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  2月29日(月)
今日もまだ朝から頭が重く鼻水が出てカゼの症状がおさまりません。午後から2時間ほど横になっていたらようやくすこしおさまったような気が。しかし、まだ気が抜けないので、暖かくして早く寝るに限りますね

夕方起きてから、ここ1ヶ月ほどかけて読んでいた北大名誉教授・井上勝生さんの「明治日本の植民地支配」(岩波現代全書)をようやく読み終えました。これについては2月15日に少し触れました。
前半は、北大で1995年に偶然見つかった6体の頭蓋骨のうち、一番上にあったものに書かれていた「東学党首魁」という墨書と書き付けを頼りに、その由来とそれを韓国に返還するまでの調査・研究の軌跡が詳細に綴られています。これは北大の調査委員会の「報告書」としてまとめられたものが下敷きになっています。
後半は「報告書」以後に10年以上日本、韓国の各地を訪ね歩き、資料を集め、明治日本の「植民学」の実態と、そのもとでのアイヌ民族への抑圧・圧政の姿、そして東学農民軍を殲滅させるために派遣された下級農民兵士たちの実状をつぶさに実証した部分です。

これらを読むと、日清戦争期の朝鮮侵略において解明されていない史実がいかに多く残されているのかを知ることができ、さらに歴史家の地をはう努力によって、当時の政府がどれほど朝鮮民族を蔑視し支配しようとしていたか、どれほど多くの人々を殺害したり苦難の道に追いやったりしたのかを知ることができます。その事実をなかったことにして公式の記録から抹消した当時の政府の姿もまた醜悪な形をなして浮かび上がることに気づかされます。
こうしたことを知ることは実は恐ろしく辛いことです。井上先生の言うように、勇気のいることです。
今では東学農民戦争を弾圧し、何万もの人々を殲滅したという事実は、おそらく多くの韓国の人々でさえ知らないことかもしれません。しかし、日本が祖国を踏みにじり圧政の限りを尽くしたという歴史的事実はいまなお朝鮮の人々の心から消えてはいません。加害者は歴史を容易に忘れるが、被害者は永久に胸に刻むものだからです。そのことを私たちは具体的事実で知らなければなりません。
歴史とはどのように調査され書き直されるものなのか、そこで明らかにされたことは私たちに何を投げかけるのか、この本は余すところなくそれを教えてくれるでしょう。

あとがきで、作者は次のように書きます。

歴史の負の遺産を調査する資料探索を「自虐」という人がいる。しかし、本書で記したように、東学農民軍殲滅作戦で、大本営が農民兵士に、抵抗に立ち上がった他国の膨大な農民を殺させた。そのことが、自国への「自虐」なのだと思わざるを得ない。

まさしくその通りです。現代に即して言えば、日本に関係のない戦争で自衛隊を海外に派遣し他国の人たちを殺傷したとする。そのことで自衛隊のみならず日本そのものが敵視されて何らかの攻撃をうけたとする。しなくてもよい、あるいはしてはならないことを他国に及ぼすことによって自国の人々を脅かす事態に至らしめるとすれば、それは支配者による自衛隊員と自国民への自虐的行為に他ならないのではないのか・・・という指摘です。「自虐的」という行為は、負の歴史を探索するものが負うべきものではなく、負の歴史を作る者が負うべきものだということです。

この本の中で、井上先生は明治期の「植民学」についてかなりのスペースをさいて紹介しています。
当時の植民政策やアイヌ政策の根拠地となったのが札幌農学校でした。1907年には東北帝国大学農科大学となり、1918年からは北海道帝国大学と昇格していくのですが、この各期間にわたって教官や卒業生たちが、政府の要職について、台湾、朝鮮、樺太、中国東北部での日本の植民地経営に深く関わっていくことになります。
この札幌農学校や東京帝国大学で植民学を講義した人物に新渡戸稲造がいます。彼の植民学の根幹には欧米と同じ「未開のアジアに対して文明を伝播する」という立場がありました。
むずかしい美文調の論文が残されていますが、井上先生の説明でそれを読み解けば、次のようになります。

朝鮮人は「有史前期」の民であり、朝鮮人は「民族的生活の期限を了しつつある」「死の風習」をもつ民である。朝鮮人民は「原始的人民」なのだが、その「野性的気魄もない」「歴史を持たない民」である。

政府の主流によってでっち上げられ、高名な学者によって理論づけられた朝鮮観が、それに続く侵略と植民地政策にどのように反映したかはもはや火を見るよりも明らかです。
こうした見方が日本の隅々に拡散され尾ひれを付けられアジア・太平洋戦争敗戦まで続いていくのです。だが、本当に私たちはその時点でこの考え方に終止符を打ったのか。決してそうではないはずです。今日まで在日朝鮮人に対する差別政策が延々と続けられてきたのだし、従軍『慰安婦』問題1つとっても全く克服している気配を感じない。
井上先生の労作は、あの時代の歴史を新しい視点で現代によみがえらせ、私たちに深く深く考えさせる材料を無数に提供してくれているのです。



  2月28日(日)
昨日から今日にかけて風邪気味で喉が痛く鼻水が出てグズグズ。熱は出ていないので軽い風邪なのだろうと思います。できるだけ外には出ないで暖かくしておりました。なんとなくまだ本調子ではないので、気分がすぐれずちょっと滅入っています。
時間はたっぷりあるので、昨日からWindows版のLaTeX2εのインストールと実際の使い方に本格的に取り組んでいます。
改訂第6版の「LaTeX2ε美文書作成入門」に従って、丁寧に作業を重ねてきましたが、昨日はどういうわけかインストールに失敗。だいたいインストール作業自体1時間ぐらいもかかるんですから大変です。
仕方なく、今日もう一度最初からやり直して、どうやらうまくいったらしい。
もともとこのソフトはオープンソースの、主に理数系で使われる論文用の組版ソフトなのです。数学の複雑な数式などを素晴らしい形で打ち出してくれるのですから、世界中で開発がすすみ、日本でも学者先生方を中心に活発に改良が重ねられています。ただ、一般の人が使うには、あまりに専門的なので敷居が高く、私も10年ほど前から挑戦したいと思いながら挫折の連続だったのでした。
日本語だけあるいは英文だけの論文や書籍ならば、他のソフトでも十分だし、むしろTeXなどは面倒すぎるでしょう。しかし、それでも組版の力は相当にありますから、日本語だけの書籍を作る場合でも十分実用的なのです。
私が注目しているのは、オープンソフトであること。誰でも開発に参加でき、自由に使うことができ、しかも極めて優れた応用力を持っている点。WindowsでもMacでもLinuxでも同じように使える点。
これはAdobeのIllustratorなどとは対照的に、すべてコードとして打ち込まなければならないことがまず第一の関門でしょう。
たとえば、E=mc2と表現したければ、次のように打ち込まなければなりません。Einsteinは後の引用のための引数です。

