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  10月29日(木)
午前中は、バラの会の例会で10人近くが集まりました。9月にまいた肥料が効いたのか、この時期になって花も多く、心なしか全体に生き生きとしているように思えました。というわけで、例年のように役場に切り花を届けましたよ。
夏の間にもっと黒点病などの対策をしていれば葉もそれほど落ちなくて、もっと全体に青々としていたのにと、いつものことながら悔やまれました。来年こそは・・・。


明日からしばらく沖縄。準備(家の片付けを含めて)は午後6時にはすべて終わりました。
今晩、明日の食事を作るのが面倒(ゴミが出る)なので、近くの台湾料理店に行ってチャーハンと肉料理を注文。このお店は何しろ量が多いので明日の朝食の分まで十分あります。容れ物をもらってお持ち帰り。
ハルちゃんともしばらくお別れです。よくなついているお隣さんに朝晩のエサやりだけはお願いしてあるのですが、やはり主がいないと情緒不安定になります。まあ、今回は一週間もないし、そう寒くはないので何とかなるでしょう。下は、朝日が差し始めたあたたかい縁側でのいつものポーズ。


さて、沖縄辺野古の問題です。政府の新基地本体工事を強行は言語道断のファッショ的な暴挙です。知事権限を奪う代執行まで視野にいれるというのですから、アメリカの軍事植民地に加えて「本土政府による沖縄の軍事植民地化」の開始宣言と私はとらえます。
琉球新報、沖縄タイムスは翁長知事の記者会見の模様を伝え、次のコメントを紹介していました。これは圧倒的多数の沖縄県民の気持ちではないでしょか。

承認取り消しについて、法律的に最終的な判断が示されないまま工事が強行されたことに激しい憤りを禁じ得ない。
政府はキャンプ・シュワブに機動隊を配備し、辺野古新基地建設に反対する県民への強権的な態度をあらわにしている。沖縄の人々の気持ちに寄り添う、と言っているが、一連の行動からそのような意思はみじんも感じられない。
(代執行手続きの一環として、国から是正勧告書が届いたことについて)審査請求において承認取り消しの効力を止めておきながら、今度は所管の大臣として、承認取り消しを取り消せ、と勧告することは自らの都合に応じて立場を使い分けていると言わざるを得ない。世界に向けて法治国家であると胸を張って言えるか。(是正)勧告は甚だ不本意だ。


琉球新報は社説で、「安保法制に続き、国民の安全よりも軍事を優先する安倍政権の危険な姿がさらに鮮明になった。沖縄だけの問題ではない。国民は座視してはならない」と書き、「沖縄以外でもしこのようなことがあれば政府は強行しないはずだ、沖縄に対する安倍政権の強権姿勢は常軌を逸している」と怒りに満ちた悲痛な抗議の声を上げています。
たとえば、除染で出た放射性物質を含む土砂の処理を巡って政府は知事権限を取り上げてある県に保管を押しつけるのでしょうか。放射性廃棄物の地中埋設地についても同様のことをするのか。絶対にできないでしょう。
事実、中谷防衛大臣はオスプレイの佐賀空港での訓練を撤回しているではありませんか。

いったん決まったことだからとか、米政府と約束したことだからという政権に、存在する意義や価値はない。安倍政権は再考して、新基地建設計画を撤回すべきだ。

地元紙のこの声に私たちはしっかり耳を傾け、あらゆる支援のたたかいを強めなければなりません。
さて、この工事再開の強行を「本土政府による軍事植民地化の開始宣言」と書きましたが、もしそうであるなら、植民地からの脱却は自決権を行使した「独立」しかないではありませんか。政府のやっていることは、沖縄県民への差別的蛮行だけではなく、民主主義を破壊し、憲法をなきものにし、この国を丸ごと危険な戦争の淵へと落とし込むことに他なりません。
このような安倍政権は一刻も早く打倒し文字通り国民主権の政府を打ち立てるべきです。

今日の読売新聞は「沖縄の世論は一枚岩ではないのだ」「中国の接近に警戒感が必要」ということをしきりに強調した記事を載せていました。読売論説委員は、8割の県民が翁長知事の埋め立て承認取り消しを支持していることにはあえて耳をふさぎ、1割でも2割でも異論があれば一枚岩ではないと言いたいらしい。
そりゃ一枚岩ではないことは当たり前でしょう。問題は、沖縄の圧倒的世論が政府のこのやり方に怒っているということです。安保は認めるという人は沢山いる。翁長知事もそうです。米軍全て出て行けと言っているわけではない。
沖縄には普天間基地とは比べものにならない米軍(空軍)嘉手納基地がある。嘉手納基地を一周したことのある人なら、どのくらいのものか余りの大きさに度肝を抜かれるでしょう。その撤去を要求しているわけではないのです。
さまざまな違いはあっても、圧倒的な人々が、このやり方はないだろう、沖縄県民を馬鹿にするなと抗議しているのです。読売は、そのことを「一枚岩であるかないか」にすり替えてしまっている。意図的できたない世論誘導です。
中国の接近というあおり方は政府、極右の主張と同じ。中国が沖縄を狙っているとか、翁長知事が中国接近路線をとっているなどというデマを流し、何も知らない人々を丸め込もうとでも思うなら、それは沖縄県民を差別し愚弄する言動といわなければなりません。



  10月28日(水)
昨夜のNHKニュースは、消費税増税にともなう軽減税率をどうするかで与党協議が始まったことを伝えていました。
よく聞くと、結局軽減税率適用を生鮮食料品だけではなく加工食品などにも拡大すると、税収が1兆数千億円減収となり社会保障の財源がなくなるのだという自民党の主張だけを強調。これではやはり政府広報番組、アベチャンネルではないでしょうか。
第一、社会保障財源は一般財源であって、消費税が社会保障費のための「目的税」であるはずがないのですから、もともとこの議論はおかしいのです。それをまるで消費税増税=社会保障財源という図式に流し込むのがNHKの役割であるかのようです。
この消費増税問題の本質を端的に示しているのが下の図。こんなのはNHKでも民放でも絶対に出さないでしょう。しかしやはり本質はここにあるのだと私は確信しています。ともかく見てみましょう。


消費税廃止各界連絡会より

大企業への減税は景気対策として必要なのだという論拠で、これまでどんどん減税が行われてきました。その結果が、大量の内部ため込みだったことは先日見ましたね。大企業への過度の減税をやめさえすれば、消費税を上げなくても社会保障財源を確保することができるということです。
「そりゃ無理だろう」という向きの方は、法人税の実効税率、および社会保険料の負担割合の国際比較をネットで調べていただくといい(たとえば、田村正勝さんのコラムなど)。経営者団体の言い分がいかにひとりよがりであるかを知ることができるでしょう。
もっとも、日本の法人税は世界有数の高さであって、先のような議論は「幼稚」だとする伊藤先生のような方もいらっしゃるし、むしろこうした安倍政権ブレーンの見解にも分があると思う向きもあるかもしれません。気をつけましょう。



  10月27日(火) その2
妻からの連絡では、沖縄は相当に気温が高いらしい。「あつい、あつい」を連発していましたから。昼はまだ海水浴ができるとのことです。となれば、辺野古の海にでも行って久しぶりに泳いでくるかな。何しろ長野は海がありませんから。

辺野古の工事が再開されるという。今日の琉球新報は号外を出してそのことを報じていました。
それによれば、政府は昨日の閣議で、県の埋め立て承認取り消しは「違法」だとして地方自治法に基づく代執行の手続きに入ることを決めたのだそう。次は国交相の言い分です。

翁長知事の違法な埋め立て承認の取り消し処分は著しく公益を害する。
普天間飛行場の移設事業の継続が不可能、飛行場周辺住民などが被る危険性を継続するなど重大な損害が生じる


ぜ〜んぜん公益を害しません。工事強行の方が環境破壊、人的被害の震源地、戦争のための基地となるわけですから猛烈に公益を害する。さらに、普天間基地は閉鎖すればいいだけです。県民はそのように判断して翁長知事を選んだのです。
ただ、政府のやり方はとにかく翁長知事を悪者にして自分の意志を押し通そうということですから悪智恵が働く。この点について、チョイさんこと上山田氏が適切な解説をしてくれています。よーするに、政府は「支離滅裂」になりながらも何とか工事を強行しようとあがいているということです。

チョイさんの沖縄日記

沖縄タイムスによれば、仲井眞前知事は22日のニッポン放送のラジオ番組で翁長知事の判断について「とんでもない話だ。瑕疵などあるわけがない」と開き直ったといいます。そりゃそう言わなければメンツが立たないでしょうけど。
さらに、翁長知事の国連での演説について「いちいちしゃくに障った。差別されているなど、自分たちの考えのストーリーだけ訴えている」と述べたそうですね。沖縄県民の「差別」を差別と捉えられないところなど、もう完全に心は中央にあって沖縄県民の意識から乖離してしまっていることをはしなくも暴露してしまったのでした。
「今でも県民の理解を得られると思っている」と強弁なさっていますが、そんなことなどあり得ない。そうなら県民は仲井眞知事を誕生させていたでしょう。これはもう、県民の8割が翁長知事の判断を支持していること、仲井眞の居場所はすでに沖縄にはないことへの「やっかみ」と「苛立ち」「負け犬の遠吠え」以外の何物でもありません。ヤマトンチュだってそれくらいのことはわかるぞ。

そもそも、この政府の言い分は前知事が行った「埋め立て承認」を「適法」だということにすべての根拠をおいています。仲井眞前知事がわざわざラジオで自説を述べているのもそれを何とか取り繕うための芝居。
沖縄県からの異議申し立てに対して政府のやっていることは滑稽の極みです。左手の悪事を右手で隠そうとするようなもの。自作自演、出来レース(「ひとり芝居」は意味が違いましたね...)。
だが、どう強弁しようが、県民はそれを認めていない。知事はその県民意志に基づいて「4点にわたる瑕疵」を明らかにし、具体的に詳細に事実を示して承認取り消しに踏み切ったのです。
政府は、瑕疵があると認定した県側の理のある主張には何一つ答えることができません。ただ、普天間の危険を固定化することになるということをオウム返しに言うだけです。
アメリカに対して普天間を閉鎖・撤去せよという主張をするわけでもなく、ただ唯々諾々とアメリカの手下になって県民に米軍基地を押しつけているだけですから当然と言えば当然ですが、これ自体重大な「沖縄県民差別」でなくて何なのでしょう。
いま政府は、戦争法案でやった暴力的・強権的手法をあらゆる場面でやろうとしています。こんなやり方に鈍感になり黙って許しているうちに、それこそ無法国家、独裁国家が出来上がってしまいます。
「合法」の装いをまとって「違法」を押しつける。そしていつの間に日本国憲法は停止している。これってナチスの手法ではありませんでしたっけ。



