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  6月30日(土)    
沖縄であれば、琉球新報も沖縄タイムスも号外を出していち早く報道しているであろう国会周辺での大規模な「大飯原発再稼働反対」の抗議行動。ところが、大新聞といわれる各紙はほとんど無視。ネットでのデジタル版で、申し訳程度に報道しただけです。

毎日.jp
朝日新聞デジタル
毎日.jp
東京新聞

これに対して、TBS Newsでは映像を交えて詳細に報道、好感が持てました。
もちろんネット上では、これについての報道が動画を含めてあふれています。「国会前がすごいことになっている」というのは、参加した人たちの実感でしょうね。書き込みついでに、「どうせTV局は報道しないだろ」「まさにマスゴミだな。良い悪い関係なくこんな大きなデモを一切映さないなんて政府の犬にしかみえないわ」などというものも。
政党機関誌では「しんぶん赤旗」が一面トップで「再稼働ノーだ」「官邸前空前」の大見出し。さすがです。
日本の大メディアの動向を見ていると、ほとんど翼賛体制化し体制に組み込まれた無残な姿しか浮かんできません。住民の関心がどこにあり、どんな運動が地底からわきあがっており、それがどのように進もうとしているのかなどについて、全く感覚を失ってしまっているのですから。それに引きかえ、消費税増税については、早期決断を政府にけしかけ、先導役を果たしているのです。
たぶん、若い人たちはもはやそうした新聞には関心を示さず、ネットでの情報を取捨選択して行動基準を決めてきているのでしょうね。大新聞は、こうした政財界との癒着が自殺行為だということを知るべきなのに、自浄作用すら働かなくなっている。朝日などは、ネットでは有料化。もう誰も読まなくなりますよ。



  6月29日(金)    
ツバメのつがいは夜が明けると同時に雛に食べ物を運び始め、夜までその繰り返し。従って雛たちは明るいうちは食べ通し。そりゃ大きくなりますね。もう体が巣からははみ出すほどで、まもなく巣立ちの練習を始めるのでしょうか。おかげで我が屋の玄関先は糞まみれでひどい状態になっています。体に比例して糞の量も増えるという寸法ですから。
ところで、この巣の中には一羽だけ「のけ者」にされているらしい雛がいて、気がかりでしようがありません。いつも隅っこで口だけ開けている。ほかの図々しいやつよりは体も一回り小さい。狭い巣の中でもこんな生存競争ってあるんですかねえ。不憫です。


昨日の午前中はバラ園で整備作業、午後からは妻と畑に行ってトマトの土寄せをしたり水やりをしたりで一日終わりでした。
バラ園は来週の後半に「バラ祭り」を行うので、やることがいっぱい。ちょっと時期はずれになりますが、それでもまだ結構花を持っているので、それなりに楽しんでもらえるのではないかと思っています。
次は「バラの会」の会報です。市民タイムスさん、宣伝をよろしくお願いします。

バラの会会報 No.13

米国防総省は今日、日本政府に対して「オスプレイを7月下旬に岩国に搬入する」ことを正式に通告しました。これを受けて、森本防衛相が明日から沖縄、山口両県を訪れて、オスプレイの配備を要請するのだという。8月には普天間基地に配備し、10月から本格運用する方針には変わりがないというのだから、恐れ入りました。沖縄の声などはどこ吹く風、国の安全保障にかかわることには地方は口出しするなというわけですから、民主党政権には開いた口がふさがらない。
沖縄では11の市で作る市長会が沖縄県内へのオスプレイの配備に反対する県民集会を開くことを決定、町村会もこれに合流する見通しだといいます。沖縄弁護士会も声明を発表、またもや県民ぐるみのたたかいに発展する様相を見せています。沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したのは今から8年前の2004年8月13日。沖縄ではそのときの恐怖がまだ生々しく残っているのですからなおさら危険きわまりないオスプレイの配備に反対するのは当然でしょう。
6月13日にフロリダで墜落した同機の事故について、毎日.jpの記事は次のように指摘しています。

防衛省は26日、モロッコと米フロリダ州で起きた米軍垂直離着陸輸送機オスプレイの墜落事故について、米国防総省から受けた説明内容を公表した。
両事故とも、プロペラをヘリモードから固定翼モードに転換する途中に発生しており、オスプレイ特有の事故だったことが判明した。フロリダでは低空飛行中に、モロッコでは追い風を受けた際にそれぞれ墜落したという。
調査は継続中で、森本敏防衛相は26日の記者会見で「もう少し地元が納得できる情報が必要だ」と述べ、米側に引き続き情報提供を求める姿勢を強調した。
しかし、米側は機体の安全性に問題はないとして、海兵隊のMV22オスプレイを計画通り7月下旬に米軍岩国基地(山口県岩国市)で試験飛行し、8月中旬までに米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に配備する方針だ。
米側の説明では、今月13日にフロリダで墜落したCV22オスプレイのパイロットは、2572時間以上の飛行経験があるベテランだった。また、CV22の事故率(10万時間当たりの件数)は13.47で、MV22の1.99などと比べて高かった。


Wikipedeiaによれば、CV型は「米空軍向けの特殊作戦型」、MV型は「米海兵隊向けの輸送型」で、CVの方はMVと比べてダントツに事故が多く、試作段階から "Widow Maker"(未亡人製造機)とも呼ばれたそうです。『タイム』誌が2007年10月8日号で、同機を「空飛ぶ恥 (Flying Shame)」と紹介したとも書いてありました。だからといって、海兵隊のMVが安全であると保証されたわけではありません。
この機種の最も大きな欠陥として新聞でも紹介されるのは、「垂直離着陸時のオートローテーション機能(エンジンが停止した緊急時に、空気抵抗を利用しローターを回転させて揚力を得ること)が欠如している」こと。そのため、アメリカ連邦航空局の安全基準を満たしていない航空機なのです。
しかも、毎日の記事のように、ベテランパイロットでさえ「この機種に特有な」重大事故を起こすわけですから、危険性は明々白々なのです。

そしてもう一つ、これまでのヘリに替えてオスプレイを配備するというのですから、全く別機種の配備です。よって「米軍の配置・装備の重要な変更」にあたるため、本来なら「事前協議」の対象となるべきものです。しかし、そんな協議があったはずもなく、日本は全くアメリカの言うがまま、命じられるままです。こんな国が「独立国」であろうはずがない。
もっともこの「事前協議」は初めから国民だましのためのものでしたから、「事前協議」を持ち出すこと自体あまり意味はありませんけど。

このオスプレイが沖縄だけではなく、本土上空を低空で傍若無人に飛び回るルートがすでに示されており、いつどこで重大事故が発生するかわからないというとんでもない事態が迫っています。
長野県も、「御岳山付近から始まり乗鞍岳―槍ケ岳―白馬岳と北上。直角に折れ妙高山、志賀高原から新潟方面へと向かう『ブルー』と名付けられたルート」にあたるため、県知事は国に情報提供を求めていくのだとか。


ある知事のように、「軍事上、国家安全保障上の問題だから」黙認するなどということがあってはなりません。
オスプレイも、消費税も、原発も、TPPも、すべていらない。毅然として国民の利益にたつ勢力を強く大きくすることがこれほど求められている時代はないといえます。
「国民の利益にたつ勢力」とは、政党レベルでは民主党でないことだけは確か。すでに国民からノーを突きつけられた自民党でも公明党でもありません。「維新の会」?ご冗談でしょう。



  6月26日(火)    
選挙結果は、現職が700票あまりの差をつけて当選。新人の松沢周三さんの当選をめざして活動してきた私としては大変残念な結果でしたが、結果はそれとして厳粛に受け止めなければなりません。今後選挙総括をしっかりやって、これからの町政に臨む必要があるでしょう。

ちょっと不調だった我がパソコンが、ここ2、3日シャットダウンができなくなり、結局昨日午後からOSの再インストールに取り組んでいました。OSだけではなく、さまざまなソフトも入れなければならず、ほとんど一日がかり。ずっとパソコンとにらめっこしていたせいか、今朝早くから頭痛が激しくなり、薬を飲んで午前中ずっと寝ていました。今朝は検診が予定されていたのに行かずじまい。
昼頃まで寝ていたおかげで症状もなくなって、午後からはバラ園にでかけ、信濃毎日新聞と大糸タイムス社の取材を受けました。
来週の後半に「バラ祭り」を行うのでその事前宣伝が目的です。バラはちょっとピークを過ぎた感じがありますが、四季咲きですからまだきれいな花を咲かせているバラも多く、何本かを記者のみなさんにもプレゼントしました。明日か、あさってには記事を載せてくれるでしょう。明日は市民タイムス社の取材も受けることになっています。
いま、ガーデンを拡張するために隣の土地を整備中。友人のMさんが重機を使って整地をしてくれています。どこまでバラ園を広げることができるかはまだ未定ですが、これからメンバーはじめボランティアのみなさんの力もかけて、楽しめるバラ園にできればと考えています。



さて、国会では「消費税増税法案」(消費税増税法案をはじめとする社会保障と税の一体改革関連法案)の採決が行われ可決されました。

8法案のうち、記名投票となった社会保障制度改革推進法案は賛成378票、反対84票、認定子ども園法案は賛成377票、反対85票、消費増税を含む税制抜本改革法案は賛成363票、反対96票で可決された。
NHKによると、消費増税を含む税制抜本改革法案への民主党内からの反対は57票あった。鳩山由紀夫元首相は採決後、「この数字は重い数字だ。執行部は真剣に考えないといけない」と語った。
衆議院の会派別所属議員数は、民主党・無所属クラブ289、自由民主党・無所属の会120、公明党21、共産党9、新党きづな9、社会民主党・市民連合6、みんなの党5、国民新党33、新党大地・真民主3、たちあがれ日本2、無所属12、欠員1。
(以上ロイター)

この法案ではもっぱら民主党小沢グループの票がどうなるかが関心のマトでしたが、結局57人が反対、17人が欠席、棄権。
おもしろいのはK党の態度。そのホームページでは「福祉ビジョンが前進した」と自画自賛しています。「社会保障改革を置き去りにした増税先行は許さない」ために3党協議に加わり、合意でそれが実現できたというのですが、果たしてそうなのでしょうか。
まず、この党は「自公政権時代、毎年1兆円程度増えていく社会保障費の安定的な財源を確保するため、消費税を含む税制の抜本改革が必要だと判断」したという基本的な立場にあることを確認しておきましょう。その上で、次の主張を見てみることにします。

今回、政府が法案を出している当面の年金改革と子育て支援を除くほかの社会保障改革を置き去りにしたまま、消費増税だけを求める政府・民主党の増税先行を 阻止するため、消費税率引き上げは、具体的な社会保障制度改革を検討していく「社会保障制度改革国民会議」の結論を得ることを条件として法案に盛り込むこ とになりました。社会保障改革が決まらない限り、消費増税ができない仕組みとしたのです。(「一体改革3党合意」より)

