをしたうえで進める必要があると聞きました。



  11月17日(土)    
今日はまた朝からどんより。午後からは冷たい雨が降り続いています。
午前中は、町をあげてのガイドパイプ塗装作業が行われ、ガイドマスターの一員として参加しました。
これは、池田町の景観形成の一環として打ち出されたもので、歩道脇に設置された白い転倒防止用の柵をすべて焦げ茶色に塗り直すというものです。
朝早くから、地元の各種団体、役場職員、中高生など町民約400人が参加して大々的に行われました。
ところが天気はあいにくの小雨模様。しかも風が強く塗料が吹き飛ばされ、風下で作業した人は塗料のしぶきがかかって顔と言わず服と言わず斑点だらけ。中学生に至っては、塗料にまみれてひどい格好になっている子もいました。私もおろしたてのカッパやズボンが黒い斑点だらけになり、汚れてもいいように準備していくんだったと悔やまれました。
今日の一斉作業は町民の連帯感がよく感じられた作業でしたから、晴天ならもっと楽しくできたのにと残念でした。他団体などと一緒に作業すれば、町民としての連帯感ももっと強く意識されたろうに、それも今後の課題だろうと思われました。

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先日、ウインドウズ8を一度はインストールしたものの、ドライバなどの関係で削除してしまったと書きましたが、3,4日前、性懲りもなく今度は別のマシンにインストールを試みたのでありました。もちろん印刷やTVなどとは関係のないデスクトップ機にですけど。
コンビニでときどき買う雑誌「日経PC21」の特集号を参考にして、インストールとカスタマイズを再度敢行、何とかほぼ満足のいく状態までこぎ着けることができました。こりゃもう病気ですかね。

Windows8でのもっとも大きな変更点は、いままでの「スタートボタン」が無くなって、それが「スタート画面」に変わったことです。この変更のために、たとえばコントロールパネルがどこからたどっていけばいいのか、どうすればシャットダウンできるのかわからず迷っていましたが、スタート画面とデスクトップ画面によく使うアイコンを登録しておきさえすれば、ウインドウズ7と何ら変わらないことがわかりました。
下の写真は、スタート画面から「ウインドウズキー」を押してデスクトップ画面に移ったところ。


そうそう、ウィンドウズキーで思い出しましたが、1,2年前にわたくし愛用の東プレのキーボードRealforceを購入したときのことです。前の仕様と変更を余儀なくされたと残念そうなメッセージが書かれていたことを思い出しました。それまではウインドウズキーなどなかったのですが、どうしてもつけてくれとマイクロソフトだかどこからか強い要請があり、つけざるを得なかったというのです。
確かに私の昔の白いキーボードにはありませんが、黒い新しい方には小さなキーがつけられていました。メーカーとしてはマイクロソフト依存になることを避けたかったのでしょう。当然です。

スマホなどでは、スタート画面の方が扱いやすいだろうことは当然として、PCではこの変更がきわめて大きいために、旧OSから移行する人は面食らうだろうなと思わされました。
前にも書いたように、OSが新しくなってもソフトや周辺機器が対応していなければ何にもならないので、私のようなアホは別として、しばらく様子見というのが正しい態度です。
XPのサポートが終了し、プリンターなどもどんどん新しくなっていくとすれば、やがては新しいOSへと移行して行かなくてはなりません。これは好き嫌いじゃない。それまでに、新しいOSの仕組みや功罪について情報を集め、使うとしてもとことん納得して導入することが大切ですね。
ただ、CPUが非力なマシンでも起動はものすごく早いし、シャットダウンもあっという間。ビスタなどのモタモタと比べると天と地の違いです。少しだけさわった印象からすると、98、MeからXPになったときと同じくらいの変更といえるのではないかと思われます。
パソコン雑誌でもよく触れられているとおり、ビジネスでこのOSの使い勝手がいいかどうかは意見の分かれるところ。多分現在の時点では、7のままがいいというのが圧倒的じゃないですかね。

ただし、です。ここからが大事なのですが、もう一つ重要な視点が残っている。それは情報の提供という問題です。
一見してわかるとおり、マイクロソフト・ジャパンと読売・産経グループとの接近が目に余る。ニュースソースはすべてこのグループのものです。スタート画面に現れて、くるくる変わるでかいパネルも、クリックすれば何のことはない見栄えだけは新しいが、中身のない情報ばかり。この傾向は毎日から読売に変わった数年前から加速しているように見受けられます。読売・産経グループが資金力にものを言わせて情報の場を買い取っているのかどうかわかりませんが、きわめて大きな問題だと考えています。普段あまり気がつかないけれど、パソコンという結構普及している電子機器を使って、知らない間に情報操作が行われているというのはいただけません。何とも不愉快で恐ろしい話です。
よって、結論。私としては、どれだけOSが新しくなろうが、どれだけすぐれた技術が投入されようが、ウインドウズ搭載機はメインマシンとはなり得ない。使う場合も心して使うこと。

ここまできて、つくづく思うのです。どんなにパソコンが安くなろうが、結局はOSなしでは動かないわけで、消費者はOSを選べない。圧倒的多数がウィンドウズの構図は変わっていないのです。となれば、これからのパソコンライフは、やはりLINUXしかないではありませんか。LINUX開発者のますますのご健闘を願うものであります。
国産メーカーでも、たとえばEpsonのEndeavorなどのように、このオープンソースのOSを搭載したものが出ていますから、うんと安い中古のマシンにUbuntuを入れて使うのが望ましい。思い立ったら吉日、できるだけ早く実現することにしよう。
余った部品でつくった一台にはそのOSは入っているものの、でかくて使いづらい。やはりノートです。
こうしたパソコンが普及できれば、これこそ弱者の味方。これからのパソコンライフのあり方だと私は考えるのですが、いかがでしょうか。。何々?それも道楽?私はスマホだから関係ない?それならいいけど・・・。



  11月16日(金)    
朝早く、まだ雨の音が聞こえていたような気がしたのに、起きてみるとすっかり晴れ上がり、昼が近づくにつれて最高の小春日和となりました。
今日は歯医者通いの日だったので、松本まで19号線を走りました。ここ1,2日の悪天候で山々は完全に雪化粧をし、梓川越しに見る山々は実に美しかった。

さて、今日も政治の話題。ちょっと辟易としてきましたが・・・。今日のニュースなどのことです。
さて、昨日までの動きをたどってみると、民自公のなれあい談合政治はますます健在。政治の私物化・党利党略はここに極まれりという印象です。どさくさに紛れて都合のいいようにことをすすめる彼らのやり方は暴走としか言いようがなく、民主主義とは縁もゆかりもありません。
民主党からは離党者がどんどん。社民党の阿部さんまで出ちゃった。一方で橋本日本維新の会とみんなの党、石原太陽の党と減税日本がそれぞれ合流というニュースも。これをトップニュースででもあるかのように報道する太鼓持ちTV。「『維新連合』に向かって雪崩をうつ勢い」と思いこまされる視聴者。何なんですかねえ、この世の中のうごめきは。
あ〜この国はどこに向かってすすんでいるのでしょう。

