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  2月28日 (月)
快晴のすばらしい天気に恵まれて日のあたる場所ではポカポカ。春の訪れをいよいよ実感させられます。
折しもいま長野県下ではSO(スペシャル・オリンピックス)が開かれています。知的発達障害を持つ人たちの国際スポーツ大会です。世界中からアスリートとコーチ、ボランティアが長野に集結し熱のこもった競技を連日繰り広げています。
今日はテレビで26日開かれた開会式とアイス競技のハイライトを見ていました。転んでも転んでもいっしょうけんめいにすべる選手の姿を見ているとなぜか涙がこぼれてきます。
SOの公式ホームページでは「SOはひとりひとりの個人が自然に、あるがままに受け入れられ、認められるような社会になることを願っています」と書いてありましたが本当にそのとおりですね。プログラムが最後まで無事にうまくいくように、そしてたくさんの心の交流が生まれ友情がはぐくまれることを願いましょう。

SO公式ホームページ

明日から3月。3月といえば卒業のシーズンです。東京都下の公立学校では校長たちがまたまた頭をかかえているのではないでしょうか。心ならずも職務命令を出さなければならないことを悩み抜く校長がいればまだ救いはあります。「確信」して教育委員会の「日の丸」「君が代」についての通達を実行する校長たちが都下の教育現場を支配するようになるのだとすれば、そこには内心の自由も保証されず教育の創造性もとざされ、教職員や子どもたちの権利をファッショ的に圧殺していくシステムだけが残ることになるでしょう。石原都政下でのこの教育委員会のありかたこそ自民党憲法調査会の描く未来の「国柄」への第一歩だと私には思えます。
職場では処分されてもなおたたかいの手をゆるめないたくさんの教師たちがいます。子どもたちのために都教委の道理も何もないやりかたと対峙する父母の動きも広がってきています。もっともっと広げなければなりません。
「日の丸」の掲揚の仕方から教職員・生徒の向きや姿勢まで指示し、さらに「君が代」斉唱時には教頭が教師1人ひとりの起立と斉唱を確認する・・・今年の卒業式ではまたこうしたやり方が強制されるのでしょうか。「ひとりの個人が自然に、あるがままに受け入れられ、認められるような社会になることを願っています」というSOの願いと何という違い。
一方でSOを語り他方で通達を実行する校長がいないかどうか、よーく聞き耳を立てていましょう。


  2月27日 (日)
朝わずかに積もった雪も春を思わせる日差しで溶けあたたかい一日になりました。10時過ぎお風呂に入っていたらいつもの小1、小2の子どもたちが「おじちゃんあそぼ」と入ってきました。風呂上がりの裸を見に来て「み〜ちゃった、み〜ちゃった」。ここまでずうずうしいとは何事でしょうか。これは親も私もこの子らに対するしつけができていませんね。もっとも私も小さい子にはつい甘くなってしまいますが。

岐阜県中津川市ではまたもや凄惨な殺人事件が発生。「温厚」「穏やか」で「あの人が事件を起こすとは考えられない」という一家の大黒柱の人間が家族を皆殺しにしたという衝撃的な事件です。この人の家庭内では他人にはうかがい知れない事態が進行していたのかもしれません。単なる特異な事件なのか、それとも時代背景を色濃く反映している事件なのか、マスメディアには、個人のプライバシーをあばいたりお茶の間の刺激的な話題を提供すればよいなどといった興味本位な取材ではなくでなく、可能な限り事件の背景や殺害に至る過程を誠実に取材し深く分析してほしいものです。

話は一転しますが、「ラジー賞(ゴールデン・ラズベリー賞)」の受賞者が発表になりました。ここれはアカデミー賞に先駆けその前夜に発表されるもので、一年間のうち最低な映画作品や俳優に与えられる賞です。
26日に行われた授賞式では、マイケル・ムーア監督の「華氏911」で「主演」したブッシュ大統領が最低主演男優賞に選ばれたらしい。ジョークとしてはまったく最高ですね。ちなみに最低主演女優賞は「キャット・ウーマン」のハリー・ベリーだとか。次はニューヨークタイムズの紹介。
"Omigosh, oh my God," Berry gasped Saturday night, feigning excitement. "I never in my life thought that I would be here, winning a Razzie. It's not like I ever aspired to be here, but thank you."
そりゃま、そうでしょう。この賞を取りたいと思って演技する俳優さんはいませんからね。ブッシュさんはなんて言うのでしょうか。
最低助演男優賞はラムズフェルド国防長官、最低助演女優賞はライスさんにとこのラズベリー賞はとっても政治的。ただ、ネット上にはIQ200、15才で大学生という才媛のライスさんがなんでこんな最低の男の補佐をしなければいけないのかかわいそうという見方も出ていました。しかし頭の良さと政治的方向性とは別物ですよね。
そのほか25年間ノミネートされながら受賞を逃した人に贈られる特別賞はシュワちゃんに・・などなど。とにかく話題が豊富。
ノミネートされている作品と俳優を見ているとなかなかおもしろいですよ。「最低スクリーン・カップル賞」なんてのもあって「ジョージ・W・ブッシュ&コンドレーザ・ライスもしくはペットの山羊」が受賞したらしい。ライスさんか山羊さんかはわかりませんが。


  2月26日 (土)
午後から気温がどんどん下がって深夜になって雪が降り始めました。しばらく暖かかったのにまた寒のもどりです。明日までたくさん積もらなければいいのですが。
母は明日までショートステイに出かけているので今日は1人。いつもいるところにいないと何だか調子がでないような気もします。あしたはもう帰ってくるので、そんな気分も今夜だけで明日からまた介護の日々。しっかりやらないといけないと気持ちをあたらにしています。
ところで今日はこの前「編みカゴ」を見に行った「ぬく森」というお店に今度は「裂き織り」を見に行ってきました。古い着物を裂いて織り直したものでものすごい手間ひまをかけた作品ばかりでした。素材はほとんどがシルクだそうで、どれも品良く暖かみを感じる仕上がりになっていて感心しました。
実はここに出かけたのは織物を見ることもさることながら、電気のカサの編み方を習おうと思ったからです。お店には何人もお客さんがいたので実際は習うどころではありませんでしたが、3月1日に講習会があるのでそれに出たらと言われ、さっそく申し込んできました。申し込んだ人の中でキャンセルがあったので運良く仲間に入れてもらえることになったのです。申込者を見ると私以外はすべて女性でした。うれしいのか恐ろしいのか・・・。年令は書いてありませんでしたが、こんな時間にこんなことをするのは「おばさん」に違いない!! やっぱりちょっとコワイ。


