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  9月30日 (木)
またまた台風の上陸。三重県など関西、四国を中心に集中豪雨の大きな被害が報告されています。「こんなことは初めてだ」という声がテレビで流れていましたが、かつてない記録的な豪雨のようです。アメリカ南部でも女性の名前のついたハリケーンがいくつも上陸して大きな爪痕を残しているようだし、世界的にこうした現象が強まっているのでしょうか。心配です。
こちらは昨日は一日中雨で、外に出してあるバケツに雨水があふれていました。まともに上空を通過していったためか幸い思ったほど風の被害はなかったのでよかった。もっとも寝ていたからわからなかっただけなのか。庭の野菜もしっかり立っていましたから山に遮られて風は強くなかったのでしょう。今日の昼前になって北東の風が強く吹き始めています。
窓をあけると刈り穂の香りなのか、わらを焼く匂いなのか、それとも土の匂いなのか、まぎれもなく田舎を連想させるあの粒子が押し寄せてきます。ふと私の記憶がくすぐられ、小さい子どもの頃に母や祖母に里帰りでよく連れていってもらった石川県松任市の農家にタイムスリップしてしまいます。
大きな屋敷の土間に積まれていたわらの乾いた匂いや、いろりの中にくべられた木ぎれから出る煙の匂い、それらが一気によみがえってきます。これらにつられて浮かんでくる子どもの頃のイメージはまさに私の原風景ともいえるもので、確かに今に息づいていると強く感じるのです。5,6歳から12歳くらいまでの体験は貴重ですね。小さい頃のさまざまな体験を是非とも大切にしたいとつくづく思います。





  9月29日 (水)
次は読売新聞の28日の報道です。
町村新外相は28日、外務省で読売新聞社などのインタビューで、小泉首相が国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指す方針を表明したことに関連し、「日本の国際的な平和活動を明確に位置づけるためには、憲法を改正した方がいい。常任理事国になった時、紛れのない形の憲法にしておいた方がいいという意味で、憲法改正はすべきだ」と述べた。憲法を改正した上で常任理事国入りするのが望ましいとの考えを明らかにした。
昨夜のテレビニュースでも靖国参拝について、「外相として参拝するかどうかは別の考えがあっていいかもしれない」としつつも「国のために命をささげた方々の慰霊をする、恒久平和の努力を英霊に誓うのは当然の行為だと思う」と”確信を持って”語っていましたね。アジア各国からの猛反発を受けて立つつもりなのでしょう。何しろ青嵐会でいらっしゃいますから。
今度はAsahi.comから。
大野防衛庁長官は28日、集団的自衛権の行使を禁じてきた政府の憲法解釈について「衆参両院の憲法調査会で十分議論してもらいたい。集団的自衛権を行使できるように解釈を明らかにしてもらいたい」と述べた。
大野長官は「憲法解釈で(集団的自衛権行使を)やれというのは少数派。国民の支持をいただき、(衆参の)憲法調査会できっちり議論したうえで判断すべきだ」と述べ、憲法改正が前提との考えを示した。


武部勤・自民党幹事長は昨夜の朝日系のニュースショーで古舘さんから「サンドバッグ幹事長と言われているが」と揶揄されながらも「何を言われようが我慢するところはして庶民感覚を忘れないでやっていきたい。郵政民営化に断固取り組む」などと決意表明をしていらっしゃいました。
一昨日の安部幹事長代理の話題から一転して今度はKOIZUMI首相の「盟友」山崎拓・前自民党副総裁の首相補佐官への起用が話題にもなっていましたね。KOIZUMIさんは「何か難しい問題があると拓さんの顔が浮かび相談をしたくなる」のだそうです。大統領補佐官ならぬ首相補佐官ですか。何のこっちゃ。
ここでこうして書き連ねるのもアホらしいのでもうやめますが、こんな面々しか閣僚にできないということでしょう。政治信念も風格もあったものではない。あっちこっちから総崩れになって早期に退陣というのが関の山かもしれません。

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お向かいのOさんが、いっしょに勉強を始めた英文を2ページくらい予習したとおっしゃっていたので、昨夜は焦りまくって必死で予習をしておりました。難しくてさらにすすまない。クソ





  9月27日 (月)
「サプライズ人事」だとか「サプライズ・セール」だとか最近やたらと目につくこの「サプライズ」。この言葉自体は昔からあったわけで別に目新しいものではないのでしょうが、Koizumi流サプライズになってから自己顕示欲というかびっくりさせてやるとかという下心が実に「いやみ」なニュアンスを持って聞こえます。何でこんな言い方をしないといけないんですかねえ。
大分古くなりましたが、Julia Roberts, Hugh Grant主演の「Notting Hill」の一場面に、彼女のもとへ突然訪ねてきた元恋人が "Tell me, tell me! Good surprise or nasty surprise?" と聞くところがでてきます。彼女はつい "Good surprise.”と答えてしまうのですが、我がKoizumiさんも当然ながら同様の答えを期待しているのでしょう。一体国民がびっくりするとでも思っているのでしょうか。こんな茶番を「サプライズ人事」などと持ち上げるマスコミの方が Nasty surprise! です。アホな日本語をはやらせないでください。
先ほどからテレビのニュースはもっぱら改造人事の話ばかり。三役人事が終わって組閣に入る段階のようですが、マスコミの関心は三役ではなくむしろ「幹事長代理」にあるらしい。さきほどもテレビに登場したAbe前幹事長、「幹事長と代理とどう違うのか」「選挙の敗北の責任を取って辞めると言っていたんじゃないのか」と聞かれて「降格ですから」「小泉さんに協力して自民党の改革を進めるという気持ちには変わりがない」と平然とおっしゃる。
「次期首相は安部さんだという噂があるが」と聞かれ「議員になったら誰でもいずれは首相にと思っている」と一般論でその気十分であることをにじませながら「自分はまだその任には堪えられない」などとご謙遜。
安部首相、石原都知事となればこれは明確に改憲・軍事帝国日本の布陣でしょう。じわりじわりとそこに向かっていることを痛感させる内閣改造劇です。



午後から造成中の土地を見に行ってきましたら、今日も社長自らシャベルカーを運転してブロックの仕切の工事をしている最中でした。ほんの数分でしたが立ち話をすることができました。私からは先日行われた講演会(社長が司会をされた)の記録があれば見せてほしいと頼んだところ、ビデオもあるから都合するよと快諾していただきました。これは町づくりをテーマにした興味深い講演会で是非行きたかった催しだったのでうれしかった。
一方社長からは、商工会の建物を利用して塾を開こうと思うがやってみる気はないかという話がありました。かねてから話は聞いてはいましたが、かなり具体化し始めているようです。私でできることであればいくらでも協力するよと返事をしておきました。やるならちゃんと運営して町の小中高生のレベルアップに役に立つ塾でないといけませんからね。あらためて詳しい話を聞くことにしました。





  9月26日 (日)
夕方母といっしょに久しぶりにおやき村におやきを食べに行ってきました。オリジナルの「臥竜庵おやき」は堅くてでかいので母には不向き。そこでいつも小さくて食べやすい「小川の庄」のおやきを注文することになります。
食べながらお店の人と話をしているうちに栗拾いの話題になりました。数日前に近くで拾ってきたという話をしていたら、その人のうちにも栗の木があって田んぼの真ん中で毎年ほったらかしにしているんだという。話をしているうちに、その人、急に今から行って見てくると言い始めた。仕事も終わりなので家に帰るついでに見てくるというので、母をおやき村に残して(お店のおばさんに相手をしてもらって)いっしょに行ってきました。
確かに田んぼの真ん中でやや小ぶりの木。それでも沢山の実がなっていました。手入れをしていないというだけあって草は生え放題なので取りにくいことこのうえない。草を分けつつ30分ほど奮闘してそれなりに拾うことができました。いつでも取りに来ていいよとお店のマスター。とても親切にしてもらって、今では大切なお友達の一人です。
というわけで、またまた我が家は栗のオンパレード。さきほどから昆布でダシを取り醤油・塩・みりん・酒で味をつけ、具(椎茸とマコモ)を下ごしらえし、栗は固ゆでにして準備。それらをまぜてただいま栗ご飯を炊き込み中です。さてどんな味になることやら。楽しみです。ほかほかの栗ご飯・・・あ、ヨダレがでてきた。

