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  12月21日(日)
ようやくちょっと暖かくなって、雪もかなり融けて道はほとんど乾いています。ただ日陰はまだ氷が張り付いて通行には気をつけなければなりません。写真下は2日前の朝です。


今日は妻から大量のバナナとシークワーサー、シャカトゥなどの果物が届きました。テーブルの上は一気に南国の様相。シークワーサーはもうすっかり甘くなってそのままでも食べやすい。ただ一人では食べきれないので、お隣におすそわけ。寄ったついでに茶飲み話をしばらく盛り上がっておりました。


さて今日の午前中は、公民館分館の最終イベント「しめ縄づくり」の講習会でした。すでに昨日ブルーシートを敷いて準備をしておいたので、会場は問題なかったのですが、果たして何人来てくれるのかだけが心配。しかしそれも杞憂に終わり、ふたを開けてみると広い集落センターがいっぱいになるほどの人数になって大盛況でした。
過去ずっとこうしたしめ縄づくりのイベントは公民館の恒例の行事として行われていたのですが、神棚もなく玄関に飾る習慣もない私としては特に関心も持たず来ていたので、実は全くはじめての経験。
参加した多くの人は、この行事で自宅のしめ縄をつくってきたようで要領は心得ており、10時から12時までの2時間で結構いろんなしめ縄を作っていました。しかも、ほとんど自分で藁持参なのです。やはり農村ですね。
参加者は子どもも入れて約40人。うち10人くらいは神社の氏子の皆さんで、例年一人の人が作っていたのですが、今年からはみんなで作ることになったといって一緒にしめ縄を作成。
しめ縄もその土地土地の作り方があるようで、こちらの地方の特徴は筒状の「やす」。形状が杯に似ているので「おちょこ」という人もいました。
私もしばらく一緒に縄を編みながら子どものころ石川県の祖母の実家で見た縄のないかたを思わず思い出してしまいました。いろりの端で見せてくれた、ない方の速さ、正確さ、美しさはやはり昔の農村の人ならではの「わざ」ですね。いまではそうした技を見ることはないのかもしれません。






  12月18日(木)
今朝は久しぶりに良い天気になりました。日差しが見られるのは久しぶりです。
ただし、午後早くから歯医者に行かなければならないので気分はいまいち。まだ白く凍り付いている県道を松本にむけて出発しました。
きっと相当時間がかかるのではないかと想像して早めに出たのですが、明科付近からは道には雪がなく、きれいに乾いていました。渋滞もなくスイスイといつもより早く進む感じで拍子抜け。途中からパトカーが前を走っていましたが、制限時速50キロのところを60〜65キロで平気で走っていてラッキーでした。パトカーって、サイレン鳴らしていないときでも制限速度オーバーしてもよかったんでしたっけ。
ふだんあまり見かけないほど大胆なおまわりさんでしたね。これからスピード違反で捕まっても言い訳ができます。控えておいたナンバーを言えばいいんだし。

歯医者へでかけたのは、奥歯の再治療のため。奥歯の一本が相当に深くやられていて、つい先日治療を完了したばかりだったのですが、神経を取らなかったためにしみたり痛みがあったりして神経をとってしまうことにしたのです。
麻酔は通常の1.5倍くらいの量。そのため口全体が麻痺して気分的にアゴが外れたような感じでしたよ。まだ何度か通わなければいけません。

松本は快晴。早春の雰囲気であたたかい。ところが安曇野にはいると雪が少し畑を覆って初冬。そして池田に入るととたんに雪が多くなって、こっちは本格的な冬です。大町まで行くときっと厳冬になるのでしょうね。わずか30キロくらいの間でこんなにお天気が違うのは全国でもあまり例がないのでは?

帰ってからは部屋の片付けに精を出しました。古くなったり壊れたりした家財道具を片付けをしているとあっという間に時間が経ってしまいます。
沖縄の妻から、農林高校で飼育した牛だという牛肉をどっさり送ってきてくれたので、麻酔が切れてからの夕食はビフテキ。あまりに大きくて食べきれなかった!!



  12月17日(水)
身体を動かさないせいか、ここしばらく「だる重い」感じが抜けずにいます。一昨日からの雪で今朝も除雪をして、あちこち痛くなって泣き面にハチ。
昼過ぎから冬型の気圧配置が強まったせいか細かい雪になって、ようやく池田町らしい冬です。
このような雪は除雪車も比較的作業しやすいだろうと思うのですが、夕方仕事で大町に向かったら途中から大変でした。
どんどん降り積もるので、除雪車もあきらめている様子。轍のあとを辿って走るのですが、道路は圧雪でガタガタ、走りづらいことこの上なしでした。
大町で仕事を終える10時近くになってまた驚いた。3時間の間にもう20センチほども積もっている。屋根を見ると、積雪はもう1メートルを超えているのではないかと思われました。この調子では雪国では恐ろしいほどの積雪になっているはずです。12月半ばにこんな積雪になるなどというのは富山にいたときですらほとんど経験がありません。
沖縄でも夜は13度、昼でも15度ですから、午前中の電話では「かなり寒くなっている」と言っていました。明日もまだ強い冬型が続くようなので、うんざりです。



  12月16日(火)
今朝からまた雪が降り続いて、昼過ぎ仕事に出かける頃には道路は真っ白、車の上にも10数センチの雪が重く積もっていました。しかし、松本に入ると不思議、あんなに激しく降っていた雪が雨に変わって、松本市街は全く雪がない。なんだか狐につままれたような気がしました。太平洋側と日本海側のお天気の境界が大町ー池田から安曇野ー松本に変わってきたのかしらね。池田町はいまや日本海側の気候です。

センター試験まであと1ヶ月。入試準備の第3ラウンドの後半に入って、少しずつ成果が現れてきているように思えるものの、果たしてこちらの思いがどれだけ伝わっているのか。「熱っぽさ」がちょっと足りないなと反省しています。