当日は午前10時に集合して素材を取りに行き、昼食後に講習というスケジュール。母の介護の関係で午後からしか出られないかもしれないと思い、その足で素材の「つづら藤」を取りに行ってきました。何箇所かあるところを探してあったので、短時間で結構な量の「つる」を採取することができました。
帰ってからそれをほぐして一本一本丁寧に仕上げ、いつでも編み物が出来るように準備をしました。これがなかなか大変。ヒマだからできることですね。

夜は映画「神に選ばれし無敵の男」を鑑賞しました。「船の上のピアニスト」のティム・ロスが魔術師ハヌッセンを演じていましたが、これはまったくの彼のはまり役。
第2次世界大戦前夜のポーランド、ドイツを舞台にナチが次第に台頭し力をつけていく模様を不気味に描き出していました。
それにしてもベートーベンのPC第3番が何と切なく美しく響いていたことでしょう。


  2月25日 (金)
ちょっとご無沙汰でした。別に体調をこわしているわけでなく、仕事が忙しかっただけです。しばらく前、更新をサボっていたら妹から「何かあったんじゃない?大丈夫?」と聞かれてしまったので、念のため。私のつたない記録を読んでくれていて、気にかけてもらえるというのはうれしいことです。
現在、前の職場から依頼されたホームページ作りにとりくんでおり、集中して作業をしているものだからつい自分のことが後回しになってしまうのです。だいたい素人仕事なので時間がかかってしかたがない。しかも長時間パソコンの画面に向かっているとどうしても目をやられてしまいます。今日あたり眼科に行ってこないといけないような状態です。まあ、あと少しなのでこのあとはゆっくり目の保養でもして(??)休むことにしましょう。
幸い今日から母は3日間のショートステイなので楽ができます。

おととい、ようやく母の確定申告をすませました。ちょっぴり家賃収入があるので、年金にそれを加えるといろんな控除を差し引いてもまだ数万円の税金をおさめなければならないので全く不合理です。今年はまだ我慢できるとしても、今年(来年の申告)から「定率減税」が無くなる方向だし、50万円の「老齢者控除」が無くなり、お年寄りから税金の取り放題。「あんまりにも不合理だ」と税務署の若い職員にあたりちらしていたら「こちらは事務処理をするだけですから・・」と済まなそうに言っておりました。「ちゃんと上司に伝えておきなさい」と捨て台詞を吐いて帰ってきました。
母の年金だけをあてにして生きている「パラサイト」人生の私としては「年金・税金問題」は家計を直撃するので、もう少し勉強してお利口にならなければと心をきめたのでした。

かなり長い間断続的につくってきた前の職場と新設予備校のホームページがほぼ完成しました。それぞれのサイトに納めてあとはブラッシュ・アップとメインテナンスをしていく段階に入りホッと一息です。
専門家による本格的なサイトとは異なりタグを書いていくだけなので素人っぽさが濃厚であるのはやむを得ないとして、自分なりに精一杯やったので悔いは残っていません。何事もこうして必死でとりくんではじめて少しずつものになっていくんでしょうね。その意味ではN大先生に感謝です。

ひのき登戸教室
薬学部専門予備校ネットビ・ファーマ


  2月22日 (火)
世の中にメールソフトというのは一体いくつぐらいあるのでしょうか。Windowsならば圧倒的多数がOutlook Expressでしょうし、Mac(OSX)ならばMailでしょう。それで全く問題はないのですが、なぜこのようなことを書いたのかというと、私が長年使っているソフトでEudoraといういわばMacの老舗のソフトがあって、この日本での開発・販売権を持った会社がこれまで相当に変わってきたのです。ふと気がつくとその権利はエッジからおなじみLivedoorに移っていたということを言いたかったわけ。
説明では2004年の1月からサイトがリニューアルされていますから、日本語版は1年近くLivedoorの製品として販売されてきているわけです。Livedoorがこのソフトの制作を担当しているわけではありませんからここでそれに関してソフトの優劣を云々することは意味がありません。私が思うのはIT関連企業としてのし上がってきているLivedoorがこのソフトを手に入れてどうしようというのかその意図にいささか疑問があるということを言いたいのです。
このソフト、スパムメール対策や検索機能という点では相当に先進的な機能を持っているのですが、いかんせん作りが古くマルチ・アカウントといいながら初心者であればまず絶対に設定がわからない仕組みになっていて、Tunderbirdのようなスマートさは全く感じられません。サイトでのソフトの説明で「自由自在マルチ・アカウント」と宣伝しながらその説明はマニュアルの1ページに少し書いてあるだけ。しかも何ともわかりにくく使い勝手も完全にバツ。
もともとこのソフトはアメリカ産のソフトの日本語バージョンですからLivedoorのすることといえばアメリカでのバージョンアップがあればそれを日本語対応版を出すことぐらいです。しかし、この1年で英語版のソフトが長足の進歩を遂げているのかというとぜんぜん。とすればLivedoorのもくろみは・・・・・??
私には「ほりえもん」の考えていることはソフトをいいものにしていこうという動機より、やっぱりアメリカ産だから未来性はあるに違いない、だから今のうちに日本での権利を買収しておけば金になるだろうという動機しか見えてこないのです。日本放送はともかくこのEudoraに限っては残念ながらじり貧ですね。世界中の開発者が知恵を出して開発しているオープンソースのメールソフトThunderbirdにも機能面ではるかに水をあけられていますからぁぁぁ・・・残念!
Mozilla Foundationが昨年12月7日にリリースした「Thunderbird1.0」はその後10日間で100万ダウンロードというすごい数字を記録したと言われています。マルチ・プラットフォームだし、ユーザーメリットを第1に考え、セキュリティにも優れた作りになっていることから現在話題沸騰のソフトなのです。
私はいろんなソフトを試すのが楽しみであることと、これまで長くなじんできたソフトですからこのEudoraはもうちょっとは使っていくかもしれませんが、メインにするかどうか、まず絶望的でしょう。さて「ほりえもん」、ユーザーに見放されたらおぬしはどうでるんですかねえ?