  10月27日(火)
今朝はそれなりに寒かったものの、日が昇るにつれて暖かい秋の日差しが降り注いでいます。
いつものごとく南側の縁側でハルちゃんをだっこして日を浴びていると「あ〜秋だなあ」と実感します。
風は少し強いので東山の紅葉からこぼれ落ちた落ち葉が庭に降ってきてカサコソ転がっていく様、夏とは違うコバルトブルーの空に浮かぶ真綿のような白雲。麓まで落葉樹の紅葉で赤みを帯びてきた北アルプス・・・私が詩人ならもう少しまともなことも書けるのでしょうが、感想はただ一言「日差しを浴びていると眠くなるなあ〜〜」。こりゃだめだ。

                  写真は我が家の縁側から見た風景の一部

昨日夕方畑の様子を見に行ったところ、朝の霜と凍結で落花生の葉が全部黒ずんで枯れたようになっていた。冬瓜とひょうたんを足して2でわったような「夕顔」も葉がすべてやられて見るも無惨。
やむなく今日の午後から「落花生」の収穫と夕顔の片付けです。落花生はまだ少し早いのですが、先日様子見でとってきたヤツは若いなりにうまいので、ま、何とかなるか。

畑はいくつものビニールハウスに挟まれた場所なので、その隙間をぬって強風が通り抜け、吹き飛ばされそうでした。先日畝にまいた籾殻は跡形もなし。
強風に逆らって落花生の収穫をしていましたが、余りに風が強いため結局半分ほどしかできず引き返してしまいました。
家に戻り、豆の泥を井戸水で洗っていたら、通りがかりの80近くのおばあさんが、「にいさん、それ地豆かい?」と聞いてきた。こちらでは名前の知らない大人によびかけるときはすべて「にいさん」になってしまいます。それはいいとして、やはりこの方も落花生を「地豆」と言う。沖縄でいう「ジーマミー」ですね。この地方ではフツウの呼び方なんですね。子どもの頃には富山で南京豆と言っていたっけなあ。
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政府が市を通さずに辺野古周辺3地区へ地域振興費を直接公布するという話がしばらく前にあり、昨日になって首相官邸で周辺地区代表らと政府の意見交換会が開かれたと報道されました。前にも書いたとおり、これは住民分断の最たるものですが、出席した区長たちは何をどのように発言したのでしょうか、大変興味があります。
辺野古への基地建設は地域振興に資するとして、地元に賛成する意見が根強くあったことは当初からわかっていました。産業もなく過疎がすすむ地域を何とかしたいという住民の気持ちを無視することは勿論できませんが、政府の交付金の狙いは余りにも露骨であり、もしこれを受け取ったとすれば救いがたい住民の亀裂を産むことは明らかです。
地域振興をどのように進めるかという問題と、住民自治を無視して政府の策のように市の一部を特別扱いしてよいという問題は全く別のことがらです。ただ地域振興に役立つとして政府の口車に乗せられるならば、沖縄だけではなく他の地域にとっても重大な損害を与えることになるでしょう。それは自治体としての市の中に、市の権限の届かない「特別な地域(第2の市)」をつくることになるからです。
それでは、この振興費によって生じてくる問題を今後区だけですべて解決できるのでしょうか。たとえば何らかの施設を作った場合、あるいはインフラの整備をした場合、その維持費、修繕費、改築費は今後区の責任でやれるのかどうか。国が直接乗り出すとでもいうのでしょうか。そんなことは金輪際あり得ません。
沖縄県も名護市も辺野古への新基地を作らせないという決意を示しているときに、特定の区だけが国の交付金で何らかの利益を受けるという構図は全く政府の思うつぼ。こんなことをして、やがて新基地ができて受けるであろう重大な被害と果たしてつり合うお金なのでしょうか。
このような疑問に対しては、すでに「基地周辺対策費は基地や軍事訓練による影響を緩和するために充てる費用」であって、「下水道や公園、集会所、米兵との交流」などの生活関連費として支出するのは筋違いという批判があり、実は政府自身も「ハードルが高い」と認めていることなのです(以上9月25日沖縄タイムス社説)。
200年もの耐久期間=事実上無制限の使用期間を持つという米軍新基地ですから、何世代にもわたって影響を残し、わずかなお金で戦争の前線基地のために貴重な自然を売ったという汚名を背負って生きなければならなくなりそうです。
民主主義のあり方を根底から崩していこうとする、この国の自公政治家・軍需産業の姿を、このニュースを通してはっきりとつかみ取ることができませんか。

振り返ってみると自民党にしろ公明党にしろ維新の党にしろ、彼らの言動を見ていると、「民主主義とは何だ」という問いに全く答えられず、いや答えられないどころか日本国憲法を平然と踏みにじって恥じない事例の何と多いことか。TPPしかり、原発再稼働しかりです。
おそらく「踏みにじっている」などと言おうものなら色をなして「どこが問題なのか」と怒り出すのではないでしょうか。それほどに事態は深刻です。
だとすれば、民主主義の体現者としての住民を育て増やすしか道はありません。この国はその点で、ヨーロッパ諸国などと比べて周回遅れどころか後ろ姿も見えないくらい遅れていると私は実感しています。
日々生起してくる地域の問題を解決する場合でも、団体の運営を行う場合でももちろん国政の問題を考える際にも、この問題は避けては通れません。
日本国憲法を土台におき、実践の中で民主主義の感覚を培い、広げ、自国・他国の経験に学び、まわりに問題を投げかけ議論を深めていくこと。現在ほどこうした「思想と手続き」が必要になっている局面はないと私には思えるのです。
国民全体が民主主義のあり方に鈍感になっていくその背景には、いまは直感的な言い方しかできませんが、日本に蔓延する貧困問題(働く人々の貧困、子どもの貧困、人間関係の断絶、地域の崩壊など)が横たわっていると私には思えます。だとすれば、先の問題意識に加え、これらの問題に取り組むことを通して民主主義のあり方を体得していくしかないということになります。



  10月26日(月) その2
いまから4年前の今頃、宮城県女川町の町議選で高野さんの応援に行ったとき、折しも宮城県議選があり、石巻・牡鹿地区で共産党の三浦一敏さんが初当選、全体で4議席となったことで大喜びをした記憶があります。
それから4年経って、昨日投開票された県議選はどうなったか。共産党は4議席から8議席へと倍増し、第2党に躍進しました。
これまでの3回の選挙での推移は次のようになります。共産党が2→4→8、自民党は30→28→27、公明4→4→4、民主9→7→5、社民3→3→1、維新*→*→1、無所属14→11→13。(右図は河北新報より)
地元紙の河北新報は、安保関連法、TPP後の「初の大型地方選挙となり、各党は激しい攻防を展開。夏の参院選を見据え、党首級が続々と宮城県入りした」と書いていました。投票率そのものは40%台と相当に低いことを考えれば、県民には政治不信とかしらけたムードが根強くあるように思われます。
そんな中での共産党の躍進は極めて大きな意味を持っているんじゃないでしょうか。4年前の選挙でも、とくに石巻地域は女川原発反対を貫き、住民の立場で復興支援に奔走した共産党への期待が高まった結果として共産党初議席に結びついたのです。
今回も前回以上に原発、戦争法、TPPといった重要案件にきっぱりとした政策を持っている共産党の存在感はますます大きくなっているいるのが特徴です。おもしろいことに女性の活躍を「重要政策」とする自民党・公明党の女性当選者はゼロ。それに対して共産党の当選者8人中4人が女性。先の仙台市議選に至っては7名の当選者中6名が女性というすごさ。(自民は16人中1人、公明は9人中3人)
地方では大企業(宮城県でいえば原発企業など)、業界団体に影響力を持つ自民党が有利であることは当然ですが、もう一つに、野党の頼りなさ不甲斐なさに幻滅し「よりましな安定政治」を志向する県民意識をそれなりに反映している結果ではないかと私は考えています。
これまで「共産党には・・・」と思っていた有権者が、先に述べた重要課題での政策や真剣な対応を見て「今度は絶対に共産党」という立場に態度を変えつつあるその表れが今回の共産党躍進でしょう。
三浦さんや高野さんのような議員の人柄に惚れ込んで自発的に選挙に協力する人たちもさぞ多かった(多い)のではないかと、かつての経験から思うのです。

これと対照的に「泥仕合」を展開している「維新の党」。維新の党を今年8月末に離党した橋下大阪市長や同調議員たちがイニシアチブをとってまだ党籍の残る議員らの過半数の出席で「臨時党大会」を開いて「解党を決議する」という前代未聞の展開。底辺に政党助成金のぶんどりを巡る「たたかい」があることはよく知られている事実で、結局政党としての体をなしていない「議員政党」が金を巡ってみっともない紛争を続けているというのが今日の彼らの姿です。
橋下にしても言っていることがもはや支離滅裂。汚い悪口雑言をツイッターに書き散らしている様は、いくら大阪人といえどもう放置してはおけない状態なのでは?「大阪維新の会」の原点に戻るなどという彼らの主張に、まだ幻想を抱くとすればあまりに危険。橋下私党で、右翼的、新自由主義的はねっかえり集団としての維新の本質を深く見抜くべきでしょう。
国会議員・地方議員が落選すれば、この党は自然消滅するのですから、もっと醜い抗争を繰り広げて有権者にその正体をさらしたらどうなんですかね。



  10月26日(月)
早朝午前4時、週一回の「しんぶん赤旗」の配達に出掛けようと外に出て驚いたことがふたつ。
その1つは、車にびっしり霜が降りて運転どころではなかったことです。また戻って温水をバケツに汲んできて窓にかけてようやくエンジンをかけることができました。
この時期の霜は大抵ちょっとだけ凍り付いたかなという程度なのですが、今朝の凍り付き方はハンパではありませんでした。いろんな状況から判断しておそらくマイナス1度か、マイナス2度くらいまで気温が下がったようです。
その2つは満天の星の多さ。目の悪い私でも、今朝の星々だけはこんなにあったかと思うほどの多さと明るさで”仰天”しました。知っている星座はせいぜい北斗七星とカシオペアとオリオンくらいであとはみんな星々なので大して楽しみもない私なのですが、こんなに沢山の星が見える空は久しぶりだったので何度も見上げてしまいました。
さしずめMNEMOさんなら「夜が明けてほしくなくて”ふるえる”」(感動で)なんでしょうが、私は「早く夜が明けてほしくて”ふるえる”」(寒さで)。
東の空にひときわ明るく輝くのはもちろん金星(これは知っている)、そしてすぐ隣にあるのは木星か?あとで調べたら、金星、木星が大接近し、少し下には火星も見えるということ。しばらくは木金の接近が続くと書いてありました(7月1日に最大接近)。

