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  7月31日(木)
朝から松本にでかけて仕事。帰ったのが4時近くで、それから庭の草取りをしていたら雷鳴と共に大粒の雨が。午後6時半、まだ激しい雨が降り続いています。あれだけ暑かったのだから、少しは冷えてくれるでしょう。しばらく畑にも雨らしい雨がなかったのでホッと一息です。

昼飯をたべて喫茶店でいつもはあまり目にしない朝日新聞を読んでいたら、安倍首相のお供議員の稲田さんが揮毫したという「内閣人事局」の看板の記事が目に付きました。
人の字がどうこういう立場にもないのでこんなことはあまり書きたくもないことなのですが、内閣の一部局の公式看板となればさすがにこれは国際的にも注目されるでしょうし、第一あまりにひどいので、ちょっとだけ評論しておきたくなりました。なにしろあの稲田さんのことですから。
私にすれば、このような字を書いて安倍さんとニッコリほほえむ神経が全くわかりません。筆を持ったことのない人がにわかに書家に教えを請うて、何とか書いたというものらしいのですが、吉川なんとかという書家先生、こんな字を教えて恥ずかしくないのですかねえ。
これに輪をかけて安倍さんが「みずみずしい字だ」とお褒めになったのですから、何をかいわんや。
私には朝日新聞の記事のなかにあった、同じ福井県の書家である石川九揚さんの論評が痛快で、これ以上の評論はないと思えましたよ。
曰く、「権力者が身を修めることや詩文書の教養、作法を欠いたまま看板を書くという形だけが残っている」「こんな表札を掲げ続けていたら東アジアの漢字圏の要人に日本が軽蔑され官僚の士気も低下しかねない」「基本的で最も大切な均衡・均等、安定性を欠き、ここにあるのは見せかけの力強さや勢いだけだ。まさに、今の安倍政権全体を象徴している」。・・・拍手、拍手。



  7月25日(金)
9時過ぎてから畑に行くと、もう暑くて1時間も作業できません。ひと畝の草をとって、トマトを大量に収穫して早々にもどってきました。
さて、畑から戻ろうと山道を車で走っていたらいきなり長いものがウネウネ。暑くなると1メートルを超えるアオダイショウがよく道路を横断します。あっちはのんびりと横切っていくので、通り過ぎるまで待っていないといけません。
家に戻ると今度はおとなりの住人が血相を変えて「でかいヤツがそっち(我が家)の植え込みの方に行った。その辺にいるんじゃないか」と言う。私は「長いのはアオダイショウじゃないかな。ま、家の守り神だね」と放っておきました。まだラベンダーの下あたりに潜んでいるのかも。

この10日ほど、いろいろと忙しくまともにパソコンに向かっていられませんでした。
まず20日には、公民館分館・自主防災会共催の「防災講座」。講師には栄村のNPO法人栄村ネットワークの松尾眞氏を迎えて、山村の地震被害の実態とそれへの備えについて講演してもらいました。
松尾さんは前日から我が家に泊まって、前の晩は私と妻とを含め役員、議員など5人で夕食会。当日の講演は、池田町と共通点の多い自治体である栄村の経験だけあって、きわめて具体的で実践的なお話でした。
参加は全部で35名とやや低調。本当は50人くらい来てほしかったのですが。役場にも議員にも連絡をし、さらに無線放送で流したにもかかわらず池田町以外はたったの1名。滝沢地区でも同じことですが、日頃からの地震への関心が今ひとつ不足していることが心配です。
続いて、昨日24日は同じく公民館が実質的主体の「滝沢夏祭り」実行委員会。その準備であれこれやっていたために、結構時間をとられました。
若い人たちを中心にみなさんきわめて協力的で、たぶんこのままいけばうまくやれるのではないかという見通しを持つことができました。
何しろ昔からこの地域にいた人間ではないので、まず「人」がわからない。これまでのいくつかの活動を通してそれなりに地域の人たちとの結びつきが出来ていたので、何とかなりましたが、移住してきた人が中心になるというのはなかなか難しいものです。
この夏祭りを乗り越えれば、公民館活動は後半に入り、かなり負担が減ります。あと少しですが、精一杯やるだけです。

