今日も暑い1日。午前中のバラ園の整備作業も時間短縮で早々に終了しました。
帰って昼過ぎに庭を見ていたら、飼い猫のハルちゃんが何かくわえていそいそと帰ってきた。ネズミか・・それにしては日中だし・・・と思ってよく見たら、大きなトカゲ。まだ生きていて逃げようとするのを追っかけて遊んでいる。
そのうち、「しっぽ切り」で二つに分かれたトカゲにビックリして、一瞬たじろいで本体を追っかけようとしたけれど、もう石の隙間に入られてしまい、次にピョンピョンしているシッポを不思議そうに見ていて、そのうち諦めたようでした。いままでトカゲなど捕まえたことがなかったのに、何を考えているんだか。
このところ書くことがつい長文になって、今日もある方に「よく書くねえ」と言われてしまった。すいません。
性懲りもなくまたまた、長い「小論文」を書きますね。ま、気が向いたらお読み下さい。
******************************戦前、とくに中国大陸への侵略を強め、さらに太平洋戦争へと突入していく1930年代後半以降、日本を支配していたイデオロギーの一つが「皇国史観」であったことは紛れもない事実です。それが、戦後も「成長の家」や各種神社、遺族会、自衛隊OB会などを通して根強く残り、新たに再生産されてきました。
それが現在もなお連綿と受け継がれていることには驚くばかりです。しかもその背後に不気味な足音を聞いてしまうのは私だけではないはずです。
一体こうした思想的な背景に何があるのか、なぜこれほど執拗に根深くこうした考えが残っているのか、それをどう考えどう克服していけばいいのか。今後とも少しずつ考えていきたいと思うのです。日本会議などの極右の動きとどう対決するのかを考える上でも、このことはとりわけ重要だろうと思うからです。
「大東亜戦争」の政府・軍部のイデオローグとして有名なのが超国家主義者である徳富蘇峰です。以前、彼の書いた「必勝国民読本」を紹介したことがありましたが、そこには「日本会議」などの底流にある国家観がまとめられているのですが、それについても書いたことがありました。
日本会議との関連で今日はどうしても改めてそのことについて詳しく見ておきたいと思うのです。
蘇峰の思想は当時の多くの日本人を「洗脳」していた考え方ですし、いまなおその信奉者がいるのですから、決して無視できないものだと私は考えています。
その前にまず、日本会議の見解を見ておきます。
ホームページでは、「日本会議の目指すもの」の中に「美しい伝統の国柄を明日の日本へ」と題する一文があります。
皇室を敬愛する国民の心は、千古の昔から変わることはありません。この皇室と国民の強い絆は、幾多の歴史の試練を乗り越え、また豊かな日本文化を生み出してきました。
多様な価値の共存を認め、人間と自然との共生を実現してきたわが民族は、一方で伝統文化を尊重しながら海外文明を積極的に吸収、同化して活力ある国を創造してきました。
125代という悠久の歴史を重ねられる連綿とした皇室のご存在は、世界に類例をみないわが国の誇るべき宝というべきでしょう。私たち日本人は、皇室を中心に同じ民族としての一体感をいだき国づくりにいそしんできました。ここには控えめながら、日本の伝統の美しさが「皇室との一体感」「皇室の存在がわが国の誇るべき宝」とされ、「常に揺るがぬ誇り高い伝統ある国がらを、明日の日本に伝えて」いくことが日本会議の目的であることが主張されています。。
「皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、『同じ日本人だ』という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています」とも書いています。こうした認識を個人として持つことは一向に差し支えないことですが、これを「国民運動」として展開し、国民全体の意識として広げようとしたり、まして憲法・教育基本法にまで書き込むとなれば次元の異なる話となることは明らかです。
