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  3月31日(木)
昨日から今日夕方にかけて、富山に出掛けてきました。その目的は3つありました。
1つは孫の高校入学祝いです。小学校1年生の夏休みに我が家に1週間泊まり込んで勉強していたのが、つい先日のように思われるのに、もう高校生ですから、私たちも年を取ったのも当然です。
昨夜は娘夫婦と孫たちとともにレストランで夕食会をしてお祝いをしました。孫は高校からどっさり課題が出ているようで神妙な顔をしていました。
その2つは、私は散髪、妻はカラーリングです。私は相当に髪が伸びていたので、さっぱりとしてもらいました。洗髪をしたあとにドライヤーで乾かしている髪を見ると、何と白髪が多くなったこと。眉毛にも相当に混じっていてそれは全部切ってもらったことでした。これまたしみじみ年を感じる体験です。
最後の目的は例によって魚の買い出し。今日は生地ではなくて、以前私が住んでいた呉羽の近くの大型スーパーでの買い物。ここは魚が豊富で新鮮なのでよく寄るお店です。ガンドウブリ(ハマチ)、サバ、ナマコ、イカ、ホタルイカ、アジなどクーラーに入りきらないほど買い込んできました。日頃お世話になっている人たちへのお土産も兼ねていたので、つい沢山買ってしまいましたが、2,3日でペロリ。
私はナマコの酢の物が大好物なので、さっそく刻んでおいしくいただきました。おいしい魚をたらふく食べられるのはほんとうに幸せですね(つかの間ですけど・・・)。
富山は一時パラパラと雨が降っていましたが、だいたい晴れて暑い。沢山着込んでいったらもう暑くて今日などは下着を脱がなければならないほどでした。やはり長野との温度差は大きいですね。
丁度昨日・今日から桜が咲き始めて、所によっては3分咲きほどに。昨日はまだ蕾だったところが今日はもうかなり花が咲いている木もあるほどで、気温の高さがわかります。あと数日もすれば満開になるのでしょう。モクレン、スイセンなどの花もいまが見頃でした。





  3月30日(水)
昨日午前中に国会中継を聞いていたら、塩崎厚生労働大臣が「相対的貧困率」の人数はどれだけかという質問に答えられず、事務方の耳打ちを何度も聞いて答弁にたっていました。(所得ベースの)相対的貧困率とは簡単にいえば、「所得の中央値の半分を下回っている人の割合」のことです。
所得は世帯人数によって当然変わります。たとえば5人家族といっても所得を得る人が3人だったり1人だったりするわけですから、少数のデータでは意味がありません。そこで登場するのが「等価可処分所得」という考え方です。
全国から無作為にサンプリングされた大規模なデータを用いて、世帯毎に可処分所得(税金や社会保険料を支払い、年金や生活保護、児童手当などの給付金を加えた後の所得)を人数の平方根で割ります。これが「等価可処分所得」です。平方根で割るのは「生活水準を考えた場合、世帯人員数が少ない方が生活コストが割高になることを考慮する必要がある」(厚労省)からです。
相対的貧困率を計算するには、その集団の世帯を構成するすべての人が等価世帯所得で得られる生活水準であると仮定し、等価世帯所得の個人単位の中央値を計算。その中央値の半分を相対的貧困ラインとしてそれ以下の割合を相対的貧困率とするのです。


子どもの貧困率とは、こうして得られた等価可処分所得の考え方で得られた貧困ライン以下の「貧困の世帯に属する子どもの割合」ということになります。

長々と説明を書いてきましたが、私がこの計算式を知らないならともかく、こともあろうに塩崎さんが質問されてこの計算式はもとより、何人いるのかというデータすら知らないというのはいくら何でも「アリエナイ」じゃありません?全く説明になっていませんでしたから。何を思ったのか「ルート4で割る」ということばかり強調していましたね。
この頃の大臣って、本当にひどい。馳浩という元プロレスラーの大臣がいます。名前が私と同じで、同郷で、もと高校教師ですから複雑な気持ちですが、この人のレベルも・・。
元プロレスラーだからというのではありません。専修大学出身で一時高校で国語教師をしていたという経歴から、教育評論家の尾木直樹さんが大臣就任に期待を寄せたという記事を見かけたことがありました。
ところが今日の質疑を聞く限りでは塩崎氏と大同小異。本当に教育行政に責任を持ってあたろうという気構えがあるんでしょうか。とてもそうは思えなかった。就任記者会見とは裏腹にまた学校現場に戻ったら「竹刀が折れるほど」体罰をやるんじゃないかとさえ思ってしまいます。



  3月29日(火)
日中は穏やかに晴れて暖かい。ここ2,3日は庭の草取りを続けて、ようやく少しきれいになってきたところです。ついでに、厳しい冬を越したエンドウのために友人からわけてもらった稲わらをつるした棚も完成。


さて、今日は安保関連法の施行日。何度も書いてきたことですが、「このようにして戦争は準備される」。
多くの人、とりわけ若い人たちにとっては戦争が忍び寄る実感はおそらくないでしょう。ないどころか、安保関連法そのものにも興味がないかもしれませんね。
しかし、一方で国会前の抗議行動にはSEALDsの若者が昨年からずっと結集し続けています。この活動の意義はは決して小さくはありません。初めは小さくても声を上げ続けることの重要性が次第に地域に浸透し、いまでは大きな声となって全国に波及してきているのですから。

信濃毎日新聞は今日の社説でこの安保法の施行を「9条改憲の一里塚の懸念」と書いて「廃止を訴え続けたい」と主張していました。これに続けて、「このまま運用されれば、先に待ち受けるのは改憲論議だ。首相は集団的自衛権を『限定容認』した安保法が施行されていない段階で全面容認の必要性に言及した。9条改憲への通過点にすぎないことが鮮明になっている」とも書いています。全くその通りです。

安倍政権の特異性はその改憲指向が強烈な靖国史観と切り離しがたく結びついていることです。
とりわけアジア・太平洋戦争が米英などによって余儀なくされた「自存自衛」「アジア解放」戦争だったという歴史観は、裏を返せば武力では負けたけれどその理念・精神においては負けてはいないということです。あの戦争で失ったものを取り返すことこそ「日本を取り戻す」という意味なのです。
例の田母神氏は彼のブログで「日本を取り戻す」とは「戦前の日本を取り戻すことではないかと思う。それが戦後レジームからの脱却である」と正直に書いていらっしゃる。彼は自民党ではありませんが、右翼的潮流の底辺に潜む考え方をこれ以上ないほどあけすけに紹介・解説してくれているのだと私は思いますね。他の方々も、彼ほどではないかも知れないけれど、だいたい同じような歴史観なのです。改憲への暗い衝動がどれほど強烈なものなのか、
国内最大の右翼団体である日本会議のホームページでは「[歴史] 終戦七十年にあたって日本会議の見解」として、次のように書いています。

ましてや大東亜戦争は、米英等による経済封鎖に抗する自衛戦争としてわが国は戦ったのであり、後にマッカーサー連合国軍最高司令官自身もそのことを認めている。
しかるに戦後のわが国では、過去の歴史に対して事実関係を無視したいわれなき非難を日本政府および日本軍に向ける風潮が横行してきた。いわゆる「従軍慰安婦強制連行」問題もその一つである。

今さら申すまでもなく、戦後の原点は、終戦の詔書で示された昭和天皇の御心を心として、祖国の再建と世界の平和の実現のため、わが国のあり方に思いを致し国民が力を尽くすことにある。

終戦七十年を迎えるにあたり、我々日本会議は、こうした喫緊の事態に迅速・適切に対処するとともに、憲法改正の実現を中心とする国民運動の諸課題に取り組み、誇りある国づくりを目指す決意を新たにするものである。


時代錯誤としか思えないこうした認識も、彼らにとってはむしろ「当たり前」のことであり、草の根の保守に訴えかけるそれなりの情動を潜めているのですから、決して侮ってはいけない相手です。彼らの考え方は次のページにくわしい。また次のような改憲を訴えるチラシも用意されています。

安倍首相自身はもちろん、安倍内閣の閣僚のほとんどがこの日本会議のメンバーとくれば、彼らが口でどう言おうと、改憲の狙いは極めて明瞭です。こちらのデータは第3次安倍内閣のものです。
ウエブ上では、いろいろな情報が乱れとんでいますけれど、日本会議事務局からかかってきたという電話でのやりとりを紹介したこのサイトはある意味とてもおもしろい。

ここでは日本会議の紹介をすることが目的ではなく、日本の右翼的な潮流を形成する人々がどれほど安倍に期待し、また安倍首相自身もそれを自認しているのかということを描き出したかっただけです。
そうしてみると、この戦争法も沖縄辺野古新基地建設も、かれらの悲願を達成するための一コマ一コマであることがわかります。ただ、彼らの最も弱点となっているのが、アメリカへの果てしなき従属という売国的な方針。「積極的平和主義」という呼称で糊塗しようとも、そのウイークポイントは彼らのこの矛盾から派生しているのです。愚劣な政治家を生み出しているひとつの温床でもあります。
だとすれば、私たちがなすべきことは、今日の状況をリアルにみつめ、その本質を見極めるために学ぶこと。たたかいつつ学ぶこと。ここに「草の根保守」と対決する大きな力の源泉があると私は考えています。



  3月28日(月)
1月下旬、入院している私の許に、友人がどっさりと数冊の文庫本を置いていきました。佐伯泰英さんの「密命」シリーズです。面白いから是非にと押しつけていったのです。著者のご本人が「病院のベッドの上で、目の前の病気を考えたくない方に読んでいただきたい」と書いているほどですし。
しかし、その当時は本を読もうにも頭が動かず、しばらくほったらかしにしてあったのです。それから1ヶ月ほどたった頃から、こりゃいつまでも借りたままにしておくわけにはいかないなと思い立って読み始めていたら、不覚にもついハマってしまった。
はじめは夜寝付くまでの慰みにと読んでいたんですが、読み進むにつれてだんだん読む量が多くなって今では困っているほど。「どうだい、面白いだろ」というMさんの声が聞こえてきそうです。
その昔、東京時代に「剣客商売」全巻を手に入れて夢中で読破したことを思い出すほどに、時代小説というのは空想を羽ばたかせるし、第一面白い。佐伯さん、どこかで江戸の地理を調べていくのどんどん楽しくなると書いていたように記憶しているんですが、確かに江戸の地理や歴史に詳しいので江戸の暮らしを知る上でとても参考にもなります。
話は金杉惣三郎という剣豪を主人公に、方や将軍吉宗、大岡越前守忠相などの超大物が登場するかと思えば、長屋の住人、町火消し、岡っ引き、豪商、江戸町人・・・とまあ登場人物の幅が広い。そして惣三郎の家族の成長の物語がこの小説のひとつの柱になっているので、単なる剣豪の見せ場だけの話ではないところが憎いところ。
もっとも、まだ3巻までしかすすんでいないので、Mさん、もう少し貸しておいてくださいませ。残りの巻お持ちでないなら、拙者が購入して持参いたすとしますか。



