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  8月26日(月) その2
このごろ、朝晩ものすごく涼しくなりあちこちで虫の鳴く声が聞こえるようになりました。昼はまだ暑いままなので、畑に出る元気がありません。
知人のKさんから、保管しているタマネギを取りに来ないかと言われつつ、雨などでなかなか行けなかったのですが、忙しさが一段落したのと天気も回復したのとで、今日ようやく妻と一緒に取りにいってきました。私たちの活動に理解を示し協力してくれる方々が次第に増えています。タマネギを提供してくれたKさんもその一人。本当にありがたいことです。
出荷できないワケありタマネギで、傷み始めているものもあるのですが、ほとんどはまだ十分食用に耐える立派なもの。先日もらってきたものはすべて「こどもじゅく」に運んで分け始めているところ。これはその第2弾です。
何しろ大量なので、塾に運ぶまでにまだしばらくかかりそうです。わが家のベランダは現在タマネギに占領されています。


中には柔らかくなってすぐ傷んでしまいそうなものがあるので、それらは除外しネットに詰めて持って行けるようにする作業が結構大変なのです。それでもあと2,3週間後くらいすれば全部届けることができるでしょう。

続いて、わが家のトウモロコシの処理。今年はじめて作ったポップコーンの皮をむいて干す作業を約1時間ほど。1ヶ月ほど干せば、市販のポップコーンのようになるのではないかと期待して軒先につるしましたよ。果たしてどうなることやら。
つい先日、トマトやキュウリを植えたと思ったら、もう秋から冬の準備に取りかからなければならない時期。農業の楽しさと厳しさを同時に毎日体験しています。




  8月26日(月)
土曜日から日曜日にかけてめちゃくちゃ忙しいことになって、明けて今日ようやく一息ついているところです。
妻が静岡で開かれた母親大会に参加するために土曜日の朝4時頃でかけるというので待ち合わせ場所まで車で送っていき、帰ってすぐに自宅前の道路脇法面の草刈り(午前5時から7時まで)。
この日は、集落の米作農家の草刈りの日になっており、私は参加する必要は本来ないのですが、これまで私と隣のFさんが自主的に協力してきたのです。
そのあとちょっと休んで、昼前から松本のこどもじゅくへ。さらにその後、午後8時までアルバイト。

昨日は、池田町全域の防災訓練の日。午前7時半に訓練が始まるので、私は防災会の広報・記録係という役回りで昨年同様車で防災班の集合場所を駆け回りました。
わが集落では自主防災会の会員が18班の防災班に分けてあって、町の訓練開始と同時に班ごとに集合し安否を確認、必要な情報を提供したあと、集合人数や安否確認の結果を防災会の本部に報告するという手順です。
今年はこの形式での訓練の2年目なので、要領も分かっていてスムーズに訓練が行われたようでした。
下の写真は班の集合の様子。








写真を撮りおわったあとは、今度は町のブース型訓練に。これには、町の職員、各集落の消防団、それに各自主防災会から3名ずつが参加。地震体験車、消火訓練、避難所設営訓練、救急救命訓練などのブースを順に回って実地体験を行うというものです。
いろいろ体験できる機会としては重要ですが、問題は各自主防災会の活動の中でこれらをどう生かすのかは大きな課題であり、地域自主防災会と全体的な訓練との連携をどう図るのかをもう少しきちんと整理して訓練に組み込む必要があると思われました。
下の写真は、各ブースでの訓練風景。






