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  6月29日 (水)
妻の引っ越しがようやく一段落。まだ部屋の片付けは残ってはいますが、昨日・今日の妻のがんばりで何とか3人で生活していける形が整いました。
何十年も暮らした一軒家を引っ越すとなると荷物はハンパではなく、果たして池田の借家に入りきるか心配でしたが、幸い大きな倉庫がついているので、当分不要なものはそちらに押し込んで解決。
今日は妻は台所の片付け、私は外の草刈り。夕方借りている畑の草取りにも手を出せる余裕も出てきました。

引っ越しの月曜日あたりから空模様が梅雨空になり、昨日から今日にかけてまとまった雨が降りました。ところによっては豪雨になったようで、昨日あった人も「高瀬川が濁流ですごいことになっている」と話していました。池田はそれほどではなく作物にはほどよい降雨。おかげで草は伸び放題。少し前に刈ったばかりなのにもうびっしりと生えています。キュウリは雨が降るとたちまち大きくなるので嬉しいのですが、最近はなりすぎ。近所の方に配っています。

夕方には母も帰ってきて、ようやく3人の生活に。さて、これからねじを巻き直して新しい人生の再スタートということになります。




  6月25日 (土)
暑い暑い。午後からの気温は33度を超えていたでしょう。朝撒いた水も夕方には完全に干上がって鉢植えのトマトの苗はもうしおれていました。ほとんど雨が降らずこの暑さが続けば作物に相当な被害が出るのではないかと思われます。早くまとまった雨が降ってくれるのを願うだけです。

息子が午後2時近くに到着したので、すぐにその車でラベンダー農場まで行きました。ちょうどラベンダー祭りの最中でいろんなイベントが行われているのです。
行くと「サバイバル・ゲーム」を取り仕切る社長の声が。何人か川の方に走っていくので宝探しでもやっているのかと思ったら、沢ガニを早く捕ってくるゲーム(?)だそうです。確かにガーデンにつくと小さなカニをもった人が「取った取った」と息を弾ませて走ってきたのでびっくり。こんなところにカニがいるんですね。
会場の端では、一組が木を擦っての「火起こし」に挑戦していました。どうやら最後の組らしくかなり長時間やっているとのこと。汗を流しながら懸命にヒモを引っ張って木を回転させる表情は真剣そのものでした。


私たちはちょっと休憩した後、ラベンダーを摘みに農場にでかけました。斜面一面に咲き始めの株が植えてありコップ一杯500円。私は実は「摘み放題」のフリーパス所持者なんですが、行事の最中だったのでちゃんとお金を払って農場へ。炎天下の摘み取りの大変さはハンパじゃない。木曽傘は息子に貸したので、私は脳天がヤケそうでした。コップ一杯もとらず下山してしまいました。
息子はその後「ラベンダースティック」に挑戦することになりました。しかしどうも編み方がいまいちで、講師のNさんが一生懸命に教えてくれた甲斐もなく、あえなくギブアップ。
ヘルパーさんが帰る時間になったので、記念写真をとってガーデンをあとにしました。




  6月24日 (金)
15才の少年の両親殺害事件、イラク派遣の自衛隊に対する爆発物事件、米国大手クレジット会社での情報大量流出事件・・・・気が滅入るような事件・問題が頻発しています。どれもそれぞれ背景があり、深くその根っこを分析しなければならない問題ばかり。ここでもいずれコメントすることもあるでしょうが、今日は何と言ってもこれ。「サラリーマン増税」。
政府税調の答申「個人所得課税に関する論点整理」によれば「現行の個人所得課税制度は少子・高齢化など社会の変化に対応できておらず」「ゆがみや不公平」が起こっているとして、(1)2006年度には定率減税を廃止(2)給与所得控除は一律控除を見直す(3)配偶者控除・扶養控除の見直し(4)住民税は所得税と独立して整理合理化をはかる などがあげられています。
仮に給与所得控除が半減され、配偶者控除・扶養控除が無くなったとするとどうなるか。サラリーマンと専業主婦・子ども二人の4人家族でみてみると、年収500万円の家庭の場合、所得税・住民税の合計が現行で16万円だったものが42万円の増税で何と合計58万円の徴税。
増税額だけで見た場合、年収400万円のサラリーマン家庭では年間約34万円の増税、年収600万円では56.5万円、年収800万円では80万円がそれぞれ増税となります。実に年収の1割が更に税金で消えていく、しかも低所得者ほど高負担となる未曾有の大収奪の方針なのです。
これは直接税の増税であってまだほんの序の口にすぎません。同時に発表された「骨太方針05」では「歳出・歳入一体改革」として次のように書かれています。
「おおむね1年以内をめどに、政府の支出規模の目安や、国・地方を通じた主な歳出分野の中期的目標の在り方、歳入面の在り方を一体的に検討し、改革の方向について選択肢と改革工程を明らかにする」
どういうことかというと、今後1年以内に消費税増税を含む「選択肢」を示して、07年以降に消費税増税を実施するということです。消費税のアップについては自民・公明・民主党では既定の方針であり、税率をどうするかという段階に入ってしまっていますから、このまま推移すれば間接税でも大増税が襲ってくるのはもはや時間の問題です。
さて、これで黙っているとしたらどうかしていると私は思いますが、小泉さんの腹に入って国の財政危機を乗り切るにはこれしかないと納得するか、はたまた文句を言ってみても始まらないとあきらめるか。いずれにしても選択は秒読み段階といえるでしょう。
そして今日、東京都議選告示日。


今日の午前中、予定通り整形外科に行きました。「大きな病院でMRIなどで検査してもらいますか」と先生が言うので、紹介状を書いてもらって後日行ってくることにしました。今日は痛み止めの注射をしてから電気をかけてもらいました。電気刺激の気持ちのいいこと。15分くらいでしたが、ついウトウトとしてよだれを垂らしてしまった。情けない。
その足で「おやき村」に寄りました。引っ越しのため、しばらく手伝いができないことを連絡しようと思ったのです。
いつもの村長さん、建物の風通しをよくするため冬用の枠木をはずす仕事に汗を流していました。そのUさんが私をみるなり「ワラを持ってくるかね」といい、私を連れて自宅まで大量のワラ束を取りに行き、帰りにはわざわざ我が家まで運んでくれました。おかげでカボチャの敷きワラができて助かりました。
その後は陸郷の建設会社事務所まで設計図を届けに行ってきました。事務員のNさん、設計担当のTさん、社長の息子さんがいて、いろいろ話がはずみつい長居をしてしまいました。明日のラベンダー祭りでの再会を約束しておいとま。
明日は引っ越しの手伝いに来てくれる息子とともにラベンダー祭りを見に行ってくる予定です。


  6月23日 (木)
ワ〜〜ッ!! 大量のタケノコが押し寄せてきました。昨日から今日にかけて3人の方から地元のタケノコを貰ったのです。
まず昨日は私のつる編みの先生でありビーズ編みの講師をしているH先生から大きなたけのこをいただきました。続いて昼過ぎ近くの方が「この前野菜を頂いたから」と言って茹でてすぐに食べられるタケノコを持ってきてくれ、さらに夕方近くになって今度は大家さんが竹林で取れたからと大量のタケノコを持ってきてくれたのです。


