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  4月30日 (金)
世の中はいよいよ大型連休なんですね。私は毎日が超大型連休ですので実感がわきませんが、今までは季候のよいこの連休がなかなかの楽しみでした。しかしそれは気持ちだけで、外にはほとんど出ずに家でごろごろしていることの方が多かったような気がします。東京でどこかに行こうとすると人混みがものすごいし、時間がやたらかかることを覚悟しないといけませんからね。連休中パソコンの組み立てやOSの入れ替えなどで過ごしたこともありました。T高校のみなさんの連休の宿題のお手伝いをしていたことも。
引っ越しから2週間が過ぎてようやく今日でほぼ生活の環境が整いました。母のためにヘルパーさんに来てもらえるようになったので週に3回はしばらく外に出ることができます。連休明けから本格的に仕事さがしです。また、電子レンジを新しく購入。料理にも挑戦??お風呂のすのこを買ってきて風呂のサイズにあわせ母が冷たい思いをしなくて済むように切り出しました。
本とかビデオCDを収納する棚が圧倒的に少ないのでこれはオークションで入札しまくっていくつかを購入。連休明けにはこれもそろいます。食器入れやお風呂の道具などもそろえて、大体計画していたほとんどすべてを完了。
明日からは妻も富山からやってきて、畑をしたりあちこち行楽に出かけたりとゆっくり安曇野暮らしをたのしもうと思っています。というわけで、次第に池田町民になっていく私でした。


  4月29日 (木)
今日は朝から素晴らしい快晴です。昨日町役場で土地について耳より情報を一つ聞いたので朝ドライブがてら見に行ってきました。今住んでいるところから車で5分くらいのところです。昨日もちょっとだけ見てきたのですが、昨日はいいところだと思ったのに、今日あらためて見てみると気分が幾分乗らなくて他をさがそうかなとも思ったり。でもそこは「蛍と花の里」で蛍が飛び交うんだそうです。それだけでも魅力ですよね。見晴らしはいいし町の中心にも近いし申し分ないのだけれど。
直ぐ下の農地から見晴らす北アルプスは絶景です。今朝のパノラマ写真をお届けしますね。撮れたて新鮮写真です。ここをクリックすると大きな画像が見られますよ。






  4月28日 (水)
雨があがってときどき太陽が顔を出す曇り空。庭先ではつばめがしきりにエサを求めて飛び回っています。遠くの山ではウグイスが鳴いています。庭の草むらには小さいカエルがひそんでのどかな一日のはじまり。
9時頃から庭で土を耕していたら、となりのおじさんが「よくやるねえ」と声をかけてきた。「なんとか畑らしくなったかな」と返事しながらこのあとの肥料のことを聞きました。「石灰窒素をやるといいんだがねえ。でも10日くらいおかないといけないね」という返事。耕したはいいけれど、さてこのあとどうする。
話はかわりますが、H塾N教室のみなさんはどうしていますか。小6のみなさんはすっかり「受験生」になってMNEMO先生の大きな声に励まされているんでしょうか。新高一のみなさん。かなり残ってくれたようですね。何となく授業の雰囲気がここまで伝わってきますよ。高2,高3のみなさんもしっかりやっているかな。部活も運動部の場合はいよいよ試合の多い季節だし連休どころではないのかもしれませんね。
ときどき、もう少しH塾にお世話になってみなさんと一緒に勉強できたらよかったなあと思うことがあるんですよ。何といっても育ち盛り・好奇心旺盛なみなさんと接しているのは楽しいことです。張り合いがあります。目標にむかって一つずつ積み重ねていくのは苦労も多いけれど喜びもまた大きい。それに私自身の問題として本当に沢山の刺激がもらえる。いつも新鮮な気持ちでいられるというのは何にも代え難い。決まった時間に起きて、通勤し、仕事をし、母の世話もして、あとは自分の時間。そんな変化も私にはとても重要な生活の要素でした。それがいまは全く消えてしまっているわけですから、自ら望んだこととはいえ、かなり大きな打撃です。つまり、そのときは気がつかなくても離れてみるとよくわかるってやつですね。
そうはいっても、まだこちらで新しい生活を踏み出したばかりですから、私なりの新しい人間関係と仕事に代わるものを見つけて、いつも生き生きと生活していられるようにするほかはありません。それを見つけるのがこれからの課題です。現在思案中です。乞うご期待!!





  4月27日 (火)
今日はまた朝から強風と横殴りの雨で台風並みの荒れ模様。低気圧に南よりの風が吹き込んでいるので気温はそれほど下がっていないことだけが救いです。
引っ越し前に買ってあったキャプチャ・ボードをとりつけパソコンでテレビも視聴できるようになったために、このごろ早起きをして朝のニュース・ショーを時々見ているんですよ。
今日の朝日系列8時からの「モーニング」では、イラク人質事件の「自己責任」問題をめぐって詳細に議論をしていました。多面的に報道しようとする姿勢や海外のメディアの反応を紹介し問題の真相に迫ろうという姿勢は大変好感を持てました。
人質となった5人への「請求書」をきっかけにいっそう煽られる「自己責任」とは一体何なんでしょうか?「世論」が厳しい責任を追及しているのだというこの「世論」とは誰のこと?海外のメディアから一様に不思議さと異常さを指摘されるこの日本政府の立場と日本のマス・メディアのありようは一体?
私は韓国のメディアが報じたという「帰国する姿は、手錠はかけられてはいなかったがまるで罪人そのものだった」という感覚の方が正常だと思います。「国際支援のためにお金だけでなく日本の若者たちの心が動いた。一人ひとりの力は小さいかもしれないが、それは国際社会に強い印象を与えた」(ルモンド)とか「(欧米にくらべて歴史が浅い日本のNPO活動の)草分け的な存在である彼らの活動を”評価するべき点はきちんと評価する”ことが大切ではないか」(シルビー・ジャコ信濃毎日特約記者)という見方はあたりまえの感覚でしょう。見えない手錠をかけられているのは誰なのでしょうか。
「自己責任」を追及する「世論」を日本人論に結びつけて論じる向きもありますが、私は今回の人質問題に関しての「自己責任論」は、政府が火をつけて煽り、それにマスメディアが乗っていっそう広げ、ある政党の支持者らが意図的にそれをばらまいてきた極めて醜悪・悪質な策略だと見ています。つまり「国家による自衛隊の派遣こそ唯一絶対の選択肢である」ことへ世論を誘導するために政治的に巧妙に仕組まれたものだということです。
ところで、人質となった人たちが日本に帰る費用を本人が負担すべきかどうか、みなさんはどう考えますか。私は一切の費用を払う必要はないと考えています。いや、請求すべきではないというのが正しい。百歩譲って請求していいかもしれないのはせいぜい本人が通常のルートで日本に戻る費用程度です。これとて「自己責任」ではなく通常の「運賃」「交通費」としてです。「新宿から町田まで」の交通費を払うのが「自己責任」だと考えて乗っている人はまさかいないでしょう。たとえば私が新宿歌舞伎町あたり(??)で暴漢に襲われ救出されてパトカーで自宅まで送ってもらったとします。そのとき警察はパトカー代金を請求します? しませんね。歌舞伎町に退避勧告が出ていたかいなかったかの違いですか?私が国家権力に対してどんな態度をとっていたかが問われるのですか? あらゆる意味で、被害者を安全に確保し保護し送り届けるのは政府の義務であり責任だと私は考えます。
よく「国家の義務」とか「国家の責任」などという戦前まがいの言い方をしますが、みなさん、これ自体にいかがわしいものを感じません?問題は、ことさらに「費用負担」を国会で取り上げたり「自己責任」を煽る政治的意図の問題の方にあります。何度も書きますが、半数の「世論」が反対する中、国連がそんなことをしてはいけないという中をアメリカに従って危険なイラクに自衛隊を派遣した。このことから絶対に目をそらしてはいけません。
とうとう「反日分子」という「非国民」に近い言葉がマスコミあがりの自民党議員から出てくるにおよんで、いよいよこの国はファシズ病が再発し、病は深いなという実感を強くします。彼らにとっては決して突出した言辞ではありません。その動きに加担するマス・メディアと「世論」の罪は重い。

さて、国会ではろくに議論もしないで「百年安心」ならぬ「百年不安」「百年激痛」の年金法案が明日の衆議院厚生労働委員会で採決されようとしています。
今後14年間いっさい国会の承認を必要とせず、連続的に保険料が引き上げられて国民年金は2017年には1万3300円から1万6900円に。厚生年金の負担も同様にして年収の13.58パーセントから18.3%へ。さらに給付は国民・厚生年金を問わず2023年度まで一律15%カット。国民年金は4万6千円から3万9千円になります。
政府案では保険料未納者に対する強制徴収を強化する措置も盛り込まれているので、自民3議員のような未納ケースはこの法案の趣旨からするとやっぱり議員辞職ですね。小泉のふざけた態度は全く勤労国民を愚弄する以外の何ものでもありません。これで腹が立たない人がいたらもうお目出度い。
しかも話はこれだけで終わらないんですね。そう消費税の引き上げ。私の予想では10%ですよ。さて、みなさん。どうしましょう。



