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  1月30日(水) その2
沖縄の基地問題を見ていると、かつてならば米軍が銃剣とブルドーザーで住民をほしいままに蹂躙できたけれど、現在はそんなわけにはいかない。県民の不屈のたたかいが、さまざまな曲折を経ながらも一歩ずつ前進していることを感じます。辺野古新基地建設の可否を問う県民投票もしかりです。

権力が思うようにできないときにとる手段は「アメとムチ」と相場が決まっている。IT関連の技術がすすんだ今日では、それに一部住民の取り込みによるウソとデマという手法が現れています。
情勢が緊迫してくると、彼らの出番がやってくる。「住民の取り込み」と書きましたが、実際には「(とりあえず今は)役に立つ」プロパガンダの”専門家”がいて、住民の不満やいらだちにつけ込んで、一部の住民を引きつけているに過ぎないのです。バケの皮が剥がれるのは時間の問題です。
このところの首長選挙や県民投票をめぐる状況を見るにつけ、そのことが面白いように見えてきます。本土の住民の目にはほとんど見えないけれど、いざ重要な局面になれば、こちらだって同じような手法で住民分断が持ち込まれることは明らか。沖縄の出来事は決して他人事ではないのです。

県民投票をめぐって沖縄自民は迷走のあげく、県連会長の照屋守之県議が県連会長の辞任を表明して辞表を提出したと伝えられました。当のご本人が3択にしろと言いながら、それが県議会で提案されると「いずれにしても県民投票をする意義、そのものが3つの選択肢にすることによって薄まっているような気がしますよね。反対の人は、反対ですからね」(琉球朝日放送)と、まさに「県民投票阻止」のホンネを恥ずかしげもなく披露。こんな人は県議も辞めてもらわなければなりません。

1月12日には、「県民置き去りの県民投票〜私の郷土愛、祖国愛」と題する自民+ネトウヨ+カルト大集合の「大リレー演説大会」が開かれました(ネットでチャンネル桜が録画をアップ)。
弁士を見ても、もはや驚かない。こんな低レベルの人物たちしか集められないことを天下に公表したシロモノだからです。
その中にはちゃんと照屋守之・自民党県連会長がいるし、例の文書配布事件の張本人自民党衆議院議員の宮崎政久もいる。これらがどんな人物か、沖縄の人たちなら大抵は知っているはず。本当に呆れるほどの魑魅魍魎メンバーですからね。
この「ウヨウヨ大集会」の主宰者の仲村覚なる人物が、靖国神社の境内から「沖縄戦で散った英霊の志を引き継いで沖縄を守る決意を届ける」という触れ込みでメッセージを読みあげているところがYouTubeにアップされていました(もっとも217回しか見られていない。自分で何度も見ているのかな?)。
このメッセージ、聞くに堪えない(いやもう吹き出してしまいます)ものですけれど、私に言わせればこんな低劣な人物が県民投票阻止に担ぎ出されている(有用性があるんでしょうね)こと自体、どれほど安倍+基地利権に群がる勢力の側が追い詰められているかの例証ですね。
もともとこの人物は沖縄が中国の植民地になるという妄想の持ち主で、県民投票はその露払い=琉球独立工作が目的=だと思いこんでいるのだから救いようがない。

もと沖縄自民党の重鎮だった故翁長知事ら自民党「本流」を排除したあと、中央直結となった沖縄自民はネトウヨやカルト集団などとの結びつきを一層強めて、ウソとデマ、誹謗・中傷宣伝にやっきとなっている、それが現在の沖縄県議会の一部に現れているだけの話です。
まるで沖縄住民の隅々にまで亀裂が入り、混迷を深めているかのようにメディアが流すとすれば、それは自民・ネトウヨ・カルト連中の術中にはまり込む結果となってしまいます。本質を見失わないように気をつけたいものです。



  1月30日(水)
病院や高齢者施設などでインフルエンザが猛威をふるい、死者がでるほどの勢いだといいます。
先日も近くの総合病院に入院した知人が面会禁止になり家族も会えないとぼやいていました。今のところ私はほとんど外に出ないので感染する可能性は低いのですが、妻はしょっちゅう出払っているので、持ってきてもおかしくない。予防注射はしていないので、さて今年はどうなるか。