  3月27日(日)
花や木々は春の訪れを実感しているようで、次々に花を咲かせています。まもなくスイセン、レンギョウ、菜の花など黄色の花が咲き競うはず。楽しみです。


昨日午後は松本で「こどもじゅく」。前半はいつものようにお勉強をして、後半は小学校を卒業する子のお祝いの会でした。
一人の男の子が、私と同じくらいの期間休んでいて久しぶりにやってきた。数ヶ月ぶりなのに、見違えるほど身長が伸びている。みんなも驚いて、「ずいぶん大きくなったねえ」と口々に話しかけていました。この時期本当に成長が速いですね。
私ははじめは小学3年の子の宿題のおつきあい。算数の計算では九九をときどき間違う(というよりそそっかしい)ので、褒めながらもていねいにやるようにと伝えました。後半は遅れてきたさきほどの子といっしょに社会のお勉強。日中戦争や太平洋戦争から戦後の歴史の宿題がでて、私も間違いの無いように参考書を見ながら穴埋め問題にとりくんだことでした。
「学童疎開」という言葉がでてきたので、「私は母親が疎開していて、その疎開先で生まれたんだよ。住んでいた町はアメリカ軍の空襲でぜんぶ丸焼け」と話したら、その子目をまるくして聞いていました。その子も来年は中学生。結構仲良くなったので、これからも来てくれることでしょう。
写真は、子どもが特定できないようにボカしてありますので、あしからず。






話は変わりますが、先日「穂高みらいフォーラム」という団体の事務局の方から、戦争法反対、2000万人署名達成のための集会を4月2日に開くので「池田町民の会」の経験などを是非話して欲しいという連絡がありました。
つい先日届いた案内状では、5分くらいでお願いしますという話がいつのまにか50分ほどのパネルディスカッションのパネラーの一員になっていました。いやびっくりした。ちょっと約束とは違うけれど、断る理由もないし、やむなく案内状の通りの予定で出席することにしました。
パネルディスカッションのテーマは、@安保法制をどう受け止めているか、そうすれば安保法をなくせるか。A2000万人署名にどう取り組むか、また戦争法を廃止させるどんな手法があるのか、というもの。
何をどう話すのかはこれから考えなければなりませんが、現在の安倍内閣の動向をみるにつけ、地域の隅々から声を上げることの大事さを痛感します。選挙で安倍内閣を追い詰めるということはそうした積み重ねの結果ですけれど、彼らのやり方はテレビなどのメディアを使い、海外の否定的な動きを最大限に利用する訳ですから一筋縄ではいかない。
ともかく、じっくり構えて粘り強く人々の心に訴えかけていく以外にないのでしょうね。



  3月25日(金)
今日はまた寒い1日。とくに夜に入ってからどんどん冷え込んでいます。明日の朝はマイナス5度くらいになるとか。まあ、これが普通の3月の気候なのでしょうが、暖かい後にこう冷え込むと調子が狂ってしまいます。

さて、またまた例の自民党大西議員の「失言」が話題になっていますが、ことほどさように、自民党のレベルの低さはもう話題にする気にもなりません。
「小選挙区制」と「政党助成金」とで右方向に「純化」された自民党は、当然ながら「理念、知性、道義」の面では全く逆で、安倍グループのおメガネにかなうことが唯一絶対の基準。多少ずれていようがおかしかろうが、そんなことはどうでもよろしい。
では、清廉で気骨のある人物(=当然中央の意向にもの申すことができる)は、まずアベが許さない。シモジモがどうなるか予想もつかないからです。勢い、国会開催中でもスマホをいじったりあくびをしたりしている例のお方のような方ばっかりということになる。さもなければ、アベと同じ思想的土壌を持った人物が選ばれるということになる。

マイクロソフトの人工知能「Tay(テイ)」(19歳の女の子という設定)が、ユーザーとの双方向の会話を「学習」して、下のようなツイートを発信したために現在停止中だといいます。


一連の経過を見れば、人工知能が自らそのように学んだというより、一方的な情報の注入で「言わされた」というのが正しい。
日本でもマイクロソフトの人工知能「りんな」が稼働中で、これは「女子高生」なのだそう。ツイッターアカウントはこっち。解説はこちらまたはこちら
先日、「りんな」が「ダメだハゲ」と口走って話題になったそうですね。これだって、ろくでもないチャットをやっていれば、そのように「学習」しても一向におかしくない。他にもサイテーの会話が続々。「話しかければ賢くなる」どころか、話しかける方がろくでもない者だから、ますます愚かになる。
先の自民党のお二方も、同じような学習環境の中で会話をやっていれば当然同じような状態になるわけで、今日のマイクロソフトの人工知能と少しも変わらないではないですか。人間の場合は素質が当然問題になりますし、大人が評価するので分かりやすいけれど、マイクロソフトのような世界的なIT企業のAIの場合は、対象がまだ発達途上の青少年。周到に「訓練」された人工知能を使って、無垢な青少年を一定方向に誘導することだってたやすいことですから、こっちの方が恐い。
こうした人工知能を会話などの実用に使おうなどとすることは、囲碁ソフトや「東ロボくん」などとは次元がいくつも異なるということが分かっていないからじゃないでしょうかね。



  3月24日(木)
昨夜遅くからまた雪。今朝起きてみるとフンワリ雪が5センチほど積もっています。春の淡雪ですから、日が昇るとすぐに跡形もなく消えてしまい、あれは何だったんだろうと気になってしまいます。


友人がキノコの原木(ほだ木)を運んできてくれたので、さっそく木に穴をあけ、シイタケとナメコのコマを打ち込みました。
ずっと昔、一度やったことはあったのですが、もうすっかり忘れてしまっており、原木を持ってきてくれたベテラン友人やお店の人に聞きながらやり終えて、井桁に組んであまり日のあたらないところに置きました。さて、どうなることでしょう。うまくいけば、10月から11月にかけてニョキニョキ出てくるはずなのですが・・・。




暖かくなると、庭の草が一斉に動き出します。冬の間を生き延びるために深く根を張った草が多く、いまとってしまわないと大変なことになってしまいます。昼頃から夕方暗くなるまで、痛む腰をさすりながらかなりの面積の除草を終えました。
庭全部を片付けるにはまだ数日かかりますが、とくかく始めるにはエイヤッと腰を上げないといけません。何故かといえば、鈍ってしまった身体は動くことを拒否しますから、それに逆らうには相当な弾みをつけなければならないからです。
多分、これからは少しずつ外で草取りや春の植え込みの準備をする体勢ができあがってくるでしょう。そうでないと、サボった分だけ後でしんどい思いをしなければなりませんからね。
借りている畑も耕耘機で耕す時期がきているし、秋に植えたイチゴやニンニク、タマネギに肥料をやらなければならないし、晴れた日はなかなか忙しくなりそうです。



  3月23日(水)
不破さんの「スターリン秘史」第6巻には、スターリンが金日成の「南進」方針にゴーサインを出し、金日成が朝鮮戦争を始めた経過が驚くべき事実とともに詳細に跡づけられています。
少しそれを概観してみると次のようになります。

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(1)スターリンは、あらゆる権謀術策を駆使して東欧諸国を自らの勢力圏におさめることに一応成功はしますが、アメリカとの冷戦の深まりの中で核兵器開発や日本の米軍の存在など戦略的な劣勢から抜け出すために、ヨーロッパ以外に「第2戦線」を構築することに目を向け始めます。ただし、この「第2戦線」は米ソの直接の対決とならないように、ソ連の軍事的参加無しでひらくことが重要になります。
(2)スターリンが目をつけたのは、まず中国です。1930年代からスターリンはすでに「満州」を自らの勢力圏組み込み、それ以外は蒋介石の統治下の西側「勢力圏」とみなしていました。だから中国共産党は蒋介石政権においては一政党として位置づけられる(ドイツから解放されたフランスのように)とみなしていたというわけです。
(3)しかし、中国情勢はスターリンの思惑とは全く違った展開を示し、内戦に突入します。
ソ連は8月9日の対日戦開始以後、中国東北部全域を占領下におきます。ソ連にとって中国は敵国ではなく連合国の一員ですから、軍事占領は一時的な性格をもち、速やかに軍事占領を終わらせて、東北部を中国政権に返すことが求められていました。
(4)そこでソ連がたてた計画は中国共産党と国民党政権の対立を利用し、関内(万里の長城以南)では国民党政権支持、関外(以北)では中国共産党と解放軍援助という2正面作戦でした。中国共産党がどうころんでも自らの勢力圏構想を実現する道筋を確保するというものだったのです。
(5)中国革命の成功のあと、戦略を立て直す必要に迫られたスターリンが持ち出したのは、中ソの役割分担論=世界全体の司令官をスターリンとして、中国共産党にはその副官として東方全体に責任をもたせる=という「第2戦線」の戦略でした。
スターリンは、「アジア・太平洋労組会議」の場を、中国型武装闘争をよびかける舞台にしようと画策します。その意図は、アジアこそが帝国主義陣営にとっての危険地帯だということを騒ぎ立て誇示できればよいというところにありました。
(6)そのころからスターリンの目は日本と朝鮮に向けられていました。ここでは朝鮮の問題に絞ってその後の経過をみてみます。
アメリカの占領下に置かれた南朝鮮とソ連の占領下に置かれた北朝鮮という南北分断国家とされた朝鮮は、1948年に南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国の成立が宣言されます。
北朝鮮の金日成は、49年に南から米軍の主力が撤退したあと、スターリンに対して「平和統一の提案を南側が拒否し続けている以上、朝鮮統一という朝鮮人民の熱望を満たすためには、南への侵攻作戦を実行する以外に道はない。南進は必ず南の人民の大規模蜂起を引き起こし、勝利は間違いない」と強硬に主張し始めます。
(7)それ以前にはアメリカを徴発しないように慎重な態度をとってきたスターリンは、政策を大きく転換し、勝利の十分な見込みがあれば「南進」があり得るという態度に変えます。
そのあともしばらくはきびしく南への徴発行為などを禁止していたスターリンは、「第2戦線」構想を実現する手段として「南進」にカジを切るのです。
(8)1950年、スターリンは金日成をモスクワに呼んで、「南進」戦争の詳細な準備について相談します。そして次のように述べます。「ソ連の直接参加をあてにすべきではない。アジア情勢によく通じている毛沢東を頼るべきだ」。この会談では、北朝鮮軍は1950年夏までには総動員されること、北朝鮮参謀部はソ連の軍事顧問の協力によって詳細な攻撃計画をつくることが決められます。このとき金日成の情勢判断は「ソ連と中国が同盟する姿をみて、アメリカはあえて大戦争に介入する危険を冒さないだろう」という極めて楽観的なものでした。
「毛沢東をあてにせよ」と口ではいいながら、スターリンは戦争計画については一切中国に知らせていませんでした。知らせたのは協議が最終段階に入ってから。しかも「最終決定は両国(北朝鮮と中国)に任せる。中国に異論があれば決定は延期」というそっけないものでした。
(9)そして、1950年6月25日、北朝鮮軍は38度線を突破して武力南進を開始したのです。アメリカは、ボイコット中のソ連が拒否権を使えない状況の中で国連「安保理」で北朝鮮非難決議を全員一致で採択。「国連軍」の韓国派遣決議も採択されます。
その後の経過は省略しますが、中国参戦によって複雑な経過を辿ったあと、停戦協定が締結されることになります。

