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  4月29日(金)
昨日は1日中雨。やはり木曜には雨が降るらしい。ところがゴールデンウィーク初日の今日は一転気持ちよく晴れて、外で作業していると冷気が気持ちのよい日になりました。
夕方北アルプスの方向を見下ろす(我が家はちょっとした高台ですから)と、雲間の光が水が入り始めた水田に写ってなかなかのもの。トップページの写真に一枚撮っておきました。
雨が降ると飼い猫のハルちゃんは、とにかく「そわそわ」しっぱなし。理由は狩りの「血が騒ぐ」のでしょうね。ネズミが捕りたくなるようで、昨日は気がつかないうちに絨毯の上で料理したのか頭だけが置いてありました。いつもなら「見てくれ」とわざわざ見せにくるのですが・・・。
お腹がいっぱいになるとあとは私の腹の上に来たり足下でお休みモード。人間の年齢に直して私とほぼ同じ年とは思えないほどあどけない顔をして眠りこけています。白黒のネコなので写真ではちっとも表情がわかりませんが・・・。


今日は朝からまた私はバラ園で仕切り材木の搬入と入れ替え作業で汗を流しました。男衆はそれぞれみんな忙しい人や用事のある人ばかりで、なかなか誘って一緒に作業ができません。勢い、時間の比較的ある私の作業になってしまいますが、そこはお互い様ですから合点して体力作りを兼ねてやっています。
とはいえ、重いヒノキ材を担ごうとしても、一頃のように直ぐに肩に持ってくることができない。つくづく力がなくなったなあと実感してちょっとショックです。準備運動をしっかりやってから作業に移らないとケガをすると思い知らされています。
写真は、材木を伐採して運んでくれた我が友Mさんが撮ってくれました。感謝。


バラ園のあとは我が家の畑に行って午後5時頃まで土起こし。あと少し耕していないところがあって、硬い土をまずスコップで起こしてから耕耘機をかけようという寸法なのです。
この前植えたネギがしっかりついたので、土寄せが必要だし、トマトやインゲン、カボチャを植える畝を早くつくらなければならないので、あと数日はかかりそう。と思っている間に、また雑草が蔓延って・・・農作業って同じことの果てしのないくりかえしなんですねえ。
なんだかんだと重労働の1日でしたので結構疲れてしまいました。明日は作業は休みで、松本での子ども塾にでかけます。作業報告でした。



  4月28日(木)
人が何かをしようとするときに「義務感」で行動しているならば、その行為は本人にとって味気ないことだろうし、また長続きするはずがない。私自身の若い頃の行動を振り返ってみると、多分に「ねばならない」が多かった気がします。
大学3年時、アメリカがベトナムで北爆を開始したときに私は義憤に駆られ「こんなことは絶対に許せない。学友たちよ、いま立ち上がらなければならない」と呼びかけました。ところがみんなの反応は一向に前向きではない。白けたムード・・と私には思え、一転彼らと自らの否定に向かっていったのでした。
高校数学用語で「ねばならない」は必要条件のみを意味します。ちなみに必要十分条件は「であればよい」とします。そんなことはどうでもいいのですが、必要性からだけ出発していはいけないのだとその頃から肝に銘じて行動してきました。
「熊本地震の被災者を助けなければならない」「安倍政権の暴走を止めなければならない」・・・確かにそうでしょう。でもそれを実現する条件は多様で、人々の共感を得、幅広い運動となるように腐心して初めてその道筋が見えてくるんじゃないでしょうか。粘り強いとはそういうことです。
実はMNEMOさんに先を越されてしまいましたが、私の最も好きな言葉は「心意気」なんですね。ずっとそうでした。青少年時代はともかく、かなりの年になってからはそうです。
もちろん、心意気を求めて行動するというのではなくその逆です。みんなで楽しみながら、人の役に立つことをする。他者と結びつくことで自分自身の自己実現を果たしていくことが楽しいということです。義務感じゃないんですね。「どうしてそんなことをするの?」と後から問われても、「それがおいらの心意気なのさ」としかいえない。
妥協・偏見・卑怯・痴愚の亡者に向かって「気の毒だが貴様たちにや、どうしたって奪(と)りきれぬ佳いものを、俺りゃあの世に持って行くのだ。・・はばかりながら皺ひとつ汚点(しみ)ひとつ付けずに持って行くのだ」と豪語し、「それは?」と聞く親友・恋人に向かって「私の羽根飾(こころいき)だ」・・・こんな最後の言葉を残したのはシラノ・ド・ベルジュラック。たいした中身はなく過剰な感傷には辟易とするけれどエスプリ満載のこの戯曲は私の青春の愛読書のひとつであって、最後の言葉にはいたく共感した覚えがあります。
私自身があこがれる心意気とシラノ風の羽根飾(こころいき)とは意味するものは相当に異なるはずですが、人生において生きている意味、生きる価値を付与してくれる向上心・積極性においてはおそらく変わるところがないはず。私もシラノのように、この「心意気」をシミひとつつけないで天国に持って行きたいものですね。



  4月27日(水)
朝9時前にバラ園に一人で作業しようと出掛けてみたら、同じように思って来たのでしょう、先着がいてもう草取りの作業をはじめていました。一体何時に来たのか?
というのも、明日は雨の予報。ここ最近作業日の木曜日になると雨になる確率が高いので、作業が滞っているのです。仕切りの材木を運んで古い木と入れ替える仕事が結構大変で、いつもの定例日では間に合わないので、私は今日に振り替えて作業に出掛けたのでした。
友人が切ってくれたヒノキ材は生木なので一人で運べないほど重い。女性のみなさんにも手伝ってもらって、何とかいまある分だけは運び終えて、疲れ果てて早々に引き上げてきました。とはいえ、まだまだ木が足りないので、追加分を切ってくれている友人のもとへ取りにいくことになります。バラ祭りまであと1ヶ月ですから、整備を終えるにはまだまだ大変な仕事が続きます。

午後は7時から「戦争法に反対する池田町民の会」の「第2回署名推進会議」。署名を超過達成することができたので、一応の締めの会議を行って、後半慰労会に移りました。
署名の中心メンバー10数人が集まって、こもごも署名で出た意見や対応などについて報告しあったり、町民の会のこれからのとりくみについて協議しました。
町民の会で署名を始めたのは12月1日。それから5ヶ月間で当初の2000筆目標をはるかに上回る2713筆まで到達したことになり、長野県内でも上位に入るのではないかと思います。
特徴は、一人で沢山集めた人も大勢いるのですが、それに加えて署名を集めてくれる人も大勢いて、数多くの人の力で署名を進めてきたこと、労組などの団体でも協力してくれたところがあったことです。
また、事務局としてはニュースを随時発行したり、ホームページで到達点を明確にするとともにフェスブック、ツイッターで他地域とも情報を共有してきたことが全体の取り組みを励ましました。
そして、何よりも会の民主的な運営に心をくばり、必要なことはその都度会議を開いて意思統一を図ってきたことが運動の前進を支えたのだと思います。
局面はいよいよ参議院選挙モードに入っていきます。署名での到達点を基礎に、今度は統一候補の当選をめざすさまざまな活動を大いに推進することが重要になります。
写真は、署名推進会議で署名目標の超過達成を祝い今後の活躍を誓い合う乾杯。





  4月26日(火)
5月連休過ぎの陽気。しばらく畑に出て耕耘機を使っていたら汗がダラダラとなってしまいました。
まだ北アルプスを写す鏡にはなっていませんが、田んぼにはすでに水が入って連休にはもう田植えが始まるのではないかと思われます。その北アルプスも心なしか初夏に近づいているような気配さえ見えて季節の余りに速い進み具合に戸惑っているかのようです。