年末に向けて、いろいろと片付けたり整理したりし始めています。10年もの間ため込んだ「ゴミ」が山積しているので、この際思い切って整理しようと奮闘中なのです。
何しろ本がハンパではない。故大久保氏の遺品(文庫本、新書など)が私の蔵書に混じって倉庫に山積みされていているので、何がなんだか分からなくなっております。本の整理というのは実はくせ者で、ある本に目がとまると大変です。作業がストップしてしまうのです。その誘惑に打ち勝ちながら、あと一週間ほどかけて年末大掃除を断固実行。

作業を一段落して寝る前にメールチェックをしていたら、お二人のかたからのメールが入っておりました。
お一人は、近くに住む友人。私の昨日の記事に対し「現在の選挙方式が歪んでいる」「選挙方式を変えるべきだ」という賛同のメールでした。この方は白馬で震災で困っている人がいればボランティアですかさずでかける熱血漢で、その行動力には頭が下がります。
もう一人は、東京に住む友人で、障害者運動に全生活をかけているお方。「沖縄の歴史的勝利に学びたいですね。」と書いてきてくれました。そのついでにある方のブログも紹介。「安曇野に住んでると、頭までクリアーになるんでしょうか(^_-)」とありました。
そのクリアな頭の方というのはどんな人かと調べてみましたら、ブログのタイトルが何と「安曇野賛歌『風よ、安曇野に吹け』」。え〜〜〜とびっくりです。
安曇野にお住まいなのかどうかも存じ上げない方ですが、私などとは桁違いの日本共産党「私設」応援団ぶり。ブログ、ツイッターを駆使して共産党のあれこれを拡散しまくっておいでだったのです。
ざっとブログを読む限り、「真の保守主義」「里山主義」を標榜するこのブログの主、北林あずみ氏の展開する議論に私は大変深い共感を覚えます。選挙総括で沖縄のたたかいについて触れられていたことが何より印象的でした。全くその通りだと感銘を受けました。
Kindleを持っていないので、氏の小説や論説を読むことはできませんが、いずれ何らかの方法で読んでみようと思っています。この方を知ってからまだ30分ほどしか経っていないので、いずれゆっくり読ませていただいて感想などを書こうと思います。

ところで、さっき本を整理していると書きました、その中で目にとまったのがドウス昌代さんの「敗者の贈物」(1979 講談社)。「敗者」とはもちろん日本政府。「贈物」とは日本政府が進駐する米軍に用意した慰安施設と女性たちのことです。雑誌「現代」に連載したものに改めて取材をし手を加えて完成したルポです。
ひょっとして、当時私は一度読んでいるのかもしれないのですが、全く記憶に残っていないところをみるとあまり関心をもっていなかったのかどうか。従軍慰安婦問題に関する本を10数冊も読んでしまった今となると、終戦直後の米軍用「慰安施設」に対する日本の考え方が実は戦争中の考え方と地続きであることがよくわかります。
人間は自分に似せて相手の心と行動を読むものです。

(近衛は)日本兵が「軍規弛緩し民家に入りて物をとり婦女を陵辱する」ことを戦時中も、彼はたびたち口に出して憂えていた。中国本土やアジアの諸国で、日本兵による強姦・輪姦は日常茶飯事のことだった。それと同じことが、日本の女性に起こらないと誰が確約できようか。

「防波堤」「性病予防」という名目で慰安所作りが急速にすすめられていくのですが、内閣の命を受けて警視総監坂信弥がその任にあたります。警察の管轄で慰安所づくりがすすめられるのですが、実務担当者は部下に「これは警察本来の職務とは違うので、すべて口頭の命令でやること」「書面は残すな」と念には念を入れていることが明らかにされています。これも戦時中の「慰安所」づくりに通ずるものですね。

「敗者の贈物」もまだ20ページぐらい数十ページ読んだところなので、いずれまた感想を書くことにしましょう。とにかくあっちに手を出し、こっちにも・・・という具合で、全く支離滅裂な状態。おやすみなさい。



  12月15日(月)
昨日の朝は10数センチの積雪。はじめてブルが出動しました。朝6時半頃起きて除雪。7時半頃投票に出かけ、そのあとは年賀状の印刷に精を出しました。沖縄の妻に送ると約束していたのをようやく今日済ませたのでした。お米やら干し柿やらといっしょに発送して一休み。


沖縄のすべての選挙区で「建白書」の統一候補が自民を破って勝利したことがこの選挙の最大の特徴だと私には思えます。とりわけ那覇を含む一区で、当初危ないといわれていた赤嶺さんが勝利したことはなんと言ってもうれしいことでした。現地の妻からは「夜遅くになってようやく当確がでてホッとしている。沖縄県民もなかなかやるものだ」というメールが届いて喜びを分かちました。
自公で2/3とあたかもこの選挙で大勝したようにメディアは書いていますが、実際には自公で改選前と変わらず(自民が減った分を公明が吸収した)、ヘコんだのは自民よりまだ超右翼の「次世代」であって、自民の批判票として真の受け皿になって大躍進したのは共産党でした。
次は選挙前の「東スポ」のコメント。なるほど。

自民党圧勝とはいえ、安倍政権にとって共産党躍進は捨て置けない。
政府関係者は「選挙結果は海外にも伝えられます。その際には共産党の躍進もニュースになります。アベノミクスと対極にある共産党が勢力を伸ばしたことは、海外の人たちからすれば『アベノミクスは必ずしも国民の心をつかんでいない』とみられるはずです」と指摘。
共産党はアベノミクス批判以外にも消費税増税の中止を訴えるなど、すべてにおいてアンチ安倍政権。キラキラ旋風の獲得議席はいかに。


