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  3月31日(日)    
明日から3日間は春期講習の後半です。高校生の数学は新高2、高1と新しい教育課程(数学・理科のみ1年先行、その他はH25年度から)ですから、ちょっと面食らうことが多くこれまで通りというわけにはいきません。
現在のところ数学IAの範囲しかわかりませんが、これだけでも今までの分量より優に3割くらいは増えている。
新しく導入されたのは数学Iで統計の初歩の「データの分析」、数学Aで整数の性質。統計が高1からしっかり導入されるのは大変よいことですが、整数については雑然として導入の意図がよくわからない。ユークリッドの互除法を教えるのはよいことですけれど、これが単に不定方程式を解く道具になっているのは問題です。

ここで高校数学の内容について書いてもあまり意味がありませんね。要するに、「ゆとり教育」の破綻から一転して、「生きる力教育」に転換したのが今度の新学習指導要領。国際的なテストでの日本の低迷に相当な危機感を抱いた結果であることは、文科省の文面からもうかがえます。
ただし、「多様な路線」を準備して、上位進学校では高度な内容を教え、そうでない実業高校などでは取捨選択(数学の必修は「数学I」のみ)して適当にやさしい内容を教えられるようにするというものですから、「生きる力という理念の共有」(高等学校学習指導要領解説 数学編「第一節改訂の趣旨」)が果たして図られるのでしょうか。
文科省は次のように書いています。

新しい学習指導要領は、子どもたちの現状をふまえ、「生きる力」を育むという理念のもと、知識や技能の習得とともに思考力・判断力・表現力などの育成を重視しています。
これからの教育は、「ゆとり」でも、「詰め込み」でもありません。
次代を担う子どもたちが、これからの社会において必要となる「生きる力」を身に付けてほしい。そのような思いで、新しい学習指導要領を定めました。


今時の改訂では、たとえば小中学校で保健体育の分野で「武道」を必修化したり、あらゆる教科で道徳主義的な色彩を強めていることをみれば、いよいよ学校を特定の価値観を押しつける場としようとするねらいが鮮明です。

最近は、あまり教育課程そのものをみるゆとりもなかったので、高1高2の生徒たちと接するのをよい機会に、時間をみつけて、じっくり、しっかり検討してみることにしましょう。



  3月30日(土)    
10時頃から午後4時過ぎまで畑仕事。初の本格的な労働になりました。やや肌寒い日だったけれど、仕事をするにはちょうどよいお天気。
私は耕耘機で堅くなった土を起こし、妻はニンニクやラッキョウ、タマネギに肥料をやって草取りと土寄せをしました。何しろ広い土地なので、畑全体の手入れをするにはまだ1ヶ月ほどかかります。
お昼には近くの知人が饅頭を差し入れしてくれ、それで昼食がわり。なかなか美味しかった。
つがい(または兄弟)とおぼしきカラスがすぐ近くまで寄ってきて、えさをついばんでいたのが印象的。耕耘機を使うと虫や野菜のくずが出てくるのをよく知っているのでしょう。ポテトチップスを撒いておいたら、喜んで食べていました。


夜9時からは、先週に引き続いて「火怨・北の英雄 アテルイ伝」を観ました。大沢たかおの熱演が光っていたし、脇をかためる俳優陣、近藤正臣演ずる桓武天皇ら朝廷の描き方もていねいで好感が持てました。
観ながら、「ダンス・ウイズ・ウルブズ」で描かれたアメリカ先住民の生活とたたかいを思い起こしていました。人々が津軽をめざして山道を逃れていく姿と同じ情景がこの映画でもありましたね。
同時に、現代の沖縄の姿とも何度も重なりました。沖縄戦のあと住民の土地を取り上げ広大な基地をつくり、沖縄県民を人間以下の扱いをしてきたアメリカは、実は自らの国でも先住民に対して前科があるのでした。
沖縄の人々が本土を「ヤマト」と呼ぶには、それだけの理由があるということです。このドラマには、かつてこの列島には(まだ日本という国はなかった)そのような人間たちがいたのかという程度で済ませるわけにはいかない問いかけを読み取りました。人間と社会のありようを根底から問うすぐれて現代的な意義が込められていると感じました。久しぶりに心を揺さぶるドラマでした。



  3月29日(金)    
超速で3月が過ぎていく感じ。生暖かい風が吹いて砂埃が舞い、午後になっても身体が気怠く重たい。
2,3日前にジャガイモの種芋を買ってきたものの、なかなか植えにも行けず、明日こそは植え付けを終わろうと思っています。

今日は朝役場へ。署名と新しい要請書を町長に手渡すためです。
対応したのは、町側が町長、副町長、担当係長。総務課長は年度末で退職のため欠席でした。
こちらは代表、事務局ら6人。
冒頭、第2次分の署名995筆を手渡し、合計で2566筆になったことを伝えました。






署名簿に続いて、新しい要請書を代表が読み上げて町側の対応を求めました。
これらに対して町長は、署名についての受け止め方は何も触れず、ただ次のように表明しただけでした。

2元代表制のもとで議会で住民の声を聞いた方がよいという意見があり、急がば回れと考えて1年延期とした。この間、社総交について理解を得ていきたい。今後新しい公募委員も含め、新しい気持ちで取り組んでもらいたい。
社総交については、4割の交付金があり、それを利用してこれまでの懸案事項を解決できるのだから、これは町民益にかなっている。アップルランド跡地については、地主・商工会を含め店を出してくれるところを探したが結局どこもなかった。民間の企業の決断なので、行政がとやかく言える問題ではない。


後半は、3月議会での答弁と全く同じ。一歩も前進していません。これだけの町民の声の詰まった署名簿を受け取った町側の対応としてはお粗末の一言に尽きるでしょう。

1年延期の理由として、「説明が不十分だったから理解を求める」ということなのか、と質問したことに対しても「その通り」と答えるだけ。
その後、策定委員会の構成について議員や県職員を含めるべきではないという私たちの考えを伝え、次期策定委員会に反映するよう求めました。
また、跡地への商業エリアをつくることについても若干のやりとりがあり、商業エリアや商業施設についてはプロジェクトチームを作って検討することについては双方が一致。町からは社総交と並行して検討していきたいという態度表明がありました。
新しい要請書を提出して、町側との話し合いがようやく始まったところ。これから新年度を迎え、町も異動などでメンバー交代があるわけですから、4月中旬あたりから改めて話し合いの場を持って行かなければならないことになります。



  3月28日(木)    
「社会資本総合整備計画」に関する署名の最終結果は第2次分が995筆、先に提出した1571筆と合わせて合計2566筆となりました。署名に賛同いただいた町民の皆さま、大変ありがとうございました。また、署名活動に参加されたみなさん、本当にお疲れ様でした。
この署名簿は、明日午前10時に町長に提出します。ここでの町長の態度表明を受けて、今回の署名活動は事実上終結することになります。
(このあとの文章は、午前中に書いたものです)

お昼近くの今現在も署名に取り組んでいる人たちがいます。私は、それぞれから届けられる署名簿を待ちながら、これを書いているという次第。
署名の集約担当者として、自らも地域で署名に入り、また署名活動の推移について見てきた立場から、一定のまとめをしてみる必要があると感じています。

1.署名活動の到達点
署名に応じてくれた町民は約2500名。有権者数比では28.4%です。3月2日から28日までの1ヶ月足らずでの達成ですから驚異的かつ画期的な人数にのぼります。おそらく池田町始まって以来の大規模な署名活動になったのではないでしょうか。
署名は数ではなくそこに名を記した人そのものですから、そこに込められた一人一人の思い、願い、考えなどをしっかり受け止めることが何より大切です。
この署名活動に参加した町民(署名を集める側)は約50人でした。私が把握できていない人たちを含めればもっと多くの人数になるかもしれません。5筆、10筆集めたという人から200筆、300筆と、数には開きはありますが、その心意気には差はありません。そうした力が束ねられ、1つになり、現在の到達点に結びついたのです。
今回の署名の特筆すべきことは、署名をお願いした方々に断る人がほとんどいなかったということです。この署名に反対だという人はほとんど見られず、立場上できないと表明した方が少数あった程度でした。このまま署名活動を続けていれば、町民過半数は言うに及ばず8割、9割の人が賛同したのではないかと思われます。残念ながら私たちの力量不足でそこまでは遠く及びませんでしたが、この署名項目は圧倒的多数の町民の声であるという事実は重いものがあります。
同時に、この署名は単に名前を書いてもらっただけではありません。当初から、「一軒一軒でとにかく時間がかかる」という感想が語られていたように、町民のさまざまな要望や意見が訪問したメンバーに寄せられたのでした。ほんの一端にすぎませんが、それらの声は署名のサイトで確かめることができます。
これらについては以前にも触れていますので詳しくは書きませんが、これらの意見には町の提出した計画がいかに拙速で町民の意思を軽んじていたかがハッキリと示されています。同時に、どうすればいいのかのヒントも数多く隠されています。

2.署名活動の切り開いたもの
2500筆にも上る署名は、今後の町政のありかたに重要な変更、改革を迫るものとなりつつあります。この点を正しく総括しておくことが必要です。
その第1は、町づくりの主人公は町民自身であることを明らかにしたということです。
この計画が町づくりの根幹にかかわる以上、町民抜きには実施できないことを明確にしました。
これまでは、ハコモノを作る場合でも大きな事業をやる場合でも、諮問委員会で「お墨付き」を受け、議会で説明し、それで実行できたのです。しかし、これからは違います。
財政上も様々な問題をかかえ、過去のハコモノ行政のつけを負いつつ、高齢化がすすむ町という町にとって、従来のやり方でいいのかどうかが問われ、町づくりの根幹が鋭く問われているという本質的な意味をこの署名がもっていたため、、町づくりの主人公は町民であるという意識が喚起され、「町民意思を無視して行政が独走することは許されない」という町民意思がこの署名を通して表明されたのです。

第2は、署名の数と活動の中で寄せられた無数の町民の声が行政を動かしつつあるということです。
町が計画を1年延期するにとどまらず、その内容についても進め方についても、私たちの要求に耳を傾け、いっしょに計画をつくりあげていく姿勢を取らざるを得ない状況を生み出してきました。
次の新聞報道の通り、昨日の議員協議会の中で、副町長は私たちの声を「無視できない」としてアップルランド跡地に「商業エリアを設けることを考えている」と述べています。また、町長は策定委員会について「今までの委員も参画するが、新メンバーも加わるので第1回という気持ちで対応したい」(市民タイムス)とのべるなど、その構成についても変更せざるを得ないことを表明しています。

3月28日 市民タイムス
3月28日 大糸タイムス(紙面を一部並べ替え)

こうしたことも、池田町ではかつてなかったことです。
しかし、現在の町の対応は私たちの要求に一定の理解を示しつつも、「社会資本総合整備計画」そのものについては、従来通りの立場を崩しているわけではありませんから、署名で寄せられた数多くの町民の声をもとに、改めて私たちの要望をしっかり町に届ける必要があるといえるでしょう。

第3は、町民の側にも、私たちの側にも、地方自治のあり方、行政への住民の関わり方に大きな変化を作り出してきたということです。
「ひょっとして短期間には署名をたくさん集めることができないではないか」、「買い物の場だけの要求ではないから難しいのではないか」などという懸念が最初にあったことは事実です。しかし、署名活動をはじめて程なく、その懸念が杞憂であったことが明らかになりました。それどころか、行政への不満やこの計画への意見がどんどん寄せられ、署名を断る人がほとんどいないという現実を前に、署名がどんどん進むようになるのです。
その中で、こうした活動こそが住民自治の発現なのだという自覚が生まれていきました。署名をしたという事実によって住民は自らの参加意識を高め、私たちもまたそれによって町づくりへの確信を得るというように、相乗効果が生まれ始めたのです。
住民が力を合わせれば行政を動かし、町民本位の町づくりへの手がかりを得られるという確信は今後の池田町のあり方にきわめて大きな影響を与えるものです。

さて、今回の署名活動やいろいろな団体との懇談活動を通して、これからの私たちの課題もまた明らかになってきているといえるでしょう。
たくさんの署名を集めたとはいえ、私たちの団体は町民の一部を構成するに過ぎません。ですから、今後はもっと多くの町民がいろいろな形でもっと多様に活動に参加する形態を模索すべきなのです。
商工会、JAや農産物の生産者団体、女性団体、観光協会、その他町の商業・農業・町づくり・観光にかかわる団体が多数あります。それらの方々との懇談・連携を深め合意を広げる必要があります。
そして活動を担う私たちの団体そのものも町民の期待に応えられる規模と内容をともなったものに高める必要に迫られているといえるでしょう。当然、議員のみなさんともよく話を重ね、いっしょに町づくりをすすめることが大事になってきます。
その意味で、署名終結のこの段階はあらなた出発点です。