庭先ではエンドウがツルをどんどん伸ばして花がたくさん咲かせています。軒先では昨年完成直後に放棄された巣につがいのツバメがやってきて、これ幸いと自分たちの巣にしてしまいました。昨年のツバメではないでしょうね。
巣のふちを少し継ぎ足して居心地の良いようにしていますから、きっとタマゴをうんで間もなく雛もかえるのではないでしょうか。





なんとなく情景が八重山の童謡「エンドウの花」に似てきましたね。この歌は、一度かなり前に紹介したことがありましたっけ。

エンドウの花の咲く頃は
幼いときを思い出す
家の軒端に巣をくって
暮れ方帰ったあのつばめ

今日は夜に被災地支援ネットのみなさんに集まってもらって義援金の送り方について相談しました。
送り先は西原村とすることは決定事項として、現金で送るのか、それとも何か物資に変えて送るのか、西原村のどこへ届けるのかなどについてはもう少し情報をしらべてから決めることとしました。
なお、池田町のみなさんには次のような報告のチラシをつくって張り出すこととしました。





  4月25日(月)
忙しい合間をぬって朝から富山へ。目的は海外から一時帰省している姪っ子とその子ども達に会うことでした。幸い好天に恵まれたし道中さしたる混雑もなく、ゆっくり運転して午後2時過ぎに富山に到着しました。予定を考えて、はじめにいつものお店で魚を沢山買ってクーラーに詰め込み一安心。

姪の連れ合いは上海のアメリカ大使館に勤務しており、丁度勤務替えの時期にあたるために姪がその子ども達をつれて両親のもとに帰ってきていました。
日本での幼稚園、学校を体験させることがその目的なのだそう。下の男の子は近くの幼稚園へ、上の男の子は小学1年生として小学校に入学。1ヶ月ほどしか通えませんが、それでも腕白盛りの年頃で、物怖じしないで元気に通っている様子がうかがえました。






ハーフと言ってもどちらかというと日本人っぽい顔なので、友達関係も問題なさそう。下の子はまだ日本語も英語もたどたどしいところがあるもののよくしゃべります。祖父母と話すときは日本語で、兄弟で話すときは英語でと器用に使い分けているところはなかなかのもの。
二人でおしゃべりをしたり、遊んだりしているときに英語でペチャクチャ何かしゃべっているのですが、大人たちは目をパチクリ。遊びに来た小学生の子たちもただ呆然とただ見とれているだけだそうで、さもありなん。何しろ二人ともよく似ていて可愛い。どんな大人になってくれるのでしょうね。
二人で遊んでいる様子をちょっとだけ紹介しましょうね。
google chromeではプラグインがサポートされていないので、ウインドウズ版IEでしか見られないかも・・・。プラグインが対応していない場合はこちらをためしてみてください。悪しからず。


子ども達の姿を見ていると私たちが年を重ねていることを忘れてしまいそう。まあ、忘れていいんですけど、あっちが痛い、こっちが痛いとなると、やはり現実に引き戻されてしまいすね。ね、みっちゃん。



  4月24日(日)
被災地支援募金活動の2日目。午前9時半にハーブセンター前に集合して午後4時頃まで来客に募金を訴えました。今日は割と家族連れが多く昨日よりはよく募金に応じてもらえたのではないかと思われました。
町の物産を販売するセンターですから県外からの客が多く、「あちこちで募金しているから」という方が比較的多く、時間的な余裕があればスーパーなど町の人たちが集まるところでの募金活動ができればよかったかなというのが反省事項。
すべての行動を終えてすぐに募金箱をあけて計算したところ、2日間で16万7852円の多額の義援金が寄せられてびっくり。あとしばらく「ハーブセンター」および「やすらぎの里」に募金箱を置くので、まだ募金額は増えることになるでしょう。
これをどこに届けるかについては、支援ネットの会議をあらためて開いて決めることになりますが、これまでの意見を集約した結果としては、熊本県西原村を支援することとして西原村役場に義援金を届けようということになりそうです。
被害の大きかった益城町には全国からの支援がかなり届いているけれど、益城町と震度7を観測したすぐ隣の西原村はちょうど支援のエアポケットのような場所になっている可能性があるので、もうすこし情報をあつめてどのように支援したらいいのかを検討することにしました。
3.11の経験から、池田町と同じくらいの規模の町を支援したほうが何かと取り組みやすく情報も得やすいということが西原村を選定した大きな理由です。今後は状況を見ながら、現地に物資を届ける便があれば、米や日用品などの提供も考えていくことになります。
とりあえず、緊急でしたが2日間の活動を終えてホッとしているところです。
最後の集合写真には大きい画像がリンクされています。もっとたくさんのネットワーク仲間が活動に参加してくれていたのですが、2日目最後の締めの証拠写真として撮っておきました。悪しからず。











  4月23日(土)
午前9時半、急遽決めた行動でしたが、あの3.11で活躍した「被災地支援池田町民ネットワーク」のメンバー数名が池田町ハーブセンター前に集合しました。目的はもちろん熊本地震災害支援の募金活動です。
女性は妻を含めて3名、男性は私を含めて4名(午後からさらに2名)。募金だけですからそんなに沢山いてもただ立っているだけになってしまいます。そこで折良く別の場所でJAの直売が開かれるというので2班に分かれて募金を呼びかけることにしました。
晴天に恵まれた日なのに、出足はイマイチ。いつもなら車でいっぱいになるはずが、どことなく閑散としてちょっと拍子抜けしてしまいました。
ハーブセンターの人に聞くと、どうやら桜の季節が終わり連休までちょっと間があるという、いわば狭間の時期にあたるということ。それでも、県外からの家族連れの一行や、町内から買い物に来た人たちが寄って募金に応じてくれまました。
私はもっぱらハンドマイクでの呼びかけ。募金箱を置いてあるだけでは気がつかない人もいるし、声かけをしなければそのまま通過してしまう人もいるので、声を出し募金箱を持っていると反応は違います。
午前10時から午後4時までずっと同じようなことを繰り返していて結構疲れました。あと明日一日の勝負。どこまで募金を伸ばせるか、呼びかけにかかっていますかね。








それが終わってちょっと休んでから、今度は松本での映画の上映会に。こちらの方が先に決まっていた予定で、本当は午前中に行くはずでしたが、募金活動が入ったので遅くの上映に変えたのでした。
映画は終戦間際、ソ満国境勤労に動員された新京第一中学校の3年生の過酷な運命を、福島で放射能におびえながら仮設住宅で暮らす中学3年生の視点を軸に描いた「ソ満国境15歳の夏」
実話に基づき実際に中国に渡ってロケを敢行しただけにその映像は奥行きを持ち、また福島の中学生の感性にしっかり依拠して丁寧に作り込んでいるだけにみずみずしさとともに説得力があります。「文科省選定 少年向け」などという文句が冒頭に出てくるのですが、少年向けは不要です。
いったいあの戦争は何だったのか、アジアに生きる人たちはどのような態度が求められているのか、とりわけこの日本の進むべき道はどこにあるのか・・・そうしたことを考える意味で、中学・高校生はもちろん、むしろ大人にこそ見て考えて欲しい映画だと思いました。
私自身は、つい自分の中学のころの生活や考え方などと重ねて見てしまいました。あの戦争からわずか十何年しか経っていないのに、戦争そのものについて何一つ学ぶことがなかった中学生・高校生の頃。世の親たちも生きることに精一杯で、今日のような問題意識すら持てなかったのかもしれません。
それでも、戦後の混乱期を経て落ち着きを取り戻した時期、のびのびとした学校生活を送ったかに見える私の少年時代も、あの戦争の残した顔の一面だったと今にして思わされます。
この映画は、全国の中学・高校の生徒たち、その親の世代の人たちに是非とも見てほしい、そして深く考えともに語り合ってほしい。何かを胸に残してくれることは間違いありませんから。



