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  12月27日(木)
ちょっとブログが滞っていますが、ただいま私の書斎が大学受験生である孫の勉強室になっていて、パソコンを使うのを遠慮しているということが原因。正月三が日まではこの状態が続きます。

今日のテレ朝のモーニングショーを見ていたら、例の玉川さんが「そもそも総研」で「『ネトウヨ』とは何者なのか」についてレポートしていて、なかなか面白かった。古谷経衡さんへのインタビューで、ネット右翼と称される人々のかなりの部分が40代、50代の自営業者、医者などであること、引きこもりなどの若い世代ではないことを明らかにしていました。また、彼らが右派言論人の一言半句を鵜呑みにし拡散するだけの存在であることも。
「彼らの書き込みなどを気にする必要はない」という最後のまとめは誰に言っているのかと問われて「自分かな」というのはいただけませんが、ネトウヨのターゲットの1つが朝日新聞であることは周知の事実ですから、それなりに説得力のある反論になっていたと思いましたね。
この放送が終わるやいなや、結構な反響が。だいたい、忙しく立ち働いている労働者のみなさんには、この放送をみることも書くこともできない相談ですから、古谷さんの分析が正しかったことを裏書きしているのでしょうかね。
何度も書いたように、片言隻句の投げ合いではなく、歴史的に現実に即してきちんと分析し判断することが大事なのではありませんか。私自身は、今後ともその態度を貫きたいと思っています。



  12月23日(日)
私は今日、明日と松本でお仕事。受験生相手に最後の追い込みです。
昨年は、どうなることかと思った一人の生徒もセンター模試ではかなりの点をとれるようになり、その進歩はここ最近著しい。うれいしことです。ただ、本番は魔物ですから、最後まで気をゆるめないでしっかりやってほしいものです。
受験生といえば、高3の孫が我が家に「籠もって」勉強したいといって、明日富山からやってくる。正月明けまでいさせてほしいと娘の話。別に気を遣うような子ではないから、気の済むまで籠もったらいいんじゃないと返事をしておきました。
2007年、彼女が小学一年生の夏休みに、1週間ほど我が家に「合宿」に来たことがありました。その後何年もの間「こりた。もう2度とやりたくない」と言っていたのに、忘れたのかしらね。
そうは言っても、来てくれるのは嬉しい話ですからね、私もせいぜい美味しいものをつくってやるようにしましょう。

沖縄では、県民投票をめぐっていくつかの自治体が予算措置をしないことが濃厚になってきました。アベ支持の議員達の巻き返しということでしょうし、「県民全体の意思を示してはいない」という何よりの口実にしたいのでしょう。が、住民投票という直接民主主義の権利を自ら放棄することは許されることではありません。反対ならしっかり投票で示せばいいのです。このようにして彼らは「分断」を持ち込んでいる。
昨日の沖縄の新聞は、防衛省が大浦湾側の基地護岸工事を2020年度以降に先延ばしすることを決めたと報じました。大浦湾側では軟弱地盤が見つかっており、改良工事が必要だし、そのためには設計変更が必要となることを自ら認めたようなもの。
もともと、辺野古の工事は大浦湾側からやるはずだったのに、浅瀬の方から着手、とにかく既成事実を作ろうとしてきました。現在もどんどん埋め立てを進めていますから、まず埋め立てを完成させ後戻りできないようにしておこうというのでしょう。
この難題をクリアするには、設計変更(知事の承認がいる)をして、次回知事選で自民党が知事を奪い取るか、知事の権限を取り上げて強権的にやり通すか、どちらかの方法しかないんじゃないかなあ。前者はまず見込みがない。安倍政権なら後者を選ぶのかもしれませんが、強行するとしても予算は天井知らずになる。さて、防衛省はどうやってこの基地を完成させようというのでしょうか。
住民投票そのものをさせないようにしたい自治体の議員たちはこのことをどう見ているのでしょう。基地に賛成するにしろ、反対するにしろ、この軟弱地盤の問題の解決が目の前に迫ったとき、こんなはずじゃなかったなどという言い訳はなしです。結果は今から分かりすぎるほど分かっているのですから。

ホワイトハウス向けの署名が16万筆を超えました。私が記事を書いたときは6万5千筆くらいでしたから、それから8日間で10万筆増えたことになります。
今日のテレ朝で、またローラの呼びかけをわざわざ政治的といい、「沖縄に住んでもいないのに、偽善だ」という大学生らしき男の声を紹介していました。それも1つの声ではあるのでしょうが、思慮のカケラもないこうした声を「意見」として紹介する局の方が私は心配になりました。
この声の青年、「沖縄の海兵隊駐留に正当な戦略上の必要性はない」「(駐留は)全てお金と海兵隊の兵力維持のためだった」と証言したアメリカ元米軍高官にも、「沖縄に住んでもいないのに偽善だ」と面と向かって言うのかしらね。



  12月22日(土)  その2
この20日、「9条俳句訴訟」で最高裁が原告・被告の上告をともに棄却し、高裁判決が確定したという嬉しいニュースがありました。
掲載拒否から4年半、提訴してから約3年半ですから、「長かった〜〜」「ホッとした」という原告女性の声はまさしく実感がこもっています。本当によかった、よかった。池田町では2年間だって相当長かったですもんね。

問題の俳句掲載拒否事件が起こったのは、さいたま市三橋公民館。これはどの公民館でもあることなのでしょうが、地域団体がとりくむ切り絵や絵手紙、俳句などを2010年ごろから公民館だよりに掲載してきたのです。
三橋俳句会もその団体の1つで、秀句を一句選び公民館だよりに載せてきたのですが、2014年6月に選ばれた「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」が掲載を拒否されてしまった。
掲載を認めなかった理由は、「公民館は公平中立であるべきで、世論が2分されているものは掲載できない」というもの。憲法も社会教育法も、根本から理解していない「上向き忖度」「事なかれ主義」「思考停止対応」の典型ですね。
そして、話し合いによる地域的な解決を求めていた作者と支援者の声を頑なに撥ね付け、全く聞く耳を持たなかったのですから最悪です。

「九条を守れ」という声が世論を2分しているなどという理屈が不掲載の理由として通ると思っているとすれば、さいたま市の職員はそれだけで失格でしょう。ところが、日本中でこのような事例が頻発し衰える気配がない。それはなぜなのか。
1つには、そのような事例を許すと、外部(あるいは一部議員)からクレームがありその対応に追われることになるという、まさに「面倒に巻き込まれたくない事なかれ主義」が根底にあるからです。その際「政治的に中立公平」というのはまことに便利な隠れ蓑なのです。
朝日新聞が社説で書いたように、市民の権利として重要な「表現の自由」を、公的施設であれば率先して守らなければならないはずなのに・・・それからはほど遠い情けない現状。

その点からいえば、先日基本的解決を図った池田町公民館問題は、重要な教訓を与えていると、つくづく思います。
まず、粘り強くしっかり話し合いを続けてきました。当然ガチンコ勝負のときもありましたが、話し合う姿勢は最後まで崩さなかった。
私たちは憲法を土台において、公民館側の誤りを一つ一つ指摘し、正当性がないことを明らかにしていきました。町側も辛抱強く真剣に対応してきました。
他人と他人がぶつかり合うのですから、行き違いや感情のもつれなどはいくらでもある。池田町でも当初のそうした問題を、当時の副町長が中に入って調整役を果たしてくれました。
さいたま市では、一部の公民館で起こった問題を適切に判断し、調整・修復する度量のある上司がいなかったんでしょうかね。交渉のビデオを見ても、問題がどこにあるのかなどそっちのけで、大変残念なやりとりになっていましたから。
さいたま市は、この裁判からしっかり教訓を引き出して、住民の表現の自由を守る公民館運営ができるのかどうか。住民もまた活発に地域活動を展開することを通して公民館の公正・公平な運営にコミットしていかなければならないでしょうね。



  12月22日(土)
東京のある高校で東京オリ・パラのボランディア募集用紙を全員に配って提出するように促した問題がクローズアップされています。昨日のテレ朝・モーニングショー(だったかな)で、この話題が取り上げられていました。
一人の生徒の「とりあえず書いて全員出して!って言われたんだけど都立高の闇でしょ」という書き込みが発端。
この男子生徒は、それに続けて「出さないし書いてもないです_(:3 」∠)_以前興味のある人は〜と校長から話があったけど、集まらないから半強制的になったっぽい。こわすぎ:(っ'ω'c):」と書いていた。「学校毎にノルマあるはありそうだよね。そうでもなければ強制しないし」とも。
本人は、昨日のツイッターで、「ちょ、あの、テレビで取り上げられたって、マジかよ…」「なんか私はとんでもないことをしたような気がしてきた…:(´'v'):」と、こんな大げさなことになるなんて・・・とビックリしたコメントを書いていました。
見るからにフツーの男の生徒で、悪気とか批判とか何らかの意図があったわけではなく、たまたま「おかしい」と思ったことを素直に書いたという印象です。むしろ褒めてあげたいコメントです。
この学校では犯人捜しをやりそうな気がしてなりませんが、教師たちの浅慮が招いたことであって、「何でこんな書き込みをしたのか」などとこの子を追い詰めるようなことなど絶対にあってはなりません。

それにしてもなぜオリンピック・ボランティアの問題が話題になるのか。それは、明らかに奉仕活動を半強制的に行わせようという行政側の意図が背景にあるからです。
東京都は2004年に「東京都教育ビジョン」をまとめ、「A 奉仕体験・勤労体験の必修化(提言19)」の中で、次のように書いていました。

多感な時期の子どもたちに対し、規範意識や公共心を育成していくには、単に守るべき社会のルールやマナーを言葉で教えるだけではなく、実際の社会の中で、体験的に学ばせていくことが必要である。そこで、学校教育において、児童・生徒に対して、長期の社会奉仕体験や勤労体験等を義務付けることも検討すべきである
奉仕体験や勤労体験等を通して、他人に共感し、社会の一員であることを実感し、また、社会に役立つ喜びや、勤労の大切さなど多くのことを体験的に学んでいく。
今後は、学校が地域と連携し、児童・生徒の奉仕活動・勤労体験活動を地域の中で意図的、計画的に行っていけるような仕組みをつくっていく必要がある


この提言に基づいて、東京都は都立高校において2007年度から「奉仕」(1単位)を必修とすることを決めたのです。その目標は「奉仕活動の理念と意義を理解させ、奉仕に関する基礎的な知識を習得させるとともに、社会貢献を適切に行う能力と態度を育てる」というものでした(文科省「東京都・高等学校「奉仕」について」)。
各校でどう実践されたかなどについてはここでは触れませんが、この路線が安倍首相の私的諮問機関・教育改革国民会議の報告「教育を変える17の提案」の具体化であることは明らかであり、その方向に沿って東京都の教育を進めようとする一貫です。実際、教育改革国民会議の提言にいう「日本人としてのアイデンティティー」という単語が東京都のビジョンには何度も現れています。ここでは、そのことに触れることは割愛しましょう。

「オリンピックでのボランティアを積極的に募集することがなぜ問題になるのか」「むしろ生徒たちに奉仕活動の体験をさせて、社会性を身につけさせることが必要なのではないのか」という批判が当然あります。
そのことを考えるためには、オリンピックでのボランティアがどのように呼びかけられ、どのように組織されてきたのか、そもそも2020年東京オリンピックでなぜこれほど「無償」のボランティアが必要とされるのか、そうした問題を全体として捉えておく必要があります。

これを論じるとまたまた長大な話になるので、ここでは要点のみ書き、詳細は別の機会とすることにしましょう。
第1に、オリンピックは1984年ロス大会以降極端に商業化し、ごく公式スポンサー企業を中心とする一部の企業・団体に利益が集中する仕組みが作られていること。「祝賀資本主義」(ジュールズ・ボイコフ)という構造の典型になっていること。
第2に、そのために、オリンピックのあり方がゆがめられ、4000億円以上と言われるスポンサー企業からの協賛金がありながら、競技会場への高額な有料チケットが販売され、その一方でボランティアには「無償」が求められていること。
第3に、その「無償」労働力を集めるために、文科省を使って大学・高校への通達を出し授業や試験の繰り上げなどを求めるという半ば強制(=国家に対する無償奉仕の強要)とも取られかねないやり方は極めて大きな問題であること。ネット上では「学徒動員か」という書き込みが多く見られたのも、その臭いを敏感に感じ取ったからでしょう。
第4に、この無償ボランティアの推奨の背景に、安倍政権が願ってやまない「日本の伝統と文化に誇りを持ち国を愛する心を持つ青少年」像があること。一大イベントを通して生徒たちに「奉仕」の心を植え付けられるならば、安倍政権にとっては願ってもない成果となるでしょうから。
第5に、国・都と組織委員会の無責任体制の帰結であること。
ボランティアは無償のものもあるだろうが、決して有償を否定することで成り立つものではないことは現在では常識になっています。にもかからわらす、無償にこだわる組織委員会の決定の背後にはどんな思惑があるのか。
無償ボランティアだから酷暑のなかで何か事故が起こってもあくまで自己責任、結局誰も責任を取らないという無責任体制が組織委員会を覆い尽くしているのではないのかという疑問。
第6に、なぜボランティアの4割も外国籍の人々なのか。おもてなし好きの日本人はどこにいったのかという問題。
組織委員会は「応募者のうち女性が6割を占め、日本国籍が56%、外国籍は44%」「年齢層では日本国籍の人に限ると50代(22%)が最も多く、20代(12%)、30代(11%)は少なかった」(19日)と発表しました。
海外の人々のボランティアについての高い意識がそうさせているのだとすれば評価できるのかもしれませんが、裏を返せばこの国の人々のボランティア意識、オリンピックのあり方が逆に照らし出されていることになりますね。それにしても多い割合です。
ネット上には「これ、何か裏がありそうだな。わざわざ、ブラックボランティアに外国人が応募するとは思えない」という書き込みすら見られましたものね。

