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  10月30日(火)
稲田の日本史珍説+安倍の「改憲発言禁止されず」との妄言への感想を求められれば、出てくる言葉はただ1つ、誰かさんと同様で「ダメだ。こりゃ」。

松本での「こどもじゅく」(受験対応特別教室)が終わって外にでて、あまりの寒さに震えが来てしまった。ちょっと薄着をしていったこともあったのか、妻に言わせると「熱がある」のか、とにかく寒さが急速に加速しているような気がしました。
そういえば、行きがけに北アルプスの山々を見たら、常念岳から大天井岳、燕岳・・・と北側はすべて雪化粧。気圧の谷が通過して山々が雲で覆われる度に雪の量が増えていきます。



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下は今日の琉球新報の号外です。

安倍首相は「沖縄県民に寄り添う」という言い回しが、どれほど不誠実で県民を愚弄する発言かをおそらく一度も考えたことはないんでしょうね。いわば、「え〜本日はお日柄もよく」と同じレベルで前後の脈絡もなく発語された言葉。沖縄県が行った辺野古埋め立て承認撤回の執行停止を決定したことは、「寄り添う」とは寄り添って蹴飛ばし放置するという以外の意味を持たないことを示しています。
そもそも、防衛省が身内である国交省に行政不服審査法に基づく審査請求をすること自体、行政不服審査法の精神に全く背き、「憲法の保障する民主的地方自治を踏みにじる暴挙」(沖縄県内の研究者声明 30/10)、「一般国民のために作られた制度を、政府が『私人』と強弁して乱用するのは詐欺にも等しい行為」(琉球新報社説)なのですから。これをやったのが公明党から唯一出ている国交相の大臣であることをよく覚えておきましょう。
比較的浅い辺野古側の海の護岸工事を「一応」終えて、とにかくここに土砂を早く埋めて既成事実を作りたい政府・防衛局。その後のことは何年、何十年かかろうが知ったことかという乱暴な対応が現在の政府の態度だということを肝に銘じておきたい。
「何年、何十年かかろうが知ったことか」というのは、新基地工事の主要な部分は、辺野古側ではなく大浦湾側にあるからです。強襲揚陸艦が接岸するのは水深の深い大浦湾側であり、滑走路のV字が開いているのも大浦湾側だからです。ところが、この深い海の底は活断層が走ると言われ、そのためであろうマヨネーズ並の軟弱地盤が切れ込んでいて、仮に工事を続行するとしても工法の変更(知事は許可しない)が必要になるだけではなく、費用も天文学的になり、さらにいつ果てるともしれない工期が必要となります。それを知りながら、とにかく一部でも早く埋め立てて諦めさせようというのですから、悪質を通り越しています。
下の図は北上田氏のブログより。最近発行された岩波ブックレット「辺野古に基地はつくれない」(山城博治、北上田毅共著)に理由がくわしく書かれていますので是非お買い求めを。

勝負はこれから。土砂の積み出し港になる本部港での「積み出しをさせない」たたかい、新基地建設の是非をめぐる県民投票で圧倒的に反対の世論を結集するたたかい、そして、政府による県民分断をゆるさず玉城知事を支える取り組みなど、一つ一つが大事になります。腰が痛くなければ、妻と一緒に行きたいところなのですが・・・。



  10月29日(月)
昨日は東京で日本共産党がひらく初の「JCPサポーターまつり」がありました。今日の「しんぶん赤旗」には、若者を含む5000人が参加して大いに楽しんだとさまざまなイベントが紹介されていて、なまくらサポーターの私としてもうれしく読んだことでした。
昨日の毎日新聞(電子版)を見ていて、このイベントがさっそくニュースに(?)と思ったら、志位委員長がピアノ演奏(ショパンのワルツ曲)を披露し、その実演動画まで載っていたのでビックリ。きっと取材記者も仰天したんじゃないかな。動画はなかったけれど「朝日WEB」も同様の記事を載せていましたから。
「盆踊りがおもしろかった。志位さんのピアノがうまくてびっくり」とはある中学2年生の女子生徒の感想。他党の党首には爪の垢でも煎じて飲ませたいですね。

センター試験を受ける受験生たちはいよいよ最後の追い込み。現在教えている子たちは、数学TAは何とかなってきたかなと思う一方、数学UBがさっぱり。どうやっててこ入れするか頭の痛いところです。

昨日たまたまNHK囲碁トーナメントを見ていたら、趙治勲名誉名人と芝野虎丸七段がはじまったところ。武宮九段が解説していました。
途中、趙さんに「あり得ない(?)」疑問手が出て、武宮さんも「趙さん勘違いではないか」と信じられない風でしきりに首をひねり、そのあと趙さんのボヤキがはじまったので、どうなることかと興味津々。ところが、まもなく別のクイズ番組が始まるというので妻にチャンネルをゆずったので勝負の結果はどうなったのか分からない。
その勝負の結果もさることながら、先番の趙さん、打ち始めからすべて三三で芝野さんは星。こんなの見たことないと思っていたら、武宮さんは「AI囲碁の影響なんですね」と言う。どうやら、こんな布石が流行っているらしい。
最近囲碁のことは全く忘れていたし、棋譜を見たこともない私としては、もはや雲の上(いや宇宙の果て)の話のようなAIの世界。人間がAIと勝敗を競うという時代はとっくに過ぎて、教えを請うという時代に入っているのでしょうかね。プログラムの種類も全世界でずいぶん増えているようだし。
もっとも、センター試験の数学で満点をとるプログラムがあれば受験生は飛びつくのだけれど。