民主と自民とが競り合う選挙区は多く見られたけれど、結局民主に人気がなかったこと、安倍政権の本質がまだ十分わからないうちに解散総選挙になったことなどが、自公、民主の議席配置が解散前とほとんど変わらなかった要因ではないのでしょうか。
それとともに自公2/3は小選挙区制度のもとでいびつにつくられた議席であることは重大です。比例で見ればわかるように自民単独では40%にも及ばず、公明と合わせてようやく過半数ぎりぎりの得票なのですから、自民党が信任されたということには決してならない。
実際、比例でとった議席の比率で475議席を配分し直してみると、自民180、民主92、維新79、公明65、共産53ということになる。自民党は実際には100議席以上上乗せしているのですから、この選挙制度がいかに民意から離れているか明らかです。
だとすれば、このあとアベノミクスの破綻、原発再稼働、消費税の引き上げ、憲法改悪への踏み込みなどを通して国民との矛盾は激化せざるを得ません。
矛盾の多くはおそらく選挙に行かなかった人に集中しているとさえ思えます。政治には期待できない、誰がやっても同じ、という覚めた見方、あきらめ、苛立ちが庶民の暮らしの底辺に蔓延している。若い世代のなかでそれを克服できなければこの国には未来はありません。ここに、この選挙が示すもう一つの課題があるといえるのではないでしょうか。



  12月12日(金)
雑誌「世界」1月号に高橋哲哉さんへのインタビュー記事が載っています。題して「極右化する政治=戦後70年という岐路を前に」。
まず高橋さんは、第2次安倍内閣の閣僚に右翼団体である「日本会議」(国会議員懇談会)に所属する議員15名(改造後)、神社本庁とつながる「神道政治連盟」(国会議員懇談会)所属議員16人が連なり、「極右政権」といえる色彩をもっていたことを指摘。同時に、ネオナチ団体や在特会幹部と写真におさまった高市早苗、山谷えり子、東京裁判否定、侵略戦争肯定派の稲田朋美など極右体質の閣僚、政党幹部を配置した安倍内閣の特異性に注目しています。
こうした安倍内閣の極右的性格は、海外のメディアからは大きな関心と注目を集めているにもかかわらず、日本ではほとんど報道されることがないという異常性にも言及、「日本の多くのメディアは政府に対する監視者の役割を放棄しており、事態は深刻です」と述べています。
さらに高橋さんは、「朝日新聞の「従軍慰安婦問題」での「誤報」撤回に端を発した朝日たたきと元記者への人身攻撃が醸し出す危うい空気はまさに「ファシズム時代の現象」であると警告を発しているのです。

「自民単独でも2/3を超える議席を獲得か」などという誘導記事を見ていると、先に紹介した清沢洌「暗黒日記」の次の一節が心に響いてきます。

日本国民は今はじめて「戦争」を経験している。戦争は「文化の母」だとか「百年戦争」だとかいって戦争を賛美してきたのは長いことだった。僕が迫害されたのは「反戦主義」だという理由からであった。戦争はそんなに遊山に行くものなのか。それを今、彼らは味わっているのだ。だが、それでも彼らが、ほんとに戦争に懲りるかどうかは疑問だ。結果はむしろ反対なのではないかと思う。・・・・
日本で最大の不自由は,国際問題において対手(あいて)の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない。この心的態度をかえる教育をしなければ、日本は断じて世界一等国となることはできぬ。総ての問題はここから出発しなくてはならぬ。
日本がどうぞして健全に進歩するようにーーそれが心から願望される。この国に生まれ、この国に死に、子々孫々もまた同じ運命を辿るのだ。いままでのように蛮力が国家を偉大にするという考え方を捨て、明智のみがこの国を救うものであることをこの国民が覚るようにーー。


1945年(昭和20年)1月1日、彼はこのように書き、さらに「文筆的余生を国民の考え方転換のために捧げるであろう」とその強い決意を書き付けています。しかし、敗戦に先立つこの年の5月、おそらくは自分でもそのような運命だということは全く知らず、急性肺炎のために55才の生涯を閉じたのでした。



  12月11日(木)
ノーベル平和賞でのマララさんの受賞スピーチがテレビで何度も取り上げられていました。「学ぶ」ことがこれほど形式化され義務化され、あるいは軽んじられているこの国において、彼女のひと言ひと言がその「教育」の実態に突き刺さっていくのですから、注目しないわけにはいかなかったのでしょう。
演説内容の的確さ、構成の見事さ、そして彼女の堂々たるスピーチの仕方という点では、近頃の大人の演説も遠く及ばない名演説だと思わされました。
彼女に比べてこの国の子どもたちは・・・などと比較する向きがあるかもしれませんが、私は全くそうは思わない。なぜなら歴史がこのような少女を生み育て作り上げていくのですから。つまり、この国においても、家庭の努力と学校や地域の人々のたたかいの中で第2,第3のマララが生まれるだろうと確信するからです。
それゆえ、私にはむしろこ彼女が育ち、銃撃され、それにも関わらず大勢の人々の支援の中で命ながらえて、子ども達の将来の教育のためにたたかおうと志を固めた、その環境と歴史に大いに興味があるのです。
この国でも少なからぬ子どもたちがこの演説に触発され、自分の置かれている立場、環境、育ってきた地域や日本、世界の問題を考え始めるだろうと思わずにはいられません。

教育の力がどれほどのものかを支配者もまたよく知っているがゆえに、都合の良いように作り替えていくのは歴史が証明する通りです。マララさんが言う「教育」が、実は自らのためではなく、「国」や「企業」にとって都合の良い内容と方法を植え付けるものであるとすれば、それは彼女の望む方向とはまるで逆だと言わなければなりません。彼女のスピーチには次のような一節があります。

なぜ世界の指導者たちは、途上国の子どもたちには読み書きなど基礎的な能力があれば十分、という見方を受け入れるのでしょうか。彼らの子どもには、代数や数学や科学や物理の宿題をさせながら。
指導者たちは、全ての子どもに無料で、質の高い初等・中等教育を約束できるように、この機会を逃してはなりません。