  3月26日(火)    
周りの田圃では、いよいよ苗代づくりや田の肥料やりなどの作業が始まっています。畦草焼きもところどころで。ただ、日によって寒かったり暖かかったり寒暖の差が大きく体調がいまいちです。
我が家でもそろそろ畑の準備に取りかからなければならない時期。先日は壊れていた耕耘機の修理をして、準備はOKです。

朝はまだ零下。今日も霜が降り、庭を耕して植え替えた植物に井戸水をやろうとしたらホースが凍って、ホースの形状の氷が続々と出てきてしまいました。
この陽気は例年よりも1ヶ月近く早い感じ。昨年はまだ畑など全く手つかずだったはずなのに。近くの方も「じゃがいも」を植えたと言っていました。
耕耘機を畑の倉庫に持って行ったついでに、「なずな」を収穫。イチゴのまわりの草の中にいっぱい出ているのです。この時期は、こうした野草も食卓を賑わせてくれるので、うれしい。ごま和えなどにするとなかなかうまい。
冬の間、たっぷり栄養を蓄えて太り気味(私のこと)なので、これから身体を使って減量につとめます。

夜のNHKドラマ「ラジオ」を見終わりました。女川を遠く離れて涙しながら見ていた人、2年前を思い出して唇を噛み拳を握りしめた人・・・私たちのように、現地に感情移入しながら人ごとならず見ていた人、いろいろいたのではないでしょうか。
http://onagawafm.jp/のツイートにあったように、「『お涙頂戴のドラマにしてほしくない』という希望が叶えられた」という感想は本物ですね。初々しい高校生の感性が、見事な言葉を紡いで映像と重なっていました。あえて厳しい現状や過去の痛々しい傷をさらけ出すのではなく、人々の日々の営みに即して等身大に今日・明日を描く手法が心に響きました。
女川に何度か足を運んだ私にとって、万分の一も現地の人たちの気持ちに添えるなどとは思えないし、気持ちの中にいつも女川があるなどとも言えないから、こうして心のネジを巻き直してくれるドラマは貴重です。
「某ちゃん」がブログの冒頭で呼びかけていたように、池田町から大型バス一台を貸し切って、5月の末か6月の頭に女川を訪問します。そのときは女川さいがいFMも訪問するかも。

特集ドラマ「ラジオ」NHK PCサイト
女川さいがいFM



  3月23日(土)    
政府が辺野古沿岸の公有水面の埋め立て承認を沖縄県に申請したと報じられました。
今日の記者会見で菅官房長官は「約束したことを守っていく」と延べ、アメリカとの「約束」は守るが、沖縄県の反対は無視するという屈辱的な姿勢で終始。
あらためて沖縄の全自治体首長・議長が連名で政府に提出した建白書(および署名}を読み直してほしいと思います。
一読して分かるように、オスプレイの配備をやめることと普天間基地の県内移設反対とその撤去を求めているだけです。何と控えめな要求でしょうか。嘉手納基地、その他の基地撤去を申し出ているわけではないのです。
県民のこれほどまでの願望を見事に踏みにじって痛痒すら感じない政権ですから、世界から相手にもされず孤立するのも無理はありません。この構図では、沖縄県民はやがて全基地撤去に向かわざるを得なくなるでしょう。

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町の「社会資本総合整備計画」についての署名活動を始めて今日で20日ほどが経過しました。
今日の正午現在で、寄せられた署名は2100名余。29日に第2次分を提出する予定にしていますが、おそらく2500名近くに上るのではないかと思われます。
一軒一軒を訪問し、趣旨を説明し意見を聞きながら署名を集めるという気の遠くなるような活動を1ヶ月近くも続けてきたわけですから、町の計画が町民にどう受け止められ、どのように評価されているのかを一番骨身にしみて理解しているのは私たちです。

町は「説明不十分」を理由として1年延期を打ち出したのですが、これが全く民意に添っていないことは先日も指摘した通りです。
なぜこんなことが起こっているのか。これも先日触れた通りですが、あらためて確認しておきましょう。
それは第1に、町が町民の意見を多様に聞くことなく無理にも計画をすすめようとしているからです。
町長も職員にも町民の声が聞こえていない。とくに新しいハコモノへの抵抗感が根強いのに何も答えてはいない。
第2は、にもかかわらず、コンサルタント会社丸投げとか、当て職による策定委員会の設置とかでいい加減なやり方で押し通そうとしていること。これでは町民の意思が明らかになるにつれて矛盾を深めざるをえません。説明したから計画を進められるという性格のものではないということを知るべきです。
第3は、この期に及んでも、買い物の場をどうつくるかについて町としての対応を示し得ないこと。この点では町政へのぬぐいがたい不信感が蓄積されています。

事態がここまでくれば、新年度にあたって全く新しい計画と進め方が検討されてしかるべきです。私自身、どのように庁内での検討がすすんでいるのかを注視してきました。
そうこうするうちに、 昨日の市民タイムスに次のような記事が載ったのです。21日に開かれた第4回策定委員会についての記事です。
要点は、@策定委員会の設置要綱を改訂して委員会を延長する。A3人程度の公募委員を入れ、25人以内の委員による新体制とする。B町は、4月中に町民に計画内容を説明する場を設ける、というもの。

具体的にどのような議論があったのかは今はわかりませんが、この記事から推測するに、策定委員会のあり方については「公募委員を含め1年延長する」ということ以外に何ら新しい提案も議論もなされなかったのではないかと思われました。
記事では「仕切り直し」と書いていましたが、実情は単なる延期にすぎません。これでは委員個々の意思にかかわらず、この策定委員会は単に町の下請け機関として位置づけられているに過ぎず、「町づくりに対して果たすべき役割と責任」という意味で、全く不十分な組織であると言わざるをえません。「策定」の名が泣いてしまいます。このようなやり方を続けている限り、永久に町民の期待に応える事業など出来っこないでしょう。

ではどうすればいいのか。先日書いたこととかなり重複するところもありますが、改めて私なりの考え方を示してみたいと思います。

まず、町が現在までの計画について内容が町民の期待とは大きくずれていることを認め、新しい改定素案を提示すべきだということです。
「説明不足だった」では通らないことはこれまでも繰り返し指摘しました。新しい提案には少なくとも、@買い物の場の創出についての町の考え方と方策を示す、A交流センターの規模の縮小、B既存の施設への対応、C道路整備の見直し、D体育館の耐震化だけではなく防災基地としての視点、などを最低限含むべきです。4月一杯は庁内でじっくりと検討を深めてほしいものです。その上で、町民説明会・意見交換会をできる限りこまめに行うことです。
付言すれば、買い物の場を含めた計画にするならば、「社会資本総合整備計画」などというわかりにくい名称ではなく、「まちなか整備計画」とでもしたらどうでしょうか。
もちろんこの段階では町の素案であって原案にもなっていません。交付金を前提とするわけでもありません。議論の出発点の提案とする必要があります。

次に、策定委員会の問題です。
公募委員を3人程度入れたから町民の意見がそこに反映されるなど考えるなら、大きな間違いです。策定委員会を真に計画原案を「策定する」機関にふさわしいものに改める必要があります。
つまり、町づくりの計画立案を担う責任と権限が求められるということです。町の計画に意見を言うだけの軽いものでは、現在の困難なさまざまな課題に何ら積極的な方針を生み出すことはできないでしょう。
その任に堪えないような役職の方ならご遠慮いただく。そのくらい強い気持ちで臨まなければならないのではないでしょうか。一人の委員の背後に数多くの町民がいて意見を聞かせてくれる、そんな委員でないと困ります。
実はそのよい前例があるのです。初代サポートセンターの10人の委員です。もともとすべて公募でしたが、埋まらなかったので役場の職員が、いろいろな団体のリーダーに直接あたってサポートセンターの意義と委員の役割を丁寧に説明し、説得し、委員に応募してもらうという手続きを踏んだのです。
だから、その後の会議では自発的に活発に議論が進みました。それぞれが自覚を持って毎回の会議に臨んだのでした。もっとも、誰かさんがその芽をしっかり摘んでしまったのでしたが・・・。

では、策定委員会はどのようなものでなければならないか。
@策定委員は町民によって構成されることです。従って、県の職員はあくまで助言者としての役割を果たしてもらうべきでしょう。
A策定委員会には一定の権限と責任を付与する必要があります。言い換えると原案に責任を持つということです。具体的には、町民の意見を吸い上げ議論に反映するためにワークショップ(あるいはその部会)を主宰する権限。現地調査をし、あるいは専門家の意見を聞くことが出来る権限、さらには町民説明会に同席し、委員会での議論の内容を説明する責任などです。そのためには、必要な予算措置も行う必要があるでしょう。
B議員は、議会として町の原案を審議し修正し町民合意に高める責任がありますから、議員は策定委員に入る必要がありません。むしろ、策定委員会と議会とが定期協議をもって情報と意見の交換をすべきなのです。これも策定委員会の権限であり責務です。
ただし、議員個々が、町民なら誰でも参加できるワークショップに加わって自由な討議をすすめることは、町民の意見を汲み尽くす上でむしろ奨励すべきことであって、策定委員会とは区別すべきです。
C町の都合で策定委員会の回数を固定したり、1回2時間というように固定すべきではありません。もちろんむやみに回数を増やせばいいというものでもなく、無制限に時間を使うなどという無謀なことは言うつもりはありません。しかし、本来じっくりと分野ごとに検討を重ねなければならないときに、時間が迫っているからとか、回数が決まっているからというやり方は避けなければならないということです。この悪しき例が第5次総合計画の策定作業でした。
D策定委員会は公開とし、議事録および町や委員から提出された資料などもすみやかに公開することです。

策定委員会に関連して、町の計画立案に関わる役場スタッフの問題。
計画素案を作成する過程ではプロジェクト・チームが作られ検討を重ねてきたことは聞きましたが、実際に町民との折衝にあたり、策定委員会に対応するには現在のようなシステムでは全く不十分です。なぜなら、課題はほとんどすべての部署に及び、関連する役場の部署での検討も必要だからです。
従って、役場としても組織横断的な数名の専門スタッフをそろえて研究・調査・立案などの作業に当たらなければならないのではないでしょうか。
議事録の公開でも、パブリック・コメントの公表でも、後手後手に回っており、迅速に情報を示して議論を促進することができないでいます。一人の係長がどんなに有能であっても、背負いきれる課題でないことは明らかです。

続いて、財政・財源問題です。
現行の計画では約6億円の地方債を発行する計画になっていますが、計画を1年先送りしたことを考え合わせれば、基本的に借金なしに事業計画をすすめるために、新年度に直ちに特定目的基金を設定し、3〜5カ年程度の積み立て期間を設ける必要があります。また財政調整基金を特定目的に切り替えることも必要になるでしょう。公債費の上昇見込み分を他の財源として使えるようにすることは町の責任です。
また、特定目的でいえば、安曇総合病院への支出分や会染保育園の建て替え(耐震改修)への積み立ても考えておかなければなりませんから、社会資本総合整備事業の一定の縮小は避けられないはずです。
財調は3〜5億円程度でよく、あとはさまざまな課題に対応して特定目的に切り替えることが求められると私は考えます。

ここでは、今後の「計画」の進め方に限定して意見を述べました。中身については、これからの議論の過程で話し合いを深めることになるわけですから、私もまたその過程で討論に加わっていこうと考えています。

今回の署名活動は、過去には例のない取り組みであり、町民の意見をきく貴重な経験となっています。町民本位に計画を作るというのは、このような地を這うような努力の積み重ねの結果なのだいうことを参加者が体験した取り組みともなっています。
行政にとっても、今回の計画策定は、町の雰囲気を変える大きなチャンスであるはず。町民とともに将来につながる町をつくるという意気込みと体制(スタッフ、策定委員会の根本的再組織、予算など)を整えて、計画策定・実行に当たってほしいものだと願わずにはいられません。



  3月22日(金)    
朝は多分零度前後だったのでしょう、霜が降りて寒い寒い。しかし、昼近くになるとどんどん気温が上がって汗ばむほど。20度近くもあるのではないでしょうか。
庭のレンギョウもすっかりつぼみが膨らんできて、下の方はもう咲き始めています。近くの畑では水仙も咲きはじめて、あたりは冬の景色と春の景色が同居しています。










  3月20日(水)    
何と風の強い日の多いこと。真冬は太平洋側を低気圧が通過して南にいくほど雪を降らせ、今度は日本海側を低気圧が発達しながら通過して南の強風を吹かせる。こんなことって今までありましたかね。外に置いたものが吹っ飛んでいくので、改めて整理し直さないと・・・。

