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  9月30日(日)    
台風が直撃コースをたどっているため、昨日から家の周りと畑で対策におおわらわ。飛ばされそうなものはすべて片付けて、畑のオクラなどは支柱をたてて倒れないようにしました。
午後4時現在では、本格的な雨になり梅雨空のような空。まだ風はありません。池田町では昨日から集落のお祭りでしたが、本格的な雨にはあたらずよかった。

午後からNコン(全国学校音楽コンクール関東甲信越)のダイジェストの模様を聞いていました。自由曲ではオーソドックスな合唱曲だけでなく、多彩な音作りに挑戦している学校があり楽しめました。
どの学校の生徒もしっかり口をあけて気持ちを込めて歌っており、指導がゆきとどいていると思われました。でも、終わった後の生徒のしゃべりをきいていると、ほとんど口を開けずにしゃべる現代っ子の特徴。完全に使い分けています。
学校では、日本語の話し方(しゃべり方)を系統的に指導してるわけではないでしょうから、相手に明瞭に自分の考えを伝えることにおいては、困難な時代になっていると思わないわけにはいきません。合唱や演劇に関わっている生徒たちはそれなりにいるのですから、普段の話し方もきちんとできるように すればいいのにね。
若い世代のしゃべり方を聞いていて、いつも思い出すのは映画ハリーポッター第1作目でのハーマイオニー・グレンジャー。大きな口をあけてしっかり発音するイギリス英語らしいしゃべり方がとても印象的でした。
かく言う私自信、発声、発音には全く自信もありませんけれど、他人とのコミュニケーションの第一は、内容と同じくらい正確な発声が大事なんじゃないかと思っているのです。

私が教師になった最初の授業で、生徒から言われたのは「声が小さい」でした。大きな声を出しているつもりなのに、後ろまで声が届いていない。だとすれば、もう少し腹に力を入れて発声すると同時に、一音一音はっきり明瞭に話す以外にない。毎時間そんなことに気をとられていると、1時間の授業が終わるともうぐったり。そのうち、自然にそれが習性になっていくんですね。
これは余談ですが、よく電車のなかでおばさんたちが話していると「ああ、あれは先生の集団だな」とすぐわかる。何しろ声が異様にでかい。傍目も気にせずしゃべりまくっていると思われがちですが、まあ、社会性が乏しいと言う点はあるとしても、ほとんど習性なんですね。

そうこう書いているうちに、高校生の部ももう終わり。男子の多い高校もあったので、聞き応えがありました。


  9月28日(金)    
きれいに晴れ渡った空にほとんど満月に近いお月様がくっきり。月齢は12ですから、明後日30日が満月です。ただ台風の接近で明日、明後日は月も見えないかもしれません。
今年は沖縄が台風の当たり年のようで、またまた大型の台風17号が沖縄に接近。30日は当然大潮になりますから、被災地での浸水なども心配です。

今日テレビを見ていましたら、中国でのデモは当局によって組織されたふしがあり、間違いなく「やらせ」だということをしきりに強調していました。ただ、暴動になったことは想定外だったのではないかとも。
デモや集会などが行われることは別にどうということはありません。しかし、それが公安によって泳がせられたりメールで止められたり、格差の広がりによる不満のガス抜きなどというのはもちろん民主主義の常識からすればあり得ないことです。
まして、襲撃、略奪などは全くの犯罪ですから、犯人の処罰は当然、賠償も視野に入れて要求していくべきことでしょう。もし、これに対して「愛国無罪」などという不埒なことを口にするなら、それはもはや近代国家としての体をなしていないことを内外に示すものです。
夕方には、国連総会での日中のやりとりが放映され、日本は「領土問題は存在しないとして、歴史的な経緯には触れないようにしてきたが、方針転換した」というニュースが流れていました。中国の主張を聞いていると、日本が日清戦争で奪ったもので盗んだものは返すのが当然という言い方。何でもありの強圧的な主張には、現在の中国の「自負」だけではなく、大きな弱さも見て取ることができます。
ワールドウオッチ研究所の問題意識の一つは、国際的な食糧危機の一つの引き金は中国によって引かれるのではないかというものです。レスターブラウンさんの著作に「誰が中国を養うのか」があるくらいですから。
資源とりわけ水、食料、エネルギーの確保が必要となっている中国ですから、領土問題はただの自国のメンツではなく、そうしたものすごい危機感が背景にあると見なければならないと私は考えています。(中国の土地、水などについては同氏の「プランB」にくわしい)だから、どんなことをしても手に入れるものは入れるということになる。故に、ますます冷静で長期的な視野に立った外交交渉が必要になるのです。
現在の民主党野田政権の対応も、自民党の強硬路線でも、よくて袋小路、悪くて武力衝突という最悪の方向に行きかねない。今日のニュースでも「日本は『棚上げ』に同意したことがない」などと言い始めていますからね。こうなったら外交なんてどこにも存在しません。アメリカにも「こんな国守る価値もない」などと思われているのではないですかね。オスプレイに見るように、やりたい放題のアメリカの行動にはそんな態度が見えかくれしていると思えるのは私だけでしょうか。
もう一度、先に紹介した志位和夫共産党委員長のニコニコ動画でのインタビューを聞き返してみるといいですね。これはもう国民的な方針といえるのではないでしょうか。

