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  9月26日(水)
かかりつけ医が23日の救急外来担当だということがわかったので、午後診察してもらうことができました。インフルの検査をしてもらったところ、マイナスだったので一安心。
翌日からは咳もひどくなって次の日まではおとなしくしていましたが、幸いそれ以上悪くなることもなかったので、ウイルスを外にまき散らして治そうとばかり畑にでかけて汗をかいて帰ったので妻にきつく叱られました。

このところ、ぐっと気温がさがり朝晩はヒーターもほしくなるほど。断続的に雨が降って安定しない空模様なので、農家の方々は大変です。雨が降れば次の日に晴れ間が出てもコンバインは使えない、そうこうしているうちにまた雨。しびれを切らして稲刈りをしている田んぼも見受けられます。
台風24号がまたまた不気味な動きをしており、夕方に入ってから安曇野は台風から伸びる秋雨前線の影響で雨。安定した天気は10月に入ってからということになりそうですね。

畑仕事はほぼ一段落。このあと落花生とサツマイモの収穫、およびラッキョウの植え付けが残っていますが、これは10月に入ってから。
ラッキョウを植える畝を作るために新しい土地を開墾していたのですが、大きな石がゴロゴロ出てきてきれいにできるまで約1週間。その合間にイチゴの苗の定植を行いました。今年よりはいい苗が育ってくれたので、来春はおいしいイチゴがたくさん食べられるのではないかと期待できます。まだ苗がたくさん残っているので、あと一畝ほど作りたいのだけれどうまくできるかどうか。
今年はタマネギの苗作りに挑戦。10月下旬頃には苗も大きくなるでしょうから、落花生を収穫した後に今度はタマネギを大量に植え付けなければいけません。畑仕事は年がら年中本当に大変です。

話は変わりますが、月刊誌「新潮45」が休刊に追い込まれたと報じられました。あまりに低劣な杉田擁護の編集に厳しい批判が集中した結果ですが、「十分な編集体制を整備しないまま刊行を続けてきた」と発表されても本当にそうなのかどうか。
杉田議員については沖縄ヘイト発言で過去に幾度となく目にしてきましたから、LGBTへの差別発言については別に驚きもしませんでしたが、問題は一見突出したヘイト発言を包んでヘイトではなく一つの言論だと見せかける仕掛けがこの国のネット上ではびこっていること。
たとえば、今年1月に産経が流した「沖縄県が観光収入を過大発表 基地の恩恵少なく見せ、反米に利用か」というニュース
これが全くのデマ記事であることは、次のサイトの記事が丁寧に論破しているのですが、Yahoo!ニュース、ラブドアニュース、グノシー、楽天などが産経の記事をそのまま拡散、いかにも沖縄県が基地の恩恵を少なく見せかけようとしているかのように描き出していることにも言及しています。
基地収入が県民総所得の5.7%に過ぎないというのは故翁長知事が繰り返し述べて、今や沖縄県においては基地は経済発展の阻害条件になっていると口を酸っぱくして主張してきました。
杉田議員もこれにとびついて、「数字の改ざん」とまで言い出す始末。
極右レイシストの杉田を自民党の公認候補に引っ張ってきたのは安倍ですから、同じ穴のムジナ。彼女がどんなことを主張してきたのか、もっともっと知っておかないといけませんね。

・男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想です。女性にしか子供を産むことはできない。こんな当たり前のことに目を背けた政策を続けた結果、男性ばかりか当の女性までが、女性にしか子どもが産めないことをネガティブにとらえる社会になってしまいました。 <2014年11月 国会での質問>

・待機児童、待機児童っていうけど 世の中に『待機児童』なんて一人もいない。子どもはみんなお母さんといたいもの。保育所なんか待ってない。待機してるのは預けたい親でしょ<2018年1月24日ツイッター>

