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  7月30日(火)
ほぼ60年たってはじめて告白するのですが、私が高校生だった頃(多分高2)、ある女生徒(差出人不明でしたが体裁・文面から見て100%女性)から一通の手紙を受け取ったことがありました。
問題はその中身です。いま手元にあるわけもありませんから、内容はどんなだったか定かに思い出すこともできませんが、好きですとか恋しいとかというものではなく全体として思慕の情が伝わるような不思議な書き方がしてあったのでした。
そして、その一文にこんなコトバが。「古き都に咲きし花の命は祇王の夢ならずや」。
それ以来私の頭には「祇王の夢」が合わせ鏡にうつる絵のようにず〜〜っと尾を引いていたのでした。もっとも、y=1/xのグラフでx→∞のような状態ですが。
手紙に名前が書いてあったら、ひょっとしたら人生変わっていたかもしれませんね。
まもなく私はその歌詞が木下恵介監督の映画「女の園」の挿入歌であることを知ります。しかし、何しろ平家物語は頭の部分しかかじったことのない私ですから、恥ずかしい話、祇王が平清盛の一時の愛人として翻弄された悲劇の女性だったなどということは知るよしもなかった。
YouTubeにはこの予告編がアップされていて、最後の方で女学生達が力強くうたっていましたね。あまりに戦闘的で、ちょっと私が抱いてきたイメージには合いませんけど。


ただ、全曲は見つけることはできず、次の二木紘三氏のブログに氏作成のmidi音源(mp3)が紹介されていました。とにかく懐かしい。
二木氏は「この歌を知っている人は、非常に少ないと思います」と書いていましたが、80代以上の人なら記憶があるんじゃないでしょうか。

二木紘三のうた物語 女の園

それがまた何かの拍子に、最近この歌に再び巡り会うことに。
作詞作曲の木下忠司(兄は木下恵介)が、古き都に咲く花の命に白拍子祇王の夢を託したのは「女の悲しみ」(映画では封建的な規律に縛り付けられた女学生の悩みと自由への憧れ)の1つの象徴であって、それ故にそれに甘んじることなく「さらば吹けよ 峰吹く風よ 吹きて悲しみの 歴史ぞかえん」と、歌の後半に女性の前向きな生き方を力強く鼓舞したかったのでしょう。
翻って今日の女性の人権は社会的な地位はどうか。言うだけ野暮ですね。
高校生の頃、なぜかこの印象的なメロディーが頭から離れなかったことが急によみがえってきてしまったのでした。だからどうした、ですけど。映画みてみよっと。



  7月29日(月)
ようやく梅雨明け宣言。午後からしばらく畑に出て、すっかり実が出そろったトウモロコシに動物よけの網を張りめぐらし、トマトにこれまたカラスよけの覆いをして、少しでも被害が出ないようにした「つもり」。気休めかもしれませんが、根比べ、知恵比べですね。
夕方から結構強い雨になり松本では大雨洪水警報がでるほど。ナウキャストでみると、雨雲かたまりが涌きだし次第に広がって東に移動。1時間ほどで収まってその後はすっかり涼しくなりました。明日は、ドロドロになっているのか、ちょっと心配です。

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最近眠りが浅いためか、ずーっと夢を見ている感じ。もうすこしロマンチックな夢があっていいとも思うのだけれど、全くその気配はなく大抵は荒唐無稽なものが多いのでガッカリ、といっても次の瞬間にはほとんど忘れてしまう。
ところが、今朝は実に生々しいというか深刻というか、現実をストレートに反映しているような夢だった。ある子ども連れの親が私を訪ねてきて子どもの学習の遅れについて相談したいというのです。それ以上詳しくは書きませんけれど、いっしょに勉強にとりくむなかで子どもの可能性をみつけ方向付けする必死の努力をしていたという、まあ、大変真面目でリアルなお話でした。

子ども達に学習の大幅な遅れを生じさせている原因には、本当に想像も出来ないようなさまざまな要因があるでしょう。それでも一人一人の子は、分かるようになりたいという強い要求を当然のように秘めています。自分を見限っているように見えてもです。
本来、学校が補習をしたり特別授業をしたりしながら、どの子もわかるようにしていくべきなのでしょうが、これまた多忙化と一律のカリキュラムのためになかなかその解決策を見いだせていない。いきおい多くの子がそこからはじかれていくことになります。
実際、私もまたその長い間そうした現場でそんな子を作り出していた側の人間なのですから、大きなことはいえないのですが。

私が子どもだった頃ももちろんそうした困難な家庭がなかったわけではない。しかし、現在ほど格差に支配され分断され差別されている時代はありません。新自由主義的な競争社会がいっそうそれに拍車をかけている。
ところが、拡大する格差の下層にいる人間には、それが自分の責任であり、仮に身体に障害を持つ人に対しても、援助のために税金を使うべきではないという驚くべき反作用すら生み出している。
障害者の権利回復とインクルーシブな社会を目指す活動を続ける友人Sさんが、かつて北欧諸国訪問記のなかでスウェーデンやデンマークなどでの障害者に対する手厚い支援政策を報告していましたけれど、それと比べるとこの国の「民主主義」のあり方は根底から崩れていると思わないわけにはいきません。

だが、この国にはこの国の変革の道筋があり、現状を打破することは可能です。この国のありように違和感を覚え、矛盾を感じる人たちが、一歩を踏み出して手をつなぐこと。それは抽象的な連帯ではなく、たとえば無料「こどもじゅく」のようにいっしょに学ぶことから始まるのだと思います。
新聞報道の成果が確実にあって、その後も中学生を中心に塾を訪問してくれる子がいる。今度は対応する方の大人達の結集が急がれます。一人でも多くの学習支援経験者(それほど経験がなくても)が私たちのコミュニティーを訪問し手伝ってくれることを強く強く期待します。



  7月27日(土)
今日昼過ぎに「こどもじゅく」に出かけたところ、中学生たちがたくさん来ていた。体験会の成果が出たのでしょうね。いつもならスタッフ過剰なのに、今日はむしろ足りないくらい。それぞれにかかえている学習上の問題も大きいために、これからの丁寧な対応が必要となります。
私は例によって、朝採ったトマト、キュウリ、ピーマンなどを携えて保護者のみなさんに持ち帰ってもらいました。

