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  7月29日(火)
台風まで日本列島を逆走。異例ずくめというのですから、九州南で停滞して高い海水温でエネルギーを注入して、また来た道を戻っていくんじゃないかと心配です。
各地での被害の大きさ、被災者の苦難を見るにつけ、この国の「国としての」対策のお粗末さに愕然とします。
安倍首相、総理大臣官邸で開いた豪雨非常災害対策本部会議で「各種対応に万全を期す」と述べましたけれど、テレビで聞いていた限りでは「漫然を期すよう」としか聞こえなかったなあ。
たとえば、かつて女川で支援に出かけたときに現地で泊まった快適なトレーラーハウス、もしこれが1万台くらいも全国で準備できていれば、運転手の問題はあるにせよ、高齢者や子ども達など守るべき弱い立場の人たちを優先的に収容し命を守ることが出来る。
また、トレーラーハウスまでは行かなくても、国際基準(スフィア基準=sphere standard)にもとづく大型のテントと快適なトイレとシャワーが大量に用意できれば、「ソマリアの難民キャンプより悪い」(野口健さん)日本の避難所生活を大幅に改善できるのです。これはその気になればすぐにでも出来る。(この基準とスフェア・プロジェクトのことは以前触れたことがあります)。<下の写真はNHKのサイトから>




予算??イージス・アショアなんて不要でしょう。その分をそっくり回せばよろしい。
当初2基で2000億円と言っていたものが、実は「総額6千億円以上となると試算している」(産経ニュース)というのですから開いた口が塞がらない。
私たちは、テレビでみる避難所が「当たり前」という感覚に慣らされてしまっています。そうではないことをもっともっと知るべきですね。たとえば4月に放映されたNHKのweb紹介のサイト(またはこちら)を見てみましょう。
テントの広さ、トイレの快適さなど、野口さんが熊本地震の際に開設したテント村の様子を見れば、それがすぐにでも実現可能であることがわかるでしょう。
段ボールベッドは先の西日本水害の避難所でも使われていることもテレビで見かけるようになりました。しかし、依然として避難所は避難所、私たち自身も貧困な発想から抜け出す必要がありますね。

沖縄にいる妻が、夜はあまりの暑さで熱中症になりそうだとボヤいていました。あと3日もすれば、涼しい(?)長野ですから、くれぐれも水分補給をしっかり。
その沖縄では、翁長知事がようやく埋め立て承認の撤回に踏み切る決断をしたとの報道(琉球新報号外)がありました。しかし、このニュースは台風の陰で一般の本土メディアからはほとんど無視。
キャンプシュワブ前では、政府・防衛局の横暴ぶりはいよいよエスカレートしています(下の写真は北上田さんのブログより)。


隙間の幅が1メートルほどしかないため、機動隊が排除しようとしても以前のようにはできず、彼らもかわいそう。それでも暴力的な排除は容赦なく続く。歩道の占用の目的が「歩行者の安全確保のため」というのだから、設置した防衛局のアホ面が見たい。2月の私の現地報告と見比べてみてほしい。いかに異様な弾圧体制で臨んでいるのかがわかります。







  7月24日(火)
昼はあいかわらずの熱帯。今日も朝6時から8時頃まで畑で除草に専念しました。今朝はずいぶん涼しい。空気がこれまでとちょっと違う感じがしました。
ワイドショーの天気解説によれば、日本を覆っていた高気圧が多少南に下がったのだとか。気圧の配置によっては今後ゲリラ豪雨が心配されるし、さらにいくつも熱帯低気圧が控えていて台風がどんな進路をとるのかが懸念されるということでした。炎熱地獄が「災害」に加わって、このあとどんな地獄が災害に加わるのやら。
我が家では、いつも作っているゴーヤー・カーテンの一部が枯れ始めた。こんなことは過去になかったこと。今年はどことなく弱々しいツルだったので、肥料のせいか連作のせいかと思っていたのですが、もともと弱い苗にこの暑さでどうもバテてしまったらしい。畑のゴーヤーは元気でツルを伸ばしているので、暑さのせいだけではないようです。
キュウリやインゲンを植え直したいのですが、この暑さの中ではその気も起こらない。朝は伸び放題の草をやっつけるのが精一杯で、このあといったい畑はどうなることやら。