私の今日の仕事は、パソコンにたまりにたまった写真や書類を別のハードディスクに保存。何かの時にはハードディスクだけ外して持って行けるように保存しなおしました。これまではいい加減に保存していたので、一度すべて消して(フォーマットし直して)改めて、写真、メール、音楽ファイル、重要書類などと分類してきちんとバックアップ。全部合わせると250GBほどもあります。ITBのハードディスクの1/4くらいの量ですから相当なものですね。
NECのPC98の時代は別として、私がマックに出会ったのは登戸の職場でたまたま一緒だったMac使いの人から手ほどきを受けたとき。多分1995年くらいだったのでしょう。PowerBook520Cが最初のマシン。はじめは全く使いこなせず、ファイルがどこに行ったのかわからなくなって新宿まで聞きに行ったほどでしたから、音痴ぶりは相当なものでした。
それから程なくしてパソコン・オタクになるきっかけがやってきます。520Cは68kという古いタイプのCPUで、当時新しいPowerPCへの移行期にあたり、520CをPowerPC化するためのカードが発売されたのでした。
Mac使いの知人から強力に勧められて高いドータカードを挿したまではよかったけれど、OSを入れ直さなければならないはめに。何から何まで初心者だった私が、来る日も来る日も悪戦苦闘しながらOSを入れ直す作業をするなかで、パソコンの仕組みを学び、OSについて勉強し、それから1年ほどで見違えるようにマックのことが分かり始めた。
デジカメも買って、写真を取り込むことも、ようやく普及してきたインターネットを使ってメールを送ることも、出来るようになった1990年代の終わり、画像はそのころから撮りためたものですから、約20年分。
今ではスマホで撮ってはネットにアップしたりネット上で保存したりするんでしょうが、パソコン黎明期からの古いユーザーにとっては、やはりハードディスク上の写真は貴重な財産。いずれ主なものを印刷してありバムにしたり、「遺影」代わりにしたりしなければなりませんしね。こいつが無くなると、私の半生が否定されたようなものになりますから、大事です。
というわけで、今日はバックアップ・デー。パソコンの中にある2台のHDDと、今日保存した外付けのHDDと都合3台、念には念を入れてデータを確保。



  1月29日(火)
古いPowerMacに電源を入れてしばらくしたら、「ピンポ〜〜ン」とかわいい音がして「お誕生日おめでとうございます!!」というメッセージが。妻以外にそう言ってくれるのはおまえぐらいかと、ちょっと古いマシンがいじらしくなりましたね。
もちろん、そのあと妹や息子からの電話やメールがありましたから、Macだけではありませんでした。念のため。
妻は午前中長野に出かけていて、ちょっと帰ってまた豊科方面に出かけて明日昼頃まで不在。よって私はハルちゃんと静かに留守番をして過ごしておりました。
本当は、今日はリハビリの日だったのです。昼頃バラの会の総会案内号の原案をつくって役員に配っていたら、すっかり忘れてしまい、気がついたらもう時間が過ぎてしまっていた。妻から先日「よく忘れるねえ」と言われたばかりだったのに、またやってしまった。
物忘れというより、何かに集中していて別のことが考えられなくなるということなんじゃないかと言い聞かせているのですが・・・。寒くて家の中に閉じこもっていると曜日の感覚がなくなってしまいます。それも一因かも。

知人がときどき沖縄の新聞を送ってくれて、今日そのお礼を兼ねて電話していたら、いちおう全県で県民投票ができるようになったとニュースでは報じていたけれど、一部の市長がまだ抵抗していて2月24日にそろって投開票できるかどうかわからない状勢だということでした。
その後、県議会でも5人の自民党議員が反対し、全県で実施できるかどうか不透明というニュースも。それほど県民投票を恐れているということの裏返しでしょう。抵抗すればするほど、県民からの批判が高まるのは必定ですから、安倍直結自民のみなさんは県民の怒りの強さを思い知ることになるでしょう。



  1月27日(日) その2
昨日土曜日には辺野古キャンプシュワブ前で「県民投票キックオフ集会」がひらかれ、約3000人が結集したと報道されていました。写真上は沖縄タイムス辺野古取材班、下は名護共同センター




安倍に近いと言われ県民投票の実施を拒否してきた沖縄5市(沖縄、うるま、宜野湾、宮古島、石垣)の市長も、全県での県民投票の実施を求める県民の声に「3択」での実施に態度を改めざるを得なくなり、いよいよ沖縄のたたかいは正念場を迎えます。
県民投票で辺野古新基地建設に反対する民意を明確に示すことは何より重要ですが、取り扱い事務の拒否を続けてきた5市長の姿勢に厳しい審判を下すこともまた重要。

工事現場では、大浦湾側への新たな「護岸」工事を今春までに進めることが明らかに。北上田さんのブログでも詳細に書かれているように、これは遅れに遅れている埋め立てのために土砂の陸揚げ桟橋として建設されるもの。護岸の体をなしておらず「環境保全図書の無断変更」を強行しようとするもので、なりふりかまわない防衛局の姿を示すもの。