本当なら22日から夏期講習が始まる予定だったのですが、塾でちょっとしたトラブルがあって塾のオーナーは振り回され通し。我が子のことにしか目がいかない親というのは、子どもにどんな被害が及んでも気がつかないし、子どももまた何事につけ親の顔色をみて行動するようになる。一番の被害者は子どもということになるのでしょうね。
というわけで、28日から夏期講習がはじまり、今年は例年になくコマが多く約1ヶ月休みなし。よって畑にもいけないので大変です。わずかに休みのはずのお盆は、先ほど書いた夏祭りの実行委員長として準備・本番に付きっきりになるので、これまた休みなし。あと一ヶ月、一気に駆け抜けて、8月21日にはゆっくり休むことにしましょう。



  7月16日(水)
月、火と2コマずつの授業(1コマはその日が初めて、しかも半分は親も参観)があったので結構疲れました。いまだに塾稼業から逃れられないでおります。
暑い蒸し暑い日になって過ごしづらいことこの上ないのですが、こんな日は植物にとっては最高の日なのでしょうね。今朝はついに屋根まで到達したゴーヤが大きなめしべをいくつもつけ、雄花も賑やかに咲いています。ハチが飛び回って蜜を集め、ようやく夏らしい風情になってきました。
おかげで我が家の庭は足の踏み場もないくらいいろんなものが茂り放題になり、えらいことに。おかげで、命をつなぐことができるのですから、不平も言っていられませんが・・・。

昨日は、仕事から帰ってからインターネットのUstreamで日本共産党の「創立92周年記念講演会」の模様を見ておりました。久しぶりに聞く「内閣打倒」のよびかけ。もっともスローガン倒れになるような言い方ではなく、安倍政権に対して大きなねじれを引き起こしている国民世論に依拠して「内閣打倒の大国民運動を」と呼びかけているわけです。
かねてから、この内閣はあらゆる意味で「反国民的」であり「亡国的」であり、このまま続けば戦後最悪の内閣になることは必定であるが故に、打倒の対象であることは当然だろうと思っていました。が、まてよ、打倒してどうする。誰が引き継ぐのか、民主党? 連立?そんなことを考えれば、安易に内閣打倒のスローガンなんて出せるもんではない。そこが悲しいところ、今日のこの国の悲劇じゃないのか・・・そうも思ってしまうこのごろ。さて、その内閣打倒の条件とは??

講演は前半が集団的自衛権についての批判で、後半はいのちとくらしの問題、原発、沖縄問題とつづき、日本共産党の考え方を丁寧に訴えていました。生活問題でのたたみ込むような話しぶりが圧巻で、現在の党首のなかでは比肩するべくもない出色の人物であることは間違いない。
その講演の中で、日経ビジネスオンラインに掲載された小田島隆氏の「行く手に翻るのは赤い旗のみか?」という一文が紹介されていました(登録会員でないと全文読めないはずです)。
いささか斜めにみたようなタイトルのこの一文では、まず集団的自衛権行使容認に踏み切った安倍内閣に対して、半年も前からそうするだろうことはわかっていたことで、大手マスコミ各社が行動してきたことは「先触れ」だったのではないか、と書いています。

「先触れ」というのは、大名行列の通過に先立って、行列に先行する役人が、あらかじめ沿道の町の人間たちに配布したと言われている命令書のことで、役人たちは、その「先触れ」を通じて沿道の人々に様々な準備をさせておくことで、人馬が騒いだり、不測の事態が生じることをあらかじめ防ごうとしたのである。

要するに「露払い」「地ならし」ですね。そしてなぜそのように書くのかという論拠として持ち出しているのが、日本共産党機関誌「しんぶん赤旗」インタビュー欄に「保守系の論客や、自民党の元重鎮が登場するケースが目立つ」という現象というわけ。
そういえば、ずいぶんたくさん登場しましたね。科学・文化・芸術などを含めれば実に多彩な人たちが縦横に語っている。こんな人がと思う人まで。
それは脇に置くとして、小田島氏のいいたいことは次のことです。