午前中、太陽光の点検があったのでおつきあい。その後お昼を挟んで夕方まで室内の大掃除をしました。きれいにしたので、ようやく何かをしようという気力がでてきたような。ごちゃごちゃしたところにいては、気分まで滅入ってしまいますから。
沖縄の妻からは、やはり「暑い暑い」の連絡。夜昼の温度差がないので、エアコンなしの実家では大変です。保冷パックを抱えて寝ていると言っていました。
母は比較的元気で笑い顔も見られたということ。このぶんでは予定通り8月1日にはこちらに戻ってこられそうです。



  7月22日(日)
御嶽海の優勝が決まって長野のあちこちでお祝いムードが広がっているようです。何しろ長野から優勝力士を出したのは史上初(優勝制度ができた1909年以来)というのですから。
確かに何年か前は押し一辺倒の相撲でしたが、今場所は素人目にも相撲の上手さが際立っていましたから格段の進歩。たいしたものです。若手力士が台頭して地に落ちた感のある大相撲を盛り上げてほしいものです。

妻が出かけて2日目。台風の沖縄直撃かと心配していたら、今度の台風は未熟台風という訳のわからない台風で、奄美の方は結構風が強かったようですが本島はほとんど影響がなかったらしい。
相変わらず酷暑が続いていて、今朝早くに畑に出かけたものの8時を過ぎるともう暑くなり汗ダラダラになったので、9時前には引き上げてきました。この暑さ、植物にも影響が大きいのではないでしょうか。
もともと夏野菜は暑さには強いはずなのですが、リンゴとかモモとかには影響がないはずがありません。沖縄では夏の作物には直射日光をさけて網をかけているほどですから、こんな日照りが続くようなら普通の作物も収穫量に影響がでるのではと心配です。
野菜や米は、お天気次第ですから、一旦天候不順だったり異常気象が発生したりすれば、とたんに問題が発生する。多分大きな影響が出てから騒ぎ出すことになるのでしょうが、そのときは「いのちに関わる暑さ」どころの騒ぎではなくなるのではないかと思われます。
戦後の一時期を除けば食糧危機の深刻さを経験したことはありませんから、それがどのようなものになるのか想像することさえできない。この国の食糧事情は輸入頼みですから、国内の不作が直ちに危機的状況に結びつくわけではないにしろ、食糧問題がこの国の人々の生存にかかわる問題となる時期が遠からず来ることを恐れます。引き金は別に気象条件だけではなく大震災などがそれになることも大いにあり得る。そのときシンゾーさん、どうするんですかね。



  7月20日(金)
今日の「チコちゃんに叱られる」によれば、大人になると時間の経つのが早く感じるのは「トキメキが無くなるから」なのだそう。そういえば、昨日何をしたのかと聞かれて「あれ?」と思ったり、去年の今頃何してたと聞かれても答えに窮するようではぜんぜんトキめいてはいませんね。じゃ、どうすりゃトキめくんだろうね?

今朝早く妻が沖縄へ。台風接近で飛行機が飛ぶのかどうか心配されましたが、何とか無事に着いたと連絡がありました。今晩から明日にかけて沖縄は暴風圏内。今日の内に食料などを買い込んでおいて明日一日閉じ込められてもいいようにしなさいねと伝えておきました。

午前中から午後までいろいろ用事を済ませて、夕方畑に水を撒きにいったらちょうどその頃から久しぶりの雨に。お湿り程度の雨にしかならないだろうと考えて、雨の中ポンプを作動させて放水をしてきました。おかげで雨とポンプの水とでずぶ濡れ。
猛烈な暑さが連日続いて畑に出るなら朝5時から8時頃までが限界。まだ一週間以上もこの状態が続くというのですから、大変な気象状況です。一番堪えているのは水害の被災地のみなさんでしょう。国会ではそんな被災地の苦しみを尻目に、自公とその補完勢力がカジノ法案の採決に血道を上げるという信じがたい醜態が演じられています。こんな政権はとにかく早く終わりにさせたい。