\begin{equation}
E=mc^2 \label{eq:Einstein}
\end{equation}

この結果は、画像でしかお見せできませんが、次のようになります。


さらにこんなことも。

今日は第1日目ということで、練習問題を二つやって、そのうちの一つ「日本国憲法前文」のPDFファイルをつくりましたよ。美しいものです。
htmlコードを書いてホームページをつくったりする人なら、割とすんなりこのようなソフトにはなじめるのかもしれません。ゆっくりじっくり勉強していこうという気になっています。ともかくソフトのインストールに成功したのが何よりの収穫でした。

今日のNHKスペシャル「難民大移動 危機と闘う日本人」をみて心を痛めなかった人はいないはずです。UNHCRに完全密着しての放送で明らかになったことは、これほど国際支援が必要な局面がないにもかかわらず、十分なとりくみにはなっていないという実態。しかし、それにもかかわらず、人道支援の最前線で若い日本人女性たちが昼夜をわかたず働いている姿が胸を打ちます。
シリアを追われた人たちが400万人を越えたという現実は想像を絶するものがありますが、実際に国外に逃れた9割以上は、トルコ、レバノン、ヨルダンなど近隣諸国に留まっていて、ヨーロッパに渡った人は約6%に過ぎないといいます。
翻って日本の実態はどうか。日本では400人以上のシリア人が暮らしているといいますが、日本で難民認定を得られた人はわずか3人。ケタが3つも4つも違うのではないかとさえ思います。UNHCRでは第3国定住に力を入れて、現在では「28ヶ国が合計10万人以上の受け入れを表明」しているとされていますが、全く少ないのが現状。日本政府は完全に視野の外、対岸の火事の受け止め方なのです。
中国やアジア諸国からの青年を安い労働力として使う研修制度をつくることに熱心であったり、海外に自衛隊を送るのには熱心な政府ではあっても、こうした人道支援にはまるで関心のない日本・・・悩みながらも受け入れに前向きな先進諸国と対比したとき、この国の異常さが際立っていないでしょうか。



  2月27日(土)
今日の新聞の一面には、日本の人口が国勢調査史上はじめて減少したとの記事が載っていました。長野は5万人減少で都道府県の中では中くらいの減少。死亡者数が出生者数を上回る自然減が大きい要因というのは当然なのでしょうが、今後はますます減少幅が大きくなるのではないでしょうか。
全国各地の自治体などではこの人口減少を「危機」ととらえていかに減らさないようにするか、いろいろと施策を講じているようですが、本当にそんなに危機意識を持つ必要があるんでしょうかね。
問題の第一は、年齢構成が極端に「いびつ」になり超高齢者社会の到来でこの国がたちゆかなくなるかのような描き方がされていることです。しかし、これは20年程度持ちこたえればいいはず。働ける高齢者にはウンと働いてもらって日本の労働力人口を増やせばよろしい。
第2は都会への人口の集中が、克服されるどころかますますひどくなっていること。これはもっぱら政策的に引き起こされていることですから、根本的な対策を講じる必要がある。日本の農林業を衰退させるやり方をやっている限りは解決不能でしょうから、この点では政治転換が必要です。

「地方創生」をうたい文句とした安倍内閣の方針にそって「内閣官房まち・ひと・しごと創生本部」が一昨年10月、「地方人口ビジョン」およびその実現のための「地方版総合戦略」策定を地方自治体に指示したのです。それにそって一斉に作成されたのが「人口ビジョン」と「地方総合戦略」です。
池田町でもご多分にもれず、政府のガイドラインにそった方針が作成されました。

池田町人口ビジョンおよび総合戦略(概要版)
人口ビジョン
あづみ野池田総合戦略

町のホームページにはこのほかに町民からのアイディア、意見などが載せられています。
さて、池田町には第5次総合計画という上位計画があるのですが、残念ながらこれとの整合性はまるでありません。政府の方針にそってとにかく作成したという体裁のものになっているのが特徴です。とはいえ、人口の分析は政府のマニュアルにそっているのでそうとうくわしく参考になります。
実は、一昨年まで社会資本総合整備計画の審議委員であった私は、審議の過程で池田町の人口についての推移、その特徴などをまとめて資料として提出したことがありました。しかし、今回のこの人口ビジョンの中でそれらが顧慮されたという形跡はなく、あくまで政府の方針に従ってというものとなっているのが特徴です。
下は、私が提出した資料の一部です。この資料でいいたかったことは、池田町の人口の特徴は第一に、出生者数は多少減少傾向が見られるもののほとんど横ばい。これは貴重です。そして、転入と転出がほぼ均衡し(これも貴重)、減少の主な要因となっているのは高齢者の死亡です。だとすれば、基本的にあと20年近くは自然減が続くものの、出生者数、転入者数をうまくコントロールできれば縮小均衡に持ちこむことは十分可能だし、むしろそれによってバランスのとれた町にすることができるという展望でした。


ここでは全く視野の外でしたが、これからの人口問題を考えるときにどうしても必要なのは高齢者にふさわしい町づくりの展望です。
池田町は町中心部の空洞化と東山山麓を中心とした流入者の増加という問題があり、あと10年もすれば高台や市中心部から離れた場所の高齢者の生活が極めて困難かつ不安定になるという重大問題が生じるという見透しが簡単にできます。現在では、これに対する対策は全く手つかずだし、第一その実態調査すらできていません。
空き家対策と高齢者の生活環境の整備、移住者定住問題を主管する強力な部署を役場におき、少子化対策の部署と連携して町づくりにあたる必要があると私は思いますね。さもなければ、おそらくあと10年もたたないうちに池田町はバラバラで住みにくく収拾のつかない町に変貌することになるでしょう。

