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  3月31日(日) 
一昨日、昨日と一浪する孫の激励のために富山に出かけ、そのついでに二人の頭の手入れをしてもらいました。
美容師をしている娘がシャンプーなどをプレゼントしてくれると喜んでいたら、「実は、育毛剤入りのシャンプーとリンスで実験台になってもらいたい。髪の状態を2,3週間おきに写真に撮って送ってほしい」というとんでもないおまけがついてきた。「では、頭のてっぺんと横からの写真撮るからね」とパチリ。
ここまでくると喜んでいいのか、悲しむべきなのか、大変複雑な気持ちでありました。そのお礼に孫には宿題と称して大量の数学プリントを置いてきたのでした。
帰りがけに魚を買ってきたのはいうまでもありません。黒部の市場にいくと、私の大好物の「ナマコ」がうじゃうじゃいた。しかもでかい。5個も買ってクーラーに入れたら重いこと。店の方は「そりゃそうでしょう、ほとんど水だから」だって。
酢の物にするナマコやホタルイカの塩から、鯖のへしこなどを買う物だから、よほど飲んべえかいなと思われたかもしれませんね。畑でとれた菜の花と一緒に昨日から食卓を賑わせています。

さて、3月も今日で終わり。巷では新しい元号を巡っていろいろとウワサが飛び交っている。どこでも話題になっているのが、きっと「安」の字が入るぞというもの。そりゃアベセージの世の中だから、絶対に入れたい文字でしょうし。
渋谷でアンケートをしたら第一位が「安久」だとか。いかにも古そう。3位が「安政」で6位に「永安」だとか。そんなのはドーでもいいことで、ともかく早くアベには辞めてもらいたいものです。



  3月25日(月) 
午前中からよいお天気で畑に出て草取りをしたり畝を作ったり。広い畑なので、やってもやってもキリがありません。
それでも一昨日はネギを一列植えて水遣りをしました。約400本。今年は自家製の苗なので、いくらでも植えることができます。
とはいうものの、ネギを植えるには深堀の溝や肥料が必要ですから、植え付けるところまで行くのが一苦労。まだ3列ほど穴掘りをしなければならないので、植え終わるのはいつのことになるのか。


平成が終わり5月には代替わりが行われるというので「平成」を一区切りとして振り返る番組が多くなっています。
「明治」「昭和」などという区切りはあくまで歴史の1つの目安にはなるのでしょうが、実際にはほとんど意味がない。たとえば、平成で安倍政権に終わりがくるわけでも区切りがつくわけでもない。「平成」で積み重ねた悪しき遺産を引きずってさらに悪化させることになることは確実ですから、平成の終わりと言ったところで何も意味しないではありませんか。
沖縄では、辺野古の新区画に土砂投入が強行されましたね(写真は琉球新報)。


代替わりの儀式を簡素にやるどころか、政治的に大いに利用しようという安倍政権の思惑が見え見え。その影に隠れて土砂投入もやれるところまでやってしまおうというのが辺野古新基地建設です。この点でも平成を区切りにできるはずもありません。
一方、イージスアショアの秋田への配備についての県知事・秋田市長の申し入れに対して、岩屋防衛相は「秋田県、秋田市の皆様の理解をいただくことが大前提で、工事の着手など配備に直結する具体的措置を、地元の理解が得られないままに進めることは考えていない」(NHK_Web)と答えたというのですから、沖縄とは正反対の対応ではありませんかね。ダブル・スタンダードもいいところです。



  3月23日(土) 
2時間の「こどもじゅく」の後半は、卒業を祝う会。7人のメンバーがそれぞれ中学・高校を卒業し、高校・大学へと進学することになり、現在通っている子どもたちとスタッフが彼ら・彼女らをお祝いしたのです。
月一で参加してくれている栄養士さんたちスタッフもおいしい食事を提供してくれて、短いながら和やかなお祝いのひとときを過ごしました。写真はその一コマ。携帯で撮ったのでボケボケ・・・まあその方がメンバーが特定できないので、かえってよかったですかね。ちゃんとした写真は、別のスタッフが撮ってくれました。




嬉しかったのは、何と言っても一年ほども姿を見せなかった子が希望するK大学に合格したという知らせを持って、貸していた本を返しつつ報告に来てくれたこと。来られなくなったいきさつは全く分からずじまい(聞くこともありませんでしたが)でしたけれど、姿を見せてくれたことだけでこれまでのわだかまりはすっかり消え、これからの健闘を心から願うことができました。
この「じゅく」には、本当にさまざまな問題を抱えながらもやってきてくれる子たちがいます。それぞれに、しっかり応えていかないといけないと改めて思わされたことでした。