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あるとき、安保理をボイコットしたソ連政府の態度について、チェコ大統領がスターリンに「なぜ重要な時期にソ連は安保理を欠席したのか」という質問を率直にぶつけたことがありました。それに答えた書簡が2008年に発見・公表されました。不破さんはその重要性にかなりのページをさいて言及しているのですが、実際これには驚くべき内容が書かれていました。
その第1は、スターリンの「安保理欠席」の目的がアメリカを朝鮮戦争に引き出すためであったこと。
その第2は、朝鮮戦争によってアメリカの関心と軍事戦略の重点をヨーロッパから極東にそらすことがスターリンの目的だったということ、つまり「第2戦線」構想の具体化であったこと。
そして第3に、中国をカヤの外に置いたのは、その意図を知られたくなかったためであること・・などです。
ただし、歴史家の間ではこの文書についてはさして注目されてはいなかたようで、不破さんの調査・分析の最も光っている部分です。

さて、こうした朝鮮戦争の歴史をひもとくとき、49年の南の李承晩政権による軍事挑発と軍事的侵攻の意図と、北の「南進」政策という武力侵略の計画とが、結局ソ連とアメリカという大国の思惑に翻弄され、当該国だけではなくアジア諸国に大きな爪痕を残しました。そして、いまなお38度線は戦争状態のままです。これが、どれほど世界に危険をもたらし続けているのか計り知れません。
現在の北朝鮮政権の軍事挑発は、そうした歴史をおそらく一面的に拡張し、都合のいいように作り替え、当時よりももっと野蛮な形で増幅させているのではないかと私は推測します。
しかし、彼らも当時のソ連・中国の後ろ盾でも勝利できなかったトラウマは依然として持っているわけですから、「南進」の野望を遺伝子として受け継いだ金一族にとって、それがなおさら自国の核開発やロケット開発に拍車をかけるバネとなっているのではないかとさえ思われます。
武力挑発や粛正という手段こそスターリンのお家芸であったわけですから、その意味で金正恩もしっかりとその血を受け継いでいると言えるのではないでしょうか。あまりに幼稚だから余計に恐い。



  3月22日(火)
東京では桜がいつ咲くのかといった報道が毎日のように流れていましたが、安曇野はいま梅のシーズン。あちこちで白梅・紅梅が咲き匂っています。
近づいてみると、ミツバチが飛び交って羽音がうるさいほど。もう花も終わりの木もあって、ちょっと遅いくらいかなと思われましたが、遠くからはとてもきれいです。
ここしばらく、朝はまだ霜が降りるほどですが、昼はポカポカ陽気。ところによっては菜の花も咲いている畑も。我が家でももう4,5日したら、小松菜の黄色い花が咲きそうです。もっとも、花芽の大きい茎は次々ととっては食用にしているので、そううまくはいかないかも。
河原では柳とおぼしき木がもう薄緑色になっていました。例年より1ヶ月も早いのではないかと思われます。4月半ばにはもう山々は薄緑に覆われるのでしょうか。






ネット情報によれば、参議院選挙の1人区での野党統一候補がすでに12選挙区にのぼるらしい。オール沖縄県民会議推薦の伊波洋一候補を擁する沖縄は民進党がまだ態度を決めていないので、民進待ちという表示になっています。今後協議によって統一が実現しそうなところも多く、今度の参議院選挙は俄然面白くなりそうな気配になってきました。


今日、政府が閣議決定で戦争法の施行を3月29日したことが報じられました。我が「池田町民の会」は、よびかけ人代表の了解をえて、急遽総理府に抗議のメールを送付しました。「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」もこの日「ほとんどの憲法学者が関連法を憲法違反と指摘した」「野党が提出した安保法廃止法案の審議を与党が回避している」などとする抗議声明を発表したことが報じられました(asahi.com)。
この戦争法が成立して以降も、全国ではさまざまな創意ある反対行動が続けられているなんてのは、歴史上ないことじゃありませんか。しかも幅広い層に広がりをみせている。2000万人署名も全国的にはそれほど進んでいるとは思われないけれど、これから腹を据えて取り組もうと地域団体を立ち上げたところだってある。これもいまだかつてないことですね。
「池田町民の会」の今日現在の署名数は2215筆。目標の2000筆を遙かに上回って記録更新中ですから、みんなの意気はいよいよ高い。
一方の安倍内閣は、北朝鮮の挑発行動がエスカレートしていることを奇貨として、戦争法を「実効あるもの」とするためにとにかくイケイケドンドンですから、ここは気持ちを引き締めて地域からもっともっと声を上げていきましょう。



  3月20日(日) その2
11時前に池田を出て、上田でゆっくり食事でもすればいいやと思ったのが大間違い。講演は午後2時からだったので12時頃に到着するつもりでいたら、「真田丸」を忘れていた!上田城近くに近づくにつれて車は多くなり渋滞も発生。路上は人であふれていました。とにかく車をとめる場所がないのです。
30分以上のろのろ運転の中で駐車場を探しまくって、ようやくとめることができたのは午後1時ちょっと過ぎ。幸い混雑のピークを過ぎたところだったようでラッキーでした。

それはさておき、今日の講演は信州沖縄塾の主催で沖縄の実態をくわしく学ぼうと開かれたものです。
講師は北上田毅さん。辺野古で何が起きているのかを、現場で克明に把握し、かつ研究している、講演者としては現在最もふさわしい人でしょう。
私も初めて知ったのですが、彼は京都で土木技師として長い間様々な工事に携わっていたといいます。なるほど、辺野古の工事現場の問題点を的確に指摘し、県や国と交渉できたのはそうした過去があったからなんですね。




話はあちこち飛んでまとまりに欠けるところがありましたが、詳細なレジメを用意してくれていたので、問題点をつかむ上では大変参考になりました。というわけで、以下私なりに講演を整理してみました。

まず話は、先日国と県とが代執行訴訟について合意した「和解」についてから始まりました。
北上田さんの「和解」についての評価は次のようなものです。
第1に、県の主張(国の代執行という手続きは強権的で、地方自治法上の手続きを踏んでいないという主張)を反映した「暫定勝訴」(県側弁護士)であること。
第2は、このあと1年間は工事ができないわけですから、「工事中止」の意義は計り知れないほど大きいということ。
ただ、この「和解」には最後の第9条項に「国と県は、『是正指示』の取り消し訴訟判決確定後は、直ちに同判決に従い、同主文及びそれを導く理由の趣旨に沿った手続きを実施するとともに、その後も同趣旨に従って互いに協力して誠実に対応することを相互に確約する」と書いてあります。私も初めて読んだときにちょっとわかりにくかった。
これについて北上田さんは、「和解条項の『判決に従う』は、是正指示の取り消し訴訟判決に限られ、その他の裁判、権限には効力は及ばない」と解釈すべきで、仮に県が敗訴した場合でも「仲井眞前知事の埋め立て承認が復活するだけで、新たな問題が生じた場合は承認の撤回ができる」(県側弁護士)なのだと言い切ります。この点は極めて重要だと思われました。

では1年間の工事中断を覚悟しても何故国は和解に踏み切ったのか。北上田さんの見立ては次のようなものです。
@工事の現場が「八方ふさがり」に陥っていてこのまま工事強行ができなくなっているため、体勢立て直しをねらったこと。
A代執行訴訟の敗訴を恐れたこと。
B和解について防衛省がカヤの外におかれるなど政府内部に混乱が広がっていること。
C沖縄県議選、参議院選への影響を恐れたこと。

実際に工事現場や土砂採石場などの状況に照らして、「和解」の背景で何が起こっていたのか。この部分は、さすが土木エンジニアの北上田さんらしい分析や資料に裏付けられたお話でした。
まず、第1に、政府内部の混乱。とくに防衛省の事業の進め方への政府内部での矛盾が広がってきたこと。
たとえば、12月に防衛省がコンクリートブロックを投下するということで安倍首相・中谷防衛大臣も一時その案に傾いたが、知事との調整の複雑な手続きがあることがわかって法務省からストップがかかった」(文春3月号)ことや「1月に国交相から技官が防衛省に出向し、防衛省に注文がつけられた」(産経)など。
第2に、米軍高官の議会での証言が次々と出てきたこと。つまり、アメリカの苛立ちですね。これは日本政府にとっては恐いことです。
ハリス米太平洋軍司令官が議会で、現場でのデモ・抗議などで工事の大幅な遅れがでていることを証言、同様の証言をネラー海兵隊総司令官も議会でおこなっています。
第3は、工事が翁長知事、稲嶺名護市長の抵抗で強行できず、八方ふさがりになっていることです。
とくに、開場ボーリング調査が1年4ヶ月も遅れていること、汚濁防止膜設置のためのコンクリートブロック投下が、「岩礁破砕許可の範囲外」とした県からの抗議と中止指示で3ヶ月以上も実行できない状態が続いていること、護岸工事のため工事用進入路造成工事が途中で停止に追い込まれていることなどが大きな要因です。
最後の造成工事については何重もの違法工事であることを、北上田さんはくわしく解明していました。

さて、「和解」によって、国が「是正指示」を出し、知事がその取り消し訴訟を起こして、それが敗訴した場合、結局工事が強行されてしまうのではないかという、今後の見通しの肝心の部分についても北上田さんの説明は明快。「知事権限を行使すれば本体工事は不可能」だと断言していました。
その理由の第1は、知事は「承認取り消し」とは別に、承認後の事由(世論、岩礁破砕許可申請なしのコンクリートブロック投下、設計概要変更申請なしの工事など)を理由にして「埋め立て承認撤回」に踏み切ることができること。
第2は、埋め立て本体部分の岩礁破砕許可の取り消しができること。
第3は、今後の「設計概要変更申請」を一切承認しないようにすればいいこと。公有水面埋立法13条によれば、変更するには知事の承認が必要だからです。たとえば河川(美謝川)の水路変更とか、埋め立て土砂運搬方法の変更などがあげられますが、いずれも国は取り下げざるを得なくなっているのです。
第4は、キャンプシュワブや基地予定地には埋蔵文化財が多数あって、調査が完了するまで工事はできないのです。
第5に、それ以外にも沢山の知事権限、市長権限がありますから、結局国や防衛省がどんなにジタバタしても工事続行は不可能に近い。
ただし、北上田さんも言うように、世論の力、現場での抗議行動のいっそうの蓄積こそが勝利の原動力であることは当然です。世論が弱まれば、政府は権力を笠に着て襲ってくる。
実際、国は辺野古工事中断をいいことに、今度は高江でのオスプレイパッド建設に力点を移し始め、実力行使も辞さない構えで車やテントの排除を狙っているのです。

辺野古基金は、現在5億4400万円にのぼり、名護市へのふるさと納税は15年度だけで2億5千万円と前年の12倍にのぼるそうです。
戦争法具体化の最前線ともいえる辺野古新基地建設阻止のたたかいは、沖縄県民と全国の世論の高まりの中で新たな地平を築きつつあると実感させる北上田さんの講演でした。



