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  8月31日 (火)
夜半から猛烈な雨風になり、しばしば目が覚めてしまいました。朝5時過ぎに起きて外を見るとまだ風は強く、背の高い野菜が倒れたり傾いたりしています。6時過ぎになると少し穏やかになって薄日のさす空模様になってきたので外へ出て畑の手入れ。つっかい棒をしていなかった紫蘇の木はほとんど倒れ、ネギも半分ほど横倒し。向日葵も傾いて、一時間ほどかけて収穫をしたり修復をしました。まったくこの台風め。

オリンピックも終わり、8月最終日。池田町では学校はすでに始まっていますが、大抵は明日から新学期。いろいろ入れ替わって新しくなる時期です。
私も昨夜遅くまで例のPCのやり直しをしておりましたが、今度はうまくいきました。サウンドカードのドライバもうまく読み込んだし、ソフトも無事にインストールされてパーフェクトなマシンに仕上がりました。試しに囲碁ソフトと対戦(コンピュータに4子置かせて私が白)したら完璧に私の負け。相当に力が落ちているらしい。マシンを壊してしまいたくなりました。自慢するんですが、これは大変お得なマシンです。私が今使っているメインマシンよりバランスが取れてはるかに性能はいい。
よく聞かれるんです。一体いくつ作れば気が済むんですか。これをどうするんですか???・・・。
昨日マイクと久しぶりにチャットをしていたのですが、彼も最初は「Cool!」と言っていたのに、そのうち「I KNOW you are crazy」となってしまいました。がっくり。自覚してるんですけどね。
そのように質問する人には、ときどきマシンを組み立てないと、一旦覚えたことも忘れるし新しい知識を取り入れることができないからね・・・ということにしています。なかなかいい言い訳でしょ。もちろんオークションなどを利用して出来るだけ安くかつ性能のいいものを作るというコンセプトは忘れずに。・・・と、どこからか「節約!」という声が。のりちゃん・・ゴメンナサイ(声が小さくなる)。

というわけで、台風が去り、オリンピックが去り、8月が去り、PCフィーバーが去り、落ち着いた読書と実りの9月が始まります。私の生活も、気分を一新して生活を立て直し、新たな出会いを求めて活動を開始します。勿論お母様の介護の手を抜かないように十分気をつけて、反省すべきことはしっかり反省して、これも刷新。
また、できるだけ早い時期に英語の日記も再開したいと思っています。MNEMO先生、ときどき添削お願いします。ものすごーく忘れてしまって、もはや中学3年の力もなくなっているらしい。これも立て直しです。受験生の皆さん、つたない英語でも許してね。参考にしないでください。悪文、誤文の参考にはなるかな。


  8月30日 (月)
台風16号は九州を縦断して中国地方に再上陸し、山口・鳥取上を通って日本海に抜ける見込みです。福岡のFさん、被害はありませんでしたか。通勤時間にぶつかっていますし、水不足から一転洪水の心配をしなければならない大変な事態ですね。無事通過してくれることを願っています。沖縄にいる妻は明日富山に戻るので、なんとか飛行機も飛んでくれるだろうと一安心。
こちらでも夜半に県内に近づくことが予想されるので作物の管理に万全の備えをという放送がはいりました。長野も朝から蒸し暑く南よりの風が吹いて台風の影響が次第に強くなっています。予想できないことが起こりうるので、まだ遠いところにいると安心しているわけにはいきません。

午前中は新しく取得した土地の所有者の方と一緒に司法書士宅を訪問し、所有の移転の手続きをしてきました。これでめでたく土地は私たち夫婦のものとなったわけです。もちろんこのあと造成がありさらにその上に家を建てるわけですから、物入りなことこの上なしです。これから税金の問題、確定申告の問題などクリアしなければならないことが山積みで頭が痛い。苦労を乗り越えて新しい環境を手に入れることができるということなのかな・・・。
午後、新しく作ったPCの電源をいれてびっくり。ハードディスクを認識せずエラーばっかり。BIOSで調べると全く認識していない。結局電源の差し込みが緩く通電していなかったと判明。それはそれで解決しましたが、次にサウンドカードのドライバを入れようとしましたが、カードをシステムが認識しない。そのうち妙なエラーが出始め、OSのCDからもリカバリー出来ないことに。どうもメモリの相性問題が微妙に絡んでいるようで、メモリを別のバンクに差し替えOSをインストールし直しました。PCは難しい。


  8月29日 (日)
大型台風16号がいよいよ接近。中心の気圧は少しあがったとはいえ、衛星写真で見る限り日本列島をすっぽり覆ってしまいそうなほどの巨大な台風です。沖縄本島はどうやら直撃を免れたようですが直下になる奄美諸島のみなさんは大変。進路にあたる九州・四国のみんさんも警戒し被害を最小限に食い止められるようにご用心くださいね。まもなく上陸して列島を総なめしていく恐れのある台風ですから稲や野菜・果樹などに被害がでないように万全の対策をとらないといけません。


話は変わりますが、バヌアツに行ったTさんお疲れ様でした。久しぶりの家族水入らずのひとときでしたね。Mちゃん、元気でやっていますか? 家族のみなさんと会えてよかったね。
Tさんは私の妹夫婦。長女のMちゃんが青年協力隊(JOCV)でバヌアツに派遣されて一年ちょっとになるので、夏休みを利用して長男もいっしょに思い切ってでかけたのです。私も彼女が行くまでバヌアツという名前はほとんど聞いた記憶がなく、さっぱり知識がありませんでした。
これまでも単身外国へ出かけていく活発なこの姪とはこれまでもメールでやりとりはしていましたが、今回は2年間と長期の派遣です。おそらくこの一年の間にも習慣や言葉の壁などで言われぬ苦労があったろうと察しています。しかしそれも笑い顔で吹き飛ばして、現地の学校を中心に子どもたちとともに活躍する彼女には本当に頭がさがります。甥も「わが妹ながらすごい。誇りに思える」と言っていましたものね。
今日は、その彼女から以前に受け取ったメールの中で、みなさんにも是非紹介したい一文があるので転載させてもらいますね。彼女の許可は受けていないけど、きっと私だけでなく他の誰かにも読んでほしいと思って書いたのだろうと勝手に想像して。

バヌアツはイギリスとフランスの両国統治の歴史を持ち、最近独立したばかりの新しい国です。
7月の独立記念日には盛大なパーティーがあり、みんなが心から独立を祝います。
でも実際は独立前のほうが英仏の手厚い援助があったため、暮らしやすかったという声も聞かれます。
今はほとんどイギリスはバヌアツから撤退し(フランスの影響はまだ残っているけど)、すっかり援助慣れしてしまったバヌアツは取り残され、なかなかひとり立ちできない状況です。
一緒に仕事をしていても、すぐに「お金がないからできない」とか「マテリアルがないから教えることができない」とか「日本はお金持ちなんだから援助してほしい」という声が多くて、「どうして頼ってばかりで、自分たちでもっとよくしていこうと思わないの!」といらいらすることもあることもあります。
でも過去の援助合戦の結果、こういう国にしてしまったのは一体誰なんだろうとも思ってしまう。
考えてみるとバヌアツの人々はある意味、被害者なんじゃないかとも思ってしまう。
本当はこの国の人たちは、白人の手が入らなくても十分に暮らしていけるんじゃないだろうか。
実際離島に行くと、電気も水もガスも何もなくても、バヌアツには神様が与えてくれた豊かな土壌があって、美味しいフルーツや芋やキャベツを食べて、人々は十分幸せに暮らしている。
島の暮らしに時計なんて必要ない。
日の出とともに一日が始まり、毎日ガーデンに行ったり、海に行ったり、歌を歌ったりして楽しく毎日を過ごしている。
暗くなるとランプの灯かりのもとでみんなで歌を歌ったり話をたりして床に就き一日が終わる。
家族や年長者を大切にし、みんな助け合いながら生活している。
子どもたちはよくお手伝いし、小さな弟や妹の面倒もよく見ている。
小さな子どもたちでもブッシュナイフを持って食べ物を採りに行ったり、サトウキビの皮を剥いたり、海で潜ったり釣りを覚えたり、たくさんの遊びを生活の中から自分たちで見つけ、すごくたくましく育っている。
信仰深く、日曜日には教会に行き、食事の前のお祈りを欠かさない。
日本人に失われつつあるものがこの国には確実に存在している。
でも、首都ポートビラはリゾート化されいつの間にか白人たちが溢れていて、徐々に治安も悪くなってきている。
街には仕事のない若者がふらふらし、昼間からビールを飲んでいる姿も見られる。
白人たちの過激なファッションに触発され、性犯罪も増えてきている。
観光客が来ることで、お金の価値というものを知り、商売というものを知るようになる。
そして白人に対して過度の憧れを持つようになる。
自分たちもお金が欲しい。テレビが欲しい。パソコンが欲しい。日本に行きたい。そんな風に欲が出てくる。
白人たちはバヌアツ人のことを「仕事ができない。時間を守らない。」と軽蔑する。
自分たちのものさししかもっていないから、バヌアツ人たちのことを自分たちの下にしか見ることができない。
でも白人の手が入ることで、バヌアツにとってもよい面だっていっぱいある。
少しずつ生活は便利になり、実際バヌアツの人々も喜んでいる。
でもその反面失われたものもすごく多いんじゃないだろうか。そう思えてならない。
私も離島に行くと「何もないよさもあるんだな〜」ってしみじみ思うけど、正直ここで一生過ごしたいとは思えない。
やっぱり日本の便利な生活も素晴らしい〜って思ってしまう。
そして今バヌアツで現地の人と同じように生活して「こういう生活もいいな〜」と思うけど、たまには美味しいレストランに行ったり、リゾートしたりしたいって思ってしまう。
異文化理解って、自分のものさしでどちらが上とかこれはよくないとかそういうことをはかることじゃなく、あぁこんな考え方もあるんだとか、こんな生活スタイルもあるんだというふうに、そのありのままを認めることなんじゃないかな。(2004.5.25)