 保守系の論客と見なされている人々が、次々と赤旗のインタビューに応じている背景には、安倍政権に対して、真正面から反論する場を提供してくれる媒体が、もはや赤旗ぐらいしか残っていないことを示唆している。

 別の側面からこの出来事を見直すと、古賀誠氏や加藤紘一氏のような、党幹事長を歴任した重鎮が、かつての仇敵である赤旗のマイクに答える事態に追い込まれているということは、自民党の党内事情の厳しさのあらわれでもある。

 いずれにせよ、新聞各紙は、発足以来、安定して高い支持率を誇る安倍政権に対して、正面からコトを構える闘志を失っているように見える。
 野党もまた、1強多弱と呼ばれる状況の中で、政権に対する対立軸を構築できずにいる。
 自民党内にしてからが、安倍さんにものを言える人間を持っていない。
 自民党は、もはや中選挙区時代の、党内議論の活発な(←「派閥抗争に明け暮れていた」という言い方も可能なわけだが)懐の深い政党ではない。


「真正面から反論する場を提供してくれる媒体」を「全国規模の媒体」とでもしないと地方紙の奮闘がどっかに行ってしまうと私は思うのですが、ここに書かれている限りでは、「事件」と「広告」でモノが言えなくなっているマス・メディアの実情を正しく言い当てていると私も思いますね。
小田島氏、「論拠」のもう一つの例としてあげているのが、第61代の内閣法制局長官阪田雅裕氏がさきごろ出した本『「法の番人」内閣法制局の矜持』の出版元が大月書店である点。これは私もびっくりですね。「それだけ氏の憂慮が深かったのだろう」と小田島さんは書いています。

しかし、ですね、坂田氏のような有名人は別としても、私のような「お年寄り」がいくら警鐘乱打しても事態は動かない。若い人が「オレは戦争はいやだ、こんな安倍内閣は絶対に支持しないぞ」という声をどれだけ上げるかがカギ。勇気をだしてどんどん声をあげてほしいものです。そのためにもまず、昨日の志位さんの記念講演を曇りなき目と心で虚心に見聞きしてほしいと私は思います。

さて、今日の午前中、親戚・知人(沖縄中心)に送るためのブルーベリー摘みに出かけました。いつもなら直売所に注文するのですが、直売所はすでにファミリーマートと一体になって売り場も激減。注文できないことはないと店の人は言ってはいたものの、これまでのようにはいかないようなので、直接摘み取りに行ったというわけです。その方が絶対に安いこともありましたし。
ブルーベリーは今が旬。黒い実が大きくなり始めで、粒の大きなものが多い。10個に1個ぐらいは口に放り込みながら、黙々と摘み取りました。どうやら妻の方が摘むスピードが速いらしい。結局あわせて5キロ、あとからさらに2キロ摘むことができました。







  7月15日(火)
ベネッセからの大量の顧客情報流出が話題になっていますし、それを購入したとされるジャスト・システムもやり玉にのぼる日々。
ベネッセの前身は福武書店です。いまから30数年ほどまえにも福武書店の大学入試用の全国模試はあったものの、当時は問題もずいぶんやさしく資料としては大して重視されてはいなかった。だいたい河合塾の全国統一模試か代ゼミ、志望大学ごとでは駿台と相場はきまっていたけれど、いまでは様相が変わってしまっています。
そのベネッセから確実に漏洩したとされる件数は世帯数で「760万件」、人数にすると「1500〜2000万人分」、さらに「漏洩した可能性のある件数まで含めると約2070万件にのぼり、4000万人〜5000万人が対象になる」(日経ITPro)と言われる今回の情報漏洩。ベネッセだけに登録した情報で他社からDMが届いたという顧客からの問い合わせで発覚したという今回の事件、私にはたいへん複雑な気持ちにさせるものでした。
1つは、個人情報の管理を自社で完結しえない日本企業の未熟さと甘さ。私も含めてですが、毎日わけのわからないDMが届いても何とも思わなくなっていますからね。現場での情報管理がアメリカ映画によくでてくる万全のセキュリティならいざ知らす(それでも破られるから映画になるのですが・・・)、管理会社任せにして安心しているようでは今回の漏洩も起こるべくして起こったといわざるをえません。

