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  1月31日 (月)
あっと言う間に1月も終わり。富山にもどった妻から無事到着したという連絡がありました。まずはよかった。何しろ今冬最大最強の寒波が押し寄せてきているということなので、大糸線が動くのかどうか心配でしたが何とか平常通り動いていたので一安心でした。
池田は午後になって次第に雪が激しくなり午後11時頃には数pの積雪。池田では幹線道路はまだ雪では覆われていませんでしたがさすがに大町まで来るどこもかしこも一面真っ白。大町では明日までには相当積もりそうな気配でした。幸い池田はそれほどでもないとはいえ、外はもうバリバリに凍り付いていて、これはもう冬眠に入るしかありません。
こちらで激しく降れば降るほど東京あたりは上天気なのは去年まででいやほど体験済みですから、ちょっぴりうらやましい。しかし、スキーとか温泉となるとはるばるこちらまで来ることになるから、おあいこか。

話は全く変わりますが、イラクで国民議会選挙が30日終わりましたね。アメリカ占領下でのイラクでです。国連の事務総長は「民主政治のはじまりにすぎない」と今後の不透明さを警戒していますが、ブッシュもKOIZUMIも当然ながら手放しで礼賛。一方のイラクの国民は屈辱を感じつつも自分たちで投票できるという開放感との狭間で極めて複雑な感情を深めているのではないでしょうか。帝国の論理に基づく「自由と民主主義」のおしつけがどんな結末をもたらすのか、引き続き厳しい目で注視する必要がありますね。




  1月29日 (土)
午前10時半くらいに妻が大町に到着、それに間に合うように迎えに行きました。今日が私の誕生日なので、お祝いを兼ねてわざわざ池田に来てくれたのです。
朝の天気のすばらしさ。雲一つ無い真っ青な空にくっきりと描き出された北アルプスは別天地のよう。妻も列車の中から外を眺めていて休むひまもなかったと言っていました。
ところが池田にむかう途中で南の方から雲がどんどん広がってあんなにくっきり稜線が見えていたのにもうかき消されてしまっています。
私は池田の我が家で妻をおろしてそのまま穂高の整形外科へ直行しました。今日もう一度見せにきなさいと言われていたし、まだ痛みも相当残っていたのでやむなく行ってきたのです。
土曜日ということもあって相当な人。結局1時間以上待って診察は3分くらい。
医者は例の猛烈に早い口調で「こう曲げるといたいですか。こっちはどうですか。ああ、そうですか。前にも言ったように、7つある首の骨のここから出ている神経が炎症を起こした軟骨にさわってそれでまだ痛いんだけど、もう風呂に入ってもいいでしょう。ゆっくり首を回したりして運動も少しずつしていきましょう。いいでしょう。5日分薬をだしておきますから来週また来てください。」・・・何がいいのかさっぱりわかりませんが、午後になってだいぶ痛みがやわらいだので、夜にようやくゆっくりお風呂に入ってくつろぐことができました。
お医者さんを茶化して書いてしまいましたが、実際はこの整形の先生はとても面倒見のいい先生で決して患者を粗末に扱う人ではありませんので念のため。先生茶化してごめんなさい。いっしょうけんめい薬をのんで、湿布をしています。大丈夫です。

先にも書いたように本日私の誕生日。59才になりました。ええ〜〜〜〜。何と言うことでしょう。人生、こうやって気がつくともう一年たっていたの繰り返しで、あっと言う間にこの年。まあ、じたばたしても仕方がないので、等身大に生きていくしかありませんね。みなさん、どうかまた一年よろしくお願いいたします。




  1月28日 (金)
MNEMO氏からの情報で知ったのですが、東京三鷹の大成高校である「異常事態」が起きているらしい。「サンデー毎日」の記事でも大きく取り上げられているほどで、確かにとんでもない事態が進行中のようです。なにしろこの1月5日付で3年の学級担任を含む10名の教師が「出勤停止」にされたわけですから。
何か反社会的な非行事件があったかといえば全くそうではなく、要するに校長の意に染まない10人を強制的に排除したということです。私に言わせれば独善的で視野の狭いしかも組合嫌いの管理職にありがちな「暴走」ですね。かわいそうなのは生徒たち。もちろん教師達もそうですけれど。
この学校に2003年4月に新校長が赴任します。理事長の肝いりで就任したというのが正確なところでしょう。それから2人3脚で「学校改革」が始まったというわけです。
ホームページでの校長の文章を読んでみたり、サンデー毎日の記事などを参考に私なりにシナリオを書いてみるとこうなります。
かつては荒れた学校であった大成高校を懸命に立て直してきた教職員たちは次第に校長や理事長にはっきりものを言うようになってきた。それを苦々しく思ってきた学校側は02年度の人事で主要ポストから発言力のある教師をはずした。そのことをきっかけに学校正常化をかかげてそれらの教師達は労働組合を結成(現在11名)した。組合員の増加や発言力の増大を恐れた管理職側は組合の弱点をとらえて一気に組合つぶしにでた。
この校長、どうも大成高校をいっぱしの「進学校」にしたいようです。それを引き金に名前をあげて生徒を集めようという寸法。そのためには校長の言うことを聞く若い即戦力がどうしてもいるでしょう。たてついてばかりいる教師より、若くて生徒受けのいい教師の方が魅力があると校長も理事長もふんだのでしょう。そのように教師が採用されていますからね。
この校長、相当頭がお悪いらしい。単純明快。校長・理事長は不当労働行為で断罪されて終わりになる事件なのに、その自覚も社会的感覚もお持ちでないようです。こういうのが一番たちがわるいんですね。
混乱の渦中にあるのは、何も卒業間際の生徒達だけではありません。この学校の1,2年生やこの学校を受験したり、いまからしようとする中学生たちが何と感じているのでしょう。彼らの持っている携帯からはさまざまなメールが飛び出しているではありませんか。あまりいい趣味ではありませんが、ちょっと会話をのぞいてみましょうか。