「美しい国・日本は世界に誇る自己犠牲の精神をもって最高の五輪を実現できるに違いない」と皮肉たっぷりに呼びかける早稲田の学生作成のサイト「東京五輪学生ボランティア応援団」といい、さきにあげた一人の高校生の書き込みとい、客観的に見れば、国と組織委員会に対するささやかな抗議の意思表示なのであって、私はそこにこの国の若者たちの健全な姿を見るのですが、いかがでしょうか。



  12月21日(金)
どうしても沖縄問題の焦点の1つを解明したくて、いろいろ調べていたらずいぶん長くなってしまいました。これは自分自身の整理の意味でもありますから、興味があれば目を通してみて下さい。
調べれば調べるほど、普天間基地問題、辺野古新基地建設問題の闇、日本政府の対米従属性とその構造、メディアに操作される人々の意識などが明るみにさらされてくるように思えます。

沖縄県内でも、「辺野古に基地が作られないとなると、普天間基地が固定化されてしまうのではないか」という意見が根強くあります。普天間の危険除去のためには「辺野古が唯一の解決策」という政府の論拠にもなっていますからなおさらです。
辺野古基地建設が、防衛省の計画通りなら、海底の地層形状、大浦湾の自然保護、米軍の航空機高度規則などのどの点からみても永久に完成しないことはすでに見てきました。
これとは別に、辺野古に基地を移さない限り普天間は帰ってこないという問題はそれなりの「説得力」を持っている以上、普天間問題に回答を示さなければならないでしょう。

まず、普天間基地や辺野古基地についての沖縄県民の思いはどこにあるのか。
その原点は、2013年1月28日、沖縄県のすべての自治体首長・議長が署名した政府への建白書です。「米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること」。この要求こそが沖縄県民の意志の最大公約数であり、玉城知事を誕生させた原動力です。
辺野古がだめなら、それじゃどこへ持って行くのか? 県民はそれには答える必要がないと考えているはずです。沖縄の意志は普天間基地を無条件で閉鎖・撤去することだからです。辺野古かそうでないかという条件はつけていない。
「辺野古新基地に反対するなら対案を示せ」というアベ好みの決めぜりふを言う方々はこの現実を見ようとしない。知らず知らずに米軍と日本政府の立場に立ってしまっているのです。しかも、辺野古に基地を作れば、即座に普天間が返ってくると思い込まされている(あとで触れます)。
「替わりを差し出さなければ普天間は返ってこない」という思い込みから抜け出すこと、まずこのことが普天間問題のキーポイントです。
何よりも、沖縄県民にとっては、普天間基地いらない。辺野古にも基地はいらない。これが圧倒的多数の声であり切実な要求なのです、沖縄県民が対案を示す必要はありません。
県民の要求を背景に、アメリカとギリギリ交渉して普天間の閉鎖を実現させることこそ政府のやるべきことだからです。
安倍政権にその意志がなく、米政府、米軍のいいなりに基地を押しつけてくるのであれば、そんな政権に用はない。圧倒的な世論で政権を包囲し、政権に断念せざるを得なくさせるか、それとも政権を倒すか、アメリカに直接要求をのませるかしかありません。

なぜ普天間基地の返還が問題とされるようになったのか。
1995年9月、アメリカ海兵隊員2名とアメリカ海軍軍人1名の計3名が、12歳の女子小学生を拉致・集団強姦するという残酷な事件が発生し県民を震撼させました。
ところが日米地位協定によって実行犯の身柄が日本に引き渡されないという理不尽さが県民の怒りに火をつけ、10月21日には8万5千人の県民大会が開かれ、実行犯への厳罰の要求とともに、地域協定の見直し、米軍基地の整理縮小を求める声へとつながっていきました。
その事件を背景として、10月に日米合同委員会が開かれ、そこで地位協定の「運用改善」がはかられますが、実際には地位協定の改定などにはならず、「合衆国は、殺人又は強姦という凶悪な犯罪の特定の場合に日本国が行うことがある被疑者の起訴前の拘禁の移転についてのいかなる要請に対しても好意的な考慮を払う」という屈辱的なとりきめでお茶を濁すだけとなりました。
続いて、同年11月から翌年1996年にかけて両国間で基地問題についての協議が行われ、96年12月に「最終報告」が発表されます。これがいわゆる「SACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意」です。
この合意では、@北部演習場の返還の見返りにヘリパッドの建設と海への出入口の確保、A本島東海岸に新たな海上基地を建設し、今後5−7年以内に運用可能になった後、普天間基地を返還、などが取り決められました。(右図)
SACO合意の背景には、少女暴行事件で煮えたぎる沖縄県民の怒りを反らそうとする意図があったと同時に、アメリカにとっては普天間に替わるもっと条件の良い新基地が求められていた事情がありました。この点についてはこちらの記事が参考になります。
その後、海上基地案は日本側によって撤回され、99年11月には、SACO合意の実現・推進を表明する稲嶺恵一現知事が「軍民共用」「15年の使用期限」などの条件を付け、新基地建設の候補地として名護市辺野古沖を最終決定するに至ります。政府も同年12月の閣議で新基地建設を決めました。
その後の2004年に、普天間基地のすぐそばの住宅密集地にある沖縄国際大学に米軍ヘリCH53Dが墜落炎上する事件があり、普天間基地の撤去を求める声が一段と高まりました。
2006年になると、辺野古沿岸V字案で日米両政府が合意し、当時の仲井眞知事が2013年、任期切れを前にこの案を容認し、突如新基地建設のための「埋め立て承認」を行ったことから、一気に建設に向かうことになるのです。日本側の思惑には地元建設業者と中心とする建設利権がからんでいたことも当時から指摘されていました。その後の経過はここに書くまでもないでしょう。沖縄県民は翁長知事を誕生させることでその意志を示しました。
5−7年どころか、すでに20年の歳月を経ながら未だに基地完成のメドが立たないのは、日米地位協定には手を触れず、普天間と辺野古をリンクさせて県民の要求に背を向け続けてきたことに最大の要因があることは明らかです。

次に検討しなければならないのは、普天間基地の辺野古への「移設」という言い方は正しいのか。そもそも辺野古の基地は一体どんな基地になるのか。
結論からいえば、辺野古に作られる基地は、海のない普天間とは異なり、滑走路2本だけでなく、弾薬搭載エリア、ヘリパッド、強襲揚陸艦用護岸などを備えた最新鋭基地となるように設計されています。移設どころか普天間とは桁違いの新基地になるのです(写真の元データは沖縄県HP)。


基地強化にねらいがあることを最もよく理解しているのは、沖縄中部の基地密集地帯の住民です。まず普天間基地負担の軽減といいながら、少しも軽減されないどころか、普天間にオスプレイが傍若無人な飛行をしたり最新鋭戦闘機が飛来したりして騒音被害などが激増しているのですから。
そして、東村高江で作られたオスプレイパッドや伊江島の訓練場、嘉手納基地と連動して、米軍の訓練が激しさを増していることを住民は日々肌身で感じ取っているのです。
(米軍基地の歴史や全体像については沖縄県作成パンフ「沖縄から伝えたい。米軍基地の話 Q&A」(pdf)にくわしい)
それゆえ、沖縄県民は、米兵のよる性犯罪や航空機の事故に抗議する中から、SACO合意そのものの見直しを強く要求するようになり、普天間については即時撤去を求めてきたのでした。

では、仮に辺野古に新基地が出来たとして、普天間は本当に返ってくるのか。
多くの国民が世論操作などで、素朴にそのように信じ込まされてきたのでしたが、思わぬ所から綻びが出てしまいました。
2017年7月の国会質疑で、稲田防衛大臣(当時)からポロリと出た重大発言です。「移設の前提条件が満たされなければ普天間は返ってこない」と答弁したのです。
これには仰天させられました。普天間基地の「移設」に8つの前提条件がつけられ、その普天間の代替が辺野古新基地建設だけではなかったことを明らかにしたからです。
稲田防衛相(当時)の国会でのやりとりをもう少し詳しく見てみましょう。
民進党藤田議員から、緊急時の民間施設の使用について「現時点で具体的な内容が決まっていないため米国側と調整していくというが、米国側との調整が整わなければ普天間基地は返還されないということで間違いないか」と質問され、稲田防衛相は「このようなことがあれば返還条件が整わず、返還がなされないということになる」と答弁したのです。
日刊ゲンダイが「稲田大臣『普天間答弁』で密約漏洩か」(新聞記事はこちら)などと書いたほど、当時大変な問題になりました。稲田大臣の実際の答弁はこちら
では、その返還の前提条件とは何か。それは「普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用の改善」というものです。
この前提条件を含む8つの条件が書かれたページはこちら。それが載っている「2013年の沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」全文は外務省のホームページで見ることができます。正本は英語で書かれ、日本語は「仮訳」なんですね。
稲田大臣が明らかにしたこの条件について、AERA.dotはこの条件を次のように解説する。

お役所の直訳調でわかりにくいが、こういうことだ。
普天間の滑走路は2700メートルで、辺野古沖の代替施設は1800メートル。普天間から移る輸送機オスプレイなどの「回転翼」には足りるが、返還する飛行場の機能全体を別の場所で確保したい米政府にすれば足りない。
普天間なみの「長い滑走路」をどこかの「民間施設」、つまり空港でせめて「緊急時」に使えるようにというわけだ。


長い民間滑走路といえば、那覇空港しかありません。故翁長知事は「絶対に那覇空港は使わせない」と言明しました。
1996年のSACOのときにはこの条件はありませんでした。その後「民間施設使用は2013年に初めて追加されたが、その理由や経緯を含め一切が明らかになっていない」(沖縄タイムス
防衛省は火消しに躍起になっていましたが、次第にバケの皮が剥がれていくのはお粗末極まりない。こちらは2017年9月の防衛省交渉の一場面。山城博治さん、北上田毅さん、福島瑞穂議員が並んで稲田発言を追及しています。

ここまで来れば、アメリカはもちろん、日本政府も本気で普天間基地の返還を考えているわけではないことが明らかです。普天間基地の「返還」だとか、「沖縄県民に寄り添って基地負担軽減をはかる」などというのは悪い冗談としか思えないではありませんか。お友達の利権も確保しつつ、アメリカのご機嫌を損ねないように沖縄を差し出す構図が浮き彫りになって来るというものです。

結論。普天間基地に代替は不要、「普天間基地の即時・無条件撤去、辺野古新基地建設中止」=「政府への建白書の精神」こそ最も現実的で即効性のある要求であり政策なのです。

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沖縄の基地問題で考えなければならないことはまだまだあります。沖縄に基地を引き受けてもらっていることが「抑止力」になるという言い方。これは本当かという問題。近くこれについて検討してみます。



  12月20日(木)  その2
モデルでタレントのローラがインスタグラムでホワイトハウス向けの辺野古署名を呼びかけたことが話題を呼んでいて、今朝のモーニングショーでも取り上げていました。
特徴は「ローラがよびかけて瞬く間に10万人を超えた」というもの。それほどに影響を恐れているということか。しかし、ローラの影響で署名が急速に伸びたというのは、ちょっと違うなあ。
ローラが呼びかけたのは18日。それまでにすでに8万人近くの署名が集まり、私が16日に書いたように一日1万人くらいのスピードで署名は増えていたのです。ローラの勇気は賞賛に値するし、呼びかけ後の寄与には大きなものがあったかもしれないが、それ以前に多くの芸能人、文化人が声を上げていたことを忘れてはならないし、ことさらに無視することは不自然でしょう。
また彼女の書き込みを「政治的発言」であることを強調し政権と対立するかのように描き出すことも意図的です。
辺野古の美しい海を汚さないでという発言はどれほど「政治的」なのか。もしそうだとすれば、現在のような安倍政権の政治のもとでは、どんな発言も政治的にならざるを得ないのではないのか。
「消費税引き上げ困るよね」「近くで働いているベトナムの実習生労働きつそうだね」「北アルプスの上をオスプレイが飛んだんじゃ興ざめ」「空母なんかより社会保障にもっと金をかけてほしいな」・・・いろいろ。
安倍政権の目から見れば、私ここで書いていることなんか、ぜ〜〜〜んぶチョー「政治」的ですもんね。実際にはそんなことぜんぜん意識していないんですけど。
自らの社会人としての見解を自分なりに熟考し節度をもって述べる、それは芸能人であれ、フツーの庶民であれ、当たり前のことではないのか。辺野古の埋め立て問題を通して、この国の民度が試されていると私には思えます。