こちらのタケノコは写真のように細長いタケノコです。孟宗竹ほど大きくないのでまだ助かっていますが、それにしても大変な量。夕食は柔らかい昆布とタケノコの味噌煮にして、母といっしょに旬の味をたっぷり楽しみました。明日から当分タケノコ責めです。
「こちらには孟宗竹はないんですか」と大家さんに聞くと「気温が低くて冬凍てつくから孟宗竹は育たないだ」という返事。なるほどその土地その土地に合ったタケノコがあるというわけですね。そう言えば農協の直売所にもこればっかり。私はタケノコと言えば孟宗竹だとばかり思っていたので、どうしてそれが無いのか不思議でした。今日で疑問が解けました。

今日お昼前に富山の妻に電話したら、私の妹がわざわざ引っ越しの手伝いに来てくれていて今庭の草取りをしているのだと言っていました。準備のもうあと僅かになったと言っていましたから引っ越しも無事に済ませることが出来そうです。何しろ一軒家の引っ越しですから、何かと大変だったろうと思います。こちらもあと少し収納場所を確保して引っ越しに備えなければなりません。
それにしても腰の状態が好転せずなかなか辛いものがあります。電話の中で妻から「医者へ行っているの?」と聞かれ「もう行ってない」というと「ちゃんと行きなさいよ」と諭されてしまいました。明日は母を送り出してから行ってきます・・・。

今日、沖縄戦終結から60年。現地では戦争の実相を語り継ぐ努力がいまなお続けられています。どうしてもこの地上戦のことは知っておくべきです。
そして今日は沖縄と日本全国に米軍基地をおき列島全体をアメリカのアジア戦略の要石と変えることになった現行日米安保条約締結から45年目の日です。この2つが重なっていることの因縁、重いものがあります。


  6月22日 (水)
都立学校の卒業式を巡るさまざまなレポートを読んでいると、ファシズムはすでに東京の学校で根を下ろし始めていると感じざるを得ません。
まず「日刊ベリタ」に載った1つの記事を見てみることにします。
これは、入学式で君が代斉唱のとき起立しなかったとして、東京都教育委員会から5月27日に1か月の停職処分を受けた根津公子教諭(54)=立川二中=が関係者に送っている「停職『出勤』報告」の一部です。

君が代起立にNO! 根津教諭の「停職『出勤』報告」(1)
君が代起立にNO! 根津教諭の「停職『出勤』報告」(2)

次は「世界」(岩波書店)6月号に載った「覆面座談会」におけるいくつかの発言です。
この中では、東京都教育委員会が昨年10月23日に各学校に当てて出した通達以降にどのようなことが起こったかを現職・退職教員と保護者5名が語っています。
ここで引用すればいいのでしょうが、長くなりそうなのでいくつかの要点のみ紹介しておきますね。
都立学校で共通しているのは以下のような事態です。
2,3年前まで教師・生徒が話しあって卒業式をつくっていた学校でももはやほとんど例外なく教委がきめた通達の別紙要項(国旗は式典会場の舞台正面に掲揚する。教職員は会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国家を斉唱する)に基づいて行われたこと。
卒業生の要求も校長から「自分の首が飛ぶ」と無視されたこと。
職員の座席配置は校長の職務命令の文書の中であらかじめ決められ、教頭が監視役を務めていたこと。
「国歌斉唱」の際に立たなかった教師に対しては校長・教頭・指導主事からあとで呼ばれて「現認」と称する「事実確認」が例外なく行われ、それに基づいて処分が行われたこと。
さらに養護学校では肢体不自由の子どもを無理矢理立たせたりスロープをわざわざ特別予算でつくって壇上に上がらせたりという人権無視が強行されていること・・・
いずれも驚くべき実態です。

私自身も(都立ではありませんが)学校現場にいましたから、どのように卒業式が準備されるのかはおおよそわかります。
その運営については職員会議で担当部から提案され議論されて決定されるわけですから、よほど民主的に運営されている学校でないかぎり保護者・生徒には予行または当日までその内容はわかりません。
根津先生のように校長から保護者に一方的に「この教師は●●で問題が多い」などと言われればそうかと思う仕組みが出来上がっているのです。
「国旗・国歌法」の制定時に当時の小渕首相自らが「義務づけるものではない」と明言しているにもかかわらず、大綱的基準にすぎない「学習指導要領」をたてに「研修命令を含めた処分の対象になるのは当然である」と言い切る教育長。石原都政の縮図が確かにここにあります。

さて、座談会では教職員側の対応として今年に提訴した訴訟(国旗に向かって起立し、国家を斉唱する義務がないことを確認する、など)について語り合われています。この訴訟をどれだけの広がりで支えられるかがその判決の行方を左右するでしょう。

嫌なことは嫌とはっきり言わなければそのつけを払うのは自分です。言い古されてはいますが、ますます重みのある言葉--この時代においてまさしく「沈黙は承認」なのです。


ところで東京のこの例は突出した1つの例外的な事態に過ぎないのか。なぜこれほど執拗に「国旗・国歌」を教師・生徒に義務づけるのか。その背景は何か。そうしたところまでえぐり出さなければ、この東京の事態に正確に対応することはできません。
実はこのことについて、これほど象徴的に表現している文章を見たことがないという「シロモノ」をひとつだけ引用しておきます。あとの考察は読者のみなさまにお任せということで。

「戦後民主主義」は「1946年憲法」の第3章が「国民の権利および義務」との見出しを有しながら、実際には義務についての規定はほんの僅かにとどまり、そのほとんど全箇条を挙げて国民が享受し、行使すべき権利の羅列になっているところによく表れている如く、まず権利意識の高揚を以て世間に広まり始めた。爾来50余年、日本人は幼少の頃には学校という教育の場で、長じては職場という実生活の空間に於いて、将又(はたまた)老若男女を問わず家庭という休息と和楽の場に在ってすらも、常々権利を主張することを教え、教えられ、いつしかそれが恰も社会的本能とでもいうかの様に生来の性癖として身に付いてしまっている。
具体的な行動について言うならば、戦後の日本人は何かにつけて「貰う」こと、「要求する」こと、時には「奪う」こと、総じて権利の行使と称して獲得と所有に関わる我欲を貫き通すことが好きな人種になった。そしてそれ故にその顔付が一様に卑しくなった。一言以て此を言えば「戦後民主主義」は日本人を卑しくし、醜くした。(小堀桂一郎「靖国神社と日本人」)


引用するのも恥ずしい文章ですが、たかが靖国宣伝部のMr.Koboriというなかれ。300万票のMr.Ishiharaと同根の主張でもあるのですから。
それにつけても、こんなことを書いている私は相当に「卑しく醜い」顔をしているんだね。きっと。
そして、Mr.Koboriさまはさぞかし高貴なお顔をされているのでしょう。パンパン(柏手のつもり)。

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ドライフラワー・アレンジメント作品No.23アップしました。写真がちょっと悪いのですが、作品自体は初のオリジナル。なかなかの出来と一人で自己満足しています。