A:大成高校ってどんな所ですか_(°□°)_?くわしく教えてください。
B:普通か、バカ校かな〜(・∀・)。男子はカッコイイ人いるんじゃないかな?
C:うわさで聞いたんだけど。校長と教師がもめて大変だったよ。俺入るけど。
A:よかった。うちの中学受ける人、1人だけだから、心ぼそくって_(T∧T)_でも、やっぱ 滑り止めかなぁ?でも受かるか心配。。。あっ校長って悪そうな顔の人でしょ(笑)
C:逆に荒れてたほうが楽しいしな。
A:荒れてるんだ。校則は、ゆるいの?
D:まあ、私立だから騒がしいやつはどんどん首を切られる・・・俺も今日大成、受けたけどね。地元に住んでるけど、現在は昔ほど荒れてない。後、教師問題とかあったから教育ママ・パパは大成に行くなと言っているらしく受験者が少なくなった。
A: あと2時間だね!発表_(._.)_泣きそう(/ε\)゙
E: うちの中学からカッコイイ男子行くよ(^_^)。そこって男子のが多いんでしょ?いいなぁ(-_-)。
F:大成なら先輩いってるょ→→『くそだ』っていってたけどそれは先輩の学年だし今年を楽しめばいいと思うよ★
G:いろいろ問題があったからねぇ・・・ クソと言えばクソだけど
H:僕も来年から大成高校です♪いろいろ問題って・・・・?? よかったら教えてくださいm(__)m ちょっぴり不安です(^^;
G:結構長くなるから知ってる先輩とかいたらその人から聞いた方が早いと思う。まぁ簡単に説明すると今のT校長になる前は職員会議が学校の決定機関で、校長に権限があんまりなかったらしい。だから教諭が 何か問題を起こしても校長が決めるわけじゃないから、教師の中だけで問題がもみ消されるみたいなことがあったみたい。それでT校長になってからある国語教師の過去の問題について解雇という処分をしたんだ。それ以来校長・理事長側と教師組合(属していない教諭もいる)との間で戦い(?)が続いているんだ。どっちが悪いという事はないんだよ。きちんと説明しない校長側も悪いし、今まで好きにやってきた組合側も悪いんだ。
I(OB):大成の一年生さん、はじめまして!大成OBです。ちょっと聞きたいんだけど最近の大成はどうなってんの。なんか先生が解雇されて大騒ぎになってるみたいだけど。よかったらその辺教えてくれないかな。
J:マジ大成はつまんない。
K:組合うざい
L:組合が池袋でデモ起こしてたぞ
M:マジですか!?それは大変なことだ。
N:池袋とか、あまし三鷹と大成との関連性が見つからんし、池袋でビラ配ってデモ起こしても、意味無し。やるんだったら近場でやれよ。ホント、組合のすることは 意 味 不 明
O:アクションのない日々に嫌気が差したのだろう。かわいそうに・・・もう帰ってこなくていいよ
P: マジ、大成意味わからない。なんで、解任とかさせるの〜????まじ校長側意味わからないし。授業とかはどうなるの??部活は???マジ最悪。学校辞めたい・・・。
Q:俺が一年だった頃はまだましだった大成。二年になってから変わり始めた大成。三年になってからどうしようもなく荒れている大成。正直、早く卒業したいと思っている。まだ中学生の人たちに言っておきたいことがある。大成に来るな。君たちのためだ。大成に来ちゃ行けない。
R:俺が思うに、馬鹿収容所ってイメージがあるのだが…
S:あたしもここの卒業生だったけど、まじでくそだったよ。教師にやる気が全然見られなくて・・・。それでまたこんな騒ぎを起こしてるから、本当に情けない・・・。まじでここ入ったこと後悔してる。
T:ここの進路見たけど、最悪だな。誰一人勉強したとは思えない。そもそも総合コースがある時点でだめだな。大学を諦めた奴等だけ入るのか?中途半端な科目だけをやらしてテキトーに卒業させればいいのか。それで「進学校へ…」なんて言ってる校長も面白いよな。
U:「サンデー毎日」に大成が…。


延々と続く書き込み。不安を隠しきれない生徒の声。絶望的になって「学校やめたい」とつぶやいている生徒の声。管理職に対しても教師達に対しても冷めた目で見ている生徒たちの実感・・が伝わってきませんか。学校が荒れていくことを悲しみ後輩に大成には来るなと忠告している3年生の声を校長はどう受け止めるのでしょうか。ま、彼にはこんな声は「馬耳東風」「馬の耳に念仏」かな。


  1月27日 (木)
今朝一度起きて、今度はホット・カーペットの上でうたた寝をしていたら肩から首が猛烈に痛くなってしまいました。結局ヘルパーさんに30分ほど早く来てもらい母の着替えから食事まですべて手伝ってもらうはめに。
肩を揉んだり温めたりするといいのかと思っていたらどうやらすべて逆のようでした。仕方なく午後遅くから穂高町の整形外科に行きレントゲンを撮りいろいろ調べてもらいました。
早めに行ったので私が午後の診療の一番でした。その後続々と患者さんが来て結構繁盛している医者のようでした。X線の写真ができあがるのを待っていよいよ医者の診断。曰く、
「頸椎の間の軟骨というのは若いときはやわらかくて間がたくさん開いているけれど、だんだん年をとるとすり減って何かのはずみで軟骨が飛び出してくることがある。ほれ、この間を見てみなさい。かなりくっついているだろ?」
「・・・・・・」
「参考までにこっちの写真は中学生の首ね。すっきりとして間がたくさん開いているだろ。それにくらべてオタクのはこんなにくっついている。ま、年だってことだね。」
「(このヤロウ、何も中学生と比べなくったっていいだろう。言いたいこといいやがって・・・と口から出そうになるのをがまんして)はあ・・・・・・。揉んだりするのもだめですか。」
「パソコンをずっとやっていたというし、温めたものだから、出てきた軟骨が神経にさわって炎症を起こしているんだな。まず冷やすこと。3日間フロはだめね。湿布を一日2回。揉んだりするとよけいに炎症をひどくするからだめだね。内側から痛み止めの薬と炎症を抑える薬を出しておくから。まあ、静かにしていれば3日で治るね。」
そんなわけで3000円を越える高い治療費を払ってとぼとぼと帰ってきました。それでも薬が効いてきたのか、夜に入るとずいぶん痛みも遠のいて楽になってきました。全体にガタがきているということか。



ようやく夜に入ってこれまで直し直しの連続だったチラシができあがりようやく一段落。これからまたホームページのブラッシュ・アップが待っていますが身体あっての仕事。あまり一気にやらずボチボチやることにしましょう。


  1月25日 (火)
いま午前1時半。この生活、なんだか昔に戻ったみたいです。新設予備校の準備作業を手伝うためにずっとパソコンの画面にむかって、ちょっと頭がいたくなってきました。疲れはどうも目からくるみたいです。首は相変わらずまわらないし、これはもう寝るにかぎりますね。3人の方から掲示板にメッセージを書いて頂いているのを知りながら返事もかけません。もう少し待ってくださいね。
準備作業の総責任者のN先生、ご苦労を察するにあまりがあります。こちらは朝ゆっくり寝ていてもだ〜れも起こしてくれず、いつまで寝ていてもいいわけでお気楽そのもの。すいません。
ご苦労の万分の一も分かち合えませんが、それでも何とかお力になれるように明日からまた頑張りますから、準備作業にあたっているみなさん、身体に気をつけてあと一踏ん張りしましょう。

疲れたので一服しようと思って窓をあけたら、これはまた何という明るさ。山が見えるほどです。月明かりなのだとは思うものの、月は小雨を降らせている雲のかなたに薄く見えるていどですから、これはまた不思議な現象です。きっと月のあかりが雲全体を照らし、その光が地上に降り注いでいるということなのでしょう。月からの光もこうしてみるとバカにならない。
気温もちょうど零度くらいで何となく暖かい夜です。いつもは母のためにつけている暖房も切って、私もそろそろ睡眠モードに入ります。のりこさん、全国のみなさん、おやすみなさい。