                 写真はThe PAGEよりお借りしました。

さらに運良く(!)というべきか、今日は金星の「西方最大離角」の日らしい。太陽、地球、金星の位置関係は中学生の理科ででてきますよね。東に見えるのになぜ「西方」なのか?などという質問がネット上には結構書かれています。調べてみて、ちょっと賢くなったような気になりました。
5時にはほんのわずか東の空が白み始め、5時半、オリオンも薄明の中私の視界から消えていきました。まもなく北アルプスは「モルゲンロート」。


昨日私が3行ほど紹介しただけの「沖縄カジマヤーの司会」の記事をもとに、MNEMOさんが興味深い「バイリンガル考」を書いていらっしゃいました。
各地の方言についての造詣の深さは並ではなく、この本文でも物語「トーホグマン」でも、いろいろな土地の話しコトバを紹介されているのには舌を巻きます。金沢弁が出てきたのにはビックリしましたよ。
私自身は富山弁と標準語とのバイリンガルなんていう意識は全くありませんけれど、妻は確かにバイリンガルですよね。高江のテントで沖縄の人が外国からの来訪者を囲んで話しているのを聞いていてそんな話がときどき出てきました。
ウチナーンチュ:「日本語お上手なんですね」
フランス人:「あなたたちも2つのコトバ話しますね」
ウチナーンチュ:「そうだよなあ、オレたちもバイリンガルだよな」


ウチナーグチについては妻に聞きながら少しずつ理解しようと努めているところなのですが、まだ99.9%は理解不能。そんな私がウチナーンチュのお祝いの席で果たして司会していいものかという懸念は大きいものがあります。習慣の違いも大きい。一般的な会議の司会とは訳が違いますもんね。
ただ、沖縄でもウチナーグチをきちんと話せる若い人たちも多数派ではなくなりつつある現状では、誰が司会しようがさほど違和感を感じないかもしれませんし、内輪ではみんな仲良しですから、とくに問題があるわけではありません。
ただカジマヤーとは別に、一般的には、年配の方々にはなかなかそうはいかない心情もあるはずです。「ヤマト」というコトバが今なお強く生きているその奥には沖縄県民=琉球人としての誇りと同時に薩摩・本土政府による差別・支配への抗議といった複雑な感情が渦巻いているからです。
私自身は70年代は別として沖縄で「ヤマト人」であることを理由に何らかの侮蔑的な言動に接したことはありません。それだけ本土との交流が盛んになり、文化的「一体化」が成熟してきたからかもしれません。
一方で、辺野古のたたかいの中で「腐れナイチャー」というコトバが飛び交うほどに、折に触れて差別・逆差別が顔を出す局面があるのです。自らの体験で刻まれたそうした意識をいまは封印して生きていらっしゃる方々もそれなりに多いだろうとも想像します。

では、我が輩はカジマヤーでどうすべきなのか。結論は、とくに構えることもなく仲良くやればよろしい。私は沖縄の義母が大好きですから、その気持ちさえあればどうということはないってことです。
ウチナーグチで話しかける人がいれば、「何いうとられんがあ〜、なあ〜ん、わからんがだちゃ」と言っていればよろしい。
さらに蛇足ですが、長年富山に住んだ妻でも、たとえば「そいがだちゃね〜え」と言うときの最後の語尾だけはうまく言えないといいますから、方言も奥が深いですね。ちなみに、富山方言でのこの語尾「ね〜え」は一度下がってまたあがるんですけど、微妙な抑揚が他県の人には難しいがですちゃ。わかられたろかね〜え(これは女ことば)。
もう一つどうしても言いたいことは、ことさらに中央・地方を差異化し対立を煽るなどということは愚劣な行為だということ。戦争したい連中は別として、平和を求める人たちにとっては、世界中のどこに住んでいようとどんなコトバをしゃべろうと同じ「人間」だということが大事です。従って、沖縄にいて「ウチナー」と「ヤマト」を対立的に捉えるのは支配者の立場であって、民衆の立場ではないということです。人間と人間のつながりをうんとうんと大事にしなくっちゃいけません。



  10月25日(日)
昨夜9時過ぎからポツポツ降り出して夜半にはかなりの雨。畑にも大事な久しぶりの降雨でした。
昨日の午後からは仕事ででかけていて、ちょっと疲れたので早めに就寝。今朝はハルちゃんに起こされて6時頃起き出しました。昨夜とは一転、素晴らしい快晴です。
寒気の南下で、蓮華岳から白馬三山にかけてはかなり白くなって、その全容が一望できる気持ちのいい朝でした。ハルちゃんは朝日を浴びて日光浴。何を考えているのやら・・。
一昨日のこと、帰宅したら家の中には鳥の羽根が散乱。本当に久しぶりにスズメを捕ってきたのでしょう。まだそんな元気が残っていたかと感心しました。
と思ったら、どこぞの野良猫が近づいてきたのかハルちゃん、ものすごい剣幕と威嚇声でネズミ色のでかいネコと対峙している。ケガ以来、俄然強くなったようで気に入らないネコには容赦しない。
シッポが総毛立って、羽根ブラシのようになっている。「ケンカするなら、ぜったい負けるなよ。いつものネコパンチだ」と言い含めておいたことでした。
それにしても、ここに来る野良の強そうな面構え。見るからに恐そうな野性のネコです。ハルちゃん、元ノラの厳しい生活を思い出して頑張ってほしい。ただ、年なんだから無理しちゃいけないけど。




昨日友人からゲットした女川のサンマ。50本仕入れて結局手元に残ったのはわずかに5本。ま、ひとりだからそんなにはいらないんだし。安くて超新鮮なサンマですから本当は到着した昨日刺身にするつもりでしたが、出掛けなくてはならない用事があって帰りが遅くなったために今朝早く3本を三枚におろして刺身に。すごい量だ。ハルちゃんがそばでお裾分けを待っています。
朝食は女川産のサンマの刺身とワカメの味噌汁、池田産の米と我が家のトマト、妻の作ってくれたイモ天(紅芋も:もちろん我が家産)と、女川・安曇野のコラボと相成りました。どうだ、かあちゃん。
イモ天はさすがに全部は無理でしたけれど、サンマは結局3本分全部食べちゃいました(残り2本は夕餉の焼きサンマに)。いや〜油が乗って、とろけるような旨さ。朝から満腹です!




朝、沖縄の妻に電話していたら、「怒られるかもしれないけど・・・」となにやら不穏な空気。昨日、カジマヤーの打ち合わせをしていて、誰が司会をするのかという話になって、だあ〜れもいないから結局私にオハチが回ってきたと言う。「そんなの、沖縄のお祝いなんだから、よく知っている人がやったらいいんじゃないの?」と反論にこれつとめましたが、結局押し切られてしまった。さてどうなることか。

午前10時過ぎからお昼まで、畑で残ったすべてのイチゴを植えました。イチゴの苗は総数180株。家のまわりに増えたものを入れれば優に200株を超えるイチゴの苗です。
今年はすべてマルチをして、周りには籾殻をまいて冬越し、雑草よけの準備をしたので、今年よりははるかにいい株に育つだろうと内心期待しているところ。こりゃ来年6月はじめには大量のイチゴができるかな。
これまでに植えたニンニクの畝に籾殻を撒いて冬越しの準備も終わって、あとは沖縄から帰ってタマネギの苗を植え付けるだけです(注文済み)。
写真下は、食べ頃のネギ。上がシモタネギ、下が松本一本ネギです。下仁田ネギは手のひらを広げたような葉で、ズングリムックリ。クマッパ(MNEMOさんの「トーホグマン」227回参照)が掘っていったらしく何本かがなくなって隙間ができていた。松本一本ネギはすっくと伸びてかっこが良い。こっちも持って行けばよかったのに。










  10月23日(金)
今朝明科駅まで妻を送ってきました。さきほど連絡があって、ようやく南城市の実家に無事着いたという連絡がありました。台風の影響は「慈雨」(義兄の表現)だけのようで安心しています。
夕方ラッシュの時間の到着で、那覇市街はどこも大混雑。レンタカーを借り、山形から一時間遅れで到着する妹を迎えてから、実家に向かったのですが、行く先々で大渋滞だったとのことでした。
久しぶりの姉妹の合流で積もる話もたくさんあることでしょう。11月1日のカジマヤーに向けてあれこれ家の片付けやら準備やらで忙しい日々になりそうですね。

その沖縄では、翁長知事が10月21日に「沖縄防衛局長が行った審査請求における執行停止申立てに対する意見書及び審査請求自体に対する弁明書」を国土交通省に提出しました。
県の意見書、弁明書は膨大なものですが、その概要を県自身がまとめています。
それによると、第1意見書では「審査請求適格についての主張」を行い、「沖縄防衛局長は審査請求を行う資格を欠いており、本件の審査請求は地方自治法等に照らして許容されない」ということを述べています。
「埋立承認取消理由」について主張する第2意見書では、「沖縄防衛局は普天間の危険性を除去する上で辺野古が唯一の移設先であるという点を前提にしている」ことへの全面的な反論を述べています。
第3意見書は「公有水面埋立法」にかかわる環境保全面での条件を満たしていないことを主張。「環境保全措置や事後調査の内容が曖昧であるものなどがあることため、取り消し得べき瑕疵があると判断した」ことなどを主張しています。
第4意見書は「基地形成過程に係る主張」で、戦後の基地形成史を振り返って、沖縄に米軍の海兵隊基地や海兵隊航空基地が集中する地理的必然性は認められないという点や、民意に反する県内新基地建設を強行することは「適正かつ合理的」とはいえないことなどを主張しています。
そして最後の第5意見書は「国土利用上適正且合理的ナルコト」とした公有水面埋立法に照らして、政府の言う「米軍のプレゼンス」や「抑止力」には説得力のあるものではないことを詳述しています。
誰がみても、どちらに理があるかは歴然としているのではないでしょうか。