  6月21日 (火)
戦没者を追悼するための新しい国立追悼施設の建設問題がまたまた浮上しています。
KOIZUMIさんに言わせると「靖国神社に代わるものではない」し「建設するかどうかも含めて検討しようと(いうことだ)。つくるからプラスとか、つくらないからマイナスという問題じゃない。言われて考えるものじゃない。日本人自身の問題だ」(朝日新聞)ということですから、彼の在任中にどうなるかはわかりませんが、内外の風当たりを緩和する方策として現実的な検討課題になってきていることはまちがいありません。
もともと国立追悼施設を巡っては2転、3転の経過があります。
1956年に日本遺族会が靖国神社の「国家護持」を要求します。それに対応して自民党はすぐに「靖国社法草案要綱」を出し、57年には靖国神社自身も「靖国神社法案大綱」を発表します。それまでの宗教法人格をはずして戦前と同じ国営化しようというものでした。
60年代の末には自民党は「靖国神社法案」を国会に上程、以後国会に繰り返し持ち出されることになります。しかし宗教性を否定すれば靖国神社ではなくなってしまうわけで、これは伝統儀式に固執する靖国神社側の強固な反対もあって挫折してしまいます。
それ以後この「靖国神社国家護持」という方向は影をうすめ、代わりに登場するのが「国立戦没者追悼施設」の建設でした。
2001年8月13日に小泉首相が首相として靖国参拝を強行しアジア各国からの激しい批判を浴びます。このときの「総理大臣談話」の中に次のくだりがあります。
「内外の人々がわだかまりなく追悼の誠をささげるにはどのようにすればよいか、議論の必要があると私は考えております。」
この談話に基づいてこの年の末に福田康夫官房長官の私的諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が設置され、翌年「国を挙げて追悼・平和祈念を行うための国立の無宗教の恒久的施設が必要である」という報告書が提出されるのです。(高橋哲哉「靖国問題」)
さて、小泉首相訪韓にからんで「国立戦没者追悼施設、自公の幹事長が調査費計上で一致」などという報道を読むにつけ、根本的な問題が何一つ顧みられず、ただアジア各国の反応のみに対応しようという姑息さだけが際だって見えます。
侵略戦争であった「あの戦争」を積極的に評価する立場を持ちつつこの新追悼施設をつくるとすれば、結局二つめの靖国神社をつくることにならざるを得ないでしょう。先の「懇談会」の報告でも「戦後についていえば・・・日本の平和と独立を害したり国際平和の理念に違背する行為をしたものの中に死没者が出ても、この施設における追悼対象とならないことは言うまでもない」と書いてあるではありませんか。
有事法制の整備はほぼ完成に近づき、米軍の再編成によって自衛隊との軍事一体化が進められ、改憲の日程が具体的に取りざたされるこのごろ、この「国立追悼施設」は別の意味(「普通」のナショナリズムの集約点)で重要な役割を果たそうとするかのようです。
これは政治レベルのどこか遠いところの話ではない。まさしく一人ひとりの国民の明日の問題です。そして私自身、この問題については、アジア・太平洋戦争を日本が犯した侵略戦争であったという歴史認識をどれほど国民が共有できるか、事態の進展はすべてこの一点にかかっているのだとの思いをますます深めています。


  6月20日 (月)
朝5時に起きて朝風呂に入りそのあと縁側でネコと遊んでおりました。このネコはもうすっかり我が家の一員のつもりでいるらしい。時々は近くのボスネコがいじめにくることを除けば安心していられるらしく、朝早くから庭でピョンピョン跳びはねています。なりは大きくなっていますが、自分のシッポや棒きれとじゃれ合っているところなどまだ子猫。そのしぐさがなつかしい。
そのうち、畑に行くために通りがかった近くのおばあさん、通りがかりに「もっと静かに降ればよかったにねえ」とごあいさつ。その通り。言えてる。
昨日は一日ずっと、ぐったりするほど暑かったのですが、そのためか夕方から風が強まり急に大粒の雨が落ちてきました。見る間にキュウリの葉に穴が開きそうなほど強い土砂降りになって、畑にいたそのおばあさん、びしょぬれになって帰ってきたのでした。
おかげで今日は水遣りは省略できます。こんなにひどいにわか雨は結構ですが、時々はしっかり土に水分を十分にしみこませるくらいには降ってほしいものです。
そうこうするうちにいつもの町の広報無線放送が「朝ふだんより30分早く起きましょう」だって。毎朝この無線で私は生活指導されています。さて、今日も暑くなりそうです。


午後からラベンダー祭り最中の「夢農場」に様子を見に行ってきました。ラベンダー畑では早咲きがちょうど咲き始めたところ。穂の長いグロッソはまだつぼみも堅く農場全体としてはようやく紫の色が付き始めたという様子でした。
入り口では黄色の花が沢山咲き乱れていてこっちの方が見応えがありそう。雨がときどき降るあいにくの空模様でしたが、それでもあちこちからお客さんが来てラベンダーを摘み取っていました。ドライやポプリにするには今が一番いい時期。私も「摘み放題」のパスポート(自分でつくった)を見せて摘んでくるかな。




  6月18日 (土)
一昨日の夜からタマネギの収穫の手伝いに来てくれていた妻が今日午前中に富山に戻りました。妻の池田への引っ越しは27日ですからあとしばらくの母との二人暮らしになります。
今までは富山と池田の別々の生活でしたからこの日記に書くこともほとんど重なることはありませんでした。しかしこれからは微妙に変わってくるかもしれません。
同じ生活でも別の角度から見れば面白いという見方もできるのかもしれませんが、出来事を中心に書くとすればそうもいきません。多分一日交替で書いていくというのがいいのかもしれませんね。ちょっと思案中です。なるようになるかな。

さて、池田は夢農場のラベンダー祭り、ハーブセンターのラベンダー祭りといよいよラベンダーのシーズン到来です。一度はどちらも行ってみたいと思ってはいるのですが、あいにく土日は時間がうまくとれないのでコマーシャルで様子を知るだけ。いっせいに咲いたラベンダーは見事です。
ラベンダーはいろんな種類があって咲く時期も少しずつ違います。昨年は挿し芽をしたところほとんど根が出てうまく増やすことができ、1年でものすごく大きくなって大成功でした。そこで今年は3種類のラベンダーをそれぞれ100株くらいずつ増やすことを計画中。それらを新しい家の周りや道路脇など周辺に植えていこうというわけです。辺り一面ラベンダーの薄紫の花が咲きよい香りが漂うような環境を早く実現させたいものです。
それにしても雨がふりません。今日も腰に悪いとわかりつつ、しかたなく用水からバケツで水をくんで何度も往復。昼はものすごく暑くなるので何も植えていない部分はもう茶色く変色してカリカリになってしまっています。本当はクローバが一面に生えていたところですが、今は何にもなし。昨年は8月にそのようになったのですが、今年はすでにそんな状態。とにかく早く梅雨にもどってくれ!!