  10月26日(金)
朝6時すぎ、縁側に出てお天気を見ようと北アルプスの方を見たら、まだ有明山からはちょっと離れていたけれど赤く染まった山々のすぐ上に満月(?)が残っていた。そういえば、昨夜はゴーヤーカーテンの影が縁側との間にできるほど明るかったし。こういうときはMNEMOさんならふと一句が浮かぶんだろうなあ。
ちょうどモルゲンロートの真っ最中だったので、三脚をつかんで急いで外へ。そこまではよかったが、さあ撮ろうと思ったら無情にも”電池切れ”のサイン、蓋は閉まってしまった。「クソッ」と思ったが後の祭り。
慌てて三脚を外して家に戻って電池を取り替え、外に出たらもうロートは終わり頃、しかも山頂も麓もガスってきているではありませんか。その間約3分。私には方丈記の冒頭くらいしか出てこなかった・・・情けない。






  10月25日(木)
3年もの間、シリアで武装グループに拘束されていた安田純平さんが、関係各国による仲介・身代金支払いなどを通じて無事解放され、日本への帰国を果たしました。
本人の機内でのインタビューや帰国後の短時間の記者会見、奥さんの会見などを見ていて、無事で本当に良かったと思われました。
2004年から2005年にかけてはイラクで邦人の拉致・拘束が相次いだ年でした。4月には安田・渡辺両名が武装勢力に拘束され、ほどなく解放。また同月、渡辺さん、高遠さんら3人が拘束され、現地イスラム聖職者協会などの仲介でしばらくの後解放、さらに5月には香田さん殺害事件が発生しました。その当時、マスコミを含めさまざまな方面から「自己責任論」が叫ばれ吹き荒れたことはまだ記憶に鮮明に残っているはずです。
相変わらずの「自己責任論」が一方ではあるにしても、今回はジャーナリズムの役割の批判的総括もすすみ、比較的冷静な受け止め方が広がっていることは歓迎すべきことです。
おそらく安田さん本人は、3年以上もの過酷で非人間的な拘束期間を通して苦痛に耐える一方で、文字通り自己責任としての自らの行動への深い悔恨とともに、戦場で問われるジャーナリズムの意味の問い直しとで眠れない日々を過ごしたのではないでしょうか。
安田さんから、とらわれの日々の実態やシリア・その周辺で起こっている事態の偽らざる現状を詳しく語ってほしいものですね。

さて、今日は穏やかな秋晴れの一日。一週間に一度のバラ園整備作業にでかけました。例年、秋になると黒星病などの病気が広がってバラの葉が落ちてしまうのですが、今年もその例に漏れずさみしい園内。それでもいつもよりは花が多めで、とてもきれいに咲いている木もあります。
そろそろ冬支度にかかって、枯れた株の更新や新たに植える苗の購入など来年度に向けた作業を進めなければなりません。今日は四方山話に花が咲き、打ち上げ会の話も出て作業後のおしゃべり会の方が長くなってしまったことでした。


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帰ってから、午後から夜にかけてお米の袋詰め作業に汗を流しました。松本で行っている無料塾「こどもじゅく」への支援米が昨日すべてそろったからです。
昨日は、友人がわざわざ白米30キロを精米して届けてくれ、新米・古米合わせてほぼ400キロ集まりました。昨年は多分200キロくらいでしたから倍増です。おかげで我が家の玄関は米だらけ。
20〜30キロ入りの袋から3キロ袋への小分け作業をしているのですが、あまりの量になかなかはかどらない。新米はちゃんとした米袋に入れましたが一袋の代金もバカになりませんから、古米はポリ袋にして詰め込みました。これは3回ほどに分けて運ばないと一度には軽トラに積めません。
袋詰めしながら、私たちの生活にとって米がいかに大切かをつくづく感じさせられています。いのちの源泉だと思えてきます。3・11で被災者の方に何が必要かと聞いたときに「お米」と答えた声がどこかから聞こえてきましたものね。
米離れとか米嫌いとかという話題もありましたね。米国ならそれもありかなと思いますけど、米穀となると本当にそれでいいのかと思います。
自国で必要な量を100%生産できる。水田の特性から無限に連作できる。日本の気候に適している。水源の保持に多大な貢献をしている。籾のままで相当長期間の保存がきく。品種の改良などでたいへん美味しい・・・。”お米”を軽んずるものは国を滅ぼすと私には思えます。
にもかかわらず米作農業は重大な岐路にあります。作ればつくるほど借金がかさむような農業政策の結果、米作りへの魅力は薄れ就業者の高齢化がどんどんすすむ。あと数年で遊休農地が恐ろしい規模になるんじゃないでしょうか。


写真を撮っている私の後ろにも同じほど袋が並んでいます。すごい量です。協力して下さった9人の方々、本当にありがとうございました。いずれ、「こどもじゅく」で贈呈式を行いその結果をお知らせすることにしています。

MNEMOさんの今日の「蹉跌あつめ」には、芭蕉の句「一家に遊女もねたり萩と月」についてのやりとりが面白く書かれておりました。こういうやりとりはMNEMOさんらしくて好きですね。
実は、車で富山に行くときには決まって越中境PAで一休みすることにしているのですが、そこでいやでもこの句の歌碑を拝むことになる。なぜならPAのSmoking Roomがこの歌碑とほとんど隣り合わせになっているからなのです。
次の有磯海SAには「早稲の香や わけ入る右は 有磯海」があるし、 その他にも高速沿いには結構芭蕉翁の句碑が建てられているみたいですね。MNEMOさんと違って、私にはただ句自体には「ふ〜〜ん」という感じですけれど、この書はなかなか好みだなと思っていつも眺めているのです。