報道では、国交相はこれを無視して近く「執行停止を決定すると見られている」とされています。菅官房長官も県が「防衛局に不服審査の権限がある」と強弁、行政不服審査法の趣旨をねじ曲げ、勝手に解釈し、「安保関連法は違憲ではない」というあの論理と全く同じやり方で沖縄県の道理ある主張に耳を貸そうとしません。
菅の面の皮の厚さはハンパではありませんね。黒を白と言いくるめるのは彼らの常態ともいえる得意技。しかし、こうした沖縄県民をナメきった姿勢をいつまで続けることができるのか。翁長知事の一連の対応への県民の支持は8割にのぼっています。そう簡単に彼らの思惑通りにはいきません。いずれ追い詰められ、惨めな末路をたどることになるでしょう。そのときのアベ、スガの顔を見てみたいものです。



  10月22日(木)
今朝もまた深い霧。よく見ていると立ちこめているように見える霧も相当に速い速度で「下界」から吹き上げてきているのがわかります。下で見ていればきっと雲がかかっているようにみえるのでしょうね。
バラ園の定例作業日のため、いつもよりちょっと遅れて9時半くらいにバラ園に着くと、ようやく霧が晴れ始めたようでした。とはいえ、下界はまだ霧に包まれています。こんな雰囲気もなかなかいいものですね。


今日の作業のメインは、会員のひとりが持ってきてくれた大量の籾殻を「燻炭」にすること。火を付けてカサを被せ、煙突をつけて籾殻を蒸し焼きにしていきます。
籾殻があまりに大量だったために、ちょっと作業工程を誤ってぜんぶいっしょにやりはじめたために、なかなか焼き上がりません。そのうち人間の燻製ができあがりそうでした。
結局途中で作業を打ち切って、夕方始末をして明日また作業の続きをやることになってしまいました。


ところで、我が家から歩いても5分くらいのところに長福寺というお寺があります。その境内に大きな銀杏の木があっていま紅葉の盛り。これまでも何度も紹介したことがありましたが、ここ数年は見慣れすぎたためかほとんど境内を訪れることもなく遠くからみているばかりでした。
ところが最近は、遠くからこの見事な大銀杏を見に来る観光客が多くなり、庭で仕事をしているとよく道を聞かれるのです。というわけで、燻炭づくりの作業を終えてから境内にちょっと立ち寄ってみました。
かつては銀杏の木の下のもみじがかなり大きく真っ赤に色づいて、そのコントラストが素晴らしかったのですが、今日行ってみると枝が折れたためか、ちょっと見劣りがして以前の面影が無かったのが非常に残念。
夕方にもかかわらず、大きな三脚にカメラをセットした写真家とおぼしき人たちが数名、夕日の銀杏を見上げる位置に陣取ってタイミングをはかっていました。さらに、近くの高齢者施設のマイクロも来て、どうやら東の大カエデと並んでこの大銀杏は池田町の観光スポットになっているらしい。
下の写真上は境内から。次は境内から我が家の方向を眺めたところ。我が家はほぼ写真中央にあたります。一番下は、我が家の裏手から見た大銀杏。ひときわ黄色が鮮やかです。
蛇足ですが、私は「いちょう」を漢名の公孫樹と書く方がホントは好きなんです。ただ最近は「ぎんなん」のなる木がお気に入りなので、つい銀杏となってしまいます。公孫樹も「孫の代にならないと大きくならない(実がならない)」という意味らしいんですけどね。何しろ2億年前からこの地球上に存在していたという木ですから長寿を象徴する木なんじゃないかなあ。
ちなみに、高村光太郎の「冬が来た」の冒頭にこの公孫樹がでてきますよね。「なつかしい」一節です。

きっぱりと冬が来た
八つ手の白い花も消え
公孫樹の木も箒になった











  10月21日(水)
最近知人と話をしていて話題になることに、「志位さんの提案した国民連合政府はどうなるのかね」というのがあります。うまくいくのかどうか、うまくいって欲しいがなかなか難しいだろうな・・・という複雑な気持ちを込めたコメントでしょうが、一方で共産党に対する見方が変わる大きなきっかけになっているのも間違いがありません。
日本のように反共意識がまだ根強く残る国では、とくに民主党がその決断をする公算は現在のところ大変低いとみなければならないでしょう。
何しろ靖国神社参拝にぞろそろと出掛けていく議員がいる民主党のことです。民主党の本気度が問われると同時に、民主党にその気にさせる世論形成がもっと強力に進められなければならない局面です。
さて、この共産党の提案に菅官房長官は次のようにコメントした。

共産党は安保条約破棄だとか自衛隊は解散だとか言ってきたんですけど、どう国民に説明するんでしょうね選挙目当てかなあと思います。

これに対しては志位委員長自身が「知的貧困は深刻」と痛烈に批判したこともニュースになりました。
私はちょっと角度を変えてこの志位提案を見ているのですが、みなさんはどうでしょうね。それは、共産党が志位提案として打ち出した今回の「国民連合政権構想」は、どこぞの委員長や代表のように委員長の思いつきの提案ではなく、安保関連法が強行採決された9月19日に、間髪を入れず第4回中央委員会総会を開いてこの構想を決定したという事実です。
幹部会でもなく中央委員会総会という党大会に次ぐ決議機関にわざわざ諮って決定したことのなかに、この党がどれほど真剣に立憲主義を守り憲法違反の法律をなくそうとしているのかという決意だけではなく、それをどれほど党内民主主義を貫いて決定しようとしているのかを見ることができると思います。
これは他の政党にはまねのできないことだし、まして党利党略しか頭にない菅官房長官には到底理解できない、というより理解の範囲を超えたことなのでしょう。



  10月20日(火)
先日ある友人から、私のブログ(正式にはいわゆるblogではありませんが)について「最近おとなしいんじゃないの?」と言われてしまいました。「もっと激しく書けっていう意味なのかい?」と聞いたけれど、具体的には答えてもらえませんでした。
想像するに、町の施策や政府の政策について、厳しく批判の論陣を張ってくれというような趣旨かなとも思いましたが、具体的な事例が身近にあってはじめて批判的に検討もできるわけで、なまなかの知識で書き殴るわけにはいきませんから、当面「おとなしく」身の回りの出来事を中心に、気の付いたことを記していこうと思っております。
とはいえ、このように言っていただけるのも読んでいただいている証拠と、嬉しく拝聴いたしました。

最近、北欧の障害者事情を中心に現地に「定点観測」的視察旅行に行った薗部英夫さんから何度もニュースレターを受け取っていました。
メールの中で「感想を」という要望もあったのですが、ありきたりのことしか書けそうになかったのでそのままにしていていました。小さな声で「すみません」。
いま、先日も述べた日本の「子どもの貧困」問題を考える1つの指標としてSさんの「北欧だより」がたくさんの示唆を与えてくれるのではないかと思って、今回の転載不許可の「未完のノート」と、すでに今年の春出版された「北欧=幸せのものさし」を読み返していました。

日本では、子どもをとりまく状況には寒々としたものがあり、若い人たちが子どもを産み育てようとしてもできない現状がある。そして、子どもを生んでも働きながら育てる環境が全くと言っていいほどありません。
安倍政権の直近の政策がニュースで流されましたが、笑ってしまうようなお話でした。「子どもの貧困」に目を向けざるを得なくなっていることは当然として、子育て支援の目玉政策の「子どもの貧困対策」が「民間に募金を呼びかけ、それに基づいて基金(子どもの未来応援基金)を設立する」というもの。その募金が昨日現在で150万円しか集まっていないので、今後企業まわりをしたりHPを通してあつめるということのようです。考え方・発想の土台から間違っているんじゃないでしょうか。
歳末助け合いよろしく寄付を集めて何とかしようなどという姑息な考え方の基本には、社会保障・子育て支援としての抜本的対策ではなくあくまで「助けてあげる」式の慈善的・貧窮対策的発想が見え隠れします。

薗部さんのお便りには次のような紹介がありました。
第1。スウェーデンの人口は増えつづけて980万人(2015年7月)をこえた。合計特殊出生率は1.94 (2009年)(日本は1.34)。
第2は産休と育児休暇。母親は産前50日、産後60日が義務、父親は60日義務、どちらかが取れる休暇135日ずつだそうです。産後390日は給与の80%が支給され、その後の90日は1日160Skr(約2700円)支給。全体で480日で8歳の誕生日までに取得できるということ。
教育費はもちろん無料ですし、障害児に対する対策は手厚く人間的(具体的な事例は過去の薗部さんの著作や、今回の旅行のまとめで見てもらうのが一番です)。本当にため息が出てしまいますね。

日本では子どもも産めないほど若い人たちの生活・労働の実際が貧困になっていることが一番の問題でしょう。
とくに母子家庭の窮状は深刻を通り越しています。OECDの調査で、母子世帯(ひとり親)の就労率は80%を超えて世界でも最上位に位置するのに、貧困率は55%を超えてワースト2位(1位はトルコ、貧困率の低い国は北欧諸国で数%)。それもそのはずで、働いても働いても非正規雇用のために賃金は低く労働時間だけが長い。子どもとが平日に母親と過ごす時間は平均46分、常に子どもの病気や子どもの教育・将来のことを考えながら、働かざるを得ない実情が近年さらに加速しているのです。(岩波新書「子どもの貧困」阿部彩による)

企業の生産力という点では、北欧に比べても日本の方がはるかに高いでしょう。ところがその生産によって得られる利益は、労働者にではなく大企業自身と株主に不当に大きく配分される。内部留保の異常な膨張がそのことを雄弁に物語っています。
北欧諸国でできることは、「理論的」には日本においても当然実現可能なのです。ところがこの国ではアメリカの従属国として北欧的価値観とは縁遠い「国づくり」に邁進してきましたから、国民的な合意に基づいて高福祉社会への歩みを踏み出す前提条件がほとんど形成されてこなかった。
北欧モデルを遠く見据えながら、この国において数多くの優れた実践が作り出されていますから、それらをまず知り、それを基礎に制度の改変、充実を粘り強く求めていかなればなりませんね。私たちが目指すものは、モノマネではなく勿論日本的でなければなりませんが、考え方や取り組み方において北欧の実践から汲めども尽きぬアイディアや教訓を受け取ることができます。その意味で園部さんの長年にわたる北欧視察記録は貴重であり何にも代えがたい重みがあります。



  10月18日(日)
久々におもしろいドラマでした。「下町ロケット」第1話。クセのある役者オンパレードという感じでしたね。
会社内部のドロドロも含め重層的に描いていくテンポのよい展開はさすがです。中小企業の塗炭の苦しみをこれでもかとたたみかけて描く手法は、最後の展開を際立たせる布石だと知りながら、つい引き込まれてしまいました。これからが楽しみです。

