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  10月31日 (日)
香田さんが遺体で発見されたというニュースがついに報じられてしまいました。悲しく残念でなりません。
私は目的がどうであれこのような誘拐・殺害を実行した犯人たちを絶対に許すことはできません。なぜなら、それは第1にかけがえのない人命をぼろ切れのように扱う単なる極悪非道な犯罪であるにすぎないからです。これには彼らに一点の弁明の余地もありません。地震のために崩れたがれきの中からたった一人のちいさな命が奇跡的に救われただけでどれほど大きな感動が人々の胸を打ったか。いのちとはそういうものです。
第2に民間人を標的にしたこうした行為は、彼らの意図にかかわらず自衛隊のイラク派遣に逆に絶好の口実をあたえることになるからです。犯罪者たちのこの行為が「テロリストを殲滅する」というアメリカの占領政策を補強し、占領政策を強化させる結果イラク国民にいっそう深刻な被害をもたらす結果にもつながります。
しかし、同時に今回の事態に対して重大な責任を負わなければいけないのは犯罪者たちだけでなく日本政府も同様です。おそらく政府は「あれだけ警告したのになぜイラクに行ったのか」とすべての責任をイラク入りした青年に負わせる気でしょう。そして「テロに屈することはできない」とイラクへの自衛隊派遣をいっそう強化することになるのでしょう。
しかし、もう一度イラク戦争がなぜ起こり今日の事態がどのようにしてもたらされたかを考えてみる必要があります。
端的に言えば自衛隊の海外派遣をねらっていた政府が好機とばかりアメリカに追随して行ったイラク派兵です。アメリカ同盟軍の一員として派遣されているということは日本国内ではいざ知らず、海外では周知の事実ですから日本政府がどのように弁明しようとアメリカの侵略戦争の加担者である実態を隠すことはできません。すでに米軍の攻撃によってイラクでの民間人の死者が10万人に上るという報告がつい先日ありました。10万人の香田さんがイラクで死に追いやられてきたのです。こうしたイラクの人々の怒りや悲しみを背景に国際テロリスト集団がイラクを舞台に跋扈し今回の事態を招来してしまった。テロがテロを呼んだというのが正確でしょう。
ゆえに、今回の事件を真に深刻に受け止めるのであれば、自衛隊をイラクから撤退させる以外に責任の取り方はありません。
今回の悲劇はこれからの単なる序章にすぎないでしょう。アメリカのアフガニスタンやイラクへの軍事侵略以来テロは世界に拡散してしまいました。イラクに軍隊を派遣している国々の人々は全く罪のない民間人も含めてすべてテロリストの標的です。「暴力が暴力の連鎖を生む」という警句を無視した結果が現下の状況です。
改めて米軍と日本の自衛隊はイラクから手を引け、テロリストに跳梁跋扈するチャンスを与えるなという世論を大きくしなければならないと私は思います。


  10月30日 (土)
28日に皇居で行われた秋の園遊会で米長さんと天皇とが交わした会話が波紋を広げていますね。
朝日新聞(Web版28日)の記事は以下のようなものです。

==国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で==
天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。
米長さんは「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えた。 天皇が国旗・国歌問題に言及するのは異例だ。  陛下の発言について、宮内庁の羽毛田信吾次長は園遊会後、発言の趣旨を確認したとしたうえで「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。さらに「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」と述べた。 「日の丸・君が代」をめぐっては、長年教育現場で対立が続いてきた。東京都教委は昨秋、都立校の式典での「日の丸・君が代」の取り扱いを細かに規定し、職務命令に従わない教職員を大量に処分。99年に教育委員に就任した米長さんは、こうした方針を推進する発言を繰り返してきた。


東京都教育委員さんたちは本当に一生懸命お仕事をしていらっしゃるようですね。自分を売り込もうと張り切って言ったのか、仕事を認めてもらいたいと思ったのか、それとも天皇の気持ちに入ろうと媚びたのかは知りませんが、ご苦労なことです。
次はこれに対してKoizumiさんの反応を伝えた記事。(同朝日29日)

==天皇の国旗・国歌発言、首相「ごく自然に受け止めを」==
天皇陛下が秋の園遊会で学校での国旗・国歌について「強制になるということではないことが望ましい」と述べたことについて、小泉首相は29日、「ごく自然に受け止められたらいいんじゃないですか。私もそう思いますね。あまり政治的に取り上げない方がいいんじゃないですか」と語った。首相官邸で記者団の質問に答えた。
天皇の発言は、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さんが「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話した際に応じたもの。首相は、東京都教委が今春、「日の丸・君が代」の扱いに絡んで職務命令に従わない教職員を大量に処分したことについては、「都は都で決めたことですから」と言及を避けた。


米長さんのホームページ上の掲示板は俄然この話題で賑わっています。私は投稿していませんけど。下品で低劣な投稿者もいますけど、それは別として面白いから是非立ち寄ってみるといいです。
ちょっとだけ引用してみると・・・
「いや〜笑えましたね!キャキャ!天皇陛下にお褒めの言葉を頂こうとしてかなり恥ずかしい思いをしましたね〜
将棋界の大御所がこの程度の人間であったという本質をくしくも、天皇陛下が明らかにしたという皮肉を噴飯せずに見られませんでした。ニコニコ..キャキャ!!」
「小泉:都は都で決めたことですから・・
石原:これは要するに国が決めたことを公務員として義務として行うか行わないかの問題であって・・
さすがですね。大人だねえ」
「天皇にもウザがられてる右翼なんて、マジで不要。」


ところでくだんの米長さん、ご自身の「さわやか日記」では園遊会のこの話には一切ふれず「開かれた皇室、明るい皇室、心温まる皇室。幸せな一日でした」ですって。確かにお幸せな方です。


  10月29日 (金)
今日もすばらしい快晴です。朝8時半開店の農協直売所に行くと、野菜を持ち込む農家の人や買い物をする近くの人たちで賑わい活気にあふれています。本当に人間の足の太さくらいの(失礼)大きな大根が一本200円、普通のサイズで80円とか120円とかで売られています。今朝とってきたばかりだから葉っぱも青々。
リンゴもフジが出始めました。キノコも豊富ですが、さすがに菜っ葉類は少なくて、キュウリとかレタスはスーパーに行かないと手に入らないようです。これからまだ出てくるのもあるのでしょうが。

ところで、今朝妻から連絡があって、私宛の得体の知れない郵便物が届いたというのです。その名も「電子消費料金未納分請求最終通達書」。発行元は東京都豊島区池袋にある「大蔵債権株式会社」です。
文面はおどろおどろしいもので、おおよそ次のようになっていました。
この度ご通知致しましたのは、貴殿の利用された「電子消費者料金不足分」について、ご利用会社または回収業者から委託をうけましたもので大至急当局までご連絡ください。こちら「電子消費者民法特例法」上、法務局認可通達書となっておりますので、連絡なきお客様につきましてはやむを得ず裁判所からの書類通達後、指定の裁判所へ出廷となります。また裁判後の措置と致しまして給与差し押さえ及び、動産物・不動産物差し押さえを強制執行させて頂きますゆえ当局と執行官による・・・(以下略)。
最後には「裁判取り下げ最終日 平成16年10月28日」とありました。おいおい「取り下げ日」に書類が届くのかよ。だいたい身に覚えのないことだし初めて送りつけて「最終」も何もないでしょう。しかも、東京の以前の住所に届くのならまだしも、住民票もない富山の家に届くというのは一体全体いつのデータを参照して送ったのかしらね。これだけでもいかがわしい書類だということがわかります。
念のため今日の9時半過ぎに記載されている番号に電話をかけてみました。電話代を払うだけでもしゃくですが・・・。名前を聞いた男性がたぶんパソコンに向かっていたのでしょう。
「立ち上がらないんですが。そのようなお客様はいらっしゃいません」
「いらっしゃらないというのはどういうことですか。そちらから書類をもらっているんですよ」
「だからそのようなお客様はいません」(ガチャン)・・・・・??????。
最初は電話番号だけを聞いて電話したので、今度は奥さんからはがきのコピーをファックスで送ってもらって、もう一度電話しました。
違った男性が電話口にでて、分類コードと名前を聞いて、また全く同じ返事。
「そのような記録はありません」
「ないと言ったってここにハガキがあるんだ。どういうことなのか」
「何かの間違えで送られたかもしれませんね。廃棄処分してください(ガチャン)」・・・・
(どんなに腹を立てても電話ではラチがあかん!!)
今度は廃棄処分ときた。人騒がせなものを送りつけて間違いも廃棄処分もないでしょう。一体何をしている会社なんですかねえ。どうもあやしげな団体と関係のありそうな会社とお見受けしました。
明日は念のため、法務省・法務局に連絡を取っておきましょう。法務大臣を呼び出そうかな。