そうそう、今日ある友人から、「浅井基文さんのブログを是非参考に」というメールがとどきました。「外交の視点とはこういうものだ!と読んだ。全文読了のおすすめ」というコメント付き。
ブログ「領土問題を考える視点 」はこちらです。私は仕事から帰ったところなので、今から読みます。



  9月27日(木)    
さわやかな快晴の一日。稲刈りもほとんど終わり、まわりは急速に秋の装いに変わってきています。あまりにも急激なので、身体がついていかないほどです。農作業をしていても、暑いことは暑いにしても、流れる汗も質が違う。ちょっと休憩していると、カラッと乾燥してしまうような空気に満ちています。
午前中は恒例のバラ園の整備作業。総勢6人で草取りや肥料やりに精を出しました。バラの枝はかなり剪定したので、ひところ咲き競っていた花たちはいまは影をひそめていますが、あと2,3週間ほどもすればまたたくさんの花をさかせるのではないかと思われます。




昨日の夜、塾での休憩時間に高校3年生6人に「尖閣諸島」をめぐる問題について意見を聞いてみました。一昨日には学校で外務省の職員による講演会があったらしく、それなりの知識を持ってはいたのですが、普段こんな話しはあまりしたことがないのでとまどっている様子。
「中国では、若い人たちも街頭に出て島は我々のものだと訴えている。君たちもデモでも何でもして、魚釣島は日本のものだと訴えたらどうだ」とけしかけたら、キョトンとして苦笑いをしていました。
外務省の職員は、尖閣諸島が日本の領土となった経過(外務省の見解)については詳しく話したようでしたが、日中国交回復から2度にわたって双方で「棚上げ」(将来の課題とする)合意があったことを話すと、「そんなことは一言も言わなかった「(棚上げなんて)無責任だ」という返事が返ってきました。
「もし、中国が強行姿勢をとって、実力で実効支配をねらってきたら、君たちはどうするの。国を守るためにたたかうのか」と挑発したら、はじめは「アメリカに守ってもらう」という返事が。よく聞いてみると、外務省の職員が、尖閣諸島には日米安保条約が適用されると言っていたから、ということらしい。
「でも、もし武力で紛争を解決しようとすれば、それは『すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する』という日中平和友好条約第1条を破ることになるから、それはもう戦争状態になってもおかしくないということじゃないの?」とたたみかけると、「戦争はよくない」「国際司法裁判所に訴える」「話し合う」というように変化。最後には、「戦争をするくらいなら尖閣は中国に譲ってもいい」という子が半分ほどにもなりました。いやはや、心の優しい子たちばかりです。

あと10年もして、中国が経済力でも軍事力でも日本が足下にもおよばないほど圧倒的な力をつけ、国際的な環境をつくって日本を包囲し始めたとしたら。
尖閣諸島も実効支配におき、日本の企業を買収。中国人のCEOのもとで企業活動が日本全土で行われ、日本人労働者が使い回されるとしたら。
アメリカはアメリカでTPP交渉で日本を手玉にとり、農業、医療、保険、雇用などを食い物にする一方で、中国との関係では自国の利益を優先して日中紛争には手を出さないとしたら。
日本国民の「価値観」はずたずたにされ、ひょっとして今から60〜70年前の中国・朝鮮民衆の気持ちがわかるのかもしれないと思ってしまいます。
それでも「過去の栄光」にしがみつき、わが「日本民族」は優秀であると思いこんで、武力に訴えてでもその「アイデンティティ」なるもの(=国体)を内外に示そうとするのでしょうか。
沖縄を中心として基地を張り巡らすアメリカが日本を守るのではなく、逆に戦争に引きずり込む危険な存在だとは決して思わないで、中国が軍備を増強していずれ日本に攻めてくるなどという見方から抜け出せないのは、いかにアメリカと日本の支配層のコントロールが行き届いているのかを示すものにほかなりません。
オルタナティブな考え方、相対的に物事を見るという見方があることさえ思い当たることなく、いつまで思考停止でいるのでしょう。