「あづみ野池田総合戦略」(概要版)を見てみましょう。その基本目標Tのトップには何と書いてあるか。
「農業を基盤にした農産業の育成・創出」の第1項目、◆「花とハーブの里」の再ブランド化・・・町民自らが日常的に花・ハーブに親しむ全町的な風土づくりの推進・・・だそうです。結構じゃありませんか。書くだけなら。
我が「池田町バラ愛好会」はハーブセンター真東の東山一角に、今から5年以上前から町民有志によって小さいバラ園を作ってきました。小さいとはいえ、昨年のバラ祭りには3000人近くが訪れてくれるようになった場所です。しかし、手が足りず大きくしたくてもできなジレンマに悩まされながら、何とか等身大の手入れの行き届いたものにしようと努力しているのが現状です。これに対して行政の関心はほとんどゼロ。バラ祭りに役場から誰が来てくれたのでしょうか。私たちの気持ちを聞いて、今後の町の方針に生かそうなどということも全くありませんでした。これじゃ自分たちは何もせずに町民に「やれ、やれ」と上から指示を出すだけになってしまうんじゃありません?こんな方針は「総合戦略」でも何でもない、と私は思うのですが、ちょっと言い過ぎですかね?



  2月25日(木)
参議院選長野選挙区での野党候補者一本化がようやくまとまったようです。今日の信濃毎日新聞が一面トップで報じていました。
ただ、見出しはやっぱり「共産擁立取り下げ」ですけど。ともあれ、今回の日本共産党の先見の明ある提案と大英断に賛辞を送りたいものですね。
共産党志位委員長が23日の5党会談で、候補者統一にあたって山下書記局長が提案したのは「7項目の基本方針」でした。そこには第1に、「安保法制=戦争法廃止、集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を、国政選挙における野党各党の選挙公約とする」ことが述べられている。そのもとで「@安保法制廃止、閣議決定撤回を選挙公約とすること、A選挙協力の意思があることを確認することを、その条件とする」・・・つまり日本共産党が候補者を下ろすのは、それだけの国民的な大義があっての話であり、場合に(地域に)よっては、今度は民主党が候補を下ろすという事態もありうる。民主党は果たしてその用意があるのでしょうか。
沖縄の衆議院選挙4選挙区のような候補者の見事な統一をこの国の政党は実現できるのか。その壁はまだまだ厚いだろうと思います。ただ、安保関連法に関して、ここまでの動きが可能になった背景には、間違いなく私たち地域の運動がある。国会周辺のデモや集会だけじゃありません。高校生から、我々のようなじっチャン、ばっチャン の全国での運動があるんですね。そのことを実感させてくれる候補者統一のニュースでした。

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さて、昨日の私の短いコメントに対して、心こもる「返信」をMNEMOさんが書いてくださいました。ありがとうございます。タバコに関する「アドバイス」もMNEMOさんだからこそです。
養老さんのお話を待つまでもなく、キャリアから言えば私の方がMNEMOさんより多分長いから「イライラが収まる感じ」はよ〜〜くわかります。「ドラマ スペシャリスト」のアホな台詞をもじって言えば「だってオレ50年吸ってましたから」
今回の私の不調の最大の原因は、タバコ害というものではなくて、何らかのウイルスによる内臓障害ではないかと思うのです(主治医も同意した意見です)。遠因にはたしかにタバコもあるのかもしれませんけれど。
で、ですね。元気が回復してみると、やっぱりタバコ吸いたいなあと思うときが1日に数回あるんですねえ。入院して熱が出ているときは2週間ほどタバコのタの字も考えなかったのにです。それだけ、回復したってことじゃないかなと喜んでいるのです。
私はタバコに関してはMNEMOさんとあまり意見が変わりませんよ。「絶対にやめてやる」と何が何でもやめようという強い意志は持っていません。今回はたまたま強制入院という事態が引き金になっただけです。ま、お金ももったいないし、このまましばらくは1日500円玉貯金しながら、「おっ、こんなに貯まった」と言ってみようと思っているところです。いつまで続くかわからないけれど。このままやめられたらなお良いし・・・。
とはいえ、今度MNEMOさんたちが来てくれる頃にはまた、いっしょにベランダで紫煙をたなびかせているかもしれませんし・・・。

そうそう、ところで、例の天体望遠鏡ですが、池田町にはすごい人がいて、自宅に天文台を作って開放していらっしゃるんですよ。まずこちらをクリックしてみて下さい。ブログの方がいいかな。いつも仲良くしていただいているカフェ「風のいろ」さんです。
ご夫婦ともに私と同じ元教員で、星空好きが高じて自宅に立派な私設天文台をつくり、地元の子ども達や天文好きに開放、毎月「星空ウオッチング」をやっているのです。
私もかつてはしょっちゅう案内をもらっていたのですが、出不精のために最近は案内もされなくなってしまった。
カフェのブログに寄ると、敷地の一角に据えられているのは、群馬県妙義山山麓の秘密工場でつくられたという直径2.5mの天文ドームです。下に写真で紹介しました。立派なもんでしょ。


池田町やその周辺の子どもたちが知らないとすれば、それは公的な施設ではないからかと思われます。MNEMOさん、「カフェ風のいろ」ぜひ紹介してやってください。「立派な施設をもち情熱を持って宇宙を語れる先生が池田町にはいるんですよ」と。場所はグーグルマップでちゃんと教えてくれます。
子ども達なら、お父さん、お母さんと下見がてらにお茶でも飲みにカフェに行ってみるといいかも。私から紹介されたと言ってくれたらなお嬉しい。きっとお二人喜びますよ。



  2月24日(水)
今朝いつものようにメインマシン(Windows7)を起動しようとしたら、真っ黒な画面の右隅に「_0」と出ただけであとはウンともスンとも言わない。何度やっても同じ。もちろん初めての症状なので、たぶん起動時のソフトのトラブルだとは思いながら何にもできないもどかしさ。
やむなく、直ぐそばにいつも置いてあるセカンドマシン(Windows10)に切り替えて、メインマシンのHDDから必要なデータを移行。いつでもこちらで作業できるようにしておいて、あらためていくつかのパーツを付け直して起動したら、ちゃんともとに戻った。嫌がらせが好きなマシンです。そんなこんなで午前中の時間がパー。大事なデータは保存しておきましょうね。