最近、消費者センターなどが架空請求を無視するよう呼びかけていることを逆手にとって、簡易裁判所における少額訴訟を悪用する例が起きているらしいですね。つまり、架空請求事業者が利用料の支払いを求める少額訴訟を起こすと簡易裁判所から消費者に「呼び出し状」が送られます。しかしこれも無視して期日に出頭しなければ自動的に敗訴するため支払い義務が生じてしまうというのです。これを悪用した新手の犯罪です。
実は、先日26日の参院法務委員会で共産党の井上議員がこの問題で厳正な取り締まりと指導を法務省に求めているんです。これに対して南野法相は「総合法律支援法にもとづいて日本司法支援センターの設立を準備している」と答えています。真剣に取り組んでほしいですね。ネット犯罪が底知れぬ広がりを見せている昨今、もはや人ごとではありません。まったく、もう。


母が宅老所に出かける間は私は畑に。今日はタマネギをうえ、イチゴの畝を耕してマルチをかけました。来週あけにはイチゴの苗を植える予定です。
草取りもずいぶんはかどったので、きっと大家さん目をまるくしてびっくりすることでしょう。まだまだ植えられるスペースがありますが、もう植えるものがない。来年になったらまた野菜を植えることにしましょう。


  10月28日 (木)
午後からカラリと晴れ渡った上天気になり暖かい日差しが差し込んできました。母はヘルパーさんと約一時間お散歩に出て疲れたのかまたぐっすり寝てしまいました。
その間を利用してOさんと英語の勉強の3回目。ケアマネージャーの訪問があったのでいつもよりは短くなってしまいましたが、呻吟しながらも続いていることが奇跡的です。強制しないとなかなか勉強もはかどらないのが悲しいところですが・・。


イラクでの人質誘拐事件に関して、自民党の亀井さんは「自衛隊は努力すべきだ」と武力での人質解放を示唆する発言をしていました。もし仮に武装勢力が人質に危害を加えるようなことがあれば、政府は例の「自己責任論」をまた持ち出すだけでなく、自衛隊の派遣を更に合理化する世論操作を行う可能性があります。世論にそむきブッシュ政権の顔色だけをうかがって好機とばかりに派遣した自衛隊です。重火器を携行しての「国際貢献」がどんな意味を持ちいかなる結末を迎えるかよくよく拝見させてもらうことにしましょう。

さて話は変わりますが、我が家の薄暗いところにおいた「しいたけブロック」からキノコが顔を出し始めました。直売所で一個500円で購入、これにはシイタケの菌がびっしりと埋め込まれています。毎日水をスプレーして水分を絶やさないようにしていればニョキニョキと顔を出してきます。早く元をとらないと。世話をしてやればそれに答えてくれるかな・・。せっせ。せっせ。




  10月27日 (水)
早めに就寝したおかげで体も少し楽になりました。外はかなり冷え込んでいます。地震による被災者の方々はさぞ寒い思いをされているのではないかと思います。
夕べからの寒波で今朝は有明山も中腹から上は初冠雪。写真では雲が多くてちょっと残念ですが、玄関に立ってみているとときどき雲の切れ間から神々しいほどの白い山肌が遠望できます。麓に雪が降るのも時間の問題かなと思えてきます。こちらは凍結防止の対策をいろいろしないといけないようです。東京では水道管が破裂するということはまず考えられませんでしたが、こちらはそんなわけにはいきません。教えてもらって今のうちに準備をしておこうと思います。


今日は新潟地震の救援のために現地に入る団体があるので、お向かいのOさんと語らって知り合いの方に募金と飲料水(ペット・ボトル)を託しました。

午後、崖崩れの現場での救出作業を固唾を飲んで見つめていました。2歳の男の子が奇跡的に救出されたという報道がありましたが、寒さや恐怖に本当によく耐えて生き抜いたと思います。

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その一方でイラクでは邦人が人質に取られ自衛隊の撤退がなければ首を切られるという報道も。アルジャジーラもこの事実を伝え、また国内の新聞各紙もこの青年が福岡県在住の香田さんとみられると発表しています。
日本政府は「テロに屈しない」として自衛隊の撤退に応ずる姿勢は全く見せていません。
今回はイラク人による前回の人質事件とは明らかに質が違います。ネット上でビデオが流されていることや要求がきわめて政治的で明確であることからもわかるように国際的な武装勢力による周到な計画であることが伺われます。
もっとも重要なことは日本人による人質事件を誘発している根本にアメリカに追随してイラクに居座り続ける自衛隊の問題があることです。アメリカのイエスマンであることは世界的に明らかな事実ですから、どんなに復興支援であると強弁しようが日本政府の本音は見抜かれています。このまま自衛隊の派遣に固執すればもっと悲惨な事態を招くことになるでしょう。その前に撤収させなければなりません。ワールド・ピース・ナウも主張するようにその世論を更にさらに大きく。

ワールド・ピース・ナウ

先ほど電子政府の窓口を利用して、内閣官房、内閣府、外務省、総務省、防衛庁宛に以下のメールを送りました。

このたびのイラクでの邦人人質事件について以下の通り要望いたします。
すでに自衛隊が派遣されているサマワは安全といえる地域ではなく政府による自衛隊派遣の大義名分も完全に消滅しています。
アメリカ政府がテロ組織を撲滅するとして民間人多数を含むイラク人を見境なく殺害している現状で、どのようにして人道支援を行おうとするのでしょうか。
むしろアメリカのこうした野蛮な軍事介入をやめさせ、自衛隊をひきあげることこそが人道に基づくイラク問題の解決策ではないのでしょうか。
ブッシュ政権の言うように果たして世界は安全になったのでしょうか。事実は全く反対です。アメリカ、イギリスをはじめとする同盟国が軍事占領を始めたその瞬間からテロは世界にとび拡散し、いっそう危険を呼び込んでいるではありませんか。
今回の民間人の人質事件を平和的に解決するには自衛隊の撤収以外にはありません。
政府は撤収はテロに屈することだと主張しますが、テロに屈するとはむしろイラクに自衛隊が居続けることではないのでしょうか。テロに屈しないとはテロを許さない強固な人々の連帯で平和の秩序を作り上げることです。
テロをいっそう拡大させる道を選ぶのか、自衛隊を撤収して人質を解放させるのかその選択が問われていると私は考えます。
今回の人質事件が前回のものとは質的に異なっていることを十分に知りながら、あえてイラク派遣に固執するならば、日本もアメリカと同罪とみなされいっそう危険な道に踏み込んでいくことになるでしょう。そうなるまえに、賢明な選択をされ直ちに自衛隊を撤収されることを要求いたします。これこそが今回の、また今後も予想される同種の事件を解決する唯一の手段だと信じます。


  10月26日 (火)
家屋が損壊してすむ場所を失ったり倒壊のおそれがあるために家に戻れない人たちがどんどん増えています。被害の大きさも当初の想像をはるかに超える規模になってきて驚くばかりです。直下型地震の恐ろしさがテレビの画面を通して突き刺さってきます。
直下型地震についてはそのメカニズムも含めていろいろ解説もされていました。下から突き上げる衝撃がすさまじく同時に激しく大地が波打つというのですから生きた心地もないでしょう。
また、絶対に倒れないと思っていた家具がいとも簡単に倒れたり飛んできたりするとも指摘されていました。垂直方向の地震の力が重力と均衡していわば無重力の状態になり、重いピアノさえ瞬間移動してしまうという話も聞きました。
そう考えると人間の力ではどうしようもないのかと思ってしまいますが、それは何も起こらないときに考えること。被災すればこんな対策をしておくんだったと悔やむことも多いはずです。
地震そのものも怖いけれど、火災・土砂崩れ・堤防やダムの破壊などで2次災害に遭うことも怖い。直接の被害より人災である場合が結構多いのです。個人でできることについてはあらゆる事態を想定して対策をとることは当然必要ですが、国や自治体の責任で実施しなければならないことも多くあります。何より原子力発電所、ダム、石油基地などの破損による深刻な事態は絶対に避けなければなりませんから、法的措置を含めた強力な対策を是非とってほしいものです。また被災した場合の緊急支援システムの構築も重要です。軍事力の強化に血道をあげるのではなくこうした災害対策・復興支援にもっと多くの予算をつぎこめるよう発想を切り替えないといつまでたっても災害は個人の問題ということになってしまいます。