言うまでもなく、こうした考え方は唐突に出てきたものでもなければ、特定の集団の特異な考え方でもありません。戦前にこの国のいわば「国定」の歴史観として人々の頭の隅々にまで染み渡っていたものでした。
では、あの侵略戦争に全国民を動員するための思想的な教本としての「必勝国民読本」を書いた徳富蘇峰はそこで何と主張しているのか。
まず明治以来次第に強められてきた皇国史観について彼は次のように語ります。
この慌ただしき変化(他国が「原始人の移動」の如き移動・転変を繰り返していること)の間において、日本のみは三千年来、今なお古(いにしえ)の如く、古なお今の如く、万世一系の天皇統治の下に、大和民族はここに皇室を中心として生活を続けている。これをしも奇跡といわねば何を奇跡と言うことができよう。(略)
日本人種がいずれの方向よりいかにして日本に来たりたるか、もしくは本来日本に永住しるか、それらの問題は他に研究者がある。我らはただ日本の正史である「日本書紀」の神代巻によって、我が日本国は天神によって肇造(ちょうぞう)せられたるものと信じ、その以前に遡ることは専門家の研究家に譲る。(略)
日本は天皇のしろしめす国土なれば、これを皇国と称するは当然であり、人民は天皇の臣民として、祖先以来継続し来たりたるものであれば皇民と称するは当然である。同時に天皇は現身神(あきつかみ)に在(お)わし、現身神のしろしめす国であれば神国と言うべく、また神国に居住する我らは神民と称するも、決して不遜ではあるまい。
かくの如く日本が変化極まりなき世界年代の大波乱の中にあって、あたかも太陽の中における大なる巌石の如く、巍然(ぎぜん)として動かず、一の国家とし、一の民族として存在するは、まさにこれ日本国民のために存在するばかりでなく、世界二十億の人類のために存在するとものと言うも過言ではあるまい。(略)したがって、我ら国民は単に日本の国家を擁護するばかりでなく、世界の師表となり世界を善導するべき重大の責任あることを明記せねばならぬ。
彼はこれに続けて、戦争の原因がアングロサクソンのアジア支配にあり、日本の戦争は「自存自衛」のためだとし、天皇の宣戦の大詔にふれて「大東亜戦争」についての日本の役割を次のように述べていました。
我らが勝ち抜かなければならぬということは、決してそれには止まらない。日本は東亜の指導者である。このことはすでに日独伊三国の条約においても明文がある。(略)この「指導者」ということは日本が自ら進んでその役目を買って出でたというわけではない。明治37、8年戦役以来、アジアの諸民族は皆日本を認めてその指導者としていた。(略)したがって今日の日本は一億日本国民を背負って立つばかりでなく、十億アジアの同胞を背負って立つところの、有史以来未だかつてなき一大責任を負うこととなった。これはもとより我が肇国の国是たる八紘為宇の大精神を実現する所以にして、日本歴史の行程から見ればこれまた自然の発展と言わねばならぬ。
蘇峰にしてみれば本気でそう考えていたのでしょう。徳富蘇峰を「東条の太鼓持ち、在野最大の戦争責任者」と酷評していたのは清沢列。まともな批判精神があれば戦中でもきっちりとその本質をとらえられたのです。
ところがどっこい。今の今でも、この手の「神がかり」的輩がうようよいるのです。
先日のオリンピック閉会式で安倍首相が登場する際にマリオという幼児的演出を考案し提案したのは森喜郎だというニュースがありました。
日本の政界に隠然たる影響力をいまだに持つこの老人が2000年5月15日に「神道政治連盟国会議員懇談会」の席上のあいさつで言い放ったコトバがつい思い出されます。それは
Wikiによれば次のようなものでした。
日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く、そのために我々(=神政連関係議員)が頑張って来た直後の国会では共産党志位委員長が
鋭く追及をしました。だが、その後もこれに類する発言は枚挙にいとまがありません。
