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  9月30日(月)
先日予告した通り、ひとまずこのブログを今日で終了することにします。このような拙い記事を長い間お読み下さった方々に心から感謝申し上げます。

このホームページをはじめたのは東京で勤めていた会社を退職することを決めてから間もない60歳間近のある日。手作りのホームページの本を買って簡単なサイト運営を始めたことが出発点でした。目的は離れて過ごす家族や友人たちに私たちの暮らしを知らせることでしたが、いつのまにか「安曇野」からは遠く離れた一種の「政治ブログ」になってしまいました。
ホームページを開設してからほぼ16年。過ぎてしまえばアッと言う間としか感じられませんが、いざ読み返してみると、そこにはさまざまな出会いがあり、新しい生活のスタイルがあり、それまでおろそかにしてきた家族の再結集の出来事が詰まっています。記事があるからこそ生々しくよみがえる記憶もたくさんあります。記録の大切さを痛感させる日記にもなりました。

30年来の友人であるMNEMOさんからは、「自らの考えの発信や他への働きかけをネット上でしないなんて許されない。SNSでもよいから継続することを”要求する”」というかつてない”厳しい”ご意見をいただきました。MNEMOさんならではの友愛に満ちた励ましと、嬉しく受けとめました。
私自身、極右的な言説がネット上で蔓延し、科学と理性、道理をないがしろにする軽薄な風潮がはびこる今日、ネット上でそれと対決し、平和を求め人間の連帯をつくりあげる声をあげる人々を増やさなければいけないのではないかと書きました。自分自身がそれとは逆行する行動をとることになるわけですから、全く忸怩たる思いがあるのですが、さりとて自分自身の中にあるマンネリ感は如何ともしがたく、またこれからの生活の作り方(経済的な面でも、行動としても)にじっくり向き合いたいという気持ちも大きく、先日書いた理由とも合わせて、レンタルサーバーを利用してホームページのすべてを手作り(html、css)でやるというスタイルからはひとまず撤退しようと決めたのでした。

私には短文で端的に何かを訴えるという技はとてもできそうにありません。またそれを必要ともしていません。日々の出来事について私なりの見解を訴えたり、取り組んでいる活動の紹介をしたりしようとするには、一定の量(もちろん質も)の表現が必要になります。薗部さんのようにフェイスブックも使いこなせれば魅力的ですが、それほど書くこともない私にはブログ(簡易日記)が私には一番適しているかもしれませんね。研究してみることにしましょう。
いずれにしても、近いうちにブログまたはフェイスブックで自分の考えや活動を紹介し、いろいろな人々との連帯を求めることができるようにしたいと思っています。その時はまたよろしくお願いいたします。



  9月28日(土)
雨が降ってくれない。畑はカラカラでマルチがけなどの作業が全くできません。1日でよいから、たっぷり地面に水を供給してほしいものです。
今日は午後から「こどもじゅく」と仕事。「こどもじゅく」の中高生教室は、結構な人数になって盛況。今日も二人体験入塾がありました。スタッフはギリギリなんとか間に合っていますが、これ以上生徒が増えると厳しくなります。お手伝いして頂ける方、ぜひよろしくお願いします。

子ども塾が終わって次の仕事にいく途中、ちょうど始まったラグビー・アイルランド戦をラジオで聞いていました。前半の途中までで日本が少し押されていた。「これはダメかも」と思って仕事に向かい、家について確認したらどうでしょう。誰もが驚く日本の勝利。実際の試合を見ていたわけではないので、どうしてそうなったのかよくわかりませんでしたけれど、優勝候補に勝ったということは、日本のレベルの高さを見事に証明していますね。これからが楽しみです。

トランプと会談し、日米貿易協定締結後に「両国にとってウィンウィンの合意」とうそぶいた安倍首相。
日本の市場をアメリカに差し出しておいて、自動車やその部品の関税撤廃ではなく、追加関税が(当面!)見送られたことを「成果」と強弁して「ウインウイン」と言う始末。これって、まさしく売国もしくは反日の合意って言うんじゃないのかなあ。ネトウヨのみなさん。
さらに酷いのは、トウモロコシの受け入れ。「いやいやこれは政府ではなく民間が買う」と言ってみたものの、すぐあとでトランプから「日本では民間が政府の言うことをきくらしい。アメリカと違って」と揶揄されたという話。購入する民間企業なんてどこにもない(23日東京新聞)ということですから、安倍外交はもうボロボロ。

安倍内閣を若い力で、と入閣したはずの小泉進次郎さん、ツイッター「#進次郎さんにキリッと朗読してほしいコメント」が大盛り上がりですから、こっちもまたボロボロ。
どんどん傑作が登場しているので、みなさん小泉ジュニアの本質よく掴んでいますねえ。感心します。



  9月24日(火)
気候行動サミットでのグレタさんの演説にこの国の多くの大人たちは度肝を抜かれたのではないだろうか。これを聞いた同年代の子どもたちはなおさら驚いたのではないだろうか。いや、驚いてほしい。
彼女の強烈でストレート、かつ具体的な訴えは、昨年12月のCOP24での訴えとともに、今回のサミットの基調提案とさえいえるものです。彼女の全文を報じたテレビ東京のニュース。なぜ彼女の口調がこれほど激しかったのか、すべての人が彼女の訴えの真意を正しくつかむことが大事だと思います。彼女の訴えが届いたことを、私たち一人一人がこれからどう示すのか、それが問われている。

グレタさんの故郷はスウェーデン。次は、この9月10日にOECD(加盟36カ国)が発表した「各国の教育への公的支出(国内総生産に占める割合)」です。
日本は比較可能な35カ国中で最下位。北欧諸国が上位を占める状態が長く続いています。
スウェーデンの義務教育課程(グルンドスコーラン)は日本の小中学校を合わせたようなもので、飛び級があったり留年があったり、学校ごとにさまざまなカリキュラムを用意したりと、かなり多様性に富んでいます。もちろん義務教育は完全無償。ただ、学力ではOECDの調査によっても最近の低下が著しく、教育制度のあり方などをめぐって問題が深刻になっているとの報告もあり、必ずしも順調であるわけではないのでしょう。ただ、グレタさんのような人間を生む素地はこの国にはある。そんな気にさせてくれます。