午前中は、近くの住宅地で署名行動。かつて私が住んでいた地域を回ったこともあって、なつかしい人たちの顔を見ることができました。もう7、8年も前のことですから、相手は覚えていないだろうと思っていたら、「よく新聞で名前がでてくるね」という人が複数いてこちらが驚いた。
多分、被災地支援やバラの会で名前が新聞に出ていたからなのでしょう、「ずいぶん活躍されているようですね」などと言ってくれる人も。中には姓を名乗ったら下の名前まで言ってくれる人がいたり・・・いやあ、驚いたり感激したり。よく新聞を読んでくれている人がいるんですねえ。これはもう心して事に当たらないといけません。
そんなこんなで、一軒で話している時間が長引いて、お昼になったらもうぐったり。午後からは疲れてお昼寝してしまい、午後の活動をさぼってしまいました。

夜のニュースで、韓国で大規模なサイバー攻撃があり銀行、テレビ局のコンピューターがダウン、大きな影響が出ていると報じていました。周到な準備の末にこれほどの規模の攻撃をしかけられるのは、特定の国だろうと言われてはいるものの、どこかについてはまだわからないとのこと。
サイトに侵入して、ホームページを書き換えるなどというのはもう20年もまえの話。今では、サーバーの大本にウイルスを仕込み、時限的にそれを起動して自らは消滅するなどというとんでもない技術も普通に行われる。
私がアップしているようなホームページでさえ、かつてリンク先が別のものに書き換えられてビックリ仰天したこともありました。それは別に私を貶めようとしてやるのではなく、不特定の誰かのサーバーに侵入して、手当たり次第に書き換えていくというような初歩的なものだったのでしょう。
今ではサーバーの管理者も対策をとっていますから、普通は起こらないのですが、狙い定めて研究を重ね準備をしていけば、どんなサーバーも攻撃の対象となり得るということです。
それが銀行の口座であれば、とんでもない被害と混乱をもたらすし、交通網であれば大事故につながるし、原発などならもっと大変だし、軍や政府関係となれば偶発的な国際事件の引き金になることさえある。いまはそんな時代を作り出してしまったことを深刻に受け止めなければならなくなっているのです。

北朝鮮の核先制攻撃の脅しが報じられてから、この国の弱さの表れであって、本気でそのようなことを考えているとは考えにくいという論評が多く行われています。それはそれで正しいと私も思うのですが、なにしろどんなことを考えているのかわからない不気味な指導者を持つ国のことですから、毅然として対処しながらも、孤立させずに国際社会に復帰することを促す外交努力を続けていかなければならないのでしょう。
おそらく、自民党政権は、こうしたことを奇貨としてますます「国防軍」への傾斜=改憲への衝動を強めていくことが予想されます。それは、全く逆の結果しか生まないだろうことは明らかです。オスプレイの訓練を合理化するばかりか、自衛隊への配備すら認めていくことにも当然つながる。
TPP、集団的自衛権、原発再稼働、消費税、そして改憲。10年たったらこの国あり方はガラッと変わってしまっているのではないのでしょうか。果たして、この国は先進諸国の仲間として認めてもらえているのかどうか。暗澹たる気持ちになってしまいます。
とはいえ、それをそのまま認めるわけにはいかないことは当然のこと。いつの時代でも、例え少数ではあっても、未来に希望をつなぐ努力を営々と続ける人たちはいるもの。何とかしてその一員になる努力は続けたいものです。

夜、娘と小学校を卒業した孫から電話。折りにふれこうして電話してくれるのはうれしいものです。妻が撮ってきてくれた、孫たち、それに弟の娘とその子どもの写真をゆっくり眺めていました。



  3月19日(火)    
ついに町は「社会資本総合整備計画」の1年先送りを表明せざるを得なくなりました。
最終日の今日の議会で、町長が延期の表明をしたものです。この表明については、池田町の議会中継の録画で見ることができます(定例議会最終日A 44分20秒あたりから)。
その部分だけを紹介しておきましょう。

「とくに一般質問で多くの議員のみなさまに(ご意見を)いただきました社会資本総合整備計画につきましては、十分に議員のみなさま、町民のみなさまにご理解をいただくため、計画を1年延期させていただきます。今後ともいっそうのご理解・ご支援の程をお願い申し上げます」

これは、議員の質問が多かったというだけではなく、私たちの署名活動を通して無数に寄せられた町民の声が町を動かした結果であることは明らかです。署名を本格的にはじめて2週間余りになる今日現在ですでに1900筆を超えているのです。一軒一軒訪問して問題点を説明し、町民の意見を聞き、署名として集めるという気の遠くなるような活動をたくさんの町民がすすめてきたのですから、町としても無視できなくなったのは当然のなりゆきといえるでしょう。
しかし同時に、現在の町の計画を「町民にご理解いただくため」と町長が表明していることに最大限の注意が必要です。見直すとは言っていない。まして、署名の内容に触れているわけでもありません。
だとすれば、1年延期という措置が一定の譲歩ではあっても、よく説明すれば納得してもらえるという「普天間基地」移転問題についての政府の対応なみになる可能性は十分あるのです。
これは、議員が求めていることにも反するし、私たちの求めていることにも反します。

1年延期して何をするのか。町はひたすら現行の計画を町民に説明して理解を求めるのか。それはできるはずがありません。それでは、これまでと全く何も変わらないからです。では、どうするのか。
町はまず町民の声に真摯に耳を傾けるという態度を明確に示すことです。それには、第1に、町なかの住民の多くが切実にのぞんでいる買い物の場をどうするのかに方針を示すこと。第2に、地域交流センター建設を含む現行計画を根本的に見直すこと、第3に、策定委員会のあり方を含めて計画の進め方をいかに多くの町民の声を入れたやり方に変えていくか、に尽きます。

そこで、今日は町長の表明をうけて、いくつかの提案をしてみたいと思います。これはあくまで個人的な見解であり、団体としてのものではありませんので、念のため。
まず買い物の場の創設については、民間任せでは決して実現しないということです。町が地場産業(農業・商業)の育成のためにスタッフをそろえて本気で取り組むことが何よりも必要です。
それを前提として、産直を中心とした施設を町がつくることが提案の第1です。
買い物の場としてはコンパクトなものであればよいと考えます。何よりもさまざまな商店・グループが加わって賑わいを生み出すことが肝要です。
小さな町においては大きなショッピングセンターを導入したり、企業誘致を行ったりというだというやり方はすでに時代遅れです。町が独自のユニークな地域密着型の産業育成に踏み出してこそ、「小さくても輝く町づくり」が可能となる時代なのです。
地域で生み出した価値が地域に還元され、さらに付加価値を高めて再生産され、結果として他市町村にも販路を広げていく、そのような展望を持つべきです。
それゆえ、町にねざして努力を続けているいくつもの農業生産者、加工食品業者、その他の商業者などと連携を深め、池田町だからこそできる買い物の場、地場産品の振興の場、住民交流の場を作り上げることが求められるのです。
町民のやる気を引き出すには、町がその気になるべきことは当然のことでしょう。いくつかの町では、そうした直売施設のコーディネーターとして嘱託職員を雇って派遣しているところもあるくらいです。
その展望を持てば、アップルランド跡地はそれを実現する格好の場であり、これからの町の重要な位置を占めていくでしょう。これが優先されなければならないことは言うまでもありません。

第2は、地域交流センターの建設の進め方の問題です。まず、これには町民の間に、新たなハコモノへの根強い拒絶反応があることを知らなければなりません。過去の町政のつけが回ってきている。当然、福祉会館、多目的研修センター、創造館などの使い方の検討が同時に行われなければならないでしょう。その上で、公民館の建て替えを議論すべきです。
当面、そうした施設を使うことを排除せずに、多目的施設の建設の可否を含めて町民の意見をまとめることが提案の第2です。町がどうしても建てるべきだと考えるならば、合理的なプランと財政計画を再提出することが必要になります。
私個人としては、そのような条件が満たされるならば文化施設としての複合施設は町民の文化・教養を高めるうえで、あるいは交流を深め、住民自治を学ぶ場としてきわめて有効な舞台となるだろうという展望を持っています。当然のことながら、「賑わい」をつくるなどというレベルの話ではおさまりません。それは結果であって、目的ではないのですから。
町の公民館活動がこれまでどうであり、これからどうあるべきなのかが問われています。町長の言う「町民活動のとりで」という水準ではなく、根底から議論されなければ意味がありません。そうでなければ、何故に公民館の建て替えが求められるのかさっぱり分からないではありませんか。

第3は、これからの計画策定の進め方についてです。町は、3月までの任期で昨年策定委員会を発足させました。これまで3回の委員会が開かれ、審議が行われていますが、その途中で今回の延期の提案。だとすれば、そもそもの前提が崩れたことになります。
従って、現策定委員会は一旦閉じ、新年度に改めて委員を入れ替え(自治会代表など)、町民団体代表などを補充し、公募委員を含めて再発足させることが必要です。このままの体制でいつまでもできるわけではないことは町の担当者が一番よく分かっているでしょう。
提案の第3は、策定委員会の再発足と町民の自由参加によるワークショップの開催です。まず、策定委員会は、町の提案を検討することが前提ですが、意見を述べるというだけの審議機関ではなく、それなりの権限を持たせるべきだと考えます。場合によっては、事業計画の見直し、削除、追加などの提案権も持つというくらいの。従って、単に当て職の委員ではなく、それなりの自覚と責任を負う委員でなければなりません。
その上で、委員会のもとに、議員および希望する町民によるワークショップを設け、策定委員がそのワークショップを主宰する。その結果をもちより、策定委員会でまとめ、さらにワークショップに下ろす。必要に応じて町民集会やニュースで審議経過を知らせ、意見を聞き、さらに議論を深める。
その過程で、交付金の申請が日程にのぼることになるでしょう。
これこそが町民合意のつくりかたであり、討議の過程で生まれるであろう意見の対立を克服して、1つの成案に高めていく民主的なやり方です。これまでにないやり方だとしても、大胆に踏み出すときだと私は思います。
役場もまた、担当スタッフを拡充し、一定の予算措置を講じ、プロジェクト・チームを組んでそれらに対応できるようにすべきです。なぜなら、これからの議論は、町の農業。商業ににかかわり、施設建設にかかわり、文化・教養にかかわるのですから、何人かの係長クラスが役目を分担して仕事に当たるべきではないでしょうか。

この問題の帰趨は、これからの池田町のあり方を大きく左右するでしょう。いわば分岐点にさしかかっているのです。役場もその意識と意気込みをもって取り組んでほしいと切に望みます。

【補足(3月20日)】計画延期を伝える信濃毎日新聞(3/20)





  3月18日(月)    
朝からのさしもの強風も夕方にはやんで、今は雨が梅雨時のように降っています。明日にはまた日射しがもどってくるのでしょう。

孫の卒業式に明日出席するためなので、妻は今日から富山へ。父が亡くなったときの年に私がなり、そのとき廊下で涙を流していた我が子たち達の年頃にその子どもたち、つまり我が孫たちがなっている。歳月の流れをつくづく感じます。

今日は怠惰な1日。昨日朝から「川ざらえ」と署名行動にでていたせいか、腰がいたくなりちょっと無気力状態。そんなときは無理をしないで、ゆっくり過ごす。それに限りますね。
妻は不在なので、昼過ぎから昼寝。ゆうがた一人でゆっくり風呂に入って「ビブリア古書堂の事件簿」を見て、また早々と寝る。
まもなく畑仕事も開始しなければならないのに、これもちょっとサボっています。

さて、私にとっての「ノーマル」な生活とは一体どのような状態をいうのだろうか。いま言ったようなのんびりとした状態なのか、畑を耕しながら、ときどき読書もしたり料理もしたりという生活をいうのか。それとも、この世の出来事に思いをめぐらし、評論し、市民活動をし、友人と語らい・・・という生活を指すのだろうか。
そう考えてみると、どれも当たっているようでもあり、当たっていないようでもあり。朝起きると新聞を読んで、連続ドラマをみて、パソコンを起動してメールを読み、掃除をして、畑の手入れにでかけ・・・何となく続く1日の「生活」。定職があれば、当然仕事にでかけ、1日の仕事をこなし、疲れて帰って風呂に入って寝る、くらいが主な「生活」になるのかも。
しかし、この生活について、どこかおかしいのではないか、何か大きな問題が潜んでいるのではないかと問うことはまずない。なぜならそれは習慣なのであり、それを変えることは考え方の転換が求められるわけですから、すごい精神的エネルギーが必要となります。
にもかかわらず、やはり問うてみるべきなのでしょうね。こんなに電気を使っていいのか。こんなに紙やプラを無駄につかっていいのか。いつまでタバコを吸い続けているのか。安ければいいという買い方をしていないのか・・・。

なぜこんなことを書き始めたかというと、雑誌「世界」4月号に掲載された孫歌(SUN Ge)さんの「『ノーマル・パラノイア』と現代社会」(訳=鈴木将久)を読んで、いささか感じることがあったからです。

もし、人類の生活のノーマルな状態が健康的で合理的であるならば、自分をノーマルな状態におくことは正常である。問題は、私たちが疑うことのない「ノーマル」がそうでなかったなら、とくに現代社会がその病態を示しているときにどうするかである。自分を「ノーマルな感覚」におくことは、自分を麻痺させる有害なことでないのか?

