bottom

azumino.jpg


  1月29日(木)
この間、「イスラム国」に拉致され人質となった後藤健二さんのニュースで私自身も何とも腹立たしい気分を抱えたまま毎日を送らざるを得なくなっています。
日本政府が現地でヨルダン政府を通しての救出に努力していることは承知をしているし、その努力が実って後藤さんが無事解放されることを願う気持ちは人後に落ちないつもりですが、一方ではなぜこのような「イスラム国」のような破壊的・狂信的なグループを彼の地で生み出すに至ったのか、そのことへの言及のない報道にはいささかうんざりもしているのです。
そもそも、湾岸戦争・イラク戦争によってイラクとその周辺国を破壊的な状況に追い込んだのはどこの誰だったのか、そしてそれを支援し現地にまで自衛隊を派遣したのはどこの誰だったのか。
アメリカによる軍事干渉と部族間・宗派間の対立抗争の中で、自らの国の進路を作り出しえなかったイラクの中では、「力(暴力)」とそれを原理的に支える教義とを求める勢力は容易に広がりうる。何よりも肉親を殺された悲しみ・怒りや生活の基盤を破壊された怒りがその底流にありますから、それを力で押さえつけようとしても、全く逆効果にしかならないでしょう。
そうした人々にとって、すでに日本はアメリカと一体であり、安倍首相のヨルダンでの発言がそれを裏付けたとみられても何ら不思議はありません。後藤さんは戦火の中で苦しむ子どもたちの姿や難民の生活に寄り添ってそれを世界に示したいという使命感に押されて、一瞬の油断が生まれたのではないかと想像します。こうしたことが生まれないようにすることは戦場で取材するジャーナリストの永遠の課題ともいえます。ただ捕虜となったときに支払う代価は余りに大きい。
その代価というのは、単に解放に支払われるべき費用というだけにとどまりません。「イスラム国」のような集団に対するには「武力しかない。徹底して殲滅するしかない」という空気を世界に広げることによって問題の根本解決をいっそう遠ざけてしまうからです。

人質事件をよそに、沖縄大浦湾(辺野古)では、沖縄防衛局による海上でのフロートを係留するためのブロック(1つ数10トン)設置作業が大型クレーンを導入して続けられています。


上は沖縄タイムスの写真。下は「チョイさんの沖縄日記」からのもの。海上ではカヌーでの抗議行動が懸命に続けられていて、海保の暴力的な排除も執拗に行われている様子が生々しく綴られています。これがわが「法治国家」の偽らざる姿です。







  1月21日(水)
辺野古大浦湾では相変わらず海保の暴力的排除が続いています。また、陸上では国道を封鎖して重機を運び込むために警察が大勢動員され(写真下1:沖縄タイムス)、抗議する住民を排除。国家権力ぐるみで辺野古への新基地建設を強行しようしています。
昨日の琉球新報ではカメラを持つ女性に馬乗りになる海保職員の様子(写真下2:金良孝矢撮影)や肋骨を折るケガをさせられた人も出ていることを伝えていました。





またチョイさんは、ヘリパッド建設が続く東村高江で開かれた抗議集会に参加、参加者が520名と過去最大規模になったと伝えていました。(いずれもチョイさんのブログより転載しました)





********************************

「これから1週間、バインダートークについて説明します」と切り出したのは、つい最近まで大手化粧品メーカーのマネージャーを務めていたという50才近くの女性。がっしりした表紙に包まれて30ページほどのカラー刷りの分厚い説明書がはさまれている。これをもとに30万円(50万円の時代も?)もする学習教材を売り込むトークの基礎知識を事前研修するのです。私が東京で仕事をすることになった会社でのことです。
いまから30年近くも前のことですからほとんどの内容は忘れてしまいましたが、それでも強烈に覚えていることがいくつかあります。
第一は、その教材の内容について知る必要はなく、全国でもトップクラスの講師陣によって書かれた優れた学習参考書であることを頭にたたき込むこと。第2は、トークの最も大事なことは「教材」を語るのではなく、親や子に「夢」を語ることだと言われたこと。
そこしか行くところがなく、拾ってもらったという思いの強かった会社でしたから、初めは心を決めて何とかうまくやろうと思って努力しておりました。
ところがその教材の内容を見ると市販のものと大差のないもので、いくら何でも高すぎるだろう。そんなことなら私が教材なしで教えた方がよほどうまくやれるはずだ・・・どうでもいいものを、「あなたはこれを使って学べば必ず進路を我が物にすることができる」などというありもしない「夢」を語るということは詐欺そのものだ・・・そう感じるのに時間はかからず、つくづく怖くなってきたのでした。
しかし、それができないと出来高払いの会社では成果がなければ給料は基本給のみの月10万円程度。生活できる水準ではありません。トップセールスをした者にはハワイ旅行が待っていますという釣り文句で否応なしに電話でアポを取らせ、教材売りに出かける。「あいつがアポを取ったらしい」と社員同士を競わせ、時間かまわず働くように駆り立てる。
世の中にはこんな悪質商法があるのだということを骨身にしみて感じました。
この売り込み戦略とは、消費者にある「我が子のためなら」「他より少しでもいいものなら」「それほど高価な物なら良いものに違いない」んどというわずかな期待感を最大限にこじ開け、そこにつけ込んで甘い言葉で夢へと誘い込むまさに情報操作、洗脳行為なのです。

なせそんなアホみたいな仕事をしていたかって?そりゃ生きるためですよ。その当時はそれしかなかった。どうしたら糊口をしのげるかそれしかなかった。こんなアコギな仕事に関わっている人はみんなそうです。それで法外な利益を得るトップの連中は別として、生きがいを感じてやっているなんて人は絶対にいません。同僚と新宿西口の飯屋で昼食を食いながらしみじみいろいろ身の上に関することを話し合ったものでした。今頃どうしているのやら。

