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  11月30日(水)
沖縄最後の高江行きです。今日はちょっと寝坊して慌てて準備し、取るものも取りあえず出発したのが6時20分頃でしたか。高江に着いたのが7時20分くらいでした。いつもより早朝から走っている車が多く、あまりスピードも出せないのでちょうど1時間ほどかかったことになります。
到着したときは、普段より路肩に止めている車が多少多いかなと思う程度でしたが、そのうち大型バスやマイクロバスで到着する各地の「島ぐるみ会議」のメンバーが増えて、集会が中盤にさしかかる頃には200名を超えたようでした。
集会の終わり頃には那覇の島ぐるみ会議の40名ほどが大型バスで到着しましたから、ピーク時で250名くらいの参加になりました。
これだけ集まれば、機動隊も手出しできないし、工事も進めることができないようで、結局今日は機動隊の姿もほとんど見かけず工事車両もなし。中での作業の音が遠く聞こえるだけでした。午後からヘリが飛んでいたようでしたが、オスプレイの姿はありませんでした。
今日の集会の模様については、琉球新報の「辺野古・高江ツイッター」がいつになく克明にリアルタイムで報じてくれていますので、あとから振り返って名前などよく聞き取れなかったところもフォローできましたよ。
写真も、報道陣のアングルですから、私が隅っこから撮っているかわり映えしない写真よりよほど適切。従って私の写真はいくつかピックアップするにとどめますね。






例によって、歌あり踊りありの多彩な集会でしたが、今日のN1ゲート前集会の特徴は何と言っても翁長知事の「ヘリパッド容認」発言の直後のため、あらためてたたかう決意がみなぎったものであったこと、そして、いよいよ「12月決戦」を前に「本当の敵」安倍政権を追い詰めるための全国的な意志結集の場であったことです。
また、たたかいによって工事が思うように進行しておらず、12月22日の返還式もうわべを取り繕うものになるだろうことも明らかにされました。


まず、翁長知事の発言については、今日の沖縄タイムス紙が次のように伝えました。

翁長雄志知事は29日、米軍北部訓練場のヘリパッド建設で「苦渋の選択」との自身の発言が事実上の容認と報道されたことに関し、真意ではなく「不本意だ」との認識を示した。県庁で記者団に語った。
知事は、苦渋の選択は、オスプレイの使用が前提となっている「北部訓練場の返還(を容認すること)」だと説明。オスプレイを対象とした環境影響評価が実施されていないにもかかわらず、オスプレイが使用するヘリパッドが造られることは「容認していない」と述べた。また、1996年のSACO合意にはオスプレイの使用が含まれていなかったとし、現計画に関し「本来のSACO合意とは違う」との認識を示した。


しかし、翁長知事が事実上「容認」と受けとられざるを得ない態度をとり続けてきたことも事実ですから、これは言い訳としか響きません。
集会では、もし今日の表明が「真意」なら、オスプレイのための環境調査も行わず、以前の計画とは異なる杜撰な工事をやりながら県との協議にも応じない以上は、建設に反対するとの態度表明をきっちりと行うべきであることや、20日、22日に予定される返還式典には出席すべきではないという強い意見が次々と出されました。
「普天間基地の県内移設に反対する」ということにあわせて「オスプレイの配備に反対する」というのが建白書の基本的要求であり、翁長知事を当選させた「島ぐるみ会議」の基本的立場です。
SACO合意は、すべて代替を要求している悪質なとりきめですが、それと異なることが進行している以上、きっぱりと反対することは何ら合意違反でもありません。
オスプレイを前提としたヘリパッドを高江に造っている以上、これに毅然として対応するというのが知事の仕事でしょう。
「『知事を先頭にたたかっている』という言い方があるが、それは違う。先頭に立ってたたかっているのは、たとえばここに結集した県民なのだ。私たちが知事を選んだのだ」という言い方も聞かれました。知事が先頭になってたたかうべき局面があることは当然でしょう。その際も、あくまで県民の意志、要求を組むために、最前線でたたかっている人々の意見に率直に耳を傾けることが必要だという指摘もありました。その通りです。
知事がこうした煮え切らない態度をとっている背景には、高江の工事に対する県民の意識や本土からの批判などが極めて少ないという現実が横たわっています。水曜、土曜をのぞけば20人から30人、多いときで50人くらいですから、いくら高江が遠いといってもやはり少ない。連日数百名がつめかけ整然と抗議活動を展開すれば、事情は全く変わるはずなのです。反対しているのは「一部の活動家」だと言わせないだけのたたかいを組むことができるかどうか、12月最終決戦というならそのことが問われていると私には思えました。

今日の集会では1/3ほどは本土からの参加者だったように見えました。九州各県や山口県で「辺野古埋め立て土砂を運ばせない」運動を続けている団体の参加が目を引きました。
埋め立て用の土砂は県内だけではなく、鹿児島の離島や九州各県、瀬戸内海沿岸の各県から運ばれることになっているようです。辺野古で心配されてことのひとつが外来生物の侵入。すでにセイタカアワダチソウが蔓延っているとの報告もかつて聞きました。貴重な大浦湾を埋めたてること自体自然への冒涜であるし、やんばるの生態系に深刻な影響を与える可能性があるため、土砂の大量持ち込みは絶対に許すことはできません。

沖縄では、石垣、与那国などへの自衛隊配備がどんどん進められようとしています。
今日の集会には石垣市から平和な暮らしを守るために立ち上がった子ども連れの母親と沖縄戦を体験した高齢の女性4人が参加して、思いを語っていました。
やっぱり女性は強い。とくに子どもをもつ母親、戦争を体験した方たちは、安倍政権の狙いを的確に見抜いていますね。この中の石垣のおばあが正調(現地語?)「安里屋ユンタ」を歌ってくれて喝采をあびていました。


今日の集会でいよいよはっきりしたことは、12月22日に返還式を行うという一方で、ヘリパッドは全く完成の見込みがないことです。
リーダーの大城さんや土木工事に詳しい北上田さんも強調していましたが、ダンプで予定の倍以上の砂利を運び込んでいることも異常だが、加えていまだに大量の砂利を運び込まなければならないことや、芝をはがして補修しなければならないことを見ても完成にはほど遠い。
防衛局は、うわべだけを取り繕って完成したと見せかけること、完成したと報道することによってたたかいに水を差し県民を分断することなどが考えられる、たたかいはこれからだと強調していました。
集会では、「標的の村」の三上さんも参加していてしきりにビデオを撮っていました。




帰りがけ、辺野古に回って基地のキャンプシュワブの様子を見てきました。「高江ヘリパッド完成」を流した後は、いよいよ本丸の辺野古に彼らの力を集中するのではないでしょうか。




日が暮れてから、近くのラーメン屋に行きました。10日ほど前に初めて入ったのですが、とんこつラーメンが大変おいしい。
今日もとんこつと餃子を注文し、おいしくいただきました。代金を払おうと表示の金額を出したらそれより安い金額を言う。よく聞いてみると、今日は餃子半額の日なんだそう。なんだか得したような気になりましたよ。あと一回は来なくちゃね。


今日の沖縄タイムス、琉球新報電子版によれば、沖縄県警が今日の午前中に辺野古テントやヘリ基地反対協の事務所など5カ所を家宅捜索したといいます。ダンプがキャンプシュワブの工事現場に入るのを大量のコンクリートブロックを積んで妨害したという容疑(威力業務妨害)らしい。
さらに今朝は、高江に近い県道70号線大泊橋付近で住民二人が県警に逮捕されたというニュースもありました。うち一人は道路に座り込んでいたため、道路交通法違反の容疑で拘束されたといいます。
一方、翁長知事がヘリパッドの建設を「苦渋の中の苦渋の決断」として事実上容認したことについて波紋が広がり、今日の琉球新報は「沖縄県知事ヘリパッド容認 地元住民『心折れそう』 高江、失望と批判」とする記事を載せていました。


翁長知事の言い分は、北部演習場の過半の返還について反対するのは難しい、ヘリパッド建設については「オスプレイ配備撤回で物事は収れんされる」というもので、明らかに「新たなヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設に反対する」とした公約に違反します。現に建設されたものと建設中のヘリパッドはオスプレイパッドに仕様変更されおり、毎日のように低空飛行しているのです。そして、辺野古新基地と連動して新しい機能を米軍に与えることは明らかです。現行の工事は北部演習場の返還条件とは明らかに異なるわけですから、翁長知事はそのことを明確にして、オスプレイ用の着陸帯の建設には断固反対するという立場を貫くべきです。
沖縄タイムスは、保守系首長が何かを認めるときはいつも「苦渋の選択」という言い訳をすると皮肉たっぷり。県民が翁長知事に期待するものが大きかっただけに、この「選択」は失望と怒りを巻き起こしあとに尾をひきます。
高江での警察の捜査にしろ、市民の逮捕にしろ、権力をかさにきた弾圧政策は、大詰めに来ている建設が予定通りに進まないことへの焦りが背景にあるでしょう。粘り強い抗議行動への嫌がらせでしかありません。
事実、先日の雨でヘリパッドの一部が崩落し、芝をはがして修復工事をしていたという事実が報じられました。焦るあまり杜撰な手抜き工事が行われていることを伺わせるものすから。

高江の現場では、とにかく多数の機動隊員が住民を威圧し抗議行動を閉じ込め萎縮させることが第一条件。だから沖縄県警は違法車両がまかり通ろうが、どんなに道路を汚そうが、それは視野の外なのです。
沖縄県民は、米軍支配下の70年前からこうした理不尽な抑圧に果敢に抵抗を続けてきたのですから、弾圧が強まればそれだけ抵抗も大きくなるということです。安倍政権の一番の見込み違いはその点。
国家権力なんて普通目に見える訳でも聞こえる訳でもありませんが、それを見せてくれる場所が辺野古であり高江です。沖縄県民は長い歴史を通して国家権力がどのようなものかを肌身を通して知っている。そこが本土との決定的な違いでしょう。
というわけで、明日は沖縄滞在最後の高江訪問です。初めての水曜日、つまり一斉行動の日ですから、大勢の仲間が駆け付けることになるでしょう。

午後5時過ぎに日没。6時近くなってようやくあたりが暗くなってきました。長野なら午後5時はもう真っ暗でしょうか。
5時頃から散歩にでかけ、今日は2キロほど歩いてきました。天気がよいためか前半は好調だったのに、後半はまた同じ痛みが出てきました。それでも何とか歩き通して戻ってくることができた。
さっぱりと晴れ上がって風も心地よく、こんな日は散歩には最適。歩くのはもちろんTシャツ一枚。帰ってきたらちょっと汗ばんでいました。長野では考えられませんね。やっぱり冬は沖縄に限る。





  11月29日(火)
”やんばる”はその名の通り山と森の地ですからちょっと日の出が遅い。今朝は7時半にお日様が顔を出しました。
日の出前は鳥たちのさえずりがものすごい。ザワザワと風に鳴るサトウキビの間を縫って飛んだり電線にとまったりして絶えず鳴いています。やんばるの森の豊かさを感じます。


いろいろと対策は講じてはいるのですが、相変わらず腰の状態がよくありません。腰椎の一番下左側に強い痛みがあって、歩くと左足、左背中あたりに痛みが拡散、そのうち左足の感覚が少しずつ鈍くなっていく。椅子に座っているとほとんど痛みはないので助かっているのですが・・・。長野に帰ったら、やはり医者に行って精密検査をしてもらうのがいいのでしょうね。とにかく「だましだまし」の生活です。

そんなわけで、高江に行くとか、用事があって外出する以外は家で本を読んでいることが多いこのごろ。
昨日まで読んでいたのが「核の戦後史」(木村朗・高橋博子著、創元社)。コンパクトながら、「原爆・原発・被ばくの真実」を曇りのない目で追跡してまとめ、問題の所在を浮き彫りにしてくれます。
広島・長崎への原爆投下については、「原爆が戦争を終わらせアメリカ人の命を救った」とする「神話」の虚構性を明らかにするとともに、原爆をもたらした日本の責任についても見落とさず指摘しています。また、当時の原爆「被害」調査の政治的ゆがみが今日の福島第一原発事故の放射能への対応につながっていることもはっきりさせているのです。何しろすごく刺激的な本です。

今日は昼頃から「沖縄さんご(株)」のサンゴ砂加工販売部門である「コーラルバイオテック(株)」の見学に招待されていました。本当は11時半の約束だったのが10時ごろ電話があって、今から来ないかというので急遽出かけることにしました。といっても、そこは今帰仁の役場近くなので私のいるところから約10キロ。すぐです。
羽地内海の海岸沿いを屋我地島、古宇利島を遠く見ながらずっと走って15分もかからずに工場に着きました。


その工場は、海から浚渫したサンゴ砂を洗浄・選別し、さらに加熱殺菌し、さらに分別して出荷できるようにするのが主な工程。
サンゴ砂は、他の食品に混ぜてサプリとするもの、飲料水に入れてミネラルを抽出するもの、さらに肥料として使用するものなど用途はいろいろ。
水に入れてミネラルを抽出するものはロシアなど外国にも輸出されているのだそうです。何人かのみなさんが箱詰めの作業に追われていました。
私が呼ばれたのは、昨日も書いたように、長野でリンゴ園を再生するプロジェクトへの協力依頼でしたから、そのことについての打ち合わせにも入れていただきました。
りんごの名称もすでに考えられているようで、「しなの美(ちゅ)ら姫」にしたいのだそうです。さっそく私が帰る翌日の8日にスタッフが長野に行くので、現地視察にどうですかと誘われてしまいました。私自身がリンゴ園の作業に関わる可能性は限りなくゼロに近いのですが、ここまできて協力できませんというわけにもいかず、どんなリンゴ園なのかもみたい気持ちもあって参加することにしました。
写真は順に、@さんご砂の加工工場、A海から荷下ろししたばかりのさんご砂、B砂の洗浄場(昔はうなぎの養殖場だったらしい)、C洗浄・分別する装置、D最後はスタッフの一部の方と。













  11月28日(月)
夜半まで続いていた風雨が今朝になってようやく止み、今日は風はまだ強いもののずっと曇天。
お隣のおばさんが「寒いね、寒くないの?」と聞いてきた。「いま何度くらいかね」と聞くと「今日は22℃だと言っていたよ」。「じゃいまは20℃くらいなのかねえ、ちょうどいいんだけど」・・・まあ、こんな調子です。こちらの人は20℃を下回ると「寒い寒い」。私はまだTシャツで過ごしていますから、感覚の違いは相当に大きいですね。

昨夜名護に戻ったのが午後10時。一日遅れで状況を書いています。
まず、午前中施設にいる義母のもとへ。みんな集まっているのに、母は一人で部屋にいました。元気そのものという感じでよかった。体操がはじまったので、みんなのところに行き身体を少し動かしました。ラジオ体操は「てぃーち、たーち・・・」という沖縄バージョン。
その後は、100才(それ以上?)になるというおばあさんと私と一緒に並んでおしゃべり。その方は「自分の年はもう忘れた。数えるのをもうやめた」と言うほどに、これまたシャンとして元気。
母は「あそこにいる人たちボーとて一日座っているんだね」「あの人は歩くときはいつもカバンを腕にかけているよ」「あの人は一日中ぐるぐると車いすで回っている」・・・などと一人一人について説明してくれました。よく観察しているので驚きました。
「ここにいると新聞読めないね」というと、「事務所にあるから借りて読んでいる」そうで、いやなかなかたいしたものです。昼食時間になり食事が運ばれてきたので、来週の土曜日に迎えに来ることを約束して約1時間ほどで施設を後にしました。