  1月24日 (月)
昨夜から今朝にかけてはマイナス7〜8度くらいまで下がったようでしたが、今日は割と暖かいので暖房をしていてもすぐに暑くなってしまうほど。まだまだ寒さはこれからが本番なのでしょう。
最近は毎日何をしているんだかわからないような過ごし方になっています。それなりにいろいろやっているので楽しいことは楽しいのですけれど。
昨日は一日中Linuxのインストール漬けでした。今使っているシステム(TurboLinux10D)に新発売のATOK17を入れようとして失敗。続いてRedHatのFedoraCore3に入れようとしてまたまた失敗。結局またもとにもどして前の状態に戻すはめになってしまいました。1回ぐるりと回ってまたもとのところに戻ってこようとしたんですが、いろんなソフトのインストールの仕方を忘れてしまい、RealPlayerのインストールでものすごく手間取って悪戦苦闘していたという次第。気がついたら肩は凝るし首はまわらなくなるし、目は痛いし、いいことは全くなしでした。後遺症が今も残っています。
今日、母を送り出してしばらくすると「おやき村」から呼び出しがかかりました。先日知り合いになった人が「手編みかご」の講習をしてくれるから来ないかということでした。生徒は私とおやき村のバイトのIさんの二人。先生はおやき村のお客さんの二人。かれこれ2時間ほど草のツルを使った編み物をいっしょうけんめいにやっておりました。なかなか完成までには至らず、来週またやることに。ね、一体何やってんだか。ちなみに材料のツルは私が山で採取してきたものです。
母が宅老所から帰って来るまでビデオ鑑賞。「キング・アーサー」を見ておりました。”Freedom”が一体何度でてくるんでしょう。そう言えばBushの演説にも幾度となくでてきましたから、まるでアメリカのブッシュ政権後援会作品という感じの映画でした。つまらなかった。
そのあとはチラシを一枚つくって終わり。

ところで韓国にいるマイク君、今大学で英語を教えているらしいのですが、その彼から先日ホームステイを紹介・斡旋する事業を計画しているからそのホームページをつくってくれないかという依頼のメールを受け取りました。そのくらい自分でやれよといいたいところですが、作ってやったらタダでニュージーランドにホームステイさせてくれるかもしれないので(あり得ないか・・・)ホイホイと引き受けてしまいました。あとから考えたら全部英語だった・・・(汗)。私も共同経営者になるのかな。みなさん、ニュージーランドにホームステイしたいときは是非当店(予定)にお越しください。格安で紹介いたします。宿泊先はマイクの実家もしくはその紹介というお墨付きですから安心です。


  1月22日 (土)
今朝はどこまで気温がさがったのでしょうか。分厚い氷が張り家中の窓が凍り付いていました。素晴らしい晴天で思わず写真を撮りにでかけたのはよかったのですが、目が痛くなるほど風が冷たい。手がかじかんで早々に引き上げてきました。昼は少しは暖かくなるのではないかと期待できそうです。

さてNHKへの政治的圧力の問題です。安倍・中川という二人の政治家の態度、NHK上層部の態度、それに悪のりする週刊新潮など一部のメディアを見ていると吐き気すら覚えます。議員たちには圧力をかけたという認識は全くなく、NHKもまた圧力をかけられたという認識もないとすれば、ただただ同じ穴のむじなという他ありません。
かねてから日本のジャーナリズムを憂える人たちが問題にしているのは、日本の主要なメディアが自らすすんで保守政治家の腹に入っていくということです。そのような構図においては圧力をかける、かけられるという意識が生まれるわけがありません。圧力をかけられる前にそれを敏感にかぎとってその方向で自主規制する、あるいは適応するというわけですから、NHKの「自主的な判断」の正体も推して知るべしです。
しかしながら今回のNHK問題はそれも当然のこととして含みながらそれを越えてしまっていることに特徴があります。朝日新聞の誤報というレッテルをはることによって権力をバックにしたもみ消しやすり替えを行う。これがことの真相です。本質は「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」問題と驚くほど酷似しています。あったことをないとする立場と手法において。
朝日新聞記者の「始めに結論ありき」の取材態度が問題なのではなく「始めに番組の異常な改変ありき」だということを忘れてはなりません。なにゆえに放送時間を縮小してまでずたずたになるまで改変をしなければならなかったのか。番組を偏向しているというこれらの政治家の立場こそが偏向しているのではないのか。何故NHK上層部は現場の反対を無視してまでそれほど番組の改変に執着をしたのか。そうしたことを根底に置かない限りこの問題の本質をつかむことはできないでしょう。朝日新聞も単なる取材手法や自社の名誉というだけでなく本質に踏み込んだ報道をがんばって続けてほしいものです。おそらくこの問題は日本のジャーナリズムのあり方を左右する一つの分岐点になるでしょうから。

それにしても、今回の事件は安倍・中川という超タカ派の政治家の本質を浮き彫りにする事件であり、とにかく徹底して追求・批判しぬく必要があると私は思います。そもそも日本の歴史を修正して、自分たちの都合のよい歴史に書き換えたりあったことをなかったことにしようとしている連中ですから、今回のようなことは覚えてもいないしまったくささいな出来事であったのでしょう。それに比べて現場で改変を余儀なくされて悪戦苦闘しあげくの果てに4年間も悩み通した長井さんの記憶の何と尊いことでしょうか。
いま起こっている一つ一つのできごとが、日本の歴史の1ページ1ページになって記録されているという実感を強く持ちます。まさに現代史を刻一刻刻んでいるのですね。私たちはそれにどうかかわるのか。

「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク


  1月21日 (金)
今朝までの積雪は5pほど。真っ白な戸外にでると、小柿に群がっていた鳥たちがいっせいに飛び立ちます。今朝の雪はふわふわの軽い雪。気温がそれほど下がっていないときの雪です。9時過ぎからは日差しもさしてかなり暖かくなり洗濯物を外に干すことができました。

午後、何となく疲れてうとうとしていたらいつもの小学一年生の男の子が「おじちゃん、あそぼ」と入ってきました。別にかくれんぼをしたりするわけでもなく、ビデオを見たりパソコンでお絵かきをするいつものコースなのですが、一つのことに長時間集中するのはなかなかむずかしいらしい。すぐに飽きて家中を見物して歩いています。
しばらくの間昔々見たことのあるスティーブン・スピルバーグ監督作品の「フック」を取り出していっしょに見ていました。この映画、家族愛を描くアメリカの典型的なファミリー冒険物という映画ですが、キャストがなかなかすごい。ダスティン・ホフマン、ジュリア・ロバーツ、ロビン・ウイリアムズ、ボブ・ホプキンズ、マギー・スミス・・・。
5時にはケンちゃんを帰しましたが、私はそのまま、母の世話をはさんで最後まで見てしまいました。
腹の出た中年のおじさんがかつてピーター・パンだったがいまはすべてを忘れているという設定。ジュリア・ロバーツ扮するティンカー・ベルから空を飛べるようになるには「一番楽しい思い出を思い出すこと」と言われます。このセリフ、ハリー・ポッター第3部でも使われるんですね。
これはものすごい指摘だと今日突然胸に響いたのです。なんだか私が目の前のことに気をとらえれて私を作ってくれてきたいろいろな人のこと、とりわけ家族のことをすっかり忘れてしまっていると言われたような気がしたのです。
母とずっといっしょにいると、思わぬことに沢山遭遇します。そんなときの私の態度をきびしく戒めている言葉だと私には聞こえたのです。
老いて痴呆がすすんでいく母はすでに現実の最も神に近いところ、天国に近いところに住んでいるのではないのか。これを大切にしなければやっぱり天罰が降りるというものですね。
今までは私が仏の心をわがものにしなければいけないと思い続け結局そうできずに苦しむという繰り返しでした。実際はそうではなく(そんなことができるはずもなく)母が楽しい思い出や懐かしい人たちが沢山いる神仏の世界にいるのであり、私のするべきことはそのようなものとして母を扱わなければいけないのではないかとふと思われたのです。発想を逆転させなければいけなかったのですね。
口で言うほど生やさしいことではありませんが「楽しい思い出」を思い出せば、やさしい気持ちになれるような気がします。