こんな記事がありました。

「辺野古への基地移設を進める官邸にとって、影響力の大きいローラさんが反対の声を上げるのは、厄介な話でしかない。ローラさんを起点に、政治に無関心だった若者が基地問題に関心を持ち、大きなうねりになることを恐れています。官邸に“忖度”する某局ではローラさんの起用を渋る動きが出始めています」(政界関係者)

さもありなんですね。差別的な発言を垂れ流す右派「文化」人らをもてはやしておきながら、一方で若者がまともな見識を持たないように「政治」からできるだけ遠ざけておきたい、関心を持たせたくない・・・そんな現政権にとっては、こうしたタレントの出現は迷惑千万。早く潰してしまわないと大変なことになると戦々恐々としているのか。馬鹿げた話です。

こうしたタレントの発言に批判的な意見もある。それはそれで大いに結構。議論を深めればいいのです。だがその主張を個人の生活と短絡的に結びつけるのはどうか。

アメリカに豪邸を購入し、ハリウッド進出をもくろんだり、1年のほとんどを海外で過ごしていることなどから、国防に関する問題を軽々しく言及することに違和感を覚える人も多いようだ(週刊実話

タレントの発言に自身の政治的意図(もしくは無知)を貼り付け、批判しているかのように見せかけるような手法には十分気をつけたい。たとえば「仮に工事が中止したとして、その後何かプランあるのか?」などというものが典型。「普天間基地を固定化していいのか」などというのもその類い。
しかしそれは一部にすぎない。大多数は好意を持って見守っているのです。低劣なバッシングを恐れず、若い芸能人・文化人たちは、社会的存在としてもっともっと自らの主張を世に問うてほしいものです。その中で自らを鍛えていってほしい。

辺野古署名は現在14万人弱、年内50万人へ。



  12月20日(木)
沖縄辺野古の基地建設は今どの段階なのか、そしてこのまま政府の思い通りになるのか、どうすればこの暴挙を止められるのか、資料を用いておさらいしておきたいと思います。
第1に、辺野古新基地とは何か、それは何を意味するのかという問題です。
普天間基地の代替として「辺野古が唯一の解決策」というのが政府のワンパターン台詞、もう聞き飽きましたね。
普天間基地を撤去する代わりにそれを移設すると決めたのが1996年12月の「SACO合意」。しかし、候補地となった辺野古での基地の形状も二転三転、今日の形状が決定されたのがようやく2006年に入ってからです。この間の推移は次の琉球新報の記事が参考になります。

2017年、初めてK9護岸工事から海上での建設工事が始まりました。現在までに、南側の護岸工事が終わって、土砂投入に踏み切ったというのが現状です。
過去にも指摘したように、工事の順番を変えてまでも浅瀬の多い工事のしやすい海域から着手し、もう工事を止めようがないかのように見せつけているというのが実態なのです。
上と次の写真が、基地の全体像。下が現在護岸工事が終わった区域です(@の部分が現在土砂投入をすすめている区域)。
ANNのニュース動画は、現在の状況と最近明らかになった埋め立て予定地区(大浦湾側)の軟弱地盤の問題をリアルに紹介しています。写真の下にその動画を紹介しておきました。







先日、「信州と沖縄を結ぶ会」のニュースがとどいて、その中のある記事に目がとまりました。
沖縄で引っ張りだこの北上田さんと同じ土木技術者で、現在沖縄の各地で工事の監視・分析活動を続けている奥間政則さんによる辺野古工事の報告です。
奧間さんの了解を得て、その記事のコピーをここに紹介します。

沖縄県知事選挙と辺野古の知事の権限_その1(jpg)
沖縄県知事選挙と辺野古の知事の権限_その2(jpg)
沖縄県知事選挙と辺野古の知事の権限_その3(jpg)
沖縄県知事選挙と辺野古の知事の権限_その4(jpg)
一括ファイル(pdf)

奧間さんは、土木技術者として辺野古に関わり、防衛局の文工事計画書を読み取る作業を行った結果、重大ないくつもの問題点を見つけたことをこの資料で記しています。
第1は、海面に張る汚濁防止膜の設計・施工の杜撰さ、いんちきさ。
本来、汚濁防止膜というのは工事区域を全部完全に締め切った状態で、海底まで下ろすべきところ、下の図のように隙間だらけで、しかも海面から7メートル下までしか垂らさないというのですから、汚濁防止の意味がありません。

防衛局が、この設計で問題ないことを示すのに「科学的」な計算式をもってそれらしく装っていたのですが、物理学者らの分析で、意図的に垂直方向の海水の動きがない静止状態を想定していたことが判明(2ページ目)。その箇所は6-9-29のファイルの赤で囲んだ部分。6-9-28では予測方法の欄に「流動モデルを用いた数値シミュレーションにより予測しました」と何食わぬ顔で書いていますね。奧間さんの図と見比べてみて下さい。

次の問題は、大浦湾の軟弱地盤と活断層の存在です。 防衛局、軟弱地盤があることをボーリング調査で前から知りながら、情報公開されるまでそのデータを隠し通していたことが暴露されました。
その軟弱地盤がどれほど深刻なものかは、先のANNのニュースが詳しく報道しています。軟弱地盤についてはこれまで幾度となく書いてきましたからここでは詳しくは省きますが、工事の問題点としては最大のものでしょう。
玉城知事は、工事の設計変更を許可しないことは明らかですから、工事はここで頓挫する。
にもかかわらず、防衛大臣は「地盤改良も今後解決する」などとうそぶいているのですから大変です。行き詰まったあげくに、知事の許認可権限をとりあげようとでも言うのでしょうか。

今年2月、那覇市で開かれた活断層シンポジウムの模様を東京新聞が報じています。
下の青い線が活断層。2つの合流点に40メートルもの深さを持つマヨネーズ状の落ち込みが見られます。この落ち込みが活断層によるものであることが最近分かってきました。



この事実は8月に琉球新報なども報道しています。また、12月初めに開かれた日本科学者会議の分科会で、辺野古の地層問題が討議され「来年3月に応用地質研究会で辺野古活断層と楚久活断層の地形学的および地質学的調査に着手する」ことが決まったそうです(琉球新報)。これだけの事実を突きつけられながら、政府はいまだに根拠なく活断層の存在を認めていないのですから、思考停止も極まれりという状態です。

さて、奧間さんや北上田さんの土木技術者としての技術的な視点からの指摘は以上ですが、これ以外にも辺野古基地の建設には大きな問題がいくつもあります。
その1つは、自然破壊、環境破壊の問題。生物多様性の宝庫、多くの絶滅危惧種の生物が住む大浦湾が破壊されることは、辺野古に基地をつくる最も大きな損害かもしれません。これについては沖縄県自身が作成した資料が参考になります。

第2は、辺野古基地から飛び立つ航空機にとって、建築物などの高度が米軍自身が決める高さ制限を超えること。
北上田さんは17日、防衛局への情報公開請求の結果「高さ制限に関して、なんと360件もの建造物(家屋、鉄塔、電柱等)が高さ制限をオーバーしているという重要な文書が入手できた」と報告、近く詳細を知らせると書いていました。
こちらの琉球新報の記事もご覧下さい。航空機にとって付近に障害物があることは致命的です。こんな初歩的なことすらクリアできていなかったのかと唖然とさせられます。

第3は、埋め立てる膨大な土砂をどこから持ってくるのか、県内外の土砂採掘や運搬による、外来生物をもたらす危険や運搬するトラックなどによる環境汚染なども無視できない大変な問題です。

結局、どこから見ても辺野古新基地は永久に完成しない。中止するしかないのです。



  12月19日(水)
沖縄宮古島市で議会が辺野古新基地建設の賛否を問う住民投票の予算を否決し、市長は県民投票を実施しない方針を明らかにしたというニュースが載っていました。
これは、地方自治法に保障された、住民が自治体の政策に対して直接請求できる権利の1つであって、これを否定することは住民の自治権、請求権の侵害にあたることは明らか。住民投票の内容に不満があるからといってこれを否定することは、自らの権利を投げ捨てるようなものでしょう。
市長は、「普天間飛行場の今後の方向性を示さない今回の県民投票は、宜野湾市民の生命の安全と財産の保全が置き去りになる」「国全体に関わる問題は国会の場において議論をし、国全体としての意思を決定すべき」と述べたと伝えられいますが、この住民投票の意味を解さない一方的・恣意的な見解だと言わなければなりません。琉球新報は「投票権の侵害として住民訴訟で市町村長が損害賠償請求される事態も想定される」と書きましたが、それも当然です。

さて、ホワイトハウスに辺野古埋め立て中止を求めるネット署名が昨日10万筆を超えてなお進んでいることが各紙で大きく報道されました。10日間で10万筆を超えたのですからスゴい(現在は12万筆を超えている)。
今回の署名で特筆すべきことは、さまざまな芸能人、文化人がSNSなどで署名運動を広げていること。思いがけない人もたくさんいました。さらに広げていきたいですね。

また、故湯川秀樹さんらが創設した「世界平和アピール七人委員会」が辺野古への土砂投入の強行に抗議する声明を発表、「安倍政権の度重なる暴力的行動」が沖縄県民の「平和のうちに生存する権利を否定する」とを厳しく指摘し、これは「21世紀の琉球処分」だと断罪。「私たちは 沖縄県民の側に立ちます」と力強く宣言し、「国民一人一人が他人事と思うことなく、現状を直視し、発言されることを求めます」と結んでいました。
辺野古新基地問題、普天間の基地撤去問題は、沖縄県内ですら辺野古地域の住民や宜野湾市の住民の問題とみられがちですが、絶対にそのような問題ではありません。
なぜ「他人事」ではないのか。1つは、それは沖縄の現状は私たちにもたらされるであろう明日の姿だからです。いやいや福島の皆さんにはすでに進行中の、形を変えた出来事です。
本土からは遠く離れた島に米軍基地を押しつけることで「平和」が保たれていると称する、それ自体差別であり幻想であるこの国の政治のゆがんだあり方を直視し、それを根本的に正さない限り、私たち自身の未来の生存も保障されないからです。
「本土の沖縄化」というのは実に差別的な表現ですが、実態としてはそうなりつつある。軍事予算の膨張、攻撃型兵器を専守防衛という名の下に際限なくアメリカから購入して恥じないアベ政権を見れば、そのことは明白でしょう。アベ改憲はその仕上げです。
これらが私たち一人一人のいのちとくらしにどう関わるのか、生活点から深く見据えていくべきときではないのでしょうか。



  12月17日(月) その2
昼過ぎまでゴロゴロ。ちょっと外に出てハルちゃんと戯れ、うとうとと過ごしていたら、それで一日過ぎそうになった。


あわてて大掃除の続きにとりかかり、キッチンの床とレンジフードをきれいにし、夕食を作って食べたらもうこんな時間(夜8時)。またハルちゃんの相手をして、くつろいでいたらまた眠くなっってしまった・・・いかんいかん。奥さんを迎えにいかないといけませんから、寝ているわけにはいかないのです。

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中学の同期生の梅原司平くんの公式サイトを見ル機会があってのぞいていたら、私と同じ72歳で(当たり前か)まだまだ現役、昨日西新宿のハーモニックホールでコンサートを開いたんですね。久しぶりに聴いてみたくなりましたよ。元気そうで何よりです。


プロフィールには「2003年NHKラジオ深夜便『こころの時代』出演が話題を呼ぶ」と書いてありました。アルバムも重ねていて、さらには講談社から自伝「売れない歌手でよかった」を刊行とか。
前にも書いたことがありましたが、代表曲の「折り鶴」が小中学校で合唱曲として歌い継がれているのは嬉しい限りです。
たまに、司平君とか山本さとしさんとかの曲が聴きたくなることがあるんですね。ちょっと時季外れですけど。


司平君本人の歌声はこちらもしくはこちらです。短いバージョンがアップされています。やっぱりいい声しているなあ。
シニア・アンサンブルと子ども達の合唱のこんなのもアップされていました。ブラスが転けそうで、何とも微笑ましい。心があります。