  9月23日(月)
南からの強風が午後まで吹き荒れて、同じ敷地で地主から借りている一棟のキュウリハウスのビニールが吹き飛ばされ悲惨な状態に。
2年前にも同じような被害があったばかりで、泣くに泣けないのでは。明日午前中に出かけて手伝えることがあればやるつもりです。何しろ90歳を超えた方ですから、一つ作業するにしても時間がかかります。
幸い私の畑の方は収穫がほとんど終わったものばかりで、実ったゴーヤが風でこすれて酷い格好になったり、せっかく立てかけた稲わらがすべて倒れたり、ネギの頭がほとんど折れたりした程度で済みました。もっとも作物ではなくて、肥料袋やマルチなど軽いものはあちこちに飛ばされて、回収するのに時間がかかりました。
畑があるところは松本から大町へ南北にのびる安曇平で、まさに風の通り道。西風や東風には比較的強いのですが、今回のように南からの風はかえって風速が強まるほど。
千葉での台風被害を見れば分かるように、風の威力というのはものすごいものです。通り道が変われば、複雑な動きをしてものを巻き込んだり、あおったりしますから、風対策には念には念をいれないととんでもないことになることがよくわかりました。

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右の写真はBBCニュースから。
今から10年近くも前でしたか、地球温暖化についてネットで調べていたときのこと、「地球寒冷化」を主張する記事を見て驚いたことがありました。CO2の増大と温暖化は無関係だとか太陽黒点の運動が問題なのだとかという主張だったような気がしますが定かではありません。
現在そうした主張がいったいどうなっているのかちょっと見てみたら、何だ、相変わらず同じような主張をしているではありませんか。
その急先鋒は、国内ではカルト団体の幸福のなんとか。信者たちはしきりに教祖の主張を流布しているようでした。さらに、寒冷化までは行かなくても温暖化否定となると、トランプ同様右翼的な人々に結構人気があるよう。これって、なぜなんですかね。
アメリカ共和党の一部のように地球の状態は神の摂理なのだというのは別として、CO2の削減に抵抗する産業界の片棒を担いでいるということなのか。それとも、カール・セーガンの「コスモス」の予測などを根拠にしたり、映画や一部の「学者」の懐疑論をもとにそう信じたいということなのか。
しかし、懐疑論がそれなりの勢いを持っていた時代は過去のものとなったばかりか、人類の未来はいかに温暖化を止めるのかにかかっているという知見は全世界で共有され、太い運動となっているのです。
BBC環境担当編集委員のマット・マクグラスさんは今日のNews/Japanで「気候変動が「加速」、過去5年で世界気温は最も暑く=世界気象機関」と題する記事を書いていました。
冒頭の写真はこの記事の中の一つ。日本は石炭火力発電をすすめる立場ですから、安倍さん気候行動サミットへの参加を認められず、会場にいる小泉環境大臣の登壇も認められないという惨めな状況。恥ずかしいことです。

日本学術会議会長談話 「地球温暖化」への取組に関する緊急メッセージ(pdf)



  9月22日(日)
朝8時から集落の道普請で一汗かきました。神社のお祭りが近いので毎年この時期に道路の清掃をするのです。
その後、思い立ってポップコーンづくりに3度目の挑戦。妻が朝早くからボーリングの大会で出かけてしまったので、今度は私がやってみようと思った次第。
乾燥もすすんでちょうどいい頃かなと考え、前回の失敗に学んで、今度は油をたっぷり入れていよいよ加熱。するとどうでしょう。弾ける弾ける、まもなくフライパン一杯になって大成功!!この前の失敗が何だったのかと思うほどのできばえでした。
これに味をしめて、今度はキャラメルコーン作り。ポップコーンは前回と同じですが、それを別の容器にうつしたあと、同じフライパンで牛乳、砂糖、バターを入れてネバネバがでて黄色くなるまで煮詰め、そこへ先ほどのポップコーンを投入。弱火にしてひっかきまわしまんべんなくキャラメルが行き渡るようにしてできあがり。ちょっとベタベタはしますが、甘くておいしいコーンができあがりました。
夕方帰ってきた妻が、食べる食べる。これは食べ始めたら止まらないパターンです。ついでにウイスキーのソーダ割りを作ってご満悦でした。
コーンはまだ干した物が山盛りあるので、集まりの時などにつくって持っていけば喜ばれますね。期待していてください。


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ニューヨークでは明日から国連気候行動サミットが開かれます。
温暖化防止の国際的枠組みである「パリ協定」が2016年に決められその年の11月に発効しました。本格的な運用が始まるのは2020年とされているものの、現在の各国の温室効果ガス削減の目標では、パリ協定が掲げる『世界の平均気温の上昇を2度未満とし1.5度に』という目標に届かず、とりわけパリ協定を離脱したアメリカの後ろ向き姿勢は問題。日本も大変問題。2030年度目標を2013年比で26%とするという方針について、経産省資源エネルギー庁は「日本の数値は一見低いように見えて、かなり高い目標であることが分かるかと思います」と自画自賛しています。しかしそれとは裏腹に、自然エネルギーを加速度的に増大させるのではなく、原発再稼働を前提とし、石炭火力発電を「ベースロード(基幹)電源」に位置づける世界逆行の「エンルギーミックス」の方針ですから、2050年までに80%削減という政府自らの方針とも整合性がありません。
世界自然保護基金ジャパンは、この政府の自画自賛について次のように手厳しく批判していました。

2013年という基準年が採用されている点も問題である。これは、2013年とすれば、EU・アメリカの目標との比較で野心的に見えるという小細工以外の何ものでもない。2013年を基準とすると、端的にいって、2013年までに排出量を減らしてきた他国の努力が評価されないことになる。これまで、日本は「努力をした国が評価されるように」という主張を国際社会でもしてきたが、当のその国が、このような基準年の操作で比較可能性を確保しようとするのは、国際的信用に関わる愚行である。