日は遡りますが、昨日は「子ども塾」の日。前の日に収穫したキャベツに加え、午前中バラの会の仲間が収穫と採った後の皮むきを手伝ってくれました。もちろん一部はそれぞれの収穫物に。広い畑でキャベツを投げてリレーしているのはまるで子どもの収穫体験でしたね。
そのあと、私は軽トラの荷台に合計100個ほどのキャベツを積んで松本へ。すごい量になりました。
それだけではありません。キャベツと前後して知人から出荷できないタマネギがあるので取りにこないかいという連絡が。我が家で収穫した昨年の小豆、その日に採ったキュウリ、ナス、トマトなども加わったために、帰りの子どもたち大きな袋を抱えて重そう。迎えにきた保護者もうれしそうに袋を下げて子どもと帰っていきました。少しずつ野菜応援の輪が広がっているのが心強い。







  7月18日(水)
今日は妻の誕生日。夕方から友人も誘って食事にいくことになっています。息子からおめでとうメールがあり、返信に「棺桶にまた一歩近づいた」と書いたと言っておりました。無事ここまでやってきたのだから、まずはめでたし。

今朝は早起きして、朝6時から妻は畑に、私は前の法面の草刈り。法面の草刈りはここ数日にわたってすこしずつやっていて今朝は最後の仕上げ。昨日病院に行く前にも作業をし、その際はものすごい痛みがあったのですが、今日ほとんど同じ作業をしてもほとんど痛みはなし。ブロック注射がかなり効いたのだと実感できました。
昨日も書いたように、経過報告書を31日に提出するので昨日から体調を克明に記録しているところ。
作業を終えて食事をしていたら、町内の知人から「キャベツがあるけど要るかい?」と電話。「それじゃコンテナを5個ほどもって取りに行くよ」と連絡し、9時過ぎに畑に直行。
予想通り一面のキャベツ畑で、モンシロチョウが無数に飛び交っている。かなり収穫はしてあるものの、2/3くらいのキャベツが残っている。このところの日照りで焼けて商品価値のないものばかりですが、皮をむけばほとんど問題のないものが多い。
手伝いは誰もいなかったので、今日は一人で1時間ほど作業。固い茎を切って虫食いの下葉を取り払いコンテナに詰めて軽トラに。いやはや重いこと。これでまた腰に相当負担をかけてしまいました。
そうはいっても明日「こどもじゅく」に届けるには格好の野菜。軽トラいっぱいキャベツを積んでいきたいけれど、さて、それをどうやって持って行ってもらうんだろう。悩ましいところです。
畑には、数百個のキャベツがまだ残っており、明日の夕方トラクターでまず全部粉砕して、そのあと土に混ぜ込むのだとか。キャベツ農家ってそんなもんなんかなあ。庶民の感覚では「もったいない」が先だってしまいますが・・・。
明日はバラの会のメンバーに手伝ってもらって、あと少し収穫してこようと思っています。


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朝方妙な夢を見て目が覚めた。私は亡き母とは異なり、学校生活に関する夢を見ることはまずないのですが、今朝はどういうわけかどこかの教室で、ある生徒が一冊の本を私に見せたのです。私にはそれが何かがすぐにわかった。何と昭和31年初版の「幾何事典」(購入は昭和36年、今から60年近くも前の古書です!)。
当時は高校の課程は「解析」「代数」「幾何」となっていて、戦前の名残を色濃く止めていたのです。「幾何事典」は「幾何学」辞典ではなく、入試問題を集めたマニアックな問題集なのですが、私を幾何好きにさせてくれた本の一冊でもあったのです。
その本をなぜか現在の生徒が入手して私に見せてくれている。「どうしてそんなものを持っているんだ」と言おうとして目が覚めたのですが、ひょっとしたらその生徒は私自身だったのかもしれないなあ。
当時師事していた予備校講師のおかげで、その頃の私は相当に幾何マニアで問題解法にこだわっていた方でしたから。しばし、その当時のことを懐かしく思い起こしていたことでした。



  7月17日(火)
今日の夕焼けには3日前とは一転、どこか毒々しさ、いやいや「殺気」というか、狂気じみたものを感じます。おそらく日中は35度くらいまで気温が上昇したのか、夕方水を撒いてもなかなか熱気がおさまらない。