  4月26日 (月)
午前8時。冬型の寒波が去ったのか今朝は穏やかな暖かい朝です。洗濯物を外に干して一日のスタート。母は昨日から寝続けて穏やかな顔をしているのでしばらくは安心かな?
昨日は3選挙区で衆院議員の補欠選挙が行われ即日開票されました。まず注目すべきなのが投票率の低さ。各新聞は「無党派層の不参加」などと書いていますが本当にそうでしょうか。埼玉8区は公職選挙法違反で起訴された自民党議員の辞職に伴う選挙なのに35.22%という低さ。しかも自民党としての「自己責任」は個人の問題として不問に付され公明の推薦を受けた自民候補がまたまた当選するという情けなさ。
投票率の低さを評論するときに「政治離れ」という言い方がよくされます。要するに議員さんのやっていることに不信感をもったり、あきあきしたりしているということです。怒りは表現とならず、不満は鬱積したまま単にお茶の間かパブの片隅のグチとなり、そして一人ひとりの胸にしまい込まれてしまう。
保守党はこのことをよく知っていて、低い投票率でも絶対当選し安定した保守政権をつくろうとして、まず選挙制度を変えることに血眼になってきました。現在の衆議院選挙は60年代、70年代には彼らが喉から手がでるほどほしかった小選挙区制度(比例代表を加味)で行われます。保守政党がカネと人脈にまかせれば全議席を占めることも可能というわけです。
保守政党がもう一つ血道をあげてきたことは「2大保守政党」づくりでした。これもほぼ完成に近づいています。これをすすめる手がかりは労働組合の右翼的な再編成を通した旧社会党の解体・保守へのとりこみでした。そのなれの果てが現在の日本の政治地図です。極めつけは「政党助成金制度」。選挙はカネがかかるし、汚職に結びつきやすいから国民の税金から政党にカネを出す。こうして支持もしない政党に自動的に税金が支払われるという信じられないような構図ができあがってきました。日本国憲法はもう切り刻まれ、どろまみれ、**まみれです。でもこれでようやく憲法を変える準備ができたんですもんね。よかったね。小泉さん、安倍さん。


  4月25日 (日)
昨晩の夕食メニューは妹が送ってくれた「ホタルイカ」とお隣の方からもらった「コゴミ」、それに近くの農協販売店で買ったトマト。ホタルイカはさっと茹で直して茹でた分葱(わけぎ)をそえて酢みそをかけてたべます。コゴミも茹でてごま和え。どれもおいしく母もどんどん食欲がすすんでいました。季節のいろどりも豊かで、いつもの貧しい食卓が急ににぎやかになりました。
母の状態が良かったのはそこまで。着替えて寝る頃にはどうも様子がおかしい。私が布団に入ったのは11時頃でしたが、それから午前2時頃までまた例の独演会です。お昼寝をしたときから夢見が悪かったようで「テストを受けられなかったのがくやしい」とか「大事な書類をなくした」とかと口走っていましたから、それがまだ続いているようでした。夜「ミイラ」の番組を見ていたのがさらに輪をかけたらしい。結局午前2時頃まで布団を剥いでずっとしゃべりっぱなしだったようです。いつものことなのでどこかへ出ていかない限り放っておいて私は寝ることにしているのですが、ストーブはつけてはいるもののだんだん寒くなってきているので、ついに午前2時ごろ起きて様子を見ました。するとベッドに寝たときとは正反対になって剥いだ布団に頭を乗せて横になっている。憔悴したような顔。リハビリ・パンツを交換し顔を洗ってもう一度布団に戻しました。しばらく横で座っているとようやく安心したのかそれから直ぐに寝息を立てて寝入ってしまいまいました。ホッと一息です。
ところが私の方が寝られなくなって、しかたなく荷物の整理をはじめ結局また寝たのが午前4時。いつものように6時45分に放送に起こされてしまいました。母がこちらの生活に慣れるまでにはまだしばらくかかりそうです。ヘルパーさんが来てくれて刺激が加わるとまた違うのだろうとそれに期待をかけています。
夕べからまた冷え込んで朝の気温は2度。霜が降りてものすごく寒い。さすがに部屋は暖房しているのでそれほど冷えてはいませんが、まもなく5月という時期でこうですから冬が大変そうです。しかし、そのぶん空気は澄んで夜には星空も美しく、水を張った水田からはカエルの合唱がきこえはじめました。朝散歩に出ると、ツバメが田んぼの上をとびかい、北アルプスからの雪解け水が水田に導かれる音がサラサラと聞こえてきます。朝早くから農家の人たちは耕耘機を回して忙しそうです。こうしてはじまる一日。どんな日になるのやら。
今週は母を医者に連れていったり、私の仕事さがしのことや、ヘルパーさんとの打ち合わせやらでまた新しい一週間になりそうです。なんとか乗り切ってゴールデンウイークを迎えましょう。


  4月24日 (土)
夕べから気温がどんどん下がって今日はまた霜が降りていました。日がさすと暖かくはなるのですが、何と気温の変化の激しいことでしょう。どうも全国的に変化が大きいようですね。
母はまだ新しい家に慣れないのか妄想が出て午前2時頃からずっと一人でしゃべっていてまだおさまりません。眠ったかと思うと布団を剥いでベッドから降りて別の場所に行こうとします。寒いので気が気ではありません。言い聞かせてもいつもその場限りでまた同じことの繰り返し。結局今日も朝の放送よりも前に起きてしまいました。おかげで最近夜寝るのがものすごく早い。夕べは10時を過ぎるともう眠くなり11時には布団にもぐりこみました。東京時代には信じられないような生活です。
母としばらくテレビを見ていてあっけにとられたのが国民年金を払っていない自民党の3議員の釈明。忘れていたとか、ミスでしたというふてくされた態度でいいわけに終始していました。こんなやつら即刻議員を辞職すべきでしょう。キャスターの古館さんも呆れてものがいえないという顔をしていました。年間400万円近い議員年金が入るから国民年金なんてどうでもいいんだろうし、月6万円くらいの年金で暮らさなければならない人たちのことを考えるなんてハナからないのだろうとコメントをしていましたが、全くその通りです。こんな彼らが年金の大改悪(保険料の大幅引き上げ、給付の大幅削減)をやろうとしているのですから腹立たしいことといったらありません。しかも消費税の引き上げとリンクしている。
つい最近のことだったと思いますが、小泉首相が「年金は窮民対策だ」と言ったように記憶しています。社会保障としてもただでさえ不十分な年金制度をどんどん改悪して結局若い人たちに何の魅力もないものにしていったのは歴代保守政権。おそらく空洞化はもっともっと進むでしょう。
年金にはたよらないで自分で老後のことを考えるという傾向がすすんでいるように見えますが、これは全く歴史に逆行した考え方です。老後を社会の問題としてとらえ、人間の誕生から死までの安定した生活を政治が保障するという現代の社会保障の理念を発展させることが問題であるのにそれを崩していくのですから、結局日本の政治や経済・文化の水準をますます衰退・後退させていくことにつながるでしょう。庶民の生活はつぶれ、大企業だけがもうけをあげる・・・しかし消費は冷え込む一方だから、さてその行き着く先は・・・。


  4月23日 (金)
「フォッサ・マグナ」(Fossa Magna)とは、ラテン語で”大きな溝”という意味なんだそうです。私はこれまでその名前の由来も知らず、調べてみようともせず、フォッサ・マグナと糸魚川ー静岡構造線とが同じものだと思い込んでいたのですから全く始末が悪いですね。
実は今日、「フォッサマグナ・ミュージアム」や「大鹿村中央構造線博物館のホームページ」に立ち寄って、その解説からフォッサ・マグナの本当の意味を知ったのでした。「フォッサマグナ・ミュージアム」ではものすごく詳しい解説が載っていて日本列島の成り立ちもよくわかり勉強になります。「え〜、そんなことも知らなかったの?」と言ったのはだれですか?
解説によれば、フォッサ・マグナというのは日本列島を二つに分けるかなり広い帯状の地域で糸魚川ー静岡構造線はその西側を形成するんだそうです。東側は柏崎・千葉構造線になりますからずいぶん広い帯状の地帯です。私は単にフォッサ・マグナ=大地溝帯と覚え、日本を東西に分ける巨大な断層が走っているくらいにしか理解していなかったのでした。ふう〜。しかしホームページをあれこれ検索していると、そのように理解している人も結構いましたよ。弁解にしかなりませんね。
以下それらの解説からフォッサ・マグナの形成に関わる部分を紹介します。
(画像もホントは載せたいのですがは無断借用になってしまいます。各ホームページを参考にしてください。フォッサマグナ・ミュージアムでは「フォッサマグナ」の項から「詳細メニュー」をたどります。大鹿村のホームページでは「中央構造線ってなあに?」の項に載っています。)

