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  8月31日(水)
残念ながら東北・北海道を襲った台風10号によって大きな被害が。高潮はそれほどでもなかったようですが、過去に例をみない豪雨によって堤防決壊・洪水が引き起こされてしまいました。
現地の人たちにとっては、こんなことはいまだかつて考えられもしなかったことでしょう。日本列島全体がやはり何が起こるかわからない不安定な状態になっていることを実感します。お亡くなりになった方々には深く深く哀悼の意を表しご冥福をお祈りいたします。

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「しんぶん赤旗」のコラムで知って、見逃したことを悔しがっても終わった番組はもどらない。それは21日深夜放送のTBS番組、報道の魂スペシャル「米軍が最も恐れた男〜あなたはカメジローを知っていますか?」です。
沖縄では、戦後知らない人のいないほど有名な一人の男。私の妻も妻の母も子どもの頃からよく知っていて「カメジロー」と呼び捨てにしていたほどだといいます。その演説を聞いた誰もが満足な顔をして帰ったというほど人の心をつかむ演説の名手でもありました。妻の同級生は、父母に止められても、こっそりと演説を聴きに言ったといいます。
「カメさん」の著作は過去に何冊か読んだことがありましたが、その本からは、心底沖縄を愛し沖縄に住む人々を愛し、それゆえ「利己心を捨て」不正義を決して許さずたたかい抜いた彼の生き様が浮かび上がってきます。
それゆえ誰からも愛され慕われたカメさん、その志が今も沖縄に脈々と行き続けている・・・番組はそのことを映像を通してくっきりと浮かび上がらせていました。
これほどの番組がTBSで制作されること自体驚きです。深夜番組とはいえ、製作にあたったスタッフの心意気が伝わっても来る見事な映像です。・・・と見てきたように書いていますが、実はあるサイトで見ることができるのです。
著作権があるので、決して勧められることではありませんし、いつ削除されてもいい状態ではありますが、カメさんの「沖縄のこころ」に免じて今回だけは許していただくことにしましょう。こちらです。

沖縄高江ではヘリパッド建設の工事が依然として多数の機動隊員に守られながら進められて、N1地区では県道からN1までの道路の9割が完成したと報じられていました(琉球新報31日)。
N1裏での抗議行動に対する沖縄防衛局の弾圧は激しさを増し、まさしくアメリカ軍の先兵としてどんなことでもするという傍若無人ぶり。本土では台風報道の影で何がおこっているのか全くわからないようにされていますが、現地では沖縄戦直後の米軍による土地取り上げを彷彿とさせる事態が日々進行しているのです。
30日午後には座り込み・監視活動を続けている県民のテントを大勢の機動隊員が通り抜け、ビデオ撮影をするなど徴発行動を行い、激しい抗議を受けました。(琉球新報のビデオあり)
また、H、G地区でも工事の着工が9月1日以降に予定されていて、ここでも工事用車両が通れるように道路の造成が進められようとしています。(右の地図 沖縄タイムスより)
高江メインゲート前では車両の通行止めが行われたり、機動隊員の暴力については見て見ぬ振りをしながら住民の抵抗は「暴行」だとして被害届を出したりとこれまたやりたい放題。
一方、沖縄戦や戦後の土地取り上げの記憶が今も残る伊江島でも、村には何の連絡もなく米軍基地の機能強化の工事が始まろうとしていると報じられていました。
政府の方々にとっては、やはり沖縄は日本ではないのでしょう。さもなくば、アメリカに提供した生け贄なのか。



  8月30日(火)
異例の進路をたどった台風10号。まもなく宮城県あたりに上陸するといいます。雨による土砂崩れ、洪水、大潮による高潮など、何が起こるかわかりませんから、台風の進路にあたる地域の方々には、とにかく命を守ることを最優先に備えてください。
この台風、しばらくニュースから消えたことがありました。ちょうど沖縄に向かっていたものが南に下がり始めたころで、「おかしいね、どこにいったのかね」と話していたことを思い出します。
日本近海で生まれたので、他の台風とは見劣りがすると思ったのか、修行に出掛けてもどってきたのか、これからの台風は、本当に何が起こるのかわかりません。ひょっとしたら、超大型のスーパー台風がまっすぐ東京辺りをめがけていくつもやってくるなんてことが起こらないとも限らない。
沖縄では、台風が来ないことで海水温が下がらずサンゴの白化がすすんでいると報道されていました。これまで何万年もかけて作られてきた自然のサイクルが人間活動によってどんどん壊されていくとすれば、そのつけは自ら払わなければならないのでしょうね。
幸いこちらは高山に囲まれていることもあって風はなく、雨が降っているだけ。気温が下がってくれて、それだけは私にとっては大変うれしいことです。
昨日夕方2時間ほど畑にでて、土起こしを「ゆるゆる」とやってきました。周りの田んぼは稲が黄色くなってまもなく収穫時期を迎えます。秋の気配濃厚な季節になりました。
畑では夏野菜はほぼ終わりを迎え、収穫する野菜も変形したものが多くなっています。ただ、秋に収穫する落花生がまた何かの動物に掘られて食い散らされていました。カラスのようでもあり、ハクビシンのような大型の動物のようでもあり、またまたネットを張らないと・・・。家から離れたところに畑があると、いろいろと問題が発生して気が抜けません。

さて、今日は夕方、久しぶりに「戦争法に反対する池田町民の会」のよびかけ人会儀をひらきます。目的は、これまでの総括をしながら今後の活動について話し合うことです。
参議院選挙が終わって以降は、スタンディング行動をやった程度で、ほとんどそれらしい活動をしてきませんでした。緊急に何かをしなければならないという時期ではありませんから、腰を落ち着けてじっくり作戦を練り上げるべきでしょう。

今日はMNEMOさんの誕生日。いろいろ思い巡らすと、あの頃、かっこよく颯爽と歩く姿や「でかい声」で生徒に語りかけていたくMNEMOさんの姿が今も浮かんできますよ。
それから年月を重ねて、私などのように「めでたくもあり、めでたくもなし」の年齢にそろそろ近づいてきたんですかねえ。感無量です。
とはいえ、この日は一年を無事で過ごして次の一年に迎える節目を迎えるという意味では間違いなく喜ばしい日。早く体調を整えて、音楽活動に全力を集中されるように心から願っています。



  8月28日(日)
権力を行使する末端の人の言い分はつねに「命令された以上、それには逆らえない。命令通りにやるだけだ」というものです。
確かに、組織の一員で有る限りは一旦命令されれば実行するというのは当然でしょう。だが、自分で納得して従うのと、そうでない場合とでは意識の持ち方が180度異なります。
ドイツでは「抗命権、抗命義務」があります。抗命権とは「人の尊厳を傷つける命令には従わなくてよい、違法な命令に従ってはならない」ということで、ドイツでは法律にこのように記載されているといいます。
実際、イラク戦争は国際法違反で米軍には協力できないと任務を拒んだある少佐が裁判で無罪になったことがあったと2014年に朝日新聞が報じました。
では、日本ではどうか。旧日本軍のあり方、自衛隊の発足の経緯から見れば、上官の命令には絶対服従と教えられているでしょう。自衛隊法に抗命権があるなどとは聞いたことがありません。日本の警察でも同様です。それこそが沖縄辺野古や高江で、沖縄防衛局、警視庁や各県の機動隊が、県民の確固とした民意、道理を尽くした住民の声にも全く耳をかさずに強権をふるい続ける温床となっている。

たとえば、政府・環境省は今年の6月20日、沖縄の北部の一帯を「やんばる国立公園」に指定すると決定しました。しかし、その中央部には米軍の北部訓練場がある。当然指定区域にはその訓練場は含まれません。
では米軍訓練場のある場所は「わが国を代表する傑出した地域」ではないのか。そんなことは全くありません。現に、特別保護地域、第1種特別地域とされているところは米軍演習場に囲まれているか、隣接するところばかりだからです(図は琉球新報6月21日付け社会面記事より)。図の北部演習場を指す矢印の先端から真東の海岸寄り、細い薄紫の線のところが東村高江です。

ところで、その米軍演習場でいま何が起こっているのか。今日の琉球新報は、「北部ヘリパッド 防衛局が大規模伐採 切り株、直径20センチ超」と題して、ヘリパッド建設のために県道沿いのN1地区ゲートからN1裏ゲートに至る工事現場で大規模な樹木の伐採が進行していることを報じていました。しかもフェンス、金網を設置して密室状態での工事。琉球新報は、さらに防衛局が工期を短縮するためにG地区では通行車両台数が当初予定の約4倍になるとされ、動植物、周辺住民に大きな影響が考えられると書いていました。
現地で抗議行動を続ける北上田さんは、次のように書いています。

機動隊は、小型レッカーをタイヤに装着してジャッキで上げて車を移動させていく。
そして機動隊の壁が作られ、砕石を積んだダンプトラックが前後を数台の警察車両に守られて通り過ぎていった。まさに「砂利は厳重に警護され、県民の人権は踏みにじられる」だ。
昼は、N1裏のテントに集まり、簡単な集会。奥の様子を見に行くと、高さ4mほどの板柵で完全に封鎖されてもう全く通れない。しかも内側には鉄条網まで設置されている。
ここは米軍基地ではなく国有林だ。こんなゲートを作ると、国有林を管理する森林管理署の職員も中に入れないし、マングース駆除の作業員らも通れない。防衛局は、工事用道路のための国有林の使用承認を得ているにすぎず、国有林を封鎖することは許されない。 板柵の間から中を覗くと、防衛局職員や警備員らが無言で立ち続けていた。
写真は「チョイさんの沖縄日記」より





北部やんばる全体が将来の世界自然遺産をめざした国立公園指定の場所であるなどという自覚は、おそらくこの作業にあたっている方々の誰の頭にもないはずです。ただ命令に従って「粛々と」作業を続けるだけ。
誰かに聞けばやはり「職務ですから」「上の命令・指示に従っているだけですから」という答えが返ってくるはずです。そして、たとえ取り返しの付かない自然破壊をしたとして、全体として誰も責任をとることないしくみ。こんな国であれば、戦争への道も実にたやすいことだろうなと思わずにはいられません。
もちろん、現地では必死の抗議・抵抗活動が続けられています。たとえ、いまは全国民の目にはふれなくても、その抵抗の火を守り、広げ、より多くの人に届ける努力だけは続けなければなりません。



  8月27日(土)
テッサ・モーリス・スズキさんの「愛国心を考える」と、永井幸寿さんの「憲法に緊急事態条項は必要か」の2冊。これまでは新書が中心でしたから、今度はちょっと軽いものをと思って、岩波ブックレットから2冊を選んで読んでいたら、逆にいろいろと考えさせられてしまった。
読むだけなら直ぐ読めちゃいますが、内容がコンパクトなだけによけいにずしりとくる。こんなはずじゃなかったのに。
テッサ・モーリス・スズキはイギリス生まれで若くしてオーストラリアに移住した歴史学者。おつれあいは知る人ぞ知るギャンブラーの森巣博(ただし本人は公式に表明はしたことがないらしい)さん。
戦前の「上からの愛国心」を考察するくだりは今日の「日本会議」のあり方を考える上で大変参考になるのではないかと思います。極右のみなさんが「家族」を殊の外重視する理由についても貴重な示唆を与えてくれていました。
永井さんの本では、緊急事態条項に関連する問題については、日本国憲法下において法制化は十分におこなわれていることを精緻にあとづけつつ、国家の緊急権がかえって事態の解決を阻害するものであることを解明。まして、自民党の改憲案における緊急事態条項は、ナチスと同様の授権法で、「独裁条項」ともいえるもので、ナチスの国家緊急権よりも危険であると断じている点が注目されます。
ブックレットであることを考慮してか、話は具体的で分かりやすく、学習会などのテキストとしては最適だと思われました。

今日は午後から遅くまで、松本での「こどもじゅく」と、それに続けてのアルバイト。
今日受け取った事務局からのメールでは、中学生が多くなっていて個別に面談をすることにしたのでよろしくということでした。子どもをとりまく家庭環境や学校での生活はさまざまだし、将来の希望も十人十色ですから、よく話を聞いてきちんと対応しないといけません。

昨日から今日にかけてのニュースの一つが、「共謀罪」法案を9月臨時国会に提出しようとする政府の動きです。名前を変えても、その狙うところは同じ。暴力団などを対象にしているように見せかけながら、「安保関連法」および「機密保護法」「国民保護法」とセットにして国民支配の道具にしようとすることは明らか。「陰謀を巡らしている」と見做すのは警察であり、その裁量には際限がありません。盗聴、メール監視なども思いのまま。はじめは共産党などの政党や労働組合、民主団体などは対象とはならないといくら説明しようが、仮に「緊急事態条項」を憲法に書き込みさえすれば、政令で改変することなどたやすいことだからです。
どの法律もすぐには動き出さない。すぐにやればバレバレだからです。「有事」またはそうだと政府が判断する事態には、すべてが連動して「監視国家」「恐怖国家」「戦争国家」の骨組みをつくるのです。そうなれば、もう歯止めはきかない。
ことほどさように、これらはすべて「戦争法制」なのですが、それをくい止められないとき、将来の歴史家は現在を何と評価するのでしょうか。いやいや、これは使い古された言い方ですが、孫やひ孫たちから「あのときお父さん、おじいちゃんはどうしていたの?どうしてダメだと言わなかったの?」と聞かれて何と答えるのか。賢い子なら「絶対に戦争しないと誓ったはずなのに、同じことをまたやったの?その責任はだれかとったの?」と聞いてくるかもしれませんね。



  8月26日(金)
こんなとりとめのない、まとまらない駄文を長々と書くのは、引き籠もりになっているからに違いない、そう考え今日はちょっと外に出てこようと思い立って、今から日本海を見にでかけます。
このところ妻はいろんな会議やらボーリングの練習やらで忙しく日中はほとんど家にいないので、私もたまには一人ででかけるか、というわけ。気分転換です。
畑に行こうかとも思ったのですが、この前土起こしをしていて、痛い腰をさらに悪化させたので、しばらく土いじりはやめ。本屋に行って本を買い求めるのもなし。何にも考えずに、潮風にあたるのもいいんじゃないかなあ・・・