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国民民主党の玉木祐一郎代表が極右のネット番組に出て、開口一番「私、生まれ変わりました!」「憲法改正の議論を進めていく」とやったことが大きな話題と衝撃を広げていますね。私も当該番組やその続きをネットで見ました・・・が、その言い分をよく聞いてみると、この手の話は何も今に始まったことではない、かねてから右翼の連中と親しく付き合っていたこともよくわかるし、「生まれ変わった」と宣言する背景も番組を通してすっかり見えてきます。
馬鹿馬鹿しいけれど、まだごらんになっていない方は今後のために「証拠映像」として見ておかれた方がいいでしょう。

文化人放送局【緊急特番】吠えろ!玉木雄一郎!!+感想編

これを見て喜びもし勢いづいているのがネトウヨ諸君。中には「信用できない」などと書いているのもいましたけれど。
参議院選挙で「5野党・会派で13項目の共通政策に合意し、統一候補の一本化など共闘野党としてたたかった」のですが、その余韻も冷めないうちにこれですからね。
ネトウヨが垂れ流している「文化人放送局」だとか、DHC「虎ノ門ニュース」」などのYouTube動画が若い層を中心に結構見られていることをあげて、「国民民主党もこれに負けないようにしなければならない」などと口走っていることからみると、完全にこうした連中に「拝跪」(ちょっと大時代的な用語ですかね)しちゃったということでしょう。
事実、彼のツイッターでの書き込みを見ると「議論そのものを否定するような政治では無党派層や多数のサイレントマジョリティの共感を得ることはできないということです。特に若い世代」と書いていますから。
党の代表としての品位も見識もない。誠実に野党共闘を積み上げ安倍政権を追い詰めるなどという態度はみじんも感じられないし、見ていて胸くそが悪くなるくらい彼らへの媚びが酷すぎます。
冒頭から国会審議で「モリカケばかりやってその他のことがおろそかになったことをお詫びしたい」と言いだし、対談相手の生田某氏が「立憲や共産のやっていることは言いがかり」という発言に何ら反応を示さず、果ては「安倍総理、憲法改正の議論を進めましょう!」とラブコールを送ったのだから、当の国民民主党の他の議員達も穏やかではないのも当然です。
先の国会で、予算委員会開催を拒否してきたのは立憲や共産だとでも言いたいのでしょうか。
選挙前から、安倍が国民民主党をターゲットに取り込み作戦を行っているという話はちまたでささやかれていたし、密約すらあるのではとの情報も流れていた。それがいよいよ裏付けられたような発言ですから。
党内外からの批判にびっくりしたのか、一応釈明の文書を公開しています。しかし、どんな場で「生まれ変わった」と宣言したのかについてはだんまりを決め込み、さらには野党共闘のやの字も出てこないのですから、代表としての資格を疑わせます。

地元長野でも野党統一候補として当選したのはこの党の羽田雄一郎氏。同じ雄一郎だが、玉木よりはよほどしっかりした物言いをしている。今日とどいた市民連合のニュースでは6月7日の時点で次のように語っていたと書かれていました。

「憲法9条は平和主義そのものです。この平和憲法をしっかり守っていく、そして、子どもたちに繋いでいくのが我々の使命」
「アメリカが戦争始めたらトランペットの安倍総理が断れるわけがなく、自衛隊員を戦争に参加させる状況になる。これを、絶対この参議院選で、安倍首相を退陣させて取り上げなければならない」


玉木発言は党の代表の発言であるだけに、野党共闘を発展させる上から羽田氏としてもゆるがせに出来ない問題、決してあいまいには出来ない重大問題です。
市民連合のニュースでは、「かくなる上は、羽田氏を国民民主党代表に推薦することも辞さない」とも書いてありましたっけ。そうなるんじゃないかなあ。



  7月26日(金)
テレ朝開局60周年のドラマ「やすらぎの刻 道」で、戦時中の軍事教練、徴兵検査などが生々しく描かれています。倉本聰渾身の作という気がします。
今日は長男が徴兵を忌避し山中に姿を消したために、家族がつるし上げられ、さらに大規模な山狩りが行われるという様が描かれていました。「危険思想」、「弱々しい態度」に鉄拳をふるう憲兵の居丈高で暴力的な様が、これでもかというほどに描かれていきます。
演じている俳優が自分の姿を見たときに、おそらく震えがくるんじゃないかと思うほど。当時の軍隊(日本軍=天皇の軍隊)の実情が描かれるたびに、私が生まれるわずか数年前にこうしたことがごくありふれた光景として繰り広げられていたのだと思うと、自分が経験したわけではないのに何だかフラッシュバックが生じたような錯覚に陥るのです。

当時の日本軍の姿は、現在も形を変えて自衛隊や警察、学校その他さまざまな場に生き残っている。考え方そのものも同様です。
権力(お上)に従順でものいわぬ「国民性」も当時の徹底的な言論統制と異論排除、地域ぐるみの総動員体制の名残りと見られないこともない。
学校にはびこる陰湿ないじめは企業内での差別やいじめと表裏一体だし、教師、スポーツ指導者による「体罰」もまたストレートに日本軍にその根源を持っています。
ネット(とくにSNS)を舞台にしたネトウヨらの組織的な活動もまた、非論理的、情緒的、短絡的、排斥的、暴力的である点で、この国の根っこで培養されてきた国家主義的な非合理主義と相性は極めて良く、安倍ら改憲右翼と結合力を強めながらその勢力を広げているかにみえます。
これらが目の前に姿を現したとき、ナチスでいえば突撃隊、ゲシュタポなどのような役割を果たすのではないかと私には思われてなりません。
つい先日の参議院選挙で大きな成果を上げた「れいわ新撰組」の障害をもつ当選者や山本太郎に対するネトウヨの悪罵・攻撃は目に余るものがあるし、韓国への関心をしめす芸能人への攻撃もまたひどいものがある。

沖縄ではネトウヨの名札のついた連中は現在では見向きもされないようになっているけれど、それには非暴力・直接行動という節度ある粘り強いたたかい自体が彼らの異常さを浮き彫りにしてきたことと、事実にもとづく徹底した批判活動が行われてきたことにあります。
「本土」の側でも、「Ospray FuanClub」のようなネット上での活動が旺盛に展開されなければならないと切に思います。
彼らはたくさんの事実の中から自分に都合のよいところだけを切り取って別の意味を付け足し加工し、事実とは正反対に描き出すことが仕事です。映画「新聞記者」で描かれていたように、内閣情報調査室自体がネトウヨ本舗のような組織的活動をしているわけですから、なおさら国民の側からの大規模な反撃が必要です。
そのためにも、この国の歴史について正しい知識を持つこと=歴史学の成果に学ぶこと、他国の民主主義の経験に深く学ぶことが大事だと私は考えています。
次は薗部英夫さんに教えてもらったデンマーク「デモクラチ」についての論考。学ぶことがたくさんあります。
デンマークの投票率が高い理由を、人々の日常から探ってみた