一昨日の信濃毎日は久しぶりに面白い記事を載せていました。
同志社女子大の大嶽秀夫さんと、異色の歴史家、色川大吉さんの二人の話です。題して「『橋下現象』強みと危うさ 政治を見る目 2氏に聞く」。
大嶽さんの方は、橋下徹は石原慎太郎や小泉純一郎に連なる典型的なポピュリストであるとして、その特徴をわかりやすく解説しています。これまでもいろいろな場面で指摘されてきたことですから、これはあまり新味は感じられませんでしたが、一方の色川さんの方はちょっと刺激的でした。

色川さんは、その先駆的なスケールの大きさを感じた坂本龍馬の「船中八策」にくらべ、橋下「維新八策」は先駆的でも何でもなく、むしろ「外見はラジカルのように見えても基本的には『右旋回』です」と喝破しています。そしてさらに次のように続けています。

言葉が歴史上で真に変革性を持つのは、一回きりなのです。明治維新後の歴史を見ると、大正期には「大正維新」を掲げた右翼テロリストが財閥の主を刺殺する事件がありました。これに続くのが、・・・5.15・・2.26・・いわゆる「昭和維新」です。
つまり明治以降の維新という言葉は傷だらけなのです。テロリストのため、軍による政党政治の廃絶のためと、基本的に右旋回のために使われてきた。だから、本当の維新は一回きり。言葉ってそういうものですよ。


歴史学者の「ことば」の重みがあります。
ひるがえって、官僚制の打破を叫び維新大連合を呼号する石原さんの「ことば」を聞いていると、「昭和維新」当時の青年将校気取りの匂いがふんぷんとする。時代錯誤の言動であるだけではなく、オレがオレがという突出した自己顕示欲と露骨な支配欲のかたまりとしか思えませんね。
野田さんがこの時期に解散に踏み切った功績があるとすれば、こうした連中が「野合」としてしか集まれないうちに選挙に持ち込んだということかもしれません。

ぼろぼろに破砕した「保守」という岩の割れ目から噴出してきた有毒ガスのごときこれらの政治家。色川さんは、それらに共通の意識を「統治の発想、支配者の発想」だと指摘し、「上から統治し、早く効率的にやろうとしても実体のないものしか生まれません」と断言。
これに対して、「互いに議論をし、1つの方向性をつくるのが民主主義の条件です。それは私たちが戦争を体験し、長い時間をかけて得た精神的な遺産なのです」と現代史の教訓を語ります。

最近少し人気が下がってきたのは、「何をやるのだろう」という期待が、実際の八策の中身を見て、しぼんだからでしょう。戦前、戦後と何回も揺り戻しを経験し、希望と失望を繰り返すことで国民も鍛えられました。かつてのように「右向け右」で動く国民ではありません。雰囲気で動く人はいても、少しずつ熟練し、自主的判断をする人たちが増えてきました。それが希望です。

この「希望」を託すに足る選挙にできるかどうかが、いよいよ問われるのでしょうね。色川さんにもっといろいろお話を伺いたくなりました。でも私の髪じゃ茶髪にはできないなあ・・・。



  11月15日(木)    
チラチラと雪が舞う寒い1日の始まりでしたが、午後からは雲が消えて晴天に恵まれました。しかし、北アルプスは麓まで雪。昨夜の寒気によって、一気に冬がそこまで降りてきました。




野田首相による「16日解散」の突然の言明で永田町はてんやわんや。
民主党にすれば、落ち込んだ内閣支持率に恐怖心を抱いて何とか先送りしたいという思いが大勢だろうけれど、さりとて自民・公明との談合約束がある。野田さんも、これ以上引き延ばせば「のたれ死に」になるかもしれないと自ら「伝家の宝刀」を抜かざるを得なくなったのでしょう。
自民党は、3年少し前に国民の厳しい審判を受けたことには何の反省もなく、もう一度政権につきたい一心で党利党略の駆け引きに終始。出してくる政策は、旧態依然とした財界・アメリカべったり、しかも改憲を全面に押し出した「戦争国家」への道そのもの。
昨夜のニュースでも、最大の争点は何かと問われて自民も民主もまともには答えられていない。それほど国民生活の実態、被災地の実態、働く人や高齢者の実態から遊離してしまっているのです。
自民党に政権復帰を許すのか、第三極をのばすのかなどは争点でも何でもありません。消費税の前にやることがあるとして「定数削減」の数を競うことでもない。まして、この国の外交がガタガタになっているから、軍事力を強めて対外強行外交ができる国にするかどうかでもありません。
もはや賞味期限の切れた、自民・民主・公明の財界奉仕型、アメリカ追随型の政治を精算できるかどうか、真に国民の願う日本への道筋を切り開けるかどうかが問われる選挙です。

自民か民主か、二大政党制を根付かせるとして大メディアが最大の演出をして登場した民主党政権が、実は自民党と変わりのない集団であったこと、それどころか大所帯にすり寄って集まった野合集団であったことがはっきりした。これが民主党政権になってからの結論です。このあと民主党は壊れていく以外の道はありません。
それでは自民党・公明党が政権復帰したらどうなるのか、過去の経過がその結末を示しているのではないのでしょうか。
3年前と違っているのは、自民党が安部、石破という極右政治家をトップに押し出さざるを得ないほど、国民の実態から遊離してしまっていることです。すでに愛想づかしをされている人たちが、この国の進路を牛耳るほど不幸なことはないでしょう。
政権を託すことができる政党はこの日本にはないのか。私はこれまでも主張してきたように、厳然として存在する。国政でももちろんですが、より地方で、被災地でその真価発揮している庶民の味方の政党があるではないかと考えています。
有権者の声を国会に届ける機能をもつ議員を減らすことが「身を切る」とすり替えて恥じない政党に国政を語る資格はありません。なぜなら、欧米とくらべて決して数が多いわけでもありませんし、何よりも国民の意志を付託する集団を減らそうとするのですから、国民のもっとも大切な参政権の侵害です。
「身を切る」と言う政党が、決して身を削るつもりがないことは、「政党助成金」には手をつけないこと1つをみても明らかです。これに真っ向から批判し、自らも体現している政党はただ1つしかありません。