その後は、予定通り午後2時半からの「沖縄サンゴ株式会社」でのミーティングに参加。社長とスタッフ3人、東京から那覇空港に着いたばかりの経営支援NPO理事のUさん、それに私の6人で状況報告と今後の見通しなどについてあれこれ懇談しました。
話の1つの焦点は、大町で高齢のために続行できなくなっているりんご園をサンゴ砂とサンゴを使った肥料で再生して、新しいブランドリンゴを生み出そうというプロジェクトの見通しを話し合うことでした。
サンゴの効能についての説明を聞いて、マグネシウムの含有量が他の肥料と比べて突出して高いことから多用途の応用が可能であること、実際に作物に使ってみてかなりの成果を上げていることなどがとくに印象に残りました。サンゴの粉末はミネラル豊富なサプリとしても有用で、この分野でも非常に広い可能性をもっていると思わされたことでした。そのサプリを飲んでから髪の毛が黒くなったのだそう。う〜ん、たくさん生えてくれないかなあ。
サンゴを使った事業はさまざまな成果をあげつつあるとは言え、まだ緒に就いたばかりという印象もぬぐえず、地道に、しかし情熱をもって新規分野を開拓していくことが必要であると思わされました。
農作物についてはある程度の年月をかけた検証作業・データの蓄積が必要ですし、専門家を養成することも重要です。何と言っても根気強く大地に根をおろして専門的に取り組める若い人材の確保ですね。興味ある人をネットワークの輪に引き込むことができればしめたものです。
ただ、私自身は応援団の一員に過ぎませんが、できる限りの協力は惜しまないつもり。地力を回復し作物に活力を与える、いわば農と食にかかわる根源的な仕事ですから、本気でやればとてもおもしろいはず。若い人が興味・関心をもってとりくむ分野としては最適じゃないかと思えました。
懇談の後は場所を変えておいしい食事をいただきながら、さらに話は延々と・・・。火曜日にはサンゴ砂の工場を見学させてもらえることになりました。工場は今帰仁ですから私のいるところからすぐそば。これも楽しみです。
人々のしあわせに直結する仕事と位置づけて事業に取り組むスタッフは実に溌剌としています。開拓者ゆえの苦労も絶えないことだろうとは思いますが、会社ってこうでなくっちゃいけないと思いましたよ。





  11月27日(日)
早朝から大荒れの天気。低気圧にともなう長い前線が通過中で沖縄中が強風と土砂降りの雨に見舞われています。Uさん、悪いときにあたってしまいましたね。飛行機が無事飛ぶことを願っています。
私は、10時頃南城市に向かいます。施設にいる母を訪問したあと那覇に行くつもり。長野からのUさんとサンゴ砂を扱う会社の社長さんと懇談を行うためです。今回は南城市には泊まらないで、すぐに名護に戻ってくる予定にしています。

昨夕6時からのRBC(琉球放送)報道特集が、「憲法改正を目指す日本会議の実態」についてかなりつっこんだ実態解明をしていました。
その多くは、これまで出版された日本会議本で紹介されたもので、読んでいる人にはさほど新味のある内容ではなかったかもしれませんが、映像でその動きを見せつけられて背筋に冷たいものを感じた人も多かったのではないでしょうか。
番組では「憲法を変えよう」という運動の追跡に主眼が置かれていて、何をどのように変えるのかについてはほとんど触れられませんでした。しかし、日本会議のメンバーに「日本国憲法への憎悪」を強く感じたという取材記者の指摘は全くその通りで、その心の内はまさに「敗戦のルサンチマン」ということになるのでしょう。
このような情念に実際にとらわれた老人たちはもうほとんどいなくはなっても、その2世、3世がその遺志(心情までも)をくんで戦前への回帰を果たそうする動きが現に強まっている。それを止められないでいるのは、「戦後民主主義世代」と言われる人々がその民主主義の内実を地域レベルで実現してこなかったことにも一因があると私には思えます。
それゆえに、「『憲法改正』の真実」(集英社新書)で樋口陽一さんが言うようにもはや「改憲マニアたちと安倍政権を支える人たちは『革命』勢力」=事実上のクーデター(緊急事態条項でそれが可能となる)で憲法を停止さえ都合のよい政治体制をつくろうとする=だというとらえ、それに対して現憲法とその精神を「保守」しなければならないという見方が重要になってきます。だからこそ、私自身過去に何度も書いてきたように、自らの市民的意志で憲法の内実をつくる地域からの運動をつくりあげることが求められる。。
日本会議は、カネも人の財界や特定の宗教団体から集め、一見華々しい運動を作り上げているように見えます。しかし、共同通信社の最近の世論調査で、安倍政権下での改憲に反対が55%(賛成42%)という実態が国民の意識との乖離を示しています。だが、「憲法9条改憲」は反対だが、緊急事態条項や家族条項は必要だとみる意見は根強くある。この世論調査でも憲法改正が必要だと考える意見が58%と必要ないとする人の40%を大きく上回っているのですから。
世論の動向は、9条の会の結成を境に大きく改憲反対に針を向けました。しかし、北朝鮮、中国の動向をうけて、それも微妙に変わってきています。
おそらく国民会議側はチャンスとみていることは間違いない。安倍政権でしかできないという見方も共通しているでしょう。
安倍暴走政治を止め安倍改憲を阻止する、その一点で共闘する市民が総結集する場を一刻も早く中央でも地方でも地域でもつくりあげることが求められる。その機は熟しているのではないでしょうか。
日本会議に強力なカウンターパンチを浴びせたいものです。



  11月26日(土) その2
予定通り8時頃から大掃除を始めフローリングのつや出しやたたみの掃除などをして、いま10時半。まだ風呂、トイレが残っていますが、ちょっと休憩です。

今朝のニュースからいくつか。
まず、富山湾で「寒ブリ宣言」といううれしい便り。昨年はブリはもちろん、ガンドウ、フクラギ(ハマチ)さえほとんど姿を見なかったのでしたが、今年は25日に氷見で水揚げされ、今後安定的に出荷できるだろうということでした。帰ったら、天気のよい日を見計らって買い出しに行ってこなければ。

次に朝日新聞から。名古屋市で「生活保護世帯やひとり親家庭の中学生を対象にした無料の学習支援事業で、今年度の希望者のうち約450人が参加できず、抽選に漏れた家庭から『2回落ちた名古屋死ね』と苦情が寄せられていた」という話。全国でこのような学習支援事業が行われつつあります。
そのこと自体はむしろ好ましいことだし、もっと積極的に取り組むべきことなのでしょうが、国が教育予算や福祉予算を削減する中で自治体が苦肉の策としてこうした事業を行わなければならなくなっていることの方が問題です。一方、地方自治体も、地域の実情を無視して広域的にやろうとするあまり十分な事前の対策をとらないままスタートさせてしまわないか心配です。
名古屋市の場合は地域の児童館など計16区68カ所で学生などの協力で行うというもので、対象者の生徒は生活保護世帯の1099人、ひとり親家庭の5373人。応募したところ募集定員816人に対し1341人が申し込み、急きょ定員を46人増やしたものの452人がキャンセル待ちになってしまったというのです。
スタッフや場所の確保が十分でないのに、その実情を無視してスタートした画一的な行政の手法には大きな問題がありますし、そうした学習の場さえ設ければ問題が解決するかのような安易なやり方では長続きするとは思えません。現場の負担だけが増えるのではないかと危惧します。
問題の根っこは「子ども貧困」であり、それを見据えた行政の貧困対策の真剣度と、それに関わるスタッフの意識が問われているんじゃないでしょうか。

続いて、これも朝日新聞から。「核兵器禁止条約、日本も交渉参加 開始決議に反対ながら」という記事。
何じゃこれは、と思いましたね。「外務省によると、決議に反対しながら交渉に参加するのは日本だけ」「被爆地広島出身の岸田文雄外相の意向もあり、交渉の場で日本の考えを訴えることにした」のだそうです。
どの面下げて交渉の場にでるのでしょう。「交渉に反対した趣旨を分かってほしい」とでも言うために参加するのだとしたら余りに賛成国を侮辱する態度です。参加して「核抑止力は大切だ」と言ったとしても「本心は賛成だったんだ」と言ったとしても、他国からは「バッカじゃないの」と言われるのがオチ。こんなみっともない参加の仕方は絶対にすべきではない。そもそも交渉入りに反対などするべきではなかったのですから。

沖縄のニュースを2つほど。1つは「沖縄・辺野古工事が一部再開へ 普天間移設関係せずと県容認」というもの。
再開するのは移設予定地区域外の老朽化した隊舎の移転工事だそうで、県側は辺野古新基地建設とは関係がないと認められるとして工事再開を容認したというのです。
米軍キャンプ・シュワブ内での工事であり、「国は(大浦湾の)臨時制限区域を維持したまま、漁船とプレジャーボートの通行ができるよう手続きを進める」(沖縄タイムス)というものですから、埋め立てには直接関係がないとしても、キャンプシュワブ全体が新基地と一体のものとして強化されるわけですから、この県の態度には大きな疑問を持たざるを得ません。

最後は沖縄タイムスの「<土人発言>石垣市議会が意見書 発言不適切だが『県民への差別ではない』」という記事。
短い記事ではよくわからないところもあったのですが、要は市議会で「発言は不適切」だから抗議する、という趣旨の意見書を採択したけれど、この中には「県民に向けられたものではなく、県民への差別発言でもない」という文言があったので、公明2議員と野党議員が反対し、結局、賛成11、反対8でこの意見書が可決されたということらしい。
もともと石垣市は教科書問題でも政府寄りの立場をとってきたところで驚くほどのこともないのすが、こと機動隊員の差別発言について「県民にむけられたものではない」とする感覚はいかにも的外れで当事者意識ゼロ。石垣市は沖縄県じゃなかったんでしたっけ。

午前中にすべて掃除・選択を終わってシャワーを浴びて、そのあとはお昼寝。いい日です。
午後2時半。いつまでも家のなかにいるわけにもいかないので、ちょっとした買い物に。

夕方、500bほど散歩。近くのお家の軒先で咲いていたハイビスカスのいろいろです。たくさんの品種があるもんですね。最近は黄色い花が多く見られるようですが、私の好みはやっぱり真っ赤な沖縄の固有種「アカバナー」ですね。










  11月26日(土)
下の花は、庭の片隅に一株咲いていた名前もわからない花。けなげに咲いていました。


あいかわらずヤモリが活躍しています。ヒョイとカーテンを開けると頭の上にボタリ、戸を開けてもポタリ。最近はびっくりしなくなりました。南城市のヤモリと違って鳴かないのは少し寂しいけれど、なかなか可愛いヤツらです。

昼24℃、夜20℃という私にとっては理想的な過ごしやすい気温。沖縄で一人で生活していると、一番問題なのはやはり食事です。
朝はたいていシリアル+牛乳と野菜サラダですので、いったん買い置きしておけば何日かは持つのですが、昼と夜はそうもいかない。勢い外食となってしまいます。
熱源はボンベを使った小さい小さいガスコンロ一つなのでせいぜいお湯を沸かしてお茶かコーヒーをいれる程度。本格的にこちらで生活するなら、それなりに炊飯器とか電気プレートなどを用意すべきでしょうが、そこまでは出来ないので、近くの食堂で可能な限りメニューを変えて食べているのです。
とはいえ、昨年よりは何とか節約できているのかな・・・と。高江に行くくらいであまりあちこち出かけてもいませんし。

今日は、一日大掃除の日。後半1/3となったので、ここいらで床やトイレ、風呂などをきれいにして、ここを発つときに慌てなくてもいいようにしないといけません。それにちょっと筋トレなどもやっておかないと。

昨日は、夕方お勉強のお手伝いに行った後、ネットで囲碁の電王戦の模様3局の「解説」を見ていました。ご存じの通り、GoogleのAlphaGoに対抗して日本の「DeepZenGo」プロジェクトが開発した囲碁ソフトと趙治勲さんとの3番勝負の棋譜です。結果は趙治勲さんが見事2勝1敗で勝利したのでしたね。
プロのトップ棋士との対決ですから、私などは棋譜を見ても「そんなものか」と思う程度にしかなりませんから情けないのですが・・・。第1局に勝利した趙治勲さん自身のDeepZenGoについての評価は「自分よりも強い」「布石間隔がうまい」のだそうです。
第2局は「DeepZenGo」の勝ち。解説では「DeepZenGoの死活能力は本物でした。趙治勲名誉名人をどんどんと追い込み、最終的に全ての石を殺してしまった」と書かれていました。そして第3局は、やや中途半端ながら「DeepZenGo」が投了(開発者が投了を選択)して趙治勲名誉名人の中押し勝ち。なんだかソフトの終盤にあやしい動きの「気配」があったからなのだとか。
開発者はこの勝負でいろんな課題をみつけたらしい。ということは、囲碁ソフトは自分で自分の欠陥を修復するなんてまだまだということなのですね。
このニュースがテレビで流れたときに趙治勲さん自身がこんなことを言っていましたっけ。「コンピュータと人間が切磋琢磨してどちらも強くなっていくことが望ましい」。
自社のGPUサーバーファームを提供して開発に参加した(株)ドワンゴの川上会長も「人間とコンピュータが共に成長していくことが望ましい」とおんなじことを言っていましたから、今後プロ棋士と日本の囲碁ソフトがどこまで強くなれるのか、これからが楽しみです。
私たちが、市販ソフトとして手に入れることができるものもいくつかありますけれど、アマチュアが楽しむにはもう十分なくらいのレベルです。一昨日だったか届いたDMによれば、ディープラーニングを応用した銀星囲碁18はアマ8段の実力に達したのだとか。恐ろしい速さで強くなっていきます。あと2,3年もすれば、私などは井目(9子)置いてさらにそれに風鈴をつけて打たされることになる。
「DeepZenGo」も半年前にはプロ棋士に3子局だったから、その開発スピードはハンパじゃありません。最高水準のマシンと技術をもつコンピュータ会社と東大のAI研究の第一人者、それに日本棋院が協力して開発に集中しているのですからね。人間の開発するソフトです。果てしなく強くなってくれるのは決して悪いことじゃない。
人工知能の活躍する分野は福祉分野や商品流通分野などいろいろとあるはずです。ただし、重要な政策的あるいは軍事的判断に人工知能を踏み込ませてはなりませんね。
囲碁や将棋なら大歓迎。日本の開発者も頑張っていずれグーグルのAlphaGoと世界マッチをやってほしいものです。副次的な果実も必ず得られるはずですから。



  11月25日(金)
朝のうちは腰の調子も少しよかったので、高江に出かけることにしました。出かけたのは6時20分頃。まだ真っ暗です。早朝はほとんど車がいないので、思ったより早く7時半前には到着してしまいました。
路肩に止められた一般車両はいつもより多め。集会が始まる頃には40人ほどになったでしょうか。ここでも女性パワーはすごいですね。物怖じせず毅然として機動隊員と対峙しています。
今日の集会の司会はいつものとおり大城さん。高江集落の方の挨拶、神奈川、長野の団体の代表の挨拶などがありました。
工事の期限が迫っていることの反映か、どことなく今までとは違った雰囲気がただよっています。出てくる機動隊の人数もいつもより多い。例によって座り込み者に対する扱いはそれほどひどくはないものの、工事車両が来るのを見計らって有無を言わさず路肩に押し込めてしまいます。
私は今日は座り込みには参加せず「ごぼう抜き」されるのはやめて写真を撮ることに専念しようと思っていたのですが、どんどん引き抜かれていくのを見ていたら頭にきて、またまたみんなの端に座り込んでしまいました。
「もうすぐ工事車両が来ますから動いてください」「一人で立てますよね」「危険ですから立ってください」といつもの調子。「それなら、工事車両の方を止めなさい」と言ってももちろん返事なし。今日は機動隊員3人で持ち上げられてしまいました。