  7月23日(火)
あと2,3日で梅雨明け宣言が出るのでしょうか。午前中から夕方まで日差しが強く、蒸し暑い1日でした。
昼頃から畑に出て除草に専念していましたが、とにかく汗ダラダラ。3時過ぎからは少し風が出てきて日陰にいれば割と過ごしやすくなりましたが。
夜になって突然の大雨。ナウキャストでみると、局地的な雨のようであまり動きがない。ところどころで集中的に降っているようです。
畑の草の伸びるのが異様に速い。イチゴの植えてあったところなどは、マルチをしてあるにもかかわらずマルチの間と言わず畝の間と言わずびっしりと背の高い草で覆われて手のつけようがない。とにかく少しずつ取り除いていくだけです。草だけではなく暑さともたたかわなければならないので、これから約1ヶ月が最も体力を消耗する時期になります。

さて、参議院選挙が終わって、第1印象は野党統一候補の善戦が光ったこと。そのために、自民党は公示時改選議席66を57に減らしたのですから。長野でも羽田さんは自民党候補に大差をつけて勝利しました。これは今後の衆議院選挙に向けての大きな力になるでしょう。
次に感じたことは投票率の低さ。水島朝穂さんは「ドイツでは、投票率が60%台になると『民主主義の危機』が言われるようになるから、投票率が50%を切る日本は、まともな民主主義ではもはやないということになるのか」と書いていました。
自公政権の目を覆いたくなるような退廃ぶりに、選挙に意味を感じなくなり政治から遠ざかってしまう人々を大量に作り出しているのではないかと思います。
それをいいことに、これからもますます安倍の暴走は続く。改憲勢力に2/3を取らせなかったことは救いですが、安倍政権は国内の矛盾を海外にそらし、それをテコに改憲策動を手をかえてやってくる危険が濃厚です。
たとえば、ホルムズ海峡の航行を守るという口実で有志連合に加わり、危険な状態を作り出して、「だからこそ自衛隊を憲法に書き込むことが必要だ」と世論誘導する。あり得ないことではないでしょう。

この選挙で、「れいわ新撰組」が現状を何とかしたいと考え出口を求めていた人々の受け皿になったことは間違いありません。市民とともに新しい政治のあり方を模索する実践という意味では極めて大きな意味があると私も思います。
しかし一面では、山本太郎個人の魅力に負うところが大きいわけですから、今後の政党としての活動は全く未知数です。
野党の分立が続き、自公が維新をとりこんで安倍政権を維持するという構図はそれなりに続くと見なければなりません。
だとすれば、人々の願いや要求をともに実現する日常活動を地道に着実にすすめて、国政と結びつけて解決の道をしめす以外にありません。選挙のときだけ華々しく政策を訴えても、それは単なるパフォーマンスに過ぎませんから、無力なだけではなく有害ですらある。
選挙に行かなかった人たちの多くは、いろいろな矛盾のさなかにいて、出口がない状態に置かれているとみるべきでしょう。
アルバイトをいくつも重ねてやっと食いつないでいる若い人には政治は遠い世界のことです。子どもを抱えてあくせくはたらき、それでも明日食べるものにも事欠くような母子家庭にとっては、やはり政治は冷たいものです。低年金でかろうじて暮らしている高齢者にとっても同様です。
学校からはじかれ、友達も持てない子どもたちが安心して過ごせる場所は身近にないとすればどうが。親も子も政治に何ら期待を寄せることができないと感じても不思議ではありません。
本来、日本共産党の値打ちは、地を這うようにそうした人々に寄り添い、いっしょに考え打開の道を見つけ出すことにあるはずです。大きなことはいえませんが、その活力を一層高める必要があるのではないか。もちろん、文字通り地域でそれを実践している多くの党員や支持者がいることは私もよく知っています。
私自身、残り少ない人生ですが、そうした本来の活動の原点に立ち返って少しでも貢献出来るように努力を続けたいと考えています。
仲間を増やし、議論し、気負わずいっしょに楽しく行動する。活動の場をこれ以上増やすつもりはありませんけれど、質の向上をはかることがまず先決ですかね。



  7月20日(土)
短文であるが故に端的に本質を突くコトバを発することが可能であると同時に、全く正反対のことも当然ありうる。事実、ネット(とりわけスマホでのネット利用)はそうした言動であふれている。
日常のちょっとした出来事や感想を述べる程度ならば、多少ザラつきがあっても軽く読み飛ばすことができるけれど、世の中の見方や人間のありようにかかわる問題ではそういうわけにはいかない。
加えて匿名性が付加されれば、まともな言論の場とは到底言えない空疎なコトバが飛び交う空間と化してしまう。それを狙いとする勢力がその効果に期待をかけて跋扈するとすれば、そこから生み出されるものは、およそ理知・理性とは縁のない人間不在の魑魅魍魎だけだ。
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この国の歴史だけではなく、近現代の歴史を見れば、普通の庶民は権力者の狙いに気がつくのは、大体において重大な事態が起こってから後。気がつく前は、大抵権力者たちの言論統制にまんまと載せられ、熱狂し、あるいは無関心になり、ターニングポイントにも気がつかない。そして、とんでもない事態が将来されて、そんなはずではなかったという。
           *          *            
あの戦争が終結する前10年ほどは、批判的な言論はすべて封殺され、逆にメディアは御用メディアと化して翼賛化、国民をあおりにあおった。
今日、その当時とはまったく異なって、理性的・実証的な言論活動が旺盛にかつ分厚く行われています。一時期、ネット上では軽薄でデタラメなコトバの投げつけや決めつけが横行した時期がありましたけれど、最近ではそれらに負けない冷静で論理的な言論が積み重ねられつつある。とりわけネトウヨ連中の組織的・系統的な「策謀」に負けない力量をつけつつあるのは心強いことです。これからもこうした言論活動がネット上で幅広くくり広げられることを期待したいものです。

