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  5月28日(火)    
夕方から本当に久しぶりの雨。明日までに畑に少しは潤いを与えてくれるのではないかと期待できます。
連日畑に出て農作業。家の庭で育てている苗もそれなりに大きくなりつつあるので、植える場所を確保しなければならないからです。
庭で種から育てている苗は、カボチャ、キュウリ、ゴーヤ、トウモロコシ、オクラ(5角、8角)、モロヘイヤ、冬瓜、マクワウリ、おまけとして夕張メロン(昨年もらったメロンの種を試しに撒いてみたら全部発芽したもの。うまくいくかどうかは不明)。
私の一番の期待は実はマクワウリです。ただし、いま育てている苗を全部植えたら恐ろしいことになりそう。苗が50株以上もあるので、2個平均とれたとして100数十個。いまから捕らぬ狸の皮算用です。1個100円くらいで売りに出しましょうかね。

いままでに植え付けたのは、トマト(大玉、ミニ)、キュウリ、ジャガイモ、エンドウ、ホウレンソウ、大根、にんじん、小松菜、キャベツ、レタス、インゲン、ネギ、ピーマン、ナス、里芋、アスパラガス、リーフレタス(これは勝手に生えてきた)、スイカ。今日は黒豆大豆の種まきを終えました。
昨年から育てているタマネギや島ラッキョウ、ニンニクはかなり玉が大きくなって、来月には収穫できそう。イチゴはようやく少しまとまって収穫できるようになり、食卓を賑わせています。さらにこの後、サツマイモ、落花生の植え付けが待っています。
こうしてみると、まあ、何とたくさん植えているのでしょうね。200坪ほどの広い畑もそろそろ狭く感じるくらいになってきましたよ。昨年、一昨年は一番大事な時期にまともに畑ができなかったので、今年はそれらも取り戻そうとがんばっています。
イチゴはあと数日で収穫のピーク。7月〜8月にはいろんな作物がとれ出しますから、お裾分け(押しつけ)できるようになるでしょう。ご期待ください。

さて、今日の午前中は友人に誘われてモチ米の田植えに出かけました。有機無農薬栽培をしている農家の方が、農業団体の後援で手植えと交流会を企画したのです。
植える苗はそれほど多くなく、1時間ちょっとで終わりました。私と妻は裸足、素手で土にまみれながらの作業になりました。
参加している人たちはほとんどが農家の方で、田圃を持っていないのは私たち夫婦と友人くらい。それでも手植えとなると、それぞれそんなに体験しているわけではないので、新鮮な気分のようでした。
田植えのあとは、持ち寄りの田舎料理を囲んで交流会。ゲストハウス・シャンティクティの臼井さんが籾殻での釜焚きご飯を作ってくれました。釜焚きなんて、何十年ぶりでしょうね。実にうまかった。






交流会の中で、臼井さんが「これからの池田町はなんと言っても農業だ」と言っていましたが、まさにその通りだと私も思います。しかも、有機無農薬栽培です。池田町では、かなりの人たちが有機栽培、無農薬・減農薬に取り組んでおり、それを束ねて大きなうねりにしていくことが可能だと感じられました。
応援に来て、ほとんど全行程参加していた町振興課の片瀬課長も「私も有機栽培をしている」と語っていました。それだけに大変さもよく心得ていらっしゃる。それゆえ、農家個々の努力の問題とせず、町ぐるみでの取り組みにしていきたいものです。それをいち早くやり遂げたのは宮崎県綾町でしたね。
池田町ではまだそうした動きは離散的・個別的でまとまりがありません。できるだけ早い時期に、そうした団体・個人を束ね、たとえば「有機の里づくりをめざすシンポジウム」などを開いて、その課題と展望を語り合うことが必要ではないかと強く思わされました。




  5月26日(日)    
夕方雷鳴がとどろいて、ほんのちょっとだけ雨が落ちてきましたが、すぐにやんでまたお天気に。
夜畑にいって分かったことですが、1キロほど離れた畑ではかなりの降雨があったようなので、ところによってはひどく降ったらしい。今日も30度近くのじりじり照りつける暑さで、本当にまとまった雨がほしいところです。

今日は友人に誘われ、妻といっしょに隣村で開催された「5月の風音楽祭」に出かけました。この音楽祭は今年で2回目。午前中はオープニングとウエルカム・コンサートで、3組のギター演奏、松川村を拠点に活動するビッグバンド「Three Sharps Orchestra」のスイングジャズ、ラテンの演奏、小中学生の和太鼓、幼稚園児、小中学生の合唱など盛りだくさん。とりわけ和太鼓の演奏は息もぴったり合って迫力満点でした。観客も「かっこいい」を連発。
午後からは19組もの合唱団(ソロ含む)が次々と競演。松川村はもちろん、信州大学のグリークラブや混声合唱団などを含む幅広い地域からの団体が参加し、青空のもとでのびのびと歌声を響かせていました。
日射しに当たっていると熱射病になりそうなくらいの暑い日になったので、ほとんどの観客はずっとうしろに設けられたテントに中で鑑賞。和太鼓と幼稚園児の演奏のときだけは家族とおぼしき人たちが前の芝生に詰めかけて後ろからはまともに見えないほどでした。






文化交流施設「すずの音ホール」に隣接して広い芝生の広場があって、イベントが行われたのはその広場。横には水路がせせらぎの音を響かせ、田圃の向こうに北アルプスが目の前に迫る良好な環境に恵まれていることにまず驚きます。ゆったりとした広さが何よりよい。役場、その前の広い駐車場、役場に隣接した文化交流施設と広い公園・広場。それらがすべて時間をかけて議論を重ね作り上げてきた環境です。しかし、それは始めて訪れた人にはおそらくわからないかもしれません。
今日のイベントの参加者の一人から「すずの音ホール」が完成してから約1年半で10万人を突破したという話を聞きました。現在使用状況を調査中なので、いずれ間取りや広さ、利用者数などはわかるでしょうが、この利用を可能にしているのは「すずの音」建設に関わった数多くのワークショップ・メンバーの力でしょうし、この音楽祭もまたそうした村民の意識の高揚の中で作り上げられたものだと思えます。

隣村でコンサートが行われていたちょうどそのとき、池田町には関西・関東方面から大勢のウオーキング客がやってきて、北アルプスや麓の田園風景を眺めながら思い思いに歩いていました。これもまた大事なイベントです。
昨日今日のウオーキングではバスごとにガイドマスターが一行を先導していました。案山子村から山ろく線沿いに歩いて我が家の横を通り、山道に入って再び平地に戻るコース。
昨日は我が家の横を通る時間に家にいたので、表に出て歓迎の挨拶をしておりました。


さて、池田町役場から「池田町社会資本総合整備計画策定委員会」の委員委嘱と委員会の開催についての通知を受け取りました。いよいよ、この問題での本格的な議論がまもなくはじまります。
メインの構想自体は、松川村の「すずの音ホール」に大変よく似ています。しかし、以前からとりあげているように、ものまねでは失敗することは明らかです。同時に、松川村の経験に深く学ぶことも忘れてはならないことです。
第2期第1回委員会は6月4日午前9時からとなっているので、その間、何が議論されなければならないかについて、私なりの考え方をしっかりまとめていきたいと思っています。




  5月23日(木)    
第1生命保険が今日発表した「第26回サラリーマン川柳コンクール」で第一位に選ばれたのは次の一首。

いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦  (マッチ売りの老女)