私自身に今できることは被災者の皆さんの支援や復興の一助にせめて募金をしたり救援物資を届けたりすることぐらいでしょうか。しかし、ある意味ではこうしていつもは考えなかったことをよくよく考え整理をしておくチャンスでもあるわけで、何もしてあげられないと嘆く必要はないはずです。いざ自分が被災したときのことを想定して対策を講じること、それをさらに地域レベルに拡大していろいろと考えたり提言したりすること、むしろそれこそが次の被害を少なくするもっとも大切かつ有効な防災活動なのだと思われるのです。


それはさておいて、私は自分のPCの復旧に今日もかかりきりになっていました。今日の深夜3時頃まで取っ組み合いをしていたので調子が悪い。おかげでパソコンは何とか全面回復しましたが、今朝の寒さで風邪気味になり口の縁に炎症がおこってしまいました。昨日の労働のせいか体は痛いし風邪で熱っぽいし、今日は早く寝て体調を整えます。寒波がきているようなので暖かくして・・・。


  10月25日 (月)
今日も朝からよい天気。母を宅老所に送り出したあと、私は畑仕事に精を出しました。大家さんから減反による休耕田を畑に使ってもよいという許可をかねてからもらってはいたのです。ただ歩けば10分ほどのところなのに、なかなか出かける余裕も気力もなかったので、つい延び延びになっていました。
昨日大家さんに今度こそ利用したいとお願いの電話をしたところ、忙しくて畑を見る暇がなかったので草が生え放題になっているがそれでもよかったら使っていいよという返事でした。
ちょうど直売所でタマネギの苗を買ってきてあったのでそれを植えようと思ったのです。家の庭では100本を植えるにはちょっと狭いので、大家さんの畑を思い出したと言うわけです。そこで今日車に資材を載せて見に行きました。本当に田んぼの真ん中。確かに身体が埋まるほどの草が生え放題です。これも食べるための仕事と言い聞かせ、草取りを始めました。家の庭の草取りとレベルが違います。何しろ広いのでなかなか土が表れてこない。結局11時から3時までひたすら黙々と草取りに専念しました。
青い空の下、稲刈りもとっくの昔に終わった誰もいない田んぼの真ん中。いやいや畑仕事って孤独な闘いだなと今更ながら実感しました。腰はいたくなるし、豆ができそうになるし、草を抜く手に力がだんだん入らなくなってくるし、ジリジリと日が照りつけるしなかなかしんどい仕事でした。これが畑仕事なんですね。やわな身体ではつとまりません。これから母を宅老所に送り出したあとは、できるだけ畑に来て手入れをすることにしましょう。
タマネギは今植えて収穫は来年の8月頃ですから気の長い管理が必要です。タマネギの他にあまり手入れのいらないものをいくつか植えることを考えています。来年植えるための土作りもしておかなければいけないし、ちょっと行動範囲が広がります。というわけで、今日は本格的な畑仕事の第一日目ということになりました。
写真上はまだ草取り前の畑の全景。いいところでしょ。下は草取りを終わったあとの畑。これでまだ全体の1/5くらいの広さにすぎません。全部を耕すには数回かかります。





地震関係のサイトを調べようとしてネットにつなげたとたんにPCが何の前触れもなくプッツンしてしまいました。ピンチです。ブート・ローダーが壊れたのかハードディスクを認識せず起動しません。困った。またまたインストールのし直しです。
いまようやくネットにつないでホームページの更新ができるようになったところ。なんだか最近頻繁にシステムが壊れています。サービスパック2のせいかな。


  10月24日 (日)
昨日の地震の被災地では不安な一夜を車の中や避難地で過ごした人も多かったのでしょう。死者が15人にも達した突然の大きな天災。なくなられた方には心からご冥福をお祈りします。テレビでは倒壊した家屋やずたずたに寸断された道路の模様を写し出し被害の大きさを物語っています。ともかく速やかな復旧が進められることを願います。
阪神・淡路大地震の被災者の方はそのときの恐怖がよみがえったのではないでしょうか。新潟地震で思い出すのは今から40年ほど前の新潟大地震のことです。私は仙台にある大学に入学してまもなくの5月でした。ぼろい木造の2階にあるサークル室にいました。激しい縦揺れに続いてものすごい横揺れ。木造の建物が倒れると直感してみんなでかろうじて外へ避難しました。激しい揺れは2〜3分続いたと思います。何しろいつまでたっても激しい揺れが収まらない。立っているのがやっとです。雨上がりだったので水たまりが至る所にありましたが、その水が激しく波打ち、すぐ目の前の鉄筋のアパートが上下に激しくふるえて大きな音を立てていました。幸い仙台は堅く厚い地盤の上にあるため揺れはひどかったもののそれほど被害はありませんでした。夏に新潟経由で帰省した折に見た新潟市内はビルが傾いたり地面にめり込んだりしてそれはひどい状態でした。当時新潟市内に住んでいた年配の人はそのときのことが思い出されたのではないかと思います。私自身地震があるといつでも当時の模様が思い出されてしまいます。
昨夜は妻を始め娘や妹が相次いで無事を確認する電話をかけてくれました。娘は「大量にあるビデオ・テープに埋まっているのではないか」と心配したと言っていました。本当に冗談ではないですね。一応倒れるのを防ぐための手だてはしていますが、今日はあらためて家具の倒壊を防ぐ処置や重要書類の保管、緊急持ち出し用の準備をすることにします。急遽今日は私設防災の日。


午前中から午後早い時間にかけて、家具を固定するためのL字型の金具を買ってきてとりつけ万全を期しました。ほとんどはつけてあるのですが、一部まだ取り付けてないものがあったためです。続いて土地の登記簿とか年金関係の重要書類は整理して耐火金庫に入れました。まだ緊急持ち出し用の衣類や道具は不十分ですが、ここ2,3日のうちにそろえて車のトランクに入れておこうと思っています。

今日は快晴のすばらしい秋晴れ。紅葉を見るなら今日を除いては無いだろうと、地震の被災者の皆さんに対してはちょっと不謹慎のそしりを免れませんが、母を連れて先日たどった鬼無里ー白馬ラインをもう一度たどってみました。ドライブしたところは安曇野ではありませんが一応「安曇野の四季」にアップしましたのでごらんください。全山紅葉、錦織りなす山々の景観は見事というほかありませんでした。これほどの紅葉を満喫して楽しめるコースはそうないのではないかと思われました。鬼無里連峰や白馬連峰の素晴らしさも言葉では言い尽くせません。是非一度たどってごらんになることをおすすめします。ただし天気のよい日に限ります。




  10月23日 (土)
夕食の準備をしていましたら、ビリビリと家が揺れ始め思わずテーブルをつかんでしまいました。ちょうど火を使っていた時間だったのですぐにガスを止めて母のところに行きました。
その後何度も余震が発生。余震の方がだんだん強くなっている気がするし、こんなに何度も来るのは例のないことです。新潟地方では大規模な停電が発生し電話もつながりにくくなったり上越新幹線で脱線事故が発生したり、あるいは三条市でガスが噴出したり火災が発生しているようですが、豪雨による被害があったばかりなので、とにかくこれ以上被害が大きくならないことを願うのみです。
幸い、池田町では最初の地震が震度2、2回目の地震が震度1と、新潟に近い割には揺れが大きくありませんでした。地域差がずいぶんあるようで場所によってはひどい状態が予想されます。直接地震による被害だけでなく、雨で緩くなった地盤の崩壊など2次災害の方が心配です。これは日頃から防災の態勢を整えておかないといけないなと真剣に考えさせられています。

現在午後8時半。8時ちょっと前にも強い余震を感じています。いくつかの断層で相次いでズレが発生している模様です。安曇野もフォッサマグナ西端の活断層が走っているところなので要注意です。
テレビで見ていると国道で道路の一部が隆起したりズレたりしており、かなり活発な断層の動きがあったことを示しているように見受けられました。
地震はいつどのように起こるかわかりません。ある地震に誘発されて他の場所で地盤のズレが起こることもあり得るわけで、ここは大丈夫という予断を持つわけにはいきません。ただ地震の発生については下のサイトでもおわかりの通り「活断層が動いて、地震が発生すると言うのは間違いです。原因と結果とを取り違えています。地震は地下の高熱水が超臨界水からさらに水素と酸素に熱解離する現象が原因です」とする見解もあり、今後よく調べてみる必要があるようです。
長岡市内、小千谷市内は停電で真っ暗です。みなさん、さぞ心細いことだろうと思います。私たちも今回被害がなかったからよかったではなく、阪神地方の大地震の教訓にも学んで最も効果的な必要最小限の備えを常にしておくことが必要ですね。