  8月28日 (土)
沖縄から珍しいフルーツが届きました。里の庭で取れたと言って妻が送ってくれたものなのですが、バナナはともかくそれ以外ははじめて見る果物ばかりでちょっと驚きました。
赤いのは「ドラゴン・フルーツ」。サボテンの木になるのだそうです。味のないキューイ・フルーツといったかんじ。白い生地にゴマのようなつぶつぶがいっぱい入っています。レモンか卵のような形のものは「パッション・フルーツ」。中を割ったところはアケビのような感じで、味は酸味が強いのですがトロピカル。なかなかいけます。大仏の頭のような形の果物はその形状から「釈迦頭」(しゃかとう)というらしい。何しろ甘いとろっとした果肉。種がたくさんあるので少々めんどうです。バナナやマンゴー、パパイヤ、パイナップルというのは定番ですが、最近はこうした変わり種もたくさん作っているのでしょうか。品種改良がすすんでたくさん栽培されるようになれば、こちらでもおなじみになるかもしれませんね。

さて、今日は一日パソコンの組み立てに追われておりました。娘のご両親のパソコンは改修も終わって、そのときにオークションで買い集めた余分のパーツや手持ちの部品を集めてさらに一台ウインドウズ・マシンを作ってしまいました。誰か実費で引き取ってくれませんか。サービスするんだけどなあ。
ちなみにスペックは以下のようです。

マザーボード : AOpen AX4GER-N Intel845GE
CPU : Celeron 2.6GHz Socket478
ケース : ATXタワー型
電源 : Windy Varius350
メモリー : PC2700 333MHz 512MB CL2.5 transend JETRAM
グラフィック・カード : GIGABYTE GV-R955128T(Radeon9550)
HDD : MAXTOR 6Y160P0(DiamondMaxPlus9)160GB
フロッピードライブ : MITSUMI D359M3 3.5インチ
DVD CD-R/RW : BUFFALO CD-RW&DVD-ROMコンボドライブ
サウンドカード : Creative,SoundBlaster,Live!,DE,5.1,Digital

いかがですか。かなり魅力的でしょ。USB2.0、10/100BaseT LANなどのついたマザーです。CPUはセレロン2.6Gですから相当スピードもあり、ゲーム、DVDなどでも全くストレスありません。場合によってはペンティアム4に変えることも当然可能です。パーツはほとんど新品同様ですよん。実費は7万円ほどです(送料別)。詳細を知りたい方はメール下さい!!




  8月27日 (金)
今日は午前中ヘルパーさんに来てもらって、その間に司法書士の方のところに行き土地の登記に関する打ち合わせをしてきました。農地を宅地に転用する場合はその許可証の記載通りの名義になるというので、ちょっとびっくり。こちらの意図としては妻との共同名義にするはずだったので、そんなことなら初めから言っておいてくれればいいのにと思いました。ただ宅地用に限って2110万円非課税の夫婦間贈与という制度があるので、後日申請すればよいという話を聞き少しはあんしんしましたが。富山の宅地の売却もあるし、節税の方法をめぐってこれからも頭を痛めなければならないことになりそうです。

今朝のことですが、コーヒーを飲みながら、向かいOさんと読売新聞(8/26)に掲載された佐藤巧己氏の「『日本思想界の独裁者』鈴木庫三の素顔」という一文について話をしておりました。この一文の要旨は次のようなものです。
陸軍報道部・情報局の雑誌担当、つまり現役武官の検閲官であった鈴木庫三は戦後悪名高い独裁者・野蛮な武断派将校として断罪されてきたが、多くはその著作や論文を分析もしないで投げつけられたレッテルにすぎない。膨大な日記やノートから浮かび上がってくる実像はその作られたイメージとはおよそ異なって、実際には平等社会をめざす知的な将校であった。戦時言論史は書き改められなければならない。
Oさんは、こうした再評価の動きに対し、青年時代を戦時に過ごした体験から極めて違和感を抱かざるを得ないと述べておられました。私自身は鈴木庫三という名前を聞くのはこれがはじめてですから、この一文を読んでも直ちに評価できる立場にはありません。しかし、この京都大学大学院教育学研究科助教授の論理はこの一文を見る限りでは極めて単純かつお粗末です。この文は次のように始まります。
軍部の「剣」の前に、知性の「ペン」は沈黙した。これは戦後的常識である。つまり、国民を戦争にかりたてたのは軍部の言論統制である。だが、もし本当にそれだけであったならば、私たちは幸いだろう。軍部なき現在の日本で、とりあえず「軍国主義復活反対」と叫んでさえいれば「ペン」は安泰なのだから。
まず書き出しを読んで、この人の過去・現在の認識はこの程度なのかと唖然とします。市民的権利や言論を抑圧した実働部隊である特高警察もその背景である治安維持法もどこかにすっ飛んでしまい、実際に虐殺された小林多喜二などを初めとするおびただしい犠牲者へのいささかのまなざしも持ち合わせていないように見受けられます。また多数の「知識人」が軍部・天皇制権力に迎合し自ら加担する道に進んでいったことも視野の外に置かれているようです。彼は鈴木庫三の再評価のみならず完全な復権を願っているようで、その著作で詳細に記すことを予告しています。軍部の中でもさまざなま矛盾があり、将校すべてが極悪非道の人物であったと言うほど単純なものでなかっただろうことは容易に推測できます。しかし、一将校といえどもその再評価はその時代背景や政治・経済・文化などとのかかわりの総体のなかで行われるべきであり、個人的に記された記録のみで客観的に果たした役割が免罪されてしまうわけでは断じてありません。まして「日本思想界の独裁者」(清沢洌「暗黒日記」)という「常識」を覆し、「平等社会めざす知的な教育将校」へと180度の評価替えを行おうとするのですから、この若い研究者の意図はどうやら単に一人の将校の再評価にとどまらないもっと別のものがありそうです。


  8月26日 (木)
昼はかなり蒸し暑く、気温も30度くらいまであがったでしょうか。さすがに日が落ちる頃からすずしくなり虫の音もあちこちから聞こえます。
ところでまたまた中心の気圧が920hPaという超大型の台風16号が沖縄本島と九州南端の間あたりをめざして進んできています。先に通過した17号は台湾・中国で甚大な被害を出しています。それよりもっと勢力の強い16号です。進路にあたる地方のみなさんは十分に警戒をしてくださいね。週末は大荒れになりそうな気配です。今年は台風の当たり年なのか、これまでも全国的に大きな台風の被害がでていますから本当に要注意です。


今日は庭で見つけた虫を2匹。両方とも名前が全くわからない。蜂のような虫は、春からずっと庭に住み着いていて、おしりが大きいために斜めになってとんでいく様が面白いので、よく観察しています。もう一つは羽の幅が1センチほどの小さい蝶です。何とかシジミというのかもしれません。よく見るととても縁飾りがきれいです。小さい庭でもいろんな生き物が生息しているのでなかなか興味が尽きません。