山本さん本人の歌声はこちらです。こちらは司平君とは対極のスタイル(?)。でも、しっかりメッセージが伝わってきます。

最後に、司平君が3.11のあと福島への思いを込めてつくった「ふる里からの手紙ー楢葉よりー」





  12月17日(月)
安倍首相も防衛相も口を開けば「沖縄の負担軽減」と言う。それは沖縄県民に対して言っているのではありませんね。何も実態を知らない「本土」に対して単に覚えた単語をオウム返しに言っているに過ぎない。「負担軽減をする」「アメリカに確約させる」と言っているのではなく、負担軽減は必要だが・・・(アメリカには何も言えないから実際はできっこないなあ)と白々しくつぶやいているに過ぎない。

沖縄本島から少し離れた伊江島には「米軍伊江島補助飛行場」がありましたが、2016年夏から、CV22オスプレイと米海兵隊F35Bステルス戦闘機の訓練を行うための、強襲揚陸艦デッキを模した離着陸訓練場(LHDデッキ)の増強・拡張工事に着手。
伊江島飛行場は、高江のヘリパッド、嘉手納基地と結んだ重要な訓練基地とされてきましたが、この増強工事が完成すればいっそう訓練の激しさが増すことが懸念されてきました。辺野古新基地ができれば、そこには強襲揚陸艦接岸基地もできるのですから、3角形は4角形になり、中北部全体が米軍基地エリアになることは火を見るより明らか。
実際、CV22オスプレイ(横田に配備)は東村高江のヘリパッドを利用し、F35(岩国に配備)は嘉手納を拠点に本島北部を訓練空域にしているのですから、横田、岩国と結んでこれまでとは桁違いの高度な訓練を行うことが可能となるのです。

さて、伊江島のLHDデッキが完成したために、どんなことが起こったか。12月4日にF35Bステルス戦闘機が伊江島補助飛行場に初飛来。20分ほど周辺を周回して普天間に戻ったと報じられました。騒音は100デシベルに近かったらしい。


普天間に飛来しているF35は6機。連日伊江島で飛行訓練を行って、普天間では最大123.7デシベルを上大謝公民館で記録。
ヘリパッドの完成した高江では、「騒音発生回数は13年度に653回、14年度882回、15年度2631回、16年度5079回、17年度は5182回と右肩上がりに増加」(琉球新報)しているのです。
これらが示すものは、負担軽減どころか負担増。それも質的に異なる複合的な負担が押しつけられている実態ではないですか!!

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今日は妻が東京に出張で、朝早く松川道の駅まで送っていきました。帰りは遅いのでそれまで予定もなく一人。
よいお天気でしたが、午前中は「町民と政党のつどい実行委員会」の後始末。昨年末にまとめた中間報告書を手直しし、新しい経過を加えて最終版としました。また、それをネットにアップする作業で、午前中はパー。これで私の作業は本当に終わりです。ふ〜〜。
報告書最終版とネットのリンクは下の通りです。

公民館問題2年間のとりくみの報告
池田町公民館問題のサイト




  12月16日(日) その2
昼過ぎから月1回のスタンディング。ちょっとマンネリ気味だし、人数も少なくなっていますが、とにかく続けることに意味がある(?)と言い聞かせて、寒風のなか旗を持って立ってきました。


スタンディングの終わり頃、若い友人が、下のチラシを配っていた。見ると、辺野古基地建設の工事中止をホワイトハウスに訴える請願署名のチラシ。聞くとツイッターで拡散中とのこと。2,3日前には私もすでに終えているので、そのままにしていたのですが、これはSNSでなくても、もっともっと知らせて広げなければ。ホワイトハウスをアッと驚かせなければならないと思ってここで取り上げました。


この署名は、ハワイ在住ウチナーンチュ(沖縄県系4世)のロバート梶原さんが呼びかけたもの。まずは彼自身による訴えに耳を傾けましょう。


まず、この請願署名がどんなものか、琉球新報および沖縄タイムスの記事でごらんください。
「30日以内に10万筆の請願を集めればホワイトハウスはそれを検討する」というオバマ政権時につくられた請願に関する仕組みを利用したもので、請願の内容は「県民投票実施まで、トランプ大統領に14日に予定されている建設作業の停止を命じるよう」求めるものです(工事はすでに着手されてしまいましたが)。
では、どうすればいいのか、それはとっても簡単で、上のチラシの記述でもわかりますが、さらに丁寧にやり方(署名の仕組みも含めて)を知りたいときは次のサイトで確認して下さいね。

【嘆願署名】ホワイトハウスへ 辺野古嘆願署名

画面をスクロールして、真ん中あたりにやり方が図解されていますので大変わかりやすい。
下の署名のサイトに移動して、名前とメールアドレスを記入、「Sign Now」をクリック。これで終わりではありません。向こうから送られてくるメール確認の指定箇所をクリックしないと確定しないしくみになっているので要注意。
では、次の署名サイトへ。

We the Peopleの署名サイト

We the Peopleのサイトにはカウンターがついていて、刻々集約数を知らせてくれます。サイトを更新する度に署名数がどんどん増えています。深夜零時ちょっと前で、もう6万5000筆を超えました。ものすごい勢いです。
期限を待たずに明日にも10万筆、10万筆でストップされなければ、1月7日までには100万筆すら軽く超えそう。どんどん広げましょう!!



  12月16日(日)
霜がびっしりと降り、早朝は車も真っ白という日が続くようになりました。ついこの前までの暖かさはウソのようです。
先日届いた「チョロギ通信」(「長野チョロギ研究会」代表Sさん発行)によると、今年度の長野県からの出荷は520キロで昨年から4倍化を達成。栃木の食品会社で扱っている範囲では、秋田県を抜いて第1位になったのだとか。
我が家からの出荷量はわずか30キロにも満たないものでしたが、それでもキロ800円(送料は会社持ち)ですから、お小遣い程度にはなります。
すでに来年度からは我がバラの会メンバーの有志で「池田チョロギ同好会(仮称)」を作って生産に励もうと意思統一しているところ。農場もキュウリハウスの後を利用し、植え付けを待つだけになっているので、100キロの出荷も夢ではなくなっています。
キュウリ農家の高齢のご夫妻が引退すれば、そのあとのハウス5棟はすべてチョロギに転作できるので、ものすごいことになる・・・・(汗;)。
8万円あれば、収穫後に温泉にでも出かけて美味しいものを食べられるなあ。
収穫作業も、一年目は何としんどいことかと思わされましたが、今年の収穫を振り返ると妻と二人で2〜3時間で10キロ収穫できますから、それほど困難な作業ではないはず。みんなでワイワイやればそれほど苦痛ではないし、10円玉(=球根1個)を拾っていると見立てれば楽しい。
要は、いかに単位収量をあげることができるか、また、食品会社が求める品質のものを生産できるかということです。
食品会社の課長さんからのメッセージも通信に載せられていました。@納品量は秋田を抜いて第1位、A来年は1000キロを目指してほしい、Bやや成長しすぎなので注意を、C契約栽培への移行も検討中。働いた分そのまま収入になるので、意欲がわいてきますね。



  12月15日(土) その3
教育委員会との最終協議の模様を信濃毎日、朝日新聞の2紙(今日の段階)が伝えていました。(その後16日に大糸タイムス)






当日は5社が来ていたので、他紙については掲載され次第収録する予定。

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沖縄辺野古では今日も土砂投入が強行されています。基地前には昼前には県民約600人が集まり、11時には玉城知事も駆けつけ「私たちはひるんだり、恐れたり、くじけたりしない。勝つことは諦めないことだ」と激励、ともにたたかう決意を述べたと沖縄タイムス、琉球新報の取材班が報じていました。






基地建設が予定されている大浦湾は沖縄でも生物の多様性に富み、特別に美しい海域です。沖縄を代表するような自然豊かな海を、この基地はどれほど破壊するのか想像もできません。
14日の毎日新聞は、「辺野古・大浦湾5806種の生物確認 うち262種が絶滅危惧種」と伝えていました。海を殺すことは、人間そのものを殺すことにつながります。
沖縄の海は、復帰後の本土資本を中心とした大規模開発で、赤土汚染など汚され続けてきました。中北部東海岸だけは、それほどの被害もなく、とりわけ大浦湾から北はまだ豊かな自然が残っているところなのです。
1971年、南部玉城村の海岸で夏の一日を過ごしたことがありました。
強烈な日差しのもと、リーフの端で波が砕けるのを見ながら、サンゴがゴロゴロした浅瀬の海で熱帯魚と戯れた頃、南部の海岸も素朴で美しい景観を保っていました。しかし、現在は見る影もない。
基地建設が進めばやがて同じ道をたどることになる。いったん壊された海の復元は困難です。だから、何としても守らなければならない。

もう一つ、政府がどれほどやっきになっても、基地は造れない理由がある。いま護岸工事(枠だけ)ができたところは、全体の5割にも達していません。
全体を埋め立てるには軟弱地盤の改良が不可欠でこれには知事の許可がいる。この段階でストップ。さらに、埋め立て土砂の半分近くは沖縄県外から運び込まなければならない。それまでに条例の罰則ができれば(現在陳情が行われている)、そこでもまた頓挫する。
こうしたことは百も承知で、とにかく少しでも土砂を入れてしまえば県民は諦めるだろうという、県民蔑視に貫かれた猿芝居をやっているに過ぎないのです。青木理さんの言葉を借りれば「三文芝居」。
工事がどれほどの年月を要しどれほどの費用がかかるか、政府・防衛省すら分かっていないはずです。
このことは、土木技師の北上田さんが、繰り返し主張し、県もまた試算している問題です。果てしない税金の浪費と将来の戦争の危険しかもたらさない基地建設は、この点からも直ちに止めよ。これしかない。



  12月15日(土) その2
辺野古新基地埋め立て地への土砂投入をめぐって、新聞各社は社説を掲げています。
朝日は「辺野古に土砂投入 民意も海に埋めるのか」と痛烈。 ここ数ヶ月の安倍政権の異様な強権ぶりを具体的に指摘し「苦難の歴史を背負う沖縄から、いま日本に住む一人ひとりに突きつけられている問い」だと締めくくっています。
願わくば、沖縄での自社記者を辺野古に貼り付け、刻々全国に現場と問題点を発信してほしいものです。これは各社に言えること。

さて、政権よりの読売はどうか。タイトルは「辺野古土砂投入 基地被害軽減へ歩み止めるな」です。意味がよくわからない。
社説の冒頭、次のように言う。土砂投入は「大きな節目だ」。ゆえに政府は、「移設の意義を粘り強く訴えながら、丁寧に工事を進めていかなければならない」。政府の工事の違法性や茶番劇には一切目を閉ざし、あげくは「09年に発足した民主党の鳩山政権は、実現性のない「県外移設」を掲げ、今日につながる混乱を招いた。責任は極めて重い」のだそう。沖縄は混乱していません。読売の方が混乱しているのではないのでしょうかね。
「従来の主張にこだわらず、現実的な解決策を考えるべきである」と国に対して求めているのかと思ったら、正反対。玉城知事に「そうかたくなにならずに軟弱地盤の改良工事を含め、もっと現実的に」ともの申しているのです。
そして、最後の締めくくりはこうです。「沖縄には、日本にある米軍基地の7割が集中する。政府は負担軽減を着実に図るとともに、振興策を推進することが求められる」
要するに、事故などが起こらないように米軍に申し入れ、金を沖縄の必要なところにつぎ込めというに過ぎない。県は、基地こそ経済の阻害要因になっていると具体的に事例をあげて指摘しているのに、です。こういうのをアメとムチの分断策っていうのではありませんか。誰の立場でものを言っているのか、これ以上明瞭に示す社説はありません。
安倍首相の好きなコトバを使えば、「寄り添って」いるだけじゃないの?アベさんに。

「返還へつながる埋め立てを支持する」という産経「主張」はもっとヒドいけれど、ここでは紙面が汚されるので書かない。一言反論すれば「宜野湾で危険な普天間基地は辺野古でも危険なのです。よって、普天間でいらない基地は辺野古でもいらない」これが沖縄県民の大多数の声だということ。

毎日新聞は朝日とほぼ同じ見出し「辺野古の土砂投入始まる 民意は埋め立てられない」。「政府の強権的姿勢に強く抗議する」「ただちに中止すべきだ」と立場は明瞭。「沖縄を敵に回しても政権は安泰だと高をくくっているのだとすれば、それを許している本土側の無関心も問われなければならない」と国民的な問題なのだと主張している点は重要です。

現地2紙はどうか。琉球新報は「辺野古へ土砂投入 第4の『琉球処分』強行だ」と最大限の厳しい抗議の主張。
書き出しはこうです。「この光景は歴史に既視感を覚える。沖縄が経験してきた苦境である」。読売や産経は「普天間はどうなるのか、固定化するつもりか」とことさらに普天間の基地の危険性除去を述べ立てています。しかし、琉球新報の社説は、そもそも普天間基地の問題とはどのような歴史的な経過があるのか、何故に辺野古にこのような基地が造られるに至ったのか、その背景に遡ってこの問題を位置づけ、それが琉球処分に始まる沖縄差別の系譜を形作っていることを指摘しています。沖縄住民目線、県民目線の新報社説に照らすと読売・産経がいかに権力の立場でものをみているのか浮き彫りになります。
「土砂が投入された12月14日は、4・28などと同様に「屈辱の日」として県民の記憶に深く刻まれるに違いない。だが沖縄の人々は決して諦めないだろう。自己決定権という人間として当然の権利を侵害され続けているからだ」。最後の締めくくりの言葉は重い。