話は変わりますが、つい先日からお向かいのOさんと英語の勉強を始めました。一週間に一回くらいのペースで「A Secure America in a Secure World」というアメリカのリベラル系研究団体FPIFの論文を読もうとしています。先日は第一回目で進んだのはわずか半ページ。鈍った頭にはたいした労働です。時事問題にまともに挑戦しようという大胆な試みなのでいつ挫折するかわからない。「とにかくまあ、あんまりあわてずに、ゆっくりのんびりやりましょう」と二人で話しておりました。
この論文、冒頭から「ブッシュ政権の対テロ戦争はリーダーシップの大きな誤りを示していると同時に、アメリカ国民を安全にするよりもさらに攻撃を受けやすくしているのだ」と断言するなどなかなか骨のある文章です。それゆえこっちの骨が折れる。いざとなったらMNEMOさんやMikeにすがりつくという手があるので気分は楽です。
しかし何と言ってもOさんの意欲はすごいですね。たじたじです。私より20歳以上も上(!!)ですし英語では先生ですから、しっかり予習しないといけません。神奈川の受験生のみなさん、しっかりやりましょうね。

ここまで書いているうちに、炊けました!栗ごはん。ちょっとお釜の中を覗いてみましょう。つまみぐい・・・うま〜〜〜い。ここへいらっしゃるなら明日の午前中ですよ。みなさん。





  9月25日 (土)
娘夫婦にパソコンを一台プレゼントしようと数日前から組み立てていたものがほぼ完成したのですが、昨日になってキャプチャー・ボードを取り付けようとしてどうしても音声を認識させることができません。何度もドライバーを組み込もうとしてもうまくいかず、挙げ句の果ては「システムの復元」でDVDやCDのドライブまで認識しなくなりますます泥沼に。結局再度最初からシステムを入れ直す羽目になってしまいました。
昨日はそのためにほとんどかかりきりになって一日がパー。夜遅くになってようやくインストールが成功しました。今度はパーフェクト。何でも来いの強力マシンを完成させることができました。もうこうなったら意地ですね。ふ〜〜。
なんだか一日パスしてしまったような気分で、さっぱりしない。そこで母が寝ている隙に、土地造成の進捗状況を見に行ってきました。今日は工事は休みなのかシャベルカーやダンプが無造作に置きっぱなしになっていました。もう隣との区画もわかるくらいに造成がすすんできました。後ろ隣の宅地との境界は1メートルほどの段差になりコンクリートで固めてしまうことになっています。まだ土を削っただけですが、これからその工事にかかるはず。
写真を撮ろうと山の方を見ると大きな栗の木が一杯実をつけていました。近づくと下はイガイガだらけ。ちょっと分け入ると沢山栗を拾うことができました。たいていは虫が食っていますが中には落ちたばかりの大きなツヤツヤした栗が混じっていて、ヤブ蚊に刺されながら30分ほど漁りまわって両方のポケット一杯とってきました。さて、皮をむいてみてどうなっているか。半分ほども食べられるようならまた行ってこなければ。至る所に栗の木があるのでだ〜れも見向きもしないのかしらね。もったいない。


夕方、約2時間ほどかかって栗の皮むき。何度やってもこれはしんどい仕事です。おいしいものを食べるにはそれなりに努力をしなければいけないってわけですね。虫の入っている栗はほんの数えるほどしかなく、それはそれは見事な栗ばかりでしたよ。もうけものでした。この渋皮むきを考えるともう一度行ってくるのもちょっと考えもの。ぜいたく・・・ですか? 都会では高い栗を買って食べているというのに・・・そうですよね。
栗の話はそれくらいにして、今度は我が家の菜園の近況。
キャベツやブロッコリーはもうかなり大きくなって青虫の運動場と化しています。毎日青虫をつまんで捨てるのが私の仕事。モンシロチョウというヤツは年中卵を産んでいるんですね。節度というものがない。なになに?人間の方がもっと・・・だって? そう言われればそうだね。
先日サツマイモを掘ったあとに植えた白菜も順調に育っています。今日はその横に大根の種まきをしました。種をまくにはちょっと遅いのですが、直売所であれこれ探しまくって一番合いそうなものを買ってきました。さらにその隣(もう終わりになるオクラのあと)には、近く野沢菜の種をまく予定です。いよいよ冬に備えた菜園になってきました。






  9月23日 (木)
ヤンキースタジアムでの始球式に臨んだKOIZUMIさんのはしゃぎぶり。パラオに演説時間を代わってもらってまで初日に常任理事国入りをしつこく訴えたKOIZUMIさん。英語で堂々と(得々と?)演説してなかなかカッコよかったですよ。
毎日新聞は社説で「条件は整った。常任理事国入りの支持固めよ」と最大限の賛意を表明。もう常任理事国入りが当然のような論調です。
しかし毎日新聞は同時に次のような事実も報じています。「日本などの意気込みとは裏腹に、国連周辺の反応は冷めている。ある国連職員は『常任理事国になって何をやりたいのか。メッセージが見えてこない』と言う」
今までも援助を「えさ」にして各国の支持をとりつけ常任理事国入りを執拗に追求してきた日本政府ですが、国際的に冷めた目で見られる原因が少なくとも二つあるのに日本政府は気にかけようともしない。KOIZUMIさんがどんなに身振り手振りで大国ぶりを訴えようが、それほど甘くはないと知るべきです。
第一は日本が引き起こしアジアの人々に甚大な被害を与えたあの戦争に対する無反省です。ナチス追求の手をゆるめないドイツとは全く異なり、A級戦犯は野放しで侵略戦争に対する反省のかけらもなく、靖国神社参拝を強行し続ける現職首相をいただき、さらに閣僚からアジア蔑視の発言が相次ぐような日本政府に果たして常任理事国入りの資格があるのかと問う厳しい目です。これはKOIZUMIさんたちには理解できない。
第2は、「どこまでもついて行きますブッシュさん」というKOIZUMIの政治姿勢ではアメリカが二つ議席を持ってしまうようなものだという見方・警戒感が国際的に共通していることです。これも彼らには見えないし、理解できない。パウエルさんが「イラクには大量破壊兵器はなかった。今後も見つからないだろう」と公式に明言しても「おいらはそうは思わない。だって昔フセインが使ったことあるもん」と、まあ恥ずかしげもなく言い放つ我がKOIZUMIさんですからね。こっちまで顔が赤くなってしまいます。「アメリカの援助があったからできた」とどうして言わないんだろうね?? 人間は自分に都合の悪いことがあると意識的に記憶から抹殺する場合があると何かで読んだことがあるけど、それかな。
さて、KOIZUMIさんがこれほどにいま常任理事国入りを急ぐ理由は何か。「平和憲法のもとで」とか「改憲論議とは切り離して」と言えば言うほど、意図が透けてみえてしまいます。
常任理事国になれば「国際貢献」という大義名分も国内ではこれまでとは比較にならないくらい大きな力を持つ。堂々と自衛隊を世界中に派遣できます。なぜならイラクに行っている自衛隊も「武力」ではないのですから。常任理事国入りをすればイラク派兵の比ではありません。そのうち、もっともっとということになる。そして、国際紛争に責任を持って対処できる常任理事国にはそれにふさわしい憲法が必要だいう方向に国民を誘導できるんですもんね。これは魅力です。保守政権のみなさんはいま常任理事国入りのそうした甘い誘惑にほとんどうっとりしているのではないでしょうか。

写真は収穫した「モロッコ(蔓なしインゲン)」の上で威嚇ポーズをとる大きなカマキリのお母さん。実はお願いしてやってもらいました。「やらせ」ですかね。
おなかに卵をいっぱい持っていますから、ちょっと手を出すとすごい剣幕でとびかかってきます。何度も挟まれたり噛みつかれたりしながらの「突撃取材」でした。母は強し。