民主党内でも矛盾が激化し、「国民への約束を守る」ために消費税増税法案に反対する議員が続出したというのに、この党の独りよがりはいったい何なんでしょう。
この党の言い分を検討するには、この「会議」を設置することをきめた法案「社会保障制度改革推進法案」にもどってそれがどのような内容なのかを検討しなければなりますまい。
まず、この法案が、社会保障制度の「基本的な考え方」として、冒頭で次のように述べていることに最大の注意が必要です。

1 自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと。

私はこの「考え方」を含む法案こそ、日本の社会保障制度を根幹から突き崩し、骨抜きにしていく転換点となるのではないかと考えています。
中央社会保障推進協議会の相野谷事務局長の次の言葉に耳を傾けてみましょう。

重大なのは、「国民」の「自立した生活」を家族や国民相互の「助け合い」によって支援することが社会保障の基本だと定めていることです。
これは社会保障ではありません。社会保障とは、憲法25条が規定するように、国の責任ですべての国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を実現するためのものです。
「自助」と「助け合い=共助」で成り立っているのは、民間の医療保険や生命保険です。これでは、民間保険のような仕組みが社会保障だということになり、国がやるのはそうした仕組みの運営だとなりかねません。
(しんぶん赤旗、6/25)

記事のすべてを紹介できればいいのですが、これだけでもこの法案の位置がわかります。年金にしろ、介護にしろ、医療にしろ、支払いの度合い(支払い能力)に応じて受益できるものという考え方です。
これは、国際的な到達点とどこがどのように異なるのか。相野谷さんは、「能力に応じて負担し必要に応じて給付する」というのが国際的に到達した社会保障の原則であり、社会保障の給付は受益ではなく権利だというとらえ方こそが世界人権宣言などの理念であると指摘しています。このことは、今日の日本において、強調してもしすぎることはありません。
消費税増税をてこに、社会保障を変質、解体させる法案を作って恥じない自公民。歴史の審判はどのように下るのでしょうか。それを許さぬたたかいにかかっていることだけははっきりしています。

世界人権宣言

第二十二条
すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ、国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する。

第二十五条
すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、保障を受ける権利を有する。
母と子とは、特別の保護及び援助を受ける権利を有する。すべての児童は、嫡出であると否とを問わず、同じ社会的保護を受ける。




  6月23日(土)    
お昼頃沖縄の義兄から梅雨が明けたというEメールがありました。「今日は慰霊の日です。24万余の鎮魂の日です」とも。
沖縄戦から67年目が過ぎた摩文仁、「平和の礎」がならぶ平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が県と県議会の主催で開かれました。野田さんも参列。
琉球新報、沖縄タイムスはいずれも特集号の号外を発行して、この様子を伝えています。本土のメディアとの温度差はもはや救いようがないほどに。

沖縄タイムス 号外
琉球新報 号外
平和祈念資料館では「第22回 児童・生徒の平和メッセージ展」の審査結果が発表され、今日から展示がはじまっているとのこと。どちらの新聞も高校の「詩部門」で最優秀に選ばれた金城美奈さん(首里校3年)の「礎に思いを重ねて」を紹介しています。式典では彼女自身がこの詩を読み上げたと書かれていました。


この式典に参列した野田首相は次のように述べたそうです。
「私たちは常に問い返さなければなりません。沖縄の皆様の抱く思いを全ての日本人が分かち合おうとする格別の努力をしてきているだろうか、と」
普天間基地の県内たらいまわし、オスプレイの配備に抗議するどころか、そのお先棒を担いでいながら、平気でこのように言う。彼の「言葉の軽さ、空しさ」は中学・高校生に教えるにはよい例にはなっても、沖縄県民には苦々しさだけが後味悪く残るうつろな言葉です。

この日は奇しくも、1960年改訂された安保条約が発効した日です。70年に自動延長期間に入ってから、常に日本国憲法の上に君臨して「祖国復帰」=「安保体制下への日本への隷属」を果たした沖縄県民を苦しめ続けたのです。

いま沖縄でさえ強制集団死への軍の関与の否定、戦時性奴隷(従軍慰安婦の否定といった逆流が強まっていることに、琉球新報は今日の社説で警鐘を鳴らしていました。
ウエブ上では、「慰安婦は完全な商行為、高額を受け取っていた」という類いの「証言」があふれています。この論理でいけば、戦前の特高警察による虐殺さえ、当時の「治安維持法」では問題ではなかったということにされるのでしょう。いやいや「拷問、虐殺などなかった、誰も見ていないのだから」というのは、プロパガンダではあっても、歴史学には耐えられるものではありません。なにゆえ、こうした右翼的な論調がはびこって消えないのか。靖国、特高、天皇制、財閥・・・戦前から受け継がれてきた右翼的ナショナリズムの情念が、いま今日の時代閉塞の深まりの中で根を広げ、増殖してきていることを感じざるをえません。
戦後、営々と積み重ねられた歴史の証言に真摯に向き合い、聞き耳をたて、歴史学の成果を受け止め、被害と加害の実相を見据えることこそが、今日の日を迎えた沖縄県民と心を通わせるせめてもの前提ではないかと私は思います。



  6月22日(金)    
町長選挙の運動期間もあと明日一日を残すだけ。市民タイムスも大糸タイムスも、まだ態度を決めていない有権者が4割近くおり、残る期間によってどうなるかわからないという見通しを示していました。
市民タイムスで注目されたのは右の表。有権者が望む政策順位です。
2つまで回答可としたアンケートで1位は、これは予想通りの「保険福祉」。続いて、現在の町の現状を反映してだろう「街中再生」と「若者定住化」。
これに続いて「産業振興」、「町づくりの進め方(町民参加など)」。「環境」や「防災」はむしろ最下位に近い。町の停滞感、街中の寂れ方への不安、高齢化の急速な進行への危機感といったものが、防災以上に町民の関心になっていることを示しているのでしょう。
しかし、これもいつどのようにアンケートをとるかによって変化しうるものですから、いくぶん相対的な面があります。たとえば、かなり大きい地震や豪雨災害などが直前にあれば、当然「防災」が前面にでてくるでしょう。とはいえ、全体としてこれからの町づくりの課題への関心をみる上では、注目すべき数字であることは間違いない。

さて、このアンケートを踏まえ、あらためて我が町政研究会の「町づくりビジョン2012」を見てみると、まさにこの課題にふさわしい1つの方向を指し示していると、私には思えます。

ダイジェスト版 表
ダイジェスト版 裏

ビジョンは、体系的な「町づくりのデザイン」とそれを実際に実行に移していくときの「重点施策」を示しています。街中再生も若者定住化も独立した課題であると同時に、これからの町の将来像の一部としてしっかり位置づけられていることにお気づきでしょう。選挙結果がどうあれ、それぞれの候補がかかげる課題と重なるところが多いわけですから、真剣に議論を重ねていかなければなりません。
その際、行政が一定の方向を示すことは当然必要ですが、規定の方針として上からそれを押しつけたり、町民からの意見の集約をなおざりにしたりすれば、百年の計を誤ることになる。知恵は行政だけにあるわけではありません。町民の意見、専門家の意見、それらを議論し合う場、練り上げる場が是非とも必要です。「町づくりビジョン2012」は、それも含めて問題提起しているのです。
選挙結果にかかわらず、7月1日(日)には福祉会館でこの提言を下敷きとした「町政フォーラム2012」を開催します。多くの皆さんの参加を期待しています。





  6月21日(木)    
玄関真上に作られたツバメの巣。ちょっと油断しているすきに、断り無く巣の建築工事が始まって、結局押し切られてしまったのでした。
今日ようやく4羽か5羽のヒナが確認できました。昨日まで静かだったのに、いきなりピーピーがはじまりびっくり。見上げると黄色いくちばしが並んで可愛い。親鳥が交互にえさを頻繁に運んできていました。まもなく巣からはみ出るほどに成長するのでしょう。


おかげで玄関先は糞だらけ。ヒナたちはおしりを巣の外に向けて糞をする(しつけが行き届いている)ので、急速に糞の量が増えていきます。我が家にいらっしゃる方はどうぞ気をつけてくださいね。

昨日昼に、食事のためにある喫茶店に行きました。そこにはいろいろ本が並べてあるのですが、その中になつかしい本を一冊見つけ、無理を言って譲ってもらうことができました。吉野源三郎さんの名著「君たちはどう生きるか」(新潮社)の単行本です。奥付をみると昭和44年12月15日発行の9刷版。箱入りでほとんど黄ばみもなくとても美しい本でした。思い切って店主に譲ってもらえないかと切り出してみたら、快く「持っていっていいよ」。いや〜ありがたかったです。感謝感激。


読み返してみると、日中戦争が激しくなる直前に書かれたものとは思えないほど新鮮な響きがあります。主人公のコペル君の思考は、現在の中学1,2年からはとても考えられないほどハイレベルなんですね。多少背伸びして、主人公に思いを託したことはあったにせよ、かつての中学生たちのレベルは私の経験からしても高かったように思われます。なかなか大人びていた中学生が多かった。これが戦争中の著作だと考えればなおさら感慨深いものがあります。
生活環境は劇的に変わり、子どもたちの遊びの内容も形態も全く変わってしまった以上、こうした読み物がどれほど受け入れられるかは不明ですが、数十年前の子どもたちに向けて書かれたこの著作の現代的な意味は、ある意味ではとても大きいのではないかと思われます。それは、単に当時の様子を知るというだけではなく、思考の筋道を自然や社会のいろいろな側面と具体的に関連づけて考えるという教育が行いにくくなっている現状から言ってもなおさらそうです。

私がこの本に出会ったのは、たぶん教師になって数年してからだったのではないかと思います。岩波文庫版で読んだような気がしていますが・・・数十年前ですから結構忘れているものですね。現代でも、子どもたちの心の動きに寄り添ってうまく導けば、この種の読み物であってもしっくりと受け入れられるのではないかと思います。もちろんそれには相当な準備がいるとは思いますが・・・。

今のようにテレビ、パソコン、スマートフォン、ゲーム機など一切ない私の少年時代の楽しみは、スポーツ、工作、読書くらいでした。以前も書いたことがあったかもしれませんが、私の父母は少年少女向けの本をシリーズで買ってきてはただおいてあるだけ。読めとも読むなとも言わない。説明もしない。それでも私は、結構読んだ方だったのでしょう。小学生のときは主に童話。中学に入ってからはSF。
高校生になってからは、いろいろなものをめちゃくちゃに(結構偏って)読んでいたような気がします。中でも忘れがたいのは、木下順二の「夕鶴」。心の原風景を形成してくれた戯曲だったですね。
友人から勧められて読んだ「三国志」も心に暴風雨を巻き起こした。