昨夜、13日に行われた国会予算委員会での共産党志位委員長の質問を録画で見ていました。
NEC、日本IBMなど電機大手の無法な首切りを告発し、政府を追い詰めていく質問は、何年か前の非正規雇用労働者の実態と首切りを取り上げた質問に続いてこの政党の真価を発揮したものです。
これに対して野田首相の答弁は不誠実極まりないものでした。ここに告発された実態こそ、自民・民主・公明の進めてきた大企業優先・奉仕の政治がもたらした帰結なのですが、今に至っても大企業の肩を持たざるを得ない姿は哀れと言うほかありません。

衆議院予算委員会での共産党志位委員長の質問(衆議院録画)
同(YouTube)
同(ニコニコ動画)

政治とは、何も高齢者や子どもを守るという課題だけではない、国民生活と安全にかかわるあらゆる分野でその機能をはたすべきものです。

さて、昨日も書きましたが、民主が自民と変わらないとすれば、そしてその本質を国民が知り始め、政治離れが進んだり共産・社民などの方へ民意が傾いたりすれば、困るのは財界・アメリカの方でしょう。今日「第三極」と言われる野合部隊の果たす役割こそ、その補完なのだと見抜かなければなりません。
官僚制の打破、統治機構の再編、集団的自衛権など勇ましい言動がこれからどんどん飛び出すでしょう。たとえ自民党やそれと連合する集団が政権を取ったとしても、その意味するものが明らかになるのは時間の問題。
この国の人々は、紆余曲折を経ながら、裏切られる体験を積みながら、少しずつ政治的成熟を果たしていくしかないのでしょうか。いやいや、生活と労働の現場から、もっと声をあげましょう。もっと怒りましょうよ!!

なんだか最近、日付が月刊雑誌みたいになってきてしまいましたね。



  11月14日(水)    
橋下日本維新の会の旗揚げに続いて、石原「太陽の党」が発足。石原流「大連合」をぶちあげたことによって、にわかに「第三極」をめぐる議論が喧しくなってきました。
原発に賛成か反対か、TPPに賛成か反対かではなく、アメリカの核の傘のもとでの日米安保を強化する点でも、財界の要求に全面的に従って(その先兵となって)TPPを進めようとする点では大同小異であり、その意味では石原「大連合」の算段には根拠があります。
橋本徹が言うように「僕と石原さんだって個人的にいろいろ話をしながら、近づいてきている」のですから、今日の違いも明日は小異になって「大同団結」するなんてことはいくらでもある。それが現在の国民に根のない小政党の実態です。
だから、「古い極の中の主導権争いにすぎない」という共産党志位委員長のコメントはまさしく本質を正しくいいあてています。

ところで、信濃毎日の中馬主筆が11日付の「考」で、いささか気になることを書いていました。題して「信念か方便かを問う 何のための第三極結成か」。
中馬さんについては、ジャーナリストとしては今では希少価値になるほどの良識の持ち主であると思ってきましたが、その中馬さんにしてどう書いていいかわからないほどの政治状況になっているらしい。だから、「右」からは`憲法病の化石人間`みたいに揶揄されることもある。
しかし、ネットウヨクのみなさんの勇ましい「コトバ」などは気にする必要はないので、何故に右からの政界再編としてのこのような「第三極づくり」がにわかに活況を呈しているのか、それは国民にとってどのような意味をもつのかを「考」えてほしかった。

中馬さんはまず、この新党作りの動きが自治体の首長を中心にすすめられていることに注目し、「自治体の力では限界があるから国政への参画を」というのは信念か方便か」と問います。そして次のように書いています。

そんな先でない総選挙に臨む新党とその卵たちの道は、@拙速の人気取り政策を掲げて戦うか、A政策はそっちのけ、いちばん強そうな新党にまるまる合流するのかのいずれかだろう。そんな第三極に未来があるとは思えない。

中馬さんは、すべて「第三極」づくりは決して無意味ではない、政治に活気をもたらすとして、新党さきがけ、新生党発足時の政治状況を例に説明しているのですが、それと今回の政治状況とどうかかわるかについてはまるで考察がありません。
だから「信念か方便か」などと問うこと自体、いま進んでいる新党づくりの本当のねらい、右派の大連合への思惑を問わない点で、まるで「政治考」にはなっていないのです。
ゆえに、中馬さんの結論は次のようになる。

目先のことにだけ熱中する党は警戒したい。例えば衆院の議員数を240人に減らすなどの極端な政見には飛びつかない。・・・・現実重視とともに明るい未来を語る党を大事にしたい。マニフェストを紙くず化した民主党の責任は重い。国粋的な圧力が高まる今、民主党再生の道は米民主党に似た中道リベラルを軸に据えるしかない。3年前の公約はなお有効だ。

そして、最後に次のように締めくくっています。

共産・社民の護憲政党はあるが、それとは一線を画す護憲・福祉重視のリベラル派は多い。その声を政治の場につなぐ新党を、との声に期待したい。

中馬さんは、結局何をいいたかったのでしょう。ただ現状を憂い、「私のように護憲意識を持った人たちは多いはずだから、そういう人たちを引きつけてくれる政党ができないかなあ」とつぶやいただけなら、どこかのサイトでツイートすればすればいいのです。せめて、「護憲政党にはいっそうの奮起を促したい」とでも書けばまだよかったのに「それとは一線を画す」とは一体なんなんでしょうか。
おそらく、ここから信濃毎日新聞の姿勢も徐々に変わっていくのでしょう。ジャーナリズムの危機は信濃毎日も暗く覆ってきているのでしょうか。

ついでに言えば、この日の第3面ではTPPについて「首相覚悟のTPP推進」という記事を載せ、日本の交渉参加の流れと、「TPP参加で想定される主なメリットとデメリット」という「解説」が掲載されていました。
これは信濃毎日新聞社として読者に提示する「メリット・デメリット」ではありません。メリットは財界・県内の経済団体などの主張、デメリットはJA、医師会などの主張をつなぎ合わせたものに他なりません。だったらそのように表現すればいいのです。いっしょに書くからわけがわからなくなる。
沖縄で言えば、琉球新報や沖縄タイムスがオスプレイの配備について「メリット」は、日本の防衛と抑止力に寄与する、「デメリット」は安全、騒音に不安が残る、などと書くのと大差ありません。アメリカや日本政府は防衛に寄与するというが、県民からすれば百害あって一利なしだと書けば問題がどこにあるのかがわかる。

さて、今日の報道では、「首相年内衆院選の意向」というのですから、年末年始はいよいよ日本の将来をかけた大きな政治の動きで活気づきそう。それぞれの政党の「本性」を見極め、「日本維新大連合」実は「極右大連合」に痛打を浴びせる選挙となるようにしたいものです。



  11月13日(火)    
午後から雲が広がり風が強くなって夕方からは雨がポツポツ。天気予報によると明日は雨で朝方はところによって雪が降るとか。明日明後日は寒い日になりそうです。まだタイヤを替える時期には少し早いとはいえ、用心にこしたことはありません。MNEMOさん、どうか道中十分ご注意を。