「1500万年前、日本海が開き、それまでアジア大陸の東縁にあった日本列島の“もと”が大陸から離れました。東北日本は反時計まわり、西南日本は時計まわりに回転し、折れ曲がった部分が引っ張られて落ち込みフォッサマグナになりました。その西縁の断層が糸魚川・静岡構造線です」
「フォッサマグナ地域は、1500万年前ごろ大きく沈降して海になり、泥・砂・火山灰で埋めたてられました。地層は沈降した深さだけたまりますが、長野市付近ではその厚さは5000mもあります」(大鹿村ホームページ)
「ナウマン博士がフォッサマグナを発想してから100年以上もたちましたから、日本列島の地質調査も大幅に進展しました。この結果、・・・(フォッサマグナの地域は)ナウマン博士のフォッサマグナよりも東に大きく広がりました。西縁は糸魚川-静岡構造線でかわりませんが、東縁は新発田-小出構造線と柏崎-千葉構造線になっています。新潟平野、長野盆地、関東平野の西部もフォッサマグナ地域になります。」(フォッサマグナ・ミュージアム)


「フォッサマグナ・ミュージアム」へのリンク
「大鹿村中央構造線博物館のホームページ」へのリンク

とまあ、こんなわけです。現在フォッサマグナの東側の構造線ははっきりはわからないらしいのですが、西側はとてもくっきりしています。つまり私の今住んでいるところから毎日眺めている山の景色がそれなんですね。
地球科学研究室の輿水達司さんは「研究余話」で「この断層で南アルプスや北アルプスが隆起し始めたのは、約100万年前からと言われています。100万年で3000メートルの山々ができたということは、単純な計算で1年にすると3ミリです。たったそれだけの隆起でも、長い間には山ができるのです。」と書いていらっしゃいます。ものすごい時間の流れ、巨大な地球のエネルギーです。地球がゆっくりゆっくり作り上げてきたこれらの景観。これはどうしても守っていかなければいけませんね。フォッサ・マグナのことを調べていてその思いをいっそう強くしました。
ところで、私は東京の町田市から長野の池田町に引っ越したわけですが、よくよく調べてみるとフォッサ・マグナ東端の地震地帯から西端の地震地帯に引っ越したわけですね。「糸魚川−静岡構造線中央部が日本の活断層の中で最も危険な断層といわれています」 ガーン!!


  4月22日 (木)
今日も朝6時45分に町の広報無線放送に起こされました。母か広報に起こされるという毎日。まったく考えもしなかったことです。おかげで一日はとても長い。もと職場のみなさんや、朝早くに起きて仕事に出かけ遅くに帰宅するという方や、早朝から田畑の仕事をしている農家の方からみると何と贅沢な、いや、だらしない生活をしているのかと思われそうですが、これまで一生懸命働いてきたのだから少々のんびりも許してもらえるでしょう。
今日は母が全く起きる気配がなく結局午後1時頃まで熟睡しておりました。気持ちが悪いと言ってぐずっていましたがどこも悪い気配がありません。寝たいだけ寝かせるかと思い、私は洗濯と家中の大掃除に精を出しました。母が起きてからは食事をし、お風呂に入れてさっぱり。風呂だけでも一時間はゆうにかかりますが、今日は昼から真夏のようなカンカン照りの暑い一日になったので暖房に気を遣う必要もなく何とか風呂を済ませることができました。
何と言ってもうれしいのはお天道様の下で洗濯物が干せること。東京では洗濯物を外に出すと車の煤煙で一日で真っ黒になってしまい、つい乾燥機に頼っていましたから雲泥の差です。布団も干せるしこれは地獄と天国の差ですね。ただ、よくなっていた腰が引っ越しでまた悪くなりどうも動くのが億劫です。今週はのんびり過ごして、来週から行動を開始しようと自分で納得させています。母を病院に連れて行ったり、ハローワークに行ったり、車の登録変更をしたりしないといけません。ヘルパーさんに助けてもらって外に出かけることにします。午後からはヘルパーさんとの打ち合わせも終え来週から来てもらえることになりました。 


  4月21日 (水)
19日は荒れ模様でしたが、20,21日と晴天に恵まれて昼は暖かく、気持ちのよい風が吹き渡っています。今日は朝5時45分起床・・・と書くといかにも安曇野暮らしになじんできたようですが、実は母に起こされてしまったのです。朝4時頃にストーブをつけておいたのでまだよかった。母はその後いつの間にか寒いキッチンまで行っていつもの独演会。その声に起こされてしまったわけです。
それにしても今日はよい天気。6時頃にゴミを出し縁側で一服しているととなりのおじさんが回覧板を持って向かいの家に行くのがみえましました。挨拶すると「ここで何をするんだって?畑」と前の空き地をさして問う。「そう。でも石だらけみたい」と答えると「こんな大きなのがある」と返事。「いい天気になったね」「今日も暑くなりそうだ」・・・こうして21日の朝は明けました。北アルプスがくっきりときれいです。しかし、夜の寒さはやっぱりハンパではありません。日が落ちると急に気温が下がるので寒暖の差がものすごいのです。今朝なども車の窓は霜でびっしり覆われていましたから。

昨日は午後から母を連れて田んぼのわきの農道を遠くの山を見ながらゆっくりと散歩しました。田んぼをわたる風の気持ちのよさ。これはやっぱり田舎でなければ味わえない気分ですね。田舎の匂いが風にのってきます。ワラとか肥料とかの入り交じった匂い。私が子どもの頃母や祖母の田舎で思う存分吸い込んだあのなつかしい香りです。
農道の脇にはタンポポが所狭しと咲いています。大家さんの話では茹でておひたしにして食べるとおいしいということです。明日かあさって摘んできて食べてみようかな。
ところで新しい写真を載せたいのですが、引っ越しの手伝いに来てくれた息子に今まで使っていたデジカメをプレゼントしてしまったので、しばらくお預けになります。新しいカメラが手元にあるのですが、まだ使い方がわからない。現在研究中です。

その後とにかくマニュアルとカメラを持って朝のドライブに出かけました。その結果がこれ。慣れていないのであんまりよくありませんが雰囲気だけ味わってください。「安曇野の四季」にも何枚かアップしました。


ところで、イラクから無事帰国した5人。本当によかった。はじめの3人は体調がすぐれないと報道されていますが、一日も早く全快してほしいものです。
案の定、彼らを待ち受けていたものは「自己責任」「自業自得」。おいおい、自衛隊を派遣してイラクの人たちのために働いてきた彼らやNGOのメンバーを窮地に陥れたばかりか、このあともイラクや日本の人々にどんな困難をもたらすかわからない日本政府の重大な「自己責任」は一体どうなるの??論理の意図的なすりかえにくれぐれもご用心、です。


  4月20日 (火)
いよいよ長野での生活開始です。
16日に町田を出発、17日に荷物を搬入して大急ぎでそれぞれの部屋の形を決め、18日にはようやくパソコンなどをセットし終えて、住まいらしくなりました。もっとも荷物の中には引っ越しのときのままの姿で押入につっこんであるものもたくさんありますが、とりあえず生活するには不自由のないようにできました。16日から妻が、17日からは息子が手伝いに来てくれ、さらに18日には娘夫婦も加わってにぎやか。おかげでとても作業がはかどりました。
池田町の第一印象。夜が暗い。真っ暗。夜外には誰もいない。9時も過ぎると寝静まって東京とは大違いです。東京はやっぱり不夜城ですね。こちらは闇が深い分、星空がものすごくきれいです。
昼に会う人はみんなとても親切です。17日にはさっそくガス・石油の件でお店の人にずいぶんとお世話をかけてしまいました。夜お風呂に入っていたらガス欠。石油切れでお湯が出なくなってしまったのです。やむなく夜遅くに電話したら何とすぐに来てくださいました。トラックの大きな音でご近所にもさっそく迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい。
昼はこれが長野だろうかと思うくらいに暖かく日ざしも強いのですが、夜になるとさすがに冷え込んできます。暖房がまだ必要なほどです。
18,19日にはご近所に2人であいさつまわりをしました。町内のみなさんとの関係がこれからは大切になりますから、ていねいにご挨拶をしてきました。
というわけで、何とか池田町での第一歩は無事(?)踏み出すことができました。
東京・神奈川のみなさん、私も妻も母もとても元気です。今日からは文字通り長野安曇野からの発信です。ホームページもリニューアルし、ちょっとだけキザに決めてみました。これからいろんな体験談や考えたこと、安曇野の自然などをお届けしますね。


