今日で何とか連休明けにいろいろ植え込むための準備完了。明日はちょっと雨が期待できそうですが、あまり降らなければ散水をしないといけません。畑はとにかく年中手入れが必要なので、これからは頭がお休みになりそうです。
沖縄タイムス紙上で、ジョン・ダワー(マサチューセッツ工科大学名誉教授)さんへのインタビュー記事が載っていました。ジョン・ダワーさんは日本の近現代史の研究者であり、敗戦後からサンフランシスコ講和条約までの占領下の日本を描いた「敗北を抱きしめて」(ピューリッツァー賞)でよく知られています。
その主張は明快で正鵠を射ており、思い込みと「神がかり」状態の安倍一族とは正反対。米国知識人の一人が今日の日本をどのように見ているのかを知る上では実に興味深いものがあります。
昨日の1万人を超える「屈辱の日」沖縄大会に参加し、壇上で発言した人々は口々に「これで日本は民主主義の国なのか」と問いかけていました。しかし、その問いかけは「本土」にはほとんど届いていない。無視、無関心、無感動・・・どれほどのインパクトも与えていないのではないか、そんな風に思えてしかたがありません。
確かに、NHKですら政府主催の「式典」がかすんでしまうほどの沖縄大会の紹介ぶりでしたが、結局は遠い島々での出来事であり、「本土」とは異なる地方の問題なのです。
極右靖国派の「チア・リーダー」稲田朋美議員が4人目の閣僚として28日靖国神社に参拝しても国内では全く問題にならず、選挙を行えば、山口のように自公が勝ち、TPPでもどれほど恐ろしい結果が待っているのかなどはどこ吹く風。「懸念がある」という程度にしか報道しないマスメディアの現状など、ジョンさんも「こりゃダメだわー」と目を白黒させているのではないでしょうか。
ニューヨークタイムズに続いてワシントンポスト紙が27日、「歴史を直視できない安倍晋三」(Shinzo Abe’s inability to face history)という社説を掲げていました。
相変わらず勝手な解釈をして私なりに大意をつかもうと努力してみました。ニューヨークタイムズの方がわかりやすかった〜〜。ふ〜〜。沖縄の兄上、添削をお願いします。
歴史を直視できない安倍晋三 <4月27日 ワシントンポスト社説>
政権投げだしから5年近くを経て安倍晋三が首相の座に返り咲いた昨秋のその瞬間から、一つの質問が突きつけられている。すなわち、日本の発展を首尾よくすすめるために、彼は国粋主義者としての衝動、とりわけ歴史修正主義を抑制できるのだろうか?という問いである。
今週までは、その質問への答えはイエスだったように思われた。安倍氏は、沈滞した日本経済の経済の立て直しを目指してさまざまな措置を講じてきた。また米作農家のような党内の強力な利益団体にも背を向けて、日本の成長を促進する可能性を持っている米国や他の太平洋諸国とともに自由貿易交渉に参加した。彼は防衛費を増加させようとする彼なりの正当な願望も語っている。
今週になって、彼はすべての経過を自らすすんで危険にさらそうとしているように見えた。過去の韓国への植民地支配に関する1995年の国会での公式謝罪を見直すのかどうかと議会で質問を受け、安倍氏は次のように答えた。
「侵略の定義は学界や国際社会ではいまだに確立されてはいない。国家間で起こった事がらは、どちらの側から見るかによって異なって見えるものだ。」
韓国と中国の当局者は当然のことながら激しい怒りをもって応じた。当然、歴史は常に再解釈されている。しかし、事実と言えることもあるのだ。
日本は韓国を占領した。また満州や中国の各地を占領した。日本はマレー半島を侵略。日本は侵略したのだ。数十年後ドイツは正直に歴史に向き合うことによってヨーロッパでの地位を固めたのに対して、日本ではそうした事実を認めるのは何故それほど困難なのだろうか?
我々は韓国や中国が自国の政治的な目的で何度も反日感情を煽ってきたのを知っている。中国は自国の歴史を歪曲するばかりか、多くの場合日本と異なって矛盾する解釈が討議されたり研究されたりすることを認めない。だが、そうであるにせよ、安倍氏が今週はまり込んだ自己破壊的な歴史修正主義を正当化することはできない。
歴史に向き合うことができないことは、韓国や中国の抗議にさらに合理的な目標を与えるものとなる。中国や北朝鮮の防衛費の増額や独断的な言動のもとでは、安倍氏には日本の防衛力の増強をすすめる正当な理由がある。第二次世界大戦後に米国の占領によって押しつけられた"自己防衛"的憲法のもとで、同盟国が十分な軍事力で助けに来てくれることを許すのかどうかを問う十分な理由がある。
多くの有権者が懐疑的なままでは、安倍氏は自国での改革を促進する能力も発揮できないだろうし、戦前の帝国時代へのノスタルジーを抱いているように見えれば、疑い深い隣国を安心させることもできない。