  3月20日(日)
ちょっと油断していたら、もう一週間になってしまいましたね。元気でやっております。最近久しぶりに会う人で、私が身体を壊したことを知っている人ときたら、必ず「もう具合はいいのかい」と必ず聞いてくれます。ありがたいことですね。
最近は、あっちこっちで花粉症が猛威をふるっているようで、私も何だか鼻水が出て困っています。花粉症には強い方なんだけれど、それも時と場合による。まあ、暖かくなってきたからよしとしなければ。

先日、池田町やその周辺の大学生のみなさん(結構同級生が多いみたいだった)が「ビブリオバトル」という催しをやっているというので出掛けてきました。若い人たちがどんな本をどのように読んでいるのかなという、ちょっと品のない興味もあったので・・・。
私と同年代の人の紹介だったのですけれど、誰でも参加してよいという若者たちの心遣いで、気持ちよく参加できました。大学が休みなので、京都や新潟の大学に行っている学生たちも参加して総勢20人くらい。大変賑やかでした。
「ビブリオバトル」というからには、かなり激しいバトルがあるのかいなと思いきや、至って和やかで親しみがいっぱい。それもそのはず、同級生たちも多いですからね。
何人かの発表メンバーが読んだ本を5分間で紹介、あと15分ほど(本来はもっと短い)みんなで質問や意見交換を行って、発表が終わったら最後に投票、最高位にちょっとした記念品をおくり拍手で終了というもの。
この日、紹介された本は「四畳半神話体系(森見登美彦)」「駅の社会史(原田勝正)」「置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子)」(以上は大学生)。私と同じ年代の方は「哲学の起源(柄谷行人)」が取り上げられていました。
5分で本の紹介と感想をアピールするというのは大変難しく、みんな四苦八苦。それでも、あとの質疑でそれをフォローしてもらったり、エールを送ったりと実に相手を気遣っている様子は微笑ましい。
実際に参加してみて、はじめの下品な関心はどっかに吹っ飛んで、どんな本を読んでいるかよりも、彼ら彼女らが自分たちでこうした場をもうけ、自分の考えを人に伝えようとしている試みが好ましく思え、また元気づけられたことでした。
メンバーの何人かは「町おこし」のとりくみ(たとえば「フリーペーパー」の発行)をしている行動的な学生たちです。こんな場がもっともっと発展するといいですね。

町長選挙の選挙期間も終わって今日は投票日。さて、どのような審判が下るのでしょうか。いわば出直し選挙のような感じではあるのですが、地に落ちた池田町の評価をどうやって復元していくのか、町の今後をどうするのか、二人の候補の主張にはあまり差がないので、果たして有権者の判断はどうなるのでしょうか。
私は、今から上田にでかけます。しばしばこのブログでも取り上げてきた沖縄の「チョイさん」こと北上田さんがわざわざやってきて講演してくれるのです。これは出掛けなければと、前から心待ちにしていたのでした。
報告はまた帰ってから。



  3月14日(月)
今日はまた朝から雪がずっと降り続いています。春の雪というより真冬に逆戻りの感じです。

AKB48の歌う朝ドラ「あさが来た」の主題歌「365日の紙飛行機」が結構人気らしく、妻もいっしょに口ずさんでいるほどです。ネットの書き込みでも、思わずiTunesで買ってしまった・・・などという書き込みさえも。
しかし、私には単に舌足らずの歌にしか聞こえない。なぜかというと、鼻濁音であってほしいところがそうでないのが気がかりで仕方がないからです。のっけから濁音のみで歌うのですから、興ざめしてしまうという次第。

♪♪ 朝の空を見上ゲて
今日という一日ガ 
笑ガおでいられるように・・♪♪

最近では若い世代はもちろん、鼻濁音圏であった東日本でも鼻濁音ができなくなっているといいいます。私などは歌を聴くと、「イチニチ蛾」なんて蛾がいたっけと思ってしまう。いや〜古いんでしょうかね。年なんでしょうかねえ。
もっとも日本でも中国地方、九州地方ではこの鼻濁音がもともとないそうだから、日本でも一部の問題なのでしょうか。一方東日本の方からNHKのアナウンサーに対して「鼻濁音ができない人がいる。即刻首にしろ」というテープ付きの投書があったといいます。ことほどさように新人アナウンサーでも年々できない人の割合が増えているのだとか。
WIKIによれば、伝統的な東京方言が厳格な「ガ行鼻濁音に関する法則を持つ」のだそうですね。
ただ、私でも「十五日」と「十五夜」の読み方となるとあやしくなる。私の場合、金沢方言の「ほんながや(そうなんだよ)」といった優雅な発音に小さい頃から慣れ親しんでいたことや、富山弁の「そんなが」とか「いやが」はすべて鼻濁音ですから、語頭にくるガの場合たとえば「楽器(がっき)」などとは異なって、全く違和感のない少年時代を送っていたことが、いまなお鼻濁音ができない人たちへの抵抗感となっているのでしょうか。
鼻濁音なんていまさら・・・という人口が増えていけば、そのうちこれは消えていく運命にあるのでしょう。私としては、それはちょっと悲しいなと思います。東京方言が標準語になるにはそれなりの背景はあったにせよ、鼻濁音はそうした東京言葉の発音体系に根拠をもつわけですから、もっと大事にしたらいいと私は思うのです。
しかし、世の趨勢は、学校での発音教育などというものもとくにないし、第一先生ができないのですからどうしようもありません。英語やフランス語では「発音」は殊の外大事にするんじゃないでしょうか。king、longにかなをふってキング、ロングとかき、鼻濁音にしなかったら何のことかわからなくなってしまいます。
日本語の場合、文法は受験体制の中で「仕込まれ」ますが、どう発音するかまでは頭がまわらない。勢いテレビなどで使われるいいまわし、それもいい加減なタレント言葉や歌でどんどん発音まで変えられていくとなれば、それで果たしていいんだろうか。そんなことどうでもいいじゃん?時代によって変わっていいのだ?? さて、みなさんはどう思われますか。

日本語の発音では、その昔「直音」(カ、ガ)と「合拗音(クヮ・グヮ)」の区別もあったのですね。合拗音はもともと漢字とともに日本語に取り込まれた発音で、古来の日本語(和語)には存在しなかったということ。現在ではそんな発音があったこと自体知らない人が圧倒的ではないでしょうか。
そもそもこの発音の衰退はすでに19世紀初頭には著しくなっており、京都でも20世紀初頭にはこの区別はなくなっていたらしい。しかし、日本のある地域(近畿南部)では20世紀後半でも残っていたという。ひょとしたらまだ残っている地域があるかもとあるサイトには書いてありました。
実際、私の祖母は20世紀の終わりに亡くなるまでこの発音を続けていたのです。南瓜は「ナンクヮ」、火事は「クヮジ」12月は「ジュウニグヮツ」、元日は「グヮンジツ」ですもんね。子どもの私にはそれが面白くて何度も言ってもらっていたことを思い出します。私自身は学校で習った発音ですから「ナンカ」あるいは「カジ」などとしか言いようがない。祖母は、それを聞いて今の鼻濁音と濁音の違いのように感じ取っていたのでしょうか。今となっては尋ねる術もありませんが・・・・。




  3月13日(日)
朝8時から、町中一斉の「川ざらえ」作業。都会では一斉清掃ということになるのでしょうが、田舎では農業用水が縦横に流れているので一年間たまった土砂やゴミなどをさらえる作業が不可欠です。私のような非農業者でも地域のためというので全員が対象、恒例の春の行事になっているのです。

NHKスペシャル「メルトダウン」は吉田調書に基づいて構成された3.11から88時間のドキュメンタリードラマ。いまさらのように作業員の皆さんの決死の作業に頭が下がりましたが、それ以上に2号炉格納容器の破壊を免れたのは万が一としかいいようのない幸運に恵まれたこと。自分たちの死と東日本壊滅を覚悟したという現場の模様を映像の中ではあれ、「追体験」して身の毛がよだつ思いをしました。
5年がたっても格納容器内がどうなっているかさえわからない。放出された大量の放射性物質がいまなお放射能を出し続け、遺伝子レベルで万物を傷つけつづけている。さらに、汚染物質や除染後の土砂の行き先すら決まらない。そして、核のゴミの処理をどうするのか解けない宿題をはるか未来に残し続ける愚策。
「資源のないこの日本において原発は重要なベースロード電源」と言い募って原発再稼働を行い、こともあろうに原発を輸出して恥じないこの国政府・原発関連会社をいつまで許しておくのでしょう。いい加減に目を覚まさなければ、今度は本当に日本壊滅ということになりますね。

先日、韓国の一流棋士が、Google社傘下ベンチャー企業の囲碁ソフトに3連敗したというニュースが結構大きく報じられました。囲碁界は人工知能「アルファ碁」の神がかり的な強さの前に「お通夜ムード」なのだそうですよ。
もっとも第4局はイ・セドル9段が雪辱を果たしたと報じられていました。ある報道では「難しい折衝が続く中、李九段が放った鋭い一着をきっかけにアルファ碁が突然乱れ出した。疑問手を連発し一気に李九段が優勢となった」んだそうです。コンピュータは人工知能の想像を超えた着手には弱いってことですかね。
最近人工知能の話題がもりあがって、しばらく前には人間の産業活動などの半分は人工知能をもつロボットで置き換えられるだろうということがテレビで報じられていましたっけ。
囲碁ソフトがこれほど速く強くなるなんて誰も想像していなかったかもしれません。しかし、現実には激しい加速度がついている。先日購入したソフトはすでにアマ7段というのですから、私などはいつも一礼してから何目も置いて「お願いします」とやらなければなりません。
パソコンの囲碁ソフトならそんなもんですけれど、産業用となるとどんなに「賢い」と思われる人工知能搭載の機械であっても、所詮は機械。人工知能万能、礼賛の機運がとめどもなく広がるなどという事態はとても危険です。その危険性は人工知能と人間の両方にあるからです。
ロボットや人工知能搭載のデバイスが人間労働に置き換わるのは避けられないとして、資本主義社会では果てしのない労働力単価の切り下げと資本主義的合理化のテコにされるだけです。それによって人間社会が豊かになるとか、余暇をたくさん使うことができるなんて想像すらできない。
改めて問うてみましょう。人間社会の富の源泉は何なのですか。ロボットが富を生み出すのですか?商品生産を最初から最後までロボットが担うとして、そのロボットは富を生み出しているのでしょうか。トヨタの富は何によってもたらされているのしょうか。年収200万円にもならない人たちの労働力の価値は、優秀なロボットにも劣るのでしょうか。
囲碁を打ちながらふつうそんなことは考えませんけれど、たまにはとことん突き詰めることも大切かもね。



  3月12日(土) その2
昨日の朝は、ふんわり雪が5センチほど。そのあと日差しが出てきたので、昼頃にはすっかり融けてしまいました。そのおかげで、バラの会顧問のEさんが接いでくれたアンネのバラ20数本を畑に植え込んでくることができました。
そして今朝、今度は日差しのなか、多少青空のひろがる中をフワフワと雪が落ちてきていました。懐かしさを呼ぶ春の雪です。