しかし、これは悲しい。
子どもたちも独立し遠くへ行って疎遠になり、二人で暮らすものの何とも哀れな結末。年輪も朽ち果てたスッカラカンの家庭。この一首が最優秀になるよう じゃ世も末ですね。

私にはむしろ、次の句のほうが断然おもしろい。

電話口 『何様ですか?』と 聞く新人   (吟華)

やくみつる氏も「特別賞」にあげていま す。本人よりも、ずっこけている上司の方が絵になるということらしい。(右の絵はやくみつるさん。サラ川「特別賞」より)
また次の句も父と娘の断絶をユーモアたっぷりに描いてほほえましい。

風呂にいた ムカデ叩けば ツケマツゲ
                   (おやじパニュパニュ)


サラ川には過去本当におもしろいものがたくさん寄せられて、時代を浮かび上がらせてきました。
川柳と言うからには、単に自虐的なネタよりは会社や上司を皮肉ったり、サラリーマンの哀感を漂わせたり、世相を風刺したりというのが楽しい。 妻や家族との関係もどこか憎めない歌がいいですね。

以下、今年、昨年のものからいくつかひろってみました。

EXCELを エグザイルと 読む 部長    (怪傑もぐり33世)
党名を 覚える前に 投票日   (後期高齢姿)
ゆるキャラと 思えば愛しい 肥えた妻      (毎日頑“バリィ”父さん)
やな上司 退職したのに 再雇用?  (美仁子)
定年後 田舎に帰れば 青年部    (フミヤ フレンドリー クラブ)
仕事やれ 人に言わずに お前やれ   (ピカチュウ)
「前向きで」 駐車場にも 励まされ  (プラス思考)
このオレに あたたかいのは 便座だけ   (宝夢卵)
先を読め 言った先輩 リストラに    (山悦)
先を読め 読めるわけない 先がない   (先端社員)
こどもでも 店長なのにと 妻なげく  (みいみい)




  5月22日(水)    
友人のパソコンが起動しなくなったというので、我が家に引き取ってきて、昨日から今朝にかけて修理を試みていました。
修理といっても、原因が何かをつきとめて起動するようにしようとしただけなのですが、パソコンの故障は、機種によってもOSによってもいろいろなのでなかなかやっかいです。
今回のトラブルは、起動した直後のバイオス画面は問題なく表示されるので、マザーボード関係の故障ではない。ハードディスクにアクセスしてOSを起動しよ うとするとまもなくエラー画面がチョコッとでてすぐに再起動し、その繰り返し。
おそらくハードディスクのトラブルではないかと見当をつけて、ドライブを外してほかのパソコンに接続して中身を読み取ろうとしましたが、全くアクセスできません。初期化すらできない状態。
やむなく、そのハードディスク・ドライブを復元するのをあきらめて、私の持っていた同容量のドライブをつけてOSを入れ直すことにしました。結局、もとのハードディスクに格納された書類などは完全にアウト。
ネットで調べると、壊れたドライブを復元する専門店があるようですが、よほど重要な書類がたくさん入っていない限りは手が出せないほど高額なので、友人に相談して新しいハードディスクを付け替えたのです。
さて、そのあとがまたやっかい。OSやインストールするソフト類を預かってきたはずなのに、取り付けたマザーボード用のチップセット、グラフィックボードのドライバなどがどこにも見当たりません(前にインストールしたときはあったのに・・・)。
マザーボードやグラフィックボードの型番などを調べ、それにあうドライバ類を探すのに手間取って、無事インストールできたのが夜遅くになってから。それでも、ここまで来ればあとはソフトを入れるだけですから ラクチンです。その後は次々と必要なソフトを入れて何とか使い勝手も元通りのパソコンに仕上がりました。

ハードディスクというのは壊れるものです。とはいえ、私の経験ではそんなにあることではありません(20年間で4〜5回程度)。10数年たって も立派に動いているドライブもあるので、個体差が大きいのでしょうか。
私自身は、データの消失が怖いので、トラブルに備えてメインマシンではOSはSSD(solid state drive)を使い、過去のデータやソフト類の保存は別の ハードディスク2台を利用。Raidによるミラーリングは行っていません。本当は専用ソフトで常にバックアップをしておけばいいのでしょう が・・・。
ハードディスクは日進月歩。容量は増え続け、今では2テラバイト、3テラバイトというのがザラのようですね。値段もうんと安くなっています。10数年前の容量がウソのようです。
今でも倉庫にはアップルの古い2.5インチHDDが転がっていますが、何の役にも立たずゴミそのものです。多分この重たい3.5インチHDDにしても、いずれ軽量で小さい大容量の記憶媒体にとって替わられるのでしょうね。そんな感慨にひたりつつ、こわれたハード ディスクドライブに向き合っておりました



  5月20日(月)    
昨日は夕方から雨になって今朝までにかなりの降水。作物には恵みの雨となりました。折しも、昨日は「北アルプス展望ウオーク」の2日目、イベントが終わってからの雨だったために本当にラッキーでした。
今日は、一転日射しが強くて暑い1日に。夕方には珍しく夕焼けが広がって水面に映えていました。


このところ、関東方面からウオーキング目当ての観光客が連日バスで池田町に来ており、昨日・一昨日は埼玉からのウオーキング客。我が家の後ろから降りてきて、前を通り花見(けみ)神社の方へ通過していきます。
「遠い埼玉からこんなところまではるばると・・・」と思いつつ、今日も家の前で時折会話を交わして案内をしていました。「いいところにお住まいですね」というのがほとんどの方の言葉。「毎日こんな景色が見られるのですね」とも。何となくくすぐったい気持ちでその言葉を聞いていました。
ここに住んで7.8年もすれば、古くからの池田町のみなさんと同じ感覚になってきてしまったのかなあ。
この「くすぐったさ」についてはいずれ考えてみるつもりです。

一昨日、昨日と池田町恒例の「北アルプス展望ウオーク」。長距離が歩けない私はガイドマスターの一員として軽トラで写真撮影。一行を先回りして待ち構えてシャッターチャンスをうかがうのです。
これがなかなか思うほど楽じゃない。フリーの客は時間が経つとバラけて一人二人になってしまい、全部写真を撮すとなると気が遠くなるほどの時間と枚数が必要。さりとて、全く撮らないわけにはいかない。かたまって行動しているガイド付きの場合はかたまりすぎて全員の姿がなかなか入らない。ま、それでも通しで歩くよりは楽であることは確かでしたが。

下の写真1枚目は我がバラ園の横を通り過ぎる一行。
2枚目は何ともみっともない一人のガイドマスターのお姿。実は案山子なのです。以前紹介したことのある「かかし村」で今年出現した怪しげな一体。「かかし村」村長のご愛敬で作成したのだとか。ガイドマスター会の「A会長」にそっくりだというのがガイドマスター会のメンバーのもっぱらのうわさです。
人間の「しぐさ」そっくりに作ってある案山子目当てに関西から観光バスが来る予定になっているのだとか。今では池田町の超有名ポイントです。
3枚目以降は昨日のウオーキングの様子です。








ところで、過去ずっとそうなのですが、関東、中部圏からのウオーキング客の圧倒的多数が女性。池田町のイベントでもおそらく6、7割は女性。すごいパワーです。女性の方が長生きする道理です!