  4月21日(木)
今朝は昨日に続いて良い天気・・・と思ったら、午後から強風が吹き荒れ、にわかに雲行きがあやしくなって、午後遅くから雨になってしまいました。
幸い午前中は晴れ間がひろがっていたのでバラの会の定例作業。雑草がひどく蔓延っていたので、女性のみなさんは草取りに精を出し、私は通路とバラエリアの仕切りの材木を取り替える作業に汗を流しました。
通路脇の材木はもう数年経って腐食してしまっているので、今年はすべて取り替えて「総ひのき」にしようと考えています。というのも、友人がヒノキ林の伐採を頼まれて、比較的細い材木が大量に出たので無償で譲ってもらうことができたからです。
生木なので一本一本は猛烈に重く、作業は結構難航。最後までやり遂げるには1ヶ月以上かかるでしょうね。仕上がれば見違えるようになるはず・・・と信じて、根気強く取り組むほかありません。

昼過ぎに、被災地支援ネットの代表から電話があって、今度の土日にハーブセンター前で募金活動をやることで町ともセンターとも話し合って了解を取ったという連絡が。急な話なので、ちょっと面食らいつつも、夜までに何人かと連絡をとって土日に出てもらえるように話をつけました。
とりあえず2日だけですが、比較的人が集まる商業エリアで募金活動にとりくむことにしました。明日、担当する人員の割り振りや要領を決めることとしました。何とも慌ただしい週末になりそうです。



  4月20日(水)
風もおさまって、今日はまるで5月ゴールデンウイーク時のようなすっきりした青空。周りの田んぼでは肥料をやったり水を張る準備に余念がありません。稲作では一年で最も忙しい時期です。
お昼頃だったか、突然火災速報が飛び込んできました。東山中腹で火災発生、消防団は出動をという放送です。見ると、確かに山の中腹から白い煙が上がっている。ただ民家のないところのようなので、一体どうしたことかとしばらく様子をみていましたが、なかなかおさまる気配がない。


あとで知人から聞いた話では、山火事だということ。火災現場までは消防のホースも届かず難儀していたようで、防災ヘリによる上空からの消火活動が行われたようだという話でした。「5分おきくらいにヘリが飛んでいた」とその方は話していました。
強風の日でなくてよかった。まだ枯れ木も残っている時期だし、枯れ木でなくても針葉樹はよく燃えるので山火事は本当に恐い。私は丁度そのころ畑にいたので、我が家が心配になって何度もその方角を見ていました。

昨日の夕方、被災地支援池田町民ネットワークの会議を行いました。情報をあつめて、今後どうするのかを話し合おうととりあえず集まったものです。
その席上、ネットワークの代表でもある町会議員の矢口稔さんから、議員として町に提案書を提出したとの話があり、その内容について聞かせてもらいました。要点は次の通りです。

1.義援金・・・町内各施設に募金箱を設置してとりくむべき。
2.情報収集・・・町独自でも情報収集の徹底を。
3.町営住宅の無償貸し出し・・・避難が長期化する場合、被災者が町に縁者を頼って来た場合には、町管理の宿舎を無償提供できるように。受け入れ可能であれば積極的に情報発信を。
4.官民協働の支援会議の開催・・・官民共同で支援方法の検討や共有を行って効率のよい支援を行うべき。
5.職員の派遣・・・職員の派遣については長期的な支援を視野に、要請に積極的に答えることを検討すべき。

いずれも町としてすみやかに検討し実施に移すべきことばかりです。
第1の募金については、総務課を窓口にしているだけですが、むしろ町とネットワークが協力して、公的な施設でしかも人が集まるハーブセンターややすらぎの里、安曇病院前、ビック前などで何人かが募金を呼びかけるようにすれば、お金もあつまるし関心も高まることは請け合いです。3.11のときもそうでしたけれど、結局無人の募金箱を何カ所かにおいて終わり。これほど寂しい血の通わないやりかたはありませんね。
被災地が遠方であるために、物資を集めて自己完結型の現地支援というわけにはいきません。また、物資の集積・配布でまだ相当な混乱が見られる現状では、物資をあつめたところでどうしようもないことになります。とりあえずは募金活動に力点をおくということにならざるをえませんが、何はともあれ、ボランティア組織を招集して会議を開くことが先決ではありませんか。



  4月18日(月)
被災地熊本での様子をいろいろ見聞きするにつけ、果たして3.11の教訓がどのように生かされているのか疑わしくなります。
突然の大震災で混乱するのは当然としても、混乱を想定して対策を立てるのが行政であり関連部署というもの。広範囲に及ぶ震災とはいえ、東北地震の規模からいえば限られた範囲です。避難所を掌握しそこに適切に必要物資を運び込む手はずを整えることこそ3.11が求めたことではなかったのでしょうか。3.11など無かったかのように同じことが繰り返されているとテレビで誰かが言っていましたけど、その話がまんざら間違っているとも思えない気がします。
準備ができていれば何もかもがうまくいくわけでないことはは百も承知ですが、おそらく仮設住宅を建てることになって、またまた安普請の建物を建ててしまってトラブルが生じるのではないのでしょうか。心配です。とにかく被災者1人1人が人間として大切にされる対応を望むだけです。
政府は、さも万全の体制をとっているかのように言い、アメリカの支援を受け入れるとしてオスプレイまでが出てくる。これはまさしく戦争にそなえた予行だとさえ思える愚挙です。

さて、私の身辺がにわかに忙しくなってきました。ま、これまでヒマだったということかな。
ひとつ目は、この被災地支援の活動。もちろんまだ具体的に何をするのかを決めたわけではありませんが、とりあえず明日夕方ネットワークのメンバーが集まって情報収集を行い、今後どうするのかを相談することにしました。
支援活動は長い道のりであることや、被災地の要望が刻々変わることなどを踏まえて、息の長い取り組みとしていなければなりません。今回は、役場との連携をきちんととって対応できるようにしていきたいと考えています。
池田町は、日本赤十字社の災害義援金を総務課の窓口で受け付けるだけ。過去には何カ所か募金箱をおきましたね。それでも私たちは不十分だと思っています。つまり、すべてが受け身なのです。やり方次第では、町民の積極性を大きく引き出せるはずなのです。ぜひとも改善していってほしい点です。

二つめは戦争法廃止のとりくみです。当初の2000筆目標を早々と達成したので新目標を2500筆として取り組んできた全国2000万人署名が、今日18日ついに2500筆を越えました。

池田町民の会ホームページ

池田町の総人口の2割5分の人たちが署名に応じたということです。すごいことですね。この27日には署名推進会議を開いてまとめを行います。署名簿をまとめて送付する準備に取りかからなければならず、数が多いのでこれまた大変。
さらに今日18日の午後からは、大北地域(大町・北安曇郡5市町村)の戦争法反対にとりくむ団体が集まって、大北地域軽トラパレード第1回実行委員会をひらきました。
ここでは6月19日(日)に100台規模の軽トラパレードをやろうということで意思統一、詳細は今後の会議などで詰めていくことにしました。
1日だけの行動ではあっても、事務局の仕事は結構大変。私としては、相変わらずチラシ作りや要項づくりなどから抜けられず、しばらく忙しい日が続きそうです。

6月のバラ祭りにむけてやるべきことは山積み。これも心配の種です。それらを考えると、畑仕事を早めに準備しておいてよかった。過去の例では、なにやかにやで結局畑に手が回らず草取りに追われてろくな作物ができなかったわけで、今年は何とかなりそうです。



  4月16日(土)
昼は汗ばむほど暖かいのに、ここはさすがに内陸部、今朝早くハルちゃんに起こされて外に出てみたら霜が降りていました。例年より暖かいから作物を早めにと思って植えてしまうと霜の被害が出てしまう可能性があるので要注意です。