中学で最も印象的だったのは、中学3年生のときに担任が昼食時に読んでくれた新田次郎の「風の中の瞳」。淡い恋心と揺れ動く中学生の心理をよくつかんで書かれており、私にとって忘れがたい記念碑的な小説になっています。(「中学3年コース」に連載した「季節風」に加筆し、題名を変えて出版)
奥付には「南部中3年5組 27番」と書いて自分の名前を記入してありました。
昭和33年発行、34年の第5刷版。ちなみに260円です。後に講談社文庫から出版されましたが、現在は絶版で中古品を1000円程度で入手できます。初版本は、ヤフオクで2000円前後で一冊出ていました。
おそらくいま初めて読めばどうということもない, ある意味では他愛のない話で読み過ごすかもしれない物語も、我が身に起こっている「事件」や、心の葛藤、悩みとぴったりと重なったとき、どれほどそれが心にしみこむものなのかを中学3年生である私は教えられたのでした。それ以降も、何冊も心にしみいる本とであうことになりますが、結局それはレディネス(求め、受け入れる心の準備)の問題だったんだなと思われます。
著者の新田次郎さんは、この本の「あとがき」で面白いことを書いています。次の一節です。

連載していくうちに、読者から多数の投書をもらった。主として、この小説に出てくる群像のひとりを、読者が自分自身に擬しての共鳴や感想だった。号を追うに従って、投書の数は増した。わたしは、読者がこの小説を異常な興味をもって読んでくれていることを確信した。、


蛇足ですが藤原正彦さん、お父上の爪の垢でも煎じて飲んでほしいもん(ほしかった)ですね。

それはさておき、童話であれ少年少女向けの本であれ、まずそこにあるということが大事。大人が、押しつけでは無く何らかの導きをしてやりさえすれば、必ず子どもたちはアクションを起こすはずです。もちろん時代に合い、青少年の気分をよくとらえたものであることが必要ですけど。
大人たちはどのような本を子どもたちに希望として贈るのでしょうか。現代の子どもたちは、数十年後にどんな本を自身の成長を投影した本として紹介するのでしょうね。

これは一遍の小説であるとともに、わたし自身の、現在の中学生に対する希望を描いたものである。



  6月20日(水)    
台風一過、まだアルプス側に雲があるものの、真夏の青空がひろがって暑くなる予感。朝早く外を見ると、有明山をまたいで大きな虹がかかっていました。


昨日から今日にかけて、民主党は「3党修正合意」を党内で強引にまとめ、国会の大幅延長を見込んで早期に衆院可決に持ち込む見込みであることがニュースになりました。この顛末は、選挙公約の最後の一つまで投げ捨てても自公に限りなくすりより一体化していく、民主党の解体過程そのものであるように見えます。
このまま選挙を行えば、沖縄での県議選と同じく大幅に議席を減らすことは明々白々。こうなれば、財界の意向に忠実に正面突破をはかるしかない、もし民主党分裂となっても自公との大連立をはかる手もあるというのが彼らなりのもくろみなのかもしれません。
消費税10%を許せばどうなるか、単に逆累進制が高い貧困層に過酷な悪税であるというだけにとどまりません。法人税の大幅な減収、消費の冷えこみなどによって国の税収は消費税5%の時以上に落ち込み、財政の危機的状況はいよいよ深まる。売り上げにかかる税ですから、赤字でも容赦なくとられ、さりとて価格に転嫁することもできない。いっそうの格差拡大の引き金になることでしょう。
ここで生まれる財源を社会保障にまわすなどというまやかしも明白になっているのですから、同時に医療、年金その他の社会保障の劣悪化と連動していきます。

自公政権が自滅の道をたどったように、民主党もまた国民のいのちや暮らしをないがしろにすることによって、自公以上に早く自滅せざるを得ません。
おそらく、そうなった場合、政党の組み合わせで国民の目を欺く歴史的ないく年かが無駄に過ぎ去るのかもしれません。無数の苦しみや嘆きも、解決の道をさまたげられて、さまよい続けることになるのでしょうか。
自公、民主などの既成政党では解決しえない問題を一挙に解決するかのような幻想を振りまく大阪方面の首長も、次第に本質が知られ、焦りの色を濃くしているのか自治体職員の懲戒免職規定をちらつかせ、やりたい放題。そんなときは、次の動画でも見て、ちょっと気をまぎらわしましょう。いやいや、怒りを燃やしましょう。







  6月19日(火)    
台風が接近し、梅雨前線が活発に活動しはじめて、朝から雨模様。いよいよ町長選挙告示日になりました。わずか5日間の勝負ですから、あっという間ですね。
今朝またある地区に、今度は先日報道されたある議員のブログ問題をとりあげた文書が一部地域で投げ込まれていましたから、なんだかこの選挙、いやな雰囲気です。

さて、昨日の続きです。
旧サポートセンター運営協議会のメンバーの何人かで相談し、昨日のチラシの発行責任者である中村氏に、経過を知らせるとともに質問をする文書を提出することにしました。この文書は報道関係にも知らせるので、いわば公開質問状となります。

旧センターの委員長名での提出とし、内容は以下の通りです。

経過と質問について(その1)
経過と質問について(その2)

こうした動きを選挙での「泥仕合」的に見る向きもあるかもしれませんが、これは選挙とは何ら関係のないことで、サポートセンター設立の協議に関わった当事者として事実に反することを全町民向けに垂れ流していることへの正当な反論です。事実は事実として正しく町民に知ってもらわなければなりませんから。
ただ、お金がありませんので、これを新聞折り込みにしたりはできません。もし、これをお読みの方で賛同される方がいらっしゃったら、ぜひリンクをしたりダウンロードして周りの方々に真実を知らせていただきたいと思います。

さて、昨日書いたことに加えて一つ重大な内容を落としていましたので、それを今日は付け加えておきます。むしろ今日書く内容の方が本質的かもしれません。

まず、一昨年6月の定例議会の委員会質疑および一般質問から見ていきましょう。
ちょうどこの時期は、サポートセンターの役場内プロジェクト会議が発足し、役場としての方向性が一定程度固まってきた時期にあたります。とくに、議員の質問に対する教育長の答弁に注意していただきたいと思います。なお、このときの議事録は町のホームページから見ることができます。以下は一般質問での桂川議員(当時)の質問と町の答弁です。

(桂川議員)現在、来年4月の開設を目指し、どのようなコンセプトでどのような手法で組織づくりが進められているのか、進行状況をお聞かせください。

(教育長)コンセプトは、町民すべての生きがいづくりということであります。・・・サポートセンターでやろうとしていることは、まず町民の皆さんが何かをやりたいという自主性を大切にして、センターではその実現に向けてお手伝いをするという町民目線に立っているのだということを御理解をいただきたいと思います。
次に、組織についてであります。・・・まず、これまでの検討結果を形にするための町民活動サポートセンター設立プロジェクト会議を立ち上げました。ここでは、サポートセンターの役割、スケジュール、広報活動を検討しております。構成員は、社協、町づくり推進課、町ボランティア活動連絡会の会長さん、それから教育課と、アドバイザーに松本大学の白戸教授をお願いをし、合計で12名であります。 そして、秋までには運営協議会を立ち上げる予定です。運営協議会は、公募、有識者、各種団体関係者、また年代等を考慮しながら組織したいと考えております。この会議は、サポートセンターの運営を町民参加により開かれた自主的なものにすることがねらいであります。そして、何をどのように事業を進めていくのかということを具体的に決定する場にしたいと考えております。また、将来的にはサポートセンターを支えるボランティアを募集し、NPO化の方向に進めばと考えております。

(桂川議員)次に、具体的に市民活動にどのような支援を行っていくかですが、大町市では現在・・・ 打ち合わせ、事務作業のための交流スペース、掲示板、パンフレットスタンドの提供、コピー機、印刷機の実費使用、パソコン、プロジェクター、ビデオ等の貸与を行うそうです。池田町は具体的な内容はまだ決まっていないとは思いますが、こういった支援の具体的なアイデアがあったらお聞かせ願いたいと思います。

(教育長)サポートセンターの役割は、あくまでも「つなぐ」までであります。・・・開所日につきましては、土日や時間延長について今後業務を精査しながら、運営協議会の中で相談をしていきたいと考えます。
また、だれでも気軽に談話ができるフリースペースについても、公民館がよいのか、あるいは他の公共施設がよいのか、またコピー機のコイン方式や来館者用の机とパソコンの設置等も現在検討をしております。現在は公民館の部屋をパネルで仕切ってサポートセンターとして相談体制を整えていますので、またぜひ御来場いただき、御提案をいただければと考えております。


ここで長く引用したのは、庁内でのプロジェクト会議(チーム)の検討を経て、町がこれだけのことを議会で公式に表明しているということです。人、金、物について明確に方向を語っていますね。
当然、ここに出席している町長はこのプロジェクトの最高責任者であり、その承認なしにこのような表明はできるはずもありません。
9月に発足した運営協議会に先立つ庁内のプロジェクトチームではこれに基づいていろいろ試算や会場についての議論が行われ、運営協議会でも当然のこととして、それらを指針として方向性を話し合ってきたのです。

ところが、12月議会では一転して態度を翻します。それを明確に物語るのが次の町長答弁です。

町民活動サポートセンターのあるべき姿は、まず、場所ありきではなくて、また金ありきではなくて人ありきではなくて情報だけだと思います。

これ以外のことは、山本久子議員、桂川哲三議員(いずれも当時)との一般質問でのやりとりで詳細が語り尽くされていますので、ここでは再現はしません。
12月までに明らかになったことは、自らの言動にいささかの反省もなく、町民の善意、町づくりへの意思をもてあそんで恥じない姿だけ。
「良識を大切にする会」などという名称を恥ずかしげもなくつけて、彼らの言動を擁護しようとするこの文書の筆者もまた同罪だということは明らかでしょう。




  6月18日(月)    
またまたサポートセンターについて書くことになろうとは思ってもいませんでした。というのは、今朝、新聞折り込みで「歴史ある池田町を時代とともに」と題するA4のチラシが配布されたからです。
町づくりについて意見を述べるのは自由です。しかしここには、驚くことに何の脈絡もなく「町民活動サポートセンター運営委員会解散の経緯」(以下「経緯」と略記)という文章が掲載されているではありませんか。
ほとんどの家庭に折り込みで配られているわけですから、あらためて紹介するまでもありませんが、念のため全文をコピーでお示ししておきましょう。記録にもなりますし。(大きな画像がリンクされています)


私が問題にするのはこのチラシ後段の「サポートセンターの経緯」の部分だけです。
私は「池田町の良識を大切にする会」というのは初めて聞きましたし、その責任者の中村氏については全く面識がありませんから、どのような意図でこのような書き方をしたのか知るよしもありません。
したがって、私がいまから書くことの中にはこれを公開した中村氏に対する公開質問状的な意味合いもあることをお含みいただきたい。ちなみに、中村氏はサポートセンター運営協議会とは一切関係がありません。

中村氏にお聞きしたいのは次の点です。

第1に、サポートセンターの第1回から第5および最終回の資料と協議記録をすべてお読みになったかどうか。
第2に、それに先だって庁内で数度にわたって行われたプロジェクトチームでの協議内容を把握されたのかどうか。
第3に当事者である運営協議会のメンバー(事務局を含む)に直接面談し事実経過を把握されたのかどうか。
第4に、何ゆえこの時期にこのような意味不明、事実誤認の文書を配布されたか。
第5に、以下に私が述べる事実経過を読んだ上での見解をお聞きしたい。ただし憶測・伝聞によるものは不可。引用文書、発言者などを明示すること。