最近では、先の参議院選挙で当選した自民党三原じゅん子議員が「神武天皇は実在の人物」と発言(私もニュースを聞いていた)したことが記憶に新しい。中継での
池上彰氏とのやりとりは唖然とさせるものでした。
さらに、山谷えり子参議院議員。今年2月11日「建国記念日」にあたって「神道政治連盟」
ホームページへ寄せた一文には次のようにありました。
日本の建国から二六七六年、国の礎を築いた祖先たちがいたおかげで、今ここにいます。(中略)
四年後には『日本書紀』の編纂から千三百年の年にあたります。その中で初代神武天皇は、主に三つの建国の理念を掲げておられます。要約すると「国民一人一人はおおみたから≠ニして大切にすること」、「道義国家をつくること」「世界が家族のような国家となること」です。このようなすばらしい理念のもとに、日本の歴史が繋がってきています。そして日本は世界最長の二六七六年の歴史があります。長いと言われるデンマークで千百年、イギリスで千年弱です。こうしたことを知らない日本人は多いし、またそれを教えられてこなかったのは残念に感じます。日本会議や神道政治連盟国会議員懇談会に名を連ねるこれらの人たちの主張は驚くほど似ています。と言うより、全くの同根であることがよくわかります。こうした発言は、過去にいくらでもあったし、おそらくこれからも何度でも出てくるのでしょう。
戦前の歴史観が何故これほどまでに現在もなおこれほどの広がりを見せているのか。精神的な底流の一部を形成し続けているのか。
こうした神がかり的な発言は、神がかり、すなわちある意味で宗教的な背景を持たなければ考えにくいものです。特定の宗教というより、それに対する極めて深い親近感、心酔、傾倒・・・のような心情といった方がいいかもしれませんが。
「日本会議」について書いた本のそれぞれが、「成長の家」をはじめとする新興宗教の「宗教的」教義に一つの源流を見ています。それが国家神道を担った明治神宮、靖国神社を中心とする神社本庁の皇国史観、旧日本軍のエリート参謀や軍人たちの意識と結合して幅広い底流を形成してきたことは間違いのない事実でしょう。
そこには、あの戦争がやむにやまれぬ自存自衛の戦争であり、決して好んで他国を侵略しようとして行ったものではないという意識、あの戦争ではアメリカの物量によって負けたが決して精神的に敗北したのではないという屈辱感、そして米占領軍によって国土が踏み荒らされ憲法まで押しつけられたことへの強烈な反発、その裏返しとしての、この国が皇室を中心として栄え続けてきたという他国に例を見ない「美しさ」への回帰願望などが形を変えて繰り返し見られます。
ただ、ほとんどの場合、冷静な学問的な追究の結果としてではなく、宗教的あるいは感覚のレベルでほとんどはとどまっているように見受けられます。ただ、戦前からの意識を今にとどめている右派の論客とされる大学教授たちもいて、それらの理論づけを行っているので「正統性」を得ているように見えるのです。
家族にそうした強固な宗教的信条を持つ者がいた場合、子ども達に影響を与えることはいくらでもあることです。その場合にも、今日の個人が分断化され将来に見通しが持てない中で、上記の意識が継承され、より深く結合され、それらが渾然一体となって「愛国と宗教心」へと容易に精神的回路が開かれるのであろうと私には思われます。
「愛国と信仰の構造」(中島岳志さんと島薗進さんの対談)の中で、島薗さんは、「個人が砂粒化した現代では、民族や国民というものがかえって強調されるようになったり、あるいは宗教の力を借りて国家や社会の秩序を維持しようという気運が、上からも下からも生まれてくる」「それと同時に、中国や韓国に対抗しなければならない、という民族主義的な考え方もつよくなってきています」と述べて、「そうしたナショナリズムと宗教が結びついて興隆するのが日本の特徴」だとして、戦後「国家神道を『捨て去った』という見方を私は強く疑っています。今も脈々と国家神道は生きている」と強調しています。