最後に沖縄タイムス。今日の記事では「土砂投入、緊迫の海 悲しみこらえ「まだ止められる」という市民の声を見出しにしていました。社説では「[辺野古 土砂投入強行]自治破壊の非常事態だ」と見出しをつけ、「胸が張り裂けそうだ」という土砂投入に抗議する男性の声をトップに、さまざまな県民の声を集めて紹介。
「政府は「辺野古が唯一」と繰り返すが、何の説明もなく呪文のようにそれだけを唱えるのは説明責任を放棄した脅しというしかない」「土砂投入は来年2月24日の県民投票をにらんで県民にあきらめ感を植え付けるのが狙いだろう。ここには安倍政権が口を開くたびに強調する「沖縄に寄り添う」姿はみじんも感じられない」と締めくくる。
14日には、「「宝の海」土砂投入 保護こそ未来への責任」と題する社説をかかげ、「そこまでやるか。そこまで強引に工事を進めるのか」と書き出していた。

MNEMOさんは、ツイッターで「現政権・・・傲慢、無恥、無知、横暴など、いろいろと形容する熟語が浮かぶけれど、あらたに加わった・・・野蛮」と書きました。全くその通り。
しかし、その野蛮とたたかうのに、県民は決して粗野にも野蛮にもならない。むしろ耐えて耐えて、それでも頭をまっすぐ前に向けて抗う。抗い続ける。それは自らのいのちと生活と、未来の子どもたちの豊かな生存と、そして何より美しい自然のためだと、肌身を通して知っているからです。
悲しいときはじっと地平線をにらみ、嬉しいときは三線、口笛にあわせカチャーシーで舞い踊る。戦後の米軍による土地取り上げとの不屈のたたかいでも、伊江島の阿波根昌鴻さんに見るように、米兵と対峙しても手に何も持たず座って話し合うと誓ったのですから、その抗いぶりは徹底してます。そして最後には勝利する。

MNEMOさんはブログで次のように書きました。

辺野古〜沖縄の自然、そして心ある人々と連帯する!

絶対に許しがたいから、戦うしかない。
沖縄県民の2度のNoを「寄り添う」などと言いながら鼻で笑って、
辺野古の美しい海に土砂を入れた。
こんなこと許されるはずもない。

だから、来年、俺は沖縄のこころある人々と、
その自然のためにコンサートを開く

自然を歌う。
人間は自然の一部で、自然を手玉にとれると思う傲慢は無効なのだ。
そのことを、自然を<ただ>歌って、言外に訴える。

必ず催す。

どうか、みなさま、よかったらおいでください。
そこで沖縄のこころある県民と、沖縄の美しい自然のため、
共に歌い、連帯しましょう。


コンサートには、私や妻も是非参加させてくださいね。



  12月15日(土)
雲間からのぞく厳冬の北アルプス。青い空からフワフワと舞い降りるこぼれ雪。目を閉じれば18歳の私がいます。




先日来、昔のレコードをCD化して、レコードは処分していたのですが、その中のシングルにとても貴重な一枚があったことに今気がついた。すでに遅しでしたね。一曲だけデジタル化していたので、こっそり紹介しましょうね。
それは、伝説(?) の盲目シンガー、アーサー大野さん(ギタリストでもある)とその妻であるピアニスト大野佳世子さん+盲導犬のトリオによる「山鳩」です。昔口ずさんだこともあって懐かしく思いだした人、もう一度この歌を聴きたい人が必ずいるはずです。
なぜ私がこのレコードを持っていたのか全く思い出せません。きっと何かのイベントで手に入れたのでしょうか。どうって歌詞ではないのに、何とも穏やかで優しく語りかけるような歌いぶり。どこか心の隅に残ってつい口ずさんでしまう。本当に子守歌のようなさりげない歌なんですけどね。
大野さんが学生時代、彼の誕生日を祝ってくれた仲間達でしたが、そのサプライズ・イベントが仇になり真っ暗な中で照明のライトを不意に浴びて失明してしまったという不運な経歴の持ち主。
病院の屋上で作詞作曲したというこの曲、看護師や他の入院患者の間で大人気となったのだそうで、それが歌手へのきっかけになったのだとか。きっと一人でこの歌を歌いながら自身を励ましていたのでしょう。(1980年自主制作版というこのレコードは多分奥さまとのデュエット)
かつては福祉関係のイベントでも歌って障害を持つ人たちを励ましていたという大野さん。学校を訪問し、端正なたたずまいとやさしい語り口・歌声に触れて強烈な印象を受けた生徒たちもいたといいます。いまどうされているのでしょうか。消息を調べてもネット上ではさっぱりです。
でも私のように、どこか心の隅に引っかかって、ずっと口ずさんでいた人間もいたのですから、不思議ですね。いまここで「山鳩」を紹介しても怒ったりなさらないでしょう。
ここにファイルを埋め込みたかったのですが、html4.01形式なので、新しいブラウザでは正しく表示してくれません。よって、mp3ファイルだけ紹介、こちらです。歌詞はこちら
執念の検索で、静岡沼津ライオンズクラブの30周年記念誌に「1988年3月 アーサー大野チャリティコンサートを沼津市民文化センターで開催、1,500人余の市民に感銘を與えた」との記述を見つけ、さらにそのコンサートの写真(右上)も紹介されていました。何となくこのトリオの雰囲気伝わってきますね。



  12月14日(金) その2
今日は午後4時から教育委員会との最終協議。ちょうど2年前の12月に起きた公民館使用許可取り消し問題をめぐって最後の話し合いを行い、「つどい」側は教委回答を受け入れて協議を終結することにしたのです。
思えば長い道のり、一時は裁判闘争もという話がなかったわけではありませんが、粘り強い協議を経てようやく前進的な解決をはかることができました。

教委の回答は以下の通り、それに対する私たちの側の見解(「談話」)も下の通りです。

教育委員会の最終回答(pdf)
つどい実行委員会の談話(pdf)

さて、今回の教委の回答の主眼点は、「貸し館として施設を利用する際は、今後は政治的な利用であろうと文化的あるいは趣味的な利用であろうと、他の公共施設と同様に基本的に制限なく施設を使うことができるようにする」ということです。
「公民館」としての社会教育法上の制約を意識しつつも教育委員会がこうした運用に道を開いたことは評価できることであり、しかも長い間の双方の「話し合い」によってにたどり着いた前向きの結論なのですから、この点は評価してもしすぎることはありません。
公的な場での政治的議論を押さえようという萎縮ムードが全国的に広がり、中央政府への「忖度行政」がはびこりつつある中で、こうした「話し合い」を通して問題解決にあたるというやり方は、同様の問題をかかえて苦しんでいる全国の皆さんに大きな励ましを与えるでしょう。

今日の席上でも私から発言したことで繰り返しになりますが、あらためてこの公民館使用許可取り消し問題で学んだことを私なりに整理しておきましょう。

その第1は、社会的な権利として最も重要ともいえる「言論・集会の自由」に、行政も私たちももっと敏感になる必要があるということです。
「言論の自由」は誰かが保障してくれるものではありません。日々感覚を研ぎ澄まし壊されないようにすること。守り育てることが必要なのです。
その感覚が失われれば、さまざまな社会的な活動はその活力を失うだけではなく、誤った道に踏み込んでいく引き金ともなるでしょう。
批判を含め活発な言論活動が行われるなかでこそ、よりよい方向での地域作り・町作りが可能になるということです。

第2は、意見の相違があっても、話し合いによって問題を解決するという民主主義のルールの大切さです。
辺野古の基地建設を見れば分かるように、政府自らが問答無用のやり方を押しつけています。それは住民の分断と地域の破壊しか生み出さない(この段落だけは発言していません、ここだけの話)。
行政との間で何か問題が生じたときは、それぞれの立場を踏まえつつも言うべきことはいえる環境をつくらなければなりません。そして相違点を明確にしつつ埋めるべきところを埋め合意点を見いだす作法を身につける必要があります。教委との話し合いでこの点を貫くことができたことは貴重な経験となりました。
それを可能にしたのは、@事務レベルでの協議を積み重ね、ときには厳しく対立しながらも合意点を広げていくことができたこと。A教委側が使用許可取り消しの手続き上の不備・不手際を率直に認め謝罪したこと。もし、教委が正当性を最後まで主張し誤りを認めなかったならば、解決への道は閉ざされ法廷での長い争いになっただろうことは間違いないのですから。
この点では、さいたま市内の公民館で起きた「9条俳句不掲載」問題をみると、どうしてこれほどまでに行政が自らのメンツにこだわり馬鹿げた主張を続けているのか不思議でなりません。ある意味池田町よりももっと単純。明らかに公民館側の勇み足で生じた問題なのですから、きちんと話し合いをしていれば簡単に解決できたはずなのです。

第3は、公的な場での住民の自主的な活動をどのように促進するのか、新しい施設を使いやすいものにするのか、真剣な模索の第1歩をつくることができたこと。
池田町では、高齢化が進む中で町をどのように活性化させるかが大きな課題となっています。建物は建てたけれど、図書館は出来たけれど、中身がさっぱりという状態では今後の町の発展もおぼつかない。行政はもっと住民の中に入り込み、意見を聞き、将来の池田町の発展の見取り図を描くべきです。

教育委員会の主張をすべて認めて合意したわけでは決してありません。社会教育法の解釈をめぐっては、根本的な点で解釈の相違があります。問題の根っこは深く、それゆえ目をそらせばいつでも同様の問題が起きる可能性がある。そのために、私たちは「談話」でわざわざ京都府南丹市の香山リカさんの講演中止事件を取り上げ、行政に注意を促したのです。

文書係としていろいろな文書の起案・整理に係わってきた私としては、この仕事からようやく解放される!!これが一番うれしいことです・・・かね。



  12月14日(金)
朝6時過ぎの辺野古。朝焼けの美しい大浦湾には、おそらく多数のカヌー隊が抗議の海上行動の準備をしているのでしょうか。
7時前には数十名の人たちが集まって埋め立て反対の声を上げています。琉球新報沖縄タイムスの記者のみなさんも早朝から駆けつけて刻々とツイッターで様子を発信してくれています。以下の写真はそれらのツイッターから。








強引に違法埋め立て作業を始めようという沖縄防衛局。北上田さんはその違法ぶりについて、大きく2点を上げています。
その1つは沖縄県の赤土等流出防止条例に基づいて「防衛局が約束していたその内側への汚濁防止シートはまだ設置されていない」という問題。これが設置されていないと、「護岸の基礎捨石はゴロゴロとした石材であるため、内側に土砂が投入されれば汚濁水が外海に流出する」からです。
その2つは、「K9護岸から土砂をダンプトラックで運搬する進入道路」の問題で、「工事用仮設道理@、Aは、防衛局が設計概要変更申請を出し、当時の仲井眞知事が承認したものだが、この進入道路は全く位置・形状が違う」という点。
土木技師の北上田さんは「設計概要変更申請をしない違法道路であることは明らかであり、この道路を大量のダンプトラックを走行させることはできない」と指摘しています。
ことほど左様に、違法工事はこじつけと無視で遮二無二強行し、住民に対しては強権発動による弾圧で臨む安倍政権。この日の実態を刻々注視していきたい。
今日は玉城知事自身が辺野古入りするとも報道されています。沖縄県民は、非暴力に徹して辛抱強く粘り強く「勝つまであきらめない」でたたかい続ける。
座り込みの市民から離れた米軍基地ゲート前には「どうか、一緒に考えていただけませんか。沖縄の人々の思いを拒絶しないでほしい」と一人基地に向けてマイクを握る右翼団体「花瑛塾」の活動家、仲村之菊(みどり)副長の姿もある(12月13日の朝日digitalでも取り上げられた)。それぞれが歴史にのこるたたかいの一コマです。

午前11時、土砂投入を始めたと取材班は伝えました。


故翁長知事の妻樹子さんがキャンプシュワブ前を訪れ、報道陣に「自然を人間がコントロールできると思ったら大間違いだ。今日は翁長も県民と一緒です。負けちゃいけない気持ちで来ている」と語ったと取材班は伝えています。玉城知事も、記者会見の席上、怒りをこめて「県民の怒りがますます燃え上がることを国は認識すべきだ」と国を批判。まさしくその通りだと私も思います。