この中で書かれているコーディネーターが誰であるかはあまりにも明らかだし、この文書をこの時期にこのような形で発表する意図は明瞭でしょう。そのことを前提として、私はこの文書に書かれている内容がすべて事実に反するか、または意図的にゆがめられているということを明らかにしたいと思います。「池田町の良識」とはこれほどまでにお粗末で恥ずかしいものなのかが明らかになるはずです。
ともあれ、中村氏は経過を知りうる立場にはありませんから、どこかから聞いたと考えるほかはありません。
さらに、コーディネーターがすべての責任を負い、すべてを取り仕切っているかのような書き方をしていることに注意しましょう。これは運営協議会(教育長含む)が協議の主体であり、コーディネーター、事務局はあくまでコーディネートするだけの役割であることを全く無視しています。つまり、中村氏は運営協議会のなんたるかを全く理解せずにこれを発表したということになります。
次に、タイトルの「町民活動サポートセンター運営委員会解散の経緯」という字句に注目しましょう。さらにその文中の「運営委員会は無期限休止、ないし解散とする文書を提出。やむなく解散」というところにも注目です。
文中に指摘された「文書」は確かに存在します。これは議会に対して「運営協議会」側の立場を説明するために12月16日に作成された「素案」であり、正式文書ではありません。なぜ「注目」を促したかというと、この文書では間違って「運営委員会」と書いています。正式には「運営協議会」です。この文書の最後に「総括」として次の文章が出てきます。もう一度書きますが、これは総括(案)です。全部紹介しておきます。

1.町長の考える「小さく産んで大きく育てる」「形のないものに予算はつけない」「ボランティアは無償で熱意である」などの発言は町長公約のボランティアバンクの域を出ず、町民主体の自主性を理念とする委員会(注:協議会のこと)で協議してきたサポートセンターとは全く異なることが明らかになった。
2.サポートセンター構想実現の基本部分に町の協力が得られない以上、実現は不可能であり、今後の検討は無意味である。
3.委員各位の熱意、真摯な取組みを多としながら、現運営委員会は無期限休止ないし解散とし、今後は委員各自の信念に基づく選択をお願いする。


中村氏は、なんらかの方法でこの文書を手に入れ、その一部を書き写したと考えられます。おもしろいことに上の「間違い」も含めて、そっくりそのまま無批判に書き写してしまいました。
この素案で言おうとしていることは、第5回運営協議会で「ゼロ予算」という町長の方針が明らかにされてから、一連の経過を議会(議長、副議長)に対して説明をするために作成し、このままでは運営協議会は役割を果たすことができないと訴えたものだということです。

さて、この「経緯」筆者が主張しようとしているのは、一見してわかるように、「コーディネーターが町当局が考えてもいない『途方もない』金銭要求をつきつけ、それが町長に受け入れないとみるや、辞表を提出した」と描き出していることです。ここに、この筆者の経過に関する「無知」、「思い込み」が凝縮されているのです。
これから述べるように、事実はまるで正反対です。このように白を黒といいくるめる手法は、間違いなく謀略的手段であり、町民を欺く行為でり、さらにはコーディネーターに対する中傷、名誉毀損であると私は断じます。

それでは私が関わった限りにおいて、サポートセンターにかかわる経過を簡単に見ていくことにしましょう。

第1。運営協議会に先立つ役場内のプロジェクトチームで場所、予算を含むおおよその方向付けが行われていた。委嘱され私も参加した10月からの運営協議会の協議の根拠はここにある

次は10月12日夜の第2回運営協議会で委員に配布された文書のうちの一部です。

4ページ サポートセンター準備室活動状況
5ページ なぜ、今町民活動サポートセンターか。
6ページ 続き
7ページ サポートセンター施設経費概算
8ページ サポートセンター場所選定要件チェックリスト
9ページ 続き

すべてはこれで明瞭でしょう。役場内の組織が事前に方向付けをしていたのです!!中村氏はこの事実を知っていたのでしょうか。
後日の協議会では、事務当局から「プロジェクト会議の会合に資料として提供されたが役場としての合意事項ではなかった」という説明がありましたが、そうだとすれば、役場としての杜撰さが明らかになっただけで、こうした資料が教育長同席のもとで第2回運営協議会で提出されたことが重要なのです。
つまり私たち運営委員の方向付けをするに十分だと言うことです。このように協議が行われていたのならば、「この方向を受けてよりよい方向を検討すればよい」というベクトルを受け取ったのですから。事実あとの第3回、第4回とそのように協議が進められたのでした。
プロジェクト会議での概算でも、開設予算は1千万円を超えていました。ですから、コーディネーターが要求したかのように書いている先の「経緯」筆者の誤りは明白です。誤りというより、全く事実を正反対に描いていることもおわかりでしょう。私が「謀略」という所以です。

第2。コーディネーターは事務局の一員であり、運営協議会を超えて独断で要求したり交渉したりすることはあり得ない。

この点も「経緯」の筆者の思いも及ばないことであり、いかに一知半解でこの文書を書いたかがうかがわれます。コーディネーターの辞任は当然自己責任ですが、「人、金、物」の確認、要望はあくまでそれまでの運営協議会の協議結果を受けての行動であり、言い換えればコーディネーターは運営協議会の意向を受けて行動したに過ぎません。繰り返すようですが、この協議会には教育長も常に参加し発言もし、事務局である教育委員会職員も参加していたことを付け加えておきます。
サポートセンターを新設するのであれば、プロジェクト会議で点数化されたように福祉会館が最もよいこと、もし公民館におくならばそれなりのスペースが必要であること。初期立ち上げには、それなりの事務機器などの費用が必要であり、中心となる人の人件費も必要となる。それらを第5回運営協議会で町長に質したというのが本当の経過でした。それ以上でも以下でもありません。
「650万円金を出せ、さもなければもうやっていられない」と町長に迫ったかのように描いているこの「経過」は、「白を黒といいくるめる」たぐいの典型例としか言いようがありません。誰かに言いくるめられて、そのように信じてしまったのでしょうか。

第3。町長は第4回運営協議会終了時点まで過去の事実経過を知らされていなかった。予算付けについて「寝耳に水」と発言した時点で、役場内の機能麻痺が明瞭となった。

第4回運営協議会以降、運営協議会の正副委員長、コーディネーターが委員会の意向を受けて、町長に「3点の確認」(前述)を行います。この時点に及んで、町長は「ボランティアでやる以上予算などはじめから予定していない」といいはじめたため、第5回協議会で直接説明するように求めたのです。
第5回協議会で町長は次のように発言しました。

・500万円はとても出せない。公民館を使ってゼロに近くしてもらいたい。町の財政状況についてやや好転の傾向と、美術館の累積損と松川村との比較の説明などから、財政健全化に向けて気を緩められない状況の理解を。
・形もないのにこういった予算を要求されても駄目である。サポートセンターの主旨は消防と同じように、相当程度ボランティアな考え方が原点。一番大事なことだ。
・運営委員の費用弁済は考えるが、それ以外はボランティアで考えており、日常対応は費用のことは考えていない。準備室に職員がかかわっていながらこの要求はどうしたことか。


これらについて、私は次のように町長に質しました。

6月の準備室の発足から9月の運営委員(協議)会までの間も未だ場所や必要経費についての庁内(担当課)合意は無かったということか。だとすれば4回までの間に担当事務局長として、事務局が場所や経費について分科会で話を進める提案に(なぜ)異議を言わなかったか。

これに対する教育長、町長の答弁は次の通り。

(教育長)場所についてはこの前の打ち合わせ(第4回運営協議会のこと)で、皆で協議してほしいと打ち合わせのときにしている。前からそういう話は出ていたのでまず場所について正式に良い悪いとの確認をとるように事務局に指示した。

(町長)町民の砦である公民館をよりグレードアップするには、場所としては当初から公民館が最適であると認識していたので、先日のそれ以外の場所の話を教育長から聞いて驚いた。


結局、町長が事務局である教育委員会から協議経過の全容を聞かされたのは第4回以降であり、これまでの発言から推測するに事前の庁内プロジェクトの内容すら知らなかったと推測されます。さもなけば「寝耳に水だった」とか「はじめて聞いた」などという発言は出てきようがありませんから。
町長にしてみれば、第4回運営協議会後に予算も場所も初めて聞かされるわけですから、それは「金よこせ」という気持ちになったとしても不思議はありません。しかし、です。それを伝えなかった責任は教育長にあるのであって、運営協議会やコーディネーターには一切ありません。庁内での相互の連絡調整機能が働いていなかったことを示すだけです。
「経緯」の筆者はここでも事実関係には目をつぶり、はしなくも町長と同じ立場に立って文章を書いたことを露呈しています。

第4。町長が、ゼロ予算、公民館でやることを考えていたのなら、はじめから事務局にその旨を指示し、その方針でやっていれば、何も問題はおこらなかった。

町長の考える程度のものであれば、庁内プロジェクトだとか運営協議会だとかという大げさなことは必要ありません。公民館の片隅で現在やっているサポートセンターがその見本ですから(現在のコーディネーターへの批判ではありません)。ともかく、はじめに方針を明確にすべきだったことは明らかです。
これだけの規模で、一年以上かけて進めてきた以上は、そこにはそれだけの意気込みがあると感じるのは当然でしょう。その意気込みに冷や水をかけたのが誰あろう現町長でした。「ゼロ予算」を聞かされて「寝耳に水」だったのは我々運営協議会委員の方です。それゆけ、1月の説明会で「白紙に戻す」ことを町長が言明した時点で、公募委員は辞表を提出したのでした。
「経緯」筆者は、現在のサポートセンターが活発に活動中であることを強調しています。それはそれで歓迎すべきことでしょうが、一つだけいえることは、もし旧メンバーが活動していれば、この程度の規模ではおさまらなかったことは確実だということ。なぜなら、町民活動を支えているグループの責任者や代表者が総結集していたのでですから。このことも「経緯」筆者の思いも及ばない点ではありましょうが。

第5。コーディネーターは、サポートセンターが文字通り町民活動活性化の拠点となり、町民の自主的な活動が活発に促進されることを願って粉骨砕身努力を重ねてきたのであり、運営協議会メンバーも同様の気持ちで無償で会議に出席し、協議を続けてきた。

私が最も強調したいのはこの点に尽きます。
町長は、すべて予算や施設問題に矮小化し、活動をボランティア=ゼロ予算に矮小化し、必要な初期投資さえ認めない態度で一貫していました。第5回協議会に出席した町長、教育長の答弁から、机一つと電話一本あれば済むような話を聞かされ幻滅を感じたのは私だけではなかったでしょう。
協議の経過はすべて記録されていますから、メンバーがいかに熱心に池田町の町民活動を盛り上げたいと願っていたかを感じ取ってもらえるはずです。その中心となってみんなをとりまとめていたのがMコーディネーターだったことを最後にのべて、当事者としての経過報告および「経緯」筆者への反論(相手は論文ではありませんけど)とします。