ほどなくパトカーに先導され7,8台の車列を連ねてやってきた工事車両。いつもと違って先頭は重機です。なにやら梱包したものを積んだ車がそれに続きます。
その後はいつものように4台ずつ一組になってひっきりなしに砂利を運搬してきます。
抗議する座り込み参加者は両端に囲い込まれて、向こう側へ行くにも端に移動するにも機動隊員がぴったりくっついてきます。
今日の参加者の中にはいつものシンガー・ソングライターの若い男性だけではなく歌手活動をやっている女性もいて、さながらヘリパッド反対平和コンサートという感じでした。もっとも歌い手の前を粉塵よけのマスクをした機動隊員が隙間なく囲んでいるのですから全く興ざめです。機動隊員向けのライブでもやったら若い彼らにはウケルかもね。本当にみんな幼いくらい若いんですから。








そうこうするうちに私の腰が悲鳴を上げてきたので、しばらく座っていたのですが、狭いところに閉じ込められていては身体を自由に動かしようもないので、皆さんには申し訳ないと思いつつ11時半頃には引き上げてしまいました。
一人で帰るときも、ありがたいことに「安全」のために200b先の車まで行くのに機動隊員二人が必ずついてきてくれます。「大変な仕事だね」と若い機動隊員に話しかけると、一人が小さい声で「そうですね」と返事してくれた。そりゃそうですね。機動隊に配備されて、命令とはいえ遠い地で理不尽な仕事にこき使われているのですから。



  11月24日(木)
空はどんよりと曇って、かなり強い風が吹きつけています。気温は20度くらいなのかな。名護の予想気温は18度〜22度。いままで25度以上でしたから、私にとっては最高です。しかし今後また暑くなるらしいので、それは困る。
ニュースでは、東京で初雪だったそうで、琉球新報までが雪が降りしきる浅草の写真を載せていましたっけ。ちなみに、長野松本の今後一週間の予想は0度〜10度(最低〜最高)。


沖縄滞在予定期間の約半分が過ぎてしまいました。妻が出かけていた同じ期間を考えても、一ヶ月というのは短い。あっという間に過ぎてしまいます。
これまでの一週間は雨の日が多くて鬱陶しい。雨になると腰が痛くなるので、早くすっきりと晴れてほしいものです。

昨日は午後から米軍基地の動きを見ようと嘉手納に出かけました。ところが、これまたお休みの日なのか基地内は閑散としており特に目立った動きはなし。
道の駅の屋上では、例によって記者とおぼしき人が大きなカメラを構えていましたが所在なげ。ただ修学旅行の高校生と思われる一団が大勢嘉手納基地を眺めていました。私立の高校なのでしょうか、あるクラスは基地を背景に「はいチーズ」、もう一つのクラスは基地を見ながら熱心に教師の説明に耳を傾けていました。。




沖縄に来てから、新聞はコンビニでときどき買う程度、テレビはほとんど見ないという生活なので、なんとなく世の中のことに疎くなってきたように思えてなりません。Wifiの限度を何とか超えないようにネット情報を集めてはいるのですが・・・。

そんな中、いくつかの出来事が目にとまりました。
一つはTPPについてのトランプ次期大統領の発言。
安倍首相がさっそく参勤交代しトランプ氏を「信頼できる指導者」と太鼓判を押してからわずか4日後に、「就任初日に(TPP)離脱を表明する」と明言したのですから、安倍首相の面目丸つぶれ。これだけアメリカ詣でをしているのに・・・とほぞをかむ思いをしているのでしょうか。まるでピエロですね。
読売も産経もよほど悔しかったのか「自由貿易の推進は、米国経済の成長にも欠かせない理念だ。それに背を向けた誤った判断と言わざるを得ない」「反保護主義を行動で示せ」と苛立ちをぶちまけています。
トランプさんは、これまでの交渉内容ではアメリカの利益にならないと明言しているわけで、安倍首相が言うような「自由貿易の推進」などはみじんも考えてはいません。オバマ政権のもとでまとめられた内容ですら、アメリカの経済的な支配を貫けるかどうかが問題だったのです。それでもトランプさんの目にはアメリカに「災難をもたらす」と映っているのですから、日本政府がいくら「あなたなしでは生きていけない」と嘆いてみてもTPP発効は絶望的。それだけアメリカ国内の製造業や鉱業などでの矛盾は鋭く深いといわなければなりません。移民問題で白人の雇用が奪われているという被害者意識がそれに輪をかけている。
それだけではなく有権者は為政者にその意図を伝え為政者はそれを何らかの方法で反映させようとする。そうしなければ政権が維持できないしくみ。アメリカはいろいろ大きな問題は抱えていても、そうした「健全さ」は残っていると私には思えます。残念ながら日本とは格がちがう。日本政府はそうしたアメリカの内実を完全に見誤っています。
日刊ゲンダイは「ハナからTPP反対を公言している相手に『再交渉には応じない』と強気なのだから、バカみたいな話だ」「相変わらず安倍政権は、TPPをめぐる情勢を全く理解していない」と書きました。全くその通りですね。
日本政府はトランプ大統領の登場の意味をとらえて、それに的確に対応する政治的な手段を講じているかといえば正反対。「あなたがいてくれないと中国に攻められちゃう」的なアメリカ一辺倒の対応しか出来ないのではあまりに情けない。
日本人のかなりの部分は、マスメディアのミスリードで、アメリカから離れたら中国とくっつくことになる(あるいは侵略される)と信じこまされているように見えます。そんなことはありません。どっちとも対等に渡り合う第3の方法がありますよ、ちゃんと。

二つ目は、辺野古新基地問題でのある元政府高官の発言です。
今日の琉球新報が、元米国防総省の上級担当官として沖縄返還交渉にかかわり、さらにクリントン政権の大統領特別補佐官などを歴任したモートン・ハルペリン氏へのインタビューを載せていました。
彼は、次期トランプ政権下での米軍普天間飛行場の移設問題の解決は「日本の安倍晋三首相次第である」とまず断言。そして、こんなふうにアメリカに伝えよとさえ提言しているのです。
「私たちは辺野古移設を試みたが、沖縄県民の反対は根強いことは明白である。残念ではあるが、私たちは別の方法を見つける必要がある」と。
「辺野古移設計画はやめるべきだ」「辺野古移設計画がなくても米軍が安保条約上の義務を果たせる」と言い切るその論理はすっきり明快です。
こんな危険なリスクを背負いながら基地を作ってみたところで他の米軍基地にも影響が及ぶ。現に起こっているではないか。「辺野古が唯一の解決策」などというのは政治のコトバではない。別の方法を考えようとトランプさんに伝えさえすればいいんだよ。
・・・いかがですか。日本政府のように判で押したような硬直した考えはどこにもありませんね。アメリカの政府内にはこうした考えをもつ人がまだまだいるのですから、もっともっと直接米政府に働きかけていくことが必要です。そして、当然ながらいつまでもアメリカにくっついて思考を停止させたままの安倍政権を追い詰めていくことが必要になりますね。



  11月23日(水) その2
朝から風が強く、Tシャツ一枚でいるとちょっと肌寒い感じ。それでもこちらに来て上に何かを羽織ったのは夜の2,3日だけ。
ところで明日からあさってにかけて寒気団が南下してくるため東京で初雪があるかも知れないと聞きましたが、ホントでしょうかね。沖縄でもかなり気温が下がるような予報でしたよ。お隣には空に向かって腕を広げたような大きなパパイヤの木があって、ざわざわと風に葉を鳴らしていました。


この前、直売所をのぞきに行って野菜の値段を見ていたら、葉物は比較的安いようでしたけれど、その他は全体的に高め。こちらでも天候不順のために野菜の価格に大きな影響がでているのでしょうか。そうはいっても、長野なら11月から来年3月頃までは何もできないのに対して、こちらでは野菜を作ることができます。ハウス栽培にすればかなりのものが出来るはず。この家の裏には広い土地があるので、もしこちらにずっといられるのなら耕して”ゴボウ”でも植えるのにね。残念。

今週の週末に、那覇で沖縄の「サンゴ砂」を扱っている会社の社長さんと、それを活用して長野のリンゴ栽培に生かせないかと考えているNPOの方とお話をすることになっています。私がそれに加わるのは、たまたま友人からの紹介があったためで、私がそうした活動に直接関わるという意味ではありません。その友人曰く「オルガナイザーMooにはうってつけの仕事だから、ちょっと行って力を貸してくれ」。まあ、そう言われれば仕方がないかというわけです。
ただ、なかなか面白い発想だし、果樹栽培にミネラル豊富なサンゴ砂をうまく活用することができれば、新しい付加価値をつけた商品を生み出すことができるかもしれません。そんなわけで、第三者の目から見てこの企画に何か感想があれば伝えるつもりで出かけることにしたのでした。
だいたい果樹などは成果がみえるまでには相当な年月がかかります。私たちの世代ができるとすれば、道すじをつけることぐらいじゃないのでしょうか。果たしてどうなりますか。

散歩のかたわら、道ばたにたくさん生えている月桃の実を採取しています。その昔ドライフラワーを習っていたときにその先生が、もし沖縄に行ったら是非持ち帰ってほしいと言われていたのをふと思い出したからです。
多分ドライフラワーのアクセントとしての使い道があるのでしょうね。よく見れば、3つに割れた実から種が見えてなかなか面白い形状をしています。
葉っぱはどこにでもたくさんあるのですが、きれいな実をつけたものはほとんど見当たらない。目をこらして歩いていると、散歩しているのか実を探しているのかわかならいことに。




夕方、ちょっとうたた寝して「しまった遅れた」と思い慌てて例の公民館に行ったら、何のことはない、今日は祝日で公民館自体が「お休み」。そんな話は聞いていなかったなあ。ガックリ。
どうしようもなく、スゴスゴと雨の中戻ってきたというわけ。早めに寝るに限る。



  11月23日(水)
今日はちょっと気分転換。
いま学校現場で「アクティブ・ラーニング」とやらが大流行だとか。能動学習あるいは積極学習なのかよくわかりませんが、要するに座学で受け身の昔ながらの教育とはおさらばしようという趣旨らしい。
そのカリキュラムや教科書がどのようになるのか、私にはさっぱりわかりませんが、内容をいい加減にして能動的にやれば成果が上がるようなものでもないでしょう。子どもたちは、本質に迫る課題が適切に配慮されて与えられればひとりでに能動的になってくれると私は思うのですけど。
確かに現在の教科書では、現実に生起する量の関係や空間とは全く切り離された教えられ方、または機械的な操作主義が蔓延していると私には見えます。たとえば1次関数や2次関数も教えられるのは図形としての直線や放物線で、現実の諸関係はその「応用」なので生徒にはものすごく難しいものに見えてしまう。逆転しているのです。
また中3で習う平方根だって、「なんじゃこれは」という不可解な記号に過ぎない。このまえ私の前にきた中3の生徒も、さっぱりわからんと嘆いていた。3の2乗を6だと思い込んでいる。
数学には数学のルールがあり、そのルール故に難しそうなこともうんとかっこよくスマートに処理できるという実感がなかなか持てない。さて、そうした現在の子どもたちの現状と教育の問題にどう対応するのでしょうか。
私は現場にはいませんから、総体的な見方はぜんぜんできませんけれど、日々生徒たちが直面している困難はよくわかる。それをどう解きほぐしていけばいいかもだいたいはわかる。少しでもそうした悩みに寄り添っていけたらいいなとは思うのですが。時間が足りない。

私が新しい教育課程での高校入試の問題をつくるとしたら、たとえばこんなのを出題しますね。おそらくどこかで絶対に出題されるだろうな。

問題1:Aくんが一人暮らしをするためにある部屋を借りたところ、長方形の部屋はたて840センチ、よこ560センチありました。
きちょうめんなAくんはこの部屋に正方形のタイルを敷きつめて飾りたいと思いました。一辺が1センチにすればいいのは誰にでもわかります。しかし、できるだけ大きな正方形(それより大きな正方形はない)を敷き詰めようとするとそんなに簡単なことではありませんね。
さてAくんは次のように考えました。みさなんもAくんといっしょに考えてください。
Aくんが考えたこと。その1
正方形で「敷き詰める」ってことは、たてもよこもその正方形の長さの倍数、逆に言えば正方形の一辺は、たてよこの長さの公約数になっている。つまりたて、よこの最大公約数を求めればいいんだな。まず計算でやってみるか。まず10は両方の約数だから84と56の最大公約数を求めればいいことになる。・・・さてみなさんもこのあとに続けて計算し、最大公約数を求めてください。

Aくんが考えたこと。その2 まてまて、計算だけじゃつまらない。正方形で敷き詰めるのなら、まず短い辺を一辺とする正方形をつくってしまおう。まず10は両方に含まれるから84と56で考えることにしてと・・・長い辺で残った部分は84ー56=28なんだが、ええっ!84と56の最大公約数は28と56の最大公約数にもなっている!
Aくんはたいへん重要なことに気がつきました。なぜそのように思ったか理由を考えてみましょう。

Aくんの考えたこと その3 あとはおんなじことを繰り返せばいいんだから簡単だったよ。みなさんは、下の図を参考にして、Aくんがどのように計算したかを考えて最大公約数を求めてください。



これは現在の高1で学ぶ「ユークリッドの互除法」の原型です。現在は単なる手続きとして学ぶに過ぎません。その幾何学的な意味を直感的にとらえられない限り皮相な理解にとどまってしまいます。現在の扱い方には、ユークリッドさんも草場の陰で、いやファロスの灯台をのぞむアレキサンドリアの砂浜で木切れを片手にさぞ嘆いていることでしょう。(彼はその木ぎれで砂浜に三平方の定理の証明を書いたと言われている。ホントかいな)

問題2:ふだん君たちが使っているノートや用紙はA3、A4、B4、B5のような規格が決められています。
A3を半分に切ればA4、B4を半分に切ればB5の大きさになります。
大事なことはどの規格でもそれらの長方形はすべて「たて対よこ」が「1:√2」となっていることです。
なぜそのようにたてよこの比が決められているのか。次の設問に答えることで考えてみましょう。ただし、「半分にする」とは長い方の二つの辺の中点を結ぶ線分で紙を折る、または切ることをさします。

設問1 たて対よこの比が1:√2の紙は半分にしてもその比は変わりません。そのことを計算で確かめなさい。

設問2 半分にした紙がもとの紙と相似になるのは短い辺と長い辺の比が1:√2の場合だけです。この理由を説明しなさい。

設問3 君たちの前にある紙はたてとよこの比が1:√2になっています。そのことを作図または折り紙で確かめる方法を考えてください。ただし、一辺が1の正方形の対角線の長さは√2となることは三平方の定理によって分かっているものとします。


下の図や式を見ながらみなさんも是非お考えください。正解でも別にご褒美はでませんのであしからず。




  11月22日(火) その2
もし連れ合いが沖縄出身でなかったなら、これほどに辺野古や高江のことを考えたり行動したりすることは多分なかったに相違ありません。仮に身近に沖縄の人がいても、果たして沖縄までやってくるということがあったかどうか。
少し私の20代前半のころを思い出してみると、名古屋の高校へ赴任するに際して紹介して貰い一室に住むことになった大きなぼろアパート(今も残っている!)に何人かの沖縄出身者がいたのです(そこには妻はいなかった)。彼女らが取り組んでいた沖縄返還運動に誘われて返還同盟の一員になったのがそもそもの私と沖縄との付き合い。
彼女ら、彼らの同郷の結び付きは本土出身者の想像を超えるものがあり、他の班のメンバーだった妻(豪傑女と言われていた)がたまたまアパートに遊びに来たときに初めて出会ったのでした。
どこでどのような出会いが待っているのかわからない。人生とはもともとそのようなもので、大災害との遭遇だってそういう性格のものでしょう。福島第1原発の事故とその後の政府や自治体の対応、被災者の生活といやが上にも向き合わなければならない場合には、それらが発生する磁場に絡め取られるように関わりを持たざるを得ない人生だってある。
反対に、放射能の及ばない遠くの地域の人たちにとってフクシマ問題が日常の意識にさほどのぼらなくなるのは普通で、むしろ日々薄れつつある人たちの方が圧倒的に多い。意識の中で通過していくだけの出来事は地球上のどこの問題であろうとそうなのですね。
MNEMOさんは「HNFにOを足すことができるかー」と自らに問いかけ、「Oが足せるかどうか、私の歩みが続きます(続きますように!)と書いていらっしゃいました。
安易にOがどこかにくっついていないMNEMOさんだからこそいいんですね。そんなに簡単にくっつくわけがないのです。一度沖縄に来たから付くというものでもない。そこでは、単に体験としてだけではなく、そこにかかわる意味もまた問われるからです。
厚木騒音問題に取り組んでいる人たちは、普天間や高江の米軍機騒音被害には直接リンクします。同根であるためにたたかう意味が明確だからです。
私には東北女川の支援はごく自然なあたりまえの行動でしたが、原発問題についてはついにしっかりした対応をせずに来てしまいました。だから、私にとっては「OにFを足せるかどうか」が、これからの課題でありつづけることでしょう。
一人の人間ができることなんてたかが知れている。やれる範囲で一生懸命やっていけば(もちろん深く本質を追求しつつです)、いつか何かの「はずみ」で、OやFやHやNがくっついたり離れたりするのじゃなかと私は思うんですね。MNEMOさんはFを中心に、私はOを中心にたえず発信し続ける。それでいいんじゃないですかね。それは必ずどこかでリンクする、根っこが同じところにあるからです。そう私は信じます。