  6月17日 (金)
なくなったとばかり思っていた一冊の本が、妻の引っ越しの作業中に出てきました。千田夏光さんの「あの戦争は終わったか」(汐文社)という1978年初版の本です。
アジア・太平洋戦争についてそれなりの知識は持っていたはずでしたが、その見方の甘さを思い知らされたのがこの本であり、以後この戦争について考えるときに指針となったのがこの本でした。
日本軍の精奴隷制度(いわゆる「従軍慰安婦」)問題が公然と論議され、また広く国民的な関心事になった今日にくらべて、1970年代はまだその研究も緒についたばかりでした。当時からこの問題を追究し続け今日につながる先駆的な論考を重ねたのがこの千田夏光さんでした。そして、私はこの本を通してはじめて「従軍慰安婦」問題を深く意識させられたのでした。彼の問題意識の鋭さ、切り口の鮮やかさ、人間的な深み、どれをとっても私には新鮮であり心の奥に届くものがありました。
さて、その本を数日前からもう一度読み返しているのですが、今読んでもいささかもその問題意識は古くなっていません。それどころかますます輝いているとさえ思えます。たとえばその例をひとつだけ紹介してみましょう。
青い文字は「引用」、・・・は「中略」です。

戦後(ルソン島北部などの飢餓地獄をかろうじて生き延び)死地からクモの糸にすがるようにして生還した彼女(従軍看護婦)等の手記の一節にこんなのがある。・・・泥水の中で見つけたオタマジャクシを、十数日ぶりでありつく食糧として、その泥水で煮て食べた話、飢えのために動けなくなり、同僚にこれも薬殺してもらった仲間の話、私を棄てていってと訴えた仲間、棄てていったその人と2度と会うことのなかった話、と続くのだが、失礼ながら、これは戦争体験者の戦争回想のひとつ(ひとつに傍点)のパターンである。少なくとも私にはそう思える。・・・男の兵隊の場合も同じである。己の飢餓彷徨体験、砲火さくそうするなかで死にかかった体験、・・・すべて被害体験である。
だが、ここに書かれているような、日本軍兵舎や病院などへ残飯を貰いに集まらねばならなかった被占領地の人たちの悲しみと苦悩、自分たちが与えた行為の結果にふれたものは無い。ほとんど皆無といっていい。・・・
そこに見られるのは、他を振り返らず自分だけを被害者(被害者に傍点)として規定する立場である。・・・
(被占領地の人たちの状況を)見なかった、いや見てはいたのだが見えなかっただけである。勝者、征服者の眼である。


現在、「あの戦争」を「自存自衛の戦争であった」「アジア開放の戦争であった」として歴史の改ざんをもくろむ人たち(政治権力の中枢にある人々やその翼賛勢力!!)の眼は一体何と表現すべきか。

歴史というものは、その時点で「大したことじゃない」と思われつい認めてしまったもの、つくられた虚構の脅威状況をうっかり信じのせられたとき、悲劇にむかって転がりはじめるのである。われわれが”あの戦争”を通じ知ったのはこのことであった。(巻末、「国家総動員法」の「解説」より)




  6月15日 (水)
今朝目が覚めると雨だれの音。待望の雨でした。しかし雨脚はそれほど強くはなく、しかも午後になるともうやんでまたまた強い日差しが照りつけてすぐに地面は乾いてきました。これじゃ本当にお湿り程度にしかすぎません。天気予報ではあと一週間もするとようやく梅雨空になるというのですが、果たしてどうなのか。ひょっとしたら梅雨は飛ばしてすぐに真夏になってしまうのではないのでしょうか。あるいは梅雨になっていつまでも梅雨が明けなかったりして。いずれにしても異常な天気模様が年々強まっているようで気がかりです。

数日前から本格的に妻の引っ越しの受け入れ準備にかかっています。何しろ私が1年前に引っ越しをして、押し入れなどはほとんどそのままの状態だったのでこれを機会に整理をしているのですが、パソコン関係の部品やらソフトやらで収拾がつかない状態で困っています。それでも何とかぎゅうぎゅうと押し込んで空間をつくっているところ。当分使わないものを収納するため納屋も片付けなければなりませんし、受け入れもなかなか大変です。

昼前外にでて水撒きをしていたら例のネコがまたひょっこり顔を見せました。どうも気に入られたらしい。つい腹を空かせているかと思って牛乳などを飲ませるものだから味をしめてまたきたのでしょうか。比較的なつっこいヤツですが、まだ子猫のせいか落ち着かない。とにかくじっとしていないんですね。足下でスリスリしていたかと思うとパッと飛び去って車の下で昼寝をしている。かと思うとまたやってくるという忙しなさで、からかっているぶんには結構楽しい。ひょとしたら倉庫をねぐらにしているんじゃないのかな。


ドライフラワー・アレンジメント作品No.22アップしました。こちらです。


  6月14日 (火)
体調は相変わらず。太もものしびれが強いので一日中コルセットのお世話になっています。これをしていると驚くほど楽なのでしばらくは離せそうにありません。困ったものです。

天気予報では明日の午後から雨。本当に降るのかしらと思ってしまいます。ここは水が豊富なところなので田んぼは問題はありませんが、このお天気続きで畑はもうカラカラ。畑を持っている人たちは悲鳴をあげています。今日も晴天で朝水を撒いても昼過ぎにはもう完全に干上がっている状態です。今日はやむなくバケツで何度か往復せざるをえませんでした。
ついでに借りている畑に行ってタマネギの様子をみてきました。ここ数日で半分ほどの茎が倒れていました。8割ほどが倒れたら収穫時といいますから、妻が手伝いにきてくれる明後日あたりは収穫にはちょうどよい頃合いです。大きい玉や小さい玉が入り乱れていますが、全部収穫したら結構な量になります。楽しみです。それはまあいいとしてちょっと見ない間に草が茂り放題。まわり中が水田なので水分は豊富なのでしょう。タマネギのあとにはトウモロコシと枝豆でも植えることにするかな。


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腰が痛いといいながら、実はいま私は1つのプロジェクトにとりくんでおります。前からすぐ近くにある「おやき村」にやってきた山林鉄道の化粧直しの作業をボランティアでやっているという話を書いたことがありましたが、話がもっと発展して敷地の一部の大改造をやることになってしまいました。
おやきを食べながら従業員の方たちと話をしながら「もっと植え込みのところや周りをきれいにしたらどうだい。ガーデンをつくってきれいにしたらもっとお客さんがくるよ」と言ったのがウンのつき。私がコーディネートしてガーデニングをやることになりそうなのです。
今日はまわりに並べる石を資材置き場まで「おやき村の村長さん」のUさんと見に行ってきました。すごい石がたくさん保管されているのでおどろきました。きっと目を見張るような庭ができることでしょう。さてどんな花を植えようか、話はそこまですすんでいます。
これらはすべてボランティアですが、実は3つ条件を出しているんです。半分は冗談で言ったのですが、社長は真に受けて(?)OKを出してくれたので私の方がちょっと引いているところ。
その条件とは(1)おやき食べ放題。(2)いちご取り放題。(3)ラベンダー摘み放題。この3つです。どうせそんなこと出来っこないと読まれてしまったかな?? おやき食べ放題といったって一個食べたらもう腹がふくれるし、イチゴだってもう時期はすぎているし、我ながらアホな条件を出したものだとあきれています。しかし、社長曰く「どんどん食べてくれ」。病気になりそうです。売り上げが伸びたら一定割合をくれと言うべきだったかな??