地震発生のメカニズムを探る(文科省)
新地震理論(ANS)
地震はなぜ起こるの?(8都県市防災対策委員会)




  10月22日 (金)
今日もまだ大雨の後遺症があちこちで残っていて、山から下ってくる水の量もまだ相当多いようでした。母を連れて宅老所に行ったのですが、その近くの小川も氾濫して土砂が脇の道路にまで堆積したために、通行止めにして土砂を取り除いていました。
今日のニュースによれば東京のあるスーパーでレタスに一個698円の値がついたとか。キャベツやキュウリも軒並み高騰して当分この高値がつくということらしいですね。収穫間近の野菜が冠水で全滅したり品質が落ちたりしたりという農家が相当あったようです。ご要望があれば池田から野菜類を首都圏のみなさんにお届けしますよ。
我が家の庭先では台風にもめげないでキャベツが大きくなっています。カブが小さい玉をつけているし、ブロッコリーもまもなく収穫できそう。先日植えたホウレンソウの芽が出てきました。遅くに蒔いたので大きくなるのかどうか。その後に蒔いたホウレンソウの種はどうやら雨にかなり流されてしまったようで、どこで芽を出すのかわからなくなっています。直売所ではタマネギの苗が100本400円で売られていました。「お買い得だよ」とお店の人は宣伝していましたが植える場所がない。こうなったら大家さんの畑を借りて(いつ使ってもいいと言われているんだけど)植えておくかな。

今日は娘の嫁ぎ先のご両親のパソコンを修理していました。一度はうまくいったのにすぐ不調になったためにこの前行ったときに持ち帰ったのです。グラフィック・ボードを付け替えた上でOSを最新のものにしたらとても調子がよくなりました。
ついでに私自身のメインマシンもメインテナンス。ずっとマザーボードにちょっとした不調があったので、オークションで入手したASUSのマザーボードと交換してしまいました。オークションで入札していた人は大変丁寧な方でいい品物を落札できて幸運でした。今のところ全く問題なし。快調です。これほどスムーズに新しいマザーボードに交換できたのは珍しいことでした。


  10月21日 (木)
台風が去ってようやく青空が広がってきました。台風の通過の時は風はそれほどでもなかったのに、去ってからの方がはるかに強い風が吹いています。
朝、造成地が心配だったのでちょっと見に行ってきました。宅地は何ともなかったのですが、その脇の道路の工事現場は土がえぐられて河原のような状態。その土砂が下の田んぼの一部を覆ってひどい有様でした。
造成工事の近くの道路脇ではあちこちで上の山から流れてきた土砂がつもったり水がまだ道路にあふれて濁流になって流れていたりと、大雨による被害がすぐ近くでも数多く発生していました。工事現場の人も20数年ぶりだと言っていました。土砂を排除するために住民の方が汗を流している姿があちこちで見られました。
実際に間近に見てみると、本当に水の被害は恐ろしいと思わされます。一気に土砂を押し流して流れ下ってくるので手のつけようがありません。幸い造成地はすでに完了していたので全く問題はなし。ホッとしました。




  10月20日 (水)
台風23号がまともに上陸。四国から本州を縦断するコースは前とほとんど同じです。各地でひどい爪痕を残しているのもこれまでと同じ。長野で見る限りこれまでで最も降雨の多い台風です。

今朝は大町のハロー・ワークに行って失業保険の認定を受けてきました。塾関係の求人は相変わらずほとんどなく相談しようにも相談にならず、すぐに終わって帰ってきました。
その後は宅老所から母を迎えに来てもらって私は買い物をしたり手続きをしたりで結構忙しくあちこちを駆け回っていました。

帰りがけに直売所に寄ったら「こんにゃくいも」が出ていました。作っている農家のおばさんがそばにいて「自分のことよりこんにゃく芋のほうが大事。冬は布団を掛けてしみないようにしている」と話していました。冬の間一年目、2年目の芋を家の中で保管しておいて春にまた畑に戻すのだそうです。確かに3年目の芋はすごい大きさと重量です。
つい先日テレビで芋からこんにゃくを作る方法を紹介していたので思わず買ってきてしまいました。妻が自家製のこんにゃくに乗り気のようだったので送ろうと思って買ったのです。
しかし、その前にどうやって作るのか試してみないといけないと思い早速実習を開始しました。
ネットで作り方を詮索するとあるある。たくさん自家製コンニャクの作り方が出てきました。でも微妙に作り方が違う。
結果から言うと、食べられるほどのきれいでうまいコンニャクの製造はそれほど簡単ではありませんでした。腰はいたくなるし、腕は疲れるし、労多くして結果はいまいち。以下はその奮戦記です。

(1)まず芋の皮をむいておろし金でおろす。素手で芋にさわらないように。痒くなります。

芋の量の3倍ほどの水にすり下ろした芋を混ぜてしばらくおきます(ミキサーがあればなおよい)。はじめはしゃぶしゃぶしていたすり下ろし芋がそのうち水にふやけて膨らんでモコモコになってきます。


(2)火にかけてかき回しながら透明度が出るまで煮る。

あまり固まらないうちに火にかけて、それからが大変。火がまんべんなく通るようにかき回します。だんだん粘りがでてくるので腕がいたくなる。いつまでかき回せばいいのかが難しいところです。これで2回失敗してしまった。早めに火から下ろしてしまうとよく固まらないのです。3回目はとにかく透明度が出てはじめの薄い茶色からねずみ色になってくるまでエッサエッサ20分ほど回していました。


(3)凝固剤の「精製ソーダ」を入れてまたかきまわす。粘りがでたら入れ物に小分けして冷やす。

薬局で凝固剤になる「炭酸ソーダ」(「精製ソーダ」の名で売っている)を買ってきました。それをぬるま湯に溶かしたものを芋を煮た鍋に入れて粘りが出るまで引っかき回す。何だかふやけたような状態になり、あのこんにゃく独特のにおいがプーンとにおってきます。それを私の場合は重箱に分けて入れ、そのまま冷やしておきます。前の2回はここでいつまでたっても固まらないと思いこんで失敗。もう少し待っていればよかったのかもしれません。
さすがに3回目はだんだん凝固している様子で何とかコンニャクらしくなってきました。凝固剤を入れて固めるところがちょっと難しいようですね。ただし、この時点ではしっかりかたまっているわけではないので焦りは禁物。ここが一番重要です。


(4)冷えて少し固まったら適当に切って沸騰したお湯で30〜40分煮ます。この時点であまり固まっていなかった芋がプリプリ状態に固まってきます。同時にアクと凝固剤の臭いも除去します。それでできあがり。

煮ているとだんだんふくれてきて鍋一杯になってしまいました。芋からどれだけのコンニャクができるかというと、最初に芋を溶かした水の量+芋の量+後から混ぜる凝固剤の溶液の量です。だからわずかな芋からものすごい量のコンニャクができあがる。予想を上回ります。煮上がったら水で冷やして保存。
実は最後の部分だけ間違い。保存はゆで汁(アク汁)の中にそのまま置いておく。必要に応じてそこから取り出して2,3時間水でさらす、というのが正解だそうです。

さて試食です。ここはやっぱり「さしみコンニャク」でしょう。からし味噌をつけて・・いただきま〜〜す。うう〜ん、うまい。苦労した甲斐あってなかなかいけます。プリプリとして何ともいえない舌触り。しかしながら・・・どうしよう、この膨大なコンニャクの量・・・。毎日コンニャクと格闘ですね。たったコンニャク芋1/4しか使っていないのに。

コンニャクの作り方==参考サイト==
決定版・コンニャクの作り方
コンニャクの作り方
こんにゃくの作り方
こんにゃくの作り方・1(生芋から)
こんにゃく本舗

そうこうするうちに台風が池田に向かっている〜〜!!