・子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳教育をする。旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデルを21世紀の日本で実践しようとしているわけです。・・・
旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです。・・・
これまでも、夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援−などの考えを広め、日本の一番コアな部分である「家族」を崩壊させようと仕掛けてきました。今回の保育所問題もその一環ではないでしょうか〉(産経ニュース2016年7月4日)

・ヘイトスピーチ規制を声高に求めている勢力と、「慰安婦=性奴隷」という嘘を世界に広めている勢力は間違いなく連携しているのです。そして、平成27年末の日韓合意は、このような勢力により、歴史的事実を指摘する言動をヘイトスピーチに仕立て上げ、言論を封殺するツールとして使われているのです。<産経ニュース「杉田水脈のなでしこリポート14」>


ネット上で探せば、いくらでもでてくるし、こんなことを延々と続けていても、それこそ「生産性がない」ので、ここらでやめておく。
最後に一言だけ言っておきましょう。杉田議員は国民の税金である議員歳費を受け取り、かつ政党助成金を受け取る団体に所属しつつ、とんでもヘイト&フェイク発言を繰り返しています。議員辞職に値するのではありませんか。



  9月23日(日)
昨日から風邪がひどくなり、一日寝ていればよくなるかと思ったら今日はさらに調子が悪い。涙滂沱(沖縄では「なだそうそう」かな?)という表現はあるけれど、鼻水滂沱というのは聞いたことがないなあ。でも、そんな感じ。連休で医者にも行けず、ただただティッシュの山を築いているところです。
一週間ほど前から妻が風邪をひき、「うつすかもしれないよ」と言っていたことが本当になり、うつして自分は治ったのかと冗談交じりに会話しておりました。今朝は集落の「道普請」でしたが、妻に出てもらい私はぬれタオルを頭にあててずっと布団の中。
熱はないようなので身体はそれほどしんどくないのが幸い。これからどうなるのか、予断は許しませんが。身体を休め、寝ているに限ります。今日夕方まだひどいようなら明日は救急外来に行ってくることにしますか。



  9月20日(木)
午前中バラの作業に出かけたものの、今日は朝から調子が悪い。左足が重痛く、やんわりとバラの秋剪定をやってお茶を濁していました。
作業への参加も7人と少ないなか、草は茂り放題で作業はなかなかはかどりません。それでも、あんまり草を取り過ぎるとこの次の作業がなくなるとばかり、おしゃべりに作業と同じほど時間をたっぷり。毎回おしゃべりをしていても、話題にはことかかないものですね。

午後から、天気予報通り雨、それも次第に強くなって肌寒さも加わって、もう晩秋という趣です。まだ稲刈りの終わっていない農家の方は本当に困っているんじゃないでしょうか。今日も、小雨のなか急いでコンバインを操作している姿が見えました。
テレビでは、北海道の地震や秋雨前線の影響で野菜がやたら高騰していると報じていました。白菜が一個500円以上もしているなんて信じがたい。
幸い我が家ではカボチャや冬瓜、キュウリ、葉物野菜などがそれなりにあるので助かっています。妻が3年ぶりに風邪を引いたと熱感を訴えていたので、今日の夕食は私がカボチャの煮物と冬瓜+イカの煮付けを簡単につくって終わり。

夕方注文していた今年度の大学入試問題集(数学V)が届いたので、生徒のための問題作りをかねて解答に数時間を費やしました。本を読むのがおっくうでも、数学(入試問題ですけど)に向かっていると時間はあっと言ういう間に過ぎる。何しろ一問解くのに30分〜1時間なんてざらですから、雨の日はこれに限る。

安倍3選のニュース。この国にとって最悪の不幸な出来事以外の何物でもない。



  9月19日(水)
今日は朝から素晴らしい秋晴れ。爽やかな晴天に北アルプスのパノラマ、稲刈りの進む田園風景・・・心豊かな気分になります。
今朝は、道を挟んで向かいの田んぼに稲穂を残しておいてもらっていたので、それを束ね軽トラに積んで畑へ。大抵はコンバインで刈り取りから脱穀、稲穂の粉砕までやってしまうのですが、一列だけ稲穂を残しておいてもらっていたのです。
稲を縛るのも結構な力がいります。それを畑に運んでから、傘状にしてしばらく乾燥。これは数年前に別の田んぼで実習していたので、比較的楽にできました。その風景が下の写真。なかなか田舎の風情がありますね。