彼のこの思索の背景に、3.11大震災と福島原発事故という過酷な事件が起こった後にも、程なく「ノーマル」に回帰しているように見えるこの日本のあり方が横たわっています。彼は「こうした回復」への「思考と質疑」を求め、その思考は中国自身にも向かってもいきます。一方で、これを打破する1つの模範として「沖縄の民衆思想家」に光をあててもいるのです。
私自身は、現代に横たわる「ノーマル・パラノイア」現象を省察する彼の問題の立て方にドキリとするものを感じ、今日はしばらくあれこれ考えさせられていたのでした。
そしてまた、この「ノーマル」が今日の世界においては巨大な力によってたえずゆがめられ、作り替えられ「偽ノーマル」として立ち現れていくわけですから、そのダイナミズムを同時にとらえ、普段の生活を見直すことが必要ではないかと感じたのでした。

私たちはまさにこのような危機が飽和しつつある歴史的瞬間にいる。それをとらえ、効果的に歴史に分け入ることができるかどうか、それは私たちがノーマル・パラノイアの精神構造と習慣を克服できるかどうか否かにかかっている。今日、それは歴史家だけの課題ではない。いたるところに危機が潜伏する時代において、それは思考を引き受けるすべての個人に突きつけられている。まやかしの認識の自己複製を極力避け、効果的に危機をとらえ、私たちの生存状態そのものを変革すること。それは私たち誰もが逃れられない責任なのだ。



  3月17日(日)    
今日は、高名なピアニストで東京芸大副学長の渡辺健二先生からうれしいお返事をいただきました。
先月はじめのことです。先生が沖縄でピアノ演奏会を開かれるというニュースを偶然知り、その演奏曲目にラフマニノフ、ショパン、ドビュッシーなど魅力的なプログラムと並んで「3つの沖縄民謡」が含まれていたため、感激してお便りをしたのでした。
入試やこの演奏会の準備で大変忙しかったのでしょう、にもかかわらず忘れずにいてくださって、ほぼ1ヶ月ぶりに丁寧なお返事をいただいたのでした。


渡辺健二さんとの出会いや人となりは2012年3月17日に書いています。松本での演奏会については4月15日に触れました。たまたま名古屋の高校で1年間数学を担当したというただそれだけなのです。
40数年ぶりに松本で再会したあと、たまにメールをするくらいでしたが、今回は沖縄に出発する直前にもかかわらず長く丁寧なお便りをいただいたという次第。偶然とはいえ、このような出会い、再会もあるのですね。
その中で、先生と沖縄との関係はずいぶん古く、かれこれ30年近くも演奏とレッスンで訪れているということを知って驚きました。今回の演奏会についても那覇市のパレット市民劇場からピアノを選んでほしいという依頼があって、そのお披露目演奏会だということを聞き、さらにびっくり。そのピアノとは池田町の創造館にあるのと同じスタインウエイ。
そして、詳しくは書けませんが、今日の状況に対しても私の考えに共鳴をされており、その深い見識と福島・沖縄に寄せる思いに心を打たれたのでした。
近ければ、聞きに行きたいところですが、沖縄とあってはちょっと無理。今度演奏会があれば是非出かけていきましょう。今回の那覇での演奏会が盛会でありますように。

私にとってピアノという楽器は、例えていうとそうですね、ちょうど西田敏行が歌った「もしもピアノが弾けたなら」というあれといっしょ。幼い頃からの憧れでもあり、弾きたいが弾けないというもどかしさを感じる楽器でもありました。
大学で大きな挫折を経験し、留年を決意したその年に、母が勤めていた小学校でプール監視員をしながら一夏学校のグランドピアノを初歩から弾きまくったというのがそもそもの出会いでした。裸でたどたどしくピアノを弾く姿など想像したくもありませんけどね。
2度目は、これまた人生の大きな曲がり角で東京に出てきたとき、あるピアノの先生に出会って2年ほど教わったこと。あまりに急いで激しく練習したために結局中途で挫折。それ以来20年ほどもまともにピアノに触ったことがないため、今ではすべて忘れてしまっているのです。
私のかつての弾き方はすべて暗譜なので、楽譜を読んで弾くということができない。従って、忘れたらそれで終わりなのです。
母は小学校の音楽教師で当然ピアノも弾いていました。しかし、家には経済的に理由から楽器もなく音楽的な環境はまるでなし。母はすべて師範学校と、勤め先の学校でひたすら練習をしていたのでした。
習字ではなくピアノを習わせてくれていたら、我が人生は変わったかもしれないのです。挫折だらけの人生ですから、まあ、とんでもない人生だったかもしれませんが。
とまれ、憧れを持ち続けられる楽器が1つでもあるだけ幸せということですね。



  3月16日(土)    
今日どうしても書かなければならないのは、TPPのことでしょう。
率直に感想を言えといわれれば、「あんた達の選んだ自民党が、予定通り国民をだましてTPPバスに乗せようとしてるんでしょ」ということになる。
今日のNHKの「ニュース深読み」などはひどいもので、「まず参加していやならやめてもいいんでしょ」と平気で述べる芸能人(?)を出して「深読み」していました。NHKらしく「公平に」功罪半ばとでも言いたいのでしょうが、こうした解説を聞かされる庶民はたまらない。いつやめるか。今でしょ!
せめて次のバンプレットを読んでTPPの意味を考えましょう。

考えてみよう!TPP 私たちの将来

今日の信濃毎日新聞には、昨日政府が発表した「TPPによる影響試算」が載っていました。関税を撤廃した場合の試算として、「農業生産が3兆円減、GDPが3.2兆円増」なのだそう。


政府はよくまあ、ぬけぬけとこのような資料を出したものだと思いますね。「聖域」は守るのだといい募り、守られなければやめればいいという幻想を振りまき、せいぜい米は10年くらいの猶予をもらって関税ゼロにするというようなオチで、結局は食料主権を売り渡すことが見え見えのこのTPP。
米と自動車とを同列におき、輸出が増え、安い海外品で消費が増えるからGDPも増えるのだというこの論理がどれほどウソで固められ、日本を危険な道に連れ込むものであるのか、私には想像もつかないほどです。もっと勤労市民、農民、漁民、高齢者は怒っていい。いや怒りをたたきつけなければなりませんよ。
米をつくる担い手がいなくなり、耕作地が荒れ果てて、そのあとの国土は?食料主権を売り渡した後の食と安全は?安曇野の穀倉地帯が寒々とした光景に変わるのは見たくもありませんね。しかしこれはそんなに遠くの話ではない。10年、20年後には間違いなく訪れる光景です。
米やムギやサトウキビがつくられなくなった土地はどうしましょう。原発でもつくりますか・・・。

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午前、午後といっせい署名行動に参加。今日は池田一丁目を中心に地域を分担し、一軒ずつ訪問して署名を集めました。
午前中は若い家族の多いところだったので、すべての人たちが快く署名に応じてくれましたが、午後からは古い地域で一人暮らしが多かったり、留守が多くてなかなか署名簿が埋まらない。
訪問先の方が玄関に出て来てくれたときは「こいつ誰だ」という顔をしていますが、自己紹介したあと、「アップルランドがなくなって、そこに地域交流センターを作る計画がありますよね」と話し始めると、急に顔が和んで、ひとしきり私の話が終わると、今度は向こうからどんどん話が出てくる。日頃の思いが語られる。とくに買い物に行っている女性の方はそうでしたね。話が止まらなくなるので、一軒一軒の訪問時間が長くなってしまう。
みなさん結構状況はわかっているようで、「買い物ができないのは困る。絶対つくってほしい」「なぜそんなに急いで公共施設をつくるのかわからない」「オレはハコモノは作らなくてもいいと思っている」などという声が次々と寄せられました。断られたのは一軒だけ。明日はまた午後から一斉に地域に入ります。

署名をお願いしていて、ごくまれに「町長をいじめている。こうした活動の糸を引いているのは共産党だ」という町民がいると参加者が報告していました。
先の町長選挙であれほど醜い「反共宣伝」を行った方々ですから、ない方がおかしいといえるかもしれません。
流しているのがどのようなスジであるかはわかっているのですが、そのような「うわさ」が表立って出てくればくるほど、その人たちの道理のなさが際立つだけです。
第一、共産党に属していない人たち(私も含めて)に対する無礼きわまりない物言いであり、さらに町の発展を願って私心なく活動を続けている共産党のみなさんに対するいわれなき誹謗・中傷です。
仮に東日本大震災のような災害が池田町を襲い、まっさきに救援に駆けつけてくれた共産党の人たちに向かって、そのような人たちは「この救援物資は共産党が糸を引いている」とでも言うのでしょうか。現実に何が起こっているかは、現地に行って見てごらんになるといい。

政治戦である選挙とは異なって、今回の問題は住民のくらし、いのちに関わる問題なのです。「買い物の場がなくなって本当にどうしたらいいかわからない」「町の財政が大変なときにまた借金するのでは困る」「たくさんのハコモノがあるのに、どうしてそんなに急ぐのか」・・・私たちに寄せられた声、意見はどれも切実なものばかりです。
だから町長選挙で現職を応援した人でも、この問題だけは見過ごせないと大多数が署名に応じているのです。現職のやり方への幻滅がひろがっているのです。
言うまでもないことですが、この問題については町民の考え方は多様であり、さまざまな意見があることの方が健全なのです。それゆえにどうすればいいのかについて真剣に意見をたたかわせ、合意を見いだしていかなければならないのだし、時間も必要なのです。
この問題を特定の人たちが特定の目的のためにやっているなどと、まるで謀略的に描くこととは全く別の問題です。
「町長をいじめる」などという低レベルのうわさを流せば、町民がひるむとでも思っているのでしょうか。さらに、「共産党が糸を引いている」といえば、町長のやり方に町民がなびくとでも思っているのでしょうか。共産党と聞くと虫ずが走るというだけの人はまだかわいい。意図的に私たちの活動をゆがめたり貶めたりするのであれば話は別です。しかしまあ、何と性懲りもなく、この手の話がでてくることでしょう。
この問題では誹謗・中傷のたぐいは一切通用しません。日を追って署名は増え続けるだろうということだけははっきりと申し上げておきましょう。



  3月15日(金)    
今から85年前の1928年3月15日、天皇制権力によって1600人にのぼる共産党員・支持者が逮捕されました。悪名高い3.15大弾圧事件です。当時、中国への侵略戦争をすすめていた政友会内閣は、1928年2月の普通選挙法による第1回総選挙で労農党などの進出を阻むために激しい選挙干渉を行います。にもかかわらず、この選挙で無産政党あわせて8人の議員を誕生させるのです。この前進に危機感をいだいた政府は、28年3月15日、いっせいの大弾圧に踏み出したのでした。
普通選挙にあたって、当時の日本共産党がかかげた要求は、「君主制の廃止、民主共和国の樹立、18歳以上の男女の普通選挙権、言論・出版・集会・結社の自由、8時間労働制、大土地所有の没収、帝国主義戦争反対、植民地の独立」など、今日なら違和感なく受けいられるものばかりですが、当時の人々ならば目をむくような進んだ政策ばかり。それゆえ、時の天皇制政府は、日本共産党を国家の転覆を企む恐怖の存在として描き出し、徹底した弾圧・拷問を行ったのでした。
恐怖の存在は、最高刑を死刑とする改悪治安維持法に見るとおり、天皇制政府そのものであったのでしたが。

ところで、現在自民党が用意している改憲草案によれば、現行の第12条を次のように変えるとしています。

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

有事の際には人権が制限されると平気でうそぶく石破幹事長の言動を見るまでもなく、国民の権利が時の権力によってどうとでも解釈されることを狙っているとしか思えません。それは何故かと考えると「戦争」しかないのです。つまり「戦争できる国」にするにはどうしたらいいか。彼らの頭はすべてそこに収斂されてきている。もちろんアメリカの言うとおりに、です。
今日では誰も戦前のような特高警察の復活を想定する人はいないかもしれません。私がこのようなことを書けば、戦前であればおそらく治安維持法によって「死刑」でしょうが、今日ではそのようなことはまず考えられません。
しかし、それに近い状況を生み出そうとする衝動はたえず存在し高まっている。現に、「しんぶん赤旗」のスクープ記事で見るとおり、防衛省が自衛隊員の思想・交友関係をはじめあらゆる個人情報を申告させている疑いが浮上しているのです。