「全ての子どもに無料で、質の高い初等・中等教育を約束できるように」というところを見逃してはならないでしょう。日本の子どもたちには、有料で(無償であるはずの義務教育で何故これほどにお金がいるのでしょう)しかも差別的な仕組みを拡大しながら、あるものは高学歴に、あるものはほどほどにという教育がますます幅をきかせているのですから。

マララさんのスピーチ(英語)
マララさんのスピーチ(日本後)



  12月10日(水)
昨日の午後、松本での仕事の直前に、駅前で共産党志位委員長の街頭演説があったので、出かけてみました。
天気はよかったのですが、日も傾いて寒さがハンパではない。そんな中、初めは300人ぐらいでしたが、志位さんの話が始まると次第に増えて500人くらいになったでしょうか。
演説の内容は、いろいろな機会に(ネットも含めて)聞いていることだったのでそれほど新味はありませんでしたが、わかりやすい内容でいちいち共感できるお話でした。頭の中できちんと整理されているので、他党の党首のようにとりとめのないような話とは比較にならないくらい理路整然としている。同時に、志位さんの前の選挙区の候補、比例の候補の力のこもった挨拶が印象に残りました。「明日(今日のこと)は沖縄に行く」と言っていましたから、今日は妻が那覇のどこかで演説を聞いているかもしれません。
写真上は私が撮影したもの、下は志位さんのブログから借用しました。




今日夕方仕事に行く前に、ビデオを返すためにツタヤに寄ったついでに本を見ていたら、かなり前から知ってはいたものの手に取ることのなかった大下英治さんの「日本共産党の深層」が目にとまってつい買ってしまいました。
この本はAmazonのイデオロギー部門(そんな部門があったんか)第1位だそうで、結構売れているらしい。授業の前と家に帰ってからの合わせて2時間くらいで読み終わって、ちょっとした感慨にふけっています。
共産党の幹部や議員からの丹念な取材を重ね、その生い立ちにさかのぼって共産党の生の姿を明らかにしようという姿勢で一貫していて好感が持てます。先入観は一切なく、さりとて共産党寄りのひいき目ということもありません。取材を通して共産党の優れた面が否応なく明らかにされていくという感じです。また、いろいろな人たちが素朴に持つ疑問などにも丁寧に答えるという内容になっています。
この本を通してあらためて気づかされたのですが、「第3極」の化けの皮がはがされ凋落が明らかになるにつれて、自民党の悪政の受け皿として共産党の存在がいやが上にも押し出されてきているのが現在の政治的な局面であること、それは90年を超える政党の歴史の中で作り上げられた綱領の生命力、勤労国民の立場に立った粘り強い活動を通して作り上げられた信頼と力のたまものであること、そして、もし2大政党というのであればそれは自民党と共産党なのだということです。おそらくその流れの中で、今回の衆議院選挙での共産党の得票、議席が決定づけられるはずです。
今は無理かもしれないが、20年後、30年後には共産党の閣僚を生み出すことも夢ではないという松本善明さんの言葉が最後に紹介されていて印象的でした。
参議院選挙東京選挙区で当選を果たした吉良よし子さんの生い立ちや選挙活動の紹介に沢山の紙面をさいているのですが、著者が注目しているのはこの党が若者の感性と生活実感に最もフィットし、かつ引きつける魅力を持っているということ。そう思って今度の選挙の候補者を見てみるとずいぶん若い。若い候補者が沢山でていることに驚きます。頼もしい限りですね。
今度の選挙を足がかりに、安定して20%、30%の支持を獲得できるように出来れば日本の政治は間違いなく変わる。戦争への道は平和への道に切り替わるでしょう。
もちろんその過程では権力とのしのぎを削る壮烈なたたかいが繰り広げられることになるでしょうが、沖縄の人々のたたかいのように、かならず多数者への道はひらけます。それが単なる願望ではなく現実的な道として展望できることを、この本ははっきりと示してくれていると私には読めました。



  12月9日(火)
朝から深い霧。昨日も今日も早朝は零下5度くらいで、外は氷付けです。
一日たってもハルちゃんの様子がおかしい。相当にヘコんで、外にもでず部屋の隅っこでうずくまっています。幸い食欲はあるのでとりあえず安心ですが・・・。

メディア各社から選挙中盤の情勢なるものが発表され、自民単独でも2/3を上回るのではないかとの「予測」が流されています。まったく腹立たしい。
今回は、民主への幻滅が去らず、「第3極」をメディアが持ち上げた「維新」「みんな」「生活」などがへこんでその分自民党を利しているにすぎません。自民党と大差ないかそれよりも右が少なくなるだけですから、「より大きな」政権政党に一定の期待が集まるのは、一時期の現象としては当然あり得ることです。
一方で、マス・メディアがどの党にも「風が吹いていない」といいつつ、共産党が倍増するかもと予測しているのは何とも不思議です。メディアが検証しなければならないのは、国民の不安や思いに照らしてそれを解決する道筋はどのように示されているのかを示すかであって、風が吹くとか吹かないとかではありません。
たとえば「原発問題」。どの世論調査でも過半数が「原発ゼロ」を望み「再稼働」=原発頼みのエネルギー政策に賛成する人たちはそれほど多くはありません。
琉球新報は、「原発の危険性は変わっていない。福島の過酷事故の教訓をないがしろにしてはならない」と訴えています。メディアの役割を何とか果たそうとしている必死の努力の現れであると私には思えます。
「消費税増税」はどうか。10%への増税延期を「評価」はしても、増税そのものに賛成する人はこれもそれほど多くないのです。むしろ圧倒的に「増税するな」なのです。
さらに、安倍さんがテレビで「この道しかない」という「アベノミクス」はどうか。
賃金は上がらず、相次ぐ物価高で家計は火の車、中小企業は年の瀬も越せないというのが実感。株高で大もうけをしているのはどこの誰かを考えればその実態は明らかです。
たとえば、沖縄タイムスは社説で「野党が批判するようにアベノミクスの「副作用」とも言える大企業と中小企業、富裕層と庶民の経済格差は顕在化している」と書く。各社は庶民の生活実態や非正規雇用労働者が投げ込まれている実態にもっともっと鋭いメスを入れるべきでしょう。
ついでにいえば、「幻想」で票をかすめ取るために自民党や民主党はいったいどれほどの「政党助成金」をテレビ各社に注ぎ込んでいるのか。こんな宣伝のために支持してもいない政党に私たちの税金が使われているのですからね。(ひょっとして自分の出した税金でこんな宣伝が行われているとは誰も思ってないかもね)
これらに対してまともな政策(マニフェストなどともったいぶらなくてよろしい)を対置しているのはどの政党なのか、言行一致でそれを訴え実行に移してきたのはどの政党なのか、いい加減な思い込みではなく正確な検証を果たすことこそメディアの役割だと私は思うのですが。