  3月22日(金) 
イチロー選手の引退がメディアを駆け巡り、昨夜の記者会見の内容がワイドショーでもつぶさに報じられていました。信濃毎日新聞でも一面トップですもんね。いかにニュースバリューの大きな出来事だったのかがうかがえます。
私自身のようなプロ野球にほとんど関心のない者にとってもこの選手はやはり特別で、単にプレーが優れているというだけにとどまらない魅力を備えた人物だと思わされ続けてきました。
動画ビューアの更新をしていたらたまたま昨夜の記者会見の様子が流れていたので、ずっと見ていたら、改めてイチローという人間の魅力を感じさせられましたね。
「50歳まで現役と言い続けてきていましたが・・」と記者に問われ、「かなわなかったことでは有言不実行になってしまったが、逆にそう自分に言い聞かせてきたからこそここまで来られた」と淡々と答えるあたり、普段からよく考え抜いて自分を律してきた彼の真面目で真剣な姿を垣間見た気がしました。
「(記者のみなさんが)こんなにいるんですか」と驚いた表情で始まった記者会見、しかし一つ一つの質問にきっちりと答えていく姿勢はすがすがしく、どこぞの誰かの記者会見とは雲泥の差でした。
ニュースワイドではイチロー選手一人に対して、集まった記者300人の方が緊張していたように見えたと感想が語られていましたが、さもありなん。

昨日は吹き飛ばされそうなくらいの南風。一転今日は冷たい北風が次第に強くなり寒さが増してきました。
そんな中、午後から予定していた「チョロギ」の植え込みの作業を1時間半ほど行いました。バラの会のメンバー5人で小遣い稼ぎをしようと「チョロギ同好会」をつくり、昨日から作業を始めたのです。
今日参加できなかったメンバーが一人いたので、その人には昨日来てもらって午後から強風の中少しだけ作業。今日はその続きで、冬の間保存していたチョロギを掘り出し、畝をつくって植え込むところまですべて終わりました。
植えた「イモ」の数はざっと600個。3株で1キロとれれば200キロにはなるはずで、キロ800円として10数万円・・・・と、捕らぬタヌキの皮算用。しかし、3株で1キロというそもそもが間違っている可能性があるし、病気や乾燥などで苗がダメになる可能性も大きく、ともかくしっかり苗を管理することです。結果はあとからついてくるのですからね。期待せず真面目に働くことにしましょう。



  3月17日(日) その2
今日の毎日新聞には、16,17日に毎日が行った全国世論調査の結果が載っていました。
それによると、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を移設するため政府が続けている同県名護市辺野古沿岸部の埋め立てについて、工事の続行に『反対』との回答が52%で、『賛成』の29%を大きく上回った」とのこと。回答の過半数が反対という意味は重い。つまり安倍政権は沖縄県民のみならず全国民の民意に反する基地建設を行っているということだからです。ついでに安倍内閣の支持率は支持39%、不支持41%。

沖縄では、新しい護岸工事もどんどん進められていますが、今日の北上田さんのブログによると、「辺野古新基地が建設不可能」である根拠となる新しい事実が明らかになったと書かれていました。
最近になって防衛省はようやく大浦湾の土質調査報告書を国会に提出しましたが、調べてみるとこれまで知られていなかった「とんでもない事実」が見つかったのだといいます。
基地を囲む護岸の一部は「ケーソン護岸」と呼ばれるものになる予定なのですが、ケーソン自体は「長さ52m、奥行22m、高さ24mもの巨大なもの」なので、本土から曳航してきて、仮置き場に一旦置いておかなければなりません。その予定された仮置き場(会場ヤード)のボーリング調査地点すべてで、N値ゼロ(マヨネーズ並み)の超軟弱地盤だったというのです。

仮置き場(作業ヤード)を辺野古湾に造るということは、理由不明のまま2017年に防衛省が取りやめた経緯がありました。ですから、すぐにでも仮置き場が造られるというわけではありませんが、不明だったその理由がここに来てようやく明らかになったというのです。
土木工学の専門家である北上田さんは「これは昨年から問題となったケーソン護岸部下の軟弱地盤よりもさらに深刻だ。大量の石材を積み上げ、大型ケーソンを仮置きするための海上ヤードの設置は不可能であることはいうまでもない」と指摘。
今後大型ケーソンを使わない別の工法に切り替えるにしても、もともとはケーソン護岸方式で埋め立てを申請しているのですから、知事から設計変更の承認を得なければならないわけで、この点からも工事は頓挫することは明らか。

さて、政府・防衛省はいったいどうやってこの工事を終えようというのでしょう。すでに工事が未来永劫完成しないものであることが何点もの事実から明らかになっているのに、です。
最近分かったことをひとつだけあげれば、軟弱地盤に打ち込む7万7千本の砂杭のための砂をどう調達するのかという問題です。
北上田さんは「砂杭と敷砂のために650万立方メートル(県庁舎22棟分)もの砂が必要」「これは沖縄の年間海砂採取量の約5年分もの膨大な量」だと指摘。これにケーソン護岸の中につめる58万立方メートルの海砂を含めると「海砂の総量は708万立方メートルにもなる」というのです。総量規制を決めている九州や四国各県からはそれほど沢山の砂を運べないとすれば、沖縄近海から野放図に海砂を採取することになる。これは環境破壊を極限まで推し進めることになるでしょう。