  4月15日 (木)
昨日夜半までの雨があがり、今日は朝からすばらしい晴天です。朝、郵便局や駅前のパン屋さんに行ってきましたが、途中道路の脇や家並みの玄関先には花があふれていました。初夏を思わせるようなよい天気になりました。
引っ越しはいよいよあしたです。何とか荷造りも終わって今は部屋や家具の掃除にとりかかっています。
昨日は元の職場に行ってあいさつ。とてもなつかしく去りがたく思われました。長い間努めていたところだけに、かつての自分の席に座りそうになって困りました。新年度は割と順調に来ているようで安心いたしました。長い間本当にいろいろとよくしていただいてありがとうございました。東京に出てくることは今後はちょっと難しくなるかもしれませんが、上京の折には必ず寄らせてくださいね。

イラク問題では、あらたにジャーナリスト2名の拘束が伝えられています。昨夜の筑紫哲也さんのニュース・ショーではイラクで人質になっている家族に対していやがらせや非難・中傷が相当に来ているという報道が行われていました。ワールド・ピース・ナウの書き込みでもそうした無神経で卑劣な行為が増えているという指摘がみられます。外国の記者が「家族が遠慮して口を閉ざさなければならないというのはどういうことなのか、日本は自由のない国なのか」とびっくりしていたのがたいへん印象的でした。2名の新たな人質問題が出てくればいっそうこうした意見に火がつくかもしれません。
家族のみなさんの声は次第に小さく遠慮がちになり「すみません」「言われれば一言もない」というものに変わりつつあります。これはまずい。
3人の家族を支え、無事解放を実現することが大切なときに本人の自己責任を前面に持ち出して本人の責任だとすることは、第一に日本政府の避難勧告になぜ従わなかったかという点だけに問題を矮小化し、どのような背景でどのような条件のもとでこのようなことが起こったのかという全面的な分析を避けることになる。従ってNGOの果たしている役割や自衛隊の派遣でそれがどのように困難になっていくかということも、まして米軍などの非道な侵略行為さえも後景に押しやって結局米英軍の侵略行為を免罪することになってしまいます。
第2に家族は家族の立場で必要なことを訴える権利があり、家族の安全・無事を願うことは当たり前のことです。昨日紹介した江川紹子さんも冬山で遭難した人にたとえ何か言うとしてもそれはまず無事に救出してからだ。死んでからではなぜ遭難したかの分析もできないし、危険を承知で行ったからレスキュー隊も救出をやめるということは絶対にないという指摘は正しい。
今なさなければならないことは家族の気持ちに寄り添い、無事救出されることに全力をあげることであって、自己責任論などは救出された後でやればよろしい。まして連帯して責任をとれというたぐいの脅しにいたっては為にするかまたは異常な感覚としか言いようがありません。


  4月14日 (水)
今日は父の命日。父が亡くなってからもう20年も経ってしまいました。今日母のタンスを片づけていると母が父と一緒に日光に旅行したときの写真がでてきました。多分いまから40年くらい前の写真です。若い。こんなときもあったんだなあとつい見入ってしまいました。
私が連日イラク問題をこの欄でとりあげているものですから、甥から「安曇野つれづれ日記とはずいぶんかけ離れている」「かなり政治的」と言われてしまった。なるほどいわれてみるとその通りですね。今私がやっていることと言えば引っ越しのための荷造りと母の世話とイラク問題。それくらい。ほとんど外にも出ずテレビも見ない生活を送っているのでそうなるのかな。しかし私自身は、もっと政治的でもいいとさえ思います。甥にもそのように言いましたけれど。彼はとても私のことを理解してくれている大切な「読者」の一人。悪気があって言っているのでは全くないし、よく読んでくれている証拠かなと逆に喜んでいるのです。ね、てっちゃん。

政府はイラク人質事件に関して「取材に応じない」という態度に出ました。情報が混乱しているというが、収拾能力がないってことでしょう。しかも問題の最大の根元ー米軍の無法な暴力ーを容認し追随しているわけですから情報を管理することなんてできっこないんです。できるのは情報を操作することくらい。民間のNGOの方がよほど収拾・管理能力を持っていると思います。
安倍晋三幹事長に至っては「自衛隊を撤退させるといういわれはない。テロリストに屈すれば第2、第3の事件が起こる」とまで言い切るのだから始末に負えません。アメリカがイラク急進派をテロリスト・破壊勢力として殲滅作戦をとろうとすればするほど、イラク国民の怒りはいっそうひろがるという理屈すらわからなくなっている能なしブッシュと同列ですかね。
日本人が標的になるとしたら今度は自衛隊員ではないかとさえ思います。なぜならチェイニー副大統領との会合をはじめアメリカとの同盟関係を最優先する小泉政権の立場はいよいよ明確になってきていますから。「アメリカの大義と善意を信じる」って「あなたの言うことならどんなことでも聞きます。やります」ってことですからね。これはまさにイラク国民に対する戦闘宣言です。現地でどのように愛想を振りまこうが残虐の限りを尽くしている米軍との同盟を最優先とする姿勢に変わりがないのであれば、論理的にイラク国民に刃を向けざるを得ません。実際、小泉政権・自公政権は戦えない軍隊としての自衛隊に苛立ちを隠そうとせず、9条の明文改悪でそれをやり遂げようとしているわけだし、イラクのたたかいに立ち上がった人々をテロリストと同列に置いてそれとは毅然と戦うと表明しているのです。
この人質事件への対応は、これからの日本の進路をある意味では決定づけるほどの意味をもっていると思えます。「自衛隊を撤退させるという軟弱な姿勢では国際社会で評価されない。テロとたたかうことのできる軍事力を」という方向。国際社会というのは便利な用語で結局はアメリカとその同盟国だけをそう称しているにすぎませんが、いずれにしても自衛隊を正式の国防軍としてテロ(実はレジスタンス)に対しても軍事力を行使できる日本にするという方向です。もう一つは「自衛隊の撤退。小泉の退陣。9条の精神に基づく平和外交」という選択肢。今回の事件はこうした日本の進路をある意味では鮮明に浮き彫りにしてきたともいえるのではないでしょうか。

ブッシュの記者会見を聞いていました。まあよくしゃべる人ですね。さすがにしゃべることで政敵とたたかってきたアメリカの伝統なのでしょうか、弁論にかけては小泉などとは大違いです。しかし、その内容はこれまでのアメリカの政策を述べるだけで新味はなかった。弁解に終始し、自由・民主主義・解放などという抽象的な文句をならべているだけ。「6月30日の主権委譲後も去ることはない。世界を変える。イラクは平和と安全に重要である」・・これは引き続き「同盟国」をいっそう巻き込んでアメリカが主導権をとることを示しています。6月30日以降に踏み込んで発言した点だけは注目されたことでした。

イラクで人質になった3人に関して、いわゆる「自己責任論」がメディア上を飛び交っている。それに油を注いだのが小泉首相の「何度も警告していたんですけどねえ。それでも行く人がいるのはどういうものか」という発言。これについて書くとまた長くなるので、ここはジャーナリストの江川紹子さんの意見を聞くことにしましょう。

江川さんのホームページから


  4月13日 (火)
天気予報どおり今日は寒い朝です。ホームページのリニューアルのために今日からほぼ一週間ほど更新を停止していますが、できるだけとぎれずに内部での更新だけはしていこうと思っています。
これまで少しずつ画面を更新する作業を続けてきましたが、全く新しいものに変えるにはそれなりに時間がかかります。これまではどちらかというとクラシックで横文字を出来るだけ使わないものをと考えてつくってきましたが、なにしろホームページづくりに挑戦した初バーションのために制約がありました。今回はデザインも一新し、出来るだけCSSの良さも取り入れてシンプルなものにしました。外国の人が私のホームページだということがわかるように最低限の横文字も入っています。そのうちもう少し技術が進歩したらまた新しくしたいと思っています。
イラクでは人質事件の進展がありません。朝日新聞には家族に手紙を出した倉本聡さんのことが出ていました。「国益を重視して人質を救出する最大の選択肢を最初から放棄してしまうこと。いかなる理由があろうとも、政府のとった今回の態度には、激しい憤りを覚えます」と書いていますが全くその通りです。
報道機関もアメリカの野蛮な侵略行為には全く及び腰だし、政府の自衛隊派遣についてはその背景について全く触れずじまい。「毅然としてテロに対応したことが人質解放に結びついている」とか「自衛隊は人道支援」と主張する評論家をたくさん登場させたり、討論と称して「ハマコー」などを依然として出演させているメディアの感覚はどう見ても異常です。根腐れした植物のようなこれらマス・メディアの現状が「日本型ファシズム」を形成しつつあるという本多さんや辺見さんたちの指摘はまさに正鵠を射ていると私には思えます。