ここで私が発信しているのは、私の目でみたことがらを私の判断で切り取っていることに過ぎません。たとえば、機動隊の「ごぼう抜き」。
それに入る前に、機動隊は2,3分間必ず「歩ける人は歩いて道の脇に行ってください」「車がくるので危険ですから道をあけてください」と大音量でがなりたてます。その上で動かない人を一人ずつ脇に運んで行くのです。
全く予備知識のない人からみれば、ダンプが来るにもかかわらず忠告を無視して座り込んで工事を妨害しているのですから、排除されても当然だろうとみるかも知れません。そう思わないにしても、なにもそこまでと感じるかもしれません。
問題はその先です。私のブログを読んで、なぜ私がこの局面をこのように切り取って発信しているのか、その真意はどこにあるのか、そのことと「私」(読者のこと)とはどんなかかわりがあるのか、そのことに少しでも関わらせてもらえればうれしい。
高江のこの工事が、なぜ高江集落を取り囲むように、まるで標的にでもするかのように作られなければならないのか、なぜ先に出来た2個のヘリパッドを先行使用させているのか(増えてしまっている)、違法改造車両を機動隊が守るという構図をどう考えればいいのか、貴重なやんばるの資源を台無しにする危険はないのか。何よりもこのヘリパッドで米軍は何をしようというのか。そこに思いを巡らせたとき、この「ごぼう抜き」は全く別の意味を持ち始める、と私は思うのです。

発信する以上、当然私の価値観で物事を判断し、現場の出来事を切り取り、あるいは貼り付け、加工していきます。「ありのまま」などとはこの際言いますまい。そうでないかもしれないと思われれば是非とも調べ直してほしいのです。
私がこうして高江での出来事を書いているのは、一日の仕事が始まるその時間に、同じ日本のある場所ではこんなことが起こっているのだよということを知ってほしいからです。
普通に仕事を持っている人が、沖縄のしかも辺地を訪問することはまず難しいでしょう。それでも、「来ちゃいました」という人が必ず毎日2,3人はいるのです。もちろん無理する必要はありません。条件がありさえすればぜひ来てみてくださいねと言い直しておきましょうね。連絡さえいただければいくらでもご案内いたしますから。もちろん宿も。



  11月22日(火)
今日未明の福島県沖の地震。まだ東日本大地震の余震だというのですからびっくりです。沿岸の人たちはもしや大津波の再来かと生きた心地がしなかたことでしょうね。被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

今日は3回目の高江。いつも通り6時に出発、7時過ぎに高江に着きました。
多少腰は痛かったものの、それほど負担にはならなかったし、高江では担がれる以外はほとんど座って抗議していればいいので、思い切って出かけたのです。
空模様もときおりバラバラという程度で、比較的天気に恵まれたのですが、参加者はやはり少ない。20人余りというさみしいスタートでした。
そうそう、高江に着く直前に、ヤンバルクイナがチョコチョコと道路を横断して行くのに出会いましたっけ。
さて、今日の機動隊はといえば、人数が少ないため片側にすべて囲い込んで、反対側には誰もいないのに、その道路脇に並んで道を確保している。何にもすることがないのなら、突っ立っていないで道路の掃除でもすればいいのにと思います。
朝のうちは、昨日の雨で道路がぬれていたために粉塵は立ちませんでしたが、日が高くなるにつれて土埃が舞い上がり、マスクなしではいられません。
この粉塵は、ダンプが運んでくる砕石についてくる泥で元から高江にある土ではありません。機動隊員も座り込み参加者も終日この粉塵を吸わされているし、午前中だけで60台を超える大型ダンプが入ってくるので、防衛局も道路をきれいにするなどということは全くしません。そのため県道は汚れ放題で、変な虫が大量に発生して周りを飛び回っている状態。単に樹木を切り倒しヘリパッドを作るにとどまらず、それを行うためにさらにひどい環境破壊をやっている。それを機動隊と防衛局が見て見ぬふり。
11時を少し回った頃でしたか、テレビでおなじみの毎日新聞特別編集委員・岸井成格さんが突如やってきた。いろいろ事情を聞いていましたから、視察に訪れたのでしょう。最後に地元記者の写真撮影に応じて30分ほどで帰って行きました。
沖縄タイムス紙のサイトでは、「県民、国民への説明が無いまま、強行に工事が進められている」と語ったと書かれていました。昨日のシンポ「沖縄から問う報道と表現の自由」に参加するために沖縄を訪問されたようでした。












午前中のダンプでの搬入が終了してゲートが閉ざされたので、私は帰路につきました。その途中、N4ゲートまで来たとき、にわかに轟音を響かせてオスプレイが至近距離で飛び立ったのでたまげた。N4のヘリパッドは県道からほんのすぐ脇なのです。2機のオスプレイがタッチアンドゴーを何回か繰り返して、普天間かどこかに飛び去っていきました。これじゃ高江の住民は安心して暮らせるはずもありません。



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次は、帰りがけ東村の海岸で休んでいたときに見つけた花。朝顔に似た花で数輪だけ岩の間に咲いていました。


朝早かったためか、途中の食堂で遅い昼食を食べて家にたどり着いたら急に眠気に襲われて、しばらく横になっていました。それからやおらまた散歩。
私のいる家から一山越えると羽地内海にでるのです。2キロほどもありますかね。今日は海の見えるところまで行って引き返してきました。約1キロ。そのうち、海へ出て、屋我地大橋の手前まで出て、戻ってくるコースに挑戦しようと思います。多分5キロほどあるかも。

佐藤優さんの名誉のためにひと言付け加えますが、「違和感を覚える」と書いていらっしゃったと思いますよ。なぜ、「感じる」としたのか自分でも意識がない、ということはそんな使い方を結構していたのでしょうね。昔からMNEMOさんにはいろいろ指摘していただいてありがたく「感じて」おりますが、一方で赤面の至りです。



  11月21日(月)
今朝から高江に行くつもりで昨夜は早くに寝たのですが、午前3時に目が覚め約1時間くらい起きていてまた寝たら6時を回っていて、さらにものすごい雨。つい行きそびれてしまいました。雨はそれからもずっと降り続いています。
腰の状態がずっと思わしくありません。ストレッチや筋トレを毎日やっているのですが、天気が悪くなるとやはり具合が悪い。よって今日は休息日。昨日荷造りした荷物を長野に発送したり、ネットでいろんな情報を集めたり、本を読んだりしてゆっくり過ごし静養に努めるつもりです。

午後からも断続的に雨が降り鬱陶しい一日。イオンモールに本を買いに行ったら、急に腰に来てすぐ近くのマクドナルドに緊急入店。そのときはそれほど込んでいなかったのに、まもなく近くの高校生とおぼしき若い連中が続々とやってきて店内は大混雑。そこで内田樹&姜尚中「世界『最終』戦争論」でもなかろうと、早々に家に帰りました。
帰る頃には腰も落ち着いて、すぐに近くのきび畑を1キロほど早足で散歩。何とか大丈夫だったので、こうして足腰を鍛えていけば腰痛も少しずつ緩和されるのではないかと楽観しています。

沖縄に来てからは、毎日「何か」をして過ごしていました。何となく何かをしないと時間がもったいないというか、意味がないというか、そんな気持ちに追われていた気がします。
自分は高江に行くために名護にいるんだとか、母に会うために玉城にいるんだというように。しかし、一日ゆっくり過ごしてみると、そう気負わずにのんびり過ごしてもいいんじゃないのと思えてきましたよ。だいたい、ここで書くこと自体、何があった、何をしたということから書き始めるわけですから、ほとんど「考える」ということをしていません。
他人のコトバを借りて何かを伝えようとしてしまう。これでは、伝わるわけがありません。所詮、他人のコトバなのですから。
本を読んでもこれは使えるとか、使えないとかという基準になるのなら、読まない方がよほど為になりますよね。

数日前でしたか、琉球新報に佐藤優さんが沖縄に関わりのない(当事者性をもたないという書き方だったかな?)人間が本土から辺野古や高江に「たたかいに」来ることに違和感を覚えるという趣旨のことを書いていました。その人間たちは「本土で闘争課題を失って、新しい課題を沖縄で見つけるためにやってくる」という種類の人間たちなのだそうです。
彼は辺野古や高江でいっしょに座り込んだり、防衛局や警察に抗議したりしたことがあったのだろうか。そこに参加している本土からの人たちのなかに多数そうした「活動家」が紛れ込んでいるとみているのだろうか。
もう一つ、彼の書くもののなかに、沖縄人は沖縄人であって、日本人とは一線を画するという意識が抜きがたく見え隠れします。
さて、私は彼の目から見ると一体どういう種類の人間なのでしょうね。また、沖縄への関わりがどれだけ強ければ辺野古や高江のたたかいに参加できるというのでしょうか。
この基地問題は、沖縄県が要請し地元が願い名護市が建設しているのであれば、あるいはそのようなことが言えるかもしれません。全国的な性格を持つ基地問題だからこそすべての日本人の問題として深くとらえなければならないときに、「活動家」や「沖縄との関わりの深さ」という言い方で本土からの支援を牽制する物言いこそ強い違和感を覚えてしまいます。
佐藤さんが座り込んだって、全国から派遣された機動隊員が丁寧に排除してくれます。中央政府がアメリカと合意したのですから敵は世界レベルなのです。
私は、安倍政権が戦争のためでしかない最新鋭軍事基地建設を強行するのを許すわけにはいかないから、異議申し立てをする。未来にこんな醜悪で浪費的で不健全なものを残すわけにはいかない。ただそれだけです。まして、沖縄県の圧倒的多数が基地建設を否定しているんですからね。
高江でのヘリパッドや辺野古新基地建設問題は、沖縄だけの問題では絶対にあり得ない。だからこそ、北上田さんの言うように、本土から一人でも多くの心ある人たちが現地に駆け付けてほしいと私も思うのです。沖縄との関わりはそこから生まれるのです。
関わりが深くなれば、歴史的な構造的な「差別」を克服する力もまたそこから生まれるのですから。



  11月20日(日)
1年前に来たときは、母の起床は6時頃で、私が起きる頃にはすでに起きて縁側で新聞を読んでいたものでしたが、今朝はいつまでたっても起きてくる気配がない。
昨夜は7時過ぎにはもう床についたのにおかしいなと思って部屋を覗くと、「もう少し寝る」と布団にくるまっていました。今朝はちょっと寒いのだという。よほど疲れが出たのでしょうか。
そういえば、夜中に一人で寝言をしきりに言っていましたから、その疲れなのかも知れません。朝は元気に起きて食欲も十分だったので安心しました。
食事のあとは、庭のあれこれが心配になるらしく、畑をみたりトウガラシを取ったり草を取ったりと忙しい。こっちは怪我をしないか、転けないかと心配しているのにお構いなし。午後早めに施設に送り届けるまで何とか無事でした。
「やはり家に帰りたいでしょう」と聞くと「それはそうだけど、負担をかける」というようなことを言っていました。来週は日曜日のお昼に那覇で用事があるので、場合によっては土曜日だけ家につれてこようかと思っています。


今日は朝から蒸し蒸しとした空気が充満してとにかく暑かった。朝庭に出てみると、たくさんのカタツムリが朝食の最中。好きな植物があるようでそこに集中していました。ネコは相変わらずベタベタ。
帰る頃には本格的な雨になって、名護につくころには風もでてきてようやく過ごしやすくなりました。昼28度、夜24度くらいで湿度がやたら高いので真夏のような感じの天気が続いています。




  11月19日(土) その2
午後2時頃から家主のお宅に家を借りているお礼かたがたおじゃまをし、ご夫妻としばらく歓談しました。
聞けば三線のかなりの腕前。使い込んだ愛用の三線を取り出してチューニングの仕方やら三線の奥の深さについて説明をしてもらいました。
趣味の釣りも話題になり、51センチの黒鯛を釣ったときのことを新聞を広げながら話す彼の顔を見ている奥さんはあきれ顔。
「一緒にに出かけたらどうですかと」いうと、以前は一緒に行ったこともあるらしく、奥さんは「自分の方が釣りはうまい」のだという。よく聞くと、奥さんの方は一緒に行くとゴカイが怖くてエサがつけられないので彼がエサをつけ、竿を投げるのも彼の役割。釣り上げるとそれを取り込むのも彼。結局彼が釣っている暇がないというのが真相らしい。だから「釣る数が多いのは当たり前」というのが夫の側からの言い訳でした。アホらし。
高江に行ったという話をしたら、自分たちも一度は行ってみたいと思っていたと話し、ひとしきり翁長さんを当選させた知事選や県議選などの話にも及びました。

そのあとは、母のいる施設に行き、いっしょに車で自宅に。さっそく例のネコが出迎えてくれました。相変わらず馴れ馴れしく、ベッタリとくっついてきます。すぐに部屋に入ろうとするので、追い出してもしつこく侵入を試みるしたたかさ。


早めの夕食は、予定通り妻にならった「素麺チャンプルー」。名護から玉城に来る間に仕入れてきた「クブイリチー」も味付けに突っ込んで、素早く完成。そりゃまあ、これは簡単です。ね、のりこさん。
兄の奥さんが「アシテビチ」を作ってくれてあったので、今晩は二品のみ。母は、ちょっと多いかなと思うほどの量をペロリと平らげ、さらに縁側においてあったバナナを一本「食後のデザート」といいながら食べる旺盛な食欲。元気そのものでよかった。






7時半にはもう寝ようと部屋へ。自分のベッドですから安心して寝られることでしょう。



  11月19日(土)
昨日の朝の高江での大渋滞については、やはり私が通り過ぎたあとに機動隊の交通規制がはじまって車をほとんど通さなくなってしまったことに原因があるようです。うしろには、いつもブログを参考にさせていただいている北上田さんが東京からの参加者を乗せて続いていたようですが、2カ所での規制でついにN1まで来ることができず、結局N1裏に回ったとの記事がありました。
警察のやっていることは、12月22日と正式に決まった「返還式」にあわせて工事のつじつまを合わせるための乱暴でめちゃくちゃな強権発動。北上田さんも強調しているように、少人数ではあの大勢の機動隊にはとうてい太刀打ちできません。ゲリラ戦術だって警察を挑発するだけ。だとすれば、いかに多くの人が高江に駆け付けるかなのです。今日は沖縄中から心ある人が大勢集まる集中行動日。機動隊も手出し出来ないほどに高江に集結してほしいものです。
下の写真は北上田さんのブログより拝借しました。機動隊は「活動家」の車だと見做すと有無をいわさず車止めを前後において「拘束」。こんな権利って誰が付与したのですか。違法・無法、いや、まさしく戒厳令下高江の実態です。