午後1時、最初に座り込みテントが設置された辺野古浜では大勢の県民が集結して集会を開いています。
「子や孫のため、今こそ私たちが頑張りを示すとき。政府はわずかな土砂投入で面子を保っただけ。後戻りできる」と前の名護市長の稲嶺進さん。海上では30艘のカヌーがパレード、抗議の意志を示しています。


私はこれから例の公民館問題で、池田町教育委員会との最終協議に臨みます。2年越しの長い長い協議を経て、今日ようやく最終決着することになったのです。詳しくは帰ってからまた。



  12月13日(木)
昨日長野市で催された「いわさきちひろ」の若き日を描いた前進座公演に出かけ、帰ろうと立ち上がったらどうも調子がおかしい。何となく浮遊感があり、足が地に着かないような感じがするのです。
車を運転しているときには何ともなかったのですが、家に着いて立ち上がって移動しようとするとやはり同様の感覚に襲われたので、血圧を測ってみたらいつもより20ほど高い。寒さのせいなのか、どこか異常があるのか、一晩休んで様子を見ることにしました。
今朝起きたら、ほとんど普段と変わらない。だが、時間が経つうちに、どことなく頭の中身の収まりが悪いような感じが復活して何とも気持ちが悪い。今日一日同じようなら、明日午前中医者に行って診てもらおうと思っています。年をとると、いろんな支障が出てきますね。

先日女川町の高野さんに電話した際、向こうからは現在「女川原発2号機の再稼働の是非を問う住民投票条例の制定」を目指す取り組みを進めている最中で、今から署名を町選管に提出するのだと話していました。
今日の報道によると、宮城県内で11万人(法定数4万人)を超える署名が集まったとのことで、署名をすすめる団体は有効署名の審査をへて2月中旬には県知事に条例制定を直接請求することになるのだそうです。
女川では県内でもダントツの署名数。「高野さんの奮闘があったからでしょう」と言ってしまって、「みんなの力が大きかった」との返答に不用意な発言をちょっぴり後悔。とはいえ、両方の力が合わさった成果であることは間違いない。歴史を前にすすめようと全力投球する姿勢に感銘を受けました。

一方、沖縄辺野古では、大浦湾に運ばれた土砂が台船に積み替えられて、いよいよ明日から投入が強行されるという緊迫した状況に。運ばれた一隻分は、土砂の内容がわからない(赤土混じりであることは確実)ので条例違反の投入になると沖縄県は指摘していますが、そんなことはお構いなし。
現在はまだ沖縄産の土砂ですが、そのうち県外の土砂が運ばれることになる。そのため、現在は罰則規定のない土砂条例を改正して罰則規定を設けるべきだとする陳情を、土砂投入に反対する団体が行っています。
辺野古新基地建設を許さない県民の意志にそって、県が行った埋め立て承認取り消しに関する訴訟で裁判所が出した判決を見ればわかるように、この国の政治がらみの裁判はほとんどすべて国に追随しその政策を補完する役割しか果たしていません。

司法の役割は立法・行政から独立し、社会正義に照らして公正な判断をするべきものなのに、全くそうはなっていない。砂川最高裁判決以来の司法の「反動化」の帰結ですが、最近はますますその度合いを強めているのが特徴です。
山城議長に対して、微罪で何ヶ月も拘留したあげく、2審も 「懲役2年、執行猶予3年」の判決を下したというのですから、全く驚きです。政府のやろうとしている「国家的事業」には、どんな反対も許さず有無を言わさない弾圧で答えるという専制国家への新しい一歩。
後の世代は、アベ政治だけではなく今日の裁判のあり方についても厳しく断罪することになるのでしょう。

明日は「土砂投入を許さない12.14大行動」が辺野古で、沖縄県内各地で、全国で取り組まれます。全国から支援の声を。行動を。





  12月10日(月)
今朝は猛烈な寒さ。早朝はマイナス4度でしたから、この冬一番の冷え込みだったでしょうか。日陰の霜もなかなか消えなかった。
昼はきれいに晴れて日差しが降り注ぎ、午後からこのところの農作業で泥だらけになった軽トラを洗い、屋外のベランダやそこで使ってたブルーシートを掃除。年末の大掃除のつもりで、少しずつ環境整備に取りかかっています。
一年間にたまった汚れやゴミはハンパではありません。車を洗おうと長いホースを伸ばしたら数年の使用で劣化が進み、ど真ん中でプッツンと切れてしまい、慌ててホームセンターに買いに走るはめに。また大きなゴミが出てしまった。
「終活」という言葉があちこちで聞かれるこのご時世。私も、たまりにたまった贅肉を落としてすっきりすべく、終活に本気でとりくむことにしますかね。・・・でも、やっぱり捨てるに忍びないものがたくさんあるなあ・・・しかし、あの世へ持って行くわけにはいかないし・・・未練を断つのが終活の極意か。

昨日は息子の誕生日。息子が誕生したとき、私たちはまだ名古屋。妻は働いていた名大病院で出産。面会に行ったときにはなかなか生まれず、陣痛促進剤で何とか出産したんでしたねえ。名古屋から富山へ里帰りするときは、段ボールの箱に息子を寝かせてニッサン・サニーを運転した記憶がよみがえってきます。
私自身の経験からしても、私につながる人の記憶は遡っても祖父母の時代まで。部族集団で濃密な連携を保っていた場所や時代では、先人の知恵がさまざまな伝承として語り継がれ集団の記憶を形成していたのでしょうが、現代ではまずそれはない。在るとしても知恵ではなく、沖縄戦の記憶であったり震災の記憶であったりする。それはそれで大切ではあるけれど、生活をより豊かによりよくするための知恵というものではない。
そんなことを思うと、先祖を敬うといってみたところで、立派なお墓をつくると言ったところで、大した意味をもたないのではとつい思ってしまいます。私の一回きりの人生は、空気か水のようなものではないのか。自然にそのまま消えていくのが一番ふさわしい。一番私の死生観にマッチした考えです。
何となく知恵を次々に消費し、すり減らし、結局何も残らない、そんな生活を続けているのではないのか。そうではなく、人々が生きる意味を次の世代に引き渡せるそんな「生き方」をどうやって生み出すのか。あまりにヒドい政治の状況を見せつけられて、そんな意欲も喪失させられているとすれば、これほど不幸な時代はないのではないか。そんなことを思ってしまいます。

先日池上彰さんの何かの番組で、日本のゴミ問題に関してスウェーデンの実情を放送していました。
中国が日本のプラを買わなくなったために、あと3年もすればゴミ問題はどエライことになるだろうという予言とともに、スウェーデンがその対極にあるというショッキングな実情を伝えていたのです。
彼の地では、分別が6種類に分かれ、大きな収集箱があちこちに置かれ、市民の誰もが分別するのは当然だと意識していること。それもそのはず小さい子どものうちから分別の必要性、重要性が徹底して教育され、たとえばプラの容器に金属がついていればそれを取り外し、紙にプラがくっついていれば切り離して紙は紙、プラは燃やせるゴミへと徹底する。6種類のゴミは、家庭で色違いの箱に入れ、さらに同じ色の収集袋に入れて出すために、工場での分別は至って楽。
分別が徹底しているために、生ゴミはバイオガスに転換し発電、電気料はその分安くなる。極端だったのは、トイレで大と小を分別し、大の方はバイオガスに、小の方はビールの原料になるという徹底ぶり。スタジオのメンバーはそれだけは勘弁してほしいと言っていましたが・・・。
さらに驚いたのは、燃料のプラなどが不足しているために、ヨーロッパ各地から「輸入」しているのだとか。しかも、処理費を受け取って処分するから輸入すればするほど豊かになるしくみ。これにはまいりました。
日本だって発想を切り替えれば、ゴミ処理場の建設場所をめぐって対立するのようなことはなくなり、クリーンな処理場をつくって電気代をゼロにするなんてやれば、むしろ誘致合戦が起こるのではと思いますね。近隣の市町村では、生ゴミや下水処理物を扱う工場が悪臭で毛嫌いされていますが、設備投資をしっかりすれば無臭のクリーンな工場を建設し、温水・電気を供給することぐらい簡単であるはず。
Sさんのレポートを読んでいつも思うことですが、介護や障害者への政策でも北欧には世界の希望がある。同じ人間でもこれだけのことができることを照明しているのですから。
おそらくその人間集団の中では、親から子へ子から孫へ人間の生きる知恵と意味が伝えられているのでしょう。どうしたらより快適に美しく生きることができるのか、どうしたら自分だけではなく周りの人も人間らしく生きられるのか、そこではそれが普通の生活の中で求められ語られている。政治と暮らしが密着している国とそうでない国との落差は、放置すればますます大きくなるばかりです。
彼の地ではおそらく「こどもじゅく」「居場所づくり」「こども食堂」などという概念はないでしょう。これは毎年北欧を訪れているSさんに確かめてきてもらわないと。
民間の塾に通えない子に勉強を教えたり、野菜や米を届けたりということは、社会保障と福祉が徹底していればあり得ません。公的な施策の一環として、学童保育や希望する学習の手助けをする事業が行われるなら、力になれる人は大勢いる。
陳腐な自己責任論をまき散らし、一部の人々に利益を集中するシステムがこの国ではいよいよ増殖していきます。自己責任論と権力者の無責任とは裏腹の関係にあるのです。(北林あずみさんが別の論点で同じようなことを書いていましたっけ)



  12月8日(土)
昼過ぎから「こどもじゅく」のちょっと早いクリスマス会。やはり楽しみは小学生のようで、今日はお勉強なしでケーキをつくったり盛り付けをしたり大活躍でした。
今年のクリスマス会はこれまで何回かの会とは異なって、学生のみなさんの力が存分に発揮されたこと。アトラクションには信州大学のジャグリングのグループ(協力してくれている学生の友人)が来てくれて、あっと驚く楽しい芸を見せてくれました。
エイトリングを使った女子学生の技は、単にリングを操るだけではなく動きがしなやかで何とも美しい。男子学生のディアボロの大技に会場は大いに盛り上がりました。
子ども達は、クリスマス会が終わったあとも学生を囲んで試し技に挑戦、なかなか帰ろうとしません。身体をつかった「ワザ」というのはやはり子ども達を引きつけるものがあるんですね。私も何かやってみようかな。




私からは、池田町の米農家から提供してもらった新米をプレゼントしました(写真下:私から代表Kさんへの贈呈式)。クリスマス会が終わってから、ある保護者の方から早速「たくさんのお土産ありがとうございます。お米までありがたいです。クリスマス会楽しかったと○○チャンと二人してまだ遊んでいます」というメールが代表のところに届きました。
みんなに励まされて育った子ども達、あるいは手伝ってくれている学生たちは、これから20年後、30年後には、同じように地域の中で活動してくれるかもしれないし、形は違ってもいろいろな分野で生かしてくれるでしょう。そう信じたい。

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昨夜は遅くまで映画「ミッドウェイ」を見ていて、今朝は朝寝坊をしてしまった。BSで録画してあったこの映画、アメリカの「建国200年超大作」というのを今日知りましたが、「長大作」の間違いではなかろうか。
厳しい評価もある一方で、私などはアメリカへの思い入れだけで作られたものではなく、山本五十六に三船敏郎が出演、日米双方の駆け引きなどをできるだけ客観的に描こうという姿勢は評価できると思いましたね。私の父親も、この当時どこかで空母の底で通信をやっていたんだろうなと思って見ておりました。
実写映像も組み込んで作られているとはいえ、戦闘シーンが平板でとくに日本の空母が撃沈されるところはちょっと描き足りなかったのかな。
来年11月にはこの映画のリメイク版(?)「Midway」が公開されるそうで、現在撮影が進行中とのことですから、どんな映画になることか。
奇しくも今日8日は、太平洋戦争開戦の日。愚かな戦争へと突入していった日として、非戦への決意を新たにしなければなりません。



  12月7日(金)
伊波洋一さんのツイッターでの情報によると、桟橋から積み込みを行っているのは「投入すれば海を真っ赤に染める赤土の多く混ざった土石だ。添付の写真で確認できる。」と詳細な写真を載せています。
これは完全な違法行為。「防衛省の説明では環境保全図書記載の『砕石生産に伴って発生する岩ズリ(沖縄産の黒岩の岩ズリ)』となっているが、実際は写真のように真っ赤っか。
昨日は、立ち入り検査まで作業を一時停止するように求めた県の行政指導を無視して、沖縄防衛局は積み込み作業を強行。しかも赤土だらけときては海をどれほど汚すかわかりません。
すでに大浦湾には運搬船が4隻入っていることが確認されていて、ここでもなりふり構わない強権発動。写真上は昨日の桟橋付近での抗議行動(沖縄タイムス取材班)、下はキャンプシュワブ前での座り込み抗議(琉球新報取材班)。私が今年2〜3月に行ったときとは比較にならないくらい物々しい警備・排除体制になっていることがわかります。