引っ越し作業は大詰めを迎えていますが、細々したものがわいて出てきてなかなか最後までいかない。腰が痛くなったのであとは明日ということに。あとはネットで今日の情報を見て早めに休みます。といっても寝る場所がだんだんなくなってきました。
米空軍ホームページには興味深い記事が載っている。”The Japan air self-defense force flew its first humanitarian mission into Iraq as part of coalition air forces, landing at Tallil Air Base on March 3.”なるほど航空自衛隊は連合軍の一部になっちゃってるのですね。このことはもっと知られていいことだと思うんですけど、マスコミは全然伝えようともしない。アメリカ寄りの姿勢ならもっと強調してもよさそうなのに。小泉首相は自分の連発する「わからない」の原因が自らの蒔いた種によるものであることを知るよしもない。「テロに屈しない」のであれば最大のテロ、アメリカの国家テロに毅然とした態度をとることがまともな姿ではないのでしょうか。マス・メディアはアメリカの情報源が中心です。それによって、知らず知らずのうちに私たちの頭の中まで改造されるとしたら恐ろしいことです。


  4月12日 (月)
昨日に引き続いて真夏日かと思うような暖かさ。母を連れて写真を撮りにでかけてきましたが、車いすを押しているとじっとりと汗ばんできます。桜の木々はすっかり葉桜。八重桜としだれ桜が満開で萌えだした若葉とマッチしてすばらしい景色でした。
しかし、その景色とはうらはらにこの数日のイラクでの人質事件は依然として闇の中です。いったんは解決の方向に動き出したかに見えたのに、新たな条件が伝えられるなど再び暗礁に乗り上げているようで複雑な経過をたどっています。「3人のいのちさえ守れないで何が人道支援か」という家族の悲痛な声が耳に響きます。家族の苛立ちや悲しみをテレビで見るにつけてもやりきれない思いになってしまいます。
アルジャジーラは引き続き人質問題を大きく取り上げ3人と他の人質についても詳しく紹介しています。World Peace Now による最新の情報では解放の遅れは技術的な問題との見方が有力になっているようですが、遅れの最も大きな原因はファルージャでの米軍の攻撃の激化によるものといえるでしょう。
兄弟姉妹、親戚の人たちが理由もなく次々と米軍に殺されている中で、イラクの人たちにどれだけの苦痛が広がっているか考えてみれば明らかなことです。今後も多数の国民が米英軍のイラク占領に反対し、日本政府に自衛隊の撤退を求めていることをイラクの人々にアピールしていく必要があるのではないでしょうか。実際そのように運動をひろげなければいけません。

現在の状況を伝えるアルジャジーラWebニュース

引っ越しの期日が迫ってきましたので昨日から最終的な梱包の作業に入りました。」茶碗やコップなどを来るんでしまいこんでいると結構時間がかかります。あと今日を入れて4日しかありませんので気を抜かないで早めにすべてのことをやらないといけません。
母の世話をするかたわら、時間を見つけてボチボチとCSSの勉強も続けていました。引っ越しが終わったらサイトのリニューアルをしようと考えていたのですが、実際には全く困難になりつつあります。CSSの難しいこと。理屈はわかるのですが、ブラウザによっても見え方が微妙に違うしOSによってももちろん違うのでなかなか前に進まない。CSSはデザインなので、勢いPhotoshopなどグラフィック・ソフトの出番も多くなる。基礎からきちんと独習するとなるとよほど時間と才能がないとダメだと半ばあきらめ状態です。テーブルを使わないでデザインすることも可能らしいのですが、英語のサイトでは有効でもほとんどが日本語の場合にはどうしてもテーブル抜きのデザインはないし、その中でスタイル・シートを使うとなると中途半端になるわけでなかなか骨が折れます。続きは長野に行ってから畑仕事の合間にでも研究を続けましょう

暑い一日になっています。池田町に行って清掃などをしてくれている妻からの連絡では長野も暑い一日だそうです。ガス乾燥機の都市ガスからプロパンへの部品の取り替えをしてしまったので現在は近くにあるコイン・ランドリーで乾燥。母の関係の洗濯物は一日でワンサとたまってしまうので、私は毎日洗濯係です。おまけに汗だくで箱詰めの作業に追われています。今日はパソコンや電気製品の箱詰め。いよいよ一台を残してすべてしまい込んでしまいます。


  4月11日 (日)
人質の救出期限まであと一日を切っています。夜中の12時のニュースによれば別のグループによって日本人を含む30人あまりが人質になっているという報道も。これまでに明らかになっていることはサマワを含めイラク全土が戦場になっているということ、つまり自衛隊が活動する余地はもはやなくなっているということです。言い換えれば、自衛隊はすでにイラク特措法違反の存在になってしまったということです。すぐに撤退し帰国することが最も賢明かつ唯一の選択です。
拘束され生命の危険にさらされている3人の心情を思い、家族の苦しみ苛立ちに少しでも寄り添おうとすれば、私たち一人一人に何かできるはずです。どんな小さいことでも。この上なく貴重な3人の生命の問題です。そして私にとっては日本政府による大きな虚構・「国家犯罪」を許せないということでもあります。何事もちっぽけで非力なたった一人の行動から始まるのです。
人質事件のテープが送りつけられた衛星放送局アルジャジーラは最近英語版のウエブサイトをリリースしました。先月にはこのサイトがDOS攻撃を受けてアクセスできない状態になったようですが、現在は大丈夫です。このサイトにもフィードバック用の意見欄が作られています。英語ですから、中学3年生以上くらいの人なら武装グループに解放をよびかける英文を送ることができるでしょう。私も及ばずながら衛星放送あるいはウエブサイトを通して日本から人質の解放を働きかけてくれるように求める英文をまもなく送信する予定です。ピースボートの方の話では、人質になっている3人はイラクの人たちのために働いてきたNGOのメンバーであること、自衛隊の派遣には反対していたことを強調することは大変重要な点だということです。

アルジャジーラのホームページ(英語)

アルジャジーラのこのウエブサイトでは家族の訴えなどを載せ始めています。その声をもっと大きくする必要があります。
アルジャジーラによる家族の訴えなどの紹介

午前3時に人質解放のニュース。テレビでの速報は、人質を拘束したグループからアルジャジーラに届けられた「イスラム聖職者の説得に応じて24時間以内に人質を解放する。日本国民には自衛隊がイラクから撤退するように日本政府に圧力をかけてほしい」という声明を伝えました。事実であれば喜ばしいことです。本当によかった。
人質問題はこれでひとまず解決の方向に向かいましたが、自衛隊派遣問題は終わったわけではありません。米軍の強硬策がつづけば、第2、第3の事件が起こりうる。のど元過ぎれば・・・ということであってはなりませんね。


一夜明けて今日は曇り空ながら暖かい一日。晴れやかな気持ちで朝を迎えることが出来ました。
事態が急速に展開し、犯人グループからアルジャジーラに送付された声明文の詳細を知ることができます。
この声明文は周到に準備されたものであり、本質をついた政治的な高度なプロパガンダを感じます。(当初朝日新聞に掲載された声明文は誤って翻訳されていたようです。現在は修正されています)。部族長らに働きかけてきた日本政府も胸をなで下ろしているでしょうが、これで政府の働きかけが効を奏したなどと考えたら思い上がりもはなはだしいというべきでしょう。占領軍と自衛隊を引き上げない限りイラク国民にとって問題は何一つ解決しないということこそ、今回の事件の本質だからです。
想像してみよう。米軍の攻撃のもとで殺された子ども・女性・お年寄りのいのちは3人のいのちより軽いのだろうか。


犯行グループの声明文要旨(朝日新聞から)
3人の解放を伝えるアルジャジーラWeb版
3人の解放を伝えるBBCニュースWeb版
3人のご家族の声明(転載)

その後も情報が錯綜し、3人の完全に解放に至るまでには至っていません。引き続き「人質を解放せよ」「自衛隊は引き上げよ」の世論を強めていかなければならないでしょう。


  4月10日 (土)
今回の人質事件に関し、毎日新聞紙上でイラク派遣の自衛隊について「撤退」か「撤退しない」かを問うアンケートが行われています。現在では「撤退」が27%、「撤退しない」が69%です。政府の「テロに屈しない」という姿勢が影響を与えていると思われますが、それにしてもひどい。一票でも「撤退」を増やしましょう。
毎日新聞「投票アンケート」へのリンク