沖縄県が、これ以上違法無法な工事のやり方が続けば2度目の撤回も視野に入れざるを得ないと表明したことも頷けます。
1月25日には、全国の憲法研究者(賛同者131人)が辺野古新基地建設反対の声明を出しました。全文はこちら
ホワイトハウス向けの署名も20万筆を超えて21万筆まであとわずか。署名活動をはじめたロバート梶原さんのもとにホワイトハウスから21日に手紙が届いて「あなたのメッセージを慎重に検討している」(We are carefully reviewing your message.)と書いてあったということ。
追い詰められているのは安倍政権。さらに安倍を追い詰めましょう。



  1月27日(日)
昨日は「こどもじゅく」の日。推薦入試に合格した子の母から主宰者Kさんのところに「良かった。息子は、先生から聞いて嬉しくて泣いてしまったそうです」とメールがあったとか。「こどもじゅくがなかったらここまでこれなかった」と以前にお母さんから聞いていたという話も。
ほんの直前に私が面接の練習をしたこともあって、喜びもひとしおです。
生活の苦しい時期を母親が支え、小学4年生からこどもじゅくに来ていた子ですから、私にとっても嬉しい限り。みんなの応援があってここまで来られたという体験が、きっとこれからの生活の支えになるでしょうね。

昨日、松本から帰ってくるときに、松本では雪の気配など全くなかったのですが、池田に近づくにつれて雪が強くなり、明日までちょっと積もるかなという空模様になっていました。
夜には行きも止んで今度は強い寒さが押し寄せ、今朝表を見たら素晴らしい快晴。外に出てみると目が痛い。新雪に照り返す光は強烈で、家に入るとまだ光が目に残っていてものがうまく見えない。
気温が低いので、1、2センチの雪は全く融ける気配はありません。白い雪の上を歩くギュッギュッと小気味のよい音が足下から伝わって、これぞ池田町の冬という感じです。久しぶり。

火事の現場は昨日から重機が入って片付けに取りかかったようす。この寒さと雪でなかなかはかどらないだろうなと心配です。本人に聞いたところでは、幸い暮らしには影響が少ないので、もう少し落ち着いたところで片付けなどに取りかかりたいと話していました。






2月から始まるアルバイトのために、先日からかかりきりになっていた数学の問題づくりにようやく決着をつけて、プリントアウトも何とかうまくできてホッとしたところ。前にも書いたように、古いマックで作業をしておりプリンタも今から20年ほど前のものですから、だましだまし動かして何とか有終の美を飾らせました。
日進月歩のコンピュータや関連機器はすぐに古くなるので、企業はそれで儲けているのでしょうけれど、使う方はたまらない。

私は、数学の問題を作っているMacOS9のマシン(PowerMacG3MT)と、主に音楽ファイルを扱うスタンド型のiMacG4(OSX10.4)を動かしていますが、今も元気に動いてくれているのでうれしい。
数学プリントを作っているPowerMacの方はいつ壊れてもおかしくないので、iMacにOS9の環境をつくろうと昨日からとりかかって、またまた熱中症(コンピュータに熱中する病い)の症状がでてしまった。
iMacにはUnixの一種を土台にしたOS9の時代とは全く別のOSが入っているので、OS9時代のソフトを動かすことは当然できません。そこで、アップルは仮想空間をつくってそこでOS9を動かすNetBootという手法でOSX上でもかつてのアプリが動くようにしたのです。
それもOS10.5からはできないので、このiMacがOS9と共存できる最後の機種というわけです。

ところが、今から10年以上も前の技術ですから、ネット上でもソフトのダウンロード先もトラブルシューティングの情報も極めて少ない。あれこれ探しまくってソフトをゲット。インストールは簡単なんですが、それにOS9で動くアプリを入れようとして、完全に行き詰まってしまった。
OS9で多用していたNisus Writerが起動直後に不明のエラーで起動ストップ。他のソフトを入れようとするとイメージHDの容量が足りませんというメッセージ。
ここでは、専門的な話は書きませんが、今朝もう一度最初から@イメージディスクの容量を2Gまで増やし、A古いバージョンのNisusWriterを入れてみたら、何とかうまくいきました。
これでiMac上でOSX10.4とOS9.2.2の2つが動いていることに。あとは、いろんなソフトを入れてうまく動くかどうかを検証すること。インターネット関連は全く必要ないので、古いソフトを動かすことができるかどうかだけが問題です。