その後は、これまたすぐ近くの農家から籾殻をもらって軽トラいっぱいに積んで畑に。種の飛散と乾燥防止・保温用に、種まきした葉物野菜やネギの上にかけてやることが一つの目的です。また耕した土に混ぜて土を柔らかくするために大量に使います。今年は燻炭作りにも挑戦しなければと思っているのですが・・・。あれこれと畑仕事はまだまだ続きます。

今日は沖縄の義母の99歳の誕生日です。意地でも100まで生きると言っていた言葉通り、一時の危ない状態を脱してとりあえず99歳に達しました。おめでとうございます。
先日送った安曇野の葡萄を「種がないからよかった」と言いながら美味しく食べていたとの話。来年の今日はみんなで沖縄に集まってお祝いしましょうね。下の写真は今年3月3日に施設を訪問して会った際の写真。今日の記念に改めて載せておきましょう。


昨日は4回目のブロック注射の日。何回やっても(やりたくない!)注射の瞬間は痛みで大変です。今回はことのほかガーンと衝撃があって左足ひざを中心に一気にしびれが来た。
「(神経に)届いたら言ってくださいね」なんて医者は言うけれど、大体身体が衝撃で反応しますから言うまでもない。しかも、言葉が出ないので言うも何もないのです。
響いたのは膝関節の上から左足中央部だったので、ブロックした部位はどうも患部ではないらしい。直前の問診の際に、第2、第4、第5とやって今回は第3、これで最後になること。次回の診察で総括をして、今後の対応を考えましょう、ということになったので、さてどうしたものか。
前回の第5がかなり効果的だったので、ひょっとしたら再手術がありうるのかも。今回も多少効いているようだけれど、これまで同様3日目くらいからまた痛みが復活するので、どこがどうなっているのかよくよく詳しく検討してもらわないといけません。何とも情けない腰です。



  9月18日(火)
87歳と言えばかなりの高齢ですが、義母は明日99歳の誕生日。一時軽い脳梗塞で入院していたけれど今は退院して歩けるようになったというので、あと1年は大丈夫なんじゃないかな。100歳をみんなでお祝いしたいものです。

なぜ87歳を引き合いに出したか? それは87年前の今日が満州事変の引き金になった日だからです。中国では祈念式典が行われたと報じられていますが、日本では??
87年前の9月18日午後10時30分頃(ちょうど今頃です)、中国東北部奉天駅から約7キロの柳条湖で満鉄線が爆破される事件が引き起こされました。石原莞爾・板垣征四郎関東軍参謀コンビによる謀略事件としてです。
暗闇での事件を「暴戻なる志那兵が満鉄線を爆破し、我鉄道守備隊を襲撃したが我が軍はこれに応戦した」(9/19朝日新聞号外)とし、19日午前3時には関東軍が中国東北辺防軍の兵営を攻撃し、さらに翌朝には旅順の関東軍司令部を奉天に移したのでした。
その「手際のよさは謀略の手の内を自ら明かすもの」(笠原十九司「日中戦争全史」)でしたが、残念ながら関東軍の謀略と統帥権さえ無視した軍事行動は当時全く国民には知らされず、むしろ正反対の世論誘導が行われたことはよく知られた事実です。
問題はその後です。以下、「日中戦争全史」によって柳条湖事件を引き金にした満州事変とその後の経過についてみておくことにします。