Mozilla Thunderbird 日本語版
Mozilla Thunderbird 英語版
Mozilla Thunderbird マニュアル(日本語)




  2月21日 (月)
ひろしです。
ちらし作りに夢中になっている自分が好きです。でも、家にかかってきた電話に「はい、ひのき登戸教室です」と返事する自分はきらいです。
ひろしです。
パソコン歴10数年。それなのに排出トレイを排出トイレだとばかり思っていたとです。
ひろしです。
孫がやってきました。「さあ、ばあちゃんにごあいさつしなさいね」と言ったら「はい、じいちゃん」と言われたとです。
ひろしです。ひろしです。


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昼過ぎから娘と孫を連れて白鳥を見にでかけました。これまで白鳥を確認した3カ所を順にまわることにし、まず一番近い田んぼへ。
いない!!そこは水だけ張った田んぼ。すっきりとして1羽の白鳥もカモさえいません。ええっ?もうシベリアへ帰ったのかな?まだちょっと早くないかい?と言いながら次の穂高町へ。
今度は、いた!!あいかわらず400羽近くの白鳥がカモといっしょにひしめき合っていました。途中で食パンを買っておいたので投げてやるとよく食べます。娘たちはこれほどまで近くで白鳥たちとたわむれることができるのは初めてのようで、寒い中で長時間パンをちぎっては投げてやっていました。
続いてこのまえはカモばかりだった白鳥湖へ。確かにカモだらけで、しばしカモたちとおあそび。白鳥はいないのかと思っていたら、上流300メートルほどのところに2〜300羽の白鳥がかたまって見えました。池田の田んぼに行かないでどうやらここにずっといるらしい。そこで今度は歩いて上流へ。
中州には首をうしろに回して休んでいる白鳥がたくさん。岸に近いところではパンをやるとかなり近くまで来てついばむ白鳥もいて、結構たのしむことができました。
この白鳥たちはあと1,2週間もすると次々とシベリアへ旅立つらしい。池田の我が家の上空をときどき観察していると飛び立つ姿が見えるかもしれません。







  2月20日 (日)
どんよりと曇った朝、庭に出てふと気がつくと消えかかった雪の上に何かしら動物の足跡が点々と・・・。ん、なんだこれは。歩幅が150pほどもあって、何しろ一つの足あとがゲンコツくらいの大きさです。犬にしては足の大きさも歩幅も大きすぎる。一体何が通り過ぎていったのでしょうね。大変興味深い足跡です。


夕方、娘夫婦と孫が白馬でソリを楽しんだ後我が家に寄ってくれました。少し見ない間にどことなく大きくなっている孫。「長野じいちゃん」に内心「・・・・」となりながら、それでも人見知りもせずいろいろと会話してくれる孫に成長の早さを感じました。
午後からずっと受け入れの準備で食事の支度などをしておりました。こんなときは自分でも日頃食べたくてなかなか食べられないものを用意します。たらふく食べていっしょに映画でもみることにしましょう。


  2月18日 (金)
夕方から天気予報通りまた雪です。低気圧が太平洋側を通過しているため関東地方でも雪のようですね。この前の雪と同じで重たい春の雪。あしたまでちょっと積もるかもしれません。

さて、今日はトマトの話。実は私はトマトが大好きなんですねえ。トマトがないと生きていけないくらいに好きなのです。冬のトマトというと季節感がないかもしれませんが、以前東京の杉並区に住んでいたときに近くの八百屋のおじさんがこう言ったのです。「冬のとまとっていうのは、温室でじっくりじっくり赤くなるまで大事に育てるからホントにうまいんだ」って。なるほど夏のトマトほどには赤くはないけれど、実がひきしまって香りもよくて実においしいことに気がついて、それからというもの市場から取り寄せてもらってよく買っていました。
東京町田市に移ってからはしばらくトマトから遠のいていましたが、ここ池田にきて最近また冬のトマトに出会いました。近くの農家でつくっているらしいのですが、大きくて立派な美味しいトマトです。
トマトはまるかじりするのが最高のぜいたく。直売所のおばさんも「トマトって包丁を入れちゃいけないんだってね」と言っておりました。もちろん夏は夏でおいしいのですが、冬のトマトが食べれらるここ池田は最高によいところです。幸せ。

とろこで直売所でまわりを見回していたら春の花がたくさん入っていました。何枚か写真を撮らせてもらったので、すこしずつ紹介していくことにしましょう。
その直売所にはトマトやきれいなお花たちとならんで、大きなセロリの株がたくさん並んでいました。
私がお店のおばさんの1人に「新鮮なセロリが入ったんだね。いいのを選んでよ。任せるから」と言うと、「私はちょっと根元が黄色くなった方がいいからこれだね」とう返事。「じゃそれにするかな。ああ、でもやっぱり私は青い方が好きだなあ」・・その会話を聞いていたもう1人のレジのおばさん「夫婦でなくてよかったね」だって。なんじゃそれは。夫婦だって好みは違うことはいくらだってあるんだよ〜〜。


お昼頃、いつものようにうとうととしていたら「おやき村」の村長さんから「手編みカゴの先生が来ているからこないか」と電話がありました。さっそく行ってみると、きれいに編んだ帽子を見せてくれました。何となくサファリ帽子のようで、花飾りをつけると小さい子にぴったりという感じ。それを見せにきたのかと思っていたらとんでもないことを言い出した。4月にビーズ編みの展示発表会をやることにしているが、その会場に私の作った編みカゴを出してほしいと言うのです。それも電気のかさになるあの大きな丸いヤツをこれから作ってそれを出品してほしいというのです。習いたての私に出来るはずがないと固辞しましたがどうにも聞いてくれません。よほどヒマな人間だと見透かされてしまったのでしょうか。何事も発表するとかでもしないと上達はしないものですが、それにしても大変なことになってしまいました。まあ見よう見まねで何とかやってみましょう。うまくいったらご喝采。