  12月8日(月)
73年前(1941年)の今日はあの無謀な太平洋戦争に突入した日。この一年、ずっとあの戦争を追跡し、その実相をつかもうといろいろ本をあさってきました。まだまだ知らないことが多すぎて、ただただ知ること、考えることを続けなければならないと思い知らされています。
いま注目しているのは当時の知識人たちの頭の中と行動。その1つが昨日紹介した安曇野穂高出身の清沢洌です。今日も時間に任せて2冊目をほぼ読み終えましたが、敗戦1年前のこの国の状況がリアルにとらえられていて、当時の実相を知るにはかっこうの教材です。
もう一つは、当時すでに10年以上も獄中につながれいた共産党幹部、宮本賢治と宮本百合子の往復書簡「十二年の手紙」。文学者であり革命家あった賢治と作家の百合子の思索の中から、あの当時にどれだけ優れた知性があったかをくみ取ろうというわけです。前巻はかつて読んだことがあったのですが、今回上下あわせて読もうというわけ。清沢洌とはまた違った側面から当時の実情を明らかにできると思うのです。どれだけ秀でた知性が当時あったかも知ることが出来るはずです。

さて、今日午後2時ごろのこと、飼い猫のハルちゃんが全身ずぶ濡れで帰ってきた。ネコはちょっとでも水に濡れることをいやがるのに、これはまたどうしたことか。足を滑らせて川にでも落ちたのか、誰かに水をかけられたのか・・・。頭はぬれておらず、それ以外が水浸しだったからやはり川に落っこちたのでしょうか。
すぐに全身を拭いてやって、暖かいところで休ませてやりましたが、相当にショックだったらしい。落ち込んで口もきかない。飯も食べない。その後仕事に出かけて夜遅く帰ってきても、様子は全く同じ。
川なら溺れなくてよかったし、私がいる時間に帰ってきたからすぐに拭いてやれてよかった。そうでなければ、大変なことになっているところでした。
ハルも人間の年でいえばもう50才くらい。だいぶ年なのだから、川にも落ちるか・・・。2,3日すればたぶんまた快復するでしょう。

沖縄にいる妻が風邪を引いたというので、今朝電話したら母が出て「もう出かけたよ」という。夕べまで調子がわるかったようだけど、もう良くなったらしいと、しっかりした口調で話してくれました。しかも、今日は「ラッキョウを植えたよ」とも。95才というのに、何と矍鑠(かくしゃく)としていること。
仕事から帰ってもう一度電話して沖縄の状況をいろいろ聞きました。今日は雨。那覇で20度前後ですから、寒くはないらしい。
現在那覇を中心に赤嶺さんの応援をしていてチラシを配ったり証紙張りをしたりと忙しそう。活動の中で、いろんな人と知り合いになれてよかったと話していました。



  12月7日(日)
清沢洌の暗黒日記がおもしろい。アメリカに渡り苦労して学んだ経験を持つだけにその視野は広く、太平洋戦争時の日本政府や言論界、軍部の精神主義、官僚主義、形式主義などへの批判は容赦がありません。
この「暗黒日記」(彼自身は「戦争日記」とよんだ)というのは、彼が後に歴史研究の材料とするつもりで書きためたもので、特徴的なのはその時々の新聞切り抜きが非常に多いことです。
第一冊目は1943年の記事で、まだ書いていることにもゆとりが感じられるのですが、二冊目の1944年(昭和19年)になると、俄然緊迫感が増してきます。日本の敗北が色濃くなっていく状況を様々な角度から描き残そうとしているのがわかります。
私の読書はまだ二冊目の途中で、このあとの展開が気にはなりますが、ここまでのところをまとめる意味で、この年の最初の部分にしぼって彼の記録(抜粋)を読んでみることにしましょう。
本文中に載せられている新聞切り抜きはファイルとしてリンクしてあります。

1月6日
右(下のファイル)は昭和19年1月--戦争4ヵ年目に現れたる新聞調の代表的なものである。国際的には大東亜宣言、国内的には食料問題の行詰まり、武器の近代化の必要に面している時に、言論界は依然、神がかり的なものである。斯くして戦争に克ち得るか。
どこに行っても戦争の前途に対して心配している。
暗黒日記1月6日切り抜き

1月7日
昨年暮(12月28日)に発表された食料確保政策(食糧自給)は、農村から徴用をして、その方面に人手が不足してきたことに慌てたからだという。熱海で聞いたことだが、本年は(米が)千3、4百万石も足らぬだろうという。・・・
盛んに人口疎開を政府はやっている。かつては東京を去る者は非国民みたいにいわれたものである。封建的感情論がギリギリ押されていく。

1月12日
『読売新聞』『朝日』等が大東亜宣言を盛んに書いている。政府の意思なること明らかだ。ただこれをなすのに、例えば斉藤忠、中野登美雄{早稲田大学教授、政治学部長}(『朝日』)などに書かす。この帝国主義者--極端の右翼が「大東亜宣言」をいってもおそらく日本以外は信ぜざるべし。狼が羊の啼き真似をする如し。