マイクロソフト陣営は、Windows8の発売をテコに「新しい時代」をつくろうとしているのでしょうか。この時期にWindows8(アップグレード)を買うと優待版というのがあって半額以下で入手できるのです。いずれどれかにインストールしなければならないだろうと思い、思い切って入手しました。
メインマシンがシャットダウンできなくなるという致命的な不調で悩んでいたため、「思い切ってそれに入れちゃえ」とばかり昨夜遅くにやりはじめたのでした。インストールはあっという間に終わるし、起動もめちゃくちゃ速い。
ところがスタート画面で立ち往生。いろんなドライバやソフトをインストールしようと思えば、コントロールパネルやデバイスマネージャが必要になるし、どの記憶装置に入れるかの指定も必要になる。フォルダなどを探しているだけで時間がたってイライラしっぱなし。この日だけは眠くなって途中で中止してしまいました。
前もって雑誌などを読んではいても、まるでこれまでと勝手が違うので、果たしてマイクロソフトさん、この方法でうまくやっていけるのでしょうか。

大きな問題点は2つ。1つは、古いプリンタのドライバ、無線LANのドライバが8に対応していません。プリンタなどはそもそもウインドウズ8用がない。こうなったらプリンタなども関係のない遊びのドライブに試しに入れて、いろいろ研究するのが正解とわかり、すぐに削除。あらためてもとのWindows7を入れ直すことにしました。
2つめは、アプリケーションの対応状況。ほとんどのソフトは7同様に8でも動くのですが、やはり増設したボード類のドライバやソフトが問題です。

というわけで、今度は同じマシンでまたWindows7の入れ直しです。もっともこれは前々からやろうと思っていたことなので、ちょうどよかった。
入れ直したいと思ったのは、シャットダウンに関わるトラブルが深刻だったからです。突然ブルースクリーンがでたり、フリーズしたりというこれまでなかったような症状が頻発し、これをどう解決するかずっと悩んでいたのです。
シャットダウンができないというのは、シャットダウンの指令にさからって何時までもバックグラウンドで動いている小さなアプリがあることによる、というのが可能性としては一番高い。
当初、キャプチャボードの付属ソフトかと思っていたのですが、どうやら違うみたいで、AnyDVDというDVDコピーソフトがあやしいとわかりました(これもバックグラウンドで動いている)。これを削除してみたところ、今のところ問題がみられなくなりました。ひとまず安心。このまま順調にいってくれれば、デスクトップ用のメインマシンは最高の環境になるのですが・・・。
パソコンが高度になればなるほど、いったんトラブルに巻き込まれると解決が大変です。はじめてパソコンにさわるような人ならなおさら。
今では、パソコンを買って、どう使えばいいかわからずそのまま積んでおいたというケースは希にはなってきているのでしょうが、相当な事前知識を要求するようになっていると思われます。テレビや洗濯機などの家電製品のようにはいかない。
まあ、こうやっていろいろやりながら、誰かからの質問にも何とか答えられる知識を少しずつ蓄えているんですけど・・・。ああ、マック時代がなつかしい。



  11月12日(月)    
先日パソコンを譲りますという記事をかいていたら、さっそく友人からオファーがありました。先日と今日の2回、若い女性がお二人やってきて、商談が成立。一人には富士通のノートを、もう一人はこれまで私が使っていたASUSのミニノートを譲るということになったのです。
知人の奥さんが「モバイルノートがほしいと思っていた」と言ったので、私の心の中は微妙に動き「ひょっとしたら新しいノートを手に入れるチャンスかな?」と考えはじめたというわけです。そう思ったらあとの動きは速かった。

新しくゲットしたモバイルノートは前と同じASUSのミニノート(型落ち)。オークションでアウトレット品が格安で出ていたので即落札したという次第。これから沖縄へ出かけるときなどはこれを持って行こうという算段をしています。
CPUは非力ですが、Windows7機だし、PhotoshopもIllustratorも入れられるし、音楽ファイルはすべてiTunesのファイルにできるので、これまでとは格段に使い勝手がよい。ただし、筐体は安っぽく前とは比べものにならないけれど、そこは安さでガマンしなければならないでしょう。

さて、無事お二人への引き継ぎが終わったと思ったら、次は観光協会のHくんがガイドマスターのホームページ作成について教えてほしいことがあると、作りかけのコンテンツを持ってやってきました。
「教える」というよりは「一緒に考えるという」のが実態なのですが、そこは1日だけの先輩、「わからん」ともいえず、彼が書いたhtmlとcssの問題点ついていっしょにいろいろと試行錯誤し、何とか解決することができました。ホッ。



  11月9日(金)    
最近、といってもかなり前からなのだが、眠りが浅く2、3時間眠ったと思ったら目が覚め、そのまましばらく寝付かれないことがある。目が覚める前には決まって何かしら夢をみている。それもかなり奇想天外・荒唐無稽・支離滅裂なものだ。
もちろんその「夢」とは、政治や教育の場で語られることの多いあの手垢にまみれた「夢」ではなく、文字通りの夢だ。しかもその中には若い日々に関わりを得た懐かしい友人たちが時と場合に応じて、さまざまな面持ちで現れる。

もちろん、大抵の場合は、誰かに話す間もなくすぐに忘れてしまい、とりたてて問題にすることもないのだが、ときどきはこうした思いがけない脳内の働きの由縁をいささか追跡してみたいという衝動に駆られることもある。目が覚めて寝付かれないのはそうした脳内作用が強いときなのだろう。

その夢とは、過去と現在が逆転し、生者と死者が交錯し、天地の境界も定かではないバーチャルな世界の中で繰り広げられる人間模様なのだ。いやそのようであるらしい。
「らしい」というのは夢という頭の働きの本性に従って、たいてい覚醒すれば汐が引くように消えてしまうからだ。汐の引き際、混沌とした時空の隙間から何かがわずかこぼれ落ちて、目覚めた私の心の中に再び広がって、そうして眠れなくなってしまうのである。

夢とは過去に果たし得なかったことがらの代償行為なのか、はたまた誰にも言えず一人胸のうちに閉じこめてきた思慕・哀切・悔恨の情の表出・変化(へんげ)なのか。
それらが集積しマグマとなって時と所を変えて吹き出した・・・などという大げさで陳腐な比喩はあたらない。なぜなら、たとえば青年時代に心を寄せた人が現れて、「消えないでほしい」と強く念じたとしても、目が覚めたときはすぐにそれらは雲散霧消してしまうからだ。別に夢を見たからどうだというわけでもない。どうということもないが、心のどこかがチクチクとして気になる。それが夢というものなのだろう。

