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  2月27日(金)
清沢冽の「暗黒日記」の中に次の一節があります。

「戦争は文化の母なり」と軍部のパンフレットは宣伝した。それを批評してから我等は「非国民的」な取り扱いを受けた。いまその言葉を繰り返してみろ!戦争は果たして文化の母であるか?

毎日新聞に安倍首相の「日教組」ヤジを巡って、これは単なるヤジで済まされる問題ではない。ネット右翼が好むレッテル貼り「非国民」「売国奴」「日教組」と同じレベルで、相手を恫喝し言論を封ずる手口なのだという批判が載っていました。今も昔も変わらないということなのです。

その清沢列さんに、ケチョンケチョンにこき下ろされていた人物に徳富蘇峰という爺さんがいました。清沢さんは書きます。

日本だけだ、抽象的精神力というものを重視するのは。物量や発明も精神力であることを気づかずに。蘇峰の如き議論がドン・キホーテの最たるもの。かれは全く科学的考え方はない。・・・
大東亜戦争に導いた民間学者で最たるものが二人ある。徳富蘇峰と秋山謙蔵だ。この二人が在野戦争責任者だ。・・・
こうした人々を指導者とする日本は禍いなる哉。


この爺さんを担いで国民に「一億総討死の決意」をあおりたてたのが新聞各紙でした。これには清沢さんも開いた口がふさがりません。

一億総討死をしたら、その後の国家はどうなるのか。しかし、それがいまのところ軍人、右翼のイデオロギーである。

この「暗黒日記」には当時の新聞記事(切り抜き)が豊富に収録されているので、資料的価値が極めて高いし、当時の軍や新聞社の考え方が分かるので、大変おもしろい。その中で、結構たくさん引用されていたのが先に紹介したあの爺さん。当時の狂信的右翼イデオローグの1人として私も興味があったので、毎日ワンズから出版されている「勝利者の悲哀=日米戦争と必勝国民読本」を読んでみました。
一読しただけで読むに堪えない自己陶酔の駄文が羅列されており、こんなものに当時国民は踊らされていたかと思うと実に情けない。当時の風潮の中でこの本質を的確に見抜いていたのはさすが清沢列です。
軍部、天皇制権力は何故このような人物に利用価値を見いだしたのか。それは完全に彼らのイデオロギーの体現者であり、アジテーターであったからです。利用価値がなくなればポイ捨てになることも歴史の示すとおり。戦後は戦前の弁明のみに冗長な時間を費やしたのでした。
はっきりしていることは、当時天皇のとりまきや軍部が海外侵略を理由づけ合理化した考え方が、ここにそのまますべて彼の考えとして披瀝されていることです。
冗長な彼の文を要約するとだいたい次のようになります。

@ 変化きわまりない世界において日本だけが三千年来万世一系の天皇が統治しその臣民である大和民族は皇室を中心として生活してきた。日本は天皇すなわち現身神(あきつかみ)が統治する国土であるから皇国であり神国である。
A 日本の歴史は皇室の歴史である。鎌倉、室町、江戸時代とそれを忘れ果てていたが、江戸時代末期になり「猛然と迷夢から覚め」、「尊皇攘夷」としてその自覚がよみがえり維新を成就させた。
B アングロサクソンが本家(イギリス)、新家(アメリカ)の二手に分かれて日本にせまってきた。一時日本国民はこの魔手に心を売ってアングロサクソンの出店、仲買、小売りであることに甘んずる「あさましき心」を持つに至った。
C このアングロサクソン崇拝の迷夢から覚めるのは昭和6年、柳条湖事件(満州事変)である。なぜなら日本は東亜における防波堤、駆逐の原動力であることが東亜諸国民に示されたからである。当時日本がなければ東亜はアングロサクソンの植民地とされていただろう。
D 日本は100年来米英に対して「味方、親類」同然の好意を持っていた。しかし、彼らは自らの世界制覇の実現のために、日本の平和的通商・外交を妨害、日本に対して一切の手をアジアから引くことを要求し日本を「東亜の一隅に缶詰」にした。
E 日米の戦争は、米英によって徴発されたものである以上、わが皇国にとっては一億国民の生死存亡にかかわる。すなわちこの戦争は「自存自衛」の戦いである。
F 日本は東亜の指導者である。明治末期以来アジアの諸民族はみな日本を認めてその指導者としていた。日本以外にその責務を果たすものがない以上、わが国は10億アジアの同胞を背負って立つことにならざるをえない。
G 要約すれば、この戦争は「自存自衛のため」「大東亜解放のため」「世界新秩序建設のため」という3大目標を持つ。この3つは同心円であり、その根本はわが皇国の生命を保全するために始まり、世界を米英の暴戻・抑圧から脱却させることをもって終結する。