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今日は定例の「こどもじゅく」に加えて「1日体験じゅく」を行いました。来てくれたのは中学2年生を中心に5名。信大の学生諸君も数名参加してくれ、和やかにしかし熱心に最後まで苦手な分野にとりくみました。
最近の特徴は、学校になじめなかったり、いじめを受けて学習が相当に遅れている子がものすごく多いこと。新聞だけではなく人づてにこの塾の存在を聞いてやってきたという親も目立つようになっています。
残念ながら、まだまだ存在が知られていないのが何とも歯がゆい。あらゆる手段を講じて、こうした場があることを知らせていきたいものだと強く思わされました。
とはいえ、それを支えるスタッフも重要。学生は1年でキャンパスが変わる場合もあるので数年にわたって力を注げる経験者がどうしても必要です。
終わった後のミーティングで、安定したスタッフの体制をつくりつつ、「来ればホッとする、わかる喜びが実感できる学びの場」をつくっていこうと話し合ったことでした。



  7月19日(金)
「京都アニメーション」スタジオで引き起こされた信じがたい凶悪な犯罪で、30人を超える方々が亡くなられ多数の負傷者が出たとのニュースがありました。
なぜ犯人がこのような放火・殺人という凶行に及んだのか真相はまだほとんど分かってはいませんが、日本のアニメ業界を背負って立つべき多くの有能な人材がこうした蛮行で命を落とすなどということが許されるはずもない。なくなられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、負傷された方々の1日も早い快復を願います。

妄想の世界に住んで他人への攻撃性だけを肥大させるこの種の人間を生み出すのは、とりわけ人間同士の連帯感や社会性を奪う新自由主義的なこの世の中なのだと考えることはあながち外れてはいないはず。ネット空間で特殊な感情を肥大させ、被害妄想に陥ることもそうした社会の中では容易に生じうる。
人々が自分たちの住む社会、地域、職場などの中で、理不尽で非人間的な関係を断ち切れないときに、想像を超える犯罪が生み出される可能性があることを、怒りや悲しみの底から考え続ける必要があるのではないでしょうか。

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昨日午後から松本駅前で共産党志位委員長の演説が行われるというので妻と一緒に出かけました。私はちょうどそのあとが「こどもじゅく」だったので都合がよかった。
「しんぶん赤旗」で読んでいたことが話の中心だったので話もよくわかり、いつもながらの話術に感心して聞いておりました。その場で野党統一候補の羽田さんが「比例は共産党に」とでかい声でリップサービスしていたのが印象に残りましたっけ。
その志井さんも触れていたことですが、安倍政治を語るときに、もはや定番ともなってしまった「忖度・隠蔽・改ざん・ねつ造」という単語。まだまだ付け加える単語がある・・・「虚偽、偽装、介入、強権」。他にも「フェイク、セクハラ、パワハラ」という外来(造)語などもあげないといけませんかね。
水島朝穂早稲田大学教授は「情報隠し」「争点ぼかし」「論点ずらし」「友だち重視」「異論つぶし」を安倍の5つ統治手法だとまとめていましたが、こうした一つ一つの単語、特徴付けが、年を追うごとにその内容が分厚く膨れ上がっていくのは本当に恐ろしいことです。

安倍首相は各地で応援演説する際に、「野党は年金問題を解決する財源の裏付けがない」とか「立憲民主党と共産党が組むなどというのはありえない」「安倍政権になって雇用は380万人増えた」「年金を0.1%増やした」というような「ウソ」を並べ立てています。
確かに、私のもとにも先日「(基礎)年金が0.1%増えました」という通知がきましたね。だが実際に上がったのか??実は物価上昇率=1%分上がるべきところマクロ経済スライドによって0.9%削られて、実質的には減らされていたのです。ショック。これをアベさんはどや顔で「増やした」とおっしゃるのですからいい気なもんです。

つい最近では、北海道札幌駅前の自民党の街頭演説会で起こったこと。「安倍やめろ」とヤジを飛ばした市民が、直ちに警察(制服+私服数名)に排除されるという事件があったという。
物理的に演説をさせないような不法なやり方や右翼街宣車のように大音量で妨害するような行為なら当然排除することもあり得るでしょうが、不特定多数の聞いている街頭演説では、先に書いた年金問題でのようなウソをいえば市民から怒りの声も上がる。それこそ市民的自由というものです。
右翼街宣車は野放し、正当な抗議行動ですら強権的に排除するこの政権のもとで、さらに全国的な警察権力の横暴も安倍政権の大きな特徴の一つになってきたということか。

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畑では、スイカが何とか10個ほど大きくなりそうな実をつけていた。トマトやナス、カボチャは割と順調、しかしなぜかキュウリは完全に失敗で、変な形のものしかとれません。ゴーヤーやヘチマも全然実がつかない。日照不足と夜の気温の低さがたたっているのでしょうか。
ようやくイチゴのランナーを育てる場所づくりに着手しはじめたもものの、いつ除草が終わるか分からないほど草がはびこっている状態。相変わらず草とのたたかいが続いて、トホホな毎日です。









  7月17日(水)
長野県は今日ところどころゲリラ豪雨のようになっているらしく、池田から穂高の方面にかけて急に強い雨が降り出しました。豊科に近づくと小降りになりまもなく雨の気配もなくなったので一安心。
明日は妻の誕生日ですが、二人ともそれぞれ夜に出かける用事があるため、今日お祝いの食事に出かけたのでした。妻は例によって生ビールを注文してご機嫌

昨日は私の整形受診日でした。このところ、状態が変わらないのでだいたい3ヶ月に一度の受診。多少は骨の状態も改善しているかと思ったら、レントゲン撮影の結果を見ると、全く無残な状態に写っていてガッカリ。医者は、根本的に治療するなら、骨を物理的に金属で留めて正常な湾曲に戻すことになるが、そうすると畑仕事など腰を曲げたり重いものを持ったりする仕事は無理と宣告。そんなのはいやですから、「適当に付き合って過ごすしかないですね」と返事をし、半年後にまた受診することにしました。

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参議院選挙も終盤。各社の予測が出ていましたが、そんなことに一喜一憂していてはいけませんね。
ここにきてネット上には興味深い映像がアップされていて、多くの人に見てもらったら考えも変わるのかなと思わされました。
私はあまり好きなタイプではなかった憲法学者の小林節さんの話を聞いていたら、なかなか鋭い見方を披瀝していましたっけ。政治を変えるには共産党を伸ばすしかないということを力説しているその理由です。私もそのことには全く同意します。最近そのことに気がついたのだそう。その映像が次です。
なお、実際に大阪で辰巳コータローさんの応援演説に立って同趣旨のことを話していました。