  10月19日 (火)
一日違いでお天気はこうも違うものか。朝から冷たい雨がしとしと降っています。晴れているうちに池田に戻ってこられてよかった。荷物を積んで雨に祟られるのは最悪ですからね。それにしてもまたまた台風。衛星画像で見ると沖縄を覆っているもの凄い渦が列島全体を伺っています。10月8日の台風の画像とくらべてみても驚くほど酷似しています。豪雨などのパターンがまた繰り返されるのでしょうか。今年の台風は本当にしつこい。


雨模様の日はどこにも出ずに家でおとなしくしているに限ります(労働者のみなさん、あしからず)。
庭のキャベツが大きくなったので今日一個を収穫しました。青虫に提供した葉も多かったキャベツですが、玉ができているところはさすがにきれいで、スライスするととても葉が柔らかい。夏キャベツとは大違いです。これなら毎日少しずつ食べても食べ飽きることがなさそうです。
同じ条件でつくっているのに玉の大きさにずいぶん差ができてしまいました。そういえばレタスも大きく葉が茂っているものから今にもしおれそうなものまでいろいろ。土や肥料の関係で生育に差ができるのでしょうか。この解明は今後の重大な課題です。
秋の夜の食卓はサツマイモの甘煮、カブのサラダ、小松菜のみそ汁、日干しの魚少々と純和風です。米びつが底をついたので、精米所で挽いてこなければ。


  10月18日 (月)
無事池田にもどってきました。慣れない(十数年ぶり)マニュアル車でしかもトラックを運転していたのでちょっと緊張しましたが、何とか富山から荷物も運んでくることができました。
初日は割と時間の余裕もあり、晴天だったこともあって白馬周辺で写真を撮りまくっていました。雪をうっすらと頂いた山々は午後の日差しに照らされて岩肌が銀色に輝き、さながら別天地。言葉もなくただ見上げているだけでした。
こうしてみると写真は所詮写真。一部を切り取ったつもりでも全く異質なものに変わっています。なかなか山の姿を伝えることはできませんね。


その日は娘の嫁ぎ先へ直行。池田を出てからすでに6時間が経過した午後5時にようやく到着しました。ずいぶんゆっくり走っていたものです。
理容店を開業しているためまだお客さんもいて皆さん忙しそうに働いていらっしゃるところでした。私はしばらく待って娘に散髪してもらいました。「お父さん、白髪がふえたね」「そうだね・・・」(どちらもどっかで聞いたセリフだなあ・・・)。
その後はパソコンのチェックをしたり、夕食をごちそうになったり。家族の一員に迎えてもらって楽しく過ごしました。
午後9時半頃暇乞いをして妻の待つ呉羽へ。

翌17日の日曜日は家の片づけ。娘も合流して3人で引っ越しの下準備です。ため込んだ本や家財を整理しながら箱詰めをしたり処分したりしてあっという間に夕方になってしまいました。
片づけをしていると昔々の懐かしい写真や備品などが現れたりしてときどき手が止まってしまいます。こんな機会でもないとなかなか片づけられないもの。この分だともう一度トラックで富山に行かなければならなくなりそうな雲行きです。
夜は娘夫婦・孫といっしょに夕食を囲んだり、孫の保育園の運動会のビデオを見せてもらったりして楽しいひとときを過ごしました。

今日は妻が午前中休みだったので朝方駅前まで一緒に行っておみやげやらコーヒー豆やらを買ってきました。
その後はいったん自宅へ引き返しちょっと休憩したあと、私はたくさん荷物を積んで一路池田へ向かいました。
帰路は割とスムーズに走ることができて食事時間を含めて4時間で我が家に到着。荷下ろしをして部屋を整理し、車を返して、今度は自分の車で母を迎えるために買い物をしたりと大忙し。終わったのがちょうど午後5時でした。
5時半過ぎにはステーションの車で母がご帰還。心なしかやつれたような顔をしていましたが、夕食をいっしょにとって暖かい部屋で過ごしていたら普段通りの母にもどっていました。ホッ。
というわけで結構あれやこれやで忙しく立ち働いた一日でした。
白馬周辺の写真を「安曇野の四季」にアップしました。池田では日暮れどきの夕焼けがきれいでした。




  10月15日 (金)
日没近くなって久しぶりに北アルプスが全景を現しました。見ると白馬方面はもう頂から山腹にかけて真っ白。このところの寒さでかなり雪が降ったようです。現在は雲一つない晴天になっているので今夜の冷え込みは厳しそう。明日の朝は霜が降りているかもしれません。
庭では暖かい日差しにつられて赤とんぼがしきりに飛び交っていました。奇妙なことに以前は竿の先や枯れ木の先端など尖ったものに競ってとまっていたのに、今日は壁や柱のような垂直な場所を選んでとまっているのです。外へでると私のズボンやセーターや腕にまで張り付こうとする。いったいどうしたってわけでしょうね。またまた不思議なことがおこっています。


今日は午前中は母を送り出すために準備をしていて、午後からいい天気に誘われて工事現場に行ってきました。陣頭に立って工事をしていた社長が私を手招きして開口一番「もう終わったよ」。何のことかと思ったら井戸掘りが終わったというのです。見ると直径1.5mくらいのコンクリート管が地中に打ち込まれて頭が地面に出ていました。覆いをとってくれたので覗くと下が見えない。約7.5m掘ったのだと言っていました。水脈に細い管を打ち込むのではなく、太いコンクリート管を打ち込んでしみ出してくる地下水を蓄える方式です。1〜2年もすれば濁りもすっかりとれてきれいな水になるだろうと言っていました。何だか気の遠い話ですが、畑で使うぶんにはすぐに井戸水を使っても問題はないようです。
いよいよ整地が終わりにかかり、あらためて敷地を見渡してみて、いよいよこの新しい土地に家を建てるのだなという実感がわいてきます。


明日の朝から月曜まで富山に行きますのでしばらく更新はお休みです。


  10月14日 (木)
日中は青空が広がって暖かかったのに日が沈む頃から雨になり全県に雷雨注意報がでていました。明日は今日よりもっと気温が下がるらしい。私は朝晩はもうセーターを着ています。
夜は昨日買ってきたキノコとあり合わせの野菜をつかってキノコ・カレー。冷え込む夜はあったかい鍋かカレーがいいですねえ。きのこのツルッとした食感が絶妙。あ〜〜うまかった。
最近たくさん食べているせいか、一時激減していた体重がじわじわと回復してきてしまいました。畑も夏とくらべてまるっきり手入れをしなくなったし、外に出て身体を動かすことが少なくなったので勢いエネルギーが体内に蓄えられてしまうのでしょう。ちょっと心を入れ替えないと・・・。



先日来ビデオ・テープからデータをHDDに取り込み、それを加工してDVDに書き込む一連の作業をやっていましたが、一応作成に成功しました。
現在使っているキャプチャ・カードはCanopusのMTV2004HFというカード。安いけれどテレビももちろん視聴できるかなり高性能のカードです。ビデオの映像をパソコン上で見ながらコマーシャルの前後で適当に切っていくつかのMPEG2ファイルを作り、TMPGEnc3.0Expressというソフトできれいに修正してDVD用に再エンコード。さらにそれをTMPGEnc DVD Auther1.6というソフトで一つにつないで書き込み用のファイルをつくり、そのままDVDに書き込みます。チャプターを作らず一つの長い映像を作ってしまったので、見るときにちょっと困りますが、第一号の試作としてはまずまずのできでした。トリミングや画質の修正などをしていると3GHzのCPUでも猛烈に時間がかかります。ただこれらのソフトはとても使いやすく性能もよく使い込んで行けばもっと楽にビデオ・テープやデジタル・ビデオの映像をDVDにすることができるはずです。第2弾は同じくモーツアルトの「フィガロの結婚」。数年前にテレビから録画した私のお気に入りのテープです。

明日の午後から母は3泊4日のショート・ステイに出かけ私は明後日の朝から富山へ荷物運びに行きます。今日は、母の荷物をいろいろと準備しておりました。母は池田に来て初めてのちょっと長いお泊まりなのでうまくやってくれるかどうかちょっと心配です。