それはともかく朝から何をしていたかというと、メガネを探していたんですねえ。だいたい決まった場所に置くはずなのに、どこを探してもない。
それには理由があって、最近不思議なことに私の視力が「回復」してきたのです。先日何かの機会に視力を測ったら片方が0.5だった。そんなことあり得ないと信じられない思いでした。
近視と遠視が接近してきたせいなのか、近いところはメガネは全く必要とせず、遠いところも割と見えるようになってきた。実際にはこれは回復ではなく、まぎれもなく老化の進行なのですが、そのためにメガネをかけずに仕事をしたりテレビを見たりということが割と多くなってきたのでした。
先日回覧板を届けに行ったお隣さんに「メガネどうしたの?」と言われてはじめて気がつくという始末。だから勢いどこかにメガネを置いておくことが多くなっていたのでした。
もうボケが相当に進行してしまったとガックリしながら、それでもと思って2時間ほど探しまくって、ついに見つけた。何と物置にしている屋根裏の片隅にヒョイと置いてあったのでした。本を探しに行ってそのまま置いておいたのを完全に忘れていたのでした。ともかく見つかってよかった。なにしろメガネで持っている顔なので、これがないとやはり困ります。

久しぶりに義兄のブログを読んで、沖縄での暮らしぶりに思いを馳せておりました。ここ3日ほどは、どうもネット関係のトラブルが多くて苛ついているご様子。「堪忍袋の緒をきらないよう怒気を静めるよう精神統一を試みている」というのですから。それがブログにも反映していましたっけ。
いま沖縄では「ウチナーではトップクラスの美女花」という桃の花が満開とのこと。そういえば、義母の庭にも花桃の木がありましたから、いまごろたくさん花をつけているのでしょうか。シークワーサーも新芽を出し花のつぼみがふくらんできているとのこと。北部ではモクレンも満開らしい。
この時期はサトウキビの植え付け作業で大変らしい様子。熱い夏が好きで寒いのが大の苦手の義兄、「わたしには嬉しい事だが24、5度をこえ、やっと亜熱帯らしい生きた心地いっぱいだ」と書いてありました。作業中に見つけた昆虫をしげしげとみると、実に興味深いとして次のように書いてありました。

人間の眼は宇宙に向くが足元は暗い。生き物一匹一匹の研究も進行形がおおい。
蚕の話題をテレビでみたが吐き出す繭は、科学繊維に匹敵するほど強く、タンパク質からなる糸は一繭1200米と長く、人工血管の素材になるんじゃないか、とも噂される。
昔の人は「一寸の虫にも五分の魂」と昆虫を敬い、人間扱いしていたのだ。


こんなとらえ方はは畑で仕事をしている人でないと書けませんね。

さて、女川の高野さんと短時間電話で話すことができました。インフルエンザにかかって医者から外出禁止命令を受けてきたと残念そう。今年に入ってから体調を壊すことが多く、十分活躍できなかったと話していました。
高台造成が終わり、高野さんの自宅も今年7月ごろに完成する予定で、現在基礎工事が始まっているとのこと。災害公営住宅は来年2月頃に完成だけれど、希望者の6割くらいしかはいれないという話でした。来年春にはかなり住宅建設もすすんで、見違えるようになっているのではないでしょうか。
それにしても苦労の多い議員生活。身体を大事にして、町にもとの賑わいを作り出すまでぜひ高野さんの力を皆さんのために発揮してほしいものです。

私はただいまから2ヶ月ぶりに、松本での「子ども塾」へ。



  3月12日(土)
昨日夜は池田町公民館で町長選挙立候補者二人による公開討論会がありました。公民館には定員の200名いっぱい来ていたでしょうか。盛会でした。
これで前町長が出ていたらいったいどういうことになっただろうね、ともっぱらの参加者の感想。
一人は46年も池田町役場に勤務する根っからの行政マンで前副町長の宮嶋氏、もう一人は町会議員を9年務めてきた甕氏。二人の政見を聞く限りでは、主張にほとんど違いはありません。ただ、行政経験が長い宮嶋氏と町議の甕氏とでは、おそらく町長になってからのリーダーシップという点でかなり違いが出てくるのではないでしょうか。
池田町は先の国勢調査でついに1万人を切った(瞬間最大風速で隣の松川村に抜かれた)というように、人口減少が大きな問題とされて、少子化対策、子育て支援政策がひとつの重点となっていました。この点では、どちらも子育てしやすい町づくりをすすめるとして、保育料の減免や若者定住住宅の促進などを共通して主張。いま問題になっている交流センター建設費の高騰問題では、甕氏は町民の意見を入れてそのようになったのだから尊重し、十分町民の意見を聞くと述べるに留まりましたが、宮嶋氏は、答申は尊重するとしつつも削れるところがないか精査したいと微妙な違いを見せました。
わずか一時間ちょっとの時間で二人の違いを浮き彫りにするなどということは無理で、私の見たところどちらも無難な回答で終始。たとえば、既存の施設の老朽化、建て替え、その他今後の維持管理をどうするのかは深刻であるにもかかわらずほとんど深めることができていない。
財政を語るなら、甕氏の言うような「ふるさと納税」ではなくて恒久的な自前の財源をどうつくるかを本気で考えないといけないはずです。さらに、今後の町債残高をどうやって減らしていくのかも大きな問題です。
既存の施設では、現在の利用状況を再点検するとともに、今後の修繕や建て替えのために特定目的基金を10年程度先を見越して積み立てる必要があることなどもさけては通れない。
いずれにせよ、この町をどうするのかビジョンを描くこととともに、財政問題にしっかり目を注いで計画的な行政運営をすすめることが大切です。誰がそれをしてくれるのか。今日のところは収穫はほとんどなし。

さて、MNEMOさんの長編ものがたり「トーホグマン」(第一巻)がついに完結しました。ものがたりの中にさえ、3.11に脱稿を合わせたいと書かれるほどで、最後は相当に苦労なさったのではないかと想像します。
いったい、このものがたりの中にどれだけの人物が登場するのでしょうか。1000年の時を超えたような場所や人物が縦横無尽に登場するのですから、読む方はかなり整理して読まないと混乱してきます。連載されている場合は途切れ途切れになる時期もあるので、ますますそうだったのではないでしょうか。
トーホグマンの後半は、修行を経てトーホグマンとなった根本一彦(後半で猪狩修二と合体する)が、過去の著名ないろいろな人物たちと出会い試練を与えられ、それを乗り越え、ついにはそれらの霊の守護を得て、単にパワーだけではなく人徳もまた備えた超人に鍛えられていくさまを描きます。
荒唐無稽と言ってしまえばそれまでですが、そこに描かれる壮大な絵巻ともいえる歴史秘話あるいは創作は、MNEMOさんがこれまで折に触れて温めてきた人間の生き方への疑問や共感をすべて注ぎ込んだものだけに重みがあります。
宇宙から極微の世界、人類の歴史などがでてくるかと思えば、詩、俳句、和歌なども頻繁に登場するので、こっちの目が白黒となってしまいます。
私自身については、さほど神仏に関心があったわけでも、またあるわけでもないので、それなりにこれは?と思うところもありますし、超人への道が「人間解放」への道とどのようにかかわるのか、単に救いを与えるだけでよいのかなどの疑問もあります。名も無き人々の営みとトーホグマンとの結びつきというような観点は現れませんから、ひょっとして第2巻のテーマになるのかなとも思います。いずれにせよ、過去・現在・未来にわたって連綿とつながる人々の営みに深い関連を見て、不条理で破壊的な今日の社会の諸現象をまともな流れにもどそうという意図ははっきりしています。いろいろな読み方ができるでしょうから、じっくり目を通してご覧になることをおすすめします。
今日、MNEMOさんのものがたり完成にあわせてPDFも完成することができましたので、最初から最後まで通しで読むことができます。

トーホグマン(第1巻)



  3月11日(金)
3.11から5周年。この日を前に被災地をはじめ全国各地で行われている追悼行事や記憶を風化させない取り組みを見るにつけ、あの日のことがよみがえってきます。
5年経って言えることは、当初2〜3年で仮設住宅での生活から抜け出せると言っていた被災地でのくらしが延々と伸ばされ、孤独死や生活苦、県外転出などを引き起こしている事実、これは政治の貧困による人災に他なりません。
さらに福島での原発被害については、先日も書いたとおりです。
今日の信濃毎日には、昨日の高浜原発の運転差し止めについて、非常に違和感があり政府の態度は正しいというコメントが紹介されていました。曰く、原発が稼働しなければエネルギーに高コストを要し、CO2の排出も問題になる・・・などと政府の言い分そのまま。
しかし、そこでは使用済み核燃料をどうするのか、溜まる一方のプルトニウムをどうするのか、再稼働させればあと6年で全国の貯蔵プールが満タンになることへの対策は?こうしたことは一切無視。これが政府よりの人たちのコメントには共通しているのですね。
5年目の3・11を迎える直前に高浜原発の運転差し止め判決がでた意義は計り知れないほど大きい。明日は例の反原発の金曜行動が国会前をはじめ全国で行われます。これまた意味の大きいとりくみなるでしょう。
あの日の記憶をとどめ教訓を未来につなぐ努力とともに、大災害からの被害を最小限にとどめるための現実的な運動を強める必要があると思われます。

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さて、全く別の話になりますが、不破哲三さんの「スターリン秘史」第6巻が出版され、これで全巻完結しました。
第6巻を昨日手に入れて、ずっと読んでおりました。第1〜5巻でも感じたように、緻密な調査に裏付けられた膨大な資料を駆使しながら、誰にでもわかりやすい論旨運びは一向に衰えていません。本当に驚嘆に値します。
今号でとくに注目させらたのは、スターリンが中国革命の進展にともなって自らの野望を遂げようとするものの破綻していくありさまが手に取るようにわかること、さらに朝鮮戦争のシナリオを書いたのはスターリン自身であり、当初南進に反対していたスターリンが東欧でのソ連圏での支配権を確立していくためにアジアにアメリカを引きつける第2戦線を確保しようとして北朝鮮を利用しようとしたこと、それに毛沢東が引き込まれ北朝鮮・中国と韓国・アメリカとの戦争へと発展したこと、さらにはソ連はシナリオは書いたものの一貫して背後にいてアメリカとの戦争を避けようと画策したことなどが明らかにされている点などです。
スターリンによる他国の共産党を自らの支配下におく作戦が、日本、インドに対しても執拗に続けられていくこと、それには内部に内通者を育てて資金援助などでソ連支配の体制を作りあげようとしたことなども具体的な資料を通して解明されていて、まさしく巨悪の根源としてのスターリン像がこれでもかと追求されています。

振り返ってみると、1960年代になってさえ各国の共産党にはスターリンの遺物がずいぶん沢山残っていました。スターリン死後もソ連の覇権主義はそのままでしたから。
スターリンは徹底して自分が不利になるようなデータを漏らそうとはしなかったために、知られざる資料が眠ったままでしたが、ソ連の崩壊とともに膨大な量の内部文書、秘密文書が明らかになって、今日のように徹底したスターリン批判が可能になったのです。
6全協以後の共産党の文献を読んでいても、たとえば全般的危機論とか、社会主義国家という規定とか、プロレタリアート独裁とかという文言が出てきます。今日では完全に克服された問題も、当時は本当に根深く浸透していたのだなと思わないわけにはいきません。
スターリンが自らの野望=ツァーリ独裁に近い体制づくり=を実現するために、どれほどの人々を殺害し、混乱に陥れ、苦難の歴史を歩ませたのか、それは極めて明快にとらえられるようになりました。しかし何故、共産主義の名の下にこのような事態を招来してしまったのか、それはスターリン個人の問題に還元されることなのか、そうした点の解明はまだ道半ばだと言わなければなりません。
この点でいえば、不破さんの後書きで述べられている、自らの2012年の講演の中で触れたある一節がたいへん興味深い。