これは私の写真ではありません。いつも写真を撮ろうと思うのですが、たばこが先で忘れてしまいます。今度しっかり撮って差し替えますからね。
蛇足ですが、秋田美人、新潟美人、金沢美人、京美人・・・なんで1つ飛びなのか。越中人としては重大な疑問です。



  10月22日(月)
今日も霜が降りるほど寒い朝。しかし日が高くなると暑いくらいの天気になり北アルプスもすっきり一望できました。
午後からしばらく畑で草取りをしましたが汗ばむほど。ただ、腰の状態が思わしくないので、野菜を少し収穫して帰宅。だらだらと過ごした一日になってしまいました。

沖縄での知事選や那覇市長選挙の模様を調べていて気がつくのは、やはり安倍政権に対する怒りが激しく渦巻いていること。そして、それに対する県民の側からの不屈のたたかいが続けられてきた結果、2つのことが浮き彫りになっています。
その1つは、ネトウヨらの低劣な安倍応援団ぶりのバケの皮が次第に剥げてきていること。彼ら(主として本土の連中)が「中国が攻めてくる」とか「(故)翁長知事は中国の手先」「辺野古にはプロ市民や朝鮮人らが多数押し寄せている」などといったデマをまき散らせば散らすほど、実態を知っている現地の人々は、あまりの低劣さにうんざりしつつ、それが安倍の狙いと重なっていることを見抜いてしまっているばかりか、それが安倍と同程度のものであることもわかり始めている。
その2つは、沖縄の創価学会の際だった変化です。田中龍作ジャーナルの記事が事実だとすれば、創価学会内では矛盾が相当に深まっている。その1つの例証は県知事選挙で公然と翻ったあの3色旗でしょう。
那覇市長選挙では、公明党としては「推薦」はしたものの、学会員はほとんど動かず、むしろ城間候補に相当数が投票したことです。
これに追い打ちをかけたのが、市長選最中に「防衛省が(国交省に対して行政不服審査法に基づき)沖縄県による埋め立て承認撤回の効力停止を申し立てた」こと。自民党が多少とも「まとも」な感覚をもっているなら、自党推薦候補への影響を考慮して選挙後にするのが当然ですが、それをしなかった。
県知事選挙ではあれほど大物を投入していたのに、市長選挙では早々と自公推薦候補を見限ったということでしょう。先の田中龍作ジャーナルの冒頭に掲げられた候補者の「うつむいて泣き出しそうな表情」がそれを表しています。それほどまでに政府と沖縄県民との矛盾が激化しているということです。



  10月21日(日)
昨日から今日午後まで、東京の友人MNEMOさんとその仲間Kさんが訪問してくれました。3年前とは違って、とくにどこかに一緒にでかけることはせず、目標はゆっくり過ごすことと、安曇野の美味しいものをいっしょにたくさん食べること。
幸い、前日黒部で仕入れた新鮮な魚、女川からの産直サンマがあり、友人が分けてくれた「イノシシ肉」、さらに我が家の畑の作物がありましたから、私自身も堪能できるいろんな料理をつくって楽しんだことでした。
お二人とも多忙な日程をやりくりしての訪問でしたから、朝風呂にも入り昼寝もたっぷりして、こんな休日もいいかなという楽しい時間をいっしょに過ごすことができたのは何よりでした。
安曇野は昨夜からの放射冷却で急激な冷え込み。早朝、車の窓はすっかり凍り付いていました。MNEMOさんのスマホでは「池田町会染3℃」の表示が。
今朝はちょうど集落の掃除当番(責任者)に当たっていたので、午前7時過ぎに集落センターに。Kさんも快く手伝ってくれてありがたかった。みなさん手際よく一心に清掃に専念、1時間ほどできれいになりました。
その後Kさんと畑に行って新鮮キャベツを収穫、タマネギやジャガイモ、ネギ、カボチャ、有機米などとともにお土産に。昼は、近くのそば屋に行き「天ぷらセイロ」を腹一杯ごちそうになりました(昼はお礼をしたいというので甘えさせてもらいました)。
結局2日間とも、食っちゃ寝が中心。MNEMOさんだけは昨日の夜はオリオンの撮影に挑戦、さらに両日SNS発信のためにあちこちの風景写真撮影に飛び回っていたのはさすが。もう山並みや田園風景に慣れきってしまった私とは違って、風景の中の色や音などはすべてMNEMOさんの鋭い感性で新鮮に受け止めていたのでしょうね。

さて、那覇市長選挙でオール沖縄候補の現職・城間幹子さんが相手候補にダブルスコアに近い大差で勝利しました。よかった。
投票率が10数ポイント下がったことは大きな問題があるにしても、前回と同様の得票率でしたから、市民が城間市長をしっかりと信任したということですね。
豊見城市長選、知事選に続いて那覇市長選挙で「オール沖縄」候補が勝利したことは、これまで宜野湾市長選、名護市長選挙での苦い敗北を喫しながらも安倍政権の問答無用のやり方を目の当たりにして、沖縄の将来、沖縄の発展に何が必要かを市民レベルで考え始めたことを示しているのではないでしょうか。
沖縄に学ぶことは無数にあります。全国の選挙にかかわるたたかいの中で「沖縄のようにたたかおう」が合い言葉になるはず。前回や今日の「下町ロケット」よろしく、勝つまで諦めてはなりませんね。