1月14日
海軍でも盛んに擲(なぐ)る由にて、爪の先にて地上に一時間もさかさになっている由。とてもひどいという。これが最高学府出身者に対する訓練なのだ。嶋中夫人の話しでは、真也君の同輩は便所の中で自殺したとの事。彼等は訓練とは、こうした事を考えているのだ。

1月22日
戦争カゼもユダヤ人の謀略である旨、ユダヤ研究家が発表している。これが「昭和日本」の知識標準だ。
暗黒日記1月14日切り抜き

1月24日
昨日の議会で鶴見君の質問に対し、東条首相答う。
今回の戦争で明らかにされたことは「侵略」「他民族隷属」ということが悪事だということである。不思議なことは両方(日米)共、そういうのである。日本側の言い分は1月24日の東条首相の言によって代表さる。1月24日の予算総会。
暗黒日記1月24日切り抜き

1月26日
議会で英語のリーダーが、なお「英国的」だという質問があった。皇道主義の岡部文相、これには恐れ入って直ちに変更をその場で言明。
暗黒日記1月26日切り抜き

2月6日
どの新聞もが「元寇の乱」以来の大問題として総蹶起を第1ページ以下に掲げている。頭山満を『朝日』はかつぎ、徳富蘇峰を『毎日』がかつぐ。
暗黒日記2月6日切り抜き

2月7日
今朝の新聞はいずれも英米に対する敵愾心の昂揚を目がける記事を掲げている。おそらく軍部か、情報局あたりで作ったものを載せたのだろう。殊に『朝日』のものが強い。(アメリカが)「日本人を殺せ」と絶叫しているというのである。問題はこうした仇討ち思想で、世界の同情を集め、また戦意の昂揚に役立つかどうかだ。

2月10日
日本が仮に敗戦する如きことあらば、被告の位置に立つだろう。そうした場合に、日本は日本の行為を弁解せねばならぬ。そうした準備は、外務省でも出来て居らず、不必要だと考えている。また「米国白書」の研究すらもやって居らぬ。況んや世界的新秩序をや。これではとても駄目である。
日本の教育は広範に考えることを不可能ならしめるらしい。
前晩の常磐では米がなく御飯がでなかった。
桑木博士は今日は家に米が少しもなかったといった。 柳沢健君の娘が学校に行くのに、弁当を持たせてやるが、女中がその中から盗んで食うという。いえば出て行かれるし、どうにもならないと。・・・いずれも食糧問題の逼迫をいわざるはない。食糧問題から悲観説が現れている。

2月14日
敵の俘虜虐待宣伝は、習慣の相違にもよろう。日本では罪人を打ったり擲ったりすることは全く何でもないのである。然るにこれを米英に行くと大変な人権問題だ。日露戦争の頃は「国際法」というものが、厳格な手本であった。それに準ずれば俘虜優遇の事実が生まれる。第1次戦争の頃もそうだった。今や日本復古精神によるのであり、英米人優遇は「英米的」であるから、自然極端になるのであろう。いつか俘虜管理官小田島[薫]大佐が「日露戦争の頃は西洋崇拝的であったから、現在は日本主義的にした」と言っていた。こうした小さな事--影響は決して小さくないが--においても、今回の戦争の復古主義的性格を見るを得よう。

2月18日
大東亜戦争の責任者たる徳富蘇峰---
近頃の新聞とラジオは、ますます精神的になっている。そして全然見透しを謬った連中が、処得顔にのさばっている。徳富、斉藤の如きが然りだ。
暗黒日記2月18日切り抜き

3月10日
大東亜戦争勃発の責任者が少しも責任を感ぜずに、「運命論」と「先見」を以て誇っているのが、この講演でも分かるであろう。予は将来、こうした無責任なる論者を指弾すべき責任を持つ。
世界において斯くのごとき幼稚愚昧な指導者が国家の重大時機に、国家を率いたることありやーーー僕は毎日、こうした嘆声を漏らすのを常とする。
帝大の某教授(辰野隆氏)[文博・東京帝大教授]曰く「東条というのは中学生ぐらいの頭脳ですね。あれぐらいのものは中学生の中に沢山ありますよ」と。・・・・
日曜を3月5日から全廃した。学校でも日曜を授業しうるよう法令を改正する。余計時間をかけることが、能率をあげることだと考える時代精神の現れだ。
米英が鬼畜であるとの宣伝が行き渡っている---・・・ 日本人に子を生ませないように、睾丸をとるとか、あるいは孤島に追いやるとかいうことも、一般人の間には信じられている。

3月12日
海軍に優秀な青年が争って入隊した。その優秀な学徒が、今やほとんど全滅の機運に瀕している。日本は彼らにまつべきものが多かった。その彼らが死滅す。国家の損失、何物かこれにしかん。嗚呼。今回の戦争でこれが最も重大なることだ。

3月14日
ある人が、僕の家に砂糖1貫目百円だが買わないかと言ってきた。聞いてみると他では120円で買ったそうだ。公定は3円ぐらいである。約40倍の値だ。

3月15日
記者旅客制限をなし、今後、百キロ以外は警察が証明を出すことに決す。寝台車、食堂車全敗。ひどい制限である。・・・
いつも言うことであるが、一般民衆にも「戦争」というものがどんな味のするものかが分かるだろうと思う。

4月1日
銀座を通ってみる。半分近くは戸を閉ざし、どの食物屋の前を通っても百人前後に達する長蛇の列である。腹にたまらぬ飯を食うのにこの騒ぎだ。
・・・ 本日から全面的に値段があがる---郵便、汽車、租税、その他何でもかでも。また汽車には警察からの許可証がいることになる。・・・
陸軍と海軍の感情的対立は、すでにボイリング・ポイントに達している。日本の前途はこれに表徴されるところが多い。

4月2日
平川君という米国大学の文科出身者が、日本の、しかも東京の電気屋が修繕し得ないものを直してくれるのだ。冷蔵庫、ワッフルのアイロン、その他ことごとく然り。
形式主義の日本的教育と、考えることを教える教育との相違ここにあり。