九州中部の地震が衰える気配がありません。今朝未明の地震が本震だというのですからビックリしてしまいます。断層帯にそって大分まで震源域がひろがって現在なお緊急地震速報がでている状態です。
今朝は、被災地支援ネットワークのみなさんに連絡をとって、支援活動の必要性ややりかたについて相談しました。ただ、今回は場所が遠いこと、水や食糧など必要な物資の提供は西日本中心に対応できるだろうことから、もし支援活動をするとしても募金程度になるだろうと思われます。とりあえずネットワーク代表を通して役場の対応も聞きながら週明け早々に対応を協議することにしました。
池田町では、田植え前の準備で農家のみなさん(ネットワークでもかなりの方が何らかの関わりを持っている)はネコの手も借りたいほど忙しい時期にさしかかっています。1日1日が「たたかい」のようなものです。
とはいえ、長野県でも過去に地震被害をうけた山古志村では住民が募金活動を開始し、白馬村でも自治体としてペットボトルなどを送ったという報道もありました。現地の要請なども聞きながら、私たちにできる最大限の支援活動をしなければならないでしょうね。

テレビのテロップを見ていると、「川内原発は異常がなく運転中」という表示が流れています。震度3程度ではそうかもしれませんが、今回の地震は断層が影響し合って次々に破砕が広がっているという特徴があります。「運転中」ではなく、最低限「地震活動が収まるまで運転中止」とすべきでしょう。大地震が原発を襲ってから「想定外であった」などと言い訳するのでしょうか。電力会社の恐るべき無感覚に呆れてしまいます。

昨日のつづき、高江の問題です。米軍北部訓練場の返還はヘリパッド(オスプレイパッド)の建設が条件になっていますから、現在なお返還はされていません。ところが、政府は閣議決定で完成したN-4のオスプレイパッドの先行使用を認めてしまったために、負担軽減どころか逆に過去の22箇所に加えて新規2箇所の計24箇所に増えてしまったということになる(返還地にあった7箇所を1箇所減らして6箇所にするというのが返還の条件だった)。しかも住宅地の直ぐそばです・・・ある方のブログ指摘されて、なるほどそういうことだったのかといまさらながら政府の「思いやり」の深さに「感心」したものでした。下は高江で訓練するオスプレイの様子。YouTubeからの映像です。


昨年5月の記事で、ちょっと古くなりますが、ジャーナリストまさのあつこさんの高江訪問記がとても参考になります。ヘリパッドを減らすはずが逆に増えているというのは彼女の指摘です。さすが取材をかさねて報道する仕事に携わっている方ですね。書き方が違います。

午後からは、松本での「こどもじゅく」に出掛けました。子どもの数はいつもよりは少なかったためにスタッフの方が余ってしまった状態でしたが、それなりに対応することができました。
小学生の算数では、割合の苦手な子が多いようで、学校での教え方を踏まえたわかりやすい教材を準備することが必要だと思わされました。

帰ってから日が沈むまで庭で棚作り。例年よりは1ヶ月もはやくトマトやキュウリ、ゴーヤなどの棚が完成。あとは植え付けを待つだけとなって一安心です。



  4月15日(金)
東日本大震災のときもそうでしたが、刻々映し出される被害をテレビで見ている自分に実に違和感を感じてしまいます。テレビを切れば、普段通りの日常にもどるわけで、「経験したことのない大地震」と「何事もなく過ごしている私」の落差の大きさがその違和感の理由なのか。
いつどのような災害が降りかかるかわからないとはいえ、大抵は我が事としては絶対にとらえられないことでしょう。ですから、突然の災害に見舞われたときの恐怖は想像を絶するものがあるはず。まして突然命を失った方々の無念は計り知れません。ただただ亡くなられた方のご冥福をお祈りするばかりです。
福岡の大地震のニュースを見ながら、やはり「地震はこのようにして起こる」と思わないわけにはいきませんでした。どこでも過去最大規模の地震が起こりうるということです。すでに全国で活断層と判断されている場所では当然その可能性はあるわけですし、東南海沖や首都圏の近海での地震も警告されている通りです。
折しも地元自治会では「自主防災組織」の機能強化にむけての検討がすすめられています。実効ある組織となるように十分住民同士で話し合いを深めることが必要ですね。

沖縄には梅雨前線とおぼしき停滞前線がかかっていました。本土よりも1ヶ月ほども梅雨の早い沖縄ですが、それにしてもちょっと早いような気もします。
しかし、ここ池田でも、例年なら5月連休明けにようやく木々に薄緑が見え始めるのに、もうすでに東側の山では緑っぽくなってきていますから、3週間ほども季節が早まっているように見えます。
さて、その沖縄では、辺野古新基地建設をめぐる代執行訴訟の和解条項を受けて、国と県との話し合いや国地方係争処理委員会での審理が続けられています(話し合いや審理自体は東京で)。
気になるのは、国との協議(作業部会)の中で、「政府は米軍北部訓練場の一部返還に伴うヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の移設について、工事現場への進入路をふさいでいるテントなどの撤去に協力するよう要請した。県は文書での行政指導に応じる方針を伝えた」と報道されている点です。
辺野古大浦湾に敷設されたフロートの撤去は当然としても、それにあわせてヘリパッド建設に強く反対している住民の抗議の意思表示を「行政指導」でやめさせるというのは理に合いません。
もともと翁長知事は辺野古新基地建設には明確に反対の意志を示し行動してはきましたが、東村高江のヘリパッド建設については明確な意思表示をしてはきませんでした。
現在高江では、政府が指摘するとおり工事現場への入り口はテントが張られて昼夜警戒態勢をとっています。それはなぜなのか。

もともとヤンバルと呼ばれる沖縄北部は米軍の広大な演習地が設けられていました。1995年に起こった米兵による少女暴行事件への沖縄県民の怒り(8万5千人の県民総決起大会など)に恐れ・不安を感じた日米両政府は、同年11月にSACO(沖縄に関する特別移動行動委員会)を設置します。その狙いは、沖縄にある米軍基地の「整理統合」および在日米軍基地の「地位協定の運用の改善」にありました。そして翌年1996年12月、いわゆるSACO合意が発表されたのです。
それをまとめたものが次の一覧表です(沖縄基地対策課の資料・・・拡大版がリンク)。


これを見ればわかるように、まず普天間基地については5〜7年以内(つまり遅くとも2002年ごろまで)に日本に返還し、1500メートルの滑走路をもつ代替海上施設を追求すること、第2に、北部訓練場については面積の約半分を返還し、その代わりヘリコプター着陸帯を残余の同訓練地内に移設する、などというものでした。要するにすべてに「代替施設」の条件付きだったのです。
話はこの北部訓練場に限りますが、返還地域にあった7箇所のヘリパッドが移設される場所が明らかになって高江区の住民は驚きます。その予定地6箇所が高江地区をぐるりと取り囲むように計画されていたからです。(下の地図は沖縄タイムスによります)