この20日には、国連でのサミットに向けて地球温暖化の阻止を訴える「グローバル気候マーチ(Global Climate Strike)」が世界中で取り組まれましたね。(BBCによるくわしいレポート
マスコミもこの問題には結構神経を使っているようで、21日の「若者気候サミット」の模様についてもそれなりに報道していました。(こちらはAFPBB Newsによる報道)
世界中の若者たちが自分たちの未来に関して大人たちに厳しく要求を突きつけていることは大きな希望だし、さらにこの運動が大きく太く成長してくれることをここから期待したい。
だが、残念ながらこの国では当の青年たちも一部を除いてはほとんど無関心のように見えるし、大人たちもまた政府の怠慢や原発依存政策にきっぱりとした態度を取り得ていない。
自分の問題として社会と関わり、社会を動かすことは若者の権利です。Fridays for Future Japanのみなさん(東京以外にも各都市で組織が作られている)のように、ぜひとも足を一歩踏み出してほしいと願わずにはいられません。



  9月21日(土)
いつもすぐ前の田んぼで稲刈りを委託されて作業をしている近くの農家の方に、稲わらを砕かないでそのまま残してくれるように頼んでおきました。
コンバインでは、脱穀をしてすぐに稲わらを細かく刻んで田んぼに戻すのですが、操作で藁をそのまま固まりにして落としておくこともできます。昨日その作業をしてくれたので、今日の昼過ぎまで妻といっしょに稲わらを束ね、縛って畑に運搬する仕事に汗を流しました。
遠くで見ていると狭いように見える田んぼですが、実際に入って見ると、いやその広いこと。しかも、稲わらの束も1つが抱えることもできないほどの量で、二つに分けて数本の稲わらでそれを縛るのです。それを妻が一輪車で軽トラに運んで積み上げる。さらにそれらを畑に運んで、一束一束をピラミッド型に立ててしばらく乾燥させるところまで。力は要る、腰は痛い・・結局、半分ほどやって残りは明日以降に残すことにしました。
稲わらは、エンドウのツル用に使ったり、ネギの植え付けように使ったり、つる性の野菜の下に敷いたりと用途はいろいろ。焼いて肥料にすることもできますし。

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作業後は台風の影響で空模様が怪しくなってきたので、部屋に戻ってしばらく休憩。その後ネットで昨日東京で開かれた「新版『資本論』出版記念講演会」の模様を聴きました。
メインは日本共産党社会科学研究所所長不破哲三さんの記念講演です。だいぶ衰え(身体のですよ)が目立つが、話し始めると頭脳の明晰さは相変わらず。刺激的なお話で飽きさせまんでした
不破さんをリーダーとする日本共産党の社会科学研究所が総力を結集して、資本論にかかわるマルクスの全草稿を研究しその成果をもとに新たに編集した資本論が、このほど刊行されます。全12分冊、2年間にわたって隔月発行される予定のようです。
若い頃に一度読了を挫折している私としては、これは読まなければ死んでも死にきれないと考えている資本論。果たしてどれほどかかるのかは分かりませんが・・。
2010年に内田樹さんと石川康宏さんの共著で「若者よマルクスを読もう」(略称「若マル」) が発行されました。2014年には第2集が発行され、そのあとがきには「若マルV」で資本論を取り上げることが予告されていました。その 第V号が2018年に刊行されています(これだけはまだ読んでいないので、資本論がどのように扱われているのか分からない)。
これらを読むと、改めてマルクスの原典にあたって現在のさまざまな問題を考えてみようという気にさせられます。
「二人のおじさん」による若者向けのマルクスの解説・導入の本なのですが、正方形の石川さんに対して形のわからない内田さんという取り合わせはなかなかに微妙で面白い。
「若マル」に象徴されるように、この国でマルクスが注目されるというのも、その背景には日本共産党の「自分の頭で考え、自分の足で立つ」という他国にない路線があることは明白で、その意味でも新版資本論は注目に値する。メディアからは「英語版やフランス語版、ドイツ語版を刊行する予定があるのか」という質問も出たというほどですから。
いっしょに勉強会しようという人はいないかなあ。生きている間に読み終えなかったら棺桶に入れておいてください。あの世で続きを読みますから。



  9月20日(金)
ラグビー・ワールドカップが開幕しました。身体と身体がまともにぶつかり合う人間くささ、その一方で洗練されたパスワークと相手の意表をつく頭脳プレイ。何となく親しみを覚えるのです。
私がラグビーを意識したのは、ずっと昔にコメントしたことがあったかもしれませんが、高校に勤めていたとき担任していた生徒の一人がラグビー部に入った。入学して1年たたないうちに足がみるみる太くなったのに驚いたこと。
その生徒が実は体育系の教師に密かに暴力を受けていたことがわかり、職員会議でそのことを告発し体罰をやめることを求めたことがあったこと。
その後、退職して東京に出て進学塾の講師をしていたとき、卒業したその生徒と偶然出会い、飲み屋(私は飲まないけれど)で楽しい一時をすごしたこと。「あのとき、先生が言っていたこと(私は体罰はしないと生徒の前で宣言したこと)が後からわかった」と述懐したことが忘れられない。その教え子はまもなく病気で亡くなってしまいます。

ラグビーの試合を見るなんてことはついなかったけれど、ニュージーランドに行った際に空港にでかでかと描かれたオールブラックスの逞しい姿に圧倒され、その後映画「インビクタス」を見るに及んで、いつのまにか親しみを持つようになった次第。さらに最近ではNHK「不惑のスクラム」でその魅力が描かれ、ルールの詳細まではわからないまでも、応援のスタイルやノーサイドの精神などは、他のゲームにはないラグビーのよさ。明日のニュージーランド、南アフリカ戦を楽しみにしているところです。

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さて、以前何度か私のホームページの終了・閉鎖について書いたこともあり予告したこともありましたが、この9月末をもって一応の区切りをつけることにしました。
まる15年間続けてきたこのサイトには一定の意義があったと自負はしているのですが、レンタルサーバーで運営をするというやり方は、SNS全盛の現在ではセキュリティの問題やサイトの作成の手間暇などを考えると、そろそろ時代遅れになってきています。
商用ブログやフェイスブックに乗り換えることも今後はあるかもしれませんが、それは今のところ全く未定。つたない記録を長い間読んで下さった皆さまには感謝の言葉しかありません。あと少しの期間ですが、可能なかぎり私の思いを発信していきたいと考えています。