  10月19日(金)
昨日の夕方から池田は予想外の土砂降り。ところが、その直後、「こどもじゅく」のために松本に向かって「田舎のポルシェ」を走らせていたら池田の南の方は全く雨が降った気配がない。明科あたりから松本までは完全に乾燥状態。夜妻に聞くと、北の大町では大雨だったといいますから、池田の半分から北が雨だったのでしょう。
なぜこんなことを書いたかというと、我が畑がちょうどその分岐点あたりにあり、先日たてた畝にマルチをするため、雨待ち状態だったのです。まだ雨のしみている深さを見てはいませんが、早めにマルチをしてしまいたい。
今日は妻と黒部まで魚を買いに行くことになっているので、作業をする時間があるかどうか。チャンスなんですが・・・。

テレビでは、「新人王戦」の最年少記録を塗り替えた藤井聡太7段について結構大きく報道していましたね。将棋は門外漢なので、勝負そのものは何ともいえませんけれど、9段のプロ棋士の度肝を抜くような手を打ち、しかもそれは織り込み済みで相手がそうせざるを得ないように誘導するという読み切りの手だと、師匠たちが話しておりましたから私たちの想像を超えた世界なんでしょうね。
その「新人王戦」は「しんぶん赤旗」の主催だというのは、ま、必要がないからなのかマスメディアは一切報道しませんけれど、考えてみればスゴイことです。一政党の機関誌が、囲碁・将棋の発展を願って大きな誌面を割き、それだけではなく日本棋院と協力して新しい棋戦を1969年に作ったんですものね。若手男性棋士だけではなく、アマチュアや女性棋士にも門戸が開かれている。
1969年といえば私が大学を卒業した年。その当時から「しんぶん赤旗」は私のとっていた唯一の新聞でしたが、囲碁も将棋もほとんど関心無かったなあ。
父が将棋が得意で何度も郵便局の大会で優勝していたのは知っていたし、手ほどきを受けたことはあったのですが、まるでものにならなかった。囲碁は大学で院生たちがしきりに打っていたのを横目で見ていた程度。「囲碁は数学科の学生には必須なのだ」と誰かが言っていたような・・・。
それが、就職して1年目に就職したある高校で、組合分会長から呼ばれ、ルールも何も知らないのに「座れ、さあ打て」とめちゃくちゃな勧誘をされてから囲碁に”目覚め”(させられ)、その高校にいた5年間だけ夢中になっていた。
それはともかく、富山に来てからやはり職場にいた高段者に教えてもらったことがあったのですが、そのときは自分が嫌になるほど愚手を「打たされる」んですね。自分ではそうしたくないんだけど、そうせざるをえないように誘導される。おそらく将棋でもそうなんでしょうね。藤井さんの新人王の話にこんな思い出を記すのも場違いですけど、囲碁も将棋もその世界はおそろしいほど広いことは間違いない。



  10月15日(月)
一週間が過ぎて、あっという間に10月も半ば。10月に入ってから整形外科ではリハビリをすることになって、主に背筋を鍛える運動を導入し、家でもやるように勧められているのです。
まだ始めてから間もないので、効果のほどはわかりませんが、外に出て落花生の収穫をしたり、片付けをしたりしていると、とたんに腰から左足全体にかけて痛みが増し、結構辛い日を過ごしています。
運動していると、上半身の筋肉が衰えていることがよくわかります。状態をそらすと「グキッ」と音がしたりして、長い間のサボりがいま付けになって巡ってきているとおいう感じ。ま、焦らずに少しずつ鍛えていくことにしましょう。

畑では、今日午前中でようやく落花生を収穫し終わって、あとはタマネギを植える準備にとりかかります。午後早くに肥料を買いに行って畑に戻ったら、91歳、88歳のキュウリハウスのお二人がハウスのビニールなどの片付けをしていました。
「結局来年はどうすることになった?」と耳の遠いじいさんに耳元で聞くと、「(来年も)少しはやらないとね。向こうから2つ目が空くから、ハウスやったらどうだい。だんだん年をとってやれなくなるから、あとはハウスを任せるよ」と、まるで私がハウス農家の跡継ぎででもあるかのように話を振ってくる。おいおい冗談じゃないよ、と思いつつ、なんとまあ元気なことかと感心することしきり。
南風で古いビニールがあちこち破れているものの、それをさらに修理し再活用、また、下に敷くマルチも何年使っているのでしょう。使えるものは最後まで徹底して使うという節約ぶりにも感心させられます。私などは、一年でパーにしてしまいますもんね。
ばあさんの方が身体の具合がいまいちすぐれないので、もうハウス栽培はやめたいのだそう。しかし、何かやっていないと済まないじいさんが耳を貸さないと、いつかこぼしていましたっけ。そう言いながら、秋の一日、老夫婦お二人で、ハウスの片付けをしている様は、やはり農村ならではのほのぼの光景ですね。

飼い猫のハルちゃん、相当な高齢(人間年齢換算で約75歳)になって、いつもグウタラ寝てばかりいるのですが、このところちょっと若返り?
昨日からまた野ねずみを捕ってくるようになったのです。このところ何年かばったりネズミ捕りはしなかったので安心していたら、昨日は夕方小さいネズミを2匹。これは旨いのかすぐに食べてしまった。
今日もまた夕方いそいそと外に出かけて、今度はちょっと大きめのヤツを捕まえてきた。どうやら大きいのはあくまで捕らえることに楽しみがあるよう。帰ってきて私たちに見せびらかしてから少しもてあそんで、すぐにそのネズミに興味を失った。
もうネズミをとる元気も、その能力も無くなってしまったのではないかと二人で話していたのですが、何の何の。闇の中での動体視力も、敏捷性もまだ失っていなかったということですかね。
ここ2日の好調な狩猟に味を占めて、このあと何匹捕まえてくるのでしょうか。そのたんびに、新聞紙を持ってその上で食べるように追っかけていかなければならず、まったく世話のかかることです。