  5月17日(金)    
日中はすっかり初夏の陽気。昨日はちょっと曇りがちでしたが、今日はまた雲ひとつない快晴になりました。明日・明後日と池田町の「北アルプス展望ウオーク」が行われるので、何とか天気がもってほしいものです。
北アルプスの雪もこの陽気でどんどん融けているようで、雪形があちこちで観られます。何年か前からガイドマスター仲間では有名になっている東天井岳に見られる、斜めに傾いた「だるまさん」がはっきりと出現しましたよ。そう思って見るとなかなか存在感があります。


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いまから54年前の1959年、沖縄県石川市(現うるま市)の宮森小学校にF100D米軍ジェット戦闘機が墜落炎上する事故が発生しました。これによって小学生11名、一般住民6人が死亡、重軽傷者210名、校舎3棟を含め民家27棟が全焼する大惨事となったのです。
ネット上では、「忘れたい 忘れてほしくない」として事故を記憶する映像がいくつかアップされています。

忘れたい 忘れてほしくない〜宮森小 米軍機墜落事故から50年〜(1)

忘れたい 忘れてほしくない〜宮森小 米軍機墜落事故から50年〜(2)

忘れたい 忘れてほしくない〜宮森小 米軍機墜落事故から50年〜(3)

沖縄はこの当時とどれだけ変わったのだろうか。自衛隊基地の強化、米軍輸送機オスプレイの配備などを考えれば、何一つ変わっていないことに愕然とせざるをえません。
折しも、全国で上映が始まった映画「ひまわり」。宮森小学校への米軍ジェット戦闘機の墜落と沖縄国際大学への米軍ヘリの墜落をモチーフとして、平和とは何かを鋭く問いか書ける話題作です。


長野では6月15日から山形村アイシティシネマで上映されます。是非とも多くの方に見てもらいたい映画です。

次は予告編です。




  5月14日(火)    
我が畏友MNEMOさんが病状の思い兄を見舞うなかで、悲痛な思いとともに同時に感謝の情をいよいよ深くされ、置き所のない悲しみを吐露していらっしゃいました。残念ながら昨夜、そのお兄様もついにお亡くなりなったという記事に接しました。
兄思いのMNEMOさんにとって、尊敬し愛する方をなくされたその心情は如何ばかりでしょうか。心よりご冥福をお祈りいたします。

私たちが、のんびりと春の日射しを楽しんでいる間にも、生と死のはざまで壮絶にたたかい力尽きた人がいるということを知るだけで、それが他人事ではなく、まもなく我が身にも訪れることだという思いで身が引き締まります。
その感情は、3.11で家族を亡くされた人たち、被災地のとりわけ放射能汚染で果たして帰還できるかどうか、これからの生活はどうなるのかの恐怖と向き合っている人たち、営業に行き詰まって苦悩のどん底にある人たちへの私たちのかかわりと実は通底するものがあります。
哀しいことですが、地理的に離れてしまった場合は肉親でない限り、ある場合には肉親でさえ、苦悩に寄り添い思いをともにすることは困難です。ほとんどできない。それはやむを得ないことです。しかし、自らの経験、自らの体験を軸に、再構成し想像を巡らすことはできる。社会的にそうしたことが可能となる人間関係を再生することがこれからとくに必要になるのではないのでしょうか。
人間が他人から全く孤立し、一人でだれ知られることもなく死んでいくほど哀しいことはありません。本人がどれほど苦しんでいようと、家族なり知人なりに見守られ、最後まで必要とされていたという実感は何より大切なのです。
MNEMOさんに寄り添って言えば、お兄様はかならずそうした気持ちに満たされ、自らの病と向き合い一生を終えられたのだと確信いたします。

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高市早苗自民党政調会長が12日のNHKの番組で次のように述べたと報道されました。

高市氏は「国家観、歴史観については首相は(歴代内閣と)違った点もあるかと思う」と表明。村山談話についても「『国策を誤り』とあるが、それでは当時、資源封鎖され、まったく抵抗せずに日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのか」と強調した。(毎日新聞)

さて、これにつづいて今度は日本維新の会の橋下共同代表の「慰安婦問題」でのとんでも発言。以下は共同通信の配信で日刊スポーツが紹介している発言要旨です。

【午前】あれだけ銃弾が飛び交う中、精神的に高ぶっている猛者集団に休息を与えようとすると、慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる。
なぜ、日本の従軍慰安婦制度だけが取り上げられるのか。当時は世界各国が持っていた。ベトナム戦争でも朝鮮戦争でも制度としてあった。
韓国とかいろんなところが宣伝し、欧米社会に「日本はレイプ国家だ」とみられている。ただ、暴行、脅迫をして拉致した事実は裏付けられていない。
戦争の悲劇の結果なので、慰安婦になってしまった方には、心情を理解して優しく配慮していくことが必要だ。

【午後】軍を維持し、規律を保つために、当時は必要だった。
慰安婦制度は、今は認められないが、風俗業は必要だと思う。だから(大型連休初めに)沖縄に行った時(米軍の)司令官に会い「もっと風俗業を活用してほしい」と言った。
そしたら司令官は凍り付いたような苦笑いになって「米軍では禁止だ」と言った。「そういう建前みたいなことを言っているからおかしくなる」と伝えた。(共同)


同日の日刊スポーツは、共産党の市田書記局長が「人間をおとしめる許し難い発言だ。党首や市長たる資格はなく、国政を語る資格もない」と批判したことを紹介するとともに、民主党海江田代表も「慰安婦制度は必要ではなかった」と述べたと伝えていました。
テレビでは、さっそく韓国のメディアが一斉に大反発していることも放映。国際的な問題にひろがる予感を感じさせてくれました。

橋下さんは正直に自分の考えを(自分の生きてきた道に照らして)お話になったのでしょう。「過酷な戦時中の戦士達には軍として慰めも必要であり、『当時としては』当然の措置だった」というわけです。
韓国でも日本でも今日では「従軍慰安婦」などという言葉は使わず、心ある人々は「戦時性奴隷制度」という正確な用語に置き換えて使用していることをご存知ないというのでしょうか。「従軍慰安婦」というから、あくまで公娼であって、自らすすんで従軍したという印象を与えてしまうのです。だから「必要だった」という安易な言説にむすびつく。
当時の日本軍の「戦時性奴隷制度」は、まさしく世界に類をみない悪質なものであって、韓国・中国はいうにおよばず、台湾、その他の国の女性達に言いしれぬ苦痛、屈辱を与え続けてきたのです。
それを、自民党などは、「侵略であったかなかったかは歴史家の判断することだ」といいながら、「従軍慰安婦」問題での強制連行はないと言い続けてきたのです。
今回の橋下さんの発言は、軽率などというレベルのものではもはやなく、自らが「政党」の代表には値しない愚劣極まる人物であることを世界に公表したに等しい。
米軍司令官だって、まさか政党の代表からこのような言葉を聞くなどとは思いもかけなかったでしょうから、「凍り付く」方が正常な神経というものです。アメリカからも軽蔑と物笑いの種になってしまいました。こうなったら代表も市長も辞任してもらうしか取るべき道はないでしょう。
もしそれを許しておくようなことがあれば、許しておく国民自体が同列ということになってしまいます。批判の声を一段と大きくし、国民がまともに判断できることを逆に内外に示さなければならないのではないでしょうか。



  5月13日(月)    
今朝もカラッと晴れ上がったよいお天気。今日は朝早くから絵描きさん達が大勢やってきて、我が家の前でカンバスを広げています。バスをみると、福井ナンバーで「スケッチ旅行ご一行様」と書いてある。どうやらポイントをまわりながら、気に入ったメンバーを何人かずつ落としていくらしい。