お向かいのOさんに差し上げたトマトの苗(脇芽から育てた)に小さなトマトの実がつきました。この色が何ともいえないと喜んでいらっしゃいました。よかったよかった。




  8月25日 (水)
沖縄に里帰りした妻から台風の影響もなく無事那覇空港に到着したという連絡がありました。こんなときは携帯メールは便利です。那覇は夜も31度で暑いとも。暑さも含めて里の空気を一杯吸ってこられるといいですね。
さて、一方の私は今朝ハローワークにでかけ失業認定を受けてきました。認定日にあたっていたのです。先日の人材銀行からの情報も結局フイになり、しばらくは失業保険で食いつなぐということになりそうです。帰りがけ、本屋へ寄って情報をあつめ、さらに豊科から穂高にむかう道にあったレストランに入って食事をしてきました。こんなところにこんなお店がというおしゃれなパスタのお店。ちょうどお昼どきだったので女性客でほぼ満員状態でした。
おいしいことは当然ですが、手入れが行き届いた感じのよいお店であること。店のこだわりが過度でないこと。そうすればかなりへんぴな場所にあっても客は入るんですね。いろんな店をさらに開拓中です。


その帰りには新しく購入した土地の様子を見に行ってきました。農地から宅地への転用が終わり造成工事が始まったところでショベルカーが土を掘り、トラックに積んでいました。
いよいよ新しい住みかの着工です。造成は9月上旬頃には終わるのでしょうが、家の建築は資金の問題があってすぐというわけにはいきません。めどがたてば早くて来年の春以降に着工できるかもしれません。そこで、私自身の記録という意味と、家族が進行状況を知るということ、さらに、安曇野ぐらしをどのようにすすめつつあるかを都会のみなさんに知って頂くために、特別のコンテンツをつくりました。とりあえずは写真だけですが、そのうちさまざまな情報も加え充実していきたいと思います。トップページに入り口があります。
ところで、こんなことをしているとあっという間にサイトの容量が大きくなってしまいます。今年度中にはかなりスリムにしないと運営できないことになりそう。そこで、いずれ日記類については保存は3か月程度にして、あとはカット。必要な情報に絞ってのせるように方針を変えていこうと考えているところです。自分でWeb Serverを運営できるほどに技術を上げられたら一番なんですが、敷居は高すぎるし、その時間もないので・・・。

新しい土地と住まい



  8月24日 (火)
オリンピックでの日本選手の活躍が続いています。選手の素質やいろんな強化策はもちろんですが、スポーツに対する考え方が少しずつ変わっているような気がします。集中してのびのびと競技ができるということは、本当にその競技をプレーすることが好きで、自分のためになるという自信に裏打ちされているからでしょうか。たいしたものですね。
さて、今朝は久しぶりに雲の晴れ間が見え暑い日差しが差し込んできました。早朝から庭の草取り。取った草を地這キュウリの下ワラ代わりにして整地。さらに今までたくさん食料を提供してくれた古いキュウリの株を取り払って新たな床を作りました。ここには秋キャベツとブロッコリーを植える予定です。2時間ほど集中してやったために一汗かいて休憩。その後直売所に行って妹夫婦に送るりんごやらトウモロコシやらを買い求めてきました。
妻は今日から生まれ故郷の沖縄へ。久しぶりの里帰りなので、たくさんおみやげなどを携えていくのでしょう。道中無事で帰ってほしいものです。


国民を戦争の方向に持っていこうとすればその「大義」もしくはそれに反対しない「国民精神」がなければなりません。おそらく現在の日本においては「国際貢献」「国際協力」「国際的テロとのたたかい」などがそれにあたります。抽象的には否定しようのない目標に国民を駆り立てていくことは、権力者にとってはさほど難しいことではないのでしょう。もちろんそれを可能にするには人々の意識の深部で醸成された「合意」が不可欠です。
私はこのページで何度も戦前・戦後の意識の連続性という問題を取り上げてきました。今日はたまたま本を検索していて高橋哲哉さんのある本の序文を紹介したものに出会いました。そこには私の問題意識とそっくり同じことが書かれていたのです。
なぜこの問題意識が必要なのかを簡単にいえば、憲法第9条を中心とした現行憲法の精神を名実ともに根付かせるために、何が問題でありどこを克服しなければならないかがかかっているからです。現在30代以下の人であれば戦前との連続性と言ってもピンとこないかもしれません。それゆえ、空気のようにただよって意識せずに身につけている戦前的要素をえぐり出し、意識し、解決する以外に新しい「地金」の創造は不可能だと思われるからでもあります。
そのことを自民党の憲法調査会に加わっている議員たち自身に語ってもらうことが近道かもしれません。この会はこれまで何度も議論を重ねており、かれらの考えを率直なかたちで知ることができます。
特徴的なことは「国家」の強烈な押し出しです。「国家」意識が今の国民には大変とぼしくなっているので、憲法でそれをきっちりしなければならないという議論が多く見られますし、さらにそれと関係して「国家」をささえる基本になるのは「家庭」であるからそれ憲法に書き込むべきだというような意見が出されています。
参考までにいくつかの議論を拾ってみましょう。以下は「憲法調査会憲法改正プロジェクトチーム第13回会合」の議事録からの引用です。全文に目を通して引用を確認していただけるとうれしいのですが。

■渡海紀三朗衆議院議員■
国民の権利義務、「非常事態において国民の権利は制限され得ることがある」という項目を入れるべき。非常事態法の根拠規定が憲法にはない。ドイツの基本法では、非常に細かく決めている。あそこまで細かく決めるかどうか、ここは議論のあるところだが、何らかの根拠になる規定をしっかりと憲法に設けて、そのもとでシビリアンコントロールをしっかりして、内閣総理大臣の責任のもとで時に個人の権利というのは制限され得ることがあるという、そういったはっきりした記述を書く必要がある。
■葉梨康弘衆議院議員■
今の前文、日本国憲法の現行の前文ですけれども、国民主権と、それから、国際的な平和、国際社会に対する協力ということしか書いてなくて、足元のことが何も書いておりません。日本が家族を大事にする、それから共同社会を大事にするという国家であって、その国家が、諸外国に対しても自国の利益を追求するだけではないというような形での、連続した形での博愛主義といいますか、そういったものは、義務として書けるかどうかというのはまた議論の余地はあるところだと思いますが、少なくとも前文には書かなければいけない。
■小野晋也衆議院議員■
現在の若者たちを見ていると、国という意識すらも非常に曖昧になってしまって、インターネット上で飛び交う情報、また、テレビをつけたらどこの国の放送が飛び込んできているかもわからないような状態の中で、国家というものをとらえる意識というのが相当変わっているのではなかろうかという思いがございます。ですから、国が前提として憲法というのがあるということではなくて、ひょっとすると、国家とはどういう存在であるかということをきちんと明記をしながら、その中において国民の権利と義務を語ると同時に、人類社会全体というものも展望する中で、人類社会の一員としての権利と責任みたいなことも描くような構成の仕方までもこれからやっていかねばならないのではなかろうか。
■西川京子衆議院議員■
絶対に国というのはなくならないと私は思うのですね。ですから、そこに対する国民の思い、そのことだけは絶対に入れてほしい。その根底には、生まれ育った地域に対する人間としての当たり前の愛がある。そこがない憲法はあり得ないと思っています。
■谷川秀善参議院議員■
今こそ1番大事なのは、国家をどうするかということで、もう一遍、我々自由民主党がしっかりと議論をする。まず、憲法の前文ですね。ここに国家なんてないですよ。正直いうと、あの前文を読んでみたら、1番基本になる家庭なんて何にもない。世界が平和ですから、平和でいきましょうと、こう言うだけでしょう。そうすると、国家、要らないです。今の日本の憲法の前文は、私は国家なしの前文だと思っている。あの憲法はどこの国に持っていったって当てはまります。今の日本の憲法はどこの国へ持っていったって当てはまる。即そのまま使える。そういう意味では、そろそろ権利と義務の関係をしっかり――ほとんど義務の関係、何も書いてない。だから、権利も必要だけど、義務も必要だということを書くということと、それに基づいて、首相公選にしたって、2院制の問題も全部絡んでくるんだと思う。
■平沢勝栄衆議院議員■
前文の中で、国家観というか、愛国心、これをきちんとうたわないと、どこの国の憲法かわからなくなってしまう。・・(略)・・ですから、まずは、日本国の憲法であるわけで、日本に対する、国に対する思い、愛国心、このへんをしっかりと理念としてうたわないと、それがまた国旗・国歌に対する反対とか、そういったものに全部連鎖的に反応するのではないか。
■葉梨康弘衆議院議員■
戦後教育を受けた有権者がたくさんいる。投票所に行くか行かないかわからないけれども、その人たちに国家意識、国家意識といった途端にアレルギーを起こすような教育に私たちの世代がどっぷり漬かっちゃっているということを説得する技術が政治ですから、やはり考えていかなければいけない。 ■渡海紀三朗衆議院議員■
愛国心というのは、考えてみると、心。要するに文字に書いたからといって、それがその国になるというものではない。基本的に国というものはどういうものなのかということをしっかり書くことが大事。国と国民の関係はどういう関係にあるか。国民相互の権利と義務、そういうものはどういうものか。少なくとも憲法において、日本の国においては、実はそういう関係はこういうふうに考えるのが、この国のかたちだということをしっかりと書いていくものであって、その総体として愛国心という心が生まれるような教育なり、国づくりなり、制度なり、そういったものを政治がつくり出していかなければいけない。しかも、日本の国の過去、歴史、伝統、文化、こういったものは、どの国の憲法を見てもそうですが、やっぱり我々が誇りとするようなものをしっかりと前文の中で書いて、この国はどういう国なのだと。しかも、国に対して国民はどうなきゃいけないと。
■奥野信亮衆議院議員■
憲法制定当時の日本の置かれた環境・状況と、今とが基本的に違う。だからこそ憲法を変えるという主張をしないと、本質的な憲法改正というのはでき上がらないんのではないか。(略) それだけ環境が変わった中で、何をベースにして憲法改正をするかというと、グローバルな世界で日本が果たすべき役割は何であって、それを元手にして世界平和に貢献する、世界の繁栄を目指すとなれば、いま皆さん方が考えておられるような方向へ自然と論理は終結してくるような気がする。そ憲法を改正する前提条件というものをもう1回議論しておいたほうがいい。
■船田元衆議院議員■
国があって個人があるのであって、国が個人の権利をきちんと守るというバックボーンをしっかり持った上での憲法の書き方、やはり全体のトーンとして書くべきである。(略)公共の福祉と考えた場合には、相対的により多くの国民の権利を守るために、1部個人の権利が制限されても、これはやむを得ないということをはっきり憲法の中には書く。解釈でいく場合もあるかもしれませんが、いま公共の福祉というのがあまりにも曖昧すぎますので、公共の福祉とはそういうものだということをやはりきちんと書いておかなければいけない。
■桜井新参議院議員■
そういう意味で、国家ということが意識の中になければならない。そういう意味で、国家という意識を小さいときからどう教育して植えつけるか。幾ら法律ができても国民が守らなければしようがない。だから、憲法、法律というものをある程度小さいときに勉強して、最小限度のことは体で覚えるというか、自分の頭の中にきっちり入っていなければだめだ。