午後から整形外科へ行き、ブロック注射をしてきました。ブロック注射というのは、麻酔によって過敏になった神経を鎮め「痛みの悪循環」を断ち切るものらしいのですが、どこへ注射するかは現在のところ医者の「カン」もしくは最大効果を期待できる場所です。確実にそこがポイントというわけではなく、とにかく最も効果的だと思われるところに注射をして経過を見るというやり方。
脊柱管の手術はきれいにできているので、あとは痛みの場所が特定できれば治療の方法もわかるのですが、残念ながら今のところ手探り状態。7月末に経過を報告しその後の対策を考えるということになりました。
ブロック注射というのは昔からよく聞くものですが、やったのは初めて。ビリッというより「ガーン」というショックが一瞬あって、ほとんど飛び上がりそうになりました。医者は「来ましたか」だって。ま、ちょっとでもよくなら多少の痛みは我慢しましょう。
今朝、草刈り機でしばらく傾斜地の除草をしていたら、結構痛みが激しくなったので、明日もう一度同じように草刈り機を使って作業をやり、今日の痛みと比較してみようと思っています。7月末には経過報告書を出すことになっているので、いろいろとやってみないといけないのです。

治療のあと、公民館によって館長としばらく雑談。少しも連絡をくれないので文句を垂れに行ったのですが、全くその後の方針を検討していないというわけではなく、一応の腹案は持っているので、実行委員会としても検討をしてほしいと素案を受け取ってきました。
まだ公表できる段階ではないので詳しくは書けませんが、雑談としてではあれ、新しくできる地域交流センターに関しては、利用者が誰でも安心して使える施設であること、規制を先にもってくるのではなく、そのことをきちんと打ち出すことが大切だという点は確認できました。これは大変重要なことなので、今後、具体的な使用規則の検討の中で生かせるようにしていこうと考えています。

一昨日から昨日にかけてキャンプシュワブ前に42メートルにわたって設置された柵のために、抗議活動は難儀を極めています。今日の琉球新報の報道では、抗議の住民らがフェンスと柵との狭い場所に閉じ込められている写真が掲載されていました(下のような状態)。


そのために、とんでもないことが起こっているのです。
第1。琉球新報の記事によれば、工事車両を入れるためにその部分だけこの柵を移動させ、かつ住民をごぼう抜きにして狭いすきまに運ぶのですから、これまでよりも2倍の時間がかかり、そのために従来とは比較にならないほどの渋滞が発生しているというのです。
第2。この柵=「交通規制材」設置の目的を沖縄防衛局は「歩行者と車のさらなる安全、円滑な通行を確保するため」と説明していましたが、そんなわけないだろうというのが一目瞭然の事態が引き起こされているということ。歩行者の通行は妨げられ(いままでは座り込みがあっても楽に通行でした)、渋滞はひどくなり、この柵を移動させるにはフォークリフトを使わなければならないというのですから、防衛局の中では「こんなはずではなかった」という声があがっても不思議ではない。早晩破綻するやり方です。
第3。県民との矛盾をいっそう広げる愚策であること。誰がこんな柵の設置を考え出したのか、おそらく現地を全く知らない幹部が「何とかしなければ」と無い知恵を絞ってひねり出したのでしょうが、全くの逆効果。県民の批判をあおるやり方ではあっても、抗議行動への意志を削いだりするものでは全くありません。この点でも、政府・防衛局は大きな誤算を犯したことは明らかです。



  7月16日(月)
沖縄はいまマンゴーの季節。2,3年前の7月に沖縄に行ったとき、妻の実家近くの広い直売所のフロアがマンゴーであふれていた驚くような光景が目に浮かびます。
そのとき、私はどうしたか。これまたフロアの一角を占めている安い「訳ありマンゴー」を買い求めて、名護にもどってから一人丸かじりしていたんですね。妻も今度(20日)里帰りしたときにはきっとそうするのでは?
我が家にはいま沖縄の友人たちから送られてきたマンゴーが”飾られて”います。これは「訳あり」じゃないから、食べるのがもったいない・・・とつい思ってしまいます。