今日の衆院内閣委員会で赤峰議員は、自衛隊員に対する「身上明細書」が「半強制的」に書かされていることをとりあげ、さらに「防衛省だけでなく全省庁で行われているのではないか」と追及しています。内閣審議官はこれに対して「お答えを差し控えたい」とのべるとともに、調査を拒否。闇の深さをのぞかせているのです。
その意味で、85年前の出来事は決して過去のいまわしい事件ではない。そのことを肝に銘じておくべき日だと私は考えています。

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さて、話は変わって、昨日行った町長への要請行動について信濃毎日新聞が1日遅れで紹介してくれました。





  3月14日(木)    
昨日の私の予想答弁は、当たらずといえども遠からずという感じですかね。
「社会資本総合整備計画」について今日質問したのは、二人の議員。これに対して町長は「国からの4割の交付金は大きい。町が単独でやろうとしてもできないことがこれでできるのだ」と国の交付金の大きさを強調していました。
写真は薄井議員の質問に答える町長。


町が有機体として機能し続け、住民の暮らしを支える場であるためには何が必要か。
住民はまず生きなければなりません。ただ生きるだけではなく、よりよく生きるための空間と手段を持たなければなりません。
これまでは国なり役場なり、大型商店なりがそれを与えればよかった。しかし、大型ショッピングセンターは儲けがなくなれば、町民の暮らしがどうなろうが閉鎖・撤退するというのが世のおきてです。
アップルランド撤退後の跡地をどうするのかを考えるとき、単にある店が出てくれればいいというのではもはや通用しないというのが私たちの考えの根底にありました。

私の構想(まだ懇談会全体の構想になっているわけではありませんから、あくまで1つの試論です)では、いま町なかに必要なものは農産物・加工食品などの地場産品を扱い、直売機能をもちながら、他の商品を扱う業者、店舗とも連携をとり、1つの広場を作り出すというものです。当然、町民が交流する機能も持たなければならないでしょう。
単に買い物の場を作るというだけにとどまらず、町の農林業、加工食品業を下支えし、利益を町民に還元し、さらにその利益を再投資にまわすことができる場をつくるという観点。町民が主人公になり、自分たちの町の発展を支えるという住民自治の姿。このような町民のための施設は、工夫次第で実に多彩な顔を持って発展させることができます。ここにこそ町なか再生のカギがあると私は思うのです。
私にこの考え方を教えてくれたのは、岡田知弘先生の「ひとりひとりが輝く地域再生」(新日本出版社)であり、「地域づくりの経済学」(自治体研究社)でした。木曽町の田中町長にとっての「創造都市への挑戦」(佐々木雅幸 岩波書店)のようなものかもしれません。

ここに信州・長野発のおもしろい新聞があります。「信州・長野県から全国に食と農をつなぐ『産直新聞』」です。そのウエブサイトがここ。ここには、私が先にのべた店舗づくり、運営のヒントが満載です。
編集長 毛賀沢明宏さんの論考「産直の現在と未来」を読むと、直売所は首都圏と近畿圏の都市部で急増しており、中には「直売所チェーン店」なども出現しているのだとか。しかも成長する集客力のある大型店とそうでない中・小規模店に「2極分化」しているのが最近の特徴だと書いています。
彼は、「農家の食べ方を教える」「客の前に立つ、相対で伝える」などのポイントを説明しつつ、「顔の見える直売所」をつくることがが必要であると指摘しています。
池田町会染直売所が元気だった7,8年前は、まさにそのような「顔の見える場」を実践していたように思います。しかし他店の影響、出荷者の減少、スタッフの入れ替わりなどで今は当時の見る影もない。
長野県はもちろん全国の教訓に学ぶならば、まだ手は残されています。先にも書いたように、知恵を集め力を出し合えば、大きなことができるのです。
アップルランド跡地はそうした新たな前進をつかむのに最適な場ではないのでしょうか。当然ながら、町も商工会もJAも町民も、等しく汗をかき、頭を絞らなければなりませんが・・・・。

次は、昨日行った町長への要請行動についての新聞記事です。







  3月13日(水)    
昨日、町の「社会資本総合整備計画」に関する署名が1500を超えました。わずか10日程度でこれだけまできたわけですから、町の計画がいかに町民からかけ離れたものであるかがわかります。
内容についてはこれまで何度も書いてきているので繰り返しませんが、明日、明後日の議会一般質問できっちりと議論を深め、町の立案の杜撰さを追求してほしいものだと思います。
議会一般質問に先だって、今朝早くに「町なか再生を考える懇談会」代表らが役場に出向き、これまで集まった署名1571名分を町長に提出しました。当初は1000筆を目標としていたわけですから、この重みは相当なもの。役場も決して無視はできないはずです。議会での討論に是非反映させてもらいたいと願わずにいられません。


署名を受け取った町長は、「今回の計画は、いままでの町政で積み残してきたものを国からの交付金を利用して実施するもの。町の財政にとっても交付金4割は大きい。アップルランド跡地については出店が期待できないという中で、地主の希望もあるので、早期に計画を進めることが必要」とこたえ、従来とほとんど変わらない曖昧な態度に終始しました。
副町長からは、「個人的な見解」とことわりながら商業エリアを一部設けることへの言及もありましたが、まだ町としての対応ではなく、今後議会での議論が待たれます。

では、明日からの議会で、この問題で町はどのように答弁するのでしょうか。
今日の町の対応を含め、現時点での私の予想を書いておきましょう。町長になりかわっての自作自演。

@ 今回の計画は、これまでの町の課題で積み残された課題ばかりであり、町民の代表に策定をしてもらっている。
A アップルランド空き地への商業施設誘致については、地主、商工会とともに手を尽くして当たってみたが結局どの企業も無理との返答であった。
B このままでは町の中心地に大きな空洞が生じることとなる。空洞化は町にとって大きな損害となる。したがって、それを避けるためには、何らかの手立てが必要でなる。
C 一方、公民館・図書館は老朽化がすすみ、耐震構造もないため、すぐにも建て替えが必要となっている。
D アンケートでも、町中での人の流れ、賑わいを求める声が多い。また、町なか再生については過去のアンケートでもいろいろな意見を受けており、また再生の方向も議論が行われている。今回の計画はそれから外れているわけではない。
E それらを併せて考えると、最善ではないが次善の策として、空き地に交流センターを建設することが必要であると判断する。交流センターは単に公民館、図書館の寄せ集めではなく、町民が気軽に来て交流できる場としてさまざまな仕掛けをするので、賑わいの中心としての役割を果たすことができるはずである。
F 商業的なにぎわいについては、第1に、この交流センター内に簡単なショッピングができるコンビニのようなテナントを用意する。第2に、空き店舗を利用した商店の開業については、可能な限りの補助を行う。第3に、アップランド代替の商業施設については、現在少し離れたところになるが、デリシアの出店を鋭意要請中であり、全町に買い物バスを用意することで買い物難民がでないようにする。これらについては商工会などとよく相談をしたい。
G 交付金については、年度内のワクがあるので、できる限り早く、遅くとも5月には申請をしたい。またこの交付金は柔軟に対応でき、変更可能である。
H 申請後については、この交流センターや道路整備、その他の内容について説明会をひらくとともに、ワークショップなどを開催して十分町民の意見が反映されるようにする。また、パブリックコメントで寄せられた意見も、この検討の中で生かされるようにする。
I 他の施設の使い方については、今年度検討委員会を立ち上げ、1,2年をめどにありかたと運営について結論をだしたい。


このような答弁をしている限りは、ますます署名がふえ、町民の意識とのズレがおおきくなるばかりでしょう。予想がはずれてくれることを願うだけですが。
これらについての意見は、これまでもずいぶん書いてきましたから、反論することは容易です。

@ 積み残しの中に公民館・図書館の移設を含む新規施設の建設は含まれていない。全く新しい提案であり、当然町民への説明もなく、町民合意ができているわけではない。
また策定委員も、町が委嘱した「あて職」であって、公募委員を含んでおらず町民を代表するメンバーとは言い難い。そこでの議論も、町の計画を前提に審議するにとどまらざるを得ない。
A 国交省の説明によっても、商業施設をつくることは可能であり、JAを中核に出店希望の業者で協同組合を作ることができれば、新たな発展を展望することができる。町なかでの買い物の場をつくることが最優先されるべきであり、町の重要な仕事でもある。会染地区のデリシアなどは不要。
B Aによって、商業施設を中心とした賑わいを回復することができる。問題は町がその気になるかどうかである。当然行政だけではなく、町民参加の施設とする努力が求められる。
C 公民館は、今後の跡地計画が終わるまでは福祉会館または多目的研修センターでの分散運営を行えばよい。図書館は当面閲覧施設の耐震化を行うことでしのぐことができる。
D アンケートでの町民の意向は商業的な賑わいであって、「都市計画マスタープラン」でも「商業による賑わい再生」を基本としている。
E これらのことからは、交流センターを建てる結論は導かれない。町民の求める買い物施設を軸に跡地利用を考えることが必要である。
F 町の対案は、どれも対案になっていない。それどころか、町が本来果たすべき役割を投げ捨てている。
G 交付金の申請には「住民等の合意形成を踏まえた事業実施の確実性」という縛りがある。町の計画はこれに真っ向から反している。
H 順序が逆。最もかんじんな基本計画でこそ町民の意見が生かされなければならない。それぬきで、どのように意見を聞こうが、町主導の本末転倒のやりかたでしかない。パブリックコメントは、現在の町の計画についての意見であり、計画を前提とした意見ではない。
I 他の施設の使い方は、跡地利用、町の総合的な町づくり計画全体のなかで位置づけられるべきであり、それだけを取り出して議論してもほとんど意味がない。


「拙速をさけ、住民とよく話し合い、お互いに納得して町づくりをすすめる」要約すれば、たったそれだけのことです。それを「町民益」と言わずに何というのでしょうか。



  3月12日(火)    
昨日被災地支援ネットワークのメンバー達で情報交換とも雑談ともつかない話で盛り上がっていたとき、「阪神淡路と比べて東北の復興が遅れているのは何故か」という話題になりました。
私は常識的に「津波があるなしの問題ではないのか」と話したら、あるメンバーが「関西人はうるさいからだ」と答えたのでした。
要するに、せっかちで少しでも遅れが出れば声を出してせっつくからだという。それに対して、東北人はじっと我慢の子。
「2年も仮設に押し込められていれば、ストレスも限界に達しているのではないだろうか。海外なら暴動が起こっても不思議ではない」という声もありました。

世界3月号の「メディア批評」で神保太カさんが、ドイツのメディアでは、福島原発事故後の日本について「あろうことか大惨事によって最も被害を受けた日本人こそが、いささかの狼狽も示していない」というコトバがはやっていると紹介していました。
神保さんに言わせれば、「だが、日本人の冷静さをほめているのではないことは確かだ。このまま黙ってなにもしなければ、あとで『だまされた』とは言えないぞ、という警告が潜んでいる」ということになる。
もちろん、これは現に起こっていることがらの一面で、被災地の人たちが黙っているわけでもただ堪え忍んでいいるわけでもないことは明らかです。それは、福島第一原発の事故の補償を求めて大訴訟団が結成され裁判に立ち上がったことからも明らかです。また、仙台、石巻、女川など女川原発に近い自治体の住民らが、原発廃炉をもとめて立ち上がってもいる。少なくなったとはいえ、多くのボランティアが直接住民に接して様々な救援の仕事を続けている。
海外メディアがどのように論評しようが、被災地では日々住民達の闘いがつづいていることを忘れてはなりません。

しかし同時に、たとえば安倍内閣の支持率が2ポイント上昇して70%を超えたという報道が、国民の中に広がる複雑な別の一面を浮かび上がらせています。
大手メディアが書いているように、おそらくその背景には安倍内閣の経済政策への「期待」、対中国・北朝鮮への「冷静な対応」などが評価されているといえるでしょう。
ここに、自らが作り出した虚像に国民をまんまと乗せていくメディアの犯罪性があります。消費税の増税がのしかかってくるのを忘れさせている。所得がますます切り下げられているのを覆い隠している。大企業の大もうけ、無慈悲な人減らしの実態をほとんど知らせていない。有事の際には国民の権利が制限されていいのだと言い募る石破幹事長の狙いも、中国・北朝鮮の挑発行為を全面に押し出すことで見事に拡散させているのです。
論証抜きで、あまりにもおおざっぱなものいいであるのは承知のうえでですが・・・。
それゆえ、私たちは(報道された)事象に隠された本質を冷静に分析・判断し、メディアのウソをはぎ取り、声をあげ異議を申し立て続けなければならない。声をあげる人々をつなぎ、いっそうその声を大きくしなければならないと思うのです。「黙っていることは認めたことになる」からです。