高江区民はその直後にすぐにヘリパッド建設に反対する区民総決起大会を開き、また翌1997年には区民総会で反対決議を全会一致で決議しました。
その後数年は移設計画に表立った動きはありませんでしたが、2006年になって突然「ヘリパッド6箇所(1箇所減)の移設計画が決定した」と新聞で報道されたのです。それ以前にはどこにどのように建設されるのか、高江住民には一切知らされていませんでした。
さらに重大なことは、もともとヘリコプターの着陸帯として想定されていたものが、オスプレイに替えられるという話も「風聞」で伝えられてきました。
「高江住民はヘリパッド建設計画の中止を各関係機関に求めたものの納得のいく説明はされないまま、2007年7月には工事車両がやってきます。
高江区の住民に残された手段は建設予定地への侵入路近くでの「座り込み」を行うことと、「ヘリパッドいらない住民の会」を結成(2007年8月)してたたかいに立ち上がることでした。
これに対して、政府は2008年11月、座り込み住民が工事を妨げているという理由で、住民ら15名に対し通行妨害禁止の仮処分を那覇地裁に申し立てたのです。その準備書面では通行を妨げている車両番号も特定できなかったり、その場にいなかった8歳の子どもまで訴えるというずさんなものでした。(この間のやりとりは映画「標的の村」でくわしく取り上げられました)
現地のとりくみを応援するために弁護団が結成されて裁判のたたかいにたちあがります。1年にわたる異例の長い審理の結果、14名(子どもは取り下げられた)のうち12名は通行妨害は認められないとして却下。「住民の会」代表2名については「今後の工事を妨害する蓋然性が高い」として、通行妨害禁止の仮処分命令を下したのでした。
2009年12月には、住民・弁護団は仮処分の決定を不服として、那覇地裁に起訴命令を申し立てます。これに対して変わったばかりの民主党政権は2010年1月29日、仮処分決定について本訴訟を提起、何ら自公政権と変わらない姿勢を示したのでした。そしてその年の2月、国は高江住民対象の「説明会」を開催しますが、従来の説明を繰り返しただけ、オスプレイの飛行ルート、騒音、環境破壊などの住民の不安にはほとんど答えないままで終わり、その結果沖縄防衛局はヘリパッド建設予定地につながる進入路に仮設フェンス設置を強行したのです。
2012年に入って、従来のヘリに変わってオスプレイが配備され、直ちに高江にも飛来し訓練が開始されます。その後2014年3月には高江集落から最も近いN4地区のヘリパッド(2箇所)が完成してしまいました。そして、2015年1月には、北部演習場の返還もされないうちに米軍への先行提供閣議決定されて、このオスプレイパッドを使っての飛行訓練が常態化するに至ったのです。

環境省は沖縄「ヤンバル」の「世界遺産」登録を目指すのだといいます。米軍演習地に隣接する部分が推薦区域とされている図を見ていると、一体政府は何を考えているのかとその頭の構造を疑ってしまいます。
それほどに豊かな自然に恵まれたところに米軍演習場があって生態系を脅かしているのなら、それを取り除くことが先決であるはず。まして、住宅地の上を我が物顔で飛び回るオスプレイの騒音被害は耐えがたいものです。それゆえ、日本の環境団体の代表はこぞってこの計画に反対する声明を出したのです。

高江の現状について長々と書いてしまいました。これも、辺野古と並んで現在進行形の「新基地」建設計画の実態ですから、私自身もその経過について再度確認したかったからです。
そして、沖縄県が工事がすすむようにテントなどの撤去を行政指導するという、その態度に大きな疑問と憤りを感じたからでもあります。
辺野古代執行が強行されるなら翁長知事は自らテントで座り込むと語ったように、高江を訪問し住民を励ますべきであって、過去幾たびも理不尽な言動で翻弄されてきた高江集落の住民の苦渋の座り込みを排除すべきではありません。県は、行政指導よりも、国に対してオスプレイの配備をとりやめ、当然オスプレイを前提とした着陸帯の建設にも異議を唱えるべきだと私は思います。
もしこれから沖縄を訪問する予定がおありの方は、辺野古だけではなくヤンバル高江もぜひ訪問されることをお勧めします。





  4月14日(木)
今日は父の命日。妹からお花も届いて、二人でお参りをしました。私自身全く信心深くはないバチ当たりな人間なので、家で仏壇を開けるのは父母や弟の命日くらい。それでも、年に一回は故人を偲ぶ日を持つというのは大事なことですよね。


今日午前中はバラの会の定例の作業日としては新年度初日になります。先週はあいにくひどい雨で流れてしまい、4月も中旬になってようやく第1回目を迎えたというわけです。
草は茂り放題、仕切りの材木も朽ち果てて、ちょっと草臥れた様子のバラ園になってしまいましたが、これからの手入れで見違えるように生き生きとするはずです。
今日の作業は、枯れたバラの株を取り除いて土を入れ替えて新しい苗を植えること。まず大きな穴を掘ることから始めて苗木を植え込むまで午前中一杯かかりました。
久しぶりの作業でみなさんちょっとバテ気味。これから定期的に作業をやっていけば、こんなこともないのでしょうが、会員は全員50歳以上。平均年齢にすると60をはるかに超える気がする我がバラ愛好会。身体をいたわりながら、今年もゆるゆるとやっていくことにしましょう。
下の写真は例によって2枚の写真を合成。さて、この中の一人だけ別の写真からもらってきて貼り付けています。誰でしょう?(だんだん上達してきたでしょ)
プリントしたい会員の方は、大きな画像がリンクされていますのでそれを利用して下さい。


バラ園に集まってきた面々、私の顔を見て開口一番「地球が回るの、なおった?」。
昨日お花を贈ってくれた妹にお礼を伝えたときにも「大丈夫なの?」と聞いてくれたし、今日も友人がわざわざ電話で「ほんとうにもういいの?」と聞いてくれました。MNEMOさんもまたブログで暖かい言葉をかけて下さいました。みなさん本当にありがとうございます。
みなさんそれぞれに私のブログを結構読んでくれているんですね。有り難いことだと胸が熱くなりました。
バラ園でのお茶会の席で「痩せたね」と言ってくれる人も。自分では全くわからないので、そう言われればそうなのでしょう。夜お風呂に入ったときに体重を量ってみたら68.5キロ。最近ではほぼ理想的な体重ですから、前はどれほど太っていたのかですよね。
1月に入院する前は73キロもあり、それが2週間ほどで68キロになり、その後妻の料理が良いために70キロ近くまで増えていたのですが、ここしばらく連日畑仕事をしているためかまたちょっと戻って夏場の目標である67キロに近づいているということです。
めまいの原因は分からないのですが、70を超えるとしばしばこうした症状が現れるといいます。他に異常がなければ一過性の症状だと思われるし、その後の体調は全く問題がないので大丈夫でしょう(腰が痛いのは相変わらずですが・・・)。

これを書いていた9時半頃、熊本で震度7の激しい地震があったとの速報が。九州全域でかなり強い揺れが観測されたようです。
マグニチュードは6.4とそれほど大きな規模ではないけれど、震源が内陸部で10kmと比較的浅いために揺れが大きくなったと思われます。
今回は原発の直下ではなかったようですが、もしこれが川内原発あるいは玄海原発、さらには四国の伊方原発の直下だったとしたら本当に何事もなかったのだろうか。おそらく誰しもそんな思いで背筋を凍らせたのではないでしょうか。
比較的浅い場合は、震源の真上では被害が大きくなる可能性が高いことは当然想定されますから、家屋や塀の倒壊、車両事故など思わぬ被害がありえます。人的被害が起こっていなければよいがと心配です。



  4月13日(水)
今日は1日雨。ときどき降ってくれるのは畑にとっては嬉しいのですが、田起こしをしている農家の人にとっては迷惑な雨です。
池田は、あちこちでまだ桜が満開です。
以下の写真は、最近の我が家の周辺の様子。キジが道路で動かず、車を止めて一枚パチリ。のんびりしたキジでした。









  4月11日(月)
今朝は池田町でもチラホラと雪が舞っていたようです。昨日はずいぶん暖かくて、庭の手入れも結構はかどったのでしたが、今日はまた寒い北風の1日になってしまいました。明日朝はどうやら霜が降りそうな気配です。
池田町は現在桜が満開で、山桜やソメイヨシノが山肌を飾ってくれていて、あと3,4日は楽しめそうです。