こんな議員連中の議論を呼んでいると本当に寒気がしてきます。庶民感覚のかけらもなく、しかしポーズだけは知っている風をよそおい、「国家」に至上の価値をおいて「この国のかたち」を議論する。これこそ私のいう戦前の意識との連続性です。

自民党憲法調査会
経済同友会 憲法問題調査会意見書(PDFファイル)
読売新聞社・憲法改正2004年試案
市民立憲フォーラム・リンク集


  8月23日 (月)
朝からジトジトの梅雨空のような天気。冷たい雨が降り続いています。
先週松本の人材銀行から求人の案内があって今日返事をすることになっていました。大町にある高校の進路相談員に欠員があるのでどうかというものでした。ただ、9時から5時のフルタイムなので、時間が短縮できれば可能だがと返事をして検討してもらうことにしました。11時〜5時くらいなら介護保険をつかっても可能な時間帯だし、短期(9月〜2月)なのでかなり魅力的な選択肢になります。

冷蔵庫の食料がかなり底をついたので朝買い出しに行ってきました。といっても、買うものは魚や肉類だけ。帰りがけに農協直売店に行って例のごとく情報収集。開店してまもなくだったので生産者の方々で混雑していました。それぞれ自分の生産物にパソコンから打ち出したラベル(生産者名、値段など)を貼っているのです。最近のくだものはほとんどリンゴ。「つがる」が主流です。
先日この直売店で「なす漬けの素」を買って庭でとれたナスを漬けてみました。浅漬けなので次の日にはもう食べられます。これが大ヒット。すばらしくおいしいのです。直売所でも人気があるとおばさんたちの話。先日来、キュウリとかウリの漬けものよりも、ナスの漬けものにはまっています。皆さんもいちどお試しあれ。新鮮なナスが条件です。




  8月22日 (日)
今朝は毛布が2枚いるほどの寒さでした。急速に秋の気配が漂っています。近くの田んぼではもうたわわに実った稲が黄色く穂をたれている早稲も見られるほど。
我が家の菜園では、すべて収穫を終えたトウモロコシを根元から掘り起こしました。キュウリもほとんど哀れな姿の実しかつけなくなって、地這キュウリにバトンタッチ。トマトも終了です。かわりに秋キャベツ、ブロッコリー、白菜などを植える予定にしています。ただ、地這キュウリを植えすぎたために場所をとられて大変。種や苗はお隣さん、お向かいさんにも配ったので、これは農協に出荷しなければいけないくらいです。
庭の手入れをしていたら、例の青ガエルがまだ健在でした。どことなく元気がないようなのでよく見ると幾匹かは妙な黒い虫が腹に食いついて寄生している様子。歯をしっかりカエルの皮膚に食い込ませてそのままくっついているのです。小さいがかなりどう猛な虫のようです。みつけては取り外して放してやっているのですが、自然の掟はなかなか厳しい。住んでいる場所で肌の色を変えているのか、結構茶色っぽい色のカエルもみられます。しばらくカエルたちと戯れていました。写真はジャンプに失敗して片手でぶら下がっているところ。しばらく動く様子がなかったのでタイミング良く写真におさまりました。あんまりいい格好ではありませんね。

今日は朝母がめずらしく目をさましたので、8時頃にお風呂に入ってもらいました。今まではシャワーだけで済ませていましたが、今日は気温が下がっているので久しぶりに浴槽にお湯を張ってゆっくり入浴。あがって食事をしたらまた寝てしまいました。気持ちよくなったのでしょう。

私はというと、一昨日から娘の嫁ぎ先のご両親のパソコンの修理にかかりきりになっておりました。メーカー品でなく自作型のミニタワーなのでやりやすかったせいもあり、一旦パソコン・モードになってしまうと時間を忘れてしまうアホな性格がまた顔を出して、結局一日半寝食を忘れるハメに。自分で組み立てて何台かパソコンを作っていたのはもう2年ほど前のことなので忘れていることも多く、復習のいい機会になりました。
ハード・ディスク、PCIカード、メモリなどのパーツの故障ではなく、ソフトの不具合でもなく、フロッピーからの起動すら受け付けなくなっている状態で、結局マザーボードを丸ごと交換し、パーツをいくつか加えて昨日の昼頃に完成。何とかうまくいったものの、生半可な知識しかないのでこの手の故障の原因を特定できず力不足を痛感させられました。
妻からは「節約しましょうね」と厳命されているのですが、今度はどうしても最新のテクノロジーを取り入れて納得できるものを組み立てたい!!。


  8月20日 (金)
強い風が今朝の3時頃まで吹いていました。夜が更けるに連れて雷雨となり一時はどうなることかと心配しましたが、今朝はすっきりと晴れ上がって夏空が戻ってきたようです。
昨日は「しなやか」と形容したトウモロコシが夜半の風で2本折れてしまい今朝は無惨な姿になっておりました。もっとも一本目の収穫は全部終わっていたので被害というほどのことはありませんでしたし2本目もまずまずの出来だったので、ついでに末成りの出来損ないの木を何本か抜いてしまいました。その跡にはサツマイモがのびのびと蔓を這わせることでしょう。
今朝も北アルプスは夏山の美しさを存分に見せてくれています。冬は冬で冠雪の輝きが美しいのですが、夏の山もどっしりとして逞しく、とりわけ雪解け水に幾筋もの谷を縦に這わせる岩だらけの稜線は見とれてしまいます。
今朝クラフト・パーク沿いをドライブしていたらワイン用の葡萄や、出荷間近の巨峰がすずなり。桃が終わって次は葡萄の季節です。ちょうど飽きた頃に次の果物。富山からは梨が届くし、これはもう池田から離れられないですね。ワイン好きには池田のワインをどうぞ。なかなかのものらしいですよ。