政府各省庁への意見・要望を伝える窓口(電子政府の窓口)があります。この窓口をとおして、内閣官房、内閣府、外務省、防衛庁あてに以下の要請文を送りました。

3人の人質を救出するために人命優先の立場で全力をつくされることを要請します。自衛隊をイラクから直ちに撤退すべきです。一刻の猶予もなりません。
これは決してテロに屈することにはなりません。むしろ自衛隊の存在こそボランティアなどの活動を阻害し、いっそうの被害拡大をもたらすことにつながります。
将来に禍根を残さないよう自衛隊を直ちにイラクから引き揚げる声明を出し、そののち人質を救出するため最大限の外交努力を行われることを要求します。
電子政府の窓口へのリンク


  4月9日 (土)(その2)
郡山さんら3人がイラクの武装勢力に拘束されてからすでにほぼ1日が経過しました。彼らの情熱的な活動の目的を聞くと何としても生還してもらわなければならないと思います。
日本時間の日曜午後9時が期限となっていますが、事態は進展なく救出の方向さえ出ていません。アメリカのラムズフェルド国防長官は、撤退しないという日本政府の立場に満足と歓迎のコメントを出し、小泉首相も「(撤退は)ありませんね」とそっけなく言うだけです。なぜこのような事態を招いたのか、もはや考えることを放棄したかあるいはその能力を喪失してしまっているようにさえ見えます。
イラク全土が戦闘地域になり、サマワを含め安全地域などどこにもない状態になっており自衛隊が宿営地にとじこもるという「人道復興支援」とは何なのでしょうか。自衛隊がイラクに行ったがためにボランティアにも被害が及び始めたのであって、あくまで平和外交に徹していればこのようなことは起こり得なかったでしょう。
FMを聞いていましたら若い人たちから「銃を持って人道支援はないだろう」「人質の命が大事だ」「自衛隊は撤退すべきだ」「安全だと言ってイラクに行きながら今はすべて戦場」「アメリカのご機嫌取りで行ったのだからこうしたことは予想できた」「撤退してから人質救出に全力を尽くせ」という意見が殺到。「平和ぼけしていて民間人が標的にされるなんて思っても見なかった」という意見もありましたが、アメリカに右ならえの小泉政権の矛盾をほとんどが指摘していました。おそらく日本中でこうした批判がわきあがりつつあるのでしょう。そう。もっと、もっと大きく!!
同時にもう一方で考えておくべきことがあるように思います。小泉政権の「撤退しない」という態度は、彼らの一貫したいわば確信犯的なものです。「撤退」することは「テロに屈する」となるばかりでなく「サマワは安全である」とか「人道復興支援」だとかという彼らの論拠がすべて崩れることを意味するわけですから、口が裂けてもそうはいえない。しかしそれ以上に、この態度の背景には自衛隊を軍隊として国民に認知させたいという年来の彼らの執念があります。アメリカの要請にいつでもどこでも応えられる軍事力を持つこと、すなわち憲法上も制約をとりはらった軍事国家をつくろうとする意図があることを忘れるわけにはいきません。国民を「国家」目標(アメリカと一体化した侵略的な対外政策)に従わせるための周到な計画です。「国家」が危機的な状況におちいっているのに手をこまねいていていいのかと世論を誘導する。そのために最大限にこの事件を利用する。
もちろんそのもっと奥には石油メジャーや産軍複合体、多国籍企業の世界支配の意志があることは言うまでもありません。日本はすでにそうしたアメリカを中心とした世界戦略に基幹産業を軸に多様に組み込まれていますし、日本自身の問題としてもアジア各国に産業の拠点を多く構え国内の産業を空洞化してきた経過があり海外の権益を守るという名目で軍事的「国家」への衝動をいっそう強めている。道を間違えるとどこまで行くかはすでに経験済みです。しかし、歴史は繰り返す・・・です。愚かなことほど、その愚かさ故に。それを断ち切ることができるのは私たち自身だけです。

「劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク」よりの緊急の声明
http://give-peace-a-chance.jp/118/rekka.html


  4月9日 (土)
恐れていたことが現実になりました。イラクで邦人3人が拘束され「自衛隊が退去しなければ殺害する」と通告されているというニュースが伝えられました。
これが事実なら標的はボランティア活動に携わる人やジャーナリストですから、もはや対象が誰でもよくなっていることを示しています。韓国人・英国人も同様な状況にあると伝えられます。民間人を誘拐し人質にして要求を出すという行為は卑劣きわまるやり方でありどんなグループであっても絶対に容認できないことです。拘束している組織は3人を直ちに解放すべきです。
福田官房長官は当初のコメントで「情報収集に全力をあげている。事実なら許し難く直ちに解放を求める。我が国は人道復興支援を行っているのであり撤退する理由はない。どのように救出するかを検討する」と述べ、川口外相も記者会見で、犯行グループの所在もわからずコンタクトもないこと、外務副大臣をヨルダンの日本大使館に派遣して指揮をとると述べています。
米英を中心とする占領軍の一翼として重火器を携行しイラク入りをしながら「人道復興支援」だと強弁し続ける日本政府・自民・公明の態度は全く白を黒といいくるめるものです。マスコミもアメリカ寄りの報道だけしてこの点を突かなかいようなら罪は重い。米英軍が国連での決議もなく「大量破壊兵器」を口実にイラクに侵略していった一年前のことを想起すべきです。そのとき小泉首相は国会で何と叫んでいたのでしょうか。
これから予想される最悪のシナリオは、占領軍の一翼であることを国民から隠しつづけ「人道復興支援」をうたってアメリカの占領統治に追随して結局3人への身体的な危害を招来することです。仮にその場所をつきとめ米軍に協力を要請し軍事的に救出作戦を行った場合、事態はいっそう複雑・困難になるでしょう。万が一そうした事態に至るならば、今後いっそう多数の民間邦人が標的にされるだろうことは明らかです。それはイラク国内とは限りません。また、これに報復するとして軍事力の増強で対応することにでもなれば、来るべき時代はまさしく恐怖の時代です。
まずイラクで米英軍が何をしているかを見ることが必要です。サドル師ら米軍統治に反対する勢力を掃討するとして、米英軍はクラスター爆弾を含む強力な兵器を再び使い始めています。こうした攻撃に晒されて何人の子どもたちや女性がまきぞえで殺されたのでしょうか。米英軍にとってまわり中が敵という状態になっていますから、犠牲になってきた民間人の数は想像もできません。
事態を冷静に解決するとすれば、自衛隊を撤退させると表明する以外にありません。政府にはその能力がないのならば「自衛隊撤退」の世論を大きくし政府を動かす以外に道はないでしょう。
「ワールド・ピース・ナウ」のホームページは「テロに屈するな」ではない「テロに国民を巻き込むな」なのだと私たちのとるべき姿勢を明確に掲げています。全くその通りです。私としてもこの際「沈黙は暗黙の了解」を肝に銘じて以下のメールを再度小泉首相宛に送りました。

小泉首相様
本日の邦人人質のニュースを胸痛む思いで聞いています。3人の救出のために最大限の外交的努力をされることをまず要請します。
今回の背景には以前から指摘し続けているように、米英軍など占領軍に加担しその一翼として重火器を携行してイラク入りした自衛隊の問題があります。それは決して「人道復興支援」といえるものではありません。イラク国民はこの点を鋭く見抜いており、テロ組織からは自衛隊が派遣されるようなら日本も攻撃の対象になると当初から警告されていました。ここ最近の占領軍の武力行使によって米英とその「同盟国」に対するイラク国民の反発・憎悪は限界点を越えているといえるでしょう。
今回の誘拐・人質事件はそうした流れの中で起こっているのであり、「人道復興支援を行っており自衛隊を撤退させる理由はない」と述べているだけでは解決できるはずがありません。「テロに屈しない」という名目でこのまま推移すれば、イラク国民の対日感情をいっそう悪化させ、被害を大きくする危険があります。
邦人の救出のために、当然外交的な解決に全力を尽くすべきですが、根本的に事態を解決するには自衛隊の撤退を表明する以外にありません。これはテロに屈することでも何でもなく、これ以上邦人をテロに巻き込ませないための唯一の措置です。すぐに自衛隊を日本に呼び戻すことを求めます。
以上、強く要請いたします。


  4月8日 (木)
首相官邸のウェブサイトには「ご意見募集」というコーナーがあります。イラク問題に関して次のようなメールを昨日このコーナーを経由して小泉首相に送信しました。

小泉首相様 (第4信)