妻は朝早くから大鹿歌舞伎の上演鑑賞にでかけ、私は家で1日休養。腰の調子がどうにも良くならないので、自分でマッサージしたりストレッチしたりしながらゴロゴロしていたのです。
昼には腰を温めるために温泉に。午後の早い時間はたいてい空いているので、そこを狙って行ったのですが、案の定広い温泉に私ひとり。1人で入るのはそれはそれで贅沢だなあと思いつつも、あまりに人気がないってのもさみしいもんですね。

ここ1年ほど、私は松本で開いている子ども塾に通っています。経済的に問題をかかえる家庭の子どもたちに学習支援を行うというのがその目的で、退職教員や大学の学生たちが担当教師として登録しています。
そのお手伝いをしている信州大学の1人の学生から「子どもの貧困」に関する論文を書きたいのでアンケートに答えて欲しいというメールが届きました。
学生たちが子どもの貧困に関する問題に関心を寄せ、同時に子ども塾で実際に子ども達に関わっていることは大変心強いことです。
何とかそれに答えようと思ってはいるのですが、さて、実際にアンケートに答えようとすると、あまり真剣にこの問題について考えたこともなかったので、ちょっと戸惑っているのが現状です。アンケートでは「子どもの貧困が広がってしまった原因」、「子どもの貧困が進むことの一番の問題点」などが問われているのですから。
私自身日本の貧困という問題については学生時代から関心をもってはいたものの、実際に何らかの組織に関わって取りくんだということはありませんでした。
ここ数年いろいろな本は読んではいても、実際に問題を抱えた方々と接することなどありませんでしたから、意見を持っていたとしても極めて一般的で抽象的な考えにしかなりません。
さて、これらの質問にどう答えようか。ここしばらく頭を抱えて悩みそうです。



  10月17日(土)
来週23日に妻が郷里の沖縄に出かけ私は遅れて30日に出発ます。ダブル台風の片方がフィリピンから台湾、沖縄というコースで進みそうなので妻が出掛ける日と重ならないか大変心配しています。その日その時間だけの飛行機なので、飛ばなかったらどうなるのかいささか心許ない。何とかそれてくれることを願うだけです。
義母の97才のお祝いを11月1日に南城市のユインチホテルで行います。私の家族では息子、娘夫婦と子どもたちが参加するので、家族が沖縄で勢揃いする初めての機会ともなります。短い滞在期間なので、どれだけ家族が一緒の機会を持てるかわかりませんが、せいぜい楽しい思い出を作ることができるようにしたいと考えているところです。

話は変わりますが、ここ数ヶ月朝の民放TVニュース番組でよく放送されていたのが、中国でのずさんな建設工事や工場汚水などの垂れ流しや爆発事故。日本と違って中国はこんなにひどい国ですよと言わんばかりの映像がこれでもかと流されていました。それがこのところ全く見られなくなった。
それもそのはず、中国と大同小異の「事件」が立て続けにこの国で起こっているからです。三井不動産グループが販売した横浜市都筑区の大型マンションの傾斜にかかわる手抜き工事とデータの改竄問題がその1つ。もう一つは大阪市の「東洋ゴム工業」による防振ゴムの検査データ改ざん問題。
信濃毎日新聞のコラム欄は「洋の東西を問わず大企業の”うそ”見本市である」と書いていました。民放各社は他国のアラ探しをする前に、この国の大企業がもうけに狂奔する異常な姿をもっと追及し告発すべきだと思うのですがね。

NHKが大企業の内部留保問題で追及を始めたのかと思ってよく聞いていたら、ため込まず投資に回せという政府のタイコ持ち評論でした。
NHKによると国内企業の内部留保は現在354兆円。下の表で見るとわかるように、とりわけ大企業のそれは現在では増えに増えてとんでもない額にふくれあがっています。さすがに政府も見るに見かねて口を出し始めたというところでしょうが、その使い道は全くの見当違いと言うほかありません。
NHKも解説で「企業が、工場などの設備や研究開発、それに人材に投資を増やせば、雇用が増える可能性があるほか、企業の生産性が高まり、日本全体の競争力も高まる可能性があります」と述べて政府の立場と軌を一にしています。とはいえ、政府はまじめに大企業にそうさせようなんてハナから思っていません。事実、経団連は今年の「経営労働委員会報告」で、「内部留保を原資とした賃上げ」は「企業の競争力や成長力の低下」をもたらすと書き、賃上げなど眼中にないのですから。
問題は、大企業の内部留保をいかにして賃金の大幅引き上げに使わせるかということです。成長力の原動力は国内消費です。GDPの約6割が個人消費なのですから、賃金の引き上げ抜きで内需を拡大しようとてもどだい無理ということなのです。だから国民に番号をつけて総監視して金をはき出させようということにしかならない。
輸出企業にとっては円安による為替差益なども当然あるでしょうが、労働形態の不安定化をどんどんすすめ低賃金を固定化してきたことが大企業の大もうけの土台にあります。もちろん大企業減税や優遇税制のしくみにも大もうけのからくりが隠されているのですから、そこにメスを入れさえすれば賃上げもできるし、消費税など上げなくても財源は確保できる。
「大企業が利益を増やせば『好循環』が生まれる」というのは安倍政権お得意のトリクルダウン理論ですが、実際には潤っているのは大企業と大株主の富裕層のみ。これくらい貪欲な大企業はアメリカと日本くらいのものでしょう。
労働者の賃金は2014年度では前年比1%増加したものの、消費税がらみの物価の上昇で実質はマイナス。垂れ流される報道のみを信じていると、生活がどんどん圧迫されても周りがみんなそうなんだからと思い込まされかねない。大企業に対する監視を強めなければ、骨までしゃぶられてしまいます。
下の図はしんぶん赤旗より。図はすべて資本金10億円以上の大企業(金融・保険業を除く)のデータです。




【注】GDP: GDP(Gross Domestic Product、国内総生産)とは、一定の期間に国内で新たに生産されたもの(モノだけではなく、サービスも含む)の合計です。経済の規模や経済成長をはかる指標として用いられます。例えば、部品を仕入れ、製品を売った人は、売り値から仕入れ値を差し引いた残りの部分が「自分が作り出した部分」となります。その部分の金額がGDPに計上されます。各国共通の統計手法である「国民経済計算」に基づいて算出します。しかし実際には、生産額と同額になる需要(支出)に関する統計から推計しています。(しんぶん赤旗の解説より)



  10月16日(金)
昨日は午前中バラの会、午後からは「戦争法に反対する池田町民の会」拡大事務局会議に出席しました。
夜はドラマを見ていたためにパソコンに向かえず、相変わらず早く瞼が握手してしまいました。
昨日の朝はこの時期恒例の「濃霧」ではじまりました。これほど深い霧は今期初めてでしょうか。9時頃までガスっていて視界不良。しかし、このような日は決まって快晴です。
バラ園に出掛ける頃にはすっかり霧も流れ去って青空が広がって、作業も気持ちがいい。この日のメインは、園の一角を耕してチューリップの球根を植え付けたこと。来春には色とりどりの花を咲かせてくれることでしょう。
ただこの頃はあまり根を詰めた作業もなくなってきているので、早々と休憩(=終了)してお茶となりました。写真一番下は、キバナコスモスにとまった「ツマグロヒョウモン」のメス。






日は変わって今日、今度は我が家の庭の手入れを1日がかりで行いました。
ゴーヤのカーテンをすべて外して、その間に隙間なく育っていたイチゴの苗をポットに移す作業を第一に行いました。ゴーヤの覆いがなくなったら、スッポンポンになって外から丸見え。何となく気恥ずかしいような違和感があります。
イチゴの苗は友人に60株、私が畑に植えたものが110株。今日ポットに移したのが60株ほどですから、合計250株ほどが狭い一区画に育っていたことになります。親株はわずか5株ほどですから、ものすごいランナーの長さですね。こんなに「はびこった」のは長いイチゴ栽培でも初めてのことでした。条件さえよければいくらでもランナーを出し伸びていくっていうことが実証されたわけで、苗作りにはずいぶん参考になりました。
その条件とは@土がやわらかく肥料がゆきとどいていること、A半日陰で水はけがよいこと、B雑草がないことです。いつもはかんかん照りのもとで、硬い土のところに、雑草の中に苗があるという悪条件だったので、苗が育つわけがありませんでした。苗は苗として専用に育てるべきだと期せずして教わった年になりました。
来年しっかりした株になるには、厳冬期が来る前に苗がどれくらい大きく育ってくれるかにかかっています。今年はマルチもしっかりしたし、肥料も比較的きちんとやったので、あとは水を切らさないようにすることだけです。以上、イチゴのシロウト的育て方のポイントでした。
続いて、実のなり終わったトマトの木を抜いて、そのあとに「春キャベツ」を植えました。苗やさんで聞いたところ、冬はそのままでも来春には玉を巻き始めるというので10本買ってきたのです。そのままでもいいとは言うものの、霜柱が心配なので、根の回りに籾殻を敷いて寒冷紗でトンネルをつくってやろうかなと思っているところ。
というわけで、広い畑があると家庭菜園もなかなかヤリガイがあります。ふ〜〜。



  10月14日(水)
今日も朝から畑仕事です。ただ、早朝から田や畑に出ている地元の人たちとは違って朝寝坊の私ですから、畑に出掛けたのは午前10時頃。それから午後2時半頃まで、妻と一緒に昨日の続きをやりました。
まもなく届くはずのタマネギの畝をつくることが最優先。妻は土をスコップで掘り起こす仕事の当番です。最初は「いい運動になるわ」と言っていたものの、大きな石がどんどん出てくるので終わり頃には相当に疲れていたようでした。
昼は近くのコンビニ弁当で簡単に。このコンビニは手作りおにぎりを扱っていてそれなりにおいしいので、よく買いに行きます。そのあと私は耕耘機で耕して畝作り、妻は唐芋(沖縄以外ではサツマイモと言う)の収穫に。ここでも土は硬く、しかも石が大量に出るので閉口していたようでした。風が冷たくなって冷え込んできたので今日は早々に引き上げることにしました。
畑仕事は端から見るほど楽じゃない。田んぼと違って年中(厳冬期は除く)何らかの作業があるからです。毎日通って土作りをすればこんなに土も固くなることはないのですけれど、たまに通っているのですから土も怒っているのでしょう。


畑で作業をしているときは、頭の中は完全に空っぽ。痛む腰を自分でマッサージしたり、出てきた石を運んだりしていると、モノを考える余裕はまずありません。家に帰れば眠気が襲って頭は朦朧。こりゃ年ですかね。



  10月13日(火)
朝から畑仕事をしていたら、隣のキュウリハウスで収穫の作業をしていた80才近くのおばあさんが「何植えただね」と話しかけてきました。しばらく会話していて、山を見ながらの2人のつぶやきです。