一方のジャストシステム。日本語入力システムATOKを愛用している私としては何とも哀れに思ったりもするのですが、顧客情報を売り買いする闇の世界にはまってしまったのが明るみに出たというのが正直なところでしょう。なんで我が社だけがという思いは当然あるはずです。

何を隠そう、私もいまから20数年前、ほんの一瞬ですが、その片鱗を垣間見たことがありました。ある教育産業の末端に籍を置いていたときのことです。
その当時はコンピューターなるものがあったわけではありません。最も重要なものは生徒名と住所と電話番号。そのデータを入手するのに使っていたのが今と同じ「名簿業者」です。彼らは同窓会名簿、学校の名簿、その他利用できるものは何でも買い取り、それを民間の教育産業に売り込むのです。またそれらを売って儲けようという輩がいるから成り立っているのですけど。
完全な名簿でなくても、その教育産業は独自の手法で名簿を埋めていくのです。教材を販売する商談が成立すれば、その対象者から友人知人の情報をゲットし、名簿を増やしていくという寸法。その手腕によって社員は評価されランク付けされる出来高払いですから、社員はみな必死です。
当時はまだ電話と人脈を駆使して情報を集めるという地を這うような泥臭い努力もありましたが、今はUSBメモリー1つで国民の半分のデータを手に入れられるのですから桁がいくつも違っています。ひとたび情報が流出すれば、あとは拡散するだけ。鉄壁の情報管理が必要なことは言うまでもありませんが、一方でDMなどにまどわされない市民の情報リテラシーが必須ですね。



  7月14日(月)
昨日は母の祥月命日。沖縄から届いたマンゴーを供えて2人でおまいり。身内からのお花も届いて仏壇はしばしのにぎわいです。
信心のない私ですから、一日一回仏壇のまえに座るなどとは縁がありせんが、それでも記憶にある限りのご先祖様は大切です。とりわけ父・母とすごしたわが幼少期から思春期の思い出はいまなお何かの弾みでよみがえるのですから。

松本で中学受験をひかえる小学生を相手にするようになり、さらに今日からは中学生も。松本は大町、池田とは相当に様子が違って教育熱心な親も多く意識もそれなりに高い。東京での雰囲気とさして違わないような気すらします。
いまはやりの中高一貫校の問題もこれから扱うことがでてきますが、算数・理科に限って言えば出題は過去の問題に慣れた頭からは相当に隔たっています。「思考力をみる」ということらしいのですが、さて本当に思考力を見ることができるのかどうか。確かに詰め込み形の知識偏重受験の出題から見れば「画期的」な出題形式と言えるでしょう。
それほど多くの問題をみているわけでも、私の頭でよくよく考えて解いたわけでもないので、軽々しくは言えませんけれど、ひとたび出題形式が定まるとこれが「考えさせる」問題だとしてある形式が定着するのにはどうしても違和感がある。学校で依然として詰め込みをやりながら、出題だけは「考えさせる」ことになるのかどうか。いざ進学してからはまた「考えさせる」こととは無縁の教育になってしまうのではないか。
今日の学歴偏重と大学受験のやり方を変えない限り、また、スマホ、ゲーム漬けになっている子どもたちの生活スタイルを根本的に変えない限り、途中でどんなに入試の形を変えようが見かけは「考えることに長けた」一部のエリートを育てるだけの入試「改革」になってしまうのではないか。
それよりも義務教育の質をあげ、予算をたっぷり注いで無償で行き届いた教育をつくりあげることに心血を注いだ方がよほど未来につながる教育ができると私は思うのですけど。
といいつつ、やっていることは親の要望にも子どもの期待にも応えられる「受験」の技を教えることでせっせと教材作りに時間をかけている毎日なので、大きなことは言えません。

このごろ雨がつづいて草が伸び放題。よって、毎日草刈り機を駆使して重労働にいそしんでいます。マクワウリだと思って植えたらキュウリだったという、そのキュウリが実をつけて連日バケツどころか飼い葉桶のような大型の入れ物で収穫。従って毎日毎日キュウリばかりたべて河童に変身しそうです。幸い大好物のトマトがようやく色づき始め、キュウリとトマトを息子・娘家族にどんどん送っているところです。地方発送もうけたまわりますので、ご連絡を。