自衛隊のイラクからの即時撤退を要求します

米英を中心とするイラク占領軍の不法な占領政策が続く中で、それに対するイラク国民の不満や怒りが日増しに高まっています。とりわけサドル師の側近逮捕をはじめとするシーア派指導者への攻撃は単にシーア派だけではなくイラク全国民の反発や憎しみをかつてなく高めています。
もともと大義も何もない他国への侵略行為として行われたイラク占領です。従って米英軍にイラク国内からの撤退を求めることはイラク国民の当然の権利であり世界中の世論の要求でもあります。米英軍・自衛隊はこのことを思い知るべきです。イラク戦争の不当性が明らかになるにつれアメリカ国内でもブッシュ政権の支持率は過半数を割り込み、自国民からも見放され始めています。国際的にはシンガポールがすでに撤兵。スペインに続いてニュージーランドも撤退の意図を明らかにしています。アメリカの意向通りのイラク政権をつくるためにますます強権的な支配を広げようと狂奔するブッシュ政権の姿はもはや大国のエゴと支配欲のみの哀れな姿と言う他はありません。
しかるに小泉政権はイラクへの「人道支援」と称して自衛隊の派遣を続ける意図を明らかにしています。しかし占領軍による軍事的なイラク支配と本来の人道的な支援活動とがどうして両立するのでしょうか。自衛隊派遣はアメリカとの軍事一体化の帰結なのであって、そもそものはじめから自衛隊は占領軍の一翼と位置づけられてきました。このままでは小泉政権は最後までブッシュ政権に追随してイラク国民に銃を向け続けることになるでしょう。イラク国内では自衛隊の役割はすでに見抜かれており、そのためにテロ組織からは名指して攻撃の予告を受けています。事態がこのまま推移すれば日本はテロ組織だけでなくイラク国民の多数からも敵対勢力として見なされることになりかねません。
私はこれまで3度にわたって自衛隊のイラク派遣に反対しさらには撤退を求めてきましたが、改めて以下のことを要請します。
最悪の事態を迎えないうちに直ちに自衛隊員をイラク国内から撤退させるべきです。国際的に名誉ある地位を占めたいのであれば、ブッシュ政権に対しても直ちにイラク国内から撤兵するように要求し、国連の完全な管理下でのイラク復興に全力を尽くすべきです。

2004年4月7日


  4月7日 (水)
「国旗」「国歌」について職務命令に従わなかったという理由で都教委から処分を受けた教員が191名に達したとニュースで報じられていました。指示に従わない生徒が多い場合は教師の指導力不足であるとしてこれも処分の対象になると聞きました。しかも”壇上正面に掲げられた「日の丸」に向かって起立・敬礼をし「君が代」を歌う”という細目まで決めてそれが実行されているかどうかを監視しているというのですから、もはや異常を通り越しています。歌うかどうか起立するかどうかは内心の自由にかかわる問題であるだけでなく、これを強要しようとする政策意図(「国家」への忠誠、愛国心の強要)があまりに露骨で、吐き気を催すほどです。これに対し、処分にも屈せず断固として自分の意志を貫いた教師たちの勇気をこそ称えましょう。信念を貫いた先生方を周りの人たちが支え守らなければならないと思います。
35年前、ちょうど私が教師になった年のことです。私を含む3人の新任教師が職員会議で「君が代」を歌わないよう要求したのです。校長も私たちも「日の丸」「君が代」をめぐる資料を用意しそれから3年がかりの論争が始まりました。その口火をきったのはYさんです。正義感の強い暖かい人柄でしたから当時もっとも信頼できる人物でありました。教師一年目の若造がいきなり校長に論争を挑んだのですから、校長も他の教師たちもびっくり仰天だったでしょう。しかし、職場は自由にものが言える雰囲気をもち、若い教師を暖かい目で見てくれていましたから決して浮き上がったりせず、職員会議の議論として正式に議題にもなり白熱した論議がたたかわされました。最後は無記名投票まで行いました。職員の意思は明白でしたが2年間は校長のお願いということで終わり、3年目に入ってついに校長が来年からは歌わないという確約をすることになりました。
ところで、その学校の校舎は相当に古いらしく講堂の壇上正面中央には不思議なものがありました。若い人はもちろんのこと50代の人でも何かを的確に当てることは無理かもしれません。実は「ご真影」を飾る扉付きの窓のような大きなスペースが残されていたのです。「文化遺産」ものですね。第2次世界大戦・太平洋戦争終結まで、そこには天皇の巨大な写真が飾られて儀式の時にはそれに向かって最敬礼をしていたわけです。そうしてみると「壇上中央に国旗」という都教委の指示は紛れもなく「ご真影」の現代版ですね。「君が代」の「君」とは天皇のことだからです。ええ?「いやいや、戦後は”君”とは一般的な”あなた”をさす言い方になったんだ」ですって?まだそんなことを言う人がいたっけ? ここではそれ以上はやめておきましょう。とにかくその学校で3人の若者が「君が代」論争で勝利したわけですから、東京都教委のみなさんから見れば懲戒免職ほどの重みがあったことでしょうね。私は地方でも長く高校教師をしていましたが、教師になって以来「君が代」を歌ったことは一度もありませんでした。
それにつけても、この国の支配者の時代錯誤的感覚は驚くべきものがあるし、その指示のもとに教師に「愛国心」教育を強要して恥じない都教委や大多数の校長の思考停止状態は空恐ろしいほどの状態です。


  4月6日 (火)
仕事をしていたときはテレビを見るということはほとんどなかったのですが、退職してからは母につきあって見る機会が少しは増えてきました。なかなか見所ある番組も多いようなのですが、何しろテレビを見るという習慣がないのでテレビの番組欄を見る習慣もできていない。つい終わってしまってからしまったということになります。
昨晩は現在のマジックの世界をマジシャンに密着取材しながら特集していました。少年であった頃とてもマジックの世界にあこがれたこともあって、母をつきあわせて私の方が夢中で見ていました。奇想天外な発想で新しいマジックを開拓していく舞台裏もちょっとのぞかせていたので興味深く見ることができました。人の眼や感覚をいかに欺くか。いかにだまして不思議の世界に誘うかということですよね。騙されていると知りながらどうしてもその謎を解けない不可思議と驚嘆の世界。和田あき子さんの呆然とした表情が実に愉快で共感が持てました。人間の極限の技が繰り出す摩訶不思議な世界を堪能するというのは本当に楽しいものです。ショーが終わってからもほのぼのとした気持ちが残ります。
それに比べて大がかりに人を騙して戦争に駆り立てる人たちの罪深さはどうでしょう。
イラクではシーア派の指導者の側近を米英などの占領軍が拘束したことをきっかけにイラク国民の反米感情が一気に高まっています。ウソにウソを重ね次第に泥沼にはまっていくアメリカの行き着く先はどこなのでしょうか。絶対にタネを明かさないマジックとは大違いではじめからウソのタネは分かっているのに他国に侵略軍を向けて力で支配する。もともとマジックと比較することもできませんが、それにしてもベトナムでの手痛い教訓から何一つくみ取ることのできないアメリカの支配層は何を考えているのでしょうか。その「繁栄」も時間の問題でしょう。小泉さんだって、アメリカが転けたら日本も転けて骨折するという癒着一体構造をいまのうちに直しておかなければならないのに。


  4月5日 (月)
昨日は肌寒いあいにくのお天気でしたが、今日は一転すばらしい天気になり昼過ぎには汗ばむほどの陽気になりました。きのうお花見を予定していた人は、今朝うらめしい思いで仕事に出かけたのではないでしょうか。学校では新年度の始業式が行われたところが多かったと思います。満開の桜も青い空も新しいスタートを応援しているようでした。
昨日も書いたように昨日から母をつれて母の姉やいとこ夫婦の住む横浜港南区まで車で行ってきました。直線距離にすると意外と近いので、なぜもっと前に時間をつくって行かなかったかちょっと悔やまれました。
ところで、母の姉は実は97歳(昨日は年をまちがって書いてしまいました)。しかも、てっきり2男5女の7人兄弟姉妹だとばかり思っていたのに、母に会いにきてくれた別のいとこの話では、14人兄弟姉妹という話をお父さんから聞いたことがあるとまさに驚愕の情報。多分小さいときに亡くなっている者が含まれているのではないかということでした。しかし、いくら何でも倍はないだろうと一同顔を見合わせたものでした。
私のおばさんである母の姉はしばらく前まで固く口を閉じて食べ物を受け付けない状態だったのに、あるときから急に舌の運動が活発になって現在ではとても食欲もでてきたと、世話をしているいとこ夫婦も喜んでいました。確かに流動食ですが本当によく食べて顔色もいい。しゃべることも動くこともできない寝たきり状態ですが、かまわず話しかけたり変化を工夫したりしている。そうやっていつも新しい刺激を絶やさないおふたりの介護の姿勢には教えられることがたくさんありました。お二人のそうした姿勢がいつしか固かった口を開かせたのではないでしょうか。ヘルパーさんや訪問入浴業者の助けを借りながらの心づくしの介護の中で、叔母は仏様のようにやわらかくやさしい顔をしていました。
ひるがえって私の今までの介護の姿勢はどうだったか。基本的には間違ってはいなかったとは思うもののまだまだ問題点は多い。たくさんの経験者の知恵を借りながら、またヘルパーさん・地域の施設・介護業者など専門家の協力を得ながら、介護される人が人間として尊重される介護のあり方を追求していかなければならないと痛感させられたことでした。