われわれが半世紀にわたって組んできたこの仕事(=スターリンが持ちこんだ似而非理論体系を打ち破って、マルクス以来の科学的社会主義の本来の理論と精神を復活させる仕事)は、スターリン時代の中世的な影を一掃して、この理論の本来の姿を復活させ、それを現代に生かす、いわば科学的社会主義の『ルネッサンス』をめざす活動とも呼べるものだ。

おそらく今日の世界に類のない、これだけの理論水準と教養を持ち、新たな科学的社会主義探求の道を「ルネッサンス」と呼ぶ不破さんの展望と決意は、共産党員あるいは党支持者ではなくとも、大変興味深く関心を寄せるに足るものであるに違いないと私には思えるのです。
そして私自身は、学生時代からの共産党との関わりを通して特別の感慨をもってこの本を読んだことでした。



  3月10日(木)
昨日夜にようやく知ったのですが、再稼働した高浜原発3,4号機の運転差し止めを求める仮処分申請について、大津地裁が運転を認めない決定をしたというニュースが流れました。
今日は午前中、先日のバラ園での選定作業の続きがあったので、昨夜につづいて少し判決文も調べてみました。まず判決文の全体を読んで、関西電力や国に対して厳しい視線で現在の原発のあり方を問う画期的な判決だとの印象を持ちました。何しろ再稼働した原発を止めるのは史上初ですし。全国の反原発闘争に大きな励みを与えてくれます。

仮処分決定の判決文は結構長いもので、最初の部分には原発とは何か、核分裂の原理から原発の構造にいたるまで丁寧に説明をし、そのあと7点の争点にわたって原告・被告双方の主張を整理しています。
後半はこの判決の主要部分で、大津地裁の判断を述べているところです。ここでは7つの争点ごとに判断を展開しているのですが、各所で関西電力は安全性や地震動の予測などについて「主張・疎明を尽くしていない」と指摘しているのです。ものすごい多くの箇所にのぼります。
判決文は相当に長いので、私なりのまとめを作ってみました。重要だと思われるところは太字になっています。非常に感銘深く印象的な叙述もいくつか。参考までに判決文全文と私のまとめを下に紹介しておきます。

判決文全文
判決の要旨

弁護団は即日声明を出して次のように延べました。

本日大津地裁は、福島原発事故の原因を津波と決めつけ再稼働に邁進しようとする関西電力の姿勢に疑問を示し、避難計画を審査しない新規制基準の合理性を否定し、避難計画を基準に取り込むことは国家の「信義則上の義務」であると明確に述べるなど公平、冷静に賢明な判断を示した。

今日はまた寒い1日。午前中は朝早くからバラ園にでかけて剪定作業の続きを行いました。数名しか集まらず、しかも余りに寒いので11時過ぎには終了。もう1日かけて作業することにしてお茶にしました。結構な本数があるのと、シロウトの集まりなので、なかなかはかどりません。何年やってもうまくなりませんね。
技術指導顧問のEさんが、アンネのバラを接いでくれたので、畑に植え込む作業が待っています。バラの芽も動き出して、いよいよ新しい年度の作業開始です。
下は昨日の大糸タイムスが紹介してくれた土曜日の剪定作業の様子です。





  3月9日(水)
町長選に不始末を起こした前町長がまた立候補するという前代未聞の事態に、池田町は結構揺れています。「とんでもない、信じられない」というのが大方の反応。あたりまえですね。
池田町をよく知るローカル3紙は別として、他のメディアから好奇の目で報道される可能性が極めて高い。池田町民としては冷静に受け止めて、とにかく相手にしないのが正しい。そうでなければ、立候補している宮嶋、もたい両氏に失礼ではないでしょうか。2人の政策論争をしっかり見極めて投票に臨むのが町民の義務というものでしょう。

このお騒がせ元町長、「出馬を取りやめた」というニュースが昼頃流れました。本人がどう受け止めようが、町民の厳しい批判の前に取りやめざるをえなくなったというのが客観的な事情でしょう。
以前から指摘しているように、就任当初から酒癖が悪く庁内でも有名であったこのような人物を町政のトップに選んできたこの池田町という汚名を返上するために、今回の問題からくみ取るべき教訓は大きいものがあると私には思えます。
あの3.11直後の町長の対応ときたらひどかったですもんね。重要ないくつかの局面でこの人物と対決してきた私としては、本気でこの町の改革に取り組まない限り、似たような状況をまた引き起こすと思わないわけにはいきません。

3.11から5年目の日が近づいています。何らかのアクションを求める声もあったのですが、池田町は町長選の公開討論会が予定され、その周辺の日でも残念ながら何にもできずに終わりそうです。
ところで、昨日「しんぶん赤旗」に掲載された共産党志位委員長の革新懇シンポでの報告「安倍政権の『原発固執政治』の二つの矛盾」は現在の安倍政権の「原発固執」「棄民政策」の問題点を的確に指摘、新しい情勢も含めて深く本質を掘り下げており、特別に重要な報告になっていると思われました。
第1に、被害が収束するどころかさらに拡大していること。福島県民10万人がいまだに避難生活を余儀なくされていること、5年経っても溶解炉の中がどうなっているのかもわからずにいること、放射能汚染水が増加に転じ1日550トンもの汚染水がつくられていることなどを指摘しています。
第2に、「県内原発全基廃炉」の要求に対して政府は「事業者が判断する」としかいわず、東電の株の過半を持っている政府の責任を全く放棄していること、国の原子力損害賠償紛争解決センターが福島県浪江町民約1万5000人の精神的賠償の増額を示した裁判外紛争解決手続き(原発ADR)の和解案を東京電力が拒否していることにつても「個別の案件について答弁しない」として無視していること。さらに政府が原発をベースロード電源として各地の原発を再開、原発輸出に前のめりになっていることなどをのべて「福島のことは終わったことにしたい」政府の無恥・無責任なやりかたを告発しているのです。
そのあと、「すべての被災者が生活と生業を再建できるまで、ともに力をあわせて」と題して、今後の被災者・国民の進むべき道を示しているのですが、その中で政府と国民には2つの大きな矛盾が広がって、「こうした安倍政権の「原発固執政治」には決して未来はない」ことがますますはっきりしてきたことを整理して解明していますね。これは極めて重要な点だと思われました。
あとはお読みいただくほかはありませんが、保守層・無党派の方々を含めた革新懇談会という場でこうした報告ができる共産党幹部の力量を本当に心強く思うのです。

最近の「しんぶん赤旗」には、さまざまな階層の人たちへのインタビュー記事が載っていて、興味深く読んでいるのですが、信頼を寄せるに足る新聞として赤旗を選んでいるのには当然理由がある。心ある人たちが、率直に本心を伝えることのできるメディアをどれほど心待ちにしているのかということを強く感じるのです。
たとえば、そのひとつ。昨年10月8日に載った元最高裁判事浜田邦夫さんへのインタビュー。濱田さんは個人のマニフェスト「私の闘争宣言」を公表したことでも有名でしたね。
二つめ。これも昨年10月の三上智恵さんへのインタビューです。東京生まれのヤマトンチューが沖縄に溶け込み、今ではたたかいの重要な一翼を担っている彼女の感性はただものではありません。
私としては、この記事を糸口に、彼女自身のブログ(沖縄撮影日記)からそれを感じ取っていただきたいと思って紹介したのです。
数日前に彼女のブログをずっとたどっていて、今の沖縄の深層にあるものをえぐり出して伝えようとしてると思えました。これは同じヤマト人である私の沖縄に対する姿勢と言った意味で深く学ぶ意味がある。
大詰めを迎えている「トーホグマン」の著者MNEMOさんもその1人ですけれど、この世の中にはすごい人たちがいるのです。ネット社会というのは否定的な面もたくさんありますが、私たちの知性を磨き世の中の深層に思いを馳せさせてくれる窓口となる人たちと接することができるのは大変な喜びではないでしょうか。



  3月8日(火)
我が家では、2人ともカゼで討ち死に。数日は外出をひかえなければならなくなっています。一難去ってまた一難。ふう〜〜。

沖縄では、先日の代執行訴訟から間もないのに「翁長雄志知事による埋め立て承認取り消しの是正を指示する文書を県に発送」したというニュースがありました。
辺野古新基地建設をめぐって翁長知事は去年の10月、辺野古の埋め立て承認を取り消しました。これは県民にとって待ちに待った翁長知事ならではの毅然とした対応でしたが、国は「辺野古移設が唯一の解決策」であるとして県を訴えた裁判をいいます。
福岡高裁那覇支部は、この裁判ではじめ暫定と根本的な2つの和解案を示していましたが、その後沖縄県側が前向きに検討するとしてきた暫定案を修正した新たな和解案を示したのです。国と沖縄県はこの和解案を受け入れることで合意。現地での工事はすべてストップしました。
この和解案は次のことを求めていると説明されています。以下はNHKによる解説から。

国と沖縄県の間で行われている裁判をすべて取り下げ、工事を中止したうえで、国が、翁長知事が行った埋め立て承認の取り消しの是正を指示するよう求めています。そして、沖縄県側がこれを不服とする場合には、国の是正指示を取り消す裁判を起こし、この裁判の結果に双方とも従うとしています。あわせてこの裁判の判決までに、国と沖縄県は、円満な解決に向けた協議を行うことなどが盛り込まれています。

今日の政府の是正勧告はこれにもとづくものですが、翁長知事にいわせれば、「和解を受け入れ入り口ですぐにこんな対応をするのか」ということになる。当然です。

現地キャンプシュワブ前では、いまなお座り込みが続けられおり、気をひきしめて最後まで戦い抜こうとの決意を固めていると、現地からのブログは伝えています。
最も大事な点は、和解が成立したことで、翁長知事の「埋め立て承認の取り消し」が効力を復活したことです。ゆえに、政府は焦って是正指示を行ったのです。しかし、政府に勝算があるわけではありません。
アメリカからは国防軍の幹部が「工事が遅れている」と日本政府を叱責。このまま抵抗運動が長引けばどんなことになるかわからないという日本政府の対応に強烈な不満を募らせていることがうかがえます。
こうした工事中断をもたらした原動力はいうまでもなく、沖縄県民の翁長知事を先頭にした不屈のたたかいと現地での座り込みや海上抗議の盛り上がりに他なりません。
抗議行動が大きくなり、工事への影響が出れば出るほど政府は強権的に工事を進めようとしていますが、決して彼らの思惑通りにいっていないからこそ、安倍政権もアメリカの意向を受けて戦略を練り直す必要に迫られている。参議院選挙でのマイナスポイントをできるだけ無くしておきたいという思惑も重なっていることはまちがいありません。
参議院選挙での候補者統一の動きが全国で加速しています。間接的ではあれ、沖縄のたたかいに連帯した取り組みになっていることは間違いのないことです。先日のお便りの中にもあったように「国民無視の安倍政権、何としてもおろさせたいですね!」という気持ちをさらに多くの人たちの共通の願いにしていきましょう。