私:「来ましたねえ」
おばあさん:「来ましたねえ」


雲の切れ間に見える鹿島岳、五竜岳の頂が白くなっているのを見ながらの会話です。北アルプスの初冠雪!
日をあびた山の中腹は紅葉で色づき、その裾野では風は冷たいものの、日差しがやわらかい。だから今日の冠雪は、冬将軍が山の頂に斥候を送り込んだという感じですかね。
山頂の白いものはまだ白馬山系とその周辺だけですが、間もなく燕や大天井、常念に広がっていくのでしょう。


久しぶりに朝から夕方まで畑にいました。
まずやったことは、すでにマルチをしてあった畝にイチゴの苗を植え込んだこと。これはずいぶん前からやろうと思って延び延びになっていた作業です。今年は遅いくらい。
幸い、ゴーヤの棚の影でイチゴの苗が思いのほか立派に育ったので、今定植しても来年には今年よりいい株になるのではないかと思われます。




続いて、この前の作業の続きで、根を張った草を根から起こし、耕耘機の刃が通らないほど土が硬いのでさらにスコップで土を起こし、施肥(有機肥料)をしてさらに耕耘機をかけてたっぷり空気を送り込む。それからようやく畝作り。
土にスコップを入れると写真にあるような大きな石がゴロゴロでてくるので困りものです。土に小さい石が混じっていないだけましですが。
今日は、1つの畝にニンニクを植えるだけで終わりました。明日は妻も畑に出て、まもなく届く(注文してある)タマネギの苗を植える苗床をつくらないといけません。
来年のことを考えると、そこまでやらなくてもという気にもなりますが、どうなろうと畑は畑。最低限のことだけはやっておかないと。

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昨日も書いたとおり、沖縄では翁長知事が、県民が待ちに待った辺野古埋め立て承認取り消しを宣言しました。勇断に大きな拍手を送ります。
記者会見する翁長知事の発言の一つひとつに何と説得力のあることか。この決断を断固として支持します。
辺野古の海では、16艇のカヌー隊、ボートの船団が知事の取り消し発表と同時にフロートを超えて中に突入。海保はなすすべもなく見守るという状況が生み出されました。キャンプ前では喜びのカチャーシー。




記者会見で翁長知事は、普天間基地の危険性除去の妨害者であるかのように言い立てるのは「日本の政治の堕落」だときっぱり。まさしく自民党アベ政治の堕落そのものです。
普天間基地の危険性除去を言うなら、米軍のオスプレイの普天間基地配備に唯々諾々と従い、危険性を増してきたのはどこの誰だったのか。協定無視を続け夜間飛行を続けさせているのはどこの誰なのか。このオスプレイ配備を発端として県民は仲井眞知事の裏切りを許さず、圧倒的な票差で翁長知事を選んだのではなかったのか。
もともと普天間基地は沖縄県民の土地を米軍が取り上げて使い続けている基地ですから、県民に返すのがスジというものです。「辺野古が唯一の解決策」というのはアメリカにいい顔を見せたい安倍政権の言い訳に過ぎません。アメリカでさえ、上院で成立した国防権限法から「辺野古が唯一の解決策」が削除されているのです。
仲井眞元県知事は「普天間の5年後の返還」を移設の条件にしました。この点だけをとっても「法的」な瑕疵がある。米軍自身が5年後などの返還など問題にならないという態度だし、そもそも新基地が完成するのは10年後なのですから。
この点は、宜野湾市長も、沖縄担当大臣も全く眼をそむけています。眼中にないというべきか。
菅官房長官や中谷防衛大臣に至ってはもっと露骨。「仲井眞前知事による行政判断には何ら法的瑕疵はない」と根拠も示さず、翁長知事の取り消しを「違法」呼ばわりする厚顔無恥、傲岸不遜。
行政判断というのは県民の支持があってはじめて有効なものです。県民の圧倒的多数の意志に従い翁長知事は知事権限を行使したまでです。沖縄県、名護市の首長がそろって新基地建設を許さない立場を貫き通している背景、すなわち沖縄県の人々の長い長い歴史を通しての痛切な思いに、本土の人々はもっと深く思いをいたすべきでしょう。それぬきにこの問題は決して解決しない。
法廷闘争になっても新基地建設はつづく。このことの意味をもっと深く考えるべきです。安保関連法とこの新基地が連動するという問題は今後さらに具体的に明らかになってくるでしょう。そのときになって、こんな筈ではなかった、そんなことは考えてもいなかったなどと言い訳しても遅い。
だとすれば、根本的な解決策はただ1つ。安倍政権を退陣させ、国民の政府を打ち立てる他ないということです。たとえそれまで負け続けようが、あきらめるな。抗え。連帯せよ。たたかい抜け・・・ということです。
その思いと時間のある方は、沖縄へ是非一度!!



  10月12日(月)
MNEMOとゆかいな仲間たちが我が家を訪れてくれて、相当濃密なスケジュールで10日夜から今朝までの足かけ三日間を過ごしました。
今朝は夜明け前は満天の星。明るくなるにつれて全貌を現した北アルプスが刻々姿を変えて最高のパノラマを見せてくれました。みなさん安曇野の風景を堪能できたようで本当によかった。昨日のような雨が続けば、安曇野の趣も半減ですから。
妻は早朝から町民球技大会にでかけましたが、これまたよいお天気で気持ちよくプレーしていることでしょう。これもよかった。

東京からの一行4人のうち3人がミュージシャン。プロはMNEMOさんとKAさんの2人です。あと1人KUさんは仕事をしながらバンドを組んでビートルズのナンバーを楽しんでいるようでした。
昨日訪れたのは、バラ園、池田八幡社、松本城、仁科神明宮。その後穂高温泉に行きゆったりしたあと、近くのそば屋でキノコ鍋を囲みました。楽しくおしゃべりをし、よく食べ、たらふく飲んだ(これは私以外)2日間。その一方で神社などをめぐりながら歴史散歩もするというなかなか知的刺激に満ちた日程だったので、お腹も頭も満腹になったのではないでしょうか。
わずか3日間でしたけれど、それぞれの人となりがよくわかり、今朝はもうずいぶん前から知り合いだったような感じになって本当に名残惜しい気持ちで一杯でした。
今朝一行は朝8時に出発。諏訪大社、秋山郷、下山郷などを巡って東京に向かうということでした。お天気は行楽に最高なので、さぞ気持ちよくドライブできるでしょう。道中の無事を願っています。
遠くまでよく来てくださってありがとうございました。ライブなどがあれば是非ご案内くださいね。Aさんには、腰を見てもらうのを忘れてしまいました。今度よろしく。

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沖縄では、翁長知事が明日中に辺野古埋め立て承認を取り消すとの報道がありました。基地反対闘争はいよいよ新しいステージを迎えます。
沖縄防衛局の態度はすでに明白で、国土交通相に「取り消しの無効化を求める不服審査請求と、その裁決まで取り消しの効果を止める執行停止」を請求するとされています。国土交通省は政府内のいわば身内。行政不服審査請求とは、行政不服審査法がその趣旨(才1章総則第1条)で示すように、「行政庁の違法又は不当な処分その他公権力の行使に当たる行為に関し、国民に対して広く行政庁に対する不服申立てのみちを開くことによつて、簡易迅速な手続による国民の権利利益の救済を図るとともに、行政の適正な運営を確保すること」を目的としており、沖縄県の措置を国(国土交通省)が国(防衛局)を救済するなどという公権力の行使主体同士の救済を目的としたものではありません。
まして、埋め立て承認の主体である沖縄県自身が、過去の承認には第3者機関の答申も踏まえて瑕疵があったと認めそれを取り消すというのですから、国はそれを受け入れるほかはないのです。
それを「前知事の承認手続きには瑕疵はない」などと強弁するような無法がまかり通れば、政府が決めたことについては何を言おうが問答無用ということになってしまいます。独裁国家の現れの1つと言うほかありません。沖縄県による明日の発表を注目して見ていましょう。



  10月10日(土)
お天気が下り坂で、明日は曇り空の予報。MNEMOさん一行にはちょっと残念なお天気になりそうですが早く青空が広がって欲しいものです。
とはいえ、農作物には一雨ほしいところ。マルチをしてイチゴ苗やニンニクを植えたいので、こうカラカラ続きではチャンスを逃してしまいます。

沖縄では新基地建設をめぐって、埋め立て承認取り消しを見据えた攻防が大詰めを迎えています。その中で、このところの防衛省・沖縄防衛局の横暴は目に余ります。
自ら県の聴聞を要求しておきながら、一片の書類を提出しただけで県の設定した聴聞には出席せず、今度は埋め立て本体工事前の事前協議について、県に通告していた質問期限(書類到着からたった1日しかない)を「先般設定した(質問の)回示期限は相当だと考えるが、県の主張に鑑み、できる限り速やかに回示するようお願いしたい」と県に要求する始末。
琉球新報は「社会常識を逸脱するような行為を省庁や出先機関が堂々と行う。公務員が本来守るべき職務遂行上の誠実さをかなぐり捨てる暴挙だと言わざるを得ない」と怒りを込めて防衛局の横暴に抗議していました。
モノを言うなら「開示期限があまりに切迫して迷惑をかけたのでお詫びしつつ、県の要望に添って回答されるようにお願いしたい」とするのが常識というもの。とにかく、「前知事の埋め立て承認には「瑕疵」がなく法的手続きに沿っている」というだけですから、県の第3者委員会が重大な瑕疵が有ると言おうが、県がどう言おうが、翁長知事の埋め立て承認を取り消しは論外という立場。すでにこの政権は憲法学者・弁護士が口をそろえて言うように「独裁政権」です。
政府は、あの集団的自衛権容認を前提とした戦争法案についてさえ、潰れ去った理屈に基づいて「憲法に違反しない」といってきたのですから、これからは自分(の解釈)が憲法だというつもりなのでしょう。
政府は何とか翁長知事の「埋め立て承認取り消し」を遅らせたいのでしょうが、まもなく取り消しを宣言することは規定の方針ですから、あとは国が裁判に訴えようが大きな世論で国を圧倒するしかない。