先に紹介した孫崎さんは「戦後史の正体」の中で、外務省事務次官経験者の大野勝巳の「霞が関外交」を引用して、「占領根性」がいかに日本外交をむしばんだかを紹介し、それに賛意を表明しています。

日米安全保障体制を金科玉条として、万事アメリカにおうかがいをたてる、アメリカの顔色を見て態度を決めるという文字通りの対米追随敵対度は、日本人の中にしっかりと定着したのである。 その結果、外交に必要な外交感覚などということを影をひそめてしまった。要は占領軍当局への従属的関係あるいは服従関係をいかにうまく進められるか、できるだけ占領軍のよい子になろうということが、すなわち外交だというように考えられるようになり、それが一般化してしまった。・・・ひとたび自主独立の精神を喪失すると、ふたたびとりもどすのがいかにむずかしいか思い知らされたものである。
次は、孫崎さんのこれに対するコメントです。 残念ながら、日本の外務省はこの状況を今日まで引きずってきているといえるでしょう。そして、いつのまにか疑問をもつことすらなくなってしまったのです。

一昨日大町高校で講演した外務省職員も、孫崎さんによればこの部類に入るのでしょうね。

野田さんは、あいかわらず「領土問題は存在しない」の一点張りだし、自民党の総裁選をたたかったトップ二人は、ますますトーンをあげて好戦的な言辞を振りまいています。バラの会の休憩中の雑談(これが楽しみでみんな集まってくるのかも・・・)でも、「安部なんて古ぞうきんみたいだし、石破が出ると女性はテレビを切るっていうし、いったいどうなってるんかね」などと、みんなほとほとあきれ顔。こんな面々しかもはや残っていない民主党、自民党はもう政党としての賞味期限はとっくに終了していると知るべきでしょう。

自民党という政党はずいぶん幅の狭い政党になった。かつて自民党は、日本の保守全体をにらんでいた。保守で護憲もあれば、改憲もある。(いまは)保守のなかの右翼だけになった・・・
                 (河野洋平元自民党総裁 16日TBS番組)




  9月26日(水)    
ネットサーフィンなどはほとんどしない私ですが、昨日オスプレイ問題をめぐって琉球新報と沖縄タイムスの記事を収集していたときに、たまたま京都大学数理解析研究所教授の望月新一さんが「ABC予想を解明か」という記事に遭遇。興味をひかれてあれこれ調べてみることにしました。
だいたい、この「ABC予想」というものが何ものかすら知らず、それがどれほど重要な意味をもっているかなど知るよしもなく、中学・高校の数学に携わってきたわけで、自分のいい加減さに恥じ入ったことでした。

ABC予想とは、「名前はシンプルで、学問の初歩を想起させるが、実は最も証明するのが困難な数学の予想のひとつで、世界の才能あふれる数学者たちが労力を費やしてきた。1637年に提起され、約4世紀後にアンドリュー・ワイルズによって解決された、あの有名なフェルマーの最終定理のようなものだ」(WIRED Japanese Edition)そう。
「整数論の代表的難問であり、解決に約350年かかった『フェルマーの最終定理』も、この予想を使えば一気に証明できてしまう」などと報道され、さらに、難問を解決したとする望月さんの異彩を放つ学歴や研究歴にもきわめて高い関心が集まっています。
それもそのはず、全米で最高とも言われるPhillips Exeter Academyを2年で卒業し、16歳でプリンストン大学に入学し、日本の学生なら大学に入る19歳でもう卒業、26歳で京都大学助教授という天才ぶり。メディアが色めき立つのもゆえなしということでしょうか。

