池田町教育委員会から、以前提出した公民館使用問題についての「質問と要求」についての回答を今日の午後手渡すという連絡があったようです。どのような回答になるのか、注目されます。
この「質問と要求」はすでに詳しく紹介しているとおり、私たち町民有志が12月2日に「町民と政党のつどい」を開催するために、池田町公民館の使用許可を得て準備を進めていたものを、運営者側が前日になって突然使用取り消しを通知したことに関して、公民館の担当部署である池田町教育委員会と町当局に見解を質すために提出していたものです。
その内容は、事実関係や法令の解釈、今後の公民館のあり方など多岐にわたっており、一つ一つが今後の公民館の運営に深く関わるものばかりです。その後、この問題に関して私たちの基本的な考え方を「見解」として示し、町当局にも渡してありますから、議論の土台はもう十分に揃っています。
あとは、どれだけ町と教育委員会が真剣な対応を示してくれるかにかかっている。すべては今日の回答にかかっているといっても過言ではありません。
「集会・言論の自由」に関わる問題の性格から、マスメディアも相当に関心を寄せていて、直接記事にはできないとしても事態の推移を注意深く見守っています。すでに池田町だけの問題ではなくなっていますから、池田町も問題の重要性を十分に認識した回答を寄せてくれることを期待したいものです。
*****************************午後4時、教育会館で教育課長、公民館長から回答を受け取りました。回答は質問項目がなく回答事項のみでしたので、以下に質問項目に対応させたものを作りましたので、ごらんください。
「質問と要求」(12月27日)に対する池田町の回答回答を受け取ったあと、教育課長に私から次のように質問しました。
「『質問と要求』では端的に2つのことを聞いている。つまり@申請と実際が異なることは使用許可取り消しの理由にならないと考えるがどうか、A社会教育法は憲法・教育基本法に基づいており、運営者を規制しているのであって、町民団体を規制しているのではない。これらについてのこれまでの教育委員会の見解はすべて正当であるということか」
これについて教育課長は「その通りだ」と答えました。
この日は、ただ回答を受け取るだけで議論することが目的ではありませんでしたから、それ以上は追及しませんでしたが、要するに、@実行委員会が虚偽申請(申請者は「町民の会」となっており「つどい実行委員会」ではないこと、および目的も「会議」となっており実際は「集会」であったこと)をしたことが取り消しの理由となる。A社会教育法は、22条および23条によって、公民館運営者も利用者も拘束する規定となっている。実行委員会はチラシの記載によって「特定政党の利害に関する事業」とみなされる。判断は正当である、というものでした。
その限りでは、これまでの見解から一歩も前に出ておらず、また、私たちの「見解」を含めた批判にもまともには答えていない、杓子定規の回答であるとしか読み取れません。
他の公共施設を借用させなかったことは「反省する」と記し、今後関係機関に周知徹底をはかるとは書いていますが、明白な法令違反の誤りであったとは認めていません。何を反省するのか、これだけでは全くわからない表現です。
事実関係については、結局事務局長が教育会館で「確認事項」に書いたようなことを述べたとして、それを確認することを拒否したため使用許可取り消しに踏み切ったと自己弁護をはかっていることが特徴です。たとえば、こんな話をしたとしましょう。教は教育委員会、返事は私Mooとします。
教:このつどいでは政党関係者を含めて選挙の話をするのか。
私=総選挙は差し迫ったものではない。誰かを当選させるなどと選挙直前のような話をするわけがないではないか。
教:それでは、とくに選挙の話をするというわけではないと思ってよいのか。
私=野党共闘について各政党からの話を聞くだけだ。候補が決まっているわけでもない。
教:野党の代表だけが参加するのか。
私=自民党の某代議士から参加させてほしいという話は聞いたが担当者は断っている。もともと野党共闘について議論する場だから当然だろう。内規について抵触するのではないかというクレームがあったというが、それは誰か。
教:それは言えない。
私=内規は政党に関しての規定であって、一般町民団体には適用されない。したがって、今回は当然特定政党の利害に関するという社会教育法の条文には該当しないし、当然ながら社会教育法は公民館運営者についての運営規則だ。
教:いや、社会教育法についての見解は異なる。運営者も使用者も拘束する。公民館の使用者も利用に当たっては中立でなければならない。さて、このような会話があったとして、その後、教育委員会が次のような「確認書」を私に出して確認を求めたとしましょう。
@「つどい」では選挙に関する話題・議論は一切しない。
A公民館使用に当たって、特定政党の利害に関する政党の利害に関する事業を一切しない。