折しも沖縄では昨日「土砂投入を許さない!ジュゴン・サンゴを守り、辺野古新基地建設断念を求める3・16県民大会」がひらかれ、1万人が参加したと報道されました(リンクは毎日新聞の動画、写真はしんぶん赤旗)。最近明らかになる基地建設をめぐる問題で、沖縄県民の怒りはいっそう大きくなっていくことは間違いない。





  3月17日(日)
今朝は恒例の池田町内いっせいの川ざらえ。水路の水を止めて、秋から冬にかけてたまった土砂やゴミなどを取り除く農村ならではの一斉作業です。冬は近くの人でも外で会う機会が少ないので、本当に久しぶりに会う人も結構たくさんいました。
いつもパソコンの故障などで声をかけてくれるYさんの顔も何ヶ月ぶりか。さっそく、ウィンドウズ7から10にしたが、いまいち調子が良くないので見てくれというので、午後からお宅まで出張講習。
ご本人はパソコンでカラオケを練習したいというので、YouTubeの動画の中からお好みのものをえらんで「お気に入り」に入れてあげました。ご満悦の様子でさっそく何曲か歌っていましたっけ。

昼前に畑に行く途中車の中でニュースを聞いていたら、安倍首相の防衛大卒業式での訓示の内容を伝えていました。それを聞いていて唖然。例によって産経ニュースには全文が載っておりましたので改めて確認しました。
彼の訓示の特徴はこうです。
まず、自衛隊は過去様々な局面で積極的に活動し「平成は世界を舞台に、その平和と安定のために自衛隊が大きな役割を果たした時代だった」、そして自衛官として「国民のための自衛隊、世界の平和と安定に貢献する自衛隊、そのさらなる進化に向けて時代の変化に目をこらし、日々自己研鑽に励んでほしい」と檄をとばすのです。
自国の平和と安全ではなく、情勢は「どの国も自国の安全を守ることができない時代になってきた」のだから、「国民のための自衛隊、世界の平和と安定に貢献する自衛隊、そのさらなる進化に向けて時代の変化に目をこらし、日々自己研鑽に励んでほしい」というわけです。
その後です。さらに重大なことを安倍首相は口にする。
「今この瞬間も、これまでとは桁違いのスピードでわが国の安全保障環境は厳しさと不確実性を増している」。また、周辺国の軍事技術は 質的に格段の進歩を遂げ「もはや今までの延長線では対応できない、陸海空、従来の枠組みにとらわれた発想のままではこの国を守り抜くことはできない」と情勢認識を披瀝します。
そして、いよいよアベの本領発揮の部分です。
「新しい防衛大綱の下、宇宙、サイバー、電磁波といった領域で、わが国が優位性を保つことができるよう次なる時代の防衛力の構築に向け、今までとは抜本的に異なる速度で変革を推し進めていく」
日本国憲法の歯止めなど歯牙にもかけず、中国、ロシアなどに対しても「優位性を保つ」防衛力というのですから、これはまた信じがたい大軍拡の腹づもりを国内外に発信してしまった。こうなったら出てくる言葉は「アベ、シンゾー」しかない。
外相も、いちおう反対とはいいながら、人口減少期にはAI兵器なども「考慮に値する」というのですから、宇宙にまで手をのばし、電磁波まで手を出し、さらにはAI兵器にまで手を出すということになりかねません。それもこれまでとは「抜本的に異なる速度で変革」するというのですから、これはアメリカも大喜びでしょうに。どんどん兵器を購入してくれるのですから。
自衛官に対して、「この戦略に魂を入れるのは諸君だ。その矜持をもって自衛官としての任務を全うして」ほしいと号令をかけるのですから、「おいおい、そんなこと防大では聞いてなかったぞ」と、卒業自衛官もさぞ複雑な気持ちだったのではないでしょうか。
このアベの訓示には、どのように東アジアの緊張を緩和し、平和の仕組みを構築するのかという視点はゼロ。というより、そんな仕組みを構築することなど眼中になく、ただ中国・北朝鮮に対抗できる軍事大国にしたいという野望をあけすけに語ったにすぎない。自分では「かっこいい」と思って得意になって演説してるんでしょうね。
これこそ戦争と亡国の道です。歴史に学ぶことのない首相は一刻も早く退陣願わないと、青少年の未来はありません。