  10月13日 (水)
午前中割と暖かかったのにどんどん気温が下がって夕方はブルブル。明日の朝の予想気温は8度。標高の高いところでは雪交じりになるとの予報です。しだいに冬が近づいてくるのを実感。
おなじみの直売所をのぞいてみましたら、あるある。地物の「マツタケ」!! 値札を見ると小さいのが3本で「5000円」、見事な一本が「5500円」。「眺めるだけだね」と言うと「これでも結構売れるんだよ」だって。誰が買っていくんじゃ〜〜。
池田は赤松が多いのであるところにはあるんでしょうね。しかも今年は台風などの影響で豊作だとか。知り合いから今度の休みを利用して「キノコ狩り」に行かないかと誘われました。残念ながら私は週末から富山に行くため行けませんので、次の機会につれていってもらうことにしました。
そういえば昨年家探しであちこち回っていたときに山の中にマツタケ風のキノコが生えていました。
昨日直売所で買ってきた「ナメコ」は大きくて土まじりだったけど、みそ汁にしたらものすごくうまかった。秋の味覚は果物だけじゃないですね。栗ひろいの次はキノコ狩りか。でも熊がこわいな〜〜。
富山ではあちこちで住宅地に近いところまで出没しているようです。天候の不順でマツタケやキノコは豊作だとしても熊のえさは少ないのでしょう。
しかし単にえさだけの問題ではないようですね。かつては里山は人が下草を刈ったりして十分に手入れをしていた。だから山林に人が入っても見晴らしがきいて熊とのすみ分けができていたというのです。ところが手入れがされず荒れていくにつれてその調節がきかなくなって勢い熊が住宅地の近くまで出てくるようになったというお話。農業や林業を大切にし環境を守っていくことをおろそかにしたツケを今払わされているのでしょうか。


写真は左から「くりたけ」「ぬめりすぎたけ」「なめこ」。「まつたけ」はありません。


  10月12日 (火)
インターネットの空間は、生身の人間の社会そのものとその精神が作り出した諸々のものとをモニターを鏡としてそっくり映し込みかつ照り返すバーチャルな世界です。そこには過去・現在に人間が作り出してきた事柄のありとあらゆるものがつまっています。人間の底知れぬ闇の世界もまたしかり。
人間の喜び・哀しみ・苦しみを含め人間のあらゆる側面を肯定的に記録するのもこのインターネットならば、人間が人間たろうとして果たし得ないで苦しみもがき、それに疲れて自死を願い、ともに実行する人を募る場として機能しているのもこのインターネットの世界。

埼玉県と神奈川県で相次いでおきた集団自殺。ネットで知り合ってレンタカーを借りるというところから練炭による一酸化炭素中毒での連れ合い死ということまで全く同じです。
私は軽々しくこれについてコメントすることはできません。ただ、次のような”まじめな”ある「自殺志願者サイト」に書き込まれたメッセージを何度も読み返してみたいと思います。このうちの何人かはすでに自死を実行しているのかもしれません。

「本気で死にたい方、いませんか? できれば一酸化炭素中毒で。 詳しい方、やりかた教えてください。 本当に死にたいです。」
「どこにお住まいですか?良かったら私も一緒に・・・。」
「どなたか一緒に練炭自殺したいです。関東の方で練炭、睡眠薬、車をお持ちの方いませんでしょうか??詳しい人いませんか?」
「私も死ぬ決意をしました。 親のお金に手をつけてしまいました。ホントは生きていたいのですが・・・ そんな訳にもいきません。」
「ヒキコモリて、死ぬしかありません。 かといって一人で死ぬのが寂しい・・・・ 話をするのが苦手。死ぬしかないかた一緒に逝きませんか? 方法は何でも結構です。全然話しをしないで即決行でもいいです。 対人恐怖ぎみですがどうかよろしく。」
「みんなどうやって仲間を集めているんだ? 俺も連れて行ってくれよ。」
「近辺整理して予定日がきたら死にます。自殺の準備はできています。精神病だし、働きすぎだし、こうやってパソコンに向かえるのも ほんのひと時。もう疲れました。」
「私もお供させてくれませんか、お願いします。」
「すぐにでも一緒に死んでくれる人いませんか?」
「私もいいですか?17歳です。」
「はい、よかったらメールください」
「秋ごろ練炭で逝こうと思っています。 期限は2,3ヶ月ですけどルームメートになってくれる人いませんか?死にたくても怖くて今まで死ねなかった人で秋ごろ一緒に練炭で 逝きませんか?当方は女性なので女性限定です。 精神的にお互い支えてくれる友達になりたいです。 冷やしと未成年の方はご遠慮ください。」
「死にたいよー 毎日泣いている 泣かない日はない なんで自分なんか生きてるの もう耐えられない 最悪だ つらい 苦しい バカヤロー 世の中なんかなくなってしまえばいい 」
「はじめまして。死にたい、消えたいけどこわいよ〜。」
「頑張って勉強したのに9科目も単位落として留年しそうです 留年が決まったら自殺予定です 一緒に死んでください 」


これらはほんのさわり程度。しかし、当然のことながら同サイトには必死で自殺を止めようと書き込みをしている人もいる。

「なんで?死んだらもう何も残らないんだよ?死ぬ勇気があるのなら家をでるなり、 誰も知らない土地へ行けばいいのに・・・死ぬことはいつでもできるんだから思いきって「何か」を やってみてください。」
「とりあえず「いのちの電話」に相談してみて。相談電話 (03)3264-4343 1日24時間電話を受けつけます。 秘密は必ず守ります。 匿名でもさしつかえありません。 お互いの宗教や思想を尊重します。 必要に応じて土曜医療電話相談にかけることができます。 電話相談員は所定の訓練を終了し認定を受けた人々です。 」
「一度死ぬ前に外国旅行にいけばいい。 カンボジア、インド、フィリピンのスラムなんかをね。 おお、死ぬ気ならイスラエルのガザ地区でもいいね。 そこで必死に生きている人を見たらいい。 どんなに自分が恵まれているかわかるから。 それからでも死ぬのは遅くないでしょう。」
「薬飲んでは死ねないよ。いくら大量に飲んでも大抵発見されて胃洗浄される。 で、肝臓患って病院から縁が切れない。 腎臓患えば人工透析が待ってる。 薬の大量投与は肝臓や腎臓傷めるたけで死ぬ確率は低い。 ハルシオンなんてまったく駄目。 アモバンもサイレースも一緒。 やめたほうが無難だよ。 あのね〜、薬飲んでは死ねないの。 馬鹿見るだけだからやめときなっ! せいぜい昏睡状態になるだけだからね。 」
「半年前俺の大親友が交通事故で死にました。 生きていられる命をわざわざ捨てるな。 そんなことするならその死んだ俺の友達を生かしてあげたい。 病気は運命だからしかたのないものだ。つまらない、なにも楽しくない、 そんな毎日はだれもが経験するはず。思いとどまれば楽しい日々が待ってるかもしれない。 頼れる友達、最愛の彼氏が現れるかもしれない。 命を粗末に扱うな。生まれたものはしょうがない。 この不況でリストラにあったりする人は幾万もいる。 要は心の持ちようだ。 」
「留年したら自殺なんて考えちゃダメ!! 私の友達でも勉強すごいしたけど留年したって人いるよ!! でもそのコは諦めないで学校卒業するって言って頑張ったらちゃんと進級できたんだよ。 頑張っても報われないときって誰にでもあるんだよ。 私もあったしね。ぶっちゃけ勉強したのに0点とったし(汗) だから自殺なんて考えないで。頑張りつづけてれば絶対大丈夫だから!」 「私も中2の時いじめにあっていました。 クラスのほとんどの人から無視され、話してくれる一部の子達からはバカにされ・・・。 登校拒否になり、死にたくて死にたくてリスカを何度もし、でも死ねず・・・。 3年になってクラス替え。 少しは楽になったけど、グループ内で無視されることがよくありました。 本当にあの時は辛かった・・・。 だから、2人の気持ちがわかります。 でもね、まだ14歳なんだからそんなに死に急がなくても良いんじゃないかな? 高校に進学したら、いじめなんてなくなるかもしれないよ。 他人が頑張れって言うのは簡単で、2人は今とっても辛いと思う。 でも、頑張って!! いつかいじめから抜け出せる時がきっと来るよ!! 私は、あの中2の時に死ななくて良かったって今は思ってます。 」



  10月11日 (月)
今日は午前10時からOさんと英語のお勉強の日。少しずつレポートを読み合わせをしているのですが、どうにもわからない部分がいくつか出てきて二人で頭をひねっていました。わからないなりに積み重ねていけば新しい地平が広がることを期待して・・・。Oさんには教えてもらうことばかりですが、こうして勉強できるなんて私にとっては大変有り難いことだしラッキーなことです。アメリカの学者さんたちが腕によりをかけて書いたレポートに挑戦しているわけですからよけいに面白い。長続きさせなければと思います。
午後からは建設会社の社長さんが製図の担当者を連れて我が家を訪問してくださいました。私の書いた図面を見ながら部屋の間取りを検討することと、私の持っている家具や備品などを見ることが目的でした。
ご自分では建設屋風情だからというように謙遜されていましたが、どうしてどうして大変な博識でしかも旺盛な好奇心の持ち主ですし、巧みな話術で人を引きつける術を心得た方ですから話題は尽きません。
私のPCコレクションを見ながら「病気だね」と言われてしまいました。Mikeが「Crazy!」と言ってくれるよりはマシですね。もうこの点に関しては私も「打たれ強く」なっているのでへこたれません。
家の設計についてはまだまだこれから検討が続きます。「まだずいぶんかかる。こうやって検討しているときが一番。建ってしまえばそれまでだから」とは社長の弁。何しろ先立つものが限られているので、お手柔らかにと伝えて打ち合わせを終わりました。
母は昼はヘルパーさんと外に散歩にも出ましたが、帰ってからは昨日の疲れがでたのか寝てばかり。夜起きてくれなければいいのですが。