話題をもう一つ。今日の「しんぶん赤旗」紙上の「政治考」が、今月17日に開かれる自民党大会での石破幹事長報告が「わずか7分」、情勢報告、政策報告、運動方針案、党則改正案、予算・決算報告一括で、です。70分の誤植かと目を疑いました。「これに対する質疑・討論時間が予定されていないことは毎回のことだ」と、付け加えられていました。
赤旗は「こんなことができるのは神業だ」と皮肉っていましたが、この政党の方々にとっては、大会なんて一種のセレモニー、通過儀礼に過ぎず、どうでもいいことなのでしょう。まあ、政党の体をなしていない確かな証明にはなっていますけどね。
右翼的なお仲間同士ですから、とくに話し合わなくても以心伝心、一心同体。まあ不立文字なんですかねえ。いやいや、絆ですよ、き・ず・な。
民主的な手続きの何たるかを理解できない面々が、今日の教育のあり方に知った顔で口をはさむなんて、私には我慢ができない。わざわざ沖縄竹富島まででかけて育鵬社版教科書を押しつけるお方もいるんですからね。馬鹿まるだし。権力に取り込まれた元ヤンキーなんてみじめです。





  3月11日(月)    
巨大地震と大津波が東日本沿岸部を襲ったあの日からまる2年が過ぎました。福島県のみなさんにとっては福島第一原発の大事故に襲われ、収束のめどがたたないまま、2重、3重の苦しみを耐えてきた年月でもあります。
長野県栄村でも翌12日に襲った大地震で甚大な被害が生じ、同様の日々が人々のうえにのしかかりました。
たえずあの日に戻らなければならない。あの時は知ることができなかった人々の生身の姿を知らなければならない、そして再起すべく必至で戦い続けた人々の姿を記憶にとどめなければならない、とあらためて私は思います。
当時支援に取り組みながらよく話し合ったことの1つは、「これだけの生産力を持つ日本で、なぜ支援や復興がこれほどに貧弱なのか」ということでした。
献身的な人々の支援にもかかわらず、いまなお生活再建の見通しを持てずに暗闇に沈んでいくような思いを抱えている人たち、孤独死という最悪の状態に投げ込まれる人たち。それは、どう見ても政治の貧困以外にありません。

週刊朝日最新号が「原子力ムラの住民工作(極秘資料)」というスクープ記事を載せています。橋下関連記事でミソをつけたこの雑誌ですから、起死回生という勢いもあったのでしょう。
今から17年前に謎の死を遂げた元動燃総務部次長N氏が残した膨大な資料の山をもとに構成された記事ですからきわめて信憑性が高く、これまで語られてきた原子力村の住民分断、懐柔、買収などの手口を直接を裏付ける内部資料でもあります。
本号の記事では、主としてウラン採掘「人形峠」付近の地域で行われた住民工作=詳細な思想・素行調査の実態が明らかにされています。
おそらく日本中の原発立地自治体でこうしたことが行われていたのでしょう。その結果、ある意味では起こるべくして起こった福島の重大事故。それを起こしてなお、保障も十分行わず、責任回避を続ける原子力企業のこの体質は過去の遺伝子を引き継いでおり、そして同時に利権にまみれた自民党政治がらみなのです。
3.11が私たちに突きつけているのは、地震・津波という自然災害からの復興の方途だけではなく、こうした原子力ムラ、自民党政治、関連大企業などの闇をも明らかにし、責任を追及していくべきだということです。

話はとびますが、まもなく迎える4月28日とはどんな日なのか。1951年アメリカ、サンフランシスコ市において連合国と日本との間で「サンフランシスコ講和条約」が締結され、同日、日本とアメリカとの間で日米安全保障条約(旧)も署名されて、日本が「主権を回復した日」と一般には解されています。
しかし、同条約の第3条で、沖縄・小笠原などがアメリカの信託統治とされた日であることを忘れてはなりますまい。それ以後支配者となったアメリカ及びその軍隊が陸・海・空を我が物顔に支配する今日の沖縄の原型がつくられたのです。
なぜこんなことを書いたかと言えば、「特定の1日」の意味が一方的、一面的に垂れ流されることに強く抗議したかったからです。
この4月28日に安倍政権は「主権回復の日」として政府主催の式典を開くことを決めたそうですね。これに対して、沖縄タイムスは、この日は「屈辱の日」であり、政府与党がその認識を全く書いていることに強く抗議。琉球新報も社説で「『主権回復の日』 『屈辱』続いて独立国か」と激しい論調で政府を糾弾しています。
ところがあろうことか菅義偉官房長官は昨日の記者会見で「そこは共通認識をしている。沖縄の皆さんの気持ちにも寄り添う中でこの式典を行っていきたい」と述べたとか。
これを聞いて鳥肌が立つほどの不気味さを感じました。そうなんでしょうね。あるいは本心なのかもしれません。習い性というか、別にこのように述べて何の違和感も感じない。それどころかこの人は心底沖縄の人たちの苦難に心をよせ、何とかしたいと思っているのかもしれません。だとすればなおのこと恐ろしい。
多分、何の違和感もなく「沖縄の気持ちに寄り添いつつ」というコトバを使っているのでしょう。その一方で、オスプレイ配備も、普天間の辺野古への移設も何の抵抗も感じていない。
コトバが死んでいる。死んだコトバを操ることは平気でできる。自らの思考が分裂していること、犯罪的なことを行っていることに思い及ぶこともなく、それらが平然と一人の政治家の頭に共存することこそ今日の自民党政治家の恐るべき姿なのです。

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夜7時から被災地支援ネットワークのメンバー9人がスペースゼロに集まりました。
まず黙祷。私の頭には、一昨年テレビの前にしがみついていた自分、支援物資を集めたときのめまぐるしさ、女川を見下ろしたときのあの衝撃などが一気に駆け回りました。
その後、お互いの知り得た情報などを交換し合ったのですが、新聞の切り抜きなどを持ってきて解説してくれる人もいて人材に不足なし。東北では女川が一番人口減少がすすんでいること、現地へ行って買い物をすることが一番励みになっていることなどを教えてくれました。ここ数日になってわかに震災関連番組を流している報道のあり方にも批判がでました。もちろん報道するなというのではなく、系統的にきちんと報道しつづけることが必要だということです。
同時に、天災はいつどこでおこるか分からない。明日のわが土地の姿だという警戒心、備えも必要だという話もでました。その通りです。
これからの活動のメインは、商工会と協力して行う「被災地応援買い物ツアー」。5月下旬に大型バスを仕立てて女川を中心に買い物に行き、宿泊・買い物で現地を支援するという企画です。
その際に、現地で必要とされているものも、池田町を中心に集めて持って行こうという話もでました。
というわけで、いま取り組んでいる署名活動とあわせて、結構忙しい春になりそうな予感・・・・。



  3月10日(日)    
どうやら今日は天気は下り坂。上空は晴れているのに、北アルプス側は黒い雲で覆われていまにも雨が降ってきそうです。
晴れている空も薄茶色にくすんで、どうやら黄砂とPM2.5の混じった塵が上空を覆っているらしい。生暖かい風がときおり吹き付けてきます。
と、思ってやや北の空を見たら、めずらしく虹です。見たときがタイミングがよかったのか、写真をとりはじめて2,3分したら消えてしまった。何というはかなさ。


午後から大町駅前で開かれた「震災復興・原発ゼロ3.10行動in大北」に参加。集会開始時にはまだぱらついていた雨もデモに移る頃にはやんで、最後には青空も見えて爺ヶ岳や鹿島槍がきれいに見えました。
二人とも手作りのゼッケンをつけて自宅から出発。雨が降って寒かったのでこんな格好になってしまった。何となく農作業という出で立ちですね。









  3月9日(土)    
昨日はかなり荒れ模様で今日はどうなるかと思っていたら朝からよい天気。ただ、雨に混じって茶色い砂埃が降ったので、雨のかかったところは薄汚れてひどい状態。とくに車は汚くなってみっともないので夕方洗車に汗を流しました。

土日は署名のかき入れ時。午前中2時間、午後から3時間ほど署名にまわりました。何軒かは留守でしたが、まわったすべての人が署名に応じてくれました。
最もよく聞かれたのが、やはり他にいろいろな建物があるのに、公民館を作る必要があるのかというもの。次に、アップルランドに買い物に行っていたという人が思いの外多く、それがなくなって困っているというもの。そして、町民の意見を聞かずになぜこのように急ぐのか、もっとしっかり説明をしてほしいという意見。これまでも聞かれたものばかりでした。
思わぬ副産物は、近くにいながらほとんど家の前を通過していた同じ地域のみなさんと自宅の前で親しく話ができたことです。自分にはなかなかできないが、こうしてやってくれる人がいるというのは頼もしい、しっかりやってくれとあちこちで励まされました。
全町で署名に取り組む人が増え始めており、手伝うから署名簿を届けてくれるようにとわざわざ電話をかけてくれる人も出始めています。何とか今日で1000名の署名を達成。明日明後日で1200名くらいにはしたいものです。

あと2日で2年目を迎える3.11。テレビではさまざまな企画が放映されていて、釘付けにされる場面も増えています。
女川の高野さんに電話して様子を聞いていたら、当時とどれほども変わっていないこと、むしろ雰囲気が「暗く」なっていると話していました。明日への見通しが持てない、いつ仮設を出られるか見当もつかないということなのでしょう。生きる希望を持てないような政治の姿というのは無残としか言いようがありません。

今年の3.11は、「町なか再生」問題のために昨年とりくんだような記念集会も企画できませんでした。それでもせめてネットワークのメンバーだけは集まれるだけ集まってこれからの活動を相談しようと、小さな集会を行うことにしました。
多分、大きなテーマは、商工会が取り組もうとしている「買い物ツアー」。4月か5月に石巻、女川へバスを仕立てて買い物をしつつ、現地を見たり話を聞いたりという企画です。その際に、米などの支援物資を持って行くことを提案しようと思っています。
いよいよ暖かくなって畑や田圃の仕事も出てくるので忙しくなる時期。やれるだけのことをやるだけです。
明日は大町で開かれる3.10反原発集会に参加します。



  3月8日(金)    
午前中、妻と二人でスペースゼロとその前で開かれた第2回目の買い物市にでかけました。
前回よりは出足は鈍っていたようですが、やはり買い物の場を求めて近くの人たちが次々とつめかけ、肉や魚の移動販売車の周りは結構な人だかり。何としても毎日買い物ができる場を確保しなければならないと思わされました。


昨日から、2年ぶりにMr.HolmgrenのPermaculture In Japan:Foreign Idea or Indigenous Design?を読み始めました。すでに書かれてからまもなく10年になる短編。リックタナカさんからせっつかれながら、なかなか腰が上がらなかったのですが、友人たちが有機農業の会をたちあげて少しずつ勉強会などをしながら活動を開始したので、私も何かと思ってやりはじめたという次第。しかし、まだ行きつ戻りつで一向にすすみません。それでも毎日少しずつ取り組んでいけば何とか書かれている内容の半分くらいは理解できるのではないかと思っています。続けることが肝心ですね。

今日では有機農業はある意味で1つのブランドとなっていますが、難しい、商業には向かない、採算がとれないなどの理由でほとんど広がりを得ることができていません。しかし、たとえばかなり前から町を挙げて取り組んでいる宮崎県綾町は、「『有機農業の町』、『照葉樹林都市』などをスローガンとする町おこしの成功例として知られ、自然の中での人間らしい生活を求める全国各地からの移住者が後を絶たない」(Wikipedia)のですから、特別な事例ではもはやなくなっています。
綾町での成功例は町長自らがその経験を語っており、すでに広く知られています。それは、どの自治体、どの地域でもこうした取り組みが十分に採算をともなって成果をあげうることを教えてくれていますし、全国でもさまざまな経験が積まれているのです。
都会でも食の安全の立場から関心を抱く人たちが増えており、産直・連携の輪を広げる可能性も大きくなっています。
Mr.Holmgrenの見聞録を読んでいても、日本には昔からその経験と技術があるのだと知らされます。化学肥料と農薬による「近代的」農法がかつての日本的な農業を駆逐して久しいのですが、そろそろ本気になって現代の農業のあり方を見直し、太陽と土の恵みをもとにした持続可能な農業を再構築していかないといけませんね。さもなければ、10日ほど前に書いたように恐ろしいことになりかねません。



