どうしても沖縄問題の焦点の1つを解明したくて、いろいろ調べていたらずいぶん長くなってしまいました。これは自分自身の整理の意味でもありますから、興味があれば目を通してみて下さい。
調べれば調べるほど、普天間基地問題、辺野古新基地建設問題の闇、日本政府の対米従属性とその構造、メディアに操作される人々の意識などが明るみにさらされてくるように思えます。
沖縄県内でも、「辺野古に基地が作られないとなると、普天間基地が固定化されてしまうのではないか」という意見が根強くあります。普天間の危険除去のためには「辺野古が唯一の解決策」という政府の論拠にもなっていますからなおさらです。
辺野古基地建設が、防衛省の計画通りなら、海底の地層形状、大浦湾の自然保護、米軍の航空機高度規則などのどの点からみても永久に完成しないことはすでに見てきました。
これとは別に、辺野古に基地を移さない限り普天間は帰ってこないという問題はそれなりの「説得力」を持っている以上、普天間問題に回答を示さなければならないでしょう。
まず、普天間基地や辺野古基地についての沖縄県民の思いはどこにあるのか。
その原点は、2013年1月28日、沖縄県のすべての自治体首長・議長が署名した政府への
建白書です。「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること」。この要求こそが沖縄県民の意志の最大公約数であり、玉城知事を誕生させた原動力です。
辺野古がだめなら、それじゃどこへ持って行くのか? 県民はそれには答える必要がないと考えているはずです。沖縄の意志は普天間基地を無条件で閉鎖・撤去することだからです。辺野古かそうでないかという条件はつけていない。
「辺野古新基地に反対するなら対案を示せ」というアベ好みの決めぜりふを言う方々はこの現実を見ようとしない。知らず知らずに米軍と日本政府の立場に立ってしまっているのです。しかも、辺野古に基地を作れば、即座に普天間が返ってくると思い込まされている(あとで触れます)。
「替わりを差し出さなければ普天間は返ってこない」という思い込みから抜け出すこと、まずこのことが普天間問題のキーポイントです。
何よりも、沖縄県民にとっては、普天間基地いらない。辺野古にも基地はいらない。これが圧倒的多数の声であり切実な要求なのです、沖縄県民が対案を示す必要はありません。
県民の要求を背景に、アメリカとギリギリ交渉して普天間の閉鎖を実現させることこそ政府のやるべきことだからです。
安倍政権にその意志がなく、米政府、米軍のいいなりに基地を押しつけてくるのであれば、そんな政権に用はない。圧倒的な世論で政権を包囲し、政権に断念せざるを得なくさせるか、それとも政権を倒すか、アメリカに直接要求をのませるかしかありません。
なぜ普天間基地の返還が問題とされるようになったのか。
1995年9月、アメリカ海兵隊員2名とアメリカ海軍軍人1名の計3名が、12歳の女子小学生を拉致・集団強姦するという残酷な事件が発生し県民を震撼させました。
ところが日米地位協定によって実行犯の身柄が日本に引き渡されないという理不尽さが県民の怒りに火をつけ、10月21日には
8万5千人の県民大会が開かれ、実行犯への厳罰の要求とともに、地域協定の見直し、米軍基地の整理縮小を求める声へとつながっていきました。
その事件を背景として、10月に日米合同委員会が開かれ、そこで地位協定の「運用改善」がはかられますが、実際には地位協定の改定などにはならず、「合衆国は、殺人又は強姦という凶悪な犯罪の特定の場合に日本国が行うことがある被疑者の起訴前の拘禁の移転についてのいかなる要請に対しても
好意的な考慮を払う」という屈辱的なとりきめでお茶を濁すだけとなりました。
続いて、同年11月から翌年1996年にかけて両国間で基地問題についての協議が行われ、96年12月に
「最終報告」が発表されます。これがいわゆる「SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意」です。
この合意では、@北部演習場の返還の見返りにヘリパッドの建設と海への出入口の確保、A本島東海岸に新たな海上基地を建設し、今後5−7年以内に運用可能になった後、普天間基地を返還、などが取り決められました。(右図)
SACO合意の背景には、少女暴行事件で煮えたぎる沖縄県民の怒りを反らそうとする意図があったと同時に、アメリカにとっては普天間に替わるもっと条件の良い新基地が求められていた事情がありました。この点については
こちらの記事が参考になります。
その後、海上基地案は日本側によって撤回され、99年11月には、SACO合意の実現・推進を表明する稲嶺恵一現知事が「軍民共用」「15年の使用期限」などの条件を付け、新基地建設の候補地として名護市辺野古沖を最終決定するに至ります。政府も同年12月の閣議で新基地建設を決めました。
その後の2004年に、普天間基地のすぐそばの住宅密集地にある沖縄国際大学に米軍ヘリCH53Dが墜落炎上する事件があり、普天間基地の撤去を求める声が一段と高まりました。
2006年になると、辺野古沿岸V字案で日米両政府が合意し、当時の仲井眞知事が2013年、任期切れを前にこの案を容認し、突如新基地建設のための「埋め立て承認」を行ったことから、一気に建設に向かうことになるのです。日本側の思惑には地元建設業者と中心とする建設利権がからんでいたことも当時から指摘されていました。その後の経過はここに書くまでもないでしょう。沖縄県民は翁長知事を誕生させることでその意志を示しました。