この結果がどのような悲惨なものであったかはさまざまな資料が示すとおり。しかしながら、どれをとっても今日の右翼的な勢力の背景をなしている考え方であることに驚きを隠せません。戦後”国民的な”レベルではこんな幼稚で神がかり、差別主義的で手前味噌、支配し侵略する側からの論法すら克服されてはいないのです。
戦後70年の地点に立ってもっとも重要なことは、この爺さんたちがまき散らした侵略戦争の論理を完膚なきまでに論破し精算し尽くすことであると私には思えます。
今日の日本に於いて、彼と同じ役割を果たしている人物がひとり2人ではありません。権力にすり寄り、そのイデオロギーの拡散者としてのみ存在価値を持つ人物がいることは日々実感していることです。
清沢冽の科学的で論理的な思考に学び、そうした人物のまき散らす論調に踊らされず、冷静に歴史を分析し、今日の動きを見通すことが大切だと思うのです。



  2月26日(木)
2月もあとわずか。私は明後日から日曜にかけて富山・金沢に出かけます。いとこのホームページ更新のためです。
3月14日には北陸新幹線が金沢まで延伸。いたるところ「皮算用」ばっかりです。口を開けば費用対効果、経済効果。その町を住民を主体にどのように住みやすいところにしていくかという観点が完全に欠落しているのではないかと勘ぐりたくなってしまいます。
福島第一原発では10ヶ月前から汚染水が外洋に流出していることを知りながら、対策もとらず公表もしない悪徳企業ぶり。融けた原子炉の内部がどうなっているかもつかめておらず、相変わらず高濃度の汚染水が環境を汚し続けている福島の事態。このままいけばどんな予想もしない事故が起こるかしれたものではありません。
一方の沖縄では、抗議する人々のテントを撤去させるために暴力的な弾圧。海でも陸でも辺野古にアメリカの新基地を「つくってあげたい」安倍政権の強権体質むき出しの動きが加速し、それを許さない県民のたたかいが不屈に続けられています。撤去すべきなのはそこにある基地なのに、です。
沖縄タイムスは、このテント撤去強制に対して次の社説を掲げています。

憲法が定める「表現の自由」の中でも、たくさんの人が共通の目的をもって集まる「集会の自由」は、民主主義における基本的人権の一つとして最大限配慮されなければならない。
テントは、キャンプ・シュワブ前の国道の歩道にブルーシートなどで作られたものである。抗議活動のベースであり、市民らの休憩場所として、夏の日差しや、冬の寒さ、風雨をしのいできた。
道路法では工作物などを道路上に設置し継続して使用する場合、許可が必要とされる。道路管理者が管理上支障がないと認めれば、許可される。
市民はこれまで、非暴力で節度を守り運動を続けてきた。いきなり26日と期限を切って撤去を迫るのは抗議行動の排除が目的としか思えない。
政府は前知事による埋め立て承認を唯一の根拠に、新基地建設を強行するが、前知事の行政行為は、違法性が高い上、問題点が多く、県が第三者委員会で検証作業を進めているところである。
そのような状況で国がとるべき道は、いったん作業を中断し、県と話し合う場を設けることだ。
参加者の多くは沖縄戦や米軍統治時代を知る世代である。居ても立ってもいられなくなっての行動だ。その一人一人の後ろに、新基地建設に反対する大勢の県民がいることを政府は直視すべきである。
何度でも聞く。安倍首相が繰り返す「沖縄の方々に寄り添う」という言葉の意味は何なのか。


40トンを超えるコンクリートブロックでサンゴが破壊された。埋め立て区域からはるかに離れた、勝手に作られた広大な制限区域の周辺でです。
その一コマを切り取れば「国の安全と天秤にかければたいしたことはない」という反論が返ってくるかもしれません。安倍政権の論理はまさにそうでしょう。だが本当にそうか。そしてそればサンゴだけの問題なのか。
今日の琉球新報は次のように書いています。

絶滅危惧種が生息し、環境省の有識者会議が生物多様性を認め、「重要海域」に選定した世界的にも保全が求められる海で、国は平然と環境を破壊している。
米国のための新基地建設には環境破壊もいとわない姿勢を、国は恥ずべきである。
2010年の生物多様性条約締約国会議では、20年までの絶滅危惧種の保全状況改善に関する国際目標をまとめた。日本はその時の議長国である。当の議長国が絶滅危惧種の保全環境を破壊しているとは、自己矛盾も甚だしい。
防衛局はサンゴを押しつぶした10〜45トンものトンブロックを県の許可の必要がないアンカーだと言い張り、県の資料提出指示も無視した。もはや許可取り消しの可能性を論じる段階ではない。
「辺野古移設ノー」の民意を踏みにじり、「環境の時代」にも逆行する移設作業をこれ以上続けさせてはならない。