次は「リベラル保守宣言」の中島岳志が「とことん共産党」にネット出演して小池晃さんと対談している動画。内容はほとんどこちらで読めるものですが、面白いのは真に保守といえるのは共産党であり、政策もうなづけるものが多いという指摘。共産党と組むと保守が逃げるという見方は誤りだということには実践的に答えが出ているし、共産党への誤解や偏見を解いていく努力をいっそう強めるなければならないと思わされる対談です。



次は現役創価学会員が共産党を支持する理由を述べる動画。本当に切実な問題なんだなと身につまされます。


最後はちょっと毛色の変わった動画。「若者よ、選挙に行くな」。下が昨年アメリカ中間選挙のキャンペーン映像で、リンクがその日本版。ちょっと狙いが露骨ですから、まあ、賛否はいろいろでしょうが、若い人が見たらどう言うでしょうかね。おそらく日本と、韓国・香港などの若者とはかなり反応が違うんじゃないだろうか。


「若者よ、選挙に行くな」





  7月14日(日)
午前中晴れ間を見て畑に行き、ネギの土寄せをしたり草取りをしたりしていましたが、何しろ後ろを見たらもう草が生えている状態ですので、全く埒が明かない。
現在畑は通路を挟んで200坪ほどの南側と、300坪ほどの北側があり、南半分にはイチゴの畝がかなりあります。北側のネギ畑やトマト・キュウリ、カボチャ、スイカ、ウリのゾーンを中心にずっと作業をしてきたため、南半分はほとんど手つかず。
こちらにはランナーを取らなければいけないイチゴがあるのに草も伸び放題で、どうしたものか途方にくれています。
雨は作物にはありがたいのですが、夜の気温が低いためか、生育の悪いゴーヤーやヘチマ、背ばかり伸びるトウモロコシ、形の悪いものばかりできるキュウリ・・・なかなかうまくいかないのが作物栽培です。
明日には雨雲も去って天気が回復するでしょうから、作業に精を出して南側の方にも手をつけないといけません。

一方、わが家の庭先にもモチトウモロコシとポップコーンが植えてあるのですが、これまた成長著しく背ばかり伸びて一向に花(穂)がつかない。背丈はとうとう屋根まで達してしまいましたよ。畑ではかろうじてポップコーンのほうに穂やひげが出てきたのに、庭先はまだその気配もありません。いつもならゴーヤーのカーテンができるのに、コーンの影になってちょっと心配。どうなるのでしょうか


先日、100歳になる義母のお祝いに沖縄行きの便を調べていたら、今年の11月から12月にかけての飛行機はほとんど予約済みか高額料金ばかり。とんでもない状態になっていることがわかりました。いったい何があるのでしょうか。
かねてからの予定では農作業も終わる11月末に出かけようと考えていたのに、急遽予定を変更、何とか格安航空券が入手できる10月中旬に二人で出かけることに決めました。短い期間なので飼い猫のハルちゃんも我慢してくれるでしょうから。
山形県にいる妻の妹もそれに合わせて行くということになったので、集まれる家族だけでささやかにお祝いできればいいなと考えているところです。
義母は一時期の危機的状況を脱して、前と同じように歩行器を使って歩くことも出来るまでに回復しているとのこと。頭もしっかりしているので、本人が口にしていたとおり「意地でも100まで生きる」姿が見られそうで楽しみです。

その沖縄では、高良鉄美氏が野党統一候補として奮闘中。全国では沖縄県民の粘り強いたたかいに呼応して、野党統一候補の政策に「辺野古新基地建設反対」が入り、野党共同の取り組みに幅と厚みを広げています。だが、実際にはまだまだ現地で何が行われているのか、何が起こっているのか知られていません。
たとえば、土砂の積み出しを行う本部港では、わずかな抗議行動の住民を排除するため100人を超える警備員が動員され、作業終了後は長蛇の列をつくって帰って行く。その異様な様に戦慄をおぼえます。
下の2枚は北上田さんの写真ですが、彼は「いったいいくらの警備費用がかかっているのだろうか? これは全て国民の税金である」と怒りをぶちまけていました。


また運び出される土も岩ズリとは名ばかりで赤土だらけの土砂。これでは海の汚染の元になるし雨になれば赤土が流れ出し環境汚染の要因ともなる。沖縄防衛局はそんなことは全くお構いなしなのです。


参議院選挙では、こうした安倍政権の住民無視の強権政治に何としても審判を下さなければなりません。

ちょっとネット散策しただけで目にしたいくつかの映像。共産党の小池晃書記局長の年金問題での国会質問(6/10)の再生回数(ツイッター版・ダイジェスト)が700万回を超えた、1000万回に行くんじゃないかと評判になっているのだとか。
権力の闇に迫るYouTube映像も多数アップされています。前川氏のようにかつて官僚組織にいた人たちが次第に声をあげ、束になって権力に対峙しつつある姿は、安倍内閣の反知性的、非人間的な忖度政治・アメとムチを使い分ける強権政治と見事に対照をなしています。対峙する人たちが極々自然体で向き合っている(心の中は嵐かもしれませんが・・・)のがいいですね。たとえば、下のような座談会や講演はいかがでしょうか。

1.ハフポスト日本版 映画「新聞記者」にも登場する内調とは一体どんな組織か。
           官邸を知る記者や元官僚が対談
2.ハフポスト日本版 望月衣塑子記者や前川喜平氏ら、安倍政権の圧力について語る。
           映画「新聞記者」公開に合わせ
3.ハフポスト日本版 映画「新聞記者」公開を前に、
           東京新聞の望月衣塑子記者や元官僚の前川喜平氏らが対談




  7月13日(土)
母の命日。亡くなったのは2007年の今日でしたから13回忌ということになるのでしょうか。親戚一同が集まって追悼の式を催すのが「普通」なのでしょうが、親戚も超高齢または鬼籍に入った者ばかりだし、集まるにしても遠いので、7回忌を最後にそれぞれでお参りをしようということにしたので、それもなし。
毎年のことですが、本当にささやかに二人で母の写真を前に手を合わせました。本当に年月の流れるのは早いものです。この分だと、息子・娘たちが私や妻の遺影の前で手を合わせる時もそう遠くないのかなと思ってしまいます。
さりとて、そう簡単に写真にはなるわけにはいかないので、まだしばらくジタバタするつもり。