世界では、地球温暖化への対策の加速とこれを妨害する勢力への批判をこめて、高校生たちが街頭に出て声を上げ始めているではありませんか。自分たちの未来は自分たちが決めるという決意とともに、現在の大人たちの政治によって塞がれてなるものかという憤りも当然含まれているはずです。
スウェーデンの少女グレタ・トゥンベリさん(16才)がはじめた国会前での座り込みを契機に全世界にたちまち広がった地球温暖化阻止の運動。共同通信の記事には生き生きとした青年達の素顔が写っています。
ベルギーでは2月21日「地球温暖化対策での政治家ら大人の行動は怠慢だとして抗議」し高校生ら1万人がデモ(共同通信)。
3月1日にはドイツ・ハンブルグで高校生ら3000人がデモ。3月15日には120カ国2000カ所以上に賛同の輪が広がり、フランスでは2万9千人がデモ、アメリカでも1000人。日本ではちょっと規模は小さいけれど、京都(100人)や東京(130人)で温暖化対策を求める行進が行われたとのニュースがありました。
昨年9月の国連での地球温暖化対策「パリ協定」の行き詰まりに抗議し、有効な対策を求める国際的な運動の高まりが背景にあると私には思われるのです。このときは高校生だけではなく、広範な人々が街頭に出て「地球を温暖化する天然ガスや石油、石炭から再生可能エネルギーへの転換の加速と、気候変動によって過酷さを増した異常気象や海面上昇の影響を最も強く受ける人々の保護」(AFP通信)を訴えました。
今回の高校生の運動は、そうした声を受けて次世代の若者が自らの未来を自分たちの手で開かなければ取り返しがつかないという声の結集でもあるでしょう。
大人たちのなすべきことは、彼ら高校生たちの声をよく聞き、政府に対して有効な手段を早急にとることをともに求めて行動に立ち上がることですよね。



  3月13日(水)
午前中、沖縄に昨年末からしばらく滞在していたご夫婦が訪問。長野での「チョロギ」栽培の元締めをやっている関係から、今年の栽培の仕方やら、沖縄での県民投票の模様やらの話でしばらく歓談しました。
岐路は沖縄から鹿児島までフェリーで来て、そこからあちこち寄り道をしながら列島を縦断、一人で軽自動車を運転してきたというのでびっくり。さすがに昨日は疲れていたけれど、もう疲れはとれたというので、いろいろお土産を抱えてきてくれたのでした。

私はその後畑で昨日のつづき。イチゴを植え替えたり、ネギを定植する穴を掘ったり2時間ほど作業をしました。今日は北風が強く1時過ぎにはもう寒くて畑にはいられなくなり早々に引き上げ。空からはちらほら雪も舞って、また冬に逆戻りです。
例年よりは仕事を早く始めたので、4月から5月に入ればそれなりにいろんな作物の苗がならぶ畑になるのではないかと期待しています。



  3月12日(火)
昼頃から畑に出て、今期初めて耕運機を運転。去年の暮れに一応耕しておいたところをあらためて耕耘、すぐに畝をつくって植えられるようにしました。
すでに入手してあるジャガイモは20日頃に植えなければならないし、ネギも3月下旬から4月上旬には植え付けを始めなければなりません。昨年撒くのを忘れてしまったスナップエンドウ、今からでもいいかと種苗店で聞いたら大丈夫ということだったので、今日はレタスと合わせてポットに種まきも終了。
午後4時頃になると、冷たい風が吹いて、もう畑にはいられない。腰にも相当に負担をかけて痛み始めてきたので、今日はここまで。帰りがけにナズナを摘んで帰路につきました。晴れた日には畑にでて作業をしなければ追いつかない忙しい日々の始まりです。

8年前の今日、長野県栄村で震度6強の地震が発生しました。直下型の断層地震であったために局地的な揺れで栄村に集中した被害をもたらしたのでした。
全国的には3.11の影に隠れて「忘れられた」被災地となっていたただけに、「被災地支援池田町民ネット」を結成した仲間たちと、東北だけではなく栄村も忘れてはならないと声をかけあって支援物資を届けていたことを思い出します。
今日は、その栄村では「3・12復興灯明祭」(写真)が行われることをテレビが報じていました。ただそれだけでしたが、それでも何も報じないよりはよほどいい。
3,4年前には栄村の地震からの教訓を聞こうと知人と栄村まで車で出かけました。栄村は予想よりはるかに遠かったし池田町などよりさらにに辺鄙な山奥。もう高齢化率が50%を超えたというのですから、こうした地域をどう守っていくのかは政治の大きな課題だと思わないわけにはいきません。