朝目が覚めて目を開けると、天井がぐるぐると回っている。ただ回るのではなくて、周りのものが幾筋もの太い線となって回っているのです。目が回るというのはこんなことなんでしょうね。
そのうち、気分が悪くなってツバが異様に出てくる。これはヤバイとしばらく目を閉じて収まるのを待っていましたが、なかなか収まらない。しばらくしてめまいは収まってきたので、ベッドからソファーに何とか移動して妻に異常を知らせました。何しろ声が出ないんですね。出すと吐き気が襲ってくるような気がして我慢するだけ。経験者の妻はすぐに洗面器などを持ってきてくれたり血圧を測ってくれたりしました。血圧はほぼ正常、その他に問題になるような症状は見られなかったので、ともかく安静にして午前中は寝ておりました。
いやいや、年をとるといろんなことが起こるんですね。お隣の方もつい先日同じような症状に見舞われたと言っていましたし、妻も突然めまいで苦しめられたと言っていましたから、年をとると平衡器官に異常が出てくるのでしょうか。それとも何か別の要因があるのでしょうか。
それからずっと頭が重くて夕方まで横になっていたら、ようやくもとに戻りました。今日はひとつの会議が我が家で予定されていたのですが、キャンセルしてもらって別の曜日に。迷惑をかけてしまいました。
ただ腰痛とかケガとは違って、突然のめまいだけは防ぎようがない。節度のある生活をしなさいという信号なのかもしれませんね。

NHK放送文化研究所は毎月世論調査を行っていて、4月の結果が今日発表されました。
放送ではくわしいデータを紹介していましたが、ネットでは内閣支持率や政党支持率程度しか発表していないのはどうしてなのか。
私が注目したのは、放送で「民進+共産の選挙協力に期待するか」という実に「政治的」な設問でした。これには、数%が「期待する」と答えたのに対し、20数%が「期待しない」と答えたというのです。あまりにNHK的な設問に抗議しようと調べたのですが、ネット上では何にも出てこない。
全国の参院選挙区1人区で進んでいるのは「民進+共産」などというものではありえません。安倍政権がそのように宣伝しているだけです。長野県区では政党としては民進、共産、社民の3党が政策協定を結び、それに市民団体が加わっての選挙協力だし、他の選挙区でもさまざまな協力の仕方が模索され、統一の努力が行われているのです。
問題は政党だけのレベルではないこと。安保法案反対をたたかった広範な市民団体・個人がその背景にあることをNHKは意図的に糊塗し、さらには虚偽を報道していると言わざるを得ません。

4月からテレビ界はいよいよ政府広報番組あるいは愚民化ねらいの洪水となりそうな気配です。
雑誌「世界」5月号の特集「テレビに未来はあるか」の冒頭で、NHK「クローズアップ現代」のキャスターを23年間にもわたって続けてきた(昨年度末で降板)国谷裕子(くにやひろこ)さんが、「インタビューという仕事」について語っています。

劇作家の井上ひさしさんが、「風向きの原則」と呼んでいた現象がある。風向きがメディアによって広められているうちに、その風が強くなり、誰も逆らえないほどになると、「みんながそう言っている」ということになってしまう。そしてその中で少数派、異質なものの排除が進んでいく。
最近、ますますそうした同調圧力が強くなってきている気がする。流れに逆らうことなく多数に同調しなさい、同調するのが当たり前だ、といった圧力。そのなかで、メディアまでが、その圧力に加担するようになってはいないか。


国谷さんは、この「クローズアップ現代」でキャスターをつとめ、さまざまな人にインタビューするに際して、「想像力」「常に全体から俯瞰する力」「ものごとの後ろに隠れている事実を洞察する力」の持つ大切さを感じながら日々仕事をしてきたと述べています。そして次のように述べるのです。

物事を<わかりやすく>して伝えるだけでなく、一見<わかりやすい>ことの裏側にある難しさ、課題の大きさを明らかにして視聴者に提示することこそが番組の役割と思えた。

国谷さんの降板については週刊誌やネット上でいろんな「憶測」が飛んでいますが、そのひとつに菅官房長官へのインタビューがあったことはおそらく間違いのないことでしょう。国谷さんもそれを意識してでしょうが、官房長官とのインタビューを異例の長さで紹介しています。
日本では珍しいと思えるほど国際的な感覚を身につけた才能豊かなキャスターゆえに、政権政党と日本社会の狭量な同調圧力の結果、彼女なしでは成立しないほどの番組から降板させられたとすれば、それは単にNHK上層部だけの問題というより、私たち国民の側がそれ相応に加担して引き起こされたことではないのか。その自覚を持つべきであろうと私は思うのです。
批判的精神の旺盛な、それ故政権政党には「目の上のたんこぶ」的な人材を次々とテレビ界から放逐していく結果は、それらの人がいなくなるだけではすみません。
テレ朝では「ニュースステーション」古舘伊知郎キャスターの後任に若手の富川悠太さんを起用、さらに新番組『橋下×羽鳥の新番組始めます!』で、橋下徹をレギュラー出演させるといいます。
テレビ番組といえば、クイズか刑事物か低劣なバラエティしか見られなくなって久しいのですが、その中でもかつて政財界に関わって物議をかもした人物を平気で起用してくる。
「言葉の持つ力」を大事にしたいと言う国谷さんが、先ほど紹介した寄稿文の冒頭を次のように書き始めています。そこで引用されている「ハルバースタムの警告」は現在だからこそなおのこと耳を傾けなければならないと私は強く思わされています。

1993年4月、ベトナム戦争報道で著名なアメリカのジャーナリスト、デイビッド・バルバースタムがNHK放送文化研究所で講演を行い、テレビ報道について警告を発している。
『問題は、テレビが私たちの知性を高め、私たちをより賢くするものなのか、それとも娯楽に適しているという特性ゆえに真実を歪めてしまうものなのか』
と、ハルバースタムは語り始める。そして、
『テレビが伝える真実は映像であって言葉ではない。テレビが伝える内容は単純で、複雑なことは伝えない。苦痛や飢餓を映し出して世界中に伝えることはできるが、複雑な政治問題や思想、さまざまな行為の重要性について伝えることはできない』
とまでのべている。彼は最後に、テレビに携わる人へ向けてこう投げかける。
『テレビによってより深く国際社会を理解できるようになるのでしょうか。複雑な出来事の説明はされているでしょうか。テレビによって私たちは世界をより深く理解するというよりも、恐怖心をあおられるのでしょうか』




  4月6日(水)
暖かい1日。今日も昼前から畑に出て4時間ほど肥料をやったり耕耘機を使ったりで汗を流しました。ようやくだいたい夏野菜の準備ができた感じ。ただ、畝作りをこれからやらないといけませんが。

ちょっと疲れて頭も働かないので、骨休めに先日孫の高校入学祝いに富山に行った折り、お店にあったある本から傑作をいくつか紹介して楽しむことにしましょうか。
その本とは、宝島社の「学力テスト おバカ回答GOLD」という本当におバカな回答集のこと。かつて学校に勤めていたときに、たまにこうした答えに巡り会うこともなかったわけではありませんが、ちょっとここまでは・・・でもあるかもしれないなというものばかり。

たとえば、次のような社会の問題はどうでしょう。

問題1 次の白地図はどこをあらわしているでしょうか。
おバカ回答 @九州 A四国 
ううん・・・・なるほど。小学生の答えなら納得してしまうかもね。

問題2 次の○を埋めなさい。
○ 喜 ○ 憂

おバカ回答 ● 喜 ● 憂
本当に塗りつぶしてしまった。クイズならいいけど、国語なら確かにおバカです。

問題3 次の□に適当な漢字を入れて四字熟語を完成しなさい。
@ 無□□中
A 千□万□

おバカ回答 @無理心中 A千円万引
よほど何かトラウマがあるのかも。一生懸命に埋めようという気持ちは分かるのだが・・・先生をおちょくった回答。

問題4 次の□を埋めて適切な四字熟語を完成しなさい。
@ □光石□(行動などが非常に迅速であるさま) 
A □□一体(異なるものが混じり合い融け合っている様子)

おバカ回答 @出光石油(正解 電光石火) A婚前一体(正解 混然一体)
苦し紛れなのか、それともそのような願望があるのか。確かに異なるものが混じり合い融け合っているなあ・・・。

問題5 次の単語を英語の単語に直しなさい。
@ 半島  A 宿題

おバカ回答  @ halfland(正解 peninsula) A print(正解 homework)
確かに。しかしなんのこっちゃ。こんな回答をさせたのは教師の責任である。

問題6 次の英単語の意味を書きなさい。
@ make A take Bisland 

おバカ回答 @負け A竹 B伊豆ランド
おバカらしい回答。教師もお手上げですね。せいぜいやってろという投げやりな気持ちにさせる答えです。

問題7 次の英文を日本文に直しなさい。
@ Would you mind opening the window?
A Taro was born.
BAfter the high school, Bob entered a law school.