その会社で、仕事としてまずやることは、名簿会社から購入した学校の名簿(完全にはそろっていない)をもとに電話をかけることです。その電話のかけ方も事前研修があるのですが、これは「悪い意味」で参考になりました。たとえば相手に相づちを打たせて、直後に間髪を入れずこちらから教材の良さをたたみかけ相手に答えさせない。「〜ですよね」と言って相づちを打たせて、すかさず相手が関心を示しそうな次の話題に行く。相手がそれなりに関心を示してくれればそこではじめてアポへの会話が成立するという仕組みです。
その教材購入と個別指導はセットになっていて、個別指導教室も新宿西口センタービルにあることがウリでした。しかしその個別指導はまた別の子会社が運営するので、実態は全くわからない。知らされるのは丁寧な指導をするということだけ。
こうした会話で得た情報をもとにして、名簿も次々と充実し、学校内での人間関係、担任教師や教科担当教師の評判などもすべて掌握していくのです。電話作戦と言ってもそれはそれは周到な作戦です。
気が小さい私は、強引な勧誘などできるはずもなく、つい相手の気持ちになってしまいますから電話していても絶えず「次のように話せ」というメモが飛んできましたよ。だいたいこんな仕事には向いているわけもなかったのです。
ただ、最近勧誘電話が時折わが自宅にもかかってきますが、私は「学習した」基準に照らして相手の出方を研究していますので勧誘される方ご注意ください。

ところで、私がこの会社にいたのはわずか1ヶ月。そのうち1週間は先ほどのべた「社員教育」でしたから、実質3週間の見習いで誰にも被害を与えず、おさらばしたのは実に幸いなことでした。もっとも胃に穴が開くほどの3週間でしたけど。丘につり上げられてバタバタする魚みたいなものでした。
そしてその直後にさる進学塾塾に就職が決まり、進学教室の講師稼業をすることになったのです。そこでは本当に水に戻ってきたという実感がしました。

さて、そのくだんの教材会社、それからかなり存続はしていたようですが、ついに2007年「詐欺まがいの勧誘と教材の販売が経済産業省から6ヶ月間の業務停止処分を受けた」のでした。それまでにも全国で無数の苦情相談が寄せられたり、何度も行政指導を受けたりしながら不誠実な対応に終始、結局経営破綻してしまったのでした。当然のなりゆきでしょうね。
このような営業が成り立つと考えて実行に移す大手企業があるということ、営業のノーハウを事細かに指導し、電話する場合でも横にいて指示を出し、生徒の個人情報を様々な手段で入手するマネージャがそれだけで仕事になるということ。それを専門にする人間がこの世の中にごまんといること。そうしたことを知っただけでも私には苦いけれどよい人生経験になりました。私のアホな人生経験の一コマを紹介した次第です。

非正規労働で苦しみ、いつクビを切られるか分からない職場で歯を食いしばって耐えている若者がたくさんいる。まじめに働く意思を持ちながら、そうできずにもがく人たちが無数にいる。小さな子をかかえ、ここしかないと自分に言い聞かせて自分にむち打って仕事をしている(させられている)若い母親がいる。
そんな世の中を少しでもよくするには、必ずいっしょに問題を考えてくれる仲間がいると信じてしかるべきところに相談すること、決して一人で悩まないことです。



  1月20日(火)
数学を担当していた生徒二人と昼頃に待ち合わせをしてご苦労さん会をしました。予想に違わず数学UBでは二人とも結果は思わしくなかったようでガックリしていましたが、何しろ全国の平均点が低いのですからまだまだ勝負はこれから、終わったことは忘れて今後の問題に集中するように励ましました。
料理を前に並べながら、途中英語を担当していたMNEMOさんに電話したところ、彼もまた二人をしっかりと励ましてくれていたようでした。
数学の授業を受けていた生徒たちはみんな精一杯やったと思います。一人はひょっとしたら浪人も・・・と話していましたが、今はあらゆる可能性を広げることに全力を集中し納得のいく進路を考えること、それがたとえ浪人することになっても必ず生きてくると伝え、今後の頑張りを促しました。
数学に関する限り、受験した圧倒的多数が同様の苦しい思いを抱えこんだに違いないのです。辛い思いをしているのは自分だけではないのだから、自分の目標を見失うことなく、これからも懸命に努力を重ねてほしいと願わずにはいられません。
自分の目標に忠実に、そして誠実に現実に向き合うことが「二人」の将来をつくっていくのだと思いますよ。ね、Yくん。

以前紹介したことのある「安曇野賛歌」のブロガー北林あずみさんが最新書き込みで沖縄独立論について触れています。
かつては「居酒屋独立論」(居酒屋で憂さ晴らしに話題にする)と揶揄されたこの言葉が、2013年に「琉球民族独立総合研究学会」が発足したことで居酒屋から出て、ちまたで人口に膾炙するようになりました。
当時、このことを報じた琉球新報はわざわざ社説をかかげ、「学問的な、公的な言論空間の中で論議される時代に入った」とのべ次のように書いていたのを思い出しました。

学会の設立趣意書は「日本人は琉球を犠牲にして平和と繁栄を享受しようとしている。このままでは琉球民族は子孫末代まで平和に生きることができない」と述べる。その危機感は多くの県民が共有しているのではないか。
政府による過去の基地政策の理不尽、振興策の数々の失敗に照らせば、沖縄の将来像を決めるのは沖縄の人々であるべきだ。言い換えれば沖縄の人々の幸せには、自己決定権拡大こそが欠かせない。
学会は「独立が可能か否か逡巡(しゅんじゅん)するのではなく、独立を前提とする」と述べている。独立論が新たな局面に入ったことを物語る。今後重ねるであろう世界各地の独立の例などの研究を、人々の貴重な判断材料として提供してほしい。


このことを「本土」の私たちがどのように受け止めるかということこそが問われている。全首長・議長の署名を添えた「建白書」、10万人の人々のオスプレイ配備反対の声、そして各種の選挙結果を一顧だにせず、オスプレイ配備と新基地建設に突き進む安倍政権に対して、果たして「本土」の私たちは有効な反撃のたたかいを作り上げているのでしょうか。
沖縄では、単に政府だけではなく「本土(ヤマト)」に対する不信感も広がっているのですから、これを払拭できない限りは「独立論」の論議は広がりこそすれ衰退することは決してありません。
北林さんは、新自由主義にむしばまれた日本社会に対して、美しい海に囲まれた自然豊かな沖縄の大地とそこに息づく古来からの自足経済のもと心豊かに生活してきたウチナンチューの心はそのアンチテーゼであり、「沖縄の心こそが、純粋な意味での平和憲法の心であり、棲み分けと平和の精神が息づいている」と述べる。それゆえ、独立への志向は「未来の社会」への窓口となり得るのであり、「世界史的意義をもつ」とさえ断言するのです。

日本人が沖縄の心と一つになって、新基地建設を阻止できないとするならば、沖縄は日本人を見限るべきだろう。これ以上堪え忍ぶ必要も義理もない。義理があるとすれば日本人の方だ。が、その日本人の心は経済至上主義に毒され切って、倫理性の欠片もなければ、思いやりの心もなく、生きとし生けるものの命へと注ぐ温かな眼差しもない。あれば原発の再稼働などするはずがない。