5−7年どころか、すでに20年の歳月を経ながら未だに基地完成のメドが立たないのは、
日米地位協定には手を触れず、普天間と辺野古をリンクさせて県民の要求に背を向け続けてきたことに最大の要因があることは明らかです。
次に検討しなければならないのは、普天間基地の辺野古への「移設」という言い方は正しいのか。そもそも辺野古の基地は一体どんな基地になるのか。
結論からいえば、辺野古に作られる基地は、海のない普天間とは異なり、滑走路2本だけでなく、弾薬搭載エリア、ヘリパッド、強襲揚陸艦用護岸などを備えた最新鋭基地となるように設計されています。移設どころか普天間とは桁違いの新基地になるのです(写真の元データは
沖縄県HP)。
基地強化にねらいがあることを最もよく理解しているのは、沖縄中部の基地密集地帯の住民です。まず普天間基地負担の軽減といいながら、少しも軽減されないどころか、普天間にオスプレイが傍若無人な飛行をしたり最新鋭戦闘機が飛来したりして騒音被害などが激増しているのですから。
そして、東村高江で作られたオスプレイパッドや伊江島の訓練場、嘉手納基地と連動して、米軍の訓練が激しさを増していることを住民は日々肌身で感じ取っているのです。
(米軍基地の歴史や全体像については沖縄県作成パンフ
「沖縄から伝えたい。米軍基地の話 Q&A」(pdf)にくわしい)
それゆえ、沖縄県民は、米兵のよる性犯罪や航空機の事故に抗議する中から、SACO合意そのものの見直しを強く要求するようになり、普天間については即時撤去を求めてきたのでした。
では、仮に辺野古に新基地が出来たとして、普天間は本当に返ってくるのか。
多くの国民が世論操作などで、素朴にそのように信じ込まされてきたのでしたが、思わぬ所から綻びが出てしまいました。
2017年7月の国会質疑で、稲田防衛大臣(当時)からポロリと出た重大発言です。「移設の前提条件が満たされなければ普天間は返ってこない」と答弁したのです。
これには仰天させられました。普天間基地の「移設」に8つの前提条件がつけられ、その普天間の代替が辺野古新基地建設だけではなかったことを明らかにしたからです。
稲田防衛相(当時)の国会でのやりとりをもう少し詳しく見てみましょう。
民進党藤田議員から、緊急時の民間施設の使用について「現時点で具体的な内容が決まっていないため米国側と調整していくというが、米国側との調整が整わなければ普天間基地は返還されないということで間違いないか」と質問され、稲田防衛相は「このようなことがあれば返還条件が整わず、返還がなされないということになる」と答弁したのです。
日刊ゲンダイが
「稲田大臣『普天間答弁』で密約漏洩か」(新聞記事は
こちら)などと書いたほど、当時大変な問題になりました。稲田大臣の実際の答弁は
こちら。
では、その返還の前提条件とは何か。それは「普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用の改善」というものです。
この前提条件を含む8つの条件が書かれたページは
こちら。それが載っている
「2013年の沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」全文は外務省のホームページで見ることができます。正本は英語で書かれ、日本語は「仮訳」なんですね。
稲田大臣が明らかにしたこの条件について、
AERA.dotはこの条件を次のように解説する。
お役所の直訳調でわかりにくいが、こういうことだ。
普天間の滑走路は2700メートルで、辺野古沖の代替施設は1800メートル。普天間から移る輸送機オスプレイなどの「回転翼」には足りるが、返還する飛行場の機能全体を別の場所で確保したい米政府にすれば足りない。
普天間なみの「長い滑走路」をどこかの「民間施設」、つまり空港でせめて「緊急時」に使えるようにというわけだ。長い民間滑走路といえば、那覇空港しかありません。故翁長知事は
「絶対に那覇空港は使わせない」と言明しました。
1996年のSACOのときにはこの条件はありませんでした。その後「民間施設使用は2013年に初めて追加されたが、その理由や経緯を含め一切が明らかになっていない」(
沖縄タイムス)
防衛省は火消しに躍起になっていましたが、次第にバケの皮が剥がれていくのはお粗末極まりない。
こちらは2017年9月の防衛省交渉の一場面。山城博治さん、北上田毅さん、福島瑞穂議員が並んで稲田発言を追及しています。
ここまで来れば、アメリカはもちろん、日本政府も本気で普天間基地の返還を考えているわけではないことが明らかです。普天間基地の「返還」だとか、「沖縄県民に寄り添って基地負担軽減をはかる」などというのは悪い冗談としか思えないではありませんか。お友達の利権も確保しつつ、アメリカのご機嫌を損ねないように沖縄を差し出す構図が浮き彫りになって来るというものです。
結論。普天間基地に代替は不要、「普天間基地の即時・無条件撤去、辺野古新基地建設中止」=「政府への建白書の精神」こそ最も現実的で即効性のある要求であり政策なのです。
**********************************沖縄の基地問題で考えなければならないことはまだまだあります。沖縄に基地を引き受けてもらっていることが「抑止力」になるという言い方。これは本当かという問題。近くこれについて検討してみます。