「暗い世相に久々に明るい話題」と歓迎する向きもあれば、若い世代からは「化け物だ」とか「何だったんだろうおれの大学生活」という自虐的なコメントから、はては「東大、ハーバード卒などと学歴を自慢している連中が泡を吹いて卒倒する学歴」などというおもしろいコメントもネットでは見ることができます。こうした人物が現在の日本の数学界に存在し、世界的な注目を集めているというのは素直に喜ぶべきことでしょう。

望月教授の人となりについて、同じ京大数理研の玉川さんが面白いことを紹介しています。

普通の研究者(例えば私)であれば、ディオファントス幾何に関する結果をなるべく早く形にして2006年のフィールズ賞に間に合うようにと考えるでしょうが、望月さんは、 賞に対しては全く無欲(というか, むしろやや否定的)で、十分時間をかけて基礎理論を満足のいくような形で完成させることに力を注いでいます。また、(A. Wiles がフェルマ予想に挑んでいた時などと違い)大予想の証明に向かう途中の理論についても、全てプレプリントなどで公開しています。それを見て誰かが先に証明してしまうのではないかという周囲の心配もどこ吹く風、「自分の理論を理解して先に証明してくれるのであればむしろありがたい」とおっしゃっています。現在36歳の望月さんが, これからどれだけの研究成果を人類に遺してくれるのか、非常に楽しみにしています。
          (日本数学会「数学通信10 巻1 号」)


やはりただ者ではありませんね。
ただ、こうした理数系での業績をあげる天才のニュースに接するにつけ、自民党の総裁選挙に立候補している面々の顔をつらつら眺めながら、とくに政治の分野で異彩をはなつ人物がそろそろ現れてもいいのだがと思わされます。
ただ、政治の分野は研究職ではありませんから、待望論ではダメ。人々のたたかいが、世の中の矛盾、不正義とたたかう日常普段の活動がそうした人物を生み出していくものです。
原発やオスプレイに対するたたかいの中から、安部や石破、石原などという連中の面の皮を完膚無きまでにはがしてくれる若い世代が育ってくれることを大いに期待しましょう。

と、書いているうちに、どうやら安部晋三氏が自民党総裁に選ばれたらしい。こんどこわすのはお腹だけでないような気がして仕方がないのですけど・・・。



  9月25日(火)    
「沖縄も朝夕は25度前後になり、Tシャツ一枚では肌寒くなった」というメールが義兄からありました。
こちらも室温で22度。2,3日前からぐんと冷えてさすがに薄い掛け布団では対応できない。昨夜とうとう妻は掛布団を出していたようでした。
これから10月にかけて昼夜の温度差が大きいときで20度くらいになります。体調管理には十分注意したいものですね。

一昨日沖縄行きの予定を決めて飛行機の予約を取りました。予約だけはずいぶん早くからできるんですね。切符の中には片道1万円(通常4万円近い)というのがあってびっくり。さすがに時間帯は利用できないもので、しかもすでに満席でしたから予約はできませんでしたが、期日指定で前払いならかなり安く利用できる席もあります。台風で欠航なんてことがないようにと願うだけです。
沖縄行きの日程は、妻が一足早く11月22日にこちらを出て、私は26日に出発。帰りは11月30日です。折しも普天間基地へのオスプレイの配備で騒然としている時期ではないのでしょうか。しっかりと抗議の意志を表明してくるつもりです。

先日妻の同級生から名産の「もずく」が届きました。その荷物には、先日の台風の被害状況や同級生の動向を知らせようと、9月16日の琉球新報が同梱されていました。
私の目を引いたのは、2,3面で特集されていた「オスプレイ配備」反対10万人集会を振り返っての座談会です。見出しは「本土の無関心批判、差別構造の是正を」。見出しからして「本土」側の人間ならひっくり返りそうな書き方です。しかし、これこそ今の沖縄の率直な心なのでしょう。


県商工会連合会長の照屋義実さんは、「経済人、産業人である前に一人の県民であり、住民の生命財産を害するものには抗議するのは当たり前」と語り、新崎盛暉沖縄大学名誉教授は、いままでは米軍、米兵に温かい社会だったが、これからは「米軍に居心地の悪い社会をつくるにはどうするか、政治、行政、経済界がそれぞれの立場で考える」必要があると強調。「直接的な行動を含めて、はっきりと基地とは共存したくないという運動をつくり上げないといけない」と激しい。
那覇市長の翁長雄志さんは、「沖縄側は結束したが、政府や国民は何ら状況が変わっていない。・・・日米安保がなくなってもいいのかと突きつけることも大切かと思う。国の組織そのものが国内で(沖縄)いじめを生んでいる。民主主義の危機だ」と述べています。
県民大会について、翁長さんは「県民のマグマはそれ(県民の理解が得られるかどうか)を超えた」とし、「イデオロギーを超えて普天間飛行場を県外に移設し、オスプレイを絶対配備させないという県民の心が結集した」と総括。さらに、次のように述べていることが注目されます。