昼過ぎには本当に久しぶりに韓国にいるMikeとチャットをしました。お互いにもうメールも書かなくなっているので気にはしていたのですが、元気そうで安心しました。
私の頭の中から英語なんてどっかに飛んでいってしまっているので、いざ思うことを書こうとすると単語がでてこない。別の表現を考えているうちに話題が変わる。ふりだしにもどる。悪循環・・・。まあ、そこは気心の知れた相手なのでどんな悪文・誤文を書こうが適当に解釈して返事をくれるので助かります。
彼の娘のハンナちゃんが片言をしゃべり出したと言っていました。
”She is great. Walking and "talking" a lot. Very happy and loving. She is a wonder.”だって。
メロメロって感じですね。何しろ本当に可愛いらしい女の子ですから。どの親もいっしょか。
私が”Talking! It's great."と言うと、”Babbling. A few words. Babbling is baby talk. dada, mama, etc. She is pretty smart. Can say "Grandmother, mother, rice, dirty" in Korean. She follows me in English and often repeats what I say (kind of) but her only really solid English word is Daddy.”だって。
まわりの韓国の人たちが日本についてどう思っているか聞いてみたら、次のように言っていました。
"Believe me, it's not good right now with the island thing. People are not happy with Japan. Same in China. The Koizumi government is a foreign policy disaster!"
It's such a shame that the Japanese government and (forgive me) many of it's people, are so ignorant about the feelings of the countries they decimated during the war. The textbook thing won't die either.
It's been a real eye opener receiving news outside of Japan. A lot of unhappy people. This will hurt Japan HARD economically too, especially with China taking off."
日本にいたときから批判的な見方をしていましたから、韓国に1年以上住んで今では更に見方を厳しくしているのでしょう。
私の考えは彼はよく知っているので、私が "I know. And you know my thought. I agree your opinion." と言うと、"I know."と応えたあと、こうも付け加えていました。
"Just feel good in the knowledge that you know when so many don't! You're lucky. People will respect you when you travel because of this."
来年は必ず妻と一緒に韓国を訪問すると言ってあるのでそう言ってくれたのでしょう。再会が楽しみです。


  6月13日 (月)
夕方妻が電話をかけてきて、精密検査の結果「異常なし」だったことを知らせてくれました。前から最も心配をしていたことだったのでホッと一安心です。妻も今日はゆっくり眠ることができるでしょう。
年を重ねるとどうしても体調に異常をきたしたり、思わぬ故障が生じることがあります。何と言っても普段の心がけが大事ですから毎日のスケジュールに入れて自覚的に体調を整えて行く必要がありますね。
そういえば向かいのおじさんが、たばこのピースのケースを見せて「こんなことが書いてある」とわざわざ見せてくれました。うう〜〜ん。とうとう来たか、という感じでしたね。禁煙対策も対象の1つであることはまちがいがありません・・・。

今日は午後から大町在住の「阿大北九条の会」の世話人の方が二人我が家を訪問されました。私が書いた「つどい」の原稿をチェックしてくださったのです。私より10才以上も上だというその方はお元気そのもの。パワーを感じます。また交流の輪が広がったという一日でした。

「大北九条の会」発足のつどいの様子

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庭の野菜が見る間に大きく育っていきます。夏の生長のものすごいこと。一日で10センチ近くも背丈が伸びる野菜もあります。最近はニガウリとキュウリの生育が著しい。トマトはちょっと中休み。あと2,3日もすればキュウリの初物が収穫できそうです。
ところで縁側で日よけもかねて植えてあるニガウリとヘチマを何気なく見ていたら、面白いことに気がつきました。そのツルの働きです。
ツル科のこれらの植物は近くにあるものにそのツルをからませて上に伸びていくのですが、そのツルがバネのようになっていることに気がついたのです。まさしくショック・アブソーバ。風が吹いたりしてもそのバネが効いて風の力でツルがちぎれないようになっている。ほんとにキレイなバネなんです。

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これはニガウリもヘチマも同じ。しかしキュウリはちょっと違って太いツルでがっちり掴んでいてバネはほとんどみあたりません。エンドウはツルの先端が幾重にもわかれていてからみつくことでショックを吸収しています。自然観察もなかなか面白いものがありますね。


  6月12日 (日)
今朝は町内の公民館周りの草取りの日。8時に集合して約1時間働きました。1年もすると結構顔見知りができし、みんな気さくな人たちばかりなので和気藹々。あまり草も茂っていないので思ったより早く終わりました。その終わりには役所の人からゴミの分別収集の方法についてくわしく説明がありました。こっちの方が長かったくらいでした。

ところが家にもどって今日はどうも腰の具合がよくない。仕方なく母にはテレビを見てもらっていて私はかなりの時間横になっていました。どこか具合が悪いと何もする気がでてきません。
夕方少しよくなってきたので9条の会のホームページを仕上げていました。会の世話係の人たちはたいていおばさん方。こちらでは年配の女性が男性を引っ張ってがんばっているんですね。たいしたものです。その中の何人かと連絡を取りながら作業をすすめるわけです。
昨日から懸案になっていた問題が一つありました。それは高校生の写真をホームページに載せていいかどうか顧問の先生に問い合わせ中で、了解が取れない打ちはまだ公開できないということでした。幸い今日になって遠くからの写真ならOKということでしたので、それを含めたホームページの原稿を明日世話係の方に見てもらってホームページで公開する運びになりました。

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さて、ニュースを見ていますと閣僚や自民党議員連中の言いたい放題。本当に目に余ります。10年も前なら即閣僚辞任という問題も今では大手をふって通るという異常さ。これはたいへんな事態です。とりわけ今日は中山文科相の発言が突出していましたね。

(その1)中山文部科学相は11日、静岡市で開かれたタウンミーティングで、歴史教科書に関連して、「そもそも従軍慰安婦という言葉は、その当時なかった。なかった言葉が教科書に出ていた。間違ったことが教科書からなくなったことはよかったと評価した」と述べた。従軍慰安婦や強制連行の記述が「減って良かった」とした昨年11月の自らの発言の真意を説明する中で言及した。<asahi.com>

(その2)中山文部科学大臣は静岡市で行われたタウンミーティングで、「戦後の教育は『日本はダメなんだ』と教えすぎた」として、子供たちに国を愛する心を教える必要性を強調しました。
中山文部科学大臣:「戦後の教育は日教組などの影響が強すぎて、『日本はダメな国なんだ』と教えすぎたのではないか」
中山大臣は「いきすぎた愛国教育は良くない」としながらも、「今の日本の歴史教育には偏りがあり、日本が素晴らしい国であることを後世に伝えていく教育が大事だ」と強調しました。また、今年が終戦から100年目の日露戦争に触れ、「あの戦争に負けていたら、日本はおろか、朝鮮半島もソ連の植民地になっていた。『国を守っていくんだ』ときちんと教えるのは当然だ」などと述べました。
 愛国心の教育については、教育基本法に盛り込むかどうかをめぐって与党内で意見が分かれています。 <ANN News>