さて、沖縄では辺野古の海をめぐってきわめて緊迫した状態になっています。辺野古を埋め立て工事前のボーリング調査のための岩礁破砕、ブイ設置に今週にも着手しようという状況。そのために広大な立ち入り禁止海域をもうけ、地元漁民を買収して監視船に仕立て県民同士を敵対させる周到な準備も行っているのです。
着工には地元自治体の稲嶺市長はもとより、県民の7割以上が反対。民意は基地新設・着工反対であり、その意思はきわめて強固で明白なのです。だから琉球新報は「辺野古着工 強行は構造的差別だ 民主国家なら移設断念を」と書き沖縄タイムスも、「[辺野古掘削手続き]新基地に正当性はない」と厳しく指弾しているのです。
アメリカ軍の基地のために日本政府が積極的に土地、カネ、人を提供するのはこれが戦後初めて。辺野古内陸部に「兵員宿舎など30棟以上の施設建設」が計画されていると暴露されたことに何の異論もとなえずにです。
先日の報道でも、とりあえず「678億円を計上」(琉球新報7/4)、来年2月頃の着工をめざしてさらに予算措置をとるのだという。これが安倍さんの言う「積極的平和主義」の内実です。
11月の沖縄知事選には、すでに地に落ちた仲井眞がまたまた出るのだという。沖縄タイムスの報道では、「歯車を前に進めたつもりだ。いったん前に進めたら、どんどん前へ進めて落ち着かせてしまうことが大変重要ではないか。現実的な進め方ではないかと思っている」などと述べて、自身の変節を合理化している始末。先の日米防衛相会談で、仲井眞知事が条件とした普天間基地の「5年以内の運用停止」には一言も触れられずじまいだったどころか、すでにアメリカからは「辺野古に基地ができないうちに停止できるか」と日本に釘をさしたと報道されているにもかかわらずにです。
そうした自民党沖縄県連の独走に中央の石破幹事長は「そうはいっても独自の調査を見るとあぶねぇんじゃないの」と言ったとか言わないとか。とはいえ、「用が済んだから使い捨てた」と見られるのもいやだし。
自民党本部で恫喝された沖縄自民党と公明党が仲井眞擁立で体制づくりにとりかかっており、翁長那覇市長への出馬要請を行った議員を除名・離党勧告するなど手段を選ばない手段に。一旦転落したらどれほど惨めに転げ落ちるかの証拠固めをやっている様はまるで道化です。


  7月8日(火)
台風が沖縄に最接近。「特別警報」がいくつも発令される異常事態です。妻は沖縄の母と連絡がとれないとあせっていました。
NASAの画像を見てもこの台風の巨大さがわかります。沖縄の農家の方が「こんな経験は初めて」と言っていましたが、台風には慣れっこの沖縄でも非常事態。それにしてもこのセリフ、このごろ本当によく聞くようになってしまいましたね。


西太平洋の海水温がこれまでにない高さを維持し、表面の海水が東に移動してもつぎつぎと高温の海水が下からわいてくるとも。同じような台風がこれからも次々と発生してもおかしくないという報道もありました。
長年の地球環境の変化がこうした異常事態をもたらしているとすれば、これからどんなことが起こっても不思議ではありません。超大型の台風が沖縄だけではなく本土を直撃する、猛烈な高潮が沿岸を襲う、豪雨が数日降り続く、異様な熱波、極端な冷害が列島を襲う・・・などといった気候の異変から、地震・噴火といった地殻変動までさまざま。
それらが直接の影響を及ぼすのは食料問題でしょう。都会の生活がとたんにピンチになる。こうした自然からの「報復」にあらゆる英知を傾けて対処していかなければならないのに、政府のやっていることといったらどうでしょう。人間よりさきに自然がそれらに重大な警告を発し政府の思うようにはさせないのかもしれません。
この台風の画像を見ていて、NASAの銀河のいくつかの写真と何とよく似ていることかと、不謹慎にも思わず見とれてしまいました。





