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  6月28日(土)
自治会の公民館行事第2弾「ほたる鑑賞会」を実施しました。あいにくの小雨模様にもかかわらず24名(現地で子ども2人参加)が参加し、まあまあの行事になりました。
この「ほたる鑑賞会」というのは、名称はともかく数年前から行われてきた恒例のイベントです。
滝沢地区では、全国のどの地域でもそうだったようにかなり昔はホタルの飛び交う田園だったのですが、農薬の使用、排水路の整備、下水道の普及などによってホタルの住む環境が奪われ、緑豊かな田園地帯である池田町の農村部でも全くホタルが姿を消してしまったのでした。
しかし、今から10年少し前あたりから、少しずつホタルが復活。村山さんご夫妻の「産卵かご」を使った意識的な努力もあって、少しずつ数を増やしてきたのです。
そうした個人的努力に励まされて結成されたのが「滝沢ホタルを守り楽しむ会」。現在では40名弱のメンバーになった会のみなさんが、排水路の泥上げをしたりカワニナの養殖池を作ったりして環境整備に力を入れてきたのでした。
実はこの集落のすぐとなりが「花見」集落で、ここではホタルをさらに意識的に養殖し、毎年盛大に「ホタル祭り」を行って町おこしに貢献しています。
滝沢では、そうした方向より「ホタルが自然発生できる環境をつくること」が重要だという認識にたって環境整備に力を入れてきたのです。
そうはいっても、当初力が入っていた整備作業も、それに携わる人たちが高齢化し、年とともに活動の低下が見られることも事実。公民館活動はそうした面もしっかり見据えて、単にホタルをみておしまいということにならないように資料なども用意し、今日を迎えたというわけです。

数日前に聞いた話では、ホタルが10数匹散見される程度で、「いったい今年はどうしたかい」という状態だったようですが、今日養殖池付近では70〜80匹のホタルが美しい光を明滅させながらフワリフワリと飛んでいました。「隠れたスポットだね」といいつつ、参加した皆さんはなかなか見られない光景に満足そう。世話をしてきた村山さんも実にうれしそうでした。




公民館活動の次の予定は7月20日(日)に行う「防災講座」。2011年3月に被災した栄村から松尾氏を招請して講演会を行うのです。昨日の「ホタル鑑賞会」の直前に役員のみなさんにチラシの最終案を示して確認をとり、明日から全戸配布や行政、議会にも働きかけることにしました。次がそのチラシです。画像にPDFファイルがリンクされています。






  6月27日(金)
このところ我が家の飼い猫ハルちゃんが早朝4時ごろに決まって「外に出してくれ」「飯が食いたい」と訴えて、私か妻のどちらかが起きるまで耳元で鳴く。知らん顔をしているとそのまま寝てしまうこともまれにあるものの、今日はしつこかった。腹の上に上って起こすのだから始末が悪い。
外に出すとおそらくオシッコをしてくるのかまもなく戻ってカリカリと「ネコのエサ」を少し食べ、またどこかに寝に行く。その間、私は目が覚めて新聞を読んだりネットを見たりというわけです。

今朝の信濃毎日には県内の議会(県議会、市町村議会)で「集団的自衛権容認の閣議決定に反対または慎重な議論」を求める意見書採択が加速していることが報じられるとともに、閣議決定最終案の「冒頭部分」が載っていました。
「わが国をとりまく環境は根本的に変わった。核兵器・国際テロなど重大な国家安全保障上の課題に直面している」として、それらの「脅威が世界のどの地域において発生しても、わが国の安全保障に直接的な影響を及ぼす」との認識を披露。そこから「もはや、どの国も一国のみで平和を守ることはできず、国際社会もわが国がその国力にふさわしい形で一層積極的な役割を果たすことを期待している」という、いわば「想定済み」の方向を引き出す。
第2次大戦後、こうした国際紛争を解決する目的で設立された国際連合についても「国際連合憲章が掲げたいわゆる正規の『国連軍』は実現のめどが立っていない」との周到な言及がその前に付されているのです。
そのもとで、@力強い外交と国際法にのっとった行動、Aわが国自身の防衛力の強化、日米安保の実効性を高めることによる日米同盟の抑止力向上、B「積極的平和主義」のもとで国内法制の整備の3点を強調しているのです。
さて、その上での「武力行使の3要件」。公明党の党内事情に配慮したと言われる座長試案の全文は以下の通り。(公明新聞より引用)