柳条湖事件の報をうけた若槻礼次郎内閣は事態をこれ以上不拡大しないことを閣議決定、関東軍司令官に伝えます。しかし、石原・板垣参謀はこれに従わず、吉林の日本人居留民保護を理由に9月21日には吉林出兵。林銑十郎朝鮮軍司令官も朝鮮軍を天皇の勅令なしで越境させて奉天に向かわせ占領したのでした。
若槻内閣の態度は「出たものは仕方なきにあらずや」というもの。昭和天皇も明白な統帥権侵犯の朝鮮軍の軍事行動を「此度は致方なきも将来十分注意せよ」と追認。関東軍・朝鮮軍の独断専行を野放しにするとともに、それに引きずられ15年にわたる日中戦争にのめり込む構図ができあがっていくのです。

今日「日中戦争全史」(上下)をようやく読み終えることができました。72年も生きてきたのに知らなかったことが多すぎる。また俗説に迷わされていたことも多すぎる。
笠原さんの「あとがき」の冒頭は次のような一文で始まっています。

本書を書き上げての率直な感想は、戦後70年もたっているのに、なぜ本書で明らかにしたような日中戦争の実態を総体が解明されてこなかったのだろうか、という驚きである。

笠原さんがとくにこの書物で詳しく解明していることが二つあります。一つは、「日中戦争の戦場で中国軍民にたいしてどのような戦争犯罪をおかし犠牲と被害を与えたのか」という点。とくに大変よう戦争開戦後はほとんど中国大陸での実態は無視されているため、格別に解明が重要になっていること。
二つは、「当時の日本海軍は米国との開戦に反対派が多く、陸軍に引きずられて戦争に突入した」という俗説が全くの誤りであり、「日中戦争から太平洋戦争へと移行していく過程で海軍が果たした役割は陸軍よりも大きく、決定的であった」ことです。
書物の至る所で、無謀な作戦の犠牲になってたおれていく日本軍兵士、その一方で彼らによって引き起こされた掠奪・殺害・強姦のすさまじさなど、具体的な証言や当時の日記などをもとに紹介されていて、読むのが辛くなってしまいます。
太平洋の島々で展開された陸海軍の、これまた無謀極まりない作戦と軍事行動で、交戦して死んだ兵士より餓死した兵士の方が多いという「皇軍」の実体はかなりの程度知られてはいるものの、歴史修正主義勢力によって限りなく「美化」されていることは周知の事実。
笠原さんの長年の研究の集大成として書かれたこの本を参考に、さらにあの戦争の実相を明らかにしていかなければならないと思わされています。まことしやかに垂れ流されるネット・フェイク情報操作に惑わされないためにも研究者の真摯な研究成果を知る必要がある。

私が特に強くこの国のあの戦争を知りたいと思うのは、明治政府の成立後、欧米列強に追いつくことを至上命題にして「富国強兵」策を強行し、それなりの実績をあげるとともに、日清・日露戦争の勝利を経て欧米列強と並んでその一角を占めるようになったはずだが、実は救いようのない「貧困さ」が「あの戦争」から現在にいたるまで色濃く私たちを覆っているのではないかと思わされるからです。
「貧困」とはいささか曖昧で情緒的な表現ですが、それは生きるか死ぬかだけのことを意味するわけではありません。日中戦争に引きずり込まれた日本軍兵士の服装、装備、兵器を見ればその実態の一端がわかります。当然、彼らを指揮する軍の考え方や装備もそうです。
しかしそうした服装・装備・兵器を生み出す精神的・物質的構造こそが問題だと私は考えています。これは「本土決戦」を呼号して住民に「竹槍」を押しつけた太平洋戦争末期の軍部のあの精神構造と発想に引き継がれていますね。
何よりも彼らは「天皇のために死ぬこと」(これを「お国のため」と称する)が至上命令なのですから、軍隊内では人間として処遇されていないということが「貧困」の第一の要因でしょう。
しかし、中国大陸では民衆は日本兵よりもさらに貧しい生活を送っていましたから、中国民衆を人間扱いしなかったのは戦争の中で肥大化させらた差別意識のなせるわざでした。
一例を南京攻略戦で見てみましょう。第2次上海事変の終結の結果つくられた一時的な中支那方面軍(上海派遣軍+第10軍)の一方の第10軍が独断で南京攻略を決定、中支那方面軍もこれを指示して戦線拡大に踏み切るのです。
このとき、中支那方面軍は上海戦だけの限定編成であって、「通常方面軍が備えている兵器部・経理部・軍医部・法務部はなかった」(「日中戦争全史」)のですから、兵站部が存在せず軍紀を取り締まる部署も持ちませんでした。にもかかわらず、大本営も「中支那方面軍は、海軍と協同して敵国首都南京を攻略すべし」と追認したのです。
近代的な軍隊ならば、兵站なしの戦闘はありえません。また兵士の軍紀については厳しく取り締まるものです。ところが、中支那方面軍上層部には、全くその意識がありません。その結果、徒歩で南京まで歩かされた日本軍によって「糧食を適中に求む」などという掠奪や、非戦闘員の殺害・放火・強姦、投降した兵士の虐殺などがあたかも戦果であるかのように野放図に繰り広げられることなります。