自民党が沖縄の状況をつくってきたと思われていたが、民主党へ政権交代後、さらに状況は後退し、県民は政党間の問題ではないことに気づいた。「オール本土」対「オール沖縄」の問題として認識し、超党派で結束を強めた。

照屋氏は、本土でいまだに大きな誤解がある「基地依存経済」に触れて、次のように述べています。

那覇市のおもろまちや、北谷町のハンビータウンなどの発展を目の当たりにし、基地が存続するより撤去して新しい街をつくった方がはるかに経済効果が高いとわかり、(経済界は)基地問題に躊躇がなくなった。

さらに新崎氏は、高江のヘリパッド建設について、「(仲井真知事は)オスプレイ配備に反対と明言しているが、それなら(現在容認している)ヘリパッド建設にも反対しないとけない」と指摘し、政策的な一貫性を求めています。

こうした座談会を読んでいると、本土と沖縄との温度差は確かに大きいし埋めがたいものもありますが、何よりも財界・アメリカに迎合する大手メディア(とくにテレビ、全国新聞)が作り出すものであって、決して固定的なものではないと思われます。なぜなら、オスプレイの超低空訓練が全国で展開されれば、「本土の沖縄化」が急速にすすむことになるわけで、アメリカには一言も言えず、ただ言いなりになっている民主党政権(当然自民党、公明党も)の本質が少しずつ浸透せざるを得ないからです。
もちろん、基地があるのとないのとでは雲泥の差ですから、私たちとしては常に沖縄のメディアからの発信に留意しながら、オスプレイ問題の根源にある日米安保条約の問題を含め、しっかり考えて行動していく必要があるのではないでしょうか。



  9月24日(月)    
今日は涼しくて秋らしいお天気。池田八幡宮のお祭りもにぎわったことでしょう。
午後から庭先を整理して秋野菜の種まき。1ヶ月以上もかかって、草取りをしたり、終わったものから少しずつ片付けながら、ようやく次のステップに進むことができました。ところが種を植えたところもお構いなしに、猫のハルちゃんが蹴散らして横断。こればかりはオレの領土だから入るなとも言えず、話し合いで解決するわけにもいかず、さりとて防護柵をつくることもできず、何とも歯がゆいことです。
野菜が大きくなれば、通らなくなるのでそれまでのガマン。


最近の政治の状況は本当に腹立たしいことばかり。中でも尖閣諸島をめぐる日中の問題とオスプレイの配備問題、原発問題は政治の貧困を際だたせている重大問題です。もちろんそのほかにも、自民党の党首選や橋下維新の会問題など、触れたくもないようなものもありますけれど、私にはこれらのすべてが同じ根っこから生えているいくつかの種類の「毒キノコ」みたいに思えて仕方がありません。

まず尖閣諸島をめぐる問題です。中国国内での「反日デモ」の異常さは目を覆うばかりでしたね。「愛国無罪」などという近代国家ではあり得ない無法ぶりは、とても「法治国家」とはいえない遅れた中国の一面を国際的に晒してしまいました。
公安当局が国民にデモをするなというメールを送ること自体、表現の自由がないことを示しているわけだし、そうでもしなければ統制がとれない治安の弱さを露呈しているともいえます。ただ、このデモの背景には恐るべき貧富、労働態様の格差が隠れているわけだし、また、何万というデモもある意味では当局によって泳がされた(「やらせ」だとは思いません)、一部の跳ね上がり的な行動ともいえるわけで、中国全土がこうした理性を欠いた雰囲気で一色に塗りつぶされているわけではありません。
そしてまた、日本軍国主義による中国侵略の記憶が、いまや強大になった自国の政治・経済力と結んで折に触れて吹き出してくるともいえます。これは今日の大方の「日本人」には決して理解できないから余計に始末が悪い。