  2月17日 (木)
少年の殺傷事件が起きると「あんなにおとなしい子が」とか「目立たない子だった」とかという感想がよく聞かれますね。大阪府寝屋川市の市立中央小学校で起きた事件でも「”テレビゲームが好きで、おとなしい感じの子”と知る人たちは口をそろえた」(朝日2/14)と書かれています。
そもそも「おとなしい」とか「無口」とかということが驚きの第一声になるなんて私には信じられません。
府警の調べに対して犯行におよんだこの少年は「小学校や中学校でいじめを受けた。そのときに(先生が)助けてくれなかった」と供述していると報道されていますが、当時から数年もたっており因果関係は定かではありません。しかし「いじめ」が少年の心に穿った怨恨・憎悪・絶望の感情が他人には想像もできないほどの心の闇を拡げる動機となったのはおそらく事実でしょう。
これに対して、子どもや教師を守るために警察力を導入せざるを得ないのではないかという議論がにわかに現実味を帯びています。もはや学校では対処しきれない。その管理能力を超えているというのが理由ですが、本当にそれで解決するのでしょうか。親の立場からすれば、どうやって子どもの安全を確保するのかはそれこそ死活問題です。私も妙案をもっているわけではありませんし、同じような心の闇を膨らませていく青少年が増えこそすれ減っていく気配のない状態ではある程度の自衛措置は必要だとも思いますが、教育問題の根本的な問題<能力主義・選別主義の横行、教師の管理体制の強化>にメスをいれない対症療法ではおそらく事態はどんどんエスカレートしていくばかりでしょう。結局は警察力の常駐という最悪の事態に発展することになりかねません。
ほんとうにそれでいいのか。地域の再生、地域の教育力の復元という大きなテーマを住民自治の基本に据えることがいちばん望まれるのではないのか。1人1人の子どもが見えない地域。どこにどうしていようが誰も関心を示さない人間関係の希薄さ。そうしたことを解決しないで、結局警察だのみにしてしまうことの危うさを私はどうしても感じてしまうのです。

今日の夕方は「戦争の世紀を超えて」という対談に触発されてまたまた「将軍たちの夜」という映画を見てしまいました。
ナチスの将軍の1人の猟奇殺人事件とヒットラー暗殺の陰謀を絡めてポーランド・フランスを舞台に繰り広げられるドイツ将校たちの言動を描いたアメリカ映画です。
対談では戦後もナチスの残党達が戦争中を懐かしむ集会などがあったという文脈で出てくるのですが、私は将校の中での主導権争いでどんな性格の人間が結局実権をにぎりどんな方向に人々を導くかということの方に関心がありましたから、その意味でも大変興味深い映画でした。
これからもう少し当時のナチスの犯罪がらみの映画を続けて見る予定です。気が滅入ってしまいますけど。


  2月16日 (水)
今朝起きたら突然の雪。しかもどんどん降り続いています。きのうはあんなに暖かかったのに・・そう言えば天気予報で雪になるかもしれないと言っていたけれど、そのときはほとんど聞き流していました。朝起きてびっくりです。
今回の雪は気温が高いためにベタベタの湿った重たい雪。雪かきも結構力がいりました。それでも明日あたり日がさしてくれば多分すぐに消えてしまうことでしょう。


今日の午前中までビデオ(DVD)三昧で寝食を忘れておりました。ちょっとした中毒症状。スティーブン・スピルバーグの「TAKEN」というシリーズものの「空飛ぶ円盤」的SFを見続けていたのです。何しろDVD10巻全部ほとんどぶっ続けて観るという離れ業をやったために気が変になりそうでした。「未知との遭遇」続編というようなものでストーリーはどうと言うこともないのですが、挿入される少女の語りがなかななおもしろくてついつい見てしまうという悪循環に陥ったという次第。
母にはちょっとつれない態度もとっていたので、今日の夕食はちょっと奮発しました。
例のごとく「母上、夕餉はウナギにいたしました。」すると母曰く「そのような高価なものを・・」そう言いつつ何のことはないすごいスピードでペロペロと食してしまったのです。ゲンキンババ。


  2月14日 (月)
第9条を中心とする改憲の動きに関心をもたなかったり沈黙を保っていることが結果的に改憲勢力を利するのだとしたら、それが日本の政治の枠組みを後戻りできないほどに改変してしまうのだとしたら、そしてその結果日本が大っぴらに軍隊をもち米軍とともに海外に兵力を展開する軍事大国になっていくのだとしたら、そしてまたいかなる事情があるにせよいつの日か他国と戦火を交え他国の人々に(当然自国民にも)犠牲を強いる事態になったとしたら、その責任は一体誰がいつどのようにとるのだろうか。もし仮に現在アメリカがイラクでやっているように「自由」「国益」の名の下に大量殺人を平気で行う国になるのだとしたら、将来において私たち1人ひとりの責任はどう問われるのだろうか。・・・・「戦争の世紀を超えて」(森達也+姜尚中対談、講談社)を読んでいるとついそんなことを考えてしまいます。
この本は、いわばポーランドの普通の人たちがユダヤ人の虐殺を行った村を訪れてそこで見聞きしたことをもとに対談を行ったものです。
「善良なはずの一般市民が、徒党を組んだときに何かの弾みで、信じられないほど凶暴な衝動を発露する。その瞬間の微細な積み重ねが、やがて戦争へとエスカレートする」(森達也)
「わからないのは、なぜ戦争になるときに多くの人々は熱狂しながらそこに巻き込まれていくのかということです。巻き込まれるという意味は、否応なしにというだけではなくて、自らが突き進んでいく面があったことを示しています。だから一般の国民が騙されたというのは、歴史に反していると思う」(姜尚中)
これをきっかけにしてその後次々と重要な問題が話し合われていくわけですが、何が普通のごくありふれた民衆を「狂気」に駆り立てる駆動力となっているのかを執拗に問いかけていきます。
私は、その問題が「戦争のとき」と限定を付けるのはいささか問題を狭くしすぎると思います。平和に見えるいま・現在・今日・この瞬間にこそ人間の未来のありようを規定するもろもろの現象が積み重ねられていると私には思えます。「微細な積み重ね」に鈍感であってよいのか。そもそも現在における「微細な積み重ね」とは何を意味するのか。私たちが問いかけ、歴史に照らして検証するべき問題はいまこの瞬間にもつぎつぎと生起しているのだと思われてなりません。