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沖縄では、県知事選挙のあとたたかわれた豊見城市長選挙で、「オール沖縄」候補の山川さんが大差で、自民・維新・希望推薦候補と現職候補を破り勝利しました。何とも嬉しいニュースです。
豊見城市は那覇市に隣接し、人口も激増(1970年代1万3千人→2015年6万1千人)している那覇のベッドタウンです。保守分裂という面があったにしろ、20年間続いた保守市政を転換した意味は大きい。
この選挙に続くのが10月21日投開票される那覇市長選挙。現職の城間幹子氏(「オール沖縄」候補)に対して、自民・公明・維新・希望推薦の翁長氏が立候補を届け出て、激しい一騎打ちのたたかいになっています。これも絶対に負けられない重要なたたかいです。
翁長氏は第1声で「市民へのサービスが質量ともに大きく劣化した」と訴えたと新聞に出ていましたが、琉球新報の「那覇市長選投票の鍵になる7つの数字」を見ると、仮にサービス低下の現象が一部にあるとしてもそれは誰の責任なのか。決して第1期を終える城間さんの責任だといえないことは確かです。
例を挙げれば、たとえば市は全国に先駆けて認可保育所を増やす努力をしてきたが、保育士が足りない。これは全国的に深刻な問題であって、その給料があまりに低い(<例>元保育士が激白「給料・待遇」の実態)。政府は賃金引き上げの方向を打ち出してはいるもののそれほど成果は上がっていない。実際には政府の責任が極めて大きいのです。
また、琉球新報の検証記事では、那覇市の「歳出の中で福祉サービスなどに使われる『扶助費』」の伸びが大きく財政を圧迫しているという指摘がありました。住民サービスに不可欠の扶助費の増大は、福祉サービスの維持のためであって、「サービスの質量ともに大きく劣化した」という批判がいかに的外れであるかを示しています。
いずれにせよ、沖縄での最近の選挙の流れは、日本共産党の5中総での志位委員長の報告にもあるとおり、「全国の市民と野党の共闘にとっても、大きな希望」であることは間違いありません。



  10月8日(月)
朝から深い青空が広がって、日が高くなるにつれて相当暑くなってきました。午前中は、先日採ってきた「銀杏」の皮むき・洗浄・乾燥といういつもの作業。ここ何年か鼻が悪くなったのか匂いに鈍感になってしまったので、独特の臭いには全く抵抗なし。ただ、ひたすら皮をとって実を出す作業はくたびれるだけ。そのうち腰も痛くなってきました。
どんな作物の収穫もそうですが、取ればいいというものではありません。むしろ収穫した後の方が大変な場合が多い。
午後からは妻と畑に行って、私は「落花生」の収穫です。そのまま裏返して干すという人もいますが、私はすぐに実を取って洗い、それから軒下で乾燥させる手順を踏んでいますから、この連続作業がまた大変。
昨年は、落花生は全く不作でほとんど収穫できなかったけれど、今年は大豊作。ものすごい量になりそうで怖い。今日はまだほんの一部しか収穫できませんでした。
あとの畑にはタマネギを植えなければなりませんから、残りの収穫を急がないといけません。明日も続きになりそうです。
さらにしんどいのは、乾燥後に実を取りだして食べられる状態にすること。これまた大仕事ですから、本当に手間暇がかかります。

今朝友人からイノシシの肉が手に入ったという連絡があり、昼頃受け取りにいってきました。先日もかなりの量を頂き、さっそく食しました。ちょっと固いけれど、なかなかうまい。下旬にお友達がはるばるやってくるので、ジビエ料理としゃれ込みますかね。
女川直送のサンマを刺身で食べ、畑でとれた野菜をふんだんに食卓に載せ、さらにイノシシ料理(実はただの焼き肉)と、何と贅沢なことでしょうか。野菜は育てる苦労はあるにしろ、かつての都会生活を思えば食の豊かさは段違い。

周りの田んぼでは稲の刈り取りがほぼ終わり、景色は冬に近づいてきた感じ。いま「こどもじゅく」支援の米を集めているのですが、提供してくれる人たちがたくさんいて嬉しい悲鳴をあげています。
昨年の米を倉庫に持っていて、新米の収穫にともなってそれをどうするかが悩みの種の農家も意外と多いのです。そうした古米を譲っていただいて、松本に運ぶ。みなさん、去年もずいぶんたくさん提供してくれましたが、今年はもう一回り輪が広がって、うるち米200キロ、もち米40キロくらいになりそうな勢いです。さて、これをどうやって運ぶのか、えらいことになりました。