  1月20日 (木)
経団連が18日に発表した「わが国の基本問題を考える」という文書(PDF)を経団連のサイトから入手して読んでみました。
現行憲法に関する議論を「神学論争」と呼んではばからない感覚。「我々は、日本の歴史や伝統を十分に踏まえ、常に誇りをもつことが重要である。・・・日本人が伝統的に持つ和の心、変化に対する柔軟な対応や応用能力といった面を大切にしながら、責任と自覚をもって、自立性や自主性を発揮すべきである」という古めかしい説教。
私には情勢認識から今後の展望にいたるまでいかにして大企業の「利潤追求」をよりどん欲に効率的におこなうかということしか読み取れませんでした。その利益を追求するために日本の国をこのようにしたいのだという彼らの意図をあけすけに語った政治的文書以外の何ものでもありません。
日米同盟の強化・9条改憲・教育基本法の改訂などのほか自治体の再編・企業献金の拡大・シーレーン防衛・武器輸出の緩和などにいたるまでさまざまな提言をしていますが、改憲を積極的に促すという財界首脳部の露骨な意図を別にすればそれらは別に目新しいものではありません。結局のところ保守政権がもくろんできた方向にエールを送る(監視する)というだけのものです。ですから、アジアの民衆のいまにつづく苦しみも、日本の各層にひろがる貧困も、勤労者のつらさも、老齢者・障害者の願いなどもすべて視野の外におかれているのは当然といえば当然。見事なほどです。言うだけ無駄なことですけれど。

どんなに評論しようが実際に読んでみるのが一番ですね。現在の日本の財界首脳がどのような政治・経済の展望を持っているのか、そして現行憲法を含めてどのようにしようとしているのかを如実に表していますからその意味では大変重要な文書だと思います。
私のような個人的なサイトで揶揄するのは簡単ですがそれをしたところであまり意味があるとは思われません。彼らは正面切って勝負を挑んできているわけですから、真正面から受け止める以外にない。
大切なことは、多くの人がこうした文書を実際に手に入れて批判的に読み、考え、自分の考えを持つことだと思います。大きな権力を持った彼らとたった一人で素手でたたかって勝ち目があるはずはありませんが、彼らの政策に同意しない声を大きくしていけばそれを打ち破る可能性はある。
文書が容易に手に入り検討することが容易になっているにもかかわらず「学習」などという言葉が死語のようになっているのは残念なことです。
学べ、学べ、そして発言せよ・・自分の頭で考え、自分の言葉で批判し、自分の言葉で自分の明日を紡ぐ。この文書に目を通してあらためてそのことを思わされました。


  1月18日 (火)
今日は母の定期受診日でした。夕べはかなり頭が混乱していたようでなかなか寝付いてくれず、いつまでも独り言を言っていました。それでも受診の予定時間が遅かったので何とか間に合いました。
待合室が暖かかったので私も母もコックリコックリ。結構睡眠時間をとりもどすことができました。
母は医者が聴診器を当てるとそれを持って引っ張ったり、血圧をはかっている医者の腕をコチョコチョくすぐったりしています。担当医は看護師に「この人〜、イタズラをするんだなあ」と思わずポツリ。看護師は笑いころげて「かわいい」だって。何がカワイイんですかねえ。

昨日は阪神淡路大震災から10年の節目の日でした。今なお身体に障害を残した人、一人住まいの老人、住宅の2重ローンで苦しむ人や仕事場の再建の目途が立たずに途方に暮れている人たちが多数残されています。神戸空港などの大型プロジェクトには公的支出は重点的に行っても個人の住宅への公的支援は行わないという政府の姿勢がこうした人たちの苦しみを増しているのは許せません。
日曜日の午後にはJNN報道スペシャルで今後予想される東海沖の大地震がどのような被害をもたらすのかを予測していました。津波の巨大なエネルギー、大きな火災の竜巻、長周期振動によるビルの被害などさまざまな角度から最新の知識を駆使して巨大地震の恐怖を教えてくれていました。見ていて一番共感したのは、最も大きな問題は自分だけは被害に遭わないという心理なのだという指摘でした。韓国での地下鉄火災でもスマトラ島沖地震での津波でも危険が迫っているのに傍観者のようにふるまうあの心理。大災害に心して備えなければならないとまたまた痛感しました。



ここ数日ずっとパソコンの画面をにらめっこしていたので気分転換に「センター試験・数学I/A」をやってみました。全問やったのでさすがに大幅時間オーバー。全く数学から遠ざかって数学の顔をみたのは実に一年ぶり。いやまいったまいった。確率の問題で期待値の分母と分子を書き間違えるという信じられないポカミスをして結果は96点(100点満点)でした。ガックリ・・・。
いつも思うのですが、受験生にとってこのセンター試験というのは実際に実力を試すものにはなっていないということですね。つまりいかに要領よく適当に処理するかという処理能力を見るテストです。じっくり構えてしっかり考えようとすると時間がまるで足りなくなります。こんなテストは早くなくしてしまえばいい。もし残したいならあと30分時間を延ばすことです。これだけで90分または100分ならまだ許せる。
まだ数学II/Bはやっていませんから何ともいえませんが、問題の難易度は例年と同じレベルかさらに易しいという印象でした。旧課程最後のテストですからちょっとサービスをしたのかな。
来年度からは新課程での入試ですから、あと一年後に大学入試を受ける高校生のみなさん、センター試験を決して侮らず、基礎固めをしっかりしてくださいね。センター試験対策なんて実際は不要。普段からのたゆみない基礎固めを怠らず、さらに意識的に入試に必要な基本的な知識を十分に蓄えることです。この準備は早ければ早いほどよい。
私も今年は数学に復帰して、みなさんにその手ほどきができればいいなと思っています。しかし果たしてどうなることか。だれか教えてくれといって受験生来てくれないかなあ。そうすればタダで教えてあげられるのになあ。長野では遠いよなあ。


  1月16日 (日)
ここ2,3日は食事と睡眠の時間を除いてほとんどホームページづくりにかかりきりになっていました。ある事業所のホームページなのですが、さして本格的でなくてもいいということなので勉強のつもりでひきうけたのです。そうはいっても初心者に毛が生えた位の技量しかありませんから、デザイン自体がどうしても野暮ったくなってしまいます。現在はいったん作成したコンテンツをもとに作成し直しているという段階。形はほぼこれで完成にしようと思っています。というよりもうこれ以上どうしようもないかなという感じです。
ほんの少しでも手の込んだ見栄えのいいサイトを構築しようとするとCSSやJavaScriptの知識が要りますから、ちょっとしたことで1,2時間はすぐに過ぎてしまいます。WindowsのIEでうまく見えていてもMacのSafariでは違って見えるというのはしょっちゅうで、それもテストしながらやっていると頭が痛くなってきます。
それともう一つ、最近はホームページの見栄えは結局グラフィック・ソフトの扱い方で決まるのではないかという思いを強くしています。文字と生の写真だけで作っている私のホームページくらいならできるだけシンプルであった方がいいのですが、営業用のサイトとなるとそうもいきません。沢山の人がいろんな条件でみるわけですから、柔軟性も要求されるし、まだまだ苦労が続きそうです。