  4月4日 (日)
私の母は兄弟姉妹が多く、多分7人くらいじゃなかったかと思います。母は下から2番目のはず。一番上の兄はだいぶ前に亡くなり、上から2番目にあたる姉が93歳でまだ健在です。横浜にいる私のいとこのご夫婦が世話をしているのです。近いところにいるのに一度も行ったこともなくずっと義理を欠いておりました。今日は思い切って母を連れて横浜まで出かけることにしました。お互いに呆けがだいぶ進行しているからほとんどわからないだろうと思いますが、それでも実の姉・妹の何十年ぶりかの再会ですから感動もの。どう反応してくれるのでしょうか。
母の郷里は石川県松任市下柏野です。私がまだ小学校に行く前から毎年のように母や祖母に連れられて里に帰った思い出があります。母は子だくさんの家族で早くに養女に出されていますから、とりわけ里が恋しかったのではないでしょうか。母方だけでいとこが30人を越えますからその数はハンパではありませんね。兄弟姉妹が結構仲良く行き来していたこともあっていとこたちもかつてはかなり往復がありました。どうしたわけか、石川の母の郷里、祖母の郷里のことは、匂いつき、色つき、音付きで、今でもいくつかのシーンがよみがえってきます。
伯父が、土蔵の中で見事に傷んでカビが一面に生えてたスイカをわざわざ子どもたちの前に持ってきた。「鬼がでたらしい。鬼が食べていくとこうなる」とまじめな顔で説明するのを聞いて真っ青になったこと。田んぼの水路の整備のために年にいちど川をせき止めることがありました。水のなくなった川からフナやドジョウがものすごくたくさんとれたときの興奮。セミの幼虫を朝早くに行って捕ってきたこと。これはなかなかむずかしかった。村の盆踊りのなんと激しく美しかったことか。
田舎の風景は今は見る影がなくても、心の中の風景というのはいつまでも色あせないものですね。なんだか、ふと記憶が子どもの頃にかえってしまいました。
<写真は私が住んでいるところから歩いて3,4分くらいのところにある民家。昨日の写真もこの民家の敷地の一部を写したものです。まだこんな景観が残っているんですね。びっくりです。両方とも昨日撮った写真です>


  4月3日 (土)
4月に入って買い物をするたびに、総額表示がしゃくにさわる。久しぶりにレストランで定食を頼んだら以前よりかなり値上げになっていました。値上げしたのかと尋ねると、マスターは「便乗値上げかな」とこともなげに言う。いっそやめようかとおもったけど、なじみの店だし、最後だし、悪気がある言い方ではなかったので注文してしまった。1300円のハンバーグ定食!!税金を食べているようでした。
消費税が3パーセントから5パーセントになった頃、1パーセント上げるだけで約1兆円の税の増収になるという話を聞いたことがあります。多分政府のやり方はいきなり10パーセントと言っておいて、8パーセントくらいにもっていきたいのでしょう。それから10パーセントへは時間の問題。
今国会で問題になっている年金問題といい、消費税といい、庶民からの大収奪と言っていいひどい政策ばかりです。
その一方、今年度予算の中で在日アメリカ軍への「思いやり予算」は2441億円になるのだそうです。10数年前はたしか800億円くらいでしたから年々増えていまやその3倍の規模に。日米地位協定ではこんな予算など一円たりとも負担する必要がないし、むしろアメリカが基地代として3兆円くらいもってくるのがスジというものなのに、日本政府はこのていたらく。アメリカに守ってもらっているお礼のつもりなのかな。都知事さんもこれには腹を立てていなかったなあ。沖縄向けにはこれとは別には「基地をつくってあげましょう予算」というものもあります。黙っていれば何処までつけあがるか自公さん。
年金・消費税が大規模に改悪されるとき戦争はすぐそこに近づいていると何かで読んだことがあります。


  4月2日 (金)
本屋をぶらつくのは楽しいものです。私が見るものは日によってパソコン雑誌、新刊書、文庫本といろいろ変わります。もちろん複数のときもありますがたいていは一つだけ。
午後には母がショート・ステイから帰ってくるので、午前中に銀行に行き、そのついでに駅前の本屋に寄りました。パソコン雑誌のMac Peopleを買ったあと、新刊の本がないかどうか書棚を見回しているうち辺見庸さんの新刊「抵抗論」の前で足がばったり。辺見さんの本はほとんど無条件で買ってしまうんです。なぜそうなのか。呆けて溶けそうになって考えるということをしなくなった頭に一撃を加える必要があると、おぼろな意識がまだ自らに要求してくるんですね。いつもそうやって読んではきたはずなのに、しばらくは多少覚醒している気がしているのですが、いつのまにかコロリと忘れてしまっている。それでいいのか、おまえ、というわけです。
だいたい「Mac People」と「抵抗論」とどんな関係があるんでしょうか。電気抵抗ならまだ少しは関係があるかもしれないけれど。しかし、先に読むのはやっぱり「Macな人々」の方でした。これはもはや習性なのかMac中毒というべきなのか。
つい2,3日前に買った「眼の探索」が古本で300円。しかし今日は新刊だから1470円でした。だから心して読まなければいけません。
彼の著作は「もの食う人々」以来、ほとんど読んできました。最近の彼は自身でも書いているように何だか疲れているみたい。疲れ果てているが、前をにらんで何事かつぶやいている。通り過ぎようとしてもどうしても気になってつい聞き耳を立ててしまう。彼はそんな人です。私より少しだけ年上です。それでも感覚・論理ともに異様に鋭く、そのことばに近づくだけでケガをしそうです。少なからず違和感や拒絶感を抱きながらもそれでも聞かずにはいられないそんな人。心の奥底の精神の自由を死守しようと覚悟し、それゆえたとえ何があろうと、いかに自分を晒そうと恐れることなく、独立不羈の心をもって立ち向かってくるような人。読んで考え、考えて読まないといけない。この人はそうは言わないけれど「おい、考えているのか」とその眼からことばの矢が飛び出してくるような人。自分のことばをもって何かを語るという人を、私は彼以外にはほとんど知らない。どうしても読んでおくべき本が何かと聞かれたらこの人の本をあげるだろうな。「考える」ということはどんなことなのかを「考えざるをえなく」させてくれるから。


  4月1日 (木)
今日から4月。予定をちょっと繰り上げて昨晩から長野池田町に行ってきました。たった今(午後7時)帰ったところです。好天に恵まれたこともあって快適なドライブを楽しむことができました。
長野池田町は、桜前線はまだ通過していないようで、ようやく春になったという感じでした。今朝は零下まで下がるという念の入れよう。車のガラスにはびっしり霜が張り付いていました。帰りがけに高速道路の両側を見ていると、安曇野では枯れ葉ばかりだった景色が、山梨甲府を過ぎるあたりから桜や桃のピンク色が混じって急に華やかになってきました。山々は緑と桜色のまだら模様となり霞の中に浮かんでさながら日本画のようでした。
池田町では今朝からさっそく転入の手続を済ませ、つづいてガス・水道などの申し込みや銀行での口座開設、内装打ち合わせ、免許証の住所変更、母の介護保険の手続きなどを矢継ぎ早にすませました。あんまりたくさんのことを一度にやったので少々くたびれました。当初の予定ではゆっくり安曇野界隈を見物しようと思っていたのですが、その意欲もなくなって早々に帰途につきました。
それにしても職員の人や町内の人のなんと親切なこと。誰もが心をこめてていねいに対応してくれるのです。池田町は「平成の大合併」の流れの中でいろんな経過をたどりながらも、一応は他の町村と合併せずに自立で行くことを決めたそうです。私はこれはなかなか勇気ある決断だと思います。規模が大きいからといって、必ずしもよい行政に直結するわけではありません。住民の顔が見える行政、血の通った行政こそがこれからの自治体のありかたではないでしょうか。役所や町のあちこちでお世話になりながらそう考えておりました。

池田町のみなさま。今日から私と母は池田町民となりました。新参者ゆえお世話をおかけすることが多々あることと思います。いろいろとお教え頂いて早く土地になじめるように努力いたします。何とぞよろしくお願いいたします。




"Life Goes On" by Mr.Blue Piano Man


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