歴史をゆがめるものは、時代とともに潰え去る。



  6月16日(土)    
朝から梅雨の雨。6時頃目がさめて外を見てもハルちゃんが帰ってきている気配がない。ところが、戸を閉めてもう一眠りと思っていたら、突然外で「ニャーン」という大きな声。3日ぶりのハルちゃんのご帰還でした。
雨にもさほど濡れていないところを見ると、どこかで避難していたものか、雨が降ってきたから帰ってきたのか。全くネコの習性はわかりません。午後からは疲れが出たのか、ごろごろして食っちゃ寝の状態でした。心配かけやがって。
沖縄の方言ではネコのことを何というのかと妻に聞くと、「マヤー、子猫はマヤー小(グヮ)」だと教えてくれた。そういえば、「何とかマヤー」というガマがありましたっけね。ちなみに犬は「イン」。
沖縄にはサルはいないので、ヤマトで言う「犬猿の仲」を沖縄では「インとマヤー」という。私と妻の生まれ年はサルとイヌなので気にしていたのですが、ちょっとはホッとしましたね。私がイヌ年でハルちゃんはネコですから、二人の仲がホントの「インとマヤー」。ときどきケンカするのはそのせいか。


福島県知事が官邸を訪れて大飯原発の再稼働を伝えたのとのニュースが午後7時にありました。「関西の皆さまの生活と産業の安定に資するため同意する決意をお伝えしたい」というのがその理由。
3.11以来ずっと思ってきたことですが、原発事故の当事者である東電と原発を推進してきた政府の刑事責任はなぜ問われないのでしょうか。避難にあたって、誤った情報のために放射能を浴びたり、生活基盤を根こそぎ奪われたわけですから、その罪はきわめて重いものがあるはずです。
もし大飯原発の直下にある活断層が動いて重大事故を引き起こしたとしたら、誰が責任をとるのでしょう。「国民」は「認識が甘かった」とそう懺悔するのでしょうか。「生活を守るためにはやむを得なかった」と開き直るのでしょうか。
まだ解明しなければならないことや、不安材料がたくさんあるにもかかわらず、”そうした指摘を受けながら”大飯原発の運転再開に同意を与え、かつそれを推し進めた政府は福島での事故以上に責任を負う必要がある。今度は「想定外」ではすまされません。その覚悟をもって再起動したと私は理解します。
そしてもう一つ、現在の原発政策を推進している民主党政権を生み出した責任が有権者に多かれ少なかれあるということです。
民主党がそこまでやるとは思わなかった、というのが大方の見方なのかもしれません。私が言いたいのは今からでも遅くない。もし、原発の不安を感じ、今回のやりかたに憤りを感じるならば、決して「原発容認勢力」を国会に送り出してはならないのです。
今日参加した食健連主催の講演会で、講師の笹渡義夫さんは「JA全中の萬歳会長は、『TPP推進派は絶対に国会に送らない』と断言していた」と紹介していました。だとすれば、国会に送らない議員の対象は自公民であることはまちがいない。そこまでの決意があるかどうかは別として、そうした選択が問われるときが刻々と近づいていることだけは間違いありません。

今日の大糸タイムス一面に、池田町のある議員のブログでの記載内容をめぐって松川村にも波紋がひろがり、松川村村長からも「池田町議会に対して釈明を求める」との報道がありました。
新聞報道でのブログの表現を見る限り、憶測・伝聞の域を出るものではなく、公人として不適切であることは明瞭です。この点に限って言えば、本人が不適切な表現であったことを詫び、議長同席の上で松川村村長、議長に対して事実経過をのべて謝罪するべきでしょう。
私自身は、給食センター建て替え問題については、その間の経過を知りうるわけもありませんから一度も関連した記事を書いたことはありませんでした。仮にあったとしても、経過については誰にとっても明瞭な「事実」から出発するというのが大原則。それでもなお憶測を呼ぶような書き方はつつしまなければなりません。

私自身のこの日記のコーナーは、他人からアクセスしたりリンクしたりできないのでいわゆるブログではありませんが、それに近い形態をとっています。それゆけ、誰かを批判したりコメントを書くときは、たとえ私のような私人であったとしても「事実と節度」が大事だろうと思っています。時には強い調子で揶揄したりからかったりすることは当然ありうることです。その場合でも「事実」からそれるわけにはいかない。
もちろん、さまざまな事象について当事者である場合はほとんどなく、知りうる「情報」に基づいて記事を書くことが必要になる場合があります。その場合でも資料やその引用箇所、出典を明確にすることは大事なことです。
しかしまた、一面次のようなことも考えておく必要がある。事実に反することや誹謗中傷、デマのたぐいは論外として、政策や施策に対して批判や要望、激励などは批判する方にとってもされる方にとっても必要であり有益なことです。むしろ活発に言論活動が行われることは民主的な社会の成熟度を示す一つの指標でさえあります。
今回のような行き過ぎたブログ記事を理由に、その他の言論活動を自粛したり、必要なことに触れなかったりすることもまた間違いだということです。批判は批判として大いにやるべきです。もし、仮に、しっかり調べてもなお事実に反することがあればいさぎよく詫び、訂正し、より高いレベルでの議論に発展させればいいのです。
私のように、身の回りのことばかりではなく政治に関していろいろ書く人間は、見方によれば「煙たい」存在ですが、沈黙が支配する町であったりイエスマンだけの町だったりすれば、そこはもはや生き生きとした人間の住む町ではなくなるでしょう。私としては、そのように自覚しつつこの日々のできごとに臨んでいるつもりです。

ジャーナリストの前田哲男さんが著書「フクシマと沖縄」で、若いときに読んだ本の一節を紹介しているところがあります。「読み手を動かすには、自分から動くしかない」「論を立てる前に動かなければならない」と言う彼のジャーナリストとしての原点をなす言葉ですから、本来軽々しく引用するわけにはいかないのですが、とりわけ今日書いたこととも関係するので、読者のみなさんとも共有したいと思いました。

即時であれ、未知の、そして不定の未来においてであれ、結果として、行動にならないかぎり、伝達はない。新しい行動にみちびかない伝達は伝達ではない。(ノーマン・メイラー「ぼく自身のための広告」<新潮社>)

・・・・このように私は、語ることにおいて、状況を変えようという私の企図そのものを通じて、状況を暴露するのだ。(サルトル「文学とは何か」)




  6月15日(金)    
ハルちゃんが家出してから2日目。いったいどこに行ったのでしょう。4、5年前3日間家をあけて心配したことがありましたが、そのときは何もなかったような顔をして帰ってきました。それ以来ずっと私や妻にべったりでしたから、ちょっと嫌気がさしたんですかねえ。いなけりゃいないで心配になる親心。

野田民主党の”暴走”が止まらない。加速さえしている。
たとえば、野田首相が次のように言ったと仮定しましょう。
「国政を預かる者として人々の暮らしを守るという責務を放棄するわけにはいかない。国民的な議論を行いながら、原発を再稼働させず8月をめどにこの夏を乗り切る方策に全力を傾注する。よって大飯原発3.4号機の再稼働は行わない」
この前半は、大飯原発再稼働への理由付けの言葉そのまま。後半はそんなことを言うわけもないのだけれど、もし言ったとすれば国民は大喝采まちがいなしの台詞です。それだけで支持率は20〜30%上がったのにと思います。

大飯原発には、報道されているだけでも、次のような問題があります。

@「フィルター付きベント」設置が3年先。
A事故の際の対応拠点となる免震事務棟の設置も3年先
B防波堤のかさ上げが来年度まで完成しない
C住民の避難体制などの防災対策は未検討
D断層などの影響は分析途中
E福井県の原子力安全専門委員会の委員12人中6人が「原子力産業協会」の会員企業から6年間で計1810万円の寄付を受け取っていた。

最後の寄付の件は「しんぶん赤旗」のスクープですが、政府のいう「安全」とは、こんな程度のものです。
昨日のテレビでは、福島県おおい町の町長が昨日原発再稼働に同意する様子を映し出していました。今日の信濃毎日によると、その理由は次のようなものだそうです。

@野田首相が8日の記者会見で国民に原発の必要性を訴えた
A「県原子力安全専門委員会」が大飯原発の安全性を確認した
B町議会がすでに再稼働容認の決断をした
C政府が再稼働時の「特別な安全監視体制」を打ち出した
D消費地に対する電力供給責任

上の問題点と照らし合わせると、これらの理由が全く理由になっていないことがわかります。それでも再稼働したいというのは、もはや原発マネー以外に考えられないではありませんか。もっとはっきり言ったらいいのですよ。「このまま原発が廃炉になるようなことになれば、おおい町は成り立たない。財政破綻です」。その方がよほど大飯原発の持つ意味を浮き彫りにしたでしょうに。
原発マネーは時間がたてばたつほど少なくなるようになっている。だから、立地自治体は次の原発をほしがる。原発立地自治体が原発から手を切るには、この原発マネーからの依存構造を断ち切らないないのです。昨年の大震災で危機一髪だった女川原発すらいまだに原発反対を公然と主張できるのは高野さん、阿部さんら共産党議員しかいないという実態。原発ファミリーがどれほど深く立地自治体に浸透しているか、それは当地でないとわからないでしょう。原発でしか生きていけない構造になっているのです。この点を考えずにただやみくもに町長を批判してみたところで何もすすまない。これを変えるのが国政というものなのです。
野田内閣の罪深さは、おおい町の判断に対して「さまざまな批判がある中の判断に心から敬意を表したい」というもの。まったく噴飯ものです。

続いて、消費税増税問題といいたいのですが、これはもうどうしようもない。原発もそうですが、どの政党がどのような主張をし、どのように行動しているか、目を見開くべき時だというだけにしましょう。

オスプレイがアメリカで墜落しましたね。事故原因はわからないとされていますが、そのうち「事故原因は配備に影響をあたえるものではない」などというアメリカ政府の発表を無批判に受け入れて普天間基地への配備を強行するというのでしょう。実際、今年4月のモロッコでの事故では「期待に不具合はない」とされているのですから。機体に問題がなければパイロットの操縦ミスか天候状況ということになる。それでも墜落は墜落。わずか2ヶ月の間に2度も墜落してるんですからね。

昨日の信濃毎日は、防衛庁省が沖縄県に対して、米側が作成したオスプレイの低空飛行訓練の訓練ルートを提出したと報じました。見てギョギョです。これだと我が家の上も低空飛行するんですかね。
何故に日本の民間住宅地の上を低空飛行訓練しなければならないのか。おそらく戦場と見立てての飛行になるのでしょう。日本政府はアメリカの言うままに飛行を認めようとしていたはず。その矢先の事故でした。
今日の琉球新報は「墜落機が所属する部隊の司令官は14日、現地で記者会見し『オスプレイの機体の基本設計に欠陥を疑う理由はなく、同機を使った訓練をやめる考えはない』と表明した」と報じています。そう言わないと重大な支障がおきますからね。
このオスプレイの事故について「米海兵隊が作成した環境審査(レビュー)書で事故率を低く見せる操作が行われていた」とも報じられています。
普天間基地への配備の前に岩国基地へ運んで試験飛行をするとしていますが、岩国基地自体がオスプレイ基地にされることは自明であり、さらに沖縄全土にわたってこの機体が飛びまわることになっています。