MNEMOさんのここしばらくのブログは溌剌としています。本来の仕事が戻ってきたわけですから当たり前といえばそれまでですが、読んでいても気持ちがいい。
いいことっていうのは必ず次のステップへの弾みがあるもので、フォーク・ライブも必ず実現できることでしょう。この辺になると多少私にも過去の生活でオーバーラップするところがでてきます。聞いてもらえる人の幅を広げるという意味でももっともっと意欲的に挑戦していってほしいものですね。

先日NHKだったか、保育労働や介護労働の現場の悲惨な状況について報道していました。民間にはなじまない公的保育やサービスの現場がどんどん崩壊していく様子を見るにつけて、この国に蔓延する「金になるかならないか」「即戦力になるかならないか」だけの安っぽい「労働観」(労働者をモノとしてしか見ていない)に肌寒くなってしまいます。こんな社会は長く続かない。根腐れを起こしているのだから、早晩根底から崩れ去る、そう思いましたね。
労働の現場から、労働者同士が「学び合う」「育ち合う」ことがなくなり「競争」で生き残ることが価値基準となれば、そこからは人間的な価値は一切消え去ってしまいます。たとえば、その現場が教育現場(保育でも、介護でもよい)だったらどうでしょう。仮に生徒の前で「人間の価値」を説いてみたところで空疎なものにならざるをえないでしょう。何を根拠に生徒たちに「連帯」や「思いやり」を説くのでしょう。おそらく現在学校に勤める教師の圧倒的多数は、教育の現場での「民主的な運営」など死語に近いと思っているのではないかと私には思える。管理職、主任などの管理のもとでほとんど上意下達的に日々の活動をこなしていくことが教育だと思わざるを得なくなっているのではないでしょうか。
私自身、名古屋で初めて教職に就いたときの5年間の体験がなければ、教育の現場についての見方も相当に変わっていたかもしれません。教育への確信を作り、希望を与え、改革への展望を与えたのはまさにこの5年間の実践だったのです(具体的に話さずに結論だけ書くのはちょっと気が引けますけど・・・)。
いつかできたことは必ずまた形を変えて復活できる。その精神は決して死んではいない、私にはそう思えます。



  2月23日(火)
割と機械的な作業なら相当時間集中して取り組めると自分ではわかっているので、ずっと気にかかっていた「池田町財政分析」の改訂版作業にここ数日かかり切りになっていました。
総務省の発表している「決算カード」から値を拾っては昔のデータに付け加えたり削除したりしていく根気のいる仕事。ただやみくもにやればいいというわけでは勿論ありませんから、結構骨が折れます。
最初の数ページを紹介すると次のようなものです。

1.はじめに 一般会計決算書より
2.歳入のしくみ
3.地方税
4.財政力指数

こんなのが約40ページ分。池田町役場では行政の立場からいろいろな資料を作っていますし、公表もされています。しかしそれらはある特定の政策的目的を達成するために作成するものですから必ずしも現在の状況を分析するという視点では作られません。どうしても在野の「監視的」調査・研究機関が必要なのですね。
この日記をお読みの方ならすでに十分お気づきのことと思いますが、3、4年前の「社会資本総合整備計画」に参加して以来、町のことについてはほとんど書かないようにしてきました。
実は今もなおあまり乗り気ではないのですが、そうも言っていられない状況に立ち至ってしまいました。前町長の恥ずかしい事件があって、この町は職員一同が本当に気を引き締めて「公僕」にふさわしい仕事をしてもらわなければならないこと。
第2に、町長選挙でどうしてもこの町のあり方が問われることになること。第3に、在野でこうした仕事をする人が他には残念ながら見当たらないこと。
この作業を開始したのは、もう一度自治体運営の原点に戻って、しっかり考えなければならない時期だと思うようになったからです。

今日は本当に久しぶりに役場に行って、財政係のHさんに資料をそろえることや、間違い直しなどを手伝ってほしい旨頼んできました。こんなのは1人でやることじゃありませんからね。
ばったり玄関先でN 総務課長に会いました。「心労が重なって痩せたんじゃないの?」と言ったら「いやいや、やけ食いだ」と冗談めかした返事が返ってきました。
町長選挙立候補者のお一人と先日かなり突っ込んでいろんな話をしましたが、「当たり前のまともな町政」がいま求められているんじゃないですかね。そのための資料になればいいんだがと思いつつ、あと2,3週間かかって原案を仕上げようと思っています。そのあとは、議員さんたちにも協力してもらって分析をしっかりやりたいと考えているところです。



  2月22日(月)
みなさま、ご心配おかけいたしました。おかげさまで、本日全快宣言です。
今日病院に出掛けて、先日行った頭部MRIおよび大腸内視鏡検査の結果を踏まえてこれまでの最終的な診断結果を聞いてきました。というより、私から「この間の症状は、体力が落ちていたところに正体不明のウイルスがとりついて発生したものではないのでしょうか」と先生に問いただしたら、「私もそう思います」という返事でしたよ。
要するに、検査結果はすべて正常を示し、にもかかわらず発熱・胃腸機能低下・意欲減退などの症状が見られたのですから、特定はできないけれど何らかのウイルスの仕業と見るしかないということなのです。
「意欲減退」が何らかの頭部の異常から来ているのではないかという疑いからMIRまでやったのですが、結果はその疑いはなしということ。前頭葉の萎縮とかでカランコロン状態じゃないかなあと心配していたのですが、「萎縮は目立たない(無いとは書いてなかった!)」「隠れ脳梗塞も見られない(口頭で)」ということでしたよ。安心しました。ただ、ところどころ白いところが写っていて、そこは頭の働いていないところだと言っていましたが本当でしょうか。
大腸は、検査日に聞いたとおり、5ミリの良性ポリープが1個あるので3年後に再検査をして取ったらいいいでしょうということでした。
帰りがけに豊科のトンカツ屋に入り、ヒレカツランチを食してきました。いつも行くこのお店のヒレカツはとにかくうまい。今日の味は最高でしたね。ゆっくりかみしめてきたことでした。
高ついたけれどいろんな検査を行って、結果として何も悪いところがみつからなかったというのですからよしとしなければなりませんね。何だか以前「ガンの疑い濃厚」と言われて、散々検査したけれど見つからなかったというのと似たような展開でした。
ともあれ、どこか痛かったり高熱が出たりするときの苦しさは、何もないときにはわからないもの。とにかく費用もかかるしね。それだけに日頃からそうならないような訓練をしておかなければならないということです。



