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  2月28日(木)    
リックタナカさんから、一年ほど前に「いま翻訳しているところだ」と紹介されたDavid Holmgren氏のパーマカルチャー(農的暮らしを実現するための12の原理 上下)が昨日遅くにAmazonから届きました。リックさん、手に入れましたよ。あの翻訳はぜんぜんすすんでいませんけど・・・・。
最近の私としては決して安い本ではないのですが、どうしても読んでおかなければならないものというのはあるもので、意を決して注文したのでした。(もう一つ、「新しい東アジアの近現代史」(日本・中国・韓国3国協同編集)も注文してしまった)
まだ届いたばかりなので、これは冬の読み物としてゆっくり読んでいくつもり。

その前に、平凡社から出ている新書版「自殺する種子」(安田節子著)を布団の中で寝ながら読みました。2009年4月の発刊ですからもう4年も前の本。我が認識不足を恥じつつ、内容に戦慄を覚えながら、一方で私と妻が家庭菜園程度にやっている畑のことを頭に描きながら読んだのでした。(寝て読むと鼻水が出ない)
圧巻は第3章、第4章。第3章では遺伝子組み換え技術をテコに、種子で世界の食を支配しようとする巨大バイオ企業の戦略を余すところなく描き出しています。とくに、第2世代の種子が発芽しないような遺伝情報を組み込むターミネーター技術によって、種子企業から永久に種子を買い続けなければならない仕組みを作り出し、それらの作物で花粉汚染されても特許侵害として裁判に持ち込むという恐怖の実態が次々と明らかにされています。このターミネーター技術で世界制覇をもくろむのが先にも紹介した米モンサント社です。
モンサント、シンジェンタ、バイエル、デュポンなどのアグロバイオ企業が世界の種子会社を次々と買収し、「従来の種会社の持っていた種子の流通経路、販売網、市場ノウハウなどをそっくり彼らアグロバイオ企業のものとした」と書かれています。
第4章では、世界バイオ企業の世界戦略として、遺伝子組み換え技術、クローンに関する特許をとりまくって植物の遺伝子情報を囲い込み、独占しようとし、自然界の遺伝子資源を汚染していく様子が描かれています。これも怖い話ばかり。

後半では、日本の農業が近代的大規模農業は破綻に瀕しており、ピークオイルがそれを加速していること、有機農業を中心とした持続可能な農業への転換にしか未来がないことが説得的に展開されています。
「人類は、これまでの経済システムや価値観とは異なる道へ踏み出すべき転換点に立っている」という著者の指摘は、TPP参加に踏み出して自国の食料主権を放棄しようとする売国的な動きが強まっているときだけに、単なる問題提起以上の意味を持っていると思えました。
1971年に日本有機農業研究会が設立されています、その設立趣意書には「このままに推移すれば・・・遠からず人間生存の危機の到来を思わざるを得ない」という一文が書かれていることが紹介されていました。今から40年も前にこのように宣言されていたと知れば、その先見の明に驚くしかありません。

私たちが町なかで作り出したいと願っている買い物の場というのは、スーパーのように単に買い物ができればいいというところではありません。こうした世界の食糧事情、日本の食の安全、人類存亡にかかわる食料の生産と消費という問題と深いところで結びつき、それを生産点、生活点で考え実践しようという試みに他ならない。これからの活動に新しい視点からの勇気をもらったと思う一冊でした。

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今日は、午後から「町なか再生問題を考える懇談会」メンバーと池田町町議会議員との懇談会に出席しました。これは議会に申し入れてほどなく実現したものでした。
議員は12名中11名の出席、よく出席していただいたと感謝することしきり。私たちのメンバーも代表・事務局を含め20数名。なかなかの顔ぶれでした。このような懇談会が開かれるのは池田町でもおそらく例のないことではないでしょうか。
「町なか懇」のメンバーが次々と説明する「社会資本総合整備事業計画」の問題点に、議員のみなさんも圧倒されたのか熱心にメモをとる姿も多く、さながら勉強会という雰囲気でした。
それにしても、町から議員に対しての説明がこれまでわずか30分程度というのは驚きでした。町民から選ばれた議員ですから、今後ともそれぞれの責任において町から情報の提供を求めたり、自ら調べたり、支持者のみなさんとの懇談から意見を聴取したり、もっと町政の課題について追求する姿勢を求めたいと願わずにはいられません。
3時間におよぶ懇談会でしたが、ある議員から「みなさんの方がよく勉強もし、情報も得ている」と発言があったように、単にそれぞれの思いを伝えお願いするというような場にはならず、この計画の何が問題であり、議員にどのような方向での努力を期待するのかを明確に伝えたという意味において、きわめて積極的な意義があったと思われます。議員からは、今後もこのような場をもっていきたいというような趣旨の発言もありました。今月中旬の議会にこれがどうつながっていくのか注目されます。
なお、今日の議員からの報告では、町のパブリックコメントの締め切りが4日から8日に延期され、さらに第4回策定委員会で検討されること、また、審議も4月にずれ込むのではないかという見通しであることなどが示されました。。





  2月27日(水)    
風邪がぶりかえしたらしく一昨日から鼻水ズルズル、涙目で、今朝は最悪。昨日出かけたときはそれほどでもなかったので安心していたんですが・・・朝起きたらは、くしゃみがひどく、頭痛などもあって大変。
医者に見てもらおうと、鼻水が垂れないようにディッシュを詰めて、前まで行ったら「本日休診」。なんじゃこれは。すごすごと帰ってまいりました。
そのままではシャクなので、妄想をたくましくして架空問答。もちろん医者はかかりつけ医の優しいドクターKではありません。また「私」としているパソコン初心者も私ではありません。あくまでモーローとした頭での妄想。

私:せんせい、また風邪ぶりかえしたようです。(ズルズル、ハックション)
Dr.:ああ、ひどそうですね。(と、口の中を見たり、聴診器を当てたり・・)
私:どうですか。
Dr.:風邪ですね。相当強いウイルスにやられているようです。最近パソコンでインターネット見ていません?
私:ええぇっ??? 何か関係があるんですか?ネットは毎日見てますけど・・・。
Dr.:インターネットを通して、最近悪質のウイルスが送り込まれているということです。
私:そんなあ、あれってパソコンのウイルスでしょ?人間にはうつりませんよ。
Dr.:いやいや、最近の技術はすごいものがあって、中国あたりからA香港型というウイルスも遠隔操作されているみたいです(と、真顔で)。あなた、最近、あやしげなサイトにアクセスしていませんか?
私:(ドキッ)み、みていませんよ。
Dr.:おかしいですねえ。
私:(おかしいわけねえだろう。ひょとして、患者を増やしたいからおめえがおくりつけてんじゃないの?・・・)いろいろなサイトをみたりはしていますけど。それって、ホントですか?
Dr.:(いよいよ真顔で)そうらしいですね。まあ、しばらくはパソコンさわらないこと。安静にして様子を見ましょう。お薬を出しておきます。
私:はあ、よろしくお願いします。
Dr.:ではお大事に。

こんなことを書いている私は、やっぱりホントにパソコン・ウイルスにやられたのかも・・・。あした医者に行ったら、先生に聞いてみよっと。「先生、このウイルス、パソコンからうつったんでしょうか?」

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昨夜、友人からメールがあり、郷里の一万人ぐらいの町ではとっくにスーパーが消え、ガソリンスタンドも消え、車で移動できるJIJI、BABAは隣の館林市の直売所に行くのだと言って、その直売所のURLを送ってくれました。

JA邑楽館林 農産物直売所 ぽんぽこ

大きな都市では逆にイオン系の大スーパーが進出し、その町の商店を駆逐しているわけで、この日本の消費構造はますますいびつにゆがんできています。
それゆえ、私としては地場産品の直売所がどれほど住民にとっての宝物であるかを再認識し、大切にしていかなければならないと思うのです。地域のお金が地域に落ち、さらに拡大して循環するのですから。大地を守り、JIJI、BABAの健康を守るよりどころではありませんか。

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今朝の信濃毎日、大糸タイムス、市民タイムス各紙が昨日のJAへの要請を報道してくれました。それぞれ若干のニュアンスの違いはあるものの、おおよそ私たちの気持ちを伝えてくれていて、池田町の住民のみなさんの知るところとなったのではないかと思います。





今日は「策定委員会」の第3回目。どのような議論が交わされるのか注目されます。

さて、この前から書いている「社会資本総合整備計画」の問題点。今日書きたいことは、「町が委嘱した委員だけでわずか4回の「策定委員会」をひらき、検討を経たとして交付金申請に進もう」としている町の態度についてです。
まず、12月末に委嘱して3月末までが「策定委員会」の任期。なぜこれほど急がなければならないのかという点です。町は、アップルランド跡地が空白になり、また交付金制度がこのあとどうなるかわからないと説明してきました。しかしこれらは、すでに指摘したように全く理由にもならないことは明らかです。
実はもう一つ理由があります。こちらの方が実態に合っているでしょう。それは委員のほとんどが当て職であるという事情です。たとえば自治会長や団体役員のように、4月に入ると委員が入れ替わることになってしまいます。これでは困るわけで、勢い急がざるを得ないということです。こんなことは公にはできませんから、前のような理由をつけなければならない。
委員の何人かに聞いてみると、十分内容が理解されているとはいえない。要するにこの計画がどんな問題をもち、過去の計画とどのように整合性があり、町民の要望とどれほど乖離しているのかなどという問題はまるで共有されていない。町がたてた計画だから、その範囲で意見をのべるということにとどまっているのです。
たとえ、最初はそうではあっても、時間があれば、次第に問題点が浮き彫りになり、議論も深まるでしょう。しかし、そうなるまえに委員会は無理矢理答申を出させられて終わり。
パブリックコメントとして出された意見は、意見として聞き置くだけということにならざるを得ません。これから議論が始まろうというときに、委員会は任期を迎え、答申を出すというのですからもともと乱暴な話なのです。委員のなかからこのような疑問、意見がでてこないのが不思議でなりません。

これからは私の意見です。多額の町税を投入する今回のような計画は、このような委員会の開き方で答申を出すべきではありません。町が「すでに決定した計画に基づく具体化」だと主張する論拠は崩れているのですから、その点を明確にして、一旦3月末で委員会を閉じ、解散するべきでしょう。
ただし、任期まではすでに募集しているパブリックコメントをどう扱うかの責任があります。出された意見についてはすべて公開するとともに、委員がすべて目を通し、委員会のテーブルにのせて討議し、見解を付すという手続きが必要です。そうでなければ「パブリックコメント」を募集する意味がありません。

この委員会は町の原案を審議するのであって、それを根本的に作り直すということはありえないし、当て職で委嘱された委員会ではできるはずもありません。
原案そのものに問題がある場合、そもそもの立脚点が崩れた場合、そしてあまりにも時間が短い場合は、策定委員会はそれを明確にして審議を打ち切り、仕切り直しをすべきだという答申を出すのが最も正しい選択です。
それを、ほとんど町の原案のまま追認し、計画を答申したとすれば、今度は策定委員会がその責任を問われることになります。それは、町にとっては最大の不幸でしょう。
また、町がこの委員会をもって町民代表に意見を聞いたというのであれば、町に問いましょう。では、代表とされている方々がその傘下のみなさんに意見を一度でも聞く機会を要請したのか。その時間的保証を与えたのか。委員や傘下の住民を連れて、計画されているアップルランド跡地や周辺の土地、道路拡張予定地を視察したことがあったのか、周辺住民の意見を直接聞く機会を持とうとしたのか。一度たりとも行われていないではありませんか。もともとその気もないのです。
それらをやっているのは、現在問題点を指摘し、JAに買い物の場設定をお願いして活動をすすめている住民の方なのですよ。
そして、こうした委員会の持ち方(委嘱のしかた)そのものが、この計画のずさんさを物語っていると私には思えます。

もし町民の多くが疑問をもっているのに、策定委員会が不十分なまま答申をまとめたとすれば、私自身は、国土交通省にそうした実態を正しく伝え、どれほど町で合意ができていないのかを説明する「責任」が発生すると考えています。

行政のみなさんに誤解のないように申し添えておきますが、私は決して町がこのような計画を発案することに反対しているわけではありません。手続きをふんで、町民に納得できるように説明し、その上で必要な資金の積み立ても行い、町民参加で原案を作成していくべきだと言っているのです。松川村の実践がそのすぐれた先例です。それこそが町の発展に資する計画のつくりかたではないかと申し上げたいのです。