残念ながら私は、土日は南城市にもどり母(妻の母ですが、これからは母とだけ書くことに)と過ごすことになっています。今日は午前中南城市にもどり、午後から名護で家を借りている友人宅を訪問しごあいさつ。その後母のいる施設に迎えに行き、実家に行く予定です。
母は「そうめんチャンプルー」がことのほか好きだというので、今晩はチャンプルーをつくるかな・・・と。作り方は前もって妻に教えてもらいましたので。あとは適当に。
杖があれば歩行には問題がないとはいえ、体力が落ちている分、小さな段差でも躓くことがありますので、気が抜けません。十分注意していっしょに過ごすことにしましょう。

さて、一昨日のことですが、名護市の市民福祉課を訪れ、名護市での子どもの貧困問題についてのとりくみ、とくに「無料塾」などのことを聞きました。
現在は市の関わっている事業としては、名護市学習支援教室「ぴゅあ」が中学生対象の無料学習室を市内にある名桜大学で開いているということでした。
これは、名桜大学のサークル活動として実施されている大学生だけの活動で、名護市はそこへの3方面(久辺、名護市街、屋我地)の送迎バスを出して応援しているのだといいます。大学生が積極的にこうした活動にかかわり、子どもたちの将来を考えているのは心強い限りです。
市としては、このくらいしかやっておらず、民間でも今のところ有料の「無名塾」(私が体験講師をしているところ)しかないようす。学校カウンセラーからの紹介があるほどですから、名前は知られているようですね。
昨日は高等専門学校(辺野古)の学生二人が手伝いに来ていたので、ここでも学生の協力は貴重です。
一昨日は、日本共産党北部地区委員会に出向いて「しんぶん赤旗(17日)=第27回大会の決議案が載っている」を買い求めたついでに、地元での民間での子どもの貧困問題への対応を聞きました。対応してくれたのは15日に高江で発言した女性。
どうやら名護では、基地問題に翻弄されているというのが実感のようで、ほんとうはもっと様々な対応を考えたいのだが、そこまで手が回らないと残念そうに語っていました。それはそうでしょうね。辺野古の新基地建設問題をかかえ、稲嶺名護市長を支え、さらにとなりの東村高江のヘリパッド問題と真正面から対決しているたたかいの最前線にいるのですから。
そうはいえ、子どもの貧困の克服はここ沖縄ではとても大きな、しかも待ったなしの課題だし、教育委員会でも専門の課ををおいているようだったし、恒常的なとりくみを発展させることが求められているのですね。
やはりカギはネットワークをつくることにありそうです。学生たちがやっているように、自らの問題意識でこころある人々を束ね、協力の輪をつくる。今の私には何もできませんけれど、とりあえずこの沖縄滞在中は情報をしっかり集め、必要な人脈をつくろうと考えているところです。



  11月18日(金)
今日は長い一日でした。前回と同じく午前6時に名護を出発、高江に向かいました。今日は一人です。
高江に近づいたと思ったら大渋滞。どうやら早朝から工事車両が動いていて、それを止めるためにある団体のグループが「牛歩」をやっているらしい。それを機動隊がすぐに排除し、100人くらいの機動隊員が交通規制をしたために私が通過した後大変な渋滞になってしまったというのが真相のようでした。こうした交通渋滞や道路の傷み・汚れはすべて工事車両と大量の機動隊の車両が原因。
高江の人にしてみればやはり大きな迷惑で「子どもを学校に連れて行きたいのに、大変よね」と私とすれ違いざま訴えていました。
結局N1入り口に着いたのが7時半過ぎ。
ところが後続が全く来る気配がない。そのまま待つこと1時間余り。その間に、これまで何度も来ていたのに姿が見えなかったオスプレイが頻繁にタッチアンドゴーの訓練なのか、数台旋回を繰り返して轟音を響かせていました。ヘリモードではなくて通常の飛行モードでやってくるのも2台ほど。
ヘリパッドが完成すれば、どれほどの騒音被害が出るのか計り知れません。




9時近くなってようやく集会が始まりました。今日は、首都圏の厚木などの騒音被害訴訟団の一行が昨日の普天間騒音訴訟の支援に来ていて、高江にもかけつけて連帯の挨拶を行いました。


普天間での騒音被害の訴訟(「飛行差し止めが焦点」)では、裁判所が普天間基地周辺の騒音被害を認めつつも、米軍機の飛行差し止めは棄却し、オスプレイの危険性や騒音被害も認めない全くの国寄りの判断でした。結局は憲法の上に安保があり、米軍には日本の司法は及ばない「第三者行為論」に立つという司法の思考停止、判断停止がその根本に横たわっています。

程なくして、機動隊がまたまた続々と到着。今日は座り込み参加者が30名にも満たない状態だったために、「ごぼう抜き」はあっという間に終わり、大量の機動隊員が道路脇を固める間を前後に沖縄県警のパトカーに守られたダンプカーが次々とN1入り口から吸い込まれていくというあのパターンが始まりました。今日の琉球新報の写真には私も写っておりましたよ。右の写真、左手水色のシャツを着て黒い帽子にサングラスというあやしい姿で機動隊員とにらめっこしています。証拠写真があってよかった。










排気口を歩道側に向けた改造車もまだ見られるために、県警に取り締まれと言ってもなしのつぶて。まさに異様としか言いようのない光景が午前中延々と続きました。

帰って一休みしたあとは、夕方から「子ども塾」。今日は学校カウンセラーの紹介で、数学に悩みを抱えている子がいるので話を聞いてほしいという依頼があったといい、少し遅れて中3のその子がやってきました。
詳細はここでは書きませんが、生徒はもちろん、それを支えるスタッフ、公民館の人たち、いろいろな新しい出会いがあります。高江でももちろん同じことが言えます。ただ、私としては極めて中途半端で、現在は控えめなやり方しかできないので、これがどのように実を結んでいくのか、いかないのか、これからの思案のしどころだと思っているところなのです。



  11月17日(木)
早朝の沖縄の気温がずいぶん下がってきました。午前4時頃、薄い毛布一枚ではちょっと寒くなって目が覚めた。昨日で最低気温が21度ですから、ひょっとしたら20度を下回っているのかな。毛一枚毛布を追加したら落ち着いた。

島くとぅば(ことば)で島人は「しまんちゅ」、海人は「うみんちゅ」という。では「土人」は?? ある高校生がこれを「つちんちゅ」と読んだといいます。そりゃそうですよね。確かに。
太平洋ポリネシア、ミクロネシアからインドネシアなどの原住民などを戦前の日本人が「文明化されておらず、野蛮で知性が低い」という意味を込めてそう読んだ差別用語などとは現在の高校生はまず知らない。教えられてもいない。沖縄ではそれだけではありません。沖縄人が南洋やハワイで差別されてきた歴史がこれに重なることも、です。
16日の琉球新報には、高校生の「誤読」をきっかけに、沖縄大学の小野啓子教授とゼミ生が「つちんちゅ」トートバッグをデザインしたという話題が載りました。
「つちんちゅ」は、漫才のネタにでもなりそうな「無邪気なユーモア」で、皮肉を込めた言葉遊びとしてはアリかもしれませんが、どうなのでしょう。まあここは沖縄人らしい「笑い飛ばし」ととらえておきましょうか。
琉球新報はあわせて、この「土人」発言をめぐって鶴保庸介沖縄担当相が「差別と断じることはできない」と繰り返していることを、「(土人の意味を)認識しながら発言しイノセントではない」と断罪していますが、これまた当然です。

今日はいよいよMNEMOさんのコンサートの日ですね。昨日のブログでは歌う曲目の簡単な紹介と解説が書かれていました。当日聞けない人のためにライブ全体を収録しておいてもらえるとうれしいんだけど。それはともかく、成功を願っていますね。

夕方から再び公民館での「塾」に行く予定。実は朝早く起きたために、高江に行こうかどうしようか迷っていたのですが、眠さに負けてまた寝てしまった。起きた後、イオンに行ってズボンをクリーニングに出し、その足で今帰仁側から屋我地、古宇利島へ渡って一回りしてきました。今帰仁から屋我地に渡る橋(ワルミ大橋)のたもとでの景色はなかなかのもの。上の写真が外海(古宇利島)側、下が羽地内海側です。



古宇利島に渡って、ぐるりと向こう側に行くと話には聞いたことのある「ハートロック」が。古宇利島のひとつの観光地となっていて、若いカップルや子ども連れがたくさん来ていました。観光バスも来るようで、駐車場周辺はスレた観光地に化した雰囲気が漂ってあまり気分はよくなかった。海岸でタバコを吸っている連中もいたし。
だいたい年寄りが一人で来るところでもなかろうと思いつつ、一枚記念写真。何でも観光資源にしようというたくましさか。歌のグループの嵐がコマーシャルの収録で訪問したらしいですね。




その後、山の上のあたりをさまよっていたら、一軒のカフェがありました。名付けて「村の茶屋」。近くで直前まで工事をしていて通行止めだったためか、そのお店には誰もおらず、一人ゆっくりお店のおばさんと話をしながら例によって「ぜんざい」を注文。何しろ暑い日になってしまいましたから。


その店は姉妹でやっているらしく、いつもは厨房にいる姉の方が店にでて「安曇野はいいところですねえ、一度行ってみたい」というような話に。長野にはかつて行ったことがあるらしく、善光寺や軽井沢のことをあれこれ話してくれましたっけ。生協でいつも長野のリンゴを注文しているということまで。
そのお店からの景色は絶景でしたが、あまりにもわかりにく山の上にあるので、観光客が果たしてくるのだろうかといぶかしく思いました・・・が、人手が足りないほど忙しいこともあるというので、きっと隠れた穴場になっているのでしょう。「また寄りますよ」と言って下界へ降り、まもなく我が家に戻りました。



  11月16日(水) その2
昨日、囲い込まれて、機動隊員が道路とは反対側(つまり私たちの方)を向いて一列に並び、通行する工事車両を守っている構図について書きました。
私が機動隊員の隙間から工事車両の写真を撮ろうとすると、そうさせまいと間を詰めて押し返す。「どうして撮らせないのか」と聞くと「危ない」といい「白線から出てはいけない」と返答。「白線の内側から手だけ伸ばして写真をとるのだから間をあけてくれ」といっても「危ない」としか言わない。白線から道路側には機動隊員がウジャウジャいるのに危ないもクソもないだろうと言っても通用しない。
こんなところでわずか40〜50人を閉じ込めておくのに100人以上の機動隊員を使うくらいなら、「JRのホームでお年寄りや障害者がホームから落っこちないように一列に並んだらどうなんだ」と言いたくなりますが、返ってくる返事はコンビニ店員がタバコを買うときに「タッチパネルのボタンを押してください」と言うのと何一つ変わらない。

「顔をみりゃ、20才以上だと分かるだろう」「きまりですから」「そんな決まりは誰が決めたのか。それとも20才以下に見えるとでも言うのか?このアタマを見てみろ」「決まりですから」・・・「となりのしむら」を思い出すやりとりとおんなじ。
700円以上の買い物をすると、セブンイレブンではときどき福引き券を引くことができます。「一枚引いてください」と店員が言ったら、こんど「穴があいている。中が暗くてわからん。危険だ」と言ってみようかしら。
要するに機動隊員は、それと同じくらいにくだらない訓練を受けて、機械的に対応し規制しようとしているのですからある意味可哀想ですね。人間的な感情は一切押し殺さなければならないんですから。
大義のない侵略戦争での人殺しに駆り立てられた兵士の行動や心理に一直線につながります。ただ「命令に従っただけですから」と言えば何をしてもよく、すべて許されるのです。

これはN1地区での工事が強制着工されたときの写真。違法車両を機動隊員が大挙して守っている構図。シャレになりませんね。下は琉球新報が報じた後部バンパーの長さが足りなく、車両番号がない車を機動隊員が守っている写真。


大事なことは、高江でのヘリパッド建設が、どのような本質をもっているのか大きくとらえることと、具体的にどのように工事が進められ、どんな問題が生じているのかを赤裸々暴くこと。後者の点では、工事現場の工法などの専門家でもある北上田さんのN1集会での発言が参考になります。発言を聞いた人がテープ起こししたものが「チョイさんの沖縄日記」に書かれていましたので、別ファイルで転載しておきます。いかに沖縄防衛局、沖縄県警が乱暴で無法な工事の強行と環境破壊を進めているのかがわかります。

4日、高江N1ゲート前座り込み集会でのスピーチ(全文)

夕方5時から7時頃まで近くの名護大中公民館で開かれている「子ども塾」に講師として体験参加してきました。
水、木、金と週3日間行われているこのボランディア塾は、元東京の塾教師だった女性Sさんが中心となって、公民館と市の全面的な協力で開いているもので、主に小中学生が通ってきています。
経済的に困難な子どもたちを対象として無料で行っているものとは異なり、どちらかというと誰でも参加できる公民館活動の一環という感じ。ただし、一回300円を徴収しています。
費用は、講師の手当というより教材費や参考書代にあてているという説明でした。Sさんの説明では、沖縄は一般的に経済的に困難な家庭が多いので、とくに限定せずに子どもの面倒をみてほしい家庭に平等に開かれているのだということ。
水曜日は名護市のもう一つの無料塾で中学生をみているので、中学生はそちらに行き、来ているのは主に小学生。それも半分は宿題をやり、あとは適当にパソコンなどを使って遊んでいるというような感じでした。
名護市のもう一つの塾も、近く行ってみようとは思っているのですが、私が名護にいる間はとりあえずこちらをお手伝いしたいと伝えてきました。



  11月16日(水)
午前5時、外がいやに明るい。夕べは曇って見えなかった月が雲間から顔を出していたのです。
スーパームーンとは何とも大仰な名前ですが、早朝の十六夜(いざよい)月となると、ためらいがちに昇ってくるということなのか、その名は情感があっていいですね。昔の人はなんとも風流な名前をつけたものです。雲間に浮かぶこの月に再々度挑戦してみました。私の安いデジカメではこれが限界です。


野さんご夫婦は今朝の便で福岡経由、仙台空港へ。一応予定通りの行程で案内できたので、ともかくよかった。次の日はもう議会があると言っていましたから沖縄旅行の日程を組むのも大変だったらしく、この日だけは議会を外してくれと要求してやっと沖縄訪問が叶ったのだとか。超多忙な中でのつかの間の異空間。果たして、期待に見合うだけの沖縄旅行になったのでしょうか。

昨日午後から天候がやや不安定。ときどき雨が降ってくるので沖縄の天気は気まぐれです。そんな日、戸をあけると上からヤモリが頭の上にポトリ。壁を何匹か這い回っています。
今日はとくに予定がないので、昨日までの疲れを取るために、のんびり過ごしています。といっても、掃除や洗濯は欠かせませんので、ストレッチ代わりに拭き掃除を丁寧に。

ネット上では、高江の事態について、活動家が集まって交通渋滞を引き起こしたり混乱を招いているという根拠のない書き込みが見られます。一日高江N1入り口で、別に座り込まなくてもいい、一日実態をつぶさに見てみるといいでしょう。
第1、どれだけのダンプ、トレーラーがこの入り口から出入りしているのか(多いときで一日100台)。第2、そのために周りの環境がいかに汚されているのか(住民が汚しているのではないし、汚れを防ぐ手立ても講じられていない)。第3、一体何人の機動隊員がダンプを通すために動員されているのか(機動隊員の賃金はすべて税金から支払われている)。第4、交通渋滞の第1の責任は道路をふさぐ機動隊用車両と、機動隊員の人数にあるのではないのか。第4、警察は住民の生活や安全を守るのではなく、ヤンバルの破壊とアメリカの利益を守るために動員されているのではないのか。第5、このような勝手気ままな暴挙は、沖縄の辺境の地だから出来るのではないのか。
高江のたたかいをゆがめ分断しようとしている連中のまき散らす一つ一つのでたらめが白日のもとにサラされるであろうと私には思えます。
数日前に観光バスが理由もなく数十分にわたって停められたというニュースがありました。停めたのは市民ではありません。市民はすべて路肩に囲い込まれてしまって身動きできませんから。
何より工事優先、工事車両優先が彼らの「公務」ですから、ほんのちょっとでもこれに支障を与えると「見做され」れば、公務執行妨害ということになる。現在も5名が拘留されているのです。