  9月19日(木)
今日は義母の100歳の誕生日です。「意地でも生きる」と何年か前に言っていた通り、施設入所中ではあれ元気で100歳を迎えられたことがうれしい。
数年前からの写真をまとめて載せておきますね。めでたく1世紀を生きた証です。


2011年4月


2015年7月


2016年11月


2017年11月


2018年2月


2018年3月




  9月18日(水)
飛んでいくような日の過ぎ方。なかなかはかどらない畑仕事、ついていかない体力・・・これは分をわきまえない拡張路線(耕地面積のこと)の破綻を意味するのかなと、少しばかり反省もしつつ、やれる限りはと思い直して軽トラを駆っているところです。
今朝はまた朝早く(といっても7時過ぎだからこちらでは遅いくらい)2軒隣の兼業農家の方が、脱穀したあとの籾殻を持って行っていいよとわざわざ言いに来てくれた。毎年頂いているので、ことしもそろそろとは思っていたところでした。
さっそく軽トラで2回も畑に運びました。籾殻は例年はそのまま畑にすき込んだり葉物の保湿・泥跳防止用に使っていたのですが、今年は燻炭にして肥料にしようかと考えているところ。昨年ブリキの煙突を購入してまだ使っていないことだし。
夕方になると、どこからともなく赤とんぼが群れをなしてやってくる。その胴体の色が何ともいえない深い赤。ネットで調べてもこの秋茜の色は見当たらない。稲の黄金色と秋茜の深紅。こんな風景は絶対に壊してはなりませんね。

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今日のしんぶん赤旗の1面「シリーズ日韓関係を考える」で香山リカさんが、こんなことを紹介していた。
ツイッターで、亡き父が北海道の釧路市で朝鮮の徴用工の人たちが虐待されているのを目撃し「あの人たちが怒るのも無理もない。到底許すことは出来ないだろう」と語っていたことを紹介したところ、それに対して「うそつきだ」というリプライがものすごい数であり、似たようなコメントも何万件もあったというのです。
ウソだという人は必ず「事実なら立証しろ、証拠を見せろ」というのだそうです。なるほど、出来ないことを見透かして事実を否定する。現在のこの国の何パーセントかの人々の「思考回路」を支配しているのは一体何なのか。
先日の週刊ポストのヘイト記事に関して、内田樹さんはブログで「だが、彼らが忘れていることがある。それは、人間の本性は『処罰されない』ことが保証されている環境でどうふるまうかによって可視化されるということである」と書いていました。その通りですね。

今年は関東大震災から97年目にあたる。9月1日には東京で慰霊と追悼の式が行われたが都知事は今年も追悼文を寄せなかったと報道されました。
その関東大震災の最中に起こった「虐殺事件」についてこれまた「なかったことにする」動きが加速しています。
当時、錯綜した混乱の中で朝鮮人を殺害したことはあったかもしれないが、それは朝鮮人自身に暴動や掠奪などの問題があったからでやむを得ないことであり、「虐殺」などと日本人をおとしめるような行為は一切なかったのだ・・・このような言説が大手を振って現在のこの国でまかり通っているのです。
世界10月号では、ジャーナリストの渡辺延志さんが「関東大震災『虐殺』の記憶はどこに消えたのか」と題して、2012年に横浜市で起こった社会科副教材をめぐるやりとりと改変問題に触れ、この国で蔓延する歴史認識の問題点をえぐり出しています。
2012年横浜市議会で一人の市議が、市教委作成の副読本の「異常な緊張状態のもとで、朝鮮人や中国人が虐殺される事件が起きた」という記述について「虐殺という表現はナチの大量虐殺とかポルポトの大量虐殺とかで使う言葉で、関東大震災後の世間で使われる表現ではない」とかみついた。
これに対して教育長は「虐殺という言葉は非常に強い。一定の主観の入った言葉だと考えております」として副読本を改訂する意図を示したのです。その結果、副読本はすべて回収・廃棄され、「自警団の中に、朝鮮人や中国人を殺害する行為に走る者もいた。横浜市内でも多数の犠牲者を出した」という表現に改めた副読本になったのです。
渡辺さんは、新たに発見された当時の子どもたちの作文を通して「殺害」がどのように行われたのかを検証、さらに当時の陸軍の部隊の法務部日誌の「鮮人虐殺の跡」という記述や内閣府中央防災会議の報告書などを紹介しながら、虐殺としかいいようのない行為が行われ、同時に、当時から恣意的な「忘却」への衝動もまた強く働いていたことを跡づけています。

その「虐殺」という言葉は震災直後の社会では、首相に届けられた公文書でも、軍隊内の日誌でも、公的な歴史書でも、新聞でも人々の会話の中でも、ごく当たり前に使われていた。・・・問われているのは『新たな流言』を信じる日本社会だ。

そして、こう結んでいます。

そもそも、なぜ日本人は、かくも簡単に流言を信じたのだろうか。正しいものとして疑うことなく抱いている歴史像の正体と来歴を双方が足下から問い返す。そこから始める以外に、わかり合うための手がかりは見つからないように思えてならない。

科学的・実証的な歴史認識を欠き、常軌を逸した韓国たたきの最近のメディア状況や「ニッポンすごい」的報道レベルに染まっていれば、アジアの人々、とりわけ朝鮮、中国の人々に対する目はおのずと戦前のそれに近づいていく。流言飛語は「そうありたい」意識の中で容易に増殖する。そして支配的な意識となって沈殿する。
「善良なよき父、よき母である人々がそのような不条理なひどいことをするはずがない」と信じたくなる心理が働くとよく言われるが、落とし穴は実にその見方にあるのではないか。
子どもの目があの日の出来事をどう見ていたのか、作文の一節を紹介しておきましょう(いずれも渡辺さんの一文から)。