  2月26日(火)    
楽しみに見ているテレビドラマの1つがフジテレビ「ビブリア古書堂の事件手帳」。剛力彩芽のクールで知的でどことなく神秘的なたたずまいが新鮮で、実に魅力的。逆光を効果的に使いアンティークな雰囲気を醸し出す演出も秀逸だし、それらに助けられながらこれほどの役作りができる彼女は非凡ですね。AKIRA、高橋克実らが織りなす人間くささとの対比が絶妙だし、古書の魅力をぎりぎりと掘り下げていく手法もなかなか。久々に見応えのある番組です。

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今日は午後からJA大北の本部に出向き、アップルランド跡地へのJAとしての出店を要請することになっています。
これはちょっと説明が必要で、すこし経過からお話することにしましょう。
アップルランドが池田1丁目から撤退するということが明らかになってから、町や商工会がその跡地に他の同種のスーパーに出店してもらえないかと打診をしたのは事実のようです。しかし、どの店もアップルランドが店じまいをしなければならないようなところへの出店を断ったのは当然でしょう。
2月12日、町に対しておこなった買い物弱者支援の緊急要請の際にも「商工会は100%無理と言っている」と話し、それ以上町なかにおける出店の働きかけは行政としてもできないとの態度を示しました。
住民の意見を聞かずに自分たちだけでそう結論づけるのはいかにも池田町らしい姿ではありますが、これに対して住民団体、個人で結成した「町なかに買い物の場を」連絡会は、何とか買い物の場を町中心部に作ることができないものかと思案した結果、ある方策を考え出したのです。
それが、今回の要請の中心である「JA会染直売所を中核とした店をアップルランド跡地に展開する」という方針だったのです。
これには2つの理由がありました。その1つはJA会染直売所の位置と現在の営業状態です。いまから数年前まではまだハーブセンターは野菜を扱っておらず、安売りザ・ビッグの出店もありませんでした。当時1億円を超える売り上げを誇り活気に満ちていた直売所も、ここ数年のうちに売り上げが6000〜7000万円に落ち込み、仮に近くにデリシアが出店すればますます窮地に立たされることになるであろうという事情です。
2つは、直売店は地域に密着して地元の農家の作った物を売り、地産地消、地域循環型の商業の拠点としての魅力を備えており、スーパーなどとは全く異なった展開が可能であるという事情です。直売所が全国的に見直され、活気を見せているだけに、その気にさえなれば新しい可能性を切り開けるはずだと私たちは考えたわけです。スーパーとは違い、自分たちの町の店を自分たちの手で守り育てていくことができるし、それを中核として他の商店や交流の場をつくることもできる。可能性は無限大です。
そこで、まず池田町の支所に出向いて池田選出のJA理事、所長と話し合い、さらに今回JAの常務と懇談するということにしたのでした。

結論からいえば、これはJAの組合員の理解と同意をえなければならないことですから、容易に実現できることではない。ある理事の言い方を借りれば「99%〜100%無理」ということになります。しかし、住民の理解が得られ、町もその方向で努力するという姿勢さえあれば全く不可能ということはない、と私は考えます。むしろ、アップルランド撤退を1つの好機として、買い物を含めた町の活気の再生を生み出していくことができるとさえ思います。
JAとの話し合いについては、終わってからまた書くことにしましょう。

午後1時半からJA大北本部で、平林常務、薄井・西山両理事に対して要請文を手渡して懇談を行いました。
平林常務は要請文に線をひきながら真剣に話を聞いた後で、「初めての話なので、検討をさせていただく。JAをとりまく状況は大変厳しいものがあることはご承知の通りだ」とこたえました。
参加者は、それぞれ池田の町なかで買い物が不便になっている状況を伝えるとともに、JAの現状を打開していく1つのチャンスとして町なかへの出店を考えてほしいことを伝えました。「本当は町がJAに働きかけなければならないんですけどねえ」という参加者も。
私から「今後、議会や商工会にも働きかけ、町にもこうしたプランがあることを知ってもらい検討を促していきたい」と伝えると、常務は「JAとしてやれることがあるかどうか、調査・研究していきたい」と答えてくれました。
住民の有志がJAの本部まで乗り込んで訴えるというのは、珍しいことではないかと思います。JAもきちんと対応し、今後も情報を共有していくことについて肯定的に受け止めてくれたことは一定の足がかりにはなったと思われます。


次はJA大北への要請文です。

要請文

現在署名活動にとりくみつつありますが、以下はその説明用に作成したチラシです。

チラシ表面(B4 pdfファイル)
チラシ裏面(B4 pdfファイル)



  2月25日(月)    
朝は大町でマイナス14度。池田町も大変な寒さでした。日が高くなると、これまたポカポカと暖かく、寒暖の差は20度以上にもなろうかというこの頃、私としては鼻水が止まらず困っております。

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さて、今日は改めて「社会資本総合整備計画」について。町が説明しているうちの「ワク取りが先」という交付金目当てのやり方がそもそも成り立たない話であり、とんでもない話だということを明らかにしたい。

まず、この「社会資本整備総合交付金」というのはどんな交付金なのか。国土交通省のホームページから引用すると次のようになります。

◇社会資本整備総合交付金は、国土交通省所管の地方公共団体向け個別補助金を一つの交付金に原則一括し、地方公共団体にとって自由度が高く、創意工夫を生かせる総合的な交付金として平成22年度に創設。
◇活力創出、水の安全・安心、市街地整備、地域住宅支援といった政策目的を実現するため、地方公共団体が作成した社会資本総合整備計画に基づき、目標実現のための基幹的な社会資本整備事業のほか、関連する社会資本整備やソフト事業を総合的・一体的に支援。


そして、Q&Aでは、申請までに必要な書類、提出窓口、経過措置の適用を受けた事業についての作成などについて説明した後、Q4「事前評価については、何をすればよいのですか。また、どのような書類を公表・提出するのですか」という項目を設けて、次のように説明しています。

以下の事項を検証した結果が分かる資料を提出していただければ結構です。
@目標の妥当性
・上位計画等との整合性
・地域の課題への対応(地域の課題と整備計画の目標の適合性)

A整備計画の効果・効率性
・整備計画の目標と定量的指標の整合性
・定量的指標の明瞭性
・目標と事業内容の整合性
・事業の効果(要素事業の相乗効果等)の見込みの妥当性
B整備計画の実現可能性
・円滑な事業執行の環境(事業熟度、住民等の合意形成を踏まえた事業実施の確実性)
・地元の機運(住民、民間等の活動・関連事業との連携等による事業効果発現の確実性)


この中で特に注目されるのが赤で強調した部分です。すでに計画の内容を熟知している住民ならば、策定中の計画がこの事前評価の項目に背反しているとただちにお気づきでしょう。国の交付金は、国費を使うわけですから、計画の策定段階から「住民等の合意形成を踏まえた事業実施の確実性」「住民、民間等の活動・関連事業との連携等による事業効果発現の確実性」を事前に評価すべきであると求めているのです。
国の「社会資本整備総合交付金」とはこのようなものなのです。町の「ワク取り」という説明がいかにいい加減なものかがわかるというものではありませんか。

確かに国の説明でも「地方公共団体にとって自由度が高く、創意工夫を生かせる総合的な交付 金」であると説明しています。そこで、自由度とは一体何なのか、どのような変更が可能なのか、など疑問があったので、国土交通省の交付金担当者に直接その部分を質問しました。以下、やりとりのおおよそです。

Q: 今池田町では公民館、図書館、400席のホールなどを合わせた地域交流センターの建設をこの交付金を使って作ろうとしており、その説明の中で「自由度が高い交付金なので、あとから変更・修正などは可能だ」と言っています。では、たとえばホールをつくるという計画を出して交付金を受けた後で、つくらないという変更をすることは可能なのでしょうか。

A: ホールを作るという段階で、それが町作りのなかでどのような位置付けがされ、どのような目標でそれを作るのか、それに対する住民合意はどうなのかということが前提となって計画されているはずです。

Q: ということは、それが作られないとなればもともとの計画は何であったのかということになりますね。

A: その通りです。ただ、全く変更が不可能かといえば、納得できる説明があれば、事情によってはできないことではありません。

Q: 当然、合理的な説明がなければいけないし、ハードルは高いということですね。では、もう一つお伺いしますが、商業施設を作るということは交付金の対象となるのでしょうか。

A: 町でスーパーをやるとか、民間の業者を入れるとかという場合に、その売り上げが期待できる場合は、そもそも交付金なしでやれるのではないかということになるので、交付金の対象にはなりません。しかし、地元の交流を目的としたり、観光客を対象とするとかということをその目的に入れるような場合には交付金の対象となります。

Q: 私たちが考えているのはまさにそのような施設です。地場産品を販売することによって地域の活性化をはかるとともに、地域住民の交流、商店の交流などを願っているのです。

A: それであれば対象になりますね。

Q: 最後にもう一つお伺いしますが、町の説明では、この交付金は早く申し込まないとこのあと制度自体がどうなるかわからない、申し込むなら早いほうがいいという言い方をしています。この交付金に期限があるのですか。

A: そんなことはありませんよ。

Q: ということは、たとえばあと2,3年町で計画をじっくり練って、こんなものを作りたいからこの交付金を利用したいといえば、利用できるということですか。

A: その通りです。とくに期限などありません。

いやはや町の説明は一体何なんですかね。
以上でおわかりの通り、「社会資本整備総合交付金」は、まず「住民等の合意形成」を行い、上位計画との整合性を持ち事業計画の目標をきちんと定めたうえで申請するのが正しい。あわてることはないというわけです。
町の「説明」は説明になっていません。

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この記事を書いてしばらくして携帯電話が緊急地震速報を伝えてけたたましく鳴り出した。そのあと15秒ほどしてわずかな揺れ。テレビをつけてみたら、栃木県で震度5強とのこと。息子とその家族のいる場所ですから、一時は心配になりましたが、どうやら大丈夫のよう。
地震だけは、いきなりやってくるし、どこで起こるかわからないので、あらためて初期動作だけは確認しておかなければと思わされました。



  2月24日(日)    
小雪が舞う寒い1日。今日閉店になるアップルランドに夕方出かけてきました。
閉店セールの最中で、かなり商品が片付けられ生鮮食料品は2割引から半額。そのためもあって、たくさんの人たちが買い物カゴいっぱいに買い物をしていました。
店には応援の社員とおぼしき若い人たちがたくさん。顔見知りの従業員に「さみしいねえ、このあとどうするんですか?」と聞くと「みんなばらばらに・・・」という返事が返ってきました。




政府が沖縄県への辺野古埋め立て申請に近く踏み切るという報道があったのはつい先日。今日の琉球新報は「辺野古移設、埋め立て申請今週にも 防衛局、漁協に伝達」というニュースをのせています。
2、3日まえには、もし申請があれば受け取ると仲井真知事が述べたという報道があったばかりで、政府とすれば何とか申請から埋め立てに持ち込めるのではないかと踏んでいるのでしょう。
しかし、そう簡単にはものごとはすすまない。TPP、辺野古埋め立てはおそらく安倍政権の最も弱いアキレス腱として国民の中で亀裂を広げていくことになると私には思えます。なぜなら、国会での政党の配置と国民の意識、要求とは著しく乖離しているからです。

琉球新報社説は次のように指摘します。

首相の日米同盟復活宣言は、基地の過重負担の軽減を切望する県民からすれば、対米追従路線の拡充・強化としか映らない。
長年にわたって沖縄が強いられている構造的差別を解消する方向に直ちにかじを切ってもらいたい。

首脳会談で、辺野古の埋め立て申請時期に触れなかったことが、沖縄に対する免罪符になると考えているとすれば、思い違いも甚だしい。日米安全保障体制が沖縄の犠牲の上に成り立っている状況を抜本的に改善しない限り、日米関係の強化も完全復活も、幻想にすぎないと自覚すべきだ。


沖縄タイムス紙も「[日米首脳会談]移設強行は最悪事態だ」とする社説を掲げ、「日本本土でできないものは沖縄でもできないのだ」と厳しく安倍政権を批判、次のように書いています。

辺野古への移設計画は、当初の海上ヘリポート構想と違って、普天間よりも高機能の基地を建設し、そこを拠点にしてオスプレイを運用するというもので、基地の過重負担を半永久的に沖縄に強いるものだ。

