またまたサポートセンターについて書くことになろうとは思ってもいませんでした。というのは、今朝、新聞折り込みで「歴史ある池田町を時代とともに」と題するA4のチラシが配布されたからです。
町づくりについて意見を述べるのは自由です。しかしここには、驚くことに何の脈絡もなく「町民活動サポートセンター運営委員会解散の経緯」(以下「経緯」と略記)という文章が掲載されているではありませんか。
ほとんどの家庭に折り込みで配られているわけですから、あらためて紹介するまでもありませんが、念のため全文をコピーでお示ししておきましょう。記録にもなりますし。(大きな画像がリンクされています)
私が問題にするのはこのチラシ後段の「サポートセンターの経緯」の部分だけです。
私は「池田町の良識を大切にする会」というのは初めて聞きましたし、その責任者の中村氏については全く面識がありませんから、どのような意図でこのような書き方をしたのか知るよしもありません。
したがって、私がいまから書くことの中にはこれを公開した中村氏に対する公開質問状的な意味合いもあることをお含みいただきたい。ちなみに、中村氏はサポートセンター運営協議会とは一切関係がありません。
中村氏にお聞きしたいのは次の点です。
第1に、サポートセンターの第1回から第5および最終回の資料と協議記録をすべてお読みになったかどうか。
第2に、それに先だって庁内で数度にわたって行われたプロジェクトチームでの協議内容を把握されたのかどうか。
第3に当事者である運営協議会のメンバー(事務局を含む)に直接面談し事実経過を把握されたのかどうか。
第4に、何ゆえこの時期にこのような意味不明、事実誤認の文書を配布されたか。
第5に、以下に私が述べる事実経過を読んだ上での見解をお聞きしたい。ただし憶測・伝聞によるものは不可。引用文書、発言者などを明示すること。この中で書かれているコーディネーターが誰であるかはあまりにも明らかだし、この文書をこの時期にこのような形で発表する意図は明瞭でしょう。そのことを前提として、私はこの文書に書かれている内容がすべて事実に反するか、または意図的にゆがめられているということを明らかにしたいと思います。「池田町の良識」とはこれほどまでにお粗末で恥ずかしいものなのかが明らかになるはずです。
ともあれ、中村氏は経過を知りうる立場にはありませんから、どこかから聞いたと考えるほかはありません。
さらに、コーディネーターがすべての責任を負い、すべてを取り仕切っているかのような書き方をしていることに注意しましょう。これは運営協議会(教育長含む)が協議の主体であり、コーディネーター、事務局はあくまでコーディネートするだけの役割であることを全く無視しています。つまり、中村氏は運営協議会のなんたるかを全く理解せずにこれを発表したということになります。
次に、タイトルの「町民活動サポートセンター運営委員会解散の経緯」という字句に注目しましょう。さらにその文中の「運営委員会は無期限休止、ないし解散とする文書を提出。やむなく解散」というところにも注目です。
文中に指摘された「文書」は確かに存在します。これは議会に対して「運営協議会」側の立場を説明するために12月16日に作成された「素案」であり、正式文書ではありません。なぜ「注目」を促したかというと、この文書では間違って「運営委員会」と書いています。正式には「運営協議会」です。この文書の最後に「総括」として次の文章が出てきます。もう一度書きますが、これは総括(案)です。全部紹介しておきます。
1.町長の考える「小さく産んで大きく育てる」「形のないものに予算はつけない」「ボランティアは無償で熱意である」などの発言は町長公約のボランティアバンクの域を出ず、町民主体の自主性を理念とする委員会(注:協議会のこと)で協議してきたサポートセンターとは全く異なることが明らかになった。
2.サポートセンター構想実現の基本部分に町の協力が得られない以上、実現は不可能であり、今後の検討は無意味である。
3.委員各位の熱意、真摯な取組みを多としながら、現運営委員会は無期限休止ないし解散とし、今後は委員各自の信念に基づく選択をお願いする。中村氏は、なんらかの方法でこの文書を手に入れ、その一部を書き写したと考えられます。おもしろいことに上の「間違い」も含めて、そっくりそのまま無批判に書き写してしまいました。
この素案で言おうとしていることは、第5回運営協議会で「ゼロ予算」という町長の方針が明らかにされてから、一連の経過を議会(議長、副議長)に対して説明をするために作成し、このままでは運営協議会は役割を果たすことができないと訴えたものだということです。