台風の影響なのか、小谷で30度、糸魚川に入ると31度と、海に近づくにつれて次第に気温が上がり湿度も上昇。車の中は幸い冷房が効いて心地はよいのですが、いったん外にでるとモワーという空気に覆われて、気持ちの悪いことこの上ない。
それは海岸でもいっしょ。潮風どころか風もなく海は凪いでどんよりと暗かった。糸魚川周辺は(どこでも同じですが)護岸テトラで覆われ、広々とした海をみるところなどほとんどない。今回は親不知とは反対の能生方面に向かったのでよけいにそうでした。
それでも、愛車の軽トラを飛ばしてドライブしてちょっとすっきりしましたよ。午後3時にはもう池田に戻りました。
夜に入って、池田はものすごい豪雨になっています。外に出て帰ってこないハルちゃん、どこでどうしているのやら・・・。



  8月25日(木)
今日も暑い1日。午前中のバラ園の整備作業も時間短縮で早々に終了しました。
帰って昼過ぎに庭を見ていたら、飼い猫のハルちゃんが何かくわえていそいそと帰ってきた。ネズミか・・それにしては日中だし・・・と思ってよく見たら、大きなトカゲ。まだ生きていて逃げようとするのを追っかけて遊んでいる。
そのうち、「しっぽ切り」で二つに分かれたトカゲにビックリして、一瞬たじろいで本体を追っかけようとしたけれど、もう石の隙間に入られてしまい、次にピョンピョンしているシッポを不思議そうに見ていて、そのうち諦めたようでした。いままでトカゲなど捕まえたことがなかったのに、何を考えているんだか。

このところ書くことがつい長文になって、今日もある方に「よく書くねえ」と言われてしまった。すいません。
性懲りもなくまたまた、長い「小論文」を書きますね。ま、気が向いたらお読み下さい。

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戦前、とくに中国大陸への侵略を強め、さらに太平洋戦争へと突入していく1930年代後半以降、日本を支配していたイデオロギーの一つが「皇国史観」であったことは紛れもない事実です。それが、戦後も「成長の家」や各種神社、遺族会、自衛隊OB会などを通して根強く残り、新たに再生産されてきました。
それが現在もなお連綿と受け継がれていることには驚くばかりです。しかもその背後に不気味な足音を聞いてしまうのは私だけではないはずです。
一体こうした思想的な背景に何があるのか、なぜこれほど執拗に根深くこうした考えが残っているのか、それをどう考えどう克服していけばいいのか。今後とも少しずつ考えていきたいと思うのです。日本会議などの極右の動きとどう対決するのかを考える上でも、このことはとりわけ重要だろうと思うからです。

「大東亜戦争」の政府・軍部のイデオローグとして有名なのが超国家主義者である徳富蘇峰です。以前、彼の書いた「必勝国民読本」を紹介したことがありましたが、そこには「日本会議」などの底流にある国家観がまとめられているのですが、それについても書いたことがありました。
日本会議との関連で今日はどうしても改めてそのことについて詳しく見ておきたいと思うのです。
蘇峰の思想は当時の多くの日本人を「洗脳」していた考え方ですし、いまなおその信奉者がいるのですから、決して無視できないものだと私は考えています。

その前にまず、日本会議の見解を見ておきます。
ホームページでは、「日本会議の目指すもの」の中に「美しい伝統の国柄を明日の日本へ」と題する一文があります。

皇室を敬愛する国民の心は、千古の昔から変わることはありません。この皇室と国民の強い絆は、幾多の歴史の試練を乗り越え、また豊かな日本文化を生み出してきました。
多様な価値の共存を認め、人間と自然との共生を実現してきたわが民族は、一方で伝統文化を尊重しながら海外文明を積極的に吸収、同化して活力ある国を創造してきました。
125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝というべきでしょう。私たち日本人は、皇室を中心に同じ民族としての一体感をいだき国づくりにいそしんできました。


ここには控えめながら、日本の伝統の美しさが「皇室との一体感」「皇室の存在がわが国の誇るべき宝」とされ、「常に揺るがぬ誇り高い伝統ある国がらを、明日の日本に伝えて」いくことが日本会議の目的であることが主張されています。。
「皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、『同じ日本人だ』という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています」とも書いています。こうした認識を個人として持つことは一向に差し支えないことですが、これを「国民運動」として展開し、国民全体の意識として広げようとしたり、まして憲法・教育基本法にまで書き込むとなれば次元の異なる話となることは明らかです。
言うまでもなく、こうした考え方は唐突に出てきたものでもなければ、特定の集団の特異な考え方でもありません。戦前にこの国のいわば「国定」の歴史観として人々の頭の隅々にまで染み渡っていたものでした。

では、あの侵略戦争に全国民を動員するための思想的な教本としての「必勝国民読本」を書いた徳富蘇峰はそこで何と主張しているのか。
まず明治以来次第に強められてきた皇国史観について彼は次のように語ります。

この慌ただしき変化(他国が「原始人の移動」の如き移動・転変を繰り返していること)の間において、日本のみは三千年来、今なお古(いにしえ)の如く、古なお今の如く、万世一系の天皇統治の下に、大和民族はここに皇室を中心として生活を続けている。これをしも奇跡といわねば何を奇跡と言うことができよう。(略)
日本人種がいずれの方向よりいかにして日本に来たりたるか、もしくは本来日本に永住しるか、それらの問題は他に研究者がある。我らはただ日本の正史である「日本書紀」の神代巻によって、我が日本国は天神によって肇造(ちょうぞう)せられたるものと信じ、その以前に遡ることは専門家の研究家に譲る。(略)
日本は天皇のしろしめす国土なれば、これを皇国と称するは当然であり、人民は天皇の臣民として、祖先以来継続し来たりたるものであれば皇民と称するは当然である。同時に天皇は現身神(あきつかみ)に在(お)わし、現身神のしろしめす国であれば神国と言うべく、また神国に居住する我らは神民と称するも、決して不遜ではあるまい。
かくの如く日本が変化極まりなき世界年代の大波乱の中にあって、あたかも太陽の中における大なる巌石の如く、巍然(ぎぜん)として動かず、一の国家とし、一の民族として存在するは、まさにこれ日本国民のために存在するばかりでなく、世界二十億の人類のために存在するとものと言うも過言ではあるまい。(略)したがって、我ら国民は単に日本の国家を擁護するばかりでなく、世界の師表となり世界を善導するべき重大の責任あることを明記せねばならぬ。


彼はこれに続けて、戦争の原因がアングロサクソンのアジア支配にあり、日本の戦争は「自存自衛」のためだとし、天皇の宣戦の大詔にふれて「大東亜戦争」についての日本の役割を次のように述べていました。

我らが勝ち抜かなければならぬということは、決してそれには止まらない。日本は東亜の指導者である。このことはすでに日独伊三国の条約においても明文がある。(略)この「指導者」ということは日本が自ら進んでその役目を買って出でたというわけではない。明治37、8年戦役以来、アジアの諸民族は皆日本を認めてその指導者としていた。(略)したがって今日の日本は一億日本国民を背負って立つばかりでなく、十億アジアの同胞を背負って立つところの、有史以来未だかつてなき一大責任を負うこととなった。これはもとより我が肇国の国是たる八紘為宇の大精神を実現する所以にして、日本歴史の行程から見ればこれまた自然の発展と言わねばならぬ。

蘇峰にしてみれば本気でそう考えていたのでしょう。徳富蘇峰を「東条の太鼓持ち、在野最大の戦争責任者」と酷評していたのは清沢列。まともな批判精神があれば戦中でもきっちりとその本質をとらえられたのです。
ところがどっこい。今の今でも、この手の「神がかり」的輩がうようよいるのです。
先日のオリンピック閉会式で安倍首相が登場する際にマリオという幼児的演出を考案し提案したのは森喜郎だというニュースがありました。
日本の政界に隠然たる影響力をいまだに持つこの老人が2000年5月15日に「神道政治連盟国会議員懇談会」の席上のあいさつで言い放ったコトバがつい思い出されます。それはWikiによれば次のようなものでした。

日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く、そのために我々(=神政連関係議員)が頑張って来た

直後の国会では共産党志位委員長が鋭く追及をしました。だが、その後もこれに類する発言は枚挙にいとまがありません。
最近では、先の参議院選挙で当選した自民党三原じゅん子議員が「神武天皇は実在の人物」と発言(私もニュースを聞いていた)したことが記憶に新しい。中継での池上彰氏とのやりとりは唖然とさせるものでした。
さらに、山谷えり子参議院議員。今年2月11日「建国記念日」にあたって「神道政治連盟」ホームページへ寄せた一文には次のようにありました。

日本の建国から二六七六年、国の礎を築いた祖先たちがいたおかげで、今ここにいます。(中略)
四年後には『日本書紀』の編纂から千三百年の年にあたります。その中で初代神武天皇は、主に三つの建国の理念を掲げておられます。要約すると「国民一人一人はおおみたから≠ニして大切にすること」、「道義国家をつくること」「世界が家族のような国家となること」です。このようなすばらしい理念のもとに、日本の歴史が繋がってきています。そして日本は世界最長の二六七六年の歴史があります。長いと言われるデンマークで千百年、イギリスで千年弱です。こうしたことを知らない日本人は多いし、またそれを教えられてこなかったのは残念に感じます。


日本会議や神道政治連盟国会議員懇談会に名を連ねるこれらの人たちの主張は驚くほど似ています。と言うより、全くの同根であることがよくわかります。こうした発言は、過去にいくらでもあったし、おそらくこれからも何度でも出てくるのでしょう。

戦前の歴史観が何故これほどまでに現在もなおこれほどの広がりを見せているのか。精神的な底流の一部を形成し続けているのか。
こうした神がかり的な発言は、神がかり、すなわちある意味で宗教的な背景を持たなければ考えにくいものです。特定の宗教というより、それに対する極めて深い親近感、心酔、傾倒・・・のような心情といった方がいいかもしれませんが。
「日本会議」について書いた本のそれぞれが、「成長の家」をはじめとする新興宗教の「宗教的」教義に一つの源流を見ています。それが国家神道を担った明治神宮、靖国神社を中心とする神社本庁の皇国史観、旧日本軍のエリート参謀や軍人たちの意識と結合して幅広い底流を形成してきたことは間違いのない事実でしょう。
そこには、あの戦争がやむにやまれぬ自存自衛の戦争であり、決して好んで他国を侵略しようとして行ったものではないという意識、あの戦争ではアメリカの物量によって負けたが決して精神的に敗北したのではないという屈辱感、そして米占領軍によって国土が踏み荒らされ憲法まで押しつけられたことへの強烈な反発、その裏返しとしての、この国が皇室を中心として栄え続けてきたという他国に例を見ない「美しさ」への回帰願望などが形を変えて繰り返し見られます。
ただ、ほとんどの場合、冷静な学問的な追究の結果としてではなく、宗教的あるいは感覚のレベルでほとんどはとどまっているように見受けられます。ただ、戦前からの意識を今にとどめている右派の論客とされる大学教授たちもいて、それらの理論づけを行っているので「正統性」を得ているように見えるのです。
家族にそうした強固な宗教的信条を持つ者がいた場合、子ども達に影響を与えることはいくらでもあることです。その場合にも、今日の個人が分断化され将来に見通しが持てない中で、上記の意識が継承され、より深く結合され、それらが渾然一体となって「愛国と宗教心」へと容易に精神的回路が開かれるのであろうと私には思われます。

「愛国と信仰の構造」(中島岳志さんと島薗進さんの対談)の中で、島薗さんは、「個人が砂粒化した現代では、民族や国民というものがかえって強調されるようになったり、あるいは宗教の力を借りて国家や社会の秩序を維持しようという気運が、上からも下からも生まれてくる」「それと同時に、中国や韓国に対抗しなければならない、という民族主義的な考え方もつよくなってきています」と述べて、「そうしたナショナリズムと宗教が結びついて興隆するのが日本の特徴」だとして、戦後「国家神道を『捨て去った』という見方を私は強く疑っています。今も脈々と国家神道は生きている」と強調しています。
国家神道が今日も残っていると主張する島薗さんは、GHQが解体したのは「国家と神社組織との結びつき」であって「皇室祭祀は大方残され」のであり、「国家神道の主要な構成要素は神社組織ではなく、むしろ重要なのは皇室祭祀と不可分の天皇崇敬」だったのだと分析しています。
島薗さんの考えでは、明治初期から中期まではすぐに国体論が広まったわけではなく、国民の中に皇道や国体論の教えが刷り込まれていくのは、1890年に教育勅語が発布された後のことだとし、重要な視点を提示しています。島薗さんは次のように述べます。

1890年から1910年あたりの20年間で、国家神道を普及させるさまざまな制度やシステム(注:学校行事や教科内容、軍隊の訓練、戦勝記念行事や天皇の結婚式など)が確立していきます。そうなると、国家神道は国民自身が担い手となる「下からの」運動という性格を帯びていく。つまり、民衆自身が自ら自発的に国家神道の価値観を身につけ、その価値観をもとに行動していくのですね。

国内の主な宗教組織(大本教、日蓮主義、国柱会など)がそれ以後教義に自ら国家神道を取り入れるような有様となり、生活の困窮・社会不安の増大の中で庶民の不満を吸収する「国体論と結びついた宗教運動」が支持を広げていくことになるのです。
国家神道が上からだけではなく「下からの運動」として国民の血肉となっていったという指摘は極めて重要です。この「下からの運動」を今日下支えしているのが、1920年代、30年代に基礎を形成し今日なお影響力を持つ新興宗教団体や修養団体です。敗戦、米軍による占領、新憲法の制定という激変にもかかわらず、いやそれだからこそ「人々と天皇の大御心が一体化したものが日本の透明な共同体であるという発想」をバネとして庶民のなかで野太く生き延びてきたといえるのではないか、そのように私には思えてなりません。

「信ずる」者の目からは、いくらそれが悲惨なものであっても、戦争加害の実体は見えません。いや見ようとしないのです。侵略していく他国について、多少の混乱(実は重大な大規模な加害)はあっても、それはその国から「望まれたもの」であり、その過程での被害・加害であって、大局的には自存自衛のための派生的問題にすぎないという「言い訳」は常に用意されています。
「望まれない相手」であれば、相手が余りにも暴虐で、それを懲らしめるための行動が必要なのだと大仰に理屈がつけられます。

それ自体「真善美の極致たる日本帝国は、本質的に悪を為し能わざるが故に、いかなる暴戻なる振る舞いも、いかなる背信的行動も許容されるのである!
丸山真男 現代政治の思想と行動、第1章 超国家主義の論理と心理 未来社