超党派の県民大会や、東京要請行動などに示された沖縄の切実な民意を、新基地建設のために踏みつぶすようなことがあってはならない。
沖縄の声を無視して移設作業を強行すれば、沖縄社会全体に取り返しのつかない亀裂が生まれ、深刻な社会的混乱を引き起こすだろう。




  2月23日(土)    
昨夜塾に出かけたときはまったく降っていなかったのに、帰りは10センチ以上の積雪。久しぶりに真っ白の中を4輪駆動で帰ってきました。池田も2,3センチの積雪でした。
一転して今日はまたウラウラと暖かい1日。日差しも日増しに強くなっていくようです。

相変わらずぐうたら寝てばかりいるハルちゃんが、今朝何か大きな物を加えて入ってきた。見ると鳥。まだバタバタしている。ハルちゃんがちょっと咥える力を緩めた隙に、鳥はすかさず逃げ出して家の中で飛び回って部屋の中は羽だらけ。窓をあけてやったらようやく外に逃げていった。
よくみかける鳥なんですが、何というのか知らない。どうしてこんなすばしこいものを捕まえてくるのか、全く想像を超えています。野生の本能ってやつですかね。狩りをするときは、人が変わるじゃなくて「ネコが変わる」。まあ、どうせデカすぎて食べきれないのだろうから、狩りができただけでいいではないか、とハルちゃんを慰めて一件落着。


今日まで、ローカル紙では、私たちの活動についていくつかの報道をしてくれています。
その1つは一昨日開かれた「町なか再生問題を考える懇談会」の模様。3回目となるこの懇談会では、町に対して計画の再考を求める署名活動を今後急速にすすめることを中心としたとりくみを決定しました。

もう一つは、バラの会が3月3日に行う剪定講習の予告記事。これは信濃毎日新聞が大きく取り上げてくれて、さっそく事務局に申し込みが何件か来ているようでした。バラ園にはまだ雪が残っていますが、あと一週間ほどで何とか雪が融けてくれるといいのですが。


昨日の信濃毎日新聞の一面トップの見出しは「TPP交渉参加へ」。asahi.comは次のように伝えています。

安倍晋三首相は22日昼(日本時間23日未明)、オバマ米大統領とホワイトハウスで会談し、日本の環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加について「あらかじめ全ての関税撤廃の約束を求められない」とする共同声明を発表した。
首相は会談後の記者会見で「なるべく早い段階で決断したい」と強調。3月上旬にも交渉参加を表明する意向だ。
・・・「最終的な結果は交渉で決まるもので、全ての関税撤廃をあらかじめ約束することは求められない」ことの確認を促すと、大統領は「確認する」として同意。両首脳は会談で交わされた合意内容を共同声明として発表した。


これ以外にも、「安全保障環境が厳しさを増すなか、米国とともに責任を果たす」「日米同盟の信頼、強い絆は完全に復活したと自信を持って宣言したい」などと発言していると報じられています。

オバマ大統領から「聖域無き関税撤廃ではない」という印象を得たという程度の感触で「TPP前のめり」になる安倍さんの姿たるや、何にもたとえ難い。
TPPへの参加が日本農業にどのような影響を及ぼすかなどというレベルの議論はすでに一年以上も前に決着はついています。今日ではこのTPPは、農業ばかりではなく金融、保険、医療、知的財産権などあらゆる分野でアメリカ企業が日本を食い荒らす「怪物」として、幅広い批判と反対の対象となっているのです。
「関税撤廃に例外を認めない」ことががそもそものTPPの出発点であり、ニュージーランドなどは後からきたアメリカによってめちゃくちゃにされたという告発・怒りの報告もあるし、NZ国民の多数が秘密主義のTPP交渉を終わらせたいと考えているという報道もありました。

一方日本の財界はと見ると、いやいや大変な熱の入れようで、TPPに参加しないと日本は世界から取り残され真っ暗闇になってしまうという将来像を描いたパンフレットをつくっている始末です。安倍さんも米倉さんも、アメリカに身も心も捧げちゃっていますよね。

日本経団連の米倉会長は住友化学の代表取締役会長で、一昨年10月に遺伝子組み換え種子の大手モンサントと長期的協力関係を結んでいわれています。ただし、住友化学のコメントではこれは「事実誤認」であると言い訳していますが、プレスリリースでは、どう見ても住友化学とモンサント社との深い提携が行われているのは事実ではありませんか。
それらの「言い訳」を考慮した上で、ネット上で流布している次の動画をみてみましょう。前の2つは、ややや、バイオハザード?? ちょっとマユツバのところもありますけど、TPPで何が問題なのかを知る上では大変参考になる。













  2月22日(金)    
今朝のNHKあさイチに三輪明宏が出ていました。
1960年代終わり、ちょうど私が高校から大学に進学する頃、テレビのバラエティ番組「夢であいましょう」に出演していましたっけね。今では昔の面影もない姿ですが、当時の彼はスレンダーで実にかっこよかった。三島由紀夫が惚れるのも無理はない。当時の私はまだ丸山姓であった彼の歌う歌に衝撃を受けたのでした。
昨年末の紅白では過剰なパフォーマンスで「ヨイトマケ」をやっていましたが、かつての丸山明宏は、タートルネックの黒いセーター姿で淡々と歌っていたような気がします。
三島由紀夫みたいな関心からではなく、まさに社会の底辺での生活を堂々と歌にした彼の姿に感動をうけたのでした。レコードを手に入れたのは言うまでもありません。そして、そのB面の「ふるさとの空の下で」がまたよかった。自らの被爆体験をもとに作詞作曲したもので、当時はヨイトマケよりはこっちの方をよく聴いていましたっけ。どうやら「辛いことがあっても歯をくいしばってしっかりやればきっといいことがある」と信じたかった当時の私の心情(「上を向いて歩こう」的心情)を反映していたらしい。もっともいまこの歌を聴いても懐かしいだけですが・・・。
実は、当時購入したレコードがまだ手許にあるのですよ。貴重ですね。状態は大変よいものですから、そのうちオークションに出そうと思っています。何としても手に入れたいという方がいらっしゃったらどうぞご連絡ください


さて、今日は「池田町社会資本総合整備計画」についての続きです。
手続き上の問題の一部は20日に指摘しましたが、あと3つ見逃せない点があります。その1つは、町が過去の計画(「都市計画マスタープラン」「第5次総合計画」)で「町なか再生」はすでに十分議論されおり、あらためて町民に意見を聞く必要がないという町の基本態度について。2つ目は、計画策定は国の交付金の「ワク取り」だから、内容の変更は今後も柔軟に対応できるとしている点、そして3つめは、わずか4回の町が委嘱した委員だけで「策定委員会」をひらき、検討を経たとして交付金申請に進もうとする町の態度です。

まず第1の点から検討してみることにします。
「都市計画マスタープラン」とは池田町が平成18年1月に発表した町作りの基本計画であり、「概ね 20 年後の 2025 年を目標とする計画」であって、国の「都市計画法第 18 条の2に基づき、池田町の都市計画を中心としたまちづくりに関する基本的な方針を定めるもの」とされています。その位置づけについては、次のように記載されています。

本計画は、上位計画である「池田町総合計画」等に即し、現在進行中の計画や事業とも調整を図りながら、町全体および地域別(区分は 19 ページ参照)の課題に応じたまちづくりの基本方針をまとめています。市街地内の道路、公園等の施設の整備、土地利用等は本計画を基本に据えて、個別に別途事業化し、それぞれ実施していくことになります。

この時点では「第4次総合計画」が上位計画であるとされていることに注目しましょう。
この「マスタープラン」では膨大なアンケートなどもとりながら、池田町の実態をかなり詳細に分析し、さまざまな課題を明らかにしています。とくに、町なかの問題では、「まちなか商業の魅力の低下」として、「顕著な高齢化と後継者の不足」「店舗併用住宅が多い」「建築年数の古い建物が多い(約半数が築 30 年以上、20 年以内に建替え時期を迎える)」などが指摘されています。また、20代、30代の人口の顕著な減少も大きな問題とされています。
では、どのような町づくりの理念・将来ビジョンを描くのか。「マスタープラン」では、「人と自然の融和したまちづくり」をメインの理念に掲げ、暮らしの目標としては「快適で持続可能な暮らしの実現」を、産業の目標としては「地域に根ざした産業振興」(・地域で生産したものを地域で販売・消費できる農業・地域に根ざした産業で振興を図る商工業・美しさで人を呼び、味わいと体験で満足させる観光)を掲げています。
その上で、20年間に必要な取り組みとして町全体をゾーニングし、「快適居住創出プロジェクト」「産業雇用創出プロジェクト」「美しいまちじっくり満喫プロジェクト」の3つをあげて、その具体化をはかっています。
とくに今回関係の深い「まちなか」についてはどのような方針をかかげていたのでしょうか。

1.快適居住創出プロジェクト

1-A.まちなかの再整備
・安全で、生活利便性の高い道路の整備・改善
・身近に行ける公園、広場の整備・改善
・空き家等の有効的な不動産管理システムの構築
・小規模な区画整理等による生活基盤の改善


これらに続く地域別構想では次のように書いています。

まちなかに新規の居住者を積極的に誘導し、地域に根ざした商業により賑わいを生み出し、段階的にまちなかの再生に取り組んでいきます。
Step.1 人を増やす 〜まちなかへの新規居住の誘導
(詳細略)
Step.2 
賑わい再生 〜地元ならではの消費のしくみづくり
・生活者のニーズに応える商業の再興(若い世代、高齢世代)

・歴史を伝える散歩道等と地域協働で進めるまちなかの環境づくり
・地域資源を活かした「歩いて・見て・食べて・楽しめる」空間づくり


町づくりの方向について、立体的に構造化する視点がきわめて薄弱であることは脇におくとして、ともかくこの「プラン」では、町なかの再生が「地域に根ざした商業により賑わいを生み出」すとしていることに注目しておきましょう。
現在、町はアップルランド撤退という事態に対処するすべもなく、商業施設ではなく公共施設で「人の流れを作り出す」としているわけですから、すでにこの時点で過去の「マスタープラン」から外れ、恣意的に町の「改造」を行おうとしているのです。
ただし、以前の計画とは事情が変わることは当然ありうることです。Aコープの閉鎖が問題にはなっても、町なかのアップルランド撤退までは想像できなかったわけですから、「プラン」を見直すことは当然ありうることです。だとすれば、これは「十分に論議した計画にもとづくもの」とはもはやいえないわけで、あらためて町民から意見を聞き、どのように町なかを再生していくのか議論をたたかわせなければならないことになります。
以上のことから考えて、現在の町のプランが「マスタープラン」に基づくもので、その際に十分議論しており、あらためて意見を聞くことは必要ないとか、「プラン」の具体化なのだという町の「論拠」はすでに崩れているといわなければなりません。

そこで、町にお伺いします。「まちなか再生計画」が過去の計画ですでに十分議論されており、これまでの持ち越し課題を順次実行するだけだという根拠は何か。どのような方針に基づいているのか、どのように議論済みなのかを詳細に明らかにされたい。



  2月20日(水)    
今日町が発行する「池田町社会資本総合整備計画ニュースレターVol.2」が自治会を通して全戸配布されました。このニュースレターでようやく全町民に「いちおう」町がどのようなことをやろうとしているのかが知らされたことになります。
2月6日にVol.1が出され、町なか整備の課題、策定委員会で検討がはじまったこと、事業の項目のみが紹介され、内容は次号で知らせるとなっていました。そして、そのVol.1で次のように書かれていたのです。

意見募集のお知らせ
平成25年2月13日から平成25年3月4日までの間、社会資本総合整備計画素案について皆さまのご意見を頂戴する「パブリックコメント(意見募集)」を予定しております。