骨休めに戸をあけて庭をみていると、小柿の木にたくさんの鳥が実をついばみにきているのが見えます。雪が降ったりして食べるものが少なくなると小柿の実は格好の食材なのでしょう。鳥には手頃な大きさだし、カチカチの干し柿のような実が雪がふってほどよくやわらかくておいしくなっているし。私もときどき口に入れてみるのですが、干し柿そのものです。このままいくと、あっというまに実がなくなりそう。電線の下には種を含んだフンがたくさん落ちていて、春になるとそこから芽がでてきます。自然の摂理ってのは実にうまくできているもんですね。


  1月14日 (金)
今日の新聞各紙はNHK番組改変問題で元チーフ・プロデューサーの長井さんの記者会見の模様を大きく報道していました。
朝日新聞の記事によれば記者会見の席上で「告発による不利益はないか」という質問に「不利益はあるでしょう」と答えつつ、「私もサラリーマン。家族を路頭に迷わすわけにはいかない。告発するかどうか、この4年間悩んできた。しかし、やはり真実を述べる義務があると決断するに至りました」と涙ながらに答えたことが紹介されています。
政治家の圧力に屈して改ざんせざるを得なかった悔しさ、憤り、自省の念、無力感にさいなまれながら4年間悩み続けた良心的な編集者の姿を知って強く心を打たれました。
それにくらべてNHK広報局の反省のかけらも見られないコメントはどうでしょう。「(国会議員に事業内容を説明した際にこの番組が話題になったことがあるが)これによって番組の公正さ・公平さが損なわれたことはない。番組はNHKの編集者の自主的な判断に基づいて編集し放送したものだ」そうです。もはや骨の髄まで腐ってきているのですかね。安倍・中川両氏に至ってはもっと悪質です。「私がいつどこで誰と何を話したかを証明してもらいたい。それができないなら謝罪してもらいたい」と安倍氏。いつまでこうして開き直っていられるのでしょうか。
内部告発に踏み切った長井さんを守るためにも彼とその家族に対する激励を行うことは必要ですし、同時にNHK上層部と二人の政治家に対する真相究明・責任追及の声を大きくしなければならないと思います。

私としては、これまで続けてきたNHK受信料を当分のあいだ意識的に支払わないこことし、先ほど銀行で口座引き落とし解除の手続きをしてきました。
多分これからは直接集金にくるのでしょうが、集金人の方には「真相究明・自浄努力が行われないうちは不払いをつづける」ことを伝えるとともにその内容を正確に上司に報告するように言うつもりです。
長井さんの記者会見で発表された文書の全文が「しんぶん赤旗」に載っていましたので、長井さんの勇気に心から敬意を表しつつ別紙でそれを紹介することとします。

長井さんの記者会見全文

    *********************   

話題は全く変わりますが、明日からいよいよ二日間のセンター試験。神奈川ひのき塾のみなさん、これまでつちかってきた実力を発揮して是非とも高得点をマークできるよう全力を尽くしてくださいね。志たかく。しかし平常心で。応援しています。


  1月13日 (木)
朝からさわやかな晴天が広がり、昼頃には暖かい日差しが差し込んできました。晴れ上がっていたためか今朝の冷え込みはハンパではなく、例のたばこの火消し壺がパックリと真っ二つに割れてしまっていました。水が凍ると体積が大きくなることを忘れていたなんてシャレにならないですね。
午後ヘルパーさんが来てくれたので、大町の税務署まで確定申告の用紙を取りに行ってきました。初めてなので少し説明をしてもらったところ、商売をしたりして収入があったわけでないので還付申告をすればよく、すぐにでも提出してくれていいですよ、と親切に教えてくれました。
大町は30〜40pほどの積雪で雪だまりがあちこちにできて除雪車がいたるところで作業をしていました。大町からの北アルプスは池田から望むのとはまた少し違った美しさがあり、あちこちで写真をとってきました。
大町からの帰り、オリンピック道路を20分ほども南下して池田と穂高の境界あたりにくるともうほとんど雪はなくのどかな田園風景がひろがっています。



夕方NHKのニュースを見ていましたら、アナウンサーが「一部で報道されている番組改編問題について調査したところNHK幹部が中川氏と面会したのは放送の3日後、安倍氏とは面会した事実はあるが番組に関する話はなかった。今後とも公正・中立の立場で放送をしていく」というコメントを読み上げていました。
もともとこの「番組改編問題」とは、2000年12月に東京で市民団体が開いた「女性国際戦犯法廷」(VAWW-NETジャパン主催)を素材に企画されたNHKの番組(「問われる戦時性暴力」)が出演者の意図に関係なくずたずたに編集されて放送された問題をいいます。この背景に政治的な圧力があったという内部告発が明るみにでたわけです。
法廷では日本軍の性暴力が裁かれ、公の場で初めて昭和天皇が有罪とされました。しかし実際にはVAWW-NETに当初説明された内容とは大幅に異なり、法廷での起訴状の紹介もなく天皇の戦争責任に関するものも完全にカットされたのです。また加害者の証言やVAWW-NET松井やより代表のインタビューは完全に削除され、かわりに法廷の意義を否定する日大秦郁彦教授のコメントを挿入するなどといった改編が行われたのです。
その結果番組放映直後から大きな問題になり、国会でも取り上げられました。2001年7月にVAWW-NETはNHKとNHKエンタープライズおよび制作会社のドキュメンタリー・ジャパンを相手取って提訴、現在は控訴審が行われています。
議員による今回の政治的圧力の問題は現場の制作責任者がNHKのコンプライアンス(法令遵守)委員会に調査を求めたことから発覚したものですが、当の二人の議員は今日になってすべてを否定。関与は全くなかったと開き直っています。しかし、朝日新聞の先の取材では関与を認めていたのですから、さて、一体どちらが本当なのでしょうか。
まず次の事実に注目しましょう。「中川氏は当時、慰安婦問題などの教科書記述を調べる研究会『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』代表、官房副長官でもあった安倍氏は同会元事務局長だった」(朝日新聞)ことです。彼らの超タカ派発言はつとに有名ですから、おそらく今どんなに否定しようが新しい証言がつぎつぎと現れ事実を明らかにすることでしょう。

「戦時性暴力(いわゆる従軍慰安婦)問題」や「南京大虐殺事件」をめぐってそれらを否定する論調が今日さまざまに姿を変えて増幅されてきています。さすがに全面否定できなくなった彼らは「従軍慰安婦」については「合意による商行為」であったとして合法性を主張したり、南京事件については「どの国でも多かれ少なかれ起きている」ものであるとして規模の問題にすりかえ、どちらも当時の国際法に照らしても大きな犯罪であったことを全面否定しているのが特徴です。
今回の事件はその一端をなすものであるにせよ、NHKという公共放送に対する政府・自民幹部の露骨な介入があったという点で、言論・表現の自由に対する重大な侵害事件として重視する必要があります。権力をかさに自分たちにとって都合の悪いことは力ずくで押さえ込む、改ざんする、抹消する。今にはじまった話ではありませんが、これらを許さないためには正面からたたかうしかありません。事実を明らかにせよという世論を大きくし、彼らを包囲するしかないでしょう。
共産党支持者のチラシ個別配布に対していまいくつか相次いで起こっている弾圧事件もその根っこは一つです。じわりじわりと言論統制・言論封殺の網が狭められるのを拱手傍観しているわけにはいきません。言論統制や弾圧は戦争国家への一里塚ですから。