  1月23日(水)
午後4時頃、うとうととしていたら携帯にメールが。何気なく見ていたら火災速報で、「会染Hさん付近で火災」という知らせが。「Hさん付近といったらここらじゃないか」と妻に告げたら、妻がさっそく窓を開けて外を見てびっくりした声。「Hさんところが燃えてる!」
私も飛び起きて外に出ると、Hさんの木工作業所がものすごい炎に包まれている。奥さんはたまたま病院に入院していて不在は知っていたけれど、旦那の方がいるのかどうか、ともかく病院に連絡をしておこうと電話を入れました。
私たちが窓を開けると同時に消防車が来て消火活動を開始、本人は無事だったようだし、何とか住まいの方に延焼するのは避けられた(一部は火が回ってた)ようで、それだけが救い。
あとから聞いた話では、作業所のストーブに火を入れてすぐ隣にある住まいに行っている、そのほんのわずかの間に出火。たまたま通りがかった知人のRさんが戸をたたいて「誰かいないか」と叫んではじめて本人も気がついたということでしたが、そのときはもう手がつけられない状態。
一日繰り上げて退院してきたというHさんの奥さんが夜挨拶にきて「日頃から旦那に火の扱いだけは気をつけてと言っていたのに」と残念そう。「住まいがほぼ無事だったからよかったじゃない」と言うと、「それでも家の中はびしょ濡れだし・・・、電気が一部使えるし台所も大丈夫なので」と住まいは続けられるような印象でした。
第1発見者のRさんも「警察の事情聴取が長くて・・・」と大変そう。一度家に帰って子どもの世話をしてからまた事情聴取の続きがあると出かけていきました。警察は事件性がないかどうかを含めて、相当に詳しく事情を聞いているらしい。
いずれにせよ”火の用心”。火事は本当に恐ろしい。ほんのちょっとの不注意で大変なことになりますからね。
写真も動画も撮ってありますが、あまりに生々しくご近所なので、アップは控えます。思い出になった頃にアップできるかもしれませんけど。
そうそう、電話回線も光回線も火災の影響で燃えてしまい、現在修復作業の最中のようで、午後8時になっても接続できません。あ、いや、少し遅いけれどなんとかつながった。
現在NTTなどが来てライトをつけて急ピッチで復旧作業にあたっているようです。寒いのにお疲れ様です。



  1月22日(火)
夜半から雪になり、今朝は下の写真の通り。今冬一番の積雪です(といっても4〜5センチくらい?)。おかげでそれほど寒くない。


日差しがあればすぐに融けてしまうほどの雪ですが、山のむこうは相当にふっているのだろうなと想像されます。



  1月21日(月)
センター試験が終わって、受験生のみなさん悲喜こもごも、希望する大学の出願をどうするか頭を痛めているのではないでしょうか。
娘と孫は、ようやく誕生日のお祝いができる(二人とも同じ日が誕生日)と、ご苦労さん会を兼ねて焼き肉パーティーをしたみたいでした。まずはお疲れさま。そしてあらためて誕生日おめでとう。


昨日、速報で問題がネットにアップされると同時に私も数学やってみましたよ。全問正解と意気込んでみても、いやいや大変です。なんだか頭の衰えを実感させられたような・・・。
問題によって、難易度の差が大きく、なんでこんな簡単なものをと思うものもあれば、どうしてこんな変な出題をするのかと思うようようなもの(例えば巣学TAの整数や数学UBの数列)もあって、さぞ受験生は戸惑ったことでしょうね。
前から書いているように、時間内で処理できる能力というのは人間にとって副次的なもの。じっくり構えて解決することが極めて重要な局面はいくらでもあるし、そっちの方が大事になることもある。
人間すべてが瞬発力や直感力を持ち合わせているわけではありません。せめて難易度はこのままで時間を90分とすべきです。そして、受験生と同時に全国の教員が同じ問題を同じ時間でやってみるといい。なぜ学校からそうした批判の声が上がらないのか不思議でなりません。
おまえはどうなのか?ですか。わたしゃ、もう完全なる引退老人ですよ。頭もぼけて運動能力も極限まで減退。それでも全国の受験生を応援して、我が身を削って毎年受験生と同じ気持ちを味わっているのです。ええっ?おまえはボケ防止でやっているだけだろう?それでもいいじゃありませんか。

パソコンで数学の問題を打ち込もうとすると数式ソフトが欠かせません。TeXでやるほど専門的でもないし、さりとてWindowsのワードには数式を挿入する機能があるのですが、めちゃくちゃ使いにくいし、何と言っても図形との連携が全くダメ。
そこで使い慣れた古いMacのワープロとMathTypeを使って、今もなお仕事をしているというわけです・・が、問題が2つ。
1つは、OldMacがいつ壊れるか、2つはOldMacに対応するプリンタがない。
まず持っていたエプソンPM2000はすでにご臨終でスクラップ。次の複合機PMA850は文字がかすれて何度も掃除をしなければうまくいかない。パソコンマシンそのものは思い入れのある懐かしいもの(東京時代に活躍していた)で、ソフトも充実している。
あと、10年もたせるために、オークションサイトでいい掘り出し物がないかと探しているのですが、これがまたジャンク品ばかりでどうしようもないときている。そんなこと早く諦めて、数式を打ち込むなどということは辞めたら??そうね・・・。