「丸腰でどうやって中国の脅威に立ち向かうのか」「左翼にこの国の美しい歴史を壊されてそれでいいのか」など、超国家主義を準備する大義名分はいくらでも作り出せる。そうやって、いまストレートにではないにしろ、戦前とほぼ同型のファシズムが忍び寄ってきています。
島薗さんはこの本の終わりに次のように語ります。

戦前とパラレルに進んでいる戦後において、全体主義がやはりよみがえるのか、と問われれば、答えはイエスです。もうすでに現在の日本は、いくつかの局面では全体主義の様相を帯びていると考えてもいいでしょう。
もちろん、戦前とは大衆の熱の帯び方が違います。「下からの」というより「上から」静かに統制を強めるような、冷めた全体主義です。


「大衆が支える全体主義」について中島さんは「アメリカという後ろ盾を失った時、その不安に日本人が耐えられないのではないか。・・・大衆が支える全体主義は、アメリカの撤退後に起こるのではないかと考えている」と話していますが、これはどうか。
むしろ、「日本会議」がめざすものは、草の根の国家主義運動であり、「下からの全体主義」なのだとみるべきではないのでしょうか。
この国の支配層が、北朝鮮や中国の出方を意図的に操作し、「下からのナショナリズム」を利用しつつ、一挙に改憲と全体主義の国家作りに突き進む恐れが強まっている、と私は考えています。



  8月24日(水)
昨日、富山県9条ファンクラブからいつもの「ニュースレター」が届きました。毎月12〜16ページ建てで、今日の政治・経済の諸相を的確に解説してくれているその熱意には頭がさがります。
事務局長は「執筆者が高齢化していつまで続くのか」と不安げなコメントをしていましたが、そうした組織的な問題は全国どこにでもある深刻な問題です。にもかかわらず、現在の政治の「さらに深刻な状況」を打破するために、それぞれの分野で死力を振り絞ってたたかっている。
私に言わせれば、私たちの年代では「やれる限りのことはやる」しかし、「仮にその結果がどうなろうと、あとはこれからの世代が後を継ぐのか継がないのか、あるいは新しい形の運動を生み出すのか、それは次の世代の決めることだ」と考えて、いささか楽観的です。楽観的というより運動は当事者が担うしかないという考えなのです。
たとえば、改憲が行われ、日本が再び他国を侵略し、あるいはどこかと戦争することになったとしても、防ぐために命がけでたたかったとして、結果としてそうなったとしても、それに対する責任は次の世代が負うしかない。総括をするのは私たちではありえない、ということです。
かなりの年齢になった私のような人間にできることは、最大限のネットワークをつくり、よりよい社会をめざすために死ぬまで努力し続けることであり、子・孫の世代が再び侵略戦争に加担することのないように人々の輪を広げることしかありません。この「ニュースレター」の精神もまさにその一点にあるとみて間違いないでしょう。
それゆえ、何が何でも続けるのだという迫力を毎号受け取って読んでいるのです。

今号の特集は、安倍自民党が狙っている改憲の突破口は「緊急事態条項」であること、続いてその改憲運動の背景に極右団体の「日本会議」があることに力点を置いています。
出色なのは、自民党改憲草案にある緊急事態条項が、明治憲法とそっくりであり、それゆえ@第一にこれによって瞬時に改憲ができること、A軍部独裁体制を容易に作りあげることができることを明治憲法条文と対比して解説していることです。
私もかつてこの緊急事態条項について詳しくとりあげたことがありましたが、あらためて深くこの意味を考えて見る必要があると思わされています。

ところで、この1ヶ月ほどで、「日本会議」に関する本をかなり読み込みました。
たとえば、先にも紹介したことのある「日本会議の研究」(菅野完 扶桑社新書212)、続いて「日本会議の正体」(青木理 平凡社新書)、「日本会議の全貌」(俵義文 花伝社)、「日本会議と神社本庁 「週刊金曜日」成澤宗男編著 金曜日」。このほかに週刊金曜日8/5号「日本会議と憲法」があります。
また、関連書籍として「愛国と信仰の構造=全体主義はよみがえるのか」(中島岳志+島薗進 集英社新書)、「国家神道と日本人」(島薗進 岩波新書)、「靖国の戦後史」(田中伸尚 岩波新書)、「いま『靖国』を問う意味」(田中伸尚 岩波ブックレット)なども目を通しました。ここまでくるとちょっと食傷気味。まとめて何かを書こうという意欲も減退してしまいます。
これらについてはおいおい紹介もできるでしょうし、私の考えもまとめていくことができるでしょう。今日は一つだけ、各本でも強調されている日本会議の運動の進め方=左翼運動につきものだった「草の根運動のテクニック」を取り入れ、地域と中央を結びつけた相互交流的な運動を大規模に執拗に続けてきた点=について見ておきたいと思います。
彼らが、地方自治体に意見書採択を求めたり地方議員に署名を求めたりする全国キャラバンを実施して初めて成功したのが「建国記念の日」の制定運動と「元号法制化」運動でした。
ケネス・ルオフは自著「国民の天皇ーー戦後日本の民主主義と天皇制」の中で「彼ら(右派団体)は民主的な政治秩序の中で、運動を成功に導く秘訣を学んだといえる」と書いていると青木さんは「日本会議の正体」で紹介しています。
それもそのはず、日本会議の事務局の主なメンバーは、遠く1960年代後半、社青同に占拠されていた長崎大学を彼らから「解放」することに成功した体験を持ち、それを土台に「長崎大学学生協議会」(椛島有三議長)、「九州学生自治連絡協議会」、「全国学生自治連絡協議会」へと広げていった経験をもつからです。樺島は今日なお日本会議の事務総長の座にあって実権を握っています。
そしてさらに重要なことは、それらの人々が「成長の家学生会全国総連合」に参加していたメンバーであったこと。
出自のそのそもから、「生長の家」と「右派学生運動」という刻印を押されていたということです。
彼らの戦術は、最初の成功体験以降ほとんど変わっていません。まず右派の著名人を先頭に立てた全国組織を結成し、多くの国会議員、地方議員を取り込み、事務局は「生長の家」原理主義者ががっちり握る。資金については神社本庁、明治神宮などとの提携の中で潤沢に用意し、地方での組織化に力を入れて運動の全国化をはかる。草の根のダイナミックな運動を作りあげるという手法には、かなりの洗練されたやり口が見られます。
樺島は次のように主張しています。

(安倍総理が誕生するという)このような憲法改正の機会は戦後70年において初めて起こったことであると思えば、歴史的事件が起きているとの自覚に立たなければならないと思います。(略)与えられたチャンスは1度と定め、与えられたチャンスを確実にする戦いを進めていきたいと思います。
(「日本協議会『祖国と青年』2015年5月号」)


第2次安倍内閣で首相補佐官に就いた生学連出身の参院議員・衛藤晟一も次のように言う。

安倍晋三内閣は憲法改正のために成立した。最後のスイッチが押されるときがきた。
(「美しい日本の憲法をつくる国民の会」設立総会 2014年10月1日)


過去数十年にわたって自らの宗教的信念に従い、愚直に粘り強く取り組んできた戦前復帰の運動をようやく結実させるときが来たという高揚感が彼らにはみなぎっているのでしょう。それだけ本気だということです。
彼らと切り結ぶ場所は、他でもなくいま私たちが住む場所であり、そこでの改憲民意の過半数獲得こそが彼らの意図するものだとすれば、こちらも本気で安倍改憲阻止と憲法の条項の発展的展開の住民運動をあらゆる手を尽くして太く大きくすべきなのです。
言い変えれば、いま私たちが地域で展開している「町民の会」のような取り組みは、単に戦争法を廃止し安倍改憲を阻止する点に焦点を当てるだけではなく、地域での彼らとの対決をも視野に入れて彼らの策動を許さない柔軟で幅広い運動を構築することが求められているということです。決して彼らを侮ってはいけない。
もう少し付け加えれば、彼らが「成長の家」、長崎大学での「正常化」から出発しているとすれば、60代後半から70代半ばまでの、私の世代と重なるのであり、それだけこの世代に責任があるということです。
この点に関連してですが、青木さんの60年代の学生運動についての認識には間違いがあります。(下の注)

安倍は任期を3期9年にまで伸ばしても改憲を最後までやりとげようとするでしょう。その切り口は多くの指摘があるとおり「緊急事態条項」と「家族条項」にあります。それ以外のお試し改憲などは眼中にないと見ておく必要がある。
この「緊急事態条項」さえ通せば(歴史に学べば意図的に中国との衝突事件を起こしても中国脅威論を拡大する危険すらある!)その他の改憲も、民主的な運動の弾圧もマスメディアの支配も、何でも可能となってしまうからです。そのとき第9条は実効性のかけらも失い、私たちはその死亡通知を受け取ることとなる。
それから憲法の全面改定=自民党憲法草案の実現までかかる日数はそれほど多くはないはずです。
いま、この国がそこまで来ているという実感をどれほど多くの国民が持てるのか。そこにこの国の未来はすべてかかっていると言っても過言ではありません。

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(注)青木さんは、次のように書いています。

60年安保闘争に続き、いわゆる全共闘運動へと連なっていく端境期の1966年。国公立、あるいは私学を問わぬ全国の大学のキャンパスは新左翼系セクトの学生たちに席巻され、各校の学生自治会は、彼ら、彼女らが主導権を握る運動の拠点と化していた。

私が東北地方の一大学に入学したのは1964年、卒業が1969年ですから、まさしく当時の運動の当事者です。青木さんは1966年生まれですから、生まれた年の出来事はわからないのは当然で、当時のメディアの書いたことに左右されているのでしょうか。
関東から西はわかりませんが、少なくとも東北地方での学生運動(東北大学、岩手大学、山形大学など)は、マスコミで騒がれていたような極左派の運動とは全く異質の見事な統一戦線的民主運動を作りあげ、全共闘派の入り込む隙間は全くありませんでした。
とくに東北大学では、バリケードストライキなどはあり得ず、学生特有のアジ演説もなし。そのかわり、粘り強いクラス・学科、学部自治会での討論と一致点での行動は真剣そのもの。学生一人ひとりへのオルグなども当然手間暇かけてやっていた。要求での団結、一致点での行動、民主的な運営といった、今では当たり前の行動原理に私たちは当時からこだわっていたのです。
その結果として学園民主化のものすごい全学ストライキを戦い抜いたのでした。2000人(全学生8000人)の学生・教職員が延々と川内市内をデモ行進したことは今も忘れられません。わずか数10人がバリケードを築いて暴力的に学校を封鎖したり学生自治会を牛耳るのとは考え方もレベルも違う。
先の参議員選挙で東北地方での野党統一候補の勝利の原点には、大学で民主的な運動の手法を学び多くのオルガナイザーを輩出し各県に散っていった当時の人々の力があることは間違いないと私には思えてならないのです。

証拠になるかどうかわかりませんが、私もほとんど忘れかけていた当時の写真を紹介しましょう。これは多分1967年ごろ、アメリカのベトナム侵略反対、大学の自治擁護全国学生統一行動の集会が大学内でひらかれたときのもの。今から見ても全く違和感のない、普段着の「ぐるみ闘争」風景です。いわゆる全共闘型とはまるで風景が違います。
一番上は集会参加者の一部。数学科の学生たちを中心に写しています。中央の数学科の旗は私が書いたものです。当時私は看板書きが専門だった。
2番目は、何故か私が集会宣言を読み上げている。足下にご注意。ゲタ、スリッパ、長靴・・・。闘争スタイルとは縁がありませんねえ。それもそのはず、みんな授業を受けた後、討議を経て決議などを採択して集まってきているのです。3番目は数学科の仲間たち。あまりに懐かしくて涙がでそう。









  8月23日(火)
台風一過、さわやかな空が・・・と思ったら、まるで違う。いまだにジメジメとした熱い空気が充満して、ちっとも晴れ晴れとしません。
このごろ、あまり深い眠りが得られなくて、午前中ずっと身体がだるい。頭も痛い。きょうも朝妻が会議とボーリングに出掛けたあと、グダグダと午前中を過ごしてしまった。

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「有明山の上の有明の月」をMNEMOさんが見たらなどう詠むだろうと二日前に書いたところ、さっそくMNEMOさん、散歩しながらあれこれ推敲しつつ次のような歌を詠んでくださいました。

(安曇富士なる有明山に向かひて詠める)
有明や西行も歌へ今この月


歌に続けて、「西行さんが有明山を通過したおよそ800年前、その折詠んだのは心細さばかりが際立つ歌だったけれど、Mooさんが見た有明の月付きの有明山を法師が見ていたなら、と思ったのだ」とコメントされてもいました。


出家して諸国を漂泊していた西行が安曇野を訪れたのはよく知られたことですが、通ったのは池田ではなく松川の方。平安時代末期から鎌倉時代当時でも安曇野一帯はそれなりに道も出来ていたのでしょう。
安曇野でも最初の征夷大将軍坂上田村麻呂による討伐伝説が残っており、私の家から200メートルもないところに「おたね池(おたな池とも)」があって、八面大王討伐に差し向けられた田村麻呂がここにしめ縄を張りこの水で身を清めたという伝説が残されているほどですから。(私の住む集落の地名を七五三掛(しめかけ 注連掛)と呼ぶ由来なのでしょうか)
要するにそれほど昔から平安京や東国からの往来があったということです。
さて、西行さんに話を戻すと、現在「細野」という地名が残る千国街道沿いだったのかどうか、まさに有明山の真東にあたるところ辺りで詠んだ歌が次の歌です。

信濃なる有明山を西に見て心細野の道を行くなり

私などは池田町に来た当時、この信濃富士の別名を持つ有明山が「じゃま」で仕方がなく(存在感がありすぎて北アルプスの景観を損ねると感じた)、恨み辛みの目で見ていたのですが、このところ少しは「理解」できるようになってきましたっけ。
今から800年も前のこととなれば、松川は有明山の両側を走る川の扇状地に赤松が群生し、わずかに高瀬川に沿って道ができていたような気がします。それはそれは心細い道だったろうと思われます。その西行さんが、朝まだき、黒く聳え立つ信濃富士を目がけて落ちていく大きな満月を見たとき、まさしく「ありあけの月」が我に降り来たったと心弾む思いをして一句したためたのではないか・・・我が家を訪れて有明山を何度も見たMNEMOさん自身の感慨も込めて西行さんを偲んで詠んだ歌ではないのでしょうか。
写真で見ると、月はタダの点にしか見えませんが、実際に見てみると月はずいぶんと大きいのです。
虫たちがすだく声だけの清涼な空気、青みがかってきた空、ようやく日を浴びてきた麓のまだ黒い有明山、そうした趣や気配まで写せないのはただ残念と言うほかありません。

