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  9月28日(日)
御嶽山が噴火、登山客が多数巻き込まれ、必死の救助活動が続けられているとテレビは報じています。
昨日の報道では長野県中南部にも火山灰の影響があるかもしれないとしていましたが、北寄りの風ということもあってか、よく晴れた今朝の空にはその影響は全く感じられません。
地震国・火山国日本では、全国のどの活火山も同様に危険なのでしょうが、御岳の噴火については予兆もなく、登山客は秋の一日を楽しもうと出かけたはずですから、よもや噴火に巻き込まれるなどとは思いもよらなかったに違いありません。
登山客のひとりは、噴石もさることながら降灰の熱で息が出来なくなったといい、別の方はあたりが真っ暗になり死を覚悟したと話していました。いのちからがら逃げ降りてきた人々の映像をみていると、いつもはおだやかなこの大地に潜む自然の圧倒的な力を感じざるを得ません。まだ山小屋などに避難している人たちが一刻も早く無事救出されることを願うほかありません。

つい先日のNHK「巨大災害 MEGA DISASTER」では「地震波トモグラフィー」という最新の探査機器を使って地下のマグマを視覚化、アメリカのイエローストーン、イタリアのベスビオなどで巨大噴火が起きる可能性を探っていました。日本でも桜島地下ではマグマが上昇中、近い将来大規模な噴火が起きる可能性があると報じていました。
大学・研究所での地道な研究活動が続けられていることを知って頭が下がる思いでしたが、実際にはそうした研究活動に費やす予算は余りにも貧困。メディアは、地震や火山活動が起こってからそれを報道するだけではなく、基礎研究の現場に密着してその実情を明らかにすることにももっと力を入れてほしいものです。



  9月27日(土)
8月末から1か月以上も空白ができてしまいました。この間、「どうしたのか、身体でもこわしたのか」と心配の声を寄せてくださる方も少なからず。ありがたいことでした。また途中で途切れることがあるかもしれませんが、ボチボチ書けることを書いていこうかと思っています。

朝夕の冷気にも、刈り入れがすすむ稲田の装いにも、我が家の周りを縁取るコスモスの花の色にも、それぞれ行く秋を感じさせてくれます。
私や妻の生活がそれほど変わっているわけでも、まわりの状況が大変わりしたわけでもありませんが、自分自身の言葉の軽さというか、考えることの浅薄さに筆が進まなくなり、ついには書くことが苦痛になってしまったというのが正直なところでした。もちろん1つの理由ですが。
妻は、私の様子を見ていて外部との関わりが以前とは比較にならぬくらい少なくなり「引きこもり」に近い状態になっているのじゃないかと危惧しているようなのですが、そんなことはないのです。
確かに町のことや被災地支援でいろいろと動き回っていたことからいえば活動の量は確かに少なくなっているでしょう。問題はそこにあるのではなくて、私自身の精神活動の方向性ということなのです。人間は「昨日がこうだったから、今日もこうで、明日も同様」というような数学的帰納法的な生活では充実感を得ることはできません。
「毎日毎日あくせく働き、昨日今日などとは言っておられない」という人もいるかもしれませんが、若い日であればそれだけ自己実現への切望感は強いはず。「アラシチ」(aroud the age of 70)だって若い日に劣らずそうなのですよ。

この間、塾の仕事(夏の講習)と畑仕事、それに地域の公民館の活動に感けてパソコンに向かおうとしても頭が動かなしほとんど書くこともないという事情も一面ではありました。少し休んで自分を見直してみることも必要ではないかと、かなりゆったりと構えているうちにまもなく10月です。

9月中旬から、そろそろパソコンに向かって頭を動かす時間も必要のかなと思い、さらにこのブログを再開するときは「トーホグマン」を最新の状態にするとMNEMOさんと約束していたので、その作業をずっとやっていました。
この長編小説「トーホグマン」、東北の「まつろわぬ」人々が刻んだ歴史と精神に自己変革のたたかいを重ね、連載も回を重ねるごとに「歴史、精神」の豊かさ(とりもなおさずMNEMOさんの知性の反映なのですが)を浮き彫りにしていきます。そしてさらに「決戦迫る日々」の終わりではドラマチックかつ感動的な展開が待ち受けています。どうぞ最初からの通しでお読みくださいますように。(そうしないとあまりに登場人物が多いので、よくのみこめないところがでてきます)
MNEMOさん、身体をこわしてかなり難儀されたようでしたが、もう大丈夫なのでしょうか。人間ながいこと生きていると「そんなこともあるもんです」。焦らず養生して、ゆったりと歩み出してください。

さて、そうこうしているうちに一昨日、佐久市望月で「歴史を拓くはじめの家」をひらいていらっしゃる女性史研究家の「もろさわようこ」(両澤葉子)さんを訪ね、3時間近くお話を伺うことができました。
この出会いのおかげで、また少し考えようとする意欲がわいてきたような気がしました。
まもなく90才という高齢にもかかわらず、もろさわさんはおしゃべり好きで優しいおばあちゃんという印象なのですが、問題の核心に触れるといやいやどうして、語気するどくこちらの心臓を射貫いてしまう。その博識と問題意識の鋭さはなまなかな私など足下にも及びません。権威、組織、既成概念などにとらわれず、個の自立を土台とした人間的連帯を求めてやまない彼女は確かに魅力的な人です。ちなみにWikipediaの記述はあまりに一面的で紹介にすらなっておらず参考にはなりません。


彼女のもとを訪れたのは、彼女が設立した「歴史を拓くはじめの家」の沖縄版が、南城市にある妻の実家のほど近い場所だと聞いたため、妻が是非考えや運営を知りたいと願ったのです。そこで、もろさわさんをよく知る方を通して彼女の話を聞けないかと頼み込み、こころよく受けていただいたのでした。
彼女のめざすものをひと言でいえば「Love & Peace」ということになるのでしょうか。おんなの視点から男を撃つ。社会と歴史を見返す。その言説は容赦がなく、男にとってなかなかに厳しいものがあります。
地域社会、企業は言うに及ばず政党であれ、労働組合であれ、そこに男優位、男支配の構造と論理を見るとき、彼女の物言いはどうしても鋭くならざるをえません。しかし、そのこころは、当然ながら真に人間的な信頼で結ばれた人々のつながり、連帯を希求するがゆえなのであり、物言いの鋭さの奥には限りない優しさがあるのです。
もろさわさんがふと漏らす言葉に「こんな世の中をつくってしまった」というのがありました。「こんな世の中」とはもちろん右傾化を強め,戦争への道を走っているかにみえるこの政治状況と世相をさします。しかしそう言う彼女の言葉の端々に「こんな世の中」に抗う人たちもまた確実に増えていることに勇気づけられつつ、「焦らずどっしり構えて」生き切ろうとする決意を聞いたような気がしました。
私財のすべてをなげうって、女性の解放像を求めるために「愛にみちて歴史を拓き、こころ華やぐ自立を生きる」「差別にうなずかず、いのちとこころをはぐくむ」をモットーとした「家」を全国3カ所に作ってきた彼女がその決意を語り、次の世代への抱負を語るとき、凜として実に若々しい。たじたじとさせられましたっけ。ところで、この家の主人公は「おんな」。男は「サポーター」なのだそうです。

というわけで、彼女の家で仕入れてきた本を5冊、いま読んでいるところです。すでに読み終わったのは「オルタナティブのおんな論」。「おとこ」故にこれまでほとんど考えたことのなかった世界に誘ってくれる刺激的な本でしたよ。




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