さて、この「経緯」筆者が主張しようとしているのは、一見してわかるように、「コーディネーターが町当局が考えてもいない『途方もない』金銭要求をつきつけ、それが町長に受け入れないとみるや、辞表を提出した」と描き出していることです。ここに、この筆者の経過に関する「無知」、「思い込み」が凝縮されているのです。
これから述べるように、事実はまるで正反対です。このように白を黒といいくるめる手法は、間違いなく謀略的手段であり、町民を欺く行為でり、さらにはコーディネーターに対する中傷、名誉毀損であると私は断じます。
それでは私が関わった限りにおいて、サポートセンターにかかわる経過を簡単に見ていくことにしましょう。
第1。運営協議会に先立つ役場内のプロジェクトチームで場所、予算を含むおおよその方向付けが行われていた。委嘱され私も参加した10月からの運営協議会の協議の根拠はここにある。
次は10月12日夜の第2回運営協議会で委員に配布された文書のうちの一部です。
4ページ サポートセンター準備室活動状況5ページ なぜ、今町民活動サポートセンターか。6ページ 続き7ページ サポートセンター施設経費概算8ページ サポートセンター場所選定要件チェックリスト9ページ 続きすべてはこれで明瞭でしょう。役場内の組織が事前に方向付けをしていたのです!!中村氏はこの事実を知っていたのでしょうか。
後日の協議会では、事務当局から「プロジェクト会議の会合に資料として提供されたが役場としての合意事項ではなかった」という説明がありましたが、そうだとすれば、役場としての杜撰さが明らかになっただけで、こうした資料が教育長同席のもとで第2回運営協議会で提出されたことが重要なのです。
つまり私たち運営委員の方向付けをするに十分だと言うことです。このように協議が行われていたのならば、「この方向を受けてよりよい方向を検討すればよい」というベクトルを受け取ったのですから。事実あとの第3回、第4回とそのように協議が進められたのでした。
プロジェクト会議での概算でも、開設予算は1千万円を超えていました。ですから、コーディネーターが要求したかのように書いている先の「経緯」筆者の誤りは明白です。誤りというより、全く事実を正反対に描いていることもおわかりでしょう。私が「謀略」という所以です。
第2。コーディネーターは事務局の一員であり、運営協議会を超えて独断で要求したり交渉したりすることはあり得ない。この点も「経緯」の筆者の思いも及ばないことであり、いかに一知半解でこの文書を書いたかがうかがわれます。コーディネーターの辞任は当然自己責任ですが、「人、金、物」の確認、要望はあくまでそれまでの運営協議会の協議結果を受けての行動であり、言い換えればコーディネーターは運営協議会の意向を受けて行動したに過ぎません。繰り返すようですが、この協議会には教育長も常に参加し発言もし、事務局である教育委員会職員も参加していたことを付け加えておきます。
サポートセンターを新設するのであれば、プロジェクト会議で点数化されたように福祉会館が最もよいこと、もし公民館におくならばそれなりのスペースが必要であること。初期立ち上げには、それなりの事務機器などの費用が必要であり、中心となる人の人件費も必要となる。それらを第5回運営協議会で町長に質したというのが本当の経過でした。それ以上でも以下でもありません。
「650万円金を出せ、さもなければもうやっていられない」と町長に迫ったかのように描いているこの「経過」は、「白を黒といいくるめる」たぐいの典型例としか言いようがありません。誰かに言いくるめられて、そのように信じてしまったのでしょうか。
第3。町長は第4回運営協議会終了時点まで過去の事実経過を知らされていなかった。予算付けについて「寝耳に水」と発言した時点で、役場内の機能麻痺が明瞭となった。第4回運営協議会以降、運営協議会の正副委員長、コーディネーターが委員会の意向を受けて、町長に「3点の確認」(前述)を行います。この時点に及んで、町長は「ボランティアでやる以上予算などはじめから予定していない」といいはじめたため、第5回協議会で直接説明するように求めたのです。
第5回協議会で町長は次のように発言しました。
・500万円はとても出せない。公民館を使ってゼロに近くしてもらいたい。町の財政状況についてやや好転の傾向と、美術館の累積損と松川村との比較の説明などから、財政健全化に向けて気を緩められない状況の理解を。