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今日も昼近くからとてもあたたかい陽気。母が宅老所に出かけているのを幸い、例によって豊科までドライブに行ったのですが、あまりに気持ちがよかったのでわさび園の付近で車をとめて山やきれいな水をみながら付近をブラブラ散策していました。すると可愛らしい双体道祖神に出会いました。「水色の時」道祖神というのだそうです。なぜそう呼ぶのか調べてくるのを忘れてしまいました。(注1)
これはいったい何なんですか?? 一体安曇野の道祖神はどうしてこんなにみんな同じポーズなんですか?? 何しろみんな仲良ぴったりとくっついて肩をだきあい手を取り合っていっしょにどこかを見ているんです。不思議というか羨ましいというか・・・。ホントにいったいどうなっちゃってんの・・・・???
そこは村人達から大事にされているらしく周りがきれいに管理されていました。本道からは少しはずれたところにあるので誰も気がつきません。私もこんなところにあるとは思ってもいませんでしたから、ちょっとした発見。バレンタインデーにふさわしい出会いでした。
(注1)後から調べてみましたらこの道祖神、NHKの朝ドラ「水色の時」のために1975年につくられたものだそうです。古くも何ともない。ガックリ。この作品、彫刻家須藤賢氏の作とのこと。「氏は雲崗の半跏思惟像などの微笑み仏をモデルに多数の石仏を製作していて、この独特の微笑みを持つ道祖神が生まれた」という解説がありました。作品として見て欲しいということですかね。


話はガラリとかわりますが、ようやく独自ドメインをとってゆったりしたサーバーでホームページの管理ができるようになりました。メールも当然使えるのですが、まずホームページの引っ越しをして、そのあとメールもすべて新しいサーバーで管理しようと考えています。とりあえずしばらくは両方をつかえるようにします。

新しいホームページのURL[ホームページの住所:uniform resource locator]は次の通りです。
http://www.moo-azumino.com
同じページが現れればそれでOKです。新しいメール・アドレスは近々メールにてお知らせいたします。


  2月13日 (日)
私がこのホームページを立ち上げ、公開(航海?後悔?狡獪??)日記をつけ始めてからもう1年以上がたちました。妻にとっても同様です。久しぶりに一年前の記録を読み直しながら、ああそうだったなと懐かしく東京時代を思い出してしまいました。
まだ長野に越して一年はたってはいませんが、こうして記録をつけてみるとこの一年はずいぶんと長かったような気もします。
一日一日はすぐに経ってしまうのですけれど日々の濃淡があるおかげでそれなりに満足できる日々にできたのではないかと、これは現在の中間総括。

ただ、問題がひとつ。空気はいいし環境は抜群なんだけれど、どうしても運動不足になって一時期減少していた体重もまた復活のきざしです。
これからの最大の課題は健康・体力の維持、とりわけ定期的な運動。簡単そうだけれどなかなか実行できない悩みです。
暖かくなり早く明るくなってくれば、早起きしてまた農作業ができるようになるので、それで幾分運動不足は解消されることでしょうが、残念ながら身体の動きはそれだけでは軽くなりませんからね。お向かいのOさんにならって定期的にトレーニングに行って鍛えるのがいちばんかな。
今日も午前中にOさんとコーヒータイムを楽しんでいたのですが、そのときOさんが「Mooさんは割とすんなりいろんな人となじむことができるようなのでうらやましい」と私にいいました。自分はどうしてもつきあいの限度というか相手の心の内を見てしまってそれほど簡単につきあいができないと言うのです。
一見親しいように見えても内実はそれほどでもないのではないかという疑念はいつだってつきまとうかも知れないけれど、その壁を自分から作ったのではいつまでもなくならないわけで、自分でそれを実行する以外にないでしょう。どこでどのように深くおつきあいできる機会が訪れるかわからないものだ、と私は話しました。そういいつつ、こうやって結構腹を割って話し合えるほど深いお付き合いをさせていただいているわけですから、ご自身でおっしゃるほど壁を作っているわけではなさそうです。むしろ私は行動的なOさんの生き方に学ぶことのほうが多いので、こうしてお付き合いをさせていただいていることにとても感謝しています。
春になればさらに新しい友人ができることでしょう。新しい出会いというのは楽しいものです。まもなく合流する妻とともにたくさんの親密で楽しい人間関係を築けるよう努力することにしましょう。

次は私の手編みカゴ作品2〜5(一つはiMacの後ろ)です。先生の作品の足下にもおよびませんが、奥様からの「愛のバレ・チョコ」入りです!!




  2月12日 (土)
今日は午後から手編みカゴの先生のご招待で、穂高町のギャラリーまで作品展を鑑賞にでかけました。その先生の先生たちの作品の発表会があるので見にこないかとお昼前に突然電話があったのです。ちょうどヘルパーさんが来てくれる時間と重なっていたので、急いで母を起こし着替えをしてもらって食事を準備し、ヘルパーさんの到着を待って急いで出かけていきました。


会場の建物はアートヒルズのすぐ隣り。有明山の左側の扇状台地にあって穂高町や豊科町が見下ろせる気持ちのよい場所にあります。
中は一軒家の半分ほどをつかった広い一部屋だけのギャラリー。田舎の古い民家の建材を利用して作ったというこだわりの家で、これを中古で買い取ったというオーナーさんは「こんな家もう造りたくないと大工さんが言っていたらしい」と話していました。
さて、中にはとりどりの編みカゴの作品がずらり。うっとりと見とれてしまうような手の混んだ作品ばかりで、編み物初心者の私としてはいよいよ闘志がかき立てられました。
この作品展の模様は「安曇野の四季」に久しぶりにアップしましたので、ご覧ください。