県民、市民の抗議行動を暴力で押さえつけ排除し、遮二無二「国家」の意思=自公政権とアメリカの意図を押しつける構図はこれまでも何度も繰り返されてきました。
だが、沖縄での抗議活動がこれまでと決定的に、質的に違うことがあります。それは圧倒的な県民の声を背景にしていること。県知事、地元市長の明確な反対の意思があること。さらには、過去に見られたように一部暴力的な学生の介入などを許さず地元の住民を主体に粘り強い活動が行われていること。そして長い長い歴史を通して、ずっと新基地を作らせてこなかったことなどです。

福島の問題でも沖縄の問題でも、もっともっとふつうの市民が声を上げなければなりません。ブログ、ホームページ、メール、ツイッターその他可能なすべてのメディアを通じて、今何が起こっているのか、どうすべきなのかを知らせ、関心を広げる必要があります。



  2月24日(火)
パソコン周辺機器の宣伝を見て、つい衝動買いをすることが「まだ」たまにあるんです。もちろん昔と違って財布の中身がほとんどないので高額なものは買えませんけど。
今回のお買い物は、「USBメモリー」。それもUSB3.0規格256GBの超高速・超大容量メモリーなのであります。うたい文句に「SSDコントローラーの技術を応用、読み込み320MB/s、書き込み150MB/sを実現」とありました。
「そんな大容量を何すんねん」と軽蔑のまなざしを注がれそうですが、そこはマニアの悲しい性。いいものはいいのです。もっとも今日届いたUSBを手にとって見ると何と軽いこと。これでちゃんと動いてくれるんかいな。
最近の記憶メディアの進歩は著しく、2.5インチSSDもついに3TBに進化、2TBでもまだ4,5万円するので手は出ませんが、そのうちこれが当たり前になってくるのでしょうかね。
たくさんため込めるのはいいのですが、問題は一体何をため込むのかということ。ろくでもない映像を沢山ため込んでもゴミを増やすだけ。私としては、1年後あたりから計画している「映像」収録にどうしても大容量のメディアがほしいというのが密かな計画でして、これを持ち運び出来るというのはなんといっても魅力ですからね。
それにしても思うのは、今から20年ほども前のこと。まだ電話回線でモデムを使っていた頃、1mbのNetscapeNavigatorをダウンロードするのに一晩かかり、はじめて手にしたパワーブックが320mbのHDD、40mbのメモリーを実装して感動していたんですねえ。さらにそれを10年もさかのぼればHDDさえない5インチフロッピーのNECの時代もありましたから、この30年は恐ろしいスピードでIT機器が発達した時代。おそらくこれほどの進化がもたらされる期間というのはそうざらにはないのでしょう。良い意味でも悪い意味でもたぐいまれな時代を体験しているというわけです。
そして、そうなればなるほどそれらを開発し扱う人間の質の問題が問われるということ。これらの技術が無人機やミサイルなどの軍事兵器に転用されていくのであれば、それを進化というわけにはいかないのは明らかなことです。

今日の信濃毎日一面トップにデカデカと「西川農相辞任」の文字が。そこには、安倍首相への辞任の弁として「私がいくら説明しても分からない人は分からないので辞表を提出した」と話したと書かれていました。「これから農政改革をやる時に内閣に迷惑をかけてはいけないということで辞表を出した」とも。
補助金交付から4ヶ月後に栃木県鹿沼市の木材加工会社から300万円の献金を受領した疑惑、これまた補助金交付から4ヶ月後に「精糖工業会」の関連会社「精糖工業会館」から100万円の献金を受けた疑惑などについて「何ら問題はない」とうそぶく無神経、厚顔無恥。「いくら説明しても分からない人は分からない」という捨て台詞は聞き捨てなりません。
辞表を受けた安倍首相もまた「私としてはぜひとどまって、その職を全うしていただきたい、こうお願いしたところでございますが、・・・西川大臣の意思を尊重することといたしました。 大いに力を発揮していただいた方でありますから、大変残念であります」というのですから、違法な政治献金という意識は全くない。謝罪するという意思もない。早くしっぽ切りをして世論の目を他に向けさせたいというそれだけの政治的「思惑」での幕引きです。
TPP交渉で「(西川農水相には)大いに力を発揮していただいた」と持ち上げる安倍首相なのですから、誰かさんと同じように「日本はもうダメかも」といいたくなってしまいますね。ここいらで、もう一度自民党の「お笑いポスター」を見ておきましょう。