夢の舞台はきまって10代後半から20代、どんなに年を取っても40代。だから古い時代の鮮烈な記憶の痕跡が神経回路を刺激しショートしてさまざまな幻想を生み出しているのかもしれない。
目覚めているときの記憶さえも、時間が相当に前後し、曖昧で、しばしば都合のいいように作り替えられているから、我が夢とうつつの世界はもはや幻聴・幻覚・妄想と大差なくなってしまったこのごろの私。哀しくもあり愛おしくもある。

とまれ、夢は自分自身の過去・現在を照らし出すひとつの指標であることは間違いなく、そろそろ「自分史」をたどって我と我が身の過去を自省してみよという印なのだろう。そう言い聞かせ・・・もう少し眠って、また夢の続きをみよう。

            ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

まあ、たまにこうしたアホらしいことを書いてみたくもなるのです。
I have a dream.・・・キング牧師がワシントン行進で演説したような場合はいいんです。すばらしい。でも、自民党や民主党の政治家連中が、若い人に向かって「夢を持とう」、「夢を語ろう」などというのを聞くと吐き気がする。
そんな夢より、昨日見た夢のことを思ってみた方がいいんじゃない?あなたが見た夢はどんな夢?



  11月8日(木)    
昨夜仕事を終えて帰ってきたMNEMOさんと近くの中華料理店に寄って遅い食事をしました。さすがに10時半ともなると客の入りはほとんどなく、行ったときは我々だけ。深夜までやっていて、しかも良心的でメニューも豊富な料理店とあって外食したいときは重宝します。
4回目の授業ともなれば生徒もさすがに慣れてきたのではないでしょうか。「今日は全員合格した」と生徒の努力を褒めていました。喜びなさいね、諸君。
MNEMOさん、朝早く部屋から何かしゃべる音が聞こえていたから何をしているのかと思ったら、大学新設許認可についての田中文科相の問題を取り上げた国会審議の模様を朝早くから見ていたのでした。「もうめちゃくちゃ、田中文科省はおかしい」と腹立たしげに吐き捨てていました。
私自身はそこまできっちりと見ていたわけではないので、新聞報道くらいしか知識はありませんでしたが、MNEMOさんは違う。ちゃんと国会での審議の録画をつぶさにチェックして評価しているのはさすがでした。

新設の大学を何年もかけて準備してきた当局の職員・関係者はもちろん、受験にそなえて準備をしてきた受験予定者の怒りは当然で、そのことが何をもたらすのかについての想像力もなく、自分の思いだけで突っ走っていく田中文科相のあまりに身勝手な振る舞いは厳しい問責に値します。野田首相の任命責任も問われます。
「雨後の竹の子のように大学が乱立し経営がずさんになっている」とか、「学生の水準が落ちている」などとして許認可制度の見直しに言及した田中さん、まず国がやらなければならないことは、8年前に法人化された国立大学でどんな事態が進行しているのかを調べ、国立大学にふさわしい予算と運営を保障するのが先ではないのでしょうか。

よく晴れた午前中、バラの会の作業に汗を流しました。山々はもちろん麓の穂高・豊科あたりまで見渡せ、空気も澄んで実に気持ちがいい。
今日は新しい仲間が3人手伝いにやってきて、総勢10人で肥料入れや区画整理を行いました。その3人は「お試し」の参加ということになるのでしょうが、若い女性二人を加えてがぜん華やかに。作業も結構はかどって、ガーデン一帯は見違えるようにきれいになりました。
まだ蕾を持っているバラもかなりあり、終わりにはそれぞれバラの花を摘んで持ち帰る姿も。作業のあとはお互いの紹介を含めて、なごやかにおしゃべり会。楽しいひとときでした。
根気強く地道に手入れをしていくことが、人の輪をつなげ、いろんなつながりを生み出していくことが実感される1日となりました。









  11月7日(水)    
反戦平和グループ「リブ・イン・ピース☆9+25」は最近、そのホームページ上でオスプレイの危険性と撤去を求める主張を精力的に展開しています。
注目すべきなのは、米国防省国防分析研究所の元主任分析官レックス・リボロ氏の報告書と、オスプレイ・スキャンダル(オスプレイの欠陥や事故、軍産複合体の黒いもくろみを暴くアメリカのサイト)に掲載された資料を翻訳紹介していること。さらには、9月から10月にかけて4回にわたり「オスプレイ固有の根本的な危険性」を解明していることです。

オスプレイが沖縄に配備されてから、飛行に関する日米合意をあからさまに破る行為が日常的に起こり、沖縄配備以来夜間飛行が常態化、11月6日にも禁止されている午後10時を超え、10時半に普天間基地に戻るという問題が発生しています。
沖縄防衛局は抗議するどころか、「米軍の運用上の所要によるもの」とし、協定違反に当たらないという全く無責任な態度で終始。野田政権もアメリカの言い分を鵜呑みにしてほおかむりをしたままです。何なんでしょうか、このていたらく。これじゃ近隣諸国だけではなく、世界各国から軽蔑のまなざしを浴びてもしかたありません。
琉球新報は10月31日の社説で「『違反ない』発言 悪質な情報操作はやめよ」と書き、さらに11月1日の社説でも次のように「騒音協定抵触 もはや基地閉鎖しかない」と最大級の抗議をせざるを得ない事態になっています。

オスプレイ配備強行に加え、海軍兵による集団女性暴行致傷事件への怒りがうねる中、住民生活をかき乱す深夜の飛行が県民の反発を買っている。米軍の無神経さにはあぜんとする。
オスプレイは連日、ブロックや消火用バケツの宙づり、放水訓練を繰り返し、本島のほぼ全域で住宅密集地上空を飛んでいる。
配備強行に加え、やりたい放題の飛行を繰り返し、米軍は県民に敵視される環境を自らつくっている。身から出たさびというべきで、その全責任は日米両政府にある。


欠陥輸送機の配備のごり押し。沖縄の空を好き勝手に飛び回る軍事植民地状態。日本政府の目に余るアメリカ言いなり。地上での米兵の強姦・傷害沙汰・・・
琉球新報は、さきの主張に加えて、「県民の間から、普天間飛行場への電気・水道の供給停止など、緩やかな実力行使を促す声が出始めている事実は重い」と書いています。かつてないことです。それほどに、もはや後戻りできないほどに県民の怒りが沸騰しているということです。
これを放置しているのは、政党で言えば民主、自民、公明、それにこれらから飛び出した一連の小政党。「日米同盟の強化」を旗印に掲げている限り、沖縄県民の怒り、憤り、要求に何も応えられないことはあまりにも明らか。それらの政党にまだ期待を寄せられるとでもいうのでしょうか。
12月16日という総選挙の日取りが規定の方針であるかのように報じる一部のメディアは、権力の監視という役割は完全に投げ捨て「第三極」がどうなるかしか眼中にない様子。これでは、「本土」上空で日常的にオスプレイが飛び回っても、何も抵抗できないことでしょう。