話は変わりますが、昨日のNHK世論調査の報道を聞いていて、さもありなんとため息が出た。辺野古基地建設問題について、こんな設問をしたのでした。「沖縄では辺野古沖埋め立反対が多数を占めたが政府は予定通り工事を進める方針だ。この政府の方針について評価するかどうか」
結果は「評価する」が24%、「評価しない」が34%、「どちらともいえない」が34%だったというのです。こんな聞き方をすれば、まあそんなもんでしょう。大多数は辺野古でどんなことが起こっているのか十分な知識を持たされてはいないんですから。
ところが一方で共同通信の3月9日、10日の世論調査ではどうか。「辺野古沖埋め立てに7割超が反対した2月の県民投票結果を政府は尊重すべきかどうか」という設問なんですね。これに対しては「尊重すべきだ」とした回答は68.7%、「尊重する必要はない」は19.4%だったというのですから、設問によってどのように判断が左右されるのかのいい見本じゃないでしょうか。



  3月11日(火) その2
昨日の夕方から本格的な雨。厳冬期に玄関に入れておいた鉢植えを外に出して雨にあてました。幸い気温はそれほど低くないので、木々には嬉しい雨でしょう。
冬の間に沢山の花をつけたレモン。年中花が咲いているようなきがしますが、一体いつが花の旬なのでしょうか。越冬した実が2月頃にようやく黄色くなり、最近ようやく収穫したばかりですが、もう次の実ができはじめているんですから、どうなっているのでしょうか。おかげで冬じゅう玄関はいい香りに包まれていました。
ただ、放っておくと花はすぐに落ちてしまうので、開花直後にすかさず受粉をして実をつけさせる必要があります。おかげで今年は10個以上できそう。大きくなるかどうかはこれからの管理次第ということですかね。


MNEMOさんの引っ越しが終わり、ご近所への挨拶回りをようやく済ませたとのこと。たいへんだったでしょうね、お疲れ様でした。
南に面した縁側での「日向ぼっこは最高で、Mooさんの家のと双璧」だとブログにありました。一度お邪魔して日向ぼっこしながら縁側談義でもしたいものですね。
私も長野に来るときに大変な思いをしたことを思い出します。何しろビデオテープだけで「○○引越センター」の段ボール30箱分くらい。本だけで20箱ぐらい。そのほか家財道具を入れると家中段ボールだらけでしたね。幸いマンションの部屋が角部屋でしたから半分くらい外に積み上げていましたっけ。
当時は母の世話をしながらでしたので、荷物の梱包だけで1ヶ月以上かかりました。MNEMOさんのご苦労がよくわかります。このブログを書き始めたころと重なるのですが、読み返してみると思いのほか荷造りのことは書いてない。あたりの景色やホームページづくりの苦労や当時イラクで拘束された3人の若者たちのことばかりなので、あまり目が家の中には向いていなかったのでしょうかね。何しろまだ58歳!!信じられませんよね。

当時のことを思い出す写真を何枚か。一番上は、当時つとめていた○○進学教室で教えていたT高校の生徒諸君と。記録だけはこのブログにも残っていましたから、15年ぶりに写真を公開。生徒諸君はいまや30歳ちょっとですもんね。ふえ〜〜。
次は引っ越しが終わった直後の家族写真。これは同じものをアップしてあります。手を頭の上に上げている子がいまちょうど大学受験。ふえ〜〜。
その下は引っ越し先の一軒家での娘夫婦。さっそく隣近所の子(手前ふたり)が遊びにきてくれていた。なつかしい。










  3月11日(火)
モヤモヤとしていても何も書けないときってあるものですね。春らしくなって時折畑にも出かけて草取りをするようになり、子ども塾の新しく来た子のために学習プリントをつくったりしているうちに日が過ぎていきました。

あれから8年目の3.11。あの日もちょうどこのようにパソコンに向かっているときでした。毎日のようにこのパソコンで記録していたこともあって、3.11以後の思いや行動が昨日のことのように思い返されます。
福島第1原発では廃炉作業といっても、ロボットでデブリの一部にようやく到達できたというレベルですから、この先どれほどの年月が必要となるのか。たまり続けた汚染水を薄めて海に流すなどという、海外から見れば(当然、我々から見ても、ですが)信じがたい「方針」を検討するとか、総破綻に直面してもなお原発輸出に拘泥しているというニュースも流れてくる昨今。放射能汚染を逃れて避難せざるを得ない人たちから見れば、政府・電力会社上層部の恐るべき(無)感覚に唖然とするほかないのではないのでしょうか。