  9月22日 (水)
昨日からやっていたこと。ええとですね。そうなんです。やっぱりPC。また誰かさんに言われそうですね。ただし、今度は我が家の基本設計なんですよ。
前に土地造成に当たって敷地をどこにとるかということが問題になり、そのためにだいたいの間取りのスケッチを描いて建設会社の担当者に専門的な立場からの図面描きをお願いしていたのです。社長さんに聞くとプレゼンテーション用の図面はおおよそできているのではないかという話だったのですぐに担当者に会いにでかけました。
事務所では若い建築士の方がパソコンを使って平面図や立体図を駆使してできあがりを説明してくれました。CADソフトではなくホームデザイン用のプレゼンテーション・ソフトだったので、立体的にもわかるようになっておりなかなかの見栄えでした。しかし、はじめの自分のプランではどうも納得できない部分が多くて、さらに持ち帰りで検討することになりました。
図面のコピーをみているうちに、こうなったら私も同じソフトで設計してやれという気持ちが俄然わいてきて・・・・あとはもう実行あるのみ。
私はWindows用のソフトは持っていなかったので、そこは抜け目なくこっそり盗み見てきたソフト名を頼りにウエブサイトで検索しました。あったあった。
ところが彼が使っていたのはさすがに「3Dマイホーム・デザイナーPro」という・・万円もする業務用のソフトでありました。しかたなくそれはあきらめ、同じメーカーの廉価版「3Dマイホームデザイナー2004」というやつをダウンロードで入手してさっそく我が家を作り始めたのでした。
このようなソフトで我が家を設計するのは初めてでしたけれど、扱いは容易でついはまってしまいました。建て付けや家具類の配置はなかなか思うようにはいきませんでしたが、ぺたぺた部屋を貼り付けてつくった平面図が直ちに3Dになるのはおもしろいし画期的なことです。イメージしていたことをより正確に具体化できますからね。
というわけで、まだ作成途中ですが、一日目の成果をご披露いたします。こうやっていろいろ考えているときが一番楽しい時期なのかな・・・。




  9月20日 (月)
敬老の日。ふつうに一日が過ぎていきました。一般に痴呆の症状は人それぞれでしょうが、並の判断力を持っている人間から見ると全く理解できないことを次々とやってくれるんですね。
最近目立った行動は唾を手につけてテーブルに塗りつける。ちょっと目を離すとテーブルがべたべたになっています。放っておくと異臭を放つのでこまめに拭くしかありません。テーブルだけならいいんだけれど、それが手にもどり服につき、結局あちこちべたべた。
今日はもうたまりかねてテーブルに七味唐辛子を撒いた。これを舐めればさすがに懲りるのではないかと考えたわけです。敵もさるもの、赤い粉末を一カ所に集めて知らん顔をしている。舐めてもあまり辛い顔をしているわけでもないし、まるで効果が見られないのです! 実は、私が生まれて間もない頃、母が私を乳離れをさせるためにおっぱいに唐辛子を塗ったという話をかつて聞いたことがあったので、そのお返しのつもりだったんですが・・・・。
「介護」という言葉はいささかカッコイイ響きを持っていますが、なんのなんの。まずは下の世話からはじまって入浴、着替え,洗濯、食事、散歩その他あらゆる身辺の世話がからんできます。なにしろ常識の通用しない世界ですから、こちらを変えるしかない。介護の考え方、とらえ方を学ばないことにはどうにもならない。やっぱり一番難しいのは介護者の被介護者に対する介護観と接し方なんです。どうしたってこっちは常識で判断する傾向をもっているので、奇異な行動があるとそれを止めようとする。止まらないから悲しい、苛つく、時にはかんしゃくを起こしてしまう。マイナスの累積です。だいぶ慣れてきた私でもそうなんです。
「痴呆老人の権利」などと口では言ってみても思うに任せないときは「権利なんてあるもんか」という態度になってしまう。
「父や母のウンコを手でじかにつかんでも何とも思わないというくらいにならないと介護しているとは言えないね」と言うのは、我が家の造成にあたっている建設会社の社長の弁。苦労人の言葉だから実感がこもっている。これは私は合格かな。不思議と私は下の問題はほとんど抵抗がないんです。着替えていてオシコをかけられるのはザラ。たまに、オヨヨ・・・と手を差し出さないといけなくなる局面も何度か。「クソッたれ」とは思うけど(事実だもんね)、腹を立てる気にはならないです。
むしろだめなのは、食事のときに食べてくれない。薬を飲んでくれない。食べないどころかテーブルの上下に食べ物や薬をまき散らしてくれる。「どうしてこんなに散らかすんだ」というと「それはお前がしたんだ」と言ってくれる。おいしいものをつくって食べさせようとしたり、朝歯を磨いてやうとすると思い切り噛みつかれる。何をするかと頭をポカッとたたくと、うがいをした水を私に向かって吹きかける。もうガキのけんかですね。
しかし、しかしなんです。朝になると何一つ覚えていない母は私の顔をみてにっこりして「ずっとそばにいてくれ。どこにもいかないでくれ」と優しい顔をして言うのです。おそらくショートステイなどに行っても母はもっとも穏やかで朗らかで世話をしやすいタイプの人間でしょう。私だって、たいていは一緒に歌を歌ったりテレビを見たりして楽しく過ごしているのですから。前に書いたマイナス面は一日の中でもある限られた部分的な時間の問題にすぎません。それが尾をひくとすれば結局そのときの私自身の対応が駄目だからであり、私自身の中で尾を引いているのです。それが次の行動につながてしまう。
母の行動を奇異なものと見るのか、痴呆の老人にとっては必要な理由のある行動とみるのか、おそらくその一点にかかっている。見方を変えられたらどんなに楽だろうと思います。それでも、私なんか本当に楽をしています。想像を絶する世界で悪戦苦闘している人たちはどんなにたくさんいることか。そんなことも考えてみています。
山を登ったり降りたりしながら、試行錯誤の毎日。そうして迎えた今日です。
結構長い体験から、私自身介護は決して一人で密室で行ってはいけないとますます強く思っています。できるだけ専門家や地域の人の力を借りて社会的なつながりを失わないようにして世話をするようにつとめることが不可欠です。介護保険の制度のおかげでずいぶん助かっていますが問題はこれからですね。もっとも、あと半年もすれば妻が合流してくれるし、新しい家でそれなりに工夫をこらして世話をすることができるから、今よりははるかに世話も楽になるはずです。何とかがんばって楽しくやっていくことにしましょう。介護は楽しくなくっちゃね。みなさん、応援よろしく。


  9月19日 (日)
プロ野球初の選手会によるストライキ決行。選手会の道理ある要求をことごとく拒否してオーナーの立場にあぐらをかく連中にやむなく立ち上がった選手たち。その先頭に立つ古田さんの何と素敵に見えることか。野球を知らない私でも感激してしまいますもんね。こんなにファンに支持され包まれて決行するストライキって前代未聞です。
スト前日、交渉が決裂した夜の筑紫哲也さんの番組に出た古田さんを見ました。例によって渋いスーツ姿の彼。何度も何度も「ファンの皆さんにすまない」と繰り返す古田さん。そんなに言わなくってもいいのに。
「見通しはあるんですか」と聞く筑紫さんに、「あります。あると思うからこうしてやっているんです」と言い切った古田さんのまじめな顔。正直で誠実で控えめで、しかも選手としては超一流。ほんとにかっこいい。

私は思うんです。このストライキを支持するファンの気持ちはハンパじゃないぞって。それを見守る目には野球を心から愛する人々の熱い思いがこもっていることは言うまでもないでしょう。同時に、ひょっとして、これまで大企業によってスト権を蹂躙され、陰湿にいじめられ、いいように「リストラ」され、こき使われてきたお父さんたちの憤怒がこの支持にはこもっているんじゃないか。就職しようにも門前払いをされ、しかたなくフリーターをして糊口をしのぐ若者たちの恨み辛みがこもっているのでは。大会社に下請け単価をどんどん落とされ無体な納期の要求を飲まされて挙げ句の果ては自殺にまで追い込まれた中小企業の経営者・労働者の怨念が下支えしているはずだ。お父さん・お母さんが寝る間もなく必死で働いているのを見ている子どもたちの悲しみと涙がこもっている。
ことばをかえると、労働組合・プロ野球選手会と有名企業の経営者連中とのこの対決は日本の全勤労者と日本の大企業経営者との対決なんだ・・・私はそのくらいに思えてならないのです。
日頃からやり場のない不満、怒りを結局は酒でごまかしたり無理に忘れたりしていたから、せめて愛する選手たちのまともな願いは応援したい・・彼らはおいらたちのヒーローなんだ、やるならトコトンやってほしい・・・熱い激しい思いが渦巻いてこれほど分厚い支援の輪を形成しているのだと、そんなことをつらつら考え一人心を燃やしておりました。その思いがここにちょっとこぼれてしまった、かな。

トップ・ページの写真はお隣の庭先で咲き始めた「紫式部」。


  9月18日 (土)
今日・明日と近くの神社のお祭り。あいにくの小雨まじりですが、にぎやかな音が聞こえてきます。お向かいの方は総代になっているということで朝から出かけ忙しそうでした。何とか雨がひどくならずに無事終わってほしいものです。残念ながら神社まではちょっと遠いので母を連れて見に行くわけにもいかず、音だけ聞いて何となく華やかな気持ちになっています。前に神社の草取りをしたときに痛めた腰がまだ十分でないのも動きたくない理由の一つですが。