さて、その沖縄の辺野古を中心とした動きはどうなっているのか。予定では明日から(注:1ヶ月後の明日の誤り)土砂の投入が開始されるという予定を受けて、市民グループが翁長知事に対して直ちに埋め立て承認撤回に踏み切るよう県庁に座り込要求行動を行っています。
翁長知事は「必ずやる」と言明はしているものの、自身の病気療養という問題を抱えて遅れに遅れており、また4,5月には「実際の撤回までには、事前に『撤回の手続きに入る』と表明し、埋め立てを申請した国の意見を聞く「聴聞期間」を1カ月程度設ける」(朝日新聞4/23)とされていましたから、そのことから言ってもすでに時期は遅いくらい。
その一方で「埋立区域内に残る絶滅危惧種のオキナワハマサンゴの移植のための特別採捕許可申請を、今日(13日・金)知事が許可してしまった」(北上田氏のブログ)というのです。
「土砂投入は、辺野古崎側のA−1工区から始まると言われているが、オキナワハマサンゴの移植ができれば、広いA工区の方も土砂を投入することができる」(同ブログ)というのですから、県の対応は事実上「埋め立てをどうぞ」と言っているに等しい。県の内部でも相当の矛盾が広がっているということなのでしょうか。

辺野古キャンプシュワブ・ゲート前に昨日突然新しい柵が作られたというニュースがありました。夜中にその工事が行われたというので、抗議行動に参加しているみなさんは怒り心頭。(写真は琉球新報辺野古取材班)


本格的土砂投入を前に抗議行動を押さえ込むのが目的で在ることは明らかで、何でもありの暴力的な抗議行動つぶしです。しかし一体どうやって工事車両を入れるんでしょうかね。
「柵の設置について沖縄防衛局は『歩行者と車のさらなる安全、円滑な通行を確保するため』と説明する」(琉球新報)とうそぶいていますけれど、だいたい歩行者なんてほとんどいないのです。
県の吉田勝広政策調整監は「『道路上に交通規制材を置くことは危険だ。沖縄防衛局がこのような行為をして許されるのか』と指摘(15日)」「県民の諦めを誘い、分断を狙っているのだろう。国はいろいろとやってくるが、あきらめないことが大切だ」(琉球新報)と語ったとも伝えられていますから、安倍政権の何が何でも基地を作って米国に差し出すという姿勢がますます沖縄県民との矛盾を広げているというのが現在の基地をめぐる状況です。



  7月14日(土)
一面の雪の中に、ぽつんと一軒、小さなあばらや。家のうしろには、赤い赤い夕やけ空がいっぱいに----

これは木下順二「夕鶴」の冒頭の舞台指示(ト書き)。夕焼けを見るたびにこの一行が浮かんできます。


茜色に染まった北アルプス。昨日・今日の夕焼けは本当に久しぶりです。空気が澄んでお天気が安定している証拠なのでしょうか。思えば昔はこうした夕焼けがいつでも見られたような気がします。

ちょっと古い話になりますが、今年の5月18日のこと、東京高裁で「9条俳句」訴訟に関して判決が出されました。
以前にこのブログでも取り上げたことがありましたが、この「9条俳句」訴訟とは、「弁護士ドットコム」の解説によれば次のようなものです。

「9条俳句」とは、女性が2014年6月に東京・銀座で集団的自衛権の行使容認に反対するデモを目撃して、詠んだ俳句。
女性が参加している俳句会では毎月、地元のさいたま市三橋公民館の「公民館だより」に俳句を掲載していたが、女性の句(<梅雨空に『9条守れ』の女性デモ>)を掲載しようとしたところ、政治的に中立であるべきとして、公民館側から不掲載とされた。

女性は思想や信条によって不当な取り扱いを受けたとして、さいたま地裁に提訴。表現の自由や不掲載の正当性などが争われていた。
昨年10月の一審判決では、女性が掲載に期待するのは法的保護に値するとして、公民館側の違法性を認めたが、女性があらためて俳句の掲載を申し入れたことをさいたま市が受け入れず、控訴していた。