町民から意見募集をするためには、その原案が広く周知徹底されていることは最低限の条件でしょう。確かに町のホームページには、詳細な「素案」、策定委員会の議事録などが掲載されています。それを見ることができるのは、それなりに関心があり、パソコンを持っていることが前提となります。ところが、ニュースレターで事業計画の内容が示される一週間前から意見募集が始まり、今日内容が簡単に示されて、あと12日で締め切りなのです。こんな意見募集というのは聞いたことがない。問題点や疑問を確かめようにも、一般町民にはそのすべがないのです。
しかも、募集された意見がどのように扱われ、どのように町民に返されるのかが書かれていません。第3回の策定委員会が2月27日で、そのあと3月中旬の第4回で答申というスケジュールからすれば、策定委員会がこの意見を十分検討して答申に反映する時間的な余裕は全く見られていません。
「素案」に対するコメントを期待しているようですから、素案を原案に高めるためのものであるという位置づけをされていることは明らか。しかし、それを原案に取り込む手続きは皆無。コメントをとるのは単なるアリバイづくりなのでしょうか。
そこで事務局にお伺いします。町民からのコメントをどうなさるおつもりなのでしょうか。上記の疑問にも答えていただきたい。
そしてもう一つ、どのようなコメントが寄せられたのか、すべてを公開していただきたい。それに対する事務局および策定委員会としての考え、修正意見があればそれに対する賛否なども付け加えていただくのは当然です。
もちろん私も詳細なパブリックコメントを書き、最終日に提出する予定なのでどうぞよろしく。

さて、この「社会資本総合整備計画」が浮上したのは、昨年6月の町長選挙で現職が打ち上げた「まちなか再生計画」が発端でした。それまでは、わずかな福祉政策にも背を向けてきた町長が一転して高校生までの医療費の無料化をはじめ、さまざまな公約を打ち出しました。そのなかに池田地区の「まちなか再生」と会染地区でのワイナリー建設というのが盛り込まれていたことは衆知の事実です。
現職の当選の後、庁内ではプロジェクトが組まれ、企画コンサルタントが決められてこの政策の具体化が進められます。また町民への抽出アンケートが行われました。
折しも、1丁目で営業をしていたスーパー「アップルランド」が閉店、撤退するという事態になり、急遽跡地に公民館・図書館・400席収容のホールなどを一体にした交流センターを建てるという構想が浮上したのです。
町が建てた「素案」を審議し、「町民の意見を取り入れた」という体裁を整えるために、あて職による20名の「策定委員会」が委嘱されて、12月20日に第1回の委員会が開かれます。素案が文書で提出されたのはこの日が初めてでした。この時点まで議会で構想の説明はあっても、町民には内容はほとんど知らされていません。

町は、議会でも次のように説明していました。

1.計画自体は、「都市計画マスタープラン」「第5次総合計画」で十分審議・検討されており、この計画はその具体化である。だから、町民に説明する必要はない。
2.国の交付金申請の期限があり、これを逃すと今後このような有利な交付金は受けられなくなるかもしれない。今回の計画はあくまで交付金の「ワク取り」にすぎない。今後町民の意見も聞いて変更・修正をしていくことは十分可能である。


アップルランドがなくなり、その跡に商業施設ではなく、公民館を移設し交流センターを建てるというのは、過去には想定もしておらず、しかも多額の資金を投入する大型のプロジェクトです。たとえ、跡地に交流センターを建てるにしても、計画段階から町民の意見をくみ入れ、さまざまな議論を通して計画を練り上げるというのが行政の常道です。
まず、民主的な手続きという点で、全く条件を欠落させていますから、およそ検討するに値しないプランであると私は考えます。何しろ真面目さ、町民に対する謙虚さのひとかけらもないのですから、このような計画の作り方は私の理解を超えています。
今後、私は町の素案について、詳細に検討を加える予定です。それらをまとめたものをパブリックコメントとする予定ですので、反論などがあれば早めにお願いいたします。

今日は、ちょっと趣向をかえて、おとなりの松川村がどのように同様の「交流センター(すずの音ホール)」を建てたのかを見ておくことにしましょう。手続きという点でも、財政計画という点でも、学ぶべきことは山のようにある。池田町がこのまま事業推進に突っ走るならば、松川村との違いはもはや救いがたいほどに広がるであろうことがよくわかります。

松川村はどのようにして「すずの音ホール」を建てたのか。No.1
松川村はどのようにして「すずの音ホール」を建てたのか。No.2

ただし、今後記述やデータの正確さを期するために、修正することがあり得ます。文責は町政研究会代表である私です。



  2月17日(日)    
今朝の池田町はたぶんマイナス15度(大町の気温がそうだったから)。放射冷却がきつくて、冷え込みが半端じゃなかった。昼過ぎになると、一転ポカポカ陽気になり、猫のはるちゃんはいつもの指定席でお昼寝。
MNEMOさんのブログにノラの「サドル君」の何とも素朴でほほえましいデビュー画像が掲げられていました。当然ながらですが、撮る人の優しいまなざしが感じられてこちらまで気持ちがほっこりします。
こちらも負けずに、ぬくぬくとした我が家の一等席(エアコンの真下)で、キーボードを枕にまどろむ飼い猫ハルちゃんを紹介。撮る人のネコかわいがりのまなざしが鬱陶しい?
こっちは白黒なので全く絵にもならない!格好も無防備そのものでだらしがない。し、しかし、これでも一歳前後まで厳冬の中をけなげにも一人で生き抜いてきた元ノラですから、許してあげましょう。


2ヶ月分まとめて本屋に取りに行ったために読み逃していた大事な一文を雑誌でみつけ、おくればせながら先ほど読み終えました。
それは「世界」に連載されている品川正治さんの「戦後歴程」のことで、1月号にはその第7回目が掲載されていたのです。タイトルは「沖縄の本土復帰と二つの仕事」。
わずか9ページほどの短い一文ですが、中身は当時の歴史を凝縮しており、たとえて言えば山崎豊子さんが書いたら「沈まぬ太陽」か「運命の人」を上回るであろう程の分量。ドラマ性にしろ現代的意義にしろ、これらの小説に勝るとも劣らない大変な内容を含んでいます。

品川さんは次のように書き始めるのです。

(品川さんたちが当時手がけた事業は)沖縄に寄り添い、いまもその足跡を誇りうる業績と自負できる事業であった。しかし、それは絶対に表面に出し得ないことでもあった。右近社長(日本火災=当時)は一言も表に出して誇ることもなく、すべてを墓場まで持っていかれたが、私までそうすれば、当時の記録は、歴史から完全に消えてしまうことを意味する。

品川さんは、意を決して沖縄返還前後の日本火災を舞台にした金融・保険業界の生々しい実情をたどり、自らの活動を記していくのです。

その一つは、沖縄大同火災発足をめぐる経過です。
復帰が実現すれば、本土の損保業界はなだれを打って沖縄に進出、沖縄の損保業界はひとたまりもないはずだ。当時琉球火災、共和火災など4社もそのままでは本土の大手損保にはとうてい立ち向かえない。そう考えた日本火災右近社長と品川企画課長が立てた方針は次のようなものでした。

1.沖縄戦とそれにつづく米軍占領、沖縄放棄に対する贖罪、沖縄のこころに答えるためには、生き残った本土の私たちは何をしなければならぬか、その結論は、「沖縄の人たちは日本で一番幸せな人たちにならなければならない」ということだ。
2.本土復帰後も、本土の損保会社が沖縄を市場とせず、いまある沖縄の損保会社の活動を浸蝕しない。むしろ沖縄の損保会社を助け、本土で沖縄の人が契約している保険もそのまま沖縄側に引き渡す。


この方針に基づいて全権を任された品川課長は単身沖縄に渡り、まず琉球火災・共和火災の合併に取り組むのです。
他社からの工作も進んでいたから、各社を説得することは容易なことではない。そのときに右近社長から「会社よりも先に労働組合を説得する方法もある」と示唆され、両社の組合員たちと何度も何度も会合を重ねるのです。そして、会社の合併を待たずに先に組合が統一を決議。両社の対等合併=大同火災の発足へと道をひらくのでした。
日本火災は沖縄への進出をさけ、あくまで大同火災の活動を側面から支援する立場を堅持します。この大同火災はその後も堅実に歩みを続け、今日も沖縄に本拠を置く損保会社として営業を続けているそうです。

その二つ。これは沖縄本土復帰時の円、ドル交換にかかわる激しい攻防の物語です。
復帰にともない、流通しているドルを回収しそれと等価な円を沖縄に送るのは日銀の仕事だったのですが、その一切のリスクを日本火災が引き受けていたのです。国際的なマフィアやギャングが暗躍しているという情報も飛び交っていた当時です。しかも、復帰直前に世界を震撼させたニクソン・ショック(ブレトン=ウッズ体制の崩壊)が襲い、一事変動相場制に移行し、1ドル308円で固定されるに至ります。
日銀国際局から顧問に招聘された品川さんがそれをどう跳ね返していったか、このあたりは品川さんの筆致もさえて熱く激しい気持ちが行間からあふれてくるようです。
くわしくは書けませんが、品川さんは会社役員だけではなく労働組合のメンバーたちとも心を通わせながら「絶対に賃金を360円で替える」との決意をともにし、最後まで戦い抜いていくのです。

品川さんは最後にこう締めくくっています。

あの時から40年。ひたすら対米従属の道を歩んできた日本政府の権力者たちは、彼らが拠って立つ日米安保条約の負担はすべて沖縄に押しつけ、沖縄県民の犠牲を当然視してきた。現在、さらに安保条約の「深化」と称し、アメリカの世界戦略の拠点として沖縄を位置づけようとしている。普天間基地の撤去に向けて沖縄県民は立ち上がった。
・・・・本土復帰の願いの底にあった「憲法九条を持つ日本国に復帰したい」という、祈りに近い沖縄人の願いに私は共感を禁じ得ない。・・・
野田民主党政権が終わり、憲法改悪を狙う安倍自民党総裁、尖閣列島問題に火を点け、憲法放棄を公言する石原前東京都知事、それと組む維新の会の橋本、その他名乗りをあげる第3極など、右翼としか表現しようのない人たちの話題でマスコミははしゃぎ回り、「沖縄」は視野から消されてしまっている。
私は亡き右近保太カの「沖縄の人たちは日本で一番幸せな人たちにならなければならない」という言葉を、88歳の今も忘れない。いや忘れようがない。
同時に、沖縄の本土復帰の原点である「憲法九条を持つ日本」こそ私の戦後の原点でもある。


何という心根、何という心意気、何という気迫。私はこの老財界人の述懐を胸に納めて、不覚にも涙が止まりませんでした。



  2月16日(土)    
ゆっくり休んだおかげで、今日は咳もほとんど出なくなり身体もすっかり軽くなりました。まだ油断はできないので、明日一日はまだ家で缶詰。いつもPCの前に座っていましたから、「いまはやりの遠隔操作ウイルスに感染か」と友人から皮肉られております。
2日ほど「先輩」の妻は、以前から予定していた演劇鑑賞会の出張で明日朝から東京へ。5日以上経過しているからもう大丈夫でしょう。

寝ながら本を読むのはなかなか辛いものがあり、結局この2,3は何にもせず。今日遅くになってから、ようやく何かをしようという気持ちになり、録画してあった「上意討ち 拝領妻始末」を二人で見ました。
現代の価値観からすればありえない「妻のやりとり」という非人間的な行為も、封建制のもとでの主従関係の中では普通にありえたのかといえば、実はそうではない。他の藩や江戸幕府に知られれば大事になると知っていればこそ、側近、親族たちは表向きの理由をつくって内密にことを処理しようとしたのでした。その理不尽さ、不当さ、非人間性を見抜き、最後まで従わなかった笹原伊三郎、いち、与五郎の苦しみと切なさ、そしてその最後が胸を打ちます。
藩主の命に従い体制維持を至上命令とする側用人と馬廻組組長、家名と一族を守るためと策を巡らす笹原一族の長老など、藩命に従わない者を追い詰めていく仕掛けを丹念に描いていて見ごたえがありました。そしてまた、仲間由紀恵演ずる「いち」の凜とした姿が実に印象的、感動的でした。



  2月15日(金)    
今日の午前中に医者へ行って診察券を窓口に出したら、直ちに「隔離室」に入れられました。昨日は妻が受診していたのをちゃんと覚えていてくれたのでした。診察室に入ると、かかりつけ医であるこの先生、いつもの穏やかな顔で「症状は軽そうですねえ。でもこれからどうなるかわかりませんから」といいつつ聴診器をあてて呼吸をしらべ、その後鼻の穴に綿棒のようなものを突っ込んでウイルスの検査。
「ああ、出てますねえ」
「A型ですか?」
「そのようですね」
これで5日間の外出禁止が確定し、家へ帰ってからはカギを閉めて、妻と枕をならべてただひたすら寝ております。とにかくどんなに室内の温度を上げても「寒い」。汗をかくとまた「寒い」。幸い今のところ高熱はでていないので、おとなしくするに限ります。では・・・