憲法第9条の下において認められる「武力の行使」については、
(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
という三要件に該当する場合の自衛の措置としての「武力の行使」に限られると解する。


そもそも集団的自衛権とは戦後の諸国間の力関係の中で、「サンフランシスコ会議におけるラテンアメリカ諸国の主張によって、安全保障理事会の許可がなくても共同防衛を行う法的根拠を確保するために」(Wikipedia)国際連合憲章に盛り込まれたものですが、日本については日本国憲法の規定によって過去の政府解釈でさえ「憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されない」(日弁連決議)とされてきたものです。

ここまでは、新聞、ネットなどの情報。安倍政権の集団的自衛権への前のめりを見ていると、ご主人であるアメリカに身も心も捧げ、その意を自ら体していっしょに戦いますと宣言しているように思えてなりません。
さらにその背後には、戦前の「満蒙は日本の生命線」「太平洋戦争は自存自衛の戦争」と叫んで国民を戦争に引きずり込んできた歴史が重なってみえます。
アメリカにとっても日本にとっても、またまたエネルギー資源である「石油」が集団的自衛権の黒い動機となっています。戦前はアメリカからの輸入を止められ見通しもないまま日米戦争に突入していったのでしたね。
現在の日本にとってみれば湾岸諸国からの原油が止まることは「我が国の存立を根底から脅かす」「国民の生命・財産(実は大企業の利益)を覆す」事態でしょう。過去にアメリカがやってきたことからいえば、アメリカに対してそのような事態が起こることはあり得ることです。 それを、日本がいっしょになって「武力行使」で解決しようとすれば、それは過去のアメリカと全く同列ということになるのは論理的必然でしょう。イスラム諸国から見れば、日本は「憲法9条の国」ではなく、戦争を仕掛ける国ということになる。そのあとは「自存自衛」を隠れ蓑にアジア諸国に侵略の手を伸ばしていった戦前とうり二つということです。

8月1日には閣議決定すると伝えられます。国会にも国民にも知らせないまま自公の密室協議を重ねて「はい、こうなりました」というやりかたをどうやって認めろというのでしょう。
閣議決定のあと、自衛隊を海外に派遣し戦闘行為を行うための「法整備」に着手するのだという。
先日あるニュース番組のキャスターが「公明党は平和の党という看板を下ろしたらどうか」と言っていましたが、全くその通り。自民党国会・地方議員の暴言といい、公明の政権刷り寄りの見苦しさといい、この国のあり方が180度変わろうとしている時代のアブクみたいなものですかね。



  6月23日(月)
今日沖縄「慰霊の日」。「沖縄全戦没者追悼式」での安倍首相の来賓あいさつの白々しさは、辺野古での工事着工に向けた急速かつ強引な動きや集団的自衛権容認への欺瞞に満ちた動きをみていれば際だっています。
それに加えて、石原環境大臣の「金目」発言や東京都議会での鈴木議員のセクハラヤジに見られる非常識・下劣な発言が自民党政治の劣化に拍車をかける何ともやりきれない現状。お二人には即刻辞めてもらわないと腹の虫がおさまりませんね。
この鈴木都議、単に品性低劣というだけにとどまりません。彼のブログを見ても、その考え方は安倍晋三と寸分違わぬ右翼ぶり。昨年尖閣諸島に上陸して騒がれただけではなく、「(中国が)歴史的にも全く根拠の無い、虐殺、慰安婦問題を持ち出し、国際社会で我が国を更に貶める活動を大々的に行っております」という程度の歴史認識の持ち主でいらっしゃる。
また、尖閣上陸にあたって「やむにやまれず尖閣上陸!なぜ同胞の慰霊すらできないのか?」と書き、「日本人の世界でも希有な精神性、それは東日本大震災でも発揮された、日本人の持つ清明心であります。・・・そうした素晴らしい精神が、自虐的で卑屈な心に毒され、日本人が日本人でなくなっている」と記して、石原慎太郎に限りない心情的共感を表明していらっしゃるのです。

これらに対するメディアの報道はどうかと見れば、天下のNHKは沖縄慰霊式典の報道はしても、これがどのような政治情勢のもとで開かれているのか、沖縄戦とはいったい何だったのかという観点からの報道はゼロ。「報道ステーション」がそれらのかかわりについて多少は触れていましたが、ただ表面をなぞったという程度。どちらも国民の多数が集団的自衛権容認を否定しているという現状に立って、深く鋭く追求するという姿勢はほとんど見られませんでした。
その中で、地方紙がそれなりに危機感をいだいてさまざまな角度から報道や評論を続けているのは一筋の光明といえるかもしれません。