まわりはすっかり木々の柔らかい新芽で覆われ、透過した光も薄緑に染まっているように思われます。早朝の霜の心配はほぼなくなって、まわりの田畑では農作業が急ピッチ。天候か安定して、時々は雨が降って、作物が順調に育ってほしいものです。

今日は午後から、「町なか再生懇談会」と町議会議員のみなさんとの懇談会があるので、農作業はなし。そのかわり、いくつかの本を読んでいました。

その1つは佐々木雅幸さんの「創造都市への挑戦」。これは木曽町田中町長の推薦図書。これをもとに木曽町の町政を構想したというほどの本です。
この本の最後には、「多様で個性的な、産業と文化の『創造の場』をどうつくるか」という節があります。つまり地域を創造の場とする要素と条件は何かという設問に答えた、佐々木さんの最後のまとめ部分です。
タイトル自体が「創造都市」ですから、かなり大きな人口を持つ地方都市が念頭に置かれてはいますが、いたるところで小さな農山村の言及しています。
また「創造的な人間活動」について、それは芸術家などの特別な活動ではなく、「本来、地域の住民が、老人であれ、子供であれ、障害者であれ、失業者であれ、自由に自己の精神的身体的能力を発揮する」ことなのであって、それを保障することが「創造の場」の重要な条件なのだと主張しています。それゆけ、小さな農村部でも参考にできることが大いにあるのではないかと思って読んでいたのです。

佐々木さんの論考の中で私がとくに注目したのは、次の部分です。
まず、「創造的地域」の条件の1つは、「地域の資源や文化・芸能、さらには技術やノウハウに基づいて新企業を創造し、地域の産業連関を強め、地域住民自らが学習しながら企画し、経営する『内発的発展』をめざす」ことだという主張です。
「内発的発展」というのは、「地域循環型経済」を含み、住民自治を土台として地域経済・文化、福祉などが統一的に発展する概念であり、池田町のような小規模自治体での政策を考える際に不可欠のキーワードとなると思われます。

2つ目は、「創造支援インフラストラクチャーが充実し、機能している地域である」という点。
都市であれば、大学、研究機関との連携、劇場、図書館などの文化施設が当然その1つになってくるのでしょうが、単に施設があればいいというのではなく、「既存の施設の他に、自由な非営利・協同の組織によって『知識創造の場』を地域の中に多数作り出す」ことの重要性を強調しています。
これを池田町に当てはめてみれば、確かに「既存の施設」はそれなりにはあるけれど、貸館業に傾斜していて文化という側面から観れば、「創造」とはほど遠い存在になっていることが浮かび上がってきます。佐々木さんはこの点を突いて、「産業と文化の『創造の場』の第1の要素は、芸術家と企業や市民を結びつけるコーディネーターの存在」だと述べています。
先日、池田町創造館に置かれているピアノの普及にかかわっている「スタインウエイの会」のメンバーの一人との会話の中でも、行き詰まりを打開する方策を模索しているという話があったように、「モノ」があるだけでは何にもならないのです。

注目すべき3つめの点は、「創造的自治体行政を支える財政自主権と政策形成能力の高い自治体職員を擁する地域」が「創造的地域」の条件だと指摘していることです。これは、自治体職員のみなさんには耳の痛い話かもしれませんが、地域住民とともに自治のあるべき姿を追求するその中で、自ずと「創造的地域」という課題は日程に上らざるを得ません。
このような時代だからこそ、自治体職員の力量が試されもし、期待もされているのです。
是非とも、この古典的な本「創造都市への挑戦」(岩波書店)をひもといて、私たちとも大いに議論を交わしてくださるようにお願いをいたします。

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突然ですが、場違いな思い出をひとつ。ネットラジオを聞いていたらふと流れている曲に手が止まったのです。それはカンツォーネ「Non ti scordar di me(わすれな草)」でした。
イタリア映画「わすれな草」を観たのは、おそらく私が高校1年の頃だったのでしょうか。映画のストーリーはそれほど記憶に残っていないのに、この映画の主題歌だけはずっと記憶に残り続け、折に触れて心に響くのです。
検索してみると、他にもこの映画を今でも探している人がいて、思わず苦笑。
「記憶に残っている」理由はここでは詳しくは書きませんが、まあ青春の思い出とだけ言っておきましょうね。甘く切ないこのメロディーは、今も世界中で愛されているし、日本でもかつては高校の音楽の教科書に出てきたほど。
タリアビーニ、ドミンゴ、パヴァロッティ、近くはアンドレア・ボッチェリなど数限りなくこの曲を歌っていますが、聞き比べるとなかなか楽しい。堪能できます。それにしてもこんなにいろいろあるとは・・・。

Non ti scordar di me - PLA'CIDO DOMINGO, ROLANDO VILLAZO'N


Non ti scordar di me - Carreras Byrne Cetinski Lipanovic' Christmas Concert


ANDREA BOCELLI (HQ) NON TI SCORDAR DI ME / DO NOT FORGET ME


Piero Barone - Il Volo ** Non ti scordar di me PBS


Torna A Surriento + Non Ti Scordar Di Me Sung By Ferruccio Tagliavini




  5月12日(日)    
朝からよいお天気。早朝からいつもの1羽のカラスがせっせとくるみ割りに挑戦しています。割れないと見るとまた高く舞い上がって落とし割れるまでがんばっているのです。
よく観察すると、ただ上空から落とすのではない。高く舞い上がって、クルミをくわえたまま途中まで急降下し加速度をつけて落として割っているんですね。たいしたものです。
うまい物を何とかして手に入れたい一心で身につけた技なのか・・・。
写真は割れなかったクルミをくわえて再び上空に舞い上がったところ。


池田町議会の議長・副議長、委員会委員長の改選が終わって、新しい陣容が明らかになったようです。また、町では、「社会資本総合整備計画」策定委員会の公募が一昨日締め切られ、現在選考が行われているのでしょう。
このあと、中旬以降に町の修正原案が提示され、第2期策定委員会が委嘱されて、いよいよ新年度の「町なか再生」計画策定の作業が開始となります。
町の回答を受けてから今日までしばらく静かな期間が流れましたが、「町中再生を考える懇談会」は中断していたわけではありません。この間、商工会と懇談を持ち、さらに明日は議員のみなさんと第2回目の懇談会を持ち、会の内部でもいろいろと検討を深めてきています。

新しい策定委員会が開かれるに当たって、そこに託されたものは何なのか、何をどのように議論すべきなのか、その方向の見定めを誤ると町民の期待とはほど遠い議論になってしまうことでしょう。
私たち自身も、町も、議会も当然踏まえておくべきいくつかの大前提があるような気がしています。まだ十分整理はできていませんが、とりあえず、現在思いつく限りでメモしておこうと思います。

おそらく、20日前後には町の修正素案が示され、下旬には第1回委員会が招集されることになるはずです。すべてはその修正素案を見ない限りは話も具体的にはならないのですが、私の現在の予想は次のようなものです。

@アップルランド跡地の東側に商業エリアをもうけ、西側を公共エリアとし、相互の関連の中で町のにぎわいを創出する。
A商業エリアは町単独予算で購入、このエリアをどうするかはプロジェクトチームを作って検討を深める。このことは策定委員会での了解事項とする。
B公共エリアでの地域交流センターは従前の計画をほぼ踏襲し、規模については若干の縮小を行う。ただし、ホールをどうするかは、既存の施設との関連で柔軟に対応する。
C既存施設については、当面現在のままとするが、新たに何らかの検討組織をつくり、早期に町としての方向を定める。
C道路については、これまでの議論をふまえて若干の路線の見直しを行うが、ほぼ素案の通りとする。
D若者定住住宅については見直しを行い、計画には含めない。
Eその他についてはほぼ素案の通りとする。
F財政計画については、1年延期されたことから借金額を一定程度減らし将来負担を減少する。