先日近くの中学で病欠の先生が出てその代わりにという話があったのですが、結局フルタイムでないとまずいということになり、別の人に決まったようです。近くで条件を満たす塾の講師の口ってなかなかないものですね。おかげでしばらくは失業保険で食いつなぐことになりそうです。
ただ、現在はお向かいのOさんのお口添えで近所の方の中学生と高校生のお子さんに数学の手ほどきをしています。中学生の男の子は3年で受験生。お姉さんはある進学校の一年生。久しぶりに数学の顔を見て、前の塾でのことがなつかしくなってしまいました。
中学生の男の子には、合格したら一緒にPCを一台組み立てようと約束したら俄然やる気になってくれています。高校生の子は将来国公立(もはやこう呼ばないのかな)の難関校を目指すと心に決めているようなのでたのもしい。
私も安穏としておれないと思い、今朝Oさんとコーヒーを飲んで話をしていた折りに英語を教えてほしいとある論説文のコピーを示しながら切り出しました。「教えるというほどのことはできないが、一緒に読むことなら」との返答を得て、とりあえず不定期に一緒に勉強会をすることにしました。固い頭がやわらかくなるでしょうか。皆様、期待せず見守ってくださいませ。




  9月17日 (金)
小さい命がいとも簡単に奪われていくというニュースを耳にするにつけ、いたたまれない気持ちになります。栃木県の事件で、幼い兄弟が容疑者の男性から虐待を受けていたことを警察も含めて周りの人が十分知っていながら、最悪の事態を防ぎきれなかったことは何といっても悔やみ切れません。
厚生労働省が統計を取り始めた1990年とくらべて現在では相談件数は20倍に増えているといいます。潜在的にたくさんあったものが社会的な批判の高まりで顕在化してきたともいえますが、昨今の状況を見てもいっそう増加し続けていると思わないわけにいきません。
子どもに対する虐待だけでなく老人に対する虐待もまた深刻な様相を呈しています。本当に胸が痛みます。
今回の事件のようなケースは、突出した出来事といえなくもありませんが、その予備軍はいくらでもあるのではないかと思います。他人事ではない。私自身の体験に照らしても本当にそう思います。

私自身、痴呆が進行しつつある母の世話をしながら、信じられない行動を目にして実際に暴力的な気持ちになることがあるのです。ときどき乱暴な扱いをしてしまって、落ち込んで自己嫌悪にとらわれ涙を流すこともあることを正直に告白しますね。
だれの気持ちにも程度の差はあれ潜んでいる精神的な弱さを理性でコントロールできるかどうか、人間の誕生から死までの過程をそのまままるごと受け入れられるかどうか、まわりに批判や援助できる人がいるかどうか一つ一つが本当に大切です。
家庭内暴力の問題は潜在的には信じられないほどの広がりを持っているのではないかと私自身思います。それはある意味では密室の行動であり、当事者以外誰にもわからないことですから深刻な問題に発展しやすい。しかし、圧倒的多数の場合は最初から深刻な状態であるわけではなく、しかも私自身のように当事者は常に自分を責めているはずです。誰かに話を聞いてもらいたいと思っている。救いを求めている。しかし、いったん暴力的な感情にとらわれると自分をコントロールできなくなるのです。その前にくいとめなければならない。
社会的には企業を中心に強者が弱者を支配し従属させる仕組みーー能力主義・成績主義、リストラという名の首切り・配転、サービス残業、賃金差別などーーがいっそう強まっていますから、精神的に人間を追いつめていく社会的条件は深刻です。そうされた人間は逆に家庭内で弱い立場にある人間に不満の矛先を向けていく。確かにこれは問題のもっとも深い背景であり大いに解明され克服されるべき課題だと思います。しかし同時に、もっと広い意味で人間の尊厳とか、子どもや障害者の人権、痴呆老人の人権ということについて、社会的な教育をひろげること、社会的な合意を形成することなどの努力が必要だろうと痛感するのです。
私自身、子どもはかわいいと思うし、母のことは大切にあつかいたいと思うし、実際ほとんどの場合そうしているのですね。しかし隙間が必ずある。それは、自分では思ってもみないことが相手に起こり期待することと相反する行動をどんどん相手が取り始めるときに生じます。人間の弱さは人間の中で、つまり社会的に克服するしかありません。警察力の強化とか監視の強化は逆に問題を深刻化・密室化させる危険をはらんでいます。
一人ひとりがこの問題で発言し、共同の輪をひろげ、人間のぬくもりの感じられる地域をつくっていくことこそ、解決の第一歩ではないのでしょうか。みなさんの意見を是非とも聞きたいと思います。




  9月16日 (木)
共同通信は14日に「大量破壊兵器の発見断念」と題して次のような記事を配信しています。

【ワシントン共同】パウエル米国務長官は13日の上院政府活動委員会の公聴会で、ブッシュ政権がイラク戦争開戦の最大の根拠と位置付けた大量破壊兵器について「いかなる備蓄も発見されておらず、この先も発見されることはないだろう」と証言、事実上の発見断念を言明した。ブッシュ政権の首脳級高官がイラクの大量破壊兵器発見断念を公式の場で表明したのは初めてとみられる。

パウエルさんもかつて大見得を切った手前、このような情けない報告を迫られ、胸中いかばかりかとこちらも胸が痛みますが、カエルの面に何とかというのが我がKOIZUMIさん&自公政権のみなさん。

魚住 僕は小泉さんというのはものすごく空疎な人だと思います。頭の中は空っぽ。中身は何にもないのではないでしょうか。
佐高 加藤紘一から聞いたんですが、小泉とは議論にならないそうなんですね。「純ちゃん、それ違うよ」と言うと、「いいんだもん、俺はこれで」と。(「だまれることの責任」より)


佐高さんの言うように「小泉の思考停止状態ーー『そんな複雑なことはわからない』『俺はこれでいいんだ』という風潮に同調した方が楽ですからね」ということになるのかな。

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「うそなんかつくもんか」 (「こころのノート」1・2年より)

                かすみがせき小がっこう 一年  こいずみ じゅんいちろう

うそ、ついちゃった。

本とうは 大りょうはかいへいきなんか なかったのに
フセインが やった、って いっちゃった。

つくえの 上の ロボットが 目を 赤くした。
ぬいぐるみの タロベーが くびを かくんと まげた
おとうとが おしゃぶりを おとして 「フギャー」と ないた。

本とうの ことを しっている みんなが おこって
ぼくを にらんで いるみたい。
もう うそなんか つかないぞ。


原文では
「大りょうはかいへいきなんか なかったのに」=「ぼくが やぶいたのに」
「フセイン」=「おとうと」

せめてこのくらいは言えないのかな。無理だろうな。
次のページではこう書かれています。

おもいきって
「ごめんなさい」って
いって ごらん。
きっと げん気が
わいてくるよ!




  9月15日 (水)
朝からすばらしい秋晴れの一日です。移動性高気圧に覆われて、おそらく全国的によいお天気になっているのでしょうね。ずっと山が見えなかったのですが、今日は白馬三山までくっきりと見えました。田んぼではすっかり実った稲が重く穂を垂れて刈り取りを待つだけ。コスモスが至る所に彩りをそえて、まさに実りの秋というのがぴったりの安曇野風景です。


私はまだ腰が痛いのですが、いい天気に誘われて車で出かけてみました。ホントは美麻村から鬼無里へはいり白馬まで蕎麦の旅でもしたいなとでかけたのですが、途中家の鍵をかけてこなかったことに気がついて引き返し、家によってそのまままた豊科まで行ってビデオを借りてきました。最初はCDケースを買うためにNOJIMAへ行こうと思って出かけたのですが、棚卸しで休み。結局隣のビデオ屋に寄って帰ってきたという次第です。
何を借りたかって? エ〜とですね(袋からゴソゴソ取り出して)、アル・パチーノの「シモーヌ」という映画と「レセ・パセ(自由への通行許可証)」という映画の2本。
ほかの棚をみていると「冬のソナタ」はぜんぶ貸し出し中。世のおばさまたちが先を争って借りているような気配で、私など付け入る隙は寸分もなさそうでした。
宅老所から帰った母にしばらく休んでもらって、私は今から映画鑑賞。ではみなさん、失礼します。