さて、今日から10年ぶりくらいですかね、小学生の中学入試に向けたお勉強を始めることになりました。松本の私学に通う小学6年生が対象です。
私の過去の経験からいっても、中高生とは比較にならないくらい神経を使いますし、教材や問題を選ぶにも細心の注意を払わなければなりません。子どもの心理を考慮する必要があるだけではなく、親もまたともに受験に「立ち向かう」わけですから親の理解も同時に得なければならないからです。
相当につっこんで準備をして行ったので授業はいたって楽しくなごやかに終わりました。計画的なカリキュラム一回一回の充実をはかること、これに尽きるでしょうね。
今から20年ほども前に受け持った小学4,5年生との授業がなつかしく思い出されます。それから見てもかなり内容が多くなったと思われる小6算数。新しい気持ちで生徒たちに向き合うことにしましょう。

下は今朝玄関先で咲いたサボテンの花。それほど大きな花ではありませんが、トロピカルで情熱的な色彩が印象的です。





  6月20日(金)
家の前のラベンダーが咲き始めました。いっせいに蝶やミツバチが集まり群れています。
昼過ぎ、庭先でめずらしい黒いトンボを見かけました。同じ形で茶色と黒のまじったのは見たことはありますが、体が真っ黒なのは初めて。
ネットでいろいろ検索してみたところ、どうやらこれは「ハラビロトンボ」のオス。成熟するにつれて全身黒化していくのだそうです。
ちなみに、しょっちゅう見かけるのはメス。オスもはじめはメスと同じ茶色に黒の斑点ですが、次第に違いがでてくるらしい。そう言われてよく見てみると、名残とおぼしき色が見えますね。




さて、畑仕事は5月から7月頃が最も忙しい。株が大きくなるにつれて草もそれ以上に生長し、ちょっと油断すると、たとえばタマネギやらっきょうなどはどこにあるのか分からないほどになってしまいます。受粉しないと確実に結実しないものもあるし、きゅうりやトマトのように脇芽を摘んだり支柱に固定したりする仕事もバカにならない。
バラ祭りと並行してこうした仕事をしてきたのですが、祭りが終わってからは畑に釘付け。昨日などは午後から夕方遅くまで草刈り機やら耕耘機やらを動かしていました。
おかげでキュウリが採れ始め、夏野菜の季節が近づいています。これからはキュウリ、トマト、ナス、オクラ、タマネギ・・・など、似たような野菜を食べ続ける季節でもあります。
今年は息子が東京の工場に単身赴任となったことや娘が自分の美容店を持つということもあって、送ってやろうと少し多めにいろんな作付けをした関係で何とも忙しいというわけなのです。

同時に、6月下旬から8月にかけては地域の公民館の仕事がいろいろと入ってくるので、その企画・運営の仕事が押し寄せてきます。
第1は、6月29日の「ホタル観賞会」。資料をつくらないといけません。
この企画は数年前から続けられているもので、地域の「ホタルの会」が保護し増やしているホタルを夏の夕方に観察しようというもの。観察に出かける前に集落センターでホタルの話を聞くことも大切なとりくみ。資料というのはそのためのものです。

第2は、7月20日の防災講座。栄村のNPO法人「栄村ネットワーク」の松尾眞氏にはるばる来ていただいて、生々しい体験をもとに栄村の被災の実相や復興の歩み、課題を語ってもらおうという企画です。
先日、地域の自主防災会のMさんとともに栄村まで出かけて松尾氏と会って打ち合わせを行いました。
長野県の北、新潟県境に近い栄村は3.11東日本大震災の翌日3月12日に震度6強の地震に見舞われます。幸い直後の死者はゼロ。しかし、家屋の倒壊や半壊、地滑り、山の崩落、橋の破損、田圃の亀裂・崩落、水道の破壊などで甚大な被害を受けます。
にもかかわらず、3.11の影に隠れて栄村の被害の実態は全国はおろか長野県内でもほとんど知らされず、「忘れられた被災地」となってしまったのです。
今度お呼びして講演していただく松尾氏は、震災直後からネットワークを通して実態を発信し続けるとともに、被災者に寄り添いながらその生活と健康を守る様々な取り組みを精力的に続けたのでした。
今回の企画は、貴重な体験談を聞くと同時に、危機感に乏しい池田町の住民の防災意識を高めることが一つの目的です。多くの人に参加してもらえるようにしないといけません。