いかがですか。もし町が要約この程度の提案をしてくるのであれば、私は計画に原則反対の立場で臨まざるをえません。なぜなら、町民の要求に応えるような態度をとりつつ、結局以前の素案の内容を押しつけることにしかならないからです。
そうならないためには、最低次のような点が計画に組み込まれていなければなりません。

@何のためにこの計画をいま策定し実施するのか、それは町づくりの基本計画にどう位置づけられるのか。また、この計画で本当に町なかの賑わいを生み出すことが可能なのか。これらについての緻密な総論が必要です。無理矢理「にぎわい」に結びつける強引な「作文」は不要です。
A町が買い物の場の創出にどう関わるのか、条件整備(買い物の場を担うのではない)に本気で取り組めるのかどうかが極めて重要になります。その確認なしには先に進むことはできません。
B既存の施設についての町の方針を明確に示すことが議論の大前提です。何に転用するのかというような具体的な指針を期待するのではありません。それぞれの施設についての具体的なデータを示し、これまでのあり方を検証・総括できるのかどうかが問われているということです。
たとえば、何故公民館が必要なのか、何故交流センターとして位置づけなければならないのか、それは現在の使用状況からどのように引き出されてくるのかなど。そもそも論がどうしても必要だということです。結局長い間、この問題を避け続けてきたことが問題をより深刻にしているのですから。
C財政について、先の町の回答のように「世代間の公平」などという論理はまやかしです。それで押し通そうとするなら、私はこの計画には反対せざるをえません。なぜなら緊急避難的な財政出動ではないからです。「総合計画」なのですから、財政も総合計画的でなければなりません。将来の人口減や高齢化を考えればできるだけ負担をのこさないやり方をすべきであり、従って、起債にたよらない計画であるべきです。計画全体としてどれだけ圧縮できるか、十分議論を尽くす必要があるでしょう。



  5月11日(土)    
久しぶりに1日雨。この雨は本当にありがたい。しっかり大地に染みこんで植物に水分を与え育てる。
太陽の光と雨のバランス。これが崩れるととんでもないことになります。とくに今年は果樹への冷害がひどく、ほとんど期待できない農家もあるらしい。ハウスでの果樹も一晩100リットルの灯油が必要になり莫大な出費。しかし、出荷時に費用に上乗せすることはできないというからこれまた深刻な問題です。
せめて、このあと天候が落ち着いてくれるのを願うのみです。

話は変わりますが、日本維新の会の石原共同代表が7日、国会議員団の役員会で「維新は賞味期限を迎えつつある」「昇り龍にあるとはいえない」などと発言したことが話題を呼んでいます。
「『「食えない物』に賞味期限なんてあったのかな」と、私などはつい思ってしまうのですが、それはともかくとして傑作なのはもう一人の共同代表橋下さん。
「日本維新の会』は、そうじゃないですか」「野党になってしまうと、与党の追及や何か提案をやったりとかで国民の共感を得ていかなければいけないが今『日本維新の会』としてそれがないのは確かだ」とまるで人ごと。なんなんですかねえ、この党は。いやいや、党という体裁もなしていないのだから何をかいわんや。
この人、参議院選挙に出馬すべきだという党内の声に、「僕が国会議員になってもクソの役にも立たない。僕は国会議員としてはなんにも仕事ができないし、僕が出たところで国民が何かそれで動くってこともない。僕がなっても税金の無駄遣いですよ」(しんぶん「赤旗」5月10日)とうそぶいているらしい。
親分が親分なら、子分の議員のみなさんも同様で、暴言、放言、言いたい放題。

・でたらめな推定によって設定された帰還制限区域、居住制限区域は直ちに廃止して、避難民を帰郷させる。これが科学的に唯一、正しい行政である。(西田譲衆議院議員 3/13予算委員会)
・(原発事故の避難区域は)戻れない、戻るべきではない地域だと決断すべきだ。(中田宏衆議院議員 4/5予算委員会)
・一定の幅を持った放射線については、むしろ有益ではないかという科学的な知見もたくさん出されている。(山田宏衆議院議員 4/5予算委員会)
・中国と北朝鮮という2つの脅威に対し、議論として核武装、核保有シミュレーションを行うことは決して突拍子もない話ではない。(中丸啓衆議院議員 4/8予算委員会)
・独自に核抑止力を持つべきだ。(西村真悟衆議院議員 4/16予算委員会)


こうした「ご見識」をお持ちの方が「類が類を呼んで」お集まりになったのが、「日本維新(移心)の会」なんですね。そりゃ食べる前から「賞味期限切れ」になるわけです。

ところで、沖縄には下地幹郎氏が代表を務める「そうぞう」という地域政党があります。これが先日「大阪維新の会」との間で、辺野古移設推進を盛り込んだ政策協定を締結したことで党内外で「動揺」が広がっている、と地元紙が書いていました。
先日まで下地氏は普天間基地の「県外移設」を主張していたのだから、県民を裏切った行為とされてもしかたがない政策移心。
当の「維新の会」の橋下代表は5月1日の記者会見で「県外移設なんて実現不可能だ」と言ってみたり、日米地位協定の抜本改定を「市民運動的だ。政治は50点、60点の及第点を得るところから始めたい」と言ってみたりと、さんざん沖縄県民を愚弄しているのです。
下地氏がその軍門に降ったとなれば、彼を知る人には当然の成り行きだということになるのでしょうが、おおかたには無節操で人気にあやかりたいだけの風見鶏と映っているはず。どちらも正しい見方だと私は思います。
この人の経歴をみると、自民党を皮切りにあっちにいったりこっちにきたり、まさに「騒々」しい人で、何を考えているのか想像もできない人です。
たとえば、このお方、国民新党にいたとき、「2010年3月1日の衆議院予算委員会で、米軍普天間基地の移設先に関し、鳩山首相が5月末までに問題を解決できない場合は6月1日に議員辞職する予定を明らかにしたが、6月1日以降も国会議員として活動を継続している」(Wikipedia)ため、ネット上では「こんな嘘吐きが、議員で居られる日本はもう終わりですわ!!(ー'`ー;)ムムッ」という書き込みも。

維新がらみとなると以心伝心なのか、こんな人がぞろぞろ。



  5月10日(金)    
昨日の東京新聞web版は国際面で、1日付で米議会調査局が発表した報告書に関して、「首相 歴史認識 米が懸念 『東アジア混乱』『米国益害する』」と題する記事を載せています。もちろん、その他の新聞および「しんぶん赤旗」でも紹介されています。

安倍さん、とんでもないことになってきましたね。首相の歴史認識のおかげで、同盟関係が深まるのではなく、「アメリカの国益を害する」とまで言われたんじゃあ。
安倍さんは「日本の歴史について修正主義的見解を持ち、旧日本帝国の侵略とアジア諸国民の犠牲を否定する」人物であり、閣僚には「超民族主義的」見解を持つ者もいて、「激しく民族主義的な維新の会の圧力を受けている」なんて書かれているのですよ。
米政府関係者の中には「軍事協力をすすめたい」面々には役立つと思われているという分析も書かれていますから、米議会の見方は冷え冷えとしています。
さらには、安倍さんの「首相再登板は域内の貿易統合を混乱」させ、「同盟国間の安全保障上の協調関係を脅か」し、さらに「中国との現在の緊張関係をさらに悪化させる」などの地域的問題をいっそうこじらせるとも書かれていました。