今日はNHKの朝イチで避難所の設営・運営について特集していました。その中でゲストの専門家の一人が、日本の避難所が時代遅れで、80年前の「ザコ寝」状態から少しも変わっていないことを指摘、欧米の避難所のすすんだとりくみについてほんのわずか触れていました。
なぜ遅れているのかについて、たとえば欧米では避難所で寝る場所がすべてベッドなのに日本では「ザコ寝」になっているのは、布団で寝る習慣があるからだとしていましたが、本当にそうなのか。深く追求することもなく、ただサラッと触れていただけ。トイレもまるで考え方が違う。イタリアのテントも写真では移されていましたが、世帯ごとに使えるということまでは触れられない。
遅れは、考え方の相違ではなく、政策の貧困そのものだと私は思います。分散備蓄というなら、せめて段ボールベッド必要分、男女別のトイレと手洗いを10人に1セット、布団類・暖房器具も必要分を備蓄し、2、3日後くらいにはすべてそろえられる手順をとっておくべきではないのか。(食料や生活必需品は当然)
それこそが防災の基本のキであり、政府・自治体が率先して行うべきことなのです。欧米では食事は専門のコックが暖かい食べ物を用意しているということも「ほんのちょっと」触れていました。できるところから、どんどん進んだ経験や考え方を導入し、どんな災害でも人間的な生活を保障する準備をすすめるべき、それが3.11からくみ取るべき大きな教訓だと私は考えています。

こうした考えを、国際的に推進しようとしているのが、以前も紹介したことのある「スフィア・プロジェクト」です。JANIC(ネットワークNGO)の代表理事、岡野谷純さんは、避難所などの国際基準について大変重要なことをのべています。日本では水は一人何gだとか、トイレは何人に1つだとか、という数値だけが一人歩きしている感があるが、スフィア基準はそうではない。
トイレについては、“人々は住居の近くに、昼夜を問わずいつでもすぐに安心かつ安全な使用ができる、十分な数の適切かつ受け入れられるトイレ設備を有している。”ことであり、避難所の広さについては、“快適な温度、新鮮な空気と、気候変動からの保護を提供し、プライバシー、安全と健康を確保し、重要な家庭生活や生計のための活動を実施できるようにする、十分な覆いのある生活空間を、人びとが有している。”ことがスフィアの目指している状態なのだというのです。
他人の目を絶えず意識してトイレも睡眠も我慢するような避難所生活ではなく、人間の尊厳が守られ、プライバシーと個としての存在が尊重される、そのような空間をめざす。こうした考えが国際的に広がっており、政府の避難所運営ガイドラインにも反映されていることを、もっと学ぶべきだと改めて考えさせられています。



  3月5日(火) その2
沖縄の大浦湾で、地質学者有志による活断層調査が数日来行われて、その結果が発表されました。これを伝える琉球新報のニュース
まず、調査にあたった新潟大学名誉教授(地質学)の立石雅昭氏の談話に耳を傾けてみよう。(談話はニコニコニュースより)

調査では直接確認できなかったが(活断層である)可能性は強まった。(米軍キャンプ・シュワブの)断層を挟み、西(辺野古漁港側)と東(大浦湾側)で異なる堆積物があれば、断層があることになるため、堆積物と、その堆積時代を調べた。その結果、西で確認された堆積物が東では確認できなかった。その境界が断層になっていると考えられる。

川による浸食の程度などから、両地域の地形は少なくとも40万年前より新しいものだ。国の地震調査研究推進本部の基準では、地震を起こし得る活断層を40万年前以降に動いているものとする。両地域の間にあるとみられる断層は、国の基準に照らせば活断層といえる。
原発建設の際は活断層の基準を12〜13万年前としている。原発の場合、敷地内に活断層があると建設できない。そのため12〜13万年よりも新しいのか、古いのかが焦点になる。
一方、基地建設では活断層に関する基準はない。しかし活断層とみられる場所の近くには辺野古弾薬庫もある。核兵器があるかないかも分からない状況で、基地を造ることに危険性を感じる。
科学的にきっちり安全なものを造ることが原則だ。なぜきちんと調査をして設計しないのか疑問だ。
地域住民の命が脅かされる事態になるならば、何のための基地なのかと疑問を抱く。安全性を確かめた上で「こういう目的のために造る」というのを国民的、県民的合意を得てやるのが基本だ。


活断層があるらしいということは昨年来何度も指摘され、防衛省も大型掘削船ポセイドン(写真:沖縄タイムスより)を使って詳細に情報を得ているはずなのですが、本当に”なんじゃこれは”というあっけにとられるような政府の対応です。
昨年3月には学者のシンポジウムが開かれ、活断層の存在が強く疑われることが縷々指摘されていました。大浦湾の埋め立て区域に隣接するN値ゼロの層を含む大きな落ち込みの存在が、単に落ち込みだけではなく活断層によるものである疑義が強まっており、さらに今回の調査で裏付けられたことになります。
にもかかわらず、「新たなK8護岸で工事続行」(琉球新報)というのですから、政府・防衛省のやていることはもう破れかぶれです。とにかく続行して実績をつくること。どれだけ金がかかろうが、どれだけ時間がかかろうが、どんなに反対があろうが、沖縄県民よりアメリカとの約束が優先。
アメリカの軍部がもう少し利口ならいち早く撤退を表明してもいいのに、何を考えているのか。3.11で「おともだち作戦」をやったのなら、地震・津波の怖さを知っていてもよさそうなのに、と思いますね。
もし、アメリカが活断層を口実に見直しを要求してきたら政府はどうするのでしょうね。地盤沈下だけではなく、沖縄トラフ沿いの活断層の危険をアメリカにもっとアピールし、この工事がどれほど危険であるのかを知らしめる必要があります。それが一番効果的です。こんな記事をアメリカ政府に送りましょう。