「貧困」の実態を覆い隠し、そうでないと思い込ませるとともに、他とは異なり優秀なのだとして優越感を植え付けるものは、「精神主義・非合理主義と差別意識」(およびそれを醸成する教育と情報操作)=今日流にいえば「反知性主義」=です。
今日のこの国に蔓延する一見「豊かな」諸相の背景に見え隠れする救いがたい「貧困」は、この国においては87年前と何ら変わっていないのではないか、この本を読んで私が抱く問題意識の一つです。
非正規雇用労働者がこの国を覆い尽くすかに見える今日の労働市場を「雇用者が増えた」と自慢する自民党総裁の姿が、私にはあの戦争で「欲しがりません勝つまでは」とうそぶいた指導者連中と重なって見えるのですが・・・。

<大日本帝国標語、スローガン集>

・聖戦だ 己殺して国生かせ
  (昭和14年 読売新聞社)
・我が家から敵が討てるぞ経済戦
  (昭和18年 大日本婦人会)
・正しき血から 強い民族
  (昭和17年 日本カレンダー株式会社)
・身にはボロ着て心に錦
  (昭和15年 中央標語研究会)
・一億が みんな興亜へ散る覚悟
  (昭和15年 京都府)
・今に見ろ 太平洋は日本海 / 露営の夢もアメリカで
  (児童用「米英撃滅必勝カルタ」)

<パロディ編>

・乱暴、無謀、参謀
・軍人は要領を本分とすべし (「軍人勅喩=軍人は忠節を尽くすを本分とすべし」のパロディ)
・見よ東条の禿頭、旭日高く輝けば、天地にぴかりと反射する、ハエがとまればつるとすべる  (「愛国行進曲」の替え歌)
・米機英機を葬れ(東条英機首相への批判)
・足りん足りんは夫が足りん (『「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ』のパロディ)
・一億総活躍 (時代は違いますが・・・「一億総懺悔」「一億国民総武装」のパロディか??)




  9月16日(日)
午後10時頃松本から帰って空を見上げたら久しぶりの星空、上空はきれいに晴れて漆黒の空には星がたくさん瞬いていました。とはいえ、老眼につきくっきりはっきりと見えなくて残念でしたが・・・。
このところめっきり涼しくなって、農作業をしていても楽になりました。ずっと夏野菜の片付けと秋から冬の準備に忙しく、夜はどうしても遅くまで起きていることが出来ずに、勢いパソコンからは遠ざかり気がついたらもう9月半ばです。いつもながら気まぐれな更新になって申し訳ありません。


9月初めにブロック注射をして経過を見ていましたが、急所を当てたと思ったのもつかの間、結局あんまり効いておらず相変わらずの日々が続いています。多少は楽になったような気もしないでもありませんが、脊柱管狭窄症はなかなか難しい病気のようですね。あさってが診察日、医者はどのような判断をしてくれるのか。