さてオリンピックに取り紛れた感がありますが、いくつか無視できない政治・社会問題があります。その一つは豪雨による災害。今年は台風が通過するたびに集中豪雨がどこかで発生し、今回は四国を中心に死者9人にものぼる大きな爪痕を残してしまいました。天災は忘れた頃にやってくるとも備えあれば憂いなしも言いますが、予期せぬ降雨量とか想像を超えていたなどといういいわけはごめん被りたい。河川の治水工事はどこでも万全を期して行われていたはずなのに、全国各地の事例は「予想を超えた」降雨量に対していかにももろい現状をさらけだしています。抜本的に対策を講じて二度と人災と言われないようにしてほしいものです。
第2。義務教育費の国庫負担などを削減し、地方自治体に3兆円の税源移譲をするという例の「三位一体改革」の具体化。全国知事会では異論・反論が続出してついに採決という異例の事態になったと報じられていました。保守系知事が圧倒的な数を占めるわけですから、結論は初めからわかっていたようなものですが、それでもこれだけの紛糾があったということは小泉政権の地方自治体いじめがどれほど激しいか、いかに地方との矛盾を広げているかを示しています。もともと「三位一体改革」は赤字国債乱発による累積債務の償還の重圧のもとで、大企業優遇税制や累進課税の緩和などの政策を維持し、国際貢献の名の下で軍事費を増やし続けるために、年金・医療・福祉・教育などの財源を切り落とすか「受益者負担」を押しつけるために持ち出してきたものです。庶民の苦しみや痛みをまったく理解できない自公の政治家。彼らによって財政を食い物にされていることにもっと敏感にならなければ、そのツケを支払うのは結局また私たちです。
第3。沖縄宜野湾市の沖縄国際大学構内での米軍ヘリの墜落。さらに昨日は横浜で米軍ヘリの不時着騒ぎがありました。いずれも住宅密集地での出来事。我が物顔で訓練する米軍の傍若無人ぶりには私も町田に住んでいてよく知っていますが、沖縄はレベルが違います。アメリカの国際的な軍事戦略の見直しによって沖縄の「重要度」がより増していることは明らかです。アメリカの有事即応戦略にすすんで参加していこうというのが小泉政権の「改憲」政策の本質ですから、彼らに沖縄の痛みがわかるはずもありません。
かつて「小指の痛み」ともたとえられた沖縄の基地漬けの実態ですが、「小指」どころの問題ではありません。沖縄と横田、つまり日本の中枢と直結した二つの基地の連動で安保体制が軍事同盟としての実質的な意味を持ち、日本がアメリカの戦略に深く組み込まれている実態をなしているわけですから、人間で言えば頭脳(横田)と心臓(沖縄)の関係のようなものです。私自身どれほどこのことをつかんでいるか。改めて沖縄の問題を考えてみたいと思います。場合によってはコンテンツが一つ増えるかもしれません。


  8月19日 (木)
朝はさわやかで気持ちのよい晴天だったのに昼前から猛烈な南風が吹いて日が沈んでからも止む気配がありません。台風が日本海を進んで典型的なフェーン現象です。こんなときは山がすぐ目の前にせり出して見えるんですね。朝はそうでもなかったのに風が強くなるに連れて台形をした有明山などは木の一本一本がみえるほどに近くに近づいていました。
このような日は庭の野菜たちが被害にあってかわいそうです。種をとろうと花を咲かせていたサニー・レタスが根本からポッキリ。朝顔、キュウリ、トマトなど縛っていないところが折れそうで応急処置に追われておりました。トウモロコシ、オクラはさすがに強い。しなやかに”柳に風”の風情。
夕方から夜にかけてオークションに集中。落札したいものがあったのでタイミングよく入札してゲット。それ以外に一体今日は何をしていたのかと考えると何もない・・・・。




  8月18日 (水)
オリンピック体操男子のあの伸び伸びした素晴らしい演技は驚嘆に値します。外国勢が緊張からかミスを連発する中で、完璧な演技を決めていく彼ら。並の集中力ではないですね。テレビでは小さい頃からの体操クラブでの練習の模様を写しながら、小・中学時代にいかに基礎をみっちりと身につけていったかを紹介していました。
また卓球の福原愛選手の一言が面白かった。アメリカの選手と対戦した試合はあまり緊張しなかったと言った理由を聞かれて「一度死んだから」。初戦の辛勝がよほどこたえたのでしょうね。彼女にしてそうなのです。ものすごいプレッシャーと緊張感に打ち勝ってはじめて手に出来る勝利。単に技術だけでは乗り越えられない、競技の持つ底知れぬ恐ろしさを教えられます。
ライブ中継は夜中なのでほとんど見ることはできませんが、世界の選手の躍動を目の当たりに出来る機会ですから、録画放送であれ努めていろいろな競技を見るようにしたいと思っています。自国の選手の応援も必要でしょうが、海外の優れた選手の活躍を紹介し、スポーツのすばらしさに触れることもオリンピック精神の一つでしょう。そのような放送を求めたいですね。

昨日はほとんど後かたづけができなかったので、今日母が宅老所に出かけた後、集中してやってしまいました。引っ越しから4か月も経つのに、本だけは箱にいれたままでそれなりに支障も出てきていたので、一度取り出して並べられるものは出し、しまうものはもう一度箱に入れました。6時間ほどかかってようやく片づけも含めて一応のめどがついたので一休み。母が帰ってきてしまったので、続きはまた明日ということになりました。


  8月17日 (火)
昨夕無事池田町に戻りました。首都圏では帰省のUターン・ラッシュでまだ渋滞がつづいているとラジオは伝えていましたが、北陸道から糸魚川ー明科線は比較的すいていて問題もなくノンストップで池田の我が家に到着。母も相当に疲れていたらしく、しばらくしてすぐに寝てしまいました。
今朝は私、朝5時に起床。しばらく庭を見渡しておりました。お向かいのOさんが水遣りなどの世話をしていて下さったので新しく植えた地這キュウリやインゲンは結構大きく育っており、トウモロコシももう収穫出来そうな感じでした。ここ数日気温が下がって過ごしやすくなっていましたが、今朝は肌寒いほど。昨日帰りがけの道路標示では20度を切っていましたから、多分今は15度前後になっているのでしょう。草むらにいろんな虫が鳴き、急速に秋が近づいているように感じます。
下の写真は昨日こちらに戻るときに呉羽の山頂から富山平野と北アルプスを撮したもの。今朝はちょうど反対側にいることになります。


昨年は8月10日ころにはまだ弟と話をしておりました。ちょうど私が池田によい物件をみつけて契約をしたという報告を弟にしたところ、「いいなあ、自分も田舎でログハウスを建てて家族でのんびり過ごすのが夢だった」と言うので「家族のことは心配するな。安曇野ではおまえの夢も引き継いで、その分しっかり生きるから」と答えると「そうしてくれ」と寂しそうにつぶやいていました。弟と話したのはそのときが最後。そしてそれから一年たって、この20日がちょうど一年目ということになります。
14日には、その弟の一周忌。家族・親戚があつまり法要を行いました。明けて15日の午前中は弟の墓参りに行き、夕方からは息子・娘が準備してくれた妻の還暦祝いにでかけました。久しぶりに家族4人水入らずで夕食をともにすることができ、何ともいえぬ温もりを感じました。妻はプレゼントをもらって照れながらも感激の面持ち。すでにあちこちに散って生活をしている家族ですが、こうして一年に何度か集まって気持ちを通わせることができるというのはうれしいものです。
そして翌16日には、10数年ものあいだ不義理をしていた中学からの親友のもとを訪ね無礼をわびてきました。年月はお互い身体に刻まれてはいましたが気持ちは少しも変わらず旧交を温めることができ、これも帰省の大きな収穫。きっとこれからは足繁く出向いて、いろんな話もできることでしょう。


あけて今朝。さっそくお向かいのOさんと縁側でお茶会。トウモロコシを収穫して二人で出来を見ました。なかなかの粒ぞろいでつやつやしたトウモロコシ。すぐに茹でてたべてみました。甘い甘い。


  8月13日 (金)
ファシズムはそよ風とともにやってくる。
これはまた珍しくもない常套句だが、かつ、忘れられてはならない警句である。独裁者の強権政治だけでファシズムは成立しない。自由の放擲と隷従を積極的に求める民衆の心性ゆえにそれは命脈を保つのだ。
斉藤貴男さんの近著「安心のファシズム」(岩波新書)の「あとがき」の一部です。「ファシズムはすでに日本を覆っている」と斉藤さんは現状認識を述べています。辺見庸さんも同様の認識を語っていました。私自身も全く同様の認識を持ちつつあります。
彼はウンベルト・エーコ「永遠のファシズム」から現代のファシズムの特徴を14個拾い、これらが日本に「おそらくは全部」あてはまると慨嘆しています。そして次のように述べています。
現代の日本が突き進んでいるのは、アメリカの衛星国と帝国を同時に成立させる「衛星プチ帝国」である。したがって導かれるファシズムも、かつてのそれとはやや違ってくる。基本的な価値観はアメリカに貫かれた、いわばグローバル・ファシズムとでも形容すべきものであり、それだけでは辛すぎる心を日の丸・君が代に象徴されるナショナリズムが癒し、埋めてくれる構造なのである。