さて、今日は朝から晴れ間が広がって、たいへん蒸し暑い日になりました。台風が列島を縦断するかもしれないし、午後からあとずっと雨になるかもしれないという予報のために、急遽朝早くバラの会のメンバーに連絡を取りバラ園に集まってもらいました。支柱を立てて風でバラが倒れないようにしておく作業をするためです。バラ祭りにむけて一応の支柱立てはしてあったのですが、台風ではひとたまりもありません。
急な連絡にもかかわらず数名が駆けつけてくれて、汗を流しながら午前中一杯作業をしました。おそらく相当な風でも大丈夫でしょう。





  7月3日(木)
午後早いうちまでは割と天気がよかったのに、夕方からかなり激しい雨になり9時を過ぎてもずっと降り続いています。これじゃホタルも草の陰に引きこもりでしょうね。

今日「も」また、ある友人から「最近元気がないんじゃない。書いていることがおとなしい」と言われました。そうですかねえ。集団的自衛権の行使容認を中心とする問題は、ことが重大なだけに書くことがたくさんあるようで、実はなかなかむずかしい。ありきたりの評論で終わってしまいかねませんから。
さりとて何も書かないわけにもいかない。政権をおちょくって終わりというわけにもいかない。

昨日の読売新聞では、一面で田中隆之政治部長が「時代にそぐわない憲法解釈を安倍首相が正したことは高く評価できる」としつつ、『批判のための批判に堕することなく』報道機関としてチェックする役割を果たすと決意を述べていました。
3面では「中国脅威論」 を前面に出しつつ、その横の社説で驚くべき認識を披瀝する。

本来は憲法改正すべき内容なのに、解釈変更で対応する「解釈改憲」とは本質的に異なる。むしろ、国会対策上などの理由で過度に抑制的だった従来の憲法解釈を、より適正化したと言えよう。・・・
いずれも憲法の三権分立に沿った対応であり、「立憲主義に反する」との批判は理解し難い。
「戦争への道を開く」といった左翼・リベラル勢力による情緒的な扇動も見当違いだ。自国の防衛と無関係に、他の国を守るわけではない。イラク戦争のような例は完全に排除されている。


読売の言う「左翼・リベラル勢力」の中には日弁連も入っているんでしょうね。先日の会長声明でもわかるとおり、「戦争への道を開く」はさまざまな危険性を束ねた帰結であって、集団的自衛権行使容認を批判する論理はきわめて明快でスジが通っています。情緒的でも何でもない。
「過去政府によって繰り返し確認されてきた憲法解釈」を「国民に十分な議論をすることなく」「一政権の判断で憲法の根幹にかかわる改変を行うことは立憲主義に根本から違反している」・・・こうした批判をまともに受け止めることもなくただ「新たな指針に基づく有事の計画策定や共同訓練を重ねることが、日米同盟を強化し、抑止力を高めていく」と書いているだけです。これじゃ政府の言っていることをオウム返しに叫んでいるだけ。
昨日も指摘したように際限のない軍拡に道をひらくことは歴史が示すとおり。読売の主張は今に始まったことではありませんし、政府広報誌と堕してしまって久しいから論評する価値もありませんが、あらためて何ともお粗末な主張であることに唖然とします。



  7月2日(水)
梅雨の一段落か、昨日から青空もひろがって空も落ち着いています。
今朝早く目が覚めて外に出て、ゴーヤーのカーテンに「白いゴーヤー」のめしべを見つけました。今年はおしべが少なくめしべばっかり。かろうじて同株のおしべを一つ摘んで交配。
普通の緑のゴーヤーにも3つめしべがついていたので、これも荒廃官僚じゃなかった交配完了。もう少し花がにぎやかになってくればハチなどが群がってくれるのですが、今は綱渡りの時期なので私がハチの役目です。