おバカ回答 @ 心の窓を開けてくださいませんか。 Aタロは骨でした。 Bその高校で落第したので、ボブはレベルの低い学校に入った。
Bでは、lawをlowだと思ったのね。身につまされます。・・・何だか昔これに類した訳をしたような気もしてきました。おバカと言っていいのかどうか・・・。

問題8 副詞「ともかく」を使って短い文をつくりなさい。

おバカ回答 イギリスは英国ともかく。
たしかに。副詞の意味が全くわかっていないが頭の回転は悪くない。ともかくよくこんな例文を考えつくなあ。

問題9 下にミドリムシの絵を描きなさい。

おバカ回答  . ←原寸大
いやいやそこまで頭が回るか。小さいことを知っているのはいいんだけど。ヨーするに知らないってことです。

問題10
@ 「いとをかし」を現代語訳に  
A 「ら抜き言葉」の例をあげなさい
B 「足す」の読み方を書きなさい。 

おバカ回答 @チョーウケる Aイオン Bそっくす
@は「趣がある」ってことだけど、その趣なんて現代っ子にはわからんのじゃないかなあ。桃尻語訳の橋本治さんは「とっても素敵」と訳していたんじゃなかったっけ。Aライオンからラを抜けば確かにイオンになります。Bは本当におバカ。でも感じはでている。

問題11 1543年、日本に鉄砲を伝えたのは何人か。

おバカ回答 10人
「なんにん」じゃないだろ。人数にしてもどうして10人なんですかね。

よくまあ、こんなアホらしい問題と回答を集めたもんだと思いながらも、面白くてついページをめくっていたことでした。
実はわたくし、高3の模擬テストで、「島崎藤村の作品をひとつ書きなさい」という問題に「破壊」と書いて教師のひんしゅくをかったことを思い出した。「はかい」という作品名だけは覚えていたんですねえ。相当なおバカ解答に先生おったまげただろうな。



  4月5日(火)
今日も春らしい1日。庭の草取りで1日を費やしてしまいました。このところカラスのエンドウがやたら増えて、しっかり根っこから取らないといけないので勢い時間がかかってしまいます。あと少しです。
それが終われば今度は離れた畑の草取りと施肥、耕耘の仕事が待っています。一昨日まとまった雨が降ってくれたので、耕すには明日辺りが丁度よい頃合いか。

参議院選挙にむけて、長野県区で自民党候補と野党統一候補の一騎打ちの構図が固まり、事前のとりくみも熱を帯びているというニュースが今日のローカルニュースでありました。その中で自民党の選対会議が開かれた模様が写され、「野党は理念政策の一致がないのに野合している」という例のお決まりの「批判」をこれから県民に流していくのだと伝えていました。
理念・政策が一致しているなら自民党と公明党が分立している必要はないのにと私などはすぐに思ってしまうのですが、彼らにはそのような理屈は通用しません。
「安保関連法」という憲法違反の法律をなくし、自民公明の立憲主義破壊の行為を正すためにそれで一致する政党がスクラムを組むということがどうしても理解できないらしい。数の多数にあぐらをかき、憲法違反も何のそのの姿がくっきりと浮かんでくるではありませんか。

それを全国レベルで示してくれたのが、日曜日の政党討論会での高村正彦自民党副総裁の「トンデモ発言」です。
現行憲法の「国民の権利については公共の福祉に反しない限り・・・」を、自民党改憲草案で「公益および公共の秩序に反しない限り」と変えたことについて、日本共産党志位委員長の次のような指摘に対して高村副総裁は何と答えたか。
まず志位委員長の発言から。

さらに言いますと、(自民党改憲案は)「憲法が憲法でなくなる」ようなきわめて重大な内容です。すなわち立憲主義というのは、「憲法によって権力を縛る」というようなものなのですが、(自民党改憲案は)「憲法によって国民を縛る」ーーつまり「公益及び公共の秩序」のためには基本的人権を制約できるという内容が入っている。こうなりますと、立憲主義の全面破壊なんですよ。

さて、それからが問題です。高村副総裁と志位委員長とのやりとりを見てみましょう。(『しんぶん赤旗』より転載します)

高村 それから何ですかその、公の秩序、私も正確なことは・・・。
志位 「公益及び公共の秩序」です。
高村 「公益及び公共の秩序」、そのことは、今の憲法の「公共の福祉」という言葉を置き換えただけです。
それはまったく違います。
高村 「公共の福祉」が(人権の)制約要因にしている。そのことはわかりにくいからそれを置き換えただけです。
志位 「公共の福祉」を言い換えたものだとおっしゃいましたが、「公共の福祉」というのは、いろんな人権がぶつかり合ったときにそれを調整する概念なんですよ。あなた方が出している、「公益及び公共の秩序」というのは、上からの、国家目的のために人権を縛るというもので、まったく違う。そういう意味でも立憲主義の破壊です。
高村 それは全く違います。「公益」というのは、まさにそれぞれの人権の衝突を・・・。
志位 それは「公共の福祉」という概念なんですよ。
高村 「公共の福祉」なんていうい言葉はね、わかりにくいですよ。いままでの日本語から言ってね。
志位 いやいや、人権がぶつかりあったときに調整する概念です。
高村 われわれの概念も同じです。
志位 違います。
高村 われわれが作ったものをわれわれが言っているわけだから。


ツイッターなどでは、「自民党は平気でウソをつく」「弁護士資格を疑う」などの書き込みが。その通りで、本当にひどいウソ八百の発言ですね。自民党副総裁がこんな発言をするんですよ。事実を知らない国民に対して公共の電波を使ってデタラメを並べる。これって詐欺師の手法でしょう。
まず、自民党自身に語ってもらいましょうか。


「憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです」とちゃんと書いていますね。あるツイッターの書き込みで「自民党憲法改正案起草チーム自身が、『公共の福祉』と『公益及び公の秩序』は違うし、相互の人権が衝突した場合にだけ『公共の福祉』を理由に人権が制約されるという説を採用しないと言ってるのに。高村氏はなぜそんないい加減な事を言うのか」と書いているのはまさに正鵠を射た指摘です。
「基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではない」とあけすけにその狙いを書いているのですから恐ろしい。
このq&aの意味するところは、第1に国民主権に裏付けられた現行の規定を「公益及び公共の秩序」とすることで、国家が個人の基本的人権を制約できることを示したこと、第2に「緊急事態条項」と連動して、基本的人権を完全に国家の統制下に置けるようにしたいとの意図を持っているということです。

前にも触れたことがありましたが、「緊急事態条項」には、本当に恐ろしいことが書いてある。「公益及び公共の秩序」への変更は明らかにこうした事態を考えているからこその措置だということです。

3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。・・・

自民党改憲草案そのものが、国民主権から国家主権へ180度転換しようとしているわけですから、その意図はますます明瞭です。それを示す最たる証拠は、改憲草案の次の箇所です。

<憲法尊重義務>第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重する義務を負う。


現行憲法の規定と見比べてみると一目瞭然。「天皇、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」が尊重義務を負う、つまり主権者たる国民が権力を縛る憲法という立憲主義の性格を、根本からひっくりかえして、国家が「国民に守らせる」憲法につくり変えようというわけです。こうした流れのなかに「公益及び公共の秩序」という文言が滑り込まされていることを絶対に見逃してはならないでしょう。