国内では、民主党政権が「領土問題は存在しない」の一点張り。9月9日ウラジオストックでの胡錦涛主席との非公式で「国有化しないでほしい」という要請があったその次の日にはそんなことにはおかまいなしに尖閣諸島の国有化に踏み切るという外交音痴ぶりなのです。
中国からすれば「領土問題は存在しない」という立場は全く同じではありませんか。だとすれば、野田政権の(無いに等しい)「外交」方針では、その行く末は武力的な解決しかないことになるでしょう。要するに力が強い方が領土を獲得する。
ネット上では、政府の「弱腰外交」を非難攻撃する右からの突き上げが勢いづき、週刊誌なども中国がいかに無法ぶりを発揮しているかを書き散らし、果ては中国全土で「日本人を皆殺しにせよ」という雰囲気が醸成されているかのようにかき立てている。
ところが、です。メディアも政府も尖閣をめぐる日中の歴史的な推移については全く触れようとしない。触れれば領土問題があるかのように受け取られるからだという論理。また、40年前の日中国交正常化時から2度も日本政府は尖閣問題で「棚上げ」に合意したという歴史的事実があります。これも一部では中国側の一方的な発言だとして、当時の自民党政権を免罪する動きすらある。

今日はネットで放映された「ニコニコ動画」での「まるごと紹介! 一気に見せます共産党!」という5時間もある録画番組を妻と二人で結構な時間みておりました。
準備不足の感が無きにしも非ずでしたが、その中での圧巻はなんと言っても志井委員長の尖閣問題についての日本共産党の見解です。聞き手は政治ジャーナリストの角谷浩一さん。
是非ご覧になることをおすすめしますよ。おもしろかったのは角谷さんの発言。「共産党というのは硬直的な主張しかしないと思っていたら一番柔軟でスジが通っていて、外交に当たっている政権党がもっとも硬直している」「日本の外交は共産党に任せたらどうですか」というところ。
共産党の見解はホームページでも読めますからここでは書きませんが、角谷さんも言っていたとおり「一番スジが通って」いるし、理性的な対処方針であることは間違いありません。
ちなみにこの番組、ライブで10万人が視聴し、私のように後からみる人も含めれば10数万人が見ていることになる。これはすごいですね。角谷さん流に言えば、「おまわりさん」もかなり見ているのでは・・・ということになりますが。

これに対して、現在党首選挙をやっている自民党はどうでしょう。誰が一番「勇ましい」態度を表明するか、いかにアメリカと同盟を強化し日本の軍事力を高めて中国と対決するかという話ばかり。集団的自衛権などは当たり前で、中国が尖閣を実効支配しようと軍事力を背景に「攻めて」くれば、日米安保を発動して日米両軍が中国軍と一戦交えることも辞さないというような背筋が寒くなるようなお話ばっかりです。
週刊誌などもあおり立てるシナリオに溜飲を下げる向きもあるのかもしれませんけれど、日中双方の紛争をもしどちらかが「武力」で解決しようとすれば、それは日中平和友好条約(第1条)の破棄を意味するわけですから、一気に戦争状態に突入ということになります。
日本国憲法第9条をなくして、軍隊を正式に持ち集団的自衛権を発動できる国へと変質させようというのが自民党の究極のねらいですから、尖閣問題は千載一遇のチャンスなのでしょう。
総裁候補の面々が喜々として強い日本を語りたがる彼らの血には紛れもなく戦前からの「皇国日本」「神国日本」のDNAが刻まれている。

数日前から私はある本を読んでおりました。元外務相・国際情報局長、元外国大使、元防衛大学校教授の孫崎亨(まごさきうける)さんの「戦後史の正体」と「日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土」の2冊です。石原慎太郎の著書などと並んで本屋におかれていたので、いかがわしいものかと思っていましたら、まるで正反対。外交に精通している人だけあって、書かれていることは実証的だし、政治の裏側が緻密に描かれていて実におもしろく興味深い本でした。
前者の本の問題意識は、日本の外交が「外交」といえるものではなく、なぜこれほどアメリカの言うがままなのかを歴史的に解明しようとした意欲的なもの。私の問題意識にもかなり沿い、解明してくれている貴重な本です。
著者自身次のように書いています。