第3は、8月14日に予定する地域の夏祭りの準備。7月24日に第1回実行委員会を予定しているので、構成団体のとの打ち合わせを含めた準備が必要になります。

バラ園の整備、畑仕事、公民館の仕事と結構忙しい毎日になっていますが、現下の手段的自衛権を巡る動きには当然十分注目し、腹立たしさを募らせています。
サッカーワールドカップの狂騒をいいことに(うまく作り出しながら)、集団的自衛権の容認へと暴走する安倍内閣。憲法第9条を完全に骨抜きにするこの野望を何としても粉砕しないことには、孫たち以降の世代にもアジアの人々にも申し訳がたたん。



  6月14日(月)
バラ祭りが昨日無事終わりました。天気は3日間とも全く問題なく、とくに3日目の昨日は朝は雲一つない晴天。まだ少し雪が残る北アルプスの全景が見渡せる最高の日和となり、バラと北アルプスの景観がマッチして、訪れる人も感嘆の声をあげていました。
前日までに訪れてくれた人約500人。第1日目300人、2日目、3日目がそれぞれ500人、合計1800人がバラ園に足を運んでくれました。昨年の1100人を大幅に上回る人出になったことになります。
ローカル紙各紙も前日までにはすべて取り上げてくれ、昨年同様これがバラ祭りを周知する最大の効果を発揮しました。各紙に感謝です。








今回のバラ祭りの特徴の第1は、なんと言っても参加者の広域化。新潟のローカル紙やドコモの観光情報が池田町発信の情報とリンクしてタイミングよく「バラ祭り」を知らせてくれたこと。遠くは上越、糸魚川、山梨から車でやってきた人がいて腰を抜かすほどびっくりしました。まさか他県からはるばるやってきてくれるなんて思いもしませんでしたから。それも何人も。
もちろん長野県の各地から大勢の人が訪れてくれましたから、2日目、3日目は大忙し。とくに駐車場が狭いので、誘導係は強い日差しのもとで懸命に交通整理にあたりました。園内では女性の会員が訪問客の質問に答えたり、バラの情報を交換し合ったりして交流を深めました。
今年は祭りの前と当日に除草と「花がら摘み」を徹底して行ったために園内は素晴らしく手入れの行き届いた環境が保たれ、バラの種類の多さとも相まって訪れた人たちに強い印象を与えたようでした。
おそらくどんなに大きなバラ園かと思ってきた人もいたかもしれませんが、何しろ景観のすばらしさにまず圧倒され、ボランティアの自発的な参加で維持管理されていることに驚き、素朴で落ち着いた雰囲気を感じ取って、最後には誰もが満足そうな顔で帰路についたのが印象的でした。
中には「このくらいの規模の方がいいね」と感想を述べる人も何人かいたし、園内においた募金箱には合計で3万円を越える浄財が寄せられましたから、過去のバラ祭りと比べても質的にかなり充実したかなと思わされました。

写真下は、順に後片付けを終えて一息ついた会員たち(一部合成してあります。どこかを見つけた人には豪華景品進呈)。
続いてテントで休憩する私。右手肘付近に注目。タトゥーではありません。本物の蝶ですよ。
最後はバラ園のセキチクの蜜を求めてきたアゲハ。















  6月13日(金)
バラ祭りを祝ってくれるかのような虹の架け橋ではじまり、まるで深まる秋の夜にうかぶような冴え冴えとした満月で終わった一日。夜は大町で仕事でしたから、いや〜、全く忙しい一日でした。




夕べは早くに寝たので、今朝は6時前に起きて8時すぎにはバラ園に。集合時刻の8時半から10人近くのメンバーで昨日組み立てておいたテントをたて、机に出品する品物を並べ、お茶やお菓子を用意、準備万端10時の開園を待ちました。
昨日までにバラ園に来てくれた人たちはざっと500人ぐらい。今日は不安定ながら久しぶりに青空が広がる湿気の少ない日になったので、時間が経つにつれて訪れる人が増え、結構な賑わいとなりました。
遠くは塩尻、糸魚川からも足を運んでくれる人がいて感激。昨日は一本木公園のバラ園に行って今日はこちらへという人も何人かいました。
また、昨年、一昨年も来たけれど木も大きくなりずいぶん良くなったと、開園当時と比べて評価する人もいて、次第に地元に定着していることがわかりました。バラ園の維持管理のための募金箱をおいたところ一日で1万円近く集まりました。ありがたいことです。
町からは副町長、振興課長が来訪、テントでお茶を飲みつつ今後のバラ園の発展についていろいろ語りあったことでした。
その間、会員は駐車場整理にあたったり花がら摘みをしたり、来園者と話し込んだり、とにかく一日休む間もなく大奮闘。相当に疲れたはずですが、反面たくさんの来園者に励まされて大きな活力をもらったのではないでしょうか。