切り抜きの記事では、戦争中の「読売」「朝日」がどのような新聞であったのかが赤裸々に暴かれます。今となっては想像することもできないようなおぞましい表現であふれていますね。ただし、たとえば1月24日の東条演説の記事についていえば、決して過去の言説ではないこともまた明らかになると思います。
当時すでに清沢洌によって当時の言論界や政府の戦争政策が完膚なきまでに批判されているにもかかわらず、今日にいたるまで右翼的な潮流によって「大東亜戦争肯定論」がひろくばらまかれ、いまなお歴史が改竄され続けているというのは異常と言うほかありません。よく彼の本文を読んでみると、今日にいたる国民の側の問題もまた指摘されていいるのです。
私は、ここに収録されたさまざまな事象が「かつて存在した」事柄ではなく、直接に今日に連続している事象なのだと思わずにはいられません。わずか70年前の出来事でもあるのですから。
彼自身は、戦前・戦中の歴史を書くことは出来ませんでしたけれど、その遺志をついで、私たちがしっかりとその歴史の実相をえぐり出しておくことが大切なのではないでしょうか。



  12月6日(土)
今期一番の寒波の影響で、12月初めというのにこの積雪。池田町でも3,4センチのフワフワの雪が木々を覆って、寒い寒い。




こんな日は温泉に限ると、昼過ぎから穂高温泉郷のいつも湯にでかけました。昼まだ早い時間では来ている人も2,3人ですから、のんびりと湯につかっていられます。家で風呂に入るのとは違って暖まります。
小谷・白馬の被災地のみなさん、こんな生活ですみません。なぜか、温泉に入りながら3年前に支援に行った女川で、自衛隊の方々が設営した大きな風呂(温泉!)に入れてもらったことを何故か思い出してしまいました。
沖縄では、妻が風邪を引いたらしく寝込んでいるのだとか。毎日那覇に通って選挙の応援をしていたから疲れがでたんでしょうか。早く良くなってほしいものです。

麻生財務相が今日松本に来て、言いたい放題の暴言をはいたことがニュースになっています。曰く、株価上昇、円安で「その結果として企業は大量の利益を出している。出していないのは、よほど運が悪いか、経営者に能力がないかだ」。他の県でも何カ所か同じことを言っているらしい。それにしても、自分で言っている意味がわかっているのかしらん。この人。
朝日新聞が報道しているので、安倍、麻生内閣にすればまたまた「カッチーン」と来たんじゃないでしょうかね。
株価上昇も円安も企業努力ではなく、円安に誘導して輸出を増やせば消費が増えると見た政府・日銀の政策誘導にすぎません。その結果はどうだったか。消費税の8%への引き上げによって消費は落ち込み、とくに中小企業では企業努力ではどうしようもないほどの状況となって襲いかかっているのです。それを、「運」「経営者の能力」と切って捨てるこの人が財務大臣をやっているのですからね。(表はいずれも「しんぶん赤旗」11月6日付けより)
あるサイトには麻生発言について、こんなコメントが書き込まれていましたよ。
「実はアベノミクスは成功していない。逆に利益を出せるのは自民に政治献金している証券会社、大企業のみ。中小企業は死ねということ」
「なるほど、こんな人が財務省の時代に生きているのは確かに不運かもしれない」
「政府としては内需なんて知らんということか」
「円安株高が景気回復に及ぼす影響は僅か。消費税+3%で吹き飛ぶ程度。それが分かったのがアベノミクスの成果」
「100万回落選して欲しい」
中小企業の経営者の方々には同感される方が多いのではないでしょうか。

そういえば、今日とっている地方紙の更新に来た取次店の方が、ある全国紙が伸びて地方紙も影響を受け結構大変だという趣旨のことを話していきました。朝日の減少分を吸収して伸ばしているということなのか。
戦前、日本軍の「大戦果」報道の競い合いをやって部数を伸ばしていったあの頃のことをもう少し考えて見てもいいのではないですか。その結果、敗戦後何と言って再出発したのでしたかね。



  12月5日(金)
午後から雪がちらつき始め、夜10時頃には3,4センチの積雪。田圃も道路も白くなっています。明日朝までには数センチほども積もる気配です。早めにタイヤを替えておいてよかった。
10時過ぎ大町から池田に向かうと、本格的な冬型の気圧配置ならば池田ではほとんど雪がないのですが、今回は池田に近づくほど雪が多くなっている。「上雪」現象ですね。南の方ではもっと降っているのでしょうか。

沖縄では、任期切れ直前(4日前)の仲井眞知事が政府から出されていた辺野古新基地の工法変更の申請を承認したとのニュースが流れ、県民の怒りに油を注いでいます。地元2紙は、号外を出すほど。
最後っ屁にしてもあまりにひどい。醜悪、愚劣、厚顔、下劣・・・せめて引き際をきれいにしておけば、多少同情も買ったのでしょうが、最後までひどかった。ま、これで沖縄の自民候補は全員落選でしょうね。安倍も同罪です。

さて、アメリカでは黒人男性に対する警察と司法の人種差別的暴挙に広範な怒りと抗議が巻き起こっています。黒人男性の‘I Can’t Breathe’という悲痛な叫びが何ともいえない響きを伝え胸苦しさを覚えます。
ニューヨークタイムスは「逮捕」の映像を分析したり、抗議デモが広がっている様子を刻々と伝えていますが、アメリカ社会をむしばむ黒人差別の底なしの実相を垣間見る気がします。

ところで欧米の主要紙が相次いで日本の歴史改竄問題、慰安婦問題について意見や社説を掲げて、日本政府もかなり敏感なっているらしい。
読売新聞が「英字紙で性奴隷という表現を過去に使ったのは誤りだった」との訂正・謝罪記事をつい先日発表しましが、これについてはかなり多数の新聞が取り上げていましたね。英ガーディアン紙は先月「日本の新聞、「性奴隷」の用語を戦時の報道紙面から撤回」と題する Justin McCurry氏(東京特派員)の記事を掲載。
主流の歴史学者や海外メディアの間では慰安所で強制労働させられた女性たちを「性奴隷」と表現しているとし、読売の記事は安倍政権の動きに呼応していることをはっきりと批判しています。(私のつたない概訳はこちらです)