県民の必死の抵抗、抗議の活動が続きます。毎日毎日、同じように抗議を続けることがどんなに苦しく忍耐のいることか。ネトウヨ連中は、ここに結集している人たちが「職業的な連中」と描き、県民との分断を策していますが、大行動の際にはこれらの人々を支える1000人を超える人が集まるのです。(写真は北上田さん:12月1日)


どれほどたくさんの人が現地に集まれるかはもちろん大事なのですが、彼らは法を無視してもとにかく「バケツ一杯」の土砂でも入れてしまおうというのですから、何より実態を広く拡散し、国民に無法状態を知ってもらうことが大事です。
13日、14日には県民の怒りが頂点に達するでしょうから、彼らは思い通りにやれるのかどうか。これも伊波さん情報では、例の歩道沿いのカミソリ鉄条網はさすがに撤去したらしい。国民に実態が知られ批判が高まることを極度に恐れているのでしょうね。



  12月6日(木)
次は今日受け取ったメールの1つ。送り主は「Ap pleサービス」、メールのタイトルは「【新しい要約】あなたのApple IDは2018年2018年12月6日にロックされています。」
「Appleシステムは、アカウントからのIP認証による不正アクセスを検出します。添付ファイル(PDF)を開き、ビジョンを確認し、以下の手順に従ってください。私たちは24時間以内にあなたからの応答を受信しない場合は、アカウントがロックされます。」
不正ソフトを送り込み第3者のパソコンを利用するか、または偽サイトに誘導しパスワードなどを盗もうとする意図を感じたために、直ちにこのメールを削除しました。
Appleを語って不正メールを送ってくるのは「日本語」では初めて(英文では一度あったがそのまま削除)ですが、なんと言っても手が込んでいますね。
初心者なら、まずびっくりします。誰かが不正アクセスしているのでアカウントをロックした、早く解除しないともうログインできないよ、と思わせ、添付書類を開かせるという手口。かなり使い古されたとはいえ、相手の心理を操る点では巧妙です。

なぜ怪しいと判断できるか。第1、AppleはApple IDという名称ではメールを送りません。第2、IDを解除するために添付ファイルを開かせることは絶対にありません。第3、送り主のAppleが全角でppの間に半角スペースがある。不自然です。第4、日本語がおかしい。「ロックされました」「不正アクセスを検出しました」ならわかるが、Appleはこんな日本語は使わない。

あとで、検索をかけてこの手のメールを調べたら、あるサイトにはpdf書類に記されたURLに誘導し、ログインさせて「Apple IDとパスワードを盗み取るフィッシングメール」であると書いてあり、対策なども書かれていました。結構あちこちに送られているんでしょうね。
Appleユーザーでない人にも送られているよう。それならどうやってアップルへのログインが閉鎖されるんですかね。
中には、「iPhoneXが当たりました!」などと嬉しがらせるものもあるのだとか。これならフィッシングっぽい。
佐川急便と偽ってのメール、ふるさと納税の偽サイト・・・、スマホ全盛の今日日、世も末ですなあ。

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今日はバラの会の昼食会。一年の締めの日でもあり、活動の労をねぎらい交流を深める意味で大切な日です。日頃なかなか作業に来ることの出来ない人も参加して、短い時間でしたが、楽しく豪華な寿司を楽しみました。
穂高にあるこのお店の寿司は、安くてうまいことで定評がある。寿司ネタが通常シャリに載っているものの約2倍。長い!。それにサラダや茶碗蒸しがついているのですから、お昼時には客で一杯。私たちは前から予約していたので、ゆっくり席を囲んで歓談できましたよ。


今日は私の妹の誕生日。70の大台に近づいてきましたね。身体いたわってください。



  12月5日(水) その2
次の文書(pdf)は、沖縄平和市民連絡会が玉城県知事に宛てた「防衛局による民間桟橋を使った辺野古への土砂搬送を許さないための申入れ」です。これには、民間桟橋を使って土砂を投入しようとする政府・沖縄防衛局の無法ぶりが何点にもわたって指摘されています。

防衛局による民間桟橋を使った辺野古への土砂搬送を許さないための申入れ(pdf)
<北上田氏のブログより抽出して作成>

すでに県知事が、公共用財産管理規則および赤土等流出防止条例を根拠に作業の停止を指示し、現在土砂投入の作業はストップ。しかし、防衛大臣は予定通り14日には投入を開始するとうそぶいているのですから、この国の政府のやっていることは、沖縄への差別とアメリカへの忠誠に塗り固められた愚劣な茶番でしかありません。
ここ2,3日の動きについては、3日の報道ステーションが伝えていました。

以下、北上田さんの指摘に沿って、この問題を整理してみましょう。
現在民間業者である琉球セメントの敷地内には膨大な土砂が堆積されています。これらが沖縄防衛局の指示で運び込まれたことは明白なのですが、12月4日、伊波洋一参院議員が外交防衛委員会で次のように質問した。
「公共用財産管理規則では転貸の禁止が定められているが、今回は誰が桟橋を使用しているのか」
さすがに自分たちがやったというわけにはいかない防衛省整備計画局長は、
「岩ズリの積込みは琉球セメントが行なったものであり、転貸にはあたらない」
と答弁したのです。もし、自分たちがやったと言ってしまえば、「第3者である防衛局やその下請業者が桟橋を使用したとすれば、転貸の禁止条項に抵触する」(北上田さん)のは明白。
そこで、「琉球セメントがやった」と答えてしまったために、赤土等流出防止条例の「届出」の必要性を認めることになってしまったのでした。
赤土等流出防止条例では、民間業者が大きな工事の変更を行う場合、「事業行為届出」を出さなければなりません。
以下は北上田さんのまとめです。

民間が1000u以上の土地の区画形質の変更を行なう場合は、同条例に基づき45日以前に知事に届出を行なわなければならない。届出から45日が経過するまでは行為に着手することができない。知事はその間に計画変更命令を出すことが出来、事業者がそれに従わない場合は、必要な改善を指示、又は工事の一時中止を命じることができる。無届の工事に対しては、事業の中止を命じることができる。

国が行う事業の場合は、「通知」すればよく、45日という制限もなくて、知事は中止命令ではなく、「協議」ができるにすぎない。罰金刑も国には適用されない・・・のはずが、国は自分たちがやったとは言えなかったので、無届けという条例違反を認めることになってしまった。となれば「届出から45日が経過するまでは行為に着手することができない」!! ますます自縄自縛になっていく政府・防衛省。
ところが、今日のニュースでは、「沖縄セメントのヤードは使わず、本部の採石場から直接桟橋に運び込むことにしたので、条例違反の根拠は解消した、予定通り14日から埋め立てに着手する」として、すでに積み込み作業を開始したというのですから驚き。
では赤土流出防止条例が姑息な手段で切り抜けられたとしても、問題はそれだけか。
@埋立承認願書に添付された土砂に関する図書にある搬入経路は琉球セメント桟橋からの経路は想定しておらず、変更する場合は知事の承認が必要だが、それをどうするのか。
A桟橋の公共用財産使用許可の許可条件の第1項は「許可を受けた者は、許可にかかる物件を申請内容の用に供するものとし、それ以外の用に供してはならない」となっており、土砂は想定されていない。目的外使用ではないのか。
Bこの桟橋から搬送される土砂の量は129万立法メートルにもなるが、この桟橋はセメント製造・出荷のために許可を受けたもの。大量の土砂の積込みに構造上耐えるのかという問題があることにどう答えるのか。
Cベルトコンベアについては、出されている生活環境保全条例の届出には「石炭、石材の搬送」となっており、土砂を搬送することは届出内容の変更にあたるが、これにどう答えるのか・・・
ことほどさように問題は山積み。民間桟橋から積み出すことは法令無視する以外にないのです。県は毅然と対応してほしいものです。
どんな屁理屈をつけてでも、とにかく「『バケツ一杯』の土砂でも投入して、埋立工事開始と大きく宣伝し、県民の諦めを誘おうとしているのであろう」(北上田さん)。こうなったら、国も防衛省も法も理屈もあったもんじゃない、強権発動あるのみの破れかぶれ状態です。

琉球セメントの桟橋の国道側には、白いシートを張り巡らしその下には有刺鉄線が。鋭いカミソリの刃がついた軍事用のカミソリ有刺鉄線です(写真は北上田さんのブログより)。伊波さんのツイッターに接近写真が載っています。


これは高江のヘリパッド建設現場でも広範囲に張り巡らされていた。
ところで、政府は伊波さんの質問に、この鉄条網は「琉球セメント」が設置したと平然と答えています。(議会の質疑の模様はこちら

それじゃ、こんな物騒なものを設置した琉球セメントとはどんな会社なのか。今日のLITERAは、琉球セメントの大株主で技術提携なども行っているのは宇部興産で、安倍首相とも持ちつ持たれつの関係であることを暴露しています。
ウベだかアベだか混乱してくるような話ではありますが、それはともかく、「郷土の資源で郷土をつくる」というホームページを見ると、企業倫理には「法令や社内規程等を遵守し、健全な社会の一員として行動する」と書いてありましたね。「法令を無視し、カミソリ鉄条網で郷土を切る」の間違いではなかろうか。
企業倫理には「人類共通の課題である地球環境の保全へ自主的に取組む」とも書いてあった。人類共通の宝である大浦湾を埋め立てることと地球環境の保全とはどう結びつくのか、ホームページ上で「論理的」にちゃんと説明してほしいなあ。そんなにギュウギュウ責めんといてくれと言うのかしらん。

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日記の記事が15年分とものすごく増えているので、自分でも過去の記事を探すのに苦労することがあります。一時期検索窓をつけたことがありましたが、途中で機能しなくなりその後外してしまいました。
この頃、だんだん忘れっぽくなってしまったので、Googleさんの助け(問題は感じていますが・・・)を借りることにし、しばらくの間検索窓をつけることにしました。



  12月5日(水)
すぐ下の写真は12月1日の早朝。裏の空き地ではびっしり霜の花が咲いていました。


朝晩は寒い日もあったのですがこのところ全体に暖かい。今朝庭を見たらボケの花が咲いているではありませんか。早春の花のはずなのにこの状態。畑では夏に植えたカラシ菜(沖縄では島菜)が花をつけて、その部分だけ春のよう。来春になったら一体どうなるのでしょうか。




借りている畑に隣接するキュウリ農家の老夫婦は、春・夏の強風でハウスが壊れたこともあって、来年は1つのハウスを地主に返却。その空いたハウスを放置するわけにもいかないので、地主の許可を得て来年は私たちがそこで「チョロギ」をつくることにしました。耕作して何かを作っていてくれるのが地主にはありがたいので、無償で貸してくれているのです。
今日の午前中はその準備のために、先日購入した堆肥を入れ、籾殻もまく作業に妻とともに汗を流しました。結構広いハウスなのですが、キュウリ農家の方が重機で耕してくれてあったので、作業そのものは楽。あとは来春に耕運機でもう一度耕し、球根を植え付けるだけです。
先日バラの会で、こんなに収穫が出来て副収入になりそうだよ、という話をしていたら、何人かがその「副収入」に関心を示して、「じゃ来年は、バラの会『チョロギ』部会をつくろう」と話は急展開。このハウスの管理は、従って「チョロギ部会」が行うことになりそうです。
今日チョロギの世話をしている友人のSさんのニュースによれば、今年最高で100キロ収穫した方がいたのだとか。8万円近くの収入になるのですから、魅力ですね。我が新ハウスでは100キロは軽くとれるでしょうから、来年が楽しみです。10万円の収入を目標に・・。ハウスが空けばさらに拡張して数十万円も夢ではない。
その前に身体が言うことをきかなくなるのがオチか。おいらよりもレベルが低いと裏山でタヌキが笑っているかも。



  12月4日(火)
強い南風が吹いて気温が上昇し、まるで9月頃の陽気。全国でも「夏日」というところもあって、全く異様な気象状況です。
畑で肥料を運搬しようと出かけたまではよかったのですが、あまりに風が強くて諦めて帰ってきました(畑は松本から大町への風の通り道にある)。こうなったら、我が家の年末大掃除でも始めますかね。