  1月19日(土)
沖縄の歴史を裏側から持ち上げてひっくり返し、さらにもう一度ひっくり返したような「ものがたり」。若者の汗や涙、息づかいが行間からこぼれ落ちてきそう。
コトバが沖縄の土と岩を鷲掴みにし、空中を跳ね回る。かと思うと、凪いだ浜辺のサンゴ砂やひそかな拝所(ウガンジュ)の静寂をも漂わせて、人々をその場に誘い込み釘付けにする。
小気味よいテンポで繰り出される独特の節回し。ホントにあんたヤマトンチュかよと言いたくなるほどのリズムを持ち、沖縄の歴史の襞を捲りあげていく。
沖縄の歴史を縦軸方向に10倍くらいに引き延ばしたくらいの濃密さで描いた(?)沖縄「戦果アギヤー」のものがたり=「宝島」を昨日からほぼ二日がかりで読み終えました。
息も継がせないように展開する「ものがたり」は圧巻の一言。学生時代に大学にいくことも忘れて夜通し読み通していた「橋のない川」以来かな。そういえば、コザ「騒動」は大阪での米騒動を描いたシーンと重なっていたし。
ウチナーグチは分からないコトバの方が多いけれど、なじみの言い回し、節まわしも多いので私には胸に刺さるコトバが多かった。しかし、表面しか知らないほとんどの人にとっては、場合によっては読みづらくリズムをくみ取ることは難しいんだろうなとも思う。しまくとぅば(島言葉)として読み下していかなければ、ぎこちない部分もあるし。そこは割り引いても、言葉の魅力を存分に知らしめてくれる作品であることは間違いない。
「聞くものたちの”容れ物”の質や容量も試されている」というのは、ひょっとしたら我々のことを暗示しているのかな?そうだとしても、テレビで作者の真藤さんが語っていたように、この作品を通して沖縄のことをもっと知ってほしいという願いに是非とも応えたいものです。
何より、沖縄の歴史にアウトローの側から光を差し向けた希有な「ものがたり」だから、沖縄を知らない若い世代には興味津々で読めるかも。是非手に取ってほしいな。ネタバレになるようなことは書けないのでこのくらいに。

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午後からは「現実」にもどって、バラの会の今年の総括(会計を含めて)と来年度の方針づくり。こうした仕事って、 「ヨシッ」と思わないとなかなか出来ない。グズグズしながらもう何日も経ってしまったので、ここいらで覚悟をきめて作業にとりかからないと役員会に間に合わないのです。困ったものです。
下は昨日の朝、我が家の前からのけしき。毎朝氷漬けの日々です。





  1月16日(水)
沖縄辺野古では、「3月にも辺野古側の2カ所目の区域に埋め立て土砂を投入する方針を固めた」と今日の新聞は報じていました。
ところが、現在の埋め立て工事でも、実に様々な違法性や疑惑が指摘されているのです。(写真は沖縄タイムス12月20日)


その第1は、投入されている土砂の質。計画の岩ズリとは相当に異なる赤土を多く含んだ土であること。
第2は、その値段が1社だけの見積もりで決められ、その材料費(岸壁渡し単価)が「5370円/?というのはあまりに高額である」(北上田氏)ということ。これは沖縄県内の土砂の搬入で全体の3割ほど。残りの7割は「小豆島、北九州、天草、五島、奄美大島等の西日本各地」から搬入(北上田さん)するというのですから、全体で数千億円に上るのではないかと試算されるというのです。地方の土地を荒らした上で、土建会社だけに儲けを蓄積させる「利権の構図」が浮かび上がってきます。
3つめは、2013年の埋め立て承認を求めるの文書では、「岩石以外の砕石や砂などの細粒分を含む割合」を「概(おおむ)ね10%前後」と明記していたが、県の承認を受けずに2017年「細粒分の割合を『40%以下』として業者に発注していた」というもの。 (括弧内は主に東京新聞
第4は、相変わらず違法ダンプの横行。指摘を受けて沖縄総合事務局が是正の「指導」をしているというものの、全く効果はなし。ダンプ所有者も沖縄防衛局も聞く耳を持たず、現地で警察と防衛局は違法ダンプを守り、抗議する市民を排除することに熱中しているという逆立ちの状態。全くの無法地帯、放置国家です。沖縄県が再度の埋め立て承認撤回を検討中というニュースも頷けます。