さて、沖縄では知事選が告示となり、こちらでも少しでも力になればと何人かから募金をしてもらって、まとめて玉城デニー陣営に届けました。
沖縄といえば、知事選より安室奈美恵のラスト・ライブの話題のほうが盛り上がっている気さえします。しかし、その一方で故翁長知事への哀悼の言葉からうかがえる彼女の思いが思わぬ怪情報(9/15日刊ゲンダイ)さえもたらしているという「沖縄らしい」選挙戦になっている様子です。
翁長知事への「沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた翁長知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております」(安室奈美恵さんのブログ)という追悼コメントはおそらく沖縄県民の圧倒的多数のこころでしょう。こんなことにさえ自民・公明がピリピリしているのだとすれば情けない限りですね。

選挙では、とにかくとんでもない怪情報がどこからともなくばらまかれる。大体右翼陣営の一部でそれをもっぱら職業としている連中がタイミングをみて紙やウワサとしてばらまく。
かつての池田町町長選挙でも先の衆議院選挙でも、デマチラシが大量にばらまかれましたが、心ある人から見れば、むしろ逆効果だとさえ思えますが、実際には決して侮れません。とりわけ、反共攻撃というのは口伝えにどうとでもひろがるのです。「あの人の後ろには共産党がいるらしい」と一言まことしやかにささやけばいいんですからね。
沖縄では、また新手の謀略宣伝が飛び交っているらしい。「玉城デニー候補は佐喜眞にダブルスコアで勝つ見込みだ」(実際には名前を伏せている)という全く根拠のないデマです。
これに「根拠」を与えているのが先の日刊ゲンダイだというのも面白いが、こんな程度のタブロイド情報じゃ「根拠」にも何にもなりませんわね。
もっとも、9月3日の産経ニュース(web)が「自民党が8月下旬に行った世論調査では、野党や一部保守系による「オール沖縄」が知事選で支える玉城デニー衆院議員(58)が、佐喜真氏をダブルスコアでリードしていた」と書いていますから、結局玉城陣営を安心させて油断させようという根源は自民党だったのかね??

「世界」10月号で、北上田毅さんが米軍辺野古新基地の埋め立て予定地の「マヨネーズ地層」について詳しく解説しています。これを読めば、故翁長知事が埋め立て承認撤回に踏み切った理由が極めて明瞭だし、もはや新基地は永久に建設できないことがよくわかるはず。
基地をこのまま建設しようとしたとしても期間は果てしなく伸び、費用も天文学的数字になることは明らか。さらに、ここを横切る活断層が実際に動けばどうなるのか、これまた明瞭だからです。沖縄防衛局がこのことを一番よく知っている。知っていながら、県民排除の暴力をいよいよ強めてきたのですから、これは戦前、中国本土深く侵略の手を伸ばしていった軍部の発想と大変よく似ている。
にもかからわらず、佐喜眞氏は辺野古新基地建設について公式には態度を示さず、自公・維新などの推薦で選挙に臨むというのですから、あまりに県民をなめています。
私としては、以前紹介したことのあるあの写真を街角に貼りだしたいほどですよ。米海兵隊のpreyになるんですもんね、佐喜眞さん。



  9月11日(火)
四国・関西地方での台風21号被害、北海道での地震被害と、このところ自然災害が次々と起こっている日本列島。
しかし、引き金は自然だとしても、災害が大きくなる要因に人為的なものが多数含まれていることにもっと目を向けるべきではないのか。たとえば北海道で液状化をもたらした土地の造成のありかたもそうだし、関空での地盤沈下と冠水の問題もそう。
東京の豊洲新市場の敷地内で地盤沈下による地割れが見つかった問題も似たようなもの。東京都は「緊急の補修工事を行うため開場のスケジュールに影響はない」言い訳をしていますが、本当にそうなのか。都は埋め立ての土壌の性質から言って次第に固まるので「一定の時間が経過すればおさまる」というのがその理由。だいたい去年の秋にはこの事実をつかみながら「一定の地盤沈下は想定しいた」とうそぶいているのですから始末が悪い。
平常時であれば、あるいはそうなのかもしれませんけれど、もともと地下水位の高い土地、大きな地震が襲った場合、液状化や地盤の変化、汚染物質の噴出などの恐れはないのかどうか、もし招来そのような事態があったとして、この分だと想定外だと言い訳するのでしょうか。