B特定の選挙における選挙活動の方策等について、政党の利害がないようにする。
私は、この確認書を認めるべきなるのでしょうか。
おそらく事務局長とのやりとりも「当たらずといえども遠からず」なのではないでしょうか。つまり会話の断片をつなぎ合わせれば、「選挙に関する話題は一切しない」と解釈したといえるのです。そんな趣旨のことはいっさい言っていなくてもです。
11月29日からの話は教育委員会(教育長、教育課長、公民館長)と実行委員会(事務局長)の話し合いでしたから、こう言った、ああ言ったとなれば、平行線になります。それゆえ、私には事務局長のメモと表に出た「確認事項について」なり、「町の回答」なりからしか判断することはできません。
そうだとしても、教育委員会の回答には極めて顕著な歪曲、言質を取られまいとする断定が見られます。全面的な反論は後日実行委員会を開いて検討することになりますから、それに譲るとして、ここでは私なりの(個人的な)感想をいくつか記しておくだけにしましょう。
第1に事実経過に関して。質問の初めに、「使用許可を取り消したのはいつか」という質問をしました。これは当然、12月1日という回答を予想してのものです。もちろん「回答」もそのように答えていたのですが、興味深いことは29日の段階では「正式な使用許可はしていない」と書いていることです。正式な使用許可と正式でない使用許可があることをはじめて知った次第。
教育委員会が言いたかったことは、外部からクレームがあり、あわててチラシを見て「これはヤバい」と思い、このままでは使用許可はできない、そう思ったということなのでしょう。
しかし、すでに使用許可は出ているのです。だから、「現時点ではこの確認書を認めなければ使用許可を取り消すことになる」という通知をしなければなりません。果たして教育委員会はそのような手続きを踏んだのかというということです。
残念ながら、確認事項はつどいを実施するにあたっての確認事項であって、これを認めなければ取り消すなどということは一言も書いていない。だから、あくまで事務局長がこのように述べた、しかしそれを認めなかったという大変矛盾した回答をせざるをえないのです。言い替えれば、教育委員会が都合のよいように発言をつなぎ合わせたことを示しているのではありませんか。今回の回答で、「住民の政治的学習や活動を制限する考えはありません」とのべていることとどのような整合性があるのでしょうか。
第2に、社会教育法の解釈については、過去の事例、判例などを調べたといいつつ、結局憲法問題での見解は一切触れず、あくまで社会教育法の誤った解釈にしがみついていることです。そのためにここでも著しい自己矛盾に陥らざるを得ません。つまり、一般論としては実行委員会の見解を認めるといいながら、今回の「つどい」は野党だけであり、自民党の参加要請を断り、野党共闘を勝利させよう、安倍内閣を倒そうなどという政治スローガンをチラシに書いていることをもって特定政党の利害に関する事業を行うと判断されるというのです。
だいたい、自民党の某代議士の横やりに乗る教育委員会こそが特定政党の利害に関する事業を行っているのではありませんか。もともと野党に招請状を送り参加要請をしたのであって、自民・公明・維新にはしていません。当たり前のことです。
横やりというのには十分な理由があります。つどいの内容を十分に知りながら、オレも加えさせろ、さもなければ欺瞞だ、なとどネットに書き込んだのですから、噴飯ものでしょうに。これこそが特定政党による干渉の見本です。公民館を使って自らの集会をやりたいのであればおやりになればいいのです。
野党共闘をどうするのかを議論することが特定政党の利害に関することだと言ってしまえば、あとはなし崩しにどんな政党に関することも特定の政党の利害になってしまいます。
この回答では、特定の政党に関する利害とは、「@一般町民に、特定政党の宣伝をすること、A選挙において特定の候補者や政党に投票するよう、或いはしないように勧誘すること」と書き、具体的には、@チラシからは、特定の政党のみを招いていること、A事務局長は、自民党議員の参加要請を断ったと発言されていること、B野党の共闘により総選挙の勝利を主たる目的としていること。を挙げています。
これらは公民としての正当な政治的活動ではないのでしょうか。一般に批判のない政治的議論などというものはありません。公民館で他党批判をしてはならないとどこに書いてあるのでしょうか。各政党は批判を通して政策を競い合い、支持を獲得していくのではないのでしょうか。町と教育委員会はそうした民主社会の原理を根本から理解していないと言わざるを得ません。
もし、この点であくまでこれまでの立場を正当なものだとするならば、今後の公民館のあり方に重大な支障をもたらすことになりますから全面的に争わなければなりません。新たな局面に入らざるを得ないということです。