手編みカゴ作品展示会
会場は撮影禁止でしたが、お願いして撮影を許可していただきました。


  2月11日 (金)
朝はうっすらと雪化粧をしていましたが、日が高くなるにつれてポカポカとしたいい陽気になりなかなか眠気がとれません。
夕べは、どことなく体温が高く感じ鼻がぐずぐずしてきたので風邪かなと思い早めに布団にはいりました。ところが早く入りすぎて夜中に目がさめ、その後寝たものの眠りが浅かったのでしょう。午前中ずっと夢心地でした。お風呂に入ってゆっくり暖まったらまたまた眠気がおそってきましたが、風邪はどこかにいってしまったらしい。

さて、ここずっとビデオの「剣客商売」にはまっていて豊科に行ってはDVDを借りてくる日課。2年ほど前に文庫本で全巻読破したことがあって、そのときと似たような症状がでてしまいました。そうなんです。食事時になると「母上、食事の用意ができました」というセリフがつい口をついて出てしまうんですね。そうすると母は何を思ったか「そうでござるか」と返事を返します。
「母上、今日も根深汁です」・・・ごはんにネギのみそ汁だけ。どうしようもない親子ですね。

豊科まで行くときはたいてい高瀬川沿いを走るのですが、最近よく白鳥が群れで一列になって飛んでいる光景を目にします。白鳥座というのは本当によく名付けたもので、あのスタイル。首をまっすぐ前に伸ばして大きな羽根を羽ばたかせて飛んでいく姿は実に美しい。よそ見運転になりそうです。
その向こうにはまだらに雪に覆われた有明山が雲を頂いてみえます。例の「信濃安曇族の謎を追う」という本を読んだ後は有明山もちょっと違ったたたずまいで見えてきます。今日はちょっとそのことを書いてみます。


「信濃安曇族の謎を追う」という本の筆者坂本博さんは同じ池田町に住む信州大学名誉教授の学者さんでいらっしゃいます。
「どこから来て、どこに消えたか」という副題の通り、この本は謎に包まれた安曇族の興亡の歴史を解明しようと試みた意欲的な本です。さながら推理小説を読むようなおもしろさがあります。
私はてっきりこの安曇野は単に塩や海産物の交易という商業的な動機で安曇族と関係があるとおもっていたのですが、どうやらあさはかな素人考えのようでした。あらましはこうです。

西暦527年継体大王が朝鮮半島支配のために大軍を送ろうとしていたとき、それに抵抗した筑前磐井との間で戦争(注1)が起きます。物部アラカヒを大将軍とする朝廷軍と磐井軍は1年3か月戦い、ついに磐井は敗れます(注2)。よく知られているようにそのとき磐井の子の葛子が本拠地の糟屋の屯倉(みやけ)を差し出して助命嘆願をしているのです。筆者はなぜここで葛子が本当に生き延びたのか、もしそうだとすればそれはどのようにしてなのかということに強くこだわります。
その結果、当時海運業などで活躍していた安曇族は磐井側についてはいたが、戦争そのものは内陸部で行われたため海民である安曇一族は無傷で残ったであろうこと、助命嘆願をしてもおそらく葛子も安曇一族も許されるはずはなかっただろうこと。つまり結論として彼らはどこかへ逃げるほかなかったであろうという結論が導かれることになります。
さて一方、話は飛んでこの安曇野には八世紀末に有明山中で退治されたという「八面大王」の伝説が残っています。筆者はこれを「やめのおおきみ」とも読めること、さらに筑前八女に本拠地をおいた安曇族にとって葛子は「八女王葛子」であることに注目します。そして長い考証ののち安曇族は糸魚川から白馬を越え一路現在の松川村、池田町辺りまで逃げ延びようやく安住の地を得たのであろうという結論を引き出すのです。
しかしまた同時に関西にも別の安曇族がおり、これは太平洋側から信濃に移住してきて穂高方面に勢力を拡げたことも論考されています。つまり二種類の安曇族がいたらしい。筆者は前者を「アヅミ」、後者を「アンド」とよんで区別しています。なかなか複雑です。

この本では現在の池田町や大町・白馬村・小谷村などで「エゴ」と呼ばれる海草からつくった食品がよく食べられていることに注目しているんですね。実はこの「エゴ」は博多・福岡など九州北部の「オキュウト」と同じものであることからその分布を調べておもしろい事実を明らかにしています。私は富山ですからこの名前は聞いたことも見たこともありませんでした。一体誰がこの食品をここに持ち込んだのか。さらにまたなぜ安曇族の上陸したのが糸魚川であったのかも注目に値します。継体大王は越前の出身ですからほとんど平野続きの富山あたりまでは当然支配下にあったでしょう。ところが険しい親不知・子不知の向こうからは異種族である越のエミシの支配下です。安曇族にしてみれば、交易の相手であった彼らから以前からいろいろな情報を入手していたことでしょう。つまり安曇族は最短で最も安全な逃げ道を選択したというわけです。
この本の後半では、松川・池田町あたりに移住した安曇族がどのようにして滅亡したのかという謎解きに入っています。これも八面大王を手がかりにして推測を重ねています。推測が多いものの結構説得力があるのでおもしろい。
結論からいうと、安曇族は逆賊(ネズミ族)として、当時東北の蝦夷を征服するために派遣された坂上田村麻呂の加勢を得た仁科軍に滅ぼされたのではないかということです。
当時の中央政権が各地に激しい徴用・徴兵を課して越のエミシや東北のエミシを征服するために軍事行動を展開したこと、それに対するサボタージュや反乱が各地であったこと、地方の領主の間で激しい主導権争いがあったこと・・・安曇野を切れば「日本」史のいろんな断面が見えてくるんですねえ。興味がつきません。
私としては、方言の問題や道祖神あるいは神社の曳舟を糸口にさらに安曇族の興亡について考えてみたいと思っているんです。坂本先生、よろしくお願いします。

「建国記念の日」にこうした日本史の断面を考えるというのもなかなかなものです。(注3)