こうしてみるとバラの好きな人たちって、本当にたくさんいるのですね。バラは植物の中でもやはり特別な存在なんでしょうか。
今日の終了時刻午後4時までに来てくれた人はざっと300人。おそらくあと2日で昨年を上回るのではないかと予想されます。
足をお運びいただいた皆さま、ありがとうございました。
















  6月9日(月)
午後畑にいたら突然の豪雨。30分ほどで一旦収まったのですが、このところ不安定な天気が続いています。
今年はバラ園の整備に精を出すと決めて、この2ヶ月ほど毎日のように通っては整備を続けてきました。毎日の作業量はそれほどではなくても相当な作業はできるもので、見違えるようにきれいになってきました。
13日からバラ祭りなのですが、昨年とは異なってローカル紙が取材後なかなか新聞に出してくれない。そのために、昨年まつり一週間前くらいから連日訪問客があったのですが、今年はそれほどでもなく、その分祭り当日に集中するのかなと心配しています。
記者のみなさんに聞くと、「いつ出すかはデスクの判断なのでわからないが13日までには必ず記事にするから」という返事。たいていは新聞記事をみて来てくれるので、明日あたりに出してくれるとありがたいのですが。
今日は午後から雨だったので、デスクワーク。バラ園発足から今日までの歩みを写真にまとめていました。それが次のファイル。

バラ園のあゆみ@(PDF 1.7MB)
バラ園のあゆみA(PDF 4MB)
バラ園のあゆみB(PDF 4MB)
バラ園のあゆみC(PDF 3.9MB)
バラ園のあゆみD(PDF 3.8MB)
バラ園のあゆみE(PDF 3.9MB)
バラ園のあゆみF(PDF 3.9MB)
バラ園のあゆみG(PDF 3.8MB)
バラ園のあゆみ(一括、約30MB)

こうしてみると、ずいぶんといろんなことをやってきたんだなと感慨深いものがあります。今にして思えば、2011年が一番大変だった。3.11支援活動と同時進行でしたから。

長野県には中野の一本木公園の大きなバラ園や高遠のバラ園があります。それとは比べものにはなりませんけれど、住民の心をひとつにして全く自発的に運営するバラ園としては傑出したものがあると私は思っています。
はじめは10人で発足した会も、4年経って現在は会員30人、オーナー30人のかなり大きな組織に。作業をしてくれる人も少しずつ増えているし、何しろ女性パワーが大きい。
お金も人もかけた官製の公園ではなく、住民の自発的な意欲だけに依って維持管理しているバラ園ですから、苦労は伴いますがその価値にはかけがえのないものがあります。



  6月5日(木)
相変わらず毎日午前中バラ園通い。まだまだ整備を続けなければいけませんが、今日までに園内のメインテナンス作業は一通り終わることができました。
ただいま園内ではバラが満開。昨日からの雨でいっそうバラが引き立ち、滅多に見られないような素晴らしい景観を見せてくれています。
今日は午前中のほとんどの時間を会員のミーティングにあて、来週後半のバラ祭りの詳細な打ち合わせを行いました。全員の協力で何とか今年も乗り切りたいと意気込んでいます。
昨日は信濃毎日新聞が、今日はミーティングに合わせて市民タイムス、大糸タイムスが取材に来てくれました。明日あたりの新聞で報じてくれるでしょうから、いよいよバラ祭り本番という感じになってきました。

先週から山に行ってバラ園の仕切りの木を切り倒したり、いす用の丸太をもらってきたりと重労働が相次ぎ、しかもそれらをバラ園に敷き詰めるという作業があって連日の出勤。それというのも、開園からまる3年経って材木の劣化がすすんで結構ひどい状態になっていたからなのです。それを今年はほぼ一新。
ここ2ヶ月ほどの作業を通して、見違えるようにきれいになりました。バラ園ではこれまでとひと味違う、よく整備されたガーデンを楽しむことが出来るはず。あと一週間の辛抱です。




















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