その沖縄で、辺野古基地建設の是非を問う県民投票が迫ってきていますが、5つの自治体で住民投票が行われないというあり得ない状況に。
先日から、自民党の議員が保守系議員の勉強会で県民投票への反対を呼びかけ、その直後から沖縄の自治体での住民投票妨害の動きが活発化したことが分かったというのです。
その自民党議員というのが、長野県出身の宮崎政久なる人物。弁護士で研修先に選んだのが沖縄であったというのがきっかけで沖縄県民の一人となったのですが、思い出すのは下の写真。


2013年11月自民党本部に呼ばれた5人の衆参国会議員が石破幹事長(当時)との会談直後、それまでの普天間基地の「県外移設」としていた公約を投げ捨て、自民党本部に屈服した「有名な」(沖縄県民にとっては屈辱的な)写真です。宮崎政久議員は右から二人目。
市町村議員などを対象とした勉強会で彼がやったのは、「予算案が否決された事実を前に、これに反して市町村長が予算案を執行することは議会軽視であり、不適切だ」「議会、議員としては県民投票の不適切さを訴えて予算を否決することに全力を尽くすべきである」などと書いた文書を配布したこと。これには、市町村議会で「問題提起を行うタイミング」なども記されており、自民党本部からの指南書と受け止められてもおかしくないものです。
当の宮崎議員は今日の釈明会見で「勉強会はいずれも地方議員主体の開催で、私が県民投票に反対を説くために開催したわけではない。ましてや私が何かの点数稼ぎのために開催したものでもない」と語っていますけれど、そうでないことは文書そのものが語っています。
また、「資料の内容は、県民投票不参加を表明する5人の市長の見解や、県民投票に反対する議員らのこれまでの論陣の大部分と重なる」と琉球新報が報じているように、実際の指南書としての役割を果たしてもいるのです。
宮崎議員は、「議会で否決された事実を前に、これに反して市町村長が予算案を執行することは議会軽視であり、不適切である」として、地方自治法にその根拠があるかのように描いています。木村草太氏は「県民投票の事務処理拒否は、憲法上も問題がある」と指摘して明快に反論。また沖縄県弁護士会も会長声明で次のように訴えています。

県民の負託を受けた沖縄県議会において可決・成立した法令である。市町村首長の判断で同法令に基づく投票事務が行われないことは、このような民主的プロセスを経て制定された法令を市町村首長の判断で無力化し、その結果、一部の県民から県の意思形成に参加する機会を奪うものであって、決して許されるものではない。また、同じ投票資格者でありながら、たまたま居住している地域によって投票できる者とできない者が生じることは、法の下の平等の見地からも、極めて不合理というべきである。

この宮崎義議員、彼がどのように釈明しようと、自身のツイッターで「使命感に燃えて」こんな書き込みをしているのですから、○○丸出しです。

そんな彼に寄ってくる(彼が寄っていく?)人物は、ほとんどが極右人物かネトウヨ連中。こんな事実が明らかになってくれば、誰が何のために県民投票を妨害しているのか、白日のもとにさらされてくるでしょう。



  1月14日(月)
昨日で受験生相手のお勉強はおしまい。松本行きはしばらく「こどもじゅく」だけになります。
この間、防災ニュースの原稿づくりにかかりきりになっていて、ほとんど一年分の草稿を作成しました。シリーズ物なので、前後の関係が大事だから一気に全体を通したものにしておかないといけないからです。
プレートテクトニクス、フォッサマグナ、糸静構造線、中央構造線、伊豆半島衝突・・・などと話が大きく、次々と疑問がでてきて、そのたびにいろいろと調べ物をしていると果てしがありません。
初めて知ることも多く、収穫はそれなりにあるのですが、さて、それを地域のみなさんが読んでわかるようなものにするとなると、これはまた別の話。
池田町の友人に地質学の専門家がいて、今日の午前中わざわざ家に来てくれ、2時間ほどみっちり地質や地震の話を交わしました。私の原稿を見てくれ監修者になってくれることになったので、ようやく地域防災会の役員会に提案することができます。

フォッサマグナが北と南では形成過程が異なるというのは、調べている中で初めて知ったことです。これまでは何となく漠然と「昔海だったでかい溝がうまったもの」という程度しか認識がありませんでしたものね。
フォッサマグナ北部の私の住む地域は、何層もの分厚い堆積層から形成されており、最も深い地層から上に行くにつれて次第に深海の堆積物、さらに浅い海の堆積物になり、ついに陸上での山からの土砂などで形成されているということがわかっているそうです。
そこに、東南方向からのプレートの圧力によって長い断層帯が形成され、まだ動いている途中だというのですから、気の遠くなるような話です。
池田町の私の住んでいる高台から下の平野部にかなり急な崖がありますが、どうやらそこはかつての逆断層で出来た斜面。現在の東西方向の断面は下のようになっていると、今日話をしたMさんが教えてくれました。