  10月7日(日)
昨日の琉球新報は、玉城デニーさんの当選が決まった直後から、百田尚樹の「沖縄、終わったかもしれん…」というツイッターを皮切りに何人もの人間から同様の発信があり拡散されていることを紹介していました。
このことは、たとえば、「琉球新報辺野古・ヘリパッド取材班」が10月3日にデニーさんが辺野古ゲート前を訪問した記事へのリツイートを見てみるとよくわかります。
「テロリスト」「ゲート前を違法に占拠」「犯罪者山城博治」「琉球新報は中国共産党の配下か」「マジで沖縄終わったな。沖縄人情けね」・・・などなど、読むに堪えない書き込みばかり。これでもかという分量です。
翁長知事の遺志を継ぎ玉城さんを知事に選んだ沖縄県民を「まさに衆愚そのもの」「玉城氏の支持者はボケて適切な判断ができない老人ばかり」と揶揄し愚弄する始末。
そのまま読むと、よほどテント前では職業的テロリスト暴力集団が暴力行為を日常的に働いているかのような印象を与え、事情を知らない人は「そんなことがあるかも」と思わせます。しかも、いろんな人が書いていると、圧倒的多数の世論が同調しているかもしれないとさえ思わせる。

雑誌「世界」10月号で、社会学者の倉橋耕平さんが「右派論壇の流通構造とメディアの責任」と題して、ネトウヨ的書き込みの構造にメスを入れています。その中で、永吉希久子さんが7万人超を対象とする社会調査をした結果(全体の1.7%の人がネット右翼的な書き込みをし、3%の人がオンラインで排外主義的な発言を流しているとの調査結果があり、雑誌やブログなどを情報源にしていることと統計的有意がある)を元にして、次のように指摘しています。

以上から明らかであるのは、過激なネット書き込みも排外主義的な書き込みも、決して大衆による一般的な行動とは思えないということである。むしろ一部の「シリアスなファン」によるものとして捉えるべきなのだ。
にもかかわらず、私たちが右派言論を「大衆が支持している思想」のように感じるのはなぜか。こちらも調査がすすんでいる。
インターネット文化でも雑誌やブログなど既存の右派論壇を言論の兵站にして拡大・拡散を続けている。そして、自動プログラムを使うことによって大衆が支持しているかのように見せかける方法をとっている。しかし、他方でそれに影響を受けた人々の活動は、右派論壇の思惑以上のものになっているかもしれない。


先の琉球新報のツイッターのリツイートも、大勢の人がいっせいに琉球新報の記者や玉城氏に対して批判、非難の洪水を浴びせているように見えますけれど、実際に言っていることはほとんど大差がない。情報源はいくつかしかないだろうことは、長く沖縄の基地問題に関心を寄せ、かつ現地のテントで座り込んでいる人ならすぐにわかることです。
しかも、沖縄県民のような顔をして書き込んでもツイッターは世界のどこにいても書き込めるわけですから、書き込みによってお里はすぐにバレる。彼らのおそらく99%は現地辺野古基地前に行ったことはない!
実は、こうしたネトウヨ連中の口汚いののしりこそ、佐喜眞陣営の後ろでうごめく勢力の気味悪さを沖縄県民に知らせ、玉城氏を知事に押し上げた1つの要因であったと、選挙後の分析が明らかにしています。だからこそ、彼らはいっそう危機感を強め、いらだちを募らせ、自動プログラムなども駆使しながら「資本がメディアを先導する」状況を作り出しているのです。

いまインターネット上では、フェイクニュースやヘイトスピーチを蔓延させることがビジネスとして成立している。そして、それで金を儲けようとする者がいる。日本も例外ではない。(倉橋さん)

「短文」が端的にものごとの本質を浮き彫りにすることがあると同時に、「短文」だからこそ、洪水的に悪意をまきちらし思考を省略・歪曲し、1つの方向に誘導させることがあること、とくに政治の分野では資本の介入によって後者が前者を圧倒していることに目を光らせるべきです。
それゆえ、倉橋さんが論考の最後に、反省を含めて「それぞれの立場から、抵抗のアイディアを蓄積する必要がある」と結んでいますが、心底同感・共感します。



  10月6日(土)
ノーベル賞平和賞を誰が受賞するのかをめぐって、この国のマスコミ(主にテレビ・ワイドショー)は「金正恩・文在寅氏」が該当するのかどうかが焦点などと面白おかしく報じていたのが印象的でした。ひょっとしたらあの大統領もなどというフリップも。
しかし、ちょっと考えれば、一年前までアジア・アメリカを核戦争の瀬戸際まで追い込んできた張本人を、米朝合意がいかに歴史的であるかと言っても、朝鮮半島の非核化と朝鮮戦争の終結が実現されてもいない現在、あり得ない話であることはすぐにわかります。
それとも、ノーベル平和賞委員会が佐藤栄作氏を選んだかつての経過が頭をよぎって、ひょっとしたらとでも考えたのでしょうか。実際には全く違いました。
共同通信は次のように報じました。

ノルウェーのノーベル賞委員会は5日、2018年のノーベル平和賞を、アフリカ中部コンゴ(旧ザイール)で性暴力と闘い、民兵らによる被害女性の治療に尽力してきた男性産婦人科医デニ・ムクウェゲ氏(63)ら2人に授与すると発表した。もう1人は、過激派組織「イスラム国」(IS)に性奴隷として拘束され生還し、性暴力根絶を訴える活動を続けるイラク人女性ナディア・ムラド氏(25)。

この決定は、世界の平和への認識が日本といかにずれているのかを示しているのではないかと思わせるものです。
私は、ナディア・ムラドさんがISの性奴隷にされたことを巡って、性暴力が主に相手(個人または団体)を支配する道具として実行されたり、「紛争地ではレイプが地域社会を破壊する『兵器』として使われている」(デニ・ムクウェゲ氏)との指摘があったことを、この国がかつて中国大陸で行ってきたことと重ねて読んでしまいました。
次は以前紹介したことのある笠原十九司さんの「日中戦争全史」(上巻末、南京攻略戦の部分)の一節です。