「おまわりさんが、朝鮮がはもの(刃物)を持ってくるからきたらころしてくださいといってきました。僕はそれをきいたときびっくりしました。兄さんとないふを持って竹林え(へ)いって、まっすぐでじょうぶなような竹をとって竹やりを三本こしらえてくると、はうはうという声がしますので、声のするほうをみますとそれは朝鮮のくるのをまっている人でした」
「いよいよ夜になりました。すると朝鮮人が三百人来るとか三千人来るとかいって大さわぎになりました。七時頃、歩いていると朝鮮人が立木にゆわかれて竹槍で腹をぶつぶつとさされてのこぎりで切られていました」
「夜になると、あちらでもこちらでも朝鮮さわぎとなってきたから、僕が竹やりをもってまわりをかこっていると、むこうでは朝鮮人をころして萬歳々々とさけんでいる。むこうで朝鮮人が行たぞ(ママ)と云うと『ズドン』と一ぱつうったから僕はおどろいて一生けんめい又まわりをまもっていると、みんな『はあー』と叫んで、たちまち朝鮮人をやっつけた」
「交番の前に朝鮮人が電信柱に針金でぎりぎりにゆはかれて半てんを着ている人に鉄の棒で頭をぶたれている。川にも焼けた人やころされた朝鮮人がぶくぶくあっちへ流れ、こっちへ流れ、其の度にくさくて、くさくてしようがなかった」




  9月17日(火)
昨夜、妻がボーリング友達(防災会の役員でもある)からお米を取りに来ないかという連絡を受け、今朝早く彼の家に出向いて昨年度米2袋、新米1袋を頂いてきました。
稲刈りが進むと、農家に保管してあった昨年度米は早く処分しなければならなくなるので、運が良ければそのうちのいくらかを譲っていただくことができるというわけです。
そこで、私としては急遽昨年度から今年度にかけての「松本こどもじゅく野菜応援プロジェクト」の報告とこれからのお願いをかねたチラシを作成し、協力してくれた10数名の方の家を回って配りました。それがこれ。(末尾には私の氏名・連絡先などが書いてありましたがカットしてあります)


現在、こどもじゅくは松本と塩尻の2カ所で行っており、塩尻では野菜応援がないため松本に届けたものの一部を運んでいるのが実情。そこで、今年は塩尻にも持って行ってもらえるように、できるだけ沢山の支援者を募ろうと足を運んでいるのです。
野菜はもちろん喜ばれますけれど、生活が苦しい家庭では何と言ってもお米が必要。食べ盛りの子ども達が多ければなおさらです。わずかな支援にしかなりませんが、緊急の場合も含めてより強力な支援体制を作ることができたらいいなと思っているところです。
こどもじゅくの上部団体の反貧困ネットには、お米を大量に提供してもらえる組織的な体制ができているようですが、用途が全くちがうためにそれはあてに出来ません。私のわずかな経験からいっても、農村部には自家消費用のお米を持っている農家が多く、きちんとした説明と人間的なつながりが出来さえすれば、かなり大きな支援体制が作れるのです。
どこかで大災害が発生し、緊急に食糧支援が必要になった場合には、提供の呼びかけに合計すれば何トンものお米をわざわざ運んできてくれる人たちです(3.11支援や糸魚川大火支援活動で実証済み)。
本来、このような活動を常時行わなければならない実態の方がおかしいのですし、根本的な(政治的、経済的、文化的)解決を目指すことが大事なのです。しかし、実情はそこまで待ってはいられない。毎日の活動としてはどうしても、緊急支援体制が必要なんですね。

畑にいてもずいぶん涼しい風が吹いてくるので、ほんの少し前に閉口した炎天下の酷暑がウソのようです。とはいえ、硬い土を掘り起こし大きな石を取り除きながら耕していると、汗は流れるし腰は痛くなるし。この時期の作業は春先の作業と同じで重労働です。
9月いっぱいには何とか基礎作業を終えて、ニンニク、ラッキョウ、イチゴの植え付けまで進めないといけません。沖縄から帰ってからは、さらに来年春に向けて畝づくりの作業が続きます。ネバーエンディングストーリーですね。これは。




  9月16日(月)
あちこちで稲刈りが進む田園地帯。今日は曇りがちで肌寒いほどのお天気でしたので、畑仕事にはもってこい。妻と午前中から午後4時頃まで畝づくりや草取りに精を出しました。
サツマイモが結構大きくなり、妻は、沖縄の母に送るのだと言って何本か掘り起こしていました。キャベツも食べ頃なのにこれは葉が大変固くてガッカリ。もう少し玉が大きくなれば少しは食べられるようになるかなとちょっとだけ期待。
今、畑に植えたか、またはこれから植えるのがレタス、白菜の苗、およびタマネギやネギの種。イチゴの定植もこれからです。従って、これまで植えてあった残骸を片付けて、新しく植えるための畝をつくる作業が必要で、それがまたしんどい。土が硬くなっているので、深く耕して肥料をやり、それから畝をつくる。必要なものにはマルチを掛けることも大切な仕事。
高温下での今年の作業の「おかげ」で、例年冬から5キロぐらい減量するのに今年は7〜8キロも減っててしまった。自分でもびっくりです。
身が軽くなったせいか、腰の痛みも幾分軽減された気がします。秋から冬にかけてまた復活するので、あまり自慢はできませんね。というわけで、私は明日・明後日と終日畑通いです。

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安倍政権になってからなのかどうかはわかりませんけれど、自民党の政治家やその補完勢力の方々から発せられる「コトバ」の実体の無さと「行為」の不誠実さには目を覆いたくなります。本来「コトバ」を発するにはそれなりの誠実さ、理知の裏付けが必要です。しかし、現実には安倍政権においてはそれとは正反対のコトバ、行為が蔓延している。ここではあれこれ例証することはしませんが、ネット上ではこんなサイト=We Remember You. 安倍内閣と自民党の失言・失態・不祥事のまとめ #自民党政治検証=もありますよ。よくまあ集めたものです。