「SIMONE」最高! 我に返ってようやく映画中のCGで創られた仮想の女優が実在の人物Rachel Robertsによって演じられているということに気がつく。しかもAL PACINO演ずる映画監督自身の投影(ホログラム)であるSIMONEがいつしかこれをみている観客自身のあこがれの投影として重なっていくという2重のしかけ。昨年8月にRachel Robertsが来日した際、報道陣から「信じられない!本物だ!」という視線が浴びせられたという記事をみるにつけ、いったいどっちが仮想世界なのかと思ってしまいます。
これがVirtual Actressだから笑ったりホロリとしたりしながら見ていられるけれどActressをWarに変えて考えてみるとどうなることやら。ハリウッドの映画界を皮肉ったり茶化したりしているところも痛快で、何度見ても新しい発見のある楽しい映画です。お勧め度No.1。
え?まだ見てなかったの、だって? スミマセン。

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  9月14日 (火)
「だまされることの責任 佐高信×魚住昭」という本(高文研)があります。お二人の対談を収録したしたものです。今年の8月15日の出版ですから出来たてのホカホカ。
この本には、「これを巻頭に据えて対談を」という編集部の意向から、伊丹万作氏の「戦争責任者の問題」というエッセイが収録されています。この人、伊丹万作氏は映画監督で、伊丹十三さんと大江健三郎夫人のゆかりさんのお父さんだそうです。
戦後多くの人が「今度の戦争で私はだまされていた」というが、だます人間とだまされる人間とが画然と区別されていたわけでなく日本人全体が夢中になって互いにだましたりだまされたりしていたと、まず指摘します。そのあと、だまされていた者も必ずしも正しいとはいえない。それどころか「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」と主張するのです。だまされた者の罪は、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い・・・国民全体の文化的無気力・無自覚・無反省・無責任などが悪の本体なのである、と続けています。
1946年ですから私の生まれた年です(!)。戦争が終わった翌年にこのように書いているのですね。「だまされていた」と言って平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているに違いないとも書いています。
ここでは詳しくはかけませんけれど、対談でもモノを考える視点とか視座とかということを考えさせるヒントがいくつもでてきます。
イラクで人質になった人たちに対するバッシングについて佐高さんは言います。「『自己責任』とイラクで人質になった人たちに向かって言った政治家って、きれいに二世、三世なんですよ。小泉をはじめとして・・・・、つまり、本当は「自己」というものがない人たち」
自己意識ということについて、佐高さん」の指摘はおもしろい。西部劇は「おめえの指図は受けねえ」。それに対してやくざ映画は「親分、なぜ死ねと言ってくださらねえんです」。組織・集団の中で周囲に過剰同調して溶けていく私、溶かされていく自己。
森住さんはしかし、あとがきで「私の中には『家畜的な盲従に自己のいっさいをゆだね』たがる自分と、それに激しく反発する自分がいる」と率直に書いています。だます、だまされるという問題や溶ける、溶かされるという問題を自分自身と切り離されたものではないとして自分自身にそれと向き合うことを課す彼の姿勢に強く心を動かされました。


  9月13日 (月)
腰を痛めると朝起きがけが結構つらい。それでも今回はたいした症状ではないので数日でよくなるような気がします。日頃から腹筋・背筋を鍛えておかないとこんなことになるんですね。なかなか懲りない。
昼前のんびりと庭を眺めていたら連結トンボが竿の先に止まっていました。カメラを持って近づいてみると、何とも奇妙な格好です。前のトンボのおしりをクルッと曲げて後ろのトンボの頭に引っかけているのですね。後ろのトンボはというと、おとなしく足を折りたたんで前のやつのいうがままになっている。前がオスで後ろがメス? それとも反対? ひょっとしてオス同士?? 訳がわからない。誰かこの不思議な格好を解明してください。


今日も昼は暑い日になり、すぐ近くの田んぼでは稲刈りが行われていました。機械で一気にやってしまうのであっという間に終わります。稲刈りも終わればまもなく冬の支度という風景に変わっていくのでしょうか。


今日はどこにも行かなかった代わりにPCを大改造。どなたからも新しいマシンの希望がなかったので、今までの1.7GHzのメインマシンと3.06GHzの新しいマシンの中身を交換しました。といってもそれぞれのいいところを全部寄せ集めて自分用のパソコンを一台組み立てるわけです。そのためパーツの構成ががらりと変わってしまうので、ドライバ・ソフトのインストールが大変です。メーカーのサイトからダウンロードしたり、CDを探してインストールしているうちにあっという間に時間がたってしまいました。時間を忘れるのですね。毛局、夜更かししてちょうど夜の12時に一通り前の状態に戻すことができました。その間、ホームページのサイトも何度か消したりアップしたりの試行錯誤で猛烈に時間をとられてしまいました。何度やっても複雑でいやになります。まだ解明できないことがあるし、もう一台もまるまる残っているので、明日も一日PCにとられそう。


  9月12日 (日)
朝は何と気持ちのよい一日の始まり、と思ったのに午後になると暑い暑い。これはもう夏の日差しです。それにしてもトンボの何と多いこと。凄い数です。朝は、飛んでいるトンボが全部二連。つがいで連結して飛んでいるんです。空一面に無数の二連の赤とんぼが飛び交っている様は感動モノです。

午後7時半、妻が富山に戻っていきました。またしばらくそれぞれの生活になります。
昨日は画像の編集、添付の仕方をコーチしていました。パソコンを初めてまだ一年にならないのに、結構あれこれできるようになって、驚いているのは多分彼女自身なのではないでしょうか。
今日は土地のことやこれから建てる家の構想などについて話し合っておりました。何しろとことん話し合って物事をすすめていくことの大切さをこれまでいやというほど思い知らされているのでこれは実行あるのみです。
車の運転はもちろん、筋トレ・英会話・書道・ゴルフ(マレット)など縦横にご活躍中のお向かいのOさんのようにいつまでも若々しくありたいものだね、と夕涼みをしながら二人で話し合っておりました。


ところで今日は宜野湾市の市民集会。市民総出で集会を成功させたというほどのものすごい数の集会になりました。米軍の無法ぶりに市民の怒り爆発です。訪米の際も飛行場の移転の問題は話し合う予定はないと冷たく言い放つKOIZUMIの忠臣ぶりにあきれてものがいえません。沖縄県民だけでなく日本中の怒りをもっともっと集中すべきです。


  9月11日 (土)
今朝起きてのんびり外を眺めていたら、近所のみなさんがどこかへ鎌などを持って出かけていく。不思議に思っていたら神社の草取り清掃だった。「前に案内があっただ」とおとなりさん。そんな案内あったっけ、と思いつつも神社の様子見に出かけました。
大きな神社ですが、それほど普段手入れされているわけでなく、祭りの時に町内総出できれいにするということらしい。木の枝やら草やらを一生懸命に片づけているうち腰が「ギクッ」。軽いぎっくり腰になって一日腰をかがめて歩くという情けないことに。
それでも、昨夜から妻が来ているし、隣の子たちにも約束していた「芋掘り」を午後からやりました。私はほとんどみているだけ。大抵のことは妻が全部やってくれました。
掘ってみると結構大きなサツマイモがぞろぞろ出てきたので、幼稚園生の隣の子は大喜び。「この大きいのは全部うちのにしよう」だって。私と妻は「・・・・・」。小さいのはすぐに焼き芋にして食べました。秋の味覚がいっぱいに広がっておいしかった。

今日9.11 3周年。




  9月10日 (金)
再び秋雨前線の影響で冷たい小雨が終日降っています。急速に秋本番に近づいているようなあたりの気配。
今朝お米を買いに農協の直売所に行くと、大きな赤いシメジの仲間が店先にならんでいました。「これからいろんな雑キノコがでるからね」と店のおばさん。近くの山でたくさんとれるのだそうです。「列をなして生えている」というので「一度連れて行ってよ」というと「いやだ」とすげない返事。秘密の場所だからいやだというのかと思ったら「クマがでるから」だそうです。それなら私もいやだ。やっぱり店先に並ぶのを待つしかありませんね。

ところで、今日の新聞によれば米国産牛肉の検査なし(20か月以下の牛)受け入れをアメリカに打診する見通しだということでです。先日も書いたように「委員会報告」をもとにこれまでの全頭検査体制を崩すことになるわけで由々しい事態といわなければなりません。もともと委員会報告は「20か月以下は検出が困難」と言っているだけで全頭検査を打ち切ってもよいとは言っていません。それどころか全頭検査の意義を認めている記述さえあるのです。もちろん、検出が困難であるという結論を出してそれがどんな政治的方向を導くか委員たちが知らなかったわけではありませんから彼らの社会的責任は逃れようもありませんが。
それはさておくとしても、日本のエネルギーをはじめ食料に至るまでいかにアメリカの企業に根幹を握られているか恐ろしいほどです。その前にひれ伏し媚びへつらう自公の政治家たち。こんな無様な姿を「同盟」の名で許しておいていいのでしょうか。


