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  8月23日(土)
MNEMOさんがこのブログをとりあげて10年にもなると述懐していらっしゃいましたが、全くその通りで、いつのまにか10年を超えてしまいました。やはり10年は1つの節目ということでしょうか。
私のこのブログの目的の1つは、右翼的な言辞があふれるネット社会の中で、1人でも多く生活者の感覚と目線で世の中を見、人々がまともに暮らせる世の中の方向を見定めていこうとすることにありました。私自身の生きてきた道が戦後と重なっており、いままさに「戦前」の様相を呈しているだけにその思いは強いものがあります。

ネット上では、日本国憲法の立場に立ち、人々の暮らしと権利に敏感な言説はまだまだ少ないのが実情。ブログでそうしたまともな意見の発信をどれだけ増やすのか、どれだけ人々の連帯を作り上げるのかがこれからの1つの大きな課題。ネットは基本的に匿名空間ですから無責任と放縦の社会。フェイスブックなどでのまじめな発言に対して「組織的」な「非難」「炎上」の策動すらうかがわせる動きが見られます。戦争につながる動き、人権を軽んずる言辞を断じてゆるさない圧倒的な言論の嵐をつくること、それに少しでも資することができればというのが私の心からの願いです。

とはいえ、毎日の暮らしに追われる身であれば、そうした「言葉」はやはり日々の暮らしに根ざしたものでなければ説得力は持ち得ません。さまざまな人たちのそうした悪戦苦闘から学びつつ、ここは何としても踏ん張らなければならないときなのでしょう。できるだけ早くホームページを再開できるように努力していくしかありませんね。



  8月22日(金)
今日もまた何人かから、ブログが中断されているがどうしたのかというメールがありました。心配していただけるのはとてもうれしいものですが、このホームページは過去にいろいろなコンテンツを盛り込んでスタートしただけに、今後の方向を見定めてから再出発しなければと思っています。
更新しながら公開しないのはおかしいではないかと思われるかもしれませんが、あくまでこれは私の記録のつもりですのであしからず。

「昭和天皇実録」が24年近くの歳月をかけてようやく完成したというニュースがありました。新しい史料を加味して完成したこの「実録」はいったい何を示してくれるのか。

私は護憲、改憲のどちら側にあるか、と問われれば躊躇なく「改憲」論者だといいましょう。その真意は、日本国憲法には「天皇条項」はいらないという理由によるものです。日本国民の多数が「象徴天皇」を認知していることは承知の上で、あえてそのように主張しましょう。
「第1章天皇」をすべて削除。その代わり「第1章主権」をおいて、「主権は国民に存する」ことをまず明確にすること。その上で、「第2章戦争の放棄」「第3章国民の権利および義務」とつづく。第2章以下は現行憲法のままとする。これが私の「憲法改定私案」です。実にすっきりしませんか。
天皇・皇族には一定の期間、普通の生活になじむまではその生活を保障することは必要でしょうが、日本国民として働いたり、税金を納めたり・・・という時期を早く迎えてもらわなければなりません。
「日本」の歴史の中で「天皇」制度はたかが2000年も歴史は持っていないのですから、これからの長い長い新しい歴史のなかでべつにそれがなくったってどうということはないはず。住民が天皇を全く意識しなかった時期だって相当期間あったのですから。
政治が天皇を必要としたのは、明治以降ではないのですか。そして、その天皇の名の下で侵略戦争が引き起こされ、アジアの諸国民に大きな被害をもたらしてしまったのです。
私は現在の天皇が「日本国憲法の遵守」をしっかりと踏まえて行動されていることに尊敬の念すらもっています。だが憲法上「天皇」が必要かと言われれば、一日も早くなくすべきだということです。困るのは、政治的に利用できなくなる権力者くらいのものでしょう。
日本国民の中に名前のない人はあってはならないのです。選挙権を行使できない人がいてはいけません。職業選択の自由もなく、税金を納めなくてもよい人をつくるべきではありません。
昨年の4月28日、期せずして「万歳」が起こって、おったまげたのは天皇だったのでは?・・・そんな記事を目にしたことがありました。右翼陣営でも一部「民族派」のみなさんは「苦渋に満ちた天皇陛下に『万歳』を叫ぶ蛮行」「権威付けの政治利用」と手厳しく批判。その批判はその限りでスジは通っている。アメリカに媚びて天皇万歳はないでしょう。不敬である、というわけです。