(注1)ーーふつう「磐井の反乱」といわれている戦争がおこります。これまでこれは「反乱」と言われてきましたが、「反乱」ということばは、ひとつの中心があることを前提としており、その中心はヤマトということになります。しかし、このころはヤマトのみが中心ではないので、この戦争は「反乱」ではなく、ヤマトの王権と北九州の王権ともいうべき磐井との戦争と考えたほうがよいと思います。ーー(網野善彦「続・日本の歴史をよみなおす」P.73)
(注2)ーーこの反乱が一年三ヶ月にわたって北九州一円をまきこんだのは、戦争のための兵士の動員と物資挑発に抵抗する北九州の人民の支援があったからである。磐井は激戦ののち敗死した。ーー(「日本歴史<上>」新日本新書)
(注3)ーー日本という国名が決まったのはいつなのかといいますと、現在の大方の学者の認めるところでは、浄御原令という法令が施行された689年とされています。(中略)いずれにしてもはっきり言えることは、このとき以前、つまり倭から日本に国名を変えた時より以前には日本国という国は地球上に存在していなかったということです。(中略)「聖徳太子」は日本人ではなかったのです。自分で倭人と言っていたのですし、倭人イコール日本人では決してないのですから。ーー(網野善彦「歴史を考えるヒント」P17〜18)



  2月9日 (水)
ここ数日、私の生活は高度一万メートルの空気みたいなものでした。生活にも濃淡はあるわけで、ビデオを見たり雑誌を読んだりしているうちに何となく過ぎてしまったような気がします。まあそれも今後の行動の充電期間といえなくもないので、それなりに意味はあるのかもしれませんけれど。映画は結構集中して最後まで見るくせに、本を読もうとすると眠くなるというのは頭がなまってきた証拠でしょうか。ちょっと劇辛の刺激が必要のようです。

国会の衆議院予算委員会では自民と民主の泥仕合(?)で聞くに堪えない言動が飛び交っています。「売られたケンカは買いたい」と自民党馳議員。その低級さは底なしで聞いていられない状態です。
「売られたケンカを買う」というのは一体どういうこと? こっちが悪いことをしているのはわかっているがそっちも相当悪いことしているじゃないかと言っているわけ? 旧橋本派のヤミ献金事件や自民党の迂回献金などの解明はそっちのけで、他党批判に問題をすりかえ結局はくさいものに蓋をする自民党の無反省・無節操ぶり。もう腐敗しきったこの体質はどうしようもありません。

テレビをつければ、いよいよ今日午後7時半から開始されるサッカーのW杯アジア最終予選・日本対北朝鮮のことでもちきり。拉致問題や核疑惑の政治がらみでいやがうえにも関心がたかまっていますが、冷静にスポーツの問題として対戦・観戦・応援・報道をすべきでしょうね。これから楽しみに見ることにしましょう。


  2月6日 (日)
夕方から自治会の集まりがありました。いくつかの審議事項があったからです。
審議事項の第一は集会所の改修問題。どこでも公民館や集会所の補修・改修には頭を痛めているようでこの町内も例外ではありませんでした。
またお祭りの船を新しく作り直すという氏子総代の報告もありました。どこの神社の祭りでも祭りのときは大きな船がでるのです。かねてからなぜこんな山あいの町で祭りに船なのか不思議で仕方がありませんでしたが、私の予想では「塩の道」と関係があり、その塩の流通に西日本で活躍していた海人の「安曇族」が関係しているのではないか・・・とふんでいるのですが。まだくわしく調べてはいませんけれど、「信濃安曇族の謎を追う―どこから来て、どこへ消えたか」(坂本博著 近代文芸社新書)あたりがその謎を解決してくれそうです。
さらに災害時の避難の仕方も話題になりました。20年前にはすぐ近くを流れる高瀬川が氾濫寸前までいったという話やつい最近の集中豪雨でもあと1時間ふったらあぶなかったという話もあって、地震だけでなく水害についても身近な問題なのだと思わされたことでした。避難場所や避難方法の確認もしましたが、いざ災害となったら逃げるのに精一杯でみんなで一カ所に集まってそれからと言っておられるかという話もありました。とにかく上流のダムが決壊したり集中豪雨などによる水害の場合は東山(新しく土地を求めたあたり)に逃げることが大事だということになってギョギョギョ。

今日は日中は本当にポカポカ暖かかったので母を連れて外に出ました。ついでに自治会常会長の家に母の介護のために会議を早退するかもしれないと了解をとりに行ったのですが、あがっていけとおばあちゃんに言われ、おいしい野沢菜や梅の甘酢漬けをごちそうになってきました。どこの家でもやっぱり野沢菜をたくさん漬けているのですね。とてもおいしくてペロリと食べたら、それを見ていたおばあちゃん「少し持っていくかね」と言ってくれラッキーでした。よほど物欲しそうな顔つきをしていたかなあ・・・。




  2月5日 (土)
日が長くなってきたことが実感できます。前は4時を過ぎると暗くなっていたのに今は5時過ぎてもまだ比較的明るい。天気がいいだけあって、日が落ちると寒さが急に押し寄せてきます。
今日は母の84才の誕生日。「今日誕生日だよ」「わ〜」。反応はそれだけすが、元気で84回目の誕生日を迎えられただけでよしとしなければなりませんね。机の上のスイートピーがいい香りを漂わせています。めっきり足腰の弱ってきた母ですが、内蔵は丈夫なのでまだまだ長生きしてくれるでしょう。
母の精神状態はすべて私の精神状態です。つまり私のあり方が結局は母に強く影響するということです。しかし、最近は逆に母に教えられることの方がはるかに多い。どんなに私がいらついて、時には辛くあたることがあっても、しばらくすればすべて忘れてまたもとのように優しく私に接してくれる母なのです。そんなときは本当に自分が情けなく母に心から詫びなければいけないと思わされます。
様々な問題をかかえつつ在宅介護で苦労をしていらっしゃる大勢の方がこの世に存在するわけで、問題はこれからでしょう。だんだん足腰が弱って立てなくなり寝たきりになったときの対応。そして、やがてくる私自身の問題。否応なしに高齢者問題に直面しなければなりません。