・形もないのにこういった予算を要求されても駄目である。サポートセンターの主旨は消防と同じように、相当程度ボランティアな考え方が原点。一番大事なことだ。
・運営委員の費用弁済は考えるが、それ以外はボランティアで考えており、日常対応は費用のことは考えていない。準備室に職員がかかわっていながらこの要求はどうしたことか。これらについて、私は次のように町長に質しました。
6月の準備室の発足から9月の運営委員(協議)会までの間も未だ場所や必要経費についての庁内(担当課)合意は無かったということか。だとすれば4回までの間に担当事務局長として、事務局が場所や経費について分科会で話を進める提案に(なぜ)異議を言わなかったか。これに対する教育長、町長の答弁は次の通り。
(教育長)場所についてはこの前の打ち合わせ(第4回運営協議会のこと)で、皆で協議してほしいと打ち合わせのときにしている。前からそういう話は出ていたのでまず場所について正式に良い悪いとの確認をとるように事務局に指示した。
(町長)町民の砦である公民館をよりグレードアップするには、場所としては当初から公民館が最適であると認識していたので、先日のそれ以外の場所の話を教育長から聞いて驚いた。結局、町長が事務局である教育委員会から協議経過の全容を聞かされたのは第4回以降であり、これまでの発言から推測するに事前の庁内プロジェクトの内容すら知らなかったと推測されます。さもなけば「寝耳に水だった」とか「はじめて聞いた」などという発言は出てきようがありませんから。
町長にしてみれば、第4回運営協議会後に予算も場所も初めて聞かされるわけですから、それは「金よこせ」という気持ちになったとしても不思議はありません。しかし、です。それを伝えなかった責任は教育長にあるのであって、運営協議会やコーディネーターには一切ありません。庁内での相互の連絡調整機能が働いていなかったことを示すだけです。
「経緯」の筆者はここでも事実関係には目をつぶり、はしなくも町長と同じ立場に立って文章を書いたことを露呈しています。
第4。町長が、ゼロ予算、公民館でやることを考えていたのなら、はじめから事務局にその旨を指示し、その方針でやっていれば、何も問題はおこらなかった。町長の考える程度のものであれば、庁内プロジェクトだとか運営協議会だとかという大げさなことは必要ありません。公民館の片隅で現在やっているサポートセンターがその見本ですから(現在のコーディネーターへの批判ではありません)。ともかく、はじめに方針を明確にすべきだったことは明らかです。
これだけの規模で、一年以上かけて進めてきた以上は、そこにはそれだけの意気込みがあると感じるのは当然でしょう。その意気込みに冷や水をかけたのが誰あろう現町長でした。「ゼロ予算」を聞かされて「寝耳に水」だったのは我々運営協議会委員の方です。それゆけ、1月の説明会で「白紙に戻す」ことを町長が言明した時点で、公募委員は辞表を提出したのでした。
「経緯」筆者は、現在のサポートセンターが活発に活動中であることを強調しています。それはそれで歓迎すべきことでしょうが、一つだけいえることは、もし旧メンバーが活動していれば、この程度の規模ではおさまらなかったことは確実だということ。なぜなら、町民活動を支えているグループの責任者や代表者が総結集していたのでですから。このことも「経緯」筆者の思いも及ばない点ではありましょうが。
第5。コーディネーターは、サポートセンターが文字通り町民活動活性化の拠点となり、町民の自主的な活動が活発に促進されることを願って粉骨砕身努力を重ねてきたのであり、運営協議会メンバーも同様の気持ちで無償で会議に出席し、協議を続けてきた。私が最も強調したいのはこの点に尽きます。
町長は、すべて予算や施設問題に矮小化し、活動をボランティア=ゼロ予算に矮小化し、必要な初期投資さえ認めない態度で一貫していました。第5回協議会に出席した町長、教育長の答弁から、机一つと電話一本あれば済むような話を聞かされ幻滅を感じたのは私だけではなかったでしょう。
協議の経過はすべて記録されていますから、メンバーがいかに熱心に池田町の町民活動を盛り上げたいと願っていたかを感じ取ってもらえるはずです。その中心となってみんなをとりまとめていたのがMコーディネーターだったことを最後にのべて、当事者としての経過報告および「経緯」筆者への反論(相手は論文ではありませんけど)とします。
歴史をゆがめるものは、時代とともに潰え去る。