軍の上官たちは(兵士の)性的蛮行を「兵士の元気をつくるに却って必要」といった理由で黙認する傾向があった。「中国女性を征服し」「力づくで女をものにする」という戦場の役得としての性暴力が、兵を南京攻略に駆り立てるために黙認された。

セクハラ報道が連日のようにお茶の間を賑わせている我が日本ではどうなんでしょう。
元TBS記者から受けたレイプ被害を実名で告発した伊藤詩織さんは、「バッシング止まず、日本で暮らすことができなくなり渡英」(朝日digital)というのが現状。彼女は「オンラインで批判や脅迫にさらされ、身の危険を感じました。外に出るのも怖かったです」と語る。それに手をさしのべたのはロンドンの女性人権団体だったという皮肉。
この事件の経過の一端は次のCourrierの記事(有料)で語られています。またこの事件をドキュメンタリー「Japan's Secret Shame」として英国内向けに放送したイギリスBBC次の記事(BBC News Japan)で内容をくわしく紹介していて衝撃的です。BBCによる「Shiori Ito: Japan’s attitudes to allegations of sexual violence are locked in the past」はこちら
アジア・太平洋戦争時に日本軍が関与した性暴力・性奴隷制度は存在しないことにしたい勢力の考え方の根っこは、明らかに日本の深部にひろがる性暴力への見方・考え方にある。司法制度、警察制度を含めて70〜80年前と少しも変わってはいないのではないか。
今年のノーベル平和賞が性暴力とたたかう二人に与えられた意義は計り知れないと思う一方で、さて・・・と考え込むのです。



  10月3日(水)
昨日発足した第4次安倍内閣は、閣僚のうち14人が日本会議、神道政治連盟(議連)に至っては創価学会と真光の二人を除く全員。ちまたでは「カルト宗教内閣」「愛国カルト内閣」、あるいは「閣僚でヘイトデモがやれるヘイト内閣」「ネトウヨ内閣」などと揶揄されているのも宜なるかな。いやいや、揶揄なんて生やさしいものではありませんよ、これは。下の一覧は「『卑屈の国』さんによるもの」


初入閣の柴山昌彦文部科学大臣はさっそ就任会見で「(教育勅語を)アレンジをした形で、今の例えば道徳等に使うことができる分野は、私は十分にあるという意味では、普遍性を持っている部分が見て取れる」とおっしゃった。
共産党の小池書記局長は、見慣れた服(顔)に見たことのない服(顔)をまぜてとにかく売り切ろうという「閉店セール内閣」と批判しましたが、安倍首相にとっては改憲ごり押しの布陣にしたつもりなのでしょう。自民党筆頭副幹事長に稲田朋美さんというのもスゴい。

知性のかけらも感じられない末期症状内閣に比して、沖縄で玉城デニー氏を新知事に押し上げた勢力の「人間力」は際立っています。とくに私が感じ入ったのは今日のしんぶん赤旗に載った、故翁長前知事の妻翁長樹子さんへのインタビュー記事です。
彼女は、生前の翁長知事が病魔と闘いながら埋め立て承認撤回を決断するまでの悩みや苦しみを、やさしさあふれる語り口で振り返っています。そしてまた、県民の誇りにかけて投票所に足を運んだ一人一人の市民の心意気についても感動的なエピソードを紹介していました。
かつて、瀬長亀治郎が那覇市長に当選したとき、その直後から露骨な妨害・干渉、市長追放に乗り出した米軍が那覇市への補助金を凍結し、アメリカ軍が大株主である銀行の預金を封鎖したとき、那覇市民が行列をつくって納税に殺到し納税率が97%にまで達したというエピソードはあまりにも有名です。

おばあちゃん、何しに来たの?ったらね、「アメリカーが瀬長市長をいじめるから、税金を納めに来たさー!」目を輝かせて怒ってね。
行列してる人に「何しに来たのっ」て、そう言うと、そう答えました。
いじめればいじめるほど、(市民は)瀬長市政を守れと団結する。
亀次郎を助けようと、納税に訪れた市民の列だった。
納税率は飛躍的に上がり、97%に達したとも言われる。
その自主財源により、止まっていた公共工事も再開。(元那覇市職員、宮里政秋さん)


それが今回の県知事選挙で、別の形で再現されたのです。翁長樹子さんは振り返ります。

夫の条件はただ1つ。「心静かに考えて結論を出す」。
でも菅義偉官房長官と小泉進次郎さんがそれぞれ3回、自民党や公明党などは国会議員がみんな来たと思うくらい押し寄せてきた。
米軍がやった銃剣とブルドーザーを、日本政府が沖縄県民にやろうとした。
静かに考えさせる気はないのか。もう耐えられない!と思いが至りました。

皆さんも同じことを考えたと思います。
期日前投票所は行列でした。しかも動員ではなく、自分の意思で並んでいると感じました。ウチナーンチュは行列が嫌いなのに、台風の悪天候の中、粛々と並んで一票を投じている。
翁長は「ウチナーンチュが心を1つにした時、想像以上の力になる」と言っていましたが、「39万票」がそれだと思いました。まさに県民のマグマだと思いました。