さいたま市教育委員会が「公民館だより」への俳句掲載を拒否したのは、「公民館だよりの編集・発行にあたり、公正・中立であるべきとの観点から判断した」というのが唯一の理由。
要するに、この俳句を掲載すれば、公民館・教育委員会が特定の政治的立場に与したと見なされ、政治的中立を侵害されることになるから、それはまずいと判断したということなんですが、これほど短絡的、非論理的、幼児的な理屈もありません。おそまつの一語に尽きます。
一定の政治的色彩をおびた(実際は「憲法を守れ」という主張が最も多いと思われる)集会などに公民館や公的施設を貸さない事例がここ数年頻繁に起きているのですが、これもその1つ。「世論を2分する一方の主張を持つ団体に貸すことは、公民館の政治的な中立の立場に反する」という屁理屈です。
さいたま市教育委員会のとった対応はあまりに稚拙で、本来なら公民館の対応に教委の方が、「そんな馬鹿な対応をするな」と諫めるべきくらいのこと。「勇み足だったから申し訳ない」と謝れば済む問題だったのです。
ところが、当初の池田町教育委員会と同様、初動を誤ったために抜き差しならぬ状態に自らを追い込んで結局司法の判断を仰ぐ結果となってしまった。初動の誤りにもかかわらず途中から修正し双方が歩み寄って真剣な議論の末に話し合いによる決着(区切り)をつけた池田町とは大違い。全く「ガチンコの闘争」に発展してしまったのだから始末に負えません。
地裁での敗訴に続き高裁で敗訴した市教委は、何を血迷ったか最高裁に上告、ますます泥沼に陥っているのです。

実は、先日「9条俳句訴訟」応援団のある方から、池田町の公民館使用許可取り消し問題での解決の経過や教訓について話を聞かせてほしいという依頼があり、池田町の実行委として受け入れる返答をしたところなのです。直接話を受けたわけではないので、どんな話になるのかは今のところ分かりませんが・・・。

池田町の場合はさいたまの俳句掲載拒否問題よりもっとストレートに政治的な利用での拒否問題でした。その立場から言えば、さいたま市の場合はなぜここまでこじれて、傍目にも呆れるような教育委員会の対応になるのか。
私の目には、市教委の面々の頭から「人権」という感覚がすっぱりと抜け落ち、”言葉”は知っていてもその”実体”を完全に欠落させているとしか思えません。その結果として生み落とされているのが、日本国憲法の基本的人権規定の空洞化です。それも自らすすんで。
本来、憲法を遵守し地方自治の担い手・守り手となるべき公務員が、無意識の(忖度)行為として、あるいは事なかれ主義によってそれを否定していくという事態が、この問題の背景を形成している、私はそう捉えています。
それを正すには、住民の側からの事実にもとづく正当な批判しかありません。すべての公務員がこうした当たり前の声に耳を全く貸さないということはありえない。職員に住民奉仕という本来の姿に立ち戻ってもらうには、どれほど多くの住民の声を地元市役所・役場に届けるのか、そこにかかっていると言っても過言ではありません。



  7月13日(金)
今日は母の12回忌。来年は13回忌ということになります。何年経ったのかさえ忘れてしまうほどですから、日の経つのは本当に速いものですね。


しばらくぶりにこのブログを更新したことをうけて、MNEMOさんがお見舞いかたがた3年ぶりに我が家への訪問を実現させたいとのコメント。大変うれしく読ませていただきました。みなさんそれぞれにお忙しい面々ばかりですが、ぜひ実現させてくださいね。

この間、それなりにいろんなことがありました。いったんパソコンから遠ざかってしまうと、なかなか向き合えない状態になってしまって、記録として残しておきたいこともつい落としてしまいがち。いくつかのことは後追いながらメモしておくべきでしょうね。
その1つは今月7日の地域自主防災会の「防災班リーダー・サブリーダー説明会」。自主防災会役員会が「満を持して」実行に移した企画で、今後の防災の要ともなる組織づくりの第1歩です。
比較的地域の結びつきの強い田舎町でも、いざ大規模災害が発生したとなると、どうしたらいいのかわからない、どう避難したらいいのか分からないとなる。家屋が倒壊したり道路が寸断されたりしたら一人暮らしの高齢者などはひとたまりもありません。
そこで、震度6弱以上の大地震を想定して、発災時には助け合いの「班」を組織、お互いの安否確認、救助・救急活動、避難経路の確認と避難の誘導などを行うことにしたのです。その活動のためには班のリーダー、サブリーダーの役割が決定的。普段どのような活動をするのか、また発災時にはどうするのかをまずきちんと理解しあい、その上で訓練を重ねる。
もちろん、何かがあったときには絵に描いたようにはならないだろうけれど、準備しておくに越したことはない。それが白馬での神城地震の教訓であり、各地の大地震の際の教訓だったのですから。
全部で18班のうち、ごく少人数の班を除いてすべての班から正副リーダーが参集。意識の高さを示す会となりました。
私が原案を用意したパワーポイント映像を使って事務局長が防災班の意義と活動について説明。その後活発な意見交換を行いました。災害が多発している昨今の状況を反映して「何しろ一度(訓練を)やってみないことには」という積極的な意見がその場の雰囲気を代表しているように思えました。
おそらく、こうした一つ一つの取り組みがいざというときに大きな力を発揮するのでしょうね。とにかくニュースをしっかり作って頻繁に各戸に届けること。意識を高めるとともに情報を共有し合うこと、その役目を果たせるようにしっかりやらねばと思っているところです。