VAWW-NETジャパン
NHK「女性戦犯国際法廷」番組改竄問題・私家版


  1月12日 (水)
今日は娘と孫(娘の長女)の誕生日。偶然同じ日に生まれたので誕生祝いはいつもいっしょということになりますね。今頃は妻がお祝いに行っているのかな。
孫が私を呼ぶときは「長野じいちゃん」。相当抵抗あったんですよ、これでも。まあ「長野じじ」よりはましか。「長野おじいさま」・・・というわけにはいかないだろうな。そんな顔してないモンね。
それまでは「東京じいちゃん」でしたから、どっちにしても遠くにいる人間という響きがありますね。実際にそばに「おじいさん」がいるのですから当然ですけど。
東京にいるときに孫が生まれたのですが、ずっとその実感がありませんでした。それは孫の方もそうでしょう。たまにこちらに来ても何となくどこか知らない人に会うようなぎこちなさがありました。富山で子守を頼まれた日に、いっしょに遊んだり本を読んだりしているうちにどこか気持ちが通い合うような感触はあったものの、まだまだ。当分は遠くから成長を見守ることに徹することにしましょう。

さて、相当に強い寒気が入り込んでいるためか今日は一日中風が強く零下の真冬日です。
今朝までに積もるのではないかと思っていた雪もほとんど降らず、うっすらと地表を覆う程度でした。しかし風がつめたく車のガラスなどもたちまち凍りついてしまいます。縁側で吸ったたばこの火を消すために水を入れた瓶を置いているのですが、すぐに凍って全く用をなしません。カマで氷にコンコンと穴をあけているのですが、すぐにその穴もふさがって・・・どうしたらいいのでしょうか。たばこをやめればいいのだって?? うんうん。

午前中はお向かいのOさんと久しぶりにお茶の会。お正月を挟んでの双方の生活やら情報交換やらをしておりました
その後買い物に外に出てみると、大町から北は厚い雪雲に覆われています。たぶんその下は吹雪いているのでしょう。ところがその反対側の豊科方面は晴れ。明るい空が広がっています。この池田はそのちょうど中間点にあたるので、雪はあるけれどそれほどでもないという中途半端な空模様になっているというわけです。もうすこし南で家を探せばよかったかな??
これは雪国の特徴ですが、雪がつもりはじめると途端に周りは白と黒とその中間色のモノトーンの世界になってしまいます。色のついているものを探すのに一苦労。まるで写真を撮っても白黒用のフィルムで撮影したかのようです。青い空が広がると急に華やかな銀世界になりすべてのものがキラキラと輝いてみえます。
私の心の中にある雪景色の原風景といえば、やっぱり木下順二の「夕鶴」の冒頭に描かれた風景なんでしょうか。このシーンをカメラにおさめるのが私のあこがれです。

写真下は大町方面。下は豊科方面。ほとんど同じ場所で撮影しています。







  1月11日 (火)
朝から雪模様の池田です。2,3p雪がつもってはしゃいでいたら妻に笑われてしまいました。注文してあった接点復活材を取りに池田町の南のはずれの電気屋まで車を走らせましたが、行ってみてびっくり。雪がほとんどないのです。田んぼのところどころうっすらと雪がかかっている程度。北の大町よりは大雪でも南の穂高・明科よりは雪が全くありません。こんな狭い地域でも極端な差があり、何とも不思議な気がします。
さて、大雪をついて妻がさきほど富山に戻っていきました。かなりの積雪になっている白馬・小谷を経て糸魚川に出る行程なので、とにかくゆっくり行くように何度も言って送り出しました。

話はお正月の富山にもどりますが、8日にこちらに帰るまで何人かの母の友人に会うことができました。女子師範学校の同級生たちの多くは今も健在で各地にいらっしゃるのですが、そのうち富山市在住は母を除いて4人。ずっと仲良しで行き来も多かったようです。しかし、最近そのうちの一人が亡くなり残りは3人となってしまいました。その方々に会うことができたのです。
身体はともかく母を除くみなさんは頭もしっかりしており、本当にうらやましく思ったものでした。みなさん再会できたことに感激してなかなか母を離そうとしませんでした。そのときの何枚かの写真を掲載しました。










  1月9日 (土)
昨日の夕方、無事池田にもどってきました。途中小谷から白馬にかけて路上が凍っていて、かなり長い間こんな道路を走っていないので怖く、用心しながらゆっくり走りました。後ろから走ってきたジープの妻は、私があんまりゆっくり走るので追いつきそうになってそっちの方が怖かったと言っておりました。
途中の気温はマイナス5度。池田もそのくらいあったのではないでしょうか。荷物を運び込んだあと、とにかく家中の暖房をつけて荷物の整理を終えようやくほっと落ち着きました。小さな引っ越しみたいな荷物の量だったので結構手間取りましたが、何とか復元をして、そのあとはお風呂に入ったりテレビをみたりしながらのんびりした時間を持つことができました。
夜は外からの外気が相当進入するので、母の部屋の窓に毛布をはりつけ、私は寝る方向を変えたりして安曇野の真冬の第一夜をしのぎました。

今日は、母の部屋の模様替え。ベッドの向きを反対にし窓際にタンスを持っていって外気をできるだけ遮断。とはいえそこら中から寒気が入ってくるので、廊下で石油ストーブを炊いて部屋の気温を平均化しなくてはいけません。そうこうするうちに慣れてくるでしょうが。

こちらはほとんど雪がありません。白馬もそれほど積もっているようではありませんでしたから、全体に暖冬の影響がでているのでしょう。今日は一日真冬日。二人でちょっと買い物に外に出ましたが、日曜日ということもあってか、人気がなくなんとなくうら寂しい町のたたずまいでした。
今日は町内の「三九郎」があるのだそうです。小学校のPTAからチラシがはいっており、正月のしめ飾りや松をあつめにきますという案内が書いてありました。向かいの女の子が妙な網を持って玄関からでてきたので、どこに行くのか聞いてみると「三九郎」と言う。その網で何するの?と聞くと「餅を焼くだ」という返事。そう言えば長い竹の先に餅を焼く網がくくりつけてある。今からお餅をもって近くの田んぼにでかけるところだったのでした。なるほど。実はどんな行事なのか実際に見たかったのですが、寒さに負けてしまいました。それにしてもこの行事「三九郎」の名前の由来は何なのでしょう。
Web Siteを検索をしてみるとあったあった。信州(松本)の正月の行事なのですね。ところによって「どんど焼き」ともいいます。独特の飾り付けがあるらしい。一つ勉強になりました。