何にも書くことがないので、せめてその昔生徒が書いた似顔絵でもごらんください。







  2月14日(木)    
一昨日の朝、15センチほど積もってどうなることかと思ったら、昨日今日の好天であっという間に雪も解けてしまいました。
12月末の大寒波を除けば、1月、2月は南に雪の多いべた雪型。朝の冷え込みもせいぜいマイナス5、6度と12月の寒波は何だったんだろうと思われるほどです。




妻は一昨日から風邪気味になり、昨日は無理を押してシニア大学の卒業式にでて、そのあとの宿泊打ち上げ会で発熱。今朝病院でインフルエンザA型と診断されてしまいました。
私もそれから遅れること2日くらい。今日午後から熱っぽくなって、どうやらうつってしまったようです。明日の朝は病院に行って診察をしてもらおうと思っているところ。高熱ではないものの咳がひどく、このまま外出したり会議に出たりすればまた人にうつしてしまうことになりますから、しばらくはおとなしく家で寝ているに限ります。夕方から二人で討ち死に。



  2月11日(月)    
PCを遠隔操作し殺人予告をした容疑者が逮捕されたニュースがどの番組でも駆け巡っています。民放テレビなどは、容疑者の幼少の頃からの人柄なども根掘り葉掘り伝え、いかに孤独で猫好き、しかもPCおたくであったかをおもしろおかしく描き、もう裁判で有罪が確定したかのような報道ぶりです。数ヶ月前に誤認逮捕して謝罪したことなどどこ吹く風、しかも決め手になったのはやはりまた「防犯カメラ」(監視カメラとは言わない)でした。
重大なことは、逮捕前に本人が歩いている姿や、派遣先にバイクで行く姿まで放映されている。つまり、逮捕前に報道機関にリークされているということです。
本人が犯行を否認していると伝えられ、まだ容疑が固まったという段階。もし仮に誤認逮捕だったとしたら、警察、メディアはどうするつもりなのでしょうか。有罪の確定までは「推定無罪」なのです。どれほど有罪に近いとしてもです。本人が「自白」したとしてもです。テレビの露出ぶりはまるでリンチ。これが現代日本の姿なんでしょうかね。こんなのに慣らされ慣らされしていくうちに恐ろしいことになるような気がしてならない。
マスメディアはもう腐りきっていると私は感じます。それを強く思うのはこの報道ぶりだけではありません。もっと背筋が寒くなるのは、監視カメラの存在を全く無批判に受け入れている点。いやそれだけでは無く、今回の決め手がカメラだから、日本中の至るところに設けるべきだという「世論」を醸し出していこうとしているではありませんか。これって、監視社会をもっともっと作り出していこうということでしょう。監視カメラだけではありません、ひょっとしたら盗聴器なども仕掛けられているかもしれません。あなたのPCも覗かれているかもしれません。中国のことなど言っておられませんよ。まさしく「安心のファシズム」(斉藤貴男)です。

退職したら1日に一本見ようと思ってとっておいたビデオテープが山ほど。そのうちDVDが主流になって・・・という話は前にも何度か書いたことがありました。
今日はそのうち、前から見たいと思っていた「リア王」をビデオで鑑賞しました。私の見たのはローレンス・オリビエ主演。イギリスのテレビ用の作品らしくセットもたいしたことはありませんが、逆に俳優の台詞と表情が生々しく、ぐいぐいと引き込まれます。ただ、「沈黙」や「・・・」の多い日本の作品などと比べて(比べる方がおかしいのだけれど)、シェークスピアの饒舌にも近い台詞回しについて行くのが精一杯。


実は、小学生か中学1,2年頃に少年・少女向けの本で読んだことがあり、荊の冠をかぶって荒野をさまよう白髪のリア王の姿(挿絵)の姿がずっと頭に焼き付いていて、いつかは見てみたいと思っていたのでした。幸せをつかんだと思われた瞬間に逆転する、いたたまれなくなるような最後。

人は皆泣いてこの世に出てくる。生まれ出る赤子が泣くのは、この愚者の舞台が嫌なのだ。

何と悲しい、何と哀しく切ない台詞でしょう。上の娘二人の生い立ちから素性まで知り得たはずの父親が、かくも簡単に父を裏切り貶めるなどという設定自体荒唐無稽だし、末娘が純粋無垢であることもあり得ない設定ですが、シェークスピア劇のすごさは、そうした設問自体を無にするほどのリアリティまたはプロバビリティを持って迫ってくるというところでしょうか。
若い頃に見たエリザベステイラー、リチャード・バートン主演の「じゃじゃ馬ならし」も一気呵成に見せて、いや凄かったしね。
ただ、いかんせん、翻訳にしろ本で読んだのがロミオ&ジュリエットかハムレットくらいですから、もうちょっとしっかり読まなあかん。台詞がす〜っと暗唱できるくらいになると、かっこいだろうなあ。Oh,why are you Romeo.くらいじゃ様にならないしぃ。



  2月10日(日)    
朝はマイナス5度。霜が車の窓と言わず側面と言わずへばりついて氷漬け。しかし日が高くなるにつれて、ポカポカと暖かく、これはもう春の兆し。太陽光発電のモニターも3.0kw/hを示してこれまでにない高さです。

今朝のNHKで、LEDを使った通信技術の開発に挑むベンチャー企業、町工場を紹介していました。
ベンチャー企業の技術は沖縄発。海の中で、いままでは手で合図するしかなかった通信を、LEDの光に乗せて信号を送り通話できるようにするというものです。実験段階ではもう立派に確立した技術。病院でもこの技術はもう実用化されていて、院内のLEDを自動的に読み取って薬を運ぶロボットが紹介されいました。
長野の町工場では、人工衛星と通信するための反射鏡や大きな衝撃に耐えるライフルスコープの技術。とくに小さな反射鏡はナノ単位の研磨が必要となるといい、それを一人で町工場を切り盛りする男性が挑戦しているのです。
研磨機は恐ろしく高い。そこで、「微積分を最初から勉強し直して、自分で研磨機をつくってしまった」と聞けばただただ驚き敬服するばかり。しかも、こうした技術は世界をリードしているというのですから、日本の中小企業のものづくりの技術・底力はすごいと実感させられました。蛇足ですけど、沖縄と長野ってところもよかったね。 

ところで、昨日の朝日新聞の文化欄に、池澤夏樹さんが「沖縄、根拠なき負担 構造的な差別の先には」という一文を書いていました。

日本人の大半は沖縄人を別種の人間と見なしている。・・・差別といっても、日常の場でちょっと嫌いとか、あいつはねとか、そのレベルの差異感ではない。このカテゴリーの人たちは同じ日本国民でも一段下だからこれくらいの負担は当然、という思いこみが1都1道2府42県の側にある。その現物が普天間でありオスプレイなのだ。

かなり挑戦的な書き方です。「そんなことはない」「それは言い過ぎだ」「事実を見ていない」・・・いろんな反論が出てきそうです。もちろん池澤さんは、唐突にそういっているわけではありません。

根拠の1。最近では沖縄の41の市町村全部の首長、議長、県議140人が上京して、オスプレイ配備の撤回と普天間基地の県内移設反対を訴えた。この2つについて沖縄県民の9割が賛成。「これは普通ならばあり得ない数字だ」と池澤さんは言う。「しかし、彼らの声は届かない。国ならびに1都1道2府42県、また本土のメディアの多くはこれを完全に無視した」・・・その通りです。

根拠の2。沖縄に海兵隊を置く根拠はなにもない。尖閣問題には沖縄の海兵隊が抑止力になるなどというのは全くの口実。池澤さんはこの点を具体的にくわしく解明しています。

根拠の3。沖縄は日米地位協定の改訂を何十年も前から政府に要求いるが、今もって何の動きもない。
このあと、「これだけ材料がそろうと、一つの結論が見えてくる」として、冒頭の表現に続くのです。

池澤さんは最後に、あえて「小説家の妄想」と断った上で、次のように続けます。「沖縄にオスプレイが墜ちたら、抗議する沖縄人は基地になだれ込み、米兵は彼らを撃つかもしれない」

圧倒的な国民は沖縄を知らない。実感がない。テレビのドラマか旅行記か事件くらいでしか、見たことがないのです。実感がなければ「想像力」を働かせるしかない。その上でロジカルに物事を見ていくことです。想像力が論理を磨き、論理が想像力を鍛える。
しかし、その想像力さえ、そのテレビや新聞などのメディアによって、ゆがめられ萎えさせられている。だから、差別しているなどという実感すらない。その結果が、池澤さんの次の指摘につながっているのです。

すばらしい観光地、癒しの島、定年後は移住もいいかもしれない。歌手と俳優の供給源。そして基地を置いておくのに便利なところ。

いやいや私だって、沖縄出身の妻と結婚していなければ、こんなことを考えることすらなかったかもしれないのです。また、今だってどれだけ自分の心と頭がゆがめられているかしれないのです。

いま、全国で震災がれきの受け入れをめぐって住民との対立が表面化しています。がれきの処理は必要だが自分の庭では困るというわけですね。確かに一面は正しい。しかし、それをはるかに上回る深刻さを抱えた問題があるにもかかわらず、それは他人の問題だから、あるいは政府の管轄問題だからと放っておかれる。
「そんなことを言っても降りかかる火の粉は払わなければならない」。確かにその通りです。それはそれで解決しなければならないでしょう。ただ、目に見える形で、身近に起こった問題だけに反応すればいいわけではない。
沖縄に降りかかる火の粉は、自分の上には降りかかっていないのか。想像力と論理はそこからはじまるのではないでしょうか。もちろん先にも述べたように、自責・自戒の念をこめての物言いですけれど。

私はいま、「琉球・沖縄の歴史」をかじり始めています。妻に方言を教えてもらいながらなんですけど、なかなか面白い。
まだ沖縄が本土とも大陸とも陸続きであった頃、現在の中国あたりから移動してきた人びと、南方から海を渡ってきた人々などが北上し、やがて縄文人になっていったという説が有力。
しかし、現在の沖縄人は、その後逆に九州、奄美や大陸からわたってきた人々との混血によって形成されていったようだと書いてありました。
「ジュニア版 琉球・沖縄史」(沖縄歴史教育研究会 新城俊昭)には、次のようにかかれていました。

日本史では縄文時代のあとは弥生時代、その次が巨大な陵墓を造営する古墳時代とつづきますが、沖縄にはそのどちらもありません。もちろん、「貝の道」で知られるように本土との交流はありましたが、その文化が定着することはなかったのです。

沖縄の先史時代は本土とは大きく異なっています。おそらく北海道もそうなのではないでしょうか。
同じ日本の中であるにもかかわらず、沖縄も北海道もその歴史はほとんどの学校教育の現場で切り捨てられているのは、先の池澤さんの指摘に通じるものがあると思えてなりません。



  2月9日(土)    
午後から開かれた「町なか再生問題を考える懇談会」に出席しました。30人余りとちょっと控えめでしたが、集まった方々はかつてないほど多様で、問題の深刻さ、緊急性をものがたっていると思わされました。
それぞれ、買い物の場がなくなることへの不安、町の計画のすすめかたへの疑問を語るのを聞いていると、行政がどれだけ町民の気持ちと離れているのかを感じないわけにはいきません。


昨日、町が自治会を通して配布を依頼する「ニュースレターNo.1」が届きました。
これを見ると、まちなかの課題は第1に老朽化した公民館などイベントに対応できる施設への対策、第2に、空き屋、空き店舗対策、第3にアップルランド撤退後の対策など、14項目が掲げられ、それを解決するための事業として「社会資本総合整備事業」を立てようとしているのだと説明されています。
この計画の内容は次号で詳しく載せのだそうですが、第1号を見る限りでは、どのようにして「まちなかのにぎわい」を再生するのか全く見えてきません。同時に、アンケートの結果について重大なすり替えが行われています。おわかりですか。
ここでは答えは書きません。役場のみなさんには、自ら行ったアンケートとその分析、このレターに書かれている内容との整合性を精査していただきたいと思います。
先に交付金があって、それにあわせて計画をつくり、町の課題にあてはめようとするから、このようなことになるのです。順序がまるで逆、そのために次々と自己矛盾に陥っているように私には見えます。
役場のみなさんがいま行っている仕事とは一体何なのでしょうか。それを、生活者の視点から、人々が居住する地域からあらためて深く考えていただきたいと思います。是非。