これにつづいて、アメリカでもニューヨークタイムスが2日にはMARTIN FACKLERDEC氏(NYタイムス東京支局長)の見解をオピニオン欄に掲載。戦争の歴史書き換えをめぐって「日本の右翼勢力が新聞を攻撃」と題する詳細かつ激しい論説を展開していました。
この記事では、超国家主義者が元朝日記者の植村氏本人、家族に執拗な脅迫を行っていることを告発し、この動きが歴史修正主義者の河野談話書き換えの動きに拍車をかけているとも指摘。強制連行した明白な「証拠」は存在しないが、韓国をはじめとする国々の女性たちを軍慰安所で強制的に働かせたという事実は主流歴史家では常識であるとして、こうした動きに危惧の念を表明しているのです。
「これは新たな形のマッカーシズムだ」という山口二郎氏の発言も引用して、その論調はかなり激しい。 (この概訳はこちらです)

これに続いて4日の社説です。社説ともなると日本政府も黙っていられないのか、さっそく今日、世耕弘成官房副長官が「安倍政権が朝日新聞やその記者を攻撃している事実は全くない」と反論したと報道されていました。そりゃまあ、「火遊び」などと揶揄され、安倍政権が国粋主義的な情熱を駆り立てていると言われると頭に血が上るかもね。
社説のタイトルは「Whitewashing History in Japan」。whitewashというのは「しっくい」のことで「体裁のいいごまかし」の意味でもつかわれるそうです。これが動詞になると「(過失・欠点などを隠して)体裁をつくろう」という意味になる。「ウソで塗り固める」というようなもんですかね。
この「日本における歴史のごまかし」という題の社説は短いながら現在の安倍政権の危険な動きにふれ「安倍政権は、戦時中の歴史の改竄を求める勢力に迎合し火遊びをしている」と辛辣です。日本での人権感覚の麻痺状態があぶり出されるようですね。(この概訳はこちらです)



  12月4日(木)
週初めは仕事が立て込んでいるのでパソコンに向かうことができず、つい更新をサボってしまいます。そうこうするうちにもう12月。数日来、良い天気になったのはほんのわずかで、チラチラと雪が舞ったり(北アルプスから吹き流されてくる)冷たい雨が降ったりして寒い日が多くなっています。
いつドカッと雪がふるかわからないので、今年は早めにタイヤ交換を済ませてしまいました。

実は、昨日の朝、古くなった魚を食べたのが悪かったのか朝食後に突然強烈な吐き気を催して、一時はどうなることかと思いましたが、どうやら一過性ですんだようでホッとしています。ただし、まだ気分が優れないので、ここ一両日は安静にしているつもり。
できるだけ外食しないように、その都度調理するようにしているのですが、一人ではつい作りすぎて明日に持ち越しということが起こります。ちょっと油断したんでしょうかね。昨日はほとんど何も食べず、今朝はおかゆだけ。
お隣さんに野菜やらリンゴやらをたくさんあげたときに、そんな話をしていたら、お返しにリンゴジュースを作って持ってきてくれました。ありがとうさんでした。おいしかった。

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今日の信濃毎日新聞によれば、この総選挙で自民党が300議席を超える勢いという初盤の選挙情勢を載せていました。この民主党のていたらくと、小選挙区制度という現行の選挙制度のもとではさもありなん。今回も3割の得票率で8割の議席というこの選挙制度の弊害がまともに現れる選挙となるでしょう。新聞などはこの弊害については何も書かない。
投票先を決めている有権者の「投票先」で最も多いのは自民党の30.5%。民主党18.5%、共産党8.5%。これを全国完全比例代表選挙と仮定して計算すると、自民146、民主89、共産41ということになる。自民党が300以上をとることなどとうていあり得ないのです。
前回2012年の総選挙では、小選挙区での自民党の得票率は43%(全有権者比24%)。比例代表では28%(全有権者比15%)。この比例代表の得票率で議席配分すると、自民党はわずか134議席にしかならないのです。当時の東京新聞は「信じられないような世論との乖離」と書いていますが全くその通りです。

何度か党首討論会を見ていて感じるのは、各党の「党首」の品のなさ。訴えの軽薄さ。もちろん共産党を除いてですけど。日本の政党の劣化はここまで来たかと思わせるものがあります。
私には討論会で党首が何を訴えるかも大事だとは思いますが、それより「政党として」どのように準備がすすめられ、どのような政策をその準備の中でつくってきたのか、そこに民意はどのように反映されているのかという点をみたいと思うのです。
どういうことかというと、まずその政党が組織としてのしっかりした会議を開いて民主的に方針を決めているのかという点。新聞報道などで見る限り、共産党を除いてまともに議論して決めている政党はないのではありませんか。マスメディアはこうした政党の運営という点にも全く踏み込みません。

私は以前、日本共産党は政党助成金を拒否しているという一点でも支持するに値すると書いたことがありましたが、今日ではますますその思いを強くしています。
日本の供託金の高さは異常で海外からくらべても突出しています。その供託金を政党助成金から支出、何の痛苦もなく選挙では好き放題の政策を訴えているのですから、私に言わせれば「どのように」訴えようが、それは税金のうえにあぐらをかいた欺瞞的な虚言でしかありません。
自民党はこの上に、企業・団体献金を臆面もなく受け取っているのですから腐敗しない方がおかしいですね。案の定、疑惑まみれの候補も何の痛痒もなく公認候補としている始末。地元の有権者のみなさんは、それほどに寛容なのでしょうか。候補者は「1から出直す」といえば、水に流してくれるとでも思っているのでしょうかね。




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