  2月23日(月)
2,3日前の朝ドラ「マッサン」で、特高警察がエリーを拘束していく場面がありましたが、あまりにもリアルな描き方だったために衝撃を受けた方も多かったのではないでしょうか。当時のさまざまな記録を読むとこの場面などはまだ序の口、共産党員やそのシンパに対しては想像を絶する拷問が行われたのでした。
現代ではそんなことはとても想像することもできないと大方の人は思うかもしれませんけれど、果たして当時の特高警察の体質=日本軍の暴力的・封建的体質は完全に否定されたのでしょうか。私には極めて疑問です。
もちろん戦前同様の逮捕・投獄・取り調べのようなやり方があると行っている訳でないことは当たり前です。問題なのはその種子が完全に除去されたかという点。米軍による民主化の過程において、旧特高や軍憲兵の解体そのものが極めて不徹底であり、国民の側からもそれらに対してきちんと否定的に対処出来たわけではないということが、今日にその体質を引きずっている要因であること。人的にはほとんど影響を失っているとはいえ、組織的には警察、自衛隊の底流を形成していると言わざるを得ません。
平成26年版の「警察白書」には、公党である日本共産党について特別に項(第6章、第3節、第4項)をたてていますし、次の項では「大衆運動」についてもその動向を記述しています。
さらに、警察庁の「現行警察法施行50周年記念特集号」では、第2章の冒頭に「暴力革命の方針を堅持する日本共産党」と題する節、「社会情勢とともに変貌する大衆・労働運動等」という節を設けて、「警察としては、引き続き日本共産党の動向に重大な関心を払っています」と記述しているのです。

平成26年度版警察白書
警備警察50年 焦点

住民の安全な生活を脅かす暴力やテロといった反社会的行動を取り締まることと、その方針を天下に明らかにし非暴力で民主的な活動を展開する政党や大衆運動を同列に扱うこの感覚こそ、戦前の体質を今日に引きずる何よりの証拠ではないでしょうか。



  2月22日(日)
今日の信濃毎日新聞一面に「『文民統制』既定全廃へ 防衛省法改正案 『背広組』優位を転換」と題する記事が載りました。
右の表のようにこれまで大臣(文民)が官房長、局長の補佐を得て制服組を統制するシステムを全廃、官房長、局長と並列して、それと同等に制服組(各幕僚長)が大臣を補佐するシステムに変更するというもの。
信濃毎日はこれを「『制服組』と政治 縮む距離」と表現、「旧憲法下で『天皇の統帥権』を盾に軍部が独走し破局を招いた歴史を振り返って、制服組を政治と密着させない制度の必要性について議論すべきだ」と書いていました。私に言わせればこの書き方では全く控えめ。もっとマスメディアは敏感でなければいけないのではないでしょうか。
東京新聞は「歴史の教訓全否定」と題して山口大学纐纈(こうけつ)厚教授の談話を掲載。ただし、記事はほとんど共同通信の配信に拠っているため各社全く同じ内容、同じ図版を使っているのが気になる。

<纐纈(こうけつ)厚・山口大教授(政治学)の話> 政府の十分な説明もなく、国民的議論もないままに文官統制を実質無にする案にぼうぜんとする。大胆な恐るべき改悪だ。このまま法律が変われば、文官は軍事的分野に立ち入れなくなり、制服組優位が実質化してしまう。防衛強化の流れの中で非常に不安が大きい。戦前、軍事専門家である軍人に全てを委ね、国民が知らないうちに決定がなされ、戦争に突入してしまった。その反省からつくられた文官統制をほごにするのは、歴史の教訓の全否定につながると考える。

この文民統制を厳格に規定しているのは、言わずと知れた憲法第66条です。憲法制定当時は一切の軍備を持つことを否定していましたから、軍部に文民統制が及ぶことは想定しなかったにしろ、「文民」が行政権の全責任を負うことを規定しているのですから、今回の防衛省法改正案は明確にこの規定に抵触するといわなければなりません。改定案に明らかなように、制服組が直接(!)大臣に政治的影響を与えることができるというのは、制服組が防衛省を直接動かすまであと一歩ということになります。

憲法第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。


法律の仕事に関わっている「なか2656」さんのブログは次のように指摘しています。

かりに防衛省や与党がそのような方向性の改革を行うのだとしても、そのような改革は憲法66条2項に反するのですから、順序としては、まずは政府・与党は憲法改正を行ってから、防衛省設置法等の改正手続きを行うべきです。そうでなければ、憲法改正前の防衛省設置法改正はうえであげた憲法98条に照らして無効であり、また、それらに携わった政治家や官僚達は憲法尊重擁護義務の違反(憲法99条)となります。

永田町、霞が関の政治家や官僚達は、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」とか、「憲法?法律?それがどうした!!」とでもうそぶいているのでしょうか。ここまで国家レベルでモラルハザードがまかり通ってしまうと、日本はもうダメかもしれません。