役場が住民のみなさんと結びつき、住民の声を集めて仕事をするようになれば、役場自体も生き生きとするし、町づくりもいままでとは全く様相を異にし、全国に誇りうる住みよい町を作り出すことができると私は思っています。そう考えるからこそ、このように意見を申し上げているのです。
自治体の浮沈が問われるこの1,2年、あいかわらずこれまでの慣例に引きずられるのか、それとも勇躍して改革に乗り出すのか・・・。おそらくこれが最後のチャンスでしょうね。



  2月8日(金)    
今日は午後から知人のお母さんの葬儀に。昨年脳溢血で倒れてから、ずっと介護の毎日でとくにここ最近はほとんどつきっきりの状態だったようでした。それでも「こんなに早く逝くなんて」と落胆した様子で、寂しそうでした。
彼の母親とは全く面識はありませんでしたから、曹洞宗の読経の間は、私はつい私の母の晩年や葬儀の時の模様を思い返しておりました。
いずれは迎えなければならないこの日。形式的なものとはいえ、坊さんに戒めの言葉をもらい、仏の元に送り出され・・・という段階を踏んだ儀式を見ていると、自分の場合はさぞあの世で居心地が悪かろうと思われたことでした。
無宗教というより積極的な無神論者の私ではあっても、こうした儀式は否定することはありませんけれど、我が身となればそれなりに考えてしまいます。こうなったら、弟のように今からシナリオを書いておくかなあ。
そうはいっても、葬式をするのは自分じゃないから、いくら故人の意思を大事にするなどと言っても、これは息子娘に任せるほかはない。まあ、自分の気持ちは伝えておくということになるのですかね。ああ、いやだいやだ。いっそさっぱり何にもしないというのもありかな。黙って消えていく・・・。お墓もないことだし。

さて、ちょうど昨日で1ヶ月の試用期間が期限切れになった日本語入力メソッドATOK2013が昼頃到着しました。仕事から帰ってからインストール。以前、この前のバージョンがもとで、システムが不安定になっていたのではないかと書きましたが、今回は大丈夫のようです。
このATOKはNECの9801シリーズ以来の熱烈な愛用者でして、これがないと日本語入力ができない。マックでももちろんずっと使い続けていましたし、Linuxでも対応している限りやっぱりこれ。変換効率、変換の仕方、あらゆる点でマイクロソフトのIME (Input Method Editor) をはるかにしのいでいます。
ただ、バージョンアップするたびに、これだけは新しくほしくなるので、アップデート版を用意してくれるとありがたいなあ、ジャストシステムさん。



  2月7日(木)    
3.11の際に、様々なメディアの記者、報道者が現地の様子や被災者の声を届けるために奮闘したことは、これまで発表されたり、刊行されたりしてきました。当然、海外の記者たちも数多く含まれていました。
今日、ある雑誌(女性のひろば=日本共産党中央委員会発行)を読んでいましたら、ニューヨーク・タイムス東京支局長のマーティン・ファクラー氏へのインタビュー記事が目につきました。
それは、アメリカ人のジャーナリストがどのように3.11の取材にあたり、日本の大手メディアのあり方をどう見ていたかという興味深い内容でした。
この方は、12年にも及ぶ日本での取材経験を持ち、日本語もペラペラ。東京有楽町を歩いていたときに大地震に遭遇します。
当日すぐに現場に行こうとしますが交通網の麻痺で全く動けず、翌日早朝、まず茨城県大洗町へといそぎ、翌日には仙台へ、そして宮城県名取市へと取材を続けるのです。「そこは地獄でした。・・・あの景色はたぶん、一生忘れないでしょう」と語っています。
14日には本社から南三陸町に行くように指示があり、町役場で佐藤町長から体験を聴くことになります。すでに取材していた日本人記者たちが佐藤町長に順番に取材する姿をみて、次のように書いています。

今日見つかった死者数を一けた単位で細かく聞く記者たち。誰が一番先に正しい数字を入れるのか、そんな競争をしているように見えました。・・・一万人もの行方不明者がいるというのに、一けたの数字にこだわることにどんな意味があるのだろう・・・。町長自身がどうやって助かったのか、そのストーリーを聞くのもジャーナリストの仕事だと思うし、伝えたいと思いました。・・・文字だけで2万人が死亡したと伝えても、事実さえ忘れられてしまう。人間が死んだから悲劇なのです。そこをちゃんと伝えないといけない。

そのあと、マーティンさんは福島第一原発の取材にも力点をおくようになります。
彼はある日、YouTubeで市長がSOSを発信していることを聞き、南相馬市に急行します。市役所で彼が見たものは、すでに空っぽになった庁舎内の記者クラブの部屋。そのときの取材から彼は、「町長は『日本のメディアから電話取材はあるけれど、記者はみんな逃げてしまった』と憤っていた」と述べています。アメリカ人である彼に「南相馬はどれくらい危険か」「大丈夫か」と聞いてきたとも。
当時、放射能汚染についてはワシントンの方が情報が豊富であり、日本政府が公表しているものより詳細だったとのべ、日本の大メディアのありかたについて、次のように疑問をなげかけているのです。

日本のマスメディアは国民側にたって東京電力や政府の発表内容に疑問を投げかけるのではなく、むしろ政府や東京電力の側にたって、忠実にその発表内容を伝えようとしていました。・・・「SPEEDI」のデータの提供を拒否されると追求しませんでした。

9.11直後にニューヨークタイムスが「イラクに大量破壊兵器がある」という情報を権力から入手して紙上に掲載するという誤りをおかします。その後、ニューヨークタイムス社はオンブズマン制度をつくって調査、2004年にその検証結果を発表、自ら問題を洗い出したのでした。こうしたアメリカ国内での動きを注視しながら、彼は日本のメディアのあり方について「3.11以後も変わっていない」と述懐し、とくに今年の1月に額賀大臣が韓国を訪問したときの記事には「慰安婦という文字さえなかった」と指摘しています。そして、次のように感想をしめくくっています。

日本と韓国の認識に相違があるのであれば、取材して掲載するべきです。当事者にも取材できるでしょう。それなのに、この問題にふれようともしません。日本のマスメディアは読者のための新聞でない、という印象を改めてつきつけられた感じがしています。

いかがでしょうか。「権力を監視することがジャーナリズムの役割なのに、日本のマスメディアは民間の官僚になってしまっている」ときっぱり言い切る、その彼はれっきとしたニューヨークタイムスの記者。赤旗記者でも中国の記者でもありません。日本の政治家の多くがその方向を向いているアメリカ大新聞の記者なのです。
私はこの落差、この認識の違いが恐ろしい。当然新聞だけではなく、テレビ、雑誌、ありとあらゆるメディアに浸透し、大きな流れをつくって安倍政権の、いや日本の政財官の援護者となっている無様な姿が、こうやって海外の記者にあぶり出されるというのは、いかにも情けないことではないでしょうか。




  2月6日(水)    
昨日、台湾の電子機器メーカーASUSから来たメールに次のような一節がありました。

中国の新年がやってきます! 家族が集まって宴会を楽しみ、一緒に遅くまで起きてこの一年で最も重要なお祭りを祝います。 さらに、中国の大晦日にもらうお年玉 (紅包) は子供が最も楽しみにしているタイミングです。


これって、年賀状のようなものなんですかねえ。
日本で言う旧正月は、中国では「春節」といい、「中国大陸・台灣・韓国・ベトナム・モンゴルでは、最も重要な祝祭日の一つであり、グレゴリオ暦(新暦)の正月よりずっと盛大に祝われる」(Wikipedia)なのだそうですから、このようなメールが来るのも無理はないか。

沖縄でも復帰前までは、正月と言えば旧正月のことで、今でも両方でお祝いをする習慣が根強く残っています。MNEMOさんのブログにも旧正月のことが書いてあったなと思って見直したら・・、ややや、もう私の昨日遅くの「告白」に対して身に余る(?)コメントが書かれており、光栄にもあの「7年後の手紙」にDavid GatesのリリックなBGMまでプレゼントしてくださいました。


正直、この「告白」は恥ずかしかった。何しろ直球一直線みたいな(みたいじゃなくて、ホントだって?)イメージを作ってきましたから。話題が乏しいせいもありますし。
しかし、人のイメージなんて、とくにウエブ上では何とでも作られるものです。だから、ホームページ、ブログなどという表現の手段ではもっと交流(広い意味で)という側面を大事にしたいなと。直接につながるにはSNSなどの方法がありますから、それは別として、可能な限りウソの無い人々のつながりとでもいったものですかね。
自分自身については、妻や子どもたちを含め、知ってもらうことでいっそうつながりを深められるのではないだろうか、と思ったのです。だいたい、直接的に身内に自分の心の中をさらけだすなんてほとんどないじゃありませんか。だから、たまにはいいですよね。話したいってこともあるもんです。
ネット上にさらけ出すこともないんじゃないかって?いやいや、「いちゃりばちょーでー」の心境です!
それにしても、ずいぶん古い記憶に属しますから、美く飾ったり、懐かしくいい思い出だけに頼ろうとする傾向がなきにしもあらず。それは繰り返し繰り返し諌めつつ。

この曲を聞いていると、いっしょに遠くを見ているような気がしてきます。何度も聴いています。初めて聴いたときは一瞬MNEMOさん自身が歌っているのかと聞き違えるほどでしたよ。ありがとうございます!

ところで、何書いてましたっけ?旧正月の話でした。一度旧正月の沖縄に行ってみたい。桜がもう散って、それなりに季節が移ろう妻の郷里を楽しめるのではないかと思うのです。

さて、今朝は雪。2,3センチの積雪。また世の中が真っ白になってしまいました。


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午後から友人に誘われて、役場で開かれた「議会改革に関する講演会」に行ってきました。講演者は会津若松市議会議長の目黒章三郎氏。
「当たり前のことをしたら『改革』のトップランナーになっていた」と題しての話にはいろいろ考えさせられる点、教えられることがたくさんありました。池田町議会が、自らの議会改革の一環として開いた意義は大きいものがありますが、この町でどのように議会改革をすすめるかとはまた別の問題。近く原案が出されるというので、注意してみておく必要があります。

とりあえず重要だと思われた点は次の3つです。

第1。議会は広聴活動を通して住民意思を反映する組織であり、議決責任を持っている。その根底には「住民自治」という考えがすわらなければならないという点。
今日大阪に代表されるような「首長の権限を肥大化し、議会の役割を低下させ」ようとする一部の自治体の動きに抗して、議会の側から明確な指針を与えるもので、重要です。
会津若松市議会での議会基本条例の制定に際して、次のような定義が採用されていることからも、そのことは重視されるべきだと思わされました。

<<神原勝教授による定義>>自治体の政府制度である二元代表民主制を首長と対等に担う議会が、主権者市民の負託に応えて優れたまちをつくるために、議会運営の理念、理念を具体化する制度、制度を作動させる原則などを定めた条例で、当該自治体レベルの議会運営に関する最高規範として位置づけたもの。

第2は、議会が単なる「行政の追認機関」と成り下がってきた過去のいくつかの事例(たとえば夕張)から、多様な住民意見を背景に政策提案できる議会になるべきであるという点。
これもきわめて重要です。目黒氏はチェック&バランスという表現をしていましたが、この機能の欠如あるいは低下という問題はどの市町村の議会でも多かれ少なかれ見られることです。
しかし、それをどう発動させるかには、それなりの仕組みが必要なわけで、会津若松市ではそれを「政策形成サイクル」として定式化し、それそれの段階に「魂を入れる」ことを重視しているのです。これは見習うべきことがらです。

第3は、その政策立案サイクルの第一段階である「市民との意見交換会」を重視するという点。
議会議員が、市民に集まってもらってただ意見を述べてもらい、それを聞くだけではないところがとくに重要です。さらに、これを開くにあたって議会としての主体性をもった運営、つまり政策を立案化するというラインに位置づけた「意見交換会」であることです。前者ならば、ときどき池田町でも行われるのですが、結局人が集まらないというので人気がない。
会津若松では1カ所に百数十人から300人くらいも集まっていますが、人口から見ればまだまだ少ない。そこで網羅されない要望をくみ上げるのが個々の議員の役割ということになるのでしょう。さらにこれに加えて、分野別(教育、障害者、文化など)の意見交換会も開かれていますから、複合的に意見を集約する機能がつくられているわけです。

