今朝からまた雪が降り続いて、昼過ぎ仕事に出かける頃には道路は真っ白、車の上にも10数センチの雪が重く積もっていました。しかし、松本に入ると不思議、あんなに激しく降っていた雪が雨に変わって、松本市街は全く雪がない。なんだか狐につままれたような気がしました。太平洋側と日本海側のお天気の境界が大町ー池田から安曇野ー松本に変わってきたのかしらね。池田町はいまや日本海側の気候です。
センター試験まであと1ヶ月。入試準備の第3ラウンドの後半に入って、少しずつ成果が現れてきているように思えるものの、果たしてこちらの思いがどれだけ伝わっているのか。「熱っぽさ」がちょっと足りないなと反省しています。
年末に向けて、いろいろと片付けたり整理したりし始めています。10年もの間ため込んだ「ゴミ」が山積しているので、この際思い切って整理しようと奮闘中なのです。
何しろ本がハンパではない。故大久保氏の遺品(文庫本、新書など)が私の蔵書に混じって倉庫に山積みされていているので、何がなんだか分からなくなっております。本の整理というのは実はくせ者で、ある本に目がとまると大変です。作業がストップしてしまうのです。その誘惑に打ち勝ちながら、あと一週間ほどかけて年末大掃除を断固実行。
作業を一段落して寝る前にメールチェックをしていたら、お二人のかたからのメールが入っておりました。
お一人は、近くに住む友人。私の昨日の記事に対し「現在の選挙方式が歪んでいる」「選挙方式を変えるべきだ」という賛同のメールでした。この方は白馬で震災で困っている人がいればボランティアですかさずでかける熱血漢で、その行動力には頭が下がります。
もう一人は、東京に住む友人で、障害者運動に全生活をかけているお方。「沖縄の歴史的勝利に学びたいですね。」と書いてきてくれました。そのついでにある方の
ブログも紹介。「安曇野に住んでると、頭までクリアーになるんでしょうか(^_-)」とありました。
そのクリアな頭の方というのはどんな人かと調べてみましたら、ブログのタイトルが何と「安曇野賛歌『風よ、安曇野に吹け』」。え〜〜〜とびっくりです。
安曇野にお住まいなのかどうかも存じ上げない方ですが、私などとは桁違いの日本共産党「私設」応援団ぶり。ブログ、ツイッターを駆使して共産党のあれこれを拡散しまくっておいでだったのです。
ざっとブログを読む限り、「真の保守主義」「里山主義」を標榜するこのブログの主、北林あずみ氏の展開する議論に私は大変深い共感を覚えます。選挙総括で沖縄のたたかいについて触れられていたことが何より印象的でした。全くその通りだと感銘を受けました。
Kindleを持っていないので、氏の小説や論説を読むことはできませんが、いずれ何らかの方法で読んでみようと思っています。この方を知ってからまだ30分ほどしか経っていないので、いずれゆっくり読ませていただいて感想などを書こうと思います。
ところで、さっき本を整理していると書きました、その中で目にとまったのがドウス昌代さんの「敗者の贈物」(1979 講談社)。「敗者」とはもちろん日本政府。「贈物」とは日本政府が進駐する米軍に用意した慰安施設と女性たちのことです。雑誌「現代」に連載したものに改めて取材をし手を加えて完成したルポです。
ひょっとして、当時私は一度読んでいるのかもしれないのですが、全く記憶に残っていないところをみるとあまり関心をもっていなかったのかどうか。従軍慰安婦問題に関する本を10数冊も読んでしまった今となると、終戦直後の米軍用「慰安施設」に対する日本の考え方が実は戦争中の考え方と地続きであることがよくわかります。
人間は自分に似せて相手の心と行動を読むものです。
(近衛は)日本兵が「軍規弛緩し民家に入りて物をとり婦女を陵辱する」ことを戦時中も、彼はたびたち口に出して憂えていた。中国本土やアジアの諸国で、日本兵による強姦・輪姦は日常茶飯事のことだった。それと同じことが、日本の女性に起こらないと誰が確約できようか。「防波堤」「性病予防」という名目で慰安所作りが急速にすすめられていくのですが、内閣の命を受けて警視総監坂信弥がその任にあたります。警察の管轄で慰安所づくりがすすめられるのですが、実務担当者は部下に「これは警察本来の職務とは違うので、すべて口頭の命令でやること」「書面は残すな」と念には念を入れていることが明らかにされています。これも戦時中の「慰安所」づくりに通ずるものですね。
「敗者の贈物」もまだ20ページぐらい数十ページ読んだところなので、いずれまた感想を書くことにしましょう。とにかくあっちに手を出し、こっちにも・・・という具合で、全く支離滅裂な状態。おやすみなさい。