写真上が普通のめしべ。下が白いゴーヤーのめしべ。




今朝の新聞各紙の社説や論説を読んでいると大変興味深い。最右翼は日経、続いて読売、日経。日経、読売に至っては戦前の軍国主義華やかな時期の新聞とどこが変わるかと思わせるような書き方です。
「集団的自衛権容認 『助け合えぬ国』に決別を」と勇ましいのは産経。「≪抑止力が平和の手段だ≫≪9条改正の必要は不変≫」と「戦争国家」への邁進をあおり立てる。「自衛隊が国外での武器使用や戦闘に直面する可能性はある」。だが、「どの国でも負うリスクといえる。積極的平和主義の下で、日本が平和構築に一層取り組もうとする観点からも、避けられない」というわけです。「抑止力」が「武力の行使」そのもののためのものであり軍拡の「論理」に直結していることはすでに明白だというのに。
この人達の頭の中では、憲法第9条が持つ「平和の抑止力」という概念は毛の先ほどもわからない。だから、今日の信濃毎日新聞で論説主幹の丸山氏によって、ジョージ・オーウェルの「1984年」が描き出した「矛盾を矛盾と自覚させない『2重思考』」だと厳しく指摘されてしまうのですね。「決定は自国が攻撃を受け反撃する専守防衛の堅持を唱えながら、他国を先制攻撃できる集団的自衛権を認める。オーウェルも驚く『2重思考』である」





  7月1日(火)
歴史の悪しき大転換点というのに、マスメディアは何とも静かでむしろサッカーや野球の方に熱が入っているかのようです。
公明党が「与党」から外れたくないだけの党利党略で実に簡単に戦争勢力に捕らわれ見苦しい言い訳に終始している様は、まさしく歴史の曲がり角で政党が試される実例を端的に示しているといえましょう。

今日は松本で仕事だったために6時過ぎ教室のあるビルに着いたら、駅前では緊急の集会が開かれ、まもなく約200人くらいのデモ行進がはじまりました。私は参加するわけにはいかないので、ビルの上から手を振って連帯を表明したつもりでしたが、気がついてくれたのは一組の母子だけ。一組でもエールの交換が出来たのはうれしいことでした。
家に帰ってから、政府のe-Govに設けられている「ご意見箱」を通して次の簡単な一文を送付しておきました。

集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に断固抗議します。

「黙っているのは認めたことになる」という年来の自戒の言葉に従ったまでで、これまでも重要な政局の折にときどき投稿しておりました。政府もこうした窓口を通してどのくらい抗議のメールが来るのかを見ているのでしょうから、サイバーがダウンするほどの抗議文を送りたいものです。

閣議決定の全文が「信濃毎日新聞」に載っていましたので収録しておききました。
おそらく安倍内閣は一点突破を果たしたので、今後はどう「拡大解釈」を重ねていくのか思案しているのでしょう。歴史の教えるところはまさにそれですから。
この全文の中に「憲法第9条の解釈の基本的な論理」だとか「国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結」といった文脈で「論理」というコトバが多用されています。
おやおや、平和を守るための集団的自衛権なんですね。本当に「国民の」でしょうか。日本国民の過半数が反対している安倍政権のやり方で、どうやって守るつもりなのでしょう。実は、過去のあの侵略戦争は自存自衛という名目で大企業の利益(海外資源、海外進出した企業、社員など)を守るために行ったというのが真相ではなかったのでしょうか。その結果、国民はちっとも守られなかったはずです。
立憲デモクラシーの会は、集団的自衛権の行使容認がどのような帰結を導くかを端的に示しながら、「『必要最小限度』の集団的自衛権の行使という概念は、『正直な嘘つき』と同様の語義矛盾である」と喝破しています。「平和のための戦争」というのと一緒ですね。公明党の自己撞着はまさにそこにあります。だから今日の朝日新聞も「公明党は語義矛盾の世界に身を沈める覚悟を決め、いつの間にか国民は『時の内閣』の『総合的』『合理的』『主体的』判断に身を預けることにされている」と何とも覚めた筆致で書く。
[「この不条理劇の幕が下ろされた時、外の光景は以前とは違ったものになるだろう。他国で戦争ができる国へ。時の政権が憲法を都合よく解釈できる国へ」。確かにそうだ! しかし、それだけ書くのなら、安倍さんとの会食などはきっぱりと拒否してほしいものですけどね。




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