  2月20日(土)
一昨日午後から下剤を飲んで、昨日は午前中から腸の洗浄剤を2時間かけて約2リットル。なかなか辛いものがありました。お昼から病院に出掛けていよいよ大腸の内視鏡検査です。
終わってみるとこんなもんかと思うのですが、カメラを入れている間は空気を送り込むので腹が異様に痛い。30分ほどでこれも無事終了しました。
結果は、4,5ミリのポリープがひとつ見つかったというだけ。これについては、3年ぐらいしたらもう一度検査をして必要ならそのときに取ったらいいという話だったので、まず問題なしという結論でした。
これで予定していた検査はすべて終了です。人間ドックを含めれば頭のてっぺんからヘソ下まですべてくまなく検査を行ったのですから、まあ70の節目としてはよしとするか。それにしてもあの発熱と倦怠感、食欲の低下は何だったんでしょうか。22日に今回の結果を聞きながら総合的な判断をしてもらうために病院に行くのですが、おそらくは問題は見つからなかったという、あの数年前のような話になるのでしょうかね。

昨日から今日にかけてのビッグニュースに、戦争法廃止にむけた5野党の選挙協力の合意と安保法廃止法案の国会共同提出があります。
新聞各紙は、国会の片隅で起こった軽いニュースのように扱っていますが、実際はこの国のあり方を問う、つまり立憲主義のゆくえを問う極めて重大な問題なのじゃありませんか。毎日新聞のように、今日の朝刊では「共産1人区擁立せず」などと見出しをつけてこのニュースの意味と大きさに全く無頓着なのはどうしたわけでしょうか。
共産党の志位委員長が「戦争法廃止と国民連合政府」のよびかけを行ってから数ヶ月、市民レベルで高まる共闘を願う声が野党各党を動かしたともいえます。
今後は、この合意に基づいて参院選挙にむけた各地域での話し合いがどうなるかが大きな焦点に。この長野ではとくに真剣に話し合いを早急にまとめなければならないでしょう。

最近ほとんど文章ともいえないような書き付けで我が記録をよごしている間に、東京ではMNEMOさん、いよいよ明日ライブですね。これにそそぎこむ熱い思いと気迫とがずっと前から伝わってきていました。遠いところからですが、成功を心より願っています。思いのたけをみなさんに伝えてください。



  2月17日(水)
ずっと家に閉じこもっていると、頭の中がどうにかなってしまったんじゃないかというような妙な錯角に捕らわれてしまいます。錯角ではないのかも・・・とも。
明日から食事制限に入って、あさっては大腸検診です。初めて大腸にカメラを入れるので心配ではありますが、これまでの検便検査などでは何もなかったので多分どうということはないでしょう。それより頭のMRIが気がかりですよね。いずれにせよ、年相応の結果になるでしょうから、この検査が終わった後は心を入れ替えて体力づくり健康作りに力をいれないといけません。
熱が出始め入院してから約半月間は味覚や嗅覚がどうにかなってしまったようで、たばこのことなど考える余裕もなかったのです、ほぼ1ヶ月経って元に戻り始めると何となく口が寂しく身体が刺激を求めるようになってきました。体調が戻ってきた指標なのかもしれませんね。家にはタバコはいっさいありませんので、吸いたければ買いに行くしかない。どこまで忍耐が続けられるか自分でも興味あるところです。

ところで、家にいて何かに集中できるかというと、全くそうではありません。本を読もうとしても長続きしない。さりとて映画を見続けるわけにもいかず、何もしないでボ〜っとしているわけにもいかず・・・いま集中できることを探しているところです。
私がいま考えていることのひとつはこれまで果たせなかったソフトの使い方をマスターすること。高価なソフトであれ、オープンソースのソフトであれ有用なものが沢山ある。フォトショップやイラストレータひとつとってもほとんど機能がわかっているわけではありません。InDesignやAcrobatでも同じ。さらに、かねてから何とかマスターしたいと思いながら敷居の高かったTeX(テフ)もそのひとつ。
もう一つは、町の財政分析の改訂版をつくること。しばらくこの問題からは遠ざかっていましたが、町長の不始末でこの町もねじを巻き直さなければならない状況があるからには、財政問題ぬきに町政を語ることはできません。これはどこまでできるかわかりませんけれど、時間にまかせてこの1ヶ月くらいは挑戦してみることにしましょうか。



  2月16日(火)
最近の株価低迷で、公的年金の資産運用に莫大な損失が発生しているというのは周知の事実。これについて、昨日の衆議院予算委員会で安倍首相、こともあろうに「給付に耐える状況にない場合は、給付で調整するしかない」と言い放ったのだとか。
安倍内閣が、公的年金の資産運用で株の割合を増やしたのは一昨年2014年の10月。それまで、国内株、外国株の割合はそれぞれ12%だったものが、2倍の25%に、国債を60%から35%にし、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の資産130兆円のうち87兆円を株式運用に回せるようにしたのです。
はじめのうちは、「官製相場」で利益を生み出すかに見えましたが、あっという間にその化けの皮がはがれて、昨年7〜9月期で国内株式が4兆3154億円の大幅な赤字。外国株式も3兆6552億円の赤字を計上してしまったのです。(しんぶん「赤旗」2015.12.1
1月20日付けの日刊ゲンダイによれば、「平均株価の下落幅は、大発会からの10営業日で2000円を超えた。この間、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用損が7兆円を超えたというショッキングなデータが飛び出した。国民の年金はいよいよヤバくなってきた」と書きました。
さて、最近の株価の低迷、アベノミクス破綻でどこまで年金運用の損失額が膨らむのか。この一事で、安倍内閣には即刻退陣してもらわないといけないと、年金しか頼るもののない私は思うのです。
世の年金暮らしのみなさん、こんなギャンブル安倍内閣をまだ信用なさるのですか?支持率50%なんてどうかしてるんじゃありません?せめて年金暮らしのみなさんは、支持率ゼロとしましょう。