信州安曇野「麦わら帽子通信」より
四賀村の三九郎
松本の三九郎
松本の三九郎


  1月7日 (金)
お昼頃から雷混じりの激しい雨。低気圧が東シナ海に去った後冬型の気圧配置が強まってくるのでしょうか。明日池田に帰るころはひょっとしたら相当の雪かもしれません。ちょっと心配。しかも腰痛もかなり激しくて動くのもしんどい。今日は晴れていれば母の古い友人を訪ねてみようと思っていたのに腰痛と雨でまったく動けません。こうなったら持久戦で待つしかありません。いつかまたチャンスがあるでしょうから。

一月の広報とやまによれば、この4月1日から合併によって新富山市が誕生します。1市4町2村が合併し(というより富山市に吸収され)巨大な市が生まれるということです。面積で実に富山県の1/3にも達する勢い。過去のこれまでの合併・編入とは桁違いの規模ですからいったい何を考えてこんなデカイ市をつくることにしたのでしょうか。ま、私はすでに富山県民でも市民でもないからいいですけど。
合併協議会の記録や富山市の広報をみてもことごとくバラ色の未来像しか書かれていません。「環境と創造の夢舞台」ですか。いっそのこと富山県全部を富山市にしたらどうなんでしょうね。
「福祉は高い方に負担はできるだけ低く」と書かれてはいますが、果たしてそれほど単純なものなのか。発想がやはり行政主導でありあくまで効率的(金のかからない安上がりの)行政にしかならないような気がします。これほどの広域行政で住民のさまざまな日常の要求を吸収し住民自らが主人公となる自治体組織となりうるのでしょうか。住民自治という観点がどれほど含まれているのでしょうか。
長野でも一部の合併はありますが、これほどの規模ではありませんし、我が町・おらが村という意識がとても強いように思います。普通に生活をしていてお年寄りでも足をのばせばその中心地に行ける規模、その地方の住民の顔が見える自治体の単位、農山村では人口密度が低いしそれぞれの特徴があるだけにそれにふさわしい規模・・が必要なのではないでしょうか。歴史的な推移のなかですでに通勤・産業・商工業などが一体化し一つの市や町として機能し始めているのに行政は別というのであれば合併して効率的な行政を行うメリットは大きいでしょう。そのような場合は合併は自然な流れになるでしょうが、今回の富山市の誕生にはどうにもそのような姿は見えて来ないように思えて仕方がないのですが・・・。


  1月6日 (木)
昨日は娘の嫁ぎ先の理髪店に母と二人で髪のお手入れをしてもらいにいってきました。家族みんなで歓迎してくれました。私の髪は彼氏が切ってくれてそれこそフルコースで至れり尽せりの大サービス。母の方は娘がパーマをかけてきれいに整髪をしてくれ見違えるようになりました。しかし母はその間虫の居所が悪かったのかまわりのみんなに悪態をついたりあばれたりのハイテンション。お店のみなさんにはご迷惑をかけてしまいました。今日あたりは何もかもすっかり忘れてしまっていますが・・・。さっちゃん、ゆうちゃん、みなさんお世話になりました。

さて、1月もまたたくまに日が過ぎてあさっては池田に戻ります。一体向こうはどうなっているのやら。
母を背負いて・・じゃなく母を玄関先から持ち上げようとして、昨日またまた軽いぎっくり腰状態になっちゃいました。幸い今日は妻が休みを取ってくれていたので一日横になったり縦になったりしてほとんど動かずにいました。もうくせになってしまったんですかねえ。姿勢を変えるときが痛いの何の。ウッ、オッ・・・といいながら腰を曲げて歩く姿は誰にも見せられません。

横になりながら「私は黒人奴隷だったーーフレデリック・ダグラスの物語」(岩波ジュニア新書・本田創造著)を読んでおりました。古い家の本棚でホコリにまみれていた本のうちの一冊です。ずっと見向きもしなかったことを恥じ入りました。若いうちに読んでおくべき一冊だったな。でも今こうしてこの本をひもといてみて読書の幸せを感じられる一冊だなと心底思いました。
動物以下の扱いを受け虐待される毎日。そのような奴隷の子として生まれたフレデリック・ダグラスがいかにして奴隷制度に命がけのたたかいを挑むようになったかをこの本は克明にたどっていきます。
主人に身も心も隷属し何一つ自分のものでない奴隷状態から、人間性を回復するたたかいはまず心を自分のものにとりかえす、つまり自分自身が自分自身の主人公になるたたかいとして開始されました。そしてそれは必然的に身体そのものの自由の獲得へ、そして同胞の人間としての尊厳と市民的自由の獲得へと発展していきます。本田さんの詳細で感動的な筆致が印象的な本です。
私はこれを読みながら、一昨日から昨日に書けてずっと記録していた30年ほども前の定時制生徒の日記を思い返していました。彼らは学校でなぜ学ぶのかをずっと問うていましたね。毎日の苦しい労働の間になぜこうして勉強するのか。学校は自分たちにとっていかなる意味をもつのかと真剣に語り合っています。
毎日の生活は自分のものであるようでじつは自分以外のものに支配され続けている。自分以外のものによって動かされ働かされている。彼らは自分が自分の主人公になれていないことをうすうす感じ取りながら、自分自身の主人公になろうとしてもがきくるしんでいたのではないかと思うのです。
ひとりぼっちという言葉がたくさん目につきます。ひとりじゃ何にもできない、とも書いています。そして仲間のなかで少しずつ自分を発見していっているのですね。自分が自分の主人公になる。学ぶ意味というのは実にそこにあるのではないかと私は強く確信するようになりました。
フレデリック・ダグラスに導かれつつ、もう少しつっこんでアメリカ黒人の歴史・その解放のたたかいに学んでみたい気がしています。


  1月4日 (火)
昔の書類を片づけていて懐かしいものを見つけてしまいました。私が教師になって1年目に担任した生徒たちとつくった日誌とか、生徒たちが回してつけていたノートです。よく残しておいてくれたと妻に感謝です。
思えば大学を卒業して着任した定時制高校が私の教師生活の骨格を作ってくれたのでした。よき教師とよき生徒。いろいろな矛盾をたくさんかかえながらそれでも真面目にひたむきに歩き続けようとしていた人間群像。それらの人々を思い出すごとにここには人の姿がある、響きあう心があると思えてきます。
何年か前、その定時制高校は歴史の幕を閉じ閉校となってしまいましたが、そこで学んだ生徒たち、そこで教えた教師たちがいっしょにつくった精神は決して今も消えていないと私には確信できます。
今から30数年前、世の中は高度成長期の終わりでさまざまな矛盾が吹き出しはじめる一方、中卒生が「金の卵」として地方から都会に集団就職をさせられた名残がまだ残っていました。当時中卒生は企業にとっては都合のよい安上がりの労働力でしたが、割と規模の大きい事業所では人集めの対策として定時制高校に彼らを通わせることを条件としていました。
当時名古屋にもたくさんの地方出身者が集まっていました。九州出身者が圧倒的に多かった。私が就職した名古屋市立の定時制高校もそうした生徒をかなり集めていたのです。卒業生たちも今はもう40代後半から50代、中には私よりはるかに年が上の人もいるはず。どうしているのでしょうね。
今日は懐かしい掘り出し物の中から、定時制高校の生徒たちが自分たちで運営していたあるサークルの自由日誌(何かのはずみで私の手元に残ったらしい)を読んでいました。これは記録にとどめておくべきだと思い立ち、ちょっと時間がかかったけど「ある定時制高校・・仲間たちの記録」として一つのファイルに納めました(まだ未完成ですが・・)。気が向いたら読んでみてください。仲間内だけの記録を断りなしに公開するわけですからちょっとルール違反ですが、30年以上もたっており、すべてニックネームにしてありますからきっと彼ら・彼女らも許してくれるでしょう。
当時の定時制高校生の生活の実態とともに、友人間でなければ吐き出しえない日常の苦しみ、悩み、希望、あこがれなどが綴られていてそのけなげさに胸があつくなります。