名護市長選挙や新潟県知事選挙で味をしめた管官房長官の「勝利の方程式」とは、徹底した「辺野古隠し」「原発隠し」と企業・団体ぐるみの期日前投票でした。
「辺野古」に一言も触れない佐喜眞の不誠実さに県民は怒りを覚え、さらに期日前投票にも企業はそれほど動かない。名護市長選挙であれほど徹底できた期日前投票でしたが、今回期日前投票で列をつくったのは玉城候補を押し上げようと自らの意思で並んだ市民だった。菅の失策に「党内から不満噴出」と書いたのは日刊ゲンダイ

樹子さんのお話にはまだまだ紹介したいエピソードがありますが、あとはしんぶん赤旗を読んでいただくしかありませんね。



  10月2日(火)
いま松本でとりくんでいる「こどもじゅく」には信大、松本大などから若い学生たちが大挙して手伝いに来てくれており、かつてとは比べものにならないほどの賑わいと活気があります。
彼らが来てくれたのはこの4月からであって、「こどもじゅく」本来のねらいがどこまで学生のみなさんに浸透し、教えることにおいて共通のこころざしを形成しているかはまだ定かではありません。しかし、確実に若い世代のなかに「こどもじゅく」を必要としてる現在の家庭のあり方、子ども達の置かれている状況が認識され、何らかの働きかけが必要であるとの共通理解が広がっていることは間違いありません。
おもしろいのは、スタッフが私のような70代の「高齢者」と20歳前後の若者で構成されていること。それが違和感なく小中学生、高校生らと渾然一体となって「学び」の空間を作り上げていることです。困難はいろいろありますが、少しでも子どもたちに安心した居場所とまなびの場を保障する一助になってほしいと願わずにいられません。
私の役目は、たいしたものではありませんけれど、野菜や米を運んでいくようになった昨年から、ちょっとは出番があるようになったのかなと思っています。やれることをやるだけ。何とか昨年並みに米を集めて届けたいと働きかけを強めているところです。



  10月1日(月)
玉城デニー候補圧勝、痛快この上ないニュースです。耐えに耐えて沖縄県民がつかんだ勝利、政府・与党、アメリカへの痛撃でしたね。
昨夜は台風の進路にあたっているものの長野県内通過は夜遅くになるだろうと踏んで、松本での仕事はそのまま時間まで続けました。帰りはさすがにたたきつけるような土砂降りの雨になってしまいました。
家に帰ったのが夜10時少し前。妻に沖縄はどう?と聞くと、「どうせ、決まっているんだから(速報を)を見たくもない」と素っ気ない。接戦との予測があり、さらに政府・与党まるがかりで佐喜眞候補にてこ入れしている様子を見ていて、玉城さん今度はだめなんじゃないかと思っていたのです。
すぐにタブレットで琉球新報、沖縄タイムスの速報を見ると、何とすでに「玉城当確」の文字が。妻の顔がパッと明るくなって、あとは二人で開票速報に釘付けになっておりました。
結果は予想を遙かに上回る8万票の大差。「本土」政府がいかに沖縄県民の意志を軽んじ、もてあそび、侮辱して恥じなかったかを、投票で示した瞬間でした。何しろ、明確に「辺野古新基地建設反対」を掲げた候補が、辺野古基地については一言も触れず徹底的に争点から外す作戦(衣の下に辺野古賛成ははっきり見えている)で県民の意志を封じた候補に圧勝したのです。
何度も辺野古に足を運んだ私には、機動隊や海保の暴力的な排除・弾圧行動に屈せず座り込みを続けてきた人たちに、今回の選挙での勝利はどれほどの励ましを与えてくれていることかと胸が熱くなる思いでした。
<写真上は喜びにあふれる玉城選挙事務所=北上田氏によるもの。下はカチャーシーで勝利を祝う玉城氏と支持者=毎日新聞Web版より>




痛快だったのは、名護市で玉城候補が佐喜眞候補を上回ったこと。辺野古問題については、亡き翁長知事が10万票の差をつけて仲井眞を破った瞬間から、建設阻止の旗を命をかけて玉城氏に託し勝利したこの瞬間まで、県民の辺野古基地への意志は全く変わっていないということです。これが史上最多の得票とに結実した。
安倍官邸、自民党・公明党政権幹部は完全に沖縄県民のこころを読み違え、中央直結とカネの力で民意などどうとでもなると考えてきました。
しかし、県民はウチナーの誇りにかけて、故翁長知事が命と引き換えに発した「承認撤回」に断固たる支持を表明するとともに、県民無視・県民愚弄の安倍強権政治に完全なノーを突きつけたのです。

思い返せば、衆議院での4区すべての勝利、翁長知事誕生、参議院選挙での勝利など、オール沖縄勢力の共闘、市民と政党の協力・共同という「かたち」が、その後の日本全体の政治を動かしてきた。今回も間違いなく過去の歴史を発展させ、新しいページとして書きかえていくことにつながるでしょう。

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台風一過、素晴らしい青空が広がって、あんなに雨がふり続いたことさえ嘘のような秋の空気が広がっていました。妻が5日に予定している小布施でのイベントの下見に行くのに誘われて、結局最初から最後まで車を運転する羽目に。
前はトヨタのシエンタでしたから高速道路の走行ではもちろん安定していましたが、スズキの軽ではちょっときついものがありました。何しろ、普通乗用車で130キロくらいでどんどん追い越していく連中や、100キロ走行の軽トラもいましたから、高速道路は危険がいっぱい。どうしてあんなに車を「信用」できるのかと不思議で仕方ありません。
小布施は何年か前に行ったことがあったものの、道は結構わかりにくい。結局、道を確認するだけにして、小布施PAで昼食をとり、お土産を買って帰りました。




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