「日本はもうダメかもしれません」には妙に実感がこもっていて笑えない。なにしろ、制服組トップには例の田母神先生のようなお方がいらっしゃったんですから、そのようなお方が大臣を補佐したら一体この国はどうなってしまうのでしょうか。総毛逆立つどころか総毛抜け落ちてしまいそう。
制服組トップが果たして憲法遵守の立場を明確に示しているのかどうかを国民の前にはっきりさせることの方が大事なのでは??
防衛省にしてみれば、庁から省への格上げを果たし、海外派遣での「実績」を積み、国際テロなどに直面した現下の状況の中で、いよいよ宿願の国防省への道筋をつけたいということなのでしょう。そして安倍政権としてもその意向を全面的に受けて現行憲法改正の実質を確保しておきたいという思惑が見え見え。歴史に逆行するこのような憲法無視の蛮行を許すわけにはいきません。
若い世代にはおそらくこの動きが将来どのような結末としてはね返ってくるかは見えないはず。学ぶことを通してしかこの危険性をえぐり出すことはできません。



  2月21日(土)
2月もあっという間に最終週へ。このところ天気の良い昼は気温もそこそこ上がり、春の兆しを感じさせます。しかし、夜から朝にがけてはマイナス5〜10度の厳しい寒さ。今年はふところの中身も少ないせいか、ことのほか寒さが身にしみました。こうした昼夜の大きな寒暖の差はこのあと5月初旬まで続きますから、引きこもりの日がまだまだ続きそうです。

妻は今朝早くから協立病院友の会の議案審議のためといって泊まり込みで会議にでかけました。私の方は夕方には地域の公民館の役員会。最後の役員会で、一年間のまとめと引き継ぎの内容を協議し、そのあと打ち上げの懇親会です。
今年の公民館分館活動は若い役員たちに支えられて、当初の目標をほぼ達成することができました。地域でこうした地道な活動が続けられていることは貴重です。
長野県の長寿を支える1つの要素に活発な公民館活動があると言われることがあります。公民館活動が、日常的な住民活動に関わるものであればそう言えるかもしれませんが、最近の活動はどちらかといえばイベント中心となっているので、どこかでこうしたイベント依存の現状を総括して今後のあり方を検討する必要があるのではないかと思わせられました。

さて、安倍政治は低劣さが際立つ状況に。安倍首相自身が民主党議員の西山農水相の政治資金をめぐる質問に「日教組、日教組」「日教組どうするんだ」
とヤジをとばす。共産党志位委員長の代表質問に自民党山田議員が「さすがテロ政党」とののしる(後に謝罪)。何なんですかねえ、これは。
ヤジはそれを飛ばす人の品性というレベルの問題のみで切り取ることはできません。その人を形成する頭の中身そのものから出ているということ。過去に形成された思想や考え方そのものを根源として生じているということです。従ってそれは、単に個人の問題だけではなくその人が社会的生活を送ってきた総体、関連する組織・団体とのかかわりなどすべてがそうした考え方に結びついているということです。
ヤジの背景には、彼らの思考と行動の総体が横たわっていると見なさなければなりますまい。戦後70年を彼らの思惑通りに導こうという衝動がいよいよ強まっている時も時、ふと口を突いて出る彼らの本音を見逃すことはできません。



  2月17日(火)
先日も書いたとおり、ここしばらく眼科医を開業している従兄のホームページの更新作業をしておりました。といっても、根本的に文法から変えるのではなく、前に作った様式にそって多少CSSを多めに入れて見栄えを良くしただけで、大した変化はありません。いずれ、ちゃんとした新しい仕様で作り直さなければならないとは思っていますけれど、勉強する時間も必要なのでとりあえず・・・です。
結果はトップページの「fujimura」にリンクしてあります。ただ、まだご本人の正式な校正を経ていないので暫定的にアップしてあるだけです。下にもリンクしました。

藤村眼科医院

今日の「家庭の医学」で、画期的な白内障の手術を紹介していました。従来は、白濁したガラス体の内部を吸引したあと眼内レンズ(単焦点レンズ)を入れるだけだった(これは保険適用)のに対して、遠くにも近くにも焦点が合わせられる「多焦点レンズ」が開発されているようで、これを使えば白内障はおろか老眼、近眼も同時に直せるといいます。。実際に手術現場の映像や患者のその後も紹介していましたが、困っている人には福音ですね。
原理は聞けばなるほどと膝をたたくような簡単なものですが、その技術となると想像もできません。こうした細かい技術は日本のお得意ではないかと思うのですが。
ちなみに、すでに白内障手術で単焦点レンズを入れてしまった人には、再手術は困難なので、ドイツのHumanOptics社が開発したAdd-on眼内レンズというものを使うらしいい。すでに装着した眼内レンズに2枚重ねで追加挿入するというのです。
ただこの多焦点レンズの手術は先進医療のため保険適用外なので70万円ほどもかかるのだとか。そう簡単にはできません。
テレビ番組で紹介されていた執刀医師は東京歯科大学水道橋病院のビッセン宮島教授。わずか10分で超精細な手術をやり遂げる神の手を持つスーパードクターです。こりゃ、沢山の患者さんが押し寄せるんじゃないかなあ。
医療の日進月歩には眼を見張るものがあります。沖縄の新基地建設なんかやめて、安く誰でも安心して治療できるようにこうした医療にもっともっと国のお金を使うべきですよ。安倍さん。