16日の東京新聞にはつぎのようなニュースがありました。

在日米軍は15日、沖縄県の北部訓練場(東村、国頭村)を現地視察し、日本側への部分返還の条件としているヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)建設工事の完了見通しが立ったことを確認した。これを受け、年内に返還する方針を週内に日本側へ正式に通知する。日本政府関係者が明らかにした。
日米両政府は、12月20日に返還式典を開く方向で調整に入っている。日本政府は、沖縄の基地負担軽減の実績としてアピールし、沖縄県側が反対する米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に理解を得たい考えだ。(共同)


昨日、ほんのわずかでしたが、米兵がN1ゲート入り口にあらわれて座り込み参加者の激しい怒りを買っていました。これは作業の進捗状況を見るための「現地視察」と思われました。
次は名護市企画部広報渉外課が作成したパンフレットにあるオスプレイの予想飛行経路。これを見ると、辺野古新基地の意味=沖縄の軍事基地の要の位置を占めている=がよくわかります。


普天間では狭くて出来なかったオスプレイ(輸送機)やハリアーの後継戦闘機の訓練や移動が辺野古と嘉手納を結んで実に機能的に出来ることになるのです。しかも、辺野古には揚陸艦接岸岸壁が作られ、核兵器格納可能な弾薬庫もすぐそこにある。返還される北部訓練地域は使い勝手が悪く、機能的ではないためにいらなくなっただけで、その「代わり」を高江住民が暮らす集落が数百b先にあろうがなかろうが、強権的にヘリパッドを作ろうとする。
沖縄の負担軽減につながる「返還」などという名に値しないばかりか、米軍にとっては機能・効率強化、ただそれだけのためでしかないのだということをしっかりつかまなければなりません。
返還式典など、もってのほか。翁長知事は出るべきではありません。むしろ怒りの意思表示をすること、今後ヘリパッドを思うようには使わせないというたたかいの起点を確認することこそが大事ないのでしょうか。




  11月15日(火)
昨夜、夕食のあと、まだ9時前なのに早々と寝るという野さん。それはいくら何でも早いんじゃないのと言うと、それが習慣なのだと言い張る。しかたなく私も一日の疲れもあってつきあうこととしました。おかげで今日は5時ではなく4時起き。
お月様はまだ東の空高くこうこうと輝いていました。気温も下がって気持ちのよい早朝です。感度を上げて撮ってみましたが結局おんなじでした。


今日は午前6時に名護を発って、7時過ぎに高江に行きます。昨日までの情報では、G、H地区へヘリで資材を搬入し、今日もその予定だというので、ダンプやトレーラーでの土砂の搬入はどうなるのか。多分陸と空からの突貫工事になるのでしょう。しっかりと3人の目で現地高江の様子を確認してまいります。
チョイさんの沖縄日記には、やんばるのイタジイの森が無残に切り裂かれて赤土がむき出しになっている様子が写された写真がアップされています。これは他の方の写真ですので転載できません。チョイさんのブログで確認してください。

さて、予定通り午前6時に名護を出発。もちろんまだ真っ暗で月も西の空に傾いているので月明かりというわけにもいかない。それでも、東村につくあたりにはもう空が赤く染まって、海岸通りを走っていると、なかなかすてきな日の出を見ることができました。
ちょっと太陽が昇ったあたりで車を停めて海岸に降りてみました。波がザンザンと押し寄せる波打ち際はサンゴのかけらがいっぱい。大きなヤドカリがモゾモゾ動いていました。




N1テント前に着いたのは7時ちょっと過ぎ。工事用の車両はずっと後にならないと来ないので、すぐ近くの路肩に車を停めることができて、ご丁寧にALSOKの警備員が「どうぞ」と案内してくれた。20bほど先の座り込み現場では10数人が集まっていて、7時30分から集会を始めると伝えてくれました。顔見知りでは、一年前にもずっとテントで座りこんでいたMさんの姿が。沖縄県内の「島ぐるみ会議」のメンバーはもちろん、全国から駆け付けた人たちがもすこしずつ増え始めました。
9時近くになると参加者も50人近くに。あちこちで集会に参加していた人たちが一カ所に固まってきっちりと隊列を整えて道路に座り込み。








まもなく大型警察車両(昨年8月〜9月に国会前でもデモ規制をしていたあの車両)がつぎつぎとカヌチャリゾートに泊まっていた機動隊員を乗せて到着。工事車両を通すために、座り込んでいる人たちを200人近くが取り囲んで、まず「道路に座り込むことは違法です。すぐに立ちなさい」「通行の妨げですから移動してください」と慇懃無礼にスピーカーでがなり立てる。それでももちろん座り込み者は動きませんから、彼らは一斉に「ごぼう抜き」の開始です。
ある意味、毎日毎日消耗としか言いようのないパターンを繰り返しているのですが、抗議する人たちにすればこれだけで最大の抗議活動。暴力的に機動隊と渡りあうわけではありませんし、彼らは安倍政権の命令でマニュアル的に、機械的・事務的に排除を繰り返しているに過ぎない。
私も初めて担がれましたが、多分相当に重かったのでしょうね。「ウッ」とか言っていましたから。ま、それでも丁寧に移動させてくれました。





この日、午前中だけで何台のダンプが入ってきたのでしょう。必ず4台ずつパトカーに先導されてやってきます。私がみていただけで10往復はしていましたから40〜50台のダンプが来たことになります。それを大量の機動隊員が座り込み参加者を路肩に囲い込んで守るという構図。違法車両と思われるダンプも見られても何のその。
若い機動隊員がすべてマスクをしているので、はじめは顔を隠しているのかと思っていたらそうではない。ダンプの巻き上げる土埃がハンパではないのです。ダンプを通すために並んでいる機動隊員はダンプの排ガスと土埃にまみれてしまうためということがよく分かりました。今度行くときは私たちも顔をマスクかタオルで隠していかないと全く健康に悪い。
機動隊員たちは指揮者を除いては全員20代前半と思われるまだ子どもっぽい顔をした若者ばかり。「集会参加者と口をきいてはならない、目を見てはならない」などと教育されているのでしょう。何を言っても無表情、無反応。そのくせ、「車が通ります」だけは一斉に口をそろえて言う。道路の向こう側に渡りたいといえば、「一人行きます」とこれまたマニュアル的。コンビニの見習い店員のようです。
参加者から「ラーメン一丁」に聞こえるという皮肉も出たほど。
マスクの下の彼らの表情を見ていたら、ある共通したものを感じてしまいました。スパルタ的に「しごき」を受けた高校の運動部のs生徒の顔です。上の命令には忠実だが自分ではいっさい主体的に判断したり行動したりできない(できなくさせられた)タイプの人間。そのくせ体力だけはあって屈強の体つきをしている。「しかるべき」訓練を重ねていると警察の機動隊や自衛隊などでもそうなるのでしょうね。もちろんこのことは私の感想にすぎませんから、ほんとうにそうだというなら検証が必要ですけど。
ちょうど12時。後の予定がどうしてもあるので、帰ることを機動隊員に告げると、これまたご丁寧に3名ほどの隊員が車までついてくれました。
野さんは「初めて護衛してもらったっちゃ」とうれしそう。こんなじいちゃん、ばあちゃんが何をするというのでしょうね。






午後からは、辺野古のキャンプシュワブ前を通って状況を見たのち、名護の共同センターに出向いて挨拶をしてきました。ちょうどそこにやってきた森住卓さん、野さんとは顔見知りのようでしたが、私は初対面という顔をしていたので、「池田町の軽トラパレードではお世話になりました」と話したら、パッと顔つきが変わって握手を求めてきたのでびっくり。思い出してくれたのでしょうね。「野さんとはどうして?」と、当然といえば当然の質問。奇遇に驚きながらも、今後の活躍を誓い合ったことでした。

すべて日程を終了して、あとは一路那覇の宿舎へ野さんご夫婦を送り届けました。私はそのあと再び名護へ。あしたはこちらでゆっくり休養する予定です。



  11月14日(月)
朝5時起き。6時半ごろ那覇に向けて出発。7時少し過ぎに野さんご夫婦の泊まっているJAL那覇ホテルに到着しました。朝早かったためか、割と順調。ホテルは外国(主に中国)からの客も含めて混雑、7時45分頃に朝のラッシュを避けるために南部戦跡に向けて車を走らせました。
今日の行程は、まず「ひめゆりの塔と資料館」、「魂魄の塔」「健児之塔」。健児之塔ではそこからしばらく降りた海岸まで行き、絶壁を見上げて沖縄戦当時のすさまじさをちょっとだけ体感。
その後、平和祈念公園に行き、電動車でぐるっと一周。昼食の後、ガンガラーの谷で一休みし、さらに向かいの玉泉洞へ入り、最後に糸数壕を訪問するというかなり強行軍。野さんは「全部で1万1千歩以上歩いた」とちょっと疲れ気味でしたが、まずまず予定通り回ることができてよかった。
4時前には高速に入って比較的早い時間に名護に到着しました。
日が暮れてから、MNEMOさんも東京では見えないだろうと残念がっていた、スーパームーンのお月見。高速道ではところどころ激しい雨だったのに、月が出る頃からすっかり晴れて、素晴らしいお月様が見られました。残念ながら写真はどれだけ撮ってもボケボケでアップできるようなものにはなりません。カメラが問題なんですね(と言っておこう)。写真はたくさんネットにアップされているでしょうから・・・。


















  11月13日(日)その2
名護市が自転車レース「ツール・ド・おきなわ」の起点になった影響で、玉城に戻ろうとしたら主要道路は通行止め。迂回路となった名護市内を通って高速入り口にまわり、ゆっくりと南城市に戻りました。
名護の借家の主を訪問しようとしたのですが、まだ本土から帰っていないらしい。どうやらご夫婦で出かけているらしく、また来ることにしてそのまま玉城の妻の実家に行きました。近くではアカバナ(仏桑花)がたくさん咲いていてとても鮮やか。やっぱり沖縄を象徴する花はこれですよね。しばらくトップの画像として飾っておくことにしました。


今日はここ数日で一番暑い日。いつもなら夕方には涼しくなるのに、なかなか気温が下がりません。室内は結構気温が上がっているので、戸を開けていると、あのネコが近づいてきてスリスリ、あげくは室内に入ろうとするので追い払うのに時間を取られて、ついに戸を閉めてしまいました。
義兄が買い置きしていたエサをやって、少しは落ち着いたらしい。なれなれしいネコで困ります。


野さんから6時頃無事ホテルに着いたという連絡が入りました。「暑い」というのが第一声。そりゃまあ、女川からじゃ温度差は長野と同じくらいでしょうからね。
明日、明後日とごいっしょしますので、このブログの更新はすこし遅れるかもしれません。



  11月13日(日)
MNEMOさん、まもなくスウェーデンから来日したバンドJAERV(イエルヴ)とのジョイント・ライブ「SUBTLY & JAERVの『Pray for Fukushima』コンサート」ですね。「JAERVと命を懸けて」というくらいですから、その意気込みが伝わってきます。
YouTubeでちょっとだけ聴いた感じ(通信速度が遅いので途切れ途切れ!)では、懐かしい響きが心地よい。その昔私がよく聴いていたSeacret Gardenも同様に遠い記憶を呼び覚ますような響きを感じさせます。私の一知半解ぶりがバレそう(もうバレている)なのでこのくらいに。いずれにしても、深く余韻の残るコンサートになるのではないかと予感します。
スウェーデンといえば、私にとっては印象的な思い出があります。たとえば、1970年代のABBA、ベルイマンの映画の数々、ストックホルムの公園墓地(建築物が世界遺産)、友人が乗っていた真っ赤なVOLVO(!)、第2次大戦時、デンマークのユダヤ人を多数国内に受け入れたことなど。ぜ〜んぶ、彼の地の人々の豊かな営みの結果なんですよね。
それはともかく、「フクシマに祈る」と題したこのコンサートは、3.11を経て「トーホグマン」を執筆して以来のMNEMOさんの悲願であり、自分自身にとってもどうしてもたどり着きたい峰だったんじゃないでしょか。それが目前に迫っている。小さいライブ会場が世界への広がりをつくる。いいですねえ。
沖縄からじゃちょっと声は小さいかもしれませんけれど、せめてブログ上で精一杯の応援をさせていただきます。

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うれしい話をしたあとで、こんな話題はちょっと気が引けるのですが、昨日読んでいた本について少し書きたいと思います。
いま沖縄問題で極右の急先鋒としていろんな本を書いている人物に恵隆之介という人がいます。2014年現在での経歴を見ると、昭和29年に沖縄コザに生まれ、24才で防衛大を卒業し海上自衛隊幹部候補生学校を経て護衛艦勤務、その後平成9年米国国務省プログラムで研修をし、拓殖大学客員教授、シンクタンク「沖縄・尖閣を守る実行委員会」代表とありました。
その本の題名が「迫り来る沖縄危機」。つまり翁長知事誕生必至というサヨク全盛の沖縄をこのまま放置すれば、いずれ中国が尖閣のみならず宮古・八重山、本島までも併合してくるだろう。「日本まで中国の属国になっていいのか」という主張を書き殴っているという代物です。
読んでみるとあまりに思い込みが激しく独善的だし、デタラメが多いし、論理の飛躍・ごまかしが多すぎて、こんな本を出版していいのかいなと出版社の見識の方を疑ってしまいます。ま、何かと問題の多い幻冬舎ですが・・・

アホらしいけれど、何も知らない人が読むと「そうか、そうだったのか、目からウロコが落ちた」などと感じてしまう向きがあるかもしれませんので、ちょっとだけ紹介してみましょう。このブログを読んでいらっしゃる方は、まずこんな低レベルの本に触れることはないでしょうから。
たとえば、「沖縄独立運動が第2のクリミア危機を招く」という節の一文。

沖縄には今、日本の左翼だけでなく、中国の息のかかった人間が地域社会の中に紛れ込んでいます。彼らの目的は、沖縄の一般住民に日本やアメリカの悪いイメージを植え付けることです。そして住民側から「沖縄は琉球国として日本から独立しよう」という声が高まるように仕向けているのです。
・・・独立などというのはバカげた話です。琉球王国の時代が沖縄の黄金期だというのは完全な誤りです。一部の貴族や中国からの帰化人が雅な生活をしていただけで、一般の住民は共産主義体制下ひどく不衛生で貧しい暮らしをしていたのです。・・・
沖縄を独立させてしまえば後は簡単です。その日のうちにでも、人民解放軍が沖縄入りするでしょう。


いかがですか?いま本土から沖縄に来ている私などは、「沖縄独立」を仕掛けにきた中国のスパイということになりますかね。琉球王朝の時代が共産主義体制だったなどと初耳もいいところですが、このお方は旧ソ連や中国のような独裁体制を共産主義体制だとおっしゃっているのでしょうか。封建時代が独裁(=共産主義)に見えてしまうという、実に歪んだ貧しい歴史認識(歴史認識ともいえない)しか持っていないことに唖然としてしまいます。結局自分に都合のよい事象を断片的につなぎ合わせて全く事実とは異なる結論を勝手に引き出して、「正体はこれだ」というあのやり方(歴史修正主義者の手法)ですね。全編このたぐいだと思っていただければよろしい。

面白いのは、この方の県財政への言及です。「毎年3000億円の沖縄振興予算はどこに消えるのか?」という節です。例の沖縄県は他の都道府県より多額の予算を貰っているという誤解を丸呑みして、県の予算・決算書などを調べもしないで受け売りしていることがよくわかります。

