私が大学に入学したのが1964年。サークル紹介で「教育実践班」という教育系のグループの一員になったのはかつて紹介したことがありました。
入会してからは、地域にでかけては子ども会を組織し、教育問題を現場から議論したり創作活動を行ったりする日々が続きました。
ほどなく、ある政治問題=日韓条約反対=が大学でも大きなテーマになってきました。まだ大学1年の私には、先輩たちが熱っぽく語り合っている姿を見ているだけでしたが、当然のように私などにも説得(?)の嵐が。
ただ何となく共感できるという程度ではあったらしいことはおぼろげながら覚えていても、その内容がどうだったかまではまるで記憶にありません。まあ、そんな程度でした。
ただ鮮明に覚えていることが1つだけ、それは「日韓条約反対」という横断幕を私の字で(というよりレタリングで)大書したことです。当時から明朝体やゴチックで看板をかくことはとても好きで、いろいろと練習していたらしい。よって、極左のみなさんが大好きな例のタテカンの字は全く苦手。あんなのは単なる自己陶酔で字ではないと思っていましたから。
それはともかく、日韓条約が私の歴史に入り込んだのが大学1年のことだったのです。
日韓条約は1965年の締結ですから、それから50数年が経過したことになります。韓国が民衆の粘り強いたたかいによって、それまでの軍事独裁政権が倒され民主化された1988年から、すでに30年あまりが経ってしまいました。
日韓条約の持つ政治的な意味は今日では歴史学的には明確になっているのでしょうが、政治的には一向に明確ではありません。むしろ明確にするどころか、韓国を植民地化した当時の状況を正当化しさえする安倍政権のもとで、全く異常な隣国への対応という政治状況を作り出してしまっています。メディアもまた歴史的に実証的に物事を判断することをやめ、センセーショナルに政権追随の報道を垂れ流しているというのが現在の不幸な状況です。
折しも、ワシントンポスト(ウエブ版)に、Gregg A. Brazinskyさんの
ある論文が掲載されたのを知りました。Brazinskyさんはジョージワシントンの歴史・国際関係学教授。タイトルは「How Japan’s failure to atone for past sins threatens the global economy(日本が罪への償いを怠ったことが経済を脅かす)。
現在の「日韓対立」という深刻な現状を海外がどう見ているのかを知る上で貴重な資料だと思われました。一読して極めて常識的・客観的に問題を整理するとともに、日韓条約締結以降この条約のもつ意味が韓国でどう変化してきたのかまで歴史的に考察しています。
Literaのサイトでは、これについて詳しく紹介し、重要な部分は翻訳してくれています。
全体を通しての感想は、日本国内とはずいぶん違った冷静で歴史的な見方をしているなということ。
近所に住むカナダ人の友人が、安倍内閣の評価についても海外のサイトでニュースを見て判断していると語っていたことがつい思い出されてしまいました。
欧米では靖国神社は戦争神社なのであり、「従軍慰安婦」はあくまで括弧つきでまさしく性奴隷との認識ですから、国内のメディアとは大違いです。
日本の若者たちに英語力をつけさせる目的は、安倍政権にとっては「国際競争力」という「幻想」のためなのでしょうが、日本の若者が海外の人々をよく知り、海外の人々がこの国をどう評価しどう付き合おうとしているのかを知る意味では、これから死活的に重要になってくるのではないでしょうか。
長い間畑仕事ばかりで、少し覚えた単語も畑にまき散らしてスッカラカンになった頭では、たったこれだけの英文を読むのにも本当に一苦労。辞書とにらめっこしつつ反日じゃなかった半日かかりましたものね。それでも主張していることが分かれば嬉しいものです。
国家というものは、未来の平和と繁栄のために歴史に向き合うべきなのだ、それがどんなに醜悪なものでも・・・という指摘は重要ですね。民衆レベルでも当然そうすることが求められていますから。安倍さんに教授の爪の垢でも煎じて飲ませたい。