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話は一転します。
「うたごえ」といえば、今では懐メロに近い感覚で、ときどき年配者が昔を思い出しながらにわか作りの喫茶店で合唱をするという程度しかお目にかからなくなりました。もちろん地域にはコーラスグループもあって、私なども声をかけられたくらいですから歌声運動が廃れたわけでは決してありませんが。
20代、30代には私たちが若い頃歌ったうたを聞いてもらっても、おそらくほとんど理解不能なのではないでしょうか。その逆もまた同じですが・・・。
時代時代の歌というものがあり、それは色濃くその時代の雰囲気や生活、感情などを反映しています。ポップス然り、演歌しかり、ロック然りでしょう。
私が20代の終わりから30代くらいにしきりに聞いていたのはやはり反戦歌のジャンルが多かった。労働運動、母親運動、保育運動などさまざまな民主運動の中でつくられた歌も含みます。
その当時、中央合唱団の選抜者で作られたアンサンブルケーナというコーラスグループがありました。世界の優れた歌や曲を積極的に紹介する当時としてはまれな存在で、実力も高いグループでした。
彼らの「哀しみのソレアード」は私の青春のいわば記念碑のような歌になったし、彼らの合唱やその中心にいた太田真季の澄んだうたごえは挫折も多かった私の心を満たしてくれていたのです。
アンサンブルケーナが紹介した歌の一つに「鶴」というのがあります。このブログをお読みの方は多分ご存じないかもしれません。もしご存じなら、歌声運動にかなり関わっていた方かもしれませんね。
つい先日、YouTubeを辿っていたら、偶然この「鶴」をロシアの若い方が歌っているのを見つけました。しみじみとしたこの歌もさることながら、今から40年ほど前につくられた歌が若い世代に歌い継がれていることに驚いたのです。
日本ではどちらかというとシャンソンっぽく歌う方が多いようで、アレンジも歌詞の訳もやり過ぎで私の感覚には合いません。このアンサンブルケーナの歌詞と歌い方にやや近い日本の男声合唱団によるものもあります。だがあまりにも暗い。
またロシアのYouTube版では戦争映像に重ねて歌われているものやナショナリズムと結びついたものも多いのでこれまたクサかったり重たすぎたりする。この手の歌は本当に難しい側面を持ちます。

この「鶴」という曲は、自治共和国ダゲスタンの詩人R・ガムザトフが作曲し、N・グレーブネフによって露訳され、Y・フレンケルが作曲したとされているもの。ネット上では、ガムザトフが日本の原水禁世界大会に参加してインスピレーションを得たと書いているもの(こちらのブログ)もありますが、私にはどうもマユツバのように思えます。来日しヒロシマを訪れているのは事実のようですから、何らかのきっかけはあったのかもしれませが、それはあまりたいしたことではありません。
第2次世界大戦時、ソ連の多くの兵士がナチスドイツとの祖国防衛戦の中で倒れた記憶はまだロシアの人々にとっては生々しい記憶であったろうことは間違いないことだし、ソ連政府とソ連国民の思いの落差もまた大きいものがあったろうと思われます。
たたかいで倒れた兵士が(ロシアの伝説のように)白い鶴となって大空を飛んでいくイメージを、平和への祈りに重ねて歌い上げるこの歌詞とフレンケルの美しい旋律が、瞬く間にこの曲を世界に広げていったのだろうと私には思えました。
日本でもダークダックス、ボニージャックス、ロイヤルナイツなどの男声グループが歌ってはいますから、年配の方はひょっとして聞いたことがあるのかも(私は聞いたことがなかった)。しかし、日本語の歌詞となるとアレンジされすぎで、もとの詩の原型をとどめていないものがほとんど。ひどいのになると「英霊」まででてきてしまう。

初めに戻って、アンサンブルケーナの歌の感動をさらに増幅し、しっかりとこの曲の持つ意味、旋律の素晴らしさを伝えるロシアの二人の歌声をここに収録しておきます。
はじめは、若い歌い手アレクサンドラ・ベリコヴァと少年合唱団による「鶴 (Журавли) 」。歌詞はガムザトフの詞そのもので日本語字幕もついていますからとても聞きやすい。叙情的でのびやかな歌声が素晴らしい。他のものと聞き比べてみてくださいね。


もう一つはロシアの名前が読めないバリトン歌手(その後ドミトリー・ホヴォロストフスキー氏と突き止めた)によるコンサート映像。涙を流して聴いている年配の方が印象的です。このような中堅の世代にしっかり歌い継がれているのは羨ましい限りです。この人の「鶴」を含むコンサート全体はこちら。コトバが分からないけれどこちらのコンサートも素敵です。
世界的な歌い手が、人々の苦しみや哀しみに寄り添って歌う・・・この国でもそうした機運を若い世代の中で是非とも生み出していってほしいと願わずにいられません。


最後に日本の男声合唱団を紹介しましょうね。歌詞はアンサンブルケーナと同じ。ただし前にも書いたように重くてしみじみしすぎ。


ついでなので、私が大学生だった頃、よく歌った歌に「全世界民主青年歌」というのがありました。学生運動に参加されていた方ならおわかり(ただし、全共闘関係の方はスターリニストの歌として拒否されるかも)ではないんでしょうか。
実に50年前の歌ですよ。当時はこれまた世界中に広がって、ことあるごとに歌っていたものでした。「ソ連時代の社会主義ブロックのスポーツ・文化祭典である世界青年学生祭典の第1回大会(1947年)で発表された」とYouTubeでの公開者が書いていました。
懐かしさのあまりここに載せるのですが、これが昨年6月の映像だというから驚きです。ロシアでは、全く明るく元気な行進曲風に、若い世代に取り上げられているのです。この方が私にとっては驚き。
涙が出るほど懐かしい歌が、こうして明るく元気によみがえっているのは実に楽しい。
紹介者が書いていたように、野球かオリンピックの応援歌みたいなアレンジで面白い。そんな時代もあったんですねえ。






  8月22日(月)
ジャーナリストの「むのたけじ」(本名武野武治)さんが亡くなった。101歳だというから大往生ですね。
むのさんが詞集「たいまつ16年」を刊行したのが1963年、私が大学に入る1年前のことでした。当時東北では、彼の名は学生たちの間ですでに知れ渡っており、オピニオンリーダーとしてまさしく「たいまつ」的役割を果たしていたのでした。
それもそのはず、秋田県横手市で自営による小新聞でただ一人「体重をかけたコトバ」をつむぎ続けた反骨の人として知れ渡っていたし、希望を求める学生たちの導きの印でもあったのですから。
しかし、私自身は学生時代に、名前は知ってはいても「たいまつ」自身は目にしたこともなかったし、詞集も手にしたことはありませんでした。わざわざそうしなかったのではなくて、ただ機会がなかっただけです。
その後折に触れて名前を聞くことはあっても、詞集を取り上げて読んでみようという気にはならなかった。今度は、もっと別の関心事と当面の生活が私自身を覆い尽くしていたからでした。
今から何年前だったか、もっと前だったか、ずっと気になっていた合本の「たいまつ」を手に入れたのです。本の奥付をみると、長野に移住するほんの少し前だったらしい。それでも、この本とじっくり向かい合う気になれなかった。
どうにも「箴言集」的なコトバの編み方が、怖いというのか上から降りてくるというのか、そんな気がしていたのでした。コトバの過剰になれた私、コトバは多くなくては伝えることができない、そんな日常に彼のコトバは染み渡るはずもなかったのです。
いま、目の前に分厚い彼の「たいまつ」を取り出してきて開くと素直に向き合うことができます。従軍記者としてあの戦争に加担した痛恨の反省を踏まえて、敗戦の直後から紡ぎ出した彼のコトバを私は私なりのやり方で「すりつぶそう」と思うのです。彼自身つぎのように語っているのですから。

六〇四句(1967年版)の中からせめて一句をあなたの胸に受け止めてほしい、とは私は願わない。一句を、一句だけを受け止めてあなたの体重ですりつぶしてほしいと願う。そうすれば、それはあなたのコトバとなり、私のコトバとなってはねかえり、そして二人のコトバとして成り立つであろう。

彼は自分のコトバを撃てとは言っていません。「体重ですりつぶしてほしい」です。
「すりつぶす」ためには、まず自分の中に取りこまなければいけませんね。それから、自らの感覚と行動とコトバをもってその意味するところを想像し批判し、場合によっては作り替える。晩年に近づいた彼の思索と行動には、大きな疑問を持ってはいますが、それは若き頃の彼の営為を少しも汚すものではありません。

昨夜、二人の若者(私にとっては相手が40歳でも大変な若者です)と、自分のやってみたいこと、今日の若い世代の人たちの考えや行動、この町のことなどについて、いろいろと語り合いました。二人とも問題意識の鋭い方で、本当に頼もしい。もっともっと年代を超えて人々のネットワークをつくっていこうと約束してお別れしました。
むのさんが灯した「たいまつ」は、こうした若い世代によって必ず受け継がれていくことでしょう。

昨日のお昼過ぎには、「戦争法廃止、安倍改憲阻止」を訴える街頭でのスタンディング宣伝。猛烈な日差しにクラクラしながらビッグ前でのぼり旗を掲げて立っておりました。





  8月20日(土)
バタバタと日が過ぎていった感じ。娘の家族が子猫を連れて3日間来て、その後妻の高校時代の同級生が訪問、松本での仕事などが続いて、ちょっと気ぜわしい数日でした。
今朝は金沢・福井での母親大会に参加する妻を送ってようやく一人になってテレビなどをみていたところです。
早朝、外に出てみると満月を過ぎた月が有明の山の端に沈みかけていました。まだ夜が明けたばかりで麓は暗い。足下ではコオロギが鳴き、青々とした稲穂が揃い、すっきりと晴れた空に白い月。これぞ「ありあけの月」。
MNEMOさんなら一句浮かぶところなのでしょうが、私には「ああ秋に近づいたなあ」という程度の感慨しか浮かばない。情けない。




時たま見ていたオリンピック、日本の選手達の活躍が光りました。今日の男子400メートルリレーは見事と言うほかありませんでしたね。また、バドの奥原選手もよかった。大町ではバドミントン銅メダルの奥原選手を称える垂れ幕があちこちに。あの礼儀正しい競技姿勢にはこちらの襟も正されるようでした。
ただ、私には「メダル、メダル」と煽るメディアの報道姿勢にいささかうんざりしながら、それほどオリンピック漬けになるような気にはなれなかった。
選手なら誰でも勝利したいと念じメダルを狙うのは当然でしょう。しかし、同時に他の優れた選手と競い合い、それから学ぶことも忘れてはならない。「金以外は意味がない」「金がとれなくてごめんなさい」などという言葉を聞くと、複雑で悲しい気持ちにさせられてしまいます。
選手には、力一杯たたかった後は、勝てば素直に喜び、負けても他者の力強い美しいワザを称え新たな闘志につなげる気持ちを是非とも持ってほしいもの。メディアも、もっともっと世界の選手たちのすぐれたワザや力を子ども達に知らせるつとめがあるのではないでしょうか。オリンピックをロシアや中国のように国威発揚の場としてほしくないなと思います。

次は、娘の家族とのスナップその他の写真。娘が連れてきた子猫のガリゾウ(ヘンな名前ですが、聞くと家にもう一匹いるレオと合わせるとガリレオになるのだとか)は、やんちゃ過ぎるガキネコで、動くものなら何でも飛びかかり見知らぬ私にはウギャー、フーの連発。暴れ回っていました。さすがのハルちゃんもたじたじで逃げ出して遊んでやろうともしませんでした。








昨日、沖縄高江ではお盆を挟んで工事再開かというので、500名以上の市民がゲート前に集まってヘリパッド建設反対の集会が開かれたといいます。詳細は、北上田さんの記事をぜひお読み下さい。
那覇ではこの日、知事による辺野古埋立承認取消に対する「不作為の違法確認訴訟」の第2回口頭弁論があり、知事が本人尋問に立ち、是正の指示に従わなかったことは違法な「不作為」には当たらないと主張、「このような事態が繰り返されると、日本の民主主義・地方自治は今後大変な困難を窮める」と述べたと琉球新報は伝えていました。全国からの応援をさらに沖縄に寄せたいものです。



  8月16日(火)
今朝はずいぶん涼しかったので、昼前に畑に。9月の植え付けに向けてやることがたくさんあるのです。
妻が高校野球(とくに今日は3回戦嘉手納高校が出ていた)に熱中しているので、そのスケジュールに合わせなければならない。出掛ける頃から風は心地よいのに日差しがものすごく強く、土起こしをしていると汗がダラダラ。目はクラクラ。日が高くなってからの畑でしたから、1時間ちょっとで引き返さざるを得ませんでした。
午後には西日も強くて、もう外に出る元気はなくなりました。夕方には息子とは時間差で富山の娘の家族がやってくるので、妻は買い物などその準備。