訓練のあと、一息つく間もなく塩尻へ。アルバイトの第2弾。午後7時頃帰宅してようやく1日の予定が終わりました。ぐったり。



  8月21日(水)
松本こどもじゅくに来ている一人の生徒のためにこの1年間にわたって中1の教材を作り続けてきました。
数学ですから、式があり図形があり。普通のワープロではつくるわけにはいきません。さりとて、高いソフトを買うお金もないので、やむなく今から20年前東京で使っていたPowerMac G3MTのNisusWiterで作り込んできたのです。
Nisusでは当時思い切って購入したMathTypeが連動して使えたために、それを使って中1の教材だけではなく、高3の入試問題まで何とか作ってきたのです。
ところが、まず肝心のプリンターが壊れて印刷できなくなってしまった。古すぎるMacから現在のWindouwへはファイル変換できず、完全にWindowに移行しようかとも考えたのですが、たまたまメルカリで古いプリンタを見つけて入手。今のところ無事きれいに印刷できているので、引き続きMacを使うことにしたのです。
何しろ1998年のOldMac。いつ壊れてもおかしくないほど使い込んでいるので、今度はこっちが壊れるのが怖い。20年間のファイルが全部パーですから。画像などは当然Windowsに移し替えていますが、数学のファイルはそういうわけにはいきません。一部はプリントして保存してはいますけれど、何とかあと10年くらいは使い回したい。
単に思い入れがあるというだけではなく、使い勝手が大変いいのです。
というわけで、パーツを探してあれこれ四苦八苦。最も必要なのがロジック(マザー)ボード。余りに古いので、オークションでもメルカリでもほとんどありません。あっても動くかどうかわからないジャンク品がほとんど。しばらくは、骨董品集めが続きそうです。



  8月20日(火)
私が大学に入学したのが1964年。サークル紹介で「教育実践班」という教育系のグループの一員になったのはかつて紹介したことがありました。
入会してからは、地域にでかけては子ども会を組織し、教育問題を現場から議論したり創作活動を行ったりする日々が続きました。
ほどなく、ある政治問題=日韓条約反対=が大学でも大きなテーマになってきました。まだ大学1年の私には、先輩たちが熱っぽく語り合っている姿を見ているだけでしたが、当然のように私などにも説得(?)の嵐が。
ただ何となく共感できるという程度ではあったらしいことはおぼろげながら覚えていても、その内容がどうだったかまではまるで記憶にありません。まあ、そんな程度でした。
ただ鮮明に覚えていることが1つだけ、それは「日韓条約反対」という横断幕を私の字で(というよりレタリングで)大書したことです。当時から明朝体やゴチックで看板をかくことはとても好きで、いろいろと練習していたらしい。よって、極左のみなさんが大好きな例のタテカンの字は全く苦手。あんなのは単なる自己陶酔で字ではないと思っていましたから。
それはともかく、日韓条約が私の歴史に入り込んだのが大学1年のことだったのです。

日韓条約は1965年の締結ですから、それから50数年が経過したことになります。韓国が民衆の粘り強いたたかいによって、それまでの軍事独裁政権が倒され民主化された1988年から、すでに30年あまりが経ってしまいました。
日韓条約の持つ政治的な意味は今日では歴史学的には明確になっているのでしょうが、政治的には一向に明確ではありません。むしろ明確にするどころか、韓国を植民地化した当時の状況を正当化しさえする安倍政権のもとで、全く異常な隣国への対応という政治状況を作り出してしまっています。メディアもまた歴史的に実証的に物事を判断することをやめ、センセーショナルに政権追随の報道を垂れ流しているというのが現在の不幸な状況です。

折しも、ワシントンポスト(ウエブ版)に、Gregg A. Brazinskyさんのある論文が掲載されたのを知りました。Brazinskyさんはジョージワシントンの歴史・国際関係学教授。タイトルは「How Japan’s failure to atone for past sins threatens the global economy(日本が罪への償いを怠ったことが経済を脅かす)。
現在の「日韓対立」という深刻な現状を海外がどう見ているのかを知る上で貴重な資料だと思われました。一読して極めて常識的・客観的に問題を整理するとともに、日韓条約締結以降この条約のもつ意味が韓国でどう変化してきたのかまで歴史的に考察しています。
Literaのサイトでは、これについて詳しく紹介し、重要な部分は翻訳してくれています。
全体を通しての感想は、日本国内とはずいぶん違った冷静で歴史的な見方をしているなということ。
近所に住むカナダ人の友人が、安倍内閣の評価についても海外のサイトでニュースを見て判断していると語っていたことがつい思い出されてしまいました。
欧米では靖国神社は戦争神社なのであり、「従軍慰安婦」はあくまで括弧つきでまさしく性奴隷との認識ですから、国内のメディアとは大違いです。

日本の若者たちに英語力をつけさせる目的は、安倍政権にとっては「国際競争力」という「幻想」のためなのでしょうが、日本の若者が海外の人々をよく知り、海外の人々がこの国をどう評価しどう付き合おうとしているのかを知る意味では、これから死活的に重要になってくるのではないでしょうか。
長い間畑仕事ばかりで、少し覚えた単語も畑にまき散らしてスッカラカンになった頭では、たったこれだけの英文を読むのにも本当に一苦労。辞書とにらめっこしつつ反日じゃなかった半日かかりましたものね。それでも主張していることが分かれば嬉しいものです。