ところで、私の手元に4冊の綺麗な装丁の冊子があります。前にもちょっと触れたことのある「心のノート」です。これは文科省が2002年に11億円もの予算を投入して全国の小中学生向けに作成した副教材です。その制作担当にあたったであろう学者の言い方によれば、政府からの「心のプレゼント」です。それだけでも鳥肌が立ってしまいますが・・・。
現在日本を覆い尽くそうとし始めている日本型ファシズムの現状を知ろうとするならば教育の現状を見てみるのが一番早いと私は思います。「心を支配したい=支配されたい」の共犯関係を作り出すことに成功すれば、もうファシズムなどという言葉自体は死語となります。その一つの突破口になろうとしているのがこの「心のノート」だと私は断言します。従って私もまた憲法第9条と並んで教育基本法の改悪の動向に注目し、「草の根ファシズム」への批判を語り続けなければならないと、いよいよ腹をくくらなければなりませんね。

長野池田町は今日は一段とさわやかな朝です。朝露がびっしりと降りて屋根からしたたり落ちるくらい。日陰はあくまで心地よくひんやりした風が吹き抜けて赤とんぼがとびかう昼前のひととき。これは移動性高気圧のさわやかさ。秋です。


午後からはかなり暑くなりましたが、それでも日差しがどことなく違います。日が暮れると涼しい風が吹き、こうもりが跳び回り、虫の音が聞こえてきます。
明日は弟の一周忌。富山に戻りますのでしばらく更新をお休みします。


  8月12日 (木)
いよいよ明日からアテネでオリンピック。我がサイトもこの期間開催地アテネに敬意を表し、すべての競技選手の健闘を願い、さらに紛争地域におけるあらゆる戦闘を停止してせめてこの期間完全な停戦を実行することをもとめて、トップにアクロポリスの丘とパルテノン神殿をかかげました。これはかつて私がギリシャを訪れたときにかの丘を眺望し感激しながら撮影したものです。




リンクのページにオリンピック関係のサイトをのせました。

報道ではイラクで米軍とサドル派民兵組織との戦闘が激化しているようです。サドル派が攻勢を強めているというより、抵抗勢力を根絶やしにしようとする米軍の強硬策とみるのが正しい。おそらくこれによってイラク全土での米軍に対するレジスタンスはいっそう深く激しく戦われるようになるでしょう。アメリカにとっては、自国に忠誠を尽くす勢力以外はすべて敵となるわけで、イラク情勢はまた一段と緊迫と混迷の度を加えたといえます。


  8月11日 (水)
夜中に少し雨が降ったものか朝は土が湿り気を帯びていました。風がヒヤッとして冷たく夏の朝というよりどことなく初秋の気配。コスモスやトンボたちが次第に秋の舞台を演出しはじめているように思えます。しかし、昼は昨日にもまして暑くなるのでしょう。
今日は遠来のめずらしいお客さん。かつての教え子(この言葉は好きではありませんが便宜的に使います)の一人。お子様を含めた家族で郷里の富山に帰省途中こちらに寄っていただけることになったのです。
私がまだ30になるかならないかの若い頃のこと。富山のある高校の教師として名古屋から移ってはじめて担任したときの生徒さんです。そのとき彼女15歳。いまは??? 四捨五入して何と30年ぶりくらいの再会です。大変印象的なクラスでしたからいろんなことをよく覚えています。それぞれの人生を歩んで、ここでこうしてまた会えるってうれしいことですね。今からそれなりに受け入れ準備です。


30年ぶりの再会という感じは全くなく、すぐに仲良しになっておしゃべりをしたりおいしいものを食べまくったりしました。数時間があっという間に過ぎ、さわやかな印象を残して家族は一路ふるさとへ帰っていきました。中3の女の子が「寅さん」の大ファンであったとは。親子でビデオ鑑賞の時間(うち一人ははじめから終わりまでいびきをかいていた)もあり、ゆっくりしていってくれたこともうれしいことでした。
食べ物では「そばがき」をつくって食べてもらいました。昔、そば粉に熱湯を注いでかき回していたことがあり、そのときはどうにも好きになれませんでした。しかし、今回は例の農協直売所のおばさんに習ったとおり、そば粉を水で溶いて火にかけ粘りがでるまでかき回すという方法でつくったところ、これがなかなかのもの。地物の新しいそば粉だからか、薬味のネギと七味のせいか、とろけそうなうまさでした。これでまた安曇野レシビが一つ増えた。今度ソバそのものの打ち方を教えてもらおうと思っています。波田のスイカもとても美味かったし、よかった、よかった。「いい中継点ができた」と喜んでもらえました。

今日は、日中もそんなに気温が上がらず、日陰に入ればさわやかな風が通って本当に気持ちのいい一日でした。草むらにはバッタがいたし、これはやはり秋の気配。日が沈むと半袖ではひんやりするくらいの気温になって、少しずつ季節が移っていくのを感じます。




  8月9日 (月)
長崎原爆忌。折しも福井県にある関西電力美浜原子力発電所で2次冷却水もれの事故が発生し死傷者が出たというニュースがありました。美浜原発には1号機から3号機まで3つの炉があり、いずれも加圧水型軽水炉です。今回事故を起こしたのは3号機。朝日新聞によれば「原発の運転中に死者が出る事故は国内では例がないという。放射能漏れはなかった」ということです。事故隠しで「放射能漏れは実はあった」などということにならないよいうに願いたいものです。
この美浜原子力発電所は1991年に2号機が一次冷却水漏れ、炉心停止という重大事故をおこしています。今回は2次冷却水漏れとはいうものの、場所によっては放射能もれの大規模な事故となる恐れのあったもので、決して軽い事故ではありません。


関西電力 原子力発電について
日弁連 福井県三方郡美浜原子力発電所事故(91年)について

原子力発電所といえば、8月6日の日記で「かつて原発の見学に行ったことがある」ということを書きましたが、多分この美浜原子力発電所でした。今からもう27年ほども前のことになります。勤めていた高校の文化祭の取材で生徒とともに自家用車で出かけたのでした。
原発はまだ運転してそれほど時間がたっていない頃のことでしたから近くに建てられているPRセンターでも「安全な夢のエネルギー」という宣伝オンリーでした。
所員や関電の人は「原発」とは決していわないで「原電」というんですね。それが面白くて、こっちは意識して「げんぱつ、げんぱつ」と言ってやりとりをしていたことを覚えています。車で行っていたのですが、何しろ僻地に設備が作られているので行くまでに結構難儀をしたものでした。
当時からすでに地元で「原発反対」の運動は取り組まれていてその取材もしてきました。現地で有名だった人は若狭の名刹「明通寺」の住職でした(名前は確か中嶌哲演さんでした)。
資料を見せながらいかに危険と隣り合っているかを一生懸命に説明してくださいました。「安全だというのならなぜこんな田舎に原発をつくるのでしょうか」・・そう話す住職の話に頷きながら私も生徒も一心に耳を傾けていたものでした。境内の国宝3重の塔やカヤの木も懐かしく思い出しました。帰りにはガス欠になってしまい、住職の車からガソリンを抜いて私の車に入れるというハプニングがあって、いまでも忘れられない思い出です。
それからもうずいぶんと日が流れました。老朽化した設備はもろいもの。どんなに安全を期していても予期せぬ重大事故は起こります。一旦起こった後では取り返しがつかない。それが原子力発電所です。
関電・政府は今回の事故についても最低限の責務として徹底的に原因を究明するとともに、それをオープンにし、結論がでるまで原子炉を止めて修理・点検を完璧に行う必要があるでしょう。それとともに代替エネルギーの開発をいよいよ加速させる必要があることを今回の事故は示しているのではないでしょうか。

「殺すな、殺させるな、殺すことを見逃すな」(ブッダのことば/明通寺)