地域の自主防災会のニュースを作っていて、いろいろ対策について述べていても実際に我が家ではどうしているのかと聞かれたとき、実際答えに窮するという日々がずっと続いていました。意識はしていてもなかなか実行できないんですもんね。
それでも、半年ほど前から少しずつ準備をはじめ、まず防災バッグとヘルメットを数ヶ月ほど前に購入し玄関に。続いて部屋を点検し重いものをタンスなどの上に置かないように点検。そして、数日前にようやく家具の固定(テレビはすでに終わっている)と照明器具の完備を終え、あと残るのはガラスの破損防止対策だけというところまでこぎ着けました。
そうそう、断水に備えて水を入れたポリタンクも20リットル2個を用意し、月一回水を入れ替えることにしましたし、トイレも外で用を足せるような対策も終わりました。ま、田舎ですから、これはどこでも大丈夫ですけど。ただ、真冬には防寒対策が必要になります。これはあとの課題。

そうはいっても、問題は地域全体として防災対策をどう実際的なものにするかが大事なのであって、自分だけが助かればいいというわけではありません。大災害時にはどうしたって多くの人たちの協力が不可欠だし、それなしには生き残れないのですから。
私自身が過去に起こった大災害を見聞きしながら問題意識を高めながらも、なかなか本格的に対策できずに何年も過ごしてきたように、多くの人たちは切羽詰まったものとしては捉えていない。誰だって明日自分の住む町で災害が起こるなんて思いませんものね。だからこそ、具体的な事例を伝えて、地域ぐるみで意識を変えていくしかありません。



  9月6日(木)
北海道の胆振地方中東部で最大震度7.0(厚真町)の大地震が発生、大きな被害が出ていることをテレビは終日放映しています。
「こんなことが、ここで起きるなんて思ってもいなかった」というある人のコメントはおそらく北海道の大方の人の胸の内でしょう。しかし、やはりどこで何がおこるか分からない。
とくに今回の地震では、全道で長時間の停電という前例のないライフラインのダメージ、大規模な山崩れなどの土砂災害、道路の陥没・寸断という山村部の大きな被害が特徴です。一刻も早い救出、復旧が待たれます。
山の崩壊現場の写真は衝撃的。軽石を含んだ火山灰堆積層という地質の特徴もあるのでしょうが、これは他の山村でも起こりうることです。今回の土砂災害を教訓として、きちんとしたハザードマップをつくっておくことが必要ですね。
もう少し近いところならば、直ちに「被災地支援町民ネット」の始動となるところなのですが、何しろ長野からは遠すぎる。熊本の場合はゴールデンウイークに支援募金にとりくみましたが、今回は何ができるのか。



  9月5日(水)
風はまだ強いものの、朝にはすっかり晴れて青空が広がっていたので、10時頃から畑に様子を見に行ってきました。
相当にやられているのではないかと予想していましたが、春から初夏にかけての高く伸びる野菜はないので、キュウリやインゲンが倒れた程度でたいしたことはありませんでした。
おとなりのキュウリハウスは、かなり年季の入った古いビニールなので、5棟のうち3棟のビニールがすべて剥がれ、これはもう露地栽培と同じですね。91歳と88歳の老夫婦が一生懸命にやっているハウスであるだけに残念です。保険をかけているにしてもどの程度の補償があるものなのか。私が作業していたら、役場から被害状況を見に来たと言って、写真をとっていきましたっけ。