  2月13日(金)
まず下の動画をごらんください。これは昨日の沖縄タイムス(上)および2月9日のジャパンタイムス(下)で紹介された大浦湾での海保の暴力的な排除行動の証拠映像です。




上の動画は、ヘリ基地反対協議会(安次富浩代表)が那覇での記者会見の席上公表したもので、このような海保の危険行為に対して協議会は刑事告発も視野に入れているとタイムス紙は報道していました。

大浦湾で起こっていることは海保の危険行為だけではありません。海に投入されたコンクリートブロック(1個2トン)によって、貴重なサンゴが無残につぶされいます。


この画像は琉球朝日放送の紹介によるもの。大浦湾は埋め立てるのだからどうなってもいいというのが国・防衛省の見解なのかもしれません。まさしく「あとは野となれ山となれ」ですね。

これに続いて今度はアメリカ海兵隊報道部次長の暴言。琉球新報しんぶん赤旗沖縄タイムスなどによると、彼のフェイスブックなどによる発言は次の通り。

@ 大尉は沖縄に全国の米軍専用施設の74%が集中していることについて「正確ではない。沖縄には(日本全国の)23%の米軍施設しかない」と日本政府や県などと異なる見解を示した。
A オスプレイの飛行回数(離着陸・通過)が24機態勢に増えた配備2年目に約1.64倍に増えたとする宜野湾市の調査に対し「計算機を壊して自分で計算しろ」と書き込んでいた。
B 琉球新報など地元2紙について「偏向しており公平でない。実際は多くの人が海兵隊の駐留を支持している」と書いた。
C (大浦湾で)けが人が出ていることなどを報じたジャパンタイムズの記者に、在沖米海兵隊報道部のケイリブ・イームス大尉が記事にメールで反論し、その中で「けがをしたようにみせようとしているが、実際見るとばかばかしい(“The attempt to appear injured is laughable when you see it in person.")」とのべた。「動く車両につかまって引きずられておいて、けがをしたと主張している」とものべている。


赤旗記事では、へり基地反対協議会の安次富浩代表の次のような見解が紹介されていました。

「今回の発言は本土復帰前と同じ支配者の目線であり、住民の自作自演という言い方は醜い支配者の姿を露呈したものです。結局、彼らが沖縄をどう見ているのか、この言葉に示されています。

辺野古新基地をめぐるこうした一連の出来事をつないでいくと、沖縄を占領当時と同じように軍事植民地として支配し続けようとするアメリカと、その意図を汲んで卑屈な姿勢で唯々諾々と従う安倍政権の姿がくっきりと浮かび上がってきます。



  2月12日(木)
気がついたらもう2月半ばになってしまいました。この間何をしていたかと聞かれるとちょっと答えに詰まってしまうのですが、2月7日のバラ愛好会の総会以外はほとんど自宅である作業をしていたとしか答えられない。沖縄の事態を尻目に、お恥ずかしい限りです。

その作業というのは「ビデオテープのDVD化」です。実はわが倉庫にはかつてため込んだ大量のビデオテープ(ほとんどが洋画)があって、もうこれ以上放置するとテープも劣化するしビデオレコーダーもだんだんなくなってくるという事態に直面。そのまま捨てるにはあまりに惜しいし、さりとて放置しておく訳にもいかず、この際思い切ってDVDにしちゃおうと思い立ったのでした。
思い立ったのはいいとして、いざ作業を始めると1本につき再生・読み込みとコーディングおよび書き込みの時間がかかるので、一日フルに作業しても4,5本が限界。画像・音声の取り込みにはhonestech社のVHS to DVDという手のひらサイズのデバイスを利用(かなり前にJust Systemの安売りで買った)。5本としても約200日かかる計算になります。そのうちビデオデッキがいかれてしまいそう。DVDメディアの代金もバカにならないしケースの代金も必要だし大変な作業です。

作業をしているうちに気になる映画が出てきてつい観てしまうと言うことも幾たびか。先日は妻と山本薩夫監督「武器なき戦い」を観ましたよ。そうそうたる俳優(いずれも若い!)が勢揃いしてなつかしかった。
退職したら一日一本ずつ映画を見て優雅に過ごしたいなどと思い、ひたすらダビングしていたのに、時代はDVD、BlueRayの時代に速やかに変わって、かさばってしかも画質の悪いビデオテープなどは今ではゴミ同然ですものね。
ついでにCDロムのお化けのようなLDも何とかしなければなりません。ま、一度DVDにしておけば死ぬまで見続けられるだろうし子孫への土産にもなるだろうからと、この際因果な作業を続けているわけです。