だとすれば、現実に進行している事実の重みをあらゆる手段を使って広げ、新しい政治の流れを下からつくるしかない。いままさにそのような時代に入っているのだということを私は強調したいし、とりわけ若い世代のみなさんにそのことを語り合ってほしいと心から願います。

ところで、一番はじめの話題にもどりましょう。オスプレイに関わって、いくつか考えておきたいことがあります。
それは、リブ・イン・ピースの資料が説明するように、このオスプレイの危険性が際だっているということだけではありません。何故このように危険な飛行物体が沖縄に配備されたのかという問題です。
第1に、オスプレイは、先の資料で「その存在自体、醜悪な技術的常識となっている」と書かれているように、失敗作であると知りながら動き始めたら止まらない、止められない産軍複合体の「本質」が生み出したものだということです。だから事故があってもそれはすべてパイロットの操縦ミスということにせざるをえないのです。
第2に、オスプレイの配備は中国や北朝鮮などに対する「抑止力」などというものでは決してありません。沖縄がアメリカにとって日本政府の「思いやり」によってきわめて居心地のよい地であるからにすぎないということです。「抑止力」に幻想を持つ人が多すぎます。
第3に、アメリカが日本と沖縄をどのようにあつかっているのかがこのオスプレイの配備でいっそう可視化されたということです。植民地としかみなしていない沖縄での米軍の実態がそれを証明しています。
第4に、オスプレイは「本土の沖縄化」をいっそう進めるテコにされていることです。自衛隊によるオスプレイの保有すら検討されているというニュースがありました。民主、自民、維新の会などによる「集団自衛権の行使」の流れと合わせて考えれば、オスプレイの配備は日本全土の「軍事植民地化」の入り口と同義です。

近い総選挙でのたれ死にするのは民主党だとしても少しもかまわないけれど、同じような勢力が国会で多数を占めるようではどうしようもない。そうではなく、この選挙こそ「日米同盟」強化路線にしがみつく政党に断固たる審判を下すまたとない好機だと、私は声を大きくして訴えたいと思います。



  11月6日(火)    
企業用のIT技術は別として、いま家庭用の主流はPCからタブレットに移ろうとしているように見えます。教育の現場でもタブレットの有用性は様々に検討されているようで、とくに英語教材などのアプリはめざましい。
新しもの好きだった私もさすがに主として「お金」の問題で、むしろ前を向いて後ろに進むという路線に転じて久しくなります。今から5年前のPCなどはほとんど見向きもされなくなりつつある昨今、昔のマシンを掘り起こして使おうとしている私などは、本当にマニア的な存在なのでしょう。
しかし、考えてもみましょう。いくら安くなったからといって、次々と買い換えることができるほど庶民は豊かではありません。むしろ、仕事のためにやむなく買ったり、更新したりせざるをえなくなっているというのが実情ではないのでしょうか。
若い世代はスマホでほとんどすべてを処理できますから、せいぜいPCは仕事で必要なことさえできればいい。勢いPC離れが加速することになります。一頃のパソコンブームは終わり、これからは厳しい選択と淘汰の時代に入っていくように思えます。

タブレット端末の商戦はアップル、グーグル、アマゾンほか何社も入り乱れて凄まじい勢いで展開されている。2,3年前の機種はすでに古くなり、新しい機能と性能を持ったものが次々と生み出され、資源を浪費していく。技術を小出しにすることで、IT企業はもうけを生み出していくというわけです。
ハードの「進歩」だけではありません。ソフトの更新は、無料のアプリをのぞけば、結構高くつきます。

話しは全く変わりますが、アメリカの大統領選のニュースの中で国内の「シェールオイル」のことが紹介され、オバマさんが「我が国は100年は持つ新しい資源を手に入れた」という趣旨のことを発言していました。それを聞きながら私は唖然としましたね。たった100年ですよ、100年。
アメリカにとっては当座をしのぐには格好の資源なのでしょうが、誰も数百年、数千年先の人類のことを考えた提言はしていない。石油もあと数十年掘り続ければなくなる。これを数百年の規模で残そうなどという発想はどこからも出てこない。100年後あたりでは、太陽光など自然エネルギーや人造石油などでなんとでもなるということなのでしょうか。

話しをもとに戻すと、これまで無数に作られたPCなどのハイテク機器の末路は「ゴミ」です。「リサイクル」できるものもあるにはあるでしょうが、リサイクル自体にも莫大なエネルギーを使うわけで、こんなやり方が50年も100年も続くわけがない。そのうち、昔一人一人が机の上にPCなどという機械を持っていたという時代がくるような気がします。
可能な限りシンプルで、音声認識も発達し、クラウド技術を駆使した端末の時代を予測することは簡単です。しかし、ここにもまた落とし穴があって、セキュリティー、個人情報などがどのように守られ、管理されるのかという重大な問題がいよいよ深刻さを増して残ることになります。

何を隠そう、我が家の倉庫にはここ20年くらいにわたるPC関連の「ゴミ」が山積み。全く「資源」には思えません。懐かしさのあまりとっているパソコンは別として、さてこれをどうしましょう。将来は「遺品整理人」の方に処理をおまかせしますかね。



  11月5日(月)    
昨夜は妻の横で布団をかけて子どものように寝ていた飼い猫のハルちゃんが、今日は野生にもどってスズメを得意そうに持ってきました。ずいぶん遠くからわざわざ私たちに見せるためにくわえてきたらしく、アケビの葉もいっしょに持ってきました。
バリバリうまそうに食べてしまうと、またいそいそと外出。まもなく2羽目を持ってきて、今度は家に広げてあった新聞紙の上でまたバリバリ。
新聞の上で食べるようにしつけてあるので、それ以外では食べられないと思っているらしい。それはいいのですが、まわりじゅう羽根だらけ。
いつもは私と同じでぐうたらしているのに、ときどき野生に戻って狩りがしたくなるらしい。獲物を捕ってきたときの顔はギラギラしていますからね。食べ終わると、素知らぬ顔でまた甘え声を出すところは、やっぱり「ネコ」です。

写真<上>羽根だけ残してすべて平らげているハルちゃん。<中>あ〜食べた、食べた。<下>パソコンを枕に一休み。私が仕事をし始めようとすると必ずその前に来て寝そべってしまいます。









  11月4日(日)    
今朝は昨日よりもっと深い霧に覆われ、そのためかマイナス気温までには至らなかったようです。
霧は高台の方から先に晴れてくるため、下の平野部の霧の動きが見えます。北から南にゆっくりと大きな固まりが動いて急速に全体が晴れ渡り、北アルプスもくっきり見えてきます。