さて、9月に入ってもう5日目。今日郵便局に行って記帳してみて、我が家の財政が相当に厳しいことに愕然としました。何しろ年金がごくごくわずか。そりゃまあ、自業自得って面がないわけではないけれど、それにしてももし仮に一人になったときにはどうやって生計をたてていくのか。真剣に生活防衛の手段を考えないといけない時期になっていることは事実です。とほほ・・・



  9月4日(火)
午後6時。最接近した台風の東側に入り大粒の雨を運んで南からの強い風がたたきつけ、ただいま安曇野は猛烈な暴風雨の真っ最中。
折しも私は午後2時から予約の整形外科診察に出かけており、午後5時の帰りには病院の玄関から30メートルほど先の駐車場まで行くまでにびしょ濡れになってしまいました。午後2時頃はまだ明るく雨も落ちていませんでしたから傘を持っていかなかった。
昨日は畑で、ツルのインゲンや豆などの棚にロープをつけるなど台風対策をしてきたのですが、今朝はマルチが飛ばないように土を寄せてきました。それでも、明日になればどうなっているやら。去年の南風で相当に破壊されたお隣のキュウリハウスはかなりダメージを受けているのではないかと心配です。

さて、今日の診察では前回行った2回目のブロック注射の結果報告がメインだと思ったら、ほとんど効果がなかったと聞いた主治医は「今日は別のところをやってみますか。申し訳ないが疑わしいところをしらみつぶしに試みてみるしかないので」と、突然のブロック注射の宣言。
ブロック注射は、やった人ならわかると思うけれど、心構えがいるんですね。針が神経まで届くので何しろその瞬間だけ飛び上がるほどになる。何度やっても慣れません。あたりまえか。それでも、とにかく早く震源地をみつけたいと、「よろしくお願いします」と診察台に横になりました。
「ではいきます。(ビリビリと)来たら言ってくださいね」とおもむろに針を刺す。結果、今日は、前2回と異なり「ビンゴ!」というくらい震源地付近に針が刺さったようでしたた。
約1時間ほど、ベッドで休んでからようやく解放、何とか今度の注射が効いてくれるといいんですが・・・。祈るような気持ちで、病院の外に出たら大変な暴風雨も真っ最中だったというわけです。



  9月1日(日)
防災の日に合わせて放送された、NHKスペシャル「MEGAQUAKE巨大地震」は、過去の放送分の蓄積に加えて最新の研究成果を加味した見応え十分の番組でした。ご覧になった方はおそらく「恐ろしさ」と同時に、直ちに何か行動(備えなど)を起こさなければと思ったのではないでしょうか。
南海地震の今後30年以内確率が従来からさらに引き上げられ、70ー80%の高い数値になったということ、東日本大地震の際にも直前に観測されたスロー・スリップが周期的に頻繁に観測されるようになっていることを伝えるとともに、地震発生「臨時情報」が出されたときの心構えと対策などについて、ドラマ仕立てで詳細に紹介していました。
四国、近畿、東海地方の沿岸部に住んでいる人たちには、私などが感じる恐怖とは比較にならないほどの緊迫感を持って、巨大地震への関心を深めていることでしょう。しかし、この巨大地震は日本を世界の最貧国に落とし込むと言われるほどの破壊的規模のものですから、絶対に一地域の問題ではありません。
当然のことながら、東南海巨大地震とは別に首都圏や北海道沖、大地溝帯周辺で大きな地震が起こることもあり得るし、火山の噴火が誘発されることだってある。改めて、それぞれの備えを見直し、足りないところは早急に補っておきたいものです。
私の住む集落での防災の取り組みは過去にも何度か紹介してきましたが、自主防災会が全戸配布用としてつくっている過去の防災ニュースを私のトップページから見られるようにリンクをつくりました。編集している本人でさえ忘れていることもありますから、改めて見直さなければと思っているところです。

防災ニュースのページ




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