  2月4日 (金)
天気がよかったこともあって朝の冷え込みの厳しかったこと。ペットボトルがまるまる凍り付き、家中の窓の結露が全部凍り、車の窓は氷の結晶ですばらしい模様ができあがっていました。氷点下7〜8度くらいまでになったのかしらん。それでも昼近くなると割とあたたかくなってきました。


私が前に勤めていた会社(塾)のホームページづくりが大詰めを迎え、ちょっとくたびれたので母がデイサービスに行っている間に豊科まで買い物に出かけました。お目当てはビデオ録画用のDVD-Rメディアと本。
池田を離れて穂高町に入るともうほとんど雪がありません。大きな寒波でこんなに降ったのに30分と離れていないところで雪がないなんて信じられません。お日様もでていたので昼はようやくちょっと暖かい日和になり、しばし雪のない午後を楽しんできました。
本当は本屋に行きたくないんですね。つい何でもまとめ買いしたくなってしまいますから。今回も我慢しつつもやっぱりちょっとだけ衝動買い・・・でもないか。仕事でつかうためのホームページ・カラー/サンプルブックというのと岩波新書の新刊「ポストコロニアリズム」というかなり刺激的な本を買って、帰ろうとしていたら「週刊金曜日」が目についたのでこれは衝動買い。
実はそれで終わらず、となりにあるビデオやさんについふらふらと入っていってしまいました。そこで、まだ見ていなかった「華氏911」と「雨あがる」と「剣客商売」を二巻借りちゃいました。あしたはビデオの日にしたいなあ。
というものの、明日は母の84才の誕生日なので、帰りがけにバナナとイチゴとスイートピーを買いました。一日だけでも親孝行息子をデモンストレーションしないと・・・。

本屋でちょっとびっくりしたことがありました。趣味のコーナーに何とiPod関連の本がズラ〜と並んでいたのです。Appleに関する本は過去のある時期には本屋にほとんど無くて、ずいぶんと虐げられてきていましたが、これはまた何という時代の変わりよう。そういえば、マイクロソフトの社員の80%がiPodを持っていて会社の自粛要請にもかかわらず「やめられない、止まらない」状態だとHotWired Japanが伝えていましたね。
ーーーー→『iPod』を「自粛」できないマイクロソフト社員たち
痛快痛快。
iPodがうれまくって、Apple社はそのうちiPod社になってしまうのかな。もっとMacに力を入れましょう。
ところで、私と言えば、つい先日iPodをヤフオクで売ってしまったんだっけ・・・。しまった。


  2月2日 (水)
朝早く起きてみると予想どおり戸外は真っ白。20pほど雪が積もっていました。降りしきる中、やむなく除雪道具を持って外へでて小一時間雪かきです。こうして除雪をするのは何年ぶりなのでしょう。ちょっと懐かしいような、めんどくさいような。降ったといってもかわいらしい程度ですが池田ではよく降った方なのでしょう。みんな外に出て家の前や道路の雪よけをしていました。


8時過ぎに家に戻ると宅老所から「予定を早めて迎えに行きたいのでよろしく」という電話があってあわてて母を起こし準備にかかりました。母は目を手で擦るものだから昨日辺りから目が腫れて赤くなっており、またまた世話を焼かせてくれます。無意識にこするのでしかたなく迎えに来るまで椅子に右手だけしばりつけて動かせないようにしておきました。ひどくなると両目がつぶれるほどに腫れてしまうので(体験済み)さわらせないことが第一なのです。ひどくならないで治ってくれればいいのですが。

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バヌアツにいる姪のまきちゃんから久しぶりに頼りがとどきました。今回はどっさり写真を貼付してくれたので写真中心の「バヌアツ便り」になっています。さっそく「第3回、第4回」としてアップしました。

     「まきのバヌアツ便り」

いまバヌアツでは12月から2ヶ月のクリスマス休暇(夏期休暇)中。休暇を利用して出かけたタンナ島でのホームステイの模様が記されています。こちらでは想像もできないような現地の人々の生活がとても興味をひきます。
彼女はつい最近これも休暇を利用してオーストラリア旅行に行ってきたばかりです。「久しぶりの大都会で目が回った」と書いていました。そして「バヌアツは当たり前だけど全然変わっていなくて、相変わらず天国みたいにきれいで、のんびりしていて、帰ってきたんだなぁと感じました」とも。
ダンスを踊る子どもたちの表情が実にいい。すこやかに育ついのちそのものという感じですね。是非彼女のお便りを読んでみてください。




  2月1日 (火)
まだ暗い戸外は霧のような雪が強い風に乗って吹き付けています。体温がすぐに奪われてブルブル。強烈な寒さが押し寄せてきています。いったいこんな日は気象衛星の雲の様子はどうなっているのでしょうか。
筋状の雲が北アルプスなどの高山に阻まれて北陸を中心に厚い雪雲としてたまっているのが見えます。秋田から島根あたりまでが雲の下。山沿いではとくにひどい積雪になっているのでしょう。朝の情報では富山はすでに一晩で50pほど積もったらしい。池田は不思議なことに幸いほとんど積雪がありません。
気象衛星の画像でも太平洋側は全く雲がなくとくに関東平野はすっきりと晴れ上がっているのがみえます。さぞ乾燥した冷たい空気になっているのでしょうね。春が待ち遠しい。


昨日辺りからようやく首、肩がよくなって痛みもほとんどなくなったのでホッとしています。また再発しないように十分注意しないといけません。「年」ですから。

午後になって長野県北部にも大雪警報がでました。明日までに池田でも少し積もりそうです。
午後ヘルパーさんが来てくれている間に手編み「カゴ」の講習の続きに行ってきました。材料はたっぷりとってきてあったし、一度やっているので今日はかなりのスピードで編むことができました。完成品は下のとおり。小物を入れておくのにちょうどいいかも。こんなことをやっているなんて、ヒマだなあ〜〜。


と、言っている間に、どんどん雪が降って、これは明日の朝まで30pくらいは積もりそうです。日本海沿いはもっとひどいことになっているのでしょうか。豪雪の気配濃厚。




"ONLY" by Mr.Blue Piano Man


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