翁長那覇市長は、沖縄への配備をやめなければ「県民大会」をひらくよう協議を開始すると明言、またもや沖縄県民ぐるみの配備反対のたたかいにひろがる様相をみせています。沖縄県内各紙も満身の怒りを表明。
オスプレイ配備に対する政府、防衛省の対応は普天間基地と同様ですから、のだれ死にしたくないのなら、もうこんな政権は1日も早く退陣してもらわなければなりません。
写真上は信濃毎日新聞(6/14)、下はしんぶん赤旗(6/14)より。

5月27日付けの信濃毎日新聞に載った中馬さんの「なぜ沖縄の心は冷えたか」(考179)は、現在の沖縄の置かれている状況と、「本土」の側の関わり方について重い問題提起をしています。
中馬さんは次のように書いています。

基地もオスプレイも「沖縄だから放置されている」と沖縄の人たちは思い、心をえぐられ続けている。もし沖縄の人たちが独立運動を起こしたらどうするのか。私たちは中国の人権活動家への支援やミャンマー民主化のリーダーを支援したと同様に、本土は沖縄独立を祝福するのか。この数年、沖縄の心は明らかに変わった。絶望感を通り越してもはや謝絶感、もういいよ、という感じ。
沖縄の心を溶かすためにも私たちは基地を引き受けるか、基地ゼロをめざす覚悟を決め、本気で実現へうごく。見て見ぬふりはもうできない。

オスプレイが日本のあちこちで低空飛行をすれば、いつ墜落するかと抗議は高まるだろう。沖縄だから許されるわけでは絶対にありません。オスプレイをひとつの切り口にして、この国のアメリカべったり政治を根底から突き崩す必要があると思います。



  6月14日(木)    
飼い猫のハルちゃんが深夜になっても帰ってこない。ひょっとしたら家のどこかで寝ているのかなと思って探しまくってもいない。いつもなら、妻の布団の上で大の字になって寝ているのだけれど、今日に限って夜遊び?もうあしび?常日頃と違うことが起こると、いやいや、やっぱり心配になるんですね。何か事故でもあったのではないかとか、川に落ちたんじゃないかとか・・・まちがいなく家族の一員ですね。

町長選挙についてローカル紙がいろいろ書いています。切り取って読み比べてみるとなかなかおもしろい。しかし、そこはやはりローカル紙。いいところを突いている指摘もあれば、いささか表面的な見方だと思われるところも。それも、どちらの陣営に味方するというわけにはいかないので、等距離で書くことの限界だろうと思います。

ローカル紙が書かないことの一つに、現町長の政策の急変問題があります。
3月議会である議員が「長寿祝い金」の支給の抜本的な拡充(たとえば90歳50万円、100歳100万円)を行うべきだと質問しました=現行は、平成23年度から100歳のみ2万円支給です。あまりにもみみっちいではないかという質問だったのですが、これに対して町長はどう答えたか。
「お気持ちはわかりますが、・・・高齢化の中では相当お年寄りがおられる中では財政負担も厳しいものですから、お年寄りにはご理解いただいて、次の世代の若い皆さんを育てるほうへ予算配分を・・・」というもの。
続いて、「18歳までの医療費無料化」。これもある議員が実現を迫りました。町長の答弁はどうだったか。
「現状としては効果が期待できない・・・現状での給付を上げるということについては考えておりません」「基本的には財政的に余裕があれば私も今返事したい気持ちはあります。しかしながら、中学校までの医療費が平成24年度の見積もりで5640万円(町費負担3790万円)・・・それだけの財政負担をしておるわけですし・・・」というもの。
「在宅介護者への介護慰労金」はどうか。
「池田町は町民の皆さんとも十分検討があった上で廃止になったということで・・・過去の状況がそういうことですのでご理解いただきたい」、要するに施設などに預けて介護の苦労を軽減することのほうがよいというものでした。

ところが、さきごろ後援会名の現職のチラシではこれらがすべて盛り込まれ、それ以外にも公民館の建て替えを中心とする町中再生プランやワイナリーの建設といった3〜5年の「夢構想」が発表されたのでした。構想自体は問題とするものではなく、それが適切な手続きと町民参加によって十分に検討されれば、町づくりにとってはプラスの政策になり得るものでしょう。これは先に書いたとおりです。
では、先に指摘したいくつかの政策の財源はどうなるのか。これについては、先日の6月議会で町長が自ら「一定の積み立てができたこと」をその最も大きな理由としてあげたのでした。
確かにチラシでも次のように書かれています。その部分だけコピーで見てみることにします。


これで見る限り、ずいぶん貯めたように見えます。ところが先日基金積み立ての経過を示したように平成22年度には特定目的(施設建設など)の積み立てが3億数千万円積まれていますから、自由裁量の積み立てはほとんど増えていません。
これで財政的に余裕ができたというならば、3億円程度しか財政調整基金を積まずに18歳までの医療費無料化にいち早く取り組んだ松川村などはいったいどう考えたらいいのでしょうか。
こうした政策は、どれだけ貯金がありどれだけ取り崩せるかではなく、子どものいのちをどう町として守るかという姿勢の問題であり、一般財源の使い方の問題だということです。
政治的な信頼、政策への信頼というのは、厳しい財政事情でも何とか町民の医療・福祉を守ろうという政治姿勢によってこそ築かれるものなのではないでしょうか。

今日ある人から「近所の女性が、現町長は貯金を殖やしたから絶対次も」と言っていたと聞きました。「思い込みというのは大変なもので、反論したかったけれどその勢いに押されてしまった」とつぶやいていました。もしその人が「事実」を知ったらどう答えるのでしょう。
貯金を増やすのは悪いことではありません。むしろ大切なことですね。しかし、貯金というのはただ貯めるものではなく、自治体である以上、特定の目的をもって貯めるのが普通。何かあったときのための財政調整基金はせいぜい3〜5億円あればいいのです。
町民に事実を正しく伝えることができないで、どうして町民本位の政治ができるのでしょうね。今回の選挙をめぐって、私自身いろいろ考えさせられています。



  6月13日(水)    
我がメインマシンを先日組み立てたWindows7機に換えようと、バックアップ用のHDDを付け替えたり、ホームページのコンテンツを丸ごと移動したりして、ようやく移動完了しました。ところが、先のマシンと共有設定がうまくいかず、当分はデータのやりとりに不便がのこります。というのも、IllustratorやPhotoshopのバージョンが前のマシンとではかなり違うので、まだ前のマシンが必要な場面がたくさんあるからです。でも、そのうちそれもだんだんなくなるのでしょう。
前のXPマシンの環境はハードの入れ替えは別としてもうかれこれ10年になりますから、よく使った方。いまではMacはまるで遠い昔の話になってしまいました。お金さえあれば、両方の環境でいろいろやりたいこともあるのだけれど、年金暮らしとなってはもはや夢。最後のマシンとなった7機も、あとしばらくかもしれません。希望としては早くUbuntuマシンだけにしたいのですが、バラの会の会報をつくったり、ホームページの更新をしたりするためにはどうしても手放せないという事情があって、ここしばらくは現在の状態がつづきます。

さて、今日は、町政研究会の会合を久しぶりに持ち、前に発表した「町政ビジョン2012」の冊子の普及状況を確認し、さらにそのダイジェスト版の検討を行いました。前に印刷した冊子200冊はほぼ完売。さらに100部を増刷して現在鋭意普及中です。
7月1日には「町政フォーラム2012」を行い、この政策提言をもとに自由な討論を行おうと準備しています。現在の選挙とは関係なく、どの陣営が新しい町のトップになろうが、町作りの理念や方向、具体的な政策課題などについては議論を深めなければならないわけで、各分野からたくさんの方々に集まっていただこうと相談しました。
民間レベルで町の財政の分析を行い、それを土台に我が町の将来のあり方を提言したのはおそらく初めてでしょうから、その意味でも7月1日の「フォーラム」は意義深いものがあります。
私たちの提言のうち、街中再生プランについては現職の町長サイドがかなり似た政策を提案しており、その意味でもどのようにそれを実行に移していくのかを議論する意味は大きい。また、新人候補の場合も、町民参加でお互いに「支え合う」町作りをすすめようと提案しているわけですから、この「ビジョン2012」とかみ合う部分は多いのです。
「ダイジェスト版」は現在カラー版だけですが、今後白黒版で作成し、できるだけ多くの町民のみなさんに見ていただこうとも話しあいました。今日会合で確認したものをここにとりあえずお示しして、皆さんからのご意見をぜひお寄せいただきたいと思います。
なお、この「ダイジェスト版」は、A3裏表で、二つ折りの体裁になります。表右が1ページ(表紙)、表左が4ページになります。
また、写真については、ほとんどが私自身が撮ったものですが、一部の顔のわかる人物写真は購入したもので、リーフレットとして無料配布する限りにおいては問題ありません。

町政ビジョン2012 表面
町政ビジョン2012 裏面



  6月9日(土)    
梅雨入り宣言となった今日、朝からずっとシトシト雨。人間には鬱陶しい雨ですが、稲や野菜などの農作物にとっては成長を促す恵みの雨ということになるのでしょう。庭のトマトやキュウリは実に生き生きとしています。苗を大きくしている最中のオクラも多分数日でしっかり定植できるようになるはず。

NHKスペシャル「メガクエイク」は見所満載の興味深いものでした。第3回となる今夜の番組は、東北沖地震で日本列島が東に引っ張られ、その影響が火山、活断層、他地域の地震に影響を与えていることをCGを使ってわかりやすく解説していました。ただ、番組中のドラマはいささか鬱陶しく、その分もう少し電離層や深海での前兆現象の問題を深くメスを入れて欲しかった。
番組では関東で地下の地震が多発している地域として北関東、銚子沖、東京湾南の3箇所をあげていました。埼玉県南西部から東京多摩地域に延びる「立川断層」が、さらに新宿あたりまで伸びている可能性や、今まで知られていなかった関東方面の断層についても詳細に報道、関東直下型地震への備えを強調していました。
気になるのは富士山の噴火。これまで太平洋を取り巻くいくつかの地域のM9レベルの地震の後には例外なく大規模な火山活動があったことをあげ、富士山噴火への備えもまた必要であることを伝えていました。

こんな番組があると、つい忘れている地震への備えを改めてしておくべきだと思わされます。また、地域での防災のあり方に真剣に取り組まなくてはと感じます。我が家を見回すと、倒壊するほどの家具はありませんが、棚から食器や小物が落ちてくる危険は一杯。
これまでの小さい地震では、まず構えて収まるのを待つのですが、突然巨大な揺れが来たときはどうするか、そのシミュレーションは全くできていません。そこから始めないとマズイですね。