  8月8日 (日)
今日もお天気は昨日と全く同じパターン。ただ雨は降りそうで降りませんでしたが。猛烈に巨大な入道雲がモクモクと押し寄せてきて土砂降りを覚悟したのですが、どうやら雨は別の道を通っていったらしいのです。
雲の写真をたくさんとったのですが積乱雲の動きが激しくてパノラマにはなかなかなってくれません。そのうちの何枚かを載せました。
はじめは今日の雲の様子。東の空です。あっという間に巨大な雲に成長するので見ているだけでも面白い。おそらく想像を絶する激しい上昇気流が起こっているのでしょうね。次は十数分後の拡大写真。一番下はバケツの底が抜けたみたいに雨が雲から落ちて、どこかの町が集中豪雨に遭っているところ。これは滅多にお目にかかれない写真ですね。
母と散歩に出たついでに撮ったのですが、雨のかたまりがどんどん近づいてくるのであわてて家に逃げ帰りました。しかし、残念と言うべきか喜ぶべきか雨は別の方向に行ってしまった。









昨日から今日にかけて、服部工房の依頼で展覧会のハガキの作成をしておりました。狭い枠の中に要領よく内容を納めなければならないので結構目が疲れます。
はじめWindowsのイラストレータで作成をしていましたがMacからデータを移しているうちに、Macのフォトショップやイラストレータのバージョンの違いもあってやWindowsの動作がおかしくなり、結局すべてMacで作業をして出校するはめになってしまいました。やっぱり慣れているMacの方がはるかに仕事はやりやすい。操作は基本的には同じなんだけど何故なんでしょうね。
Windowsで一つだけ優れている点はフォルダの中身のサムネイル画像やファイル情報が即座に見られること。MacOSの次期バージョンTigerでこれが実装されたら鬼に金棒なんだけどな。ジョブズさん、お願いします。
皆さんはどうしてMacを使わないんでしょうね。Windowsに慣れているから? 職場で使っているから? 職場で使ってまた家でもつかうわけ? まあ慣れたものを使うのは当然なんでしょうけど・・・。
私は別にMac万能論者でもMac信者でもありませんが全体としては現在はまだMacを勧めますね。少数派のOSにしては素晴らしく良くできているし、使い勝手はWindowsをはるかにしのいでいます。さらにディスプレーの美しさは驚嘆に値する。えっ? いつの間にかMacの宣伝になっている? ・・・ホントはもっとやりたいんだけど我慢しているのです!!




  8月7日 (土)
昨夜まとまった雨が降りましたが、朝は青空が広がって空気がとてもおいしく感じました。ところが午後からしだいに曇って3時過ぎには激しい雨。昨日に引き続きまとまった降雨がありました。長い日照りのあとのこうした雨はほんとうにうれしいものですね。
今日は隣町の穂高町の花火大会の日。一時は開催が危ぶまれましたが、幸い夕方には雨もあがり無事実施されたようです。家からは見えませんでしたが、音だけはきこえましたから。ちょっとだけ車で農道まで出てみましたら遠くに打ち上げや仕掛けの上の方が見えました。
稲も穂をつけはじめ、こちらはお祭りや花火のシーズン。テレビではサッカーアジアカップで日本チームの優勝の報。さらにオリンピックの選手団の出発、高校野球の開幕・・・何となく華やかな気分になってきます。




  8月6日 (金)
合宿中の小6・中3のみなさん元気にやっていますか。昨日は皆さんの顔が見られてとてもうれしかったです。今日はMNEMO先生あてにこのページのアドレスをファックスしましたから何人か見てくれているかな。写っているか心配だった写真も私を除いてみんないい顔をして写っていたから一安心。あと二日がんばってください!!

こちらは明日が七夕さまなんですね。旧暦です。いつも我が家に遊びにきている小一の子のおばあちゃんが「七夕まんじゅう」をつくったからと、ほかほかのまんじゅうをたくさん持ってきてくれました。私の好きな粒あんで、ほどよい甘さの素朴な「おやき」風まんじゅうです。
近くには小さい子がたくさんいるので、家の玄関には短冊をたくさんつるした竹が飾ってあります。昔をなつかしくおもいだしました。


夜8時過ぎから本格的な雨になりました。時折雷鳴が轟いてかなり激しく降っています。本当に久しぶり。これで作物や果樹は生き返るのではないかと思います。何しろ我が家の庭の半分ほどを占める雑草が赤茶色に焼けて枯れていましたから相当な日照りでした。毎朝・毎夕水遣りをしている野菜畑は問題はありませんが、それでも菜っ葉類はかなりダメージを受けていました。ようやく収穫したキャベツの葉は固い固い。バリバリしています。やっぱり降るときには降ってくれないと大きな農場を経営している農民の方にとっては大打撃ですから。


さて、今日は広島の被爆から59年目の日。この間は私の人生とほぼ重なります。かつて教師をしていた頃、広島の平和団体や高校生が取り組んでいた原爆瓦の発掘活動に触発されて瓦を送ってもらい文化祭で展示したり原子力発電所に行って取材をするというような活動を熱心にしていた時期がありました。焼けてぶつぶつになった瓦。焼き物の瓦でさえそうなのですから、人間ならば焼けこげてしまう高温です。実物はどんなものより雄弁でした。
恐怖の均衡といわれた「核抑止力論」そのものはソ連の崩壊で薄れたかに見えますが、形を変えて根強く生きています。たとえば北朝鮮の核開発の疑惑に対して世界世論で抑止をしていくのではなく、米国の核に依存しつつ自前の軍事力を高めて対抗する・・じつは対抗ではなく、それを利用して軍備の強化をするというように。これは支配者・権力者の論理であり、軍事産業・死の商人の論理です。アメリカの「先制核攻撃戦略」によって、核兵器が現実に使用される危険はかつてなく高まっています。大量破壊兵器の保持者はイラクのフセインではなく、過去も今もアメリカでありロシア(旧ソ連)なのです。その手をしばり、核兵器の完全廃棄を実現させるまで、たとえどれだけ長い道を歩まなければならないにしても、戦い続けなければなりません。


  8月5日 (木)
今日はかねてから計画していた旧職場の志賀高原合宿への陣中見舞いにでかけました。蓮池のすぐ近くにあるホテルまで約1時間半。約100kmだから近いといえば近いし結構な距離があるといえばそうなのですが、同じ長野県だしどうしても元同僚やかつて教えた生徒たちに会いたかったので思い切って出かけたという次第。
ホテルに着くとちょうど昼休みだったのでうまくみんなの顔が見られてとてもうれしかった。きょとんとしている生徒やきゃーとびっくりしている生徒まで反応はいろいろ。しかしみんな喜んでくれて大変感激でした。そのときのスナップをここに収録しました。合宿はまだ始まったばかり。もう疲れたと言っていた生徒もいましたが、心の中ではよし!!と思っていることでしょう。一人ひとり、きっとよい成果が得られると確信しています。




  8月4日 (水)
天気が下り坂という予報だったのに池田町は上り坂。ちょっとだけ雨がパラついたと思ったら昼からは猛烈な暑さになってしまいました。明日は台風の影響で曇りか雨ということのようですが。土地・家屋の相談ではじまり、明日から母がでかけるショートの準備で終わる慌ただしい一日でした。その合間に「ロード・オブ・ザ・リング3」を見て・・・と。
ニュースは腹立たしいことばかり。2家族7人殺害事件、四国での豪雨被害、またまた台風の上陸、年金法についての自公の傲慢で驕り高ぶった姿勢、都教委の日の丸・君が代をめぐる処分者の研修強行・・・しかし、その中でも現在広島では原水爆禁止世界大会が開かれて核兵器廃絶への意志を固めていますし、水害地では被災者や自治体関係者・ボランティアの方たちの復旧にむけた奮闘が続いています。マスコミ9条の会の結成も伝えられています。目をしっかり見開いて必要な情報をつかんでおく必要を痛感します。