私は以前、那覇の混み方は東京並みかそれ以上であり、とくに増殖するパチンコ屋が那覇の現在を象徴していると思われると書いたことがありました。パチンコ屋はある意味警察権力に守られた本土資本ですから、もともとバチンコ人口の最も少ない県であった沖縄に狙いを定め、貧しい県民からさらに搾り取って本土に持ち帰るという構図ですかね。
翁長さんの当選で立ち消えになったカジノ誘致話もまさにその構図。地元(糸満市)のためというより本土資本と結んだ地元土建・観光企業の利権狙いが本質です。
おそらく沖縄本島は、無軌道な「開発」と米軍基地によって早晩「自然」などは消え去り、「昔美しい島だった」という物語にされるのではないかという危惧の念を強く持っています。おそらくこころある沖縄県民もそれを何より心配しているでしょう。
これ以上本土の思うようににはさせない。言葉も仕事も環境も自らの手で自らの意思で築きたいという強い流れが育ちつつある、それこそが「沖縄独立」の底流にあるものだと私は思うし、そうであれば全面的に支持したい。
北林さんの論考を読みつつ、さて、私にとっても今年は“沖縄”を展望した曲がり角の年になるだろうなという予感をいっそう強くした次第です。



  1月19日(月)
沖縄辺野古沖では、浮き桟橋を設置するための工事が県民の強い抗議の声を全く無視していまも進められています。
陸上では示威行進などは当然言論・表現の自由として認められており、警察に届けさえすれば「警察の保護(交通整理など)のもと」で行うことができるのですから、海上でも船舶の通行に大きな支障がない限りは「警察の保護(交通整理など)のもと」で自由に行える”はず”です。海上デモの際は、事故のないように見守るというのが海上保安庁の仕事である”はず”。
ところが沖縄・辺野古周辺では事情は全く正反対なのです。海上保安庁による暴力的な排除が横行、いのちの危険すらともなうような横暴がまかり通っている。
遠い沖縄のことだし、しかも海の上のことですから「本土」のマスメディアの目にもとまらない。関心も持たれない。それをいいことにやりたい放題というのは一体どこの国のことなのでしょう。
そのことを毎日のように告発しているのが「7年前に沖縄に移住」し、今は毎日のようにカヌーを曳航したりして抗議行動を行い、そのかたわら映像や写真でその様子を伝えてくれている「チョイさん」。
「チョイさんの沖縄日記」1月17日付けには「もう許せない、海保の暴力---危惧される不測の事態」として海保の暴力的な「実力行使」か紹介されています。
圧倒的県民が辺野古での新基地反対の意思表示を繰り返しているこの沖縄で起こっている事態は一体何か。それは紛れもなくすぐそこに見えている日本全体の姿です(すでに沖縄と同じ場所がいくらもあります)。
どうか全国のみなさま、この横暴に怒りをこめ、あらゆる手段を講じていま辺野古で起こっている事態を拡散しまくってください。政府に抗議するとともに、沿岸やカヌーで日夜抗議の活動を続ける県民の方々に連帯の「しるし」を届けましょう。
抗議行動への強権的排除の様子を知っていただきたいと、「チョイさんの沖縄日記」から断りなく何枚かを拝借しました。
写真の説明はチョイさん自身によるものです。


      (上・下)引き出されるフロートに抗議しようと近づくカヌー隊。
      このほぼ全員が海保の暴力によって拘束されてしまった。




      (上)カヌーを拘束し、漕ぎ手の足を捕まえ、そのまま沖合まで
      無理やり引きずっていく。冷たい海の上で、全身ズブ塗れ
      になりながら、風にさらされ続けるのは辛いことだろう。


      (上)海保がの「海猿」が海に飛び込み、カヌーを転覆させる。
      頭を押さえつけて海の中に沈め、無理やりゴムボートに
      引き上げるところ。


午前中、先の首相官邸へのメールに対して「ご意見等を受領し、拝見しました。首相官邸ホームページ『ご意見募集』コーナー担当」という返事が来ました。自動返信メールではなさそうなだけましと言えますが、この木で鼻をくくったような返事の中に、国民の苦難などはどこ吹く風の安倍政権の姿が透けて見えます。

**********************************


さて、今年のセンター試験の数学TA・UB(新課程)の問題を解いてみました。早朝に飼い猫のハルちゃん起こされ眠れなくなったのを幸いに、新聞社のサイトからダウンロードして一気に解いてみたという次第。
数学TAについては、比較的素直で新課程初年度らしいものという印象を持ちました。ただ、新課程を意識したためか、統計処理と選択問題の整数問題に比重を置きすぎたのはちょっといただけない。
これに対して、数学UBはこれまでとは相当に傾向が異なってしかも難しい。ただ難しいだけではなくて量が多いためおそらく時間内では解ききれない。私でも本番に臨んで時間内にやれるかどうか分からないくらいでした。
数学UBは新課程といっても旧と出題範囲はほとんど重なるのですが、新課程を意識したのかどうか出題者の力みが感じられます。かつては丁寧に誘導された部分が、まるで自明のことのように省略されてしまい、その分受験生はたくさんのことをやらなければならない。こんな出題は受験生を苦しめるだけです。
全体としてTAの平均点は60点に届くかどうか、UBは50点を大きく下回るような気がします。これまでいっしょに勉強してきた生徒諸君は明日どんな顔を見せてくれるのでしょうか。



  1月18 日(日)
阪神淡路大震災から20年。もう20年もたってしまったのかという感じがします。
私が東京にいてただテレビで惨状を見しかなかったことが悔やまれますが、身近に感じられたのは退職して神戸にもどった同僚の1人が現地で大変な被害をうけ父親の実家に避難していたということを後に聞いたこと。何にもしてあげられませんでした。
池田町に来て東日本大震災の支援活動をしていた際、ネットワークの代表者が当時やはり被災地支援で活躍されていたことを聞いて問題意識の乏しさにずいぶんと恥ずかしい思いをしたことを思い出します。
被災した方々の仮設住宅が居住地ごとではなくバラバラになってしまったことが、とりわけお年寄りのその後の生活に深刻な影を落としたことが東日本大震災の際に痛切な教訓となりました。また、住民本位、生活空間の創設中心であるべき復興計画の教訓が必ずしも今回は生かされていないことなど、避難、復興に関わって阪神淡路の大震災からくみ取るべき教訓はたくさんあるのです。
さらに、予想される大都市の直下型地震やプレート境界での巨大地震への備えはどうか。来年度の政府予算案を見る限り本当にお寒い限りですね。