国家というものは、未来の平和と繁栄のために歴史に向き合うべきなのだ、それがどんなに醜悪なものでも・・・という指摘は重要ですね。民衆レベルでも当然そうすることが求められていますから。安倍さんに教授の爪の垢でも煎じて飲ませたい。





  8月19日(月)
二人の日常に戻って、さっそく午前中畑に。夏野菜の後始末や草取り、耕耘などやることはてんこ盛りです。
昨日は午後から雨が降ってくれたので水遣りはしなくて済んだものの、湿度が猛烈に高く、ほんのちょっと身体を動かしただけで汗があふれてくる。妻は途中立ちくらみがしてしばらくしゃがんでいたと、熱中症の危険レベル。
最近は、ペットボトルをまるごと凍らせて、とけたものを飲んだら別のお茶を注いで、常に冷たいお茶が飲めるように工夫、ずいぶん助かっています。
二人でガボガボ水分補給をするので、今日は氷ボトルが一本では足りないほど。日が高い時間帯の作業はまだ危険ですかね。
今日は午後からかなり強い雨になり、天気予報ではまだ数日この状態が続くということらしい。気温は30度に届かない日も多くなりそうなので、少しずつ秋に近づいているということなのでしょうか。



  8月18日(日)
今日は娘の家族が昼頃帰るというので、朝早くから妻と畑に行って台風の始末をするかたわら、娘に持たせるために夏野菜をたくさん収穫してきました。
家について午後からの仕事の準備をしていたところ、畑を貸して下さっているNさんから、突然だが昨日の夕方父親が亡くなったと連絡がありました。その方は、バラの会の発足時にもう一人の方といっしょに土地の提供者として契約書をかわした方でもあり、また長い間私に畑を貸してくださっていて、いろいろと農業のことを教えて下さった方でもありました。
そしてまた、数年前(2015年)には、満蒙開拓少年義勇軍の体験談を聞かせてくださった方でもありました。
電話はその方の息子さんで、葬儀の際に生い立ちなどを紹介するために、それにつけてもかつての体験談の記録をもう一度プリントしてもらえないかとの依頼があったのでした。
すぐに保存ファイルから記録を印刷し、また音声もCDに焼いて、お悔やみに出向きました。
Nさんは享年96歳。息子さんからの話っでは特に苦しむこともなく大往生だったとのこと。横たわるその姿を見ながら、ひとりの人間が生きるとはどのようなことか教えられるような気持ちになりました。
他人思いのやさしい人柄で、だれからも慕われる懐の広い好人物。私には何かにつけてとてもよくして下さいました。もう一度いろんな話がしたかった。残念でなりません。

息子さんや家族には、満蒙開拓をはじめ戦争にかかわることはほとんど話さなかったとのこと。しかし、私がインタビューをしたときの話は、かつて紹介したように整然と順序立ったもので、そのまとめの才能には舌を巻いたものでした。息子さんの話でも、足腰は弱っていたが、つい最近まで頭脳は明晰なままだったということでした。
戦争体験については、一応のまとまりはあるものの、まだ聞き足りないことが沢山あり、続きを予定していたのですが、ついに果たせないままになってしまいました。
しかし、この体験談だけでも当時を知る貴重な史料的価値があり、多くの人に是非とも知ってほしい内容でもあります。数年前のこの日記での記録をあらためてまとめましたので、追悼の意味をこめて皆さんに紹介したいと考えます。
PDFファイルなので、スマホでは読むのは難しいかもしれません。その場合はこの日記の2015年8月の記事をお読み下さい。

Nさんの戦争体験記

写真は2015年に、インタビューする私と体験を語るNさんです(再録)。





  8月17日(土)
息子とその家族が13日今日まで滞在し、娘たち夫婦とその子たちが昨日から明日まで滞在しているため、パソコンのあるルームと机、椅子一式がすべて食卓用になって、全くパソコンを利用できず、ゆえにこの日記も更新できず。
息子と娘の家族合わせると総勢9名となるために、この時期はとんでもない混雑ぶりです。いつまでこうした状態が続くのか分かりませんけれど、ともかくみんなが無事でこうして集まれるのは嬉しいことです。
2家族が時間差で来たために、全員そろって食事ができたのは昨日の夕食と今朝の朝食。昨日は息子の子の誕生日であったために、そのお祝いもかねた食事会になりました。