ネット上やテレビなどでそうしたコトバを聞き慣れていると、多分感性が麻痺しそうしたコトバの中でしか泳げなくなってしまうのかもしれない。これがスマホやネット中毒の危険性でしょうかね。
そうしたコトバが日々目を通過していくときに、「しんぶん赤旗」の記事や論調の真っ正直さにホッとするのです。日本の政党の中で、自分たちが決めた綱領と方針を何よりも大事にし、中央でも全国でも市民の中で誠実かつ真面目に活動するこの党の真っ当さに救われる思いがするのは私だけではないでしょう。
ただ「コトバ」という場合に、武満徹さん流にいえば「職業化された話し方」「正しい標準語、豊富なボキャブラリーの何とむなしいことか」(「菅生事件」片山杜秀=「(岩波)図書9月号」)というのでは困ります。生身の身体を通した生きたコトバであってほしい。

今日は夕方からネットで共産党の第7回中央委員会総会の記録を読んだり動画で見たりしていました。
共産党は現在の党勢の状況を「危機的」と捉えており、その実態も包み隠さずこの決議の中で述べていますね。最高時から見ると「衰退」ぶりは大変なものです。現在この党が果たしている役割や野党の中での存在感から見ると、それは余りに非対照です。
しかし、「危機的」とだけ捉えているわけでは決してありません。「危機と可能性の両方がある」(委員長あいさつ)という見方は重要ですね。また志位さんはこうも言っている。「どうやってこれを成功させるかは探求・開拓の課題です」。
私は、この党が地域の隅々で存在感を示し、未来への指針を示し人々の幸せのために日々活躍をしてくれることを願っている一人ですから、このブログをお読みのみなさんの中で、まだこの党の新聞をお読みでない方は、ぜひ手にとってみてほしいと率直に思うのです。
まあ、私にできるささやかなこの党への協力ですかね。
そうそう、時間のある方は、志位委員長の党創立97周年記念講演のダイジェスト版(約26分)をご覧下さい。これも宣伝協力。



  9月13日(金)
電気が止まったあと、さらに水道まで止まって、台風通過直後より被害がさらに過酷さを増しているという被災地の実態。政府の無策ぶりもまた日を追って明らかになっている始末です。
被災地救援より内閣改造に熱中という安倍首相の執念の結果が「日本会議・極右お友達」内閣。テレビでは小泉環境大臣の動静報道に視聴率を競う過熱ぶり。安倍首相は「新しい時代の国づくり」とおっしゃるが、何がどう新しいのか、その実態は空っぽ。
今日は午後から、あしたの子ども塾に持って行くために、先日頂いてきた大量のタマネギをよりわけていましたが、ことごとく閣僚のみなさんに見えてきたことでした。腐りかけのもかなりあって、ことさらその実感が湧いてきた次第。この内閣も早晩いろいろなスキャンダルなどが吹き出て、賑やかになるのではないかと思われてしまいましたよ。

前川喜平さんが、ツイッターで10日にこんなことをつぶやいていました。

やっぱり萩生田文部科学大臣か。ひどいことになるだろう。彼の議員会館の事務職(室?) には、教育勅語の大きな掛軸が掛けてあった(10日)
どうも疑惑満載内閣になりそうだ。材料はふんだんにあるんだけど、料理する方のメディアがなぁ。。。(10日)


ツイッターの名前が前川喜平(右傾化を深く憂慮する一市民)なんですね。そして、「自由と平等と友愛を原理とする社会の実現を求めています。 日本と世界の未来を危うくするアベ政権の退陣を求めています」ですって。さすがです。

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沖縄行きまであと1ヶ月弱。正味一週間と短期滞在で、しかも義母の100歳(9月19日)のお祝いがメインなので、辺野古に行けるかどうかわかりませんが、せめて1日ぐらいは出かけて様子を見てきたいと思っています。
クシャおじさん(誰も知らない?)にだんだん似てきた河野新防衛相が「辺野古移設が唯一の解決策だ」(11日記者会見)とこれまでの政府見解を繰り返し、イージスアショアの配備についても地元の反対を無視して強行する姿勢を示しています。

辺野古の新基地建設を巡っては、現在大きな1つの問題が指摘されていて、工事の違法性が浮かび上がってきています。
美ら海水族館から本部港をへて半島をぐるっとまわったあたりに琉球セメントの広大な採石場があります。昔からここを通るたびに車が巻き上げる粉塵に悩まされていたものですが、この鉱山の全容は全く分かりませんでした。遠くから見てもはげ山が広がっているという印象だけ。
今日、沖縄ドローンプロジェクトの写真を見て、その広さにびっくり仰天です。


北上田さんのブログによると、この鉱山から産出される石はほとんど石灰岩。一般の岩石は「採石法」が適用されるけれど、石灰岩は鉱物に分類されるので「鉱業法」が適用になるのだとか。ややこしい。
この鉱業法では、業者は「国に事業計画書(施業案)を提出し、認可を受けなければならない」(鉱業法63条)、「認可を受けた施業案によらなければ鉱業を行ってはならない」とされています。さらに「施業案」には「販売の対象となる生産物のすべてを記載しなければならない」(『施業案記載の手引き』沖縄総合事務局)のです。
そこで、何が問題になるのか。それはこういうことです。
現在辺野古の埋め立てには、本部港、琉球セメント安和桟橋から運び出される「岩ズリ」が使われています。どちらも、理由級セメントの広大な安和鉱山から運び出されているのです。
では、琉球セメントの施業案には「岩ズリを販売する」と書かれているのか。
沖縄県選出野党県議団(うりずんの会)が施業案の開示を求めると「開示された施業案は、その部分が一部を残して黒塗りされてしまっている」(北上田さんブログ)が、岩ズリを商品として出すとは書かれていないことが推測される部分があるといいます。当然書かれていなければ、鉱業法63条3項違反となるのですから重大です。
うりずんの会が9日防衛省に対して行った申し入れ(岩ズリ搬出の法令違反疑惑)に対して、「防衛局と採石業者との間には直接の契約関係はない」ので「石材の販売業者が行っている一つひとつのことについてお答えする立場にはない」と逃げ回るだけ。「法令違反はない」とは断言できなかったのです。
鉱山の監督官庁である沖縄総合事務局長との10日の交渉では、耳を疑うようなとんでもない返答が。「お尋ねの施業案の内容については、公にすることにより、当該事業者の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがあり、ご指摘の岩ズリの記載があるかどうかについてはお答えを差し控えさせていただきます」だそうです。ここでも局長は「法令違反はない」と断言できずに逃げの一手。
いよいよ国会で追及が始まることになります。ひょっとしたらまた文書の改ざん、焼却などでうやむやにするのかな。要注目です。