妻が沖縄に出かけている間に、我が家の電化製品が相次いで故障した。まず電子レンジ。異音を発していつ何がおこるかわからないような状態に。次に電子ジャー。温度があがらなくなってしまった。
数年は経っているから、それなりの劣化はあったのだろうけれど、それにしてもひどい。電化製品は壊れてくれないと売れないから、何年か経つと壊れるようになっているんですかねえ。
つい「昔は」と言ってしまいたくなるのですが、洗濯機は何年も使っているけれど頑丈で10数年たってもいまだに現役。 しっかり動いてくれている電化製品も多いのです。

「世界」2月号での山形孝夫さん武藤類子さんの対談中で、1970年代に有名になった「電通戦略十訓」がとりあげられていました。武藤さんは「なんてバカにされて生きているのか!と愕然とした」といい、山形さんは「自分が好んで選んでいると思っている生活が実はそうではない。知らぬ間に手玉に採られている。『電通戦略十訓』の中で、まるであやつり人形のように生きている」と憤慨していました。
電通という会社は知らない人はいないほどの大手広告代理店ですが、情けないことに「電通戦略十訓」というのは私には初耳でした。ネット上でいろいろ調べてみると次のようなもので、高度成長期末期からそれが破綻する1970年代に使われ現在ではさすがに別のものたとえば「鬼十訓」などに変わっていると書いてありました。

対談では現代に生きているものとして語られていましたが、私にも私過去の遺物とは思えないですね。
おそらく現在ではこんなにストレートに戦略を標語化したりはしないでしょうし、消費者の目を気にしてオブラートに包んだような戦略を立てるのでしょうが、その「精神」は少しも変わっていないということです。どれほど世界最高水準を誇ろうが、製作現場で「ものづくり」の気概にあふれて作っていようが、利益優先のもとで、どう売り込むかが最大の関心事になるからです。
もちろん、耐久力のあるいいものを生産し消費者に提供しようとする気概のある会社があることを否定するものではありません。こうした会社はだいたいにおいて中小企業ですから、大企業の圧力のもとで苦しい立場に追い込まれている。本当によいものを作り出そうと奮闘している企業を消費者が見抜き、応援するシステムを作っていく必要がありますね。



  1月17 日(土)
今日は2人とも予定がなかったために、午後穂高温泉まででかけゆっくり温泉につかってきました。
女湯は数人いたようでしたが、男湯は数日前と同じく私1人。80畳ほどの広い湯屋に1人というのも、気持ちはいい反面何とも寂しい。もっとも湯煙の中では数人いても1人とおんなじようなもんですけどね。
今日出かけた天満閣という温泉は、施設の老朽化がところどころ見られるものの、気軽に立ち寄れて温泉の温度もちょうどいいので、行くのはここばかりなのです。
温泉好きの妻は、沖縄ではあまりゆっくり湯につかることができなかったので、久しぶりに温泉にのんびりつかって本当に気持ちよかったとしみじみ言っていました。
車で20分くらい先に温泉気分をゆっくり味わえる場所があるのですから、やはり安曇野はなかなかいいところです。温泉が好きな都会のみなさん、暇なときにゆっくり温泉につかりにきませんか。宿を提供しますよ。

さて、センター試験がはじまりました。これまでいっしょに勉強してきた彼、彼女ら、落ち着いて普段の実力を発揮してくれることをただ願うだけです。
新聞社や大手予備校などではほとんどリアルタイムに問題・解答をネット上にアップしてくれるので、明日は午後から私も数学の問題を分析しておかなければなりません。

昨日の夜担当した高校2年生の皆さんは、今日が進研模試だとか。昨年の問題をわたされて四苦八苦しておりました。
ところで、昨日も強く感じたのですが、中高生のみなさんが自分で解いた問題の答えに○をつける習慣はいつから始まったのでしょうね。昨日教えていた生徒のノートを見ながらふとそんなことを思いました。
当然ながら、いまから50年以上前の私の中高生時代には自分のノートに自分で○をつけるなどという習慣は全くなかった。それどころか自分で○をつけるなどと恥ずかしくて出来なかったものです。
ところが現在では中学生も高校生も何でもかんでも○をつける。しかし、ですね、よく観察すると、とくに女子にその傾向が強いのですが、×は決してつけません。どうするかというと、解答をみたりして間違いを直したあとにそれに○をつける。だからすべて○になってしまうのです。
一体これは何なのでしょう。学校の教師は何も言わないのでしょうか。むしろ自分で合否を確認しているのだから、それでよしとしているのか。私には全く理解できない。
生徒たちのこの○つけ、それが自己目的になってしまって、論述の経過をきちんと整理したり、間違いの原因を追求たし、さらには別解や基本的事項の確認をしたりすることが全くおろそかになっているのではないかと、私には思われます。生徒たちにとっては○がたくさんついているのを見のは気持ちいいものかもしれませんが、そこから何事も学んでいない。ただ○がほしい。
答えに○×を大きくつけ、○が多ければ「よくできました」というのは小学校のやり方ですよね。穴埋め問題ならともかく、記述式の問題でこの○つけが高校生になるまで引き継がれているとすれば、これはゆゆしき問題です。
私なら、○×をつけるならそれは教師の役目だと思っているから、自分の解答に○をつけるなど恥ずかしくてできません。むしろその○が邪魔ですらある。どうしても○をつけたいのなら、間違えたらでっかい×をつけて、あらためてやり直してほしい。
一方、幾何の学習でも気になることがあります。彼らはほとんど図をかかないし、描きなさいといってもまともな図がかけない。もともと平面で空間を描くことは困難なことですが、まず平面の作図ができないのに空間を描けるはずはないのです。要するに与えられた図をいじくり回すだけ。
どれだけ豊かな2次元、3次元空間が頭のなかに作りあげるのかが数学教育の1つの目標だと私は思うのですが、過去の文科省の動きを見るとユークリッド幾何を持ち出しては引っ込め、また持ち出してくることの繰り返し。それで「論理的思考を育てる」と言っている限りは、生徒の頭から空間的なひろがりのある思考はさらに後退していくことになるのではないでしょうか。
生徒たちの記述を要する問題への○つけの横行や図形の描き方などを見ていると、現在の数学教育は内容面での改革はもちろんのこと、学びの方法論という点でも根本的な改革が必要なのではないかと思われてなりません。