一昨日から昨日にかけての台風で、庭先のトウモロコシはほとんど倒れたために、全部刈り取って畑に運んだところ、畑のトマトやキュウリもひどい状態。時間がなくて結局しばらくそのまま放置。子どもたちが帰ってから、後片付けが待っています。というわけで、明日まで例年通りのお盆風景。



  8月12日(月)
炎天下での連日の畑仕事で、いささかバテ気味です。日が高くなってからでは仕事もはかどらないので、早朝と夕方にでかけることが多くなったとはいえ、日差しの中で作業することには変わりがない。早くこの暑さが去ってほしいというのが痛切な願い。
さすがに今日は畑に行かず(畑では作業せず)、おろそかになっていた家の周りの除草に専念しました。まずラベンダーの穂切り。咲き終わった穂をきれいに刈り取って来年に備えるのです。
続いて、そのまわりの草取り。ラベンダーが咲いているうちは目立たなかったけれど、刈り取った後は目立ち過ぎ。そして、それらを車で畑に運んで捨てること3回ほど。
その後は、家の前の土手の草刈り。これまで数回に分けて刈ってきて今日は最後の仕上げです。草刈り機も連日のフル回転で、そろそろ寿命を迎えそうな気配ですが、何とか動いてくれているので助かっています。草刈り機様々です。
毎日の炎天下での作業のせいか、頭の中は空っぽ。アッという間に日が過ぎていきます。

ここ数日の出来事を備忘録的にメモすると・・・8日はバラ園での草刈り(この日も草刈り機)。この頃ちょっと人数が少なく厚さのせいもあって作業がなかなかはかどらない。
9日、富山の義理の妹(亡くなった弟の嫁さん)と娘+二人の子どもが長野の旅行のついでにやってきて、久しぶりにいっしょに昼食をしたり積もる話に花を咲かせたりしました。子ども達の大きくなるのは何と速いことでしょうね。
10日は昼子ども塾。知人からいただいたお米約90キロを軽トラで運びました。ただ、会場の共立病院では翌日に「きずな村」(無料バザー)があるために提供された食糧や衣類などが所狭しと並べられ、お米も別のところから相当多数届けられていたため、私の持ち込みはちょっと影がうすくなってしまった。もちろん、これから少しずつみなさんに分けていきます。
11日は午前中畑仕事。水路の不具合で水があふれ、隣の空き地と私の借りている畑が水浸し。水遣りをしなくて済んだのはよかったのですが、ときどきこんなことが起こる。ようやくイチゴ周りの草をとってランナーを伸ばすことができました。
夕方は集落の夏祭り。妻は例年この日生ビールが飲めると楽しみにしているので、お付き合いで出かけました。連休から里帰りしている人たちも大勢いて子ども達の歓声が遠くからも聞こえました。
この日、ソバクレープを焼いていた知人から、今年ジャガイモを作りすぎたので子ども塾に提供ししてもいいよという願ってもない申し出があり、後日連絡を受けて芋掘りに行くことにしました。昨日ようやくタマネギの処理(仕分けをして網の袋に詰める作業)を終えたばかり。どんどん野菜提供の輪が広がっていきます。
タマネギも第2弾を取りに行くことになっているので、わが家のベランダはタマネギとジャガイモであふれています。