一方、フォッサマグナ南部は、プレートに乗った伊豆半島の元の島が本州西部の端に衝突、フォッサマグナの片方を塞ぐ形で陸地にめり込んでになったのです。すでにこのことはいろんな場面で書かれたり紹介されたりしていることで、私が知らなかっただけ。
場合によっては複数の島が次々と衝突したのではないかとさえ考えられており、丹沢山地もその1つの可能性があることが解説書に書いてありました。これには疑問視する研究者も。
フィリピン海プレートの動きがフォッサマグナ南部を形成し、北部はまた別の要因で形成されたというものの、まだ分からないことだらけのようで、地質学も大変ロマンに満ちた学問になっていることがうかがえます。写真はいずれも産業技術総合研究所のサイトから。




今日夕方、妻のところに「沖縄に現れた神の手」という雲の写真が送られてきて、私に「これ何だろうね」という。調べてみると、あまりにもあり得ない写真で、合成されたことは一目瞭然。それをチェーンメールよろしく送ってくるなんてどうかしていませんかね。
沖縄だからあり得るのかもなんて想像は、意識せざる差別ってもんでしょう。ネットには注意情報も出ていましたので、みなさんもご注意を。



  1月9日(水)
夕べからちらほら降っていた雪が朝早くから本降りになり、これは積もるのかなと思っていたら9時頃にはもう止んで、10時には青空が広がってきた。2,3センチの雪もすぐに融けてしまいそうです。
ハルちゃんは、外に出たそうにして戸を開けてくれと鳴いていたけれど、開けると外は寒いのでまた引っ込み、その繰り返し。いったんはでたもののすぐに帰ってきて布団に潜り込んでしまった。


私は昨日一日パソコンの前で防災会ニュースの原稿づくり。なぜ糸魚川・静岡構造線沿いが地震地帯なのかを日本列島の成り立ちから説き起こし、フォッサマグナの形成、プレートの運動などを解説しようとするシリーズものです。昨年私が準備した一連の原稿が「難しい」という批判を受けてボツになったので、心機一転「わかりやすくためになるもの」をコンセプトに書き起こしているのですが、問題が問題だけになかなか難しい。専門用語をできるだけ使わないで書こうとしても、正断層、逆断層などというコトバはどうすればいいのか。
幸い、池田には地質学の専門家がいるので、彼の助けを借りて画像や写真も多く使ってなんとか作り上げようと悪戦苦闘。私の仕事始めです。

ワシントン向けの辺野古国際署名がついに20万筆を超え、最終日の7日にはホワイトハウス前で呼びかけ人のロブ・カジワラさんなどが請願署名の内容を受け入れるよう求めて集会を開いたことが報じられました。(写真は今日の「しんぶん赤旗」)


署名をさらに広げようという訴えもあったようで、どうやらまだまだ続けることができるとのこと。6日にはクイーンのギタリスト、ブライアン・メイさんが辺野古署名をよびかけ、大きな反響を呼びました。美しい珊瑚礁の海、環境を守れという彼らしいよびかけです。
6日にはまだ18万筆くらいでしたから、一気に20万をこえ、現在は20万3556筆。


沖縄に滞在している友人(長野在住、沖縄には一時帰郷)と話をしていたら、辺野古基地前のとりくみはもちろん、現在は県民投票の成功に向けた全県の運動が続けられていると語り、とくに県民投票を実施しないと決めたいくつかの自治体に実施するようもとめる働きかけが強められていると話していました。
糸満市が予算再議の結果議長裁決で県民投票に参加することを決定したとのこと。予算が通らなかった自治体では、場合によっては、自主管理投票ということも考えられるがそれは最後の手段、あくまで世論を広げ、住民の権利として投票できるようにするために奮闘すべきでしょうね。
沖縄は暖かくてまだ半袖だそう。長野にいたときに出来ていたアカギレもすっかりよくなったと喜んでいました。平均20度くらいですから、沖縄はいい季節ですもんね。うらやましい。

「アベ・スガ」コンビのウソ八百が際立っています。

安倍:いま、土砂が投入されている影響がございますが、土砂を投入していくにあたってですね、あそこのサンゴについては、これを移しております
  → ウソ。移植していない

菅:(玉城知事の史上最多得票での勝利について)選挙はいろんな要素があって行われる。(民意は新基地建設反対だとは)一概に言えない。(新基地建設が)民意というが、宜野湾市長は玉城氏とは違う方が勝っている。名護市長も自民党が推薦した候補者が勝っている。

  → ウソ八百で自分で自分の首を絞めている。言っていることが支離滅裂。
玉城知事は、辺野古新基地建設反対を再大争点として訴え当選した。名護市も宜野湾市も候補者は「基地問題を完全に封印」、一切基地問題についての賛否を有権者には問わなかった。これって管氏の方針じゃなかったの?沖縄県民は、どんどんあなた方のやり方を見抜いていますよ。