沖縄県の平成26年度一般会計予算は7239億円ですから、3000億円というのは相当インパクトのある数字です。もし基地がなければ、国もこれほどの予算は組んでくれません。県の財政は火の車で、どうにも立ちゆかなくなるでしょう。なにしろ県の自主財源は1000億円しかないのに、県職員の給与だけでも年間2000億円を超えています。

もう付き合い切れないという感じになりますね。たとえば、我が池田町で、一般会計予算47億円強(歳入)のうち、自主財源の地方税が9億円ちょっとで、「自由に使える」普通交付税が18億円とくれば、こりゃインパクトありますけど。しかも池田町には離島なんてありませんし。

このあとに、沖縄振興予算のうちの「一括交付金」1750億円から「約800億円(の一部)が左翼活動家に流出している」というデマがまことしやかに書かれ、追い打ちをかけるように次のような文が続きます。

こうしておよそ800億円の一部が、一般人にはわからないところに消えてしまっているわけですが・・・・
考えてみれば、沖縄の左翼はいつでも潤沢な資金があります。新聞広告を打ったり、デザイナーを使って見栄えのよいパンフレットを作ったり、さらにはデモの参加者に交通費や日当まで出したり。保守の議員はお金がないので、なかなかこういったことができません。


後半になると、もう笑うしかないのですが、彼は本気でこんなことを思っているのでしょうか。あるいはそうなのでしょうね。
労働組合が組織「動員」する際に、徴収した組合費の使い方として交通費、日当を出すことはあり得ることです。それは組合業務に従事したという意味での費用弁済(=組合費の支出)であって不思議でも何でもありません。町長(元)が検討委員会を招集して審議をさせておいて「これは無償なのだ」と条例破りをやったどこぞの自治体とは違います。
辺野古や高江に集まっている人たちが労働組合の動員などではないことも、地域からやむにやまれず自腹を切って参加しているなんて常識でしょう。
さらにこのお方は、自治体には地方交付税があり、それも使途を限定せずに交付する普通交付税と使途を限定した特別交付税にわかれ、さらに国庫支出金などがあることも理解せずに、使途が限定されないものを住民にも知らせずに「自由に使えるお金」だと思い込んでいるようなので、話はとんでもないところに飛躍していきます。
さらに、市町村に県から交付される都道府県支出金を、これまた市町村自治体が自由につかっていいものだと勘違いしてる様子。予算書のどこを見て「左翼に資金が流れている」というのでしょうかね。
そもそも、他の都道府県が普通交付税とその他の交付金などを別に予算折衝の結果個別に決められていくのに対して、沖縄では歴史的な事情を背景にして、そうした地方への交付税、交付金、補助金が一括して示されるしくみになっているのですから、3000億円というのは特別に驚く金額ではありません。しかもこれは基地があるなしとは全くリンクしません。
都道府県や市町村自治体の財政の仕組みをしっかり勉強してから事実をもとに書くべきことを書いてほしいものです。
ちなみに、総務省の発表している決算カードを全国のものと沖縄県だけを抽出したものを下に紹介しておきます。ラス指数もちゃんと載っていますよ。また、経年変化も調べようと思えばいくらでも調べられますよ。

沖縄県平成26年度決算カード
全国都道府県平成26年度決算カード

左翼は資金が潤沢=県や市町村自治体から「自由に使えるお金」の一部が流れている=いやいや、私などはどうしたらいいのでしょうか。ん万円も出して沖縄に来て、さらに友人や私の多額のカンパを「ゆっくり」と差し出して、「たくさんお金を貰って辺野古や高江に行ってんだろう」と言われた日にゃ、どうしたらいいんでしょうかね。

こういうお方は、他にもいくらでもいるのです。なぜなら利用価値があるからです。まともな感覚ならゴミためにすぐにでも捨てるような文章も、利用価値のあるうちは勝手に言わせておく。知的レベルの問題じゃないんですね。沖縄生まれだから言っていることの全部とは言えなくても、一部は当たっているのではないか。そう思わせるのに格好の人物、その代表選手のようなお方だというだけの話です。ある意味で、こんな程度の人しか使えないということの中に、支配者の側の追い詰められた姿が浮かんでくるというものです。
沖縄にもこうした言説に惑わされ、本気で中国が攻めてくる、属国になるんじゃないかと心配している人もいるわけで、時間がもったいないけれど、こうした言説にもきちんと対峙していかなければならないと考えて、アホらしながら紹介した次第です。



  11月12日(土)
朝シャワーを浴びたりニュースをチェックしたりしていたらもう10時。慌てて名護から南城市に向かいました。今日の目的は、母の顔を見に行くことと南部や那覇の事前調査。
こんな大きな建物があるのにというくらい道からしっかり見える老人施設、今日は間違いなくスムーズに到着しました。と、思ったら「外出中です」という職員の声。これは多分義兄夫婦といっしょに家に戻っているんだなと思い、実家へ。案の定、庭仕事をする義兄夫婦と家の中で何かごそごそしている母の姿がみえました。
お昼までには戻らなくてはならないというので、私が家にいたのはほんの30分ほどでしたが、施設までは私のレンタカーで送り届け、施設で食事をする母の側にしばらくいてきました。兄夫婦は何しろ軽トラで来ているので、実家まではタクシーを使ったのだとか。帰りもそうしようと思っていたというので、ちょうどよかったのです。
ちょっと髪がボサボサだったことを除けば元気そのもの。施設に戻ってお昼を食べなければならないからという忠告もよそにバナナをパクパク。もったいないからと、たくさんバナナを持って施設に戻りました。やはりというべきか、昼食は細め。そりゃ、いろいろ食べてきたんですからね。
お天気がよくて日差しが強かったせいか母は「暑い暑い」を連発。母だけかと思ったら姉も同じように言っているので、ちょうどよい日差しの私にはちょっと解せない反応。
来週は土曜日に迎えに行って一晩を家で過ごし、日曜日にまた施設に送り届けることにして兄夫婦と施設の了解をとっておきました。


午後からは、野さんを案内する逆コースとして、アブチラガマから摩文仁の丘、ひめゆりの塔、魂魄の塔など南部戦跡をたどり、那覇のホテルまで行ってみました。
途中、那覇市役所前では20〜30人がなにやら叫んでいました。車の中からですので、よくは聞き取れませんでしたが、要は「翁長は中国べったり」「沖縄にとって基地は必要」ということを口汚く叫んでいたようで、意外に若い連中が集まっていたのが目に付きました。


沖縄だからといって、すべてが基地反対というわけではない。基地に依存する労働者もいれば、基地収入が頼りの人もいる。当然、中国の脅威を必要以上に感じ取り、平和的ではなく軍事的に対峙することを求める者もいるし、それらを背景に政治的なグループ活動を活発化させている人たちもいるのです。
ずっと車に乗りっぱなしだったためか、途中から腰が痛くなって休み休み名護まで戻りました。というわけで、明日は午後まで休養日。



  11月11日(金)
沖縄3日目。ゆっくり寝て、午前7時起床。朝方はタオルケット一枚ではちょっと寒いと感じるほどの気温でした。早朝ジャージを羽織ってまた寝て、よく寝たという気分。ただ腰は相変わらず痛くて、腰痛体操やらストレッチやらを、かなりの時間やってから朝の仕事にとりかかっています。洗濯物もたくさんあるので、いまこれを書きながら洗濯機を回しているところです。
天気がいいので、近くをちょっとだけ散歩。まず、となりの家には大きなパパイヤがあってたくさん実をつけています。私のいる羽地地区は名護市のはずれの北東部に位置し、本部半島の付け根に当たるところ。すぐ近くに屋我地島・古宇利島と、それらを本島と結ぶ大橋があって、よくテレビでも放映されるところです。
私のいる家の南側は住宅地が広がっていますが北側はほとんどがきび畑などの農地。丘を越えれば向こう側はすぐ羽地内海です。
きびの収穫は年明けですから、畑にはかなり太く大きくなっているキビがたくさん見られました。近くの家々にはブーゲンビリアやアカバナが咲いて、月桃もたくさん種をつけていました。








午前中は、近くのイオンに寄って、細々とした身の回りのものを手に入れてきました。100円ショップがあったので、たいていの品物はここで調達できたので、ひとまず我が家(借家)に。
戸を開けていると、風が通って気持ちがいい。一年前のあの暑さを考えると雲泥の差です。沖縄はこれから年明けまで過ごしやすい季節になるのでしょうね。
ちょっと一休みしてから、今度は名護の中心地に出かけて辺野古・高江情報を仕入れてきます。

新基地建設反対名護共同センターに寄って30分ほど状況を聞き、途中モスに寄ってコーヒーを飲んだ後、午後4時30分ごろ帰宅しました。
沖縄は長野よりも1時間ほど日没が遅いから、5時頃はまだ明るい。空を見ると、雲が厚くなって雨が降りそうな気配ですが、午前、午後にそれぞれ洗濯したタオルケットなどは意外に早く乾いて、夜には使えそうなのでうれしい。
共同センターでは常勤のHさんが対応してくれました。その場で、友人から預かってきたカンパを私からのものと一緒に渡しました。高江の住民の会に届けてくれるそうです。
辺野古は、工事が中断しているためにほとんど人がおらず、高江に移動してたたかいをつづけていること、車で早朝にでかければ路肩に止めることができて、その案内は住民の会のメンバーがやってくれていること、水曜日・土曜日は全県から200〜300名が高江に駆け付けて抗議集会が行われることなど、丁寧に説明してくれました。
カンパのお礼にと、10数ページの「学習討議資料」も貰ってきました。題して「高江・辺野古のたたかいと勝利の展望」。高江のとりくみの歴史的な経過、その意義、今後の展望を詳しく解説したものです。
モスで読み始めたのですが・・・う〜〜ん。ちょっと困った。私自身文章がうまいとはとてもいえませんが、主述の関係はかなり注意している方。しかし、この討議資料は失礼ながらあまりに校正不足です。ぜひ改訂版を出してほしいと願わずにいられませんでした。言わんとすることはよくわかるだけに、余計にそう思います。
身内で渡すならそれでもいいかもしれませんけれど、全国からやってくる様々な仲間たち、あるいは海外からの仲間たちに渡すとなると、やはりそれなりのものであってほしいですもんね。
共同センターでは、最新のドキュメンタリー映画「いのちの森・高江」を入手しました。1500円で販売しています。センターニュースによれば、「高江住民も『こんな映画ほしかった』 DVD『いのちの森 高江』に注文が殺到」とありましたよ。
高江では11月5日に住民20人(人口140人)が集まって試写会が行われたそうです。映画をみた人たちからは「やんばるの素晴らしい自然の様子がよく出ている」「私たち住民の言いたいことが出ていてよかった」「こんな映画がほしかった」と大変好評だったそうです。
この映画は、監督:謝名元慶福、語り:佐々木愛で65分のドキュメンタリー。下はそのチラシです。購入希望の方は直接申し込まれてもいいし、私まで連絡いただければ一括して購入します。

連絡先:〒905-0011 名護市宮里447-20 丸平第2アパート102号室
新基地建設反対名護共同センター
電話:0980 (54) 8555 ファックス:0980 (54) 8556





  11月10日(木)
昼前にすぐ近くのレンタカー屋さんに行って、予約してあった小型車を一台借り、帰ってすぐに今度は義兄といっしょに近くのそば屋さんへ。
そこにはアルゼンチンから沖縄に「里帰り」した妻の従兄妹たちも来て、沖縄そばを食べながら歓談しました。
沖縄から南米各国へ移民した人たちがたくさんいて、アルゼンチンやペルーには10万単位、ブラジルには百数十万人がいるのだといいます。
5年ぶりに帰国したと言うので、「今度5年後に会ったときはお互いに杖をついているのかな」と言ったのは義兄。もう5年もすれば80に手がとどく年ですから、あるいはそうかもしれませんね。
若いときに富山の砺波郡鷹巣にいたことがあるという話がでて、祖父の実家のあった(多分)ところですから、「こんなところでその地名を聞くなんて驚きですね」と言うほかありませんでした。

昨日妻の実家に着いたときから、家の前に一匹のネコがいて、物欲しそうに鳴いている。近くをすみかにしているのかと思っていたら、今朝やってきた義兄がネコのエサ(カリカリ)を取り出してやっているではありませんか。
「腹を減らしているようでかわいそうだった」と言いながら、スリスリしてくるネコにまんざらでもなさそう。暫く前に長い間飼っていた犬が死んで、敷地に火葬して埋めたのだそうで、その分ネコに情が移ったのでしょうか。「ネコって水も飲むんだね」といいながら、エサの側に水も置いてやるかいがいしさ。
長い野良暮らしのためか痩せてはいるけれど、淡い水色の目をしたなかなか品のある顔かたちで、義兄のあとをついて回っています。こりゃどこにも行きそうにないや。


昼の気温は25度くらい。義兄に聞くと「寒い」のだそう。私は「暑い」。「30度くらいがちょうどいい」というのですから、20度を下回るとなると、耐えられないくらい寒いのでしょうね。
庭の隅っこには、何十本もの実をつけたバナナの房が置かれていて、まだたくさん花が咲き、夏みかんのような実がたくさんぶら下がっていました。パパイヤも今が旬なのかも。シークワーサーもかなり黄色くなってきていました。
義兄がプランターで何をしているのかと思ったら、パパイヤの苗を育てているのだという。野菜のような小さな苗がプランター一杯に芽を出していて、大きくなったものから順に、庭や畑のあちこちに植えていました。
パパイヤにはメスとオスと中性があるのだそうで、花が咲くまではどれがどれだかはわからないらしい。長野を出てくるときは雪がちらついていたのに、何という気候の違い。








夕方、実家から寝具を積んで名護へ。一年前に一ヶ月過ごした友人の家に着いて、荷物を整理したりこれからの予定を考えたりしていたらもう6時すぎ。1年前は7月でしたから緑が多かったのですが、今はさすがにちょっと秋っぽい感じがしました。
明日は、野さんを迎えるための準備と、私のこれから1ヶ月のためのちょっとした買い物。たとえば、蚊取り線香とかスリッパとか。そのあと、名護共同センターに出向いて辺野古や高江の現状や行くときの注意事項などについての情報を仕入れてくる予定です。

芥川賞作家の目取真俊さんは今日の沖縄タイムスで、「土人が」と言われた本人としての一文を寄稿していました。本人は、単に暴言を浴びせられただけではなく、離れた場所までやってきて、頭を叩いたり脇腹を殴ったりしたといいます。
遅れた島に住む「土人」たちは、自分たちで物事を判断できない、もしくは中国(シナ)から資金をもらい工作員になっているのだから、こんな奴らは力で押さえ込んでも当然だという意識なのだろう。彼らはそうやって自らの暴力を正当化している。・・・目取真さんはそのように書き、それに続けて、次のように述べていました。

インターネット上には、この種の沖縄に対する差別意識丸出しの書き込みが氾濫している。まだ20代の若い機動隊員の口から「土人」「シナ人」という言葉が出てくるのは唐突なようだが、ネット右翼が拡散するデマから知識を得ているのだろう。
きちんと琉球・沖縄の歴史を学ぶこともせず、理解しようともしていない。歴史的にある沖縄への差別と在沖米軍・自衛隊の強化、中国脅威論が結びつき、新たな差別意識が生み出されている。


私も驚いたのですが、この手の沖縄差別はネット上だけではないのです。南城市にあるイオンの本屋の店頭には「沖縄は中国の属国になるぞ」というたぐいの本が山積みにされていたのです。沖縄にしてこうなんですからね。これはまったくの組織的なやらせ。悪質という程度を越えていると私には見えました。
このことについてはまたいずれ書こうと思っています。