(その3)中山成彬文科相は5日、宮崎県西都市で開かれた教育関連のフォーラムに出席し、「教育の世界においてもジェンダーフリー教育だとか過激な性教育とかがはびこっている。日本をダメにしたいかのようなグループがある」と述べ、文化的・社会的に形成された性差の解消を目指すジェンダーフリーの教育などを批判した。
フォーラムは日本青年会議所九州地区宮崎ブロック協議会が主催。中山文科相は「私たちはこれからの日本で生きていく子どもたちを素直に育てたい。できれば世の中のために貢献できるようになってほしいと思っています」と続けた。 <asahi.com>


一昨日の宮下先生の講演の中にも触れられていましたが、まさにこの発言は歴史修正主義者の言っている内容そのものであり、「戦犯」のみなさんを含む保守本流の歴史認識そのものであり、歴史を都合のいいように改変し過去の侵略戦争を免罪してふたたび歪んだナショナリズムを国民の中に定着させようとするものです。その行きつく先は9条改憲であり、米軍のアジア戦略に組み込まれた「日本軍」が大手を振ってアメリカと共に海外に出ていくというシナリオです。
まさかそんなことはないだろう??それは論理の飛躍ではないか??色眼鏡でみているんじゃないの?? もしそうおっしゃる方がいらっしゃるなら聞きますが、米軍が神奈川県座間にわざわざ陸軍第1軍団の司令部を米本土のワシントン州から移転してくるのはどんな理由ですか。陸軍ですよ。
私たちが歴史を学ぶのは、こうした時の権力者の妄言に惑わされない批判的なものの見方を培うためだと、私はいよいよそのように思います。

私がいま読んでいるのは哲学者である高橋哲哉さんの「靖国問題」。5つの柱を立てて靖国問題に切り込んでいますが、その切り口の鮮やかなこと。目をひらかれます。そして私がかねてから思っていたようにまさにこの靖国神社こそ皇国史観と国体思想の集中点であり、国民の中の「戦没者への哀悼」感情を利用しながら新しい超国家主義をふりまく突出部隊としての役割を果たす機関となっていることを再確認させられます。ご一読を。

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写真は2,3日前に家に遊びにきていった野良ネコです。


  6月10日 (金)
今日6月10日は井上ひさし、大江健三郎さんらの「九条の会」が発足してからちょうど1年目。折しも大町と北安曇郡(「大北」と略称します)の地域的な「九条の会」の旗揚げの「つどい」が大町で開かれました。
私はこのホームページをつくっている関係上これは逃せないと、宅老所から帰った母に軽食を食べてもらい着替えを済ませてベッドに入ってもらい、それから大町まで車を走らせました。
到着したときはちょうど代表呼びかけ人の開会あいさつの最中。それから9時ちょっと過ぎまで約150人が高校生の詩のリレー朗読や講演に熱心に耳を傾けました。
講演は長野県教育文化会議議長で辰野高校教諭の宮下さん。沢山の資料を駆使して改憲勢力の背景やねらいを明らかにしつつ、9条を守る意義をわかりやすく話してくださいました。私にとってはこの種の講演はそれこそ何十年ぶりか。ちょっぴり恥ずかしくも新鮮な気持ちで聞いておりました。地元の長野北高校の生徒のみなさんの朗読詩も気持ちがこもっていて聞かせるものでした。それにしてもこの種のつどいに参加して高校生の意思を伝える長野の教育のレベルの高さを知った一コマでした。

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今度は私の出番。この集会の模様をまとめてホームページに載せなければなりません。明日の一日仕事です。

「大北・九条の会」オフィシャル・サイト(ちょっとカッコいいね)

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夕方から待望の小雨。ただほんの少し降っただけで後が続かない。まとまって降ってくれるといいのですが。
私は昨夜からずっと、またまたパソコンの修理。今度は娘が置いていったノートパソコンの修復作業です。いろんなソフトが詰め込まれ、しかもウイルスにやられている可能性が高いというので一旦はウイルス対策ソフトで調べては見ましたがやたら動作がおそく、いろいろと不具合があるので結局システムを入れ直すことになってしまいました。
ウインドウズ用のノートは初めてなので最初は手がかりが見つかりませんでしたが、そこはキャリア(実はDellのノートなので扱いやすいだけです)。午前中にはほぼ仕上がって、電気の節約のためにそのノートを使っています。


  6月8日 (水)
一週間、1ヶ月くらいの単位では母の体力・知力の衰えはそれほど違いがわかりませんが、1年単位で見ると随分行動に衰えが進行していることがわかります。
朝、起こしてから洗面所に行くまでにほとんど歩けなくなることがしばしば起こります。そんなときは着替えもままならない状態。着替えがうまくいかないといっそう母のいらだち(当然私のいらだちも)が募るので、今度はそのあとの食事にひびいてきます。
まず自分で食べてくれるときは一週間に一度くらいになっているので、たいていは途中から介助することになります。何しろ牛のように食べたものを長時間咀嚼するので、一度口に入れてから次に入れるまで最低でも2〜3分は待たなければなりません。そのうち食事に集中しなくなって皿の上のものを外に並べ出します。そうなったらもう終わり。
一日の単位では小刻みにいろんなものを食べているので体力が落ちることはまずありませんが、食事と排泄にかかる手間は次第に増大しつつあるのが現実です。こっちも腹が減ったら食べてくれるだろうくらいの気持ちでいないと持たないので、母が嫌なそぶりを見せれば食事はそこで中断することにするか仕切り直すかにしています。
その意味では週3日間の宅老所通いは絶対不可欠の日課なのです。何しろまずお風呂に入れてもらえる。まとまった排泄があるのは何故かたいてい宅老所。それも含めてとにかく一生懸命に世話をしていただけるので本当に助かっています。
着替えに際してもこちらの意思がほとんど伝わらなくなってきています。着替えるために足を上げたり着物から手を抜いたり入れたりする場合に、私も腰を相当に使うので気をつけていなければなりません。それでも母は体が小さいために助かっているのですが、被介護者が男性でしかも体重も相当な場合には着替えとかお風呂とかの介護は想像を絶するものがありますね。
今日も途中から食事のスピードがおち、みそ汁を飲ませようとすると口に含んだまま動かなくなってしまいました。以前私に向かってはき出されたことがあるので注意しつつ結局本日の夕食はそこで終わり。それでも2/3くらいは食べたので、あとは寝てもらって母のメモリがクリアされるのを待つ以外にありません。調子のよいときはこれほど優しい顔を見たことがないというほどの母ですが、いったん機嫌の悪いモードに入ると手がつけられなくなります。そんなときは寝てもらうのが一番ということになります。息子としての私の存在も妻も娘も息子ももはや分からなくなっているようですが、それでも心の奥深くに幾ばくかの記憶を蓄えているはずだということを信じつつ、介護の日々は続きます。