  3月7日(木)    
今日お昼すぎ、「池田町社会資本総合整備計画」についての私の意見(パブリックコメント)を送付しました。私のコメントは以下の通りです。

「池田町社会資本総合整備計画」についての私の意見

農家では田圃の作業の準備をする人影がちらほら見えるようになり、3月中旬ともなれば畦や水路の法面の野焼きがはじまります。まだ朝には霜が降り雪模様の日もあるのでしょうが、季節はめぐり日増しに春になっていきます。

池田で丸9年が過ぎ、4月からは10年目。多分今年は私にとっても妻にとっても区切りの年になるのではないかという予感がします。
以前にいっそ沖縄に移住しようか、という思いを書いたことがありましたが、そろそろどうするかを考えなければならないというのがその中心です。とはいえ、一挙にそのようにできるわけでもなく、徐々にシフトしていくのがいいのかも。
最も大きな理由は、沖縄の母のこと。すでに90歳を超え、それでもまだ何とか一人暮らしをしているのですが、足腰の弱さから来る一人暮らしの困難は目に見えており、介護の必要な時期はすぐ目の前なのです。
妻には、大事に至る前に兄弟姉妹でよく話し合って何ができるのかを決めたらどうかと話しています。夏が過ぎた頃にちょっと長めに郷里に帰り相談するように勧めているのです。
第2の理由は、やはり何といっても沖縄の置かれた困難な位置。現地で暮らし、見聞きしながら内部からさまざまな問題を考えたいと思うのです。その思いは日増しに強くなっています。
もともと風来坊の私としては、どこに住むかはあまり関係がありませんでした。長野の前は富山、仙台、名古屋、東京とあちこち居を移して暮らしていましたから、こだわりがない。
ただ、心配なのは大病を患ったり身体が不自由になったりした場合のこと。それでも二人でいれば、何とか乗り越えられるだろうと楽観的に構えています。
当然考え方はこれからも変わるだろうし、いろいろな事情で全く違った展開になることもある。しばらくは絶対という言い方、考え方をせず、柔軟に対応していかなければなりませんね。

小さい頃の富山での生活、仙台での学生生活、いままた長野での生活のなかで同じことを感じています。それは、厳しい冬を乗り越えて萌え出す春のうれしさ、晴れやかさ、輝かしさ=ひとことでいえば生命実感なんでしょうね。
おそらく沖縄ではそんな実感を持つことはあまりないかもしれません。しかし、沖縄であっても1月には桜が咲き、5月にはデイゴの花が咲き、真夏にはブーゲンビリアや赤花が咲き乱れる。それが亜熱帯の沖縄であり、妻にとってはまぎれもない故郷なのです。私はどちらの季節も愛したいと思うのです。
一回きりの人生ですから、思い残すことのないように暮らしたい。最善をつくし、より豊かな明日のために、何かを残して死ねたら本望です。



  3月6日(水)    
昨日に引き続いて快晴のすばらしい天気。建物、あぜの北側にはまだ雪が残っているものの、あたりはすっかり雪も融けて早春の装いになってきました。


オスプレイがいよいよ四国(九州から変更)方面で低空飛行訓練を開始するというニュースがありました。
通過するだけでも迷惑なのに、高度150メートル以上(夜間300メートル)で飛行訓練をするというのですから、どう考えても米軍は日本人を人間扱いしていない。
沖縄でも、オスプレイ部隊の傍若無人ぶりはつとに有名で、政府と交わした取り決めなどはどこ吹く風、勝手放題に飛び回っているありさまです。
本土上空でも、山間部とはいえ人家の密集する場所も飛ぶわけですから墜落でもしたら大惨事。今後は、東北、九州、中国などの各ルートでも訓練が予定されているわけですが、安倍政権はこれについて唯々諾々と追認。それどころか、与那国島に自衛隊の部隊を常駐させるというのです。
憲法解釈を変えて集団的自衛権を認め、それを発動する事態となれば沖縄は一体どうなるのか。
アメリカと日本が「自衛権」を発動する当の相手は沖縄を標的とせざるを得ないでしょう。米軍は自国に逃げればよろしい。自衛隊も本土に引き上げればよい。結局犠牲になる可能性のあるのは沖縄県民。「鉄の暴風」(Typhoon of Steel)時代とな〜んにも変わっちゃいない。

安倍さんは、先月のオバマ大統領との会談で「3月中に辺野古の公有水面埋め立てを県に申請する」と伝えていたのだそうです。国民には黙って、ですね、当然。アメリカ土産のつもりだったんですかねえ。「県議会最終日の29日に申請する方向で調整している」と昨日の琉球新報が伝えていました。
「いやだ、いやだ」という相手を追っかけて家までおしかけ、大金を積んで無理矢理交際を申し込んだりする・・・これってストーカーっていうんでしょ。いやいやストーカーなんて言葉すらどっかにすっ飛んでしまいそうな懐柔・脅迫・強要の行為でしょうが。

政府関係者は「普天間の固定化は避けないといけない。申請後も引き続き知事の理解が得られるよう努力していく」と述べた。

本人はもちろん家族、一族郎党うちそろって「いくら話しても、嫌なものは嫌だ」と口を酸っぱくして交際を拒絶しているのに、「独身は避けなければいけない。話せばわかる。理解してもらえるまで何度でも努力する」・・・これはもう犯罪以外の何ものでもありません。
いっとき「記憶にございません」が流行語となり、子ども達に深刻な影響を与えました。今回はストーカー。政府が率先して子どもたちに「いじめ」の「模範」を垂れ、実行を推奨しているのです。こんなことを許しておいていいのでしょうか。
いじめをなくすためには、まず政府の沖縄いじめを根絶することが最優先ですよね。
全国の教職員のみなさん、保護者のみなさん、かわいい子ども達を守るためにもっと腹をたてましょう。抗議して断固やめさせましょう。

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話はコロッと変わりますが、つい2,3日前まで東京国立博物館で「書聖 王羲之」展が開かれていたのですね。新聞などでしばしばこの名前がでてくるものだから、懐かしい名前だが何故だろうくらいにしか思っていませんでした。
ウエブ上で調べていたら、これまで小野道風の書と考えられていたこの作品は実は「唐の宮中で作られ、遣唐使らによって日本に舶載された 王羲之尺牘(手紙)の一つ」と考えられるというのです。
「王羲之尺牘 大報帖(おうぎしせきとく たいほうじょう)」というこの手紙を中心に、「内外に収蔵される王羲之の名品や歴代の優品」を展示するというのがこの展覧会の趣旨。田舎にいると、見ておきたいなという展覧会などを逃してしまうのはちと残念です。

私がこの王羲之という名前に接したのは多分高1か高2の頃だったでしょう。母親が「自分は字が下手だから息子には習わせておきたい」と勝手な思いで私を習字の教室に小1から通わせたのです。従順な子どもであった私は、とくに何とも思わず通い続け、結局高3まで教室に通いました。
唐の時代の漢字、書跡が現代まで連綿と受け継がれ、1つの芸術にまで高められていることに、高校生ながらにいたく感激したものでした。

当時富山県には、私が師事した中田大雪をはじめ、大平山濤、鶴木太寿、常川汀華、青柳志郎など蒼々たる書家がいて、展覧会を飾っていました。高校時代の書道部の顧問が堀田竹荘。いやいやすごい時代だったのですね。
大雪さんのお嬢さんYさんは私と同期で中学時代に英語の塾でいっしょ。奥さんは母との親交もあって、結構家に遊びに行ったりしていたのでした。
その中田大雪という御仁、なかなかの頑固親父だったけれど、子ども達にはやさしく、手を取ってはいろいろ教えてくれた。自分の家の2階を開放して日曜日にはたくさんの弟子達が出入りして習っており、本当に賑やかでした。実におおらかな時代。思い出すといろんなシーンが頭をよぎります。
書のことについては、この方から受けた影響ははかりしれないほど大きい(あくまで書そのもので人柄とかは別)。
学年が進んでくると、臨書も課題にのぼってきて、この王羲之や欧陽詢、チョ遂良(Sift-JISではチョの漢字がない)などを手本にたくさん書かされたものでした。もちろん今では、まるきり書体も忘れてめちゃくちゃな字になってしまっていますが・・・
現在富山をはじめ全国展開している団体「創玄書道会」のホームページを見ると、嶋崎一翠さんの師匠が中田大雪とあり、その書も新しいと同時に、なつかしい雰囲気に満ちています。

展覧会の記事をみて、ついつい昔を思い出しまったというわけです。50年ぶりに筆をとってみましょうかね。とは言っても、筆はもうないし、硯も紫端渓の小さいのがどっかにあったはずなんだけど・・・。



  3月5日(火)    
署名にまわっていて一番聞かれるのは、池田町にはたくさん同類の施設があるのになぜ、何億円もかけて地域交流センターをつくるのかというもの。続いて、町の中心部を中心に買い物の場を何とかしてほしいという意見。大きく言えばその2つです。
同類の施設というのは、200席のホールを持つ創造館、いくつかの小部屋をもち調理もできる福祉会館、体育館を併設した多目的研修センターなどです。それが点在しているために効率は悪く維持費がかさみ、初期の目的から離れてきているのです。
これ以上ハコモノはいらないというのは正直な池田町民の実感ではないのでしょうか。前にも書いたように、もし地域交流センターにいろいろな機能を集積していくのであれば、他の施設は当然閑散としたものにならざるを得ません。
今回の計画では、そうした既存の施設に対する過去の反省や総括が一切見られません。これでは町民に納得してもらうことはできないでしょう。

町なかに買い物の場を創出すべきだという1つの方向として、JAに直売所を中心とした商業施設を提案をしていることについて、一部に誤解があるようなので、ここではっきりさせておきたいことがあります。
アップルランド跡地は私有地ですから、どのような商業施設であれ、現在のままで商業展開することはまず無理でしょう。私たちが提案しているのは町がどのように商業施設の誘致に関与するかという問題なのです。
池田町で事業展開するJAは有力な商業の担い手であり、それを中核とした商業展開を町なか再生事業の1つの柱として位置づけ、町が一定の条件整備に取り組む必要があるということです。JAに丸投げし、さあ商業展開してくれなどという乱暴な話には絶対になりえません。
この点は、都市計画マスタープランが明確に方針を掲げているとおり、商業の振興こそ賑わいのもとであって、新しい時代に対応する活性化の方途をそれこそ真剣に模索していかなければならないのです。
現在の池田町の態度は、昨日も書いたとおり、民間の問題は民間で解決するべきで、町がとやかくできることではない。もし、誰かが出店するというのならそれなりに支援策も考えるというものですから、最初からボタンの掛け違いが生じています。
繰り返しになりますが、アップルランド跡地を町として取得し公共施設を作るというのであれば、まずそこに商業施設が移設可能かどうかを真剣に考え、よい知恵があれば加えて、再度計画を練り直せばよいというのが私たちの提案の主眼です。



  3月4日(月)    
これまでは町の「社会資本総合整備計画」に関して、その手続きの問題について書いてきましたが、今日はその内容についてです。

まず、この「社会資本整備総合計画」で町が建設もしくは整備しようとしている主なものは次の通りです。事業総額は18億3600万円、うち6割の11億円あまりが町の負担分です。

地域交流センター(新公民館) 6億7000万円
道路整備(8カ所)        4億1400万円
若者定住住宅          1億6000万円
図書館整備            1億5000万円
総合体育館耐震化       1億2500万円
街路灯LED化           9000万円
これ以外に、若者定住促進、体育館耐震化などが含まれます。

地域交流センター建設がこの計画のメインであることは明白です。町はこの公共施設の建設について次のように説明しています。
@公民館、図書館は老朽化が進み、耐震化も行われておらず、すぐにも建て替えが必要になっている。
Aアップルランド撤退にともなって、町なかの空洞化が進むことが懸念される。しかし、商業施設を誘致することはこれまでの町と商工会の働きかけによっても100%無理である。
B新公民館、図書館などを一体化した交流施設を建設することによって、「人の流れ」をつくる。

今日は、まずアンケートなどで示された「民意」がどこにあり、交流センター建設によって「人の流れ」がつくられるのか、を見ていきたいと思います。
その最もよりどころとなるアンケートは、この計画立案に先立って町自身ががおこなった昨年抽出アンケートです。
私は2月9日につぎのように書きました。「アンケートの結果について重大なすり替えが行われています」。ただし、それがどのようなものであるかはそこでは書きませんでした。今日はそのことに触れたいと思います。

まず、このアンケートは社会資本整備総合交付金を活用するために「義務づけられている」として、9月13日〜28日に実施したもの。しかし、町民の傾向を知るためのものという性格付けをし、全数調査ではなく600人を無作為に抽出し標本調査の手法をとっています。アンケートに答えた人は600名中323人でした。
この統計を請け負い分析したコンサルタント会社は、1万人の規模の人口であれば、信頼度90%、誤差率±10%で263名の標本が必要と判断しています。統計学上からは妥当な数字(わかるのは単なる傾向に過ぎない)ですからそれは脇に置くとして、これが9月段階のデータであることに注意しましょう。つまりまだアップルランド撤退は決まっておらず、一般的に市街地の課題を解決するために行ったアンケートなのです。
性別・年齢構成や居住地区に問題がないわけではありませんが、ここでは触れません。