さらに、沖縄の米軍普天間基地の代替地としてかねてから予定されていた名護市辺野古沖での海底ボーリング調査を開始いたというニュース。これもアメリカに権力の中枢をしっかり握られている日本の恥ずべき姿の一例でしょう。県民の大多数の世論を踏みにじって何が何でも基地を建設しようとするKOIZUMIの対米従属度は計測不能です。
「週刊朝日」に田原総一郎の「ギロン堂」というコーナーがあります。「首相は普天間基地移設に本気でとりくめ」というから、沖縄から他へ移せと言うのかと思ったら要するに「小泉首相は政治生命をかけて」辺野古沖に代替施設を早く作れといっているにすぎない。「住宅密集地の中につくられた世界一危険な飛行場である。・・何より重要なのは普天間基地を早く閉じさせることである」と一方で主張しつつ、「沖縄から米軍基地を撤退させよといったきれいごとの意見は無責任な雑音にすぎない。日米同盟は重要だ」だからこの無責任に終止符を打つためにブッシュと気脈を通じている小泉さん、決着をつけるのはあんただよ、というわけです。こういう人はメディアからはやっぱりモテるんでしょうね。まともなポーズをとりながら実は巧みに世論を誘導する任務をおびていらっしゃるわけで、耳の中に雑音がいっぱい聞こえすぎて大変なのではないかと心配です。まあ、書くだけ無駄ですけど。


  9月9日 (木)
一昨日のこと、母の定期検診の付き添いで順番待ちをしている間に売店で買った「週刊朝日」をパラパラめくっていましたら、スーツ姿の古田選手の写真が目にとまりました。
「ドン・小西のイケてるファッション・チェック」「戦う選手会長は、いまや人気上昇中」?? 
週刊誌もほとんど読まないしプロ野球のことについても全く知識のない私ですが、次のような内容はなかなか共感が持てました。
曰く「いやあ、よくがんばってるよね、古田クン。権力に立ち向かうヒーローだもんなあ。しかも相手は、悪役度満点のじいさんたちだろ。会社だって町内会だってPTAだって、どこでもあの手の理不尽な権力がいるわけで。わが身に重ねると、誰だって古田がんばれと言いたくなるよ。でもひとつ気になるのがこの人のスーツ。・・とにかくモノはいいけど地味すぎ。・・服だけ見ると、まるで球団側の理不尽じいさんだもんなあ」という次第。
「わが身に重ねると」というくだりがいいですね。きっと小西サンも悪役じいさんにこっぴどくいじめられた体験をお持ちなのかな。
それはともかく、昨夜の球団オーナー会議でのあと、オリックスのオーナーは「何でストライキをするのかわからない。経営の中身まで踏み込むつもりなのか」というようなことを記者会見で言っていましたが、選手会の実力行使にビビッているのでしょう。頭もまわらなくなっているらしい。選手会の要求は極めて明確ですからね。選手やファンの声を聞き、一年かけてじっくり結論を出すべきだということで、合併反対という要求ではないのですが、こんな簡単なことも理解できないオーナーでは話になりません。球団や選手を親会社の都合でどうでもできるモノかまたは宣伝の手段としてとしてしか見ない情けない体質がはしなくも露呈したというのが実際のところでしょう。こんなことをやっているとますます野球離れが加速するのではないんでしょうかね。N先生、私にもわかりやすく解説して下さい。


きのうは母を宅老所に送っていった後、一日庭の草取りに精を出しておりました。なんとまあよく伸びてくれること。毎日少しずつやってはいるのですが、何しろ庭中に草が生えていて、こっちを取ればあっちという具合に生えてくるのでもう何回目かのサイクルになります。道に面したところはかなりきれいになりましたがまだまだ先は長い。気が遠くなりそうです。
台風が去った後の昨日はまだその影響で日差しも夏のような感じでしたが、風があったために過ごしやすい一日でした。ふと玄関先をみるとお隣のネコがのんびりお昼寝。私も草取りの合間に2時間ほどうとうと。気持ちよかったなあ。すぐ隣の田んぼは風に揺られた黄金色の穂波。




  9月8日 (水)
出た出た新型iMacG5。1.8GHzのPowerPCを搭載して、現行1.25GHzより約1.8倍速いマシンらしい。アップルのサイトには「コンピューターはどこへ消えたのだろう」というキャッチ・コピーが見えました。それもそのはずで、一見モニターだけみたいな仕様です。アップルのデザインはiPod miniにしても、iMacにしてもなかなか魅力的です。
う〜ん。しかし、このiMacいまいちインパクトがないですね。初代iMacや私の持っているiMacのような強烈な印象は乏しいが、これも進化のひとつなのでしょう。理解できないことではありませんけど。おそらくこれからはこれをもとに、もっと薄く速くということになるのでしょうね。そうなればインテリアとしてもいいかもしれません。


閑話休題。前の塾に勤めていたときに小学5年生の国語を担当したことがあります。我ながら冷や汗ものでしたが、生徒たちより私のほうが勉強したかもしれません。文法事項はもちろん漢字や読みなどについても再確認したり、場合によっては初めて知ったということさえありました。小六のみなさんごめんなさい。時効です。
ところで大人のみなさん、漢字や熟語については「思いこみによる間違い」で失敗した経験ありませんか。私も小さいときからずいぶん恥ずかしい間違いをたくさんしてきました。
たとえば中学生まで「必」という字は心にノを書いていたのはまだ序の口。これはたいしたことありませんね。書き順の問題ですから。しかし、これはどうでしょう。「慶」の真ん中あたり、ヮを書いていました。愛にとらわれていた頃の話です。さらに棄の真ん中も葉っぱの真ん中のように「世」と書いていましたもんね。
二十歳を過ぎて教師の仕事をするようになってからは漢字の間違いはさすがに影を潜めてきましたが、読みは依然としてまちがいだらけ。最近まで「農作物」を「のうさくもつ」と読んでいたのですから生徒に合わせる顔がない。「作物」は「さくもつ」、「農作物」は農作の結果の物だから「のうさくぶつ」。農による作物と誤解していたという次第。ああ、まぎらわしい。「的を得る」と書いてMNEMO先生に間違いを指摘されたのは恥ずかしくも懐かしい記憶です。トホホ。
文科省の調査ではありませんが、慣用句とか四字熟語になるとこれはもう大変なことです。「転ばぬ杖の先」と読んでいたのはいつの頃までだったでしょうか。人間は転んでも杖の先はころばないよなあ、という程度の理解でしたよ。「転んでもただは起きぬ」も「欲が深くて、どんな場合でも何か利益を得ようとすること。欲が深い者をあざけって言う」という使い方をした覚えがない・・(冷や汗)。本などでよく見かけた「閑話休題」・・本筋から外れて語られていた話や無駄話を止めにしたり、話を本筋に戻すときに「それはさておき」と同義で使うということ、これも数年前までしらなかった〜〜。「君子は豹変(ひょうへん)する」・・一体いい方から悪い方へ変わるのでしょうか。逆でしょうか。まいったまいった。「隗(かい)より始めよ」・・・よく聞くことわざですが、正しい意味を知ったのはごく最近。実はいちど言ってみたいセリフなんだよな〜。
まあ、高三の模擬テストで島崎藤村の作品をあげよと言う設問に平然と「破壊」と答えたのは有名な話で、そんな程度の私ですからどうぞ今日の話はなかったことにしてください。

作家の水上勉さんが亡くなられました。合掌。


  9月7日 (火)
長野県下はさきほど全県下に暴風警報が出ました。昼前から次第に風が強くなり日没に近づくにつれてかなり荒れてきました。庭にはあまり背の高い作物はないのですが、それでも植えたばかりのキャベツやブロッコリーは根こそぎとばされてしまう恐れがあるので、瓦でおおいをして防風対策。その他風で倒れそうなものは全部棒を立てて縛り付けました。
りんご園では早世の「つがる」が終わって次の品種の出番という時期にあたり、これから本番という時期なので被害が本当に心配です。あちこちにおいしいリンゴを送れなくなってしまう。農家のみなさんも今晩は寝ずの対策になることでしょう。りんご園の方も防風ネットを張るのだが限界があると嘆いていらっしゃいました。何とか被害がなく通過してほしいものです。
午後9時、強い雨が混じって暴風雨になってきました。前の16号とは比較にならないくらい強い台風です。これは収穫を控えた田や果樹園などへの被害が相当にでるのではないでしょうか。こんなのはもう勘弁してほしいですね。