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今日はドライフラワーの日。ラベンダーを中心に船型のアレンジを1つつくってきました。娘が同じ形のものを持って行ってしまったので、その埋め合わせです。
え? こっちの方がよかったって? 取りに来てくれたら交換してあげるよ。さっちゃん。
えっ? 持ってきてくれ? そうだなあ・・・・パーマをかけに来てくれたしなあ・・・
ドライフラワー・アレンジメントのコーナー 作品No.21


  6月7日 (火)
あわただしく一日が過ぎて8時少し前娘と孫が富山に帰っていきました。孫はいささかもじっとしていないので、文字通り子どもに振り回されっ放しという感じのこの二日間でした。
午前中は予定通り母の出張美容。日差しをさけるために倉庫の中でカット&パーマということになりました。もう午前中から相当に暑い日差しになったので娘もかなり大変そう。かがんで仕事をすることが多いので背中が痛いといいつついっしょうけんめいにやってくれました。おかげで母はさっぱり。かなりきつめのパーマでこれから洗髪をしても扱いやすそうです。


午後からヘルパーさんが来てくれるのをまって、これも予定のイチゴ狩り。陸郷にある夢農場の斜面にあるほとんど野生園と化したいちご園で好き放題の摘み取りです。社長の好意を有り難く受けてたくさん摘み取らせてもらうことができました。ついでに隣にこれも斜面一面に茂っているカモミールを摘んだりして都会では味わえないひとときを思いっきり楽しんできました。


イチゴ狩りからの帰り道、借りている畑にちょっと立ち寄りました。娘が子どもに田んぼにいるオタマジャクシを見せたりタマネギの収穫を体験させたりしたいというので寄ったのです。
田んぼには春に生まれたのだろうたくさんのオタマジャクシが元気に泳いでいました。まもなくまたまたたくさんのカエルたちになるのでしょう。娘にはタマネギの収穫も初めての体験のようで大きな玉のなっている茎を力一杯ひっぱって後ろにひっくり返っていました。自然は偉大な教師です。1つ1つのこうした経験がどこかで生きてくれることを願わずにいられませんね。

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沢山の野菜や私のつくったつる細工などを車に積み、楽しい思い出をいっぱい持って娘達は帰途につきました。道中の安全を願っていましょう。


  6月6日 (月)
今日も朝から快晴の夏日。母を宅老所に送り出してから「おやき村」に出かけ、日中暑い中を列車のさび止め塗りを手伝っていました。我ながら物好きだ〜〜と思いつつ・・。
午後3時半頃娘と孫が富山からやってきました。私の母(娘の祖母)のための出張美容と、イチゴ狩りなどの行楽をかねての来訪です。孫は来るやいなや向かいの小学校2年生の子とずっと遊んでもらっていました。その間娘と私は畑に水遣りをしたり、もう一ヶ所の畑に行って様子を見たりタマネギを収穫したりしてあっと言う間に夜。妻が用意して持たせてくれた夕食を腹一杯食べてもうすっかり眠くなってしまいました。







  6月5日 (日)
今日の映画「シルミド」は必見。1971年に実際に韓国で起こった事件を克明に再現した映画です。韓国では一昨年暮れに公開されてから管区の人口の実に1/3が見たというほどの話題作。私自身は実は今回が初めてでした。南北に分断されておらず、また社会体制の違いがなければこんな事件は起こりようもない。しかし実際には相互に「祖国統一」を大義名分としつつ敵視政策をとり続けてきた分断国家の悲劇としか言いようがありません。同時に囚人特殊部隊を政治の都合で簡単に抹殺する政治権力の非人間的な本質をあばいてもいます。
それにしても韓国の俳優達の力量のものすごさ。こっちの国もちょっとは見習いたいですね。

さて、昨日も予告していましたが、私はいま「おやき村」でボランティアをしています。何をしているかというと、その敷地に運び込まれて古い山林鉄道の列車のお掃除です。さびを落として色を塗り直すという仕事。オーナーの社長さんと話をしているうちに何となく手伝うことになってしまったのですが、社長も物好きなら私もお人好しですね。一文にもならないことをせっせとやっているわけです。
SLとも違うタダの山林鉄道なんですが、古いものにはそれなりの良さがあり、それをこうして保存しようという社長の心意気にも感ずるところがありました。さて、どんな風に色を塗ってやりましょう。いまそれが問題になっています。上の写真は実物。下は私がPhotoshop上で塗り直したもの。こんなのはいかがですか。社長が見たら一発で却下されるかも。





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本日より、「大北9条の会」のホームページは次のURLで独立しました。まだ準備中ですが、発足のつどいが開かれる6月10日前後にはニュースや集会の模様も含めて正式につくることができるはずです。

「大北9条の会」のホームページURL  http://www7a.biglobe.ne.jp/~taihoku-9jo/


  6月4日 (土)
昨日は夏日になって空には大きな入道雲が。今日は昼前雷鳴がとどろいてほんの少しだけにわか雨が降りました。お湿りにもならないくらいです。何とかまとまった雨がふってほしいもの。
昨日のこと、借りている畑に行って様子を見に行きましたら、隣の田を作っているお年寄りが畝を利用して畑をしていました。耳の遠いお年寄りで、話をするのも骨が折れるし、話の内容も半分ほど聞き取れないので苦労しましたが、何とかお互いを理解することができました。
おじいさんと話をしている途中でこんなことを言い始めました。「葱坊主ができているタマネギはそのままにしておくと固くなって食べられなくなる。葱坊主ができているタマネギはすぐに抜いて食べた方がいい」「タマネギを植え付ける時期、肥料、苗の状態などで葱坊主ができるかどうかがきまるようだ」
初めて聞く話でした。「葱坊主を切ってもだめだね。ためしに切ったりそのまま残したりして、どうなるかいろいろやってみるといい」と経験者らしい話し方で教えてくれました。なるほど、かなり説得力のある言い方だったのでいくつかタマネギを抜いて持ってきました。
葱坊主の出来ているのはそれほど多くはないのですが、見ると10数本あります。結構大きなたまになっているので5,6本持っても重い。家に帰ってさらして食べましたが、雨が少ないせいか粘りが強く辛みもあるような気がしました。一雨降ってもう少し玉が大きくなってくれないことには・・・。
あとから植えたネギの方はほとんどに葱坊主ができていました。農協で聞いたら全部とってしまったらいいということだったので、この際さっぱり整理をしました。うまくいくのかどうか。


夜に入って一雨あって随分気温が下がり肌寒くなりました。
今日は午後からいつもの「おやき村」でボランティア。この詳細はまた明日書きます。

BGMは現在デフォルトでOFF(false)にしています。画面一番下のWindows Media Player もしくは Quick Time PlayerのコントロールバーでONにすれば聞くことができます。この曲、実はクリスマス・ソングなんですが、何となく気分に合っていたので使っちゃいました。クリスマスでなくったって Candles And Stars は素敵です。