忙しさに紛れて記録するのを忘れていましたが、先日松本イオンモールの中にある映画館でいま話題の「新聞記者」を観てきました。うわさに違わぬリアリティーに満ちたすごい映画でした。
元文部次官の前川喜平さんが大町で先日行った講演で、「実は私も出ているんです。私に似た、と言った方がいいのかな」と話していた通り、テレビのインタビューを通してではあれ2度ほど姿を見ることが出来ましたっけ。
ネット上のある寸評で、「新聞記者」というより「内閣情報調査室」という方がふさわしいのではと書いていましたけれど、安倍政権とそのもとでも官僚のすさまじいまでの国民不在のゆがんだ行政、非人間的なありよう=「権力の闇」を描き切っていました。
思わず各所で叫び声を上げたくなる衝動に駆られるというほどで、映画を観てそんな気になったことはついぞなかったこと。
憲法も法律も無視して沖縄の辺野古新基地建設を強行する安倍政権のことですから、この映画に描かれたような場面があったとしても全く不思議ではありません。むしろ、望月衣塑子さんや前川喜平さんの体験がそのリアルさを裏打ちしているわけで、日本でもようやくこうした映画が作られたことに深い感慨を覚えます。
まり好きじゃなかった俳優の松坂桃李が好演していて、その点はちょっとは見直しましたね。もっともっと多くの人に観てほしい映画です。





  7月11日(木)
朝からパラパラ雨が落ちるあいにくの空模様だったけれど、ナウキャストの画像からしばらくそれほどひどくはならないだろうと判断してバラ園へ。先週はさすがに私一人でしたが、今日は5名が来てくれました。
雨模様の中で枝を切ると病気のもとなので「花がら摘み」は行わず、もっぱら草刈り機で園内の伸び放題の草を刈ることに集中。園内は小石でガラガラなので、おかげで歯はボロボロになってしまいました。
今年は夜の気温が低いせいか、バラがまだずいぶん沢山咲いて最盛期と変わらないような勢い。晴れた日に手入れをちゃんとすれば素晴らしく美しいバラ園になるのではないかと思われました。
本体の雨雲が接近しているのを知っていたので、作業は約1時間ほどで終了し、あとは5人で作業時間と同じくらいおしゃべりタイム。

そのときです。コーヒーを店から運んできたロッジの主が「あれなに?」と怪訝そうな声。ほとんど同時に私もその物体に気がついていました。何一頭のカモシカがバラ園に侵入しているではありませんか。
見ていると、沢山の花を咲かせている白いバラの花を美味しそうにムシャムシャ。10数メートルほど先でお茶会をしているのにも関係なし。
「特別天然記念物だし、このまましばらく食べさせておいてやろう」と私。「いや〜びっくりした。初めて見た。ここまで来るんだねえ」とMさん。「そ〜なの、前にも来たことがあるのよ」とYさん。その後、写真を撮ろうとしたMさんが近づくと、さっと身を翻してどこかに行ってしまいました。
あとでYさんに「Yさん、カモシカのような足だねえ」とからかうと「そうなの、私もそう思っていたの」とうれしそう。「ところで、カモシカってシカの仲間じゃなくてウシの仲間なんだって」とつぶやくと「・・・」。これってセクハラかな?
上がおしゃべりの場から撮ったもの。下は一部を拡大したものですが、画素数の少ない携帯のため相変わらずボケボケ。写真だと何だかウマみたいに見えますね。




さて、東京在住の友人MNEMOさんが昨日の「こどもじゅく」の記事に寄せて、長野に移住してからの私のさまざまなボランティア活動を総括的にこれ以上ないほど高く評価してくださいました。嬉しいのは当たり前ですが、一方で穴があったら、というより自分で穴を掘って入りたいほど恥ずかしい。(よってリンクはつけません)
私は、他人から私の活動の原動力について聞かれたときに、きまって「過去の悪行の罪滅ぼしです」と言うことにしています。罪滅ぼしなら何よりも連れ合いにしなければなりませんけれど、身内なら毎日の生活で認め合えばそれでよろしい・・とまあ、勝手に判断して。
私は一時期、身を粉にして、身を捨てて他人のために尽くすことが自分自身の幸せにつながると信じ込んで、それこそ家庭を顧みずに活動していたことがありました。
その反動からか、自分の幸せなしに他人の幸せなど考えられないとの衝動に駆られ、脇道に迷い込んだのでした。東京時代とは実にそのような時期だったのです。
そこで知り合ったMNEMOさんのような優れた友人に恵まれ、仕事とパソコンに集中した私は、母親の介護をしつつ、ある意味新しいパワーを手に入れてもう一度「よりよい生活」を求めて安曇野での生活に旅立つことになるのです。(転んでもただでは起きない、ですかね)
その際に、息子・娘の後押しが大きな励ましになりました。家族の再発見と自分自身の生き方の再起動です。そして、他人のためにすべてをなげうつような前時代的な悲壮なやり方でも、マイホーム的で非政治的なあり方でもなく、「お互いさま」の連帯に裏付けられた生き方へと改めて自分を「仕向け」ていったのでした。
だから、もしどうしてそんなに熱心にボランティア活動に専念できるのかと聞かれれば、「もし自分がそのような境遇だったらそうしてほしいと願うだろう人間的な対応」をできるだけ心がけたいというのが現在の私の心境だと答えましょうか。
私は縁の下の力持ちが似合っている、そう常に思い続けてきました。誰かのために役立つのなら、私がいままで蓄積してきた精神的財産をいくらでもつぎ込んでもよい。たとえば、子どもたちの知的成長に少しでも役立つならいくらでも提供する、それが現在の私の立ち位置なのです。
自らすすんで社会的弱者になろうと思う人はいない。まさしく「社会的」に作り出されてきた社会的存在なのです。「政治的」に作り出されてきたという側面が最も大きい。だとすれば、社会的に政治的に変革するしか解決の方法はありません。
幸いなことに、この国では極めて正確な綱領と力量を備えた政党である日本共産党が厳然としてある。党員ではなくても、その活動の一翼をになうことは当然できるし、むしろ私のような人間がその活動の一端に連なることができれば、活動の幅を広げることに貢献できるのではないかと思っているのです。
現在の私には、MNEMOさんだけではなく、安曇野に来て、あるいは沖縄で得たさまざまな友人がいる。大事にしなければと、あらためて思わされているところです。