さて、個人的なことになりますが、新しい土地の手付けを終わりいよいよ宅地造成工事が始まります。もともとここは農地でしたから宅地への転用の申請・許可を得る必要がありました。それらの手続きも終わって土地売買の契約に移ったというわけです。私と母、それに現在富山にいる妻の3人にとっては安曇野での第2ステージを準備する段階に入ったという次第。予定よりもはるかに早く準備が進行しつつあります。
今後は土地の取得から住宅の建設までできるだけ詳しく報告し、全国の安曇野暮らしを考えている方の参考になるようなコンテンツをこのホームページ上に作りたいと思っています。あまりプライベイトなことは書けませんが、必要な情報は書いていくつもりです。ご期待下さい。もっとも都会からいろんな動機で田舎暮らしを指向し安曇野ライフを築こうという人たちは増加の一途をたどっており、ホームページも増えつつあります。また池田町でも県外から移住した人たちの住宅が高台に結構建設されています。大抵おしゃれな洋風あるいはログハウス風の家でどんな生活を望んでいるかが伺えます。やはり「よい空気と水、自然の恵み、北アルプスの景観」という点に尽きるでしょう。
私自身の基本的な考え方もそれと大差はありませんが、ただ家を作る上で、それは自己目的ではなく地域のなかで生きる・・つまり自然とだけではなく地域の人たちとともに生きるという視点を大切にしたいと思っています。昔からの風習などはまだ強く残っている地域ですが新しい考え方との共存はできるはずです。それらを避けて、勝手な生活をつくるというのは決して田舎暮らしにはならないでしょうから。おとなりの穂高町では「ゴミ」の出し方一つをとっても、ルールを守らずひどい出し方をする人たちがいるという嘆きを聞いたことがあります。観光をウリに地域を活性化させることも大切ですが、あくまで地域の人々の生活の流れ・結びつきをより強固なものにすることを忘れてはならないと思うのです。


  8月3日 (火)
昨夜から娘と孫が来ていたので朝から忙しい一日でした。
二人は庭でカエルと戯れるのが楽しくてしようがないらしく、おしっこをかけられながらも手に青ガエルを乗せては喜んでいました。またカタツムリをみつけて水をかけ涼しい環境にしたところ首を出して這いはじめたので喝采。初めて見る実物にこれも楽しそうでした。
今回の訪問のメインは「桃狩り」。近くの農家の好意で食べ放題・摘み放題を体験することができ満足でした。猛烈な日差しをものともせず、たくさん取り食べて満足して帰ってきました。あはは、下にあるのは私と孫および一緒に行った近くの子の写真です。何とも田舎っぺの私になりましたね。もとからそうだった?・・・・


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民主党の岡田代表がワシントンで講演した際に「憲法を改正して国連安全理の明確な決議がある場合に、日本の海外における武力行使を可能にし、世界の平和維持に日本も積極的に貢献すべきだ」と発言したことが民主党内でも波紋を広げているようですね。一応は「集団的自衛権の行使を広く認め、自衛隊が米軍との共同した軍事力行使を世界中で行えるようにすべきとの意見には反対」との姿勢は示していますがどれほどの違いがあるのか全く釈然としません。
国会開会日に欠席して、米国で改憲発言をしたことについて「党の憲法調査会の意向をふまえたものだ」と釈明をする場面がテレビで映し出されていましたが、誰よりもこの発言を歓迎したのは政府・自民党でしょう。細田官房長官も「思い切った発言だ」と高く評価しているのですから。自民党以上にタカ派の議員を抱えている民主党ですから、こうした発言がでても不思議ではありませんが、焦点は明らかに9条改憲であり、戦える軍隊をめざすということです。いかに「国連決議」を持ち出そうとも、現行憲法では戦争できないからこれを変えて戦争ができる軍隊を持つべきであるという論理に立っていることは明白です。だとすればいかに「平和」を口にしようが実態は「戦争」への突破口を開く発言であるという点で、まさに許し難い発言だといわなければなりません。侵略する側の論理は「侵略をするために戦争をする」には決してならず、つねに「平和のために戦争をする」のです。
米国が国政世論を無視してイラクへの武力侵略をおこない、そのほころびを自らの主導権を確保した上でのイラク多国籍軍にゆだねました。これは安保理決議に基づくものです。世界の現実の動きというのはこのようなもの。
日本国憲法は武力ではなく平和的な手段で紛争を解決するという方向をしめしており、これは国連憲章の精神とも合致するものです。従って岡田発言の構造は自衛隊の海外出兵・参戦を可能にするために、国連安保理による武力行使を期待するというものにならざるをえません。それゆえここに自民党以上の危険性を私は感じるのですが・・・。
彼らが競って改憲の発議をしようとしている2007年まであと2年余。無数の血であがなった平和指向の日本国憲法をわざわざ戦争指向の憲法に変えるのをみすみす許すのですか。




  8月2日 (月)
早朝は肌寒いほど。日が高くなってもカラッと晴れ上がって、これこそ夏空という青い空が心地よい風を呼び込んで広がっていました。久しぶりに見る北アルプスの全景。こちらもかつて見たあのなつかしい夏山の装いでそびえていました。そういえば昨夜の満月の明るかったこと。どこかで煌々と明かりをつけているのかとさえ思え、思わず窓を開けてしまいました。
午前9時過ぎビデオを返しに豊科インター入り口のHEIANDOまで行ってきました。途中クラフト・パークに寄ったり馬の国に寄ったりしてあれこれと写真撮影。久しぶりにいろいろなシーンを撮ることができました。表紙の画像もその一つです。
クラフト・パークには、すでに小学生6年生とおぼしき20〜30人の生徒たちが集結。パークの係の人の指示でこれからの作業について説明を聞いているところでした。付き添いの先生がその係の人にもらしていた言葉・・・「こんないい空気吸っていい環境に住んで、そりゃ長生きするわな。横浜じゃ、こっちはいつも排気ガスすってんだから」・・・そうですか。横浜から修学旅行ですか。係の人によるとどうやらこれから芋掘りとかそば打ちとかの実習をするらしい。まれに見るいい天気に恵まれてよかったですね。
途中には波田からスイカを売りに来ている道路脇のお店によって一つ買いました。朝7時頃から店を広げているのだそうです。見事なスイカが山のように積まれてまさに夏の風物詩。宣伝しておくからね、と言って写真を撮らせてもらいました。買い求めた大きなスイカは今晩から「桃狩り」を目当てにやってくる娘と孫へのおみやげです。


そうこうしているうち、一本の電話が。ああああ忘れていた。今日から宅老所を週2回にして月曜日も頼んでおいたんだった。完全に忘れていた。そういっても昨晩遅くまで起きていた母はまだ熟睡です。12時をまわってようやくお目覚めの母を着替えさせ宅老所に直行しました。私の頭のカレンダーはまだ7月でした。
帰ってから部屋の大掃除。あちこち出しっぱなしのパソコンのパーツなどを片づけたり丹念に掃除機をかけたりして、ようやくさっぱり。おかげで読書などはさっぱり。


  8月1日 (日)
今日は朝から集会所の周りの草取り。町内総出でやるのであっという間に終わってしまいます。草取りの後、集会所の「シロアリ」被害の実態について説明がありました。予想を上回る被害状況で、部分的であるにせよ柱や梁は中が完全に空洞になるほどに食われており「シロアリ」の恐ろしさを実感しました。このシロアリは蟻塚をつくらないで集団で移動するという話ですから、これはいま借りている我が家もしらべてみないといけないことになりそうです。当面はとにかく薬剤を散布して駆除することになりました。
その後は我が家の庭の除草。こっちの方が面積も広いし茂り方も尋常ではないので、少しずつやっていくしかありません。前にも書いたように、こっちを終わればあっちが茂るという調子でいたちごっこ。草が茂っていると逆に気温も和らげられるという効果もあって芝生代わりになるくらいに根を残しているので、いずれまた除草しないといけません。

ところで、ニュースによれば来年度の予算編成に関して、ついにというべきか予定通りというべきか「介護保険」の改悪に着手されそうな雲行きです。保険料徴収の年令の引き下げはさすがに見送りということのようですが、これもどうなるか。問題は介護料の負担割合です。現行では1割負担ですが、これをさらに引き上げることにするか、または介護の種類によって2,3割負担とするということが考えられているようです。私の考えでは3割負担まで持っていきたいのでしょう。年金と同様で高齢者が増えるからという理由ですが、現行でさえ高くて利用料が払えず、やむなく利用を抑えている人が多いというのに、さらに負担割合が引き上げられればおそらく利用したい人が利用できず、比較的余裕のある人だけが利用するという差別的な制度にならざるを得ません。
母の介護を通して感じることは、制度を利用することによっていろんな人と交流もできて刺激を受けられることは思いのほか精神的にプラスに作用します。また当然のことながら介護者の精神的・肉体的な負担の軽減はこの制度の根幹ともいうべき重要な点だと日々認識させられています。その意味から、現在のような高齢化社会の中でこの介護保険の果たしている役割は極めて大きいのです。もっと利用しやすい制度に改革することや介護を提供する人たちも働きがいのある制度へと充実を図っていくことこそ政府のなすべきことではないのでしょうか。料金の高さゆえに利用できなくしておいて年金からも介護保険料をとりあげていく。これを「やらずぶったくり」と言わずして何といいましょう。




"Stardust" by Mr.Blue Piano Man


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