ついでにもうひとつ紹介すると、今年の1月11日、アメリカの新聞ロサンゼルス・タイムスがある論説を掲載しました。題して「A militarized Japan?」。
副題はもっとすさまじくて「Constitutional revisions would lay the foundation for an authoritarian country.」(憲法改正は独裁国への基礎固めとなるだろう)。そこで何と書かれたか。

Only one thing is clear: Human rights groups throughout the world should mobilize public opinion against the LDP's constitutional revolution.
1つのことだけは明白だ。世界中の人権擁護グループは、自民党による憲法に関する革命に反対する世論を喚起すべきである。


安倍さんの改憲を「革命」だと書いている!こんな風に書かれる深刻な事態の大本には安倍さんのアナクロニズムな「歴史認識」が横たわっています。もちろん、安倍さんだけではなく、この日本を支配している方々に共通した侵略戦争否定、賛美のあの歴史観です。
右翼民族主義者としての安倍さんに対する欧米諸国の嫌悪感、警戒感は、現在かつてなく高まっているということを知らなければなりません。

ここしばらく海外とくにアメリカの議会や主要メディアがどのように日本を見ているのかについていろいろとりあげてきましたが、いま日本で起こっていることが「世界標準」ではない特異なことなのだということをはっきり自覚すべきだという意味で書いているだけです。
先に紹介した議会調査局のレポートを書いたアメリカ議会自身、日本の沖縄にどれだけの基地が治外法権的に置かれて県民に苦痛をしいているか、TPPがアメリカの「国益」のみをめざして日本を屈辱的な状態に貶めるかについては驚くほど鈍感であることは当然指摘されなければなりません。
ただ、アジアと欧米が注視し警戒心を高めている9条改憲については、私たち自身がもっともっと注意を払い、改憲勢力がそもそも何を狙っているのか、どうしたいのかをよく分析し、自民、民主、維新などの動きを封じるためにたたかうべきだと思います。



  5月9日(木)    
今朝の信濃毎日には、中国共産党機関誌に「沖縄の領有権 日本にない」という論文が掲載されたことが紹介されていました。
日本政府の抗議で、中国側は「記事は研究者が個人の資格で執筆したものだ」と回答したとも報じられています。
1872年(明治5年)の琉球藩設置から1879年の武力を背景とした沖縄県設置を経て1880年(明治13年)の分島・増約問題までの日本政府による「琉球処分」の歴史は、日本と中国(清)による沖縄支配=帰属問題を底流としたものでした。
当時の明治政府は1880年にひそかに中国に使いを送って、「沖縄諸島以北を日本領土に、宮古・八重山を中国領土にする。そのかわり中国で欧米並みの商業活動ができるように条約に条文を追加(増約)する」という案を示していたのです(琉球・沖縄史)。後の日清戦争でこれは間一髪お流れになりましたが、実現する可能性も極めて高かったのでした。
中国の今回の論文掲載問題は、尖閣問題を有利に展開しようという姑息な意図のもとに書かれたきらいがあり、沖縄の歴史を正しく見ることに主眼があったわけではないことは明らかです。
同時に、日本政府も明治政府のとった「琉球処分」の歴史、権力の横暴を批判的に検討することなく日本の領土であるというだけですから、これまた歴史に向き合う姿勢ではありません。
ところが、この問題でミソをつけたのが「読売新聞」。「『沖縄も中国に領有権』人民日報が専門家の論文」とのトップ記事を載せてしまった。2時間半後に「沖縄の帰属『未解決』」と差し替えるお粗末さ。くわしくは、たとえばこちらのサイトで。
海外ではニューヨークタイムスがさっそく人民日報の記事をとりあげ、紹介していました。

次はその記事のおおよその内容です(相変わらずラフな解釈ですみません)。
タイトルは Okinawa Piques Chinese Papers。「中国紙を刺激する沖縄」という程度の意味ですかね。誰か教えてください。piqueは「腹を立てる(させる)」とか「自尊心を傷つける」とかという意味。本文はだいたい次の通り。

[香港]中国の国営新聞は水、木の両日、沖縄に日本の主権が及ぶのかどうかを疑問視する論評を載せた。これは中国のエリートの重要な部局で強くなりつつあるナショナリズムと領土的野心の最新の兆候である。

中国共産党の公式新聞「人民日報」はこの水曜日、二人の学者による論評を掲載した。そこでは、沖縄を最も重要な島とする琉球諸島は、長年にわたって中国に進貢する独立王国であり、1870年代の一連の動きのなかで、1879年正式に日本が沖縄を併合、君主制を廃止し島の支配権を握ったとされる。

人民日報と提携してしばしば執拗に民族主義的な主張をする新聞で知られる環球時報(グローバルタイムズ 人民日報の国際版)は、次のようなニュース記事を掲載した。
すなわち、沖縄の主権に関するこのような疑問は、日本では尖閣諸島、中国・台湾では釣魚島として知られる台湾北東の7つの無人島をめぐる日本との長い領土問題での論争のなかで、中国を利するものになるだろうと言うのだ。

中国政府は広大な米軍基地を持つ沖縄が日本から独立すべきだとの考えを支持してはいない。水曜日に行われた定例記者会見で、外務省報道官は、沖縄に関する3つの質問にほとんど同じ言い回しで返答したが、主権に関する明確な立場を取ることはなかった。 華春瑩報道官は「琉球・沖縄の歴史は長期にわたって学術上の問題となっている」と述べるとともに、「魚釣島は中国固有の領土であり、琉球もしくは沖縄の一部であったことは一度もないと繰り返し主張したい」と語った。

日本政府は人民日報のこうした見解をただちに退けた。 菅義偉官房長官は水曜日の定例記者会見で、「沖縄が日本の領土であることは疑いようがない。これは歴史的かつ国際的な事実だ。このような議論は全く不見識だ」と述べた。




  5月8日(水)    
今朝は一段と冷え込みが強く、早朝車の窓ガラスはびっしり氷で覆われていました。
霜を予想して、最近植えたキュウリとトマトには霜よけの覆いを厳重にしたのですが、どうやらキュウリは全滅。種から苗を育てている苗床でも、芽を出したばかりのキュウリやカボチャ、ウリはダメのようです。見通しが甘く、管理が不十分でした。反省。


父は将棋が強くて、勤務先の郵便局の大会などでよく優勝していた記憶があります。しかし、私には全く手ほどきをしようともせず、家の中で棋譜をならべるわけでもないのです。
ただ私が中学生の頃、友人とよく将棋を指すことがあり、父に対戦を申し込んだことがありました。当然歯はたたないのですが、そのときでもただ笑って相手をしているだけ。
音楽でも同じで、昔音楽喫茶に入り浸ってクラシックばかり聴いていたらしいことは母から聞いて知っていたのですが、家ではそんなことはおくびにもださない。本当に不思議な人でした。