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今日のローカル紙は一斉に、飲酒運転で全国ニュースになった前町長がこともあろうに町長選挙に立候補する意向であることを報道しました。破廉恥、鉄面皮、言語道断、恥の上塗り。言葉も見つからず、もう唖然とするほかありません。
次のリンクは今朝の信濃毎日新聞。「中信」の欄にでもでているかと思ったら、何と2面トップ。おいおい、まずこの新聞をとっている地域全部に知らせるつもりかよ。各社も一斉に全国ニュースでやるんですかねえ。池田町、またまた全国にその名をとどろかせるのであります。
他のローカル紙も大きな取り上げ方をしていて、本人に直接取材し耳を疑うような出馬の言辞を紹介していました。以下、市民タイムス大糸タイムス中日新聞です。
実は昨日、ある方から情報を聞いて半信半疑、いろいろな方と連絡をとって情報を集めたのですが、やはり事実であり、近く行われる候補者討論会にも参加することになっているという話でした。
複数の方の話を総合すると、周りからの出馬中止を求める忠告にもかかわらず、出馬したいという決意は変わらないのだそうです。まず自分が悪いことをしたという自覚がない。だからまるで反省がない。そうなるともはや個人的な話にとどまりません。
飲酒運転は確かに個人の問題だろうけれど、公務員ならば懲戒免職になるほどの事案にもかかわらず特別職の町長が自らの不始末はもう過去のこととして選挙に立候補するとなれば、それはそのようなことを許す町民のレベルの問題となってしまう。今度は飲酒運転程度のニュースではとどまりませんから。またまた池田町は有名になっちゃいます。
中には、「反省しているんだからそんなに追い詰めなくてもいいんでないかい」という町民もいるとか。いくら何でもまだ罰金も払っていないのにそれはないでしょ。
もし立候補してそれなりに票を獲得したとする。いったい池田町ってどんな町??「えっ、『日本でもっとも美しい村連合』に加盟しているの??それって、『もっとも汚れた村』のまちがいじゃない??」、こう言われたらどうするのよ?しかも、このお方が音頭をとって、「美しい村」連合に加盟申請したんですから。わたしゃ、このお方が出るのならこの認可を返上すべきだと思うんですけど。
こんなことは想像するだけでもゾッとしますね。できることなら町長だけの票しか入らなかったということにいたしましょう。特異なものずき人間の話で終わらせるわけにはいきませんからね。
全国の子どもたちが注視していますよ!教育長、長らく一緒に仕事をなさったんだから、子どもたちのために身を挺してこの方の暴走を止めるべきです。

このニュースに並んで載っていた、こっちのニュースの方ならこの欄に載せる価値がある。





  3月7日(月)
昨日から今日にかけて、例の「町の財政白書」のブラッシュアップをずっとやっていて、今日ようやく「原案」が完成しました。
午前中には役場の財政係の担当者を煩わせて、データで理解できなかったいくつかの点を質問して解決してもらい、それらも反映して冊子にまとめることができたのです。
総ページ81ページにのぼる大部になってしまいましたが、原案として今日から1ヶ月くらいウエブ上で公開し、意見などを得て冊子にまとめる予定です。それをどうするのかはまだ考えてはいませんけれど、現在戦われている町長選挙のあと誰が町長になっても、今後の町政を考える上での参考になるだろうと考えているところです。ただ町長選挙については、明日とんでもない話を紹介しなければならなくなりそうです。
財政白書の中身は相変わらずとっつきにくく、一般にはわかりにくい内容であることは否めませんが、財政を理解しないで町政を語ることはできませんから、いろいろな場で活用していくことが必要になるでしょうね。

池田町町政白書01(表紙〜池田町の財政)
池田町財政白書02(松川村との比較〜いろいろな財政指標)
池田町財政白書03(池田町の公共施設〜松川村すずの音ホール)
池田町財政白書04(池田町の人口〜おわりに)

昨日は、白馬・小谷地域の9条の会の発会式がひらかれ、招待をうけてわざわざ出掛けていきました。
呼びかけ人、準備会(事務局)のみなさんも大勢いて、集会には60人〜70くらいがつめかけ熱気にあふれていました。


この集会に集まった人たちは、どの地域でも共通しているように高齢者が中心。意見交換では、若い人たちにどう共感をひろげ、結集をはかっていくのかという話題が参加者の方から多数出されていました。確かに、田舎ではあと10年もすれば、この種の集会は消滅しているかもしれないという危機感がどこでもある。池田町でも同様です。
一般に、高齢者は若い人たちと話したり交流したりする場を持ってはいません。しかし、全部がそうであるわけではない。基本は、若い人たちが政治に無関心で、9条のことや戦争法のことなどどうでもいいなどとは決して思っていないということでしょう。そこに信頼がなければ何事もはじまらない。
その上で、個人個人が周りの若い人たちと接点を広げる努力をすること、ネットなどを駆使して少しでも若い人たちの感性に訴える方法を編み出していくことでしょうね。
そしてさらに、その土台になければいけないのは、若者たち自身が集まったり交流したりすること。年配者は、沖縄のおじいおばあのように「まず命をかけて座り込む」ことを通してその生き様を回りに示すことじゃないでしょうか。
先日のお便りのように、必ず共感・連帯の輪は生まれる。私はそう思っています。



  3月5日(土)
本来なら2月6日に行うはずであったバラの会の総会を1ヶ月遅れで開きました。もっぱら会の代表である私の病気のために今日まで延期してもらったていたのでした。
ところが、今度は役員の2人がインフルエンザにかかったり、急遽参加できなくなった人もいて、例年よりちょっと少なめ。それでもこれ以上遅らせるわけにはいかないと、予定通り短時間の会議を行って今年の方針を決めました。
飛び入りでオブザーバーで参加してくれた若い男性のKさんは、会議の様子をみてあとから「すごいですね。活発にみんな話をして。しかもバラ祭りには3000人も参加したんですか・・・」と目をパチクリ。和気藹々としながらも、それぞれにバラ園を愛して積極的に参加している姿に感銘を受けたのでしょうか。これからもいろいろな行事に協力してくれることを約束してくれました。したがって今日はこの方を含めて2名のサポーター会員が増えたことになります。


約1時間の総会のあとは、これも予定通り専門家Eさんの指導でバラの「選定作業」。結構病気でやられたり痛んだりして、ちょっと痛々しい木が結構ありました。根っこの方の虫食いなどはあまり注意して見なかったことが手入れの悪さにつながったかと反省させられました。
今日は半分もできませんでしたので、残りは来週木曜日に引きつづき作業することとして12時半ごろすべての作業を終了しました。
ちょっと曇りゾラでしたが、割とあたたかく外で最後にお茶会をしていても気持ちのいい1日。今年初めてのバラの会も何とか無事終えることができました。








  3月4日(金)
今日は、午後から役場に出かけて財政係の職員の1人から財政資料をもらったり情報交換をしたりして1時間以上も費やしてしまいました。その若い職員の方は私の「財政白書2016」に大変関心を示してくれ、いろんな資料(もちろん公開できるものだけ)を提供してくれたので、まだ空白だったデータを埋めることができるようになりました。
帰ってからは午後11時ごろまでずっと財政白書の修正にかかりきり。おかげで思わぬ間違いなども発見できたし、何とか素案第2案を完成することができました。
このあとは、町の職員をはじめ、かつて財政に関わっていた方や仲間のみなさんに見てもらって議論を重ね、推敲をしていく段階にさしかかっています。ただ、私自身ここ2年近く行政からのパブリックコメントの募集やワークショップなどに一切関わってこなかったので、その分の空白がちょっと影を落としていることは否めません。この点は他の方たちに埋めてもらうことにしましょう。
素案から「原案」に仕上がった段階で、このホームページ上でも公開し、ひろく意見を求める予定でいます。その節はよろしくお願いします。なお、素案の段階でも知りたいという方がいらっしゃるなら、印刷してお渡しすることができます。

さて、今日は「戦争法に反対する池田町民の会」のホームページを通してうれしいお便りを受け取りました。
そこには、先日池田町を通りかかった際に戦争法反対の大看板を見かけ感激したこと、町民の会のサイトも見つけて思わずメールしたと記されていました。
この方は30代の前半の女性の方と思われ、大看板で堂々と主張を掲げていることに心から賛同するとのべ、さらに、自らは長野市で「僕らが主権者って知らなくて委員会(ぼくしゅけ)」の一員として活躍しているので「お互い頑張りましょう!」と連帯のエールを送ってくれたのでした。
池田町の「華密恋」というコスメブランドは全国的に人気があり、自分も大好きであること、池田町にも行ってみたいことなども書かれていましたよ。
こんな人がいてくれるんだなと感激しつつ、池田町の取り組みを紹介がてらお礼のメールを差し上げました。
するとほどなくまた返事がきて、自分自身20代後半まで、政治に見向きもしなかったけれど、東日本大震災をきっかけにいろんなことを調べ始めて、いまではこの国が「想像以上に大変な事態になっていて、政治がとんでもないことに気がついた」と書いてきてくれたのです。
そうそう、池田町の「軽トラデモ」が「都内の方々にも本当に反響がありネットで話題でした。さすが長野県の方々は意識が高いと仰る方も」とも書かれていて、いや〜〜嬉しかったですね。
「池田町の皆さんの活動を動画や写真で見たとき、涙が出ました。署名も、2000筆に届きそうですね…!」とも。このように私たちの取り組みを我がことのように喜んで下さる若い方がいらっしゃるのですね。感激してしまいます。
T-ns SOWLの高校生たちにしても、学生のSEALDsのみなさんにしても、メールをくださったこの方にしても、同じように全国の隅々でいま若い方たちが自らの生き方を求めて家から町に出て声をあげはじめているのですね。
これまでは、生きづらさや目の前の問題が個人の問題として押しつけられ、関心を削がれていたものが、多くの仲間たちと結びつくことによって、社会的な視野を得て将来への希望を語ることができるようになったということでしょう。これは素晴らしいことです。未来を感じます。
是非、池田町の仲間のみなさんにも知っていただきたくて、このページを借りて紹介してしまいました。



  3月3日(木)
このところ学者の会のツイッターを見ると、反共意識むき出しのえげつない書き込みがやたら目につきます。最近の高校生T-ns SOWLの行動についても、「あれは共産党の扇動によるものだ」という調子。実名を出し、根拠を示して問題を提出し批判するのなら大いに結構だが、匿名性をいいことに悪罵の限りを尽くすという様をみると、いかにも追い込まれつつある現在の右翼的な潮流の焦りをあぶり出しているようで、ある意味興味深い面があります。
現在の「反共攻撃」の特徴は、安倍の明文改憲と戦前回帰の特異な歴史観を側面から応援しその土壌を広げることに尽きます。なりふり構わぬ手法がその特徴です。

