夏の間にもっと黒点病などの対策をしていれば葉もそれほど落ちなくて、もっと全体に青々としていたのにと、いつものことながら悔やまれました。来年こそは・・・。
明日からしばらく沖縄。準備(家の片付けを含めて)は午後6時にはすべて終わりました。
今晩、明日の食事を作るのが面倒(ゴミが出る)なので、近くの台湾料理店に行ってチャーハンと肉料理を注文。このお店は何しろ量が多いので明日の朝食の分まで十分あります。容れ物をもらってお持ち帰り。
ハルちゃんともしばらくお別れです。よくなついているお隣さんに朝晩のエサやりだけはお願いしてあるのですが、やはり主がいないと情緒不安定になります。まあ、今回は一週間もないし、そう寒くはないので何とかなるでしょう。下は、朝日が差し始めたあたたかい縁側でのいつものポーズ。
さて、沖縄辺野古の問題です。政府の新基地本体工事を強行は言語道断のファッショ的な暴挙です。知事権限を奪う代執行まで視野にいれるというのですから、アメリカの軍事植民地に加えて「本土政府による沖縄の軍事植民地化」の開始宣言と私はとらえます。
琉球新報、沖縄タイムスは翁長知事の記者会見の模様を伝え、次のコメントを紹介していました。これは圧倒的多数の沖縄県民の気持ちではないでしょか。
承認取り消しについて、法律的に最終的な判断が示されないまま工事が強行されたことに激しい憤りを禁じ得ない。
政府はキャンプ・シュワブに機動隊を配備し、辺野古新基地建設に反対する県民への強権的な態度をあらわにしている。沖縄の人々の気持ちに寄り添う、と言っているが、一連の行動からそのような意思はみじんも感じられない。
(代執行手続きの一環として、国から是正勧告書が届いたことについて)審査請求において承認取り消しの効力を止めておきながら、今度は所管の大臣として、承認取り消しを取り消せ、と勧告することは自らの都合に応じて立場を使い分けていると言わざるを得ない。世界に向けて法治国家であると胸を張って言えるか。(是正)勧告は甚だ不本意だ。
琉球新報は社説で、「安保法制に続き、国民の安全よりも軍事を優先する安倍政権の危険な姿がさらに鮮明になった。沖縄だけの問題ではない。国民は座視してはならない」と書き、「沖縄以外でもしこのようなことがあれば政府は強行しないはずだ、沖縄に対する安倍政権の強権姿勢は常軌を逸している」と怒りに満ちた悲痛な抗議の声を上げています。
たとえば、除染で出た放射性物質を含む土砂の処理を巡って政府は知事権限を取り上げてある県に保管を押しつけるのでしょうか。放射性廃棄物の地中埋設地についても同様のことをするのか。絶対にできないでしょう。
事実、中谷防衛大臣はオスプレイの佐賀空港での訓練を撤回しているではありませんか。
いったん決まったことだからとか、米政府と約束したことだからという政権に、存在する意義や価値はない。安倍政権は再考して、新基地建設計画を撤回すべきだ。
地元紙のこの声に私たちはしっかり耳を傾け、あらゆる支援のたたかいを強めなければなりません。
さて、この工事再開の強行を「本土政府による軍事植民地化の開始宣言」と書きましたが、もしそうであるなら、植民地からの脱却は自決権を行使した「独立」しかないではありませんか。政府のやっていることは、沖縄県民への差別的蛮行だけではなく、民主主義を破壊し、憲法をなきものにし、この国を丸ごと危険な戦争の淵へと落とし込むことに他なりません。
このような安倍政権は一刻も早く打倒し文字通り国民主権の政府を打ち立てるべきです。
今日の読売新聞は「沖縄の世論は一枚岩ではないのだ」「中国の接近に警戒感が必要」ということをしきりに強調した記事を載せていました。読売論説委員は、8割の県民が翁長知事の埋め立て承認取り消しを支持していることにはあえて耳をふさぎ、1割でも2割でも異論があれば一枚岩ではないと言いたいらしい。
そりゃ一枚岩ではないことは当たり前でしょう。問題は、沖縄の圧倒的世論が政府のこのやり方に怒っているということです。安保は認めるという人は沢山いる。翁長知事もそうです。米軍全て出て行けと言っているわけではない。
沖縄には普天間基地とは比べものにならない米軍(空軍)嘉手納基地がある。嘉手納基地を一周したことのある人なら、どのくらいのものか余りの大きさに度肝を抜かれるでしょう。その撤去を要求しているわけではないのです。
さまざまな違いはあっても、圧倒的な人々が、このやり方はないだろう、沖縄県民を馬鹿にするなと抗議しているのです。読売は、そのことを「一枚岩であるかないか」にすり替えてしまっている。意図的できたない世論誘導です。
中国の接近というあおり方は政府、極右の主張と同じ。中国が沖縄を狙っているとか、翁長知事が中国接近路線をとっているなどというデマを流し、何も知らない人々を丸め込もうとでも思うなら、それは沖縄県民を差別し愚弄する言動といわなければなりません。