今日もまた何人かから、ブログが中断されているがどうしたのかというメールがありました。心配していただけるのはとてもうれしいものですが、このホームページは過去にいろいろなコンテンツを盛り込んでスタートしただけに、今後の方向を見定めてから再出発しなければと思っています。
更新しながら公開しないのはおかしいではないかと思われるかもしれませんが、あくまでこれは私の記録のつもりですのであしからず。
「昭和天皇実録」が24年近くの歳月をかけてようやく完成したというニュースがありました。新しい史料を加味して完成したこの「実録」はいったい何を示してくれるのか。
私は護憲、改憲のどちら側にあるか、と問われれば躊躇なく「改憲」論者だといいましょう。その真意は、日本国憲法には「天皇条項」はいらないという理由によるものです。日本国民の多数が「象徴天皇」を認知していることは承知の上で、あえてそのように主張しましょう。
「第1章天皇」をすべて削除。その代わり「第1章主権」をおいて、「主権は国民に存する」ことをまず明確にすること。その上で、「第2章戦争の放棄」「第3章国民の権利および義務」とつづく。第2章以下は現行憲法のままとする。これが私の「憲法改定私案」です。実にすっきりしませんか。
天皇・皇族には一定の期間、普通の生活になじむまではその生活を保障することは必要でしょうが、日本国民として働いたり、税金を納めたり・・・という時期を早く迎えてもらわなければなりません。
「日本」の歴史の中で「天皇」制度はたかが2000年も歴史は持っていないのですから、これからの長い長い新しい歴史のなかでべつにそれがなくったってどうということはないはず。住民が天皇を全く意識しなかった時期だって相当期間あったのですから。
政治が天皇を必要としたのは、明治以降ではないのですか。そして、その天皇の名の下で侵略戦争が引き起こされ、アジアの諸国民に大きな被害をもたらしてしまったのです。
私は現在の天皇が「日本国憲法の遵守」をしっかりと踏まえて行動されていることに尊敬の念すらもっています。だが憲法上「天皇」が必要かと言われれば、一日も早くなくすべきだということです。困るのは、政治的に利用できなくなる権力者くらいのものでしょう。
日本国民の中に名前のない人はあってはならないのです。選挙権を行使できない人がいてはいけません。職業選択の自由もなく、税金を納めなくてもよい人をつくるべきではありません。
昨年の4月28日、期せずして「万歳」が起こって、おったまげたのは天皇だったのでは?・・・そんな記事を目にしたことがありました。右翼陣営でも一部「民族派」のみなさんは「苦渋に満ちた天皇陛下に『万歳』を叫ぶ蛮行」「権威付けの政治利用」と手厳しく
批判。その批判はその限りでスジは通っている。アメリカに媚びて天皇万歳はないでしょう。不敬である、というわけです。
私は現行憲法のもとでは、象徴天皇を軽視したり無視したりということを行動で示せと言っているのではありません。天皇には現行憲法に基づいてその立場を貫いてもらうこと以上でも以下でもありません。そのうえで、将来の展望としての議論は積極的にすべきだと考えているということです。
昭和天皇在位中に、日本国民は天皇をいただく神国の臣民と位置づけられ、あの戦争についても負けたのは国民の至らなさ、ふがいなさであって、天皇に申し訳がたたないという逆立ちの意識が作り上げられた。戦争責任は天皇ではなく一億国民にあるのであって、それゆえ「1億総懺悔」となった。それがすんなりと受け入れられていくところから戦後は始まっているのです。
公務員が問題を起こしたりすると、民間の会社ではそんなことが許されるはずはないなどと言ったりします。即首だぞというように。天皇が開戦の詔書を発して太平洋戦争が始め、大元帥(=最高責任者)天皇の同席のもとで戦争政策を決めてきたのに、うまくいかなかったのはすべて部下の責任だはないでしょう。民間の会社を引き合いに出す方々に聞きたいのですが、民間ではそんな責任論は通用しないのではありませんか。
ことほどさように、昭和天皇の果たした役割、なかでも負の側面については徹底的に検証し明らかにすることが是非とも必要です。戦争責任の要の問題ですから。