将棋といえば、思い出すのはそんな程度なんですが、その将棋の世界でついにコンピュータソフトがプロ棋士を破ったというニュースが先日流れましたね。
コンピュータソフト5種類と、プロ棋士5人とがそれぞれ対戦するという趣向で、最終回は三浦弘行八段と将棋ソフト「GPS将棋」との対局。これで三浦八段が投了したのです。
日経記者の広岡延驍ウんは観戦記の解説で「コンピュータが攻めを仕掛け、一方的に攻め込まれているように見えた状況で、控え室にいた若手プロ棋士が『受け切れば、三浦八段の勝ち』と断言していた」「三浦八段は、呆然としているように見えた。記者団に敗因を問われ、『どこでミスをしたのか分からない』と絞りだすように答えた」と書いています。
「今回の対局で用いられたGPS将棋は、東京大学の構内で計679台のコンピューターを繋いだという。それをネットワーク経由で、対局の舞台となった将棋会館に送った。1秒間に平均で約2億7000万手を読むというから、凄まじい演算能力だ」これも広岡さんの解説。
ここまでくれば、人間がコンピュータとの勝負に負けるというのは時間の問題だったでしょう。それがいつなのかだけでした。三浦八段はむしろよく善戦健闘したと讃えるべきではないのか。

広岡さんの観戦記タイトルは「人工知能は“名人”の夢をみるか?」でした。しかし、残念ながらこれは愚問です。私には先日もとりあげた「人工知能の父」と呼ばれるM・ミンスキーの言葉の方がストンと胸に落ちる。
ミンスキーさんは「ある種の数学などは、コンピュータにとっては実に簡単」「チェスの場合、単に可能な手を検索しつくすというだけで人間の対戦者を負かすことができる」といいます。しかし、「ソニーのかわいらしいロボットはボールを蹴ることができるけれども、ドアを開けることも、ましてや何かを修理することもできない」「この30年間、研究者が、ロボットに人間のまねをさせることに血道を上げてきた、つまり単に『それらしく見える』だけの表面的なまねをさせることに夢中になっている」と語っています。
現在の「人工知能」に最も必要なことは「人間の子どもにできることをコンピュータができるようにし、それを発展させていくこと」だとミンスキーさんは主張します。研究テーマの方向を誤ったために過去30年間が空白になってしまったというのが彼の評価です。

確かに、プロ棋士を破る力をつけたことは輝かしい一歩ではあります。この数年で囲碁ソフトも驚異的な力をつけてきていますし。しかし、その背後で、人工知能研究の基本・ビジョンが見失われ、どれだけデータベース化できるか、どれだけ演算処理が早くなるかに頼ったことばかりに目が向いているのは残念というほかありません。
我が家のネコはスライドしやすい引き戸を開けることができる(閉めてくれないけど)。絶対に踏み外すことなく、かつ目にも止まらぬ高速で階段を駆け上がることができる。これはすごいです。
現在最高の論理回路を持ったコンピュータ搭載マシンでも、我が家のネコにも劣るようではいけません。
人工知能研究者のみなさん、コンピュータに将棋や囲碁に勝たせることも大事だけれど、まずは「家のドアの開け閉めができる”夢”」を見られるようにしてほしいものです。



  5月7日(火)    
昨日は東京のSさん夫妻が帰省からの帰りに寄ってくれ、北欧での体験談をいろいろ話してくれました。途中から「懇談会」の中村さんも加わって、町づくりについていろいろ情報交換をしました。
話題の中心は、池田町が過去につくったいろいろな施設についてです。私の属する「町政研究会」が昨年発表した「町づくりビジョン2012」の中で、既存の公共施設、とりわけ美術館について抜本的な改革、改変が必要であると提言したことにかかわって、いろいろ話題が発展。北欧スウェーデン、ストックホルムのスクーグスチルコゴーデン(通称「森の墓地」=世界遺産、案内パンフはこちら)の設計思想に学びつつ、池田町の既存施設がどのように設計され今日生かされているのかを批判的に検討することが中心となりました。
このことについてはまた後日くわしく書くことになるでしょう。

話の途中、我が家の庭に1羽のキジがえさを啄みに来たのでしょう、ガラス越しなのですぐ目の前までやってきました。喜んだのはSさん夫妻。「こんな近くでキジ(しかもオス)を見られるなんて」と言いながら、シャッターを押していました。
こちらでは、こんな光景は珍しくはないのですが、我が家の庭にやってきたのは始めてかもしれません。それにしても何ときれいな色彩。
「キジ鍋にでもしたらどうか」などという物騒な話もチラッとでたりもしましたが、畏れ多くも雉子は国鳥。威厳のあるこの鳥は大事にしなければ。




  5月5日(日)    
どうやら風邪の症状。ちょっと熱っぽく咳が止まらない。腰は少しよくなったのでせめてもの救い。
毎日が連休の私たち夫婦としてはゴールデンウイークの有り難みも忘れがちですが、田舎に住んでいると実にのんびりしたものです。
朝、コンと音がしてそちらに目をやればカラスがどこからかクルミを拾ってきて上空から落とし、割って食べている。いつも朝決まって音がするので、いつものカラスなのでしょう。
目の前の田圃では早朝から田植え。すでに終わったところも多い反面、まだ水も入っていないところも。
ようやく水を張り始めた近くの農家の人と話していたら、「2日かけて水を入れている。まわりがみんなやっているので、せっつかれているようで」とちょっと心許ない返事。まだ朝霜注意報が連続して出ているくらい低温状態が続いているので、水温も気が気でないことでしょう。


お日様が出ているうちは汗ばむほどですが、夜ともなれば急に気温が下がるのです。3月頃には気節が半月ほど早くなっているのではないかと思われたのに、ここにきてあたりの木々の新芽を見ると平年並み。低温が続けば、さらに遅れるのかもしれません。
それでも今日はやはり5月の空です。上空の大気が不安定なのか、夕方には異様な雲が出ていました。「やややっ、噴火か?」と思わせるようなタテの雲。地震雲?それも20分ほどしたら雲散霧消。夕日が何事もなかったように、安曇野の平野を照らしていました。


長嶋さん、松井さんの国民栄誉賞授賞式の様子が何度もテレビで流されています。杖もなしで歩き、バットさえ振る長嶋さんの姿は痛々しい中にも凜としたものがあって印象深かった。
あまり野球好きではない私も、中3のときに見た「天覧試合」の活躍が目に焼き付いて、何かあるとそのシーンが思い出されるのです。
ホームページを始めたばかりの2004年3月45日の日記で次のように書いていました。

長嶋さんといえば、忘れもしない1959年6月の「天覧」試合。当時私は中学生でありました。ある先生の自宅で数名で英語を習っていたのです。その先生が大の巨人ファンで、その日先生宅に行ったら「今日は天覧試合があるので勉強は休みにしてテレビをみよう」とおっしゃる。まことに粋なはからいでした。期待に違わず手に汗握る展開。長嶋選手がサヨナラ本塁打を放ったときのその先生の熱狂ぶりといったらありませんでした。今日のテレビでもそのシーンを映していましたのでなつかしく思い出してしまいました。

松井さんについては、豪快なホームランは特別ですが、一方でインタビューの際に、話した後に必ず自分で「・・・・、うん」とうなずくしゃべり方が何とも愛嬌がありましたね。
今日のインタビューでも、「自分は特別な人間ではない、ただ誇れることがあるとすればすばらしい指導者、チームメイト、ファンに恵まれたことだ」と語っていましたが、どこまでの慎み深い彼の人柄の表れとしての言葉でしたね。このような場でそのように語れるのは、やはり並外れた人間だということの証でしょう。