そうこうするうちに、金沢に住む私のいとこ(眼科開業医)からホームページ更新の依頼が舞い込んで、2月一杯はこの作業に忙殺されそうな気配。かつていとこが自分でメインテナンスできるようにとうんと簡単なものを作った(HTMLだけ)だけだったので、今回は多少CSSのテクニックも駆使してちゃんとしたものにしたいと思っているのです・・・が、さてどうなるか。
時代はHTML5.0とCSS3。沖縄問題を中心に将来考えているサイトのためにも、この際しっかり勉強しなければと心を決めているのです。
というわけで、何か作業をはじめると私は一直線になってしまうので、またまた更新どころではなくなってしまうかもしれません。二人とも元気でやっていますので、ご心配なく。



  2月3日(火)
沖縄名護、辺野古の海では海上保安庁の職員による暴力的な排除行動が止まらない。それどころかますますエスカレートしていると現地新聞は報じています。
陸上でも海上でも、自らの意思を示す市民の示威行動は(私的な領域での勝手な行動を除けば)憲法に保障された当然の表現の一手段です。道路上でのデモ行進では、警察は交通を整理したり歩行者に支障がないように安全を確保したりする以外は妨害することはまずありません。
ところが辺野古の海ではどうか。カヌーで沖合に出て抗議活動を行っている住民に対して、海保はカヌーをまず転覆させ、搭乗者を確保、さらにカヌーごと沖合に連行して放置するなどやりたい放題。なぜそんな乱暴なことをするのかという抗議に「上からの指示」だと答えるだけ。
なるほど、カヌーを転覆させ、搭乗者を海に放り出し、その後カヌーと海の中の搭乗者を「安全のため」沖合に引いていって、放置せよというのが「上からの指示」なのですね。

イスラム国による虐殺事件やサッカー監督の罷免ニュースの影に隠れて、沖縄で何が起こっているのか全く知られていない。マスメディアも報道しようとはしない。
沖縄タイムスは連続写真でそうした様子を県民に知らせ、「このまま行けば死者がでる」という関係者の声を紹介して抗議しています。琉球新報も事態を重視し「海保の暴力的とも言える過剰警備は増長にもほどがある」と社説で抗議。米軍キャンプシュワブ前の抗議活動でもけが人が続出していることを報じています。
「チョイさんの沖縄日記」では、抗議活動をどのように海保が妨害しているかが生々しく報告され、さらにはチョイさんご本人が海保によって指に怪我を負わされた様子が記録されています。
右の写真はチョイさんに暴力を振るった海保の一員。面割りと告発のために掲載しました。
ついでに、海保職員はサングラスに黒マスク。
いやはや、辺野古の海にも”イスラム国戦士”がいたんですねえ。

下の記事は、海保がまさにカヌーを転覆させようとしているところ。その直後の連続写真は沖縄タイムスの記事でご確認を。


機動隊・海保が米軍基地建設推進の先兵の役割を果たし住民に襲いかかるという構図。同じ事が過去にも繰り返されては来ましたが、今回は圧倒的な県民の反対の声を全く無視して強権的に基地建設を押し通そうとしていること。
これほどの無法、不当な行動が何故に許されるのか。安倍首相は国会で「テロに屈しない」と何度も口にしていますが、実はそのコトバの真意は辺野古の海で示されていると私は見ている。つまり、市民の正当な行動すら「テロ」と同格に扱うというのが安倍の本心だということ。辺野古の海でそのことがはっきりと現れているではありませんか。
邦人の救出だとか保護だとかというのは全くの口実、自らの軍事国家実現のためにはそれに反対するものはすべて”テロ集団”とい言いたいのです。奇しくも石破さんも2013年12月のブログでそのようにおっしゃいましたよね。

ブログ「安曇野賛歌」の北林さんは今日の記事で「安倍晋三」の中東訪問に関して表明した「ISILと戦っている周辺諸国に援助する」「テロリストの思いをいちいち忖度して、それに気を配る、屈するようなことが決してあってはならない」という論理について次のように書いています。

「イスラム国」とは、イラク戦争によって誕生した、憎悪と怨念と復讐の心がニヒリズムという化け物に姿を変えた過激派組織である。欧米への憎悪だけではなく、イスラームの権威を借りて自己を絶対化し、正当化する過激派組織であり、思想も宗教もない。自分に刃向かう者はすべて「異教徒」=「敵」であり虐殺すべき対象と見なす集団である。同胞であるはずのムスリムであるかどうかは関係がない。自分に絶対服従するかしないかで、敵か味方を選別するのだ。
 世界を敵と味方に色分けするのである。ブッシュの二分法の発想と瓜二つなのである。ブッシュだけではない、安倍晋三の発想でもある。