  2月15日(月)
長谷川さんの講演の中に、戦前の日本は明治維新以来アジア太平洋戦争敗戦までの71年間で、18回の侵略戦争を繰り返してきたという部分がありました。学校では日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争・・・くらいにしか習っていない筈ですから、おそらく初めて聞く戦争などもあって、参加者には衝撃的だったのではないでしょうか。
この一つ一つの戦争で、台湾、朝鮮、中国の名も無き庶民が多数殺傷されているのです。しかし、これらは日本国内では知らされなかったり、侵略などとは全く考えなかったりして、「加害者」としての意識は当時から(現在まで)全く無かったり驚くほど希薄だということに気づかされます。これこそが侵略する側の最も大きな問題点なのです。講演が終わってから昨日まで語り合った中のひとつの焦点はこの点でした。

考えてみると、私自身日本の近代史についてはほとんど体系的に学んでいないことに気づかされます。
たとえば、「日清戦争ってどんな戦争」と聞かれて、どう答えられるでしょうか。ましてこれが侵略戦争だったのかと問われて「そうだ」と即座に答えられるのでしょうか。
この国の若い人たちにとっても同様でしょう。アジアの人たちにむごい傷跡をこれほど残しながら、それらの歴史については何一つまともに勉強したことがないというのは恐るべきことじゃないでしょうか。
私自身についていえば、一通りのことについては本を読んで知っていたつもりでしたが、ただ本だけの知識ではあっという間にはがれ落ち抜けてしまいます。何度も繰り返し、さらに深く学び直す必要がある。その意味で、一昨日の長谷川さんのお話では大変大事なことを沢山指摘してもらったように思えました。

私がいま関心をもって調べているのは、日清戦争時、日本軍に対して蜂起した数十万人の東学農民軍を日本軍と挑戦政府軍が徹底して弾圧し「殲滅」した事件です。この第2次東学農民戦争は日本では知られていない。
この事件を追跡している1人が北海道大学名誉教授の井上勝生先生。北海道大学古河講堂に段ボールに無造作に放り込まれていた頭蓋骨を発見したことを発端に、「日清戦争のもう一つの側面、ジェノサイドの真実が浮かび上がる」のですが、その間の苦闘を綴った本が「明治日本の植民地支配」(岩波現代全書)です。
明治のはじめから、朝鮮の人たちに対する民族差別と支配意識がどのように作りあげられていったのかを含めて、この国の負の歴史を余すことなく伝えています。こうした歴史を知らない世代は必ず同じ誤りを繰り返す。歴史の勉強会をはじめなきゃ。
面白いことに、同じように(正反対の立場から)「近代史勉強しなきゃ」という人がいます。田原総一郎さん。BLOGOSのインタビューで「自虐史観ではない近現代史をちゃんと教えるべき」だと主張されています。「日清戦争は侵略戦争だった」というのはサヨク史観・自虐史観で、実際はそうじゃない。なぜ日清戦争が起きたのか・・・という調子。
「明治日本の植民地支配」で描かれる朝鮮でのジェノサイドの実態といかにかけ離れた帝国主義史観でしょうか。要するにこうした見方が、広く深く根付いているのが今日の日本の特徴です。歴史研究者の地を這うような実証的な研究から私たちはもっと学ばないといけないと実感させられます。



  2月14日(日)
昨日午後は、かねてから予定していた「町民の会」主催の学習講演会。何人来てもらえるか心配でしたが、何と最低目標の30人は越えたのでホッとしています。




講師をしてくれたのは私の古くからの友人で先輩の長谷川了一さん。現在は富山県憲法9条ファンクラブ事務局長をするかたわら、近現代史の研究を重ねている私の尊敬する人物のひとりです。
「あんたの頼みとなれば断るわけにはいかんからね」とは長谷川さんの弁。これほど本を読み、深く物事を考え、かつ実践している人は世の中広しといえど私はあまり知りません。まずこの長大なレジメ(資料集を兼ねる)をご覧いただきましょうか。参加者はまずこの分厚いレジメに圧倒されてしまいましたね。
講演は1時間半とお願いしてあったのですが、果たしておわることができるのかどうか、いささか心配で、つい何度も確認してしまったことでした。実際は、10分ほどの延長で何とか収まりましたが・・・。
歴史問題については、なかなか体系的な話を聞く機会はないので、貴重な学習の機会になったのではないかと思われました。終わりの挨拶で松澤副代表も言っていたように、講演を聴いたあとでこのレジメをもう一度読み直すとその真価がわかります。実際、歴史問題を考える際の「バイブル」(?)みたいなものになっているかもしれませんね。

今日、妻は健康友の会のつどいのために出掛けなければならなかったのですが、早起きしてみんなの食事を準備してくれて、我が家で泊まった長谷川さんも私もホテル気分でのんびりできました。
妻が出掛けたあと、11時過ぎの電車の時間まで、ご夫妻といろいろと積もる話に花が咲きました。



  2月13日(土)
今朝は暖かく雨がほんの少し降っていました。東の空は明るく日が昇ってくるにつれて北アルプス側には大きな虹が。久しぶりの虹です。




午後からの講演のために富山からやってきてくれる長谷川さん夫妻を迎えるために、妻とともに明科駅に向かいました。天気はあいにく下り坂。しかし、なんとも生暖かい空気がこの時期にはまったく不釣り合いです。
家に行く途中、長谷川さんのリクエストでクラフトパークにある上原良司の記念碑に立ち寄ってきました。
昼食はお蕎麦にしました。私自身、最近ソバに目覚めたというか、ソバが食べたいと思うことがよくあるようになりました。これって年のせいなんですかね。安曇野にきたからには、やはり一回はソバでしょう。

体調不良で、しばらく味覚も嗅覚も全然ダメだったのですが、このところようやく少しずつもとに戻ってきたみたいです。お腹の調子もやはり少しずつですが、もとに戻ってきているようで嬉しい限りです。