よいお天気にもかかわらず、今日はほとんど家から出ないで、うとうと。夕方になってようやく鉢植えを家の中に入れる作業をしただけ。何ともぐうたらな1日でした。なまくら癖が日常になってしまったらしい。

ところで、一台のデスクトップ・パソコンの電源を入れたら、みなれないアイコンが。我が家に勉強に来ている男の子に、タイピングを教えている際に使っているパソコンなのですが、どうやらその子があちこちからタイピング、ゲームソフトをダウンロードしているうちにくっついてきたらしい。
最近、フリーソフトやドライバなどのダウンロードサイトに行くと、セキュリティやレジストリー修復と称するソフトがいつの間にかインストールされるように仕組まれています。
たとえば、ドライバがほしいのに、そのダウンロードボタンよりもっと大きなボタンでパソコンを自動的に調べて必要なドライバをインストールするソフトが先にインストールされるというように。
そんなサイトに関係の無い人は問題ないかも知れないのですが、ゲームソフトなどと一緒にダウンロードされて、ゲームソフトと間違えて知らない間にインストールしていたなどということが起こりえます。
その悪質ソフトの名は「PC Tools Registry Mechanic」(レジストリ メカニック)。オーストラリアのソフトウェア会社PC Toolsが提供してるレジストリクリーナーで、ネットでは「点検商法」というらしく、次のような解説がありました。

この手のソフトは尋常じゃない量のエラーを検出し驚かせ、完全に解消したければ有償版を買うよう誘導してくるだけの悪徳商法的なソフトです。PC Toolsはスパイウェア駆除ツール「Spyware Doctor」(スパイウェアドクター)で不安を過大に煽る販売手法を行って企業価値を高め、ついには米国セキュリティ会社シマンテック(Symantec)に買収されるまでのし上がってきた経緯があります。

詐欺商法まがいの、この手のソフトには十分気をつけましょう。



  11月3日(土)    
このごろ晴れた日の朝は霧がたちこめ、今朝も平野部は霧で覆われていました。朝方には夕べの寒さが幾分 やわらいで、霧が晴れる頃にはすっかりよいお天気にめぐまれました。
今日はガイドマスターが先導して「街中ウオーク」が行われています。私にもわざわざ念を入れたお誘いがあったのですが、夕べ遅くまで仕事をしていたことと、朝の体調が思わしくなかったことから参加を見合わせました。ガイドマスターのみなさん、観光協会のHくん、ごめんなさい。


夜、大町での仕事から帰る頃には、車の窓ガラスが凍り付いていました。しばらくアイドリングして車内を暖めないと発車できません。もうそんな季節になってしまいました。ただ、池田にくると多少寒気は和らいでいるようですから、標高の高い大町では池田より1〜2度低いのでしょうね。
午後から、畑にでて懸案の「落花生」の取り入れをしました。株の周りにスコップを入れて、一株ずつ掘り起こしていくのです。それをにわか作りの乾燥竿にかけてしばらく日干しにしておきます。
実は小さいながらも、まずまずの収穫量になりそうです。天気がよければ、一週間ほど干して実をとり、殻をとってから油でカラッと揚げて完成。早く熱々のピーナッツを食べたいものです。
ある程度の量になれば、沖縄のジーマミドウフを作る予定(妻が)。これもうまくいけば美味です。さらには、お正月用のおせちにも使えますから、いろいろと楽しみが多い作物です。ご期待ください。





  11月2日(金)    
文春11月号は、石原、石破という似たり寄ったりの政治家の文をのせています。この文春の「総力特集」なるものが、「日中文明の衝突 どうすれば勝てるのか」というトンチンカンなもの(ハンチントンを意識したのかどうか)ですから、その程度がわかるというものです。
このうち、石原さんのタイトルは「世界に堂々と理非を問えー『寄らば斬る』の構えでこの国を守りぬく」・・・見出しだけでも勇ましく、この人どの時代からタイムスリップしてきた人かしらと思ってしまいます。
中国を「シナ」としか呼ばないのはレイシストたる証だからそれ以上言わないことにして、この一文に何が書かれているのかを見てみることにします。

まず最初は、中国がいかに「共産党独裁」「覇権主義」「利権への執着」の国であるかを述べ立てるとともに、この中国の増長を招いた責任の一端は歴代の日本政府・外務省の「無知と主権意識の欠如」「(相手の顔色をうかがう)事なかれ主義」にあると憤ってみせます。
理屈では通らない相手が「居丈高に『武力行使も辞さない』と言い募」っているのだから、もし武力で来るなら「毅然と追い払えばいい」と主張します。
さらに、尖閣を「自国の領土」と主張し軍事的な行動さえ辞さないという中国の態度に我が国はどうするのか、と論を立て、「あからさまな日本の主権侵害を許すということがまかり通れば、東アジアの平和も国際秩序もあったものではない」と主張。それに対応するためには、「侍の気概を取り戻さなければならない」と言い切るのです。

「経済にばかり配慮して、領土問題という独立国としてもっとも大事な矜持を失ってはならないと思う。尖閣諸島という小さな島を舞台に繰り広げられている領土争いは、まさに主権をめぐる戦いであり、中国の無法な暴圧に屈しまいという闘いなのだ。

憂国の情押さえがたく「東京都」として尖閣を買うことにしたという経過説明も書かれています(あんたが買ってそこに住めばよかったのに)が、それはどうでもよろしい、その後が面白い。

多くの日本人が考えている以上に、日本の自衛隊の実力は高いのだ。空、海軍をみれば、兵士の装備、練度ともにアメリカに次ぐ強国であることは世界が認めるところだ。特に対潜水艦の戦闘力は世界一と目されている。・・・現在、通常兵器の戦闘で日本がシナに負けることは考えられない。

この人、日中が戦闘状態になったとき、「日本海海戦」くらいで収束し、日本列島が無傷でいられるとでも思っているのかしらと頭を疑います。
石原さんは「日米安保があるじゃないか。それを実効あるものにするには、アメリカの要人が求めるように我が国も血を流す覚悟が必要なのだ」と声を荒らげます。
それにしても、この人よほど戦争がお好きのご様子。そうなれば、真っ先に息子さんたちを戦場に送り出すのでしょうね。「お国のために鴻毛より軽いその一命を捧げよ。靖国で会おう」なんか言ったりして。そんなわけないか。血を流すのはいつも貧しい庶民でしたもんね。
「体当たりで対抗せよ」と題した節では、さらに注目発言が飛び出しています。これはしっかりと記憶にとどめておきましょう。