私は現行憲法のもとでは、象徴天皇を軽視したり無視したりということを行動で示せと言っているのではありません。天皇には現行憲法に基づいてその立場を貫いてもらうこと以上でも以下でもありません。そのうえで、将来の展望としての議論は積極的にすべきだと考えているということです。
昭和天皇在位中に、日本国民は天皇をいただく神国の臣民と位置づけられ、あの戦争についても負けたのは国民の至らなさ、ふがいなさであって、天皇に申し訳がたたないという逆立ちの意識が作り上げられた。戦争責任は天皇ではなく一億国民にあるのであって、それゆえ「1億総懺悔」となった。それがすんなりと受け入れられていくところから戦後は始まっているのです。
公務員が問題を起こしたりすると、民間の会社ではそんなことが許されるはずはないなどと言ったりします。即首だぞというように。天皇が開戦の詔書を発して太平洋戦争が始め、大元帥(=最高責任者)天皇の同席のもとで戦争政策を決めてきたのに、うまくいかなかったのはすべて部下の責任だはないでしょう。民間の会社を引き合いに出す方々に聞きたいのですが、民間ではそんな責任論は通用しないのではありませんか。
ことほどさように、昭和天皇の果たした役割、なかでも負の側面については徹底的に検証し明らかにすることが是非とも必要です。戦争責任の要の問題ですから。



  8月21日(木)
長い夏期講習が今日で終わりました。ほとんど連日の、しかも大半がこれまでと違って松本での仕事。それなりに一生懸命に勤めて無事終えることができた夏期講習でした。

しばらくホームページを休むと書き、しかも過去のログも見られなくしてしまったために、まず女川の高野さんが心配してわざわざ電話してくれました。すみません。とくに理由があったわけではなく、つい先日も書いたように、かなりマンネリ感を感じていたことが最大の理由といえば理由。妻が書かなくなったことも1つかもしれません。妻のほうは過去にはかなりためて書いていたので結構負担になっていたらしく、毎日いそがしく出かけているので、ついたまってしまっていたのです。
高野さんは病気なのではないかとか、他に原因があったのではないかと心配していましたが、もちろんそんなことは一切ありませんので、ご心配なく。

昨日から広島での土石流災害で多数の死傷者、行方不明者がでたことを間断なく報じています。夜中に土石流に襲われ尊い命を奪われた方々にはただただ冥福を祈るだけです。
上空から現地を写した航空写真をみると、山際まで宅地開発され家々が密集している様子が手に取るようにわかります。そしてその密集住宅地を土石流が押し流している様子も。無秩序に「開発」されたその様は高度成長期からのこの国の縮図を示しているようで何ともいたたまれません。当然山に近いほど地価は安い。「危険だとは思うが、まさか我が家に土砂災害など起こらないだろう」と思いたくなるのはどの土地でも同じ。だがそうした考えがいかに甘いものであるかを今回の大災害は示しています。
土石流は、木をなぎ倒してそれらを巻き込みながら「まっすぐ」にしかも超速で押し寄せる。長野県南木曽町での土石流災害の教訓です。大量の水、土砂の前には砂防堤も役に立たない。
太平洋上の気温の上昇と大気中の水蒸気量の増加によって、集中豪雨からゲリラ豪雨へ、ゲリラ豪雨からバックビルディング現象による局地的な豪雨のへと雨に降り方がここ数年変わってきていることを感じます。おそらく今後もこうした集中的な極端な現象は全国で起こりうる。
さらに、地震、噴火などの自然災害も危険度を増しているわけですから、あらゆる局面を想定して被害を少なくする対策を講じるべきときでしょう。
真夜中だから避難指示を出せば余計混乱するというのは、その対策が講じられていないことを示す言い訳にすぎません。昼ならどうする、真夜中ならどうする、それに豪雨があったらどうする・・そうした想定は単に自治体だけではなく、住民の側も当然考えておかなければならないことです。
集中豪雨があったが、自発的な避難、集落単位での避難があったおかげで大規模な土砂災害にもかかわらず死者は全くでなかったという自治体をめざさなければならないと強く思います。