ところで、昨夜のニュースでBSE対策に関する内閣府の調査会中間報告の内容が報じられていました。「やっぱりか」としかいいようがありませんでした。
今まで全頭検査していたのに、生後20か月以下の若い牛の除外を容認するというのがその骨子です。若い牛は「感染を検出するのは困難」「除外してもリスクが増加することはない」というのですね。
まてよ、と思います。アメリカの食肉業界は全頭検査についてはじめから非現実的な対応としており、むしろ日米協議の場で日本に全頭検査の体制の見直しを求めてきたことは周知の事実。米国産牛肉の輸入再開をめぐって最大の障害を取り除くことにつながることは明白で、結局アメリカの圧力に屈したというべきか、迎合したと言うべきか。
中間報告(案)をネットで調べてみると、内閣府にかなり詳細な報告が乗っていました。それによると、例の結論の部分は次のようになっています。
我が国における約350万頭に及ぶ検査により、21,23ヶ月齢で発見されたBSE感染牛における異常プリオンタンパク質の量が、WB法で調べた結果では他の感染牛と比較して500分の1から1,000分の1と非常に微量であったことを考慮すると、20ヶ月齢以下の感染牛を現在の検出感度の検査法によって発見することは困難であると考えられる。
さらに次のように述べていることも注意すべきでしょう。
(5)SRM除去、交叉汚染防止については、感染した牛の脳0.001〜1gという極微量で牛の感染源になりうるとの報告もあることから、と畜場等における適切なと畜・解体の実施を通じて交叉汚染を防止することは人のBSE感染のリスクを低減する上で重要であり、引き続き適正なSRM除去、交叉汚染防止の指導を行うとともに、その実施状況を定期的に検証するなど、適正な実施が保証される仕組みを構築すべきである。
この委員会のメンバーを見ると、東大や国立研究所などのそうそうたるメンバーです。それぞれに国から何らかの圧力があったなどというようには思いたくありませんが、この報告では結局「とにかくわからないことがたくさんある。今までのデータと研究の段階から言って若い牛の汚染検出は困難」と言っているにすぎないのですね。委員会は「より感度の高い検査方法を研究する必要がある」とは述べていますが、固定的でも何でもない「20ヶ月齢」という限度をすでに確定したものとしてわざわざ打ち出していることは重大です。そしてさらに「検出限界以下の牛について検査の対象から除外することについては、検査によるBSE感染牛の摘発に影響を与えるものではなく、・・・BSE感染のリスクを高めることにはならないと考えられる」と断定するわけですから、この時点で「委員会メンバーである科学者・研究者」としての責任を放棄していると私には思えてなりません。消費者の命に直結した国の政策に関わる問題であるという認識が極めて薄いのが特徴です。コトバを変えればこの結論は消費者でなく業界団体の認識だということです。
私なら同じ調査・研究の結果から「今までのところは極めて検出は困難であるが、全世界の研究者が高感度の検出方法を求めて研究しつつある状況に鑑み、ひきつづき全頭検査にとりくんで国民の不安を取り除くとともに、一日も早くよい若い牛についての感染を検知する方法を確立すべきである」という結論を出しますが・・。
今日の筑紫哲也NEWS23では主としてアメリカの側の事情についてかなりつっこんだ報道をしていました。アメリカ業界団体は「全頭検査は非科学的である」(日本の「委員会」の主張と全く同じです)の一点張りですが、その陰に業界団体と政府との癒着の問題が横たわっていること、大統領選挙もからんで消費を冷え込ませるわけにいかない事情などもからんでいることが指摘されていました。
わずか食肉牛の0.5%しか検査されず感染牛が野放しになっている可能性の高いアメリカ。恐るべき事態が深く進行しているにもかかわらず、検査を強めることより弱めることに手を貸す日本の「委員会」。いずれ若い牛から汚染牛が発見され、人間にも感染し深刻な問題に発展しないとも限りません。そのとき、この委員会のメンバーは「その時点ではそう報告するしかなかった」とでも弁明するのでしょうか。

内閣府 プリオン専門委員会
日本における牛海綿状脳症(BSE)対策についてー中間とりまとめ(案)ー[PDF]


  9月5日 (日)
長野県下はところによって大雨警報がでるほどのひどい雨。池田町も昼前までバケツをひっくりかえしたような雨が降っていました。午後3時過ぎてからようやく小降りになりましたが被害がでているところもあるのではないかと心配になります。
我が家の菜園はお陰で生き生きとしているのですが、とりわけ地這キュウリは2,3日前から実をつけはじめ、毎日だいたい5,6本ほどの収穫。またまた食べきれず、ご近所に配っているという次第。これから1か月ほどはキュウリ漬けなのかキュウリ責めなのかわからない状態になりそうな気配です。苗をお向かいのOさんや隣のHさんにもあげているので、まもなくそれらも収穫が始まるはず。そうなれば、もう道にキュウリをずらっと並べて「ご自由にどうぞ」とやることにしようね、とみんなで話し合っておりました。


ついでに我が家の菜園の近況報告です。さつまいもはもう収穫期です。今週末に妻がこちらに来るので、近所の子どもたちも呼んで芋掘りをしようと思っています。キュウリは先ほど書いた通り。畝が二つ作ってあるので一体どうなることやら。オクラはちょっと栄養不足のような感じでヒョロヒョロですが、それでもちょうど良い収穫量。大根はもう2週間ほど前から取っては食べています。もうすぐ終わるので次を考えないといけません。ミニトマトはようやく終わりにさしかかりました。この雨で実が全部パンク。ここ2,3日のうちに撤去します。
新しく植えた蔓なしインゲン(モロッコ)はこれから花が咲いて実がなるかなという大きさ。あんまり大きくならない種類です。実はやわらかく、茹でてゴマ和えなどにするとものすごくおいしいので期待の作物です。キャベツとブロッコリーはこれから。青虫がたくさんついて毎日とっているのですが、あとからあとからタマゴを生んでいくのでいたちごっこ。カブと小松菜はようやく芽をだしました。
いかがですか。狭い場所に所狭しと植えているので管理は楽です。毎日のように縁側から野菜たちを眺めて一服している私です。以上報告でした。

さて、台風18号が沖縄を暴風圏に巻き込んで近づいてきているようです。今日は沖縄国際大学の構内で米軍ヘリの墜落事故とその後の米軍の不誠実な態度に抗議し、飛行の停止、基地の撤去を求めて市民集会が開かれる予定の日でした。さすがに今日は台風直下となってしまうので、12日に延期されたようです。12日には大きな盛り上がりで集会が成功してほしいものです。
台風は名護市付近に上陸した後北西にすすみ、次第に九州・本州に接近するようです。16号と同じくらいの規模ですから、またまた警戒です。




  9月4日 (土)
天気予報どおり秋雨前線が北上して午後から激しい雨になっています。ころころ変わるお天気。秋の空。
正直にいいますが、安曇野に来てから英語と数学をまるで忘れてしまいました。全く見ていないという意味です。時間はあるようでないものですね。怠け心が身に付いてしまったというわけでは決してないのですが、まとまって集中して本や勉強にむかうということができないのです。東京に住んでいたときは早めに家を出て職場に行くまでの1時間か2時間かがとても貴重な私だけの時間でした。家に帰って母の寝ている深夜がまた私の時間でした。ところがここ安曇野では午前中は確かにほとんど母は寝ていて自分の時間を持てるのですが、長い間の習慣で早朝は頭がいうことをきかず、庭の手入れや近所づきあいについ気持ちが向かって、そのうち眠くなってしまう。午後は午後で母の世話をしたり写真を撮ったり買い物をしたりしているうちにあっという間にすぎてすぐに夕方。ホームページの更新にも時間を取られて・・と、これはもう最悪の展開で推移してきました。
もっともそのお陰で、いろんな人との交友関係を広げ野菜外交や買い物外交でとてもいい人間関係をたくさん結ぶことが出来ましたから最悪というのはあたらないかもしれません。いずれにしても少しずつ生活を変える必要は痛感していました。そして9月。
まず英語の日記を復活しました。マイクも仕事や赤ちゃんの対応、韓国語の習得に追われてはいるようですが、ようやく少しは余裕もでてきたようで、また面倒をみてくれることになったので助かります。やっぱり日本だけでなく世界の人に何かを言いたいということはありますものね。つたない表現でも読んでくれる人がいるかもしれない。
第2はボランティアで近くの中学生や高校生の勉強の面倒をみることにしました。私にとってもこれは大きな刺激になります。あらためて、安曇野での私の暮らしかたを考える素材を集める努力を開始しようと思っているところです。