土砂投入を強行したことで、辺野古基地問題は国内問題をはるかに超えて国際問題になってしまった。ホワイトハウスと米軍部が「安倍はもう持たない」と見切って、仮にアメリカの方針転換が示されたら安倍さんは一体どんな顔をするのでしょうかね。一刻も早くそのような状態を作るように奮闘しなければ。



  1月6日(日)
沖縄辺野古のキャンプシュワブ米軍基地前では5日に1000人規模の集会が開かれ、新基地建設反対の抗議の意志を示すとともに県民投票成功への決意を固め合ったと地元紙は伝えました。下は琉球新報取材班の写真。


集会では、ワシントンへの請願署名を提案したハワイの青年ともネット中継でエールを交換し合ったとも。
県民投票にむけてますます熾烈なたたかいになるでしょうが、追い詰められているのは安倍政権の方。何が何でも基地建設を強行してくるでしょうから、それに負けない運動を作り上げないと。



  1月4日(金)
今朝はマイナス9度と相当に冷え込み、空気は澄んで朝から雲量ゼロの素晴らしい快晴。日が高くなるにつれて北アルプスの頂きが一段とまぶしい。
午前中はちょっとのんびりしたあと、私は子どもたちの家族が帰ったあとの掃除やら洗濯やら。妻はキッチンの後片付け。2時頃ようやく終わって一息つきました。

次の写真、上から今朝の鹿島槍から白馬岳方面。朝早かったのでまだうっすらと赤みが残っています。
真ん中は昨日の朝の朝食後の団らん。下は、娘のFBにアップされていた孫とのお勉強の様子。わざわざ頭の薄いところに焦点を当てて撮るなんて・・・と言ってみたところで、現実なのだから致し方ない。何年後か何十年後か、こんなときもあったのだと、孫たちは懐かしく思いだしてくれることでしょう。









  1月3日(木)
昨日の朝はうっすらと一面の雪景色。気温が低いので今日はまだ雪は融けずに残っています。
狭い家に9人(+1匹)がひしめいて3日間。食事、風呂、トイレ・・・まあ、いろいろハプニングもありましたが、家族のフルメンバーが一堂に会するなんてめったにないことですから、記念すべき正月になりましたね。
私は今日3日が仕事初めで、午後3時間ほど高3受験生のお勉強を手伝ってきました。後片付けに忙しい妻は、私が帰宅する頃にはかなり疲れた様子。
ちょうど私が出発する時刻(正午)と前後して2組の家族が岐路につき、それぞれ無事自宅に到着したようでした。途中雪が心配でしたが、ともかく無事着いてよかった。






まだ後片付けが残っていますが、すべては明日。今日は早く寝ることにしましょう。



  1月1日(火)
みなさま、新年おめでとうございます。
相変わらず、めでたくもあり、めでたくもなしの正月ですが、今年は年末から高3の孫が「受験勉強」にやってきて、例年とは少々様変わり。
勉強の環境をつくってやらなければならないことはあっても、小さいときから「長野じいちゃん」「のりばあちゃん」と気軽に声をかけてくれて仲良くしていましたから、とくに普段と変わるところはありません。
31日から息子の家族3人が、今日1日から娘の家族(一人は受験生で我が家に逗留)が3人やってきて、いきなり9人となるわけで、こっちの方が大変。受験生の子もいる場所がなく、屋根裏に閉じ籠もって勉強せざるを得ないことになりそうです。
私は年末から大掃除、おせちの準備、松本でのお勉強、孫の学習のお手伝い(数学)と結構な忙しさ。腰の痛いのも忘れて・・というわけにはいきませんが、ともかく元気でこうして家族が集まれるのはやはりうれしい限りです。これから先何年こうした家族の集まりが持てるのだろうということですから。
ところで、息子・娘は、実家に帰る昔からの感覚でやってくるんですよね。その昔、私もそうでしたから。しかし、逆の立場になってみると、今は亡き父母はそれはそれはたいへんだったのだなあと思い知らされ、今更ながらその苦労を追体験中。

昨年12月は、畑仕事もほとんどなくなりそれなりに時間ができたので、とんでもない長い文をたくさん書いてしまいました。まあ、そんなときもあるのだと大目に見てください。
ブログに向かう時間がなくなった年末は、何冊かの本に刺激されていろいろ考えていたこともあるのですが、まとまって感想などを書く余裕もなく、年を越してしまいました。
落ち着いて机に向かえるのは、4,5日になると思われます。ちょっと間が空きますが、あしからずご了解を。ともあれ、本年もよろしくお願いいたします。




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