さて、一方の戦争法について全国で廃止をもとめる運動がとまらない。
「総がかり行動実行委員会」は8日夜の集会で「全国2000万署名」や「毎月19日の全国いっせい行動」などを含む一連の行動提起を行いました。憲法学者200人余りが「法律は憲法9条に抵触し正当性を持たない」として戦争法廃止を求める声明を発表。
労働組合のナショナルセンター全労連は11月を「かがやけ憲法月間」に設定し10月23日に学習決起集会を予定しています。
学者の会も学生のSEALDsと一緒にトークセッションなど一連の行動を配置、これまた元気いっぱいです。
おそらく参議院選挙に向けてこの動きはとどまることなく続くでことしょう。
その一方で、安倍内閣の支持率が少し上昇したという報道がありました。さもありなん。彼らは「争点そらし」「忘却戦法」の達人ですから、経済・生活安定の幻想を与えれば支持率が上向くだろうことぐらいはよくわかっている。そのために、ウソでもホントらしく宣伝しなければならないわけです。
バカを見るのは「支持」した国民(そうでない人もですが)であることは明らかですが、それがわかるにはまだ少し時間がかかるかも。自ら気がついて、こんな政権を見放す日が早く来て欲しいもの。アベを退陣させるべくさらに声を上げ続けることがその第1の条件でしょう。



  10月8日(木)
今日も素晴らしい快晴です。午前中は恒例のバラの会の作業にでかけました。園に行く途中には池田町を隔てて遠く北アルプスが見渡せる場所があって、今日は最高の眺め。田んぼはもうすっかり稲刈りも終わって、刈り株ばかりの田園風景が広がっていました。


バラ園では、夏ほどには勢いはないものの、小さい草が所構わず一面に芽を出して、放っておくと来年春に大変なことになるので、今のうちに処分しておかないといけません。
バラ園は北アルプスが一望できる絶好の場所にあるので、作業もそこそこにお茶の会。あと1ヶ月半ほどで今年の作業も終了になるので、そろそろ来年に向けての予定も決めなければという話も。
最盛期から見れば花の数も少なく全体に貧相になっていますが、まだそれなりに花を咲かせてくれている株もあって、今日も作業中に写真をとりにきている町外の方が1人いました。








夕方は「戦争法案に反対する池田町民の会」の呼びかけ人会議。これまでの活動のまとめをしたあと、今後の組織のあり方や活動の進め方について話し合いました。
小さい町ながら、大看板や軽トラパレードなどいろんな取り組みをしたことを評価する意見が出された一方で、署名のあり方や若い人へのアピールの仕方などでもっと工夫が必要だという意見、労組やPTA、団体などもっと働きかける人たちがいるので話し合いを続けたいという意見などが出されました。
今後の体制では、これまでの組織を土台として当面「戦争法に反対する町民の会」として衣替えをして活動をつづけることを確認。「呼びかけ人」を「世話人」と改称してスタッフを充実すること、大看板の設置を続けること、学習会で戦争法廃止に向けた活動の展望をつかみながら今後の活動の進め方を検討することなどを確認し合いました。
この地域に合った地道な取り組みの一方で、SNSなどを活用した新しい層への働きかけをすすめることが痛感されました。
写真では、何となく「重い」雰囲気が漂っているように見えますが、全くそんなことはなくて活発に意見交換しましたよ。重い頭を支えていらっしゃる方が何人かいただけです。ご安心を。





  10月7日(水)
昼夜の寒暖の差が大きな季節。朝は10度を下回るほどですが昼は一転汗ばむ陽気。ただ昼はカラッとして湿度が低いので秋から冬にかけての時期としては最も過ごしやすく気持ちがいい。写真は昨日の夕方の北アルプス。


今週末から3日間、MNEMOさんと友人3人が安曇野を訪れます。行きますよ〜というメッセージがブログでも載せられていましたので、こちらでも受け入れ準備OKですよ〜とお返事申し上げます。
天気予報によれば、10日夕方から翌朝まで雨模様ですが、午前中から回復に向かい11,12日と割といいお天気に恵まれそうで、あちこち出掛けるにも問題はない模様。
どこへどのように出掛けるかの細部はまだ詰めていないのですが、まあ何とかなるでしょう。
今日、池田町の神社の宮司さんに電話で仁科神明宮について詳しい人がいないかどうか問い合わせたついでに、あれこれ神社をめぐるお話を聞かせてもらいました。
その宮司さんは仁科神社については、地域が違うので分からないといいつつ、地元の神社のことについてはいろいろと語りたいことが山のようにあるようで、ぜひ地元の八幡社について話を聞かせてもらえないかと依頼しました。仁科神明宮の宝物収蔵庫を見るにはガイドの付き添いがいるようで連絡先も聞かせてくれました。MNEMOさん、もしご希望なら連絡をしてみます。

話は変わって、内閣改造のこと。安倍首相は組閣発表後の記者会見で、またまた例のごとく「アベ語録」を披露してくれました。この人はよほど自分のコトバに酔っているようで、中身は空疎というより欺瞞的・大言壮語プロパガンダとでも言った方がいいようなシロモノ。事実を知るものにとってはまるで正反対のことを真実のごとく断言するのは、まさしくヒトラー張りです。

本日、内閣を改造いたしました。この内閣は未来へ挑戦する内閣であります。少子高齢化に歯止めをかけ、50年後も人口1億人を維持する、そして高齢者も若者も、女性も男性も、難病や障害のある方も、誰もが今よりももう一歩前へ踏み出すことができる社会をつくる。1億総活躍という輝かしい未来を切り開くため、安倍内閣は新しい挑戦をはじめます。

これは冒頭の一節ですが、聞いている方が恥ずかしくなる。「1億総活躍という輝かしい未来」とコトバだけが踊っていますが、その実態は?いったいどんな未来を描いてそう言っているのでしょうか。
つい先日国会を通過し施行された改正派遣法。施行の前にすでに若年労働者(15才〜25才)の非正規雇用率は男女とも50%に近いのです。結婚すらできない実態もデータで示されている現実。もし「輝かしい未来」というのなら、正規雇用を原則とする法規制をきちんとやり、さらに生活も結婚もできる賃金を保証することが先決でしょう。「生涯派遣」にどんな未来が??安倍内閣はやっていることと言っていることがまさしく正反対です。

地方の農業者の不安によりそい、まさに2人3脚でTPPをピンチではなく、チャンスとする若者が夢を持てる農業へと農業改革を大胆に進めて参ります

北海道の青年酪農家が不安を隠せないように「もう酪農を続けられないかもしれない」と語っていましたが、若者がどうやって夢を持つのでしょうか。ここでもやっていることと言っていることが正反対。

1億総活躍社会に向かって、政策の実行、実行、そして実行あるのみであります。
・・・今回、党では稲田(朋美)政調会長、内閣では高市(早苗)総務相に留任していただきました。引き続き政権運営の中核としてご活躍いただけるものと思います。そして新たに、島尻安伊子沖縄北方相、丸川珠代環境相に入閣していただきました。それぞれの分野で女性ならではの目線を生かし、新風を巻き起こしてほしいと思います。


おいおい、名うての右翼、稲田・高市女史とならんで、あっちふらふらこっちふらふらの島尻さんに、問題行動オンパレードの丸山さんと来れば、結局は安倍さんにすり寄ってゴマをする女性だけを登用したんじゃないのかしら。これって私のヒガミですかねえ。
資質に問題がある議員を選りすぐって、「政権運営の中核」だなんてバカも休み休み言ってくれ。これまた白黒正反対です。
背筋が寒くなるようなこのアベの「しゃべり方」って一体何なんだろう?

先日来ちらちら読み始めているアドルフ・ヒトラーの「我が闘争」から、その一部を紹介しておきましょう。以下はよく引き合いに出される第6章「戦時宣伝」からの抜粋です。

【宣伝は手段】宣伝は手段であり、したがって目的の観点から判断されねばならない。それゆえ、宣伝の形式は、それが奉仕する目的を援助することに有効に適合していなければならない。

【宣伝の目的】ドイツ民族(引用者注・・ユダヤ人ではない)は、人間的存在のための闘争を戦った。そしてこの闘争を援助することが、戦時宣伝の目的であったはずである。これを勝利にまで助けることが目的であらねばならなかった。
・・・宣伝は戦争においては目的のための手段であった。しかしこの目的はドイツ国民の生存のための闘争だった。かくして宣伝もまたこれにあてはまる原則からのみ考察されえたのである。残酷きわまる武器も、それがより迅速な勝利を条件づけるならば、人道的であった。そして国民に自由の尊厳を確保するのを助ける方法のみが美であった。

【宣伝はただ大衆に対してのみ】宣伝はだれに向けるべきか?学識あるインテリゲンツィアに対してか?あるいは教養の低い大衆に対してか?
宣伝は永久にただ大衆にのみ向けるべきである!

【宣伝の課題】宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は、宣伝が目ざすべきものの中で最低級のものがわかる程度に調整すべきである。それゆえ、獲得すべき大衆の人数が多くなればなるほど、純粋の知的高度はますます低くしなければならない。
しかし、戦争貫徹のための宣伝のときのように、全民衆を効果的に引き入れることが問題になるときには、知的に高い前提を避けるという注意は、いくらしても十分すぎることはない。

【絶対に--主観的に--一方的なること】宣伝の課題は、たとえば種々の権利を考慮することではなく、まさに宣伝によって代表すべきものをもっぱら強調することにある。宣伝は、それが相手に好都合であるかぎり、大衆に理論的な正しさを教えるために、真理を客観的に探求すべきではなく、絶えず自己に役立つものでなければならない。




  10月6日(火)
TPP大筋合意を受けて「コメや牛肉など重要品目について関税撤廃の例外を数多く確保できた」「自民党が交渉参加に先立って掲げた国民との約束はしっかり守ることができた」と胸を張る安倍首相の記者会見。
テレビでこの発言を聞きながら、福島第1原発事故の放射能拡散について「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」と世界に向けて言い放ったあの光景とダブって見えましたね。傲慢で自己顕示欲の固まりのような安倍首相、ますます顔が歪んできたような・・・。
一方でノーベル賞の発表。大村智北里大特別栄誉教授の医学生理学賞受賞のニュースは、本当にほのぼのとするいいニュースです。私などは親から「人のためになることをしなさい」などと言われたことは一度もありませんでしたけれど、大村さんの両親も祖母も「人のためになることをしなさい」と言い聞かせたといいます。それを、大村さんは終生守り通したんですねえ。
授賞後の記者会見で「私の仕事は微生物がやっている仕事をいただいたもので、私自身がこんな賞をいただいていいのかなと思います」と語り、朝自宅前に詰めかけた記者から「これからの目標は?」と聞かれて「81才まで生きることですかね」というあたり、飾らない実直な人柄がにじみ出ています。