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自民党の「終戦記念日にあたって 党声明」の書き出しはこうです。
「本日、71回目の終戦記念日を迎えるにあたり、先の大戦で犠牲となられたわが国並びに全ての国の英霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます」
「犠牲」には大きくわけて、@ある目的のために損失となることをいとわず大切なものを捧げること、A災難などで死んだり負傷したりすること、の二つの意味があります。
@は、「大義のために地位も財産も犠牲にする」などというときに使いますから当然犠牲を払う主体があります。
Aは「3.11大震災の犠牲になる」などというときに使いますから「〜の犠牲になる」という使い方になります。
「戦争の犠牲になる」という言い方はよく見かけますが、自民党声明の場合はこっちにあたるのでしょうね。
この場合には戦争での加害・被害という側面は捨象して客観的に数字のうえで死傷者を評価する場合に使います。たとえば、15年戦争でのアジア・太平洋地域での犠牲者は2000万人以上・・・というように。
自民党は「今、私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上に築かれている」と書いています。さてこの「尊い犠牲」のなかに無謀な死の行軍を強要され飢え死にした将兵は含まれているのか、本土防衛の盾とされた沖縄の軍民(多くの朝鮮の人々もいた)は含まれているのか、そして甚大な被害を受けたアジア・太平洋の国々の人々は含まれているのでしょうか。
今日の「平和・繁栄」があの戦争の「尊い犠牲」のうえに成り立っているという言い方は正しいのか。
考えるまでもなく、これはあの戦争の性格が問われなければ絶対に成立しない命題です。だからこそ自民党声明は、戦争責任の所在、犯罪性を一切問わない言い回しに終始し、あたかも戦死者が崇高な使命に殉じたというものがたりを作って今日の人々に語りかけざるを得ない。そして、「日本が自存自衛・アジア解放をかかげてたたかった戦争の大義を自らのものとして国家のために一身を捧げた」という当時の支配者の「国民支配のものがたり」をよみがえらせなければならないのです。
靖国神社に昨日参拝した高市総務大臣と丸川オ・パ担当大臣が記者団に「国策に殉じた方々に尊崇の念を持って感謝の誠をささげた」などと平然と答えたのは、その考え方に骨がらみになっているからに他なりません。
昨日も書いた「餓死した英霊たち」は無謀な戦争の被害者であって単なる犠牲者ではありません。もちろん多くの将兵は餓死する前には当然アジアの人々に対しての加害者でもあったでしょう。その中には、「日本人」とされた朝鮮からの人たちも大勢含まれていました。
アジア諸国を侵略し多大な被害を及ぼしたあの戦争の実相を明らかにするどころか、戦争を美化し正当化するために、あの戦争に駆り立てられた人々を「国策に殉じた方々」と言い募り「靖国の神」として祀る愚かさを、いつになったら克服できるのでしょうか。



  8月15日(月) その2
今日の産経新聞は「終戦の日 先人への礼欠かぬ和解を『譲れぬ価値」再確認する時だ」と題する主張を掲げています。
相変わらず中国・北朝鮮・ロシア脅威論を前面に押し出し、安倍陣営の旗振りの役割を嬉々としてつとめていらっしゃる。たとえばこうです。

わが国の歴史や国民の名誉をおとしめる余地がもし残っているとすれば、真の和解や問題の解決に結び付くものではない。
国に尊い命をささげた軍人・軍属と民間人計310万人に頭を垂れる際、「日本の未来を任せてください」と胸を張って言えるかどうかである。

公布から70年を迎える現行憲法の改正が重要なのは、自国の防衛に責任を果たし得ない状態を放置してきたような、政治的呪縛からの解放を意味するからである。

日本の名誉や国益に関し、譲れない一線を今一度確認しておく必要がある。日本をおとしめる曲解を認めず、嘘を正していく努力はより大切になる。

他国の不当な干渉を排除する象徴的な行為として、安倍首相には靖国神社への参拝を再開することを求めたい。


感想を聞かれても、ただただ「サンケイ」という言葉しか出てきませんが、終戦記念の日にこうした言説に接するたびに、この国に今なお巣くう反知性と意識の後進性を思い知って暗澹たる気持ちにさせられるのです。
たとえば、こんな地図はいかがでしょう。これは今週の「しんぶん赤旗」に載せられたあの戦争当時にアジア・太平洋で「戦死」した将兵のうち、餓死(戦病死含む)者の割合です。




食糧も現地徴発だけ、武器も満足に持たされず、ただ地図で描いた道なき道を歩かされ、命尽きた兵士たちは、自らの意志でそうしたのか?これは国によって殺されたのではないのか?「死を最高の名誉」と教え込まれ「玉砕」させられた兵士たちは「国に尊い命をささげた」人たちだったのか?
赤旗の記事で証言する河原井卓さん(102歳=シンガポール陥落作戦当時28歳)は、「この誤った教育が悲惨な結果を招いた。兵士の死は犬死にであり、絶対服従の至上命令によって強制された死だ」と語っていますが、これは単なる一人の意見に過ぎないのか?
サンケイはおそらく、「戦争だからそんなことがあったかもしれない。しかし否定的な面ばかりではない。日本軍を歓迎しいまなお遺骨を守っている現地人がいるではないか」などと「アジア解放戦争」を強調するのかもしれません。
今日までの歴史学は、膨大な第1次史料や証言などを調査・蒐集・分析し、サンケイのような主張が歴史恣意的に作り変える「歴史修正主義」であることを明白にしているのです。
にもかかわらず、こうした言説=南京事件、慰安婦問題、靖国史観、東京裁判、「大東亜戦争」肯定論など=を性懲りも無くに持ち出す背景には極めて政治的な意図がある。それを承知で繰り返し繰り返し垂れ流すのはナチスのやり方と同じです。
「2度と戦争はごめん」という空気を何としても押しとどめ、改憲までいきつくことに社運をかけているのだから、私たちも心してどんな表れも見過ごさず、具体的な史実、証言に基づいて批判を強めなければなりますまい。
ああ、またサンケイか、などといっているうちに、簡単にこうした言説はある現象や事件を境に実に簡単に蔓延し、条理を尽くした反論にも全く「聞く耳を持たない」状態へと移行してしまうことに最大限の注意が必要です。
これこそナチスの台頭を一般民衆が熱狂的に歓迎してしまったドイツ、人々が侵略戦争に駆り立てられているとも自覚できなかったこの国の歴史から、いま私たちがくみ取るべき教訓ではないのでしょうか。



  8月15日(月)
一昨日から息子の家族が「里帰り」していて、食事がてら午後1時頃見送りに行ってきたところです。
お盆はどこも混んでいるので孫も含めてほとんど外には出ないで家でのんびりの休暇になったようです。
池田町は外に出ている子ども達が続々と帰ってくるので、お盆の人口は多分3〜4倍になっているのではないかと思われます。
13日には池田・松川の花火大会があるので、どこの家でも外でバーベキュー。我が家でもご多分にもれず炭火を起こしてベランダでBQ。お隣さんと競い合っての食事会となりました。ハルちゃんは食べるものがないためか、庭で見物。




14日には地域の第4回夏祭りが開かれ、全員で出掛けました。今年は集落センターが建て替えのために取り壊されるとあって、お別れのイベントもあり盛会でした。
女性陣は生ビールがお目当てのようで、カップに注いでもらって嬉しそう。
それぞれの家庭の家族が子ども連れで帰省しているために、この日集まっている半分くらいは子ども。こんなに子どもがいたかと思うほどですが、あと1,2日もすればジジババばかりが取り残されることになる。つかの間の賑やかさとはいえ、これだけ子どもがいることを実感できるだけで意義のあることだと思わされたことでした。




さて、今日はお昼前から久しぶりの雨になり作物には待望の慈雨。夏野菜も終わりにさしかかりつつあるとはいえ、まとまった雨が降ってくれるのは嬉しいことです。息子夫婦も、いろんな野菜をたくさん持って帰りました。






  8月12日(金)
昨日は午前中はバラの会で草取り、午後からは遅くまで松本で仕事。今日は朝から草刈り機で法面の草とのたたかい。午後も庭の草取りと、毎日毎日草刈り、草取りばっかり。
関西、東海などは恐ろしいほどの暑さのようですが、長野は昨日あたりからどことなく秋の気配。畑にはトンボがたくさん飛んでいたし、朝晩の涼しさはこれまでとは違う。空気もさわやかで汗をかいてもそれほどべたつかない。
妻はオリンピックより高校野球。私はオリンピックも高校野球もときどきという程度で、あとは外での仕事の方が忙しい。9月になると、もう来年のための植え付けの準備(イチゴ、ニンニク、タマネギ、ラッキョウなど)や種の採取(キュウリ、トマトなど)、秋野菜の準備をしなければならないので、今はそのための下準備。固くなった土を耕したり肥料をやったり・・・と、まあ毎日毎日やることだらけ。
うまいものを食べるにはそれだけの重労働をしなければならないってわけです。

沖縄東村高江では、ヘリパッド建設を阻止するためにN-1ゲート裏での座り込み、抗議行動が続けられています。最近の情報では、かなりの人数が集まるようになっており、しかも全国から駆けつけてくる仲間が半数近くにのぼっているということ。
N-1ゲート表での機動隊による強制排除の映像が全国に知られたこともあって、いてもたってもいられずに駆けつけるという人が多いのだとか。
琉球新報によると、昨日は、機動隊が高江集落の出入り口を封鎖して住民の生活に大きな支障が生じるというとんでもないことも引き起こされて、もし本土でこんなことがあったらそれだけで全国ニュースになるはずなんですが・・。
このあとN-1裏での抗議者を強制排除する動きが強まっていて、現地行動実行委員会は、全国にむけて支援を強めてくれるように全国に訴えていました。紹介します。

<沖縄県民の皆さん、全国の皆さんへのお願い>  ---コピーして拡散してください

高江・ヘリパッド建設阻止行動のためのカンパ要請

 今、高江では、4ケ所(N1地区、G地区、H地区)のヘリパッド建設を阻止するために懸命の闘いが続いています。政府は7月22日、全国からの500名の機動隊を含め総勢1000人もの機動隊・警察官を動員し、住民らが10年近く座り込んでいたN1ゲートのテントを強制撤去し、ヘリパッド予定地に向かう進入路の造成工事を始めました。さらに、南側からも工事に着手するためにN1裏の座り込みテントの強制撤去を狙っています。

 こうした政府の強行姿勢に屈せず、あくまでもヘリパッド建設を阻止するために、私たちは次の2点を県民の皆さん、全国の皆さんに訴えます。

1.高江現地に集まってください。N1裏の座り込みテントには大勢の人たちが集まり、泊まり込みの行動が続いています。テントの撤去を許さずヘリパッド工事を阻止するためには、さらに多くの人たちの結集が必要です。

2.現地反対行動へのカンパを! 「基地の県内移設に反対する県民会議」は、高江のヘリパッド建設阻止行動を進めるために現地実行委員会を発足させました。今後の反対運動を阻止するためにカンパをお願いします。

 県民会議オスプレイヘリパッド建設阻止高江現地行動実行委員会  代表・山城博治

    口座番号  琉球銀行大宮支店 普通 404−607754  間島孝彦



  8月9日(火)
長崎原爆忌。7日に紹介したヒバクシャ署名のウエブ上での数が100名を超えていて嬉しい。だが、そのスピードは全くといっていいほど遅い。おそらくこのサイトの存在そのものがまだ知られていないからなのでしょうね。この機会を逃せば、被爆者自身の声をもとに呼びかけられた署名としては永遠にできないことになる。おそらく最後となる世界規模での署名です。ツイッターやフェイスブックに登録されている方、ぜひぜひ拡散を。

私が東京で母の介護を始めたのは、まだ介護保険の制度が始まる前。2年ほどは、町田市に申請すれば紙おむつなどの支給があり、ずいぶんと助かった記憶があります。それから程なくして2000年に介護保険制度が開始され、保険料の徴収がはじまりました。
初期のころはまだケアマネも少なく、どこへどのように手続きすればいいかもよくわからないことがあったり、ケアマネ自体も要介護者やその家族の要望をきちんと受け止めてケアプランを作成できなかったりと不備があったように記憶しています。
それから3,4年もしてからは、ショートステイでも充実した対応がしてもらえたり、介護用品の貸与も出来るようになり、さらにデイサービスの方たちも親切に対応してくれたりと大変助かりました。
母は次第に認知症がひどくなって、ついには介護度も要介護5の認定を受けることができましたが、それでも仕事をしながら介護をするには全く不十分でした。働いている時間すべてを見てもらうことはとてもできないからです。
結局、最後には仕事をやめて介護に専念する必要に迫られることになります。私の場合は、母が私の給料よりも高額の年金(当時は本人の共済年金と父の遺族年金とが併給されていた)をもらっていたために、仕事を辞めても何とかやっていくことができました。もし、それがなければ、とてもじゃないが、そんなことはできない。母を犠牲にしてでも、仕事を続けなければやっていけなかったでしょう。

なぜこんなことを書いたかというと、次の国会でさらなる介護保険の改悪が図られようとしており、これが実施されればとんでもなく悲惨な事態を引き起こすと考えられるからです。

2015年には、すでにつぎのような制度改悪が行われました。
@要支援(軽度の介護必要者)1、2の人たち約130万人(2016年4月では1,746,196人)の介護保険からの切り離しが実施され、保険料を納めているのにデイサービスや訪問介護(ホームヘルパー)のサービスが受けられなくなった。
A一定の所得がある高齢者の場合、自己負担額が1割から2割に引き上げられた。
B特別養護老人ホームの利用資格を要介護3以上に限定された。
C介護施設の利用料が引き上げられた。
D介護報酬が切り下げ(4.48%)られた。

制度から切り離された要支援者は、「地域支援事業など各自治体やボランティアが担う」とされました。そして、その対応には自治体単位の「総合事業」として行うとされ、その期限が2017年4月なのです。
こうした改悪の根底には社会保障費を「制度維持」をうたい文句に削減しようとし、「自助努力」を押しつけるだけにとどまらず利用者に負担強化を強いる政府の制度破壊の狙いがありました。
特養老人ホームへの入所基準を要介護3以上に限定したのも同じ理由です。特養では、低所得者を対象とした施設の居住費、食事負担に対する軽減制度(補足給付)が縮小されたため、低所得者は特養からは閉め出されてしまうことになりました。
介護報酬の引き下げによって、全国で施設運営が悪化し、介護職員のなり手がないという状態がひろがり慢性化してきたことも周知の事実です。

さて、この改悪はまだ序の口。今年3月には厚労省が「要介護支援1,2の対象者を介護保険からはずす」という恐るべき計画を検討し始めたのでした。
日刊ゲンダイDIGITAL 3月5日号は、「安倍政権もくろむ『要介護1、2外し』で介護破産に現実味」との見出しをつけて告発記事を書きました。
現在、介護保険対象者の人数は以下のようになっています。要支援1,2、および要介護1,2を合わせると実に全体の65%になるのです。


厚労省が検討項目としてあげた主な点は次の通りです(「しんぶん赤旗」2月19日)。

@ 要介護1、2の人向けの生活援助(家事・掃除など)や福祉用具貸与(車いす、ベッドなど)・住宅改修(手すり設置など)を給付から外す。
A 原則1割の利用料負担割合を2割に拡大することや、利用料の自己負担上限額を引き上げる。B 現役世代が負担する保険料増につながる「総報酬割」を導入。いまでも保険料は1ヶ月平均5000円程度(制度当初は3000円)ですが、2025年には8000円になるだろうと厚労省は試算、今後はそれを40歳以下からも徴収しようというのです。
C 要介護認定率や1人当たり介護費を減らすための市町村の取り組み。