「なぜ日本はこうも米国の圧力に弱いのだろう」
この問いは、私の外務省時代を通じて、つねにつきまとった疑問でもありました。<中略>
大きな歴史の流れを描くことを、もし誰かがやらなければならないとすれば、勇気をもって行うべきはおそらく外務省のOBでしょう。学者やジャーナリストの人たちは、世間で「陰謀論」といわれるような国際政治の闇の部分にふれることがほとんどないからです。


後者の「日本の国境問題」では、尖閣問題の基本的な対応として、日中双方の「棚上げ」という解決策はきわめて現実的で唯一の方法であると主張しています。自民党政権も、現民主党政権もこのことを忘れて硬直した態度に終始しているところに今日の深刻さの根源があるという見方です。
日中双方の、尖閣をめぐる歴史的な経過についてもくわしく解明、日本共産党の見解もきちんと紹介しているのです。ただ、著者は、以下に述べる諸点で共産党の見解よりも中国の主張の方に分があるという立場です。
第1は、「先占」という概念は、根本的には植民地獲得の原理として国際的に現れたもので、「19世紀以前には漠としてであっても中国の管轄圏内に入っていた尖閣諸島に対して『これは”無主の地”を領有する”先占”にあたる』の論理がどこまで説得力があるか疑問である」
第2は、尖閣が日清戦争で日本が清国から奪った島に入るのかどうかという問題。外務省も共産党も、尖閣はいずれにも含まれないという立場ですが、中国は逆に琉球の範囲を歴史づけることで、一貫して台湾の一部であると主張していることを紹介しています。
そして第3は、日本の「先占」に対して、共産党の言うように「中国からの異議や反論がなかった」という主張に対する中国側からの詳細な反論の紹介です。
「この立場をとれば、『中国は1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に意義も反論もおこなっていない事実がある』との『赤旗』紙の指摘は必ずしも正確ではない」
「必ずしも」というのは、尖閣諸島が台湾に属しているという主張が正しければという条件付きですから、それが崩れれば、「赤旗」紙の主張に道理があるということになります。いずれにせよ、共産党の見解は無視できないし、十分に吟味すべきだという誠実さが印象的です。

こうした相違点があるにせよ、共産党もこの本の著者も「日中双方に領有権の問題がある」という認識に立つべきだという点では一致しています。そのうえで、孫崎さんは「中国は10年後日本より強い海軍力を持つ、これを考慮に入れて対応すべき」だということと、「中国には一方に軍事力で奪取せんとするグループがいる。一方では尖閣諸島では紛争を避けたいというグループがいる。日本は中国の後者といかに互いに理解し協力関係を強化するかが重要」であると指摘しているのです。

では、一端武力による衝突が避けられないとなったら、米軍が中国軍を一蹴するのか。こうした方向へ誘導したいサンケイや一部週刊誌の報道に関して、次のように書きます。

尖閣諸島では中国が攻めてきた時には自衛隊が守る。この際には米軍はでない。ここで自衛隊が守れば問題ない。しかし守りきれなければ、管轄値は中国に渡る。その時にはもう安保条約の対象ではなくなる。
こう見ると、「日本は北方領土、竹島、尖閣列島を守るためにも、強固な日米関係が必要である」と一般に思われていることが、実はどれもこれも自明ではない。

米国は、日中間の緊張が日本の米国戦略との一体化に貢献するなら、日本に厳しく対処しろという。しかし、日中の武力紛争で米国が巻き込まれる可能性が出れば、米国は身を引く。
これが米国安全保障分野で主流を占めるリアリストたちの考え方である。


そして本の終わりでは、どうしたら平和的に解決できるのかを様々に提言しています。どの部分でも、対米追随ではなく日本外交でスジを通したい元外務官僚の気骨が伝わってきます。

この国の不幸は、今日の選挙制度のもとで、最悪の対米従属外交の政党が支配を続けているということ。財界自体がその体質でまみれているわけですから、孫崎さんの嘆きも身にしみてわかります。
だとすれば、日本国憲法の価値に立脚する国民のたたかいをさらに強める以外にない。あの戦争から何を学んだのか、何故にいまだに「国体」意識を持った連中を許しているのか、どうすれば地域から真に民主主義の社会を作り出せるのか。これから半年も待たずに日本の将来を決定的づける分岐点に到達するという気がします。