  9月11日(水)
9.11、18周年。

午後5時過ぎ、先ほどのテレビのニュースでは千葉県を中心にまだ42万戸が停電、水も出ないところが多いと報じていました。東京電力は今日になってようやく電源車を高齢者施設などに派遣する発表していましたが、あまりにも遅い対応ではないのでしょうか。
首都圏を襲った台風としては異例の強さではあったのでしょうが、これはもう海水温の上昇で、超大型のスーパー台風が首都圏を直撃するシナリオは数年前から語られていたことです。
停電が送電線の倒壊や電柱の破損を中心として発生したというのはおよそ普通では考えられないことです。さらに強い台風が来たり地震で地盤が動いたりしたときに、これ以上の送電網の破壊が起こることは容易に想像できます。設備の老朽化、維持管理の不備などが重なっていないのかどうか。
仮に停電が起こった場合でも、他系統からの電力の融通や、電源車の配備、自衛隊や自治体の給水車の動員、大型施設などの自家発電対策の奨励と資金援助、その他こうした事態に備える対策はいくらでも考えられたことでしょう。普段の防災対策が果たして機能したのかどうかが問われます。
高齢者施設や養護施設などの入居者へのケアは緊急を要します。自家発電装置がないのであれば、空調設備のある他施設への一時避難なども考えられることです。
政府や県が首都圏で現在進行中の事態を、今後繰り返さないためのステップと見ているなら、電力会社とともに復旧と救援の活動に全力を注ぐことが何よりも大事なのではないのか。政府の内閣改造の様子を見ている限り、その熱意はまるで伝わってきません。「大臣の内定取ったぞー」と有頂天のみなさんを見ていると、そもそも停電のことなど気にもかけていないのではないのか。こんなことでは、同じことがもっとひどい状態で繰り返されるんじゃないかと考えてしまいます。
そしてもうひとつ。今回の事態は、福島第1が全電源喪失に陥り炉心溶融を招いたあの日のことをよみがえらせます。女川原発も全電源喪失の一歩手前、かろうじて1系統のみの送電で持ちこたえたことも。停電よりももっと大変な事態が放射能汚染地帯で人々を苦しめていることも、政府はまるで他人事のように考えているのではないのか。
成田空港が陸の孤島になったことを受けて、「こんなことでオリンピックは大丈夫なのか」という声があちこちから上がっているニュースも見ましたが、空港の問題だけではないでしょう。オリンピック・パラリンピック開催時に大型台風が首都圏を直撃したらどうなるのか。背筋が寒くなりますね。
原子力工学研究者の小出裕章さんは、ちょうど1年前「フクシマ事故とオリンピック」と題する所感で、「罪のない人を棄民したままオリンピックが大切だという国なら、私は喜んで非国民になろうと思う」と書き、「原子力緊急事態宣言下でのオリンピック開催に反対する」ことを表明していました。
今回の台風被害を大きくしたのもまた東京電力。現場で必死に修復・保守整備にあた当たっている人々の苦労は計り知れませんが、政府、電力会社、土建企業などの上層部は、結局はしなくてもいい苦労を押しつけて、自分たちは何らの責任も痛痒も感じていないのではないのか。小出さんの激しい抗議と道理を尽くした提言は1年を経てますます心に響くものとなっています。



  9月9日(月)
首都圏を直撃した台風15号によって相当被害が出ているようで、いのちに関わる被害になっていなければと心配しています。長野では異様な暑さ以外は全く影響はありませんでした。少しは雨が落ちてほしいと願っていたのにそれも空振り。
朝から畑で、畝づくりのために土を耕していたら、ほんの少し身体を動かすだけで汗が滝のように流れて仕事にならない。水分補給をしながら休み休みやっていたのですが、腰は痛くなるし、12時少し前にはもう限界で引き上げざるを得ませんでした。
真夏でもこんなことはないのに、ここ1週間ほどの気候はとにかく異常。湿度が高くて汗の乾く暇がない。そろそろ朝早く仕事をしなくてもいいかなと思って畑に出るのですが、なかなかそうもいかない、朝寝坊の私としてはつらい毎日です。
暑い日が続くので、田んぼはもうすっかり黄金色。ところどころ稲刈りを終えて、ハゼ掛けにしてある田んぼを見かけました。15,16と22,23の連休が稲刈りのピークになるのでしょう。


夏野菜が終わったのになかなか手入れができなわが家の庭先では、ニラの花が咲いてツマグロヒョウモンが沢山蜜を求めてやってきます。(写真はメス)





  9月4日(水) その2
高齢者用紙おむつの市場規模が子ども用紙おむつのそれを上回ったのは2012年ごろといいます。ワシントンポスト紙は「これは人口崩壊の指標である(another harbinger of the demographic collapse)」と手厳しい。
ワシントンポスト紙は8月29日、 Francisco Toro氏の署名記事「Japan is a Trumpian paradise of low immigration rates. It’s also a dying country.(低移民率を誇る「トランピアンの極楽」日本の瀕死)」という衝撃的な記事を載せました(翻訳は内田樹の研究室) 。
移民を拒否しているトランプの政策をかねてから実践しているのが日本であり、その現状は800万戸の空き家、里山の集落の消滅、介護労働者の不在・・・など。トランピアンの極楽である日本という「このような国民共同体には未来がない」というのがこの記事の目玉です。
海外から日本がどのように見られているのかを示すよいお手本の1つではないでしょうか。