  3月5日(火)
午前中はリハビリと整形の受診。昨年の手術から半年ほどしてからリハビリ(実際には整体のような感じ)を開始し、現在まで何ヶ月か続けてきて今日でひとまず終止符を打つことになりました。
背骨のゆがみ(湾曲が正常とは反対に近い状態)を矯正するストレッチを続けて、多少は効果があったような気がしているのですが、運動量の少ない冬の期間でしたから実際にどうだったのかはまだ定かではありません。
よって、これから2,3ヶ月しっかりストレッチをやって効果を確かめる必要があるというのが整形の主治医の判断でした。5月中旬まで続けてそこでMRIを行うことにしてきました。何とも心許ない腰の状態ですが、とにかく真面目に毎日運動に励むことですね。

さて、今日のニュースでは中国の全人代の話題で「盛り上がって」いました。とかく他人の不幸はなんとかの味なんでしょうか、人のことより自分の足下を見ろよとつい言いたくなってしまいます。
私がいま読んでいるのが「聳ゆるマストー日本海軍の反戦兵士」(山岸一章 1981年 新日本出版社)。もう1つ同名の小説があります。
1930年代初頭、日本の支配層が中国大陸に侵略の手を本格的に伸ばし始めた頃、国をあげて軍国主義一色に染め上げられていく中で、下級兵士や兵器廠などで働く人たちの中には社会への矛盾に目覚めた少なからぬ若者がいた。
彼らは、自分たちの置かれた立場や境遇がなぜそのように劣悪なのか、なぜ不条理な暴力と強制で服従させられているのかに深い疑問をもつ。そして、それに感情的に反発するのではなく、たとえば「社会科学研究会」を立ち上げたり、仲間と学びあったりしながら反戦活動につなげていくのです。
彼らは危険を冒して新聞やチラシを発行したり、やがては軍隊内で機関誌を発行したりして果敢に反戦活動を続けていく。海軍内での機関誌の1つが「聳ゆるマスト」です。
周りを見渡せば、戦地へ送る人々が呉軍港にあふれ「万歳」の声が波打つ。その一方で特高警察が「非国民」狩りに血道を上げる、そんな時代。獄中で殺害された若者が何人もいた事実は小林多喜二など有名人を除けばほとんど史実にも残っていない。
にも関わらず、抵抗闘争に命をかけた若者(ほとんどが20歳代で共産党に入党)たちがいたことは、私たちの記憶に是非とも留めておくべきではないのか、そう思いながら読んでおりました。こちらにくわしい解説があります。

私の関心は、反戦闘争に青春をかけた若者達がいたというだけにとどまらず、特高警察や住民組織の中で、彼らを弾圧した側の心理と具体的な行為そのもの。多喜二に典型的に現れている拷問が、この国の警察機構においては何の痛苦もなく実行され、その結果として多数が殺害されているという事実。彼らの側から、その犯罪を告発・分析する必要があるのではないかということです。
中国大陸で日本軍が行った蛮行についても同様です。残念ながら、実行者はほとんどと言っていいほど口を閉ざす。その結果、そのような残酷なことは「ありえない」「あるはずがない」となる。
戦前・戦中の日本の軍隊や警察機構のもつ後進性、残虐性をもっともっとえぐり出さなければならないのではないのか。今日の自衛隊や警察組織のあり方を見るとき、いっそうその思いを強くしています。

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3月2日、日本維新の会の足立議員が「破防法(破壊活動防止法)の監視対象と連携する政党がまっとうな政党を標榜するのはおかしいと考えているし、そう思う国民は少なくない」と国会で発言しましたね(朝日新聞の記事BLOGOSの記事参照)。
自民党や公明党が言いたいことを、先兵として維新が言ってのける。この構図はまさしく戦争準備の過程そのもの。「反共は戦争の前夜」というのはもう苔むしたほど言い古された格言ですが、それを彷彿とさせる時代錯誤、恐るべき発言です。
共産党憎しに凝り固まったこの手の方には理性で語っても無理。彼らにあるのは教養でも理性でも分別でもなく、全くの情念、妄想だけですから。破防法がいつどのような目的で定められ、なぜ今なお共産党がその対象となって調査され続けているのか、むしろそれこそ時代遅れの悪法として指弾されなければならないのに、全くの逆を行く。日本維新の会という団体がいかに自民党に利用され、右傾化の先兵として重宝されているのかを浮き彫りにするような出来事でした。このような「政治家」には一刻も早く退場願わなければなりません。有権者も、彼らがなぜ今このような攻撃をしかけているのか、それを見破って野党共闘に本気で取り組んでいかなければならないでしょう。選挙で結果を出し、彼らに二度とそのようなことを口に出させないようにさせること、これこそが彼らへの最大の回答なのですから。