今日、何人もの地域の人たちと選挙の話をしていて、松沢さんが現職に肉薄してきていることを感じました。とはいえ、まだまだ明らかにしなければならないことや、現職からのトンデモ・デマなどいくつかの特徴も明らかになっています。
第1は、争点が見えないという印象を持ち、いささか戸惑っているというもの。私は、最後は「人柄、資質しかないんじゃないですか。大町の人たちが現職をどのように見ているのか、松川の人がどのように見ているのか、もっと敏感であるべきではないでしょうかね」と訴えています。
その上で、争点がないように見えるけれど、実は町の借金の問題や将来ビジョンについては問題だらけだと、チラシをもとに話をすると結構乗ってきて話をしてくれます。
第2は、年配の女性からの話。「松沢の後ろには共産党がついているって言うよ」という例のデマ。「本気で信じてる?この面々を見て共産党だといったら共産党がビックリしますよ。んなわけないでしょ。そう言ったら怖がってこっちに票が来ると思っているからそんなバカみたいなことを言っているのよ」と言います。その方は、返す刀で現職の大町での振る舞いを笑っていましたから、どっちに転ぶのか。
第3は、「失政がないのに一期で辞めさせるのはかわいそうだ」論。これは意外と年配の女性に強い。これに追い打ちをかけるのが「同級生なのに」というもの。失政どころか「借金減らした、貯金増やした」と本気で信じているらしい。
幸い私が話をした町周辺部ではほとんど見られません。町中心部の方が強いかもしれません。これは、打ち破るのは極めてむずかしいですね。失政を失政と感じない、理解できないことの方が本当は大きいのですが。
たとえば、4年前、町長に就任直後に問責決議が議会で通った例の「税金滞納問題」も今では完全に忘れ去られている。議会や広域連合の集まりでの「居眠り」問題も飲酒問題も、「為にする非難」「池田の恥を外に出すな」ですり替えられていく。サポートセンター問題も、ハーブセンター民間丸投げ問題も、とくに失政などとは見られていない。というより実態が知られていない。こうしたことを詳しく解明するなどというのは実は大変難しいことなのです。
3.11大震災のとき、町と町民ネットがどのように被災地支援に取り組んだかをかいつまんで話した方が、より説得力のある話になるケースがありました。この間の経過は一年半前の私の日記に詳しいのでここで書こうとは思いませんが、私にとっては「人間の命を守る」という防災の原点が2人の評価の基準ですから、その差は歴然。もし池田で大震災があったときは現職では何もできないだろうとそのとき感じましたものね。その点、ネットワークの行動力と粘り強さ、人のつながりの広さ、フットワークの軽さは特筆すべきものでした。
選挙まであと2週間。池田にどんな風を吹かせられるのか。池田町民の民度が試される最終ラウンドです。



  6月8日(金)    
長い間使っていたエプソンの複合機(プリンター、スキャナーなど)がついにご臨終。まだ使えるのに、「プリンター内部の部品調整時期が近づいています」というメッセージが出て、今日ついに「その時期が来ました」というメッセージが。こうなると全て言うことを聞いてくれません。

ところがエプソンでは我がPM-a850は2011年11月に修理対応が終了。ということは、修理に出しても部品がないということですかね。普通ならこれでお手上げ、新しいプリンタに交換ということになります。2003年末の発売ですから、もうまる8年近にもなるプリンタです。とはいえ、エプソンも相当にセコイ。とにかくこんな状態をつくっておいて、シロウトさんには次の新しい機種を買ってもらおう、ついでに純正品のインクもどんどん買ってもらおうという魂胆ミエミエですもんね。

賢い消費者とすれば、相当に古い機種ではあっても、廃インクパッドさえ交換すればまだまだ使えるはず、いっそ分解しちまえと思うのが自然な流れ。ところがパソコンの分解は数限りなくやっていても、プリンタなどというシロモノは経験なし。しかも、ヘッドという微妙な部分もあるわけだし、第1どのように分解するのかさえさっぱり。

そこで、ネットを調べまくって、いくつか参考になるサイトを見つけました。
まず最初はエラーメッセージの解除方法。ありましたよ、単純そのもの。当然のように、この方法で試してみたら、確かにメッセージは出なくなり、印刷も正常にできるようになった!ネット上では、「こんなリセットで大金を取るなんてボッタクリだ」などという書き込みも。
ところが、です。「このまま放置すれば、廃インク(ヘッド掃除などの際にスポンジに吸収されるインク)がそのうちあふれてドエライことになる」などとあちこちに書いてある。それではどうするか。「このスポンジを洗濯して乾燥し、もとに戻すという作業が必要になる、でも相当にむずかしい。新しいのを買った方が早い」、などという書き込みもあって、意気消沈してしまいます。
幸い、あるサイトに写真入りで分解の方法が載っていた。選挙が終わったら、この方法で廃パッドをクリーニングしてみようと思っています。これでどのくらい使えるようになるものか。

今日、プリンタの中を調べてみたら、スポンジの一部が相当にボロくなっていて、いったん全部剥がして替わりのスポンジを入れておきました。
倉庫には昔使っていたPM2000Cというプリンターも眠っていて、こちらはヘッドが詰まって全く印刷不能。こいつもついでに洗濯してみようと思っています。
いよいよプリンター修理業に転身か。おいそれと新しいものを買うことができない低年金暮らしでは、常にチャレンジこそが生活防衛の手段。「攻撃こそ最大の防御」です(壊してしまっては元も子もないですけどね・・・)。



  6月6日(水)    
太陽の前を金星が横切るという「日食」の日。月が横切るよりもはるかに珍しい現象だというので、何とか見てみたいと思うのですが、残念ながら天候がイマイチ。

さて、バラ園のバラがかなり咲き始めました。2年目の株はさすがに大きく見応えがある。逆に、バラ園自体が何ともかわいらしく、わずか200本程度ではミニバラ園と言われても仕方がない。会員の数も少なく、実際に手入れに参加する人も限られている現状ではいかんともしがたく、とにかく手伝ってくれる人を増やすしかありません。それには、綺麗に咲き誇るバラたちを紹介し、いっしょに育てる喜びをともにしてもらう以外にありませんね。ぜひ足を運んでバラを楽しんで下さいますように。
今日はバラ園の一部と、そこに咲くバラたちを少し紹介しましょう。

バラ園

アンネのバラ
アンネのバラ

ダブルノックアウト
ダブルノックアウト

ヘンリーフォンダ
ヘンリーフォンダ

ホワイトクリスマス
ホワイトクリスマス

うらら
うらら

カフェラテ
カフェラテ

緋衣
緋衣

金蓮歩
金蓮歩

プリンセスドモナコ
プリンセス・ド・モナコ

ブルーライト
ブルーライト

ボレロ
ボレロ

熱情
熱情




  6月5日(火)    
家の前の道路脇に、我が家で不要になった縁側用の廃材をイス代わりにして置いてあります。結構いろんな人が利用してくれていてうれしい。今日は近所のおばあさん2人が腰掛けて夕闇迫る北アルプスを背に長い間話し込んでいました。かなり大きな声で話していたので、庭の手入れをやっている私にもそれなりに聞こえてきました。
「数えで89才」と言っていましたから、2人とも80を優に超えたおばあさん。しかし、その声には張りがあり、女性はかくも元気なものかと感心させられることしきり。そして、相手のことを「ねえさん」と呼ぶんですね。90才近くでねえさんもないだろうと思うのですが、そう言われた方は悪い気はしないだろう。
そういえば、2年ほど前に亡くなった隣の人も私のことを「にいさん」と呼んでいましたね。除雪や除草をやってあげると「にいさん、いつも悪いね」というように。「せんせい」なんて呼ばれるよりはよっぽどいいですけど。
日本語では相手のことをどう呼ぶかなかなか悩ましい局面が多いのですが、この土地のお年寄りはもっとも無難で相手も悪く思わないうまい呼び方を身につけているのだなと思わされたことでした。

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雑誌「世界」6月号が「沖縄『復帰』とは何だったのか」という特集を組んで、さまざまな論考を掲載していました。
その論考の巻頭は元沖縄タイムス記者、社長の新川明さん。彼は次のように言う。

「復帰」を再併合と考える歴史認識は、すべての「沖縄問題」を考えるときの、初歩的かつ基本的な立脚点であって、その視点に立つとき、現前の日本国の沖縄に対する構造的差別を生み続ける植民地主義の根源が透視されるからである。

「国による沖縄に対する構造的差別」という言い方はここ2,3年随所で見られるようになっています。これは事実としてそうだと私も思いますし、その他の論文もそこにひとつの焦点をあててはいますが、差別がどのような「構造」を持っているのかを明らかにする仕事はまだ十分ではないとも思われます。
同時に、「再併合」という強権支配ー従属という枠組みでとらえなければ、本当にその姿は見えてこないのか、一方で次のような視点はこの文脈ではどこにどのように位置づけられるのか、もっと議論を深めるべきではないのかと思われます。

「復帰」前の住民運動のスローガンには「平和憲法の下で日本国民としての諸権利の回復」「日本国憲法の適用を勝ち取ろう」「安保条約破棄」などがよく掲げられた。復帰運動は単に祖国復帰を求めたものではなく、人権擁護、反戦平和、自治権拡大、民主主義擁護を求めたものだったのである。これらは日本国憲法の基本原理であり、だからこそ「平和憲法の下への復帰」なのである。(「戦後沖縄の人権史」沖縄人権協会編著 高文研)

新川氏は、「復帰」という言葉そのものが、「復帰運動」によって日本国への投入を目指した沖縄人みずからが作りだし定着させた言葉だから、みずからつくり出した矛盾に向かうことになった、と指摘しています。しかし、それが1面の真実だとしても、本当にそれだけが沖縄問題の本質なのか、私は現在のところ疑問を持っています。
もし新川さんの視点に立つなら沖縄の「再併合にもとづく構造的差別」からの脱却は、沖縄(琉球)の日本からの独立しか選択肢はなくなるからです。事実、彼は最後に「私たち沖縄人の自己決定権の確保を考えるうえで、またとない好著がこのほど上梓された」として松島泰勝著「琉球独立への道」をあげています。
私には、確かに沖縄の現状は普天間基地問題に象徴されるように余りにも人権無視、地方自治無視の差別的な扱いを受け、「独立」を指向する「琉球ナショナリズム」の台頭も無理からぬところがあると思われます。しかし、それで本当に沖縄問題が解決するのか。つまり、この考え方の根底には現在の日本を支配している権力を固定化し、極大化し、かえって我が身を無力化する見方が潜んでいはしないか。
もちろん日米両国による「植民地支配」からの沖縄の「自立」を指向する新しい動き(中里効さん)の持つ積極的な側面を否定するものではありません。テレビ、雑誌などで垂れ流される低俗「ヤマト」の文化状況が、沖縄の歴史的な位置、文化的豊かさを奪い去る状況下では、これに強く抗い、「新しい文脈で転生させていく実践」(同)も重要な課題だからです。