  8月20日(水)
お盆の一日8月14日に地域の第2回夏まつりを行いました。公民館の館長という立場上、私が実行委員長となって準備をすすめてきたものでした。
折からの雨模様で開催が危ぶまれたのですが、午前中パラパラと一時雨が落ちては来たもののその後は何とか終了まで持ちこたえ本当にラッキーでした。
雨となれば、準備したシャボン玉大会はもちろん花火もダメ、さらに参加者も少ないだろうから各団体が用意した大量の食料も残ってしまうわけで、晴れの場合とは雲泥の差。実行委員一同空を見上げながらの準備作業でした。

この夏まつりが企画されたのは昨年度。それまで木戸対抗球技大会が行われていたのですが、高齢化で選手を集めるのも難しくなったためにそれにかわるイベントが模索され、昨年度各団体の代表が集まっていろいろ検討を重ねた結果、お盆の一日にまつりをすることになったものです。
夏まつりといっても昔からやっていたわけではありませんから、一年一年模索が続きます。もともとこの集落には神社の秋祭りがあって、伝統を守りながら盛大にいろいろなイベントが行われてきていますから、同じものを2度やるわけにもいきません。いきおい子どもたちを中心に住民が集まって交流することを目的としたものにならざるをえません。
昨年はアトラクションとしてとなり村の子どもの太鼓集団に演技を依頼し好評でした。海外まで公演に行くくらいの実力ですから本物です。今年、何かそうしたイベントを企画するべきかどうかを検討したのですが、何しろ予算が限られており、実行主体が公民館役員ですから、毎年違ったイベントを探す負担を考えれば身の丈の催しとすべきだろうということに落ち着いて、池田のゆるキャラを借りてきて、それにシャボン玉大会をぶつけて1つの盛り上がりをつくることにしたのでした。

午前中の準備では少し予定とは異なった展開もありましたが、ほぼ予定通りに終わり、午後3時からの第一部ミニSLも、午後5時からの第2部もほとんど予定通りに進行、大過なく終えることができました。参加者は役員を入れてほぼ300人。昨年よりもちょっと多かったかと思えるような賑わいでした。
滝沢地区にはこんなに子ども達がいたのかと思われるほどたくさんの小さい子達が親に連れられて集合。もちろんお盆ですから、帰省した若い人たちの子どもで、滝沢の高齢住民からすれば孫、ひ孫。そうした人たちが一同に会して飲んだり食べたりあそんだりする機会が持てることはきわめて有意義なことだとつくづく思われたことでした。










  8月12日(火)
気がつけばはや8月中旬。体調不良でも夫婦不和でもなく、ただ気ぜわしく過ぎていっただけですのでご安心を。
何しろ今年の夏期講習は連日で、しかも松本が中心なので前後1時間半ほどとられてしまいます。準備も半端ではありません。
これに加えて地域自治会の夏祭りの準備。公民館分館長=夏まつり実行委員長となれば責任もつきまといますから、気ぜわしさが倍加。本番は14日なので、これもあと2日の辛抱です。お天気が何とかもってほしいとそれだけが願いです。

妻の日記がこのところずっと滞っています。書くことはいろいろあるようなのですが、妻はこれまでにも増して外にでていることが多く、何かをまとめて記録しようという気力がいまいち出てこないようなのです。こちらも体調不良などではありませんので、ご安心を。
いずれにせよ、こうして毎日の出来事や感じたことを記録していくスタイルは10年も続けてきてある転機にさしかかっていることは事実です。身近な出来事や世の中の問題で、感じることや意見がないわけではない。しかし、発信しなければならないことはたくさんあるように見えて、それをまとめて文にするには結構なエネルギーが必要ですもんね。
忙しく多方面に活躍していたときはそれだけで報告することがあったし、書くべきことが次々とあふれていたのですが、現在のように活動分野が限られた生活の中ではすんなりと文章にできるわけでもないのです。
本もあれこれと読んではいても、感想がワンパターンになってしまいそうで、書くことに踏み切れない。まあ、そういうときは無理せずしばらくお休みするのがいいのかもしれませんね。




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