日刊ゲンダイでは、もし生活援助が原則自己負担となれば、1回250円程度の負担が2500円と10倍にも跳ね上がることになると書いていました。
厚労省の審議会では「2018年には新制度に移行する」との方向で議論がすでに始まっており、今年3月の国会では共産党の小池晃議員が政府を鋭く追及して話題になったことがありました。あらためてそのやりとりを見て欲しいと思います。日刊ゲンダイが「閣僚の顔色が変わった」と書いたのは次の国会質問です。前半は年金積み立て金の株への運用問題、後半が介護保険の改悪問題(16分過ぎ)です。


小池議員と政府とのやりとりを聞いていると、「この道しかない」という自民党の政策の中身がどんなものか、本当によくわかります。
小池議員が示した医療・年金・介護関係の今後の改悪スケジュールは以下の通りです


「介護離職者ゼロ」?「一億総活躍」?
自民党は参議院選挙の公約で、次のように打ち出しましたね。

一億とおりの輝き方を支援します。
「経済のパイ」拡大の成果を子育て・介護など社会保障分野に分配し、それをさらに成長につなげる「成長と分配の好循環」を構築します。
誰もが、家庭で、地域で、職場で、それぞれの夢や希望をかなえられるよう、より多様性に富んだ豊かで活力ある社会を目指します。

介護・高齢者
介護離職ゼロを目指し、介護基盤を50万人分増やします。
質の高い介護サービスの提供のため、財源を確保して、介護人材の確保と離職防止に努めます。
キャリアアップの仕組みを構築した上で、月額平均1万円の処遇改善を行います。
予防医療など健康管理事業を推進し、健康寿命の延伸に取り組みます。
認知症対策を強化します。また、認知症高齢者が住み慣れた地域で暮らし続けられるよう、認知症サポーターの養成、認知症カフェなどを推進します。


「平和のために戦争をする」という党ですから、べつに驚くほどのことでもありませんが・・・。この改悪案が実施されることになれば、いざ介護保険を使うことになって、とんでもない地獄の苦しみを味わうことになると私には思えて仕方がありません。
最高に有利な条件にあった私でさえも、一人で働きながらの介護には言うに言われぬ苦しみがありました。しかし、被介護者にほとんど収入がなく、しかも働きながら、あるいは老々介護などという状態になったときにどんな地獄が待っているか、そんな私でも想像するのは難しい。
これだけでも安倍内閣を打倒する十分な理由になります。



  8月8日(月)その2
午後3時からの天皇による国民向けの「ビデオメッセージ」を見ました。誠実で聡明なお人柄がにじみ出るような話しぶりだったことが印象的でした。何よりも、憲法の定める「象徴」としての天皇のあり方を厳格に守りつつも、国民とともにすすむ現代型の天皇像を求めて「全身全霊」でことにあたってきたとする姿勢には感銘を受けます。
また、単に高齢だから天皇のつとめを果たしていくことには無理があるというだけにとどまらず、天皇の「終焉」時のさまざまな行事や各界での対応などで社会の停滞、新しい時代への障害が生じることへの懸念まで表明されたことには正直驚きを隠せませんでした。
「国民へのメッセージ」ですし、本当に誠心誠意語られたことですから、国民の一人一人が何らかの態度表明をすべきでしょう。
結論から言えば、生前退位もひとつの考えとして広く国民的な議論をし、そのもとで一定の方向を国会で出すというのがよいと思います。その際に、天皇の意向は「象徴」としてのあり方を深くとらえるという極めて抑制的なものであるという点を踏まえる必要があるというのが私の考えです。
かなり前から天皇の意向は示されていましたから、これを、生前退位を強く示唆するメッセージと受け止めるのはごく自然なとらえ方です。ただ、そのまま皇室典範の改正に踏み込むならそれは「政治的メッセージ」ということになってしまいます。
高齢や病気、その他で天皇のつとめを果たすことができない状態は必ず訪れます。天皇は、高齢となった場合、「国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」と述べるとともに、摂政と言う制度でも生涯天皇という立場には変わりがないとされて、この部分が生前退位に関連する意向の表明となっているわけです。
もともと皇室典範は1947年(昭和22年)に制定され、1949年(昭和24年)に現行のものとなっています。終身在位という制度は明治になって定められたもので、皇位継承争いにつながる恐れがあるという理由だったと時事通信社は報じていました。
現行制度では、この懸念があるはずはありませんし、むしろ皇位継承順を定めた皇室典範、その前提となっている男子のみの継承権など議論する点はいろいろとあるのですから、そのなかに生前退位の項目も含めて広く検討するべきでしょう。

さて、私自身は過去に、天皇という制度(現在の天皇個人という意味ではなく憲法上の制度としての天皇)について現行憲法から第1章を削除する憲法改正論者であると述べたことがありました。これは極めて遠い将来の課題としてそう述べただけです。もちろん、そのことには基本的に変わりはありませんけれど、そのためにいま何かをしようという気持ちは持っていません。いまは現行憲法は第1章も含めて厳格に守り、さまざまな人権規定についてはより発展させていけばよいと考えていますから。
むしろ、自民党改憲草案にように、天皇を元首としたり、日本会議のように「万世一系の天皇をいただく」神国日本などを夢想しその復元をはかろうとするほうがよほど現在の天皇の気持ちを踏みにじると思います。
天皇の政治的利用は、そのときどきの権力者が常に考えてきたことでした。それは日本の歴史をひもといて見ればすぐにわかることです。そうした時代に絶対にさせないためにも、日本の歴史を踏まえて議論を深める必要があるのではないでしょうか。



  8月8日(月)
骨折で入院していた沖縄の義母が退院したとの知らせがありました。しばらくは家には戻らず施設で静養・リハビリをするのだとか。よかったよかった。まもなく妻が約1ヶ月里帰りをするので、義兄からは「喜ぶだろう」という便りがありました。
このところの異様な暑さで本土の各地は炎熱地獄になっていますが、沖縄はずっと雨が降っているのだそうです。気温も33度止まりですから、昼は沖縄の方が過ごしやすい。ただ、夜は全く気温が下がらないので長野の方がずっといい。
今朝はぐんと冷えて、車の窓が露でびっしろ覆われていました。妻は寒いくらいだと言っていましたから。

今朝も早起きして6時半くらいから約3時間畑に行きました。今日はネギの土寄せ。植えてからはこの土寄せを2回ほどやったのですが、伸びるにつれて土が崩れたり茎がむき出しになったりして、このまま放置すれば白い部分が短くなってしまったり固くなってしまいます。
もうすっかり大きく育っているので、焼いて食べればうまいだろうなと思います・・・が、重労働をしていると、掘り起こしてくる元気もない。

帰ってから片付けをしていたら、前の道路脇の電線に巣立ったツバメたちが止まっている。よく観察していると、いまだに親がエサを運んでいるらしい。これからエサをとる特訓でもするんですかね。
5羽いたはずですが、一羽は先に巣立ったのか、死んでしまったのか。電線のツバメも4羽だったり5羽だったり。

下の写真はまず我が家で今年1個だけ実をつけたモモ。たいした出来ではないだろうと思ったら「黄桃」でものすごくうまい。3,4年前に買ってきたモモの種から育ったもので、来年はきっともっと沢山の実をつけてくれるのではないかと期待できます。儲けものでしたね。大事にそだてなくっちゃ。
次は、今年のゴーヤカーテン。長いのから短いのまで沢山ぶら下がってくれました。日よけにもなっているし、裸でいても外からは見えないのでまことに都合がいい。
最後の2枚は、今朝のツバメたち。しばらくは夜になると巣に戻って寝ているのでしょうか。











  8月7日(日) その2
午前6時半頃から畑に行き10過ぎまで汗を流しました。このところあまり暑いので行く気にもならなかったのですが、放っておけば雑草で大変なことになるし、作物はお化けになるので、朝の涼しい内にと考えていつになく早くでかけたのです。
秋に植える作物の苗床のために私は耕耘機を操作、妻はじゃがいもの収穫と、分業で仕事を始めたのはいいのですが、8時頃にはもうカンカン照りで尋常でない汗、いやいやものすごい暑さです。湿度が低かったのと、水分を十分にとって休み休み仕事をしていたので、この前のような熱中症にはなりませんでした。
畑ではイチゴの苗の間に雑草が生い茂り、どこに苗があるのか分からない状態。面積が広いので、雑草を育てているような状態になってしまって始末に負えない。苗の間の雑草をいちいち取り除くわけにもいかず、9月に入ったら苗を新しい畝に定植することにして、あとしばらくそのままにしておく他はありません。
ジャガイモはそれなりに大きくなって大きなタブに2杯収穫。ゴーヤ、トマト、カボチャ、インゲン、ヘチマなども収穫して、今日の作業は終わり。
夏の畑仕事は本当に大変です。8月一杯は、地元の方に見習って早朝でかけて日が高くなったら帰ってくるというようにしないと身体がもちませんね。そうはいっても、夜遅い生活に慣れてしまっているので、いつもそう思うだけ。何とかしなければ。




  8月7日(日)
このごろ、眠りが浅くて結構早く目がさめてしまう。しかもいろんな夢を見る。なかなか現実的な場面も多いのです。
今朝も午前4時過ぎに目が覚めて、庭のゴーヤの受粉を手伝って、昨日の庭仕事の片付けをして、それからパソコンに向かっています。

この日本において、将来核武装も検討すべきという人間が一人二人ではないことに驚くというより、なぜそのような考えを持つに至ったのか信じられない気持ちにさせられます。
その理屈は多分こうなのでしょう。たとえば北朝鮮が核武装をする。それに対抗するにはその武器を使えなくするくらいの武力、すなわち核をもてばよい。使うためではなく抑止として。使えばどんなことになるのかを思い知らせるだけでよい。
いわゆる核の抑止力論です。米ソの核軍拡があっても実際にこれまで使えなかったではないか、双方に核の均衡があったからそれができたのだ・・・理屈はいくらでも後付けできます。
私は人間の「理性」を信じると同時に信じない。というより、人間には「ふつう」の感覚、理性、倫理観ではとうてい及ばない種類が生まれうるということ、大量殺戮も自国(組織)の存続のために許されるのだと信じて疑わない人間を生み出すことがあるのだということ、このことを認めざるを得ないということです。権力を持つ人間がその虜になれば、人間が死ぬことに不感症になり、想像力を失い、ひとつの面だけしか見なくなるということ。一人の死であろうが百万人の死であろうが、その権力者にとっては関係がない。そしてあらゆる合理化をして自らの行為を正当化する。まさしく「悪魔の論理」に導かれて大量殺戮の引き金を引いてしまうのです。ヒトラーがそうであり、スターリンがそうであったように。それがいつどの条件でどのように生まれるのかは誰も知り得ない。そのことを固く固く心にとどめなければならないと思うのです。
しかし、一方でいかなる理由があるにせよ、他人の命を奪うことを「理性」的な判断と呼ぶことは正しいのか。
たとえば、北朝鮮が射程を誤って日本のどこかに弾道ミサイルを撃ち込んだとしよう。それに対して、同様の被害を与える報復を行うことはどうか。
あの9.11直後にアメリカ国民が「これはアメリカに対する戦争だ」と叫んだブッシュを多数の国民が支持したこと、もっとさかのぼれば、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下が「アメリカ軍の兵士の死を阻止した」として圧倒的国民が支持したことをどう見るのか。そもそも一定の価値観に基づいて行う判断を「理性」とどう関連づけるのか。そう考えると、この「価値観」や「理性」も立場によっては異なる行為に結びつくまことに怪しいものとなってしまいます。
だからこそ、「人間的であること」とはどのようなことなのかを、異なるさまざまな立場で考え尽くし、最善の行為を選択することが大事になってくるのでしょう。
、いま、現に起こっている問題について、将来人間的な価値を否定する可能性を生み出さないかどうか、あらゆる角度から検証し考察し、かつ行動すべきなのだと思います。
過去から学び、いまに生かし、「悪魔の論理」につながるどんな些細な事象も逃さず、その芽を摘んでしまうこと。そのためにたたかい続けなければならないと改めて思い直します。

メディアの関心事はオリンピックに向いて、広島長崎での原水爆禁止世界大会のことなどはおそらくほとんど報道価値のないものとされているように見えます。
しかし、国連ではいま画期的な作業がはじまっている。それは国連核軍縮第3回作業部会が効果的な核軍縮案を議論し、作業部会に参加する約90カ国の過半数が「核兵器禁止条約の早期交渉開始を支持した」とする報告書を発表したことです。
「核兵器を禁止し、完全廃絶する法的拘束力のある措置」を交渉する国連会議を2017年に招集することについても過半数の国が支持したことも報告書で指摘されているといいます。
5500人が参加した今年の世界大会ヒロシマデー集会では満場の拍手で「広島からのよびかけ」が採択され、その中で「ヒバクシャ国際署名」に取り組む決意が示されました。
この国際署名は2016年4月に国内外の被爆者団体によって提起されて始められたもの。今年の7月には、原水協、原水禁、労働、宗教など幅広い団体、個人によって推進連絡会が結成され、世界数億筆の署名を2020年までに集めることが決まっています。国連での作業部会にも影響を及ぼすでしょう。力の及ぶ限り参加していきたいものです。

国際署名に関連したウエブサイトは以下の通りです。

ヒバクシャ国際署名 推進連絡会ホームページ
署名の訴えと署名用紙
ウエブ上での署名

ウエブ上での署名はほとんど知られていないようで、今日現在まだ50人??私を入れて51名になりました。署名用紙のない方は是非是非。



  8月6日(土)
広島原爆忌。オリンピック開会式に目が奪われて影が薄い。
夜のNHKスペシャルは、アメリカの原爆投下が軍による偽りの報告に基づいて大統領の明確な意志決定のないままに行われたこと、その投下の理由が「莫大な費用をかけて開発し作ったものを使わなければ議会で追及される」というものであり、「使うためにつくった」という事実、さらに「多くの米兵の命を救うために投下したというのはトルーマンによる後付けの理由だったことを明らかにしていました。
ただ、そこで触れられていなかったもうひとつの事実。それはソ連との関係です。アメリカはソ連が原爆開発をしていることは知っていましたから、ソ連より先に使うという判断が働いたはずです。なぜなら、終戦後の米英ソの対応で主導権を取りたいという打算は当時のアメリカにとっては極めて大きいものがあったからです。
この点が抜けていたために、アメリカの無差別爆撃と原爆投下が戦争犯罪ではなかったのかという見方とは距離を置くものとなってしまいました。トルーマンの日記にはそれらしい記述があることを発掘していたのはひとつの救いでしたが。
それは脇に置いても、これだけの史実を掘り起こして、原爆投下にまつわるアメリカの神話を突き崩した功績は大きい。