  2月12日(金)
明日はいよいよ富山県9条ファンクラブ事務局長の長谷川さんを迎えての講演会です。どれだけの人に来てもらえるのか不安がありますが、人数はともかく、安倍政権の時代錯誤的な歴史認識と復古主義の跋扈の中で、あの戦争を正しくとらえ、その歴史的な教訓に思いを馳せることは極めて重要でしょう。体系的にあの戦争を考えることがほとんどできないだけに、明日の講演は貴重なものとなるはずです。
一昨日予告していた、最新の「町民の会」のニュースNO.10とバラの会のニュースは以下の通り。何とかつくりあげましたよ。






ところで、今日町民の会にツイッターを通して、高校生の団体であるT-nsSOWL(ティーンズソウル)から、今月21日(日)に予定される全国一斉高校生デモへの「支援・賛同のお願い」が寄せられました。東京・東北・大阪での大規模デモに連帯の参加を、できなければ各地でデモを行ってほしいという要請です。
毎日新聞の報道によれば、T-nsSOWLは記者会見でこの日の取り組みについてリリース済み。高校生でできる運動を積み上げていることに心強い思いがします。
「町民の会」はこの21日は、街頭宣伝と署名行動の予定をしており、その中でT-nsSOWLからの要請についても触れることができるでしょう。明日の集会でも周知を図る予定です。
彼らから送られてきた企画書は次の通り。





  2月11日(木)
晴れた日の朝は実に気持ちがいい。冷気が肌に食い込んでくる。日が昇るにつれて、北アルプスはモルゲンロートから真っ白な頂へと変容する。しばらく外に出られなかっただけに、見慣れたアングルながらこの景色は新鮮です。




自民党の女性3議員の発言。
まず自民ヤジ将軍 丸川珠代様:
『反放射能派』というと変だが、どれだけ下げても心配だという人は世の中にいる。そういう人たちが騒いだ中で何の科学的根拠もなく、時の環境相が1ミリシーベルトまで下げると急に言った。
(2月7日、長野県松本市、自民党若林健太参院議員の集会での講演 東京新聞

次に失言王 高市早苗総務相様:
(放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及)
「行政指導しても全く改善されず、公共の電波を使って繰り返される場合、それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」「法律は法秩序を守る、違反した場合は罰則規定も用意されていることで実効性を担保すると考えている」
(2月8日 衆院予算委員会 朝日新聞

最後はどうでもいいけど、例の島尻安伊子沖縄北方担当相様:
「はぼ・・・何だっけ」

沖縄北方担当相だからね、子ども達に恥ずかしいじゃありません。それにしてもみなさん、そうそうたる学歴のエリートの方々。まあ、自民党という集団の中では学歴がいかに「人間」を作らないかという例証であると考えれば、多少納得いくのかしらね。
ついでにこ〜んなのもありました。自民党の前川恵議員の初登院時のお話こっちがもうちょっとくわしいか?どっちにしても載せるとこっちが恥ずかしくなるからリンクだけ。



  2月9日(火)
「戦争法に反対する池田町民の会」の代表・副代表を含めて、久々の役員会を今日我が家で開きました。この間、署名をはじめ、野党各党への参院選での統一申し入れ、池田町の団体への共同の申し入れなどを進めてきましたから、経過報告も盛りだくさん。13日の学習講演会の成功をめざしてあと一踏ん張りすることを申し合わせました。

このところの私の体調は一進一退という感じ。でもよく食事が進むようになってきているので、回復基調にあることは間違いありません。熱が出ないのが何より嬉しい。
とはいえ、まだ何かに集中することができないのはとても辛いことです。こんな状態になったとき、自分は一体何をしたいのか、何をすべきなのか・・・今日のNHKクローズアップ現代「がんを“生ききる”〜残された時間どう選択〜」を見ていて、そんなことをしきりに考えてしまいました。
実際にどこかが痛かったり、熱っぽかったりすれば、何かに集中するというのは本当に至難の業。放送のように末期ガンともなれば、それは想像を超えたたたかいになるのでしょう。
私の場合、とくに日頃から取り組んでいる課題ややり残しがあるわけではありませんから、結局カラッポになった自分の頭と向き合うことになってしまうのですね。
ようやくそんな自分とつきあえるようになって、いよいよこれから本格的に自分自身の作り直しに挑戦です。

夜に入って、外はもう数センチの積雪。あしたまでに10センチくらいは積もるのでしょうか。
午後8時、私はこれから「町民の会」のニュース作りと、バラの会の総会準備とニュースづくり。それくらいやれば、ちょっとは過去のカンを取り戻せるのではないかな・・・・。



  2月7日(日)
今日はまた朝から北朝鮮による弾道ミサイル発射のニュースで戦争でも始まったかのような大騒ぎぶり。改憲を狙う安倍政権を側面から補強しているとしか見えない今回の北朝鮮のミサイル発射。安倍さん、この破片の一部でも日本の領海に落ちてほしかったんじゃないかしらね。
北朝鮮もまた前回より多少は性能アップした弾道ミサイルを打ち上げて、国威発揚を狙わざるをえないほどに最高権力者の地位が極度に低下し国民の離反が心配だということでしょう。こんな社会が100年続くはずがありません。

1月末に、こんなニュースが一部報道機関で伝えられました。「船員予備自衛官化 =「事実上の徴用」海員組合が反発」(毎日新聞
「日本の南西地域での有事を想定して対策をすすめる防衛省にとって、武器や隊員を運ぶ船も操縦者も足りない」「そこで、民間の船を選定して平時はフェリーだが有事は軍用に使うという仕組みを作る」のだそうだ。
海員組合はこれを戦前の「軍への徴用」と同じだと反発し、森田組合長が「悲劇を繰り返してはならない」と訴えたと伝えられます。当然のことです。
防衛省は、一般的にこのような制度をつくったらどうかと言っているわけではありません。毎日新聞「クローズアップ2016」によれば、次のように書かれています。

船員確保の一方、防衛省は民間船の使用にも手を打っている。自衛隊が有事や災害時、訓練に使う民間船について、運航・管理を担う新会社を民間会社に設立してもらう。既に入札を実施して企業を選定中で、25年末までの10年間に2隻を準備し、有事の際には少なくとも1隻を使用する契約を結ぶ予定だ。