  1月16 日(金)
辺野古での新基地建設について

数日来強行されている辺野古での基地建設工事強行ならびに管官房長官の記者会見での発言を見聞きするにあたり、大きな憤りを感じざるを得ません。
過去数度にわたる選挙で示された「基地建設反対」という沖縄県民の明確な意思に基づいて、辺野古への新基地建設作業を直ちに中止し、翁長新知事との対話に臨むことを求めます。
仲井眞知事の「承認」なるものは、知事選挙・衆議員選挙で明確に否定され、さらにどの沖縄県民世論調査においても辺野古での基地建設は圧倒的多数で否認されているのです。民意を無視した建設強行は決して許されるものではありません。
このまま建設を続けるならば、日本の民主主義は完全に死滅し、取り返しの付かない禍根を将来の世代に残すことになるでしょう。
納得のいくご回答を望みます。


早朝、上のような文面の抗議文を電子政府意見要望窓口を通して首相官邸に送りました。返信宛先メールアドレスも記入し回答も要求しましたから何らかの答えがあるのでしょうか。なお、内閣官房、内閣府、防衛省にも同文のメールを送りました。
投稿に際しては意見のみ送付すればよく、必ずしもメールアドレスを知らせる必要はありません。私はこのホームページで何者かを明らかにしつつ書いていますので、しっかりアドレスを添付した次第です。

辺野古で身を挺して新基地建設反対を訴える人々の映像が昨夜も報道されていました。長野にいる私達に出来ることと言えば、政府に意思を伝えること、それを広くみなさんに知らせることぐらいしかありません。
辺野古での新基地建設反対のとりくみは、たとえ座り込み・抗議行動といっても、徹底した非暴力が貫かれており、抗議の声すらも罵声、非常識な声などは否定されていると聞きます。そこには参加できない私たちもそれに学び、節度を保ちつつ、しかし断固として要求を伝えるべきです。昨日も書いたとおり、1人1人の意思を集めれば大きな声になる。政府窓口をパンクさせるくらいの抗議メールを届けましょう。

今日の琉球新報社説は次のように述べています。下は建設強行を伝える琉球新報号外です。

昨年の名護市長選、同市議選、知事選、衆院選沖縄選挙区で示された「新基地建設ノー」の民意を踏みにじったことに怒りを禁じ得ない。民主主義国家としてあるまじき行為であり、断じて認めることはできない。国は直ちに作業をやめるべきだ。(中略)
安倍首相と菅官房長官は「沖縄に寄り添う」「丁寧に説明する」と繰り返してきた。自身の発言に責任を持たず、翁長知事との面会を拒否しても何ら恥じない無神経ぶりは理解に苦しむ。(中略)
中国、韓国とは行おうとする「対話」を沖縄とはしないというわけだ。一体どこの国の首相か。
選挙で示された民意を尊重し、それを政治に反映させるのが民主主義である。そのことを無視する国は民主主義国家とはいえない。沖縄だけの問題ではない。日本の民主主義が問われていることを国民も自覚すべきである。


今を去る何十年か前、私が高校の教員をしていたときのこと、教職員組合の活動の中である方から言われた一言が今も私の心の中に残っています。それは次のようなことです。
「黙っていれば結局は認めたことになる。認めたくないならただ一言でもいい、反対と言えばいい」。
出来ることなら触れたくない。触らなければ禍が降ってくることもない・・・たいていの場合そう思いがちです。
絶対に許せないと思っても、それを口にすることは実際なかなか難しい。私のように気の小さい人間にとってはなおさらです。勇気のいることです。黙っていることは認めることと同じであると、すべての場合に機械的にあてはめるつもりはありませんが、重要な政治的選択がせまられた場合にはそうでしょうね。どんな雄弁より一言のNO!の方が強いことがあるのです。

現地での抗議行動などの現状を知るには次のブログなどが参考になります。リンクがたくさん張ってあります。

ちゅら海を守れ!沖縄・辺野古で座り込み中



  1月15 日(木)
フランスの週刊紙シャルリー・エブド本社への銃撃テロで17人が犠牲になり、これに抗議・追悼するデモがフランス全土で行われ、約400万人というの史上空前の規模になったことが一昨日報道されました。
信濃毎日新聞13日付けでは、フランスの政治評論家オリビエ・ラバネロ氏の「米国人は自分たちの身の安全を守るために団結したが、フランス人は自由などの価値観を守るために街頭に出た」という声を紹介していました。
また、今日の同紙では平野啓一郎さんの寄稿文を載せていましたが、彼はその中で「私たちは個人的には決して共感できない表現者がカラシニコフで惨殺されたとき、それを他人ごととして見ぬふりをするのではなく、まさに自分自身の問題として引き受け、社会全体の問題として共有し、声をあげることができるだろうか?」と問いかけていました。
これは非常に大事なことを指摘しているのであって、「個人的には決して共感できない表現者」(もちろん「表現の自由」に含まれる範疇)という問題と、にもかかわらずそれが暴力的に攻撃されたときの問題とを関連させつつも、明確に区別して論じずるべきだという指摘です。平野さんはそれをフランス人の「政治的ラディカルさ」と表現しています。果たして我々は、それほどに根源的に問い詰めているのだろうかということです。
「むしろ必ずしも愛し得なかったという人たちの「Je Suis Charlie」という表現にこそ、私はフランス人の政治的なラディカルさを見たように感じた」。
フランスでは、多くの人たちが『表現の自由』が暴力で封殺しようとしたことを決して許さない決意でデモに参加したことは間違いありませんが、同時に「反イスラム感情にNO」というプラカードのメッセージが広く見られたことからもわかるように、武装暴力集団と一般のイスラム教徒とを峻別する政治的成熟度も見せてきたことも重要です。
もちろん、現在のようにイスラム圏の人々がさまざまな圧力のもと敏感になっている状況の中で、あるメディアが「言論の自由」を振りかざしてどんなことを打ち出してもよろしいということにはならない。言論の自由にはそれを行使する深い見識と慎み深い行動が要求されることは当然のことです。
残念ながらフランスには、もう一つの顔もある。「言論の自由」を要求する大デモの裏で、他方の言論取り締まりが強化されているという一面も見逃すわけにはいきません。

話は変わりますが、世界「2月号」には、元朝日新聞記者、現北星学園講師の植村隆氏の「私は闘う」という一文が掲載されていました。
昨年1月末、週刊文春が「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」という記事を載せ、その中で23年前の記事を捏造と決めつけたのでした。
その記事に先立つ2、3ヶ月前、植村さんは神戸松蔭女子学院大学の選任教授として雇用されることが決まっていたのですが、2014年1月には松蔭に週刊文春記者から次のような質問状が届けられたのでした。