アベ首相は、今日の被爆者との面談で、核兵器禁止条約の締結には何も答えずアメリカと歩調を合わせた包括的核実験禁止条約には取り組むという姿勢だったいいます。安倍首相にとっては「アメリカの核で守ってもらっている」として核抑止力論にしがみついている以上は、そうとしか言いようがないだろうことは明らか。
結局、被爆者の願いにも、福島での被災者の願いにも、沖縄での辺野古新基地に反対する民意にも背を向けた政策を掲げて突き進むしかない。そのことを国内でも国際的にもはっきりと示したのが、稲田朋美の防衛大臣登用でした。
国内の各紙は、過去の核武装容認の稲田発言をどう考えるかとの安倍首相への質問に、「わが国が核兵器を保有することはあり得ず、保有を検討することはあり得ない。稲田防衛大臣の発言はこのような政府の方針と矛盾するものではない」と答えたと書いていました。「政府の方針と矛盾しない」とはどういうことでしょうか?これぞアベ首相ご自慢のだましのテクニックという他ありません。
もし本当に核を保有すべきではないと考えるなら、普通の感覚の持ち主であれば稲田などを入閣させません。しかし、自分と同類の人間だから是が非でも入閣させたことこそ安倍の本領発揮だったのです。この点を各紙はもっと鋭く追及すべきでした。この種の人間の入閣が、国際的にはこれからの安倍政権の弱みのカギになることもです。

稲田防衛大臣の入閣についての欧米での反応は日本のマスメディアなどとは比較にならないくらい鋭いものがありました。たとえば3日付けイギリス紙The Timesの見出しは、「(アジア・太平洋戦争での)残虐行為の否定論者を防衛大臣に」というもの。
さらに記事の冒頭から、「第二次世界大戦中の日本が数々の残虐行為を犯したという認識に異議を唱え、日本の核武装をも検討すべきとする女性」というような紹介の仕方です。
写真には、稲田朋美が右翼組織である日本会議に関係しているというキャプションが付けられていました。日本の新聞よりはよほど正確に伝えています。
ロイターも同日、「タカ派の防衛大臣を新閣僚に」という記事をかかげ、かなり突っ込んで稲田新防衛大臣についてコメント、安倍と改憲指向を同じくし、靖国神社の参拝を繰り返してきたことなどを紹介していました。

New defense minister Tomomi Inada, previously the ruling party policy chief, shares Abe's goal of revising the post-war, pacifist constitution, which some conservatives consider a humiliating symbol of Japan's World War Two defeat.
「新たに防衛相に就任する稲田朋美(前・自民党政調会長)は、日本の戦後や平和憲法、日本の保守派が第二次世界大戦の屈辱的な敗戦の象徴として捉えている平和憲法や戦後を改めるという安倍首相の目標をかねてより共有している」(リテラ「稲田朋美に海外メディアが一斉に警戒感」より)


日本の新聞で詳細に取り上げていたのは朝日新聞くらい。
朝日は4日の「靖国必ず参拝・過去に核発言 『タカ派』の稲田防衛相」という記事で、2006年に「伝統と創造の会」を立ち上げたことや、同年に月刊誌の対談で「靖国神社の英霊があつく弔われなければ「安全保障もあるわけがない」と発言したこと「国家戦略として(核保有を)検討するべきだ」と過去に述べていたことなどを紹介、防衛省幹部が「稲田氏が防衛相に就任したことだけでも中韓へ影響を及ぼしかねない」と話したことなどにも触れています。
それ以外には日本の全国紙でこの問題を取り上げているのはほとんど見かけませんでした。せいぜい東京新聞が「憲法9条改正が持論で、極東国際軍事裁判(東京裁判)の在り方を疑問視する稲田氏の起用は、内外に波紋を広げている」と書いていた程度でしょうか。
リテラ紙の小杉みすずさんが書くように、「騙されてはいけない」のです。「保身に走っているメディアは、その(=安倍政権のタカ派政策の)片棒を担いでいる」のですから、確かに「そういう視点で国内のニュースに向き合わねばならない」と思います。

沖縄では、5日の辺野古埋め立て承認取り消しをめぐる裁判で、翁長知事の条理を尽くした意見陳述が胸を打ちます。
「自国の政府にここまで一方的に虐げられる地域が沖縄県以外にあるのか。47都道府県の一つにすぎない沖縄県を政府が総力を挙げてねじ伏せようとしている」
これに追い打ちをかけるかのように、菅官房長官が過去の米軍基地と沖縄振興予算はリンクしないという立場(今年1月の政府と沖縄県との協議会の初会合で確認)を投げ捨てて、沖縄を「兵糧攻め」(琉球新報)にする発言をして波紋を広げました。
鶴保庸介沖縄担当相も就任会見で「確実にリンクしている」と明言したのだそう。これらは恐るべき沖縄差別発言です。琉球新報は、「(『リンク論』を持ち出すというのは知事に“脅し”をかけることで、県との折衝で優位に立ちたい思惑も透けて見える」と書いていましたが、全くその通りです。
沖縄振興特別措置法は、その第一条で「沖縄の置かれた特殊な諸事情に鑑み」と書き、戦後米軍占領下におかれて本土とは比較にならないくらいに後進的な環境に置かれた事情を汲み、本土復帰に際して「沖縄の自主性を尊重しつつその総合的かつ計画的な振興を図り、もって沖縄の自立的発展に資するとともに、沖縄の豊かな住民生活の実現に寄与することを目的とする」と定めています。
政府が振興法の趣旨を知らないはずはありません。菅官房長官の「後付け」の論理は「沖縄振興計画に明記された沖縄の『社会的事情』に跡地利用や基地負担軽減も含まれている」というもの。ここまで来ると開いた口がふさがらない。とんでもない暴論です。
沖縄県知事、県民の方がよほど大人の対応をしています。管にすれば、現職閣僚を落とされた腹いせの仕返しのつもりなんでしょうね、悪ガキでもこんな低劣な恥ずかしい仕返しはしません。



  8月5日(金)
夜の暑さ、というより体温が下がらない(熱感がある)ので夜寝付けなくて困りました。今朝もまだ調子が悪く午前中はぐったり。午後からエアコンをかけて体をとにかく冷やすことに努め、何とか平常の状態を保っています。今日はどこにもいかず、静養することにします。

ところで、我が家の軒先のツバメたちがそろそろ巣立ちの時を迎えるのか、しきりに羽根を動かしている様子。ところが、どうみても一羽足りない。4羽しか確認できないのです。
あのひ弱なヒナが死んでしまったのか、それとも何かにさらわれたのか、体つきもみんな同じというわけでもないようなので、ヒナの間でも生存競争があったのでしょうか。
それでも親鳥は、それを知ってか知らずでか、いまなお朝から晩までエサを運びとおし。ともかく玄関先はヒナたちのせいでひどい状態になっているので、巣立ちを待って巣を取り壊すつもり。もし来年来るなら新築してもらいましょう。

昨日読んでいた「国家の暴走」、ちょっと雑な書き方や肯定しがたい記述も見られたけれど、まあまあ面白かった。
かなり説得力があると思われたのは、第1章「軍事立国」への暴走の「恐怖の3点セット」の解説。古賀さんのいう恐怖の3点セットとは「国家安全保障会議(日本版NSC)法」「特定秘密保護法」「集団的自衛権行使容認」
この本が書かれたのは集団的自衛権行使容認の閣議決定直後だったために、昨年9月の安保関連法の法制化という形では書かれていません。
古賀さんが強調するのは、これらがセットになって複合的に運用されるとどうなるかをリアルに想像せよということ。この3点セットの発動で「政府の無責任な判断で国民を無用な戦争に巻き込む事態が起こりうる」ことを口を酸っぱくして力説しているのが印象に残りました。
続いて古賀さんは経済より軍事優先の発想に傾いている安倍首相が何をやりたいのかを分析し、すでに成立したものを含め「不吉な13本の矢」をあげています。これを列挙すると次のようになります。
@日本版NSC法、A特定秘密保護法、B武器輸出3原則の廃止、C集団的自衛権の行使容認、D「産めよ増やせよ」政策、E集団安全保障での武力行使の容認、F日本版CIAの創設、GODAの軍事利用、H国防軍の保持、I軍法会議の設置、J基本的人権の制限、K徴兵制の導入、L核武装。

第2章では、それぞれについてどこにどのような問題があり、どのような現実の危険が迫っているいるのかを解説しています。自身の経産省での経験も生かされているので、この部分は大変参考になります。
それぞれについて解説することがここでの目的ではありませんから、本文に当たってもらうほかありませんが、一つだけ興味ある部分をあげるとするなら、自民党の改憲草案の「国防軍の保持」に関する指摘でしょう。
現行の憲法の解釈では自衛隊は合憲というのが通説になっているけれど、この「合憲」というのは「自衛隊がなければいけない」ということではない、つまり「自衛隊を持たなくても合憲です」という意味を含んでいる。古賀さんはこう指摘し、さらに、自民党改憲草案ではそうはならないというのです。
改憲草案「第九条の二」では、
「わが国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」
となっています。
「これだと、国防軍の保持が『憲法上の義務』となる。つまり、国防軍を持たなければ憲法違反ということになってしまう」「しかも、自民党の改正草案には、『わが国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため』という修飾語がついている。つまりそうした目的を達成できるだけの『強い軍隊を持たないのは憲法違反だ』ということになってしまう」・・・従って「第九条の改正は、自衛隊の存在を追認することとは本質的にまったく違い、『世界トップレベルの軍事力を保持する義務がある』とする規定だと考えた方がよい」
この指摘は、単に自民党の改憲草案の解説というにとどまらず、安倍内閣の本質に迫る大事な指摘だと私には思えます。国防は義務になるわけですから、「軍の暴走」などと批判すれば当然のように「非国民」ということになる。この規定に過去の有事法制と「基本的人権の制限」とりわけ恣意的な言論」集会・結社の自由の抑圧がからんでくれば、これはもう「国家総動員体制」の総仕上げということになるでしょう。

この本の後半は安倍政権の経済政策(アベノミクス)や雇用政策批判にあてられています。終わりの2つの章では「日本再興への提言」、「改革はするが戦争はしない国へ」と題して、彼の持論を展開しています。この部分は、いささかあやしい分析や提言も見られるので、ここでは省略。
ただ、従来型の野党再編は限界があり、「改革はするが戦争はしない政党を作ろう」という提案には聞くべきものがあります。こうしたリベラリストがもっともっとネットワークを強め、国政の改革に参画することは極めて重要だからです。
彼は、今日の政党については自民党を除いてはほとんど言及していません。ただ、縦軸にタカ派⇔ハト派、横軸に守旧派⇔改革派という指標で分類した政党配置図(下の図)をつくっていて、それなりには面白いけれど、これはあまりにも主観的。彼は「第四象限の党よ、出でよ」と主張するのです。
それは脇におくとしても、市民革命的な動きが芽生えている今日の社会で、こうした提言がまじめに語られる意義は極めて大きいものがあると思えました。





  8月4日(木)
私がいま注目しているもののひとつは、日本会議の動向。というより、戦前からどのような考えを引き継ぎ、安倍内閣を支配するような異様な姿を作り出したかということ。それには、連綿とつながる人的な構成要素と、遺族会、神社本庁などの組織的な要素、それに新興宗教などさまざまな精神面での構成要素があります。
しかし忘れてはならないのは、経済的な側面。つまり、資本主義の行き詰まりから低迷をつづける日本の大企業が何を求めているのかという点です。
ものが売れなくなれば企業活動は終わりです。うんと雑な言い方をすれば、売るためには大企業は手段を選ばない。子ども達がどうなろうが、家庭がどうなろうが、労働者がどんな状態におかれようが、根底的には関係がない。社会のためとか、健康のためという理由をつけることがあれば、それはあくまで売るための化粧にすぎません。
それでも作ったものが売れない。なぜなら自分たちで安上がりな労働者を大量に作り出し、購買力を徹底的に奪っているからです。ではどうするのか。その先は・・・。

元経産相官僚だった古賀茂明さんが2014年に書いた本に「国家の暴走」というのがあります。都知事選挙で候補者として名前が挙がりましたね。その古賀さんは「国家の暴走」のはじめに次のように書いています。のっけから強烈です。

わが国には、日本を”列強国”にすることを最優先課題と位置づける人達がいる。
ここでいう列強国とは、主に軍事力を背景に、経済的、外交的、文化的に世界規模の影響力を持ち、しばしば、小国に対して支配的な力を行使する国家である。・・・
列強国になるとは、「戦争ができる国」になることではない。「戦争と縁が切れない国」「戦争なしでは生きられない国」になってしまうことだ。表では「人道のため」「自衛のため」と銘打って、実は自国の利権のために戦争をする。
そして、戦争が起これば武器が売れ、軍需産業は巨利を得ることができる。表の顔とはまったくかけ離れた、世界中で武器を売り歩く「死の商人」という裏の顔も持つ。これが列強国の本質である。


元経産相官僚だけあって、その言い方にはすごみがありますね。このあと古賀さんがこの国の暴走装置の第一に挙げているのが、みずから所属していた「経産省官僚」なのです。
武器や戦闘機、原発などを扱う多国籍企業と連携を取りながら、この国を「戦争中毒」の国へと変質させようとしている深刻な構造があること。これこそ、国民に「美しい国」「道義大国」を要求する根源だと知らなければなりません。
安倍内閣は、アベノミクスの失敗を糊塗しながら、いっそうの国民収奪の方策を検討しているはずです。国家財政を大企業の儲けへといかに配分するかがもっぱらの関心事なのです。
「最優先課題を経済」として「20兆円を上回る経済対策」を講じたという安倍政権ですが、その大半は公共事業へと流れていくのですからゼネコンだけが潤うという構図が見え見えです。 国民の消費購買力が低下しているのですから、経済が上向きになるはずがありません。
そのことは安倍首相もある意味ではよくわかっている。わかっているから、焦っているともいえます。つまり、いかに早く古賀さんのいうような「体制」をつくりあげるのか、ここにこそあと任期をわずかに残した安倍首相のホンネが隠されていると私は見ています。
改憲への布石、策略は矢継ぎ早に打ち出されてくるでしょう。彼にとっては任期という以上に大企業からの突き上げがある。儲けがあがらない現状を変えるには「戦争なしでは生きられない国」にするしかない。これは人間の願望ではなく経済=国家独占資本主義の論理です。