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数日前、高校生と話をしていたら「まもなく(2020年〜)、小学校からプログラミングをやることになるんだって」とため息交じりで言う。 「どんなことをやるんかねえ」と聞くと「遊びだろ」という子と「C言語?」という子。「昔もベーシックという言語をやることになったときがあって、センター試験にも出たことがあったけど、すぐに改訂されてとりやめになった」と私が言うと、「これからの子は大変だね」といいつつ、自分たちには関係ないと安心した様子。
昨日書いた「論理国語」同様、小学生すべてにプログラミングを教えてどうしようというのか私にはよくわかりません。
新学習指導要領(総則第3の1)によると、「児童がプログラミングを体験しながら,コンピュータに意図した処理を行わせるために必要な論理的思考力を身に付けるための学習活動」なのだそうだが、あらかじめ決められた手順に従ってアイコンを動かして、ロボットなどに何らかの動作をさせる程度なら、学校でなくてもオモチャ屋に行けば手に入る。ネット上でもいくらでもできる。いまやプログラミング教室は大流行。ひと頃の学習塾を上回る勢いすら感じます。
問題は、そうしたことで「論理的思考力」が涵養されるのかどうか、すべての子に同じように扱わせることがふさわしいのかどうか、ですね。
コンピュータ・リテラシーの1つとしてパソコンの原理を知ることや、ロボットが動くしくみなどを学ぶことは必要でしょう。また、悪意あるプログラムがどうやってスマホやPCに送り込まれるのか、それにどう対処するのかを知ることも大切です。しかし、それとプログラミング(もどき?)そのものを学ぶこととは別次元の問題のはずです。
AIの発達によって、生活の様々な分野に応用される時代を考えれば、仮想現実の世界が正しく認識できる素地を小学生から身につけておくことは不可欠ともいえます。それには、周到に準備された「教育のプログラム」が必要なのであって、プログラミングを学べばそれが可能になるわけではありません。
プログラミング教室を紹介するあるサイトには、文科省にならって「プログラミングを学ぶと、論理的な思考が育まれ、発想力も出てくる」と書いてありました。ホントなの? またまたわからなくなります。「論理的な思考」って一体何ですか。ひと頃は「数学をしっかり学ぶと論理的な思考力が育つ」などと書いてあったんじゃなかったっけ。
私など、それなりに数学を勉強したり教えたりしてきたけど、論理的な思考力は一向に身につかなかったなあ(そりゃ、オメーの頭の問題だろ・・・ソダネ)。だからいま寅さんのように深い反省の日々を送っているのです。
プログラムを組んでロボットを動かせるような子はさぞ得意だろうけれど、じゃ、一人静かに窓辺で少年少女文学全集などを読んで空想にふけり、たとえば童話を創作してみようとか、絵本を書いてみようという子はどうなのよ。私の子ども時代、そんな子がいて憧れたことがあったなあ。小学生とは思えないスゴい絵をかいた子がいて、強烈なショックを受けたことをいまだに思い出す。
文科省のみなさんも、政権与党の政治家のみなさんも、さぞかし「論理的」な思考力をお持ちだからそう主張しているのか。いや、自分たちのようになってほしくないから、小学生からちゃんと勉強してくれとおっしゃっているのか、どっち??



  12月3日(月) その2
昨日の信濃毎日新聞で英米文学者の阿部公彦さんが「あなたの生活に文学を」というコーナーで国語教育の問題について書いていました。
2016年に中央教育審議会が答申を出して2022年度からの新指導要領の国語について、とくに高校に「論理国語」なるものを提言しています。
中教審答申では、「教科等を越えたすべての学習の基盤として育まれ活用される資質・ 能力」として「言語能力」をあげ、「読解力を支える語彙力の強化や、文章の構造と内容の把握、文章を基にした考えの形成など、文章を読むプロセスに着目した学習の充実、情報活用に関する指導の充実、コンピュータを活用した指導への対応など、学習指導要領の改訂による国語教育の改善・充実を図っていくこと」を重視しているのです。
高校では、現行の「国語総合、国語表現、現代文AB、古典AB」という区分けを「現代の国語、言語文化、論理国語、文学国語、国語表現、古典探究」とするよう提言。なかでも論理国語は「多様な文章等を多角的・多面的に理解し、創造的に思考して自分の考えを形成し、論理的に表現する能力を育成する科目」なのだそうです。
「論理国語」があるなら「論理数学」「論理英語」も今後登場するのかな?

さて、中教審のこの答申に対して、当の文科省はどうしようというのか。
阿部さんの一文では、「文科省の試行テストの出題を見ると、契約書、学則、法律の条文などと『実用性』と資料らしさにこだわり、結果的に『人間』を排除します。批判を受けて若干の修正も見えますが、迷走ぶりは顕著。『論理』の理解があまりに一面的です」と書いていました。
阿部さんは「改革の狙いは情報を理解する『読解力』での鍛錬です。近頃の子供は、教科書すら読めない。それなら『論理的で実用的な文書』を読ませよう、というのです。しかし、この単純明快な『論理』には落とし穴があります」と言う。なぜなら、「言葉と人間の世界では、論理は決してむき出しの形では存在しません。言葉はその運用を通して必ず『色』がつく。だから私たちは、人間の思惑やレトリックの中から論理を見極め、その妥当性を判断する。国語で鍛えたいのはここです。論理は必ず人間とセット」だからです。
文科省はまさか、公務員試験の判断推理などのような形式論理を学ばせようというわけではないでしょうが・・・数学でも国語でも文科省や中教審のお歴々が好きな「論理」を突き詰めれば結果そういうことになるんじゃないかと私は心配になります。

一例を挙げて考えてみましょう。私たちが一昨年以来再三にわたって議論してきた社会教育法第23条です。

(公民館の運営方針)
第二三条 公民館は、次の行為を行つてはならない。
一 もつぱら営利を目的として事業を行い、特定の営利事業に公民館の名称を利用させその他営利事業を援助すること。
二 特定の政党の利害に関する事業を行い、又は公私の選挙に関し、特定の候補者を支持すること。
2 市町村の設置する公民館は、特定の宗教を支持し、又は特定の教派、宗派若しくは教団を支援してはならない。


この条文が(公民館の運営方針)として記載され、第21条で公民館は市町村が設置するとされている以上、第23条の主語である「公民館」は、公民館の運営者であることは明白です。また、事業を行う主体も運営者であることは明らか。
「特定の営利事業に公民館の名称を利用させ」るのも「営利事業を援助する」のも運営主体に他なりません。当然、その文脈から言えば、「特定の政党の利害に関する事業を行い、〜」の実施主体は公民館運営者ということになります。
しかし、文科省も多くの自治体関係者も、必ずしもそうは考えない。「言葉はその運用を通して必ず『色』がつく」のですね。
「市民の論理」では上記の読み取りが可能でも、「行政の論理」は異なります。
公民館は、(公民館の事業)第22条で事業の1つとして「六 その施設を住民の集会その他の公共的利用に供すること」といういわゆる「貸し館」事業を定めています。
公民館は貸し館事業を行う主体である以上、公民館を借りる者にも上の第23条の規定が適用され、借りた者の企画した内容が規定に抵触すると判断されるなら禁止されることがある・・・
「公民館は・・・行ってはならない」が、公民館を「借りた当事者も・・・行ってはならない」とすり替わる。これって、条文からどう導き出されるのか、行政の論理から見てもおかしくないのか・・・私には未だに分かりません。文科省は、まさか高校生にこんな実例を示して何かを考えさせようというのですかね。

「人間の思惑やレトリックの中から論理を見極め、その妥当性を判断する」・・・そうだよなあ。
生活の中で「論理」がせめぎ合い、ぶつかり合うのであって、人間が存在しない無味乾燥な文章に生きた「論理」を発見出来るはずがないではないか。私もそう思いますね。憲法第9条だって、おんなじでしょう。
ところが、最近はネトウヨのみなさんのように「論理」もクソもない、およそ品のない文字の羅列が目立つようになっているのですから、文科省が「何とかせねば」と思うのも無理はありません。助長してきたのは誰だといいたくなりますけれど・・・。
だが、文科省は自らの頭に手を当てて過去の文教政策とその結果に思いをはせてほしいものです。「早期選別」「競争」「実用」「教師管理」・・・もう学校現場にはかつてのようなゆとりもなく、横の連帯もなく、「結果」のみに追いまくられる教師たちの疲労困憊は極限状態。社会と自己の未来への見通しを全く持てない子ども達の閉塞感もまた極限状態。
そこへ持ってきて「契約書、学則、法律の条文」などで「論理」を押しつけられる子ども達も教師達もかわいそうです。

人は主張や欲望を正当化しようとするもの。論理はしばしば「つじつま」と化し、読者を欺きます。他方、厄介なことに、人間は論理が破綻した文言にも「意味」を読んでしまう。飛躍がかえってインパクトを生むこともある。「日本死ね」が良い例でした。だから肝心なのは、効果、意図、文脈の働きを理解し、「つじつま」との付き合い方を学ぶことです。それが国語の役割でしょう。文科省は周回遅れなのかもしれません。
(阿部公彦さん:「あなたの生活に文学を」)




  12月3日(月)
このページの上下にリンクされた「過去の日記」をクリックすると、この12月でちょうど15年分が埋まったことに気づかされます。
私がこのホームページを思い立った理由はいくつもあり、1つはお別れする教室の職員・生徒のみなさんに状況を知らせたかったこと、バラバラに生活している家族、とりわけ子ども達に近況を知らせたかったことが主なものでした。
しかし、いつしか、安曇野の風景や生活の様子だけではなく、政治批判ブログとなり、さらには活動報告的なものも多くなっていきました。それはそれで自らの「生活」そのものであって、今読み直してみると忙しく立ち働いているときだから書ける勢いも感じて、自分自身にとっても役に立ってきたと実感できます。
しかし、最近は、活動領域も狭まって農作業に従事する時間が増えているので、このブログにも我ながら「惰性」を感じないわけにはいきません。経済的な問題もあって、そろそろ終息時期かなと書いたこともありましたが、「読んでいるよ」とおっしゃって下さる方の声を聞くと、まだ辞めるわけにはいかないのかなとも思わされて、なかなか複雑な気持ち。
さはさりながら、時には書きたいこともあるし、みんなで考えたい問題もあるので、あと少しは続けましょうかね。

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昨日、沖縄の義兄からメールがあって、一時期脳梗塞でどうなることか心配された妻の母が、最近は前とほとんど変わらないまでに快復したと書いてありました。先日送った干し柿を「まーさんまーさんして食べていました」とのこと。よかったよかった。
妻に「まーさん」の意味を聞いたら「美味しいってこと」と笑って返事。ネットでこのウチナーグチの実際例を見つけましたよ。今度沖縄に行ったら「いっぺーまーさん!」と言ってみよう。みなさんもどうぞ。

今日の琉球新報、沖縄タイムスによると、辺野古の埋め立てをめぐって本部港が使えなくなっているために防衛局は民間会社である琉球セメントの桟橋を使い、3日から積み込み作業を始めたといいます。
また岩屋防衛相は14日にも土砂投入に踏み切るのだとも。北上田氏によれば、琉球セメントには新旧2本の桟橋があり、沖縄県から公共用財産使用許可を得ているのですが、許可条件には「許可にかかる物件を申請内容の用に供するものとし、それ以外の用に供してはならない」として、許可条件に違反した場合は、「許可を取消し、---原状回復等を命じることができる」とされているとのこと。
今回の土砂搬出は明らかに「目的外使用」であり、許可を受けていない防衛局が使用するならば「第3者への転貸」として公共用財産管理規則で禁じられているのですから、県はこのような乱暴な法令違反を見逃してはなりません。
北上田氏はさらに昨日のブログで、この民間桟橋利用は「生活環境保全条例違反」の疑いがあり、この点でも県の毅然とした対応が求められると書いていました。

政府・防衛局のデタラメぶりはますます激しくなり、県民感情を逆なでしている昨今、来年2月に県が実施する新基地建設の賛否を問う県民投票に対して、「これは民間業者が行うもので、個人情報が共産党に流れる可能性がある」などとする悪質なデマがネット上でまことしやかに流されていると琉球新報が伝えていました。
記事ではツイッターの書き込みの主はわからないように消されていましたが、検索すれば容易にわかります。
本人の今日の書き込みによれば、「沖縄のラジオにもトップで報道されたそうですけど、報道した人達って、本当は県民投票やる気なんじゃないの?」。さらにある人物の「記事をまんま読んでも、元琉球シールズを名乗る民間団体の呼び掛けと署名活動が発端で行われてなお活動中なんだから、主催と思われても仕方がないよね」という書き込みをリツイート。県民投票とは何なのか全くわかっていないことをはしなくも露呈。
しかし、若い人たちの間では無批判に「そうかも」などという不用意な拡散が行われるわけで、同日のある戦闘機マニアの人物もただちにこの記事にアクセスしておりました。
本人は、「個人の意見を勝手にデマだと報道している」「しかも、報道騒ぎを起こしたのは沖縄県民ですらない内地出身の記者だ」と開き直っている。が、よくこのご本人自分の書いた記事を読み返してみてほしい。これは「意見」などというものではなく、県民投票とは何かを全く理解していないうえに、県民投票条例の呼びかけ団体、呼びかけ人と、県民投票を実施する主体との区別もつかず、個人情報が共産党に流れるかもというまことしやかなウソを書き並べるのは「デマ」以外にあり得ないでは??
ツイッターは一人で孤独に勝手につぶやいていればいいというものではありません。それなら一人部屋でつぶやいていればよろしい。ネット上で誰もがアクセスでき、かつ拡散することも狙いとしている以上、書き込む内容には社会的責任が伴うのは当然でしょう。好き放題デタラメを並べてそれを批判されて逆上するのはどういうもんですかね。




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