  8月6日(火)
おかっぱの頭(づ)から流るる血しぶきに 妹抱きて母は阿修羅に
これは平和記念式典での「広島平和宣言」で紹介された当時5歳だった女性の歌。
広島市長による平和宣言は、かつて米ソ核軍拡競争の末に「『理性』の発露と対話によって、核軍縮に舵かじを切った勇気ある先輩がいた」ことを想起すべきだとのべ、世界中の為政者に対して「核兵器のない世界への一里塚となる核兵器禁止条約の発効を求める市民社会の思いに応え」「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止め」「核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい」と強く求めています。
式典に参加した安倍首相のあいさつはどうか。「『核兵器のない世界』の実現に向けた努力をたゆまず続ける」と誰でもいえることを一般的にのべつつ、その最も現実的な手段である「核兵器禁止条約」については一言も触れず、「核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め」などとできもしない(やる気もない)ことを相も変わらず公言してはばからない。アメリカの三百代言人の面目躍如ですね。ウソ八百からいえば八百代言の方が適切か。
記念式典後の「被爆者代表から要望を聞く会」で被爆者から核兵器禁止条約への署名・批准を求められたが、「参加しない」とのべて参加者を落胆させたとの報道もありました。
アメリカ・トランプ大統領は小型化し「使いやすい」新型の核兵器の開発を打ち出すとともに、宇宙軍を創設するなどと言いだし、ロシアもまたそれへの対抗策をとり、中国も軍拡に血道をあげている昨今、経済的な摩擦・衝突がいつどこで軍事的な破壊行為に転化するか分かりません。そうした中、今日における「『理性』の発露と対話」とはどのようなものなのか、どうあるべきかを草の根から真剣に議論すべきときではないのか。平和宣言はそのことを私たちに呼びかけていると私は思いました。

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今日もまた朝から暑い暑い1日。朝5時過ぎに起きて6時前から畑へ。さすがに朝は車の窓がびしょ濡れ。露がハンパではない。
日が昇るにつれて、またまた暑さが押し寄せてきて9時頃には仕事を諦めて帰りました。
朝畑に立ち寄ってくれた地主さん、しばらく畑をかまけていたらトマトもキュウリも草の中。どうしようもなく全部刈ってしまったと嘆き、沖縄から帰った友人も、1ヶ月家を空けていたら畑の草が大変なことになっており、毎日が大変だ、沖縄より暑いので閉口していると話していました。我が畑も似たり寄ったり。夕方あらためて畑仕事にでかけることにします。ふ〜〜〜。



  8月4日(日)
今日は午後から塩尻で授業があったので、畑には朝6時頃に行き9時まで農作業。
猛暑が予想されたので、とにかく早朝に行って昼は休もうと妻と話し合っての行動でした。さすがに朝はそれほど汗をかくこともなく、割と気持ちよく畑仕事ができましたよ。
夏の畑仕事は無限にあります。妻は大豆の間の草取りが中心、私はイチゴの間の草取りとランナーの整備。草がびっしりと根を下ろしてはびこっているので、なかなかはかどらない。
作物は、トマト、キュウリ、ナスが連日大量にとれ、どう処理するのか悩ましいところです。こどもじゅくがもっと頻繁にあれば持って行けるのだけれどそれもかなわず、近所にお裾分けといっても、あちこちから同じようなものが届くというのでそれも限界。子どもたちに新鮮な野菜をと思って作ってはいるけれど、作りすぎも考えものですね。

一昨日はこどもじゅくのためにと、友人がまた約40キロくらいの米を届けてくれました。別の友人も、また持ってくるからといっていました。
農家ではそろそろ8月末から9月の収穫にむけて昨年の米の在庫を整理しているのです。いくら整理するといっても、大切な食糧。そまつに扱うわけにはいきませんからね。
先日いただいた古古米(籾)を昨日ようやく精米し、今週土曜日には昨日の分もあわせた約100キロをこどもじゅくに持っていくつもり。
今年はワケありタマネギ(商品にならないもの)も大量に頂いて、まだ全部処理(泥や皮を落とし腐敗しそうなものは取り除く)しきれていません。少しずつやってはいるものの量が多すぎて嬉しい悲鳴です。この時期にこれだけの米やタマネギがあれば、多少は保存がきくので皆さんきっと大助かりでしょうね。

ところで、今年植えたトウモロコシ、2週間ほど前の7月14日には、背ばかり伸びて一向に穂やヒゲが出てこないと書いていましたが、実はその直後から穂が出始め、実もつき始めて今ではすっかりトウモロコシらしくなりました。いや〜よかった。
このトウモロコシ、過去に何度も植えては動物に食べられたり虫にやられたりしてどうもうまくいかず、もう2度と植えないと決めていたのです。ところが、今年「モチモチコーン」(?) というモチモチした食感の新品種が出たというので、つい植えてみる気になったのです。畑がメインですが、余った苗を家の前に適当に植えていたら、背は屋根を超えた高さになり見上げるばかり。それで実ができないのでイライラしていたのです。
このトウモロコシ、実がずっと上の方に出来て手を伸ばしてようやく届くほど。しかも1本の木に2つから3つの実をつけているので嬉しい。果たしてどんな味になるのやら、あと1〜2週間は待たないといけないので、収穫が楽しみです。
トウモロコシの別の品種のポップコーンもかなり大量に植えて(初めての挑戦)いるので、これも収穫が心待ち。どちらも私が届かないくらい高いところに実があるので、いくらハクビシンでも取るのは無理でしょう。もちろん念のために畑にはネットを張りましたけど。
うまくいったら、どちらも喜んでお裾分けしますから、是非ご連絡を!
トップページの写真は家の前のトウモロコシ。下の写真は畑のモチモチコーン。