大阪市内に「学校法人塚本幼稚園幼児教育学園」という幼稚園があります。教育内容の基本に「毎朝の朝礼において、教育勅語の朗唱、国歌“君が代”を斉唱します」と掲げているのだからすさまじい。
保護者はゴリゴリの戦前主義者なのかもしれませんけれど、日本国憲法の遵守義務を負う教育において、「教育勅語」や「五箇条の御誓文」の朗唱、伊勢神宮への参拝・宿泊などが平然と行われるところが幼稚園として認可されること自体異様な自体であり重大な問題だと私は思います。
安倍首相夫人がこの園を訪れ、「規律正しい」園児の姿と、園児たちが「安倍首相は日本を守ってくれる人です」と答えたことに涙を浮かべて感激したという報道をみるにつけても、この国の常軌を逸した恐るべきゆがみを見る気がします。
同じことが、こともあろうに沖縄でも起こっているのです。ところは那覇市首里「わかめ保育園」。ここは先の幼稚園のように、ホームページ上では露骨なアピールはしていません。保育目標も「心身ともに健やかな子ども、 学ぶ力・心の力・体の力」とあるだけで、何ら他の園と変わるところは見当たりません。
しかし、実際には琉球新報が伝えるように、園児たちが「現代語訳 教育勅語」を暗唱、唱和させられていたという事実は消しようがない。ただ、さきほどもホームページで紹介したように、現在もそれが行われているのかどうかは定かではありません。
沖縄の場合、有名なのは今から2年前の「本土復帰42周年記念大会」(宜野湾市民会館)でこの保育園児たちが体操と教育勅語の唱和を行った動画がいくつもアップされていますから、その実際を見ることができます。
この様子に、明治天皇の玄孫という右翼の竹田恒泰などは涙を流さんばかりに喜んで「日の丸を振り教育勅語を唱和する姿はこれこそ日本の姿」「沖縄の未来は『わかめ保育園』にかかっている」とネットで語っているのです。

右翼国家主義者のみなさんは、極めて類似し口調でつぎのようにまくしたてます。まず中国脅威論。中国の脅威に対して、もし何か侵略行為があれば国民をあげてたたかわなければならない。教育勅語の「一旦緩急あれば」はどこにも「お国のために死ね」などとは書いていない。ただ、国民が一致団結して脅威を除くことをのべているのだ・・・という言い方。
そして第2に、教育に関する精神的な支柱が失われ、日教組などのサヨク教育がはびこったために今日の教育の堕落・荒廃が広がってしまった。
そして第3に、日本は古来から「天皇を中心に精神的な一体感を形成した国であることが日本精神の神髄である」これを取り戻さなければならない。
歴史を学んだことのある人なら、何重にも誤ったこのとらえ方には決して騙されないのですが、繰り返し繰り返し大音量でやられると、中にはそうかも・・と思う人も出てくるかもしれませんね。まして、戦前からの精神的な風土は克服されてはいないのですからなおさらです。

教育勅語礼賛論者でなくとも、教育勅語にはいいこともかいてあるではないか。たとえば「父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達は互いに信じあい、行動は慎み深く、他人に博愛の手をさしのべ、学問を修め、仕事を習い・・・」。勅語の復権論者のホームページをみるとよくこの逆を言えばどうなるのかなどという「逆・教育勅語」が引き合いに出されています。論理を全く知らない人の言い方ですね。お笑いです。
いくつかの規範を垂れるだけなら、さほど問題にすることはないでしょう。だからどうなのだということです。今日でも、何かに書かれていないから「逆・教育勅語」がはびこっているなどという人はいない。
それをことさらに、だから教育勅語は普遍的なのだという主張そのものの欺瞞性、虚偽性を問題にしなければならないのです。
「教育勅語を読まずに勝手に軍国主義の権化だなどと主張する」と復権論者はよくいいます。まず、読んでみましょう。読みづらいことは間違いありませんが・・・。
これは一体誰が誰のために書かれたものなのか。言うまでもなく元首であり大元帥であり唯一の主権者であった戦前の天皇が、その部下たちと天皇の赤子たる国民に対して訓示(意思表示=命令)したものです。従って赤子たる国民は何よりもそれを守ることが義務となるのです。この点を無視して一般的な教育のあり方を示したものだと主張するほど荒唐無稽な解釈はありません。
第2に、教育勅語(1890年発布)は軍人勅諭(1882年)と一対のものだということです。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とは、単に「国民が一致団結して脅威を除く」などというレベルのものではありません。目的は「天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼」することなのですから、要するに命を投げ出しても天皇のために尽くせということです。
軍人勅諭は厳かな調子で次のように述べます。「朕は汝等軍人の大元帥なるそされは朕は汝等を股肱と頼み汝等は朕を頭首と仰きてそ其親は特に深かるへき」「義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ」。
あらためて、この国の歴史を深く深く学び、世界史の中でこの国がどのような位置にあるのか、どのような世界史的観点をいま持たなければならないのかを考えるべきではないでしょうか。時代錯誤の右翼的潮流の跋扈を許してはなりません。



  3月1日(火)
夕べから今朝にかけてほんのちょっと雪が舞い白くなりました。零度の外気はきりっと引き締まって気持ちがいい。北アルプスはほとんど雲に覆われて見えませんが、まだまだ春には遠い景色です。
一方庭先では気の早いフキノトウが膨らんで、どんな寒さにも動じない強さを見せつけてくれています。近くいくつかとって天ぷらにでもしましょう。




昨日行われた「池田町地域交流センター基本設計検討委員会」、傍聴にでかけたかったのですが、どうにも具合が悪くて出られず残念でした。やむなく今日公民館に寄って資料を受け取ってきた次第です。
今朝の信濃毎日、市民タイムスはいずれも昨日委員会が最終検討を行い答申を提出したことを報じていました。どちらも大きく報じていたのは交流施設の総工費です。以下は今日の新聞です。

信濃毎日新聞
市民タイムス

昨日委員会で答申された施設の総工費は交流センターと図書館合わせて11億828万7千円。ただし建物の建設費のみであることに注意が必要です。設計料、工事管理費などは含まれません
少しさかのぼって、2年前(平成25年6月4日〜平成26年2月10日「最終答申」)までの社会資本総合整備計画(以下社総交)策定委員会(第2期)の最終答申をうけて町が平成27年2月6日に決定した計画書を見てみると、社総交の総費用は13億5400万円、うち地域交流センターが5億3800万円、図書館部分が2億3700万円、合計7億7500万円となっていました。これには設計料や工事管理費なども含まれています。
今回の検討委員会のプランでは、工事費のみで11億円ですから、設計料やその他経費を含めれば約2億円ほど上積みされて13億円程度の総工費になるのではないかと思われます。
委員会では「町民の理解を得られないのではないか」という意見も出されたと報じられています。極めて当たり前の意見です。2年前までの検討委員会で侃侃諤諤の議論を積み重ね、基本的には「身の丈」の施設を建設すべきだという大方の合意を得て最小限の予算措置を認めたのでした。その中では、当然予算が膨らむことは予想されるが、最大でも2割程度という含みもありました。しかし、当初の計画からみて1.7倍強の建設費は誰が見ても納得がいくものではありません。
策定委員会での11回(通算15回)にもおよぶあの激しい議論は果たして一体何だったのかということになります。整合性は全くないではありませんか。
どうしても予算増額が必要だというのならば、その時点で十分な積算を行い、財政的な予測データも詳細に示し、その上で議会の承認を得るべきでしょう。そして委員会ではその枠内での議論をすべきです。それなしでなしくずしにこのようなやり方をとるのであれば、策定委員会など必要なかったことになってしまいます。

この予算大幅超過の理由を、市民タイムス紙では「2000平方メートルで計画していた延べ床面積を『住民の意向を踏まえて』2325平方メートルにした」(『』は私がつけた強調です)と説明されています。さて、かつての私たちの策定委員会メンバーは住民には入らないのでしょうか。
さらに、消費税は別として@災害時の自家発電設備工事費、A外構設備工事費、B地中熱利用設備工事費、C太陽光発電設備工事費などの追加があげられています。それを除いても、建設費のみで6億4500万円から9億5千万円と3億円の増額であり、@〜Cおよび消費税の計1億55768万円を加えると4億5千万円以上の増額になるのです。しかも、これに設計料や管理費などが加わるのですから、ざっと5億数千万円の増額です。
昨日答申を出した委員会では、付帯意見として「経費縮減」をうたってはいますが、果たして過去の策定委員会の審議をどのように踏まえ、どのように議論されたのでしょうか。
これまでワークショップや検討委員会が重ねられて、町民の意見を取り入れるということに関しては私もその努力を認めることにやぶさかではありません。しかし、ワークショップであれ委員会であれ、「どうせつくるならできるだけいいものを」「町民が使いやすい施設設備を」となることは当然の理です。それを過去の審議と重ねて調整し整合性を持たせるものにする役割は、役場の担当課が果たすべきなのです。総務課から公民館に主管が移った際に、その継続の努力が果たしてどこまで行われたのか。

もう一度そもそもに戻ってみましょう。この町は、たくさんの施設をかかえ、それぞれに出費がかさんでいます。年間3500万円を使う美術館は別としても、多目的研修センター、福祉会館、池田町創造館があり、それぞれ年間500万円ずつの持ち出しとなっています。公民館は約1000万円前後の持ち出しです。美術館を入れれば公的な施設で年間6000万円の出費を余儀なくされているわけです。
もちろん町民の活動のためにそれなりの出費をすることは当然でありこれらすべてが問題であるというわけではありません。しかし類似施設が多いというのは事実であり、それゆえ、私とN委員は現在の図書館を利用しつつ現在の場所での公民館建て替えを主張したのでした。
このままいけば、新しい交流センター施設は確かにきれいで設備の整ったセンターとしての役割を果たすことになるでしょう。しかし、その維持費はどうするのか、既存の施設をどうするのか、まるで見通しはありません。
町は、建設費について「積立金の取り崩しや借り入れで物理的に可能だが、次期町長の意向次第」(市民タイムス)と述べていると伝えられます。
「積立金の取り崩しや借り入れで物理的に可能」というのは当たり前のことですが、建設の仕方についてお隣の松川村とは全く対照的な池田町の姿が浮かんできます。松川村は平成21年に「すずの音ホール」を完成しましたが、これは10年越しの計画で基金の6億円強はすべて積み立てでまかない、国の交付金を入れて11億円余りで建設しました。そのため新しい借金は全くありません。それでもなお基金は池田町の1.5倍積み立てているのです。
池田町は、数年前から積み立てはじめた公共施設等の特定目的基金と財政調整基金を取り崩し、必要な交付金以外の財源をすべてまかなうということになるのでしょうか。私自身は過去の策定委員会でこれらについてくわしい財政資料も提出して私たちのプランの根拠を示しました。
今後の建て替えや修繕が必要となってくる施設は庁舎をはじめとしてたくさん控えています。積立金はそれを見越したものになっているのでしょうか。
さらに建設費はそれでうまくいったとして、たとえば松川村の登録した団体には使用料は無料というやり方が池田でできるのでしょうか。
いかにも場当たり的なやり方で、目の前に施設が必要だからということで新しい施設を作ったとして、池田町の財政はたちゆくのでしょうか。新しい町長のもとで一度立ち止まって、全体をよく見渡し、考えて見ることが必要なのではないかと私は思うのです。




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