「ある定時制高校・・仲間たちの記録」


  1月3日 (月)
たった1行の中に何年分もの体験や考察がこもった文章があります。そうかと思うと何ページを読んでも何にも響かない文章もまたあります。
年末から年始にかけてずっと暉峻淑子(てるおかいつこ)さんの「豊かさの条件」(岩波新書)を読んでいました。この本はまぎれもなく前者です。
ドイツを何度も訪れて労働の実態や家庭生活を見聞したその体験と自ら難民支援のNGO活動に携わる中で得た経験とをもとに現代日本の労働者や子どもたちの状態を考察し、いかにこの社会が病んでいるかを明らかにしていきます。アメリカ型グローバリゼーションと新自由主義しか眼中にない財界・保守勢力によって日本社会の構造が根底から変えられようとされつつあるこの日本で、それとは質的に異なる価値があることを私たちに気づかせてくれます。人間としての豊かさの条件である「互助・互恵の原理」こそが「競争原理」に対置されうるのだということを説得的に提起しているのです。
大切なことは、書かれていることのすべてが読者への問いかけであり、さらには理論的に提起された事柄を実践的に追求する行動を読者によびかけていることです。決してそう書いているわけではありません。しかし、私にはどの部分でも「読んで考えなさい。自分の見解を持ってほしい。そして一緒に行動しませんか」と語りかけているように聞こえて仕方がありませんでした。
第4章「NGOの活動と若者たち」は感動的です。この本は若い人たちに是非読んでほしい本です。きっと誰かといっしょに、この本を素材に話し合ってみたいと思えてくるんじゃないかな。


  1月2日 (日)
青年海外協力隊の一員として南太平洋のバヌアツ共和国で教育活動に携わっている姪のまきちゃんからメールで年賀状が届きました。
2年の任期を終えてこの7月には帰国する予定になっているのであと半年、向こうの生活にもすっかりなじんでいよいよという時に帰国せざるを得ないのはものすごく残念でしょうが、それ故にいっそう一日の重さをかみしめて沢山の体験を積み、よい成果を残して来てほしいものだと願わずにはおられません。
バヌアツは夏真っ盛り。マンゴーやパイナップルが美味しい季節だそうですから、うらやましい限り。12月で学校も終わってそのあとは2ヶ月間のクリスマス・ホリデーなんですって。これまた日本では考えられない。さしずめ長い夏休みってところでしょうか。
「今年のクリスマスは同僚のダイアン一家とともに、彼女の実家のタンナ島で過ごしてきました。今回、火山のすぐふもとにあるホワイト・サンズ村で一週間のホームステイをしてきました。ホワイト・サンズ村は電気もガスも水道もないローカルな生活が今も営まれています。子どもたちと一緒に海で泳いだり、昼寝をしたり、ローカル料理を一緒に作ったり、カバを飲んだり・・・。クリスマスは夜中までずっと音楽に合わせて大人も子どももダンスを楽しみました。(詳しくはホームページでお知らせできると思います。)」と書いてありました。「まきのバヌアツ便り」の続きが楽しみですね。
みんなとても恥ずかしがり屋さんだというバヌアツの子どもたちの顔の何と生き生きとしていることでしょう。
送られてきた写真のうち何枚かを紹介しますね。







  1月1日 (土)
新年おめでとうございます。北陸らしい雪の中でのお正月を迎えました。
富山に滞在するのはあと一週間。その間に、親戚の人たちや母や私がかつてお世話になった人たちとできるだけ会って旧交を温められたらいいなと思っています。

さて、こちらでとっている新聞は北日本新聞。その紙面からいくつか気になる記事を拾ってみたいと思います。
第一。すでに犠牲者が10万人を遙かに超えてしまったスマトラ島沖地震ですが、国連が「史上最大規模の救援作戦」に乗り出すという記事が目につきました。「感染症蔓延による長期的リスクに比べれば、地震と津波による当初の犠牲は小さなものに見える」(WHO危機対応に関する事務局長代表ナバロ博士)というほど今後の感染症による危険が高まっている関連国。最大500万人がその危険にさらされているといいます。
アナン事務局長は「地球規模の対策が必要」と訴えていますが全くその通りです。これらの国々の人々をどれだけ救援できるのかは今世紀初頭最大の国際問題であり、人類の英知が問われていると言っても過言ではないでしょう。もちろん私自身の対応も深刻に問われていることを自覚しつつ。
東南アジア各国の労働力や資源を自国の繁栄の土台にしてきた日本として、さてどうするのか。

第二。日本世論調査会が実施した「憲法にかんする世論調査」の結果について「改憲容認79%高率維持」という見出しが気になりました。
「改正に向けて積極的に議論すべきだ」の30.7%と「議論した結果改正することがあってもよい」とを加えて79%。これに対して「議論は構わないが改正の必要はない」12%、「改正すべきでも議論する必要もない」4%だそうです。
また、9条については「自衛隊の存在を明記すべきだ」31%、「解釈が拡大しすぎないように厳しくすべきだ」25%。「解釈を含め今のままでよい」11.5%という調査結果です。果たして9条を改めるべきか、守るべきかと問われれば6割ほどは守るべきと応えるのではないでしょうか。そうした設問にはなっていません。したがって、私から見れば誘導的設問による結果やマスコミで流されている情報に影響された結果にすぎず、もっと多面的な調査が必要でしょう。
9条改憲をストレートに持ち出すのは得策ではないと見た保守勢力がとっている作戦は「憲法の規定が時代に合わなくなっている」「9条に国際貢献を行う規定を行使できるようにする」など大衆受けのする口実を前面に押し出すことでした。今回の調査結果の中で改憲容認の理由の55%が「時代不適応」という結果となっていますから、それがまさに功を奏していることをしめしています。
国際的に9条の不戦規定が再評価され輝くモデルとされてきているそのときに国内ではむしろそれに逆行する世論が大きくなっているというのは歴史の皮肉というにはあまりに悲しいことです。憲法が時代不適応なのではなく、その精神をゆがめ逸脱し骨抜きにしてきた保守勢力の重大な責任こそが問われなければならないのに、それを時代のせいにして憲法そのものを変えるというのは本末転倒も甚だしいというべきです。

いずれにせよ、この国の歴史の大きな転換点に立つ2005年がスタートしました。
私自身は世界の国々の人々の経験と英知に学びながら後世に残すべき何ものかをつかみとりたい。なぜあのときもっと考えなかったのか。なぜあのとき反対し抵抗しなかったのか。なぜあのとき・・と言われないために。
名もなき人々の中の一人として、人間としてのささやかな歴史をつむぐことができれば・・・と思い定めて。




"Kiss Your Love Goodbye" by Mr.Blue Piano Man


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