このアンケートの中で最も重要な位置を閉めているのが「問6 中心市街地を魅力的にしていくための方策」です。複数回答での項目にアップルランドの存続という具体的な質問はありませんでしたが、「空き店舗対策55.1%」「個店の魅力アップ28.8%」「個性的な、地域らしい景観や街並みづくり32.5%」「買い物弱者対策21.7%」のように主として商業的な魅力を期待した回答が上位を占めました(資料参照)。公民館など人が集まる場所の整備、道路の整備などはそれぞれ10%に過ぎません。
ですから、このアンケートを請け負ったコンサル会社の分析も次のように明確に書いていたのです。

5.アンケート結果の総括及び課題の整理 5.1 アンケート調査総括 本アンケートの実施により、池田町の中心市街地が抱える問題点として、以下のような結果となった。
@中心市街地の商業について
中心市街地では、人通りが少ない、空き店舗、空き家が多くみられることなどが、町民が「活気がない」と感じる大きな原因であった。
「活気」=「商業の活況」と捉えている町民が多くおり、商店街全体としての取り組みや、個性のある店舗の設置など、各個店の取り組みを望む意見が多くみられる。
一方、高齢者からはアップルランドなどの商業施設の存続は大きな問題として記載されている。その原因の多くは、高齢者の多くが自家用車を持たない交通弱者であり、商業施設の存続(ママ)は、これら高齢者が買い物難民となることを意味している。
これら背景から、町民は「空き店舗対策」「個性的な、地域らしい景観や街並みづくり」「個店の魅力のアップ」「駐車場の整備」「買い物弱者対策」を強く望んでおり、これらを解決することによる中心市街地のにぎわいの創出が課題である。

ただし、「駐車場の整備」以外は各個店または商工会にて取り組む事項であり、民間事業者と行政との連携による課題の解決が必要である。


何を言いたいかはおわかりでしょう。買い物難民が出ることは不幸なことだが、個店・商工会などがとりくまなければ解決はしない。行政でやれることは「駐車場の整備」くらいだよといっているのです。これが町としての正式分析だとすれば驚く他ありません。

これに続けて総括では、「5.2都市再生整備計画の課題の整理」として、@まちなかのにぎわいの再生、A観光振興を支援するまちづくり、B防災のまちづくりの推進、C若者の定住促進、D中心市街地における道路整備、E通学路等歩道の整備による児童、生徒の安全確保などを並列して列記しています。
そして、次のように続けるのです。

さらに、アンケートでは中位または下位の意見であるが、中心市街地のにぎわいを再生するための政策的な課題として以下が挙げられる。
@公民館・図書館の建て替え
現在設置されている公民館は、老朽化が著しくまた手狭であるため、増床を含めて立て替えが必要となっている。
さらに、町立図書館も現在の蔵書が4万冊であり、町民の要望を十分に満たしていない状況であることから、蔵書の充実を目的とした増床または立て替えが必要である。
そこで、公民館、図書館を一体化させ中心市街地内に設置することで、多くの集客が望めることから、中心市街地のにぎわいの創出に寄与できる。
A中心市街地における公園、緑地の設置アンケート調査では、公園や緑地の設置については少数意見であるが、特に、子育て世代である30歳代の町民が重要性を訴えており、また、地球温暖化対策、観光的要素も含め、中心市街地への公園の設置が課題である。
B中心市街地への公的駐車場の整備
町民アンケート内での中心市街地を魅力的にしていくための方策として駐車場の整備が求められている。
現在の中心市街地には、町営駐車場の設置が3箇所に留まっており、各個店の駐車場も十分ではない。
近年の土地利用の拡散やモータリゼーションの進展を考慮すると、中心市街地へ誘客するためにはさらなる駐車場の設置が課題である。
C官民の役割分担
アンケート調査により求められている街なかの再生では、民間として取り組むべき事項と公共事業として実施すべき事業が混在している。
そこで、アンケート調査により抽出された課題や政策課題への対応として実施すべき事業の官民における役割分担が課題である。
さらに、街中の再生のために、民間が実施する事業への公共的な助成の検討も課題である。


長々と引用したのは、町の「まちなか再生」の論理がどのように組み立てられ、都合のいいようにすりかえられているのかを見るためです。
アンケートでの町民の意思ははっきりしています。買い物の場をはじめ生活基盤を充実させてほしいということです。
しかし、町の論理はこうです。
このアンケートでは、多くが商業施設などの充実をのぞんでいるが、「官民の役割分担」から言って、スーパーを町がやるわけにはいかない。出店しようという意欲のあるところがあれば、町は「民間が実施する事業への公共的な助成の検討」をする。そうでなければ、商業施設はあくまで民間の課題であって、町は直接関与することはない。そのような業者がいない段階では、少数意見ではあるが「公民館、図書館を一体化させ中心市街地内に設置することで、多くの集客が望めることから、中心市街地のにぎわいの創出に寄与できる」。そして、これが行政の課題であると強弁して現在の計画に結びつけていくのです。
こうしてみると、私たち「買いもの連絡会」などがJAに働きかけているような姿勢・努力などは一切みられないのは理由のないことではありません。
このような論理での「まちなかの課題解決」というやりかたは、単に民意をねじ曲げるだけではなく、課題の解決そのものを困難にするということです。
理由は簡単です。
第1に、行政の役割を限定し、行政として当然やらなければならない「町民の生活を守る」という最も重要な仕事をないがしろにしているからです。この方向が「都市計画マスタープラン」のめざす方向とも根本的に異なっていることは先日も指摘しました。
それゆえ第2に、本来小さくても町民のために役立つ商業施設を誘致する道を閉ざしてしまうことになるからです。
そして第3に、将来の世代に無秩序なハコモノ行政のつけを払わせることになるからです。

では、町が言うように、この地域交流センターによって「人の流れ」が生み出されるのでしょうか。
昨年のデータでは、公民館11,140人、多目的研修センター14,783人、福祉会館9,625人、創造館12,282人が年間の利用者。公民館はそれほど多くはありません。もし、地域交流センターの使用頻度を上げれば、他の施設は当然減るわけですから、別の問題がでてくることになります。
地域交流センターができれば自動的に「人の流れ」ができると考えているとすれば、全くの机上の空論というべきです。松川村の「すずの音ホール」が賑わっているのは、その建物ができたからではありません。賑わうべくして賑わっていることは先日も明らかにしました。
一定の人が集まる(おそらく多数は車で)から周辺の賑わいがうまれるなどと簡単にいうことはできないのです。しかもこのような作り方をすればなおさらのことではないでしょうか。

私はあらためて、「都市計画マスタープラン」の原点にもどり、まちなかににぎわいと人の流れをつくるとはどのようなことなのかを真剣に考え、行政の役割を見据え、町民とともに計画を根本から作り直すことを提案します。



  3月3日(日)    
強風がおさまって穏やかな天気にめぐまれた今日、午前中に「バラの剪定講習」を行いました。今年のバラ園の事実上の開園です。
講習会には池田町からはわずかに3名。あとは遠くは松本市波田、豊科、大町、明科から参加があって、一般参加者は16名、会員も10名余が参加、総勢30名くらいになりました。
講師の遠藤さんがまず見本を見せ、その後参加者の何人かがみんなの前で剪定の実習。「え〜、そんなに切るの?」という声は昨年と同様。その後は園内一円に散ってそれぞれ思い思いに剪定の実習を行いました。
園内は数日前まで雪があったとは思われないほどきれいになってはいましたが、バラたちには病気にかかっていたり、樹勢が弱っていたりするもののあり、芽吹きがどうなるかいささか心配です。
終わった後は、みんなでお茶やコーヒーを飲んで談笑。この日新規会員になってくれた人が2名。1人は有機農業に挑戦したいと池田町に移住した若い若い青年。あと一人は以前林中に住んでいたときに同じ班だったなつかしい女性。いや〜、うれしかったですね。少しずつわが「バラの会」が発展してきていることを実感しました。参加者のみなさん、会員のみなさん、お疲れ様でした。








午後からは近所で署名活動。今日は全町で懇談会のメンバーが手分けをしていっせいに署名に入っているはずで、私も可能な限り集めたいと近所をまわったのでした。留守の家を除いて、全員が快く署名に応じてくれます。これは2,3日前からと全く同じで、説明すれば断る人はいません。
この署名の趣旨の第1は「町が計画を町民に直接説明し意見を聞くこと」、第2が「計画を先送りし町民合意で計画を練り直すこと」、第3がアップルランド跡地に商業施設をつくること」ですから、当然と言えば当然です。
「病院の帰りの買い物にはアップルランドがちょうどよかったのに」というように、単に買い物難民がでるからというだけではなく、手頃なスーパーが町なかから消えたことへの不安がよくきかれました。「池田にはハコモノがたくさんあるのに、また作るのか」という意見もほとんどの人から聞かれます。「一生懸命やってくれてありがたい」という感謝の言葉を述べる人もいました。
署名をやりながら思うことは、現在町が計画しようとしてる手続きも内容も、町民の意識からは相当にずれているということです。役場だけで考えているからそのようなことになる。おそらく署名は相当な数に上るでしょう。町の雰囲気は相当に変わり始めていると思います。
だとすれば、県や国にこの計画を提出する前提が崩れてしまうことになります。そうならないように、今からでも遅くありません、手続きを含めて計画を再考することです。拙速・稚拙なやりかたでは、あとあとに禍根を残します。

2日の懇談会では「署名推進体制をつくり地域で署名を急速に集める」方針が決まりました。その意向を受けて、とりあえず私のホームページの1つのコンテンツとして署名のページをつくりました。このページは、ホームページやブログを開いている人にリンクしてもらって、どんどん広げていけばいいと思っています。
署名のページは
http://www.moo-azumino.com/shomei.html
です。
あららら・・できた、と思って喜んで、Internet Explorerで見たら、全然だめ。右のコンテンツと左のコンテンツが段違いにずれて失敗。GoogleのChromeだけで見ていたからこうなったのです。いまから修正します。
CSSの解釈がIEと他のブラウザとではかなり違うために、IEでいいと思っても、他の物では崩れ、逆もまた。何とかIEで見られるようになったので、当分これで我慢です。やっぱりTableタグを使って作り直さないといけませんかね。
それにしても、世の中で圧倒的に使われているInternet Explorerがhtmlやcssの勝手な解釈をして手こずらせているのは許せない。AppleのSafari、GoogleのChrome、MozillaのFirefox、Operaなどはぜ〜〜んぶ国際的な取り決め(国際標準)に忠実にブラウザをつくっているのですから。ゴーマンかましてちゃダメですよ、マイクロソフトさん。

今日の大糸タイムスには、2月28日に行った議員との懇談会の模様が載っていました。忘れないで(!)載せてくれた記者のOさん、ありがとうございました。





 
  3月1日(金)    
アップルランドが閉店したため、池田町商工会が中心となって週一回金曜日の午前中に「特設売り場」を設けることになりました。今日がその初日。
10時前には20人近くがもう列を作っており、開店の後には高齢者のみなさんを中心に大勢の人が続々と買い物に訪れていました。






週一回でも、こうした売り出しを待ちかねたお年寄りもいたのだろうと察します。しかし、この日に来られない人もいるはずだし、来週から毎回となると果たして今後どのように推移するのか。「こんな程度でお茶を濁すのか」と語っていた人もいたと聞きました。
当面、このような買い物支援は続けなければならないことは事実ですが、この「イベント」を通してわかることは、それほど大きくなくても毎日の生活に必要なものが買える場がどうしても必要だということ。そして、この売り場の真ん中につくられた休憩場所で、談笑するお年寄りも多かったことに見られるように、地域の交流の場が必要なことです。
とすれば、私たちがJAにお願いに行ったように、手頃で町に密着し、地元でとれたものが買える場所、交流しあえる場所をアップルランド跡地に是非とも作らなければならないということでしょう。

午後からは、町の財政問題、とくに公債費と基金積み立てについて調べていました。
「社会資本総合整備事業」に際して、積み立てが15億円あり、そのうち5億円を取り崩すことを予定していると説明しているのですが、そもそも町の積立金の状況がどうなっているのか知りたかったからです。「財政白書2012」でかなりのことは分かっていたのですが、平成23年度も含め最新の資料を加味して町の財政の動向を調べたのでした。
その結果が以下のファイルです。(まだ原案です)

町の借金と積立金の現状(その1)
町の借金と積立金の現状(その2)





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