  4月4日(月)
昨日の小森陽一さんの講演は、さすがに9条の会を引っ張ってきた方だけあって、安倍政権と市民+野党の対決構図について説得力のある話を聞かせてくれました。
それをまとめるとなるといささか困難で、現在テープ起こしをやっている最中。もう一度聞き直して、大事なところをまとめなければならないかなと思っています。




雨上がりの今日は、事務局の一人とともに「町民の会」よびかけ人の一人のお宅を訪問して情報交換をしました。野党統一はきまったけれど、さてどのようにして勝利に結びつけるのか、さらに衆参同日選挙となるとまた様相ががらりと変わってくるので気が抜けません。情報をしっかり集めて、力を集中できるようにしていくことがこれからの課題です。

夜は妻が会議で出掛けているのを幸いに、久しぶりに映画鑑賞。かなり前に録画した「ジェーン・エア」です。
原作はもちろんシャーロット・ブロンテの同名の小説。発表が1947年という大英帝国絶頂期のビクトリア期ですから、産業資本が大いに伸びていく時代を背景にしてはいますが、テーマはむしろ幼少期に薄幸だった一人の女性の自立と愛のかたちを描いています。現代版のジェーン・エアができあがるほど今日のいろいろな問題との共通点を持っていると私には思えました。
この映画では主人公が叔父の莫大な遺産を継ぐことになりますが、それさえも真実の愛のもとではむしろ支障になるというくらいの描き方。
貴族エドワード・フェアファックス・ロチェスターの館で家庭教師をし始めた頃、広大な庭と地平線を窓から見ながら家政婦頭の女性に次のようにつぶやくシーンが胸を打ちます。

女性も男性のように活動できたらいいのに。
あの地平線が女性の限界と思いたくありません。
もっと力があれば克服できるのに。
この目で見てみたい。


傷つきながらも女性の尊厳と自立した個の確立を求める一人の女性を描いた作品だからこそ国を超えて訴える力を持っているのでしょうね。この映画はそうした力強さを静かに描き出していました。



  4月3日(日)
松本ではあちこちで桜が7分咲き。一挙に華やかな雰囲気がただよってきます。
我が家でも前にも書いたとおり、黄色の花がたくさん。春本番という感じになってきましたよ。松本の桜と庭先の花たちを一挙公開。
















今日は、午後から大北9条の会主催、9条の会事務局長の小森陽一さんの講演会に出掛けてきます。



  4月2日(土)
午後から穂高各界連主催の「穂高みらいフォーラム あづみ野のつどい」に参加しました。後半のパネルディスカッションのパネラーに要請されていたからです。
この日の集会には地元の方々や近隣市町村のみなさん約100名が参加して盛会でした。行く前は、他の場所での集会と同じように平場でやるのかと思ったら、穂高の立派なホールだったので、ちょっとびっくり。
集会では主宰者挨拶のあと山口光昭さん(「憲法9条を守る県民過半数署名を進める会代表」)が戦争法の狙いや安倍政権の意図、私たちのたたかいの展望について基調講演。
とくに、戦争法を許さないたたかい、つまり国民主権の発揮と民主主義の高揚が戦後70年間で最大規模に達していること、それを背景に参議院一人区での候補者統一が進んでいることに確信を持とうと訴えたことが印象に残りました。
ややもすれば、安倍政権がとどまるところを知らず暴走していることにあきらめの気分になりがちですが、戦争法が通ったあとも途切れることなく全国で運動が進んでいること、地域に広がりをみせていることが何よりの反証ですからね。


そのあと、3人のパネラーと山口さんがアドバイザーとして登壇。登ってみると上からの照明が余りにも明るくて開場がよく見えません。こんなに明るくしなくてもいいのにと思いつつ、発言の順番を待ちました。
持ち時間が1人5分というなんとも言いようのない短いものでしたが、池田町でのこれまでの取り組みを紹介しながら、会を運営する上で留意してきたことなどについての経験をお話しました。
私以外には、穂高で「スタンディングと歌」を中心に活動している「あづみの民衆の会」の方が発言。参加者の個性を生かして活動を進めていると話していましたが、比較的女性の方が多い団体のようでした。
もうひと方は、豊科の男性で、一人で約1000筆の署名を集めたというものすごい行動力の人です。数もさることながら、ご本人も語っていたように「署名の質」がとても大事だという点はすごく納得。この方は行動後に記録をつけて、自分で訪問し対話した人が491人、うち258人から署名をもらい、239人には断られたと報告されていました。「見ず知らずの人間が突然訪問して署名をお願いすれば当然警戒される。しかし、それでも過半数の52%の人が署名してくれたということは、戦争法が必ず廃止できるという確信を与えてくれている」と話して、最後に大きな拍手を受けていました。



  4月1日(金)
午後から妻とともに今年初めて本格的に畑に行きました。耕耘機を使って固くなった土を耕し、さらに相当に蔓延った雑草を根から起こして取り除いて、少しは畑らしくなったのか。
両側の大きなキュウリハウスでは、老夫婦が力を合わせてビニール張りをしていました。
「ちょっといつもより早いんじゃないの」と聞くと「いんや、いつもの通りだよ」とご婦人。張り終われば接いだキュウリの苗木を大量に植え込むのでしょう。
ハウスのない我が畑では、夏野菜の植え込みは霜を避けて例年通り5月連休明けになります。ただ、ゴーヤや落花生の種の植え込みは4月下旬。今年は畑が違うので、トウモロコシに再度挑戦してみようかなと思っています。
いずれにせよ、いよいよ畑仕事のシーズン。晴れた日にはバラ園と合わせて畑の畝作り、施肥などでかなり忙しくなりそうです。

さて、「今日は何の日?」と聞けば、たいていの人は「エイプリルフール」と答えると思うんですが、私にとっては実は遙か昔出会ったある一人の女の子(いつか手紙を紹介したことのあるその人です・・・)の誕生日なんですね。今でもこの日が来るとたまに思い出すことがあります。
今日は、その思い出話を書こうというのではなく、その人が1日誕生が遅れたら一緒の学年ではなかったことの方です。つまり4月1日生まれが1月生まれの私と同じ学年だという「不思議」についてです。
実は今日の今日まで、なぜ3月31日生まれまでで切らないで、そんな奇妙なこと(4月1日生まれを早生まれとすること)をするのかという疑問を解決しないままでいたんですよ。ちょっと調べればすぐにわかることなのに。
その根拠は民法第143条、学校教育法第22条にあるんですね。要するに 4月1日生まれの人はその前日の3月31日に年をとるのです。そして学校教育法第22条の規定によって、小学校なら「満6歳に達した日の翌日以降における最初の学年の新学期(4月1日)をもって小学校の就学が始まる」とあるわけですから、4月1日生まれは早生まれとなるという寸法です。
う〜〜ん、長い間教師をしていてそんなことも知らなかったのかと言われそうですが、小中の教師ならいざ知らず、高校での教師時代には生徒の誕生日などはほとんど考えませんからね。・・・といいわけしつつ、初恋の相手がそうであったらなおのこと調べてもよかったのにとは思います。
というわけで、民法上は私は1月29日生まれですから、1年が満了する1月28日に1歳年を重ねるということになるわけです。
運転免許証は誕生日の前日まで有効ですから初日算入。年齢の場合、初日不算入とすれば起算日の4月1日が年を取る日ということですが、民法は初日参入の原則をとっているのでこんなことになるんですね。
お誕生日祝いはお誕生日の祝いであって、1つ年を重ねたことを祝うなら誕生日の前日にしろということかな。もうこの年になるとどうでもいいことだけど・・・。
ついでに2月29日生まれはどうなるのか。当然誕生日は○○年2月29日ですが、うるう年以外の平年は2月29日または3月1日を「みなし誕生日」とするということらしい。日本の場合は1歳加齢する前日の28日を「みなし誕生日」とするのがほとんどとネット上にはありました。ナルホド。




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