私の知る限り、自衛隊も海上保安庁も、現場は愛国の士気に満ちている。国のため前線で戦う彼らを支える覚悟をもたない政治家は、一刻も早くその任を降りるべきだ。
さらにシナに対峙する上で、私は、最低限核兵器のシミュレーションが必要だと考える。震災による原発事故もあり、日本人の中に原子力に対するトラウマが甦ってしまった感があるが、日本の高い核技術は今なおシナにとっては大いなる脅威だ。たんにシミュレーションを行うだけでも、強い抑止力としてはたらくはずだ。


とうとうここまできましたか。でも、「シミュレーション」としか言えないところが辛いですね。石原さん。
田中真紀子さんはこうした彼を称して「暴走老人」と形容しましたが言い得て妙。ボーソーというより妄想老人に近いけど。走るならせめて誰もいない海岸で一人で暴走してほしい。巻き添えは金輪際ゴメンです。真紀子さんもボーソーオバサンにならないように気をつけましょう。
ところで、都知事って日本国憲法遵守義務はなかったのでしたっけ(この文を書いた<談話だったかも>ときはまだ知事でした)。憲法遵守義務違反で逮捕・有罪・投獄されてもいいんじゃないかしらと私は思ったりするのです。

「戦争の克服」(集英社新書)のあとがきで、国際法学者の阿部浩己さんは次のように書いています。

実は国際法の観点からいえば、戦争を克服することは、本当はいとも簡単なことである。国際法を守ればよい。ただそれだけだからである。国際法は戦争を認めていない。戦争は違法である。それどころか、国際法は、紛争の原因となりうるさまざまな社会的不正義を各種の条約や制度を通じて除去しようとしている。(中略)
日本の内を見ても世界を見渡しても、ため息のでる風景ばかり広がっているように見えるけれど、それでも、歴史の時間軸を広げれば、暴力による支配を排除しようとする潮流は、多少のぶれやゆり戻しがあるにしても、確実に大きくなってきている。・・・
私たちは知恵を絞り、民衆法廷がその好例であるように、希望に支えられた実践をさらに積み重ねていくべきなのだろう。


阿部さんは、国際法の精神が為政者によって踏みにじられようとしたとき、「市民・民衆は直接行動を起こしてよい。いや起こすべきである。それは市民・民衆の権利であり責務である」とメッセージを送っています。直接行動とは言うまでもなく、選挙での投票、集会、デモ、投書その他あらゆる平和的民主的手法を指します。いままさにそのような時期ではないのでしょうか。

メディアの垂れ流す情報だけに縛られていれば、やすやすと1つの方向に導かれ流されていきます。私たちがよって立つもの、国際法の到達点、それを体現した日本国憲法の立脚点を今一度問い直してみることが必要だと、このごろつくづく思わされています。



  11月1日(木)    
朝MNEMOさんを見送ったあと、私はバラの会の定例作業へ。新しい土地の「開拓」がほぼ終わりに近づき、区画整理を中心に汗を流しました。
冬型の気圧配置になっているせいか、北アルプスに西から山を越えた雲が松川上空で切れて、池田町上空は晴れ。冬型らしいといってもどこか暖かさを感じる1日で、作業をしていると汗が流れます。ただ、風がやたら強く帽子が飛ばされそうになります。
毎週毎週、こつこつと手入れをしながら少しずつ整備していくのですが、何人もでやっていればやはりそれなりに形になってくるものですね。ただ、絶対数が足りないので、1日の作業は本当に微々たるもの、早く実働人数を倍ぐらいにしたいものです。

午後からは、前に入手して中途半端になっていたノートパソコンを、いくつかのパーツとOSを手に入れて、完成をめざして1日ひたすらパソコンに向かっていました。
何とか動かしたいという執念で、終わったのが午後10時。
パソコンは、これまで2,3台の壊れたパーツを買っていたものを集めたFMV-NF75U/V。3台目です。前の2台は付属するリカバリーディスクがあったのですが、今回のものはOSなし。ハードだけではなく、重要なOSを何とかしなければならないので、やむなくネットオークションで古いVISTAを競り落とし、それを使わざるをえませんでした。
足りないパーツやら、メモリーの増設やらCPUのアップグレード、セキュリティソフトの導入などで、これまでで一番高ついてしまった。授業料だと思えばまあガマンできる程度かな(と自ら慰めています)。
富士通のリカバリーディスクではないので、このマシン特有のドライバなどはほとんどなし。従って富士通のサイトからダウンロードしてインストールする手間が余計にかかります。さらに、CPUを替えるととたんに正規品ではないというメッセージが出て、それを消すのにまた一苦労。何度も分解してCPUを取り替えていたら、やたら時間ばかりかかってしまいました。
これは個体差があって、うまくいったと思っても次の起動時にはもうエラー続出。
さらにこのVISTAの問題はアップデートにひどく時間がかかること。SP1、SP3などでそれぞれ1時間くらいかかり、さらに次々と要求されるアップデートや新しいソフトの導入でまた時間が。それだけのことをやっていると、このマシンの隅から隅まで見えてきます。CPUの交換まで含めて筐体をあけてしめるまで約15分という、誰にもまねのできないような早業まで身についちゃいました。

つい、この前パソコン離脱宣言をしたばかりでしたね。新規のパソコンを購入したりはまずありませんけど、今回のような手持ちのパソコンをアップグレードしたり、改造したりということは時々あるかもしれません。でも、もうこれだけやったら満足。ほかのことにもっと時間をつかうべきです。

富士通の5年前のノートパソコンを知ってから約半年。その間、ネットオークションで壊れたものやパーツを限りなく集めて、これまで完成したものは全部で7台。そのうち2台は息子と友人宅に嫁に行き、残ったうち私が一台、妻が一台を常時使用。あと一台はMNEMOさん用にゲストルームにおき、残るは今日完成したものを含め2台。
CPUも非力だし、OSも古いものですが、通常使用には全く問題なし。何しろシンプルで扱いやすいのがよい。最新のピカピカのものより絶対手になじみます。
よほどヘビーな仕事をするなら、ノートでは無理。そのときはデスクトップマシンの出番ということになります。

さて、パソコンの話はこれでおしまい。今日は共産党の志位委員長の代表質問がありました。やはり他の政党の質問とは質が違う。具体的で的を射て迫力もある。とりわけ、電気やIT関連で行われている無法な首切りの告発は共産党しかできない質問です。また消費税、原発、TPP、オスプレイなどに関してはまさしく国民の多数を代表する質問でしたね。
これに対してノダ首相の答弁の貧相なこと。何も答えていないに等しい。それどころか、悪政をいっそう推進するというただそれを表明しただけです。
国民が痛切に望む声を国会に届け、ともに実行する力を持つ政党の本当の姿を、もっと国民の中で広げなければならないですね。今日の志位さんの代表質問(ニコニコ動画で紹介)を聞けば、何がいま問題になっており、どうすべきかが見えてくるのではないでしょうか。




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