次はヘチマ(ナーベラー)の花。沖縄ではゴーヤーに次いでよく食用にされ、わが家でも妻が毎日のように調理してくれています。ナーベラーで検索してみて下さい。チャンプルーや味噌煮などのレシピを見ることができるはず。トロトロした食感が新鮮でなかなか美味しいですよ。





  8月3日(土)
ここ安曇野も連日の猛暑。昨日、一昨日は夕方に急に激しい雷雨になり、作物の生育には助けになってはいるものの、作業する方は大変。何しろ湿度が高く、畑にいても暑さよりも湿度で汗がハンパではありません。
さて、もう8月に入って3日も過ぎてしまいました。この間、いろいろとあったのですが、主に畑仕事のためになかなかモノを書く気になれず、つい日の過ぎるのに任せて今日に。

そうそう、7月末に書いていた木下恵介監督「女の園」のDVDを見つけて安かったので即入手。今日午後から妻と見ておりました。
妻は古い映画の俳優達のことをよく知っているので、顔を見ただけで誰それと言うので、感心するやら尊敬するやら。
それはともかく、映画は1950年初頭の時代とは思えないような「古さ」に覆われ、あの時代の日本の姿をある意味忠実に描き出していましたね。つまり、あの戦争という悲劇を経ながらなお戦前の封建的で家父長的な制度から逃れられない大人たちの心の深層を結構深くえぐっていたように思えました。
封建的な大学の運営の狭間ではあっても、女学生たちの生活の描き方がやや画一的でとげとげしく、深い情感のうちに激しい怒りを表出するという手法とはかなり離れていたために、暗さだけが印象のなかに沈殿するような気がしました。
私としては、あの「歌詞」が私の青春と結びついていただけだったし、あの「学園闘争」から10数年後に大学生となった私の頃とはおよそ縁のない世界だったことから、1つの時代を知る参考になった映画という程度だったかな。

世界の「主要国」を覆い始めている実態とは何なのか。アメリカのトランプ、ロシアのプーチン、中国の習近平、日本の安倍晋三に続いて、イギリスのボリス・ジョンソン。
思想的に世界をリードしていけるような人材はまるで見当たらず、それどころか世界を分断し破滅に近づけるような政策ともいえない政策をとる「受け狙い」だけの人物がトップに立つこの世界の異常。
韓国をホワイト国から除外するという閣議決定を見ると、韓国へのこの国の指導層の「顔の向け方」が戦前とさして変わっていないのではないかと思わせます。
安倍首相の「徴用工の問題で、国と国との条約(日韓請求権協定)を守らない国であれば(安全保障上の)貿易管理をしているかどうかわからないと考えるのは当然だ」(7月7日、フジテレビ党首討論)という発言がはっきりと物語っているように、「元徴用工問題とは無関係で安全保障上の見直し」という公式見解とは異なり、経済的な報復措置であることは疑いようのない事実。
だが韓国もまた冷静な対応を欠いて、国民を惹きつけるためなのかことさらに事態を大きくさせているように見えます。
そうした事態の中ではメディアのとる態度と果たす役割が極めて重要。たとえばいくつかの新聞はきちんと日本政府の対応を批判しているものの、テレビとなるとまるで及び腰。ただ、事実を伝えるだけのように見えて政府の宣伝役を果たしているのではないのか。
トランプの対中国強硬姿勢で世界経済は深い傷を負い、さらに韓国との貿易に暗雲が立ちこめ、さらに消費税10%への引き上げで、この国は早晩失速・破綻する。オリンピックどころの騒ぎではなくなるような気がしてきたなあ。

おまけ。若者への警告として、こんなニュースがあったっけ。
2100年に人間の姿はこうなる? 3Dイメージが公開。(ニューズウイーク7月4日版。これを紹介したYahoo!ニュース




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