夜は、NHK交響楽団、ポール・ルイスのピアノでベートーベンのピアノ協奏曲第5番。至福のひとときです。
ああ、このホールのピアノもスタインウエイですね。私は第1楽章のはじめのバイオリンのピチカートではじまる限りなく優しいメロディーラインが大好きで、若い頃繰り返し聞いていたことを思い出します。
ポールさんが、ベートーベンは「心に直接響く」、「弾くたびに新しい発見がある」と話していました。「心に響く」というのは、全くその通りです。



  5月4日(土)    
夜のNHKスペシャル「ラストメッセージ井上ひさし”最後の作品”」が秀逸でした。「死ぬ前に沖縄を書きたい」と「木の上の軍隊」を構想しながら、断片のみを残して急逝した井上さんの遺志を継いで、娘さんの麻矢さんや演出家栗山民也、脚本家蓬莱竜太さんたちが劇を仕上げていく様子を描いたドキュメンタリーです。
ずいぶん前から構想しながら、沖縄戦のあまりのすさまじさの前に、芝居に仕上げられずに苦しみ抜いていたと娘さんは語っていました。井上作品独特のペーソス、笑いをどう織り込んでいけるのか、戦争の証言を調べれば調べるほどわからなくなっていったのでしょうね。

4月一杯ずっと公演の日程が組まれ、さらに5月連休も舞台が予定されていたのを、今日初めて知った次第。妻は演劇鑑賞団体でたくさんの芝居を見ているのですが、出不精の私は苦手。しかし、この公演が近くであれば是非見てみたいと思わされました。
ガジュマルの大木の上に隠れながら敗戦を知らずに1年を生き延びた二人の「軍隊」。この舞台を通して井上さんが最後に訴えたかったことは何だったのか、じっくりと考えてみたいと思わされました。



  5月3日(金)    
妻の風邪がうつったのか咳が出始め、さらに腰はかなり重傷でゴムベルトが欠かせません。ベルトをしていないと咳をしても腰に響くので、大変です。
痛い痛いといいながら、東京に引っ越す友人の不要物を引き取りに妻とでかけ、思い物をいろいろ物色しては軽トラに積んできたので、よけいにひどくなって悪循環。あしたまた今度は壊れた我が家で冷蔵庫の代わりを見に行かなければなりません。
ガイドマスターの仲間達は、連休返上で観光客の案内をしています。私はずっとご無沙汰でちょっと後ろめたい気持ちを抱きつつ、ずっと立ちっぱなしがひどいので今回もお休み。5月中旬のウオーキングには写真係として参加する予定なので、許してくださいね。

周りではすでに田植えの終わったところも出始めて、いよいよ田植えの本番開始です。多分早いのは酒米なのでしょうが、それにしてもあっという間。まもなくグリーンで覆われる気節になるのでしょう。
それにしても朝は寒い。まだ霜が降りそうな気温が続くので、トマトやキュウリはまだ1,2週間あとに植えることになります。それまではとにかく腰を治して、畑仕事にも精を出さなければいけない時期になりました。

今日は憲法記念日。私の立場は至って単純で、次の2つに尽きます。
第1は、今の保守政党の方々の父・祖父の方々がしでかしたあの戦争に破れた際に、ろくにまともな新憲法案を提示することも出来ず、その結果GHQ草案を受け入れざるを得なくなったのです。それに全く頬被りして「押しつけ憲法」という厚顔無恥。そうした歴史を直視もできずに、でかい顔をするんじゃないとまず言いたい。
第2は、今日改憲を主張する保守政党の方々は、一度たりと現憲法の精神を守りそれを完全実施しようとはしてこなかった。それどころか憲法の上に安保条約を置き、安保に憲法をあわせようとしてきたのではないのか。これこそ、今日の国際的な孤立とアジア諸国からの反感を買っている大本なのです。改憲を言うなら、憲法をまず完全に守った上でどこが問題なのかを主張しなさい。
国民への約束を破り続けておいて、それに現憲法を合わせようというのですから盗人猛々しい。
改憲して「天皇を元首」にし、「国防軍」をつくろうと主張する国会・地方議員のみなさん、政財界のみなさん、私はみなさんが一人残らずその息子、娘、孫、ひ孫を「国防軍」に入れ、「一旦何かあれば真っ先に海外の戦場に向かわせます」、と国民に宣言し誓約書を書いていただければ、少しは信じる気持ちにもなりますがね。政財官界のご子息ご令嬢用最前線特別部隊を作りましょうよ。
ま、それはともかく、戦争を起こすのはあんたたち、それで儲けるのもあんたたち。戦って死ぬのは貧しい庶民というのはどこでも変わらないんですけどね。
原発を収束することもできないみなさんが原発を海外に売り込むだって?あの戦争に向き合うこともできなみなさんが「国防軍」?
これじゃ海外から、笑いものになっても仕方がありませんね。

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雑誌「世界」5月号で今野晴貴さん(NPO法人POSSE代表)が「ブラック企業が日本の未来を食いつぶす」という一文を書いています。
若者を大量に「正社員」として雇い、パワハラ、過大なノルマ、激しい残業、差別、嫌がらせなどありとあらゆる手法を使って、数年で大量に「自主」退職に追い込むという「違法労働をさせる企業」がブラック企業。大多数を使い捨てにして、ごく少数の生き残りを確保するやりかたです。
そんなことが・・・と思いながら読んでいくと、精神を病み、その後まともな生活が送れないようにさせられている若者がつぎつぎと現れているというのですから深刻であり、厚労省も危機感をいだくほど社会問題化しているのです。
この一文のなかであげられている企業は、ワタミ、大庄、ウエザーニュースユニクロ
Wikipediaを見ると、ワタミ(和民」居酒屋チェーンなど外食産業を展開)について、次のように紹介しています。

ワタミ株式会社(英称:Watami Co., Ltd.)は、持株会社であり、その傘下で日本基盤の主に外食産業を事業展開している企業集団ワタミグループを統括しているブラック企業である。

「2012年ブラック企業大賞」というブラックな賞があり、サイトも運営してますが、ワタミは「市民賞」を、ウエザーニュース社は「特別賞」を受賞しています。ちなみに、大賞は「東京電力株式会社」。授賞式にはどの会社も出席しなかったとか。あたりまえか。
それはともかく、このサイトは現在就活をしている大学生のみなさん必見のサイトですね。

今野さんは、こうした企業がいまどんどん現れてきているのは、「低成長下の人余りに加え、日本型雇用の独特の構図」に原因があるといいます。つまり特殊な事象ではないということ。これらの企業が大学では「高い収益率をあげる優良企業」であると評価されているのだとか。
ブラック企業が横行する背景にはこうした違法行為を指南する弁護士や社労士がいるのだとも。若者たちは、解雇されるのではなく、自分から退職に追い込まれていくのであって、すべて個人の資質の問題として仕組まれるのです。
え、そんなことがと思われる方は、どうぞこちらのある社労士の方のサイトをご覧ください。次のようにお書きになっておりますよ。

「国が国民の権利や義務を憲法で定めているのと同様に、就業規則は会社と労働者の双方が遵守しなければならない会社の憲法なのです」
「会社が潰れたら何にもならない。私はこれからもずっと、労働基準法や不良社員から社長を守っていきたい」


ひえ〜〜っ?ギョエ〜〜ッ!!「憲法」って、国が主権者である国民を縛るためのものだったんだ?就業規則って労働基準法より上位にあったんだあ〜??
びっくり仰天、卒倒してしまいます!!

こうしたブラック企業や悪徳社労士とたたかうNPOのサイトがこちら
憲法記念日にあたり、ちょっとブラックな話題をとりあげてみました。




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