当然のことながら、議会改革だけが進んでも、一方の行政が旧態依然では改革の力も半減以下となります。行政改革への視点をさらに加えながら、究極的には「市民に信頼され、市民に役だつ真の議会、真の行政」を目指していくということが大切なのでしょう。
目黒氏のレジメでも、市政発展への貢献が最終目的であり、エンドユーザーは市民であること、議会内での仕組み作りはその手段にすぎないということが強調されていました。
池田町でもこの点をしっかり踏まえて、大胆な改革への道を踏み出してほしいものです。

アハハ、また堅苦しい話題に戻っていった・・・。



  2月5日(火)    
ある風景、ある音楽、ある雑誌などをきっかけに、突然古い古い記憶がよみがえってくることがあります。
今日たまたま、捜し物をしていて私がある定時制高校に就職して2年目のときに作った文集がでてきました。たぶん25歳の春、当時担任していたクラスのお別れの記念につくったものです。その中に私が書いたある文章が出てきたのです。
それはひとりの女性への決別の手紙でした。それも私からその人に書いたものではなく、私がその人になりきって書いた、彼女から私へのいわば架空・創作の手紙です。それを生徒が書いた文集に、さも誰かから受け取ったように書いたというのも実に大胆なことでしたが・・・。

妻と知り合う直前、就職して間もない私は、全く見ず知らずの土地で仕事をすることを決め、無我夢中で生徒たちと向き合っていたのでした。しかし一方で当時の私は、自分の中にまだ残っているある人のことを精算しきれずにいました。新しい生活を踏み出すにはどうしても、その感情を昇華させる必要があったのです。
人の一生の中では、どうしても通らなければならない地点というのがあり、また自分にとってやむにやまれずに書いた記念碑的な文章というものもあるものです。
懐かしい思い出に駆られるのは、年を重ねたからだろうことは明らかですが、それとは別に、私という人間がどのように作られてきたのかを振り返る意味でも、場合によっては妻や私たちの子ども達に知ってもらう意味でも、過去のさまざまな出来事はとても大事に思えているのです。と、かっこいいことを言っていますが、まあ、思い出を楽しんでいるといえるかもしれませんけどね。
最近、堅苦しいことばかり書いているので、ここいらでちょっと柔らかい話題もいいかなと。
そりゃ、私だって、若い頃は人並みに恋心も持ち、失恋もし、波乱に満ちた「人生」を歩んできたのでありました。どこかでそれを打ち明けてもいいかな、と。それだけではなく、物心がついたうんと幼い頃からの記憶をどうしても何らかの形でどこかにとどめておきたいという気持ちも最近とくに強くなっていて、ここ2、3年のうちにまとめようかなと思っているのです。

それはともかく、この「手紙」はすでに2年B組の担任として、生徒達にすでに公表済みのものですから、ずっと隠し持っていたわけではないということをお断りしつつ、ここに収録して自分史の一ページにしようと考えました。どう受け止められるかは、お読みのみなさまにお任せします。

7年後の手紙

さて、今日は何人かの有志と、町中再生問題について熱っぽく語り合いました。それぞれ、真剣に町のこと、高齢者のこと、障害者のことを考えていて、胸があつくなりました。
具体的に、どのように運動を積み重ねていくかは、これからの熱意と構想力にかかっているわけですが、その結果がどうあれ、決してこの町の将来にとって無駄なことにはならない、そのことだけは確信できました。



  2月4日(月)    
ちょっとした手違いで、「おかしいな」と思いつつ前編かと思ってみていた「ホロコースト」が実は後編。今日前編を見るというあべこべの見方になってしまいました。
この映画の見所の一つはナチの犯罪を余すところなく描き出しているリアルな画面ですが、もう一つは、パン屋の息子で弁護士のドルフが職を求めて果たせず、結局ナチ党員となって次第に「冷徹さと頭の回転」によって昇進し、やがて収容所の責任者としてユダヤ人の虐殺に手を染めていく過程を詳細に描いているところです。
彼を通して語られる会話の中に、何故にユダヤ人を抹殺したのかを解くカギがさまざまに織り込まれています。いくつかを紹介しましょう。
まず、映画は彼が単純に「ユダヤ人をこれ以上のさばらせておけば、アカと資本によって滅ぼされてしまう」というプロパガンダを半信半疑で受け入れることからはじまります。
親衛隊の階段を上がるにつれて、次第にそれが自己暗示に変わっていきます。一時は自分のしていることに懐疑を抱くのですが、妻がそれを払拭します。彼女は次のように夫を励ますのです。

最後までやり通せば、それが正義に変わるわ。後戻りできないわ。真実を作り出すのよ。

収容所の責任者に任命され、任務を遂行する彼に、ある日叔父は「何人殺せば気が済む、100万人か、200万人か」と詰め寄ります。すでに少佐に昇進していたドルフは次のように答えるのでした。

彼らを生かせば帝国が危うい。中止すれば罪を認めたことになる。続ける限りそれは使命の続行だ。やがて世界が歴史の必然と認めてくれる。

ところが、ロシアとの戦いで苦戦を強いられ、また米英やパルチザンなどとの戦いで劣勢に追い込まれた彼らは、大量殺戮の証拠を消そうとします。それに対して、ドルフ少佐はアイヒマン、ヒムラー、ヘスどを前に力説します。

なぜ証拠を消そうとするのですか。収容所は人類への奉仕の記念碑として残すべきです。
総統もおっしゃっています。我々はキリスト教の使命を全うすることだと。
世界に真実を知らしめるのです。記録映画や写真を公開するのです。そして論理的に説明するのです。いかに道徳的で民族の必然であったかを。
これは犯罪ではありません。ヨーロッパの流れに従っただけです。
我々は文明を守り、ユダヤの世界支配の陰謀をうち砕いたのです。
我々だけにそうする勇気があったのです。


それを聞いた将軍たちもまた次のようにつぶやきます。

我々は精神など侵されてはいない。任務を遂行してきたのだ。今も気高く心優しい人間だ。誇りに思う。

これはどこかで聞いた台詞です。

我々は我が民族の誇りとアジア同胞を守る使命に燃え、自尊自衛のためにやむなく米英とたたかったのだ。我々は今も気高く心優しい人間だ。誇りに思う。

そう主張する人物たちが、そう信じ込ませなければ自己を正当化できなかったのです。この映画であれば、ドルフ少佐が自らの自殺で幕を引いたことでその虚偽が証明され、日本であれば、彼らが戦後も政治のトップや自衛隊の上層部に居座り続けてきたことで、その欺瞞が明瞭に示されていると私は思うのです。
この映画を見ながら、日本がかつて大陸で、アジア各国でやったことを自分たち自身の言葉と感性で描くことができなければ、あの戦争は終わらないのだろうなと思います。
この国では、ドイツとはあべこべに、あの戦争が米英に対する正義のたたかいであったかのようにみなし、その時代への回帰を画策するみなさんがたくさんいるという一事によって、世界の仲間には入れないのだと思わさたことでした。



  2月3日(日)    
昨日沖縄の問題での「日本の大メディア」のとらえ方について書いたところ、今日の信濃毎日新聞は「首相沖縄訪問 民意をくんだ軽減策を」という社説を掲げていました。

事態を打開するには、沖縄に基地負担が偏っている現状を日米両政府が直視し、改善に本腰を入れるしかない。在日米軍を含めた日本の安全保障の在り方について、国民が関心を高め、議論を深めることも必要になる。「沖縄だけの問題」では済まない状況になっていることを肝に銘じたい。

それでも、この信濃毎日の論調と昨日の琉球新報の論調では雲泥の差。沖縄が「差別」ととらえていることも、我慢も限界を超えていることも、さらに辺野古に基地が固定化されれば、単に固定化では済まない基地強化問題があることも見据えなければなりません。さて、沖縄以外にそこまで踏み込んで書ける新聞があるのでしょうか。

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今日3日は、池田町恒例の「飴市」の日。昨日に引き続いての2日目です。
昭和の終わり頃までならば、道路の両側にダルマや飴の出店がずらりとならんで、買い物の客でにぎわったのでしょうが、いまではまばらに露店が数店あるだけ。
メイン会場のゼロ・スペースでは、店いっぱいに人が入っていました。チンドンマンもでて呼び込みを行っていましたが、買い物に訪れる人はそれほど多くはありません。さすがに豆(お菓子)まきのときには30人程度が舞台のまわりに集まっていましたが、それも一時。
訪れていた年輩のおばあちゃんは「さびしいねえ」と昔を懐かしむような遠くを見る目をしていたのが印象的でした。


今日までの数日の間、郊外や町中のさまざまな人たちと「町なか再生問題」について話をしてきました。それらの意見をまとめれば次のようになります。

・買い物の場はどうしても町中に必要だ。とくにお年寄りが一人で歩いて買い物ができるようにすべきだ。
・アップルランド跡地に商業施設ではなく、公民館、図書館、ホールなどの多機能施設をつくるのは早計であり、もっと町民のなかで話し合いを続けることが大事。
・400人収容のホールをつくるというが、町の現状では無駄であり、他の施設の活用を考えるべきだ。
・議会がもっとリーダーシップを発揮し、町民の意見をくんで町の計画を追求してほしい。

こうしてみると、私がずっと主張してきたことが裏付けられたと思わないわけにはいきません。
それらを聞きながら、いま思うことは次のようなことがらです。

第1に、2月24日にはアップルランドが閉鎖されるわけですから、それ以後の対策は緊急を要します。
それには、ゼロスペースを利用した臨時の出店(金の鈴、ハーブセンター、直売所など)を設けることや、市民生協とのタイアップなどいろいろありうるでしょう。
町は民間のことには関わらないと言っていますが、それは全く行政の役割を放棄するものです。行政がそうした店を運営することはないにしても、いかに条件を整えるかはもっとも重要な仕事のはず。住民に不安を与えない手だてを直ちにとるべきです。
もちろん、アップルランドにあと1、2ヶ月閉店をのばすように要請することも含まれます。

第2に、跡地に公民館などを建設することを当面凍結し、跡地をどうしたらよいのか町民に意見を求めることが必要です。それでは更地のまま長い間放置されるのではないかと反論する向きには、拙速に現行の計画を推し進めるよりはよいと答えておきましょう。それほど間を置かないでも結論はでるはずです。
行政は、1丁目、2丁目、3丁目、4丁目、東町、吾妻町などの町中のみなさんの気持ちをどれほどつかんでいますか。町の全職員が手分けして一軒一軒訪問し、聞き取り調査を行ったらどうなのでしょう。他の自治体ではそうやって町民に密着した仕事を果たしているところもあるのです。
アンケートの集計や分析をコンサルタント会社に任せて、その結果も生かせないような町とは大違い。 今からでも決して遅くはありません。
町民サイドには、行政の思いもよらない考え方や解決の方向が隠されているのです。跡地にきてくれる会社などないと頭から決めつけるのではなく、町民といっしょにもっと知恵を絞るべきです。その結果、公民館を跡地にもってくる結論が導かれれば、それでいいではありませんか。

第3に、都市計画マスタープランの中間総括をまずやることです。いくつかの柱を立てて、町の発展をめざしたはず。現在の素案がそれに基づくというなら、現状がそれと照らしてどうなのかを明らかにする責任があります。
短期の見通しで町づくりの計画をたてるべきではないのです。あと10年したら、この町はどうなるのでしょうか。都市計画マスタープランではどうなるはずなのでしょうか。私は、この両者に埋めがたい落差が見て取れるのではないかと思います。
とくに、町中の人口や世帯数の変化、商店の推移などいくつかの指標で動態調査を急ぐべきでしょう。それらをもとに、今後20年、30年先の見取り図をつくらなければなりません。

第4に、現在の公民館の閉鎖期日をきめ、それ以降は建て替え計画が町民合意でできるまで他施設(たとえば福祉会館)を公民館として利用することも考えてよい。
その際創造館およびそのホールの使い方に結論が出るまで、ホール付きの多機能施設の建設は進めるべきではありません。これはもっぱら町の財政状況からの結論です。そうしなければ無駄なハコモノ行政のそしりは免れないし、尻拭いをさせられるのは行政ではなく町民なのです。