その意味で、古賀さんの「国家の暴走」から私たちは何を学ぶのか。いま読み始めなので、感想はまたあとで。いまから松本での「こどもじゅく」に行ってまいります。



  8月3日(水)
午前中、畑に行って刈払機で草刈りをしたり野菜を収穫したりしていたら、危うく熱中症(熱射病)になりそうでした。ものすごい湿度のために体温調節ができなくなったためか目の前がくらくら。早々に引き上げて水分補給をし体温を下げて休憩したら気分もよくなりました。こんな日はとくに気を付けなければなりませんね。

昨日もまた午後4時過ぎから激しい雷雨。用水を管理するために家の前に車を止めた方に「間もなく来ますね」と聞くと、豊科はいま降っている。松川も降っているから両方から攻めてきているね」と言う。雨が降る前にと、すぐに畑に出向いたら、確かに豊科の方がものすごい豪雨のようす。攻めてくるという感じがしました。それからまもなく大粒の雨が。
丁度この日、沖縄中部でも「かたぶい」が観測されたと琉球新報に写真が載っていました(下2枚目)。沖縄ではしょっちゅうですから、わざわざ載せるほどでもないのに、と思いましたけど。
昨日は雷も雨もずいぶん長く続きました。うんざりです。




内閣改造で、話題の稲田女史が防衛大臣におなりになるとか。さすがアベさん、お目が高い。「お国のために血を流せ」と叫ぶことができるのはこの方をおいてありませんから、いずれ初の女性総理にとお考えなのでしょう。

自民党の要職にあった頃は、なかなかホンネが語れなかったことでしょうが、それ以前には結構おおっぴらにいろいろとお話しなさってきました。
このブログで紹介した「えげつない」ものもありますが、まとまってこのお方の考えを知ることができる動画もアップされています。
たとえば、2010年に稲田さんが出版した著書「私は日本を守りたい」の出版記念パーティー「稲田朋美を囲む会」が同年12月14日にグランドプリンスホテル赤坂で開かれたのですが、その席上でのあいさつはこの方が何をお考えなのかをまとめて知ることのできる「有意義」なものです。
これは今から6年前のものですが、安倍首相の側近として、当時から初の女性総理の呼び声が高かったことを示す貴重な映像ともなっています。何しろ、安倍さん、麻生さん、石破さんなどそうそうたるメンバーが詰めかけて熱烈なエールを送っているのですから。
その中から、「あいさつ」の中心部分だけをここで紹介しておきましょう。今後、日本会議などの動向を考える上でも今後の「防衛大臣」としての「ご活躍」を見ていく上でも深いかかわりがでてきますから。

私は伝統と創造を政治理念として政治活動を続けて参りました。伝統と創造とは日本のよき伝統や国柄を守るために創造する、歴史を振り返り、そして未来を見据えて、変えるべきものは変え、そしてしっかりと守るべきものは守っていくために、不断の努力をする、保守とは革新だと思っております。
安倍総理が掲げられた「戦後レジームからの脱却」は安倍政権下の一時的なはやり言葉ではありません。戦後レジームからの脱却とは6年8ヶ月の占領期間で失われてしまった日本人らしさや国柄を取り戻すことであり、もう一度日本が名実ともに主権国家になることです。主権国家とは、自分の国は自分で守る、自国民の食糧は自国でまかなう、自国の領土を自分たちの子どもにきちんと教える、そして自分たちの国の名誉は誰も守ってくれません。自分たち自身で守るということであります。何よりもあの不当な2重の意味で国際法に違反をした復讐の茶番劇である東京裁判で書き込まれた東京裁判史観から脱却をして私たち自身の歴史を私たち自身の手に取り戻す国民運動が戦後レジームからの脱却だと思っております。
もう一度安倍総理が掲げられた戦後レジームからの脱却の旗を掲げなければなりません。そして伝統と創造で、私が目指しているのは「道義大国日本」です。安倍総理の「美しい国」と言い換えてもいいと思います。国土が美しく、何よりも私たち一人一人の国民の心が美しく、道義心で世界中から尊敬される自由で民主な気風があふれ、そしてまた社会正義が貫かれているそんな世界樹から尊敬される国を目指したいと思います。真の主権国家になり、道義大国になり、世界における日本の使命を果たさなければならないと思っております。
先の大戦のあとに、アジアアフリカの多くの国々が独立したのは何故か、また今回ノーベル賞を受賞された両教授が特許を取らないで社会のために役立てるとされたのは何故か、すべて日本人らしさから来るものだと私は思っております。
日本はアメリカだとか中国を目指すのではありません。力で力を押さえつける覇権主義や拝金主義、強いものだけが勝ち残るグローバリズムではなくて、高い道義心で世界から尊敬されて世界から頼りにされ、それにより世界中を豊かに平和に出来る国、そんな国をめざすべきだと思っております。世界中で日本だけがそんな国を目指すことができる唯一の国だと確信をしているからです。
そのためにも私たち自身が変わらなければなりません。自らを省みて拝金主義に毒されていないか、自分勝手になっていないか、恩知らずになっていないか、自分自身を省みて自分の価値観を転換していくということです。政治の世界に力ではなくて道徳心と尊敬されるそんな政治を取り戻さなければならないと思っております。
そのために皆さんとともにたたかっていきたい。次の選挙に勝つためではありません、この国をよくするためにみなさんとともに行動し、戦い続ける政治家でありつづけることを誓ってお礼の言葉に代えさせていただきます。


「道義大国」にはちょっと注釈がいりますね。稲田さんは今年2月10日(11日が正式なのだそう)に自らを会長として新人議員34名による「伝統と創造の会」を発足させていらっしゃいます。ここにも「道義大国」という言葉が見えます。
2012年4月には「道義大国を目指す会」で講演をなさっていますが、そこでは次のように話されています。

政治不信の根底には国民のモラルの低下があるのではないかと思っております。民主党のこの不道徳な政権を生んだのはわが自民党なんです。なぜなら国民の生活が第一、ばらまき、目の前の利益誘導に飛びつくような国民を育てる教育をしてきたのが我が自民党じゃないんでしょうか。私はそのことを反省しなければならない。
そして、何か政治を変えるというと、なんか改革だとかしくみを変えるだとかそんなことばかり言いますが、そんなことだけで私は政治は変わらないし日本も変わらない。公務員の倫理観が高くなければ大阪市と大阪府を統合して何も変わらないんですよ。しくみを変えたって私たちのモラルが高くなければ日本はよくならないんです。
国民の生活が第一なんていう政治は、私は間違っていると思います。いま私たちが生きているのは、私たちの生活だけが大切なんじゃなくて、先人から引き継いできた大切なものを私たちの子孫に引き継いでいく責任を果たすのが政治家の役割だと思っております。
私は日本は中国でもアメリカでもない・・・高い道徳性と倫理観で世界中から頼りにされて尊敬される道議大国をめざすべきだと思っております。


カギは「占領期間で失われてしまった日本人らしさや国柄」=「日本の自国認識に関する思想で、とりわけ万世一系の天皇統治を根拠にして、日本の伝統的特殊性と優越性を唱える思想(辻本雅史「国体思想」)=戦前の国体思想そのものだということです。
まさか、弁護士もなさっているこの方がと思われる方も多いかもしれませんが、たとえばThe Guardianの記事だとか、「男子も女子も自衛隊に体験入学するべき」という発言だとかを見ていけば、だんだんその正体が浮き彫りになってくるのではないかと私は思います。こんなお方がやはりいるんですねえ。
防衛大臣におなりになって、中国、韓国との外交・防衛や沖縄も基地問題をどうされるのか、注意深くみておくことにします。



  8月2日(火)
軒先のツバメの子たち、ずいぶんと大きくなりました。ただ、一羽(下の写真右端)ちょっと栄養不足でひ弱なのがいて気がかりです。
親はどんなに雨が降ろうが、朝から晩までエサを運び通し、すごいエネルギーです。私やハルちゃんが近づくと親が「チーチー」と危険を知らせる。するとヒナたちは首をスッとひっこめる。よく”しつけ”ができています。
子どもの虐待などが報道される世相の中、妻は「ちょっとでも見習ってほしいね」とため息交じりに言っていました。本当にその通りですね。
下は我が家で収穫した夏野菜。2,3日前に撮ったものです。




一昨日、昨日と夕刻にはものすごい雷雨、ハンパではない降り方でした。一昨日は短い時間だったけれど70〜80ミリ/hぐらいの降り方。昨夕はそれほど強くはないが長い時間降り続いた。おかげで前の用水はほとんどあふれんばかり。そこにそそぐ山からの水は石を運んでガラガラと音をたてている。
妻の話では大町はもっとすごく、商店街は水浸しだったということでした。ところが、降り方は、場所によって相当に異なる。一昨日の雨は、沖縄でいえば「かたぶい(片降り)」に近い。
東海地方の南に停滞した低気圧が主な原因らしいのですが、それにしてもいやな天気。まあ、カンカン照りが続くよりは、作物のためにたまに雨は降って欲しいのですが。
飼いネコのハルちゃんは、空が黒くなってくると(たぶん遠くに雷鳴が聞こえるのか)戸棚に避難。相変わらず激しい雨の音と雷が恐いのです。



  8月1日(月)
今朝も朝から暑い暑い。今日はとくに予定がないので、午前中はフランスのテレビドキュメンタリー「APOCALYPSE HITLER(日本題:ヒトラー権力掌握への道)CC&C/France 2 2011年」をDVDに落としていました。まだソフトに慣れないので原因不明の失敗続きです。
このドキュメンタリーは2014年にNHKがBSで前編後編にわけて放映したものです。ネット上ではかなり視聴されている注目の動画のようです。

さて、都知事選挙から一夜明けてみれば、小池女史が他候補に100万票以上の差をつけて圧勝。鳥越陣営にしてみれば相当にショックですね。
これまでのさまざまなテレビ番組などから私なりにこの現象を考えてみると、いくつもの注目すべき点があるように思えました。
まず第1は、何よりも猪瀬、桝添とつづく都政への都民の怒りが底流にありました。もっともそうした人物を選んだ責任についてはさっぱり不問のままなのですけど。「期待していたのに裏切られた」という程度なのかもしれません。
そのために、いち早く自民党にも相談せずに立候補表明した小池さんは、前知事と同体であった自民党都連に挑戦状を突き付けることによって、これまでの都政を変えることができるというイメージを作り出すことに成功した。つまり、第2に、自民を割ってでも都民のために働く悲劇のヒロインを演出できた。今朝のインタビューでも「ジャンヌダルク(火あぶり)になる覚悟で都庁に行きたい」と抱負を語っていましたね。
徹底してイメージ選挙、パフォーマンス選挙に徹したことで、都民の中に「何か変えてくれるのではないか」「どの候補よりも強力なリーダーシップを発揮してくれるのではないか」という期待感を作り出すことが出来た。それゆえ第3に、30代、40代という若い層へのアピール度が大きかった。無党派層の5割を取り込み、強いリーダーシップを期待するというのが7割を超えていたというデータがそれを示しています。
それに対して、自民党・公明党は候補者もなじみ薄い、旧態依然のにおいがする、野党候補は、いかにも付け刃で新味がない・・そんな印象がマスコミで作り出されれば、有権者の視点は勢い悲劇のヒロインに集まるという寸法。つまり「イメージ選挙」は小池、マスコミ共演という色彩が濃厚というのが今回の選挙の第4の特徴。
ところが当の小池さん、自民党との関係についてはたいへんうまく立ち回ってきました。自らの進退は党に預けるというだけで、自ら離党したわけではありません。しかも都連との関係が問題なのであって、自民党本部との関係は微妙にしたまま。
従って仮に自民党サイドから一定時間距離を置かれようが、いずれは向こうから寄ってくるという算段があったのではないでしょうか。それだけ現在の自民党内の状況を読み切っているのはさすがというべきでしょう。

問題はここからです。庶民が「強いリーダーシップ」を求め、「何か変えてくれる」という政治的情動に突き動かされる場合、それがアベや小池といった人物だったときに、何がもたらされるのかという点が、俄然大きな問題として浮上してくるということです。
石原慎太郎に期待したことも同じであり、桝添に票をいれたときも似たような状況がありました。したがって、人々が小池に票を投じた行動はいまにはじまったことではないのです。
だが、東京での野党統一の状況を合わせて見比べてみたとき、さらに改憲勢力が国会で多数を占めているという状況を見たときには、これまでにない新しい危機の始まりという特徴を持つ、そのように私には思えます。
はっきり言えば、ファシズムの底流が確実に作り出されているということです。ファシズムは優しい顔をして庶民の前に立ち現れる。そして庶民に「いっしょに立ち上がろう」とよびかけ、「この道しかない」と力強く断言する。
日本型ファシズムは、戦前をベースにしながら、しかももっと凶暴な諸相をもって立ち現れる。人々は容易にそうした「力強さ」に引きつけられていくのです。「まさかいまの日本でそんなことが起こるわけがない」と誰が言い切れるでしょう。日本社会はそれだけの素地=戦前との地続きの側面=を持っている。多分これからは「改憲」と「天皇」がキーワードになっていくでしょう。
冷静な理性、緻密な分析と総合的な視点・・・?いやいや、そんなものより、いまのこの閉塞感を打ち破りたいのだ、そのためなら手段をえらばない、ファシズムへの階段はそうした情動とかならず結びついて私たちの前に立ち現れるのです。
警戒せよ、感覚を研ぎ澄まし、歴史の逆流と断固としてたたかう新しい流れを私たちは求めていきたい。私も妻もあと何年生きられるのかはわかりませんが、そのための実践をうまずたゆまず進めていこう・・・参議院選、都知事選の結果が私に呼び起こしてくれた新たな決意です。




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