ところで話は全く変わりますが、先月赤とんぼが連結して飛んでいることを紹介し、その写真も載せましたね。つい先日はなぜそのような格好で連結しているのか謎を解く写真を撮ることに成功しました。トンボの交尾です。前がオス。後ろのメスが身体をぐるっと回してオスから精子を受け取るというわけ。これってトンボにとっては合理的な方法なんでしょうね。それにしてもどうやってオスがメスの頭に連結器をかけるのでしょうか。???がいっぱい続きます。自然の不思議です。



それから昨日紹介しトップページの写真にもした例の「クモ」。何という名前なんでしょうか。誰か教えてください。
身体は直径1〜2ミリほどで動きはものすごく素早い。足の長さはさしわたし3〜4センチもあります。この足の長さ、信じらんな〜〜い。長い足の一部をオレにくれ!



え〜、ウエブ・サイトを片っ端から検索していたら、とうとうこれに近いものを見つけましたよ。関心のある方は是非どうぞ。これってクモよりもダニに近い生き物で「ザトウムシ」というのだそうな。座頭虫? 一説によると4億年ほども前からこの姿のままで「森の掃除屋」を続けてきたのだとか。感動〜〜! それにしても結構虫好きのみなさん、写真を撮っているのですね。このザトウムシをきっかけに虫の世界に引き込まれそうです。
ところで、このザトウムシ、英語で何というのでしょう?? 今日の文中に答えがありますよ。私なんかさしずめ daddy-short-legs ・・・ガックリ。

むし探検広場〜みんなで作る昆虫ブログ〜
ザトウムシ1
ザトウムシ2
葛葉川峡谷だより
いきもの写真ー昆虫以外ー
比企の里だよ り 〜今日この頃〜
daddy-long-legs(あしながおじさん)の複数形は?


  10月10日 (日)
朝はあまりぱっとしない空模様でしたが、それでも次第に青空が広がってきて秋の一日らしくなりました。
午前中は、母が寝ている間に土地造成地を見に行ってきました。道を挟んで隣になるお家の方が草取りをしていらっしゃたので声をかけてみました。思いがけず話が弾んでつい長話に。
もと大工だったというその方は今は単身で暮らしているのですが、身体がちょっと不都合なのでなかなか思うように外にも出られないこと。隣近所の方を呼んでバーベキューでもしようと東屋を作ったのはいいけれど、2回ほどしか利用しないでそのままになっていること。近くで都会風の造成が盛んになっていて町にとけ込まないような動きがあることを快く思っていないこと。隣の造成地は大変しっかりした工事をしているのでどんな金持ちが来るのかと思っていたということ(造成地の全部を一軒で所有すると思っていたようです)など、矢継ぎ早に話してくれ、私も思っていることをあれこれ話してもうすっかりうち解けてしまいました。家を建てることになったら是非お互いに行き来をしたいこと、東屋も利用させてほしいこと、一緒にドライブでもいきたいということ、などを伝えてきました。「身体の都合が悪いと外へ出るだけで気持ちがいいんだよねえ」とその方。楽しいおしゃべりになりました。



午後母をお風呂に入れて気持ちよくなったその勢いで、午後3時頃から上天気につられて母を連れてドライブにでかけました。一度大町から鬼無里経由で白馬まで行ってみたかったので今日は願ってもないチャンス。出発の時間が少し遅かったのと、山の方が曇っていたのであまり期待せず気晴らしのつもりででかけました。
山は紅葉の始まり。ところどころに黄色や赤の落葉樹が広がって、あと少しすれば全山紅葉という季節になるのでしょう。天気のいいときにもう一度ゆっくりまわってみたいコースです。今日は途中何回か写真を撮るためにだけ停車した程度でただ走り続けただけでしたので、今度くるときは鬼無里から戸隠まで行き蕎麦を食べて来ないと来た甲斐がありません。天気がよければ北アルプスの白馬や八方尾根が見晴らせるはずなのでこれも期待の一つ。
今日は白馬までちょうど2時間。帰宅が午後6時でしたから3時間のドライブでした。筋力の弱まっている母はすぐに傾いてくるので矯正するのに手間取ってちょっと運転にも支障がでました。日頃のトレーニングに身体全体の筋力アップも盛り込んでいかないといけないと痛感。

トップの写真は造成地の近くの木にたくさん生息している蜘蛛の一種らしい。やたら足が長い!!




  10月9日 (土)
台風が伊豆半島に上陸して大荒れの週末。降雨量の記録を更新しそうなほどの激しい雨です。神奈川のみなさん、十分ご注意を。
池田町、午後5時。空がやけに黄色く見えます。長野に最接近と伝えられてはいますが、台風の北側にあたるためかほとんど風の影響はありません。ようやく雲も高くなり、傾いた太陽の光を屈折して黄色く見えるのではないかと私は想像しているのですが。ずっと夜明けの頃の暗さのためか朝顔が花を閉じる時を失っていつまでも咲いています。
降る雨をみながら今更ながらこんなにたくさんの水が上空にあるのかと驚かされます。太平洋上で蒸発した水蒸気が南の風に乗ってどんどん日本に運ばれて北の冷たい空気とぶつかって再び落ちてくる。平均してきれいにならされて地上に降り注ぐ雨脚を見ていると奇妙で不思議な気持ちになってきます。 明日は晴れてきれいな青空が見られるといいですね。



ところで、アメリカの大統領選の公開討論の模様をちょっとだけ見ました。イラク情勢が2回目の討論でも焦点になっていましたが、この討論会は一種のトーク・ショーですね。ほとんど内容がなく、ただ何かを印象づけようとするパフォーマンスだけの口先討論。
「イラクで死んだ兵士の8割がアメリカ軍だ。派遣されている8割もアメリカだ。私が司令官をやるしかない」とケリー候補が言えば、司会者の制止を振り切って「いっしょにイラクで闘っている同盟国を侮辱するものだ」とブッシュ。
これらの討論にも当然影響を与えているアメリカ自身のこの3年間の変化は実に大きなものがあります。9.11ショックから冷めて冷静に情勢を見ようとする空気も広がっていることは当然といえば当然ですが、しかしアメリカの支配層はしたたかで、今の体制ではたとえ大統領が誰になろうとイラクでの主導権を譲るようには思えません。こうしたアメリカの帝国的覇権主義を終わらせるためには国際的な世論とそれを具体的な力にする各国でのねばり強いたたかいしかないのでしょう。
「今日の歴史の中に、人は二本の軌道を見出すはずだ。一本は覇権に向かい、狂気の理論の枠内で合理的に行動し、生存を脅かす。もう一本は『世界は変えられる』−−世界社会フォーラムを駆り立てる言葉−−という信念に捧げられ、イデオロギー的な支配システムに異議を唱え、思考と行動と制度という建設的な代案を追求する。どちらの軌道が支配するかは誰にもわからない。」(ノーム・チョムスキー「覇権か、生存か」)


  10月8日 (金)
雨で写真がとれないと天気図がでてくるというパターンにはしたくないですね。しかし、天気図をみて今後の台風の進路や雨の降り方を心配しないといけないほど、今年は大変な年です。またまた台風22号の直撃予報。うんざりです。しかも長野でもこれまでに降ったことがないほどの雨が降るという予想までされているので風と雨で被害が広がりはしないか心配です。

Windowsのメインマシンが無事復旧しました。一時は新しいマザーボードに取り替えなければならないかと思いましたが、何とかケーブル類を付け替えただけで元にもどりました。原因は今もってわからないのですが、マザーボード上でEthernetの信号を認識できない故障が依然としてあるので、これを中心に何らかのトラブルが広がったような感じ。この一点を除けば全く前と同じ状態にできたのでしばらくは大丈夫でしょう。そのうちLGA775,PCIエクスプレス、DDR2メモリーといった新機能での再構成をする時期があるでしょうから、それまで我慢。新しい規格ではこれまでの財産が全く通用しなくなるのでそれなりに貯金もしておかないといけませんしね。