この記事をめぐっては現在までに様々な研究者やメディアによって重大な誤り、あるいは意図的な捏造があり、日本の国際イメージを大きく損なったとの指摘が重ねて提起されています。貴大学は採用にあたってこのような事情を考慮されたのでしょうか。

その直後の週刊文春の記事。それをきっかけとして大学には抗議や「採用を取り消す」ように要求するメールが殺到(250通)、「街宣活動をする」という脅しもあったことが大学側から植村さんに伝えられ、就職を断念することになってしまいます。
その年度の末に朝日新聞を退社、北星学園講師として生計を立てるべく家族の住む北海道に移るのですが、ネット上では植村さんへの攻撃がいっそう激しさを増していく。その間の経過を次のように語っています。
・5月の連休頃から北星学園大学にも、嫌がらせや「植村をやめさせろ」というメールが送られてくるようになった。
・5月末には、「あの元朝日記者を雇っているそうだな、売国奴、国賊の。植村の居場所を突き止めて、なぶり殺しにしてやる。すぐに辞めさせろ。やらないのであれば、天誅として学生を痛めつけてやる」
・9月22日には「まだ働いているのか。爆破してやる」という脅迫電話が。
・8月末で抗議メールは807通に。激励はたった20通。
・文春記者から松蔭へ届けられたメールと同一の文が送られてきた。
・文春8月14・21日号が、「慰安婦火付け役 朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」という見出しの記事を掲載。「韓国人留学生に対し、自らの捏造記事を用いて再び”謝った日本の姿”を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ」と書く。
・北星学園学長が植村氏を擁護するような発言をしたために、学長もまた写真をネット上でさらされ激しいバッシングを受けた。
・植村氏の家族については、子ども(娘)の写真がネットで公開され「こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。自殺するまで追い込むしかない」との書き込みが。

植村氏は「なぜこんなに執拗に植村バッシングが続くのか」と問い、「私を攻撃することで、朝日新聞全体を萎縮させよう、リベラルなジャーナリズムを萎縮させようという狙いがあるのではないか」と書いています。

9月に入ってからも事態は好転する兆しがなく、大学内でも「辞めてもらった方がいいのでは」という空気が広がっていったそうです。しかし、9月のある日、札幌市内の1人の女性が大学へ応援メールを送る運動を始めます。
「心ある大学の方たちは日本を覆う右傾化に伴う『おかしな空気』『得たいの知れない恐怖』を伴った圧力に抗して民主主義を守ると、がんばっておられます」
この運動は、メール、フェイスブックを通して瞬く間に全国に広がり、10月末までには抗議333通に対し激励メールが1011通に達するのです。
ところが10月31日、学長から来年度の契約打ち切りが通告されるのですが、理事会、教職員有志の中で「再考」を求める声があがりはじめ、11月には大学への脅迫状送付事件をめぐって380人の弁護士が集団刑事告発。ついに12月17日、大学側は来年度契約更新を発表、「北星学園大学が脅迫に打ち勝った瞬間」を迎えるのです。
その後も、朝日たたき、植村バッシングは執拗に続けられてはいきますが、植村氏を守り日本の民主主義を守るたたかいはそれを圧倒、現在なお闘いは続けられているのです。
この寄稿文の最後で植村氏は次のように書いています。

ネットによる誹謗中傷で圧殺されそうになった私だが、ネットによる人の輪ですくわれる道が開けてきた。私は捏造記者ではない。不当なバッシングには屈しない。そして私は1人ではない。

私も植村氏に激励文をしたためようと思っている1人です。ネット右翼の組織的で卑劣な攻撃に屈することなく、自らの信じる道を是非力強く歩いてほしいと願います。

さて、なぜこのように長々と植村氏の寄稿文について紹介したかといえば、フランスと異なって日本の場合は、まずネット上という「匿名空間」を使って陰湿に攻撃が行われるという点。次に、週刊誌などを通して心情的・感覚的な右翼的言動がばらまかれている点に大きな特徴があります。それゆえ、それに対する圧倒的な反駁、反論の言論活動を展開することが何より大事だということを言いたかったのです。以前にも書いたことがありますが、フランスのデモに匹敵するほどの言論をネット上であふれさせることです。そうすれば、デマとウソで固めた彼らの「言論」は必ず封じることが出来るし、脅迫・暴力・殺人予告などについては明確な犯罪として摘発・告発することで対決できます。植村氏の一文が示しているのはまさにそのようなことではないのでしょうか。



  1月14日(水)
太平洋戦争の末期、米軍の猛攻で追い詰められた大本営は1945年1月20日、もはや妄想としか言いようのない本土決戦を想定した作戦計画「帝国陸海軍作戦計画大綱」を決定します。
計画立案の目的は次の通り。

帝国陸海軍ハ機微ナル世界情勢ノ変転に莅(のぞ)ミ、重点ヲ主敵米軍ノ侵攻破摧(はさい)ニ志向シ、随処縦深ニ亘リ敵戦力ヲ撃破シテ戦争遂行上ノ要域ヲ確保シ、以テ戦争目的ノ目的達成ヲ図ル。

この「目的」に現れる「縦深」とは縦深作戦を意味し、「前線の敵部隊のみでなくその後方に展開する敵部隊までを連続的かつ同時的に目標として攻撃することで敵軍の防御を突破し、その後に敵軍を包囲殲滅しようとする理論」(Wikipedia)です。
レイテ戦に敗北し、武器・航空機にも事欠く日本軍にとって沖縄・本土にせまる米軍を「撃破」する縦深攻撃などあり得ないのに言葉だけは勇ましい。
そして、この作戦を実行する基本方針として次のよく知られた沖縄「捨て石」作戦を打ち出すのです。

皇土(こうど)防衛のための縦深作戦遂行上の前線は南千島、小笠原諸島、沖縄本島以南の南西諸島、台湾及上海付近とし之を確保す。右前線地帯の一部に於いて状況真に止むを得ず敵の上陸を見る場合に於いても極力敵の出血消耗を図り且敵航空基盤造成を妨害す。

実際、レイテ戦のために手薄になった駐留部隊の穴埋めのために沖縄から第32軍の精鋭部隊1個師団が引き抜かれ2/3となった兵力は補充されないまま沖縄戦を迎えることになります。
1944年の末には、すでに南西諸島守備軍、長勇参謀長は次のように明言していたという証言があります(吉川成美「死生の門=沖縄戦秘録」中央社)。