  3月2日(土)
今日は朝から予定通りバラの剪定。10人ちょっと集まったので、何とかみんなで一通り終えることができました。顧問のEさんも早くから来て、「文句」を垂れながらも最後まで丁寧に教えたり自らも相当数を剪定してくれたりと大助かりでした。
好天に恵まれて気持ちのよい1日。北アルプスも薄いもやに包まれてはいたものの、全容が浮かんで春の訪れを告げているようでした。
経年相当の樹勢の衰えなのか病気のためか土のせいなのか分かりませんが、何本も枯れかかっている木があって、そんなのを見るとちょっとさみしくなります。何とか5月末からきれいな花を咲かせてくれるように、しっかり手入れをしていくことにしましょう。




次は先日沖縄の友人が送ってくれた琉球新報。その下は、琉球新報が伝える昨日のキャンプシュワブ前の1300人の集会と、その日の午後からの同じ場所での障害者の皆さんによる400人の集会。こっちは沖縄タイムス辺野古取材班のもの。






県民投票までを期限として工事を中止することをホワイトハウスに求めた署名が一段落したため、署名を呼びかけたロバート・カジワラさんが「We the People」で第2弾の新しい署名を始めました。
「日本政府は貴重な生物を破壊する新基地建設工事を強行し、米国に対して設計上の欠陥や県民投票で民意を示した沖縄人への人権侵害に関する情報を伝えていないと訴えている。」と琉球新報は紹介。日本政府とアメリカは不必要な基地建設をやめ、民主主義を守り、沖縄の珊瑚礁を守ることを訴えています。
私もさっそく署名しました。簡単ですからぜひみなさんも。前の署名を上回る全世界の人たちがこれに答えてくれとうれしいですね。
米国のサイトはこちら。
Save the democracy and coral reef of Okinawa
署名の仕方は次の通りです。






  3月1日(金)
午後から日差しも出て比較的暖かくなったので、今年になって初めて畑に出かけました。土は霜柱のためにささくれ立ってボコボコしているのに、草だけは結構根を張って成長し始めている。
畑については、草を取りながら土を寄せて畝作りから少しずつ始めていくことにしました。植え付けが出来るようになるには、毎日畑に出ても1ヶ月ほどかかるんじゃないかなあ。

松本の無料子ども塾は、キャンパスの変更になる学生がかなりいて手薄になるのと、新しく入塾する子もそれなりにいて、学年の初めは何かと慌ただしい。
家庭の問題といっても本当に千差万別なのですが、その根底に横たわっているのは貧困。来ている子の家庭が貧困というよりも、私も含めてこの国全体が貧困に覆われてきていると言ってもいいでしょう。
私などは今は妻と二人分の年金でかろうじて生計を維持していますが、一人に何か事故があれば、その時点でもう底なしの貧困に突き落とされる。何千万人もの人たちが、実際に何らかの事情があったために、身動きとれない状態におかれているのです。
子ども塾を頼ってきてくれる子はまだその中でも幸せなケースでしょう。そんな一人一人の子どもたちと接していると、今年もしっかり農作物を作って少しでも家計の足し(自分自身についてもです)にしてもらわなければと思うのです。無駄に作らないように、またできるだけお金をかけないようにやっていくつもりです。

このところ我が家の暖房機器(ボイラー、温水器など)が相次いで故障。部品が劣化して異音を発したり、通信が不調になったりで、業者に来てもらう羽目になりました。出費が痛い。
10年近く経つと、経年劣化なんでしょうね。あちこちで故障が出てくる。去年は室内のコントローラーが次々壊れて交換したし、今年は室外の部品がイカれて散々です。
どうしたら出費を少なく出来るかを考えると、私の場合はパソコンにかけるお金を少なくすること。不要なものは極力減らしていくようにしないと。沖縄滞在中のためにポケットWi-Fiを使っていますが、これは使わない時の方が多いので解約することにしました。
今日は安い128GBのSSDを入手して、携帯用のPCをウィンドウズ7からUbuntu18.04にしてしまいました。メールや写真、ウエブ関係だけならこれで十分。しかもサクサク動きますからストレスはない(これまでのWindows7がひどかった)。
昨日分解作業を終えていたので、昼過ぎから3,4時間かけてドライブを入れ替え、UbuntuOSを入れました。案外簡単にできたので良かった。これで私と妻のメインマシン以外は(ポンコツを除けば)すべてLinuxマシンになりました。サイトを更新したりIllustratorやPhotoshopを使うとき以外は、これから小型のマシンで省電力。節約モードに少しずつ切り替えていきます。よろしく。




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