それにしても最近あんまり内容のあることを書いていません。もともとそんなに内容があるわけでもありませんが・・・。PCが直ったこともあって、ようやく生活も落ち着いてきました。明日からはまたあれこれ刺激(!)を求めてさすらうことにするかな。


  10月7日 (木)
朝の冷え込みがきつい。ごみを出しにいくだけでブルブルです。吐く息が白く見えますから霜が降りるのも間近なんでしょうか。それにしても急激な気温の変化にまだ身体がついていきません。

昨夜からメインマシンを一度ばらして、挙動のあやしかったケーブル類をとりかえ、メモリーやPCIカードなどをしっかりと差込み、あらためて電源を入れてみました。今度は何とかうまく起動しました!! よかった。しかし、やはりどうやってもマザーボード上のLANチップに故障があるらしく、ドライバは有効になっているのにネットにつながらないという不具合が残っています。仕方なくこの問題は別のLANカードを挿して解決。ようやくソフトのダウンロードやアップデートができるようになりました。
何にもソフトをいれないまま、とにかくホームページの本体だけはまたメインマシンに移して、現在そこからアップしています。もとの環境に戻るにはまだまる一日かかりそうです。ふ〜〜〜。

夕方になってマシンがほぼ完成。アナログのビデオやテレビ映像も取り込むことができるようになって大成功です。
まだ少しチューニングが残ってはいましたが、さっそくビデオライブラリの中からベルイマンの映画「魔笛」(モーツアルトの歌劇の舞台をそのまま映画にしたもの)をハードディスクにとりこみました。コマーシャルだらけなので、それをカットして一つにつないでDVDに残せたら今後の作業は大変楽になるはずです。といっても等速でビデオを見ながら記録していくので時間がかかることおびただしい。膨大なビデオをそのままハードディスクに落として圧縮した上でDVDにできればいいんだけれどコマーシャルがあったりするとそれを除かないといけません。そんなソフトもあるらしいけれど、まずはキャプチャ・編集の練習から。映像だけは全く扱ったことがなかったのでこれからしっかり勉強します。


  10月6日 (水)
ここしばらく来訪者が続いたので興奮してずっと眠れなかった母は、昨夜から今日にかけてはよく寝てくれました。私もちょっと寝坊して起きたのは6時半過ぎ。母は昼前までずっと寝ていたために宅老所に送っていけず、結局迎えにきてもらうことになってしまいいました。宅老所でもよく寝ていたらしいのですが、帰ってきてからもまだ眠そうでしばらく布団に入って熟睡。ぐっすり休むと頭も休まるので、明日まではとにかく寝てもらうしかありません。
私は午前中はもう一台のPCでこれまでとほぼ同じホームページ作成の環境を構築するのに精一杯。プリントをのぞいてようやく何とかなりました。メインマシンの修理には全く手つかずです。午後はハロー・ワークで職探し。帰りに眼科に寄ったら運悪く午後休診でした。も〜まったく。
その後は豊科まで走りUSB2.0カードを買い、おやき村によっておしゃべりをしてきました。
ここが私の一つの情報源であることはこれまでも書いていましたが、池田の若い人たちをめぐるいくつかのことについておもしろい話を聞いてきました。これはまたいつか紹介しましょう。
帰ってから、キュウリをすべて取り除いて畑を耕し次の作物を植える準備をしました。あれこれせっせとやっているうち、母も帰ってきてあっという間に一日の終わり。そろそろ母を起こして食事にしなければいけません。では、また。




  10月5日 (火)
休暇を利用してこちらにきていた妻が昨日早朝に富山に戻り、それと入れ替わりに娘夫婦と孫が夕方からやってきました。あいにく冷たい雨が降り続いているのでどこにも出かけることはできませんが、忙しい理容店の仕事からしばし解放されてのんびりしているようすです。孫は音楽に合わせてさっそくオリジナルのダンスを披露したりしてはしゃぎ回っていました。
ところで、2,3日前から私のメインマシン(Windows機の方)が故障、インターネット環境が全くだめになってしまいました。ホームページのアップもままならない深刻な事態です。sp2にしてからあまり調子はよくなかったのですが、それに新しいカードを追加したときから挙動が怪しくなって、ついに全くネットに接続できなくなってしまいました。現在はもう一台のWindowsMeとLinuxをインストールしてあったマシンにホームページ環境を一式移してそこからアップしています。こんなときはソフトを使わないで書き込んでいる私のようなやり方は便利です。とはいえ、相当に深刻な事態。原因をつきとめられるかどうかまったく見当もつきません。まいった。まいった。

終日冷たい雨が降り続き昼になっても気温がほとんど上がりませんでした。昼前には寒くてとうとうエアコンをつけてしまいました。テレビでも暑い夏から突然寒くなりコンビニでは「おでん」がよく売れているそうです。いつになったらからっとした秋晴れになるのでしょうか。
午後は母をヘルパーさんに任せて、娘夫婦・孫を連れて造成中の土地を見に行き、そのあとおそば屋さんへ。あっという間に時間が過ぎて、夕方つかの間の訪問を終えた3人は帰路につきました。そしてまた私は母と二人の静かな生活へ・・・と思ったら、トラブルに見舞われた我が愛機を何とか復活しないことには!! 手足がもぎ取られたようなものです。頭のいたい日々がまたまた始まります。




  10月3日 (日)
昼頃からあいにくの本格的な雨。新しい住まいの予定地である隣の町は昨日・今日が秋祭りで、神社の飾り付けや曳舟の準備も行われてきていたようでしたが残念です。
昨夜から妹夫婦が初めて我が家を訪問してくれました。母とは久しぶりの対面でしたが、当の本人は誰かがまるでわからない様子。日に日に記憶力や生活力が失われていきます。誰かくると相当に興奮するのか、深夜まで何か妄想にとりつかれていたようで、ずっと一人で何かしゃべっていました。隣で寝ていても気になってしかたがなく、いったん午前2時頃起こしてなだめてまた寝かせるという具合。一つ一つの出来事をクリアしていかなければなりません。

今日はお隣のご長男の結婚式。自宅にいる長男の結婚式には「隣組」(町内の一つの班にあたる)は出席する習慣があるらしくずっと以前にお話がありました。私は母のこともあって欠席の連絡をしていましたが、本当に地域の冠婚葬祭の習慣というのはそれぞれですね。富山ではまず考えられないし、まして東京では隣の人が誰だかわからない状態です。そんな生活に長く慣れ親しんでいると、最初はものすごい違和感を感じてしまいます。しかし、ずっとそのような習慣の中に生活していたこちらの人たちの見方からするとそれがむしろあたりまえだということになります。少しずつそうした習慣にも慣れていかないといけないし、まだまだ地域に溶け込むには時間がかかりそうです。

さて、話はまた変わりますが、今期の通算安打で新記録を達成したイチロー選手のことが妻や妹夫婦といっしょに囲んだ食卓での話題にものぼりました。
おそらくテレビなどで紹介されているどの賛辞もあたっているでしょう。私はインタビューに答える彼の言葉にいつも注目してきました。きちんとした日本語で自らのプレーや感想を語れる選手というのはまずいない。イチロー選手の場合は、言葉の言い回しを含めて優れた能力を感じさせてくれます。運動能力だけでなく知性という点でも第一級の選手ですね。




  10月1日 (金)
昨日は冷房、今日は暖房というほどの気温の変化。夕べは空気が澄み切ってすばらしい月夜でした。晴れているせいか冷え込みが激しく、早々に布団をかぶって寝てしまいました。
今朝は辺り一面にびっしりと露がおりていました。写真を撮りに行こうとして、車についていた露を拭いていてびっくり。タオルに汚れがまったくつかないのです。私は無精で洗車などは絶対にしないのでさぞほこりまみれになっているだろうと思っていたらさにあらず。先日の台風による雨できれいになったのだろうとは思いますが、水洗いしたあとのよう。それにしても東京では絶対に考えられないことです。これが普通なのだと行ってしまえばそれまでですが、あまりの相違に愕然とします。

今日は午前中お向かいのOさんと英語のお勉強。夕方から妻が来てくれ、さらに明日の夕方は私の妹夫婦が泊まりがけで訪問。さらに次の夜から娘たちがやってくるので大変忙しくなりそう。にぎやかな日が少し続きます。






"Flowers" by Mr.Blue Piano Man


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