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1848年パリでの2月革命時に熱烈な共和主義者であったジョルジュ・サンドは、6月蜂起での民衆敗北によって、大きな幻滅と絶望感を味わい、いっさいの政治生活をすてて田舎に閉じこもります。
しかし、彼女は「こういう社会的な動乱の時代には、温和な物語によって人心を慰めることこそ芸術家の使命」という親友の忠告に心を動かされ、「愛の妖精(プチット・ファデット)」を一気に書き上げるんですね。
私がこの小説に出会ったのは、多分高校3年生か大学1年生の頃。痩せてガリガリ、汚れた服をまといお世辞にも女の子らしいとはいえない少女ファデットが、少年との心の交流を深めて美しい女性に「変身」していく過程を、自らの心に引き寄せて夢中で読んでいたことを思い出します。そうですね、若い時っていうのは、自分の経験と重ねて読むものです。
最近、内田樹さんの「街場の読書論」を読んでいたら、「おのれの女性性とうまくなじむことができずにいる少女」たちは、「自分の性に完全に調和している少女たち」よりずっと魅力的だと書き、自分の読書体験のいちばん根源にある恋愛小説として、この「愛の妖精」をあげていましたっけ。内田さんがこの本を読んだのが8歳か9歳だというのですから、ちょっと信じがたいのですが、その分この本の紹介はいささか雑でした。
それはともかく、最近数十年ぶりに読み返して、昔の印象とはずいぶん違うことに我ながら驚いています。やはりこういう本は若い多感なときに読むものですね。
何の感慨もなかったということでは決してありません。はじめの兄弟愛の変質ぶりには辟易とさせられますが、ファデットが登場してから、彼女の人柄の描き方、人間の本質への迫り方という点では、恋愛小説として比類のない美しい物語となっていると改めて思わされました。
この小説は映画にもなっているといいますが、こうした本は、映画ではなく文字で想像力を最大限に働かせて読むべきもの。中高生以上なら、きっと愛読書の1つに加えられる本の一冊です。



  9月4日(水) 
不安定な空模様の晴れ間をみて、畑の様子を見に行った行き帰り、いままで沢山流れていた用水の水はもう流されておらず、稲刈りに備えて畦の草刈りに余念のない農家の人たち。お天気さえ安定してくればもう稲刈りです。

テレビのニュースワイドショーでは、「あおり運転」オンリーだったのが、このところは「韓国もの」ばかり。うんざいりするような報道姿勢に、戦争ものもかなり重視して放映しているNHKの方がよほど抑制的ではないかとさえ思えるこのごろです(べつにNHKの肩を持っているわけではありません)。
週刊ポスト9月13日号が「『嫌韓』ではなく『断韓』だ 厄介な隣人にサヨウナラ 韓国なんて要らない」という、最悪のヘイト記事を掲載したことが報道されていますね。この国の週刊誌の低劣さは、ここに来て底が抜けてしまった感がします。
ジャーナリストの青木理さんはこの状況について「メディアの現状も無残です」と書いていました、本当にその通り。今日のしんぶん赤旗は、1面で青木さんへのインタビュー記事を載せていますが、ジャーナリズムが本来追求すべき道はどのようなものかを深く考えさせてくれます。


今日の日韓対立の根底にあるものを冷静に見つめれば、事態を悪化させている主なものが、植民地支配によって朝鮮の人々を苦しめてきた過去を反省・精算できないばかりか、アメリカと一体になって軍事化にひた走る安倍政権の姿勢にあることは明白です。
週刊ポスト編集部は、そんなことは全く眼中になく、韓国人特有の「憤怒調節ができない(怒りや激情を抑えられない)」「韓国人という病」があるとまで書いて、アジアでも特殊な国であるかのように描き出す始末。何ともおぞましい編集部の頭の中です。
これまで週刊ポストに記事・原稿を寄せてきた作家やジャーナリストが相次いで抗議と絶交宣言をしているのは当然といえば当然。
共産党の志位さん、9月2日には「排外主義を煽って政権浮揚に利用する政権、「戦争」発言を繰り返す国会議員、某週刊誌のヘイト記事問題、「嫌韓」一色のテレビ番組。『植民地支配への反省』という当たり前の土台に立って日韓関係を見ることができるかは、この国の知性と良心を試す試金石とつくづく思う」とツイートしていましたね。
もっともっと、こうした声を広げないといけないのではないでしょうか。

週刊ポスト編集部は9月2日、「謝罪コメント」をだしたことになっています。しかし、これは多くの識者が指摘するように謝罪でも何でもない。誤解する方が悪いのだという責任転嫁の典型的やり方。
テレビが劣悪な報道をしていれば、抗議もするし見ない選択も当然する。週刊誌も買わない。何より、こうしたヘイト拡散を徹底的に批判する声をネット上で上げる必要があります。



  9月1日(日) 
久しぶりに晴れ間がのぞき、明るい空が何となく懐かしく感じられたのは、田んぼの稲もかなり黄色くなり、風も秋の空気を運んできてくれたからでしょうか。気がつけば、もう稲刈りが始まる季節なんですね。
このところの雨で畑仕事もはかどらず、子ども塾用のテキストづくりに結構な時間を費やすことになりました。おかげでPowerMacG3MTは大活躍、メルカリで入手したプリンタもときどき異音を発しながらも何とかプリントしてくれて助かっています。
明けて今日は9月1日、防災の日。池田は8月25日に一斉の防災訓練を終えているので今日は何もなし。私は、その残務整理で、午後の塩尻での仕事のあと、防砂ニュースや自治会のニュースづくりの仕上げに追われました。
それもようやく終わって、一斉メールで役員に知らせ、午後9時、ホッと一息ついているところです。

今日は、朝のNHK「野菜の時間」でポップコーン収穫とその食べ方を放送していたので、ついわが家でも干してあるポップコーンを煎ってみようということになりました。
フライパンに油を敷いて、コーンを入れ・・・ところがなかなかはじけない。何度やっても、何個かは小さく弾けてもあとは焦げ焦げになるばかり。
市販のポップコーンはまもなくモリモリの美味しいそうなできばえになるのに、なぜなのか。干し方が足りないのか、それとも干しすぎなのか。せっかくきれいなコーンが収穫できたのに、いざ食べようとすると何と障害の多いこと。何気なく食べているものも、こうしてみると大変な作業と苦労がその背景にはあるのだと、つくづく思い知らされます。
結局、あと2,3週間乾燥してからもう一度挑戦してみようと、妻と話し合ったことでした。




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