  9月3日 (金)
昨日とはうってかわってすがすがしい秋晴れの一日。こんな日に一日家にじっとしているわけにはいきません。母をいつもより早く起こして、前から行きたいと思っていた国営北アルプスあづみの公園にでかけました。
地図を持っていかなかったので、カンで車を運転。何とか迷わずに到着しました。途中あまり道案内がないので初めての人は大変困ります。不親切です。
私と母が見て回ったところはテーマ展示館と展望台、それに広い池の周り。テーマ展示館では映画で安曇野を案内していました。熱気球に乗るという趣向で、なかなか臨場感にあふれていました。
写真は民家を模してつくった部屋の一室。お茶を飲んで一休みしているところです。その他の写真は「安曇野の四季」にアップしました。また下の写真は、展示してあったパノラマ。位置関係がよくわかるので、載せました。




帰って一休みした後、今度はまたまたPCのアップグレード。この前作ったマシンにこのマザーボードでは最高スピードのペンティアム4、3.06GHzのCPUを載せようというわけです。これもオークションで入手した新品です。
ちょうど最新号のPCファンにアップグレードの特集があったのでそれをガイドに挑戦しました。問題はBIOS。AOpenのサイトからアップデート・ソフトをダウンロードして初めてのBIOSの更新です。失敗すると一巻の終わりですからやや緊張しつつ指示通りに更新しました。あっけなくおわって、CPUを付け替えた後にさあ電源投入。ん? 一回はエラー表示がでたもののBIOS設定の画面で確かめるとちゃんと3.06Gの表示が。BIOSを保存して再起動すると問題なく起動完了しました。めでたしめでたし。ためしに囲碁ソフトで対戦すると相手が最強でも速い速い。こっちが打つや否や打ち返してくるので、あんまり雰囲気がでない。もっとも今度は私の完勝でしたけど。

そうこうしているとロシア南部・北オセチア共和国の学校占拠事件で銃撃戦、実力での人質救出が行われた模様とのニュースが飛び込んできました。
多数の小さい子どもたちを人質にとってのこうした行動はいかなる意味でも許すことの出来ない悪質な犯罪です。すでに何人もの犠牲者がでており、今回の実力行使でも多数の犠牲が出た可能性があるとも報じていました。
チェチェンの反政府勢力をロシア政府が武力で弾圧し、強権的な支配を強めようとしていることを背景にしているとも見られ、イラク問題と共通点の多い経過をたどっていることが気がかりです。結局犠牲になるのは子どもや年寄り・女性。正視に耐えぬ映像が次々送られてきます。一体どれだけの人々の血を流せばこの種のテロを根絶できるのか。暗澹たる気持ちになってしまいます。
こうした事件に対し、アメリカにならって「軍事的な解決」を一層追求するようになれば21世紀はまさに地獄の世紀となってしまうでしょう。帝国の論理でしかものを見ることのできないアメリカ、ロシア、イスラエルなどの強権的な支配体制を終わらせ、同時にテロにしか訴えられない貧困な思考と行動をも封じることに成功しないならば、暴力の連鎖の果てに人類の未来はない・・・とさえ私は思うのですが。


  9月2日 (木)
朝から冷たい雨が降り続いています。お天気予報によればこれは日本列島を縦断する秋雨前線によるものらしく、夏と秋の境目という表現をしていました。南側は熱い夏の勢力圏、北側はさわやかな秋の高気圧、そのせめぎ合いで出来ているのが秋雨前線ということのようです。そういえばまだ東京は30度以上。こちらは肌寒いくらいのお天気です。前線が南下してすっきりした秋空になってほしいものですね。

今日も「おやき村」に行って読書をしておりました。よく行くので仲良しになったお店の方がいろいろ差し入れをしてくれます。実はそれが楽しみでもあるのですが、今日はとてもおいしいナスの芥子漬けをごちそうになりました。芥子がきいてピリピリするのですが、それがまた何とも美味。作り方を聞いてきたので、忘れないようにここにメモしておきますね。
まず材料。ナス2kg、塩100g、ミョウバン大さじ2杯。これを24時間漬けておく。
その後、ナスはしっかり水切りをする(よくしぼる)。それに粉末芥子1/2カップ、砂糖400g、酢大さじ4杯、醤油大さじ4杯をからめてつけ込む。<ナスの分量に応じてその他の材料を調節>

さっそく明日にでもやってみることにしましょう。
お店の人の実家が大きなりんご園を経営しているという耳より話を聞いて、さっそく注文をしてきました。神奈川の塾のみなさんに是非長野のリンゴを食べてもらわないと。そのうち(11月頃)産直でおいしいリンゴがとどきますからね。楽しみにしていて下さい。

話は前後しますが、おやき村に行く前にラベンダーの植え替えをしました。6月ラベンダーが咲き終わって新芽が出た頃に芽を摘んで苗用の鉢に差しておいたものがほとんどしっかり根を張り小さな苗がたくさんできたのです。小さな鉢では越冬できないだろうと思い、プランターに移し替えの作業をしたという次第。もしこれらが全部大きな株になったら壮観でしょうね。新しい家の周りはラベンダーでいっぱいにしたいと思っているんです。親株にはまだ新芽がたくさんついているので、空いたポッドを利用してまた挿し芽をしておきました。根付いてくれるといいですが。そうすれば、希望する人にいくらでもわけてあげられます。というわけで、ラベンダーを増やすのは実に簡単だということがわかりました。

今はもう成人して仕事をしている元生徒のNさんが、浅間山噴火のニュースを聞いて心配だとメールを送ってくれました。ここからははるか遠くの出来事ですが、心配してくれたことそのものが嬉しくてついここに書いてしまいました。本当にありがとうね。仕事のことでもずいぶん辛い思いをしているということも書いてありましたが、自分の考えをしっかり持って何とか乗り切ってほしいもの。がんばってくださいね。精神的に辛く耐え難いようなことになったら、安曇野に来て心を休めるといいよと返事を出しました。のんびりして風景を眺めたりおいしいものを食べたりしていたらまた元気がでてきますよ。そんなときはいつでも連絡して下さい。もちろんNさんだけでなくどなたでも。奥さん共々歓迎します。


  9月1日 (水)
たくさんの赤とんぼの群舞で明けた今日。畑の竿という竿の先にはすべてトンボが羽を休めています。どこからこんなにたくさんのトンボがとんでくるのでしょうか。まあ、ハエとか蛾とかでないのが何よりと、つい興ざめなことを考えておりました。

今日から心機一転、さあ本を読むぞ、身体を鍛えるぞと思っていたのに、なかなかそうはいかないものです。気分だけはそのつもりで過ごしました。
母を宅老所に送り出した後、お昼は向かいのOさんと「蕎麦がき」と手作り料理を食べながら、一時間ほどいろんな話題でおしゃべりをして過ごしました。政治への不満をどうするかという問題からOさんの海外体験、食べ物の話から趣味の話まで多岐にわたり楽しいひとときを過ごしました。こうした形で近所づきあいができることは願ってもない嬉しいことです。
夕方は「土地の登記が終わったので権利書を取りに来てほしい」という司法書士の方からの連絡で、30分ほどお宅を訪問しました。受け取りはすぐに終わったのですが、そのあと現在ある家の処分をめぐっていろいろと相談をしておりました。気さくな方で快く相談に応じてもらえ、いろいろと有益な情報を得てきました。
中でも相続をめぐって昨年から「相続時精算課税制度」というのができたという話。私には初耳でしたが、みなさんご存じでしたか? あらまし次のようなものです。
親が65歳以上、贈与を受ける人が20歳以上である場合に、財産の贈与をしたい場合、あるいは受ける場合、2500万円まで非課税とするという制度です。その選択をしたときは次の年の確定申告の時期に贈与税の申告をしなければならないという規定が付け加えられています。簡単に親の生前贈与ができるということです。
私の母の場合にはちょっとやっかいな問題も抱えていますが、比較的簡単に解決できそうだという感触も得ることができました。いずれにせよ、土地の売買、財産の相続という問題は複雑ですから、専門家の知恵も借りながら早く乗り越えたいものです。

稲も実って、あたりはすっかり秋の装いです。一方、今日は防災の日のようですね。その日にあわせるように浅間山噴火というニュースが飛び込んできました。たいしたことがないように願うばかりです。






"Faded Love Song" by Mr.Blue Piano Man


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