  6月3日 (金)
寝るとどうしても体が伸びるので腰が痛くなります。昨夜からまた眠れなくて今朝は5時前に起き出してしまいました。いつでも昼寝が出来るという生活はたまらないですね。全国の勤労者のみなさん、ごめんなさい。いっしょうけんめいに働くとそんな生活(3食昼寝付きのこと。腰痛ではありません!)が待っています。
やや肌寒い庭にでて、まずゴミ出し。その後は畑の見回りです。大きく育った野菜の葉と葉の間に隠れて露を避けるようにして例のカエルたちが寝ています。どうみても愛嬌のある姿で、つい見とれてしまいます。朝の食卓用にアスパラ菜を収穫して一旦部屋にもどり、パソコン上でいくつかのオンライン新聞をチェック。


おやおやあの中曽根さんまで小泉首相の靖国参拝や止めた方がよいと提言したの? 
今から約20年前に現職閣僚としては戦後初の年頭参拝を強行し「総理大臣たる中曽根康弘」と記帳、その後アジア各国からの強い批判を浴びて結局首相参拝を見送ることにした(「内閣官房長官談話」参照)自らの経験とダブるところがあるのでしょうかね。
ニュースでは相変わらず靖国問題が多い。しかしその本質に関わる議論はメディアには全くといっていいほど現れない。

日本人は戦争犯罪の加害責任と、戦争犠牲者への慰霊に示される被害感情とを、自分のなかで、どう統一したらよいのか分からないでいる。「犯罪」としての侵略の責任は、人間としての「罪」の意識にまで深めて、自らの問題として考えるべきであろう。戦争責任は思想化されなくてはならない。それなくして日本の文化や道義の伝統への誇りはないし、真の国際的友情も成り立たないと思う。
色川大吉ー第二次世界大戦と日本ー(「敗戦から何を学んだか」小学館)より


  6月2日 (木)
最高気温が20度ちょっとという比較的過ごしやすいお天気でした。一日曇り空でとうとう雨は降らずじまい。
今朝からめだって体調がよくなってきたので外に出て苗の植え替えやら草取りをしました。
まずトウモロコシの芽が沢山出てきたので畑に植え替えです。この前は水にしばらく浸して発芽を促しましたがほとんど発芽せず失敗。そこで今回はポットに直植えしてみました。するとほとんどが発芽。ちょっと芽が出すぎて植えるところがなくなってしまいました。
続いてお向かいさんからもらったホウセンカを道に沿って沢山植え、さらにその間にかすみ草の苗を植えました。時期がくれば道行く人の目を楽しませることになるでしょう。


先日図書館から借りてきた本のうち「国民の油断ーー歴史教科書が危ない!」(西尾幹二・藤岡勝信)というのがあります。明日返さなければならないので今日ずっと読んでいたのですが、とにかくひどい本です。「自由主義史観」の旗がしら(?)の著書ですから一応目を通しておこうと思って借りてきたのですが、全編彼らなりの思い入れと極度に歪曲した特定の「物語」で日本の歴史を描き出すという手法で、もう読む気すら起こらなくなってしまいます。
第一章「これで分かるか!明治維新と日本の近代化」に次のような記述があります。

武士の首切りが廃藩置県の本質ーー藤岡
「・・・江戸幕府を引き継いだとしても、新政府には基本的に近代国家を運営するためのファンドがありません。・・・国家運営の資金をどうやって調達したらよいか。これが彼らが直面した最大の課題でした。その課題を武士の特権を廃止し、武士階級を収奪することによって実現しようとしたのが廃藩置県なのです。・・・繰り返しますが、一滴の血も流さずに日本の封建制度が撤廃されたとは、具体的にはその廃藩置県を指しています。・・私は、今の歴史教科書の本当に重大な問題は、日本の近代国家の生みの苦しみについての共感が全く欠けていることだと思います。自国の歴史を愛情をもって眺めるという姿勢が完全に欠落しているのです。」


本を開いていきなりこんな調子です。この藤岡先生「封建制度の撤廃はどれを指すか」と学生に質問しても誰一人正確に「廃藩置県」であると答えられなかったと憤慨しているのですが、”武士の首切りが廃藩置県の本質”だとは質問された学生もさぞ困ったのではないでしょうか。質問者が天下の東大の藤岡教授だし、背後にさらに偉い人がひかえているかもしれないし・・と学生は考えたかどうか。

廃藩置県は中央集権国家をめざす変革としての意義を持つことは当然だとしても、その背景には当時の政府の無力さや戊申戦役凱旋諸隊の整理の緊急性、各藩の財政破綻状況、さらには欧米列強の侵略の危機に対処するため人心を「征韓」に向けさせることなどさまざまな要因があり、それらが強力な引き金となってクーデター的に断行されたものです。藩を廃止した結果政府は旧藩の家禄も引き継いで支給することになり、このための政府の家禄支出は巨大な額となります。廃藩置県から西南の役まで、旧藩の家禄支給と政府肩代わりの旧藩の元利支払いとで、政府実収入のほぼ半分近くがふりむけられているほどです。このことが1873年の地租改正に向かわせ、さらに同年徴兵令を制定して藩の常備兵を廃止し、そして封建支配者の特権である家禄制度の廃止すなわち秩禄処分へと政府を突き進めさせます。
徴兵令、秩禄処分を断行し、これに抵抗する士族の反乱(西南の役など)を鎮圧してようやく武士階級の廃止が完成するのです。
「廃藩置県」と「秩禄処分」とを取り間違えていることすら気がつかないで歴史を語っていらっしゃるのですか?? それを裏付けるこんなご丁寧な表現もありますよ。

「”年貢がすべて政府に集まる”というのが、廃藩置県の実はいちばん大事なポイントなんです。・・年貢を、藩が集めるのではなく、すべて政府に集まることになったとすれば、武士はいわば失業ということになります。武士の身分が廃藩置県によって根拠を失うわけです。つまり、武士とその家族180万人の大量解雇が、廃藩置県だったのです。」

この人の議論はこの程度です。畑違いの歴史に首をつっこみ、「自由主義史観」の旗手よろしくあちこちで「モテモテ」になって得意然としていらっしゃるのはもはや滑稽ですらありません。この本の題名を「西尾・藤岡の油断」と変更してください。さもなくば本当に歴史教科書が危ない!!


  6月1日 (水)
実はまだ5月だとばかり思っていて、この日記を更新しようとしてようやく月が変わったことに気がつきました。愕然。
長野は例年の半分以下の降水量で農家は大変です。梅雨前線がまだ太平洋上にあって梅雨のはしりもなし。6月は平年並の降水量だということのようですが、早くまとまった雨が降ってほしいものです。庭もカラカラで畑はそれなりに水をやっていますが、それ以外はもう青息吐息。都会の方はどうなのでしょうか。

今朝は相変わらず痛みとしびれがあってちょっと苦労しましたが、昨日までと比べると幾分調子がいいみたいでした。午前中母を送り出してから医者に行ったのですが診察が午前中だけの日のせいかものすごく混んでいて結局パスしてしまいました。そのままフラワーアレンジメントの先生のところへ。前回私のつる細工を参考までに貸して欲しいという人がいたので、持って行きがてら新しい試作品を1つつくってきました。いままでとはひと味違う面白い作品に仕上がって満足。
先生のお宅の庭には様々なハーブが大きく育ち、色とりどりの花が咲き乱れていました。






"Candles And Stars" by Mr. Blue Piano Man


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