国家神道が今日も残っていると主張する島薗さんは、GHQが解体したのは「国家と神社組織との結びつき」であって「皇室祭祀は大方残され」のであり、「国家神道の主要な構成要素は神社組織ではなく、むしろ重要なのは皇室祭祀と不可分の天皇崇敬」だったのだと分析しています。
島薗さんの考えでは、明治初期から中期まではすぐに国体論が広まったわけではなく、国民の中に皇道や国体論の教えが刷り込まれていくのは、1890年に教育勅語が発布された後のことだとし、重要な視点を提示しています。島薗さんは次のように述べます。
1890年から1910年あたりの20年間で、国家神道を普及させるさまざまな制度やシステム(注:学校行事や教科内容、軍隊の訓練、戦勝記念行事や天皇の結婚式など)が確立していきます。そうなると、国家神道は国民自身が担い手となる「下からの」運動という性格を帯びていく。つまり、民衆自身が自ら自発的に国家神道の価値観を身につけ、その価値観をもとに行動していくのですね。国内の主な宗教組織(大本教、日蓮主義、国柱会など)がそれ以後教義に自ら国家神道を取り入れるような有様となり、生活の困窮・社会不安の増大の中で庶民の不満を吸収する「国体論と結びついた宗教運動」が支持を広げていくことになるのです。
国家神道が上からだけではなく「下からの運動」として国民の血肉となっていったという指摘は極めて重要です。この「下からの運動」を今日下支えしているのが、1920年代、30年代に基礎を形成し今日なお影響力を持つ新興宗教団体や修養団体です。敗戦、米軍による占領、新憲法の制定という激変にもかかわらず、いやそれだからこそ「人々と天皇の大御心が一体化したものが日本の透明な共同体であるという発想」をバネとして庶民のなかで野太く生き延びてきたといえるのではないか、そのように私には思えてなりません。
「信ずる」者の目からは、いくらそれが悲惨なものであっても、戦争加害の実体は見えません。いや見ようとしないのです。侵略していく他国について、多少の混乱(実は重大な大規模な加害)はあっても、それはその国から「望まれたもの」であり、その過程での被害・加害であって、大局的には自存自衛のための派生的問題にすぎないという「言い訳」は常に用意されています。
「望まれない相手」であれば、相手が余りにも暴虐で、それを懲らしめるための行動が必要なのだと大仰に理屈がつけられます。
それ自体「真善美の極致たる日本帝国は、本質的に悪を為し能わざるが故に、いかなる暴戻なる振る舞いも、いかなる背信的行動も許容されるのである!
丸山真男 現代政治の思想と行動、第1章 超国家主義の論理と心理 未来社「丸腰でどうやって中国の脅威に立ち向かうのか」「左翼にこの国の美しい歴史を壊されてそれでいいのか」など、超国家主義を準備する大義名分はいくらでも作り出せる。そうやって、いまストレートにではないにしろ、戦前とほぼ同型のファシズムが忍び寄ってきています。
島薗さんはこの本の終わりに次のように語ります。
戦前とパラレルに進んでいる戦後において、全体主義がやはりよみがえるのか、と問われれば、答えはイエスです。もうすでに現在の日本は、いくつかの局面では全体主義の様相を帯びていると考えてもいいでしょう。
もちろん、戦前とは大衆の熱の帯び方が違います。「下からの」というより「上から」静かに統制を強めるような、冷めた全体主義です。「大衆が支える全体主義」について中島さんは「アメリカという後ろ盾を失った時、その不安に日本人が耐えられないのではないか。・・・大衆が支える全体主義は、アメリカの撤退後に起こるのではないかと考えている」と話していますが、これはどうか。
むしろ、「日本会議」がめざすものは、草の根の国家主義運動であり、「下からの全体主義」なのだとみるべきではないのでしょうか。
この国の支配層が、北朝鮮や中国の出方を意図的に操作し、「下からのナショナリズム」を利用しつつ、一挙に改憲と全体主義の国家作りに突き進む恐れが強まっている、と私は考えています。