遡って今月3日。塩尻市市民交流センター(えんぱーく)で開かれた、長野県長寿社会開発センター主催の助成金プレゼン。これは、センターが中高年が地域貢献活動を援助するために助成金を交付するために開いたもので、申請団体が活動や助成金の使途についてプレゼンテーションを行い審査するのが目的。
この日のプレゼンには塩尻会場では6団体が思い思いに活動を紹介、その後は審査員の厳しい質問が待っています。
我がバラ愛好会の助成金申請は3年目(最終)になるので、審査にあたった方々もよく分かっており、概ね良好な対応でした。きっと満額の助成金が交付されることでしょう。
プレゼンの時間がわずか10分ですので、要点しか述べることは出来ませんでしたが、私たちの主張したかった眼目はなんと言っても「住民が自分たちの意志で集まり、地域でのバラ園づくりにとりくんでいる」ということです。
往々にして行政の力にたよったり、助成金のあるうちは活動できるが切れると活動も停滞ということではなく、あくまで活動をより豊かにするために助成金を必要とするという点は特筆すべきことでしょう。
交流会の中でも参加者のコメントには「ぜひ見に行きたいです」というのが圧倒的に多かった。これからも心してしっかり活動していかなければなりませんね。




昨日、1ヶ月ぶりくらいにバラの会の定例作業を行いました。というのも、このところ木曜日になると雨に祟られてずっと作業ができなかったのです。そのために園内は終わった花が惨めな格好になり、草は伸び放題。悲惨な状態になっていました。私自身はその前日周りの草刈りを行い少しは貢献出来たかと思うのですが、それも広い園内からすればほんの一部。これから少しずつ夏場の手入れをやっていかないといけません。
昨日は10数人が集まって盛況。この前から参加してくれているボランティアの方も加わり、あとのお茶会も賑やかでした。久しぶりにバラの会らしい作業風景になってうれしかった。




  7月12日(木)
久しぶりの更新。2週間も間が空いてしまったのですから、お読みいただいていた方には、このブログから遠ざかってしまうに足る時間ですね。申し訳なく思っています。
体調は相変わらず。以前と比べて外に出ることが少ないので、それなりに時間はあるはずなのですが、時間があるからとパソコンに向かえるというわけではありません。

広島、岡山、愛媛など西日本一帯を襲った豪雨による被害状況をずっとテレビや新聞で見ていて、既視感にとらわれています。水が家々や施設などを破壊したり押し流したりして人々の命を奪う構図は3.11に一見似ているようで、根本的に違うのは想像を絶する土砂の堆積。
泥とたたかうにはきれいな水が必要なのだが、飲み水は確保できても復旧に必要な水が全くない。ボランティアが現地に入りたくても、道路が寸断され、かろうじて普及したところも大渋滞に見舞われてたどり着けない。
何かできることはないかと鈍った頭をひねっても、被災地の実情や遠隔地であることを考えると如何ともしがたい自分が情けなくなります。