  7月10日(水)
久しぶりに青空がのぞいて暑くなりました。NTTの光回線からケーブルテレビに切り替えるために、朝早くから業者が来ていて作業してくれていましたが、昼前から青年劇場「みすてられた島」の舞台装置搬入があって出かけるため、作業は一旦中断してまた今度に。
北アルプス市民劇場も高齢化の波に洗われて会員数が減少。結局会費負担がそのままで年4回公演が3回になり残念な状態に陥っています。とはいえ、貴重な演劇鑑賞の機会ですから、できるだけ多くの人に会員になってもらい自分たちの手で文化運動を担っていこうと努力しているのです。
搬入はこれまで数回手伝ってきましたが、そのたびにあの広い舞台に持ち込まれる大道具・小道具や照明器具その他が見事に組み立てられて舞台が設定されるのは感動モノです。役者さんたちも一緒になって運び込むので、それもまたなかなか得がたい経験。
私はどちらかというと妻に引きずられて見ている方ですが、妻は若い頃からこうした演劇運動の担い手として活動しており、あのエネルギーはどこから出てくるのかとそばで見ていても不思議。映画なども私が出不精なので、いつも時間があると一人で映画館に出かけていきます。

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先週木曜日に信濃毎日新聞の記者が松本での「こどもじゅく」を取材してくれ、今日ようやく記事になりました。
7月20日(土)に中高生対象の体験教室を開くのでその宣伝を兼ねて取材を依頼していたところ、こうした無料塾の意義を認め大きな紙面を割いて紹介してくれたのです。ありがたいことです。
当日会の責任者が不在だったので、私が主に基本的な情報を提供し、あとは参加スタッフや生徒から聞き取りをして、なかなかよい記事を書いてくれました。大勢来てくれるとうれしいのですが。
私はとくに記事を意識することなく、この塾の意義や経過を語っていたために、紙面に書かれている私の言葉を見て、”まあ要約するとそうなるんだけれど、そんなかっこいいこと言ったっけなあ”と思わず赤面。記者のまとめ方にも感心することしきりでした。
昨年度末にかなりの数の生徒が卒業しその後人数が少なくなってしまったので、何とか対策を講じようといくつかの企画を考えて新聞社にも協力を依頼してきました。来週は市民タイムスの記者も来てくれることになっているので反響があるといいですね。
残念ながら、こうした塾があることが十分に知られていない。信大や松本大学の学生達が大勢協力してくれているのにそれに見合う子ども達が少なく、スタッフ過剰の状態が続いているので、早く活気ある教室にしたいものです。





  7月9日(火)
思い立って、昨日の朝から今日の昼過ぎまで富山に行ってきました。一つは母や弟の墓参りのため、二つは私の妹、娘に野菜を届けるため、三つはいつものように魚を買ってくるためでした。
何度も通っている糸魚川経由の道なのですが、工事が多かったり大型とすれ違うことが多いので運転には結構神経をつかいます。

富山に着いたその足で墓園に向かいました。まだお盆前なので閑散とし花や供え物の残骸などが残っていてちょっと殺風景。父母や弟の入っているお墓も例外ではなかったので、周辺の掃除をしたあと、二人で手を合わせてきました。


次に寄った高岡の妹夫婦のお宅では、アメリカ人の夫を持つ娘(私の姪)の子ども達二人が滞在していました。小4、小2と大きくなったこの子たちにちゃんと向き合うのは多分初めてかな。人見知りすることもない活発で利発な子たちで、いっしょに遊びながらしばし楽しい時間を過ごしました。
海外での生活が中心なので、言葉をきちんと習得するために年に一度は日本の学校に入れるようにしているのだとか。父とは英語、母とは日本語を話すという日常で、今では言葉の切り替えもほぼ大丈夫のようで、安定したバイリンガルになるにはあと少しの辛抱なのだとか。大変なこともあるだろうけれど、ある意味うらやましい・・・かな。


その後、宿泊先のホテルにチェックインしてから娘の嫁ぎ先に。大家族で理髪店、美容院を経営しているので、いつも遅い夕食。長女はこの春の受験で落ちて現在浪人中。数学の勉強の相談にのりつつ、あと半年しっかり頑張るように励ましてきました。

宿泊したホテルは高岡駅近くのビジネスホテル。できるだけ安いところをとネットで検索して予約していたところなのですが、思いの他快適でよかった。
まず値段。一つがダブルベッド、もう一つがシングルベッドのツインの部屋で約7000円と書いてあったので一人7000円かと思ったら二人でそれだけ(ただし駐車料金500円プラス)。朝食はバイキングでおなかいっぱい食べられるし、温泉の(大)浴場もついているし、何とも安かったので二人で顔を見合わたものでした。
なぜそんなに安いのか考えてみると、主に人件費を中心に徹底したコスト削減なんでしょうかね。
部屋はフロントでカードを渡して管理するというやり方ではなく完全に暗証番号(6桁)のみ。夜ホテルに入るのも同じ暗証番号。だから入室や外出などに人手は一切いらない。
部屋はダブルベッドでほとんど占領されるほどの狭さ。ツインというので、二つ並んでいる部屋を想像していたら何と二段ベッド(ロフトと言った方がいいのか)。膝の悪い妻は下のダブルベッドに寝て私は上のシングルによじ登って(文字通りよじ登る!)お休み。下はベッドメイキングしてありましたが、上は自分でシーツを敷いて寝るという案配。
それでも食事時などに手を抜いているというわけでは決してなく、担当者がしょっちゅうおかわりの皿を持ってきて「○○ができましたので、ぜひどうぞ」と案内してくれる。こんなやり方もあるんだなあと感心した次第でした。

明けて今日は富山のショッピングセンターと黒部のお魚の駅に立ち寄ってお目当ての魚を仕入れ、3時頃無事池田に到着しました。
帰ったら、ハルちゃんが「どこに行っていたぁ〜」とばかりギャーギャー鳴いて出迎えてくれました。沢山いれてあった餌はすっかりなくなっているところを見ると、昨日のうちに全部平らげてしまっていたらしい。
夕食時、ハルちゃんのごちそうはハマチの刺身。いつも醤油をつけてお召し上がりになります。



  7月4日(木)
夜半からまとまった雨が降り早朝には小降りに。ナウキャストで見ると雨雲が去って天気が回復することがよくわかり、ともかくバラ園にいってみようと刈払機を積んででかけました。
こんな日はさすがにというべきか、園に来たのは私だけ。約1時間ほど周辺の草を刈って帰りました。
先週にはまだ草の出がけの園内も一週間でびっしり緑色に覆われ、あと1、2週間もすれば始末におえないようなことになりそう。来週はとにかく除草に専念しなければならないでしょうね。
湿度が高いので汗びっしょり。帰る頃には日差しもさして今日も暑くなりそうです。