  9月23日(日)    
長いお休みになってしまいました。これからまた私の生活にかかわることや感じたことなどを、ぼちぼちと書いていこうと思います。
「久しぶりにこの日記を見たらずいぶん長い間更新がないので、どうしたのかと心配した」という声もあり、申し訳なく思っています。
健康を害していたわけでもなく、特別の何かがあったというわけでは全くないので、どうぞご心配なく。私が書かないものだから勢い妻も書かなくなって、ついずるずると今まできてしまいました。
強いてあげれば、この夏の暑さがあまりに異常だったために、畑仕事をして帰るとぐったりして何もする気が起こらなかったというのが正直なところかもしれません。昨日あたりから急に”寒い”くらいの気温になって、ずいぶんと過ごしやすくなりました。畑仕事も一段落したし、畑にでてもそれほど体力を使わないので、夕方から夜にかけて「よしっ」という気にようやくなってきました。

我が家の周りでは稲刈りが半分ほど終わって、すっかり秋の装い。昨日今日と晴れていれば稲刈りもずいぶんはかどっただろうに、残念ながら雨模様のために先送りに。それでもこのあと晴れれば、1週間から2週間後には稲刈りもほとんど終わることでしょう。
今朝は雨にもかかわらず集落の「道普請」でした。その折に近くの農家の人に稲刈りのことを聞いたら、その方はもうすっかり終わって、あとは餅米の刈り取りと足踏みでの脱穀が残っているだけと言っていました。




我が家のまわりでは、コスモスが花盛り。庭先に植えた夏野菜はすべて終わって、秋から冬のために大根やタマネギの種をまきました。このあとはほうれん草などの種まき。畑ではまだトマトやナス、オクラなどが結構収穫できるので、野菜には事欠きません。カボチャは数十個もとれて、近所に配りまくっています。現在は白菜、大根などの種を植え、さらにイチゴの定植をほぼ終わり、このあとはサツマイモと豆類、落花生の収穫が待っています。
というわけで、一段落したとはいえ畑仕事は結構忙しい。妻は加工トマトの出荷から解放されて、ようやく少し時間に余裕が出てきた模様。

かなり手広くいろんなものを作っていると、次から次と仕事がでてきます。ちょっと手を抜くと草がはびこったり、収穫を逃したり、枯れたりとトラブルが続発。農家の人の苦労がよくわかります。
これだけやっていても、土作りをしっかり勉強しているわけではないので、一番の問題は作物にあった土と肥料、水やりをどうすればいいのかです。そのために、失敗することがよくあります。たとえば夏の暑さのためなのか、トウモロコシの実がところどころ黒ずんできれいな歯並びになってくれなかった。強風で倒されたし、おまけにハクビシンか何かがネットを破ってかなり食い散らしていったりで、踏んだり蹴ったり。反面トマトは、たくさん収穫できて毎日の食卓にのせることができました。畑に捨てた種から勝手に生え出てきたゴーヤが、いまだにたくさんの大きな実をつけている一方で、手塩にかけて育てたゴーヤは貧相な実で、とっくに棚も外してしまった。とにかく思い通りにはいかないものですね。
いろいろ調べたりノートをつけたりして、本格的に勉強しないといかんですねえ。そうは思うですが、これがなかなか踏み切れない。

長いお休みの間に、またまたパソコンの改造をやっておりました。その中心課題は、息子がお盆にやってきたときに置いていったディスプレーの壊れたノートパソコンを復活すること。ことパソコンになると、とにかく時間を忘れてしまうのですね。
前回富士通のFMV-NF40Wという機種をさわったことがあったことは書きましたが、あのときはディスプレーを付け替えるだけでよかったからわりと簡単だったけれど、今回は原因がよくわからない。機種は同じ富士通のFMV-NF75U/Vという、NF40Wとほとんど同じ時期の発売、同じ構造のシンプルなものでしたので、要領はわかっているのですが、今回はただ直すだけではなくハードルを最高度にあげた(BIOSのアップデートとこの機種で可能な最上位CPUへの交換)ために、完成までに1ヶ月以上かかってしまいました。
その成果もあって、これからの私のパソコン環境は改造したこのノート中心になります。電気代節約がもっとも大きなねらいですけどね。
パソコン改造については、ネットにもかかれていないことがいろいろあるので、またいずれきちんと書くことにしましょう。

さて、この間、国内政治ではまあいろいろな問題が次から次と。これも少しずつこれから書いていくことにします。今日はどうでもいいようなことばかり書いてしまいましたが、とりあえず近況報告まで。




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