  2月2日(土)    
夕方暗くなってから妻とウオーキングにでかけての帰りがけ、星がいっぱい出ているのを見て冬の深まりを感じました。家の南側の縁側に出ればオリオンは見えるのですが、そのほかはほとんど見たことがなかったのです。
今日はカシオペア、北斗七星など(あとはオリオンしか知らない)を見て、一体それらをいつ見たんだっけと考え込んでしまいました。オリオンを見ていたら、そうそうMNEMO氏(オリオン大好き)に電話しなければと思い出し、真っ暗な田舎道での散歩の途中、田んぼに落ちそうになりながら携帯を取り出し電話した次第。
帰って彼のブログを見ていましたら、うかつにも私の誕生日へのメッセージともいえる一文が書かれているのに気づいて、赤面してしまいました。全く恐縮そのものです。
日記をアップすること以外は、ほとんど我がOld MacのPowerBook 540C に向かっていたため、他のサイトのチェックを怠っていたのでした。PowerBookはインターネットには接続するものの、ウエブページの閲覧は重すぎるのと技術が古すぎて対応できず、全く見ることができなかったのです。もっぱら物書きに使っているという次第。
というわけで、さきほどブログを読んでいて、そのMNEMOさんの励ましにも応えなければと気持ちを新たにしたことでした。
MNEMO氏は、福島出身のSinger Song Writerとして、震災や原発の惨禍から必死に這い上がろうとしている無数の人々の心に寄り添う歌をめざして歩み始めています。並外れた感性を持つ彼の生み出すものが、東北から全国に広がって人々の心に染み渡ることを心から願うばかりです。

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今日久々に沖縄の新聞を見ていましたら、安倍首相が沖縄を訪問して仲井真知事らと会談を行ったのですね。会談の後の知事の記者会見の様子を動画で見て、何とも歯切れの悪い物言いにイライラしました。
安倍首相は1月31日には、「普天間飛行場の移設を含む在日米軍再編については、現行の日米合意に従って進め、抑止力を維持しつつ、沖縄の負担軽減に全力で取り組んでいく」「沖縄の声によく耳を傾け、信頼関係を構築しつつ、移設に取り組んでいく」と語ったばかり。腹立たしいことこの上ない。
アメリカ詣でから帰ったら、埋め立て申請をはじめとして強引に辺野古移設に踏み込むのではないかと思われます。今回の沖縄訪問はそのための布石でしょう。
実際、琉球新報もアメリカ訪問の「手土産」だろうと手厳しい。

近年、「沖縄は力で押し切るほかない」という主張もまた、半ば公然と語られるようになりました。沖縄だけには民主主義を適用せず、民意を踏みにじるのなら、それがあなたの言う「取り戻す」べき日本の姿なのでしょうか。
 所信表明演説であなたは「日米の絆を取り戻す」と言いました。沖縄を犠牲にして維持を図る「絆」が砂上の楼閣なのは明らかです。本当に日米関係を大切にしたいなら、沖縄の犠牲の連鎖を断ち、基地を含め、持続可能な日米関係の形を模索すべきなのです。


こう指摘する今日の社説は当たり前も当たり前、本当にまっとうな沖縄を代表する声です。
沖縄の声に耳を傾ければ、1月28日に敢行された全市町村長の上京・直訴という前代未聞の「建白書」行動こそ沖縄の「民意」であって、それ以外にはありえません。
普天間基地はオスプレーの配備によって、騒音だけではなく墜落の危険もいよいよ深まっているわけですから、安倍首相の沖縄訪問の白々しさは沖縄県民にとっては誰の目にも明らかでしょう。
残念ながら、本土の大新聞と言われるメディアにこうした地方のうめきや悲痛な叫びは共有されていません。ほとんど聞こえてもいないのでしょうか。
沖縄タイムスは、全市町村町による政府への「建白書提出」という東京行動を地方メディアがどう伝えたかを検証し、「地方紙報道は控えめ」と書き、「1面に写真付きで掲載したのは熊本日日新聞と信濃毎日新聞」だけだったと伝えています。
まともなメディアであるならば、沖縄の声、いや日米安保のほとんどを負わされて苦悶・呻吟している地方の声をさらに大きく全国に広げるべきではないのでしょうか。



  2月1日(金)    
今朝、町のホームページ上でようやく「社会資本整備総合計画」にかかわる素案文書すべてと、策定委員会の議事録(2回分)が公開されました。それにしても、あまりにも遅い対応であるといわなければなりません。
対応の遅さと同時に、議事録でもはっきりしているとおり、実はきわめて重大な問題が見過ごされています。
それは、今回の予算「枠取り」のための計画策定作業が、実は町づくりの根幹そのものであり、その部分をまず役場主導できめて、具体化は町民の意見を聞いてという手法のもつ危うさです。
町づくりの基本を町民が多様に加わって議論しないでどうやって人の流れを作り出すのか。拙速が町を壊すという手法の典型ではないかと思われてなりません。ボタンの掛け違いは、実はこのようなところにあるのです。
第1回、第2回の委員会の議事録を見ると、町中の商業施設撤退によるダメージ、買い物の場の喪失という問題意識が希薄であり、同時に「地域交流センター」という複合施設建設をつくることによって「人の流れ」があたかも自動的に生じるかのように方向付けられて議論がすすんでいることがわかります。

今日は議事録を読んで、焦点であるアップルランド跡地への地域交流センター建設という問題がどのように説明され、受け止められているのかに絞って見ておきましょう。また、アンケートで明らかにされていることは何なのかも併せて考えます。

第1回策定委員会(委員20名)は12月20日に開かれました。そこでは、事務局から膨大な資料の説明が行われ、若干の質疑応答が行われています。

まず、甕委員が「商業施設がなくなると空洞化になる」とアップルランド撤退後に懸念を表明します。それに対する町長の答弁は次のようなものでした。

@郊外での移転先を模索中。従って撤退跡地周辺での商業施設は現時点では考えていない。
A地域交流センターにはコンビニの設置も検討。
B実施段階では町民から意見を聞く。


要するに、町中の商業施設の代替手段はコンビニ程度であり、それもまだ定かではない、ということです。毎日の食事や日用品の買い物をコンビニで行えという認識には驚くほかありません。そこには、一定の規模を持つ商業施設が「にぎわい」「人の流れ」の中核であるという認識は全くなく、それにかわって公民館や図書館、ホールなどが「人の流れ」を作り出す中核になり得るという「信じ込み」だけが見られるのです。これは第2回委員会での町の説明でも一貫しています。

第2回委員会は1月24日に開かれました。

まず丸山委員が次のように質問しています。

地域交流センターや図書館の設置に反対ではないが、これらの事業が個性的な街並みづくりや景観づくりに繋がっていくとは考えにくい。また、まちなかのにぎわいの再生にも繋がらないのではないか。

また、小林委員は、中心街をどうするのか町全体に位置づける必要性を指摘し、歴史的な経過を踏まえて個性的な町作りをしなければ場当たり的な計画になると述べています。

これに関連する事務局の答弁は次の通りです。

この場所にただ公民館を建て替えるわけではなく、アップルランド跡地の有効利用のために地域交流センターを建てることによって、人の流れを変えていく計画としている。その結果、周辺への民間商店の出店等も期待できると考えている。
今回の計画でまちなかの再生が全て完成するとは考えていない。まちなかに核施設を作り、今後のまちなか再生への取り組みのきっかけとしていきたい。


一方、川上委員は、次のように町の計画に賛意を表明しています。

まちなかの再生として、地域交流センターをアップルランドの跡地という町の中心地に配置するのはとても重要である。中心地に多目的ホールと持った地域交流センターが出来ることで、人の流れが変わってくるのではないか。

これに対して事務局はそれを追認し、交流センターで人の流れができると述べています。

アップルランドの撤退に伴う空洞化を放置すると、今後に多くの影響があると考えるので、跡地に地域交流センターを建設することで、人の流れを変えていきたいと考えている。
この計画が承認されれば、地域交流センターの詳細について、平成25年度から町民を交えて検討を始めたいと思っている。このことにより、町民が使いやすい施設としていきたいのでご理解頂きたい。


アップルランドという買い物の場が消えることの重大さへの鈍感、町経済への影響、町民とくに高齢者、障害者などの生活をとらえる目の冷たさが際立っています。
全国に目を広げれば、買い物の場の確保という問題では、自治体そのものが共同店舗への出資、援助を行っているところもあり、住民の生活を守るという立場で必死に動いているのです。役場の仕事の第一は、町民の生活を守るということではなかったのでしょうか。
同時に見過ごすことができないのは、この計画で400人収容のホールが作られれば、創造館のホールはどうするつもりなのかについて一切検討がないことです。つまり、池田町には同類の施設がばらばらにいくつもできあがることになり、それらの関連や使い方を検討しないでは、いっそう維持管理に出費を重ねることになります。そうした見通しがないのは一体いかなる理由によるものなのでしょうか。

次に、9月13日から28日にかけて600名を対象に行われたアンケート調査について、そのデータが公開されています。委員会でも若干の質疑がありました。

内山委員が次のように質問しています

公民館の必要性については回答率が低かったようである。
アンケート結果で、要望が低かった事業を今回の計画で取り組むことに対して、町民にどのように説明をする予定であるか。


ところがこれに対して事務局は回答をしていません。後から私も指摘するように、おそらく回答不能だったのではないかと思われます。そこで回答を避けて、次のように答えているのです。

地域交流センターの建設は行政課題としているが、老朽化も著しく、また、多目的に使える施設として、現在の公民館とは視点を変えた整備をしていきたいと考えている。例えば、広い世代で利用できる施設を考えていることやアップルランドの跡地へ建設することで人の流れを変えていくなど、現況の公民館の単なる立て替えではなく、様々な課題の解決を目的としているので、ご理解頂きたい。

このアンケートは、まだアップルランド跡地に公民館を移設するという態度表明前の一般的な質問が中心ですから、まずこれをもって今回の計画を合理化することには無理があります。それ以上に、指摘しておきたいのは、このアンケートを見れば、町民が求めているのは商店街の活性化であり、買い物の場なのであり、決して公民館を移設してほしいとは読み取れないのです。

「中心市街地を魅力的にしていくための方策」という質問項目に対するアンケート回答は次のようになっています。

@公民館等の人が集まる場所の整備 10.2%
B駐車場の整備 22.9%
C空き店舗対策 55.1%
D個店の魅力のアップ 28.8%
E買い物弱者対策(宅配システムの構築、移動手段の確保等) 21.7%
Jショッピングセンター等、大型店の誘致 16.7%
K個性的な、地域らしい景観や街並づくり 32.5%


公民館へのニーズはわずか10%にすぎません。重要度の調査でも、圧倒的に「商店街の活性化」や「空き店舗対策」であり、公民館は重要度も満足度も低いという結果になっています。
それを裏付けるように、町はこのアンケートを受けて次のような分析を行っているのです。(「5.アンケート結果の総括及び課題の整理」)

@中心市街地の商業について
中心市街地では、人通りが少ない、空き店舗、空き家が多くみられることなどが、町民が「活気がない」と感じる大きな原因であった。
「活気」=「商業の活況」と捉えている町民が多くおり、商店街全体としての取り組みや、個性のある店舗の設置など、各個店の取り組みを望む意見が多くみられる。
一方、高齢者からはアップルランドなどの商業施設の存続は大きな問題として記載されている。その原因の多くは、高齢者の多くが自家用車を持たない交通弱者であり、商業施設の存続
(ママ)は、これら高齢者が買い物難民となることを意味している。
これら背景から、町民は「空き店舗対策」「個性的な、地域らしい景観や街並みづくり」「個店の魅力のアップ」「駐車場の整備」「買い物弱者対策」を強く望んでおり、これらを解決することによる中心市街地のにぎわいの創出が課題である。
ただし、「駐車場の整備」以外は各個店または商工会にて取り組む事項であり、民間事業者と行政との連携による課題の解決が必要である。


この分析と現在の町の計画との整合性は果たしてみられるのでしょうか。両者の乖離は埋めがたいほどです。先ほど、事務局が答弁不能と書いたのは、実にこのような背景があるからです。
ここでとくに最後のフレーズに注意をしたい。それは、町長が12月議会でも述べていたとおり、商店街や商業施設の存廃は町が関わることではなく、「民間でできることは民間で」という考え方が根底にある表現です。実に興味深い。

アンケートが示す町民意思のベクトルは、「寂れゆく町ではなく、歩いても買い物ができるにぎわいのある町」ということなのです。どこをどのように分析すれば「交流センター」がそれを生み出す「中核施設」であるという方向が出てくるのでしょうか。
結局、町民の意思にそむいた計画の責任は行政が自ら負わなければならなくなるでしょう。




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