日中戦争の実相をもっと知らなくてはと思って、本棚に眠っていた何冊かを取り出してここしばらく読んでいました。その中に小平喜一さんの「湖南戦記」というのがあります。
この本の部隊は敗戦まであと一年という日中戦争末期の中国奥地が舞台。日本軍が立てた(「し」という字が出ないので画像で)の顛末を描いた本です。
この作戦の狙いは本人が次のように書いています。
「我が二十軍は航空基地を覆滅して湖南省一帯の輸送補給路の安全を確保し、あわよくば余勢をかって四川省内に侵攻し、宿願の重慶攻略をも企図したものである」
ところがこのもくろみは見事に外れ敗退に次ぐ敗退。装備・機動力に勝る中国軍に完膚なきまでに敗北を喫するのです。
小平さんは、日本軍の無様な様子を克明に跡づけ、その敗北の要因を冷静に分析しています。
中国では要所で日本軍の駐留部隊が置かれていましたが、そこを通過していく部隊を「通過部隊」とこの本では書いています。その通過部隊の略奪の模様を次のように描いています。

通過部隊は食糧徴発ばかりでなく、建物を壊し、家具を焚き、めぼしい物品を不必要なまで持ち去るなど思う存分荒らし回って発って行った。
掠奪は表面上禁止されていたが、掠奪行為は作戦行動に欠くことのできぬ日本軍の伝統的体質であった。・・・徴発、掠奪をガタクルと言った。これらガタクリ部隊は遠くは日清、日露を始め、シベリア出兵を経て満州、支那事変と受けつがれた日本軍の普遍的伝統であった。


この「糧を敵に求む」現地略奪は必然的に現地住民(非戦闘員)に対する殺害・暴行につながっていきます。「殺す・犯す」を目撃した彼は次のように書いています。

日本人の心中にこれほどの残虐性が派生したのは戦争時における一時的特異現象であろうか。「焼くな、殺すな、掠めるな」の三訓は、「焼くな、犯すな」でもあったはずである。・・・非戦闘員は絶対殺さないとする倫理が日本軍隊の中に確立できないのはどうしたことであろうか。

現地調達=掠奪を基本とした日本軍はこれによって、最後には飢餓地獄に突き落とされることになります。

弾丸がなくなれば肉弾で、食がなければ草を食み、木の根をかじっても戦えという陸軍の古い伝統だけが強調されて、糧食の補給は2次的に考えられていたから、第1線部隊は弾薬の不足に加えて常に飢餓とも戦わなければならなかった。

この作戦での無残な敗退はビルマ戦線でのインパール作戦と対比されることが多いようですが、作者もインパール作戦と並ぶ愚劣な作戦であるとしてその敗因を列記しています。そして全体を総括して次のように書いているのが印象的です。

何一つ得るものがなかった作戦であると断言していいだろう。兵隊は何も知らず、知らされず、黙々と出撃し、死力を尽くして戦ったが、その功は何ら報いられることなく、そして間もなく近づきつつあった日本軍の末路を見届けることなく死んでいった。
戦後となった今日も、これら「一銭五厘」の消耗品の怨魂は心安まることなく、怒りの眼を見開いて、白馬山中をさまよっているに違いない。


当時の郵便料金が一銭五厘であったことから、一枚の召集令状(赤紙)でかり集められる兵隊は「一銭五厘の命」と当時呼ばれました。
さて、安倍首相にとっては、大陸での戦争は日本の生命線を守る正義の戦争であり、欧米列強の圧力に抗してやむなく行った自衛戦争ですから、「侵略戦争」であったはずがありません。閣僚や自民党幹部の圧倒的多数を占める「靖国派」のみなさんからすれば、兵士たちはお国のために戦って立派に死んでいったのですから、皇軍たる帝国陸軍が掠奪だの婦女暴行などの卑劣なことをするはずがない。
ウソと神がかりの精神主義は敗戦で死滅したのでしょうか。私には到底そうは思えません。それが根強く残っているのは政界とスポーツ界。財界のお偉い方々にもこれは根深く巣くっていますしね。
よって、今日の為政者が国民にモノを言うとき、あの日本軍のおぞましい姿が形を変えて私たちに忍び寄っていないか、十分に注意して聞くべきではないかと思われます。



  10月5日(月)
毎日ちょっとは何かを書こうと思いつつ、このごろは外に出ていることが多くて、夜になると少々疲れてパソコンの前に向かう元気がありませんでした。
今日も午前中は倉庫の片付け。今までは畑の地主さんの大きな車庫に入れさせてもらっていたのですが、畑が替わったために自宅に置かざるを得なくなり、それには倉庫の片付けが必要だったからです。ゴミであふれていましたし。
午後からは畑に行って、秋から来年の作物を植える準備。草の根を掘り、土を堀起こしてから耕耘機をかけて黒マルチ。今年で辞めようと思っていたイチゴの畝を作っておりました。友人にすべて苗を渡す予定だったのに、半分も持って行かなかったので、苗100株ほどが余ってしまった。捨てるには忍びないので植えてだけおくかというつもりで畝を起こしていたのです。
明日はさらに同じ作業をして、今度はニンニクの植え付けの予定です。
妻は唐芋の収穫にかかりきり。何しろツルが伸び放題で、ツルを切ってから掘り起こさなければならないので結構な重労働。土が硬いと「芋づる式」とはいかない。
帰ってからさっそく「イモご飯」にしました。なかなかおいしかった。ご飯のカサを増やすにはこれが一番ですね。
というわけで、食事が終わると瞼がトロンとしてきて、パソコンどころではなくなってしまうのです。このあと天気が良い日はほとんど畑で農作業になります。

先ほど、テレビのテロップで「TPP大筋合意」のニュースが流れていました。後発の日本がアメリカの手下となって世界の「経済圏」づくりに狂奔するという見苦しい姿が目に浮かびます。
会議自体は完全に秘密交渉で、日本の衆参両議院の議員たちでさえ何がどうなっているのかわからない。おそらく開けてビックリということになるのでしょう。米の無関税枠はアメリカとの今後の交渉になるということらしいから「国益は守られた」と交渉団は胸をはるのでしょう。
本当にそうか。農産物だけではなく、BSE規制、食品添加物、残留農薬、遺伝子組み換え食品などの規制はどうなるのかわからない。沖縄のサトウキビ産業がどうなるのかわからない。その結果、農業経営と日本の食糧自給率が今度どうなるのかわからない。
「自由診療の拡大」の圧力に日本が抗し得たのかどうかわからない。医薬品の特許権が結局アメリカの言い分で押し切られたらしいから、今後ジェネリック医薬品の開発がどうなるかわからない。
そしてISD条項がどうなったのかわからない。
「わからない」というのは、すべて否定的にわからないという意味です。アメリカにとってはこのTPPのターゲットは日本なのであって、日本をアメリカ多国籍企業の支配下に置くというのがその狙い。ここ10年くらいで保険会社の宣伝は圧倒的に外資系じゃありません?日本の保険会社はどこに行ってしまったのでしょう。これがあらゆる分野で強められる。
食糧の輸入(アメリカにとっては輸出!)の増大によって、国内の農家は営農意欲を失い、農地は荒れ食糧自給率はどんどん低下する。「食料安全保障のためにTPPが必要」などという勇ましい論調が幅をきかせて、あたかもTPPで農業が「再生」するかのように描く論者がもてはやされる。さて、何かが起こったときに、だれがどのように責任をとるのでしょうか。



  10月1日(木)
沖縄防衛局が翁長知事に「行政手続法に基づく聴聞を行うべきだ」と言いながら、いざ10月7日に聴聞会を開くと通知したとたん書類を提出して出席を拒否。あまりにも沖縄県を無視した横暴なやり方です。
聴聞を行うことについては、「国の機関・・・がする届出については、この法律の規定は適用しない」と定めた行政手続法第4条を根拠に、防衛局を「私人」扱いして聴聞などする必要はない、直ちに埋め立て承認を取り消すべきだとする批判が根強くありました。「私人」となれば、「国交相が審査請求に基づいて取り消し処分の「一時停止」を指示し、無力化することができる」(しんぶん赤旗記事)からです。
一方では知事の「石橋をたたいて渡る」式の相手につけいる隙を与えないやり方に理解を示す見解もあって、複雑な局面をむかえていたのですが、防衛局の方からはしごを外してきた格好。これによって翁長知事は埋め立て承認取り消しの作業に入るのではないかとの観測が強まっています。
辺野古では早朝から車両の進入を阻止するための身体を張った座り込み行動が続けられており、勝手な理由をつけた逮捕者も出ていて、権力の「総掛かり」の弾圧が続いています。知事の決断はもはや一刻の猶予もならない情勢。
同時に、この辺野古新基地建設は県民よりも対米公約優先の反国民的な暴挙だという点からも、戦争法の一部をなすという点からも、沖縄の差別を固定化するという点からも、沖縄よりもむしろ本土側のたたかいが求められる問題だという認識が必要です。
もともと、戦争法案の審議最終盤で地方公聴会を開いた次の日に、その報告もされないまま、審議打ち切り委員会採決という前代未聞の暴挙をやってのける安倍政権ですから、強権的にどんな屁理屈でもつけてくる。ヒトラー顔負けの安倍と鉄面皮で蛙の面になんとかの菅コンビですから、圧倒的な庶民の数の力で彼らを包囲し孤立させる意外にないでしょう。どんなに強権敵にやってこようが、彼らが惨めな末路を辿るのは目に見えています。

9月20日に発売された「戦場が見える島沖縄」(嬉野京子著 新日本出版社)を妻が母親大会で買ってきました。私の方が先に読んでしまったので妻は不満そう。ま、それはともかく、副題に「50年間の取材から」とあるように、復帰前から「命がけ」で土地取り上げやひき逃げなどの米軍犯罪、沖縄県民の過酷な生活などの沖縄の実態を克明にカメラに収めてきた集大成とも言える本です。写真のリアリティがハンパではない。
嬉野京子という名前はずいぶん昔から知っていたような気がしていたのですが、どうにも思い出せない。多分、彼女がそれこそ命がけで撮った「米軍に轢かれて死んだ小さい女の子」、道路に横たわる女の子を囲んでいる米兵たち・・の写真とともに覚えた名前だったのかと思ったり。または、名古屋で沖縄返還同盟の一員として沖縄の人たちから話を聞いていた頃に知った名前だったのか。
この写真は、当時から大きな衝撃を持って広く知られるようになったものですが、池田香代子さんのブログに嬉野さんの講演記録とともに収録されているので、"ああ、あれか"と思われる方もいるのでは。
直接沖縄に深い関係がなくとも、なぜ私たちが沖縄戦の実相や基地に囲まれた沖縄の実態を知るべきなのか、頭ではなく感覚でずばりつかむことができる本、それがこの「戦場が見える島沖縄」ではないかと思わされました。




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