  11月9日(水)
冬型が強まって、北アルプスは黒い雲に覆われて、その下では雪がどんどん降っているのでしょう。朝、北アルプスで降った雪が風に飛ばされてきて、チラチラ白いものが見えました。とにかく冷えています。
沖縄でも最低気温20度、最高24度という予報ですから、ずっと暑かった沖縄ですから、みなさん「ブルブル」しているのではないでしょうか。私にとっては「天国」ですが。
沖縄着予定は午後5時15分。気温の変化が大きいので着ていくものが難しい。

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無事南城市玉城のおうちに到着しました。妻の妹の一人が空港まで迎えに来てくれて、車で妻の実家まで届けてくれたのです。
厚着をしていったわけではないのに、空港に着いたときはちょっと汗ばむくらい。午後6時過ぎはラッシュの時間帯だったので空港から玉城までは約1時間もかかってしまいました。まずは無事に到着し沖縄での生活開始です。さっそく、コンビニで買った夕食を食べて、トランプ勝利のニュースを見ていたところです。


空港でもほとんど米大統領選挙のニュースばかり。アメリカの地図をみていると両海岸沿いの州は水色のクリントン。その他中央部からフロリダにかけてはトランプで真っ赤っか。アメリカでひとつの地滑り的な変化が生じていることを伺わせました。
これはアメリカの内部で、経済的格差や貧困問題がいかに深刻になっているのかを示すひとつのあらわれであることは間違いないところでしょうが、それだけにトランプの「強いアメリカ」への期待もおそらく1年も立たないうちに色あせ、落胆と怨嗟の声でアメリカは新しい呻吟を始めるのではないかと私には思えてなりません。
飛行機の中で、ローリングストーン誌編集長のエリック・ベイツさんによるバーニー・サンダースへのインタビューを読んでいました。
周知のようにサンダース氏は民主党の候補として予備選で1200万票を獲得しクリントン候補といい勝負をした自称「民主的社会主義者」です。ある意味アメリカは方や内向きの「偉大なアメリカ」を取り戻すという一見過激な、その実なにも政策を語らないトランプと、その対極にあるサンダースのような人物に分解したかのようです。
サンダース氏のトランプ評は当たり前のことですが、大変厳しい。
「トランプは私の生涯で、主要政党から浮上した最悪の候補」「こいつはこの国にとって大きな災難」「国際面では我が国の恥、病的な大嘘つきの男」という調子。
「ドナルド・トランプがこの国とって信じられないほどの大災難になることは非常に明白なので、私はトランプの敗北を見届けるためにできる限りのことをすべてやります」と言っていたのに、残念ながら見届けることはかなわなかった。しかし、「諦めるという選択肢はありません」と言い切るサンダース氏のかっこよさは際立っています。
北海商科大学の古矢旬さんが言うように、蛇蝎のように忌み嫌われていた「社会主義」というコトバが、サンダース氏によって「堂々」と使われ「なお人々の支持を得」て、「社会主義をアメリカの文脈で再検討することを促すことに成功したということの画期的な意味。ここにアメリカの未来への希望を見ることができると私には思えるのです。



  11月8日(火)
午前中からお昼にかけて、バラの会のバーベキュー大会を国営あづみ野公園で開催。午前中は何とかお日様も出ていて暖かい日和だったので、紅葉の中でたらふく肉や野菜を食べて秋の1日を楽しく過ごすことができました。
たくさん写真を撮ろうとカメラを持って行ったところまではよかったのに、撮ろうと構えたら電池切れ。やむなくケイタイのカメラで撮るしかありません。あまり解像度が高くないので、まあ雰囲気だけはつかめるでしょう。
国営あづみの公園は、開園以来相当に整備がすすんで、家族連れで1日を過ごせるようにいろんな仕掛けがあります。今日は平日ということもあってまわりは閑散。昼過ぎには風が強くなり雨が落ちそうな気配になってきてしまいました。風が枯れ葉(カラマツが多い)をまき散らして、まるで雪が降っているような感じでした。




アメリカではいよいよ大統領選挙の投票がはじまりましたね。終盤の選挙情勢をテレビ各社が放送していましたが、関心はもっぱら何故トランプがあれほどまでに支持を集めているのかについてであり、炭鉱など斜陽産業を多く抱え白人中間層の不満が鬱積していることに一つの要因を見ているようでした。
移民によって職を奪われているという被害者意識は、端で見ていてもわからないほど深刻なのだろうとは思いますが、だからといって心底トランプ候補によって好転すると手放しで支持しているわけでもないでしょう。やむを得ない選択だとしても、アメリカの病がいかに深いかをよく示す例ではないでしょうか。
大統領選挙を境にしてアメリカの国民の意識は明らかに2分され、そのバランスの中でこれからの内政・外交が展開されることは明らかです。当然、多国籍企業のとるべき道もアメリカの利益を最大限に追及したものとなることもまた必然で、その意味からいって、この国会でTPP承認をいそぐ自公政権の脳天気さはどうしようもないと私には思えます。

若い労働者を使い捨てにし、企業の利益のためにはどんなに長時間労働を強いてもそれが日本的労務管理なのだとうそぶくこの国の大企業の体質は、いずれ大きな破綻に見舞われるに違いありません。決して労働の質の向上にも労働意欲にも結びつかない「働かせ方」は生産性の向上とは真逆のあり方だからです。
TPP承認強行を前にして、気候変動の影響もあって首都圏などでの野菜の高騰は、この国の食糧崩壊のほんの序の口なのかも。安曇野ではキャベツや白菜などの玉がまかないうちに寒さが急激にやってきて、どうなることやら。
おとなり韓国では、若者達が大統領の辞任を求めて声を上げ続けています。でもこの国では、道路を埋め尽くす群衆はハロウィン。さて、これからこの国は??

明日は沖縄への移動日。しばらくは沖縄からの通信となります。



  11月6日(日)
昨日夕方、「町民の会」のメンバーが集まって、民進党の下条さんの秘書の方と打ち合わせを行いました。
12月2日に予定する「町民と政党のつどい」に民進党から下条みつさんに出席をしてほしいという要請を行うかたがた情報交換を行ったのです。
こちらに来る都合があるからとわざわざ我が家に来ていただいて、30分ほどでしたが民進党の最近の動きも含めて貴重な話し合いをすることができました。何よりも、長野県全体での勝利を得るために各区でのきちんとした対応を取る必要があること、何のために野党統一候補を立てるのかを明確にすることなど、これからの活動への手がかりをつかむことができたと思います。
白馬でも同様の動きがあるらしく、年末に向けて各地で下からの動きを活発に作り出すことがさしあたっての課題でしょうね。

今日から、沖縄行きの準備をはじめました。荷物はもちろんのこと、高野さんを案内する際の地図の入手、知人などの電話番号の確認など。
今度沖縄にいく目的の一つに沖縄での子どもの貧困問題へのアプローチがあります。その下調べもついでにネットで行っていました。
しばらく前に琉球新報で、東京から沖縄に引っ越した人が名護で経済的に困難な家庭を対象とした「無名塾=こども塾」を開いているというニュースを見かけました。そのニュースを改めて検索していたら沖縄タイムスでもとりあげられており、沖縄でいまかなり後半に取り組まれている子どもの貧困対策の一環としてのこの活動に注目が集まっているようでした。
これは是非いちど訪問して、とりくみ状況を直接聞いてこないといけないなと思っているところです。
松本市での「こどもじゅく」のように全く無料というわけにはいかないようで週3回、1回300円という設定だということらしい。主催者の意向が強くにじみ出ている感じなので、すぐにお手伝いというわけにはいかないとは思いますけれど、松本でのやり方の参考にもなるでしょうから、主催者ご本人から直接話を聞いてこようと思っているのです。

13日から16日までは女川の高野さんご夫婦といっしょにあちこち沖縄を回ります。14日は南部戦跡を中心に、15日は高江、辺野古中心に回る予定。どんな旅になるのかわかりませんが、思い出深い旅になるといいのですが。



  11月5日(土)
朝から気持ちのよい快晴。放射冷却が強く、多分零度近くまで気温が下がったのではないでしょうか。朝方は周り中霜が一面に降りて真っ白でした。快晴のおかげで久しぶりに北アルプスの全景がくっきりと見えました。
すぐ裏手の長福寺の大イチョウが紅葉のピークを迎え、早朝にもかかわらず大勢の見物客が訪れていました。公孫樹の黄色と、その下の低い紅葉とが青空に映えて晩秋の風情を醸し出していました。
一番下の写真、境内駐車場からは我が家の屋根だけが見えます。中央やや右手の柿の木の後ろ、薄茶色のドーム型の家のうしろが我が家です。遠くの北アルプスはもう完全に冬景色ですね。








さて、国会は異様な雰囲気。地球温暖化対策の新枠組みである国際的な約束「パリ協定」がすでに米国や中国など93か国とEUが批准(190か国)を終えて4日に発効したにもかかわらず、衆議院での批准はそっちのけ、TPPの衆議院特別委での強行採決という相変わらずの醜態ぶり。
山本農水相の一連の発言やその態度を見ていると、現在の自民党の体質・能力をよく表していると思えます。今後長期にわたってこの国の米・畜産物・乳製品などの食料や医薬品、保険やサービス分野などに大きな影響を与える国政の重要問題という意識はさらになし。山本有二農水省は即刻辞任がふさわしい。
8400ページにも及ぶ協定・関連文書のうち邦訳されたのはわずかに2400ページ。それも黒塗りと来ては承認の前提条件そのものが存在しません。世論調査で対象者の66.5%が「慎重審議」を求めているのは当然です。
さらに重要なのは、2日に議運理事会で本会議開会をめぐる協議が与野党で続けられている最中に、特別委の開会が職権で一方的に強行されたこと。こんな茶番は早く終わりにしないと、この国は未来がありませんね。

わが「戦争法に反対する池田町民の会」は、来年早々にも予想される衆議院選挙で、野党統一候補を実現するために、ようやくアクションを起こすことを決めました。町民と野党が一堂に会して、どのように統一を果たすのかを率直に話し合おうという「つどい」を12月2日に開くことを決め、現在その準備を進めているのです。
長野では全部で5つの選挙区がありますが、2014年の総選挙では2,4,5区は自民党、1区民主、3区維新という結果でした。
安曇野は衆議院長野2区。例の務台さんが前回は当選しているので、今回は何としても野党統一を果たして自公の鼻を明かしてやらなければなりません。
ただし、国政選挙である以上、民進党が比較的多数の票をとっているからといって、自動的に他の党が候補を下すという選択肢はありません。「戦争法に反対し立憲主義を守る、国民生活を壊す安倍暴走政治を許さない」という大義に立った野党統一の基盤を確認したうえで、候補者を選定するという政党間の作業が必要となるでしょう。市民団体との協議、政策協定なども大事です。沖縄での島ぐるみのたたかいと統一候補の決め方に学んで長野でも候補を決められるかどうか。
民進党がこうした全国的な教訓に背を向ければ、政党としての存立基盤を自ら掘り崩すことになるだろうことは間違いありません。そうではなく、国民各層のさまざまな苦悩に目を向ければ、その方向はおのずと決まってくるはずなのです。
「小さい町から大きな声を!」の心意気で、県内の政党の話し合いを促していきたいと考えているところです。
とはいえ、私自身はこのあと一か月は不在。準備段階で多少のかかわりを持ちますが、あとは呼びかけ人、事務局のみなさんにお願いすることになります。
申し訳ない気持ちを抱きつつ、その成功を願って沖縄でのいろいろなとりくみに参加することといたします。



  11月4日(金)
日が沈んで暗闇が近づいた午後5時半、午前から午後にかけて雲が多かった空もすっかり晴れ上がって、干し柿の間からきれいな上弦の月が南の空に浮かんでいました。明日もよいお天気になるでしょうね。

2日は朝から富山に出かけ帰ったのが日も変わった3日の12時半。3日は午前中はバラの会の作業で、そのあとすぐに松本に出掛けて仕事。というわけであれこれ忙しく動き回っていたために2日間お休みしてしまいました。

まず2日の富山行きについて、とくに目的があったわけではありませんが、天気も回復してきたこともありドライブがてら娘の嫁ぎ先と妹に会いに行き、そのついでに魚を買ってきたというわけです。
大町から白馬に向かう青木湖周辺はさすがに紅葉も美しく、白馬岳周辺の山々は中腹まで雪が覆って晩秋の風情。車もそんなに多くなく気持ちのよいドライブ日和でした。
そうそう、途中白馬近くで写真を撮っていたら直ぐ脇をタヌキがひょこひょこ。妻は「わ〜、こんなに近くで見たのは初めて」と興味深そう。どうやら足にケガをしているようでなんとなく哀しげな表情でした。身近な動物の中では、犬猫を別としてこのタヌキくん、私は一番親しみを感じるんですねえ。








富山に着いて、まず私は娘の嫁ぎ先の理容店で散髪。妻は娘に髪のカットをしてもらいさっぱり。その後は店の仕事が終わる頃まで高岡の妹夫婦のお宅を訪問し、いつものことながらおいしい夕食をごちそうになりました。
考えて見れば、なんだかんだとよく訪問していることになります。
お店に戻ってからしばらく動物たちで遊んだり、孫のお勉強のお手伝いをしたりして9時過ぎまで過ごしました。
8月末に我が家に娘たちが連れてきた子猫の「ガリゾウ」くんは、もうすっかり大きくなり、多少はギャーフー威嚇していましたがどうやらおとなしくなった様子。まあ全身がまっくろけなので、写真を撮ろうにもポーズが決まりません。




続いて3日。バラ園周遊路の作業のために午前9時頃から出掛けました。この日、いつもバラ園の整備に力を貸してくれている知人のTさんが、敷石を固定する材木を提供してくれたついでに思いがけないものを持ってきて披露してくれました。
それはいまはやりのドローン。軽快な音を立ててもう見えなくなるくらいの上空まで上がって、バラ園全体の写真と動画を撮ってくれたのです。バラ園は上空から見ると、なんだかナスカの地上絵のように見えるんですね。
会員がいっしょに連れてきていた子どもたちも大喜び。忍者のドロ〜ンよろしくおまじないをして見守っていました。









  11月1日(火)
昨夜から冷たい雨が降って朝はまだどんよりとした曇り空。北アルプスを見ると、雲の晴れ間に雪をわずかに被った常念岳や大天井岳の峰峰が見えましたよ。例年より少し遅いけれど、いよいよ雪が頂上からすこしずつ下に降りてくる季節になってしまいました。




2,3日前には妻が友人からいただいた干し柿をむいて軒先につるし、これまた晩秋の風情。昨年は気温が高くて黴びてしまった家々が多かったようでしたが、今年はどうなるでしょうか。朝晩の冷え込みが続けば、11月末からは少しずつ美味しい干し柿が口に入りそうです。
庭の畑では、野沢菜が小松菜ほどの大きさにまでなって、ひと畝分をすべて若菜のうちに食べてしまいました。あとひと畝は間引いた後、漬け物にはせずに来年の菜の花用に取っておきます。
この野沢菜の緑の美しいこと。霜にあたるといっそう甘みが増しておいしくなるらしいので、しばらくは楽しめます。
隣の二つの畝にはホウレンソウ。これもようやく少しずつ大きく育ってサラダやおひたしにするのに重宝しています。野沢菜を取った後はあと数日後に「スナックエンドウ」の植え付け。

私は数日来、落花生の皮むきで指が痛い。今年はあまりいい出来ではありませんでしたが、昨日普通の落花生を天ぷら油で唐揚げして塩を振りかけて一晩おいたら、やはり美味しいおつまみになっていました。
11月は畑も何かと冬支度。とはいえ、私は間もなく沖縄での1ヶ月の生活が待っていますから、あとは妻にお任せして、体力作りに精を出してきます。




昼前、整備中のバラ園に行き、砂利と砂の搬入に立ち会いました。これから年末にかけてバラ園を周回する通路の整備のために運んでもらったものです。仕上がりまでには多少の曲折はあるかもしれませんが、何とか安心して見回れるような通路ができるといいですね。







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