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さて、昨夜は町の「町づくり懇談会」があったので出かけました。今後10年間の町づくりの基本方針「池田町第6次総合計画」(先日策定された)や「美しい町づくり推進計画」などについての説明があるというので、いくつかの質問、意見を持って参加したのです。
今後急速に人口減少がすすみ、さらに労働力人口が目に見えて減る極端な高齢化と少子化が合わせて進む状況にいかに対応するのかというのが一つの大きなテーマ。
私が昨日の「懇談」の中で発言したのは次の3点でした。他にも言いたかったことはあるのですが、それはまた次の機会にして。

第1の点は、町の施策の柱になっている「移住・定住促進」に関して。
池田町は景観の良さから過去ずっと転入者が多く、転出と転入のバランスがうまくとれてそれほど急激な人口減少にはなりませんでした。しかし、ここ2,3年前から子どもの出生者数が60人台から40人台に減少し質的な変化が起こり始めていることに町は危機感を募らせ、移住対策に力を入れ始めてきたのです。
まず私が指摘したのは、「移住定住」の前提になるのは「現在住んでいる人たちがいかに住みやすい町になっているか」ということ。それ抜きでは外から来る人たちに快適な環境を保証することはできないからです。
そのうえで、まず高台に住んでいる私のような人間がさらに年を重ねて車の免許証を返納しなければならなくなったときに、高台から病院や買い物の場の近い平野部に移転し、それまでの家屋は移住希望者に提供する、そうした循環型の政策をダイナミックに展開する必要がある。空き家を探すだけではなく積極的に空き家を政策として生み出し、場合によっては一軒家であっても町の賃貸住宅にして貸し出すような政策を展開する必要があるのではないかということでした。
これは池田町に住む人たちにとっては安心の住環境の提供になるとともに、新しくこの町に来たい人たちにとっても将来の安心を与えることですから、一石二鳥の方向性でしょう。

第2、第3の点は財政問題。
第2点。池田町は社会資本総合整備事業のために多額の資金を使い、そのために借金も急速に増えてきました。それ以外にもいくつかの大型の事業のために財政支出を余儀なくされてきたのです。
町の財政予測では、今後年度ごとの借金返済(公債費)が膨らみ、2022年度には7億円もの返済を見込むというちょっと想像できないような事態になっています。実質公債費比率も2021年度には13.4%まで上昇。一般会計の支出を圧迫することが懸念されるのです。(下の表1、表2=私が過去につくったものに最新のデータを入れた=参照)
こうした事態に対して、町民生活に極力影響がでないような対策をとる必要があるが町はどう考えているのか。


第3点は、積み立て金について。池田町は2009年度までは財政調整基金の積み増しに力を入れ約9億円程度まで増やしてきました。考え方は隣の松川村とは正反対に、何でも使える財政調整基金(財調)中心で、いわば「どんぶり勘定」でした。しかし、大型の公共投資がにわかに浮上した2010年度から財調を多少減らして(切り替えて)「公共施設整備基金」という特定目的の基金をつくってそれを増やす方向に方針転換したのです。
それ自体はいいことでしたが、問題は目標とする事業が切迫してから積むというやり方であることと、公共施設整備というくくりであるため結構「どんぶり勘定」的になっているために、この基金が極めて中途半端になっていることです。
従って、財政調整基金を3〜5億円にし、その他は将来の施設整備など明確な目標設定に従って10年程度の積み増し期間をつくり計画的に積んでいくようにすべきであること、松川村のやりかたに習うことが必要であること。
これらは上の表と同様、私が作成したものに最新のデータ(総務省・決算カードより)を追加したものです。ちなみに松川村は財政調整基金は約3億円、残りの大半は特定目的基金で、減債基金も池田町の数倍積んでいるのです。
これほどの違いがなぜ生まれるのか、町の財政担当者だけではなく行政全体としてもよく調べ考える必要があるのではないでしょうか。





  7月2日(火)
参議院選挙がまもなく告示される。安倍は先月26日の記者会見で「参院選では、憲法の議論すらしない政党を選ぶのか、国民にしっかり自分たちの考えを示す政党を選ぶのかを決めていただく選挙だ」と息巻いたと報じられていましたが、「憲法を守ることすらできな政党を選ぶのか、憲法をしっかり守る政党を選ぶのか」とそっくり言い換えなければならないでしょうね。
昨日の北上田毅さんのブログには、沖縄辺野古基地建設をめぐって、いま土砂搬出先の本部港や基地建設現場でどんな状態になっているのか、何枚もの写真を使ってリアルに知らせてくれていました。
それを見ると、 岩ズリと称する埋め立て材がほとんど赤土であること、運搬するダンプに違法車両が目立つこと、抗議する住民をネットを使って囲い込む警備員が多数配置され、数人の抗議する市民に30人ほどの機動隊員がよってたかって排除、呆れてモノがいえません。




辺野古埋め立てを巡って大きな問題になっているのが「岩ズリ」の単価問題。北上田さんのブログにそって整理してみると、次のようになります。

@ 今回(シュワブ(H29)埋立工事)の岩ズリ単価は1uあたり5370円と2014年度発注の単価1870円の3倍にもなっている。
A このため、従来価格との差額の総額は今回の埋め立て分(辺野古側)だけで45億円、辺野古新基地建設全体では575億円もの差額が生じる。


B 沖縄防衛局は13社に見積もり依頼をしたが12社が辞退。琉球セメントの1社だけが入札し見積もり通りに決定。
C ところが、この価格は「防衛局が業者に見積もりを依頼する前(少なくとも1週間前)に算定し設定した価格と業者の受注価格が完全に一致していた」ことが発覚。防衛局はこれについて、「入札手続きを開始した17年11月時点では、当該岩ずりの単価は記載されていなかった。18年1月25日に特記仕様書を修正し単価を追記した」と回答。


D しかし、2017年11月の特記仕様書にははっきりと岩ズリの単価が記載され、「追記」という防衛局の弁明は通用しない。もし防衛省・防衛局の説明通り後で追記したのなら、入札公告を出す際に工事費がきまっていなかったということになる。
E 防衛局が設定していた価格と業者の価格設定同額である(下の写真=沖縄タイムス)ことは、防衛局が設定価格より低い入札をさせないように12社を排除し琉球セメント1社に決めた疑いが極めて濃厚。そうなれば完全な官製談合である。


いかがでしょうか。国民の税金を湯水のように使い、不正行為もし放題。住民弾圧にも多額のお金をつぎ込み、アメリカのために基地をつくって差し出す。沖縄だから大多数の国民には知られないだろうと高をくくっているとすれば大間違い。こんな安倍政権に政治を任せておけばどんな未来が待っているか、想像するだに恐ろしい。





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