大局的には、国政のあり方を根本から変える変革の視点を持つ限りにおいて、沖縄問題はその一翼を担うのであって、差別問題はその中でしか解決され得ないというのが私の基本的視点です。
それは、第1に日本国憲法に矛盾する日米安保条約の廃棄通告を行える政府をつくる展望を持つこと、第2に我が内なる差別構造=沖縄だけではなく男女差別、人種差別、雇用差別、高齢者差別などあらゆる差別の構造を克服し、人権を擁護し発展させることがその内実になる。
第3に沖縄の基地問題を差別一般に解消させることなく、多くの人々の内実とし独自にたたかい続けること、沖縄県民と連帯しつづけることです。
これに対して、「安保廃棄」はいつのことになるのか、非現実的だと言うのなら、沖縄の基地問題もまた同様にその解決は非現実的だということになる。私たちは、日本の安全をアメリカに守ってもらうために沖縄に犠牲を強い続けて何ら痛痒を感じないという人権感覚の麻痺に慣れ、思考停止状態に安住することと同じではないのでしょうか。

この点を「世界」の中では、澤地久枝さんが「『フロントライン』沖縄が逆照射する日本」と題して、次のようにかいています。

私はやはり、20世紀から21世紀に引き継いできて、日本人がきちんと向き合って片付けなければならない根本的な問題が、日米安保条約なのだと思います。日米安保の矛盾が沖縄に集中しているのです。

日本の安全保障はすべて日米安保条約に依拠して考えられているから、日本の一部であるかぎり安保条約を適用されざるを得ない。沖縄独立という考えがでてくるのも当然だと思います。


結局、日本国憲法と日米安保という2重構造にある日本にあって、「本土」は一応日本国憲法が上位を占めているように「見える」が、沖縄ではまともに安保条約下、軍事支配下にあるという「政治的、経済的構造」こそが差別の実態をつくっていると私は理解しています。
だから、こそ西谷修さんが次のように言うように「沖縄の米軍基地は日米安保条約の『質』なのである」。

沖縄は「復帰」してもただの日本の一部にはならない。むしろそれは、日本を映す鏡のようになる。つまり、日本が何であり、とりわけ近代日本国家がいかにして形成された、今どんな国であるのかを合わせ鏡のように映し出す。

そして年ごとに齢を数え直さねばならないほど「復帰」の縫合部が軋みを立て剥離することで、その縫合部をかかえた日本は、おのれ自身の見ようとしないあり方を知らされることになる。この軋みに耳を傾け、その剥離に目を向けることで、日本はいま変動しつつある世界のなかでのおのれの課題に向き合うことになるだろう。






  6月3日(日)    
アメリカの航空宇宙局NASAが5月31日に大変興味深い予測と映像を発表しました。「今から40億年後、私たちの太陽系のある天の川銀河がお隣のアンドロメダ座大銀河(M31)と衝突し、約50〜60億年後あたりについにはひとつの新しい銀河になってしまうだろう」という予測です。40億年後なんて、地球が誕生してから現在までと同じくらいですし、その頃には太陽も一生の終わりに近づいているはずで、地球も灼熱地獄と化しているだろうから、「ふ〜〜ん」と言ってしまえばそれまでです。でも興味をそそられるなあ。
このニュースのわかりやすい解説はこちら。よりくわしい情報は、ハッブルのサイトにあります。


NASA astronomers announced Thursday they can now predict with certainty the next major cosmic event to affect our galaxy, sun, and solar system: the titanic collision of our Milky Way galaxy with the neighboring Andromeda galaxy.
The Milky Way is destined to get a major makeover during the encounter, which is predicted to happen four billion years from now. It is likely the sun will be flung into a new region of our galaxy, but our Earth and solar system are in no danger of being destroyed.


アメリカ航空宇宙局のナサケなのかどうかわかりませんが、最後の部分は何となくホッとさせられますね。ま、どっちの銀河もスカスカだから、衝突といっても実は周辺部はほとんどすれ違いで、何銀河と言われるのか分からないけれど、我が太陽系はあたらしい楕円銀河のどこか辺鄙な片田舎に弾かれてひっそりと位置するようになるだろうというのがNASAの未来予測。手塚治虫の”火の鳥”っぽくいえば、輪廻転生、宇宙生命の一部としてどこかで我々はこの現象を眺めていられるでしょうか。想像することは楽しいことです。
NASAは、この2大銀河の衝突から新しい銀河形成までのアニメーションまで準備しているのですから驚き。近い将来これを舞台にしたSF小説、映画が登場するかもしれませんね。
ハッブルのサイトは宇宙望遠鏡がとらえた数々の衝突銀河の写真も公開していますから、子どもたちといっしょに想像を巡らせてみるのもいいかも。
写真上は、地球から見た衝突前の想像図。いや〜、今から35億年後くらいにもう一度生まれてきたい。



  6月2日(土)    
夕方から雷雨。昨日も午後からかなり降ったのですが、少し離れた畑ではほとんど湿り気なし。どうも局地的な降り方だったようです。畑に雨が欲しいと思っていたところだったので、多分今日のまとまった雨で作物も生き返っているのではないでしょうか。
広々とした畑で、耕耘機に頼って耕した後、畝を作るのも大変。ここ数日で何とか畝だけは作って一部分マルチがけしました。あとはトウモロコシやオクラなどを植えるために、一日くらい作業をしなければなりません。
「こんなに作って出荷するのか」などと言われながらも、例年結構作ってはあちこちに配っていますからご心配なく。イチゴも今が最盛期、バケツで収穫しています。沢山とれたと思っても、食べてしまえばあっという間。甘みがイマイチなので、来年はもっと肥料を工夫して甘み、大きさをそろえることに挑戦です。
イチゴは定植するまで手がかかるので、いっしょに作業してくれる人を募集中。今年はランナーはそのまま畑に定着させ、それを9月頃定植しようかと考えています。その方がしっかりした苗ができそうだし。今まではポットに受けていたので、その手間が省ける。そのぶん、定植する苗床の管理をしっかりできますからね。

さて、今月はいよいよ町長選挙の月。今日現職派の例のチラシが新聞折り込みされました。インクジェットと違って、かなり見栄え良くなって、これまでの町長派のものとしては出色のできばえではないですかね。
先月もいろいろとこれについて書いていましたが、よく見ると町政にかなり精通したなかなか優秀なブレーンがついているらしい。押さえどころをちゃんとわきまえていますからね。とまあ、今日は褒めすぎかな。
メインの理念、3つの基本理念、5つの政策と作りはなかなかなもの。町政研究会の提言と見比べても決して遜色はない。財政状況の好転、積立金の過去との比較、どれをとっても素晴らしい。要するに町政のことを知らない人が見たら、本当に期待しそうな内容なのです。
しかし、いかんせん、最も大きな弱点を見事に露呈させてしまった。それらについては先月もしっかり書きましたが、あらためて今日配られたチラシを見ながら思わされたことでした。
まず第1は財源問題です。
2年ほど前でしたか「積立金が10億円を超えたら、町民要求に応えることもできる」という趣旨のことを議会で答弁していましたから、その流れでいけば23年度見込み16億8千万円というのは誇りにできる数字といえるのでしょう。ただし、これには約5億円の施設建設用の目的基金が入っているので財政調整基金は町長の言うように約10億円達成。この数字で町長さん、何でもできるという大らかな気持ちになったんじゃないかと私は推測しています。
さて、下の表を見てみましょう。これは、池田町(上)と、お隣の松川村(下)の積立金(貯金)の累計です。池田町が財調(財政調整基金=自由裁量で使えるお金)を貯め込んでいるのに対して、松川村はいろんな目的を決めてそのために積み立てを計画的にすすめていることが歴然としています。しかもその額は池田町の2倍近く。松川村は将来の借金返済用の基金もしっかり積み立てています。


平成20年までは前町政。積立金といっても財政調整基金だけでは2億円程度摘み増しただけ。一見増えているようにみえるのは、保育園建設などのために必要に迫られて平成23年度に目的基金を積んだのが入っているからです。特定目的でない限り、年度当初に「財政調整基金をこれだけ積み増します」などとは普通やらない。予算付けの必要なところがいっぱいあるのだから、はじめから貯金しますなどとはできないのは当たり前のことです。年度末になって、このくらい余るからこれだけ積み増そうというのが普通の財調です。
町長がもし、この2億円強を「これだけの情勢でよくがんばって積みました」と自慢すればするほど、財政のことが分かっている人は「この町長さん、必要なことをやらなかったんじゃないの」と見る。だから、松川村は財調ではなく目的基金をたくさん積んでいるのです。
町長さん、おわかりですか。この違い。「町政史上過去最高の積立額」の実態は実はこうなのです。
でもこれって、普通に町で暮らしている人にはわかりませんよね。だからよけいに罪深いと私は思いますよ。
私だったら、今後の町政のビジョンを町民に示し、2,3年かけてじっくりと町民と対話と討論、研究を重ね、重点施策を決めた上で財調を目的基金に振り替え、さらに一定の特定目的基金を数年かけて積みます。同時に、国や県の交付金、補助金などの研究を重ねて最も町にとって負担の少ない効率のよいやり方で、必要な建設などに取りかかるでしょう。場合によっては住民投票さえ必要とするかもしれない。
ここに掲げられた政策の大半は財政の裏付けが不十分なため、本気でやろうとすれば大きな混乱を生じ財政も当然赤字が急速に増えるでしょう。
町なか再生計画の中の「公民館建設」の部分を見ると、「中心市街地整備を3〜5ヵ年計画で具体的にすすめて参ります」「財源は国の交付金や目的基金、特別交付税等」「中心市街地整備は、新公民館建設を核に子育て世代からすべての町民が集える施設をみんなで造り上げます」と書いてある。
3〜5年でどうやって実現するのか私には一向にイメージがわきませんが、町長さんの頭の中では段取りが出来上がっているのでしょうね。しかも、です。表面的には「町政研究会」の街中再生プランそっくり。
しかし、ここでも「夢構想」を広げるだけで、それをどのように実現するかの道筋は示し得ない。それもそのはず、もし旧サポートセンターが生きていればその大きな原動力になったであろうのに、「そんなところに金はかけられない、ボランティアは予算ゼロ、無給なのだ」という町長の考えで見事に破綻した経過が、町長のいう「みんなでつくる」の実態をすべてを物語っている。私には一事が万事です。
このお方に「町民参加」の何かがわかっているはずもなく、そんな芸当ができるはずもない。せいぜい、コンサルタント会社に多額の資金をつぎ込んで、町民不在のプランをつくって町民との軋轢を作り出すのが関の山でしょう。
もう一度言いましょう。夢を語るのは決して悪いことではない。構想を示すのは首長の役割ともいえます。しかし、それには現実的な裏付けと、それを真に町民のためのものとする方法論がいる。それらをともに欠いたこのプランは、所詮うたかたのごとき「夢」なのです。




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