今後こうした動きが具体化してくるのは当然のこととして沖縄の軍港(米軍基地含む)が中心になりますから、沖縄の基地負担の軽減などと言う言葉が全くの偽りであることを示す事例であるともいえるでしょう。
日米ガイドラインと安保関連法に基づく戦争準備がどこまで進められようとしているのか、警戒心を持って監視していくことが必要ですね。



  2月6日(土)
昨日は、昼に散髪に出掛け、夕方は妻と例の中華屋に食事に出かけました。これは本当に久しぶりのこと。妻も「ようやく出掛ける気になったか」と喜んでくれました。
髪は昨年から3ヶ月ほども刈ってなかったので伸び放題。寝ているとひどい状態になるのでやむなく出掛けたのでした。さっぱりはしましたが、何と髪の白くなったことかと我ながらビックリ。
外食もそれほど食べられるわけでもなく、半分以上はお持ち帰り。まあそれでも、こうした気分転換を少しずつ積み重ねて、もとの感覚を取り戻して行けたらいいですね。
いままであった微熱もほとんどおさまって、それだけでずいぶんと過ごしやすい。あとは腸の働きを元に戻すことだけ。これが思ったより手強くてしばらく時間がかかりそうです。
この間、何人もの方々からお見舞いをいただき、かつご自身の体験を含めた養生の仕方などを教えていただきました。できる限りこれからの生活に取り入れて、健康生活を作りあげていきたいと思っています。ありがとうございました。

外にでかけると、話題になるのはきまって町長の不始末と3月に予定される町長選挙。「だれかいい人町長選挙に出てくれないかいね」「町会議員選挙も無投票、町長選挙も無投票となりゃいいことないがね」などの声が聞こえてきます。今日は町の中心地では「飴市」が開かれる日なので、そうした声もいっそう大きくなるのでは??

夕方には、1ヶ月ぶりで子ども達と数学のお勉強をしました。ここしばらく何も考えずに寝てばかりいたので頭が働くかどうか不安でしたが、意外とそうでもなく、むしろこうした仕事をしていた方が精神衛生上よいことに気づかされています。
少しずつ普通の生活が戻ってきています。



  2月3日(水)
相変わらず外に出られない(出たくない)日が続いています。とはいえ、ほんの少しずつですが、快方に向かっている実感は感じていますから悲観は全くしていません。
朝8時頃一旦起きて、朝食のあとまたベッドに入り、午後しばらく起きていて、身体が重くなってまた布団に入り・・・と、まあ何と寝てばかりの生活を続けて飽きないのでしょうか。要するに、身体がこれだけ休めと命令しているのでしょうね。
いろいろな検査をして異常は見つからないということは、正常だという証しにはならないとしても、決して悪いことじゃない。このあと、考えられるすべての可能性を潰していけばいいだけだからです。
医者はあまり過去の生活習慣とか、嗜好とかを問題にはしません。あくまで検査のデータで判断するだけ。そこに私自身は一抹の不安を感じているのですが、そこを埋めるのは自分自身しかないのではないかとも思えてきます。つまり、今回のダウンの背景にはそれだけの生活習慣があったということです。
最も考えられる要因は、長い期間の喫煙。自分自身としてはそれほどのヘビースモーカーとは思ってはいませんけれど、それでも過去40数年間、いろいろな銘柄のたばこを吸い続けていたその「蓄積」はハンパなものじゃない。直接の引き金は喫煙とは思われないけれど、何らかのウイルスが悪さをして発熱したところに、喫煙で弱った身体の各部が反応し、連鎖的に症状が現れてしまった・・・これが今回の自己診断です。
医者は多分否定も肯定もしないでしょう。根拠がありませんから。でも自分ではわかるんですね。
だから、根本的な解決には、喫煙を断って、ゆっくりゆっくり身体のあり方そのものを変えていくしかない。その端緒についたばかりという予感がしています。
今回の症状は、生死に関わるような深刻さを伴ってはいないけれど、その根は深く私自身の生き死にに関わるほどのところにまで達していると思えます。
不思議なことに、1月17日以来、たばこのことを考えたことはほとんどなく、外に出ても吸いたいと思うこともなくなってしまいました。身体がそう言うのですから、これはしばらくそうなのでしょう。
未来永劫喫煙から足を洗うなどということは、今の私には断言できませんけれど、新しい生活スタイルを作りあげることで、過去の惰性ともおさらばできるかもしれないと思います。



  2月1日(月)
今日は退院後の定期検診の日だったので、松本まで出掛けてきました。今日の検査は血液検査と尿検査。結果からいえば、いずれも異常なしでした。
これまでのさまざまな検査からいえば、私の症状は一体何だったんだということになりますから、先生も苦慮しているらしく、このあとの最終検査として4日に頭部のMRI検査、19日に大腸内視鏡検査を行うこととしました。「残っているとすれば頭と大腸ですからね」とは先生の弁。
腸の働きが弱くなっているのは入院直後から顕著で、初めは熱のせいかと思っていたのですが、退院してからもあまり改善されない。この際、体中悪いところがないかどうか徹底的に調べておけというつもりで、検査をすることとしました。

1月後半は、体調不良で引きずられてしまい、「戦争法反対池田町民の会」の活動やバラの会に大いに迷惑をかけてしまいました。このあと少しずつ失地回復をしていくつもりです。
1月最終日から今日にかけて署名数が100筆以上伸びています。主として地域の共産党の皆さんの地道な活動のたまもの。12月から今日までの2ヶ月間ですでに1300筆を越えていますから、目標の2000筆まであと一押しというところまで来ました。
この署名の意義は、地域に戦争法廃止の世論を作りあげるだけではなく、戦争法廃止を現実の政策課題として国会で奮闘できる参議院選挙統一候補を実現するという点にもあるので、その力をゆるめるわけにはいきません。
そう思って、「町民の会」のホームページの作成にあたっているのですが、いかんせんこの間のブランクが大きかった。でも、フェイスブックや遠隔地から更新を続けてくれているツイッターのそれぞれの役割が大きく、全体として「町民の会」の活動を支えていることが実感されます。
自治体単位の活動として持続的にこれだけ幅広く活動しているのは全国でも希有なことではないでしょうか。・・・と自画自賛。




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