米軍が南西諸島や台湾に来攻した場合、中央にはこれを救済する手段はない。われわれは結局本土決戦のための捨て石部隊なのだ。尽くすべきを尽くして玉砕するのほかはない。

私が注目するのは、沖縄戦の無謀さそのものもありますけれど、この「帝国陸海軍作戦計画大綱」に盛られた「皇土」という言葉の意味するものです。よく先の方針書を見れば、沖縄は「皇土」には含まれていません。つまり中央の天皇制軍部・大本営にとって沖縄はもとから日本から除外された「皇国日本」を守るための完全な「外地」だったのです。そのことが方針には明瞭に書き込まれているのです。それでいて、沖縄県民には「皇国民」としての義務(天皇のために死ぬことを含めて)を果たすよう要求したのですからお笑いぐさです。
では、この見方が戦後いつどのように破棄され、否定され、沖縄は日本「本土」と同じ水準になったのか。72年の本土復帰を経てさえ、私が見る限り、日本の支配層のこの見方は昔も今も全く変わっていません。そう理解しなければ今日の異常な米軍・自衛隊支配の沖縄の事態は理解不能ではありませんか。

さて、そのような背景のもとで、沖縄では45年の2月から3月にかけて、第32軍は大規模な防衛招集を行い、17才〜45才までの一般人2万2000人〜2万5000人を防衛隊員として招集します。その後も軍は必要に応じて13才から60才までを根こそぎ動員。男子中学生は「鉄血勤皇隊」に、女子学生は看護要員として戦場に動員されていくのです。
米軍上陸ののち、日本軍は一般住民を巻き添えにこそすれ、住民のために戦う戦力であったことは一度もありませんでした。このことは「計画大綱」からの必然的な帰結であり、沖縄戦を語る上で最も重要なことです。
さらに住民にとっての悲劇は、あの「戦陣訓」に縛られた日本軍が住民に強要した「共生共死」という思想により、玉砕へと追い込まれていったことです。
この観点抜きに、沖縄の「集団自決」に軍の命令があったかなかったかを議論しても意味がありません。

2月8日には、それまで阿嘉島の本部にいて、慶留間島を訪れたことがなかった第二戦隊長が突然島を訪れ、分教場に人々を集めて、「敵の上陸は必至だ。敵上陸のあかつきには全員玉砕あるのみ」という玉砕訓示を与えた。3月20日には渡嘉敷島で、防衛隊に招集されていなかった17才未満の少年が役場に集められ、日本軍の兵器軍曹が一発は攻撃用、一発は自決用と説明し、手榴弾を二発ずつ配った。・・・・
また、「米軍が上陸したら女性は強姦されて殺される、男性は戦車でひき殺される(耳や鼻をそぎ落として殺される)」という言い方で、米軍の捕虜になる恐怖が住民に植え付けられていった。
                  謝花直美「証言沖縄『集団自決』」(岩波新書) 」


辺野古での新基地建設を執拗に推進しようとする日本政府・沖縄防衛局の動向をつぶさに見るとき、今から70年前のこの「捨て石」作戦、沖縄住民への棄民策から一歩も前に進んでいないことを痛感します。



  1月10日(土)
大糸タイムス1月1日号で、わが「バラ園」をとりあげてくれました。池田町の住民活動の1つをとりあげたいというので、記者の方が秋頃から取材を重ねて準備してきてくれたのでした。
次第に町民の中でも認知度は上がりつつあるのですが、独自に情報を伝えるのは実際容易ではありません。こうしてローカル紙に取り上げられることが一番の宣伝。本当に有り難いことです。


読んでみると、会の活動や考え方がよくまとめられており、コンパクトな会の活動紹介記事となっています。
バラの会の会員は確かに着実に増えてはいるのですが、いざ毎週バラ園に通って作業をするとなるとなかなか困難がつきまといます。それぞれの会員の家庭事情によって(介護者をかかえている方が多い)必ずしも毎週決まった時間に通えるわけではないからです。
それでも数名から10数名、毎週欠かさずバラ園に来て作業を続けてきたわけですから、大したものですね。
なんといってもきれいに咲いたバラに励まされ、さらに作業後にはおしゃべりの花が咲く。環境はいいし、実際いいことづくめなのです。これをお読みの方で、参加してみたいという方は是非体験を。
3月下旬に剪定作業を行い、4月から定例日の活動になります。6月には第4回目になるバラ祭り。今年は例年より少し面積を増やして見栄えのするバラ園を目指したいと考えているところです。

さて、2ヶ月にわたって里帰りしていた妻がまもなく松本駅につきます。私は車で迎えに。名古屋で旧友と会って、さらにお土産が増えたので改札口まで来てほしいというメールがありました。というわけで、今から(午後6時半)行ってまいります。



  1月8日(木)
しばらくぶりでPCに向かっています。余り更新しないのでMNEMOさんにも心配かけちゃったですね。この日記の1日の分はすでに別のPCに入っていて、ただこのhtmlファイルに出来なかったのでした。
ついでに言い訳をすれば、暮れから新年にかけては息子夫婦が来て、私は男おさんどん。続いて3日からは冬期講習で今日からようやく普段の生活に戻ったためにほとんどPCを開けることがなかったというわけ。すみませんでした。といいつつ、MNEMOさんに紹介していただいた縁側で一服し、半分凍り付いた干し柿を1つ取ってたべ、またPCのもとへ・・・。
下は昨日早朝の北アルプスです。


この10日には妻が2ヶ月ぶりに戻ってきます。沖縄もこの寒波で気温が下がって、夜9時過ぎに電話したら、母は「こっちも寒いよ。だからもう布団に入る」と言っておりました。今年は数え97才になる母の「カジマヤー」の記念すべき年。9月には今度は私も沖縄に行くことになるはずです。それまでしばらくのお別れ、しっかり親孝行してきなさいね、のりこさん。
ちなみに、「カジマヤー」とは「旧暦9月7日に行われる97歳の長寿の祝い。この年齢になると子供に帰るといわれカジマヤー(風車)をもたせて集落をオープンカーなどでパレードするなど、盛大に祝う」のだそうです(Weblio沖縄大百科)。親族一同勢揃いして、地域に同じ年の人がいればいっしょに盛大に祝うらしい。いったいどんなお祝いになるのやら興味津々です。