昨日整形を受診。以前と変わらない状態になってしまっていることを率直に告げると、主治医も前回の私の話から想像はしていたようで、MRI画面をさぐりつつ、「そうなると他の可能性を考えないといけないですね」と申し訳なさそう。
狭窄は基本的に解決していることは素人目の私にも分かりますから、おそらくどこか特定の場所が悪さをしているのでしょう。1つの可能性として合意したのは、これまで考えていた狭窄の箇所とはことなる、もっと上部の脊椎の間。そこは1年前にはヘルニアの症状があったけれど現在は消えているところで、足の痛みがあるとすれば可能性としては考え得るというので、次回(17日)にはその箇所のブロック注射に挑戦してみようということになりました。こうなれば、1つずつ可能性を潰していく他ありませんからね。
私からは「負荷をかけてひどい状態になったところで診察をするというのはどうでしょう」と提案し、それも視野に入れることにはなったものの、難点は少し休んでいると症状が改善すること。診察のタイミングに合わせられるかどうかということです。



  7月1日(日)
昨夜から隣の集落で「ホタル祭り」が始まったために、我が家の前はシャトルバスや乗用車が頻繁に通り、ホタルもびっくりという賑やかな状態になっています。このごろフワフワ飛び回っていたホタルも車の明かりに驚いたのか、ずっと山の方に移ったり我が家のベランダにとまって明滅している様子。
飼い猫のハルちゃんも普段と違って、にわかに騒々しくなった辺りの変化に何かを感じたのか、外に出てまわりの様子をうかがっている様子。いくら呼んでも遅くまで近くをうろうろして帰ってきませんでした。

沖縄の母は、食事があまり喉を通らなくなったと妻が心配。今日沖縄に出かける予定にしていた妻の妹は、台風のために飛行機が明日になったということで、ともかく妹が向こうに着いてから様子を見ながらどうするかを判断しようということにしています。

「ホタル」といえば、若い人はサッカーの山口蛍君を思い出す人が多いのかもしれませんが、私にはまだ小学校に上がる前、私の記憶が形成されはじめた家で見た無数のホタルがすぐに目の前に浮かんできます。
そのころ私は疎開先から連れ戻され、再建された家で「何も知らずに」遊び暮らしていたらしい。1945年8月2日の富山大空襲からわずか数年しかたっていない富山市中央部は、極めて短時間に普通の家々が立ち並び、幼い私の目にも数年前に市街地が全焼したなどという片鱗も感じることはできませんでした。それくらい復興は迅速だった。どうしてそんなに素早かったのか今もって不思議でなりません。
もとにかく家を再建するのが先でしたから、おそらく元あったところにそのまま建てたのでしょう。すぐに「戦災復興都市計画」とやらで、我が家はすぐ近くに「曳き移転」させられることになったのでした。それまでは、市内中央部と言っても農業用水あり、畑ありでのんびりしたものでした。私のホタルの記憶はそのときのもの。
寝ていると、何かの弾みに昔の記憶が引き出され、次々と連鎖反応を起こして収拾がつかなくなることがよくあります。ホタルの記憶もその1つです。これまでも何度か書いたことがありましたっけ。

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私のこの日記、書き始めてから15年目の後半に入ります。15年で一区切りですから、そろそろ終わりにすべきなのかなと思い始めているところです。
独自ドメインとレンタルサーバというのは、母が存命中でそれなりに金銭の自由がきいたときのやり方でしたが、母もとっくに亡くなり年金生活になって久しいこの頃は、結構生活も大変というのが最も大きな理由。
この点から言えば、ブログとかFBとか別の方法への切り替えもその1つかもしれません。いずれにしても、これまでのようなやり方がそろそろ行き詰まっていることは間違いない。
第2は、そもそもこのホームページの立ち上げは、家族をはじめ近しい人たちに私たち夫婦の近況を伝えることが目的でしたから、その役目はほぼ終わりつつあるのではないかというということ。
だんだん、政治ブログに近い状態になってしまい、それはそれで私の一面ですからいいのですが、どうしても書くことそれ自体が目的になってしまうことに。書くにはそれだけのエネルギーがいりますから、そのエネルギーが枯渇してきたことも理由に入るかもしれません。
そうはいっても、私たちの生活を気遣い、こんなブログでも目を通してくださる方がいらっしゃるということからいえば、なかなか閉鎖するところまでは踏み切れない現状でもあるのです。
妻は、私が入院する少し前からほとんどパソコンの前には座らなくなり、忙しさもあって現在中断したまま。それなりに水を向けるのですが、なかなか・・・。
そんなこんなで、正直どうしようかと思案しているこのごろです。




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