先ほど私が書いた、自ら描く「積極的平和主義」=「アメリカとの同盟+軍事国家づくり」=に反対する勢力はすべて「敵」「テロ集団」という見方(発想)を北林さんも見方を変えて指摘しているのですね。私もこの点については全くその通りだと思います。
安倍晋三が描く「戦後レジームから脱却した日本」を作るためには沖縄での軍事基地建設は何が何でも実現すべき最優先事項なのであり、それに反対する勢力に「屈することがあってはならない」。「反対行動をする一部市民の思いをいちいち忖度して、それに気を配ることがあってはならない」。
彼(安倍)の頭には、沖縄戦で悲惨な体験をした県民の「思い」も、米軍に土地を取り上げられ放り出された農民の「思い」も、米軍基地周辺の爆音にさいなまれ続けている住民の苦しみも一切存在しない。もしそうでないなら、暴力と威圧で住民を排除する「上の指示」など出るはずもないからです。



  2月2日(月)
今日は晴れてまばゆいばかりの一日。31日から1日にかけて富山に出かけていただけに、安曇野のこの明るさが目に痛いほどです。
妻がまだ娘の店を見ていなかったのと、父方の叔母にどうしても一度会っておきたかったこともあって、途中の雪が心配でしたが思い切って山越えして富山に出かけたのでした。
行きも帰りも予想を裏切って道路はさほどの雪もなく通行は平常通り。しかし、富山の空はどんよりと暗く、昨日の朝までに10センチほどの積雪もあって富山の空気を実感しました。
それにしても「暖かい」。池田町の寒気に慣れた身体には富山の気温の何と高いこと。昨日池田に戻って今朝はマイナス10度くらい。空は澄み、空気は乾燥しているので、北アルプスを挟んで100キロほど離れたこちらと向こうの違いはあまりにも大きいとこれまた実感。
例によって魚をかなり買い込んで昨日から今朝にかけてたっぷり海の幸を堪能しています。もう「寒ブリ」の季節は過ぎて店にはその姿がなかったのがただ1つ残念でした。

「イスラム国」による後藤さん殺害のニュースを富山で聞きました。何ともやりきれない思いで一杯です。
かつてイラク・アルカイダに捕らわれた高遠さんら3人の解放のためにたくさんの人が必死の努力をし、私もまたイラクの団体、アルジャジーラ、日本政府などにメールを送ったことを思い出します。
あのときとは異なって、相手は狂信的な殺人者集団であり、接点がまるでないわけですから、ただひたすらヨルダン政府などの対応を見守るしかない。その意味では誰もが胸を痛めながら日々を過ごしたに違いありません。
ご家族はじめ関係者の心痛を思うとき、ただ後藤さんの冥福を祈るしかありません。もちろん先に犠牲になった湯川遥菜さんについても同様です。

最悪の結果になったいま、あらためて3.11、イラク戦争、シリアで内戦などの歴史的経過を踏まえて、今回の事態を冷静に考えてみることが必要でしょう。それと同時に、これが戦争下での中東の人々、とりわけ子どもたちの苦痛を報道しつづけた後藤さんでなく、他の人だったら日本政府の対応、日本のメディアの対応はどうだったのかという問いを立ててみることもあながち無駄なことでじゃないはず。
今回の一連の報道(ネットでの勝手な書き込みは別)の中では「自己責任」という言葉は驚くほど聞こえてはきませんでした。湯川さんについては罵倒もしくは黙殺。後藤さんについては過剰ともいえるほどの「同情」の報道。「自己責任」はどこに行ったのか。そして、二人の報道の違いはどこから来るのか。ものすごい違和感を感じてしまいます。
ネット上ではさまざまな情報、評論があふれ、中には被害者二人の私生活に及ぶものもたくさん。しかし、私が感じた違和感に関するまじめなコメントも載せられています。たとえば、livedoorNEWSでの「エンジョウトオル」さんの記事、「見殺しにされた湯川さん(湯川遥菜さんのFacebookより)湯川遥菜さんへの哀悼の声の少なさに違和感 海外からは疑問視の声も」という「エンジョウトオル」さんの記事。さらに同氏は「LITERA」で「田母神信者」であった湯川さんに対して田母神氏側からの冷たい対応についても指摘しています。
政府の公式発表、テレビ・新聞・週刊誌などの報道から浮かび上がってくることは、この事件をある1つの方向へと導く格好の材料とみなしているのではないかという抜きがたい疑惑です。「テロを許さない」=「アメリカとの有志連合の一員として行動」=「それにふわわしい貢献」=「海外での邦人の保護と救出」=「安保法制のいっそうの整備(軍事体制の強化)」という一連の動きの加速。つまり安倍首相にとっては千載一遇のチャンスというわけです。
今回の事件の背景をさぐれば、竹本源治氏の「戦死せる教え子よ」の一節をもじって言えば、「君を縊(くび)ったその綱の端を、米軍といっしょに安倍首相も持っていた」とも言えるのではありませんか。米軍の無差別爆撃(日本も支持していた)で命を落としたイラクの人々の無念に想像力を広げ、同じことを繰り返す愚と対決することができなければ、暴力の連鎖は果てしなく広がることになると肝に銘じなければなりますまい。




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