沖縄は別として、40代以下の人たちにとって、「あの戦争」を問うことはあまり実感の持てないことであるのは事実です。しかし今日まで「戦争」が切れ目なく続いており、局地的な紛争やさまざまな国家間の軋轢が依然として残っている現在において、あの戦争の記憶をさまざまな方法で継承し、若い世代の人たちが自らの意思でとらえていくことは、この日本においてはとりわけ重要なことだと思えます。
戦争というのは、単に為政者の行為としてある日突然もたらされるのでは決してないこと。ある意味では国民多数の熱狂(作り出されたものであるにせよ)が戦争を後押しするものであることを忘れるわけにはいきません。ひとたび経済が軍事化し、財界と軍部が結びつき、国粋主義的な勢力と結託するとき、戦争への方向は加速される。戦争利益集団が形成されるからです。この国では、あの戦争の総括もまともにできず、それどころか美化し、正当化し、他国民を差別することにおいて何らの痛痒を感じない勢力がはびこっているのですから、ますます始末が悪い。
70年前まで、この国の支配層が「鬼畜米英」と呼んだ「鬼畜」はいったいどこに行ったのでしょうか。メディアのみなさんにも聞いてみたい。
あれはそうでも言わなければ国民を動員できなかったのだとか、一部の狂信的な連中がかき立てたのだとかと合理化するのでしょうか。国民のいのちやくらしなどはそっちのけで、「国体護持」をポツダム宣言受諾の条件とすることに最後まで固執した歴史の重要なページを一体どう総括しているのでしょうか。政権を支持する議員のみなさんに聞いてみたい。

私が戦後70年を振り返ってこの国の政治を言うなら「幼稚」のひと言ですね。自分の頭で思考できないのは小学生にも値しない。
政府要人も官僚たちも、それなりに頭を絞って政策の立案やら方向付けやらに明け暮れているのでしょう。だが、たとえば、「予算要望のために上京した翁長知事との面会を拒否する、沖縄振興予算を今年度は削減する」というのはどうか。こういうのを「子どもじみた」というのではありませんか。
予算については、懲罰といえない以上何らかの説明をしなければなりません。官僚のみなさんはそのための策に「知恵」を絞っているのですから、端から見れば政治家も官僚も幼稚の一言です。
自国の利益ではなくアメリカの利益のために狂奔しているのに、日本のためだと自らに言い聞かせて沖縄県民を苦境に追い込んでいくのです。それに全く痛みも苦しみも感じない。「悪の凡庸さ」というのはこのようなことを指すのでしょうね。

私が持っている大量のビデオテープを少しずつDVD化しようと計画していてなかなか果たせないでいるのですが、その理由の1つが「つい見てしまう」ということにあります。これじゃどうしようもありませんね。
今日引っ張り出してきたのがドキュメンタリー「夜と霧」(1955年、フランス)。30分程度の短いものですが、よくぞ集めたと思われる衝撃映像のオンパレードで、何も知らない人が見たら絶対に目を背けるし、吐き気を催すに違いありません。だが、これが現実の一コマなのです。
日本は、あの当時どれだけアジア諸国で映像を記録してきたのでしょう。それだけの力も能力もなかったはずです。いまそれをいいことに、アジア諸国での蛮行をなかったことにしようとしている。「アジア解放」の戦争だったと。
戦争ということを考える場合に、この「夜と霧」は原点とも言うべき作品です。今だからこそ必見。



  1月1日(木)
明けましておめでとうございます。

大晦日遅くからの降雪で新年は雪の中。昨夕から息子夫婦が孫連れで「里帰り」して、そのため私はお節料理作りから元旦の食事の準備などで、それなりに時間を費やしていました。明日は息子夫婦にすべて任せて私はゆっくりする番です。

さて、今年はアジア・太平洋戦争の敗戦から70年の節目の年。我が尊敬する先輩の年賀状に次の一節がありました。

この戦争(15年戦争とアジア太平洋戦争)での日本軍の戦死者230万人の6割は広義の餓死者であったという敗戦が含んでいる無残な歴史的真実と意味とを、毎年新たに心に刻み、歴史への想像力を鍛え続けなければならないと思っています

安倍政権が、戦後続いてきたこの国のあり方を、戦争の方向へと大きく舵を切りつつある年だけに、この先輩の思いをいっそう強く共有しなければならないと思うのです。
とりわけ、沖縄の新基地建設をめぐって、政府は就任挨拶に出向いた翁長新知事を実に軽い対応であしらい、挙げ句の果ては道理も何もない建設強行の姿勢をとり続けているだけに、この政府の暴走は絶対に許すわけにはいきません。

沖縄県民の辺野古への新基地を許さないという民意は名護市長選、県知事選、衆議院選挙での選挙結果で明々白々。しかもすべて大差での結果です。琉球新報は社説で次のように書いています。

これは単なる現状変更の要求ではない。琉球王国時代は中国交易の利益を収奪され、太平洋戦争では本土決戦までの時間稼ぎの捨て石となり、サンフランシスコ講和条約締結時には日本独立の引き換え条件とされた。そんな「質草」扱いの史実を踏まえた意思表示だ。だからこれは、不可逆的な、後戻りできない要求なのである。

沖縄タイムスも同様に次のように指摘します。

鉄軌道導入計画の見直しや沖縄振興予算の大幅削減をちらつかせ、年明けから埋め立て工事を再開する構えさえみせた。・・・ これは弁解の余地のない「沖縄差別」であり、代表制民主主義の否定である。

沖縄県民に襲いかかっているこの恫喝・懐柔・民主主義否定の暴力的政治は、すでに全国民レベルでただいま進行中であり、沖縄ほどには目に見え無いだけの話ではないのでしょうか。
武器は輸出され、原発は再稼働され、憲法改悪も近い将来の日程に上っている。派遣労働者が2000万人を突破し、大企業と少数の高額所得者を除いては貧困と隣り合わせの日常に投げ込まれつつある日々。日本全国の基地周辺の事態は、沖縄と寸分違わぬ状態になっているこの国の姿。
誰もが、もし仕事を失ったら・・・家族の一人でも重病になったら・・・、介護が必要になったら・・・大災害が襲ったら・・・と恐れおののく生活になりつつあるのではないのか。

だとすれば、私の今年の課題は、第1に沖縄への新基地を許さないために全力をつくすこと。第2に、ちまたにあふれる歴史改ざん派の言説と対決し、一つ一つ粉砕していくこと・・・となるでしょうか。
70年は私自身が生きてきた歴史と重なるわけだし、生きた証としても大事な課題です。
もっとも一人でできることは小さい。力まず焦らずちょっとは前進したかという程度でも、とにかく前に進むことですね。当面はこのウェブ上での記事をこまめに更新していくことからはじめましょう。




top